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2021年2月

2021年2月28日 (日)

今日は、鳥も休みか(苦笑)【桜の種類について修正(3/1)】

Img_5699c_20210228152701  午前中は、曇天。午後から少し晴れ間が出て来ました。気温は、12℃を超えたのですが、午前中は寒い感じでした。いつも通り、朝7時半から散歩。コースもいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、外堀、吉津屋町、南寺町の常信寺、桑名別院、寺町商店街と6.4㎞。日曜なのに、散歩する人は案外少なく、また、鳥も今日は少なめ。

Img_5314c_20210228152801  住吉入江には、オオバン3羽にキンクロハジロのオス1羽、メス1羽。ホシハジロやヒドリガモの姿がこのところ見えません。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が出ていましたが、川の中央あたりにヒドリガモが合計15羽。三の丸公園や、三の丸水門あたりには、ツグミ、ムクドリ、スズメ、ドバトなど。今日は、ジョウビタキの姿はなし。

Img_5377c_20210228152801 Img_5449c_20210228152801  九華公園も静か。ヒヨドリの鳴き声はまったく聞こえず。北門付近でハクセキレイ1羽と、シジュウカラ2羽がいたくらい。奥平屋敷跡まで行って、シロハラが1羽。いつもいるシロハラと思います。しかし、その後が続かず(苦笑)。かなりまってようやく、シメが遠くに登場。他には、ハクセキレイのペア1組、ドバトたち(これもいつメン)。よくやって来るジョウビタキのオスは、登場なし。

Img_5429c  奥平屋敷跡では、西北エリアにある高い松の木にカラスが巣をつくっています。しばらく前から、木の枝を運んで来ています。ただ、どこに巣をつくっているのか、下から見上げてもよく分かりません。

Img_5473c_20210228152801  二の丸跡でもシロハラ。奥平屋敷跡にいたものと同じシロハラかどうかは不明。他にはカワラヒワ。朝日丸跡では、ツツジの植え込みにウグイスがいるのを見つけ、そっとあとを追い、二の丸跡まで行ったのですが、一気に遠くに飛ばれ、見失いました。何とか、ウグイスの撮影をしたいと思っているのですが、うまく行きません。

Img_5557c_20210228152701 Img_5554c_20210228152701  カモは今日は、43羽。ホシハジロのオスが2羽、ハシビロガモが9羽とキンクロハジロ。ヒドリガモは見当たりません。他にはカルガモ2羽。ユリカモメは、餌をやる人がいて、数羽飛んで来たのですが、きちんと確認したのは3羽のみ。今日、九華公園で確認したのは、以上(苦笑)。

Img_5527c_20210228152801 Img_5531c_20210228152701  鎮国守国神社の御車祓戸のところにこんな花。最近は、鎮国稲荷社から柿安本社の方を通って、社務所裏を再確認に行くため、このごろはあまり通らないところで、今日まで気づかず(苦笑)。公園前管理人のOさんと、「河津桜かなぁ?」と話していました。*3月1日、再びOさんと話し、「ヒカンザクラの一種だろう」ということになりました。

Img_5492c_20210228154401 Img_5514c_20210228152801  鎮国さんの境内、梅はほぼ満開。左の写真は天守台のところ、右は、鎮国稲荷社の一の鳥居のところにある豊後梅。曇天であまり色が出ないのは、残念。しかも、今日は、メジロは来ておらず。

Img_5576c Img_5586c_20210228152701  貝塚公園には9時40分頃到着。散歩友達Sさんが歩いていました。しゃべっている間にシロハラとツグミが登場。ツグミは、昨年まではよくいたのに、今年はきわめて少ないのです。何か条件が違うのか、よく分かりません。

Img_5589c_20210228152701  Sさんと別れて、公園内を歩いていたら、何か飛びました。そっと行くと、モズのオス。貝塚公園では、時たまモズに出遭います。今シーズンはあまり鳥がいないのですが、こういう出会いがありますから、散歩コースから外せないのです。

Img_5617c Img_5622c_20210228152701  南寺町の常信寺。ジンチョウゲがかなり咲いてきています。ジンチョウゲは、2月20日に咲き始めています(2021年2月20日:「河津桜にメジロ」再チャレンジ……常信寺のジンチョウゲ、咲く(微妙ではありますが))。

Img_5626c Img_5644c  常信寺には、サンシュユや、ミツマタもあります。サンシュユの花は、それなりのものが撮れましたが(左の写真)、ミツマタはピンぼけ(苦笑)。明日、再チャレンジ。代わりにミモザ(右の写真)。

Img_5663c_20210228152701  寺町商店街では、今日は、三八市で賑わっていました。河津桜というよりも、「河津桜にメジロ」が撮りたかったのですが、今日、私が行った時間にはヒヨドリはいたものの、メジロは見つけられませんでした。明日は、定休日。人も少ないので、こちらも再チャレンジ。

【付記(3/1)】 本文中にアステリスクマークを入れて付記しましたが、鎮国守国神社で見つけた桜は、ヒカンザクラの一種だろうと思います。花の色が濃くて、俯き気味に咲くことから、このように考えましたが、詳しい方がいらっしゃれば、是非ご教示ください。

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2021年2月27日 (土)

20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完)【飛鳥寺廃寺跡について付記しました(3/1)】

 朝は風が冷たかったものの、次第に風も弱まり、暖かくなりました。ほぼ1年前に、新型コロナウィルス感染症によって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングが軒並み中止となったため、「勝手に養老鉄道ハイキング」を企画し、桑名の美濃街道を歩きました(20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編)20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(予告編))。今回、同級生K氏と、昨年と同じルートをもう一度辿ることとし、今日は、川口町から下深谷までを歩いてきました。

Mino  こちらが、今日のコース。昨年3月1日と同じです。美濃街道は、七里の渡しから東海道を南へ160mほど下ったところ、川口町Img_5029c と江戸町の間の三叉路が起点となります。ここから三崎通、参宮通、国道1号線、上之輪、深谷と進みます。今日は、養老鉄道下深谷駅をゴールとし、マップ上6.3㎞の距離。

Img_5035c_20210227155501Img_5032c_20210227155501  これは、お馴染み七里の渡し跡。いつもの散歩コースです。ここから南に向かって東海道が延びています(右の写真)。このあたりもたまに歩くところです。

Img_5041c_20210227155501  上述のように七里の渡し跡から160mほど行ったところに歌行燈本店があります。ここが美濃街道の起点です。9時にスタートしたのですが、次に行く前にいきなりの余談。

Img_5044c_20210227155501 Img_5047c  この三叉路のところに「通り井跡」があります。桑名では地下水に海水が混じるため、寛永3(1626)年に町屋川から水を引いた水道をつくり、町内の主要道路の地下につつを埋め、ところどころの道路中央に正方形のマスを開けて、一般の利用に供しました。これが「通り井」。ここは、昭和37(1962)年、工事のため道路を掘っていて、通り井の跡の一つがみつかったところ。道路面には「井」と書いた石が埋められています。

Cca076f9 Img_5062c_20210227155501 スタートして西に向かい、370mほどのところに、三崎見附跡(今日は写真を撮り忘れましたので、これは去年のもの。他にも過去の写真を用いたものがあります)。多度や美濃国への出入り口として、番所と三崎門があり、また、寺の開帳や芝居・相撲の開催を告げる立て札が立てられるところでもあったといいます。その先、750mで(スタートから、以下同じ)北桑名神社。我が家の氏神様ですが、天照大御神建速須佐之男命の他、持統天皇も祀っています。明治41(1908)年、宝殿町にあった佐乃富神社を合祀したのですが、佐乃富神社が、壬申の乱のとき、後の持統天皇が滞在された桑名郡家であると伝わっています(由緒書による)。

