20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)(予告編)
もともと先週の土曜日に行こうかと計画していたのですが、その日は午前中は雪模様という予報で、今日に延期。ポカポカ陽気でした。風も弱く、最高気温も14.2℃。ダウンジャケットで歩いていると汗をかくくらいでした。昨年12月19日に出かけた「2020年12月19日:20201219桑名の八風街道を行く(東金井から能部へ)」の続きで、桑名の八風街道を歩いてきました。前回も書きましたが、本来の八風街道は、四日市市富田一色を起点として東海道と交差し、大矢知、平津を経て菰野町田光で巡見道と合流、八風峠を越える道です。桑名では、町屋川右岸の街道を八風街道を呼びます(くわな史跡めぐり)。これは、町屋川右岸の道が田光付近で四日市からの八風道と交わるからとも、桑名の道が昔は八風道と呼ばれていたからと、諸説があります。桑名の八風街道は、桑名市東金井から志知まで約7㎞あります。前回は、東金井から能部までを歩きました。今日は、能部から志知までの予告編。
こちらが今日歩いたルートマップ。桑名西高校行きの八風バスで能部まで行き、能部神社へ。本来の八風道は、能部バス停から西へ行き、赤尾交差点と進みます。しかし、能部神社からそのまま正和台の団地を通り抜け、多少ウロウロして、平田御薗神明社、浄興寺を回って、八風道に戻り、ゼニス羽田のところで島田城跡を眺め、善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓。久米小学校前から平群神社、平群沢溜池公園、連敬寺、景清屋敷跡まで足を伸ばして、ゴールの久米まちづくり拠点施設へ。ここにある平群神社前のバス停から八風バスで、桑名駅前まで戻って来ました。現地で歩いたのは、6.5㎞ほど。
桑名駅前のバスターミナル8番乗り場から八風バス・桑名西高校行きが出ます。乗車したのは、9時25分発。この1本前は7時55分ですので、いかにも早い。ここから、前回ゴールとした能部(のんべ)バス停までは20分、¥340。9時45分に今日のハイキングはスタート。
能部神社。創立は不詳。明治21(1888)年、春日神社が鎮座していたのですが、明治40(1907)年、八幡宮境内に移し、「能部神社」と単称。明治41(1908)年には桑部にある長谷神社に合祀となりました。終戦後、氏子の総意により分祀されることになり、ここの旧社地に分祀、鎮座されました。主祭神は、建御雷之男神、相殿神は、大日孁貴命、素盞嗚尊、品陀和気命、大山祇神、菊理姫命。このあと、八風道に戻らなくても、正和台を抜けて行けそうでしたので、そのまま西へ。
赤尾台(あこおだい)まで来て、まずは、平田御薗神明社。創立年月は不詳ですが、由緒書きによれば、南北朝時代にはあったといいます。御薗神明社の社名の如く、赤尾は伊勢神宮の御料として、米を奉納していたところです。社地は、いろいろと変遷はあったものの、中世の赤尾氏城跡にあったといいます。大正時代には、赤尾東山に移り、さらに昭和から平成の時代、住宅地造成などにより、ここに移転したといいます。主祭神は、天照皇大神。相殿神は、品田和気命、須佐之男命、菅原道真、大山咋命、大山祇命。
平田御薗神明社のすぐ隣に西南山浄光寺。真宗本願寺派のお寺。元は真言宗でした。名桜5(1496)年、僧・正西(しょうさい)が中興し、真宗に改宗。長島一向一揆の兵火に遭って中絶したものの、1750~1800年頃に再興。文化2(1805)年、員弁郡野田村から水害を避けて、檀家ともどもここに移ってきました。「檀家ともども」というのがすごいと思います。
八風道に戻って西へ、スタートから2㎞ほどでゼニス羽田(旧・羽田ヒューム管)の工場前へ。この敷地内に島田城跡があります。写真で前方に見える小高い丘がそれ。戦国時代に島田兵庫助が居城したといいます。永禄11(1568)年の信長の伊勢侵攻で滅ぼされています。中世の城館跡で、郭、堀、土塁があるといいますが、ゼニス羽田の敷地内で、残念ながら、勝手には入れません。
島田城跡を過ぎたところで、八風道から離れ、遍照山善教寺へ。もとは、弘仁3年(812)年、空海が開基した真言宗の寺でしたが、応仁元(1467)年、僧隆教のとき、蓮如上人の巡教により真宗に改宗したといわれます。真宗本願寺派のお寺。長島の願証寺の末寺でしたが、正徳5(1715)年、願証寺が高田派に改修したときにそれにしたがわず、本願寺派に留まっています。ご本尊(阿弥陀如来像)は、この地方出身の野村増右衛門吉正の持念仏(弘法大師作という)であるとされます。
