20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その2……善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓から平群神社へ
2月6日に行ってきた「桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)」のその2です。その1では、ゼニス羽田の敷地内にある島田城跡を眺めたところまで。その後、ゼニス羽田の敷地に沿って、善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓へと行きます。
遍照山善教寺へ。真宗本願寺派のお寺。しかし、もとは、弘仁3年(812)年、空海が開基した真言宗の寺でした。応仁元(1467)年、僧隆教のとき、蓮如上人の巡教により真宗に改宗したといわれます。長島の願証寺の末寺でしたが、正徳5(1715)年、願証寺が高田派に改修したときにそれにしたがわず、本願寺派に留まっています。ご本尊(阿弥陀如来像)は、この地方出身の野村増右衛門吉正の持念仏(弘法大師作という)であるとされます。
善教寺の南、「タケル遊歩道」の看板が立っている階段を登ったところに櫛田神社があります。あとで平群神社に行くのですが、このあたりには日本武尊が来られたという伝承があり、このように「タケル遊歩道」が整備されているのです。
こちらが櫛田神社の一の鳥居。向かって右の柱には「神明昭々」とあります。「神明」は天照大神のことかと思います。「昭々」は、「明らかに、心に明白である」といった意味のようです。天照大神の御神徳を讃えることばでしょうか。向かって左の柱には「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」とあります。「天地とともに永遠に続くこと(デジタル大辞泉)」という意味。
鳥居をくぐってさらに登っていきます。創立年月は、不詳。昔は、現在地の南方の丘の下に鎮座して、蔵王権現(修験道における最高の礼拝対象で、金峰山寺(きんぷせんじ:奈良県吉野山にある金峰山修験本宗の総本山)蔵王堂の本尊。役(えん)の行者(修験道の祖)が金峰山で衆生救済のために祈請して感得したと伝える)、天白大明神
(諸説あるものの、伊勢土着の麻積(おみ)氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名:伊勢麻績の祖。天照大神が天の岩屋にこもったとき青和幣(あおにきて:麻製の幣(ぬさ))をつくった)に起源を求める説が有力か)として他村よりの崇敬を受けていた記録があるといいます。実際、拝殿に向かって左手(南側)に、右の写真のように、「延喜式内櫛田神社遺構碑」が建っていました。島田城の西方の出城の役目を果たしていたのではないかという推測もあります。「延喜式」の中に朝明郡に櫛田神社と記載されていますので、古くは朝明郡に鎮座していたと考えられます。明治42(1909)年12月、平群神社に合祀された後、昭和27(1952)年12月に分祀して現在に至っています。
主祭神は、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと:八岐大蛇のいけにえとなるところを、素戔嗚尊によって助けられ、その妻となった)。相殿神は、奇日方命(くしびがたのみこと:事代主神の子。妹の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)が神武天皇の皇后になったことにより、可美真手命(うましまでのみこと)とともに申食国政大夫(けくにのまつりごともうすうなきみ:貢進国の高官)となったという)、須佐之男命、保食神(うけもちのかみ:食物の神)、大山津見命(おおやまつみのみこと:山の神)。本殿前の燈籠は野村増右衛門が寄進したものといわれ、燈籠竿石には「寶永弐乙酉年十一月吉日」と刻まれているそうですが、これを知ったのは、この記事を書くプロセスにて。後の祭りというのはこういうこと(残念)。
櫛田神社の境内には、稲荷社がありました。しかし、社名を示すものはありません。拝殿の背後に石碑がありましたが、それには「定礎」とあり、寄贈者の名前が彫られていました。
いったん善教寺のところまで戻って、櫛田神社下の道を行くと、島田自治会が管理する島田共同墓地に行き当たります。ここに、野村増右衛門(正保3(1646)~宝永7(1710)年)の墓があります。増右衛門は、ここ島田の出身。郡代の手
代(8石2人扶持)という低い身分から藩政を左右する地位にまで昇ったものの(元禄13(1700)年には物頭(ものがしら)となり、分限帳によると、宝永2(1705)年の時点で禄高750石で郡代を勤めています)、妬みから宝永7(1710)年に処刑されました。墓は最勝寺にあったものが、善教寺に移された後、さらに、ここに移っています。野村増右衛門の「事件」は、桑名藩にとっても大きな影響を与え、藩主松平定重は越後高田(新潟県上越市)に国替えを命ぜられています。ちなみに、先日訪ねた岸西山遺跡にある大正寺に、増右衛門の供養塔があります(2021年1月15日:大山田川あたりでバードウォッチングとプチ歴史散歩……大正寺と尾野神社について付記、修正しました【1/18】)。