8c32c2f3 Dsc00374  北桑名神社のすぐ先で追分に行き当たります。かつてここには、常夜燈と道標がありました(右の写真)。美濃街道は、左の写真で向かって右の細い道(福島縄手といわれました)。左の道は八丁畷といわれ、久松松平家の墓所がある東海山照源寺に続いています。常夜燈は、安政3(1856)年の建立。400人ほどが寄進を行い、現在も桑名で営業している店の屋号も刻まれていました。道標(弘化4(1847)年建立)には、「右 みの 多度道」「左 すてん志ょみち」とありました。美濃街道はこの先、スタートから1㎞のところで国道1号線と重なります。

Img_5067c_20210227155501 Img_5070c_20210227155501  美濃街道が国道1号線に重なるところに「参宮国道碑」があります。大正時代まで、木曽・長良・揖斐の三大川は渡船に頼っていました。そこに橋を架ける運動が進むとともに、「東海道国道」が新しくつくられました(現在の国道1号線)。町屋橋から伊勢大橋までの3.87㎞は、昭和6~7(1931~32)年にかけて、当時のお金で55万円でつくられたそうです。その竣工記念として西桑名町(当時)によって建てられたのがこの碑。ここから立代町あたりまで、700mほど、国道1号線を行きます。

Img_5088c_20210227155501 Img_5095c_20210227155501  立代町交差点で1号線から離れ、大山田川に向かいます。スタートから2㎞ほどのところに桑北山西浄寺。もとは、北河原葬所の境内の庵でした。お寺という感じの建物ではありません。右の写真は、六地蔵。元禄3(1690)年のもの。六地蔵は、地蔵菩薩の6分身。生前の行為の善悪によって、人は死後、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するとされますが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の6地蔵をいいます。

Img_5085c  さらに、ここには、釈迦如来立像と六字名号碑があります。写真の向かって左が、釈迦如来立像。去年来たときは、この釈迦如来立像のきちんとした写真を撮り忘れたのです。これは、嘉永2(1849)年のもので、美濃街道沿いにあったものを昭和10(1935)年に移動しています。六字名号碑は、天保12(1841)年のもので、これももとは街道沿いに建っていたのですが、昭和4(1929)年にここに移動したそうです。

B5357cfa Img_5103c_20210227155501  西浄寺の先で大山田川を渡ります。美濃街道のルートには、現在は、人自転車専用橋が架かっています。このあたりは、冬にときどきバードウォッチングに来るところ。カワセミ、ウグイス、メジロ、ホオジロ、オオジュリン、アオジなどがいます。

Img_5109c_20210227155501 Img_5117c_20210227155501  橋を渡ってすぐに上之輪神社(神明社・縣社・多度社)。主祭神は、天照大神。相殿神は、天津日子根命(あまつひこねのみこと)と天穂日命(アマノホヒノミコト)。この上之輪神社あたりに中江城があったとされます。戦国時代の豪族・中江(あるいは森)清十郎が居城しました。長島一向一揆の時には、5大拠点の一つで、最後まで抵抗した砦です。多数の人が立て籠もったところを焼き払われたと伝わっています。現在は、城の遺構は認められません。

Img_5119c  上之輪神社(2.3㎞地点)を過ぎると、深谷までは見るところ、立ち寄るところはありませんので、ひたすら歩くのですが、近鉄、JRの線路が見えるところに出たら、近鉄特急ひのとり(名古屋行き)。どうも予定しないときに遭遇することがよくあります。この先は、東名阪道・桑名東インターに抜ける道で、クルマがたくさん通ります。

Img_5146c_20210227155501Img_5163c_20210227155501  美濃街道は、桑名東インターの下をくぐって、深谷に入ります。スタートから5㎞ほど来たところの東に稲荷社があります。去年も立ち寄りました。あれこれ推測したのですが、同級生K氏の話その他で、もう少し詳しいことが分かりました。個人の方がご自宅の敷地内に勧請した稲荷社でした。この方は、ここのすぐ目の前で商売をしておられたのですが、大変信仰心の篤い方でいらっしゃったようです。ここで、歩き始めて1時間あまり。近くにあった高砂公園(右の写真)で小休止。

Img_5169c_20210227155501 Img_5172c_20210227155401  稲荷社のすぐ先には、真宗大谷派の深江山南楽寺(ふかえざんなんらくじ)が西に見えます。平安時代初期の天長元(824)年に天台宗の僧院として建立されましたが、織田信長の伊勢侵攻の時、兵火で焼失し、再建後、浄土真宗に改宗しています。以前は、深江山阿弥陀寺といい、正保2(1645)年にここに移ってきたそうです。

Img_4668c_20210227175901 Img_4672c_20210227175901  南楽寺には、頌徳碑が1基あったのですが、黒ずんでいて判読困難でした。帰宅後、「桑名市史 補編」にある「第7章 主要墓碑集覧」をチェックしたところ、「南楽寺」のところに載っていました(p.456)。調べてみるものです。題額には「頌徳碑」。「宇野智賢頌徳碑 山脇春樹題額 花山大安撰、 江東子 原雪堂書 大正九年八月建立」とあるそうです(ちなみに、この主要簿費集覧は、照源寺に碑があった平岡潤によるもの。2021年2月5日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その3)……円妙寺、照源寺から専明寺まで)。山脇 春樹(やまわき はるき、明治4(1871)~昭和23(1948)年)は、農商務・内務官僚、教育者。官選県知事。大正8(1919)年4月から大正11(1922)年9月まで三重県知事。花山大安(元治元(1864)~昭和11(1936)年)は、花戸山遍崇寺(へんそうじ)(東員町中上)の第10世住職。真宗大谷派。明治21(1888)年住職に就任、明治29(1896)年真宗京都中学校教授となり、同44(1911)年に大谷大学教授となっています(こちら)。肝心の宇野智賢は、今のところ不明。原雪堂も同様。

31eb1ab7 Img_5182c_20210227155401  去年は、この先にある末広屋さんでみたらし団子を買ってくるようにという司令があったのですが、今年はパス。醤油だけの味付けで私好みなのです。末広屋の先で流石川に突き当たり、美濃街道はここで左折し、西に向かうのですが、この曲がり角、流石川の右岸に地元の方が「角の地蔵」と呼ぶ地蔵堂があります。「地蔵」といいながら、祀られているのは、如来様。ただし、「くわな史跡めぐり」には「薬師如来」とあるのに、「みえの歴史街道ウォーキングマップ」には「阿弥陀如来」とあり、詳細は不明。

4c044825  深谷の町を進み、美濃街道は、深江神社や養老鉄道の東のあたりを北上するのですが、街道歩きは、今日はここまで(左の写真の交差点)。去年同様、ここで左折して(写真で左手に向かう道へ)、深江神社に向かいます。

Img_5185c_20210227155401  深江神社。深江(ふかえ)はこのあたりの古名。勧請年月は不詳ですが、延喜式神名帳に「伊勢国桑名郡深江神社」とありますので、いわゆる「式内社」と考えられます。ここも、織田信長の伊勢侵攻の時、兵火に焼かれました。桑名藩主・松平定勝の子・定実(さだざね)が深く信仰し、元和8(1622)年、社殿を寄進し、現在に至るといいます。主祭神は、天之菩毘能命(アマノホヒノミコト)と、天照大御神。相殿神は、宇迦之御魂神大山津見神武三熊之大人(たけみくまのうし;『古事記』では建比良鳥命(たけひらとりのみこと)とされます。

Img_5195c_20210227155401  深江神社のすぐ西には、西林寺。現在は、真宗本願寺派ですが、永正6(1509)年、北廻城主・近藤家教が父の菩提を弔うために創建しました。当時は、禅宗の済林寺。天正2(1574)年、本願寺第9世実如上人(蓮如上人の5男;「御文(おふみ)」を布教の指針としました)により、真宗に改めました。織田信長の伊勢侵攻の時、焼失し、後再建されています。

Img_5198c  この西林寺の裏山あたりが、北廻(きたはざま)城址といわれます。織田信長の侵攻によって滅ぼされましたが、北廻城は堅固な城であり、信長勢(滝川一益)も攻めあぐねて、ついにトンネルを掘って、地下から攻め登ったといいます。籠城したのですが、水がなくなったのを知られないため、馬を洗うのに白米を用いました。遠目には水に見えたからです。これによって「白米城」とも呼ばれました。北廻城主であった近藤氏の子孫が、この西林寺の住職になっています(こちら)。