善教寺から少し登ったところに、櫛田神社。創立年月は不詳。昔は、現在地の南方の丘の下に鎮
座し、蔵王権現、天白天明神であったといいます。寛永12(1635)年の郷村帳には、現在地として明記されているそうです。明治42(1909)年、平群神社に合祀されたものの、昭和27(1952)年に分祀して現在に至っています。
櫛田神社からさらに南に行った島田地区の共同墓地に、野村増右衛門(正保3(1646)~宝永7(1710)年)の墓があります。増右衛門は、こ
こ島田の出身。郡代の手代(8石2人扶持)という低い身分から藩政を左右する地位にまで昇ったものの(元禄13(1700)年には物頭(ものがしら)となり、分限帳によると、宝永2(1705)年の時点で禄高750石で郡代を勤めています)、妬みから宝永7(1710)年に処刑されました。墓は最勝寺にあったものが、善教寺に移された後、さらに、ここに移っています。野村増右衛門の「事件」は、桑名藩にとっても大きな影響を与え、藩主松平定重は越後高田(新潟県上越市)に国替えを命ぜられています。ちなみに、先日訪ねた岸西山遺跡にある大正寺に、増右衛門の供養塔があります(2021年1月15日:大山田川あたりでバードウォッチングとプチ歴史散歩……大正寺と尾野神社について付記、修正しました【1/18】)。
八風道に戻って、さらに西へ。久米小学校や、久米まちづくり拠点施設を過ぎると、街道沿いに平群(へぐり)神社の一の鳥居が建っています。ここは、ずいぶん前から一度来てみたかった神社で、念願が叶ったという次第。延喜式内社で、志知の氏神様。主祭神は、木菟宿禰(ずくすくね)と、天照大御神。相殿神は、武内宿禰命、大己貴命、須佐之男命、大山津見命、倭建命。木菟宿禰は、平群氏族の祖神です。また、このあたりは、また、倭建命(日本武尊)御駐足の跡と伝えられています。ここは、いかにも神様がいらっしゃるという雰囲気の神社でした。神社の背後の平群山は、古代神奈備(かんなび:上代、神霊の鎮座すると信じられた山や森)の遺跡といわれます。
境内には、氏子などによって建てられた日本武尊の御歌「いのちのまたけむ人はたたみこもへくりの山のくまかしか葉をうすにさせその子」を刻んだ石碑があります。また、境内奥には倭建命の足洗池と伝えられる池があり、「平群池の白サギ」などの伝説も残っています。池の周りは、平群沢溜池公園として整備されています。この平群池も、一度は来たいと思っていたところです。
平群神社の近くには、平景清(たいらのかげきよ)伝説に関わる遺跡があり、そちらにも行ってみたいところですので、足を延ばしました。そこへ行く途中に景清山連敬寺(かげきよざんれんぎょうじ)。真宗大谷派のお寺。このあたりの小字名が「鎮守堂」で、平景清と深い関係があったと推測されています。連敬寺は、もとは多度・香取の法泉寺の末寺でした。長島一向一揆のとき、一揆方に味方し、信長に焼かれ、江戸時代初期に再興されています。近くの畑には「連敬寺跡」という石碑が建っていました。
連敬寺から北西へ少し行くと、田畑の中に「景清屋敷跡」があります。景清は、平家物語にも登場する侍大将。代官として桑名に住んだという伝説があるのです。ここは戦前までは森となっていて、周辺は鎌倉時代の陶器などが出土したということで、連敬寺遺跡になっています。中世の城館跡で、山茶碗、大窯製品などが出土。景清屋敷跡を見終えた時点で、12時25分を過ぎました。帰りのバスは、久米まちづくり拠点施設のところにある平群神社前を12時26分発。乗り遅れです(苦笑)。次は1時間後。
やむなく、久米まちづくり拠点施設のところまで戻って、グラウンドゴルフをする広場のベンチで時間つぶし。12時45分にまちづくり拠点施設に到着。13時26分
発の桑名駅前行きを待って、それに乗車。桑名駅前には13時58分。¥420。
桑名駅にある伊勢ノ国ダイニングSicili(シチリ)で昼ご飯。ここも前から一度入ってみたかった店なのです。「とろアジフライランチ(税込み¥980)」をチョイス。大きくて、部厚いアジフライを堪能。桑名の魚城の卵焼きが付いていました。前期高齢者には、食べ過ぎで(苦笑)、夕食の量を減らしたくらい。
その後、徒歩にて15時に帰宅。今日の歩数は、ALKOOでは、16,477歩でした。今日は、取り敢えず、行ってきたところの紹介としました。本編は、明日以降書きます。
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