20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その2)……秋葉三尺膨大権現、尾畑山城跡、立坂神社旧蹟から円妙寺墓地で松平定良公墓所へ
2月1日の「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」のその2です。その1では、播磨を出発して、北別所神明社、北別所中世墓を経て、高塚第三公園から高塚山古墳に登ろうとして、途中で断念。竹林にある式部泉のあたりを通って、土佛山聖衆寺まできました。その2は、この聖衆寺の奥の院でもある、秋葉三尺膨大権現からです。
聖衆寺の本堂に向かって右手に秋葉三尺坊大権現へ上がっていく階段があります。かなり急な階段。左の写真の上にさらに階段があるのです。私より年配の男性が、手すりにしがみつくようにして降りてこられます。笑えません。「明日は我が身」という気がします。
こちらが秋葉三尺坊大権現の本殿。伝承によると、三尺坊という信濃出身で、越後の栃尾蔵王堂所属の修験者がいました。秋葉山(浜松市天竜区の天竜川中流左岸にある山。別称「あきばさん」。標高885m。頂上には古くから火伏せの神をまつる秋葉神社があります)に一千日参籠し火生三昧(かしようざんまい:身から火炎を出す三昧で、身から火炎を出し、その火でいっさいの悪魔、煩悩を焼き尽くすというもの)の法を修し、神通不思議の験力を得、飛行昇天したので、秋葉山に合祀し、秋葉三尺坊というようになったとも、秋葉山に大火が発生した際に三尺坊が現れ、火生三昧を修して猛火を止めたことにより火防鎮守としてまつられたとも伝わっています。ここに祀られた経緯については調べが付きませんでしたが、毎年4月17日に行なわれる秋葉大祭火渡り神事は、明治元(1868)年より続いています。
この秋葉堂には、天手力雄命(アマノタヂカラオノミコト:天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神)、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと:天照大神に天岩戸から出てもらうことを考え、成功させた神(ちなみに、思兼神(おもいかねのかみ)とは、多くの思慮を兼ね備えた神、深く思慮する神)、妙音楽天女(みょうおんがくてんにょ:弁才天(べんざいてん:インド神話で、河川の女神。音楽・弁舌・財福・智慧の徳があり、吉祥天とともに信仰されました。仏教・ヒンズー教に取り入れられ、ふつう琵琶を弾く天女の姿で表されます。日本では財福の神として弁財天と書かれるようになり、七福神の一として信仰されています)の異称。美しい音楽を奏するところからこの名前)、天表治命(あめのうわはるのみこと:天八意思兼命の子)、九頭竜大神(くずりゅうの
おおかみ:戸隠山の地主神)、地蔵大菩薩、秋葉三尺房大権現、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ:七観音(千手・馬頭・十一面・聖・如意輪・准胝・不空羂索)または、六観音(七観音のうち不空羂索を除く)の一つ。普通、観音といった場合は、聖観世音菩薩をさします。左の手に蓮華(れんげ)を持ち、右手を開いた形をし、衆生を救済するために種々の身を現ずる大慈大悲の菩薩)、恵比須神(えびすがみ:七福神の一つ。蛭子神(ひるこのかみ)とも、事代主命(ことしろぬしのみこと)ともいわれます。風折り烏帽子に狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)を着け、釣りざおで鯛を釣りあげている姿をしており、商家の福の神として祭られることが多くあります)、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん:頭は象、身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王で、のち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は、男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合・子宝の神として信仰されます)、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう:仏教守護の明王。