20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その3……揚げ雲雀の鳴き声を聞きながら連敬寺、景清屋敷跡、久米まちづくり拠点施設で「完」
2月6日の「桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)」のその3です。今回で完結予定。その2では、平群神社と平群沢ため池公園まで来ました。念願を一つ果たしたという次第。このあとは、八風街道に戻って、すぐに右折し、連敬寺へ。ここも、長島一向一揆に関わるお寺。さらに、もう一つ、訪ねたいとずっと思っていた景清屋敷跡へ。本来であれば、八風街道をもう少し西に行ったところにある来遊寺(真宗大谷派。長島一向一揆では一揆方に味方。元は、多度・法泉寺の末寺)にも行きたかったのですが、今回はパス。景清屋敷跡からは砂出川沿いを歩いて、久米まちづくり拠点施設へ。この前に平群神社前バス停がありますので、ここがこの日のゴール。
景清山連敬寺(かげきよざんれんぎょうじ)。真宗大谷派のお寺。このあたりの小字名が「鎮守堂」で、平景清(たいらのかげきよ)と深い関係があったと推測されています。連敬寺は、もとは多度・香取の法泉寺の末寺でした。長島一向一揆のとき、一揆方に味方し、信長に焼かれ、江戸時代初期に再興されています。
本堂をよく見たら、入り口が障子戸になっていました。最近はサッシにガラス窓になっているところが多く、珍しい気がします。ここでは、このお寺の男の子が遊んでいたので、挨拶して見せてもらっていたら、「お父さんを呼んできましょうか?」と尋ねられました。丁寧な応対と、きちんとしたしつけを受けているようで、「さすがにお寺で育つと違うなぁ」と思った次第。
連敬寺のすぐ北の麦畑の脇には「連敬寺跡」という石碑が建っていました。このあたりを歩いていると、あちこちで揚げ雲雀の鳴き声が聞こえてきました。揚げ雲雀は、ヒバリのオスによる「縄張り宣言」。ヒバリたち、すでに繁殖の準備に入っているようです。春がもうすぐそこに来ているのを感じます。
連敬寺から北西へ300m弱、水田の畦道沿いに景清屋敷跡があります。景清は、平家物語にも登場する平七兵衛景清(藤原景清)で、平安時代に平資盛(たいらのすけもり・平清盛の孫)の名代として、志知に住み、代官として治政にあたったという伝説があるのです。景清は、源平の戦に臨み、勇名をとどろかし、「悪七兵衛景清」と称されました。ここは戦前までは森となっていたそうです。中世の城館跡で、山茶碗、大窯製品などが出土しています。また、周辺は鎌倉時代の陶器などが出土したということで、連敬寺遺跡になっています。ここ景清屋敷跡も、以前から訪ねたかったところです。
景清屋敷跡には、石碑が建てられています。碑には、「平家住みし 遺跡を濡らす 春の雨」という内田一舟の句が刻まれています(内田一舟について、ネット検索では詳細不明)。昭和53(1978)年3月の建立。さらに、下記のような漢詩がそれに続いています。この漢詩には、「訪平景清公遺跡/戌午弥生桑城」と添えられています。「戊午」は昭和53(1978)年の干支。「弥生」は3月でしょうから、昭和53(1978)年3月に「桑城」という方がここを尋ねて詠んだ漢詩ということでしょう。
聞説景公留志知
當年遺跡再興誰
恩讐如夢恨何限
八百星霜剰一碑
ちなみに、源平合戦で、源氏は敗れ、東国に去りましたが、伊勢国は、平氏の影響が大きくありました。桑名にも、平氏は平安時代から勢力があったといいます。伊勢平氏ということばがあるくらいです。伊勢平氏とは、桓武(かんむ)平氏の諸流のうち平維衡(たいらのこれひら)の子孫をいいます。伊勢・伊賀地方を根拠地としていました。5代忠盛以後、中央政界に進出し、その子の清盛が武家としてはじめて政権を樹立しています。
これで、来遊寺を残して、今回の目的地はコンプリート。時刻は12時25分を過ぎました。次の桑名駅前行きのバスは、平群神社前を12時26分発。乗り遅れ確定です(苦笑)。次は1時間後。やむなく、久米まちづくり拠点施設のところまで戻って、グラウンドゴルフをする広場のベンチで時間つぶしをしたり、ここにある石碑などを見て回ったりすることに。12時45分にまちづくり拠点施設に到着。
