お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年9月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2021年3月

2021年3月31日 (水)

20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(予告編)

Img_1040c_20210331172101  3月31日となりました。リタイアしてかなりになりますので、あまり年度替わりは関わりがないのですが、それでも「今年度も終わりか」という気持ちになります。それを記念してということではありませんが、陽気もよく、桜も満開ですから、今日は、“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”というテーマで歩いてきました。今回も、「くわな史跡めぐり」を参考に自分でコースを組み立てています。今日のところは、予告編。

210331nisibessho  こちらが今日歩いたコースマップ。三岐鉄道北勢線で西別所駅まで。そこから、延寿院、万機庵跡、照林寺、八幡神社と回り、西別所城跡を見るつもりが忘れて、蓮花寺に入りました。山神社、蓮花寺、白山神社、宇賀公園、宇賀神社、さらに増田に行き、増田の額田神社、源流寺、そして、額田神社の氏子の方に教えていただいて額田神社旧跡を訪ねました(増田集会所)。これで在良駅にゴールするつもりでしたが、氏子の方に額田神社(本社)の話を聞きましたので、そちらまで足を延ばしました。現地で7.6㎞を歩き、自宅から西桑名駅までの往復が2.3㎞で、合計9.9㎞。最高気温は、21.4℃で、かなり汗をかいて帰宅。

Img_1044c_20210331172101 Img_1072c_20210331172101  三岐鉄道北勢線・西桑名駅を8時23分に出る阿下喜行きに乗車。春休み期間ですので、空いていました。1輌に2~3人の客。西別所までは、2駅。¥190。西別所駅には、8時28分に到着。右の写真が西別所駅ですが、向かって左(南側)には辻内鋳物工業の大きな工場がありました。取り壊されて更地になっています。駅の北にある工場とたぶん本社はそのまま。

Img_1062c_20210331172101  途中、馬道駅のところから走井山公園が見えます。桜は満開。今日は、桜はまぁいいかと思っていたのですが、やはり、桜がこんなに咲いている景色を見ると、いけませんねぇ。心が動かされます(微笑)。

Img_1088c_20210331172101 Img_1101c_20210331180001  さて、まずは、国道258号線の下をくぐって、その東にある延寿院を目指します。西別所駅は、町屋川でバードウォッチングをするときに何度か降りたことがあります。また、国道258号線は何度となく通っていたのですが、このあたりを歩くのは初めて。事前にストリートビューで見たものの、延寿院に入る道が今ひとつ不確か。結局、この藪のようなところの奥から入れました。

Img_1109c_20210331172101  慈眼院北寺延寿院。高野山真言宗のお寺。ご本尊は、十一面観音菩薩。地元では、集落の北のはずれにあることから「北寺」Img_1119c_20210331172101 と呼ばれます。延宝年中(1673~81年)、奥平貞登が観音堂を建てたのに始まります。奥平貞登の一族は、桑名藩5代藩主・松平定綱に使えて家老職を務めました。この地に山荘を建て、かたわらに小堂を建てて観音像を安置したと考えられています。享保21(1736)年、大福田寺の住職・實圓がここを隠居寺としてから大福田寺の庵室となり、江戸末期からは尼僧によって住持されていました。しかし、檀家もなく、昭和中期には無住となり荒廃したため、西別所在住の有志によって昭和57(1982)年に本堂が修復され、また、北寺奉賛会が設立され、維持されています。境内には、宝暦5(1755)年に入寂した實圓と、安永5(1776)年入寂の實豊の墓碑である五輪塔2基などが残っています。

Img_1138c_20210331172201  再び、国道258号線をくぐり、西側に戻ります。左の写真で、こんもりした岡と森が見えますが、ここに万機庵跡があります。万機山蔵鷺庵(ばんきざん ぞうろあん)が正式名称のようですが、地元では万機庵、または、蔵六庵とも呼びます。もともとは曹洞宗のお寺でした。楊柳寺(市内新屋敷)第6世万機和尚が建てた庵跡といわれています。万機和尚は、真田幸村(信繁)の3男だそうです。

Img_1148c_20210331172201 Img_1152c  上の写真の道を上り、途中から岡の方に入ったものの、岡の中は、これらの写真のような状況。「明治初めに無檀家の理由を以て廃庵となり、現在、跡地は竹林となっている」ということは知っていたのですが、かなり荒れていました。跡地には、万機和尚の墓石を含め、15基の墓石があるそうですが、見つけられませんでした。予めネットで検索したところ、最近、「送電線の鉄塔が立っているので、そこへの鉄塔巡視路はあるものの、きびしい藪と地形で、歩き回ることができず、墓石の場所は判らなかった」と書いているブログがありました(こちら)。2月1日に行こうとした高塚山古墳も、荒れていては入れませんでしたが(2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編))、竹林は手入れされないとすぐに荒れてしまうようです。ということで、万機庵跡に行くのは、断念。

Img_1167c_20210331172201  続いて、照林寺へ。住宅地の北から西を周り、照林寺は濃州街道沿いにあります。真宗本願寺派のお寺。ご本尊は、阿弥陀如来。当時の西別所には寺がなく、明治44(1911)年、地元の人たちの懇請を受けて、萱町の法盛寺の塔頭を村の念仏道場であったここに移築して設立されました。その際、廃庵となった万機庵の建物の一部を庫裡として移築しています。さらに同庵に安置されていた阿弥陀如来像と十一面観音菩薩像も移安され、別壇に護持されているそうです。照林寺は、去年3月、濃州街道ハイキングでも来ています(2020年3月15日:20200315「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)(予告編))。

Img_1171c_20210331172201 Img_1174c_20210331172201  照林寺の前は、濃州街道。しばらく、濃州街道を歩きます。去年3月15日のハイキングの時に、話しに夢中になって見逃した地蔵堂がありますので、今日は、忘れずに見なくてはなりません。「子安地蔵堂」とあります。城下橋の北畔にあります。元は、北部の台地の上にある寺に祀られていたそうです。明治初年に現在地に移しました。堂は、昭和48(1973)年に改築されています。なお、「くわな史跡めぐり」に載っている写真は誤りと思われます(他の地蔵堂の写真と間違っていると考えられます)。

Img_1190c_20210331172201 Img_1203c_20210331172201  西別所第3公園の南を過ぎて、濃州街道から離れ、北へ。希望が丘にある八幡神社に向かいます。元禄14(1702)年、西別所城山にあった八幡社を現在地に勧請しています。主祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)。相殿神は、菊理姫命(くくりひめのみこと、白山比咩神社の主祭神)、大山津見命(おおやまつみのみこと、山の神)、火産霊神(ほむすびのかみ、、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ、食物、とくに稲の神)。階段を登って、標高30数mのところに神社があり、眺望が利きました。

Img_1245c_20210331172201 Img_1252c_20210331172201  再び蓮花寺川沿いに戻って、川に沿って蓮花寺へ。途中、なかなかよさげなソメイヨシノが2本、満開でした。これを過ぎて、川に沿って右に曲がっていきます。行き当たったところに、地蔵堂と個人の方の忠魂碑。

Img_1262c_20210331172201 Img_1274c_20210331172201  突き当たりを右折してすぐに山神社。もっと立派な神社を想像していたので、危うく見逃すところでした。しかし、けっこう由緒のある神社。正親町天皇の天正年間(1573年~)以前の創始だそうです。蓮花寺村宇賀の城山に内山源吾、後藤庄左衛門が城主として居城し、奉祀したといいます。天正年間、織田勢に滅ぼされたものの、その後も氏子の方々が「山の神」と称し、祭祀してきました。

Img_1286c_20210331172201  次の目的地、蓮花寺に向かう途中のお宅に、なぜかスワン・ボートが置いてありました。お宅の中にも富士山のようなものがありますし、「ナニコレ珍百景」になりそうな印象。

Img_1297c Img_1306c_20210331172201  総仏山蓮花寺。真宗大谷派の寺。ご本尊は、阿弥陀如来。第二次世界大戦までは、総仏堂という説教所でした。かつては、地名の語源となった「蓮華寺」があったところです。鎌倉時代にはかなり繁栄したそうですが、住宅開発に埋もれ、蓮華寺の寺跡は窺い知れません。蓮華寺には、無住国師(無住道暁、ムジュウドウギョウ)が住み、正和元(1312)年、87歳で没したといいます。

Img_1328c_20210331172201 Img_1332c_20210331172201  蓮花寺のすぐ北西には白山神社があります。私がいつも使う「キョリ測」には、ここに、白山神社と宇賀神社があるとなっていますが、由緒書きによれば、ここに鎮座するのは白山神社。宇賀神社は、ここから南150mほどのところにあると書いてありました。御祭神は、菊理姫命(くくりひめのみこと、白山比咩神社の主祭神)。境内社には、津島神社、火産霊社が、また、別宮には、護国神社があります。白山神社があるところは、蓮花寺西城跡といわれます。ここには、内山源吾正則が居城したといいます。

Img_1313c_20210331195001  Img_1320c_20210331172201  白山神社の東には白山会館と、ちょっとした公園がありますが、そこのソメイヨシノも見事でした。いわゆる「桜の名所」はもちろんよいのですが、こういうあまり知られていないところにも、見事な桜があるものです。

Img_1407c Img_1397c_20210331172301  続いて、白山神社から少し北へ。神田池の南西あたりが、蓮花寺東城跡になります。ここは、後藤庄左衛門の居城した天正元(1573)年に、織田信長勢により落城。蓮花寺西城跡もここも、発掘がされていないそうで、詳しいことは分かりません。

Img_1419c_20210331172301 Img_1423c  白山神社の南、150mほどのところに宇賀公園があり、その敷地内に宇賀神社があります。当初は、立ち寄る予定はなかったのですが、白山神社の由緒書きに、ここに宇賀神社があるとあったので、行ってきました。創祀は不詳ですが、正親町天皇の御代(1557~1586年)以前と伝えられ、蓮花寺城山城主・後藤庄左衛門の崇敬が厚かったといいます。御祭神は、宇迦之御魂神

 宇賀公園の南、コミュニティバスの「マザック前」停留所のあたりには、宇賀遺跡があったといわれます。Img_1441c_20210331172301縄文時代から中世にかけての複合遺跡です。弥生時代の遺構からは、井堰が見つかっており、稲の穂積みに使う木包丁も出土し、稲作が行われていたと考えられています。

Img_1478c_20210331172301 Img_1487c  さらに南に向かい、北勢線、濃州街道を越えて、増田に入ります。増田の額田神社です。もともと、桑名郡額田村と増田村は、一つの村で増田神社を鎮守として祭祀したのですが、洪水によく遭ったということで、神社を額田村宮山へ遷しました。その後、増田村から参詣するのに不便だということで、額田にある本社からこの増田の額田神社を文政8(1825)年に分祀奉遷したそうです。ここで、神社の世話をしておられる氏子の男性の方に出会い、この経緯や、あとで訪ねる旧社地のことなどを教えていただきました。こういう出会いはありがたいことですし、ハイキングの醍醐味の一つです。

Img_1518c_20210331172301 Img_1531c_20210331172301  その男性に教えていただき、旧社地へ行ってみました。旧社地は、旧増田村の中央に位置し、現在は、増田集会所が建っています。その集会所の建物の裏手に、「額田神社御旧跡」という石碑がありました。これは、教えていただかないと分かりませんでした。

Img_1554c Img_1565c_20210331172301  この旧跡から西へ向かうと、額田山源流寺。真宗大谷派の寺。ご本尊は、阿弥陀如来。このお寺の詳細については、調べた範囲ではよく分かりませんでした。

Img_1740c_20210331172401 Img_1612c_20210331172301  以上で、当初の目的地はコンプリートしたのですが、増田の額田神社でお目にかかった氏子の方から、額田神社(本社)についても話を伺い、興味が湧いてきました。別の機会に行こうと思っていたのですが、この時点でまだ10時40分。額田神社までは、さほど遠くはありませんでしたので、お参りすることにしました。左の写真は、濃州街道沿いに建つ額田神社の社号標。右面には、「従是三丁五間」とあります(336mあまり)。右は、北勢線を越えたところにある額田神社の常夜燈。

Img_1720c_20210331172401 Img_1658c_20210331172401  額田神社。延喜式内社。御祭神は、意富伊我都命(おおいかつのみこと, おほいかつのみこと:古代、この地方を開発した額田連(ぬかたのむらじ)の祖)、天照大御神天津彦根命(あまつひこねのみこと)。第19代允恭天皇の頃(440年)、奉斎されたといいます。ちなみに、額田部氏は大和の額田郷から移住してきた一族で、付近には小さな古墳がいくつかあったという伝承があります。額田神社には、竜王社、火産霊社、猿王社、春日社、座(蔵)王社などの境内社がありました。額田神社にお参りを終えて、11時5分頃。急げば、11時15分在良駅発の西桑名行き電車に乗れます。濃州街道に出て、上に載せた社号標を見て、在良駅へ。

Img_1756c_20210331172401  三岐鉄道北勢線在良駅には、11時10分を少し過ぎた頃到着。東名阪道の高架の下に駅があります。無事に11時15分発の電車に乗れました。西桑名駅までは、4駅、¥210。11時26分に西桑名駅に到着。

Img_1803c_20210331172401  本日のALKOOによる歩数のデータ。17,884歩。冒頭に書きましたように、合計9.9㎞を歩いた結果。ということで、本日は、「西別所・蓮花寺を行く」という「勝手に北勢線ハイキング」の予告編。いつものように、明日以降、本編を書きます。

Img_1213c_20210331172201 【余談】 本日から、ウォーキング・シューズを新調。これまでのものは、底がすり減り、穴もあいてしまいました。毎日、平均6㎞かそれ以上を歩きますので、靴の消耗は、はなはだしいのです。今までのものをいつから使っていたか記憶にありませんが(調べるとブログに書いてあるかも知れません)、1年はとても保ちません。

2021年3月30日 (火)

ニュウナイスズメ初見、ツバメの巣入りに、早くもツツジが咲く!

Img_0281c_20210330164001  今日も20℃を越え、暖かいというか、散歩をしてくると、けっこう汗をかくくらいでした。ただ、黄砂も飛んで来ているようでもあり、空は霞んでいます。今朝も、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園から柳原へ周り、内堀南公園に戻って、内堀公園、京町、寺町商店街と、6.4㎞。ソメイヨシノが満開ですので、あちこち見て写真を撮ってきたという次第。途中、散歩友達などに多数出会い、帰宅は11時半近く。「どこまで行っているの?」と呆れられたような始末(苦笑)。桜の写真は、別記事にしましたので、ここではそれ以外。

Img_0522c  今日はまずは、こちら。九華公園の奥平屋敷跡で、スズメに似た鳥だけど、ちょっと違うなと思ったら、ニュウナイスズメでした(オス)。全長14cm。私にとっては、初見、初撮影の鳥です。漢字で書くと「入内雀」。北海道の平地の林や本州中部以北の山地で5月から7月にかけて繁殖し、関東地方以南の暖地で越冬します。宮中にも入れるスズメということで、「入内雀」になったという説もあるようです。毎日のように同じところを歩いていても、たまにはよいことがあるものです。

Dsc_0094c  そして、昨日、九華公園のツツジで、花芽が大きくなってきたと書いたばかりですが(2021年3月29日:春日神社の金龍桜とドウダンツツジが咲き始めました……ツツジの花芽も大きくなる)、今日は、ツツジが咲いているのを見つけてしまいました。スマホ写真をトリミングしていますので、あまりクリアではありません。午後から買い物に出かけた帰りに、拙宅マンション敷地内の植え込みで見つけました。たぶん、これまででもっとも早いと思います。しかし、季節の進みが早すぎますねぇ……。

Img_0907c_20210330163801 Img_0941c_20210330163801  また、京町の呉服屋さんあたりでは、ツバメが3羽ほど飛び交ったり、電線に止まって休んだりしていました。しばらく見ていると、呉服屋さんにある巣(ここには、3箇所の巣があります)にも入って行って、巣の様子を確かめているような印象でした。

Img_0320c Img_0374c_20210330164001  さて、鳥見の話しから。住吉入江には、今日は水鳥はいませんでした。左は、住吉水門の近くにいたハクセキレイのオス。揖斐川には、中洲近くにキンクロハジロが10羽ほど。住吉水門の外側にヒドリガモが2ペア。七里の渡し跡には、ヒドリガモが7羽。三の丸公園には今日は、鳥は見当たりません。柿安コミュニティパークにはドバトとスズメ。このほか、あちこちにいたのは、ヒヨドリ多数と、少数のカワラヒワ。

Img_0469c_20210330164001 Img_0493c_20210330164001  九華公園でもヒヨドリが賑やかです。相撲場あたりでは他には、カワラヒワ、スズメ。奥平屋敷跡では、先に書きましたが、ニュウナイスズメが2羽。高い木の先端にしばらく止まっていたのです。他には、ハクセキレイのペア、ツグミ1羽。

Img_0508c_20210330164001 Img_0576c_20210330163901  さらに、待っていると、シロハラやシメも出て来ました。今日は、なかなか出てこなかったので、諦めかけたくらい。いつもよく来ていたジョウビタキのオスは、最近は姿を見せません。帰ってしまったのかも知れません。セキセイインコの小屋は、賑やか。数も増えましたし、鳴き声も響き渡っています。

Img_0595c_20210330170301 Img_0725c_20210330163901  カモは、31羽+α。餌をやる人が複数あって、きちんと数えられませんでした。ハシビロガモは、オスが3羽、メスが2羽、ヒドリガモは2ペア、他はすべてキンクロハジロ。割と元気に泳ぎ回っています。

Img_0482c  ユリカモメは、1羽のみが飛来。今までよりも、さらにガングロになったものがやって来ていました。カメラを向けたら、飛び立とうとしたので、証拠写真であります。

Img_0766c_20210330163901  一部では、桜が散り始め、堀に花びらが浮いています。そうなると、あれ狙いをしなくてはなりません。ただ、まだ堀に浮く花びらが少ないので、中途半端。恒例の「遠山のカメさん」シリーズ。もう少しすると、もっと立派な桜吹雪となるはず。

Img_0787c_20210330163901  貝塚公園では、ツグミ1羽の他は、ヒヨドリ多数、ムクドリ、スズメくらい。今日は、シロハラは見当たりませんでした。内堀公園にいたとき、上空をゴイサギか、ホシゴイらしき群れ(10羽ほど)が通過。ハッキリとは確認できず、また、写真もクリアではありません。

Img_0622c_20210330163901 Img_0580c_20210330163901  九華公園では、イロハモミジの花も咲いています。花見に来ている方々もほとんど気にする方はありませんが、葉っぱの緑と対照的で、きれいです。4~5月に咲くといわれていますが、これも、今年は早いかも知れません。右の写真は、ベニバナトキワマンサク(トキワマンサク)だそうです。鳥見仲間の女性に教えていただきました。備忘のために載せています(苦笑)。九華公園の奥平屋敷跡への入り口あたりに数本咲いています。

Img_0845c_20210330163901  柳原あたりで、キチョウ。蝶は、モンシロチョウも含め、かなり前から飛んでいます。右は、3月20日のImg_5138c_20210330173301“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」”のとき、上野御膳水近くで撮ったモンシロチョウ

Img_0973c_20210330163801  帰り道、ついフラフラと寺町商店街の和菓子店・大黒屋で三色団子をゲット。「一人花見」の第1回を、これまた勝手に挙行してきました(微笑)。場所は、住吉入江の三崎見附跡近くの桜の下にて。以上、季節の進み具合の速さに戸惑っているうちに、3月も明日で最終日。

20210330散歩コースの桜点描……ソメイヨシノ満開ツアー

Img_0289c_20210330164001  暖かい日が続き、散歩コースのソメイヨシノも皆、ほぼ満開となりました。今日は、ちょっと足を延ばしたところも含めて、そImg_1015c_20210330163801れらをまとめました。写真は、とくに断った以外は、今日撮影したものです。冒頭の写真は、もちろん、マイソメイヨシノです。いつもは間近に行って撮った写真を載せていますが、今日は、玉重橋からズームで撮影したもの。右の写真は、その玉重橋から諸戸氏庭園に向かっている桜並木。中央奥に写っているのが、修復工事中の諸戸氏庭園の主屋。その手前右側にあるのが、マイソメイヨシノ。

Img_0998c_20210330163801 Img_9677c_20210330181301  左は、諸戸氏庭園の祭車庫(諸戸家所蔵の石取祭の祭車が収められていますが、現在は修復工事中)から煉瓦蔵の南にある桜。写真では区別できませんが、土手に植わっているものと、修景工事にともなって植えられたものとがあります。向かってもっとも左がマイソメイヨシノ。祭車庫の前と、祭車庫と煉瓦蔵の間とにヤマザクラが1本ずつあります。右はそのうち1本のヤマザクラの花。

Img_1002c_20210330163801 Img_1006c_20210330181401  玉重橋の東側のたもとには、こちら。植えられた頃、エドヒガンという札があったと思いますが、記憶は不確か。これは咲くのがやや遅めで、まだ五分咲きくらい。

Img_9725c_20210330185701 Img_0395c_20210330185801  左は、住吉神社の境内にあるソメイヨシノ。ただし、これは、昨日の写真(3/29)。右は、桜堤防のソメイヨシノ。これは、三の丸水門近くからズームアップしたもの。

Img_0377c Img_9807c_20210330190401  三の丸公園の西側エリアのソメイヨシノ。我が家が桑名に引っ越ししてきた少し前に三の丸公園ができたのではなかったかと記憶しています。右は、蟠龍櫓とソメイヨシノ。私の好きな景色(3/29撮影)。

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 三の丸水門のところから見た三の丸公園と蟠龍櫓、七里の渡し跡方面。このあたりのソメイヨシノは、たぶん樹齢30年ほど。人間でいえば、青年期の終わりから壮年期になる頃。盛りといえるかも知れません。

Img_0417c_20210330164001 Img_0448c_20210330164001  柿安コミュニティパークの南西にある本多忠勝公の銅像とソメイヨシノ。ここも毎年写真を撮っています。この忠勝公の銅像は、柿安さんが寄附したもの。裏に行くとそのように書かれています。ここも好きな景色です。右は、九華公園、扇橋から見た南側の堀沿いの桜並木。

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 こちらは、九華公園でソメイヨシノが、いつももっとも早く咲くあたり。本丸跡の藤棚やブランコがある、すぐ西のところ。日当たりがよいのと、堀から少し離れていますので、暖かいのだろうと思います。

Img_0595c_20210330170301Img_0455c  左の写真は、管理事務所の南、奥平屋敷跡へ向かうあたり。右は、朝日丸跡から見た二の丸橋の南のたもと方面。もう少し水面が穏やかであれば、水鏡がきれいに写ったかと思います。

Img_0655c_20210330163901 Img_0660c_20210330192001  吉之丸堀にある四阿というか、浮御堂というか。ここは絵になると思って、けっこうたくさんの写真を撮っていますが、なかなか難しい。四阿の東北側(野球場側)にあるしだれ桜の並木と絡めるのが普通科と思うのですが、……。右の写真は、少し高いところから撮っていますが、実は、野球場の外野フェンスの基礎部分に登って撮っています。

Img_8058c_20210326162501  鎮国守国神社の境内にもソメイヨシノはあります。私が好きなのは、九華招魂社への参道の東にあるこのソメイヨシノ(撮影は、3/26)。払戸(はらえど)のところにあります。

Img_0669c_20210330163901 Img_0688c_20210330163901  九華公園の外周遊歩道沿いにも桜、そのほとんどがソメイヨシノが植えられています。こちらは、公園内に比べると、まだ若い木のようです。

Img_0740c_20210330192801  南東側にあるキッチン寿さんの前には、1本だけヤマザクラがあります。ここのヤマザクラは、緑の葉っぱがでてくるタイプ。

Img_0141c_20210329155601 Img_0163c_20210329155601  二の丸橋の南側のたもとのところ。これらは、昨日も載せた写真です。この橋のたもとのすぐ東にあるソメイヨシノは、たぶん九華公園でもっともボリュームがあります。残念ながら、午前中は逆光になります。

Img_0744c_20210330163901  これは、二の丸橋の南之たもとの西側のところ。ここから西の堀沿いのところは、水鏡や、花筏を撮るのに適したところ。明日以降も見に行きたいと思っています。

Img_0777c_20210330163901  左は貝塚公園のソメイヨシノ。貝塚公園には、桜はさほどたくさんはありません。10数本。左の写真は、東側の入り口あたりで撮ったもの。

Img_0826c Img_0840c_20210330163901  こちらは、貝塚公園から南、柳原あたりの桜並木。昨年の夏、桑名城の総構堀について調べていた頃、よく通ったあたり。総構堀であったところの一部が桜並木になっているのです。桑名の税務署や消防署があるところから少し北のあたり。

Img_0852c_20210330163901 Img_0867c_20210330163801  左の写真は、内堀南公園のソメイヨシノ。西に向かって撮っています。西側エリアに数本のソメイヨシノがまとまっています。右は、内堀公園。これも、東から西に向いて撮っています。どちらも、東西に長い公園です。内堀公園のあたりは、昔、桑名城の堀だったそうです。ただし、内堀という地名は、「堀子」というところの内側という意味だそうです。年配の方に伺うと、このあたりの堀で子どもの頃、魚釣りをしたと聞いたことがあります。

Img_0924c_20210330163801  これは、京町公園の桜。京町公園は、京町見附の跡。江戸時代には、見附があり、また、北側には郷方役所(のちの市役所跡)がありました。門の西は外郭堀で橋はなく、東海道は南に曲がり、さらに東へ曲がり、もう一度南へ曲がる升形道路となっていたのですが、現在は、門も番所も役所も升形道路も廃止されています。

Img_0954c_20210330163801 Img_0958c_20210330163801  寺町商店街のソメイヨシノ。確か、もともとは河津桜だけの並木だったと記憶しています。一部が枯れてしまい、そこに代わりにソメイヨシノが植えられたと思います。河津桜は、すでに葉桜。満開のソメイヨシノと好対照。右は、寺町にある御坊さん(真宗大谷派桑名別院本統寺)の山門前の桜。ここの桜も気に入っています。

Img_0982c_20210330163801 Img_0986c_20210330163801  最後は、住吉入江沿いの桜。このあたりは、寺町交差点の北、三崎見附跡近くです。あとの記事で、「一人花見」と称して、三色団子を掲げていたところ(笑)。左の写真の奥が、玉重橋。その向こうが諸戸氏庭園。ということで、これで散歩コースを一回りしてきたという次第。以上、令和3(2021)年の散歩コースあたりの桜模様。

 

2021年3月29日 (月)

春日神社の金龍桜とドウダンツツジが咲き始めました……ツツジの花芽も大きくなる

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 最高気温は、23.1℃になりました。散歩途中で出遭った若い親子連れの方、親御さんも、お子さんも半袖Tシャツ1枚でした。私は、さすがにそういうマネはできません(苦笑)。今朝も7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、桑名宗社(春日神社)、田町、堤原、参宮通と6.3㎞。このところの暖かさで、散歩コースにあるソメイヨシノは、ほぼ満開。今月中が見頃と思います。

Img_0229c_20210329155601 Img_0234c_20210329155601  まずは、桑名宗社(春日神社)の金龍桜。先日も見に行きましたが(2021年3月24日:九華公園で「桜メジロウ」)、もうそろそろ咲いただろうと思って、見て来ました。見事、咲いていました。金龍桜は、金龍桜は若葉が赤褐色、花が白に近い淡紅色、一重と八重との咲き分けとされます。桑名藩主・松平定綱公が摂津国古曽部の金龍寺の原木から分植したものとされ、春日神社と、照源寺とで引き継がれています。

Img_9718c Img_0035c  続いて、ドウダンツツジ(灯台躑躅、満天星)の花。散歩コースでは、桑名七里の渡し公園(昨年拡張されたエリアの南)と、鎮国守国神社の境内と、2箇所にあります。七里の渡し公園では数日前から、鎮国守国神社では今日から咲いています。

Img_9665c_20210329155701 Img_9669c_20210329155701  そして、マイソメイヨシノ。これも、ほぼ満開。老木ですが、元気に咲いてくれ、楽しませてもらっています。ここ、諸戸氏庭園前の土手(平成15(2003)年だったかに改修される前は、揖斐川からの入江になっていて、まさに土手の役割を果たしていました)に、ソメイヨシノ2本とヤマザクラ2本(2種類)があります。以前はもう1本あったのですが、枯れてしまいました。

Img_9689c_20210329161701  さて、時間的順序にしたがって。住吉入江には、キンクロハジロのメスが1羽。住吉水門の内側と、外側に、ヒドリガモのペアがそれぞれ1組。揖斐川には、カンムリカイツブリも1羽。このあたりの水鳥も、ずいぶん少なくなりました。七里の渡し跡には、何もいませんでした。

Img_9732c Img_9780c_20210329161901  左の写真は、住吉神社の前から見た「桜堤防」のソメイヨシノ。これもほぼ満開のように見えます。右は、七里の渡し跡。伊勢一の鳥居の北東側にヤマザクラの木があります。

Img_9803c_20210329155701 Img_9824c_20210329155701  三の丸公園のソメイヨシノの並木(左の写真)。右は、三の丸水門のところから、西を振り返って撮った写真。定例の散歩では、この写真の奥(七里の渡し跡があります)から手間に向かって歩いてきます。向かって左は、三の丸公園、右手の櫓が蟠龍櫓(水門管理所)。

Img_9848c  柿安コミュニティパークの南には、本多忠勝公の銅像があります。この像は、立坂神社が所有する「紙本淡彩 本多忠勝像」をもとにつくられたもの。忠勝公の背後にあるのは、有名な「蜻蛉切」といわれる、愛用の槍。「一度槍を振れば、乱舞する蜻蛉を切り落とす、との定評があった」と伝わっています。

Img_9874c Img_9952c  九華公園、例年、桜の季節には野鳥は少なくなります。冬鳥が帰り始めていますし、人出が多いことも関連しています。今日も、九華公園で見たのは、カモ、ツグミ、シロハラ、カワラヒワ、ドバト、ハシボソガラス、スズメ、ハクセキレイ、ヒヨドリくらい。

Img_0113c_20210329155601  カモは、合計42羽。去年に引き続き、コロナのために、堀めぐりがありませんので、カモたちはゆったり過ごしています。ハシビロガモのオスが3羽、メスが2羽、ヒドリガモが2ペア、他はキンクロハジロたち。カモではありませんが、オオバンが1羽。カルガモも2羽が見られました。

Img_0098c Img_0141c_20210329155601  今日は月曜ですので、先週土曜ほど花見客は出ていませんでした。九華公園には450本の桜の木があるといわれます。大半はソメイヨシノ。しだれ桜は10本ほどが野球場の南にあります。ヤマザクラは数本。八重桜も数本。どこがもっとも景色がよいかについては、好みもありますが、私は、外周遊歩道の南側かと思います。二の丸橋の南たもとのあたり。左の写真は東からそのあたりを撮っています。右の写真は、遊歩道の南から、ローアングルで撮ったもの。

Img_0163c_20210329155601  この景色を二の丸橋から見たものが、左の写真。朝の時間では、ちょうど逆光になってしまいます。

Img_0078c_20210329155601 Img_0086c_20210329155601  「お前はいつも気が早い」「焦らせるな」とお叱りを受けるかも知れません。こちらは、今日の九華公園のツツジの様子。外周遊歩道にある、とても日当たりのよいところにあります。つぼみとはいえないかも知れません。花芽が大きくなってきているのだと思います(どう違うのだ?)。この春は、桜も咲くのが早かったのですが、ツツジも早いかも知れません。ちなみに、昨年、九華公園ではツツジは、4月7日に咲き始め(2020年4月7日:九華公園でもツツジ、ドウダンツツジが咲き、藤の蕾も膨らむ)、しばらく桜とツツジが同時に楽しめました。

2021年3月28日 (日)

昨日の寄り道は、竹成五百羅漢

Dscn3703c  昨日(3月27日)は、菰野にある社会福祉法人の評議員会に出席してきました。その帰りに、菰野で寄り道。会議に行って帰ってくるだけではなぁと思って、調べたら、案外近いところにあることが分かったのです。菰野は、何度も出かけていますが、もう一つ土地勘ができていないので、近くにあるのか、遠いのかなどがまだ実感できないのです。立ち寄って来たのは、竹成(たけなり)五百羅漢。菰野町竹成にある大日堂境内に多くの石仏があり、地元ではこれを「竹成の五百羅漢」と呼んでいます。20数年前に一度立ち寄った、朧気な記憶があります。