無動尊・無動使者・不動尊とも呼ばれます。明王中の最高とされ、忿怒(ふんぬ)の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔を祓います)、大黒天(だいこくてん:もとインドで破壊を意味する暗黒の神。密教では、大自在天の眷(けん)族として三宝を守護し、飲食をつかさどる神となり、忿怒(ふんぬ)相を示す。寺の厨房などに祭られました。日本の民間信仰では、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされます。七福神の一で、米俵の上に乗り、頭巾をかぶり、打ち出の小槌を持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で知られています)および毘沙門天(びしゃもんてん:四天王の一神で、北方の世界を守護します。一般に右手に宝棒、左手に宝塔をもつ姿で表され、財宝を施す神として施財天ともいわれます。七福神の一。常に仏法の道場を守り、日夜、法を聞くので多聞天(たもんてん)ともいう)が祀られています。いつも通り、神様などを調べたのですが、たくさんいらっしゃり、大変でした(苦笑)。これだけたくさん祀られているには、理由があると思うのですが、私にはとても理解が及びません。
境内には他にもいろいろとあります。まずは、正一位福寿稲荷大明神。「正一位」は、お稲荷さんには必ずといってよいほど書かれていますが、最高位の位階。京都の伏見稲荷大社が正一位を授与されたことから、各地の稲荷もそのように称しているという話を読んだことがあります。他のお稲荷さんも、由緒が分からないことが多いのですが、この福寿稲荷大明神も同じ。
拝殿に向かって左手前には、小さなお社とお地蔵様。どちらもその名前などは掲げられていません。同じく拝殿に向かって右側には、「秋葉権現堂由来記」があります。伊藤文助翁という桑名南魚町の人(大正6(1917)年12月、77才で亡くなる)が勧請した旨のことが書かれていました。勧請年月については、記されていません。碑は昭和19(1944)年4月に建立。
奥の院は高台で見晴らし良く、往時は景勝地として憩いの場所であったと伝えられていま
す。実際、聖衆寺からここまでの階段を登り切ったところから東を見ますと、左の写真のような眺望が広がっています。今ほど木々が生い茂っていなければ、揖斐・長良川から伊勢湾まで見えるでしょう。ズームアップすると、右の写真のように、長良川河口堰や、名古屋駅前の高層ビル群まで望めます。
また、もう少し右に視線を向けると、この写真のように、桑名市街地のマンションの奥には、名港トリトンまでよく見えます。蟠龍櫓も見えていますので、今はマンションの陰になってしまっていますが、桑名城なども見えたと思われます。景勝地であったであろうことがよく分かります。
聖衆寺に降りて来て、次の目的地に向かいますが、ここ聖衆寺に来たのは2回目(2006年2月11日:標高88.62メートル)。まだ、その山号の由来となった土佛を拝観したことはありません。是非その機会を得たいもの。
スタートから3.2㎞ほど、照源寺霊園の西まで来ました。コミュニティバスの北別所バス停のところに道標が1基建っていました。「右
土佛山 左 西方(にしかた)」とあります(西方は、ここから西へ1㎞あまりのところの地名(イオン桑名があるあたりですが、現在は、新西方となっています。また、これから行く大福田寺、円妙寺、照源寺などは「東方」)。石碑には、「東京 多賀源」とも刻まれています。この向かい側(東北側)に小高い丘というか、山というかがあります。ここは、尾畑城跡(おばたじょうせき)。ただし、今は私有地になっていますので、入れません。ここには、やはり15年ほど前に来ています(2006年1月9日:尾畑城跡を求めて6.5㎞)。史料には、田辺伊勢丸が居城したとありますが、築城時期など詳細は不明。中世の城館跡で、土塁を巡られた方形の曲輪が残っているといいます。