Img_5227c_20210227155401  西林寺から、桑名北高校の裏手を通って、雨尾山味光院飛鳥(ひちょう)寺。東寺真言宗のお寺。ご本尊は、十一面観世音菩薩。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。延暦13(794)年、大和国生駒山周辺から黄金の花瓶(けびょう;十一面観音の持物;華瓶とも書く)をくわえた霊鳥が、現在地より2km山中の坊ケ谷に飛んで来て、美声にて仏法を説いたといいます。その噂を聞きつけた弘法大師が来山し、霊鳥が十一面観音に変化したそうで、弘法大師は、早速、感得されたお姿を一刀三礼して等身大の御尊像を刻み草庵に安置し、霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺(ひちょうじ)」と名付けたことに始まります。最盛期には、寺域一里半、寺領千石、12の坊舎が並ぶ密・律・禅の名刹となっています。しかし、ここもご多分に漏れず、元亀2(1571)年、織田信長の伊勢長島の一向一揆攻略により全山灰燼に帰し、小堂一宇を残すのみとなりました。その後、寛永12(1635)年、桑名藩主松平定網公が、眼病平癒祈願のため参籠し、その満願の夜に、観世音菩薩の花瓶より滴る霊薬水で洗眼する夢をご覧になられ、忽ちに平癒したといいます。定綱は供料田を寄進し、また、万治3(1660)年には定重から年々の祈願料が寄進されました。元禄年間、桑名藩家臣・南條三太左衛門宗親が、念持仏として地蔵菩薩を得て、それを奉安しています。山号については止雨のみならず、雨壷という古い陶器の壷があり、旱魃の時にこれに水を滴らすと忽ちに降雨したので、「雨尾山(あまおさん)」と呼ばれています。

Img_5230c_20210227155401  明治2(1869)年、参詣に不便ということで本堂及び地蔵堂が現在地に移転。木曽三川を眼下に、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽御嶽山が、一望できる眺望絶佳の高台にあります。こちらがその眺め。平成29(2017)年末にNHKで放送していたドラマ「マチ工場のオンナ」のロケ地の1つです。ちなみに、去年来たときには、桑名北高校の裏手から、この飛鳥寺の墓地あたりにニホンザルがたくさんいたのですが、今年はまったく見当たりませんでした。

Img_4851c_20210227182801  飛鳥寺にも招魂碑らしきものがあり、去年の段階では調べが付きませんでした。「桑名市史 補編」「第7章 主要墓碑集覧」の「飛鳥寺」のところにありました。(pp.456~457)。これは、「忠魂碑」でした。日清・日露両戦争での戦没者9名のための忠魂碑で、あの立見尚文の篆額幷書の詩があります。「鮮海之浜満州之岡 山裂海湧虎吼龍驤 破清砕露我武燿揚 維忠維義万古流芳」。

Img_5260c  このあと、下深谷駅の東にある安養寺にも立ち寄るつもりでしたが、下深谷駅まで来たら、12時7分。次の桑名行きは12時12分、その次は12時52分でしたので、今日はここまで。安養寺は、次回のスタートの時にということにしました。スタートからほぼ3時間、コースマップ上は6.3㎞を歩いてきました。

Img_5268c_20210227155401 Img_5264c_20210227155401  12時12分発の桑名行きに乗車。桑名までは¥260。さらに、桑名着は何と12時18分。3時間かけて歩いてきたのに、電車ではたったの6分で到着。笑えます。

Img_5276c 1614397570497c  例によって例の如く、せっかく出て来ましたので、お昼は外食。サンファーレの北や東のエリアを探索して、「とんかつ銀座」へ。トンカツランチ(¥1,000)をチョイス。いつもながら、家ではなかなか食べさせてもらえないもの(苦笑)。前回(2021年2月 6日:20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)(予告編))、桑名駅にある伊勢ノ国ダイニングSicili(シチリ)で食べた「とろアジフライランチ(税込み¥980)」はボリュームがあり過ぎましたが、今日は、適量(微笑)。

Img_5291c_20210227155401  ALKOOによる歩数データは、17,545歩。実際に歩いたのは、我が家からスタート地点までと、桑名駅から帰宅までを含めて、9.2㎞でした。

Img_5272c_20210227155401  桑名駅で養老鉄道のホームから、元の駅舎があったあたりの写真を撮ってきました。すっかり様変わりしています。

Img_5211c_20210227155401  余談を少しだけ。深谷の町を歩いているとき、我々よりも高齢の男性から、「何かの調査をしているんですか?」と訪ねられました(微苦笑)。自作コースマップを持ち、リュックを背負って歩いていますが、そんな風に見えるのでしょうか。また、あるお寺では、「どちら様ですか?」と不審そうに誰何されました。これからは、「街道歩き」といったゼッケンでもつくってつけて歩いた方がよいか、という気もします(爆)。

 今日の「勝手にハイキング」はこれにて完結。立ち寄り先の詳細については、昨年の記事をご参照ください。

Img_5693c 【付記(2/28)】 「通り井」についての付記。三崎見附跡と寺町交差点の間に写真のような案内板があります。もとは、「久波奈名所図会」に載っていた絵。「通り井」の様子を示したものです。

Iseki 【付記(3/1)】 飛鳥寺の元の位置について、桑名市教育委員会の文化財のサイトにありましたので、追加します。現在地よりも約2㎞西にある「坊ヶ谷」というところです。

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2021年2月26日 (金)

雨が上がった午後から「高速散歩(笑)」

Img_4875c  予報では曇りの1日でしたが、結局、午前中は小雨続き。それ故、「雨読」となり、昨年の市民大学郷土史学科のまとめをチェックしていました。午後からは雨も上がりましたので、15時から1時間あまり、アリバイ的な散歩。所要も兼ねて、住吉神社、九華公園、京町、常磐町、寿町、参宮通と4.7㎞を歩いてきました。鳥も、散歩友達もいませんので、普段に比べれば「高速散歩」(笑)。

Img_4897c_20210226165601 Img_4947c  諸戸氏庭園や、桑名七里の渡し公園には鳥影もなく、鳴き声も聞こえず。住吉入江には、オオバンが2羽とキンクロハジロのオスが1羽。揖斐川には、カンムリカイツブリが2羽ほど。夏羽になっているのが見えます。

Img_4933c  揖斐川右岸の高水敷には、あちこちにツグミの姿。住吉神社の前に1羽、旅館山月の裏手に2羽、三の丸水門の近くに1羽など。写真は、山月の裏手にいたツグミ。

Img_4951c_20210226165601 Img_4968c  途中、鳥がほとんどいませんでしたので、九華公園まで約15分。ほぼ1㎞ですので、普通に歩いたら、これくらいの時間なのです。相撲場あたりには何もいません。管理事務所近くの梅の木にメジロ。ただ、曇天で写真を撮っても色が出ず。カモは、合計34羽とかなり少ない。ユリカモメは、管理事務所南にある、元アヒル小屋の上に10羽。鳥もいませんでしたので、今日は、鎮国守国神社の境内はパスして、九華公園をあとにしました。

Img_5015c_20210226165501 Img_5018c_20210226165501  寿町で用事を済ませ、参宮通から帰宅。参宮通にあるお宅で梅の花と、ミモザの花。夜から明日は晴れるという予報です。明日は、今日の分も歩くことにしたいと思っています。

 ところで、非常勤先からメールが届き、来年度前期は、新型コロナウィルスの感染防止策を十分に採った上で、対面授業とする方針を決めたので、それに沿って準備するよう連絡がありました。15回の講義+試験1回、各回の授業は90分ということです。

 

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2021年2月25日 (木)

カワセミ2羽、「豊後梅ジロウ」に「河津桜とメジロ」……散髪後、遅い散歩もまた良し

Img_4869c_20210225155601  朝は、氷点下になりましたが、日中は11℃を超え、風も弱く、暖かい日になりました。9時からいつものS理容院さんで散髪。10時から散歩開始。九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町商店街と5.0㎞。九華公園到着は、いつもより2時間遅いので、鳥はいないと思ったのですが、いやいや、今日は恵まれました。何が幸いするか、分かりません。