Dscn3681c Dscn3677c  五百羅漢があるのは、大平山松樹院。ご本尊とし2体の大日如来座像が安置されており、大日堂と呼び習わされています。高野山真言宗。創建は不詳ですが、伝承によると弘法大師が、巡教のため当地を訪れた際、自ら彫り込んだ本尊を安置したのが始まりと伝わっています。後、応仁の兵火に遭ったそうです。現在のご本尊の2体の大日如来像は、文明11(1479)年に製作された木造大日如来座像(像高101cm、檜材、寄木造)と、文明13(1481)年に製作された木造大日如来座像(像高101cm、檜材、寄木造)(三重県指定文化財)。

Dscn3687c  この大日堂の境内には、高さ約7mの土の山があり、そこに469体の石の神様と仏様が並んでいます。嘉永5(1852)年2月、竹成出身の照空上人(しょうくうしょうにん、神瑞和尚)が建立を発願されて、桑名の石工、石長こと藤原長兵衛一門の手Dscn3721c により慶応2(1866)年に完成しました。照空上人(神端和尚)は天明8(1788)年5月竹成で生れ、文化9(1812)年出家、 鈴鹿の野登山に登り修行しています。天保8(1837)年頃、神森にある賀保寺の住職となり 同寺を復興、天保12(1792)年、郷里の竹成へ帰村、安政2年4月11日68歳で入滅。野登山には、野登寺があったといいます(勢陽五鈴遺書)。また、神宮山賀保寺は、菰野町大字神森(かもり)にあります。嘉保年間(1094~96年)に創建されたので「嘉保寺」と称したといいます。永禄11(1568)年、信長の兵火で焼失、寛永11(1634)年に再興されたものの、明治初期の神仏分離令で廃寺となっています。現在は、神森地区の集会所兼仏像・仏具保管所となっているそうです(地図を調べると、加宝寺と表示されていることがあります)。

Dscn3709c  石像は、あるいは坐り、あるいは立ち、あるいは空を仰ぎ、その姿はさまざまです。東入口には、大地蔵菩薩と二童子、三蔵法師、弘法大師、南に願主の照空上人像、地獄の炎魔大王と十王、山上には大日如来と四方仏、その前に釈迦如来、普賢菩薩等、北面した所に七福神、役の行者、苦 行の釈迦、中腹に天照大神、猿田彦、羅漢像。神も仏も一緒になって並んでいます。一体一体ゆっくりと眺めていくと、自分自身や、知っている人によく似たものが見つかるとか。

Dscn3694c  大日堂は、明治9(1876)年の伊勢暴動により、災に遇って焼失し、その後、廃仏棄釈により、大日堂と共に衰微し、石像も首を落され、三重の石塔も人手に渡るような荒廃であったそうです。しかし、境内に稲の品種改良に成功して、収穫量の多い「竹成米」を完成させた松岡直右衛門の顕彰碑が建立されて以降、境内も整備されました。この写真は、その「竹成米廣益碑」。大正7(1918)年6月に建立。「竹成米」は、別名「倒十(こけじゅう)」といわれるそうです。肥料を施して倒れるほど実ると、1反当たり10俵の収穫があることから名づけられたとか(こちら)。

Dscn3697c 境内では、ちょうど桜がよく咲いていました。また、藤棚もあり、例年4月末以降、見事な花をつけるそうです。Dscn3701c

 

九華公園にケリ、初見参……桜堤防も見てきましたが、雨に降られました(苦笑)

Img_9650c_20210328110801  朝のテレビの天気予報では、昼までは曇り、午後から雨となっていました。ネットで雨雲レーダーを見ても、しばらく雨雲はかかりそうもありませんでしたので、散歩に出たものの、やはり、九華公園で降られ、撤退(苦笑)。「アヤシい天気の時に散歩を強行すると、九華公園で雨に降られる」というのが、「ジンクス」と化しています。7時半に出て、諸戸氏庭園の西を回って東太一丸を通って、揖斐川の堤防へ。桜並木を見てから、住吉神社、九華公園へ。九華公園を3/4くらい回ったところで、雨。引き返してきました。4.9㎞。9時過ぎに帰宅。冒頭の写真は、帰り道、諸戸氏庭園前にて。

Img_9122c_20210328110601 Img_9211c  こちらは、住吉神社の北、揖斐川右岸の堤防にある桜並木。伊勢湾台風まで、このあたりに桜並木があり、「桜堤防」と呼ばれていたそうです。これは、その再現ということ。満開にはまだ少しという印象でした。揖斐川には、キンクロハジロ1羽、オオバン1羽の他、カンムリカイツブリも1羽。

Img_9188c_20210328110601  堤防を住吉神社に向かって下ってくる途中、揚げ雲雀が聞こえました。そのうち、堤防で鳴き声がしています。よく見ると、いました。ヒバリのオス。住吉神社あたりから、三の丸水門の附近までで、2組くらいヒバリのペアがいるような気がします。

Img_9227c_20210328110601 Img_9283c_20210328111801  七里の渡し跡で、久しぶりにジョウビタキのメス。ここで見るのも、また、ジョウビタキを見るのも何日かぶり。もう帰ってしまったかと思っていたのです。堀と堤防には、ヒドリガモが8羽。帰りに見たら、ヒドリガモは14羽に増え、コガモ1組とオオバン4羽も。三の丸公園では、ツグミ1羽とムクドリ数羽。

Img_9317c_20210328110601 Img_9329c_20210328110601  九華公園北門のところでツグミ1羽。相撲場近くで、これまたずっと見られなかったヤマガラが1羽。カワラヒワや、ヒヨドリの鳴き声も聞こえてきます。

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Img_9392c_20210328110601  奥平屋敷跡では、今日は、シロハラ1羽と他は、カワラヒワ、ドバトくらい。空模様があやしかったので、いつものように1時間も待つことはせず。セキセイインコの数、昨日、散歩&鳥見友達のYさんと数えて、22羽だと思ったのですが、今日、管理人Nさんに確認したら27羽と、その他、巣に6羽いるということでした。賑やかです。餌もたくさん必要で大変とか。二の丸跡、朝日丸跡ともに、ツグミがいました。

Img_9416c_20210328110501  カモは、合計40羽。ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモはオス、メスとも2羽ずつで、他はキンクロハジロ。ホシハジロのオスはいません。ユリカモメは、見当たらず。このあと、鎮国守国神社の境内でも、ヤマガラ1羽、シジュウカラ数羽、メジロ10羽以上が出てきました(写真は、証拠写真以下のものしかありませんから、割愛)。

Img_9516c_20210328110501 Img_9488c_20210328110501  公園内の野球場にケリが1羽、降りて来ました。今まで公園の上空を通過していくのは、旦度も見ていますが、九華公園の中でケリを見るのは、初めて。「九華公園の野鳥たち」もプラス1。最終改訂から4年経っています。何種類かプラスになっているはずですから、3訂版をつくらないといけません。

Img_9612c Img_9642c_20210328113901  梅の花は散りましたが、すでに葉っぱが青々としてきています。さらに、よく見ると、小さな梅の実がつき始めています。左の写真は、鎮国守国神社の境内にある白梅の木で撮ってきました。右は、桑名七里の渡し公園の拡張されたエリアで咲いていました。ドウダンツツジだと思うのですが、3月から咲くのか? と今ひとつ自信に欠けます(微笑)。午後は、雨読の日。昨日の寄り道についての記事も書くつもり。

2021年3月27日 (土)

ツバメをようやく撮影、スズメの犯行現場を今年も押さえました

Img_8266c_20210327184501 Img_8270c  午後というか、正午過ぎには出かけるつもりでしたので、10時頃には帰宅しようと考えて、散歩。スタートはいつも通り、7時半。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.8㎞。正午過ぎから菰野まで。とある社会福祉法人の評議員を仰せつかっていますが、今日は、今年度第3回目の評議員会が開催されたのです。評議員会は滞りなく終了。帰りに、菰野であるところに立ち寄って来ました。20数年ぶりに訪ねたと思いますが、それは明日のネタに取っておきます(雨の予報ですから、散歩に出られないでしょうから)。冒頭の2枚の写真は、今日の「マイソメイヨシノ」。

Img_9005c_20210327184701  今日は、まず、この写真。やっとツバメの写真が撮れました。三の丸と内堀の境界あたりで。ツバメが飛んでいるのは、10日ほど前くらいから見ていました。飛んでいるのを撮るのは難しいので、電線に止まっていないかと探していたのです。これで、ようやくツバメが来ている証拠が示せました(微笑)。

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 もう一つ。「スズメの犯行現場」を押さえました(笑)。3月4日の記事に河津桜の花がそのまま落ちているのは、スズメのせいだと書きました(2021年3月 4日:今日の散歩は雨宿り3回(苦笑)……ハクモクレン咲く)。河津桜での犯行現場は捉えられませんでしたが、今日、内堀公園のソメイヨシノでやっと写真に収められました。去年の記事にもあります(2020年4月9日:スズメの「犯行現場」を押さえました(微笑))。

Img_8259c_20210327184501 Img_8311c_20210327184501  さて、散歩の初めから。拙宅マンション内にある小公園でツグミ。ときどきここに来ています。そういえば、最近は、ウグイスは来ていないようです。ちなみに、今日は、貝塚公園でウグイスのさえずりを聞いたのですが、一声だけでした住吉入江には、オオバンが1羽のみ。桑名七里の渡し公園には今日は、何もいません。揖斐川まで来て、カンムリカイツブリ1羽。他には、ヒドリガモが1ペア。

Img_8327c_20210327184501 Img_8331c_20210327184501  ヒドリガモは、七里の渡し跡にも11羽。上陸していたのと、堀に浮いていたのと半々。以前に比べると、ここや揖斐川の堤防の高水敷などに集まっているのを見る頻度が低下したと思います。もうかなり帰って行ってしまったのでしょう。三の丸公園では、ツグミ1羽とムクドリ。柿安コミュニティパークにはドバトとスズメ。

Img_8421c Img_8475c_20210327184501  九華公園では、鎮国守国神社の社務所の裏で、ウグイスの地鳴き。今年は、九華公園ではまださえずりが聞かれません。奥平屋敷跡まで来て、ツグミ1羽と、シロハラ1羽。

Img_8451c_20210327184501 Img_8493c  待っていたら、シメも登場。ただし、奥平屋敷跡の南端で、ちょっと遠い。他にここにやって来るのは、カワラヒワとスズメがほとんど。このところ、ジョウビタキのオスは登場しません。帰ってしまったのかも。奥平屋敷跡では、このほかスズメ、ドバトくらい。いつもなら1時間近くいるのに、今日は30分。

Img_8688c Img_8717c  カモは、39羽。ハシビロガモがオス、メスとも2羽ずつ、ヒドリガモが2ペアと他はキンクロハジロ。ホシハジロのオスの姿は見当たりません。3月24日から見なくなりました。帰ってしまった気がします。

Img_8545c_20210327184501  ユリカモメは、今日も3羽。昨日よりも頭部がより黒くなった個体がいました。昨日も書きましたが、これは、夏羽。もうそれにかなり換わったということです。九華公園では、今日も早くから、花見の人がそれなりに多く、野鳥は少なめでした。

Img_8739c Img_8850c_20210327184701  九華公園の桜。遅れていたところもかなり咲いてきました。これらの2枚は、二の丸橋の南のたもとあたりのソメイヨシノ。

Img_8918c_20210327184701 Img_8931c_20210327184701  貝塚公園には、9時20分に到着。いつもより早め。ツグミ3羽と、シロハラ2羽を確認。いずれも、実数と思います。

Img_8393c_20210327184501  午後からは、予定通り、菰野まで行ってきました。往きはほぼ1時間。帰りは、菰野で寄り道し、さらに桑名まで来て本屋に立ち寄って1時間半近く。冒頭に書きましたが、明日は雨予報。日の出の頃から散歩に行けば大丈夫かも知れませんが、あまりにも朝早くから動き出すのは苦手。たぶん「晴歩雨読」で「雨読の日」。

2021年3月26日 (金)

九華公園の桜は五分咲き……九華公園でメ~テレ・アップ!の取材に遭遇

Img_8224c_20210326162401  正午に20℃ちょうどを記録したようですが、強風には参ります。11時頃から風が強くなり、最大8.7m/s。まだ桜は散らないと思います。今日は、朝一番にクルマの点検。先日の点検でファンベルトなどを交換してもらいましたので、そのチェック。それ故、10時から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.4㎞。写真は、住吉入江の三崎見附跡近くの桜。これも見事なのです。

Img_7880c_20210326162601 Img_7917c_20210326162601  いつものKモータースさんに行く前に時間が少しありましたので、大山田川沿いでイワツバメチェック。巣にいるイワツバメもいたのですが、ヒナかどうかは分からず。イワツバメはたくさん飛び交っているのですが、さすがに超望遠コンデジでは非力。ピントが合いません。デジイチも持って、もう一度出かけなくてはと思っています。

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Img_7898c  大山田川を下って、沢南橋あたりでは、オオジュリンか、ホオジロがいたのですが、遠くて不明。橋の下には、ミドリガメが甲羅干し、そこにオオバンもやって来ていました。オオバンの足、「弁足(べんそく)」といいますが、大きいこと。ちなみに、大山田川、護岸の工事や、河川改良工事が行われ、きれいになっていました。きれいになるのはよいのですが、鳥たちにとっては居心地は悪い気がします。

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Img_8009c_20210326162501  さて、10時からの散歩では、鳥は期待できません。ほとんど休み時間に入っています。九華公園に行く途中、見た鳥は、スズメ、ドバト、カワラヒワ、ハクセキレイ、ヒヨドリくらい。数も多くはありません。写真は、三の丸公園の桜と、蟠龍櫓。三の丸公園の桜もかなり見事です。九華公園よりもここで花見をした方がよいかも知れません。

Img_8078c_20210326162501 Img_8098c_20210326162501  九華公園の桜、今朝の新聞の「桜だより」では「五分咲き」。見てきた印象では、全体としてはそれくらいでしょう。遅れていた木も、かなり咲いてきています。今日は、いつもより散歩した時間が遅かったためか、また、桜も咲いてきたためか、花見の人の多いこと。

Img_8012c  露店も今日から営業するようで、開店準備をしているところがけっこうありました。去年は、さくらまつりは中止で、露店も出ませんでした。日曜は雨のようですから、今日、明日が勝負のような気がします。

Img_8039c_20210326162501  管理人Kさんに会ったら、「メ~テレが取材に来てるよ」という話し。3人のクルーが公園内のあちこちで取材をしておられました。今日夕方の「アップ!」で放送しています。ヘリからのリアルタイム空撮映像も流れていました。「空から中継お花見気分」と番組表にはあります。空撮映像で見る九華公園、とても素晴らしい公園のように見えました(微笑)。前科がある私は、VTRに写り込まないよう、細心の注意を払って散歩を続けました(苦笑)。

Img_8132c_20210326162401Img_8049c_20210326162501  九華公園、人が多いせいもあり、また、時間が遅いせいもあり、野鳥はほとんど見当たりません。カモは、42羽。ハシビロガモがオス、メスとも2羽ずつ、ヒドリガモは2ペア、他はキンクロハジロ。ホシハジロのオスは見当たりません。ユリカモメは、3羽。右の写真のユリカモメ、よく見ますと、頭部が黒くなり始めています。ユリカモメ、夏羽では頭部が黒いのです。英語では、“black-headed gull”と呼ばれる所以。

Img_8058c_20210326162501  九華公園の桜の写真、パターンを少し変えて、左は、鎮国守国神社の境内にあるソメイヨシノ。拝殿の西にある、たぶん「払戸(はらえど)」という、お払いを行う場所にあります。

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Img_8180c  こちらは、毎年撮っていますが、二の丸橋の南側のたもと。左の写真は、西から東を見ています。右の写真は、反対側から(東から見た同じあたり)。水面ギリギリまで枝が垂れていて、なかなかよい景色と思っています。

Img_8195c_20210326162401 Img_8202c  たまにはということで、内堀公園の景色(左の写真)。ここにもソメイヨシノが数本あります。ただし、九華公園同様、古木が多いのです。右は、寺町商店街。もともとは確か河津桜だけの並木でしたが、枯れてしまったところにはソメイヨシノを植えたと思います。したがって、ところどころにこういう風景が見えます。手前は河津桜の木。ほとんどすっかり葉桜になっています。

Img_8209c_20210326162401  昨日も載せましたが、寺町にある御坊さんの山門前の桜。ちょっとアングルを変えてみました。やはり青空で見た方がはるかに良いと思います。という次第で、今日は、鳥見ではなく、花見ブログ。明日は、午後から、菰野にある社会福祉法人の評議員会に出席予定。午前中、時間制限で散歩のつもり。

2021年3月25日 (木)

20210323勝手にハイキング「浪漫の明治村へ」(補遺編)

Img_7187c_20210325152701  3月23日に行ってきた明治村への勝手にハイキングの補遺編です。当日の記事に書きましたが、招待券をいただいていましたので、いつ行こうかと考えているうちに期限ギリギリになった次第。9時過ぎに出て、クルマで東名阪、名二環、名古屋高速経由で小牧北ICへ。そこから41号線に降りたのですが、かなり込んでいて、明治村に着いたのは10時半頃。明治村駐車場に近い北門から入村。今回は、印象に残った、あるいは、興味深かったものごとについて、まったく主観的に選んで書いています。こちらに明治村の地図があります。ちなみに調べて見たら、前回、明治村に出かけたのは15年前の11月でした(2006年11月4日:昨日の散歩は,special)。

Img_7177c Img_6260c_20210325153101  北門を入ると、SL東京駅があります。15年前、子どもたちを連れて来たときに乗ったことがありますが、この日は、火曜日で運休(3月は火、水がメンテナンスのため運休でした)。密かに、できれば乗ってみたいと思って来たのですが、残念。

Img_6308c_20210325153701  こちらは、内閣文庫とその東にある皇居正門石橋飾電灯。明治44(1911)年の建物。内閣文庫は、明治6(1873)年に赤坂離宮内に太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館です。明治23(1890)年、内閣制度の制定とともに内閣文庫と改称されました。こういう明治の建物の前に飾電灯がある景色は、なかなかいい感じです。

Img_6312c  川崎銀行本店。昭和2(1927)年完成。ルネッサンス様式を基調とした、当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築だそうです。鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38m、高さ約20m。関東大震災以前の大正10(1921)年に起工され、6年間を費やして昭和2(1927)年に竣工しました。日本橋のシンボルとして永く人々に親しまれてきたそうですが、昭和61(1986)年、ビル立て替えのため取り壊され、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築されました。「展望タワー」と書いてあったのですが、入ってはいません。登って見ればよかったと、ちょっと心残り。

Img_6343c_20210325154801  帝国ホテルの中央玄関の前に池があり、その東、少し下ったところに、こんな撮影スポットが設けられていました。ハートマークの向こうにベンチ、こちらにはカメラを置く台。さて、私たちは、ここで撮影したでしょうか??

Img_6356c_20210325155101  金沢監獄正門。金沢監獄が造られたのは明治40(1907)年でした。南北250m、東西190mの敷地はレンガ造の高い塀で囲われ、唯一西面に開けられていたのがこの門だったそうです。レンガ造に石の帯状装飾を入れるのは当時の洋風建築の流行です。監獄とか、その正門とか、なぜか興味があります。一昨年の5月、近鉄ハイキングで津へ行ったときにも、三重刑務所で保存されている「安濃津監獄」の正門に見入っていましたし(2019年5月7日:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その1)……津新町駅をスタートし、三重刑務所、真教寺・閻魔堂と市杵島姫神社へ)、名古屋市政資料館にある留置場も何度も見に行っています(2018年3月11日:ウィルあいちで支援員養成講座の講師……終わって市政資料館で留置場を見て、名古屋ウィメンズマラソンにも遭遇)。

Img_7135c_20210325160001 Img_7155c_20210325160001  監獄続きで、左は、前橋監獄雑居房。明治21(1888)年に前橋監獄につくられたもの。十字放射型配置の舎房がつくられたのですが、和洋折衷の構造で、洋小屋に越屋根を載せているものの、房廻りの構造は江戸時代以来の日本の牢屋の形式をそのまま伝えています。右は、金沢監獄中央看守所・監房。明治40(1907)年のもの。八角形の中央看守所を中心に、左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に配されています。移築されているのは、中央看守所、第五舎房の一部。

Img_6401c_20210325160501  呉服座(くれはざ)の裏手にカタクリの群生地があったことはすでに書きましたが(2021年3月23日:20210323勝手にハイキング「浪漫の明治村へ」)、そこにはショウジョウバカマも混じっていました。

Img_6436c_20210325160501 Img_6562c_20210325160901  工部省品川硝子製造所(登録有形文化財)。明治10(1877)年頃の建物。品川興業社硝子製造所を明治9(1876)年工部省が買い上げ、官営とし、その後この建物等が建てられました。壁体はレンガ造イギリス積、屋根には瓦を葺いています。ここには品川硝子ショップデンキブラン汐留バーがあります。デンキブラン、昔来たときにも土産に買いました。ちょっと一杯引っかけるのもよいのですが、あいにく、クルマで来ています(デンキブランは、帰りに土産に買いました)。

Img_6445c_20210325174001 Img_6450c_20210325174001  こちらは、工部省品川硝子製造所近くに置いてあった「水道管」。明治44(1911)年生のもので、名古屋市守山区の庄内川の川底に埋設されていたものです。直管は、明治13(1880)年創業の「官営釜石製鉄所」で製造されたもので、仕切弁は、スコットランド製。こういうヘンなものに興味があるのです(苦笑)。

Img_6651c_20210325161501  第四高等学校物理化学教室。明治23(1890)年。明治19(1886)年に「中学校令」が公布され、東京大学予備門が第一高等中学校に、大阪の大学分校が第三高等中学校に改組され、引き続き、翌年には仙台に第二、金沢に第四、熊本に第五高等中学校が設置されました。明治27(1894)年の「高等学校令」により、いずれも高等学校に改称・改組された。この物理化学教室は高等中学校時代の明治23(1890)年に建てられ、以後、第四高等学校、金沢大学へと引き継がれてきた建物。

Img_6658c_20210325161501 Img_6661c  内部は、このように階段教室になっています。こうした階段教室が、物理、化学それぞれ1つ、用意室が付属しています。実験を含めた自然科学教育を充実させるための設備となっています。

Img_6668c_20210325161501  校舎内の廊下には、「八高生青年像」があります。八高は、旧制第八高等学校。新制名古屋大学の前身校の一つで教養部の構成母体となりました。この像は、旧制八高創立80周年を記念して制作されたものです。旧制八高は、現在の名古屋市立大学の山の畑キャンパスにありました。関連した記事がこのブログに2編あります(2006年2月3日:剣ヶ森と八高生の像、2006年1月13日:八高古墳)。山の畑キャンパスには、この像のもとになっているであろう(私の推測)銅像(八高生の像)があります(2006年2月3日の記事をご覧ください)。

Img_6700c  三重県庁(重要文化財)。明治12(1879)年のもの。間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称になっていて、正面側には二層のベランダが廻らされています。このスタイルは、当時の官庁建築の典型的なもので、明治9(1876)年、東京大手町に建てられた内務省庁舎にならったものです。ここも道路をはさんだ向かいに皇居二重橋飾電灯があり、これを入れるとよい景色。

Img_6813c_20210325164901 Img_6770c_20210325164701  聖ヨハネ教会堂(重要文化財)。明治40(1907)年、京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会で、二階が会堂に、一階は日曜学校や幼稚園に使われていました。

Img_6785c_20210325164701  2階の会堂には、ステンドグラスがあったのですが、室内は大変明るく、聖ザビエル天守堂で見られたような、ステンドグラスから漏れた光が光景を織りなすということはなかったと思います。

Img_6508c_20210325165401 Img_6512c_20210325165401  名古屋衛戍(えいじゅ)病院(愛知県有形文化財)。全国の鎮台(明治の臨時軍政機関、鎮台府)配置に合わせて、陸軍衛戍病院が明治6(1873)年の東京を皮切りに順次整備されていったのですが、明治11(1878)年に建てられました。木造平家建桟瓦葺で、周囲に吹き放ちのベランダを廻らせた姿は大変開放的で明るく、清潔感にあふれた印象です。名古屋衛戍病院は、現在の国立病院機構名古屋医療センター。

Img_6550c_20210325171101  歩兵第六聯隊(れんたい)兵舎Img_6531c_20210325170001明治6(1873)年建築。明治4(1871)年、東北から九州まで四分割された各区域にそれぞれに鎮台が置かれ、同6(1873)年には広島、名古屋にも鎮台が設けられました。各鎮台のもとには歩兵聯隊が置かれたのですが、名古屋鎮台の管内では名古屋と金沢に組織され、名古屋に置かれたものが歩兵第六聯隊です。この兵舎の建物には、親しみというか、興味があるのです。というのも、私の母校の研究室がスタートしたのが、この歩兵第六聯隊兵舎だったからです。名古屋城の一角にあり、実験室は馬小屋の跡に建てられたという話を「研究室小史」(初代主任教授の先生の退官記念につくられた冊子)で読んだ記憶があります。研究室小史には「蒼古として老朽化した兵舎そのままの文学部1号館の2階と2号館の1階の一隅にわび住まいをさせられていた」という記述があります。

Img_7112c_20210323164801 Img_6947c_20210325172801  聖ザビエル天主堂。本編にも書きましたが、ステンドグラスを通した光がつくる色模様がとてもおもしろく感じました。写真はたくさん撮ってきたのですが、なかなかこれはというものはありません。一つには技量の問題があると思っています。機会があれば、再チャレンジしなくては。

Img_6932c_20210325172801 Img_7065c_20210325172801  こちらも、聖ザビエル天主堂にて撮ったもの。私の他にもカメラを持って、アングルを工夫して撮っておられる方もいらっしゃいましたし、スマホで写真を撮っている方も多数。

F929b963 Aed1e2ddf12305e3aa6d011d663175f7520x350  土産のデンキブラン。写真は、前回行った時に買ったもの。今もまったく同じです。40度。ストレートで味わっています。ブランデーと香草の芳醇な匂いがします。一口飲むと強めの刺激がまず来たあとから、ジンやワインなどの他の配合してあるお酒の後味がじわっと感じられます。アマゾンなどでも買えるようです。他には、犬山名物の「げんこつ飴」を1袋(高田屋製菓)。犬山といえば、やはり、げんこつ飴です(個人の意見です……笑)。

 本編よりも補遺編の方がはるかに長くなりましたが、私の場合、よくあること。ご笑覧くだされば、幸い。

小雨に濡れる桜を見てきました(笑)……九華公園についたら雨が降り始めたのです

Img_7699c_20210325131301  曇りで、午後から一時雨という予報だと思い込んで、朝、所用を済ませて、8時20分から散歩に出たのですが、九華公園で降られました(苦笑)。管理事務所でしばらく雨宿りをさせもらっていたのですが、スマホでYahoo!天気を見たら、西の方にかけて割と広い範囲に雨雲があるではありませんか。やむなく、用事を済ませて撤退。結局、住吉神社、九華公園、シルバー人材センターに立ち寄って、京町、寺町商店街のアーケードを抜けて、1時間ほどで帰宅。3.2㎞しか歩きませんでした。

Img_7704c_20210325131301 Img_7718c_20210325131301  マイソメイヨシノ、昨日も気温が上がりましたから、咲き進んできました。2~3分咲きくらいでしょうか。住吉入江には、キンクロハジロのメスとオオバンがそれぞれ1羽。

Img_7746c_20210325131301  揖斐川には、ポツポツと、合計3羽のカンムリカイツブリが浮かんでいました。もういなくなってしまったかと思っていました。どのカンムリカイツブリも、すっかり夏羽にモデルチェンジしています。住吉水門のところには、ツグミが1羽。

Img_7778c_20210325131301 Img_7781c  七里の渡し跡ではヒドリガモが20羽。そこに、コガモが4羽混じっていました。オオバンも1羽。三の丸公園では、ツグミ2羽とムクドリが数羽。この頃、ジョウビタキのメスを見なくなりました。

Img_7791c_20210325131201 Img_7796c_20210325131201  三の丸公園あたりのソメイヨシノの様子。左の写真は、蟠龍櫓の南。右は、三の丸水門のところから蟠龍櫓や、三の丸公園を振り返って見た写真(西の方を見ています)。柿安コミュニティパークではグラウンドゴルフの準備中。ドバトとスズメが住みに集まっていました。

Img_7809c_20210325131201 Img_7820c_20210325131201  九華公園について、管理事務所のところで、管理人Kさん、前管理人Oさん、散歩友達Mさんと出会い、話をしていたら、雨が落ちてきました。すぐに止むだろうと高を括っていたものの、冒頭に書きましたように、スマホで雨雲レーダーを見たら西にかなり広い雨雲。やむなく撤退を決定。カワラヒワの鳴き声を聞いて、ハクセキレイを見たくらい。カモは、見た範囲では30羽。ヒドリガモのペア2組とキンクロハジロのみ。九華公園の中を通過して、シルバー人材センターに立ち寄り、京町方面へ。

Img_7828c_20210325131201  寺町商店街には、アーケードがありますので、こういう日には助かります。御坊さん(桑名別院本統寺)の山門前の桜だけ、見てきました。帰宅後は、一昨日行ってきた明治村で撮った写真の整理をしていました。さすがに1,000枚ありますと、けっこうな労力(苦笑)。いい年をしているのですから、後先のことを考えて行動しなくてはなりません。一応、整理は終えました。“勝手にハイキング「浪漫の明治村へ」(補遺編)”として、若干書こうかと思っています。

2021年3月24日 (水)

九華公園で「桜メジロウ」

Img_7222c_20210324153001 Img_7226c_20210324153001  今日もよく晴れ、風は弱く、気温も上がり、ウォーキング日和です。諸戸氏庭園前のマイソメイヨシノも、暖かい日が続いていますので、少しずつ開花が進んでいます。「諸戸さんの前の桜は咲いたか?」と尋ねる知人もあるくらいで、知る人ぞ知るソメイヨシノです。

Img_7246c_20210324152901  さて、今日も7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、外堀、内堀公園、歴史を語るImg_7256c_20210324152901 公園、桑名宗社(春日神社)、田町、三崎通、住吉入江と6.4㎞。こちらの写真は、住吉神社前から見た揖斐川の上流方向。この先に桜並木がありますが、少しピンク色が見えてきましたので、クローズアップしてみました。もう少し咲いたら、見てくることにします。ここまで、諸戸氏庭園前でメスのジョウビタキがいたのですが、写真は撮れず。桑名七里の渡し公園には、カワラヒワ、スズメ、ドバト。このところあちこちでよく見るのは、この3種類。住吉入江には、ヒドリガモのペアが1組。揖斐川には鳥影はありません。

Img_7271c_20210324152901 Img_7317c_20210324152901  七里の渡し跡では、ヒドリガモが20羽。見ている内に、堀にいたカモも堤防の法面に飛び上がって、法面を登りながら、草を食べ始めました。旅立ちの準備でしょう。

Img_7287c_20210324152901 Img_7310c_20210324152901  三の丸公園では、ツグミが1羽。他には、ムクドリとスズメ。蟠龍櫓南のソメイヨシノも咲いて来て、だんだんと景色になりつつあります。これも、毎年、今の時期の楽しみ。

Img_7383c_20210324152901 Img_7400c_20210324152901  九華公園には8時に到着。北門や相撲場あたりには、あまり鳥はいません。奥平屋敷跡では、いつものメンバーであるシメとシロハラ。

Img_7428c_20210324152901  ツグミも1羽が、花菖蒲園のところにやって来ました。他には、カワラヒワ、スズメ、ドバト。ハクセキレイがチラッときていました。ハシボソガラスは、やはり巣に就いているようです。今日は、ジョウビタキのオスは来ず。

Img_7501c_20210324162401  朝日丸跡では、メジロが出て来て、「桜メジロウ」。他に、二の丸跡ではツグミ1羽と、シジュウカラが数羽。シジュウカラの写真は、ピンぼけばかりでした。

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Img_7438c_20210324152901  カモは、37羽。ホシハジロのオスの姿がなくなり、ハシビロガモはオスが3羽、メスが2羽、ヒドリガモは2ペア、他はキンクロハジロ。ユリカモメは、7羽が飛来していました。

Img_7415c_20210324152901 Img_7420c_20210324161701  奥平屋敷跡にセキセイインコの鳥小屋があるのは、何度も書きました。最近、3羽が巣立ってきて、インコは合計22羽になっています。さすがに賑やか。これらの写真は、その最近巣立った3羽。皆、白色。右の写真のヒナ、ドンくさいのか、飛び回っては何度も金網や壁にドンっとぶつかっていました。脳しんとうを起こした様子もなく、大丈夫そうではあったのですが、先行きが少し気になります。

