20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編)
下調べはしていたものの、日程的には、ほぼ思いつきで出かけてきました。「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」というタイトルにしましたが、「養老鉄道ハイキング」となったのは、結果論。「くわな史跡巡り」という桑名市文化課が、平成28(2016)年3月に刊行した本があります(ミス多発で、すぐに販売停止され、今日に至っていますから、稀覯本といえるかも知れません)。これの122~125ページにある「駅西コース:照源寺コース」を参考にコースを組み立てたのです。あれこれ見て回り、写真も多数になりますので、今日のところは予告編。
こちらが歩いたコース。播磨郵便局あたりから先日行った岸西山の西を通って南下。県道142号線を越えて、北別所神明社、北 別所中世墓、高塚第三公園、高塚山古墳(途中で断念)、式部泉あたり、土佛山聖衆寺、立坂神社𦾔跡、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺、東海山照源寺、専明寺、尾野神社と回って、養老鉄道播磨駅にゴール。播磨駅で10分待つと桑名駅往きの電車がありましたので、ここで初めて「勝手に養老鉄道ハイキング」となった次第。現地で歩いたのは、6.5㎞。桑名駅から自宅が1.2㎞ほど。スマホのALKOOでは、16,091歩(12.3㎞は、電車その他を含んでいると思います)。
スタートしたのは、故あってこのあたり。播磨郵便局が見えています。ここから坂道を登って、高塚、北別所当たりの住宅街を進んでいきます。県道142号線(国道1号線宮前交差点から大山田方面に通じています)を越え、旧・桑名市民病院(前桑名西医療センター)の南を通って行きます。すでに建物は解体され、更地になっています。早ければ、昨年、有料老人ホームと分譲型の医療モール、介護ショップを併設した調剤薬局など開業するということでしたが(こちら)、まだ建物は見えませんでした。
旧・市民病院の南、歩き始めて1㎞で北別所神明社。創始は不詳。織田信長の伊勢侵攻の時、桑名ではここに本陣を置いたと いいます。神社の由緒には、織田信長在陣の時、当神明社を崇敬し、幣帛等を奉納し、また、社内に公の駒繋の松と伝える松があったといいます。
「くわな史跡巡り」には、北別所神明社から道をはさんだ南に「北別所中世墓」があったとあります。ただし、発掘されずに破壊され、詳細は不明。瀬戸焼の壺が出土し、墓があったといいます。今は、左の写真のように、建物が建っています。たぶんここと思います。
北別所神明社からは西へ。坂道を登っていきます。登り切って、高塚の住宅団地の西の端に 高塚第三公園。標高70m弱。スタート地点が12~13mでしたから、かなり登ってきました。この公園の西に高塚山古墳があります。15年前に訪ねています(2006年2月11日:標高88.62メートル)。再度訪問しようと思ったのです。
高塚山古墳に登ろうかどうしようか迷っていたら、地元にお住まいの男性が通りかかられたので伺ってみました。「う~ん、行けるけど、今は難しいよ」ということでした。しかし、まあせっかく来たからと登りかけたのですが、途中で右のような状態。この古墳、竹林になっているのですが、最近は人の手が入っていないようで、かなり荒れていました。男性も、「古墳の標識も、今は倒れてしまっている」とおっしゃっていましたので、登るのは結局、断念。
こちらは、左の写真の先の曲がり角から見た東の方。長良川河口堰、伊勢大橋の向こうには、名古屋駅前の 高層ビル群まで見えました。
高塚第三公園まで戻って、竹林沿いの道を行きます。この先に式部泉とい うのがありました。平安時代の歌人・和泉式部が硯の水にした、あるいは、長嶋一揆の時、江州住人山本式部何某が討れて、その首を洗ったという話しがあります。式部泉がどこにあったかは、今となっては不明。雰囲気というか、イメージというか、京都の嵯峨野を彷彿とさせる静けさがあります。外からの音が、竹に吸い取られているような感じでした。ちなみに、和泉式部にまつわる説話、伝説は、民間信仰と結びついて広く各地に分布しているといいますから、硯の水にしたというのも真偽は不明と思います。
数分歩くと土佛山聖衆寺(どぶつさんせいしゅうじ)に至ります。桑名では「土佛さん(どぶっつぁん)」と呼ばれます。建仁4(1204)年創建の古刹ですが、信長の伊勢侵攻の時に焼かれ、詳細は不明。江戸時代の中頃、瓦師岡本信行が再興し、焼き物で阿弥陀如来(市文化財)をつくったため、「土佛さん」といわれます。伊勢七福神(恵比寿神)にして、三重四国八十八箇所第2番札所。ここで2㎞。