Img_4549c_20210225155401 Img_4574c_20210225160001  というのも、まずはこちら。そうです、カワセミ。写真が撮れたのは、メスのカワセミだけですが、一時は、2羽同時に出て来ていたのです。九華公園に着いたとき、鎮国守国神社の社務所裏の堀にカワセミが1羽。公園内を半周して戻って来て、待っていたら、短時間、2羽同時に出て来たのです。残念ながら2羽目はすぐに社務所裏の林の方に行ってしまい、性別も分からず、2羽同時にいる写真も撮れませんでした。これら2枚の写真は、後半に撮ったもの。ダイビングを繰り返していたのですが、さすがに超望遠コンデジでは対応は難しい。

Img_4375c  もう一つは、「豊後梅ジロウ」(微笑)。昨日、鎮国守国神社で豊後梅が咲いたと書きましたが(2021年2月24日:ウグイスの「超証拠写真」に豊後梅の開花……保育園の子どもたちに「何してるの?」と聞かれた話も)、今日はそこに早速メジロが1羽、やって来ていたのです。

Img_4161c Img_4199c_20210225155401  話を戻します。カワセミのいた社務所裏の堀で、今日も1匹のミドリガメが甲羅干し。カモ、今日は合計51羽。ハシビロガモ11羽、ホシハジロのオスが2羽とキンクロハジロ。ヒドリガモは、今日はいません。この頃、ヒドリガモはいたり、いなかったりします。

Img_4212c  ユリカモメは、今日も少なく、6羽のみ。昔のアヒル小屋のところに集まっていました。

Img_4220c Img_4261c_20210225155401  奥平屋敷跡。いつもは8時過ぎから9時前にここで鳥を見ています。何もいないかと思ったら、シロハラはいました。他には、スズメ、ヒヨドリ、カワラヒワ。二の丸跡で、ジョウビタキのオス。このジョウビタキのオスは、朝日丸跡へ飛び去りました。その朝日丸跡では、ハクセキレイ、カワラヒワも見られました。

Img_4294c Img_4297c_20210225161201  鎮国守国神社では、宮司さんに久しぶりにお目にかかりました。「梅がよく咲いてきました」とおっしゃって、スマホでいろいろと写真を撮っておられたのですが、「スマホでは広角が撮れないなぁ」と残念そう。

Img_4449c_20210225161301  神社からいつものように柿安本社ビルの前を通って、再び公園の北門から、社務所裏の堀へ行ったのですが、その前にこちら。駐車場の一角で先日来工事が行われていたのですが、こんな庭園風のものがつくられていました。

Img_4628c Img_4659c_20210225155501  貝塚公園では、ツグミとジョウビタキのメス。今シーズン、ここでツグミを見たのは、2~3回目。以前は、たくさん見られたのですが、何が違うのでしょうか。また、ジョウビタキが見られるのも珍しい。いつもより遅い時間に来たのに、ラッキー。内堀公園では、ヒヨドリを見たのみ。

Img_4670c_20210225155501 Img_4674c  寺町商店街。河津桜を見に来た方もたくさん。全体としては、5~6分咲きくらいでしょうか。中には、「電話して聞いたら、満開だ」といわれたから来たのにとぼやいておられる高齢男性あり、早くも桜の木の下で、花見団子を食べ、お茶を飲んでるご夫婦ありでした。

Img_4819c_20210225155601 Img_4729c_20210225155501  私は、いつものように「河津桜にメジロ」ねらい。今日は、「豊後梅ジロウ」、カワセミもありましたので、撮影枚数合計は762枚。これだけチェックして、処理しようと思うと1時間半かかります。

Img_4829c_20210225155601 Img_4772c  気に入ったものがいくつかありましたので、4枚ほど載せておきます。それにしても、なかなか「これはいい!」と思えるものは撮れないものです。明日は、曇りだそうですから、条件はよくないとは思いますが、雨が降らなければ、また見てこようと思います。

Img_4119c_20210225162901  余談。散髪に行ったS理容院さんの前の歩道で、水道工事が行われていました。数日前から、水が漏れていたそうです。月・火の定休日のうちに工事をしてもらいたかったのに、今日になったということです。業者さんに「お客さんがあるから、水を停める前にいってくれよ」と大将が念を押したにもかかわらず、私の髪を切り終えた時点で、「停めました!」と一方的に通告(苦笑)。今日は、洗髪不能に陥りました。代わりにドライシャンプーをしてもらいました(微笑)。なかなか得がたい経験をしてきたというわけ。ちなみに、散髪代金は、少し値引きしてくださいました。

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2021年2月24日 (水)

ウグイスの「超証拠写真」に豊後梅の開花……保育園の子どもたちに「何してるの?」と聞かれた話も

Img_4104c_20210224153201  最高気温は10℃ちょうどですが、風が強くて寒く感じます。昨日午後、研修会で話をしてきたのですが、時節柄、マスクをしたままで2時間、話をしました。これが、けっこう疲れる気がします。ネットで、「マスクで酸欠状態になる」という記事があるのを見つけ、納得(微苦笑)。マスク越しに息を吸うため呼吸が浅くなってしまうとともに、鼻呼吸がしづらくなるのだそうです。それに、少し暑く感じます。それはさておき、今日もいつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、南寺町の常信寺、寺町商店街と6.4㎞。

Img_3852c  超証拠写真ではあるものの、ウグイスの写真から。「どこにいるんだ?!」といわれること必至ですが……。九華公園の神戸櫓跡近くのベンチで休もうと思って、腰を下ろした途端に、ツツジの植え込みの中にウグイスを見つけたのです。そのままベンチに座ってカメラを構えていたのですが、結局、こんな写真しか撮れませんでした。ウグイスは、しばらくこの植え込みの中にいたのですが、神戸櫓跡の方に飛び去り、見失いました。

Img_3469c_20210224153701 Img_3492c_20210224153701  さて、話を戻して。拙宅前の住吉入江には、ヒドリガモのペアが1組。他には、キンクロハジロのメスが1羽。最近、ここでは水鳥の数が少なくなってしまいました。入江沿いにある桜並木から諸戸氏庭園のところでは、ジョウビタキのメス。このところ、よく見かけます。私の姿を見ると、側に寄ってきて、しばらく相手をしてくれるような気がします(苦笑)。

Img_3556c_20210224153701 Img_3590c  揖斐川には水鳥は見あたりませんでした。七里の渡し跡まで来たら、ヒドリガモが38羽と、コガモが6羽。ヒドリガモは、およそ1/3くらいが堀に浮いていて、残りは上陸して草を食んでいたのですが、カラスが2羽やって来たら、右のような光景。一斉に飛び立って水の上へ。「逃げた」という感じ。

Img_3613c_20210224153701  三の丸公園ではツグミ1羽、スズメ多数、ムクドリ数羽といつもと同じ。三の丸水門のところでは、ツグミが2羽。今日は、ジョウビタキのメスはいません。昨日ヒバリを見つけましたので、山月裏から三の丸水門の下流側までの高水敷を確認したものの、今日は見つかりませんでした。柿安コミュニティパークでもツグミが1羽。写真は、三の丸水門の近くにいたツグミ。

Img_3639c_20210224153701Img_3659c_20210224153701  九華公園では、北門から管理事務所近くでは、ドバトやカワラヒワが少しいただけ。奥平屋敷跡の北の花菖蒲園にはツグミ。ここにたいていツグミがいます。さらに、鳥待ちをしていたら、ジョウビタキのオス。よそ見をしていると、足元に来ていることもあり、驚かされます。

Img_3714c_20210224153701 Img_3696c_20210224153701  いつものメンバーですが、シロハラ。奥平屋敷跡は1つの島のようになっていますのが、その縁を反時計回りに周りながら、エサ探し。中央にはあまり来ません。シメは来たものの、写真は撮れず。シジュウカラが1羽だけで来ていました。他には、ハクセキレイや河原鶸、ドバト、ハシボソガラスも。ハシボソガラスは、奥平屋敷跡の松の木に巣をつくっています。