Img_7480c_20210324152901 Img_7525c_20210324152901  九華公園の桜も、少しずつ開花が進んでいます。しかし、先日も書きましたように、開花の程度は場所によってかなりバラツキがあります。今日出遭った方も、「これは、いっぺんにきれいに満開とはならないかも知れないなぁ」とおっしゃっていました。この2枚は、本丸跡の藤棚のところ。もっとも早く咲くところ。

Img_7545c_20210324152801 Img_7551c_20210324152801  しだれ桜は、満開に近い印象。ただ、これも先だって書いたように、数本は、つぼみがありません。老木が多いので、植え替えが必要と思っています。

Img_7576c_20210324152801 Img_7624c_20210324152801  貝塚公園では、シロハラ1羽とツグミ2羽。これは、いつものメンバー。他にカワラヒワや、メジロ、ムクドリ。

Img_7658c_20210324152801 Img_7663c_20210324152801  桑名宗社へは、金龍桜の若木に葉っぱがでて、つぼみもありましたので(2021年3月22日:コブシの花、満開@桑名宗社……前期高齢者2年目に突入(微苦笑))、咲いたか見ようと思って立ち寄ってきました。つぼみの先にはピンク色が見えてきていたものの、まだ咲いてはいませんでした。しかし、この様子なら、咲き始めるのも近い気がします。

Img_7475c_20210324152901  昨日の明治村で撮ってきた写真の整理は、まだ手がついていません。1,000枚というのはさすがに多いのです(苦笑)。いつもの散歩では、300枚から多くても500枚(それでも多いといわれること必至ではありますが)。

2021年3月23日 (火)

20210323勝手にハイキング「浪漫の明治村へ」

Img_6737c_20210323164801Img_6242c_20210323164801  いきなりではありますが、今日も「勝手にハイキング」に行って来ました。行き先は、こちら(左の写真)。旧制八高の正門のあるところ(旧制八高は、私の母校の前身なので、親しみがあるのです)。地元の方ならご存じと思いますが、博物館明治村です。天気もよく、風もほとんどなく、絶好のハイキング日和。時節柄、そんなところへ行って大丈夫かと聞かれそうですが、クルマで往復。明治村は、屋外施設がほとんど。しかも、空いており、3密はほとんどなしという状況でした。実は、今月末までという招待券をいただいており、行くチャンスを窺っていたのです。有名なところですので、ごく一部をかいつまんで。

Img_6279c Img_6273c_20210323164801  帝国ホテルの中央玄関。大正12(1923)年の建築。20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された、明治村でも有名な場所です。明治村に行くと愚息にいったら、「是非とも、帝国ホテルの中央玄関の裏側がどうなっているか見てくるように」というミッションが与えられました(笑)。今日は、北門から村内に入りましたので、入村早々にミッション・コンプリート。右の写真のようになっていました。

Img_6367c_20210323170001  呉服座(くれはざ)という重要文化財になっている芝居小屋(明治25(1892)年建築)のところを通ったら、目に入ってきたのは、まさかという内容の案内板。「カタクリの群生地」と書いてあるではありませんか。カタクリの花、30年くらい前から一度、見てみたいと思い続けていたのです。菰野で似た花を見たことはあったのですが、それはカタクリではありませんでした。

Img_6388c_20210323164801 Img_6379c_20210323164801  こちらが呉服座の裏手にあったカタクリの群生地。ショウジョウバカマも混じっていましたが、群生と十分にいえるくらいたくさんありました。カタクリは、このほか、森鴎外・夏目漱石住宅の庭にも少し生えていました。カタクリの花を見られたのは、まさに想定外の大喜びでした。

Img_6684c_20210323164801  こちらは、三重県庁舎。重要文化財です(明治12(1879)年)。「明治体験処 ハイカラ衣装館」というところで、明治時代風ドレスや矢絣・袴姿を着る体験ができるようで、あちこちで「矢絣・袴」の若い女性の姿がありました。この写真にも写っています。

Img_7112c_20210323164801 Img_6916c_20210323164801  聖ザビエル天主堂。フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23(1890)年、かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリックの教会堂です。ステンドグラスがきれいな教会堂です。

Img_7055c_20210323164801 Img_6954c_20210323164801  そのステンドグラスを見ているうちに気づいたのですが、ステンドグラスを通した光がつくる色模様の方が、ステンドグラスそのもののよりもはるかに魅力的でした。

Img_6999c_20210323164801  ここで、かなりたくさん写真を撮ってきましたので、すべてをチェックしてはいませんので、目だったものを載せています。ちなみに、今日撮ってきた写真の総数は約1,000枚にも及びました。我ながら、撮りすぎと反省(苦笑)。まだすべては見ていません。

Img_6631c Img_6623c  ちなみに、今日の昼ご飯は、カレーパン。家内が予め調べて、これに決めていたのです。それ故、他に選択の余地は与えられませんでした(微苦笑)。「食道楽のカレーぱん」というもの。1個¥300なり。明治時代にベストセラーになった小説「食道楽(しょくどうらく/くいどうらく)」(村井弦斎による)で紹介している材料・調理法をもとに再現・アレンジしたカレーの入ったカレーぱんだそうですが、美味しいカレーパンでした。

Img_6733c Img_7215c_20210323164801  今日は明治でいうと、明治154年3月23日だそうです。明治村でどのくらい歩いたかは、測定不能。歩数は、スマホのALKOOのデータでは、13,900歩でした。たぶん7~8㎞を歩いたと思います。いつもですと、勝手にハイキングについては、当日に予告編を書いて、その後何回かに分けて本編を書くというスタイルにしていますが、今日は、一通り見て回ってきただけですし、有名観光地ですから、たぶん本編はないと思います(気が向くと書くかも知れません。写真をすべてチェックしてから考えます)。

【余談】 朝から、AndroidのWebViewというアプリにエラーが起きたようです(たとえばこちら)。私たちは、明治村に着いた頃からLineが通じにくくなったり、auメールが読めなくなったりし始めました。電波が弱いのかとも思ったのですが、次々に他のソフトも強制終了するなど、エラー続き。娘(iphone)は、行方不明にでもなったかと一時、心配したようです(苦笑)。スマホ依存も困ったことですが、インフラのようにもなっていますから、早く回復してもらいたいところです。

【追記(3/24)】 Androidスマホの不具合、ネットで調べた結果、Web ViewとGoogle Chromeを更新することで回復しました。

20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その3(南大山田神社から海善寺を経て桑名駅西口にゴールで「完」)

210320ekinishi2  3月20日の勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」の本編その3です。いつもながら、長々と書いていて、恐縮です。その2では、詳細マップその2の一部が残ってしまいました。冷水庵にて、桑名藩校進脩館の副教をつとめた佐父理希亮(1774~1820)の墓で、亀に乗った「亀跌(きく)」を見たところまででした。今回は、南大山田神社から。南大山田神社には、9時20分頃到着。スタートから3.6㎞ほどです。

Img_5308c Img_5322c_20210320174701  南大山田神社。元は太夫村八幡社でした。「桑名市史 本編」にも、「八幡社 太夫村」として記述されています。この八幡社は、明治41(1908)年10月に西桑名神社に合祀され、合祀した新しい神社を南大山田神社といいました(このあと訪ねた西桑名神社の由緒書きによる)。その後、第二次大戦後に分祀されたのではないかと思いますが、ネット検索では情報が出て来ませんし、神社検索(三重)にもリストアップされていません。鳥居にある扁額には「八幡社」とありますが、鳥居脇の社号標の正面には「村社 八幡社」、右面には「南大山田神社」とあります。詳細は不明。由緒書きもありません。右の写真がお社。秋葉神社などによくあるようなタイプ。八幡社ですから、御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、すなわち応神天皇です。なお、「桑名市史 本編」の説明では、「口碑(こうひ:昔からの言い伝え)に本社の神霊は附近岩ヶ谷に八字形を印した石で夜光を放ったのを祀ると云う」とあります。

Img_5336c_20210322123401  拝殿の北東側には、「八天宮」と刻まれた石柱があります。かなり古びていますし、傾いていました。「八天宮」は、火伏せの神。江戸時代の文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされ、桑名員弁地方で特に信仰が多いそうです。それにしても、この石柱だけというのは、どういうことでしょう? お社があった名残か何かでしょうか?

 
Img_5331c_20210320200801  境内には、もう一つ興味深いものが。それは、「両宮遙拝所」と刻まれた、古びた石碑。この向きからして(南南東くらい)、両宮は、間違いなく伊勢の内宮と外宮。碑陰には、「文政九年丙戌正月十五日 加藤源太夫至(?)吉」とあるように読めます。文政9年は、1826年。「加藤源太夫」というのは、伊勢大神楽の社家の一つで、平成に廃業したところと同じ名前。何か、関連がありそうな気がします。リンク先のWikipediaの説明に出て来ます(廃業した社家のところ)。謎は解明できませんが、なかなか面白い神社。サンシュユの木がたくさんあり、ちょうど満開でした。

Img_5375c_20210320174701  南大山田神社からすぐ西に太夫の大楠(たゆうのおおくす)があります。元々、六本楠という名称の楠(楠群)があり、楠が6本あったといいます。 天正年間(1573~92)、三河の武士が、この六本楠に隠れて追手から逃れることができ、 一命を取り留めたそうです。後年、その楠が枯れた時に、その母親がお礼に植えたという話が伝わっています。幹が2つあり、測定が難しいといいますが、環境省巨樹巨木林データベースによれば、幹周6.80m、樹高20m。説明板では、地上60cmの所で測ると、幹周は10.08mとあります。
Img_5358c_20210320174701  説明板によれば、昔は境内地であって、ご神木だったといいます。大楠の東に八幡社(南大山田神社)がありますから、その境内だったということかも知れません。昭和34(1959)年の伊勢湾台風で、枝張りが変わって少なくなったが、勢いはあります。ちなみに、鈴鹿にある長太の大楠(なごのおおくす)は、幹周:8.8m、樹高:23mだそうですから、いい勝負(笑)。

Img_5389c_20210320174601 太夫の大楠から北へ200mほど歩くと、増田神社があります。ここは、伊勢太神楽で有名。伊勢神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納する神事で、桑名市内の伊勢太神楽講社の人々によって受け継がれているもの。普段は各地を回っていますが、12月24日には増田神社境内で全曲が奉納されます。豪壮な獅子舞に加え、皿回しや軽業といった曲芸などもあります。 伊勢太神楽は、国の重要無形民俗文化財。

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 伊勢太神楽、私は、春日神社の左大臣・右大臣奉納奉告祭で見ました(2016年8月21日;春日さんの左大臣・右大臣奉納奉告祭……伊勢大神楽の奉納も【動画をYouTubeにアップしました】)。これは、その時の写真。

Img_5413c_20210320174601 B24489e3  増田神社の御祭神は、天照皇大神建御雷神(たけみかずちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、猿田彦大神天鈿売女神(あめのうずめのかみ)、天木綿筒神(あめのゆうづつのかみ:大海人皇子はいったん吉野に身を隠したのち、三重県北部の桑名で宿泊をした。その際、皇子の夢枕に立った神が「天木綿筒命」を名乗り、猛獣の姿に姿を変え皇子の戦勝を約束した)。由緒書きによれば、白鳳元(672)年、壬申の乱の際に大海人皇子が、吉野から桑名に逃れ、桑名郡家に泊まられたという伝えがあります。そのときに神宮を遙拝された地に、この増田神社を奉祭されたとあります。境内には、確かに、右の写真のように“神宮遙拝所”の石碑が建てられています。皇子は、その後、美濃から近江に進まれ、戦勝のあと、帰途にも桑名へ寄られたということです。ここまでで、詳細マップその2の範囲が終了。

210320ekinishi3 Img_5420c_20210322171501  こちらは、詳細マップその3。増田神社から市道を越えて北へ。この市道は、桑名神明社のところから続いています。このその3のマップでは、西桑名神社、西方城跡、西方寺、西方廃寺を回って、海善寺がこの日の最後の目的地となります。右の写真は、余談。増田神社の北、市道の信号交差点の北西角にあるシャッター屋さんの店頭風景。昔から、鉄人28号とスパイダーマンが鎮座しています。

Img_5430c_20210320174601  9時半、スタートから4.5㎞歩いて、西桑名神社まで来ました。主祭神は、品陀和氣命(ほんだわけのみこと:応神天皇)。合祀神は、宇迦之御霊神(うがのみたまのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)、大山祇神(おおやまずみのかみ)、天照皇大神です。勧請年月は明らかでないようですが、現在の西方配水場のあるところに、滝川一益が永禄年間(1558~1570年)に,西方城を築かせた加藤勘助の祈願所であったといいます。また、この西桑名神社にも、大海人皇子(天武天皇)が白鳳年間(白鳳は、私年号)に桑名に立ち寄られたときに、ここから神宮を遙拝されたという伝説もあると由緒書きにはあります。

Img_5439c_20210320174601 Img_5461c_20210320174601  西桑名神社は、明治41(1908)年10月に太夫村の八幡社(南大山田神社)を合祀し、南大山田神社と称しています。昭和9(1934)年9月、西桑名神社に改称。由緒書きの補足。天正年中(1573~1591年)滝川氏の頃、既に城廓があったので、それ以前からの社であるとされています。阿部家の伝えるところによれば、海善寺はもと八幡社の別当神社でしたが、天正年中、織田氏のために兵火にかかり、堂宇旧記等すべて灰燼に帰したといいます。その後、中興の祖権大僧都繁昌院が寺を再興し、再び八幡社に奉仕したと伝わっています。海善寺は、先にも述べましたが、このあとで訪ねます。

Img_5445c_20210322180001 Img_5423c_20210322180501  境内には、両宮常夜燈がありました。両宮は、伊勢神宮の内宮と外宮。この常夜燈には、「寛政三亥歳霜月吉日」(1791年11月)とあります。これと対になった常夜燈は、形が異なっていたのですが、そちらには「文政」の文字が刻まれていました(写真はありません)。文政年間は、1818~1830年。一の鳥居の外側にあった常夜燈にも、「文政七申歳」(1824年)とありました(右の写真)。

Img_5475c_20210320174601  西桑名神社でも一休みした後、さらに西に向かいます。西桑名神社あたりで標高は約50mでしたが、ここからさらに登っていったのです(苦笑)。この日の最高点。約90m。直線距離にして250mほどで、一気に40m登ったのは、さすがにしんどい。西方排水場のところ。このあたりが西方城跡になっています。

Img_5481c_20210320174601  西桑名神社のところにも書きましたが、西方城は、滝川一益の家臣加藤勘助が築いたとされます。矢田城を中心とする西別所3城(西方城、白山城、西別所城)の1つ。天正11(1583)年、滝川一益が転封の後、廃城となりました。現在は配水場、竹林、畑に変わっており、竹林内に土塁らしきものが残るといいますが、そこまでは入って行きませんでした。

Img_5489c Img_5496c  西方城跡・西方排水場から下って、西方寺に向かいます。城跡からは北東になるのですが、グルッと回って行きます。入り口に「真宗大谷派阿弥陀堂」と刻まれた門柱が立っています。天文16(1547)年、道覚が開基し、ご本尊も同年のものが伝わっています。かつては道場で、「旧道場」「総仏堂」「阿弥陀寺」と呼ばれました。昭和17(1942)年には「西方教会」と改称し、昭和27(1952)年に現在のように、西方寺となりました。「桑名市史 本編」には「西方道場(西方寺)」として記載されています。

Img_5507c  西方寺の北西側には南之広溜池があり、なかなかよい景色になっています。寺の参道には、シロバナジンチョウゲ、ユキヤナギ、レンギョウなどが咲いていて、目を楽しませてくれます。また、東から南にかけては、眺望が開けており、ナガシマリゾートまで見えました。

Img_5535c_20210320174601  このあとは、西方廃寺、海善寺に向かいます。そのためには笹山溜池やマリア・モンテッソーリ幼稚園の南側を通らねばならないのですが、新しい住宅団地のところで、いささかウロウロ。幼稚園の北側に出そうになりました。詳細マップその3には描いていませんが、コースミスを少ししでかしました(苦笑)。気づいて戻って迷子になるという事態は避けられました。

Img_5540c_20210320174601 Img_5554c_20210320174601  西桑名神社の北東側に、道を1本はさんで、笹山溜池公園があります。ここがおそらく西方廃寺の跡(以前は、標識が建っていたようですが、今はありません)。西方廃寺は、奈良時代の寺院と考えられています。というのも、志摩国分寺や縄生廃寺(朝日町)と同系の瓦が出土しているためです(こちらを参照)。この近くには、西方窯跡があり、西方廃寺に瓦を供給するために創業した窯跡でした。4基の窯があったといいます。西方窯跡は、現在は、マリア・モンテッソーリ幼稚園の敷地内のようで、立ち入りはできません(こちらを参照)。

Img_5561c_20210320174601  この笹山溜池公園には、加藤久米四郎の顕彰碑がありました。加藤久米四郎は、明治17(1884)年ここ西方に生まれ、明治33(1900)年、大志を抱いて16歳で上京。明治40(1907)年、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、大正6(1917)年、政界入り。大正9(1920)年に衆院議員に初当選以来、7期連続務めています。先日の美濃街道ハイキングで見てきた「参宮国道碑」は、この加藤久米四郎の書によります(2021年2月27日:20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。顕彰碑は、西方連合自治会により、平成19(2007)年6月に建てられました。この年が、生誕125周年でそれを記念してです。

Img_5576c_20210320174601 Img_5579c_20210322200401  西方廃寺を見て、西桑名神社の一の鳥居まで戻って、約5.8㎞。そこから、東明山海善寺までは100mあまり。元木観音とも呼ばれているようですが、かなり荒れています。江戸時代には、境内に大きな松があり、「元木の笠松」と呼ばれていました。また、付近は松林となっており、サギが生息していたので「鷺山」といわれていたといいます。古代からの寺院・海善寺の跡地とされます。千手観音を安置しているといいますが、覗いたら厨子の中。ここは、古代からの寺院・海善寺の跡地といわれます(くわな史跡めぐり)。

Img_5582c_20210322200401  海善寺の境内には、「安永四乙未太夫村 庚申 十二月十七日上講中」と刻まれた庚申塔がありました。安永4年は、1775年。時の将軍は、徳川家治。安永4(1775)年に建てた庚申塔なのでしょう。上部は欠けています。庚申(こうしん)は、もとは道教の守庚申より出た庚申(かのえさる)の年または日の禁忌行事を伴う信仰。庚申の夜には、人の体内にいる三尸(さんし)の虫が、その体内を抜け出して天帝にその人の罪過を告げると信じられ、これを防ぐため道士たちは不眠の行を行なったそうです。これが守庚申で、日本の民間信仰では庚申待、庚申講となっています。子どもの頃、オヤジから「昔は、庚申さんがあった」と聞いた記憶があります。庚申講の行事だったのでしょう。

Img_5591c_20210320174601210320ekinishi0  これで、この日の目的地はすべて回りました。海善寺で、10時15分を過ぎた頃、スタートして6㎞の直前。このあとは、梅園通を下って、桑名駅西口を目指します。

Img_5603c Img_5606c_20210320174601  桑名高校の東、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺のあたりを通って行きます。このあたりは、今年2月1日の“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩(2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編))」で訪ねたところ。

Img_5624c_20210320174501  ゴールに設定した桑名駅西口には、10時半過ぎに到着。ハイキングで歩いたのは、7.2㎞。7時35分にスタートしましたので、ほぼ3時間。ここで、トリビアを1つ。桑名駅西口の表示、左から、近鉄、養老鉄道、JR東海となっています。これ、東口では、JR東海、近鉄、養老鉄道となっているのです。

Img_5618c_20210322202101 Img_5621c_20210322202101  東口もそうですが、西口もまだ整備途中。将来イメージの絵が2種類、掲げられていました。左側の写真が、全体像を示した鳥瞰図。変更する場合があると但し書きがありますが、なかなかよさげな雰囲気です。向かって右にあるのは、何ができるのでしょう。駅西地区は、再開発途中。道路を広げるために、桑名三重信用金庫の支店が取り壊されたりしています。これまでは駅西にはさほど用事はありませんでしたが、再開発されると、変わってくるかも知れません。

 これにて3月20日の勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」は完。このあと、市内の史跡・歴史巡りは、西別所から蓮花寺あたり、あるいは、多度の御衣野、柚井附近を考えています。

2021年3月22日 (月)

コブシの花、満開@桑名宗社……前期高齢者2年目に突入(微苦笑)

Img_6194c_20210322161501 Img_6189c_20210322161501  「コブシの花が満開だ」とインスタに投稿がありましたので、早速、見てきました。桑名宗社(春日神社)です。神社会館の西側にコブシの木があります。コブシも、桜と同じく、春を告げる花。あいにく、この時は雲がかかっていることが多く、写真としてはちょっと残念。しかも、撮影していたら、時雨れてきました。

Img_6127c_20210322161601 Img_6136c  桑名宗社には、先日、金龍桜の若木を見に行きましたが(2021年3月 3日:春日神社で「金龍桜」の若木、立教小学校で「打毬戯」を見る)、それもどうなっているか気になっていました。今年、花が咲くものか、ということ。数は少ないものの、つぼみらしきものも出てきていました。

Img_6222c_20210322161501  さて、今日は朝から晴れてはいたものの、強風で(最大風速は、8m/s以上)、ときどきその風に乗って雲が流れてきます。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、宮通、春日神社、田町、桑名七里の渡し公園と6.3㎞。強風のせいで、結構寒く感じます。

Img_5674c_20210322161701 Img_5671c_20210322161701  諸戸氏庭園前にあるマイソメイヨシノ、花が少しずつほころんできました。かなりの老木ですが、まだまだ元気。今は、主屋と石取祭の祭車庫が工事のためにシートで掩われていて、背景がイマイチなのが、玉に瑕。

Img_5693c_20210322161701 Img_5733c_20210322161701  往きに桑名七里の渡し公園で、カワラヒワ。この頃見るカワラヒワは、ほとんどがペアで行動中。巣材を運んでいるのも見ますから、繁殖期に入っています。住吉入江では、ヒドリガモが20羽。旅立ちの準備と思ったのですが、散歩帰りにも見たら、まだいました。

Img_5736c  七里の渡し跡にある川口水門の手前で、高水敷にツグミが1羽。先に書いてしまいますが、今日は、結果的には、ツグミ・デーとでも謂うべき日でした。というのも、他の小型の野鳥があまりおらず、ツグミばかり見たのです。三の丸公園で2羽、柿安コミュニティパークで4羽、九華公園で1羽、貝塚公園で2羽。それ故、以下同文ではありませんが、以下省略。

Img_5812c_20210322161701 Img_5855c  九華公園も小型野鳥は多くありませんでした。奥平屋敷跡では、いつものように、シメとシロハラ。待っていれば、必ずといってよいほど出て来ます。ときどき、バードウォッチングの救いの神と思えます。他には、ハクセキレイ、スズメ多数、カワラヒワ、ドバト。私が着く前には、ジョウビタキのオスも来ていたそうです。ハシボソガラスもいますが、巣に就いているようで、静か。

Img_5910c  朝日丸跡で、ジョウビタキのオスの証拠写真。今日は、二の丸跡と、内堀公園でも見たのですが、うまく写真には撮れませんでした。二の丸跡では、他にシジュウカラ、メジロ、カワラヒワなど。メジロは、桜にも出て来たのですが、「サクラジロウ」は撮れず。朝日丸跡には、シメも1羽飛んで来ました。強風は、バードウォッチングの敵(苦笑)。

Img_5800c_20210322161701 Img_5797c  カモは合計28羽と、更に少なくなりました。例年にないハイペースで減っています。ヒドリガモのペアが2組復活、ハシビロガモはオスが1羽にメスが2羽、ホシハジロのオスが2羽。他はキンクロハジロ。ハシビロガモとキンクロハジロが減りました。

Img_5809c_20210322161701  ユリカモメは、10羽が来ていました。元アヒル小屋の屋根などで休んでいます。

Img_5933c_20210322161601  Dscn3674c 九華公園の桜、中日新聞の「桜だより」では、「咲き始め」となっていますが、全体を見ると、その通り。右は、公園内でもっとも早く咲き始めるところ。本丸跡の藤棚&ブランコの西側。ここだけ見ると、かなり咲いてきたと思えますが、全体としては、まだまだです。今週末か、それ以降が見頃と思います。

Img_5942c_20210322161601 Img_5991c_20210322161601  本丸跡のところで桜に近づいて見ると、こんな感じ。ここでなら、花見はできそうです(微笑)。ただ、今日のような風の強い日はいけませんが……。今日は、露店も営業していませんし……。

Img_6013c_20210322161601 Img_6025c_20210322161601  野球場の南にあるしだれ桜は、かなり咲いて、7~8分咲きという感じでしょうか。ソメイヨシノよりも早くから先、長持ちします。ピンク色もかなり濃い。一部の木は、一昨年でしたか、台風の時に、たぶん塩水をかぶってしまい、つぼみが付かなくなりました。ちょっと残念。

Img_6067c_20210322161601Img_6059c_20210322170201  外周遊歩道でも、ソメイヨシノは少しずつ咲いていますし、ヤマザクラも咲き始めました。今日、見て回ってきた感じでは、咲き方が、例年以上に揃っていない感じがします。きれいに揃って満開となればよいのですが、どうでしょう。

Img_5882c_20210322161701 Img_5885c_20210322161701  花続きの話題で、花菖蒲園の様子。九華公園には花菖蒲園が3ヶ所あります。この写真は、奥平屋敷跡の北にあるところ。先日も、花菖蒲の芽が出て来たと書きましたが、だんだんと、ちょっと大袈裟ですが、青々としてきました。南東隅のあたりを除いて、これなら今年も何とかなるかという気がしてきました。

Img_5753c_20210322161701 Img_5757c_20210322161701  ところで、今日は3月22日。今日から、前期高齢者2年目に入りました(苦笑)。根気や持続力が低下している気はしますが、お陰様で、まぁそれなりに元気です。モットー通り、「晴歩雨読」「淡々と飽きもせず……」で散歩生活を送ろうと思っています。その他、以前から、近鉄のハイキングクラブ「あみま倶楽部」の理念も気に入っています。「あるく・みる・まなぶ」から「あみま」になっているそうです。近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングが再開されたら、歩いて、見て、学ぼうと思いますし、「勝手にハイキング」でも歩くとともに、見分を広げたいと考えています。 仕事も細々と続けていますが、これについて最近思いついたのが、「晴れときどき仕事」というキャッチフレーズ。自分では気に入っています。皆様には、引き続き、ご交誼のほど、よろしくお願い申し上げます。写真は、マイソメイヨシノの次に気に入っている蟠龍櫓南の桜。これも開花しました。

20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その2(走井山公園、勧学寺から冷水庵へ)【上野神社について追記しました(3/29)】

210320ekinishi2  3月20日の“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」”のその2です。その1では、桑名駅東口をスタートし、徳成農園跡まで行きました。今回は、徳成農園跡から南へ200mほど、走井山公園からです。走井山公園に隣接して勧学寺があります。馬道駅の方へ下る途中に伝村正屋敷跡、私の好きな三猿石像、北勢線沿いに西に行くと上野御膳水。少し北に行って、上野神社、上野墓地、冷水庵。さらに南大山田神社、そのすぐそばに太夫の大楠、そして、伊勢太神楽の本拠である増田神社と歩いて行きます。

Img_4952c_20210320174801 Img_4964c_20210320174801  走井山公園は、桜の名所でもあります。戦国時代に矢田城があった場所に造られた公園。北畠氏の家臣である矢田半右衛門俊元の居城でしたが、織田信長の伊勢侵攻の際に滝川一益によって攻められ落城すると、その後は一益に与えられ、長島一向一揆を攻略する最前線基地として使われました。園内には100本ほどの桜があります。丘陵地で起伏に富んだところに桜があり、見応えがあります。しかし、この日はまだ、一部で咲き始めたところ。去年は4月4日にここの桜を見に来ています(2020年4月4日:「ひのとり」、照源寺の金龍桜、道祖神、走井山公園の桜に北勢線の「ゆる鉄写真」……土産は宝来軒本店の花見団子)。

Img_4955c_20210321195101 Img_4967c_20210320174801  いろいろと見どころはありますが、この日は、戦没者慰霊碑である「殉国碑」(左の写真)と、「愛宕山庚申塔群」を見てきました。

Img_4983c_20210320174801  こちらは、走井山勧学寺の本堂。聖武天皇の御代(724~749年)、行基菩薩の草創によるものと伝えられています。室町の頃(1390~1570年)までは走井山北麓にありました。同地内(現在の桑名高校付近)の海善寺が廃寺となり、本尊の千手観音立像が当寺へ移されてきています。走井山矢田城主の矢田市郎左右衛門は、この観音様を深く信仰していたといわれます。その後の経緯はよく分かりませんが、桑名藩主・松平定重公(1657~1710年)の時、現在地の矢田城跡に再建されました。明治の初め(1870~1880年頃)、いったん廃寺の憂き目に遭ったものの、近在の信者有志の尽力により再興されました。本堂は、松平定重公寄進のもので、市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。ちなみに、勧学寺は、伊勢四国三十三箇所巡礼の第31番札所。

Img_4986c Img_4978c_20210321200301  境内には、太子堂や仏足石などの他、地蔵堂などもいくつかあります。太子堂は、もともと江戸時代の明和年間(1764〜1772年)に、桑名惣大工中によって建立されたもの。平成2(1990)年に不審火で全焼しましたが、桑名建築組合によって再建されています。仏足石は、仏像が出現する以前、インドの伝説によってお釈迦様を礼拝の対象としてつくられたもの。これは、江戸時代末期のもので、「勧学寺様式」といわれるそうです。福輪相図(足裏の絵)が精妙に刻まれているのが特徴。

Img_5004c  境内の鐘楼堂に上がって東を見ると、三岐鉄道北勢線が見えます。踏切の警報器が鳴り始めましたので、鐘楼堂に上がって、俄撮り鉄。桜が咲いていると、サクラの花の間から北勢線の電車が見えるのですが、残念ながらまだ早い。なお、走井山公園と勧学寺について、詳しいことは、2018年7月7日の記事(20180609近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」(その1)……走井山勧学寺)をご覧ください。

Img_5059c_20210320174801 Img_5056c_20210321201101  馬道駅の方に降りる途中に、伝村正屋敷跡という案内板があります。このすぐ東にあるマンションのあたりに村正の屋敷があったといいます。村正は、このブログにも何度も登場していますが、伊勢国桑名の刀工で、室町時代中期以後、代々活躍しています。「勢桑見聞略史」によれば、「村正トテ(中略)其旧宅ノ地矢田走井山観音堂ノ下道ノ左、今庄屋ノ家是其旧地也」とあるそうです。

Img_5047c_20210321201501  北勢線馬道駅の方に下っていきます。左の写真には、ここで出遭った近くにお住まいの女性。足が痛くて、最近は走井山には登っていなかったのだそうですが、この日は10年ぶりにいらっしゃったとか。あれこれ、教えてくださいました。散歩やハイキングでいろいろな人と出会えるのも大きな楽しみです。

Img_5078c_20210320174801 Img_5071c_20210321201801  北勢線の踏切の所に三猿石像があります。これも、ブログに何度も書いていますが、私の好きな三猿石像。台座には、「此の心 我れができぬは 人とよせよとハそれハむり志や 志てくだされハ ありがたし」と刻まれています(一部、読みがアヤシい)。

Img_5081c Img_5074c_20210321203101  上左の写真にも写っていますが、踏切の脇に常夜燈があります。「弘化3(1846)年」の文字が見ます。踏切を渡ってすぐ右折。北勢線沿いに西に向かいます。この道は、初めて歩きます。右の写真は、馬道駅。

Img_5108c_20210321203201 Img_5105c  上野地区を歩いて行き、スタートから2.6㎞で上野御膳水うえのごぜんみず)に到着。背後の上野の丘から湧き出た水で、江戸時代、桑名藩主の飲料水として、毎日、桑名城まで運ばれたのが、ここ上野の湧水なのです。そのため、「御膳水」と呼ばれます。以前は、筧から水が流れ出ていたそうです。今は、飲用には適しません。ここも、ずいぶん以前から是非訪ねたかったところ。

Img_5156c Img_5160c_20210322042901  上野御膳水から西へ300mほど、住宅街の入り組んだ細い道を行きます。上野集会所の先に上野神社。集会所の先を少し登ったところに社殿があります。一の鳥居をくぐったところに地蔵堂がありました。詳細は分かりませんが、中には、観世音菩薩と地蔵菩薩がそれぞれ祀られていました。