土佛さんの奥には、秋葉三尺膨大権現。聖衆寺の奥の院の秋葉堂になります。ここには、秋葉三尺房大権現、恵比須神、天手力雄命、九頭龍大神、地蔵菩薩、聖観世音菩薩、大聖歓喜天などが祀られています。高台で見晴らしがとても良く、往時は景勝地として憩いの場所であったと伝えられています。右の写真は、少しズームアップしていますが、名港トリトンまで見えています(ちなみに、拙宅マンションも写っています)。
聖衆寺から東へ。市街地の方へ歩いて行きます。3.2㎞ほど、照源寺霊園の西まで来ました。ここには、尾畑城跡があります。左の写真で正面の小高い丘がそれ。ただ、今は私有地になっていますので、入れません。ここには、やはり15年ほど前に来ています(2006年1月9日:尾畑城跡を求めて6.5㎞)。史料には、田辺伊勢丸が居城したとありますが、築城時期など詳細は不明。土塁を巡られた方形の曲輪が残っているといいます。
続いては、立坂神社があった跡へ。桑陽(そうよう)保育所の敷地当たりにあるはずと思って行ったのですが、なかなか見つ けられず、ちょっと苦労。とうのも、石碑は西向きに建っているのですが、この浦の方から西に向かって歩いていたので、見えず、通り過ぎてウロウロしたという次第。その昔は、田宮村。産土神の高野御前を祀ったといいます。海善寺の僧が修行に出る時、道中安全を祈願して草鞋を供えたので、草鞋社ともいったといいます。ここにあった立坂神社は、尾野神社に合祀されています(新矢田にある立坂神社は、もともと矢田八幡社と称しており、明治以後、式内立坂神社と称しています)。
県立桑名高校の北を通って、円妙寺墓地へ。桑名藩6代藩主・松平定良(1632~165 7)とその正室養仙院の墓があります。 定良は、明暦3(1657)年7月18日、26歳で病没。日蓮宗を信仰したので、松平家の菩提寺照源寺とは別に、円妙寺が創建され、ここに葬られました。法名光徳院円妙日法大居士。右は、定良の墓。円妙院はもともとこの墓地の東北あたりにあったといいます。
神宝山法皇院大福田寺。聖徳太子創建と伝えられる真言宗のお寺。山門は江戸時代建立といわれています。毎年2月3日には節分祭が行われますが、すでに賑わっており、門前には露店も出ていました。奈良の生駒、東京の待乳山と並んで、日本三聖天の一つといわれます。ちなみに、今年の豆まきは中止。賑わっていたので、早々に撤退。ここはまだゆっくりと見て回ったことはありません。
大福田寺の東には、円妙寺。日蓮宗のお寺。上述のように、定綱系久松松平家第2代当主で伊勢桑名藩主(第6代)の松平定良の菩提寺として建立されました。宝暦年間(1751~1764年)に火災に遭い、境内が全焼したので、当時の旧桑名藩主・久松松平家の領国である陸奥白河藩へ移転しました(ただし、養珠庵と仙妙庵と墓地はそのまま当地に残っています)。文政6(1823)年、白河藩の久松松平家が、桑名へ再び国替えとなり、当寺も桑名に戻って来ています。山門は、嘉永年間(1848~1855年)に建てられ、戦災に遭わず現在に至っています。
円妙寺の後は、東海山照源寺へ。浄土宗のお寺。ここでほぼ5㎞。寛永元(1624)年、桑名藩主であった松平定勝公(徳川家 康公の異父弟)が亡くなったとき、二代将軍徳川秀忠の命によって、定勝の子・松平定行公が建立した寺。ここは私の好きなお寺で、たびたび訪れています。
いろいろな石碑などがありますが、何といっても「松平定綱及び一統之墓所」があります(県史跡)。定勝の他、久松松平系の定綱他の一統の墓、26基が並ぶのです(2013年7月1日:照源寺へ、しかし、ハスは空振りで、松平定綱及び一統之墓所へ……昨日の散歩)。時刻は10時50分頃。
照源寺からは北へ。大成小学校のすぐ北に尾野神社。創立不詳。尾野山の北の鼻山に鎮座していたのを、船着大明神の社へ奉還したといいます。社殿は(右の写真)、尾野神社(向かって左)と、立坂神社(向かって右の小さい社)からなっています。尾野神社の御祭神は、天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)。
境内には、「船繋ぎの松」があります。1,000数百年前、このあたりは海陸交通の接点でした(慶長の町割以前、このあたりで町屋川と大山田川が合流し、船の出入りがあったと伝わっています。また、この尾野神社のあるところは、尾野山城跡といわれます。尾野神社の別当・正斎坊が居城し、信長の伊勢侵攻で滅ぼされました。ここは、小野津臣の始祖を祀るといわれ、前方後円墳の形をとどめているそうですが、登り口がやや不安定で下ので、今日はパス。現在、前方部は現在大成小学校の校庭になっています。
これで、今日訪ねようと思っていたところはほぼコンプリート。養老鉄道播磨駅に11時25分に到着。時刻表を見たら、11時 35分に桑名行きがありましたので、これで帰ることにしました。桑名駅までは1駅、¥210。桑名駅には11時38分着。徒歩にて、12時前に帰宅。ずいぶん長くなりましたが、以上、取り敢えず予告編。明日以降、暇を見て、本編を書きます。
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