Img_3788c  二の丸跡で、シメ。このシメは、奥平屋敷跡と二の丸跡とを往き来しているようです。

Img_3781c_20210224153701  カモは、今日は、53羽。ヒドリガモのペアが2組、ハシビロガモが9羽、ホシハジロのオスが2羽とキンクロハジロ。ユリカモメは、奥平屋敷跡にいたとき、二の丸橋の東の堀に数羽いたのですが、すぐに姿は見えなくなりました。オオバンは、2羽。

Img_3844c Img_3829c_20210224153701  鎮国守国神社の境内では、豊後梅が咲き始めました。鎮国稲荷社の一の鳥居のところに、豊後梅の木があります。ちなみに、この梅の木だけは、神社の大奥様に「豊後梅だ」と教えていただいたので、判別ができます(笑)。

Img_3879c_20210224153601  貝塚公園に着いたのは、10時前。九華公園でしゃべりすぎたのです(苦笑)。それに、管理人さんが鳥小屋のカギを閉じ込めたというトラブルもあって、その解決にも付き合っていました。時間も遅いということもあって、鳥はあまりいません。ツグミ1羽と、ムクドリ数羽だけ。内堀公園では、スズメ、ヒヨドリくらい。九華公園までは鳥見が楽しめますが、その後行く公園はもともと鳥が少ない上に、時間が遅いと何もいないという状態になります。

Img_3891c_20210224153201 Img_3905c_20210224153201  常信寺では、ジンチョウゲ。少しずつ花が増えてきています。右は、ミツマタ。まだつぼみで、花は開いていません。ミツマタ、去年は、今日、花が咲き始めていましたが、今年はまだということ。

Img_3915c  こちらは、常信寺にあるサンシュユ。ミツマタとほぼ同じ頃咲き始めます。両方とも、春先の楽しみの一つ。

Img_4081c_20210224153201  寺町商店街の河津桜並木で、メジロを探しながら歩いていたら、保育園の子どもたちが先生に引率されて散歩、花見に来ていました。「こんにちは」と何人もの子どもたちから挨拶され、中には、「何しているの?」と聞く子。「あそこに鳥さんがいるでしょう(とメジロを指さして)。桜と鳥さんの写真を撮っているんだよ」と答えたら、よく分からなかったようで、「ふ~ん」という返事(爆)。

Img_4000c_20210224153201Img_3936c_20210224153201  こちらが、今日の「河津桜とメジロ」の作品。蜜を吸うのに集中していて(はやり言葉でいえば、「全集中」か?)、こちらが近くにいっても気にしません。しかし、撮影するのは難しい(苦笑)。河津桜は、まだ満開には至っていませんが、十分に楽しめます。2~3日は寒そうですから、今度暖かくなる頃が花見によいかも知れません。

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2021年2月23日 (火)

ヒバリのペアとホオジロのオスが登場

Img_2919c_20210223175501  天皇誕生日です。まだ、今日が天皇誕生日であることに慣れていない気がします。最高気温は、14.7℃でしたが、これは夜中の1時過ぎの記録。日中は10℃あまりで、風も強く(最大風速は、8m/s以上)、寒い感じでした。午後から予定がありましたので、午前中は、時間制限で散歩。7時半から2時間、住吉神社、九華公園、内堀公園、京町、寺町商店街と5.3㎞ほど。冒頭の写真は、住吉神社前にて撮ったもの。

Img_3112c_20210223175401 Img_3141c  今日は、まずはヒバリ。一昨日、三の丸水門の近くで「揚げ雲雀」を聞いたと書きました(2021年2月21日 :「揚げ雲雀」とカメの甲羅干し……春近し)。今日も、揚げ雲雀が聞こえましたので、ヒバリが降りてくるのを待って、探したところ、ペアでいるのを確認しました。三の丸水門の下流側です。

Img_2895c_20210223175501  さて、散歩の始めに戻って。諸戸氏庭園やその前の桜並木には、ツグミとヒヨドリが1羽ずつ。桑名七里の渡し公園で、カワラヒワが4羽。最近、セキレイは見ていません。住吉入江では、ヒドリガモが1ペア、キンクロハジロ1羽、オオバンが1羽。住吉神社前の揖斐川では、波がかなり立っていたにもかかわらず、コガモのペアが1組、下流に向かっていました。

Img_2959c_20210223175501 Img_2979c_20210223175501  こちらは、七里の渡し跡。このところ、カモはほとんど来ていなかったのですが、今日は、ヒドリガモが30羽、コガモが2羽来ていました。ヒドリガモ、今日は、堀で採餌。ヒドリガモは潜れませんので、右の写真のように逆立ちになって、餌を採っていました。他には、オオバンが2羽。

Img_3049c  三の丸公園では、ツグミ1羽、ジョウビタキのメス1羽と、スズメ多数、ムクドリ数羽。ジョウビタキは遠すぎて、クリアな写真にはなりませんでした。三の丸水門の近くでもツグミ。上流側、下流側 を合わせて3羽。左の写真は、上流側の高水敷にいたツグミ。

Img_3037c Img_3064c_20210223175401  さらに、三の丸水門のところで、ホオジロのオス。ごくたまにこのあたりでも見ます.囀っていました。リンク先でさえずりを聞くことができます。このあと、初めに書きましたように、「揚げ雲雀」。何とか撮った写真が右のもの(苦笑)。ヒバリらしき姿が写っていることは、お分かりいただけると思います。柿安コミュニティパークでもツグミ2羽とスズメ、ムクドリ。

Img_3175c  九華公園では、北門から管理事務所あたりに鳥影はありません。ヒヨドリ、ハシボソガラスの鳴き声が聞こえたくらい。奥平屋敷跡では、まず、シロハラ。ここにすっかり居着いたようです。8時過ぎから9時頃には、必ずといってよいほどいます。

Img_3217c_20210223175401 Img_3246c_20210223175401  そして、ヤマガラとシジュウカラの混群。ヤマガラは4~5羽、シジュウカラも同じくらい。ちょうど、この群のいる木の下あたりにいたのですが、これはラッキーなようで、ちょっと困った感じもします。見るのにはよいのですが、写真が撮りにくいのです。

Img_3302c_20210223175401  奥平屋敷跡のすぐ北にある花菖蒲園には、ジョウビタキのオスがやって来ました。散歩友達のYさんによれば、このほか、シメもいたそうですし、外周遊歩道の南では、カワセミもいたといいます。もう少し早く着いていれば、見られたかも知れません。

Img_3310c_20210223175401 Img_3354c_20210223175401  カモは、合計47羽。今日は、ヒドリガモ2ペアが復活。ハシビロガモが13羽。ホシハジロのオスが2羽とキンクロハジロ。オオバンも2羽。外周遊歩道の南で、ツグミが1羽。本丸跡で、ジョウビタキのオス1羽、カワラヒワなど。

Img_3358c_20210223175401Img_3411c_20210223175401  内堀公園では、ツグミとヒヨドリ。寺町商店街の河津桜も見てきました。しかし、あいにくの曇天で色が出ません。メジロも2羽、ヒヨドリも1羽。昨日と同じメジロ、ヒヨドリのような気がしますが、確かめようがありません。

Dscn3628c  午後は、13時30分から、名古屋市内で特別支援教育支援員養成講座で講師。「県境を越えての移動は慎むように」ということでしたが、感染対策を万全にして出かけてきました(今日は、珍しくクルマで往復。用事が済んだらサッサと失礼してきました。どこにも立ち寄っていません)。20数名の方々に「心理検査でわかること、検査結果の支援への活かし方」についてお話ししてきました。これで、今年度の仕事の予定は、すべて終了。なのですが、非常勤先の短大から、後期の授業評価の結果が届いたら、コメントを書くということだけ残っています。

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2021年2月22日 (月)