Img_5173c_20210320174801  上野神社のご祭神は、建御雷之男神(タケミカヅチノカミ:鹿島神宮の神)、齋主神(いわひぬしのかみ:経津主神(ふつぬしのかみ)ともいう、香取神宮の神)、天児屋根神(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、姫大神(ひめおおかみ:神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの)、大山津見神(おおやまつみのかみ:山を司る神)、木花咲耶比売命(コノハナノサクヤビメ:大山津見神の娘。富士山の神とされ、浅間神社に祭られる)、天目一箇命(あまのまひとつのみこと:天津彦根命の子で、桑名首の祖とされる。多度大社別宮一目連(いちもくれん)神社に祀られる)。ここもたくさんの神様がいらっしゃいます。創始等が分かりませんが、いくつかの神社を合祀したかも知れません。

 ちなみに、「桑名市史 本編」によれば、上野については、「丘陵が東西に横たわり、高知はその南北にある。岡南に員弁街道が通じ、人家はその左右にある。西丘上に一老松樹があって、松平定綱の手植えで俗に御手植松と称し、その下に小社を建て、富士浅間神を祀った。附近は往時眺望絶佳、士庶の遊賞地であったが、数十年前松樹は枯死した。又麓の一冷泉は俗に御膳水と称し、旧藩侯の飲料に供し、混々湧出して水質冷淡、郡中の名所として世に知られ、小径を太夫へ辿って上ったところに庵室冷水庵があり、更に進めば老楠の巨樹亭々として部落を掩うかにみえる、古へ六本楠と呼んで畏怖した古木の名残で今も尚柵内に入ることを忌み畏れる風が伝えられている」と書かれています。という次第で、この記述のあたりを歩いていることになります。

Img_5188c_20210322045201 Img_5184c_20210322045201  上野神社の境内に「留芳碑」というものがありましたが、いったい何でしょう? 「芳」には、①かおり。におい。 ②かんばしい。よい香りがする。③評判がよい。ほまれ。 ④他人の物事に冠する敬称といった意味ですから、どなたかの評判、誉れを讃える碑のように思います。ここで2.9㎞、時刻は8時50分くらいでしたので、一休み。目の前を北勢線が通って行き、なかなかよい景色。北勢線の電車、ノンビリというか、ゆったりというか、そういう感じになります。

Img_5203c_20210320174701 Img_5210c_20210320174701  上野御膳水の方に少し戻り、竹林へ進んで行きます。ここからけっこう登り道。正直、「大丈夫か?」という気もしました。この道でよいのかというのと、竹林は最近、手入れがされていないことが多く、道が通れるのかという2つの意味で、です。上野神社から300mほど、竹林をクネクネと登ったところに、次の目的地である上野墓地があり、ちょっとホッとしました。

Img_5216c_20210320174701 Img_5225c_20210320174701  上野墓地は、「十念寺山」とも呼ばれます。慶長の町割のとき、十念寺は、桑名城付近から伝馬町に移転しました。しかし、面積が不足したため、この一帯を藩主に賜ったといいます。十念寺の歴代住職の墓などがあります。右の写真は、住職の墓。向かってもっとも左のお墓には、「安永八年(1779年)」とありました。

Img_5231c_20210320174701  他にも古い墓がたくさんあり、たとえば、この写真で向かってもっとも右のお墓には、「寛永五年(1628年)」とあり、驚きました。花が手向けられている墓もたくさんありました。墓地というと、気味が悪いと思われる方も多いかも知れませんが、最近の私は平気です。自分のところは、墓はないのですが、どこに誰の墓があるとか、いつ頃の墓か、何が刻まれているかなど興味が尽きないのです。

Img_5239c_20210322065601 Img_5256c_20210322065901  上野墓地からさらに竹林の中の坂道を進んで行きます。竹林は、手入れがされていると、気持ちも良いのでしょうが、このあたりはあまり人の手は入っていないようでした。このあたりで標高は40m前後。アップダウンがかなりあり、息も切れます。スタートから3.3㎞を過ぎたところに冷水庵というお寺が見えてきます。上野のもっとも北の端で、神楽町や太夫との境目あたりになります。

Img_5262c  井坂山冷水庵(いさかさんれいすいあん)があります。曹洞宗。教育委員会の説明板によれば、明暦2(1656)年に茂右衛門が境内地を寄進し、冷水庵を建立したといいます。位牌によれば、海蔵寺3世の剣嶺(けんれい)大和尚が開山し、その弟子である愚白(ぐはく)禅師が開基。海蔵寺の末寺。弘法大師の作という虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ:智慧と功徳が広大無辺である菩薩)を本尊とします。現在の本堂は棟札によれば文化 13(1816)年4月に建てられたもの。

Img_5274c  境内に阿波国出身で桑名藩校進脩館(しんゆうかん)の副教(副校長)をつとめた佐父理希亮(安永3(1774)~文政3(1820)年:さぶりまれすけ)の墓で、亀に乗った「亀跌(きく)」があります。妻の柔は夫が異郷の土地で亡くなり、将来は夫の業績がだれにも知られなくなることを嘆いて、自分の装身具を売り払い、ここに墓を建てたのです。墓石正面には「阿波処士佐父理君之墓」と、また、他の面には希亮の履歴が刻まれています。処士は民間人のことで、彼は正式な藩士に取り立てられなかったと思われます。亀趺は、日本では珍しいのですが、韓国や中国では高貴な人の墓に見られます。傍らには、妻・柔の墓もあります(妻の墓は、写真に向かって左手の奥にあるもの)。正面には「佐父理君妻正木氏墓」とあり、側面には「いもとせの魂のありかはこことしれ、亀のしるしは万代のため  柔女」と記してあります。この話と亀跌という形式の墓のことを知って以来、ここも訪ねたかったところです。

D4fcc24c-1  なお、こうした亀跌については、津市にある結城神社でも見ました(2019年5月10日:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。結城宗広公(ゆうきむねひろ;?~延元3=暦応1(1338))の御墓がそれです(左の写真。平成31(2019)年4月28日、結城神社にて撮影)。

 またもや長くなりました。詳細マップその2をすべて書こうと思いましたが、その2はここまで。その2は、南大山田神社からとします。

【上野神社についての追記(3/29)】 他のことを調べていて、「第17回 北勢線の魅力を探る報告書 再発見!魅力ある北勢線沿線 西桑名駅~星川駅」に上野神社についての説明があるのを見つけました。これによって、私の記事の足らないところを補足します。

 上野神社があるところは、古くは「霞岡」と呼ばれた見晴らしのよい丘陵地。上野村の氏神様。石取祭で有名な春日神社(桑名宗社)は、桑名神社と中臣神社の2社からなっていますが、中臣神社はもともと上野に鎮座していたといいます。神護景雲2(768)年、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮から奈良市の春日大社に建御雷之男神を勧請した際、ここ上野に一時鎮座し、翌神護景雲3(769)年にその鎮座地に創建されたのが中臣神社であると伝わっています。この中臣神社は、正応2(1289)年8月、桑名神社境内に遷座され、上野を離れました。永仁4(1296)年、8月、中臣神社に春日大社から建御雷之男神、斉主神、天児屋根神、姫大神の4柱が勧請されましたのですが、その際には上上野村(現在の桑名市太夫)の若太夫と一太夫が遣わされたとされます。

 その後、中臣神社の旧鎮座地に春日大社の4柱を祭神とする四之宮神社が祀られました。社号は4柱の祭神を祀ることに由来。四之宮神社は 明治に至って村社となっています。明治41(1908)年、合祀令によって上野村内にあった山神社(祭神は 大山津見神)と富士浅間社(祭神は木花咲耶比売命)、繁松新田の一目連神社(祭神は天目一箇命)とともに立坂神社へ合祀されました。戦後、四之宮神社を旧地に戻そうという動きがあり、昭和23(1948)年4月に、現在地へ分祀されています。この時、四之宮神社とともに合祀されていた旧村内3社の祭神もあわせて祀り、社号は上野神社と改められました。

 この年、前年(昭和22(1947)年)に宝殿町で新造した祭車を購入して石取祭を開始しました。しかし、立坂神社での試楽までの参加であったため、青年会を中心に本楽への参加が議論され、平成12(2000)年8あつに春日神社への渡祭が実現しています。

 最近は、自治会が管理しています。

 境内東側の高いところにあった「留芳碑」について。これは、上野村から出征した者を顕彰するも碑で、戦死された方々だけを祀る忠魂碑とは位置づけが異なります。建立されたのは、明治39(1906)年3月。したがって、日清戦争出征者を顕彰することから始まっています。昭和31(1956)3月に太平洋戦争関係の戦死者を刻み加えて現在地に移されました。裏面には日清戦争出征者7名、日露戦争出征者16名(戦死者は2名)、太平洋戦争戦死者16名の名が刻まれています。日露戦争で亡くなられたうちのお一人、山口新次郎は明治38(1905)年2月22日に「黒溝台附近で戦死」しています。同年1月の黒溝台会戦で立見尚文と共に戦ったかも知れません。

 留芳碑の下には特異な形をした大きな岩があり、昭和60年代には、「天狗岩」と呼ばれていたそうです。上野神社の急斜面ではみがき砂を削り取っており、その際に落ちてきたものだそうです。上野神社周辺の丘陵には古くから天狗が住むという言い伝えもあるそうですから、それに因んだものと思われます。丘陵上には 天狗大神2基(ともに昭和56(1981)年12月建立)と山の神、龍神大神の祠が祀られているといいます。

2021年3月21日 (日)

20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その1(桑名駅東口から徳成農園跡へ)

Sisekimeguri  3月20日に行ってきた“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」の本編、その1です。「くわな史跡めぐり」(平成28(2016)年、桑名市教育委員会発行)にあった「駅西コース」を参考に、自分でプランをつくりました。桑名駅から西側は、ゆるやかな丘陵地帯になっており、古代の遺跡もたくさんあります。戦災や伊勢湾台風の被害も少なく、散策に最適なのです。この本は、以前にも書きましたが、ミスが多かったため発行停止になって、そのまま。私は正誤表をいただいて、訂正をしましたが、その過程で、熟読できました(微苦笑)。ケガの功名といってよいかも。

210320ekinishi0  さて、この日のハイキングは、“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」”と題しました。全体のコースマップは、この通り。スタート&ゴールは桑名駅に設定。当初つくったコースマップでは、歩く距離は、5.5㎞の計算でしたが、実際に歩いたのは7.2㎞。桑名駅東口をスタートし、桑名神明社、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構、長禅寺、徳成農園跡、走井山公園・勧学寺、上野御膳水、上野神社、上野墓地、冷水庵、南大山田神社、太夫の大楠、増田神社、西桑名神社、西方城址、西方寺、西方廃寺跡、海善寺と回り、桑名駅西口がゴールです。

Img_4740c_20210320174901 210320ekinishi1  桑名駅東口。新しい駅舎、自由通路にもだいぶ馴染みました。ここの前を7時35分にスタート。右の画像は、詳細なコースマップその1。南に進み、三岐鉄道北勢線西桑名駅の前を通過し、3種類の線路幅の踏切を渡って、西へ。桑名神明社、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構、長禅寺、諸戸徳成邸跡、徳成農園跡(徳成第一公園内)までのルートが描かれています。上の方には、帰り道も記されていますが、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺は、2月1日の“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩(2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編))」で訪ねましたので、この日はパス。

Img_4747c_20210320174901 Img_4753c  スタートして300mほどのところに、東から西へ順に、三岐鉄道北勢線のナローゲージ、JR関西線の狭軌、近鉄名古屋線の標準軌と、3種類の線路幅を渡る踏切があります。

B4b7aa5f  自分で撮った適切な写真がなかったのですが、この踏切の南にある跨線橋の上から、桑名駅方向を撮ったのが、こちら。電車も通っていませんし、線路幅の違いもよく分かりませんが……(この写真は、平成30(2018)年4月24日のJRさわやかウォーキングの時に撮ったもの(20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その1)……幅の異なる3線のレール、諸戸水道貯水池遺構、太夫の大楠)。この日と似たようなところを歩いていました)。

Img_4766c_20210320174901 Img_4774c_20210320174901  10分あまりで桑名神明社に到着。スタートからは600mほど。由緒書きによれば、創始は応永年中(1394~1427年)で、伊勢神宮の分社とし天照大神を遷座し、村の氏神として祀ったといいます。天正年間(1573~1591年)、兵火のため類焼に逢い、社誌古帳等すべて灰となって、詳細は分からないようです。明治3(1870)年に社殿を改築し、その時、地域の神社を合祀したといいます。

Img_4779c_20210321115001  境内に末社として、八天宮、山の神社、一二三社(稲田の神)(写真、向かって右から)の他、稲荷社があります。八天宮(火産霊神)は、火の神様で火災守護神として、氏子地域では、明治初期からお供えの水を受けて、家屋を清める習慣があったといいます。そのため、町内では火災もなく、戦災にも遭わなかったと由緒書きにありました。

Img_4785c_20210321120601 Img_4788c_20210321120601  こちらは、稲荷社。お約束のように「正一位稲荷大明神」という幟旗が並んでいます。以前、何かで本当に正一位の位を授与されているのは伏見稲荷大社だけで、他は、伏見稲荷から勧請したため、勝手にそう称しているとか。

Img_4799c_20210320174901  桑名神明社の東にある信号を渡って、次の目的地へ向かいます。桑名神明社は、市道に面しており、正面からの写真を撮ろうと思うと、道路の反対側からになります。次の目的地には、少し西に行き、シェルメール桑名東方というマンションのすぐ東にある細い道を南に入って行きます。

Img_4803c_20210320174901  諸戸水道水源井。これを見るのは、実は、初めて。前から見たかったところの1つ。諸戸水道は、初代諸戸清六が、独力で上水道敷設を計画し、東方丘陵地の地下水を集めた貯水池を築き、桑名市内に上水道を普及させたもの。この井戸は、その水源でした。諸戸水道は、近代的な上水道としては、全国で7番目に完成しました。明治37(1904)年に竣工し、昭和4(1929)年まで使用されています。この水源井のすぐ西に貯水池遺構もありますが、ルートの関係で、先にもう1箇所を訪ねます。

Img_4822c_20210320174901 Img_4818c  蓮華山養泉寺。スタートからは、1.1㎞。真宗大谷派のお寺。願証寺内にあったのですが、願証寺が高田派に改宗したときにしたがわず、独立しました。長島一向一揆の総指揮者で戦死した下間豊前の子・舎人が出家し、伝馬町に再建された願証寺内で創始したお寺です。移転を繰り返したのですが、昭和4(1929)年にここに来ています。保育園の工事が行われていたのが、完成したようで、スタッフの方が荷物を運んでおられました。邪魔になるといけませんから、お参りは遠慮しました。

Img_4825c_20210320191001  養泉寺保育園の脇の道を戻り、諸戸水道貯水池遺構へ行くのに、細い坂道を登ります。予告編で書きましたが、この日のハイキングではかなり高低差があるところを歩きました。養泉寺付近で海抜5~6m、諸戸水道貯水池遺構あたりは20mほど。桑名駅西側には、階段状の丘の列が、計4段も並び、高低差は30mにも達します。これは、「養老・桑名・四日市断層」が動いた跡だそうです(目崎茂和、古地図で楽しむ三重、風媒社、2016年)。高低差は、丘陵全体では60mにも及ぶといいます。

Img_4834c Img_4860c_20210320174901  坂道を登ったところに諸戸水道貯水池遺構があります。初代諸戸清六は、ここに東方丘陵地の地下水を集めた貯水池(東西約13.4m・南北約23.2m、深さ約3.6m)を築き、延長14㎞にも及ぶ給水管で桑名町周辺(給水区域:旧桑名町・旧赤須賀村・旧益生村、旧大山田村の一部)に共用栓55ヶ所、消火栓24ヶ所を設置し、市民に無償提供したのです。貯水池の側壁と底面はコンクリート造、内壁は全て煉瓦積です。上屋は失われてしまっています。

80721e19  ちなみに、総工費は当時のお金でが約17万円。当時の桑名町財政が1万3千円余であったそうですから、いかに巨額のお金であったかが想像できます。初代清六はこれらを個人で支出したのみならず、水は無料で供給し、維持経費3千円余も負担したそうです。町屋御用水の恩恵を受けていなかった赤須賀が、諸戸水道には加えられたのですが、赤須賀神明神社には初代清六の水道事業顕彰碑が建てられています(左の写真。2013年4月10日の撮影:マヒワ、シロハラと九華公園には野鳥が戻り、久しぶりにアオサギにも接近遭遇……赤須賀神社の諸戸水道顕彰碑も見てきました)。

6c09bb81 31e4db0b  諸戸水道の共用栓を復刻したものが、桑名七里の渡し公園に2基あります。上述のように55箇所にこの共用栓が設けられ、各戸に水道が引かれていなかった当時の人々は、この栓から水を汲んで自宅に運んだといいます。

481373c9  さらに、もう少し諸戸水道の話し。拙宅北隣にある諸戸氏庭園内に、この諸戸水道で使われた配水塔が残っています(写真は、2017年6月3日に撮影:諸戸氏庭園 春の一般公開へ【花菖蒲の名前、訂正あります(6/10)】)。煉瓦造りの円柱形の塔が、その配水塔です。

Img_4884c_20210320174901 Img_4913c_20210320174801  寄り道が長くなりました。講釈、屁理屈好きという悪い点が現れています。諸戸水道貯水池遺構から南に100m足らずのところに万年山長禅寺。曹洞宗のお寺。かつては長島にあったのですが、明治の木曽三川改修工事のため、現在地に移転しています。「桑名市史 本編」によれば、天正の頃、美濃高須城主・徳永左馬助正重が田地を寄附して一宇を建立したとあります。薩摩義士・和田善助の墓があるというのですが、このお寺、至る所に「用のない方は入らないように」という掲示があり、ついつい遠慮し、山門あたりと、本堂の写真を撮っただけ。個人的には、寺社仏閣は、いろいろな人にオープンになっていた方がありがたい気がします。

Img_4891c_20210321144401  山門の南側に「豊川陀枳尼真天」と刻まれた門柱が対になってあります。「陀枳尼天(だきにてん、荼枳尼天とも表す)は、仏法の守護神。元来はインドの魔女でサンスクリットではダーキニー。密教では人血骨肉をくらう像で描かれたのですが、民間信仰では福神の宇賀神、弁才天、稲荷神とも同一視され、愛知県豊川市の豊川稲荷が有名です。

Img_4897c_20210321150201   この門に向かって左に「故陸軍歩兵一等卒/上等兵服部?太郎碑」と句碑が並んで建っています。句碑には、「自家底の夜明けに蓮の花見哉」とあります。「壽仙 松枝米楽」の句なのですが、調べても詳細は不明。「くわな史跡めぐり」にも、「米楽句碑 自家底の夜明けに蓮の花見哉」とあるだけ。

Img_4919c_20210320174801 Img_4923c_20210320174801  長禅寺からいったん諸戸水道貯水池遺構の方へ戻って、徳成農園跡に向かいました。途中、諸戸徳成邸跡があったところを通るのですが、以前も書きましたように(2020年8月17日:39.2℃のもと村正史跡めぐりスタンプラリーへ……3時間で7.9㎞を歩き村正の鍔の形のピンバッジをゲット)、すっかり高級住宅街に再開発されています。諸戸家墓所はそのまま残っています(右の写真)。諸戸徳成邸は、4年ほど前に最後の公開を見に行っています(2017年4月29日:「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)。

Img_4944c_20210320174801 Img_4934c_20210321151301  徳成第一公園が、徳成農園跡です。ここは、東洋紡績の前身である三重紡績を創立した一人、伊藤傳七(第10代)(嘉永7(1852)~大正13(1924)、明治~大正時代の実業家、貴族院議員)が果樹栽培などの研究のため、明治43(1910)年に園芸場を設けた跡地です。公園の中央、西側に「徳成農園之記碑」が建てられています。大久保利武(おおくぼとしたけ:慶応元(1865)~昭和18(1943)年、大久保利通の3男で、明治~大正時代の官僚。伊藤傳七と交流があったことが碑文にあります)が識し、斎木蓼渓が書いています。「園芸場を設け農家の副業となるべき果樹蔬菜を研究的に栽培した」ことなどが刻まれていました(桑名市史 補編)。大正11(1922)年4月の建之。

 その1はここまで。その2は走井山公園から。

「晴歩雨読」ならぬ、今日は「雨耕」

0321amedas 0321rader  昨日の夕方からずっと雨です。雨雲レーダーを見ても、西の方にはまだまだ雨雲がありますから、今日は、1日中雨が続くようです。

Dscn3645c  ときどき書いていますが、「晴歩雨読」がモットー。が、今日の午前中は、「晴歩雨耕」になりました。といっても、コンクリート長屋住まいのため、「耕す」ところはありません。今日は、ベランダに置いたサギソウの植え替え作業。そろそろやらなくてはと思いつつ、散歩生活を優先していました。鉢をよく見たら、もう芽が出ていました(苦笑)。去年から自宅で育てて、楽しんだのはこの3鉢。去年は確か2輪しか咲かなかった記憶があります(2020年7月30日:サギソウ2輪目が開花)。

Dscn3648c Dscn3652c  鹿沼土と水苔を混ぜたものに植えてありますので、まずは、鉢から土を取り出し、球根を確認していきます。目を折ってしまったり、球根に傷をつけてしまったりしないよう、気をつけなくてはなりません。3つの鉢から、結局、11個の球根を回収できました。去年、城記のように、2輪しか咲きませんでしたので、思ったよりたくさん(笑)。

Dscn3671c  球根がたくさんあるかもと思って、小さいプランターを先日、100均ショップで買ってきておきました(微笑)。「すぐに買ってくる!」と、毎度毎度注意を受けるのですが、「段取りが肝心」と屁理屈をこねています(苦笑)。新しい鹿沼土と水苔は、余分を去年から準備してあります。

Dscn3654c Dscn3658c  鹿沼土7:水苔3の割合で土をつくり、球根を少し間隔を置いて、植え、2~3㎝の土をかけて、作業は終了。きちんとなさる方は、もっと丁寧に、また、鉢などもきちんとしたものをするのでしょうが、私の場合は、「ベランダ園芸」「100均園芸」と称して、お手軽を目指しています故、ホドホドで済ませています。あとは、たまに肥料を与え、水を切らさないように注意します。

Dscn3669c  今日現在の、そのベランダ園芸の様子。このほか、去年、九華公園でもらって、育てたアサガオから種を取ってありますので、今年は、アサガオにも挑戦予定。とはいえ、小学校でやるくらいですから、基本をきちんと踏まえれば、間違いはないでしょう。5月半ば以降に種まきをすればよかったと思いますが、もう一度、何かで確認しておかないといけません。このあとは、雨読のつもり。

2021年3月20日 (土)

20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」(予告編)

210320ekinishi0 Img_5660c_20210320174501  午前中は晴れ間もあり、雨は夕方以降という予報でしたので、またもや勝手にハイキングを挙行しました。「くわな史跡巡り」にあった「諸戸水道・駅西コース」を参考に“勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」”と題しました。全体のコースマップは、冒頭の画像の通り。一応、スタート&ゴールを桑名駅に設定。当初のマップ上では、5.5㎞の計算でしたが、実際に歩いたのは7.2㎞となりました。桑名駅東口から、桑名神明社、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構、長禅寺、徳成農園跡、走井山公園・勧学寺、上野御膳水、上野神社、上野墓地、冷水庵、南大山田神社、太夫の大楠、増田神社、西桑名神社、西方城址、西方寺、西方廃寺跡、海善寺と回り、桑名駅西口がゴールです。桑名駅東口を7時35分にスタート、西口にゴールしたのは10時30分過ぎ。その後、アピタの新光堂によって文庫本を2冊購入して帰宅。自宅から桑名駅往復が、3.1㎞でしたので、今日歩いたのは、10.3㎞。ALKOOのカウントでは、18,877歩。今日のところは、予告編。

Img_4740c_20210320174901 Img_4747c_20210320174901  桑名駅東口をスタートして南へ。三岐鉄道北勢線・西桑名駅の前から北勢線の線路沿いに進み、北勢線、JR関西線、近鉄名古屋線の線路を横断し、駅の西側へ。この踏切は、北勢線のナローゲージ、JR関西線関西線の狭軌、近鉄名古屋線の標準軌の3つの幅の線路を渡ることができる、日本で唯一の踏切。

Img_4766c_20210320174901 Img_4774c_20210320174901  スタートから700mで桑名神明社。由緒書きによれば、創始は、応永年中(1394~1427年)で、伊勢神宮の分社とし天照大神を遷座し、村の氏神として祀ったといいます。明治3(1870)年に社殿を改築し、その時地域の神社を合祀したといいます。境内に末社として、稲荷社の他、稲田社、山の神社、八天宮があります。

Img_4803c_20210320174901  道を渡り、少し西にあるシェルメール桑名東方というマンションのすぐ東の細い道を入って行きます。細い道を入って100m足らずの東側に「諸戸水道水源井」があります。実は、これを見るのは初めて。前から見たかったところの1つ。諸戸水道は、初代諸戸清六が、独力で上水道敷設を計画し、東方丘陵地の地下水を集めた貯水池を築き、桑名市内に上水道を普及させたもの。近代的な上水道としては、全国で7番目に完成しました。明治37(1904)年に竣工し、昭和4(1929)年まで使用されています。

Img_4822c_20210320174901 Img_4818c  スタートから1.1㎞で、蓮華山養泉寺。真宗大谷派のお寺。願証寺内にあったのですが、願証寺が高田派に改宗したときにしたがわず、独立しました。長島一向一揆の総指揮者で戦死した下間豊前の子・舎人が出家し、伝馬町に再建された願証寺内で創始したお寺。移転を繰り返したのですが、昭和4(1929)年に来ています。保育園の工事が行われていたようで、お参りは遠慮しました。

Img_4834c  養泉寺のすぐ西に諸戸水道貯水池遺構があります。が、そこに行くまでには、ちょっとした登り坂。Img_4825c_20210320191001初代諸戸清六は、ここに東方丘陵地の地下水を集めた貯水池(東西約13.4m・南北約23.2m、深さ約3.6m)を築き、桑名町周辺に共用栓55ヶ所、消火栓24ヶ所を設置し、市民に無償提供したのです。貯水池の側壁と底面はコンクリート造、内壁は全て煉瓦積です。

Img_4884c_20210320174901 Img_4913c_20210320174801  諸戸水道貯水池遺構から南に100m足らずのところに万年山長禅寺。曹洞宗のお寺。かつては長島にあったのですが、明治の木曽三川改修工事のため、現在地に移転しています。薩摩義士・和田善助の墓があるというのですが、このお寺、至る所に「用のない方は入らないように」という掲示があり、ついつい遠慮し、本堂の写真を撮っただけ。個人的には、寺社仏閣は、いろいろな人にオープンになっていた方がありがたい気がします。

Img_4919c_20210320174801 Img_4923c_20210320174801  長禅寺から徳成農園跡がある徳成第一公園に行く前に、諸戸徳成邸跡を見てきました。諸戸家墓所はそのまま残っていましたが(右の写真)、他は、高級住宅街に変貌していました。諸戸徳成邸は、4年ほど前に最後の公開を見に行っています(2017年4月29日:「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)。

Img_4944c_20210320174801  長禅寺から走井山公園に行く途中にある徳成第一公園に徳成農園跡があります。ここは、東洋紡績の前身である三重紡績を創立した一人、伊藤傳七(第10代)が果樹栽培などの研究のため、明治43(1910)年に園芸場を設けた跡地です。「徳成農園之記」(大正11(1922)年4月建立)がありました。

Img_4964c_20210320174801 Img_4952c_20210320174801  徳成農園跡から200mほどで走井山公園勧学寺に到着。ここも桜の名所で、100本以上の桜がありますが、まだごく一部で咲いているだけでした。何度も訪ねているところです。

Img_4983c_20210320174801 Img_4967c_20210320174801  こちらは勧学寺の本堂。このあたりには、戦国時代、矢田城があり、織田信長に滅ぼされたのですが、桑名藩主・松平定重により跡地に本堂が再建されました。市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。公園内には、江戸時代からの庚申塔群があります。

Img_5059c_20210320174801  馬道駅の方に下る途中、「伝村正屋敷跡」という看板が立っています。村正は、このブログにも何度も登場していますが、伊勢国桑名の刀工で、室町時代中期以後、代々活躍しています。走井山観音堂のあたりに住んでいたと「勢桑見聞略史」にあるそうです。馬道駅の北にマンションがありますが、そのあたりに屋敷があったと推測されています。

Img_5105c Img_5116c_20210320174801  走井山から北勢線・馬道駅の方に下り、踏切を越えて西へ。もう一度踏切を渡って、北勢線の線路の北側を進みます。スタートから2.6㎞のところに「上野御膳水(うえのごぜんみず)」があります。背後の上野の丘から湧き出た水です。江戸時代、桑名藩主の飲料水として、毎日、桑名城まで運ばれたのが、ここ上野の湧水なのです。そのため、「御膳水」と呼ばれます。以前は、筧から水が流れ出ていたそうです。

Img_5173c_20210320174801Img_5156c  御膳水から西へ200mあまり、上野の集会所の奥に上野神社があります。建御雷之男神ほか6柱が祀られています。

Img_5203c_20210320174701 Img_5216c_20210320174701  上野神社からは少し戻って、竹林の中を登っていきます。3㎞を過ぎたあたりに、上野墓地があります。ここは、通称「十念寺山」といい、慶長の町割で伝馬町近くに移転した十念寺が持つ墓地。十念寺は移転したとき、面積が不足したため、藩主に願いこの一部を賜ったのです。十念寺住職などの墓があります。お墓というと、気持ち悪いと思われる方も多いかも知れませんが、最近の私は平気です。自分のところには、墓はないのですが、どこに誰の墓があるとか、いつ頃の墓か、何が刻まれているかなど興味が尽きません。ちなみに、寛政、文化、文政など江戸時代の元号が刻まれた、古い墓が多数ありました。

Img_5256c Img_5274c  上野墓地を過ぎて、スタートから3.4㎞ほどのところに井坂山冷水庵があります。開基は不詳ですが、曹洞宗で、海蔵寺の末寺。虚空蔵菩薩を本尊とします。現在の本堂は棟札によれば文化 13(1816)年4月に建てられたもの。境内に阿波国出身で桑名藩校進脩館の副教をつとめた佐父理希亮(1774~1820)の墓で、亀に乗った「亀跌(きく)」があります。また、その傍らには、妻・柔の墓もあります(妻の墓は、写真に向かって左手の奥にあるもの)。

Img_5308c Img_5322c_20210320174701  冷水庵の北西には南大山田神社。元は、八幡社。または、八角形の石が夜光を放ったので、それを祀るという説もあるようです。

Img_5331c_20210320200801  ここの境内には、桑名では珍しいのですが、「両宮遙拝所」があります。両宮は、もちろん伊勢神宮の外宮・内宮。文政年間(1818~1831年)の建立。

Img_5375c_20210320174701  南大山田神社のすぐ西に太夫の大楠があります。その幹廻り約は10.8m、樹高が約 27m あり、市の天然記念物になっています。かなり大きいのです。元は6本あり、「六本樟」といわれました。神木として祀られます。戦国時代、この楠に隠れて助かった三河の武士の母が、楠が枯れたとき、感謝して植えたものが、現在のものといわれます。

Img_5389c_20210320174601 Img_5413c_20210320174601  大楠から北へ200mほどのところに増田神社。伊勢神宮に参拝できない人のかわりに神楽を奉納する「伊勢太神楽(国重要無形民俗文化財)」の本部。毎年12月24日に増田神社境内で伊勢太神楽が行われます。

Img_5430c_20210320174601 Img_5461c_20210320174601  西桑名神社。江戸時代には八幡社でした。主祭神には品陀和気命(応神天皇)を祀ります。由緒書きによれば、勧請年月は不明であるものの、西方城主であった加藤勘助が崇敬していた八幡宮を祀り、その祈願所であったといいます。天正年間以前の創始と考えれており、長島一向一揆の時の兵火に焼かれた東明山海善寺の再興後、同寺の修験職がこの八幡社に奉祀したといいます。

Img_5475c_20210320174601 Img_5481c_20210320174601  西桑名神社からさらに西に向かいます。350mほどのところに西方配水場があります。ここは、滝川一益が、永禄年間(1558~1569年)に矢田城を落とした後、家臣の加藤勘助に城を築かせ、在城させた西方城の跡とされます。西方城は、天正11(1583)年、滝川一益が転封後に廃城となっています。現在は、配水場の他、竹林、畑に変わっています。竹林内に土塁らしきものが残っているそうですが、そこまでは行っていません。