その先、照源寺墓地の角を右折し、南へ。県立桑名高校の方へ進みます。さらに、桑陽(そうよう)保育所に向かいます。ここの敷地内に立坂神社旧蹟があるのです。このあとは、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺と回り、北に向かって、照源寺を目指します。照源寺は、私が好きなお寺で何度も訪ねています。
市立桑陽保育所の敷地内にある立坂神社旧蹟。元はこのあたりを田宮村といい、その産土神である「高野御前」を祀ったそうです。海善寺の僧が修行に出る時、道中安全を祈願して草鞋を供えたので、草鞋(わらじ)社とも呼ばれました。ここにあった立坂神社は、尾野神社に合祀されています(新矢田にある立坂神社は、もともと矢田八幡社と称しており、明治以後、式内立坂神社と称しています)。実は、この立坂神社旧蹟、桑陽保育所の敷地内にあるはずと思って行ったのですが、なかなか見つけられず、ちょっと苦労(右の写真が桑陽保育所。立坂神社旧蹟は、写真の右端にあります)。というのも、石碑は西向きに建っているのですが、この裏手から西に向かって歩いていたので、木陰になっていて見えず、通り過ぎてウロウロしたという次第。
続いて、県立桑名高校の北を通って、円妙寺(えんみょうじ)墓地へ。桑名藩6代藩主・松平定良(1632~1657)とその正室養仙院の墓があります。
定良公は明暦2(1656)年に病となり、有馬温泉で治療しましたが、翌明暦3(1657)年7月18日、桑名への帰路、京都で26歳の若さで客死しています。日蓮宗を信仰したので、松平家の菩提寺照源寺とは別に、円妙寺が創建され、ここに葬られました。法名は、光徳院円妙日法大居士。霊廟は墓地の奥(北隅)に東面し、石廟造りで、正面4mの光徳院殿が松平定良公、その後方右から一安院は殉死堀田一可、法性院は殉死多賀道次、蓮心院は殉死長瀬政直で計4基。霊廟は、荒廃して石垣が崩れ、樹木雑草に蔽われているのは、残念。円妙寺はもともとこの墓地の東北あたりにあったといいます。
こちらは、正室養仙院の墓。墓地よりやや斜面を下がった東側に独立しています。養仙院(~1683年)は7代定重の母、京極高広の女、法名は、養仙院了栄妙護日立。
円妙寺からすぐ南東に大福田寺があります。このあたりでほぼ4㎞、時刻は10時20分。大福田寺は、高野山真言宗の寺。山号は神宝山。院号は法皇院。本尊は阿弥陀如来。ほかに聖天(歓喜天ともいう:仏教を守護する天部の善神。多く象頭人身で表されます。仏教に取り入れられてからは富貴・子孫・消厄の得の神とされ、双身で男女抱合像として祀られることもあります)を祀り、日本三大聖天(三大聖天には、東京都台東区の待乳山聖天(本龍院)と、奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)の2つは必ず入っていますが、他はいろいろ)の一つに数えられています。毎年2月3日に節分祭が、また、4月1日・2日に桑名聖天大祭が行われます。
この寺の創建年代については正確ではありませんが、用明天皇の時、聖徳太子が度会郡山田に開いたと伝えられます。鎌倉時代中期、後宇多天皇の建治年間に神宮詞人大和守・額田部実澄(ぬかたべのさねずみ)・忍性(にんしょう)によって、市内江場大福地内に再興されましたが、度重なる兵火や風水害によって、寛文2(1662)年、現在地に移築されています。当初は、福田村にあったため福田寺と称したのですが、足利尊氏から「大」の字を賜り、大福田寺と改められたという話が伝わっています。左の写真は、本堂。
こちらが聖天堂。歓喜天(聖天)は松平定信の寄進によるものとされるそうです。この日は2月1日でしたが、すでに節分祭が始まっていたようで、人も多く、露店も複数出ていました(ただし、今年は豆まきは中止)。境内には、稲荷社もあります。ちなみに、ここ大福田寺の節分行事は、地元では有名。境内では豆まきや福餅投げが行なわれ、大賑わいになります。また、鬼が市内を練り歩く「鬼追い厄払い」もあり、大福田寺にお願いすると、施設だけでなく、個人宅でも赤鬼・青鬼が揃ってやって来てくれます。
その2も長くなりましたので、ここまで。その3では、円妙寺、照源寺、円妙寺、尾野神社からゴールまでを取り上げます。
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