汗ばむ陽気……ウメジロウに河津桜メジロ

Img_2885c_20210222161902  予報通り、最高気温は20℃を超えました。4月半ばくらいの陽気でしょうか。ただ、また、水曜、木曜あたりは寒くなるそうですから、油断はなりません。今日も7時半から散歩。我ながら笑えますが、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、常信寺、寺町商店街と、ちょうど6㎞。汗をかいたくらい。

Img_2128c  拙宅マンション内の公園で、ヒヨドリとウグイスを見かけました。ウグイスの写真を撮りたいとずっと思っていますが、難しい。諸戸氏庭園前の桜並木にジョウビタキのメス。昨日も近くで出て来ました。桑名七里の渡し公園には何もいません。住吉入江にも、カモの姿はなく、オオバンが2羽だけ。

Img_2231c_20210222161601  七里の渡し跡には、スズメに、ヒドリガモとコガモ。ヒドリガモは、26羽。皆上陸して、草をImg_2179c 食んでいます。コガモは、1ペア。こちらは休憩中。

Img_2198c_20210222161601Img_2236c_20210222161601  三の丸公園には、いつものように、ツグミが1羽と、ムクドリが数羽。東側のエリアには、ジョウビタキのメス。なかなかいいところには止まってくれず、証拠写真。証拠写真ついでに、三の丸水門のところにいたカンムリカイツブリ。柿安コミュニティパークには、ツグミ3羽、ハクセキレイ1羽、スズメ多数。

Img_2409c  九華公園は、概して静か。鎮国守国神社の社務所あたりからは、ウグイスの地鳴きが聞こえて来ました。カモは、50羽とやや増加。ハシビロガモが10羽、ホシハジロのオスが2羽、他はキンクロハジロ。ヒドリガモは来なくなりました。七里の渡し跡や、三の丸水門近くの高水敷に集まっているということは、帰り支度であろうと思います。もう帰ったのかも知れません。ちなみに、弱っていたハシビロガモのメスは、今日、動かなくなって浮いているのが見つかりました。活気がなく、泳ぐのもままならない様子でした。

Img_2284c_20210222161601 Img_2350c_20210222161601  奥平屋敷跡で50分ほど鳥見というか、鳥待ち。出て来たのは、シロハラ、シメが1羽ずつ。シロハラは、奥平屋敷跡の縁を反時計回りに回って、エサ探しをしています。シメは、南側のエリアの、木の下でエサ探し。シメがいるところは、シロハラの回遊コースと重複しますが、今までのところトラブルはないようです。

Img_2372c_20210222161601 Img_2314c_20210222161601  他には、カワラヒワ、シジュウカラ、ハクセキレイ、ドバト、ハシボソガラスがやって来ます。ツグミは、奥平屋敷跡のすぐ北の花菖蒲園が好みの場所。

Img_2541c_20210222161701 Img_2443c  ユリカモメは、12羽。今日は、餌をやる人が3組ほどあり、けっこう忙しそうでした(微笑)。

Img_2451c_20210222161701  ミドリガメは、今日も1匹が甲羅干しに出て来ていました。野球場の南あたり(上左の写真のところ)。覗き込んだら、石の上から逃げ、ご覧のようにプカプカ浮いていました。

Img_2479c_20210222161701 Img_2512c_20210222161701  鎮国守国神社の梅。旧天守台跡のところで、満開が近くなりました。ここは、比較的最近植えられた梅が多く、元気がよい感じ。左の写真は、天守台跡。ここには、「戊辰殉難招魂碑」が建っています(剣のように見えます)。戊辰戦争の犠牲者を追悼して、明治20(1887)年12月に建立。松平定敬公の撰并書。「忠哉義哉桑名士民守節取義各殉其難郷党追慕建碑招魂」と表には刻まれています。右の写真は、天守台跡の西側の梅。

Img_2528c_20210222161701  こちらは、鎮国守国神社の境内、鎮国稲荷社への参道の入り口にある豊後梅。毎年、かなり見事に咲きます。少しほころんできていました。

Img_2712c_20210222161801 Img_2680c_20210222161801  貝塚公園は、静かでしたが、シロハラとモズに遭遇。シロハラは、いつものように、南西エリアの木々の下にいました。モズは、公園を一回りして、北側にある花壇近くに戻って来たら、飛んで来ました。

Img_2554c_20210222161701 Img_2611c  貝塚公園にも梅の木があります。かなりの老木で、「見事に満開」とは行きません。しかし、今日はここにもメジロがやって来ていました。植栽の位置関係で、なかなかよいポジションからは撮れず、苦労しました。梅の花がわずかにしか写っていませんが、一応は「ウメジロウ」。

Img_2878c_20210222161901 Img_2806c_20210222161801  寺町商店街の河津桜、場所によって咲き具合は異なりますが、暖かい日が続いたのでかなり咲いたところがあります。ヒヨドリも1羽、蜜を吸いに来ていましたが、やはりメジロの方が似合います。

 

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2021年2月21日 (日)

「揚げ雲雀」とカメの甲羅干し……春近し

Img_2091c_20210221160801  最高気温は、17.6℃。冒頭の写真は、散歩から帰ったときのものですが、春霞のようになっていました。朝は、家事を済ませ、8時25分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町、常信寺、寺町商店街と5.5㎞。出るのが遅かったにもかかわらず、散歩友達多数に出遭って、帰宅は11時半。

Img_1990c_20210221160801  まずは、こちら。ミドリガメの甲羅干し。九華公園では、今シーズン初めて見ました(先日、両ヶ池では見ています)。さらに、写真はありませんが、三の丸水門のところでは、これまた今シーズン初の「揚げ雲雀」を聞きました。春は着実にやって来ていると実感します。

Img_1730c_20210221161001  さて、散歩の初めから。諸戸氏庭園前の桜並木のところでツグミ。さらに、諸戸氏庭園の煉瓦Img_1736c_20210221160901 蔵の前には、ジョウビタキのメスがやって来ていました。この冬、このあたりではジョウビタキを見ませんでした。諸戸氏庭園は静かで、桑名七里の渡し公園にはドバトのみ。住吉入江では、今日はカモ類は見られず。

Img_1753c_20210221160901 Img_1781c_20210221160901  揖斐川、風が弱く、川面は穏やか。この写真は、長良川河口堰方面を見ています。今日も、シラウオ漁の船が1組、出ていました。揖斐川には水鳥はおらず。カモメが1羽、上流方向に向かって飛んで行ったのみ。七里の渡し跡でも、コガモのオスが1羽とオオバンが1羽のみ。

Img_1799c_20210221160901  三の丸公園にはツグミ1羽とムクドリが数羽。三の丸水門の近くにもツグミ。左の写真は、三の丸水門にいたツグミ。

Img_1811c  九華公園には9時頃到着。いつもより1時間遅れ。相撲場近くで、ジョウビタキのオス。他にはヒヨドリ、ハシボソガラス、ドバト、カワラヒワ。管理事務所近くでシジュウカラの鳴き声を聞いたものの、姿は見えず。

Img_1836c_20210221160901  奥平屋敷跡へ行く橋のところで、カモたちに餌をやる人があり、写真を撮ったものがこれ。カモも、ユリカモメもスゴい勢いで集まって来ます。カモは合計45羽。ホシハジロのオスが2羽、ハシビロガモ、今日は10羽。他はキンクロハジロ。ヒドリガモは今日は見当たりません。あの弱ったハシビロガモのメスも、歩いた範囲では見つけられませんでした。ユリカモメも写っています。今日は、15羽。

Img_1858c_20210221160901 Img_1874c_20210221160901  奥平屋敷跡では、シロハラとツグミが1羽ずつ。他にはハクセキレイが1羽。二の丸跡ではハクセキレイ2羽、朝日丸跡ではカワラヒワとシメ。シメは、本丸跡方面へ逃げてしまいました。