Img_5496c Img_5489c  西方城跡の北西に西方寺。「真宗大谷派阿弥陀堂」と刻まれた門柱が立っています。天文16(1547)年、道覚が開基したそうです。ご本尊も同年のものが伝わっています。昭和17(1942)年には「西方教会」と改称し、昭和27(1952)年に現在のように、西方寺となりました。

Img_5540c_20210320174601 Img_5554c_20210320174601  西桑名神社の方に戻る途中に「笹山溜池公園」があります。ここがおそらく西方廃寺の跡。西方廃寺は、奈良時代の寺院と考えられています。というのも、志摩国分寺や縄生廃寺(朝日町)と同系の瓦が出土しているためです。この近くには、西方窯跡があり、西方廃寺に瓦を供給するために創業した窯跡でした。4基の窯があったといいます。

Img_5561c_20210320174601  この笹山溜池公園には、加藤久米四郎の顕彰碑がありました。加藤久米四郎は、明治17(1884)年ここに仕方に生まれ、明治33(1900)年、大志を抱いて16歳で上京。明治40(1907)年、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、大正6(1917)年、政界入りし、大正9(1920)年に衆院議員初当選。以来、7期連続務めています。先日の美濃街道ハイキングで見てきた「参宮国道碑」は、この加藤久米四郎の書によります(2021年2月27日:20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。

Img_5576c_20210320174601 Img_5591c_20210320174601  最後の目的地である東明山海善寺までは、西方廃寺跡からは、すぐ。元木観音とも呼ばれているようですが、かなり荒れています。江戸時代には、境内に大きな松があり、「元木の笠松」と呼ばれていました。また、付近は松林となっており、サギが生息していたので「鷺山」といわれていたといいます。古代からの寺院・海善寺の跡地とされます。ここまででほぼ6㎞。あとは梅園通を下って、桑名駅の西口に向かいます。

Img_5606c_20210320174601 Img_5603c  今年2月1日の“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩(2021年2月1日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編))」で訪ねた円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺の辺りを通って行きます。

Img_5624c_20210320174501 210320height  ゴールに設定した桑名駅西口には、10時半過ぎに到着。冒頭にも書きましたが、スタートからは7.2㎞、ほぼ3時間でした。ちなみに、今日は高低差がかなりあるところを歩いてきました。桑名駅あたりは、海抜ほぼ0m(けっこう低いのです。伊勢湾台風の時もかなり長い期間水に浸かったと聞きます)。キョリ測で見ると、右の画像のように、最高点は89mでした。距離はホドホドでしたが、高低差がありましたので、かなりの運動量でした(苦笑)。詳しい記事は、また明日以降ボチボチと書きます。

Img_5627c_20210320205901 Img_5630c_20210320205901  帰りには、アピタ桑名店にある新光堂書店に立ち寄り。時代小説の文庫本2冊を購入。ついでにNTNシティ・ホールの薄墨桜の様子をチェック。

Img_5651c_20210320174501 Img_5642c_20210320174501  余談ですが、拙宅&諸戸氏庭園前にあるマイ・ソメイヨシノ、今日、開花しました。かなりの古木であるのですが、まだ元気です。

【オマケ・昨日のシカの角の値段】 昨日の記事の末尾に書きました「シカの角の値段」。家内が見てきたのは、津市にある道の駅美杉。そこで、¥3,000で売っていたそうです。さて、買う人があるのでしょうか。

2021年3月19日 (金)

散歩コースでウグイス初鳴き、ただし、今後、練習がかなり必要……シティ・ホールの薄墨桜はほぼ満開

Img_4696c_20210319162501 Img_4713c_20210319162501  今日は、とうとう19℃を超えました。NTNシティ・ホールの薄墨桜は、ほぼ満開となっています。3月15日に2分咲きくらいでした(2021年3月15日:シティ・ホールの薄墨桜は2分咲きくらい、九華公園のしだれ桜や、シモクレンが開花)。ソメイヨシノが咲き始める頃には、満開になっているだろうと、散歩の帰り道、見てきました。今日の散歩も、7時半から。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園、NTNシティ・ホール、寿町、参宮通、スーパーバローと6.8㎞を歩いてきました。

 まずは、散歩に出てすぐ、敷地内の公園の植え込みから、ウグイスの鳴き声が聞こえてきました。先日、美濃街道ハイキングで下深谷あたりでは何度も聞きましたが、普段の散歩コースでは初めて。このウグイス、まだ囀り始めたばかりのようで、練習不足(微笑)。これから上手になって行くのを期待しています。YouTubeにアップした動画を埋め込もうと思ったのですが、「このコンテンツはブロックされました。サイト所有者に連絡して問題を解決してください」というエラーが出てしまい、今のところ、解決不能。ここにリンクを張っておきます。ご関心がおありでしたら、ご笑覧ください。

Img_4194c_20210319162701 Img_4210c  諸戸氏庭園は今日も静か。住吉入江には、メスのキンクロハジロが1羽(左の写真)。桑名七里の渡し公園には、スズメとムクドリ。住吉水門のところに来たら、ヒバリのさえずりが聞こえてきました。上空を見上げてもヒバリの姿はなし。ふと水門脇の高水敷に目をやると、そこにいました(笑)。それが右の写真。動画を撮ったのですが、そういうときに限って、鳴いてくれません。

Img_4230c_20210319162701  揖斐川には水鳥は見えず。川口水門の手前の堤防には、ヒドリガモがいましたが、今日は6羽ほど。集まっているという感じではありません。七里の渡し跡には鳥はいません。三の丸公園では、ツグミ2羽と、ムクドリ。左の写真がそれ。手前のムクドリは、いつぞやも見かけた白変種。知り合いの鳥好きの皆さんも、この白変種の存在には気づいておられ、話題になりました。

Img_4268c_20210319162701  柿安コミュニティパークまで来て、イカルの鳴き声が響き渡っていました。しかし、いたのは1羽だけ。あれは、囀りです。きれいな鳴き声。こちらで聞くことができます。先だってはあんなにたくさんいたのに、どうなったのでしょう。

Img_4305c Img_4320c_20210319162701  九華公園の北門から相撲場のあたりでは、ジョウビタキのオスと、ハクセキレイのオス。ジョウビタキは、わざわざ近くにやって来て、遊んでくれたような感じがします。ハクセキレイは、堀端に降りたって、堀を覗き込むようにしています。

Img_4328c_20210319162701 Img_4334c_20210319162601  カモは、38羽。ハシビロガモのオス、メスがそれぞれ2羽、ホシハジロのオスが2羽、他はキンクロハジロ。ヒドリガモがいたという話もあったのですが、私は確認できませんでした。パラパラッとしかいない印象です。ユリカモメは、今日は5羽。ユリカモメは、例年3月一杯くらいまではやってきます。

Img_4345c Img_4355c_20210319162601  奥平屋敷跡では、散歩&鳥見友達のYさん、前管理人Oさん。いつものように、シロハラ(左の写真)、ハクセキレイ(右の写真)、シメなどが出て来ます。ここは、敷地の中央が広場になっており、周囲に鳥小屋、ステージ、樹木があるので、見通しがよく、バードウォッチングに適した場所。

Img_4384c_20210319162601 Img_4425c_20210319162601  ジョウビタキのオスも、待っているとたいていやって来ます。このオスは、割と近くまで来て愛想を振りまいてくれるのです。今日は、このほか、カワラヒワ、ヒヨドリ、スズメ、メジロなど。ここの松の木に巣をつくったハシボソガラスは、1羽が巣に就いているようです。もう巣材を運ぶところは数日前から見られません。

Img_4457c_20210319162601  二の丸跡ではツグミ1羽。ただし、逃げられて写真はありません。朝日丸跡でもツグミ。他に、カワラヒワ。シジュウカラの鳴き声も聞こえました。

Img_4480c_20210319162601  鎮国守国神社にある九華招魂社の脇では、ようやく乙女椿が何輪か咲くようになりました。この乙女椿、年によって、2月の初めから咲いたり、3月にならないと咲かなかったりとさまざま。理由はよく分かりません。鎮国守国神社の境内にもシロハラがいました。

Img_4551c_20210319162601 Img_4582c_20210319162601  しだれ桜も、ソメイヨシノも暖かい日が続きますので、花は少しずつ増えています。露店は明日から営業するという話もありますが、未確認。

Img_4281c_20210319162601  ちなみに、こういう掲示が公園の入り口に出ていました。ライトアップを実施したり、露店営業を許可したりして、人が集まることをしていることと矛盾しています。今日は、ライトアップのチェックが行われていたのですが、桜の木にそのまま電線や電球などがくくりつけられていました。老木も多いので、もうちょっと気遣いはないのかとも思います。

Img_4626c_20210319162501 Img_4661c_20210319162501  貝塚公園。ここでの最近のお約束は、シロハラとツグミ。ツグミはたいてい2~3羽います。今日は、このほか、カワラヒワ、ムクドリ、シジュウカラなど。

Img_4676c Img_4689c_20210319162501  内堀公園へ行く途中、立教小学校の校庭に、メスのジョウビタキ(左の写真)。いつも見るジョウビタキのイメージとはちょっと違う写真。内堀公園では、カワラヒワ、スズメ、シジュウカラ(右の写真)。しばらく見なかったシジュウカラをあちこちで見ますが、ペアで行動しているようです。散歩コースで繁殖してくれるといいのですが……。

Img_4594c_20210319162601  このあと、寿町で銀行に立ち寄り、バローでは100均ショップで植木鉢を購入。そろそろサギソウの株分けをしなくてはなりません。桜が咲き始めると、どうも気分的に高揚するようです(微苦笑)。たぶん自分だけではなく、私たち日本人の多く我僧ではないかという気がします。一都三県の緊急事態宣言も、明後日解除になりますが、心配ですねぇ。写真は、九華公園のしだれ桜。

2ef589cf 【余談】 去年11月30日に愚息が、家内の実家の裏山でシカの角を拾ってきた話を書きました(2020年11月30日:ジョウビタキ&ツグミデーの再現……余談は実家の裏山で拾ったシカの角)。まだ、我が家にあります。昨日、家内が実家の方にある農産物を売っている、とある直売所へ立ち寄ったら、同じようなシカの角を売っていたといいます。左の写真は、愚息が拾ってきたもの。これとほぼ同じような角を売っていたのだそうですが、さて、その値段、どのくらいと思われますでしょうか? 答えは、明日のブログに書くことにします。あれこれ、想像、あるいは、妄想なさってください(笑)。

2021年3月18日 (木)

ウグイスの証拠写真(笑)

Img_3873c_20210318170201  風も弱く、よく晴れて、気温も上がって、春爛漫という感じ。散歩日和でもあります。故あって家事を済ませ、8時25分から散歩開始。いつもよりほぼ1時間遅れ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、あーちゃんのおかず屋さん、内堀公園、京町、南魚町、田町、桑名七里の渡し公園と、ちょうど6.0㎞。今日も散歩友達は少なく、2時間あまりで帰宅。冒頭の写真は、九華公園のソメイヨシノ。

Img_3941c  まずは、証拠写真から(苦笑)。「証拠写真なんか、載せるな」といわれそうですが、九華公園によくいるものの、めったに撮れない鳥なのです。ウグイス。神戸櫓跡の東にあるツツジの植え込みを移動していました。まだ囀ってはいません。地鳴きのみ。ずっと狙っていたのですが、ようやく撮れたのが、これ。

Img_3604c_20210318170301 Img_3607c_20210318170301  さて、こちらは、諸戸氏庭園前にあるマイソメイヨシノ。かなり膨らんで、ピンク色になってきたつぼみもありますが、まだ咲いてはいません。去年は3月23日に咲きましたが、九華公園のソメイヨシノと同じ日の開花でした(2020年3月23日:散歩コースのあちこちでソメイヨシノが開花……春爛漫という感じ)。

Img_3619c_20210318170301  諸戸氏庭園あたりは鳥はいません。住吉入江には、メスのキンクロハジロが1羽いただけ。桑名七里の渡し公園には、写真のように、カワラヒワ数羽がいたほか、スズメとドバトの集団。この頃、ハクセキレイ、キセキレイは見なくなりました。

Img_3626cImg_3641c_20210318170301  揖斐川には、オオバンが1羽泳いでいただけ。今日もシラウオ漁の船が2組。左の写真には、その昔あった「桜堤防」の桜並木が復元されています。ここのソメイヨシノはまだ咲いていないようです(右の写真)。ここも桜が咲くと、見事です。

Img_3643c_20210318170301 Img_3666c_20210318170301  下流方向を見ると、川口水門の手前の堤防や、揖斐川にヒドリガモが10羽。ここ数日、カンムリカイツブリを見なくなりました。三の丸公園では、ツグミが2羽(右の写真はそのうちの1羽)。三の丸水門近くで、揚げ雲雀の鳴き声が聞こえたのですが、姿は見つけられず。

Img_3670c_20210318170301  柿安コミュニティパークでは、メジロ。1羽のみでいました。他には、スズメたちと、ハクセキレイが1羽。いつもより時間が遅いせいか、鳥たちが少ない気がします。

Img_3685c_20210318170301 Img_3973c_20210318170201  九華公園では、まず、カモ。合計39羽。ハシビロガモは、オス・メスとも2羽ずつ、ホシハジロのオスが2羽。今日は、ヒドリガモは見当たらず。他は、キンクロハジロばかり。ちなみに、ユリカモメ、最近姿を見せませんでしたが、今日は、2羽。

Img_3700c_20210318170301  奥平屋敷跡には、8時45分頃。いつもなら、ここでの鳥見が終わる時間に近い頃。しかしながら、ジョウビタキのオスは出てきてくれました。だんだん親しくなったような気がします。すぐ近くに寄ってきて、ポーズを取ってくれます(微笑)。

Img_3766c Img_3810c  他には、いつものメンバー。シロハラとシメ、それぞれ1羽。ただし、どちらもあまりよい写真は撮れていません(苦笑)。

Img_3785c Img_3828c  昨日もいたのですが、モズ。それも今日は、オス・メスのペアでいました。ただし、ペアでいたところは、ピンぼけ写真。

Img_3842c_20210318170201  二の丸跡では、ツグミ。グルッと回って、鎮国守国神社の社務所裏に再び行くと、シジュウカラが鳴いていました(写真はありません)。

Img_3991c_20210318170201 Img_4008c  外周遊歩道の東では、メジロ3羽。南側では、ジョウビタキのオス。今日は、証拠写真が多い(苦笑)。

Img_4033c_20210318170201  さらに、外周遊歩道の南では、イソヒヨドリのオスが登場。イソヒヨドリのオスは、久しぶりに見られました。今日の九華公園は、モズも見られ、イソヒヨドリのオスにも会え、ラッキー。

Img_4094c Img_4112c_20210318170201  貝塚公園では、ここでのお馴染み、シロハラと、ツグミ。公園内を回っているときに、西側からツバメの鳴き声(リンク先で聞けます)が聞こえたので、急いで探しに行ったものの、見つかりませんでした。他には、メジロ、カワラヒワ、シジュウカラがいました。モンシロチョウ、今日も飛んでいたのに、写真は撮れませんでした。残念。内堀公園では、ヒヨドリ、カワラヒワ。

Img_3688c_20210318170301 Img_3679c_20210318170301  ところで、九華公園では、ライトアップの準備が行われていましたし、露店の準備がされていました。今のところ、露店は9店舗ほど。昨日午前中はありませんでしたので、午後から準備したのでしょう。さくらまつりそのものをしないところも多いのに、いいのかという気もします。去年は、「飲食を伴う宴会は自粛するように」という告知が出ましたが、今年は今のところ、そういう告知はありません(2020年3月24日:「飲食を伴う宴会等の自粛のお願い」も出ました@九華公園)。やはり、ブルーシートを敷いて、場所を取っての宴会はマズいような気がします。

Img_4152c_20210318170201  江戸橋方面の非常勤の仕事、進展がありました(微笑)。まず、全15回の講義資料、一通り、準備を終えました。今年度は、遠隔授業バージョンに修正しましたので(授業回数も減りました)、対面授業バージョンに戻すとともに、内容の加筆修正を施したのです。もう一度、見直すつもりです。きちんとチェックするには、印刷して読み直した方がよいのですが、300数十枚のスライドがあり、インクをかなり消費するなぁと思案中(エコタンクのプリンタ(EPSON EW-M752T)にしましたので、以前よりはコストはかからないのですが)。もう一つは、演習。担当の先生に相談したところ、「簡易飛沫防止衝立」を用意していただけることになりました。ネットで調べると、高いものは数千円の値段でしたが、安いものでは¥900以下で買えるようです(たとえば、モノタロウでありました)。ポータブルタイプもあります。持ち運ぶ需要もあるということなのでしょう。

2021年3月17日 (水)

九華公園でもソメイヨシノ開花……イカル再び、モンシロチョウも飛ぶ

Img_3368c Img_3385c_20210317170001  よく晴れて、気温も上がった(16.9℃)のですが、風が強くてかないません。最大風速は、9.4m/sだとか。昨日、「明日にでも九華公園のソメイヨシノが咲く」と書きましたが(2021年3月16日:貝塚公園でソメイヨシノ開花)、ドンピシャ。昨日、蕾がたくさん膨らみ、ピンク色の花びらがよく見えていた、本丸跡のブランコ・藤棚の西側のところで、です。右の写真のように、1本の木で数輪咲いていますから、開花が宣言できます(微笑)。たぶん、こんなに早くからソメイヨシノが咲くというのは、とても珍しいと思います。今日は、住吉入江の南端の桜並木でも、花が咲いてきていました。市内のあちこちでソメイヨシノが咲いているのではないでしょうか。

Img_3051c_20210317170101  さて、散歩はいつも通り、7時半スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、外堀、京町、寺町、桑名別院本統寺、田町、三崎通、住吉入江と回って、7㎞。よく歩きました(苦笑)。桜とツバメを探して、です。マイソメイヨシノは、まだ咲いていません。ツバメは、今日は見当たりませんでした。残念。今日は、どういうわけか散歩友達にほとんど会わず、3時間弱で帰宅。

Img_3063c_20210317170101 Img_3055c  諸戸氏庭園は今日も静か。桑名七里の渡し公園には、ドバトがたくさんと、数羽のカワラヒワ。住吉入江には、メスのキンクロハジロが1羽(左の写真)と、ヒドリガモのペアが1組。

Img_3086c_20210317170101 Img_3094c  揖斐川には、シラウオ漁の船が出ていました。今年はよく獲れるようです。今日もまた、住吉水門の下流側の堤防にヒドリガモの集団。その数、34羽。このところ、毎日のようにこの光景が見られます。三の丸公園では、ツグミが2羽のみ。

Img_3130c_20210317170101  柿安コミュニティパークでは、水門のところの木にイカルが10羽ほど。もういなくなったと思っていましたので、ちょっとうれしい(微笑)。近寄りすぎたのか、イカルは南の方へ飛び去ってしまいました。他には、ツグミ、スズメなど。

Img_3157c_20210317170101 Img_3171c  8時前に九華公園に到着。北門や、相撲場のあたりでは、ウグイスの地鳴きが聞こえました。今年は、まだ、囀ってくれません。カワラヒワが少し。奥平屋敷跡では、ツグミに、お約束のシロハラ。

Img_3180c_20210317170001  今日は、散歩友達がどなたも現れず、一人でウロウロしていたら、ここにもイカルが登場。セキセイインコの鳥小屋近くに10数羽が登場。しかし、散歩の人が通ったら北の方へ逃げてしまい、待っても戻ってこず。

Img_3198c_20210317170001 Img_3255c_20210317170001  さらに、ジョウビタキのオスが足元に登場。しばらく近くを巡回し、遊んでくれたような感じ。鳥小屋近くにいたら、南東エリアに何か来たのを発見。そっと近づいたら、モズのオス。いったん立教小学校方面に飛んだものの、鳥小屋近くにやってきました(右の写真)。

Img_3312c_20210317170001 Img_3271c  さらに、さらにシメもやって来ました。今日は、桜も咲きましたし、鳥もいろいろ来て、ラッキー・デー。鳥小屋のセキセイインコ、右の写真は巣立ってきたヒナではないかと思います。白いインコは3羽しかいなかったのに、4羽目がいたのです。

Img_3490c_20210317165901 Img_3492c_20210317165901  カモは、合計43羽。ハシビロガモはオス、メス2羽ずつ。ホシハジロのオスが2羽、ヒドリガモは2ペア。他はキンクロハジロ。カルガモ、オオバンも1羽ずつ。これらの写真は、ハシビロガモのオスですが、向かって右のクローズアップ写真ではよく見ていただくと、嘴の脇にある「ブラシ」が写っています。水と餌を一緒に吸い込んで、これで食べ物を漉し採っています。

Img_3343c_20210317170001 Img_3339c_20210317170001  二の丸跡、朝日丸跡では、それぞれツグミ1羽ずつ。写真は、二の丸跡にいたツグミが、ミミズらしきものを咥え、呑み込む直前。苦手な方は、クリックしないでください。二の丸跡では、ジョウビタキのオス1羽と、ハクセキレイ1羽も見ました。

Img_3379c_20210317170001 Img_3388c_20210317170001  いつものように、鎮国守国神社にお参りし、柿安の方から公園の北門、相撲場を再びチェック。最近、ときどき社務所裏にゴイサギがいるというのですが、私は今のところ、確認できていません。本丸跡のソメイヨシノをもう一度撮っていたら、そこへジョウビタキのオスがやって来ました。サクラの花とコラボ写真が撮れたらいうことなしだったのですが、そうそうおいしい話はありません(微苦笑)。本丸跡では、シジュウカラが鳴いていたものの、姿は見えず。最近、ヤマガラ、シジュウカラを見なくなりました。メジロはときどき見かけます(寺町の河津桜のところには相変わらず、出て来ています)

Img_3483c_20210317165901 Img_3443c_20210317170001  吉之丸堀にかかる橋の欄干で、ハクセキレイ。野球場の南にあるしだれ桜も、少しずつ花が増えています。もうすでに春爛漫という感じになってきました。近いうちに、どこかで「一人花見」でもしないとと思っています。

Img_3528c_20210317165901  貝塚公園は静かでした。ツグミを1羽見たほかは、ハシボソガラス、キジバト。写真は撮れなかったのですが、モンシロチョウが飛んでいました。内堀公園では、カワラヒワ。

Img_3550c_20210317165901 Img_3545c_20210317165901  今日は、彼岸の入りですから、寺町では桑名別院本統寺にお参りしてきました。親鸞聖人の銅像のところでユキヤナギが満開でした。

Img_3565c_20210317165901  初めにも書きましたが、ツバメが来ていないか、今日も昨年の巡回ルートを歩いたものの、見られませんでした。写真は、田町の商店にある巣。去年、ここからもヒナが巣立っています。

Img_3580c  住吉入江沿いにあるお宅のシモクレン。これで咲いている、ということでしょう。

Img_3517c_20210317174901  ところで、非常勤先から来年度の正式な依頼文書、学事日程、時間割が届きました。前期は4月8日から開講。全15回の授業+期末試験1回で、8月の第1週まで続きます。新型コロナウィルスの感染者数、三重県ではこのところ1桁台となっています。このまま落ち着いていればよいのですが、変異株に感染した方も県内で出ていますので、気になります。私の担当授業は、4月14日スタート。対面授業、大教室使用で、毎週水曜2限(10時半~12時)の予定。少しずつ準備を進めていますが、力を入れないといけません。グループに分けた演習を計画しているのですが、感染予防の観点からこれを実施してよいかどうか、一度確認しておいた方がよさそうです。

2021年3月16日 (火)

貝塚公園でソメイヨシノ開花

Img_2969c Img_2983c_20210316145301  終日ほぼ曇りで、最高気温も13.8℃。去年の今日、九華公園ではウグイスの初鳴きを聞けたのですが(2020年3月16日:九華公園のウグイスの鳴き声、コゲラも久しぶりに登場……天気は不安定で、藤原岳には雪【付記(3/17)あります】)、今年はまだ。しかしながら、今日は、貝塚公園で、ソメイヨシノの開花を確認できました。曇天で色がきれいに出なかったのが、何とも残念。

Img_2893c_20210316145301 Img_2902c_20210316145301  そのソメイヨシノ、九華公園では、昨日、蕾が膨らみ、ピンク色が見えてきたと書きましたが(2021年3月15日:シティ・ホールの薄墨桜は2分咲きくらい、九華公園のしだれ桜や、シモクレンが開花)、今日は、もう咲きそうになっていました。昨日も写真を撮った、本丸跡のブランコ・藤棚の西側のところで、です。これなら、明日行くと咲いているかも知れません。

Img_2663c_20210316145401  さて、今日も朝7時半から散歩を開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、NTNシティ・ホール、常磐町、京町、南魚町、三崎通、桑名七里の渡し公園と回って、6.7㎞。実は、九華公園内を歩いているとき、南の空にツバメが飛んでいるのが見えました(写真は撮れず)。そこで、昨年、ツバメの巣があった京町あたりと、三崎通とツバメが来ていないか、見てきたのです。ちなみに、去年、ツバメの初認は、3月18日でした(今日こそ「ひのとり」……ツバメを見て(今シーズン初見)、ジョウビタキ、ガングロになりかけたユリカモメ、モンシロチョウにそばに寄り添ってきたハシボソガラス)。此の時も見ただけで、写真は撮れていません。

Img_2670c_20210316145401 Img_2676c  昨日、きちんと見ませんでしたので、諸戸氏庭園前にあるマイソメイヨシノのチェックから、散歩開始。つい先日は、つぼみはまだ堅そうでしたが、かなり膨らんで来ていて、ピンク色が見えてきていました。ここも日当たりはかなりよいのです。

Img_2680c_20210316145401 Img_2686c_20210316145401  住吉入江には、キンクロハジロのメスが1羽、ヒドリガモのペアが2組。またヒドリガモが来ています。桑名七里の渡し公園には、ドバト多数の他、カワラヒワが数羽。

Img_2722c_20210316145401  住吉神社前から揖斐川の下流を見ると、今日もヒドリガモが38羽、堤防に上がって、休息中。38羽というと、昨日と同じ数ですが、これは偶然でしょう。

Img_2740c_20210316151201 Img_2763c_20210316145401  七里の渡し跡では、カワラヒワが、羽毛をくわえていました。巣の内側にこういう羽毛を敷くのです。ということは、このカワラヒワは、巣作りの最終段階と思われます。三の丸公園では2羽、三の丸水門でも1羽、ツグミ。三の丸公園ではジョウビタキのメスを一瞬見たものの、どこかへ飛び去ってしまいました。

Img_2774c_20210316145401 Img_2770c_20210316145401  九華公園の北門を入ったあたりや、相撲場付近は、今日も静かでした。奥平屋敷跡まで来たら、お約束通り、シロハラがいました。さらに、シメも登場。ただし、右のシメの写真は、花菖蒲園の金網越しに撮ったもの。

Img_2804c_20210316145401  そして、オスのジョウビタキが登場。このジョウビタキ、我々のすぐ近くにも降りて来ます。今日は、そっと近寄ったら、5m以内にまで近寄れました。ひょっとすると、餌付けできるかも知れないとさえ思えます。

Img_2783c_20210316145401 Img_2779c_20210316145401  また、もういなくなったと思っていたのですが、イカルも1羽やってきました。どうもシメと揉めていたようです。シメとバトルというか、互いに牽制し合っているように見えました。他には、ハクセキレイのオスが1羽。

Img_2843c_20210316145301 Img_2852c_20210316145301  昨日、奥平屋敷跡にある鳥小屋で、ヒナが巣立つかと思って見ていたのですが、今日に持ち越していました。今日も、かなり身を乗り出していて、今か、今かと他の野鳥を見ながら、こちらにも注意していたのですが、結局、今日の9時までの間には、巣立ちはありませんでした。

Img_2830c_20210316145301  そうそう、奥平屋敷跡では、シロハラとツグミが接近遭遇していました。この両者、近づくとよくいさかっていますので、あまり仲がよろしくない印象があったのですが、今日は、ちょっとにらみ合っただけでオシマイ。

Img_2958c_20210316145301 Img_2857c_20210316145301 カモ、今日は42羽。ヒドリガモが2ペア、ホシハジロのオスが2羽、ハシビロガモのオスが2羽、メスが1羽。他は、キンクロハジロです。なお、右の写真にあるように、このところ、ミドリガメたちも甲羅干しに出て来ています。

Img_2942c_20210316145301  野球場の南にあるしだれ桜は、さらに咲いた花が増えていました。カメラを向けていたら、散歩をしていた高齢のご夫婦が近くにいらっしゃり、「何をしてみえるかと思ったら、しだれ桜が咲いているんですね。教えていただいてよかった」と感謝されました(微笑)。教えて差し上げたわけではありませんが、何が幸いするか、分かりません。

Img_3002c_20210316145301  貝塚公園では、シロハラ(左の写真)Img_3010c とカワラヒワ。モズもいて、追いかけたのですが、見失ってしまいました。新築公園では、ツグミが2羽。

Img_3021c  このあと、初めに書いたように、ツバメが来ていないかパトロールしてきたのですが、去年、巣があったあたりでは見られませんでした。去年、ツバメを初めて撮影したのは、3月22日でした(2020年3月22日:相談会に出かけた名古屋は人が少なくてビックリ……帰りにツバメの証拠写真)。写真は、NTNシティ・ホールの薄墨桜。今日も見て来ました(微笑)。

2021年3月15日 (月)

シティ・ホールの薄墨桜は2分咲きくらい、九華公園のしだれ桜や、シモクレンが開花

Img_2659c_20210315161101  風はそれなりに強いものの、気温は17.7℃にまで上がって、暖かくなりました。今日もいつものように散歩に出たのですが、鳥見というよりは花見に近い散歩でした(微笑)。ソメイヨシノの開花が近いというニュースが盛んに聞かれますが、さもありなん。7時半から歩き始め、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、NTNシティ・ホール、常磐町、常信寺、寺町商店街と6.2㎞。11時前に帰宅。

Img_2333c_20210315161201 Img_2338c_20210315161201  まずは、花見の方から。九華公園の野球場の南にちょっとしたしだれ桜の並木があります。老木が多いのですが、毎年、ソメイヨシノの開花に先立って、花が咲き始めます。数本の木で、数輪ずつ咲いていましたので、「開花」を宣言します。散歩友達も、管理人Kさんも、「しだれ桜が咲きましたね」とおっしゃるので、勝手に行った開花宣言ではありません(笑)。

Img_2399c_20210315161201  九華公園のソメイヨシノのつぼみも膨らんで来ています。いつももっとも早く咲くのが、本丸跡の藤棚&ブランコの西のあたりの桜。蕾がよく膨らんでいるところでは、この写真のように、ピンク色が見えてきました。これは、花びらの色が見えてきているのだそうです。

Img_2534c_20210315161201 Img_2526c_20210315161201  NTNシティ・ホールには、これまた毎年見に行っていますが、「薄墨桜二世」があります。岐阜の根尾谷にある有名な薄墨桜から分けられたもの。近年、ちょっと樹勢が衰え気味ではあるものの、毎年、ソメイヨシノに先立つこと1週間ほどで開花します。今年は、ウッカリしていて出遅れました(苦笑)。ご覧のように、数日前に咲き始めたような感じで2分咲きくらいでしょうか。ときどき見上げていく方がありました。

Img_2611c_20210315161101  一方、寺町商店街の河津桜、今年もしっかりと楽しませてもらいましたが、かなり葉桜が目立ってきました。メジロやスズメ、ヒヨドリも蜜を吸いに来てはいましたが、盛りの頃に比べると、その数は少ない感じ。

Img_2515c_20210315161201  紺屋町のあるお宅で咲いていた白い花。花びらが大きく開いていたので、これはコブシだと思ったのですが、帰宅してパソコンでよく見たら、花びら(に見えるもの)が9枚。残念、ハクモクレンでした(苦笑)(こちらを参照しました)。

Img_2627c_20210315161101  我が家近くの住吉入江沿いにあるお宅では、シモクレンが、これはまだ咲いたとはいいがたいのですが、まさに咲きそうとしていました。

Img_2107c_20210315161301  さて、鳥見の方。諸戸氏庭園は相変わらず静か。桑名七里の渡し公園には、メジロ、ハシボソガラス、ツグミ。住吉入江には、オオバンが1羽と、ヒドリガモが1ペア。住吉水門外側、下流側の堤防には、ヒドリガモが38羽、集まっていました。帰り支度だと思っているのですが、一度、揃って飛び立って行くところを見送ってみたいもの。ずっと待っていれば、そういうところが見られるのでしょうが、九華公園その他で鳥見がしたい気持ちが勝ってしまいます。

Img_2133c_20210315161301  船津屋さんの裏手で、ホオジロのオス。囀っていました。ホオジロは、住吉神社から三の丸水門近くで、時折見かけますが、オスを見ることがほとんど。メスはあまり見ないのですが、ここで相手が得られるのでしょうか。揖斐川には、今日は水鳥は見えません。七里の渡し跡では、オオバンが1羽。今日は、シジミ取りの船が入ってきていましたので、コガモ、ヒドリガモは来ません。

Img_2152c_20210315161301 Img_2162c_20210315161301  三の丸公園では、ジョウビタキのメス1羽のみ(左の写真)。ツグミも、スズメも、ムクドリもいません。三の丸水門のところでは、ヒバリのオス1羽(右の写真)。ツグミも1羽いました。ここまで、鳥見の成果はビミョー(苦笑)。柿安コミュニティーパークではツグミ1羽、スズメ、ムクドリ。

Img_2314c_20210315161201 Img_2435c_20210315161201  九華公園では、北門や相撲場の付近には鳥はいません。九華橋のところなどで、カモが合計45羽。ハシビロガモは、オス1羽にメス2羽。ヒドリガモは2ペア、ホシハジロのオスが2羽と、他はキンクロハジロ。

Img_2205c_20210315161301 Img_2285c_20210315161301  奥平屋敷跡でいつものように小1時間、鳥見。ジョウビタキのオスが姿を現しました。シロハラは、必ず登場します。

Img_2263c_20210315161301  他には、ハクセキレイ1羽。ドバト、カワラヒワもやってきたものの、今日はシメは現れません。巣作りをしていたハシボソガラスの姿も見えません。

Img_2213c_20210315161301 Img_2270c  奥平屋敷跡には鳥小屋があり、セキセイインコが19羽飼われていることは、昨年末などに何度か書きました。管理人さんからの最新情報では、4つの巣箱に合計7羽のヒナがいるということです。今日は、そのうち1つから、2羽が顔を出しているのが見えました。まだ親から餌を口移しでもらっていますが、そろそろ巣立つかと期待しています。

Img_2411c_20210315161201 Img_2447c_20210315161201  このあと、本丸跡、鎮国守国神社、再び、北門から相撲場と回ったものの、カワラヒワ、スズメ、ドバトなどくらい。本丸跡にある神戸櫓跡近くに戻って来たら、ジョウビタキのオスが登場(左の写真)。さらに、外周遊歩道を歩いて、二の丸橋のたもとに来たら、ここでもジョウビタキのオス(右の写真)。ジョウビタキのオス、今日は3回見たのですが、さて、実数は何羽?