野村増右衛門の墓にお参りしましたので、八風街道に戻りますが、その途中、善教寺の北の四つ辻に大日堂。これは、野村増右衛門の持念仏と称される大日如来像を安置している小さなお堂です。もとは善教寺南の丘陵上にあったものを集落の中を通る往還脇に新築し、移転しています。野村増右衛門が善教寺に寄進したという、三具足(みつぐそく:香炉、ロウソク立て、花瓶)を置く前卓(まえじゃく:燭台・香炉・花瓶を置くための机で、須弥壇の前におく)が保存されているそうです。覗いてみたら、厨子のようなものが見えました。
八風街道に戻り、島田のバス停のところから西に向かいます。このあたりには、日露戦争などに従軍して亡くなられた方の碑や、墓がいくつか建っています。左の碑は、日露戦争に従軍なさった方のもので、母と次男の名義で立てられていました。右は、太平洋戦争に従軍し、戦死なさった方のものでした。今も、花が飾られ、世話が行われています。これらの他にも何ヶ所かでこういう碑、墓を見ました。
久米小学校前の信号交差点まで来ました。信号を越えると、右手(北側)に久米まちづくり
拠点施設が、左手(南側)に久米小学校があります。右の写真が、久米まちづくり拠点施設。今日はここがゴールに設定してありますが、この先にある平群神社などを回ってから。
まちづくり拠点施設を過ぎるとすぐに、左手(南側)に平群(へぐり)神社の一の鳥居があ
ります。予告編にも書きましたが、ここはずっと以前から訪ねてみたいと思っていたところです。そう思った訳の一つは、日本武尊の伝説があることです。日本武尊は、東征の帰り伊吹山で病となり、多度を通り、桑名の志知村・平群山にさしかかった時、同じ名前の故郷の平群を想い、 歌を詠み、また、神社の裏の平群池でヤマトタケルが足を洗ったといいます。「足を洗った」といえば、桑名・新屋敷にも「天武天皇御足洗井」があります(2020年12月9日:円通寺の大イチョウを見てきました)。もう一つは、平群池に伝説というか昔話があり、平群池を見てみたいということです。「片目の魚」、「久左衛門と白鷺」という話し(こちら)。
平群神社の背後の平群山(右上の写真を参照)は、古代神奈備(かんなび:上代、神霊の鎮座すると信じられた山や森)の遺跡といわれるだけあって、神社には神々しい雰囲気が感じられます。延喜式内社。平安時代前期、第54代仁明天皇(在位:833~850年)から第56代清和天皇(在位:858~876年)の間に創立したと伝わっています。木菟宿祢(ずくのすくね:大和平野に居住する臣姓の豪族。伝承城の人物)の後裔である平群氏族は、味酒臣(うまざけのおみ)の姓を賜り、大和国から伊勢国のこの地に移住、祖神を祀ったものだといいますので、志知の氏神様となります。
主祭神は、木菟宿禰と、天照大御神。相殿神は、武内宿禰命(たけうちのすくね:古代,大和朝廷初期に活躍したといわれる伝承上の人物)、大己貴命(おおなむちのみこと:「日本書紀」が設定した国の神の首魁(しゅかい)。「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされる)、須佐之男命(すさのおのみこと)、大山津見命(おおやまつみのみこと:山の神)、倭建命。
拝殿の北側には、慰霊社。戦争などの殉難者を祀っていると思われます。右の写真は、拝殿前から境内を見下ろした写真。木々の茂り具合、木漏れ日の感じなど、いかにも神様がいらっしゃるという雰囲気を醸し出しています。
こちらは、日本武尊の歌碑。「いのちのまたけむ人はたたみこもへくりの山のくまかしか葉をうすにさせその子」。氏子の皆さんが建立されたものだそうです。意味は、概略次の通り:
命が無事だつた人は、大和の國の平群の山のりつぱなカシの木の葉を頭插にお插しなさい。お前たち。
また、境内には、狛犬の台座2基に俳句。向かって左の狛犬には、「いろいろの草を沈めて秋の水」という小林雨月の句。小林雨月は、桑名別院本統寺にある芭蕉の「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」句碑を建立した人物。
向かって右の狛犬の台座にも、同様に、小林雨月の句が刻まれています。こちらには、「菊の世や多度も鈴鹿も一かすみ」とあります。いずれも、昭和8(1933)年春の建立。
平群神社の南西に平群池があります。ここは、水環境整備事業の一環として「平群沢ため池
公園」として整備されています。上述のように、倭建命の足洗池と伝わっています。池の周囲には遊歩道が整備されていて、散策にも好適。池には、コイなど魚もたくさん泳いでいるのが見えました。が、いろいろ伝説がありますから、魚を釣ったり、撮ったりするのは憚られます。
池の北側には、平郷水神が祀られています。また、池の東側にある芝生広場の一角には、日本武尊の銅像が鎮座。
その2は、ここまで。平群神社あたりで、スタートから4㎞を歩いてきました。神社を出るときには12時を過ぎていましたが、目的としたところは残り2箇所ですので、このまま歩き続けます。その話は、その3にて。
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