Img_1937c_20210221160801 Img_1979c_20210221160801  鎮国守国神社の境内にある天守台跡の梅の木で、「ウメジロウ」。天守台跡の上にある梅の木で、なかなかよい撮影ポジションを取れず、こんな写真だけ(苦笑)。境内から柿安の方を回って、再び本丸跡に来たら、シメがいました。木に隠れながら、数メートルのところまで接近できました(微笑)。

Img_2002c_20210221160801 Img_2019c  九華公園の外周遊歩道の東でツグミ。昨日も、今日もツグミによく出遭います。貝塚公園には10時20分。シロハラのみ(右の写真)。今日は、出るのが1時間遅くなりましたので、小型野鳥が少なかった感じです。

Img_2071c  帰宅後は、火曜日にある研修会の資料の最終確認。内容は修正の必要はありませんでしたが、表現を若干修正して、完了。名古屋市内で開催される支援員養成講座のもの。未だ緊急事態宣言が解除されていませんので、「不要不急な県境を越えた移動」は慎むべきところですが、やむを得ません。よそには立ち寄らず、用事が済んだらサッサと帰ってきます。

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2021年2月20日 (土)

「河津桜にメジロ」再チャレンジ……常信寺のジンチョウゲ、咲く(微妙ではありますが)

Img_1721c  朝はわずかに氷点下となり(-0.1℃)、冷えましたが、日中は晴れて、風も弱く暖かくなりました。ただ、予報では15℃になるということでしたが、15時現在、11.6℃。いつも通り、7時半から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、常磐町、南寺町(常信寺)、寺町商店街と5.7㎞。帰宅は10時45分。

Img_1614c_20210220151301 Img_1676c  今日はまず、「河津桜にメジロ」から。このテーマだけで、今日の撮影枚数は200枚以上(苦笑)。寺町商店街の河津桜並木に来ていたメジロは2羽。近くに行っても逃げませんでしたので、これだけ撮れたのです。しかし、200枚以上撮っても、いいショットはなかなかありません。

Img_1697c_20210220152201  明日は、3月下旬~4月並の暖かさになるといいますからこれで一気に開花が進むのではないかと期待しています。今日はさすがに通りかかった人たちも、河津桜の花を見上げ、スマホで写真を撮っていく方がたくさんありました。

Img_1001c  さて、散歩の初めから。諸戸氏庭園前の桜並木には、カワラヒワが6羽ほど出て来ていました。しかし、住吉入江には、今日は、カモもオオバンも姿はありません。桑名七里の渡し公園にも、鳥影はなし。冷えたせいか、散歩する人も、土曜日の割にはかなり少ない。

Img_1019cImg_1029c_20210220151201  揖斐川の川面は穏やかでした。今日は、漁船も出ていません。住吉水門のすぐ外側に、カンムリカイツブリが2羽。どちらも夏羽に換わってきてはいましたが、その程度には個体差があります。右の写真のカンムリカイツブリは、換羽完了といってもよいくらい。

Img_1036c_20210220151201 Img_1046c_20210220151201  七里の渡し跡。今日も、カモは少なく、ヒドリガモが1ペア、コガモのメスが1羽と、オオバンが1羽いただけ。伊勢一の鳥居の下あたりには、スズメが10羽ほど集まっていました。このところ、ここ七里の渡し跡でも、スズメをよく見ます。

Img_1075c_20210220151201 Img_1060c_20210220151201  三の丸公園では、ムクドリが5羽とツグミ1羽。今日はジョウビタキは見られず。ツグミは珍しいところに止まりました。左の写真のように、堀際の柵のワイヤのところに来たのです。三の丸水門の近くでも、ツグミ(右の写真)。柿安コミュニティパーク西の堀には、珍しくホシハジロのオス1羽と、キンクロハジロが3羽。スズメもいます。

Img_1093c_20210220151201 Img_1105c_20210220151201  九華公園では、北門から管理事務所の南あたりまででは、ヒヨドリがサザンカに来ていたくらい。奥平屋敷跡で散歩友達Yさん、Wさん、管理人Kさん。ここでもツグミ。今日は、ツグミをよく見ます。続いて、しばらく待つとシロハラが登場。奥平屋敷跡の南西エリア。この辺は、シロハラがよく来るところ。シロハラは、このあとも、奥平屋敷跡を回って、エサ探し。

Img_1166c_20210220151201Img_1120c_20210220151201  ジョウビタキのオスも、奥平屋敷跡に登場。いつもここに来るジョウビタキのオスと思います。このジョウビタキ、我々が害を与えることはないのを理解したのか、割と近くまで平気でやって来ます。餌付けできそうな気もします。さらに、今日は、ヤマガラとシジュウカラの混群もやって来ました。ヤマガラは久しぶり。シジュウカラは、写真には撮れず仕舞い。

Img_1326c Img_1318c_20210220151101  カモは、今日は、48羽。ハシビロガモが14羽、ヒドリガモのオスが1羽、ホシハジロのオスが1羽。他はキンクロハジロ。昨日よりはやや増えましたが、50羽を越すことはありません。ユリカモメは、1羽だけ見られました。ユリカモメ、今シーズンは本当に少ない。このままでは、二の丸橋の欄干にズラッと並ぶところは見られない気がしてきました。

Img_1199c_20210220154701 Img_1230c_20210220154701  二の丸跡や、朝日丸跡でもカワラヒワとツグミ。今日は、「河津桜にメジロ」の写真が撮れていなければ、タイトルは「カワラヒワ&ツグミ・デー」となっていたかも知れません(微笑)。

Img_1263c_20210220151201  本丸跡では、ジョウビタキのオス。最初は、フェンスの向こう、野球場のグラウンドにいたのですが、本丸跡の方へやって来てくれたのです。このあと、鎮国守国神社ではカワラヒワがいたくらい。相撲場近くのサザンカにはメジロがやって来ていました。貝塚公園では、ヒヨドリとかワラヒワのみ。内堀公園ではツグミとスズメ。

Img_1356c_20210220151101  常信寺にも立ち寄って来たのですが、それは、ジンチョウゲが咲いたか、見たかったのです。左の写真の通り。咲いたといえるかどうか、きわめて微妙なところ(笑)。

Img_1709c_20210220151101 Img_1713c_20210220151101  三崎見附跡から北の住吉入江には、オオバンが1羽。そして、拙宅前まで戻って来たら、ツグミが登場。今日は本当によくツグミに遭遇します。

Img_1248c_20210220151201  オマケ。カルガモ。九華公園にずっといるカルガモと思いますが、最近は、他に2~4羽いることもあります。貫禄たっぷりに泳いでいましたので、思わずパチリ(微笑)。

Img_1333c  余談その1。九華公園のさくらまつり、今年は、夜間のライトアップと写生大会が行われるようです。露店は出ず、堀めぐりもないという話です(現在のところ、という但し書きつきではありますが)。

Img_1625c  余談その2。2月10日にe-TAXで確定申告を済ませたと書きましたが(2021年2月10日:久々のカワセミ嬢……確定申告を完了)、その還付金が来週には振り込まれるという連絡がありました。「還付金サギじゃないよね?」などと家族からいわれましたが、電話がかかってきたわけでも、ATMに行けといわれたわけでもありません。正真正銘、国税庁からの連絡です(微笑)。

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2021年2月19日 (金)

ぐっさんの「ニッポンハイウェー号」に遭遇@柿安コミュニティパーク【ぐっさんの行き先を付記しました(2/20)】

Img_0563cImg_0569c  13時を過ぎてからようやく青空が出て来ましたが、午前中は気温も上がらず、寒いことこの上なし。今朝、我が家のあたりは、ご覧のように薄ら雪化粧。藤原岳は、かなり白くなっていました。寒かったこともあって、散歩開始を遅らせました。8時50分スタート。外に出たら、案外寒くはありませんでした。まぁ、こんなもの。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、新築公園、常信寺、桑名別院、寺町商店街と歩いて、6.0㎞。2時間ほどで帰宅。

Img_0620c Img_0616c_20210219151201  今日は、こちらから。ぐっさんの「ニッポンハイウェー号」。NHKのBSで放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!」で使われているトラック。柿安コミュニティパークの駐車場に止まっていたのです。ここに来たのは9時10分頃。駐車場はまだ開いていないはずで、いったい何だろう? と思ったら、「ニッポンハイウェー号」だったのです。