Img_2474c Img_2491c_20210315161201  貝塚公園には9時半到着。ツグミを合計3羽。モズを一瞬見たものの、逃げられ、また、シロハラの鳴き声が聞こえていたのに、散歩の人が近づいて、逃げられ、でした。公園内を一回りして、知人と話していたら、ジョウビタキのメスがやって来ました。ちょっと遠かったのですが、一応、写真は撮れました(右の写真)。他には、カワラヒワ、メジロ、ムクドリなど。このあと立ち寄った内堀公園では、カワラヒワとスズメ。

Img_2329c Img_2499c  3月も半ばとなって、しだれ桜や薄墨桜が咲き始めました。九華公園のソメイヨシノも、早いところでは、今週中には咲くような気がします。諸戸氏庭園前にある「マイソメイヨシノ」は、まだつぼみが堅く、もう少し先のようです(2020年4月9日:スズメの「犯行現場」を押さえました(微笑)に去年のマイソメイヨシノの花の様子があります)。私の感覚では、もうすっかり春です(微笑)。そろそろ、ツバメもやって来ているはず。まだ、姿は見ていませんが、楽しみです。しかし、春になると、冬鳥たちは帰って行ってしまいます。まぁ、何ごとも順番というか、巡っていくというか。自分で折々の楽しみを見つけるなり、つくるなりであります。

2021年3月14日 (日)

20210314勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(下深谷~多度)」(完)

Img_1583c_20210314164401  2月27日に、“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び」と題して、桑名市川口町から下深谷まで美濃街道を歩きました(2021年2月27日:20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。このルートは、去年3月1日に歩いたところ(20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編))をもう一度という企画でした。今日は、その続きということで、下深谷から多度までを歩いてきました。同じところを去年も3月6日に歩いています(20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(予告編))。新型コロナウィルス感染症が流行し始め、鉄道会社のハイキング/ウォーキングが軒並み中止となりましたので、「勝手にハイキング」シリーズとして考えたものでした。今回も同級生K氏と二人旅。冒頭の写真は、拙宅玄関先からのいつもの写真。奥に見えている多度山の麓まで行ってきたという次第。今日は風は強かったものの、よく晴れて暖かく、ハイキング日和でした。

7fd3c9a0  こちらが今回のルート。去年3月6日と同じですが、今年2月27日に見残した下深谷の安養寺と、昨年、道を間違えて見られなかった多度・戸津の西田家住宅を見てきた点が異なります。養老鉄道下深谷駅をスタートし、美濃街道をひたすら北上。途中、寺社仏閣、名所旧跡などを見ながら歩いて、7.9㎞。今回の記事は、1回完結の予定。詳細につきましては、上記の昨年の予告編の他、2020年3月8日の「20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その1)……下深谷駅をスタートし、深谷の町を進む」、3月10日の「20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その2)……いくつかの地蔵堂、ナマズの徳蓮寺、倭姫命ゆかりの野志里神社を経て、船着社へ」、3月11日の「20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その3)……戸津の町を歩き、戸津と小山の尾津神社2社にお参りし、多度駅にゴールにて「完」」をご覧ください。

Img_1591c_20210314164401 Img_1600c  養老鉄道桑名駅を8時45分に発車する大垣行きに乗車します。乗車した車両は、右の写真のように「センロク1600系」。元は近鉄名古屋線を走っていたそうです。下深谷までは2駅。¥260。

Img_1607c_20210314164401  下深谷駅には、8時51分着。前回は、ここがゴールでした。ゴールする前に、駅の東にある安養寺にお参りする予定でしたが、下深谷駅のところまで来たら、桑名行きの発車間際でしたので、そのまま電車に乗ってしまったのです。

Img_1628c Img_1612c_20210314164401  大寂堂安養寺は、真宗本願寺派のお寺。下深谷部にあった柳ヶ島(やながしま)城主・安藤左京亮季友が、長島一向一揆で戦死したのですが、その末の息子は近江に落ち延び、その後桑名に戻り、出家して了善となり、安土桃山時代(1580年代)に明寂庵を創建。4代目住職のとき、安養寺に改称しています。境内にあった「鬼瓦由来記」によれば、本堂は、江戸時代後期の1800年頃の建物(第6代住職安藤執網(しゅうこう)のとき)。写真をよく見ていただくと、太い金属棒で支えられているのが分かります。

Img_1649c  安養寺からいったん下深谷駅の方に戻り、駅の北の細い道を線路に沿って進むと、前回、美濃街道から離れた交差点に出ます。左の写真で中央に交差点が見えています。前回は、右手から来て、直進し、養老鉄道の踏切を渡って、深江神社、西林寺、飛鳥寺に向かったところ。今日は、ここを直進(北に向かう)。奥に、わずかに多度山が見えています。

Img_1650c_20210314164301  深谷小学校の手前、JA近くの東側に「和弘(わこう)地蔵堂」。昭和52(1977)年に、幼児の交通事故供養のためにつくられたものだそうです。

Img_1656c_20210314164301 Img_1659c_20210314164301  深谷小学校の北、スタートから800mあまりのところに、高野山真言宗のお寺、御砂山法光寺。由緒、詳細は不明。境内には、稲荷社が、本堂に接続するように建っています。法光寺の背後の丘には、室町時代に三砂城という城館がありました(玉井四郎左衛門)。

Img_1684c_20210314164301 Img_1690c_20210314164301  スタートから1.1㎞を超えたところで、小さな川を渡ります。これが三砂川。日本武尊が東国征伐に行く途中、御衣野(みぞの;桑名市多度町にある地名。草薙神社という日本武尊を祀る神社があります)で休憩したとき、その庭にこの里の五色の砂を奉ったといいます。この三砂川を越えた西側に地蔵堂。もう少し北にあったものが、明治初期にここに移ったといいます。お地蔵様は3体、薬師如来も祀られています。

Img_1714c_20210314164301 Img_1719c_20210314164301  森大明神社(もりだいみょうじんじゃ)。スタートから1.5㎞ほどのところ。勧請年月は不詳。主祭神は、天日方奇日方命(あめのひがたくしびがたのみこと:事代主神(ことしろぬしのかみ)の子)。相殿神は、宇迦之御魂命品田和気命大山津見神天照大神。ここは、かつて堺城があった丘陵の中腹で、北伊勢小島大森大明神といったといいます。ここも、室町時代に城館がありました(片岡掃部頭または深谷監物)。長島願証寺の配下にあり、天正元(1573)年に落城しています。

Img_1728c_20210314164301 Img_1731c_20210314172601  養老鉄道の踏切を越えたすぐのところに2基一対の常夜燈があります。この神社にお参りするには、養老鉄道の踏切を越えていかねばなりません。このあとの明光寺、徳蓮寺も同様。それぞれ専用踏切ともいうべき踏切があるのです。右の写真は、明光寺前の踏切。

Img_1735c_20210314164301 Img_1740c_20210314164301  その明光寺は、真宗大谷派のお寺。北畠氏が奥州の国司の時、北畠顕家が討たれ、その孫・顕道が奥州海老原に妙光寺を建立。北畠氏が伊勢に移ったとき、寺もここに移転し、寺号も改称しています。しかし、それ以上の詳細は分かりませんでした。山号も不明。

Img_1750c_20210314164301  このお寺の山門脇に「天牌奉安地」と刻まれた石碑があります。碑陰には、明治45(1912)年11月に建立されたと記されていました。昨年の記事にも書きましたが、「天牌(てんぱい)」は仏語で、「天子の宝祚ならびに聖寿無窮を奉祷するため、仏本尊前に安置する位牌」。「天子」は、一国の帝王、日本では天皇。「宝祚(ほうそ)」は天皇の位。「聖寿(せいじゅ)」は天子の寿命で、「無窮(むきゅう)」は果てしないこと。明治45年は、7月に明治天皇が崩御されました。大正天皇が即位なさったのですが、わざわざ「明治45年11月」とあるのは、明治天皇に捧げたものなのでしょう。建立者や、位牌を安置したのが誰かなどは書かれていませんでした。境内には、他に、「南無阿弥陀佛」の六字を刻んだ石碑も建っていました。

Img_1759c  明光寺を出てさらに進みます。街道の東西には遺跡もありますが、整備はされていないようですから、立ち寄らず。上深谷部と多度町下野代の境あたりに地蔵堂があります。地蔵堂ですが、阿弥陀立像が祀られています。江戸時代のもの(御堂は、昭和61(1986)年に建立)。阿弥陀立像は、上品下生(じょうぼんげしょう)の印を結び、舟形光背をもった石仏です。仏教における九等級の品位を表すことばに「九品(くほん)」があります。上品下生は、その一つ。

Img_1769c_20210314164301  下野代駅の近く、スタートから2.7㎞ほどのところにも地蔵堂があります。この地蔵堂は、明治4(1871)年に建てられたもの。お地蔵様は、僧形で左手には宝珠、右手には錫杖を持っておられます。蓮台の下の基台には「三界萬霊」と刻まれています。三界萬霊とは、「三つの世界(無色界(むしきかい:心だけが生きている世界)、色界(しきかい:形質だけの世界)、欲界(よくかい:物質欲の世界))、すべての精霊に対して供養することの大切さを示す」こと。

Img_1778c_20210314164301  この地蔵堂に向かって左手に小径があり、それを辿っていくと、養老鉄道線を越えたところに岩井戸、大淀の松株跡を示す石柱、石仏、弘法大師の石像があります。この岩井戸のあたりから扇状地帯の地形、地質の特徴が現れ始め、岐阜県に入ると、壮大な扇状地形を示すことになるのだそうです。石仏は、左の写真で向かって左にあります。板碑(いたび)型に薄肉彫りの石仏。その隣が、弘法大師の石像。向かって右(北側)に建っているのが、「大淀の松株跡」の石柱。岩井戸のそばに巨大な松があったという伝説が消えるのを惜しんだ村人によって明治31(1898)年に建てられたもの。詳細は、昨年の記事をご覧ください。

Img_1784c_20210314164301 Img_1834c_20210314164301  このすぐ北に、無畏野山徳蓮寺真言宗東寺派のお寺。先にも書きましたが、このあたりのお寺、神社は、美濃街道からは養老鉄道の踏切を渡らないと行けないところがたくさんあります。さらに、丘陵の中腹やその上に建っていることも多いのです。徳蓮寺も、右のような階段を登っていかねばなりません。

F106e207  ここは、弘仁11(820)年、弘法大師によって建立されました。ご本尊は弘法大師がつくった虚空蔵菩薩像で、これは7年に一度開帳されます。ちなみに虚空蔵菩薩は、知恵を授けて下さいます。このImg_1805c_20210314164301 寺には、200枚を超えるナマズなどの珍しい絵馬も奉納されています。これは、この寺が明応7(1499)年と、天正13(1586)年の2回の地震で破壊されたのですが、行方不明になったご本尊が、土中からナマズとウナギに守られた状態で見つかったことに由来します。ナマズつながりで、秋篠宮殿下も平成17(2005)年にここを訪ねていらっしゃいます。このお寺は、地元自治会の方が管理していらっしゃいます。今日はたまたま、自治会長さんともうお一方が作業をしていらっしゃったので、ご親切にも本堂を開けて、拝観させていただけました。私は、近鉄ハイキングで訪ねたとき見ています(2018年5月21日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その4)……徳蓮寺他のお寺を回って、雨尾山飛鳥寺を経て、下深谷駅へゴール(完))。詳細はリンク先をご覧ください。同級生K氏は、大変感激していました(微笑)。

Img_1827c_20210314184601  徳蓮寺では珍しいものを見つけました。墓地に女性が着物を着た座像があったのです。過去2回行ったときには、気づきませんでした。いったい何なのかは、不明。調べる手がかりがあるのかどうかも、よく分かりませんが、記録の意味で載せておきます。もし、何かお分かりの方がいらっしゃれば、是非ともご教示をお願いしたいと思います。

Img_1843c_20210314164301 Img_1839c_20210314164301  野志里神社の手前で踏切から回って、無量山延柳寺。真宗本願寺派のお寺です。天正2(1574)年、比叡山から阿弥陀仏を本尊として授与されましたが、後に真宗に改宗しています。昔は、野志里神社の東にあったのですが、江戸時代に現在地に移転しています。ちなみに、延柳寺近くには、頌徳碑、道標がありますが、今日の記事では割愛します。

Img_1858c_20210314164301 Img_1852c_20210314164301  続いて、野志里(のじり)神社。式内社。垂仁天皇の御代の創祀といわれます。倭姫命が天照大神を奉じて、ここ桑名郡野代 宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたと伝わるところです。倭姫命は、その後伊勢に遷幸され、その野代宮の跡に本社が創祀されたといいます。主祭神は、天照大神。相殿神は、建御雷神天児屋根命経津主神ほか。境内には、「千人塚」や、「伊勢神宮御旧蹟野代之宮」という石碑などがあります。千人塚は、長島一向一揆の時、法泉寺の空明が、農民たちと力を合わせて織田信長の軍と肱江川を挟んで戦っています。生き残った空明が戦死者の首を集めて篤く葬ったのが、この千人塚です。その後、関ヶ原の戦に負けた西軍の兵士の霊も慰めたといいます。さらに、一説によると、関ヶ原の戦いの時に、薩摩藩兵が多数、ここ美濃街道を通ったため、境内が東西に二分されたそうです(当時、美濃街道は、神社の東側を通っていたといわれます)。

Img_1862c_20210314185501  Img_1874c_20210314164201 スタートから4.3㎞あたりで肱江川に行き当たり、肱江橋を渡ります。多度町肱江を通り、戸津へと進んでいきます。このあたりまで来ると、多度山が間近になります。肱江橋を渡ると、肱江川の堤防から階段で降りて、水田の中を通ります。美濃街道は、一部途切れてしまっていて、迂回。本来の美濃街道に戻る手前に菜の花の群生。去年はもっと見事でした。

Img_1896c_20210314164201 Img_1899c_20210314164201  5.3㎞地点のすぐ西に船着社があります。多度神社別宮の一目連大神が、度会郡山田郷よりの帰りに舟で当社附近に着かれたので舟着社と云うと伝えられています(こちら)。主祭神は、表筒男神、中筒男神、底筒男神(以上は、いわゆる住吉三神)、大山津見神火之迦具土神。相殿神は、天津日子根命気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと;祓戸大神(はらえどのおおかみ)の一神。払戸大神とは、神道において祓を司どる神で、祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神)。。また、この近辺は尾津浜、尾津崎等の小字のとおり、木曽三川の川岸であったため附近の人々が氏神として舟着社の社名で海神を奉斎したとも伝えられているそうです。今は、揖斐川まで2.5㎞ほどあります。

Img_1920c_20210314164201 Img_1929c  船着社の先でスタートから6㎞ほど。県道26号線の下をくぐって桑名市多度町戸津に入ります。去年の勝手にハイキングでは、この戸津に入ってから、道を間違えました。「街道」というと、東海道、伊勢街道などを思い浮かべ、もっと道幅が広いイメージがあったのがよくなかったのでしょう。戸津あたりの街道は、これらの写真のような感じで、とても街道とは思えない細い道があります。

Img_1935c_20210314164201  西田家住宅。戸津村の庄屋を代々世襲されたお宅です。長屋門と塀を見るのは、去年からの念願でしたが、2年越しに実現。明治生まれの第11代当主・喜兵衛は、宝暦治水(宝暦4~5(1734~35)年の顕彰に生涯を捧げ、「宝暦治水之碑」建立に尽力しました。宝暦治水の当時の西田家当主は、桑名藩松平家の領分桑名郡北部地方の代官職であったことから、工事に深い関心を寄せ、自ら進んで住居を薩摩藩士の宿所に提供するなど、治水工事にも参与し、助言していたそうです(こちらを参照)。

Img_1959c_20210314164201 Img_1965c_20210314164201  西田家住宅を見てからは、まずは多度川まで。美濃街道はさらに続き、岐阜県境までは、1㎞あまり。岐阜県(美濃国)に入ると、伊勢街道と呼ばれていたようです。多度町内の美濃街道は調べが付いていますが、その先が確認中。K氏とは、美濃国に入って、大垣まで行くと、道中さらにいろいろあるなという話をしています。

Img_1970c_20210314164201 多度川から戻って東へ。尾津神社に向かいます。尾津神社は、実は、3社あります。戸津、小山、御衣野の3箇所です。これは、戸津の尾津神社。尾津というところは、倭建命が東国遠征の時、尾津崎に立ち寄り、松の木の下で食事をされ、松の木に太刀をかけて置き忘れて立ち去られたといいます。東国遠征を終えての帰途、ここに立ち寄ったところ、松の木にかけた剣が、そのままであったのを見て、感激のあまり歌を詠んだと伝わっています。その和歌は、古事記にある「尾張に直に向える 尾津前なる一つ松吾兄を 一つ松人に在りせば 太刀佩けましを衣着せましを 一つ松吾兄を」です。なお、尾津崎で休んだとき、もう一振の太刀を持って居られ、それが伊勢神宮で伯母倭比売命から与えられた剣である草薙剣(現在、名古屋の熱田神宮に祀られています)。

Img_1989c_20210314164201 Img_1992c_20210314164201  延喜式内社。戸津区の氏神様。御祭神は倭建命稚武彦命(わかたけひこのみこと:第7代孝霊天皇皇子で、吉備臣(吉備氏)の遠祖)、足鏡別命(アシカガミワケノミコト:倭建命の子)、品陀和気之命(応神天皇)宇賀魂神天照大神。倭建命の歌碑があるというのですが、去年は見忘れ。稲荷社に行く途中にある石碑2基のうち、向かって右(右の写真)のものではないかと思います。向かって左は頌徳碑でした。文字ははっきり読み取れませんが、境内をあちこち見て回った結果、こういう結論。他にも句碑などがありますが、それらについては去年の記事をご覧ください。

Img_2011c Img_2014c  こちらは、小山の尾津神社。戸津の尾津神社から300mほど西に行ったところにあります。主祭神は、倭建命と足鏡別命。相殿神は、大山津見神のほかに、不詳のご祭神。こちらも延喜式内社と称し、戸津の尾津神社と同様に、倭建命の伝説の地とされています。小山の尾津神社の境内には、西南戦争で亡くなった方を顕彰する石碑があります。「紀念碑」と題され、小山に在住の小林源三郎という方が、徴兵され、明治以降、旧多度村で最初の戦没者となったことが記されています。これについても、去年の記事をご覧ください。これで、今日の目的地は、コンプリート。養老鉄道多度駅に向かいます。

Img_2037c_20210314164201  養老鉄道多度駅には、12時45分頃到着。下深谷駅を出て、7.9㎞。小山の尾津神社を出て多度駅に向かっている途中、桑名行きの電車が通って行くのが見えました。これは12時42分発。逆立ちしても乗れません(苦笑)。次は、13時22分発。まぁ、急ぐわけではありませんので、待合室で待機。

Img_2048c_20210314164201 Img_2041c_20210314164201  13時22分発を待って、乗車。D21編成というそうです(こちらを参照)。平成4年に、当時の近鉄養老線に導入された車両で、養老線初の冷房電車だったようです。桑名までは¥310、13時38分着。今日は、途中、徳蓮寺で30分ほど休憩したのですが、下深谷駅からは3時間50分をかけて歩いてきたのに、桑名まで16分で着いてしまうとは(爆)。

Img_2059c_20210314164201  いつものように、桑名駅近辺で食事をして帰ろうということにしたのですが、危うく、昼食難民になりそうでした(苦笑)。駅前、飲み屋さんは多いのですが、ランチ営業をしているところは少なく、営業していても、ランチは14時まで、13時半にオーダーストップというところが多いのです。マンションが林立しているのですが、商業ビルを誘致して欲しかったと思います。その意味で、桑栄メイトは貴重でした。結局、サンファーレにあるなないろ珈琲へ。ごくたまにやって来ます。といっても一人ではなく、友人来訪、来客、面談などのとき。

1615698442240c Dsc_0069c  チョイスは、牛すじカレーランチ。サラダ、ドリンク付きで¥980。ここは、珈琲はもちろん、紅茶も美味しいお店。食べ物は、カレー、サンドイッチなどがあります。以前、カレーを食べて美味しかったので、今日もカレー。牛すじを煮込んであり、絶品。これが¥980とは、値打ち。ちなみに、このお店で初体験がありました。それは、右の写真。透明アクリル板製のパーティション(というのでしょうか?)。GoToEatに参加する飲食店では、守るべき感染症対策の1つになっているようです。

Img_2068c_20210314164201  本日の歩数は、こちら。いつものスマホのアプリ「ALKOO」で、20,970歩。現地で歩いたのが7.9㎞、桑名駅往復が2.5㎞(ランチを求めて歩き回りましたので、若干多い)、合計10.3㎞。よく歩きました。ということで、今日の勝手にハイキングは、去年も歩いたコースですので、1回完結。長くなりましたが、ご容赦あれ m(_ _)m

Img_2031c_20210315064101 【書き忘れたことを付記(3/15)】 下深谷あたりでは、美濃街道の西の丘の藪から、何ヶ所かでウグイスのさえずりが聞かれました。今シーズン初めてでした。ただし、まだまだ練習が必要な鳴き方です。また、街道沿いではあちこちでさまざまな花が楽しめました。梅、サンシュユ、菜の花、ハクモクレン、シモクレン、などなど。写真は、その一つ、レンギョウと思います。

2021年3月13日 (土)

雨の止み間に6.9㎞……ツグミばかりなり

0313weatherImg_1581c_20210313151601  昨日から荒れ模様の天気になっています。15時の時点での24時間雨量は、68.5mm。朝から3m/sほどの風でしたが、昼前から風はさらに強く、最大風速は7.4m/s。7時頃には雨はいったん上がりましたので、8時から散歩に出ました。途中、九華公園で少し降られたものの、散歩中は雨は大丈夫でした。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、常磐町、老松公園、八間通、堤原、参宮通と回り、スーパーバローに立ち寄って帰宅。帰宅直前、また雨が降ってきたという次第。歩いたのは、6.9㎞。

Img_1356c_20210313151601  こんな天気ですので、野鳥はあまりいません(苦笑)。それでも散歩には出たいと思うのです。住吉入江にはオオバンと、キンクロハジロのオスが1羽ずつ。桑名七里の渡し公園では、カワラヒワ。揖斐川にはカンムリカイツブリが1羽。さすがに歩いている人は少ない(笑)。写真は、住吉神社の前から見た多度山。

Img_1361c_20210313151601 Img_1368c  七里の渡し跡。ヒドリガモが50羽、集まっていました。皆、堀に浮かんでいます。春先によく見かける光景ですから、「春の風物詩」と呼んでもよいかも知れません。写真には写っていませんが、他には、オオバンとコガモのオスが1羽ずつ。コガモは上陸して休んでいました。

Img_1385c_20210313151601 Img_1393c  三の丸公園には1羽、三の丸水門あたりには2羽、ツグミがいましたが、スズメやムクドリはほとんどいません。写真は、水門のすぐ上流にいたツグミ。水門からかなり下流の高水敷には、ヒドリガモが28羽集まっていました。こちらも旅立ちの準備でしょう。

Img_1398c_20210313151601  柿安コミュニティパーク西の堀には、コガモが3羽上陸。さらに、キンクロハジロのメスが3羽。コミュニティパークでは、今日、「みんなで公園」というイベントが計画されていたはずですが、この天候では延期になったような気がします。ここにいた鳥は、ハクセキレイ2羽のみ。

Img_1418c_20210313151601  九華公園も静かでした。北門から相撲場あたりには、カワラヒワがいたのと、鎮国守国神社の社務所裏からウグイスの地鳴きが聞こえたくらい。カモは今日は、35羽。ハシビロガモは、オス・メス1羽ずつ、ホシハジロのオスは2羽、ヒドリガモは1ペア。残りはキンクロハジロ。

Img_1449c_20210313151601 Img_1459c_20210313151601  奥平屋敷跡にも鳥はあまりいません。シロハラ(左の写真)と、シメ(写真は撮れず)、そして、ハクセキレイが花菖蒲園のところで、何かイモ虫のようなものを捕まえていました(写真注意)。

Img_1486c_20210313151601  二の丸跡にはカワラヒワ、朝日丸跡では、カワラヒワとツグミ(左の写真)。歩く人もほとんどなく、今日出会った知り合いは、お二人のみ。鳥もおらず、知り合いもおらずで、散歩が進むこと(苦笑)。

Img_1501c_20210313151601 Img_1533c  貝塚公園に着いたのも、いつもより30分遅く出たのに、30分早い! 貝塚公園でも、ツグミが目立ちました。見かけたのは、合計3羽。シロハラは、いつものように西側のエリアにて。

Img_1546c Img_1558c_20210313155101  そして、先日も見ましたが、ジョウビタキのメスが登場。内堀公園へ行く途中。公園の外から見つけ、追いかけました。内堀公園でも、ツグミ。今日は、「ツグミ・デー」です。老松公園でもツグミでしたから。

Img_1575c_20210313155601  京町からは散歩の経路を変えてみました。寺町は、今日は三八市開催中でしたが、パス。バローで100均ショップに立ち寄るつもりだったのです。バローは、もちろん、我が家のすぐ北。今日の冒頭2枚目の写真にも写っています(微笑)。

Img_1573c_20210313155901 Img_1562c_20210313160301  オマケは、ホトケノザ。いつもならもう諸戸氏庭園前の桜並木の根元に咲く頃なのですが、今年は今のところ見当たらないのです。散歩途中で探していたのですが、参宮通にあるお宅の庭で発見。ホトケノザという名前は、葉の形が仏様の台座(蓮座)のように見えるからです。そのお隣では、見事なユキヤナギ。

Img_1565c  こちらは、アジサイ。あちこちで見ていますが、どれも青々とした葉っぱが出てきています。

2021年3月12日 (金)

九華公園では珍しいコガモ……シメ・デーも開催、カワセミも登場

Img_0788c_20210312165901  午前中は曇り、午後は14時くらいから雨が降り始めました。15時台以降はけっこうよく降ってきました。午前中はいつも通り、散歩。ゆうパックが来るかと思って待っていたのですが、来ませんでしたので、8時20分からの散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、外堀、吉津屋町、京町、寺町と6.5㎞。2時間半くらい。午後からは、点検に出していたクルマの受け取りにいったのですが、雨で、国道1号線が大渋滞。いつもなら15分で行けるのに、倍くらいの時間がかかりました。

Img_0956c_20210312165901  今日は、九華公園でカワセミ嬢。奥平屋敷跡の東側を歩いていたら、石垣のところにいたようで、二の丸跡に飛んだのです。左の写真は、その二の丸跡にて。3月3日以来のカワセミ確認です(春日神社で「金龍桜」の若木、立教小学校で「打毬戯」を見る)。天気がよければもう少し色がきれいに出たのに、という気がします。

Img_1083c_20210312170001Img_1088c_20210312170001  さらに、九華公園でコガモ。コガモ自体は、もちろん珍しい鳥ではありません。大山田川、三ツ又池公園、七里の渡し跡などでよく見ます。しかし、九華公園でコガモを見たということが、珍しいのです。ペアで、鎮国守国神社の社務所裏の堀にいました。以前にも九華公園で見たかどうか、記憶にない気がします(要確認ですが……)。

Img_0792c Img_0804c  さて、散歩の初めに話を戻して。諸戸氏庭園は静か(このところ、ずっと)。桑名七里の渡し公園では、ハクセキレイ(左の写真)、カワラヒワ、ハシボソガラス、スズメと賑やか。ここの公園には、先だって拡張されたエリアにユキヤナギが植えられ、最近、花が咲き始めました(右の写真)。例年なら、もう少し遅くに咲くのではないかという気がします(図鑑では、開花は4月とあります)。

Img_0808c_20210312165901 Img_0821c_20210312165901  住吉入江には、オオバンが1羽のみ。最近、ここではカモを見なくなりました。住吉神社の前から揖斐川の下流を見たところ、ヒドリガモがたくさん集まっていました。その数、40羽あまり。ごく一部に、コガモが混じっているのが見えました。ヒドリガモの一部、10羽ほどが飛び立ったので、「北の国へ帰るのか?!」と一瞬、色めきだったのですが、グルッと回ってもといたあたりに着水。肩すかしを食らいました。

Img_0845c Img_0834c  三の丸公園で、珍しくシメ。西側のソメイヨシノの木のてっぺんから鳴き声が聞こえてきたのです。写真は、証拠写真(苦笑)。他には、ツグミが2羽。今日は、ジョウビタキのメスはいません。今日は、曇天ですから、写真のピントも甘く、色も出ません。

Img_0906c_20210312165901 Img_0880c_20210312165901  三の丸水門の下流側で、今日も、ヒバリ。水門の周りにも、ツグミがいます。柿安コミュニティパークでは、今日は、グラウンド・ゴルフが行われていて、鳥はいません。

Img_0918c_20210312165901  九華公園には8時42分着。鎮国守国神社からはシメの鳴きImg_0912c 声が、相撲場あたりではツグミの鳴き声が、それぞれ聞こえましたが、姿は見えず。三の丸水門のところで出遭った散歩&鳥見友達のYさんが、「ゴイサギとイカルがいた」とおっしゃったのですが、どちらも見当たらず。イカルは、これで1週間続けていたことになります。ゴイサギは、2ヶ月ぶりくらい。カモは、合計41羽。ハシビロガモが4羽、ホシハジロのオスが2羽、ヒドリガモが2ペア。他はキンクロハジロ。ヒドリガモが来たり、来なかったりです。

Img_0932c_20210312165901 Img_1043c_20210312165901  奥平屋敷跡には、まずはツグミ1羽。シロハラもいたものの、遠くてピンぼけ写真しか撮れず。シメ、今日はここに2羽がいました。西側の樹上と、北東側では地面にも降りて来ました。他にはカワラヒワとドバト。ジョウビタキや、ハシボソガラスは見られず。

Img_1059c_20210312165901  二の丸跡でもツグミを見たものの、写真は撮れず。朝日丸跡で、またもやシメ。今日は、これで延べ4羽目。奥平屋敷跡などから移動してきたかも知れません。ツツジの植え込みでは、ウグイスの地鳴き。しかし、探しても姿は見えません。