久米まちづくり拠点施設には裏門の方から入ったのですが、そこに石造りの門柱があり、「久米村役場」と刻まれています。このあたりは、昭和30(1955)年に桑名市に合併するまでは、久米村でした。久米村は員弁郡に属していましたので、郡境を越えての合併。江戸時代にあった坂井村、赤尾村、友村、島田村、志知村、中上村が明治22(1889)年に合併して久米村となっています。古代に大和の久米から移住してきた人びとによって開発されたため、久米郷と呼ばれていました。 昭和23(1948)年の町村合併促進法の施行の際に、三重県庁では大長村、稲部村、神田村と合併する計画を立てたものの、村民の世論調査では桑名市への合併を希望するものが過半数を占めたといいます。これに対して中上地区は東員村(現東員町)への合併を希望し、合併問題は一時紛糾したのですが、中上地区は東員村と合併し、その他の地区は桑名市と合併したという歴史があります。
忠魂碑。昭和12(1937)年4月に「帝国在郷軍人會 久米村分會」が建立しています。陸軍大将・杉山元(すぎやまはじめ)の書。杉山は、福岡県の生まれで、元帥、陸軍大将。昭和15(1940)年、参謀総長に就任し、太平洋戦争初期の陸軍の総指揮に当たった人物。終戦後、自殺しています。昭和12(1937)年4月は、盧溝橋事件の前ですから、日清、日露両戦争に従軍した方のための忠魂碑と考えられます。
敷地の東端には、「藤ノ森平太郎碑」。またもや、あのミスを犯し、碑陰を見てきませんでした(苦笑)。というのも、この写真は、平群神社に行くのに、ここを通ったときに撮ったものなのです。ハイキングでは毎回、こういうミスを1回は必ず犯します。学習しません。他人様にエラそうにはいえません。ちなみに、ネット検索では情報なし。桑名市史、新桑名歴史散歩などにも出てこない人物でした。
もう一つ。「久米小学校跡」と刻まれた記念碑。「佐々木宗一書」とあります。明治8(1875)年、連敬寺境内に設けられた志知学校が起源。明治20(1887)年に設立された教立尋常小学校が、補修科を併設した後、明治40(1907)年にここに新築落成移転しています。この碑は、昭和50(1975)年に創立百周年を記念して建立されたもの。
向かって右には、「念いれて かへり見て亦 学ぶ秋」と刻まれています(たぶん。というのも、自分で解読した故、間違っているかも)。ただ、残念ながら、作者名が読めず(苦笑)。しばらく前にくずし字の入門書を読んだものの(小林正博: これなら読める!くずし字・古文書入門 (潮新書))、まだまだ勉強が足らず。左には、「百歳の学びの庭の思いでは 緑さやかに 松の下影」という一舟の和歌が刻まれています。
休憩したり、石碑を見たりしているうちに、桑名駅前行きのバスの時刻が近づきました。平群神社前バス停発13時26分に乗車。この帰りのバスには桑名西高の生徒さんが多数乗車。途中から乗る人もけっこうありました。桑名駅前には13時58分着。¥420。
いつものように、桑名駅あたりで遅めの昼食を摂って帰ることにし、桑名駅自由通路にある伊勢ノ国ダイニングSicili(シチリ)へ。ここも前から一度入ってみたかった店なのです。「とろアジフライランチ(税込み¥980)」をチョイス。大きくて、部厚いアジフライを堪能。桑名の魚城の卵焼きが付いていました。前期高齢者には、食べ過ぎで(苦笑)、夕食の量を減らしたくらい。ちなみに、このお店も、最近は、ご多分に漏れず、テイクアウトも充実しています。
この日、現地で歩いたのは6.5㎞。自宅から桑名駅前のバスターミナルへの往復が2.3㎞。合計8.8㎞を歩いてきました。スマホのALKOOでは、歩数は16,477歩を達成。今回の「桑名の八風街道を行く」ハイキングも、2月1日の「勝手に養老鉄道ハイキング 桑名駅西歴史散歩」、いずれもネタ本は「くわな史跡めぐり」(桑名市文化課、平成28(2016)年3月刊行)。この本は、ミス多発で、新聞やテレビで取り上げられたこともあって、すぐに販売停止に至っていますから、稀覯本といえるかも知れません。詳細な正誤表がありますので、自分で訂正を書き込むのに、むしろ熟読できてよいと私などは思っています。冗談はともかく、市内の歴史散歩には格好のガイドブックです。
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