Img_1151c_20210312170001Img_1183c_20210312170001  貝塚公園では、ツグミのほかにジョウビタキのメス。ここでジョウビタキを見るのは、珍しい。内堀公園でもツグミ(右の写真)。

Img_1215c_20210312170001  吉津屋町の吉津屋堀沿いでも、ジョウビタキのオス。このあたりでも、ジョウビタキはほとんど見かけません。普段見ないところでジョウビタキを見るということは、そろそろ帰り支度か、という気がしてしまいます。

Img_1239c_20210312170001Img_1292c_20210312170001  寺町商店街では、「河津桜にヒヨドリ」と、「河津桜にメジロ」。スズメもいたので、花を折り取るシーンを撮ろうと狙ったものの、決定的瞬間は撮れず、残念。これらの写真でもお分かりのように、河津桜は、一部が葉桜になってきています。

Img_1230c_20210312170001 Img_1125c_20210312170001  そろそろしだれ桜や、ソメイヨシノも咲こうかという時期ですから、河津桜は選手交代(左の写真)。九華公園のシダレザクラ、昨日の写真よりもクローズアップで撮ってみました(右の写真)。開花間近と思います。そういえば、これを書きながら思い出しました。NTNシティホールの薄墨桜も見てこないといけません。毎年、ソメイヨシノが咲くより数日早く咲き始めるのです(2020年3月19日:お彼岸で、御坊さんにお参り、2020年3月23日:散歩コースのあちこちでソメイヨシノが開花……春爛漫という感じ)。これは大変。あちこち見に行かなくてはならず、忙しい(爆)。

Img_1315c_20210312170001 Img_1072c  シモクレン。住吉入江沿いのお宅にあるもの。これも開花間近。花の話し続きで、鎮国守国神社の「乙女椿」、ずっといつ咲くか、いつ咲くかと期待して見ていたのです。今年は例年になく遅く、ようやく今日1輪、開花を確認。しかし、どういうわけか上を向いて咲いていました。去年は2月19日に咲いています(2020年2月19日:雨水の今日は暖かくて良い日……新型コロナウィルスをめぐっての余談)。

2021年3月11日 (木)

クルマの点検で、散歩は2段階に分けて

Img_0593c_20210311152301Img_0598c_20210311152301  16℃になり、風も弱く絶好の散歩日和ですが、今日は、9時に我が愛車・コペンの点検を予約していました。いつもお願いしている、川越町のKモータースさん。簡単に済むと思っていたのですが、エンジンオイル、オイルエレメント、ファンベルトその他のベルトの交換、また、エンジンからオイルがしみ出ているので、パッキン交換を勧められました。平成15年のクルマですから、手がかかるようになってきたということかも。点検が終わったら乗って帰って、散歩に行こうという目論見はもろくも崩れ、最短、夕方まで預けることになりました。代車を借りるという手もあったのですが、家内が買い物のついでに近くにあるカインズみえ川越インター店まで迎えに来てくれることになりました。

Img_0601c_20210311152301 Img_0606c_20210311152301  Kモータースさんからは、カインズまで1.2㎞ほど。ほぼ直線コース。そこで、ここでまずは、散歩の第1弾ということに(微苦笑)。朝明川の左岸堤防上にあるKモータースさんから、北へ堤防を降りて、右の写真のような細い通りを歩いて行きます。

Img_0609c Img_0617c  その先は、川越町役場や川越幼稚園(左の写真、中央)があるところを通り抜けるのですが、かなりの水田地帯。3箇所ほどで、揚げ雲雀が聞こえてくるという良好な環境です。暖かくなったので、ヒバリも多くが繁殖活動に入ったということ。野鳥は、種類のえり好みをしなければどこにもいますから、バードウォッチングはどこでも楽しめます(微笑)。

Img_0625c_20210311152301 Hokusei  直線で1㎞ほど歩くと、国道1号線北勢バイパスの南福崎第三交差点に出て来ます。ここは国道1号線北勢バイパスであり、その上は、伊勢湾岸道が通っています。昔とは、風景はまったく変わってしまっています。交差点の先200mほどでカインズに到着。スーパーサンシや、西松屋、ガソリンスタンドなどもありますが、散歩の第1弾はここまで。

Img_0629c_20210311152301 Img_0638c_20210311152301  その後、Trialみえ朝日店、クルクル工房などに寄った後、内堀公園近くでクルマを降りて、散歩の第2弾へ。この2枚は、立教小学校の体育館の西にある木。今まで何の木?、何の花?と思っていましたが、この花なら、ほぼ間違いなく梅だと思います。つぼみや花の付き方、花やしべの形などからの結論。こちらのサイトにある「桃、梅、桜の花の比較」も参考にしました。

Img_0642c_20210311152301 Img_0654c  立教小学校の裏手から九華公園へ。いつものコースでは、最近、ここはほとんど通りません。もう少し東にある二の丸橋のところから南へ入り、貝塚公園に向かいます。このあたり、九華公園の南西の端っこになります。11時を過ぎていましたから、もう鳥はほとんど出てこないと思ったのですが、二の丸橋の南のたもとで、ジョウビタキのオス。バラを作っておられるお宅のところ。

Img_0684c  野球場の南にあるしだれ桜の木々。枝の先がほのかにピンク色に染まっています。つぼみがかなり膨らんで来ていました。昨日までは気づかなかったのです。

Img_0693c Img_0650c_20210311152301  吉之丸堀には、カモ。今日は合計35羽。ホシハジロのオスが2羽、ハシビロガモが3羽とキンクロハジロ。ハシビロガモがさらに半減し、今日はヒドリガモがいませんでした。他には、カルガモとオオバンが1羽ずつ。

Img_0702c_20210311152301Img_0712c_20210311152301  朝日丸跡と二の丸跡では、それぞれツグミが1羽。写真は、二の丸跡で撮ったツグミ。奥平屋敷跡ではハクセキレイが1羽いただけ。さすがに他の野鳥はいません。スズメが花菖蒲園脇で群れて、エサ探し中。奥平屋敷跡で管理人Kさんと出遭いました。Kさんによれば、今日もイカルが数羽来ていたそうです。6日連続でイカル確認と思われます。

Img_0677c_20210311152301 Img_0725c_20210311152301  上天気につられてか、あちこちでカメが甲羅干し。左の写真は、野球場の南のところ。右の写真は、相撲場近く、鎮国守国神社の社務所の裏の堀にて。元アヒル小屋にあったスロープが甲羅干しに最適のスポットだったのですが、2年ほど前に壊れて以来、修復されていません。ここは、たくさんの亀が上がれたのですが、それがなくなって、他に甲羅干しができる場所はあまりないのです。

Img_0732c_20210311152301 Img_0733c  九華公園から、今日はいつもと逆コースを歩いています。三の丸水門まで来て、揖斐川を見たら、カンムリカイツブリがいました。すっかり夏羽になっています。カンムリカイツブリも北に帰る日が近づいています。連写したら、おもしろいシーンが写っていました。右の写真、カイツブリ、カモなどの水鳥が、潜る瞬間をよく捉えています。いったん伸び上がるように頭部を持ち上げ、このようなスタイルで頭から水に入って行くのです。

Img_0734c  そして、こちらが次の瞬間。このあとは、からだ本体が水に潜っていきます。七里の渡し跡では、メスのコガモが2羽。

Img_0754c_20210311152301  さらに、旅館山月の裏手にある高水敷のところで、揚げ雲雀。見ていたら、だんだんと降りて来ましたが、姿が見えなくなりましたので、歩き始めたところ、再び登場。オスのヒバリ。ここでも囀ったので、動画を撮ってみたものの、少し距離があったので、鳴き声はあまり明瞭には録音されていませんでした。残念。

Img_0781c_20210311152301Img_0775c_20210311160201  散歩の終わりに、住吉神社にお参りし、桑名七里の渡し公園を覗いて帰ってきました。お昼直前でしたので、さすがに歩いている人はほとんどありません。内堀公園から九華公園を経て、自宅までで歩いたのは、3.8㎞。今日は、合計5.0㎞のウォーキング。これを書いている間には、まだ、クルマの整備が終わったという連絡はありません。夕方までには終わると思うけど、ひょっとしたら明日になるかもといわれています。 

【ぬか喜びに終わった余談】 非常勤先から「令和3年3月分報酬」という「報酬支給明細書」が送られて来ました。「えっ!? 2月はもう授業もしていないけど……」「遠隔授業とかで大変だったから、臨時ボーナスでも出たか?」などと思ったら、明細書と項目だけが印字されただけのものでした(爆)。金額欄は、もちろん空欄。まさか、そんなボーナスが出るはずがありません。それにしても、無駄なことをと思えます(苦笑)。

【付記(3/11)】 夕方、18時過ぎに電話があり、クルマは、明日10時頃までお預けとなりました。Yahoo!の天気予報では、昼頃から雨とか。クルマを取りにに行けるのは午後から。朝一番は、散歩に行きたいところ。4月からの授業準備云々と書いていましたが……(爆)。

2021年3月10日 (水)

晴天なれど、野鳥少なし……イカルは5日連続確認

Img_0075c_20210310163101  朝からよく晴れました。北西の風は強いものの、気温は上がり、17.2℃。3月も早くも10日。焦ることは全くないのですが、4月からの授業準備がその後進んでいません。明日、明後日は天気がよくないというので、それに期待しましょう(苦笑)。今日も、いつものように、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、吉津屋町、老松公園、桑名別院、寺町と7.0㎞。けっこうよく歩きましたが、公園で鳥を追いかけたため。

Img_0089c_20210310163101  諸戸氏庭園ではキジバトとハシボソガラスの鳴き声がしていましたが、割と静か。桑名七里の渡し公園では、カワラヒワとスズメ。スズメたち、真冬の頃はあまり姿を見かけませんでしたが、暖かくなるにつれ、たくさん見るようになっています。案外遠くから移動してくるスズメもいると聞きます。

Img_0121c_20210310163101 Img_0124c_20210310163101  住吉入江には今日も、水鳥の姿はありません。住吉水門の外側、揖斐川にはヒドリガモが10羽。帰るために集合しているような気がします。

Img_0141c_20210310163101 Img_0149c  七里の渡し跡には、シジミ採りの漁船が入ってきていて、水鳥はいません。三の丸公園でゃ、ツグミ、ムクドリ、スズメ。今日は、ジョウビタキのメスは見当たりませんでした。柿安コミュニティパークまで来たら、堀の途中にある水門近くの木の上にイカルが6羽。まだいたのです。今日で5日連続の確認となりました。

Img_0196c Img_0199c_20210310163101  九華公園に着いたものの、やはり静か。天気がよいので、こういう日にこそ野鳥をたくさん見られるかと、勝手に期待したのですが、そうではありませんでした。相撲場近くにいたのは、ムクドリと、カワラヒワのみ。管理事務所近くにも何もいません。奥平屋敷跡まで来て、ようやくシロハラがいてくれました。いつものように、ここで待ったものの、なかなか鳥は現れず。ハクセキレイのペアが遅れて登場。

Img_0208c  さらに、カワラヒワも姿を見せたものの、たった1羽。今日は、シメも、ジョウビタキのオスもやって来ません。巣をつくっているハシボソガラスも、50分ほどの間でその姿を見たのは1~2回。ヒヨドリも1羽が来ただけ。どうやら今日は、あまり野鳥は出てこないようです。強風がよくないのかも知れません。

Img_0214c  奥平屋敷跡、こんな感じ。南東の隅にステージがあります。昔は、ここでイベントなどもありましたが、最近はほとんど使われていません。ステージに向かって、椅子が並んでいたのですが、2年ほど前でしたか、古くなったからということで撤去されました。これらは、ライオンズクラブが寄附したもので、「ライオンズ広場」という名前があるようです。向かって左手に見えているのが、セキセイインコの鳥小屋。ハシボソガラスが巣をつくっている松の木は、(写真の範囲外ですが)この右手にあります。

Img_0217c_20210310163101 Img_0221c_20210310163101  奥平屋敷跡のすぐ北、セキセイインコの鳥小屋の裏手は、花菖蒲園となっています。あまり手入れがされていないので、今年も花菖蒲は期待できないのかと思っていたのですが、今日、よくよく見たら、振るいきり蕪の脇から、新しい芽がたくさんでてきているのを見つけました。過剰な期待は禁物ですが、これならある程度は、花菖蒲が咲くかも知れないと思われます。

Img_0267c_20210310163101 Img_0387c_20210310163001  カモ、今日は、44羽でした。ハシビロガモはさらに減って、今日は3羽のみ。ヒドリガモのペアが2組、ホシハジロのオスが2羽で、他はキンクロハジロ。

Img_0236c_20210310163101  ユリカモメも少なく、3羽のみ。ユリカモメが九華公園に姿を見せるのは、例年、3月いっぱいまで。初めに書きましたように、もう3月も10日となりましたので、これからたくさん飛来するとは思えません。今シーズンは、二の丸橋の欄干にユリカモメがズラッと並ぶ光景は見られないまま終わるのでしょう。

Img_0317c_20210310163101 Img_0348c_20210310163001  本丸跡でスズメ、グラウンドでツグミ1羽を見た後、鎮国守国神社へ。稲荷社への参道脇でシロハラ1羽。その近くにシメがいたものの、気づかずに近づいて逃げられました。遠くまでは行っていないだろうと探したところ、ナンジャモンジャの木にいました。ただし、どうにも全身がはっきり見える位置がなく、右の写真のように、証拠写真しか撮れませんでした。鎮国三の中では他に、カワラヒワ多数と、メジロ数羽。今日の九華公園での成果は、ほぼ以上(苦笑)。

Img_0419c_20210310163001 Img_0430c_20210310163001  貝塚公園では、こちら。ツグミvs.シロハラのシーン。この2種類、仲はあまりよくないようで、接近遭遇すると、互いに追い払うような行動に出ます。これも、そういうシーンの中のワンショット。このあと、互いに反対方向へ飛び去りました。シロハラは見失ってしまったのですが、ツグミのこの後は右の写真。ツグミはこのほかにも1羽いて、合計2羽。ムクドリも数羽、見られました。内堀公園ではムクドリ、老松公園ではヒヨドリ。

Img_0484c_20210310163001 Img_0488c_20210310163001  寺町では、桑名別院にお参りした後、河津桜へ。ヒヨドリがけっこうたくさん来ていましたので、メジロはあまりいませんでした。メジロは、河津桜の並木から1本道をはさんだ民家との間を往き来しています。このお宅にはお庭があり、木々が植えられています。メジロはそこによくいるのです。

Img_0476c_20210310163001  河津桜の並木、あまり引いたショットを載せていません。というのも、この写真のように、並木の下が駐車場になっていて、クルマがどうしても写ってしまうからなのです。今日は、乳母車に乗った保育園の子どもたちがたくさん来ていました。「何しているの?」と聞かれます。それに、一人が「バイバイ」というと、他の子どもたちもそれにつられて「バイバイ」「バイバイ」……となります。それらにはきちんと応えてきました(微苦笑)。何人の子どもたちとバイバイをしたか、分かりません。保育園の先生は御礼をいってくださいました(笑)。

Img_0551c_20210310163001  午後からは、定例の内科受診。友人兼主治医のところにて。コロナのワクチンの話を聞いてきたのですが、「普通の人が普通に打てるようになるのは、来年になるぞ」という見込みとか。今の輸入ペースではさもありなん。新聞にも、「確保されたというワクチンの数は、ベストエフォートベーシスだ」とありました。それまでは、個人にできる感染予防対策をきちんと取るのが、ベストエフォートということでしょう。散歩生活の意義、ここにもあり(微笑)。

2021年3月 9日 (火)

今日もイカルで、連続4日の確認……雑誌と日替わり弁当を買った話も(微苦笑)【付記(3/9)ぐっさんのトラック旅について】

Img_0070c_20210309162201  薄日が差す時間はあったものの、ほぼ終日、曇りでした。気温は、13℃を超えたものの、ソーラーパワーが得られないと寒く感じます。まったくいつも通り(苦笑)、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、あーちゃんのおかず屋さん、内堀南公園、外堀、吉津屋町、新築公園、アピタ桑名店(新光堂書店)、NTNシティホールで小休止、常磐町、常信寺、寺町商店街とあちこちを6.9㎞。3時間半くらい(笑)。アピタの新光堂書店へ行ったのは、冒頭の写真のように、サライの4月号の特集が「人生の極意は散歩にあり」というもので、これを入手するため。人生の極意が散歩にあるというのは、まったく同感なのです(微笑)。

Img_9522c_20210309162301 Img_9558c_20210309162301  諸戸氏庭園あたりは静かでしたが、桑名七里の渡し公園には、カワラヒワ、メジロ、スズメ。最近、セキレイは見なくなりました。キセキレイが以内のは、ちょっと残念。住吉入江には、今日はオオバンもいません。揖斐川も、風もなく、川面はきわめて穏やかでしたが、水鳥はオオバンが1羽いただけ。

Img_9575c_20210309162301 Img_9582c  七里の渡し跡には、ヒドリガモが26羽と、コガモが4羽。今日は、皆、堀に浮かんで餌を採っていました。ヒドリガモは、昨日もたくさん集まっていました。北に帰る準備であろうと思います。

Img_9591c  三の丸公園にはツグミ2羽にムクドリ10羽ほど。ジョウビタキのメスもいたのですが、カメラの準備をしようと、一瞬、目を離した隙にどこかへ行ってしまいました。

Img_9605c_20210309162301  柿安コミュニティパークにある堀の水門のところの大木に、今日もイカルの姿がありました。その数10羽くらい。イカルはこのあと、南に飛び去ったのですが、九華公園の相撲場あたりにいました。これで、4日連続の確認となりました。柿安コミュニティパークでは、他にはドバトたちと、スズメ。

Img_9651c Img_9678c_20210309162301  九華公園には8時に到着。鎮国守国神社の社務所の裏あたりから、ウグイスの地鳴きが聞こえて来ます。カワラヒワもいます。が、他には鳥は見当たりません。奥平屋敷跡まで来て、いつものように、シロハラとシメ。最近の定番となっています。すぐに見つけられなくても、しばらく待っていると、必ずといってよいほど姿を現します。

Img_9725c_20210309162301  他は、今日は、ツグミと、ハクセキレイ2羽のみ。ドバトたちもほとんどやって来ません。いつもならジョウビタキのオスも来るのですが、今日は待てど暮らせど姿を現さず。

Img_9736c_20210309162401 Img_9743c_20210309162301  奥平屋敷跡の松の木にハシボソガラスが巣をつくっていると、先日来、何度か書きました。ここの西側にある、かなり高い松の木の上の方にです。左の写真で赤丸をつけたあたりに黒っぽいところがあります。それをクローズアップしたのが、右の写真。全体的にはかなりできあがってきているようで、最近は、細くて、比較的柔らかそうな枝を運んで来ています。内装を仕上げているものと思われます。2年ほど前、管理人のKさんは、落下したカラスのヒナを触ったため、カラスに襲われた経験があります。それ故、カラスが巣作りとなると、すでにビビっておられます。今年は何ごともないことを祈ります。

Img_9644c_20210309162301 Img_9641c_20210309162301  カモは、今日は、合計43羽。ハシビロガモが7羽、ヒドリガモが今日は2ペア、ホシハジロのオスが2羽と、キンクロハジロ。ヒドリガモは、現れたり、現れなかったり、日替わり(苦笑)。今シーズンのデータは、昨日から、確認中。ブログに数が書いてありますので、それを拾って、Excelに入力中です。

Img_9748c_20210309162301 Img_9903c_20210309162301  ユリカモメ、今日は、20羽。8時過ぎには、吉之丸堀の西側や、元アヒル小屋の屋根にいました。9時半過ぎには、野球場のフェンスに集まっていました。今シーズンのユリカモメの数も、現在、集計中。

Img_9754c_20210309162301 Img_9865c_20210309162301  二の丸跡でもシロハラを見て、さらに、ジョウビタキのオスがここで登場(左の写真)。シロハラとジョウビタキは、朝日丸跡に移動。鎮国守国神社にお参りして、柿安本社の方を回って、再び相撲場あたりにいくと、ヤマガラの群。ヤマガラ数羽に、メジロが少し混じっていました。あまり条件がよくありませんでしたので、証拠写真(苦笑)。

Img_9914c_20210309162301  貝塚公園にはいつもよりやや遅く、9時50分着。ツグミが2羽とカワラヒワ、ムクドリ。西側エリアでシロハラの鳴き声がしたので、探したものの、見つけられず。

Img_9935c_20210309162301 1615255123039c  初めに、貝塚公園の次に「あーちゃんのおかず屋さん」に立ち寄ったと書きました。総菜と弁当の店。日替わり弁当をゲット。これで、ワンコイン(¥500)。ついこの間、ここの日替わり弁当を初めて食べたのですが、美味しかったのはもちろん、満腹。夕飯を減らさざるを得なかったくらいでした。今日は、これが夕食。

Img_9943c  アピタ桑名店では、1階にある新光堂書店へ直行。サライ4月号を買って、すぐに出て来ました。「用事が済んだらサッサと帰る」というのが、隠れたモットー。人混みを避けるというのは、ほぼ1年前からこのモットーに付け加わった意味。現職の頃、体調を崩して以来つくったモットーなのです。用事が済んだ後、いつまでもウロウロしていると、余分な仕事を拾うといけないと考えたのが、元。

Img_9950c_20210309162301 Img_0032c_20210309162201  常信寺でジンチョウゲ、サンシュユ、ミツマタ(左の写真)、寺町商店街では河津桜を見て帰宅。河津桜にメジロを狙ったものの、今日はメジロは来ておらず。11時前でしたので、メジロを待つことはしませんでした。明日の天気予報は、晴れて暖かくなるそうですから、今日よりも鳥が多いことを期待しています。

Img_0620c 【付記(3/9)】 2月19日に柿安コミュニティパーク駐車場で「ぐっさんのトラック旅」のトラックを見たという記事を書きました(ぐっさんの「ニッポンハイウェー号」に遭遇@柿安コミュニティパーク【ぐっさんの行き先を付記しました(2/20)】)。“ぐっさんのニッポン国道トラック旅!「ぐるっと伊勢湾 スゴ技とうまいもの」”として、3月12日(金)22時からNHKのBSプレミアムで放送されます。伊勢湾沿いの国道23号を走破する旅で、ぐっさんと、ゲストのつるの剛士さん・ベッキーさんが、トラック2台に分乗し、別行動。「トラックから降りないトラック旅」だとか。三重では地元ならではの伝統芸能や料理の魅力を伝えていくそうです。

2021年3月 8日 (月)

3日連続でイカルの群……「ダブルウメジロウ」とイソヒヨドリのオスも

Img_8964c_20210308155701  朝8時台までは小雨が降っていました。9時頃には上がったので、9時25分頃から散歩へ。まだ曇天でしたが、雨雲レーダを見ても、西には雲はありませんでした。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町商店街と2時間あまり、ちょうど5㎞。出かけるのがいつもより2時間おそかったので、こんなもの。

Img_8973c_20210308155701  諸戸氏庭園からはヒヨドリが1羽出て来ましたが、それ以外は静か。住吉入江には、今日は水鳥はいません。桑名七里の渡し公園、月1回の休園日。業者の方によって、草刈りなどが行われていて、鳥の姿はありません。住吉神社の前から見ても、オオバンが1羽泳いでいただけ。雨上がりのためなのか、時間が遅かったせいなのか、両方の要因なのかは分かりません。

Img_8996c_20210308155701 Img_9000c  七里の渡し跡まできたら、蟠龍櫓近くの堤防の法面にヒドリガモが44羽も上がってきて、草を食んでいました。ここで久しぶりにヒドリガモの集合を見ました。このヒドリガモたち、このあと旅立ったのではないかと思います。見ていたい気もしますが、そのまま九華公園方面へ。

Img_9011c_20210308155701  三の丸公園ではツグミ2羽の他、久しぶりにイソヒヨドリのオスを見られました。ラッキー。柿安コミュニティパークでは、ヒヨドリ。その堀には、キンクロハジロのメスが2羽。

Img_9224c_20210308155601 Img_9246c_20210308155601  九華公園には、9時45分頃到着。相撲場近くでヒヨドリや、シロハラを見ましたが、写真はありません。驚いたことに、今日もイカルの群がまだいました。最初に見かけたのは、管理事務所のすぐ南あたり。数羽がいました。その後、奥平屋敷跡にやって来ました。今日見かけたイカルは、10羽ほど。3日連続で見られるとは思いもしませんでした。

Img_9177c_20210308155601  その奥平屋敷跡にいたら、二の丸跡へカワセミがやって来ました。下の嘴が赤いので、メス。二の丸跡の南西隅あたりにいたのですが、しばらくして二の丸堀の上を飛び、朝日丸跡の方へ行ってしまいました。

Img_9190c Img_9290c_20210308155601  奥平屋敷跡では、いつものように、シロハラとシメ。ほぼ必ずやって来ます。今日は、時間が遅かったのでいないかも知れないと思ったのですが、ラッキーでした。鳥たちも、雨上がりから活動を開始したためなのかも知れません。

Img_9261c_20210308155601 Img_9310c  ツグミは、奥平屋敷跡北の花菖蒲園のところに顔を出しました。二の丸跡へ行くと、ジョウビタキのオスが登場。すぐ目の前に現れ、驚きました(微笑)。

Img_9346c_20210308155601 Img_9472c  カモは、合計25羽。それにしても少ない。ハシビロガモが6羽、ホシハジロのオスが2羽とキンクロハジロ。ハシビロガモはやはり、半分以下になりました。ヒドリガモはもう少し様子を見なくてはなりませんが、帰っていったかも知れません。

Img_9481c_20210308155601  ユリカモメ、今日は、たった2羽。もう3月も8日ですから、これから数が増えることはほとんど考えられません。今シーズン、ユリカモメは例年に比べ、かなり少なくなっていました。今シーズンは、九華公園のカモ、ユリカモメの数について、各日記録をまだ整理していませんので、やっておかないといけません。

Img_9421c_20210308155601  鎮国守国神社の豊後梅のところで、「ダブル・ウメジロウ」。梅の花にはちょっと遅かったことが残念ですが、「ダブル・ウメジロウ」を撮るのも密かな望みでした(微笑)。

Img_9499c_20210308155601 Img_9494c_20210308155601  貝塚公園には11時頃到着。シメが1羽と、ツグミが2羽。他にはムクドリたち。今日の散歩中は、まだ太陽がほとんど出てきませんでしたので、写真に色が出ず、ピントも皆甘くなっています。内堀公園では、何もいませんでした。

Img_9508c_20210308155601  寺町商店街では、今日は三八市。11時半頃でしたので、露店の多くは、すでに店じまいの準備に入っていました。河津桜は、まだまだ十分楽しめます。

Img_9352c_20210308155601  ところで、鎮国守国神社で宮司さん、九華公園前管理人のOさんなどと出会い、いろいろと話して来ました。鎮国さんの金魚まつりは、今年も中止だそうです。これで2年連続中止となりますが、来年、再開するとしても、ブランクがあると大変だということでした。氏子地域の子供会連合会も消滅したそうで、これもマイナス要因です(単立の子供会はそのままあるのですが、そもそも子どもの数が激減しています)。石取祭はまだどうするか、決められていないようです。九華公園のさくらまつり、以前、露店は来ないと書いたのですが、どうやら露店出店は許可されたようです。ただし、「テイクアウトのみ」だそうです(?)。よく分からない気もしたのですが(露店ですから、もともと、ほとんどテイクアウトのはず)、そういえばごく一部に椅子・テーブルを置いている店がありました。堀めぐりは、やはり中止とか。

2021年3月 7日 (日)

今日もイカルの群に遭遇……散歩帰りに博物館で「新収蔵品展―陸軍大将立見尚文を生んだ桑名藩町田家―」を見る

Img_8375c_20210307154201 昨日とは打って変わって、雲が多く、気温も上がらず、寒い感じの1日です。が、今日の散歩でも大いに成果ありで、微笑。というのも、昨日に引き続き、イカルの群に遭遇できたのです。まずは、三の丸公園。遠目には、ムクドリかと思ったのですが、イカルが5~6羽、柿安コミュニティパークの方からやってきたのです。ここでは、残念ながらすぐに南西の方へ飛び去ってしまいました。

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Img_8490c_20210307154201  しかし、これだけではありませんでした。九華公園について奥平屋敷跡近くでYさんに会い、「三の丸公園にイカルがいた」という話をしながら、ふと見たら、ここにもイカルがいるではありませんか(喜)。奥平屋敷跡にあるセキセイインコの鳥小屋の裏手に10羽以上(たぶん15~6羽)。

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Img_8531c_20210307154101  結局、いつものように奥平屋敷跡には1時間ほどいたのですが、イカルたち、人が通ると樹上に逃げるのですが、その間ずっとここにいました。見ている途中で気づいたのですが、シメも混じっていました。どちらもアトリ科の鳥です。イカルの方が大きいのですが、あまり違和感なく一緒に行動している感じでした。

Img_8602c Img_8613c_20210307154101  イカルが、人を避けて木に逃げたところですが、この木に残っていた実を探して、それを食べているようでした。シメと同じく、ムシャムシャとズーッと食べ続けているように見え、笑えます。

Img_8273c_20210307154201 Img_8290c_20210307154201  さて、今日も散歩は、朝7時半から。住吉神社、九華公園、貝塚公園、外堀から今日は、桑名市博物館に立ち寄って展覧会を見て、京町、寺町商店街と回って来ました。博物館に行ったこともあって、4時間もウロウロ。歩いたのは、5.7㎞。

Img_8293c_20210307154201Img_8296c  諸戸氏庭園や、住吉入江(左の写真)には鳥はおらず。桑名七里の渡し公園で、スズメ、カワラヒワ。揖斐川には、今日もカンムリカイツブリ。ただし、見えたのは1羽のみ。

Img_8314c_20210307154201Img_8332c  七里の渡し跡では、コガモが2ペア。最近、このあたりまででヒドリガモは見ません。三の丸公園には、今日もメスのジョウビタキ1羽。他にはツグミ1羽。ツグミは三の丸水門のところにも1羽。柿安コミュニティパークには、ヒヨドリのみ。

Img_8414c 九華公園には8時前に到着。北門近くにはカワラヒワ。カワラヒワは、最近、あちこちにいます。中には、巣材を探していると思われるカワラヒワのペアもいます。以前は、エナガが巣材を運んでいるのも見ましたが、最近、九華公園ではエナガは見られません。コゲラも、このところすっかりご無沙汰。

Img_8451c_20210307154201Img_8617c_20210307154101  奥平屋敷跡ではイカルの他に、いつものようにシロハラ。ハクセキレイのペアも、いつも通りにやって来ました。シジュウカラ2羽も見ましたし、メジロの鳴き声も聞こえます。ハシボソガラスのペアは、今日もせっせと巣の材料にする木の枝や、根っこのあたりをくわえてやって来ます。

Img_8535c_20210307154101 シメがいたのは、初めの方にも書きましたが、イカルに混じって、2羽いたように見えました。いつも来るジョウビタキのオスは、今日は姿が見えません。

Img_8679c_20210307154101 二の丸跡ではツグミ1羽にカワラヒワ。朝日丸跡ではウグイスの地鳴きが聞かれましたし、ツグミ1羽(左の写真)とジョウビタキのオスも1羽。ジョウビタキは、カメラに気を取られた隙にどこかに逃げられました(苦笑)。

Img_8803cImg_8695c  カモは、今日は、43羽。ハシビロガモは7羽、ホシハジロのオスが2羽。ヒドリガモは、イカルを見ているときに鳴き声が聞こえたものの、姿は確認していません。他はキンクロハジロ。

Img_8655c_20210307154101Img_8668c  ユリカモメは、8羽。元アヒル小屋の屋根などにやって来ていました。今日は、ときどき餌をやる人がいました。右のユリカモメ、エサのパン屑(というには大きいのですが)をもらって、少し離れたところまで来て、ゆっくりと食べています。ちょっと大きい気もしたのですが、このあと、一気に呑み込みました。

Img_8718c_20210307154101Img_8745c  鎮国守国神社の豊後梅で、ウメジロウ。梅の花も盛りを過ぎつつありますから、ウメジロウのシーズンもそろそろ終わりを迎えるでしょう。そこで、ウメジロウ「番外編」として、右の写真(笑)。名づけて、「お尻ウメジロウ」。

Img_8812c_20210307154101 神戸櫓跡の東で、いつものように一休みしようとベンチに腰を下ろした途端に、ジョウビタキのオスが登場。ジョウビタキは、わざわざ姿を見せようとしている、あるいは、挨拶にでも来ているような気がします。

Img_8866c_20210307154101Img_8827c_20210307154101  貝塚公園では、ツグミ2羽に、シロハラ1羽。ヒヨドリやキジバトもいました。西側のエリアで、チラッと見えたのは、アオジのような気がしましたが、超証拠写真しか撮れず(右の写真)。追いかけたものの、逃げられました。

Img_8902c_20210307154001 Img_8905c_20210307162401  寺町商店街、花見客多数。商店街にある和菓子屋さんが、北側の荷捌き広場で「みたらし団子実演販売」。つまり、そこで焼いて売っているということです。「甘辛いタレがクセになる」とあったのですが、残念ながら、私の好みのみたらし団子ではありません。メジロはほとんどいませんでした。ヒヨドリとスズメ。スズメの写真はうまく撮れず、今日は「河津桜にヒヨドリ」。

Img_8956c_20210307154001  住吉入江沿いのお宅では、モクレンがもうすぐにでも咲きそうでした。紫色の花が咲きますので、「紫木蓮(シモクレン)」ともいわれるそうです。

Img_8870c_20210307154001 Human_07  ところで、桑名市博物館では、昨日から「春の企画展 新収蔵品展―陸軍大将立見尚文を生んだ桑名藩町田家―」という展覧会が開催されています(4月11日(日)まで。高校生以上¥150)。2階では、【特集陳列】として、「ブラ桑名/収蔵刀剣展Ⅳ」が併催。立見尚文は、桑名藩士町田伝太夫の3男で、同藩士立見家の養子。戊辰戦争で、雷神隊の隊長として、薩長軍、とくに山県有朋を翻弄しました。のち陸軍に入り西南戦争、日清戦争に出征、日露戦争では第八師団長として、黒溝台の会戦で活躍しました。これによって明治39(1906)年、陸軍大将。薩長政権では、維新の敗者であった桑名出身者に対しては低い評価しか与えられませんでしたが、立見は、日露戦争の功績で、実力で大将に昇進したのは素晴らしいと思います。立見の写真は、桑名市のサイトからお借りしました。

Img_8891c_20210307154001  今回の展覧会は、「新収蔵品展」とありますように、近年、寄贈あるいは寄託されたものから初公開資料約70点が出展されていました。中でも、町田家から寄贈された立見尚文に関するものに興味がありましたので、今日、見てきたという次第。立見尚文や、その家族の写真などもおもしろかったのですが、私としては、手紙をもっとも興味深く見てきました。軍人ということから謹厳実直な人かと思っていたのですが、けっこうユーモアやウィットに富んだ人物であったことが伺えました。今回は、「解説パネル小冊子」が1部¥300で販売されていましたので、それを入手してきました。立見の系図、年表の他、彼の手紙の翻刻が載っていますので、じっくり読んでみようと思っています。

Img_8873c_20210307154001  併催されている「ブラ桑名」では、「桑名日記(県文化財)」、「久波奈名所図会(市文化財)」、広重の東海道五十三次のうち「宮 熱田の駅 七里の渡口」や「桑名七里之渡舩」などが出ています。写真は、毎回1点だけある撮影可能な展示。今回は、「脇指 銘 勢州住 千子正重」。正重(まさしげ)は、室町後期、桑名で活躍した村正を祖とする刀工集団「千子(せんご)派」の一人。

2021年3月 6日 (土)

九華公園でイカルの群

Img_8264c  9時頃からはよく晴れて、気温も上がりました。最高気温は、18.9℃と4月並で、散歩では、汗をかきました。しかし、昼前からは風が強くなってきて、最大風速は9.1m/s。昨日は雨で歩けず、ウズウズしていました(笑)。7時40分から散歩をスタート。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町商店街と6.1㎞をほぼ3時間かけて歩いて来ました。

Img_7955c_20210306163201Img_7880c_20210306163201  写真としては不出来ですが、今日は、この話題から。九華公園について、奥平屋敷跡へ行こうと歩いていたら、二の丸跡から、聞き慣れない鳥の鳴き声が聞こえてきていました。イカルの群が来ていたのです(リンク先で囀りが聞けます)。10羽くらいが、二の丸跡と奥平屋敷跡とを移動していました。20分くらいしてどこかに飛び去って行きました。もう少しマシな写真が撮れたらよかったのですが、群が見られただけでもよかった(微笑)。

Img_7801c Img_7782c_20210306163201  さて、散歩の初めから。諸戸氏庭園は静か。住吉入江にはオオバンが2羽のみ。この時間は風は弱く、揖斐川も穏やかでした。遠くに黒っぽい水鳥。単眼鏡で見て、カワウかと思ったものの、念のために写真を撮っておきました。パソコンで見たら、カンムリカイツブリでした。すっかり夏模様にモデルチェンジ済み。2羽が見られました。住吉神社近くで、揚げ雲雀が聞かれたものの、どこにいるかは分かりませんでした。七里の渡し跡には、コガモのペアが1組。オスは泳いでいましたが、メスは上陸してお休み。

Img_7788c_20210306163201 Img_7793c_20210306163901  三の丸公園では、ツグミとジョウビタキのメス。ジョウビタキには、逃げられて、写真は撮れず、残念。三の丸水門のところには、カワラヒワが2羽(右の証拠写真)。雨上がりということもあってか、鳥は少なめ。柿安コミュニティパークでも、ヒヨドリ1羽とスズメ、ムクドリがいたのみ。

Img_7835c_20210306163201 Img_7842c  九華公園到着は8時少し前。ここも静かです。相撲場近くでカワラヒワがいただけ。いつものように、奥平屋敷跡でYさんと9時前まで鳥見。イカルのほかには、恒例のように、シロハラが登場。ハクセキレイもペアでやって来ます。

Img_7844c Img_7925c_20210306163201  奥平屋敷跡にいる間に、空も晴れてきて、いつものメンバーが順番に登場してきます。ジョウビタキのオスにシメ。

Img_7928c_20210306163201Img_7995c_20210306165801  カワラヒワも入れ替わり立ち代わりやって来ます。最近は、ここでほぼ1時間、鳥見をする習慣となりました。今日載せたほかには、ドバト、スズメなども姿を現します。ハシボソガラスのペア1組が、しばらく前から松の木の高いところに巣をつくっています。1時間見ている間に、夫婦共に何度も木の枝を運んで来て、松の木に入っていきます。巣の位置はおおよそ分かるのですが、まだハッキリとは確認できていません。

Img_8083c_20210306163201  いつも通り、本丸跡、鎮国守国神社を周ります。何度か載せましたが、鎮国守国神社境内には梅の木がたくさんあります。すでに盛りを過ぎつつあります。早いものです(何かにつけて、このように書きますが……ボキャブラリーならぬボケブラリーです。苦笑)。

Img_8089c_20210306163101 Img_8107c_20210306163101  再び管理事務所のところへ来たら、ジョウビタキのオス。さらに、神戸櫓跡の東のベンチで休んでいたら、ここにも、ジョウビタキのオスがやって来ました。

Img_8130c_20210306163101  実は、ジョウビタキのオス、このあと、公園の外周遊歩道の南でも遭遇。二の丸橋の南側のたもとのところ。今日は、延べ4回、ジョウビタキのオスに出遭ったのですが、実数はいったい何羽いるのでしょう?

Img_8119c_20210306163101  初めにも書きましたように、今日は午前中、よく晴れて暖かくなりましたので、九華公園の堀のあちこちに、ミドリガメがたくさん出て来ていました。元アヒル小屋のスロープが壊れて以来、甲羅干しで切る場所が少なくなっています。この写真は野球場の南。かなり賑わっていました。冬の間は、堀の底にでも潜っているのでしょうが、これからたくさん出てくるでしょう。

Img_7827c_20210306163201 Img_8148c_20210306163101  カモは今日は30羽しかいません。ハシビロガモが6羽のみ。ホシハジロのオスが3羽と他には、キンクロハジロ。ハシビロガモは一時期の半分以下。ヒドリガモは来たり来なかったりという状態。

Img_8157c_20210306163101  貝塚公園では、シジュウカラが数羽と、ツグミ2羽。貝塚公園に行くのはたいてい9時半を過ぎた頃。もう少し早く行くと、野鳥がもっといるかも知れません。内堀公園ではスズメだけ。新築公園には何もいませんでした。

Img_8171c_20210306163101 Img_8194c_20210306163101  南寺町の常信寺では、ジンチョウゲがかなり祭絵t来ました。近くへ行くと、あの甘い香りが漂ってきます。ミツマタの花も、よく咲いて来ました。

Img_8258c_20210306163101 Img_8220c  寺町商店街の河津桜、盛りを過ぎつつある感じで、一部では葉桜になってきています。今日も、「河津桜にメジロ」を狙ったのですが、短時間出て来ては、近くの民家に戻るというパターンを繰り返しています。数はかなりたくさん来るものの、なかなかよいシーンは撮れません。

2021年3月 5日 (金)

雨読にて、4月からの授業準備をしつつ、昔の大学の授業を思い出す

0305weatherforecast030507rain  昨日の散歩では、3回ほど雨宿りを強いられましたが、今日は終日、雨予報。雨雲レーダーを眺めていても、時折、雲の隙間はあるものの、出かけたら、雨に見舞われること間違いなしという感じ。それ故、早々に散歩は諦めました。

Img_7759c_20210305152501 Img_7749c_20210305152501  我がモットーにしたがい、「雨読」の日。ということで、火曜日に引き続き(2021年3月2日:結局、終日、蟄居……午前中は4月からの授業準備に着手)、4月からの授業の準備。授業は、パワーポイントを用いています。もうこれなしでは話ができないかも知れません(笑)。必要な図表、話のポイントなどがすべて入れてあります。昔、大学のセンセイは、古びたノートを毎年、繰り返しそのまま使って、読み上げていたなどという話がありますが、少しずつバージョンアップを図っています。

Maeda Yokose  今、自分が書いた話から思い出したのですが、私が大学に入学したのは昭和48(1973)年。初めの2年間は、教養部に所属し、一般教育を中心とした授業。2年生の後半からは専門過程の授業が始まりました。文学部哲学科心理学専攻というところです。当時、教授でいらした先生方は、戦前の旧東京帝国大学のご卒業。心理学概論の授業に初めて出席して、ひどく驚いたことがありました。それは、教授が教室にいらっしゃったかと思うと、おもむろにご自分のノートを開いて、読み上げて行かれるのです。3、4年生の先輩方は、さも当然という風にそれをひたすら筆記しています。あとからあれこれ見聞きして分かったのは、あのやり方はたぶん戦前の旧帝大ではデフォルトの授業スタイル。今もそのノートは残してあります。ところどころ、メモがとれず、あとから同級生で、それぞれのメモを付き合わせて空白を埋めたり、ミスを訂正したりした跡があります。今の授業スタイルとは、まさに隔世の感があります。

Img_7729c_20210305144201  午前中の雨量はさほどでもありません。アメダスには記録が出ないくらい。「これなら歩けたかも」と思いつつ、パソコン画面とにらめっこ。11時くらいからは本格的な雨。散歩は、また明日。

2021年3月 4日 (木)

今日の散歩は雨宿り3回(苦笑)……ハクモクレン咲く

Img_7462c_20210304153801  昨日とは一転して、曇天。午前中はときどき、小雨。気温は、昨日とさほど変わらない11.8℃なのに寒く感じます。やはりソーラーパワーは偉大です。散歩途中、九華公園で3回も雨宿りを強いられました(苦笑)。いつも通り、朝7時半の散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園、アピタ桑名店(本屋)、常磐町、常信寺、寺町商店街と6.6㎞。

Img_7504c_20210304153801 Img_7509c_20210304153801  内堀公園近くのお宅で、ハクモクレンが咲き始めていました。月曜日に通ったときには気づきませんでしたので、その後咲いたと思います。ジジイが言うのも何ですが、白い清楚な花。花は上向きに、閉じたような形で咲き、全開しません。これがコブシ(辛夷)と違うところ。

Img_7537c_20210304153701 Img_7553c_20210304153701  花続きで、常信寺にあるミツマタの花(左の写真)。ご承知の通り、この皮が和紙の原料になる木。右は、先日も載せましたが、同じく常信寺にあるサンシュユ

Img_7533c_20210304153701 Img_7564c_20210304153701  常信寺には、ジンチョウゲもありますし、山門前ではミモザも満開。これら常信寺の花は、毎年恒例の被写体としています。

Img_7250c_20210304153801 Img_7251c_20210304153801  さて、散歩の始めに戻って、諸戸氏庭園や桑名七里の渡し公園には鳥はおらず。住吉入江、今日は、ヒドリガモのメスが1羽いただけ。住吉神社にいる鳥を載せたことはほとんどありませんが、たまには。今日いたのは、カワラヒワ。普段は、ハシボソガラスか、スズメがいます。春先には、カワラヒワがいることがあります。

Img_7255c_20210304155301 Img_7272c_20210304153801  住吉水門の外側には、ヒドリガモが8羽。春先にときどき見られる光景。揖斐川には、今日も、シラウオ漁の漁船が2組出ていました。ヒドリガモと漁船に気を取られ、堤防にヒドリガモなどが上がっているのか、見忘れてしまいました(苦笑)。今月、66回目の誕生日を迎えますが、注意散漫になってきたか、ワーキングメモリーが弱くなってきたか(爆)。気合いで何とかなるなら、何とかしたいところ。

Img_7290c_20210304153801 Img_7302c  七里の渡し跡にもシジミ鳥の漁船。こういうときは水鳥は来ません。三の丸公園では、ジョウビタキのメス1羽に、ツグミ2羽。このメスのジョウビタキ、以前は、蟠龍櫓に近いところによくいたのですが、最近は、三の丸公園の南側エリアにいます。他は、ムクドリ数羽。柿安コミュニティパークにはスズメのみ。

Img_7321c_20210304153801 Img_7347c_20210304153801  九華公園に入ったものの、静か。管理事務所近くまで鳥影はなし。事務所のところで、カワラヒワ数羽。奥平屋敷跡で、まずはシロハラ。ほとんど必ずいてくれます。いわば「鳥見の救いの神」(微笑)。ツグミも、花菖蒲園あたりにたいてい出没してくれます。

Img_7362c_20210304153801 Img_7385c_20210304153801  しばし待っていると、シジュウカラが1羽のみやって来ました。昨日は、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロの混群で来ましたが、そうそううまい話は続きません。ジョウビタキのオスは、久しぶりに見られました。ジョウビタキ、さすがに人懐っこく、我々がいる近くを移動してくれます。

Img_7333c Img_7343c_20210304153801  ハクセキレイのペアも、たいてい来ます。写真はありませんが、ハシボソガラスのペアが、奥平屋敷跡にある松の木の高いところに巣作りをしています。余所から木の枝を運んで来たり、ここにある木から枝を折り取ったりして松の木にくわえていきます。

Img_7315c_20210304153801 Img_7318c_20210304153801  カモは、合計43羽。ヒドリガモが2ペア、ホシハジロのオスが2羽、ハシビロガモが6羽。他はキンクロハジロ。ハシビロガモが減りました。他には、オオバンが1羽、カルガモが2羽。ユリカモメは、今日は見当たりませんでした。初めに書きましたが、今日は、奥平屋敷跡にいたときに1回、吉之丸堀にある橋を渡っているときに1回、本丸跡を歩いているときに1回、雨宿り。折りたたみ傘は持っていたのですが、別に急ぐわけでもありません。奥平屋敷跡では大きな松の木の下で雨を避けていました。あと2回は、吉之丸堀の上にある四阿にて。

Img_7433c_20210304153801Img_7405c_20210304153801  鎮国守国神社で豊後梅を見ていたら、頭上から、聞いたような鳴き声。そばにあるセンダンの木のてっぺん近くにシメがいました。何かを食べている様子もあったのですが、何を食べているのかはよく分からず。

Img_7465c Img_7469c_20210304153801  辰巳櫓跡近くでジョウビタキのオス。外周遊歩道の南で、ツグミ。このツグミ、ミミズを引っ張っていました。右の写真でも、ツグミの足元にはミミズが写っていますので、苦手な方はご注意ください。

Img_7487c_20210304153801 Img_7500c_20210304153801  貝塚公園でもツグミばかり。例年、ツグミは一定数いたのですが、今年は少なかったのですが、今時分になって、貝塚公園にツグミが増えてきました。

Img_7520c_20210304153701  内堀公園でもツグミ1羽。このあと、アピタに立ち寄って、新書と文庫本を探したものの、欲しいものはありませんでした(結局、いったん帰宅した後、三洋堂書店へ行って入手)。常信寺、寺町へ。

Img_7577c_20210304153701 Img_7585c_20210304153701  寺町の河津桜。満開から、少し盛りを過ぎつつあります。ごく一部で葉桜となってきていました。今年もしっかり楽しんできたものの、まだまだ(苦笑)。

Img_7682c_20210304153701 Img_7606c_20210304153701  桜並木の根元のあちこちに、花がそのまま落ちているのを見ます。これは、スズメの仕業。メジロのように蜜が吸えませんので、花の根元を折り取って蜜を吸うので、このように花がそのまま落ちてしまうのです。今日も「現行犯写真」を撮ろうと思ったのですが、うまく行かず。

Img_7633c_20210304153701  ところで、非常勤先からメールが届き、卒業式、卒業記念パーティーを3月20日に催すものの、人数制限をするので、非常勤講師には案内を差し控えるということでした。教えた学生たちが巣立っていくのを祝いたい気持ちは十分にありますが、セレモニーは大の苦手。非常勤の立場では一度も出席したことはありません。しかし、「案内を控える」といわれると、ちょっと淋しい気もします。勝手なものだと一人苦笑しています。卒業する皆さんには、新型コロナのこともあり、大変厳しい世の中ですが、幸あれと願っています。

2021年3月 3日 (水)

春日神社で「金龍桜」の若木、立教小学校で「打毬戯」を見る

Img_7213c_20210303153501  よく晴れました。風はけっこう強いものの、気温は12℃を超え、この時期としてはやや高め。いつも通りに7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、外堀、京町、油町、春日神社、田町、寺町商店街と6.6㎞。天気もよかったため、あちこちウロウロしました(微笑)。九華公園で会った前管理人のOさんが、「昨日みたいによく降ると、さすがに外出の諦めはつくなぁ。それにしても1日、家にいる人はいつもは何をしているのかなぁ」とおっしゃっていました。同感。冒頭の写真は、寺町商店街の河津桜。ごく一部では、葉桜になってきています。

Img_6501c_20210303153601 Img_6519c_20210303153601  諸戸氏庭園、桑名七里の渡し公園には何もいません。住吉入江には、まずは、キンクロハジロのメスが2羽。住吉水門の内側へ来ると、ヒドリガモが2ペア、ホシハジロのオスが1羽、オオバンが1羽。オオバンしかいなくなったかと思ったら、そうでもなさそうでした。

Img_6538c_20210303153601 Img_6549c_20210303153601  揖斐川に出て、住吉水門の下流側の堤防にヒドリガモ36羽。揖斐川は、風で白波が立っていました。今日も、シラウオ漁の漁船が2組。七里の渡し跡にも、ヒドリガモが17羽、浮いていました。堤防に上陸しているのは、コガモ5羽。

Img_6568c_20210303153601 Img_6580c_20210303153601  三の丸公園では、ツグミ1羽にジョウビタキのメス1羽。他にスズメ。今日は、ムクドリはいません。ジョウビタキは公園の南、遠くにいました(右の写真)。柿安コミュニティパークには、スズメのみ。

Img_6606c_20210303153601 Img_6638c_20210303153601  8時に九華公園。北門を入ったあたりには、何もいません。風が強いので、今日は鳥果なしかもと思いつつ、奥平屋敷跡へ。シロハラだけは、裏切らず、いつものようにいてくれます。散歩&鳥見友達のYさんと「これだけ風が強いとダメかも知れませんね」と話し合っていたら、シジュウカラが1羽だけ。

Img_6657c Img_6668c_20210303153601  ハクセキレイのペアも、遅れて登場(左の写真はメス)。30分近く経って、シメもやってきました。2羽いたように見えますが、写真が撮れたのはこの1羽のみ。

Img_6800c_20210303153601  「やっぱり、今日はダメか」と話しつつ、結局9時頃までほぼ1時間粘っていたら、最後の最後にヤマガラ、シジュウカラ、メジロの混群がやって来ました。ヤマガラが5羽ほど、シジュウカラは7~8羽、メジロは3~4羽。けっこう近くまで来たのですが、木の高いところにいることが多く、写真はなかなか撮れず、苦戦。しっかりと見て楽しめたので、今日は、これで良し。

Img_6815c_20210303153601 Img_6957c_20210303153501  カモは、合計51羽。ハシビロガモが6羽、ヒドリガモが2ペア、ホシハジロのオスが2羽。他は、キンクロハジロ。ハシビロガモが半分以下になっていますが、ヒドリガモがまた来るようになっています。カルガモも2羽いました。

Img_6824c_20210303153601Img_6888c  二の丸跡でジョウビタキのオス。他に、ツグミ、カワラヒワ。野球場にもツグミ1羽。鎮国守国神社の境内、九華招魂社のところにもジョウビタキのオス(右の写真)。このジョウビタキ、虫を捕まえて咥えていました。

Img_6842c_20210303153601 Img_6853c  鎮国守国神社の梅。左の写真は、参集殿の南のところ。右の写真は、旧天守台跡のところ。

Img_6937c_20210303153501  柿安本社の方を回って、鎮国守国神社の社務所裏の堀に来たら、カワセミ。ただ、シャッターを押すのがちょっと遅れてしまいました。すぐに飛び立って、行方不明。

Img_6952c  相撲場あたりには、カワラヒワが数羽。このあと、辰巳櫓跡の西でも、ジョウビタキのオスに遭遇したものの、写真は撮れず。今日は、ジョウビタキのオスによく出遭いましたが、実数はいったい何羽でしょう?

Img_7026c_20210303153501Img_7049c_20210303153501  貝塚公園では、ツグミ3羽を目撃。冬の間、ほとんど見なかったのに、どうしたのでしょう? さらに、四阿の近くでシロハラ。

Img_7161c Img_7169c_20210303153501  寺町商店街では、今日もまた、河津桜とメジロねらい(微笑)。近所のお宅の庭と、河津桜との間を何度か往復していました。三八市も催されていて、花見の人もたくさん。

Img_7120c_20210303153501  春日神社(桑名宗社)に行ったのは、「金龍桜」のチェック。2~3日前、春日神社のインスタに「金龍桜の鉢を入れ替えた」というpostがあったのです。以前、植わっていたものは枯れてしまい、その代わりに、数年前から育てている金竜桜が少しずつ大きくなったので、入れ替えたということです。あと数年で地植えしたいそうです。金龍桜は、若葉が赤褐色、花が白に近い淡紅色、一重と八重との咲き分けで、八重の優れた一品種。春日神社のものは、桑名城主・松平定綱公が摂津国(大阪府)古曽部の金龍寺の原木から分植したものの一つです。

Img_6966c_20210303153501 Img_6974c_20210303153501  さらに、今日は、珍しいものが見られました。立教小学校のところを通ったら、校庭から鐘の音が聞こえ子どもたちが2組に分かれて並んでいたのです。「打毬戯(だきゅうぎ)」ではないかと、直観。これ、その名は知ってはいたものの、見たことはありませんでした。「打毬」は、日本伝統の球を打ち合う遊戯。騎馬で行う「騎馬打毬」と徒歩で行う「徒(かち)打毬」とがあります(詳細は、こちらを参照)。西洋のポロと起源を同じくするといわれます。桑名の打毬戯は、桑名藩・藩校立教館で行われていたものが、立教小学校に引き継がれています(一時、途絶えた時期があります)。今は、確か、毎年9月に行われている立教大運動会で5・6年生の競技種目として行われています。

Img_6983c_20210303153501 Img_6997c_20210303153501  剣道着・袴に赤白の鉢巻、襷、白足袋を着用し、朱雀隊と白虎隊に分かれて競技を行います(ルールなどの詳細は、上記のリンク先にあります)。もともとは、打毬、玉入れ、押し合いの3種からなっています。第2次大戦前は、毎年5月12日の鎮国守国神社の祭礼の試楽の日、立教小学校高等科の男子生徒によって実施されたといいます。当時は、「校技」のように扱われており、勇壮にして節度のある球技で、鎮国守国神社の祭礼には欠くことのできない行事の1つであったそうです。武士の作法や、気風を伝えるものであったと思われます。もとは、白河藩の打毬の系譜を引くものが、桑名藩においても行われるようになったといいます。

 

2021年3月 2日 (火)

結局、終日、蟄居……午前中は4月からの授業準備に着手

Img_6489c_202103021547010302amedas3  朝からの雨。10時頃から午前中、よく降りました。15時を過ぎて、雨も上がり、西の空が明るくなってきました。もっと日が長くなって、暖かい頃ならば別ですが、今の時期、この時間から散歩というのもどうかと思いますので、結局、終日、蟄居生活。午前中は、4月からの非常勤の授業の資料の確認と、修正に着手。思い出せば、去年の今頃から新型コロナウィルス感染症で振り回され始めました。授業も、いろいろな経過があった挙げ句、6月中旬から遠隔授業としてスタート。9月まで前期が続き、終わって、さして間を置かず、後期も遠隔授業となりました。遠隔授業となった当初は、どうなるかと戸惑ったものでしたが、可能な範囲で工夫し、大過なく終えられたと思います。ただし、学生諸君にとってはよかったかどうか、不安は残っています。来年度は、対面授業でスタートするということで、それに向けて準備を進めます。今度は、対面で授業するのに1年以上のブランクがあるということになります。授業資料も、対面バージョンに多少、モデルチェンジが必要です。

Img_6467c_20210302155801 Img_6469c_20210302154701  散歩に行けず、ベランダからいつも歩いているあたりを眺めていました。左の写真は、九華公園あたり。中央に写っている森がそれです。いつも、あの中を鳥を求めてウロウロしているという次第。何だか狭いところでもがいているような気もします(苦笑)。右の写真は、寺町商店街の河津桜並木。商店街の北の端にある荷捌き広場のところがよく見えるのです。手前にある高い建物は、消防団の詰所。今日の雨風では、まだ桜は散らないと思います。

Img_6268c_20210302160401 Img_6290c_20210302160501  こちらは、昨日撮った寺町商店街の河津桜。まだしばらく見頃は続くと思います。明日は天気も回復するようですから、またいつものように散歩できそうです。

Img_5705c_20210302160901  話題がないので、つまらない余談。毎日の歩数は、ニンテンドーDSの「生活リズム計」でチェックしています。今はスマホでも記録できますが、生活リズム計のデータとは微妙に異なります(スマホの方が多くカウントされます)。別に重要な記録ではありませんから、どちらのデータでも構わないのですが、一応、継続性を考え、生活リズム計のデータを採用しているのです。これは、2月28日分の記録。たまたまそうなっただけですが、10,000歩ちょうどでした(笑)。

2021年3月 1日 (月)

九華公園にダイサギ……河津桜、バリエーションにトライしましたが、さてその出来やいかに

Img_6287c Img_6377c  3月になりました。いつも同じことを書きますが、時が経つのは早いです。「歳月人を待たず」といいますが、本当です。先日書きましたように、4月からの非常勤の授業は、対面でという連絡がありました(2021年2月26日 :雨が上がった午後から「高速散歩(笑)」)。少しずつ準備をしなくてはと思っています。が、実際に手をつけるのには、時間がかかる気がしています。今日もいつものように7時半から散歩を開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町から常磐町、アピタで本屋に寄って、常信寺、桑名別院と回り、寺町商店街。7.0㎞、3時間半。よく歩きました。アピタの本屋では、新書を探したもののなく、別の文庫本を買ってしまいました(苦笑)。最高気温は、16℃を超え、暖かい。

Img_5728c_20210301164601 Img_5749c_20210301162001  諸戸氏庭園あたりには鳥はおらず。住吉入江には、オオバンが3羽。この頃、カモは来なくなりました。桑名七里の渡し公園には、カワラヒワとドバト。住吉水門の下流の堤防には、ヒドリガモが42羽も上陸して休憩中。

Img_5753c_20210301162001  揖斐川には、今日もシラウオ漁の漁船が2組。昨シーズンよりも翌漁に出ている感じ。はまぐりプラザ食堂はまかぜでもう一度、「しらうお丼」を食べてみたくなります。決して美味ということではありませんが、季節の風物詩ということです(微笑)。

Img_5766c Img_5785c  七里の渡し跡にも、ヒドリガモ10羽。ヒドリガモが集まっていると、もうそろそろ北の国へ帰るのだろうなという気がします。三の丸公園では、ジョウビタキのメス(右の写真)の他、ツグミとハクセキレイが1羽ずつ。三の丸水門近くでは、揚げ雲雀が聞かれたのですが、姿は見えませんでした。柿安コミュニティパークでも、ツグミ2羽。

Img_5868c_20210301162001  九華公園、相撲場あたりでは、カワラヒワ。管理事務所の近くで、久しぶりにヤマガラ。何かを咥えてきて、食べていました。ヤマガラは、好きな鳥の一種ですから、見られてラッキー(微笑)。

Img_5960c_20210301163601Img_5934c  奥平屋敷跡では、まずは、いつものシロハラ。8時過ぎに行くとたいていいます。そして、ツグミ。ツグミは、奥平屋敷跡の北にある花菖蒲園に来ます。ハシボソガラスの夫婦は、相変わらず、巣材を運んできます。かなり勤勉で見倣わなくてはなりません(笑)。

Img_5922c_20210301163601 Img_5967c_20210301163601  証拠写真の連続ではありますが、メジロとシジュウカラ。奥平屋敷跡にて。ここしばらく、ジョウビタキのオスは、やって来ません。

Img_5883c_20210301163601  カモ、今日は、48羽。ヒドリガモが久しぶりに2ペア、ホシハジロのオスが、今日は3羽、ハシビロガモは7羽。カルガモが1羽、オオバンは2羽。

Img_5970c_20210301163601 Img_6024c_20210301163701  さらに、今日は、珍客。ダイサギ1羽。ゴイサギが猫に襲われたという話がありましたが、それ以来、ゴイサギもアオサギも鎮国守国神社の社務所裏には来ていません。九華公園でサギを見たのは久しぶり。野球場の南に降りてくるのが、二之丸に行くときに見えたのです。餌を採っていたのですが、散歩する人があって、このあとは野球場のフェンスの上へ。いつもユリカモメが並んでいるところ。

Img_5991c Img_6002c_20210301163701  二之丸跡へ行く橋にドバトやスズメが集まって来て、エサ拾い。この橋からダイサギを見ていたところ、ドバトが集まって来て、さらにスズメもやって来たのです。そこへ、ハクセキレイまで。お陰で、右のようなスズメとハクセキレイのコラボ写真が撮れました。

Img_6071c_20210301163701 Img_6131c  本丸跡では、カワラヒワ。珍しくもなんともないのですが、カワラヒワが地面に降りているところがきれいに撮れるのは、珍しい。さらに、神戸櫓跡近くには、ジョウビタキのオスがやって来ました。

Img_6097c_20210301171301 Img_6102c_20210301163701  鎮国守国神社の梅。左は、旧天守台跡のところ、右は、鎮国稲荷社の参道入り口にある豊後梅。毎度同じものではありますが……。

Img_6161c_20210301163701 Img_6170c_20210301163701  貝塚公園では、今日はツグミ。他には、ムクドリ、スズメ、カワラヒワくらい。昨日は、モズがいたのですが、そうそう毎日、うまい話はありません。内堀公園に行く途中、立教小学校の南で駐車場のフェンスにジョウビタキのメスが出て来ました。

Img_6223c Img_6201c_20210301163701  常信寺では、昨日のリベンジ。のつもりだったのですが、ミツマタの花、やはりピントが甘い(苦笑)。ついでに、サンシュユも(右の写真)。こちらは、まあまあ。

Img_6257c_20210301163701 Img_7562c_20210211172701  続いて、桑名別院本統寺へ。2月11日に行ったとき、銀杏を伐採するという掲示がありましたので(2021年2月11日:今日はカワセミに大接近……ジンチョウゲやミモザにも蕾で春近し)、その確認。銀杏は、完全に切られ、切り株もありませんでした(右の写真は、2月11日のもの)。

Img_6306c_20210301163801 Img_6329c  もう十分に堪能したとも思ったのですが、寺町商店街では、河津桜とメジロを見てきました。冒頭の2枚もそうです。多少は、バリエーションをつけようと思って、トライしてみました。後ろボケを狙ったのですが、くどいかもしれません(微苦笑)。商店街は今日は定休日でしたが、花見の人がけっこうたくさん出ていました。

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  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

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    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

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    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)