Img_0630c_20210219151201 Img_0766c  まさか、ここで、今日見られるとは、まったく思ってもみませんでした。実は、助手席には、ぐっさん(山口智充さん)の姿もあり、近くにはロケ用と思われるワゴン車、スタッフと思われる男性も2~3人。ぐっさん、一度トラックから降りて来て、また助手席に乗り込んだのですが、さすがにがたいのいいこと。驚くほどがっちりしていました。しかし、「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!」のロケだったのでしょうか、そこは不明。

Img_0586c_20210219151201 さて、散歩に出てすぐの住吉入江には、キンクロハジロが計3羽、ホシハジロのオスが1羽。揖斐川、川面はきわめて穏やかでしたが、今日もシラウオ漁の船が出ていて、水鳥はいません。七里の渡し跡でも、ムクドリが少しいただけ。三の丸公園でもムクドリ、スズメにツグミが1羽しかいません。遅く出て来て、ちょっとマズかったかと思ったら、柿安コミュニティパークで「ニッポンハイウェー号」を見つけて、ラッキーでした。

Img_0639c_20210219151201 Img_0778c_20210219151201  九華公園も静かでした。ゴイサギ、アオサギはいません。管理事務所近くでヤマガラ、シジュウカラの群に出遭ったものの、写真は撮れず。カモは合計39羽。ハシビロガモが14羽、ホシハジロのオスが1羽、他はキンクロハジロ。この頃、ヒドリガモがいたり、いなかったりします。

Img_0663c_20210219151201 Img_0701c_20210219151201  奥平屋敷跡では、まずはシメ。二の丸跡の方から花菖蒲園のところへ来たのです。20m弱のところで撮れました。さらに、少し待つと、シロハラもやって来ました。遅く出て来ましたが、シメにも、シロハラにも出遭え、まあまあかも知れません。贅沢をいえば、キリがないのです。

Img_0797c_20210219151101 Img_0859c  鎮国守国神社などを回って神戸櫓跡近くのベンチで一息入れていたら、ジョウビタキのオス。このあと、外周の遊歩道を歩いていたら、東側でも、南側でもジョウビタキのオス(右の写真)。遊歩道の東と南で出遭ったジョウビタキは同じ個体のような気がします。

Img_0879c_20210219151101  貝塚公園も静かでした。ヒヨドリが1~2羽いたくらい。あまり期待せずに、公園の西側に回って、シロハラがよくいるところを見て回っていたら、いました。シロハラから5~6mのところで見て、撮影できました。このあと、常信寺で「ウメジロウ」を、寺町商店街で「桜メジロウ」を狙ったものの、メジロが現れず、残念。

Img_0742c Img_0762c_20210219151201  梅や河津桜、ミモザの写真も撮ってきたのですが、曇天であまり色が出ません。そういえば、1年前の今日は、常信寺のジンチョウゲが咲き始めていました。今日は、見忘れ(苦笑)。左の写真は鎮国守国神社の境内、天守台跡のところで。右は、同じく、鎮国守国神社にある豊後梅。つぼみが出て来ました。この豊後梅は毎年、見事に咲くので、楽しみにしています。

【付記(2/20)】 九華公園の管理人さんなどに伺ったところ、ぐっさんは、このあと伊勢に向かったそうです。

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2021年2月18日 (木)

今シーズン初の「河津桜にメジロ」……それにしても寒い

0218amedas 0218weatherforecast あまりの寒さに桑名のアメダスのデータがぶっ飛んだようです(勝手な推測ですが……)。本日15時20分にチェックしたのですが、11時以降のデータがありません。朝の最低気温は、-1.5℃。日中の最高気温は不明ですが、予報では4~5℃。

Img_0553c_20210218155201  そのYahoo!の天気予報では、夕方、雪が降るとなっていましたが(右上の画像)、16時前には一時的に吹雪いていました。今のところ(16時過ぎ)、ずっと降っているわけではありません。底冷えする感じです。今日は、二十四節気では「雨水(うすい)」で、降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になるという意味ですが……。

Img_0495c  今日の最大の成果はこちら。「河津桜にメジロ」です(微笑)。背景が白い建物でしたから、桜やメジロが暗く写ってしまいました。まぁ、今シーズン初めてですから、今後に期待ということで。

Img_0140c_20210218153701  さて、朝はいつも通り、散歩。7時半から歩き始めました。寒くて、歩いている人はほとんどなし(笑)。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、京町、南魚町、寺町商店街と6.3㎞。散歩友達はまったくおらず、鳥もきわめて少なく、9時50分には帰宅。そのまま、クルマで本屋へ。

Img_0181c_20210218153701  住吉入江にはキンクロハジロが3羽のみ。揖斐川では、川口水門の近くにカモの姿が20羽あまり見えたのですが、日陰で遠くて種類ははっきりとせず(たぶん、ヒドリガモが大半)。揖斐川には今日もシラウオ漁の漁船が出ていました。水鳥は、ヒドリガモらしきカモが4羽と、写真のように、カンムリカイツブリが1羽。

Img_0199c_20210218153701  七里の渡し跡、最近は、ヒドリガモ、コガモが集まっていましたが、今日は、水門内にはおらず(上記のように、川口水門の外にいました)。チラッとジョウビタキのメスがいたものの、写真は撮れず。三の丸公園ではツグミ1羽と、ムクドリたち。柿安コミュニティパークでもツグミ2羽。スズメも集まっています。写真は、柿安コミュニティパークにいたツグミのうちの1羽。

Img_0251c_20210218153701  九華公園には8時に到着。静かでした。というのも、歩く人は2~3人。鳥も、北門から相撲場近くでは、堀にオオバンが2羽泳いでいただけで、他にはほとんどおらず。「参ったなぁ」とつぶやいていたら、鎮国守国神社の方からシメが飛んで来ました。

Img_0291c_20210218153701 Img_0334c_20210218153701  奥平屋敷跡まで来たものの、やはり鳥はあまり出てこず。風も強くて寒かったのですが、しばらく待ったら、まずはツグミ。少し遅れて、シロハラが登場。

Img_0303c_20210218153701Img_0380c_20210218153701  さらに、ジョウビタキのオス。いや、よく来てくれたねぇといいたいくらい(微笑)。このあと、隣の二の丸跡でも、ジョウビタキのオス(右の写真)。同じ個体かも知れません。

Img_0386c_20210218153701  さらに東の朝日丸跡では、シロハラ。追いかけて撮った「証拠写真」です(苦笑)。

Img_0414c_20210218153701 Img_0404c_20210218153701  カモは、合計で44羽。ハシビロガモが14羽、ヒドリガモが2ペアにキンクロハジロ。ホシハジロは見なくなってしまいました。昨日見つけた、弱ったハシビロガモ、今日は見当たらず。ユリカモメは、4羽のみ。以上が今日の鳥果。このあと、貝塚公園ではまったく何もいませんし、内堀公園ではキジバトのみ。

Img_0530c_20210218153601  余談。「河津桜にメジロ」を撮っていたら、三八市のクルマの整理をしておられた方が「あれは、ウグイスか?」と聞いてこられました。メジロをウグイスと勘違いして、思い込んでいる方はときどきいらっしゃいます。いつも持ち歩いている文庫本サイズの鳥の図鑑を示して、いささかの講釈を垂れてしまいました。かえってご迷惑だったかも知れません。

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2021年2月17日 (水)

九華公園のシメは2羽……白変種と思われるムクドリにも遭遇

Img_9706c  朝の天気予報では、晴れて、9時頃までは雨か雪がパラつくかも知れないということでした。冒頭の写真は、7時半の北の空。ネットで雨雲レーダーを見ても、アヤシかったのですが、思い切ってそのまま散歩へ。いつも通り、住吉神社、九華公園と歩いたのですが、すぐに多度山の方から雪が飛んで来ました。九華公園では、一時的にけっこう降って来たので、管理事務所で雨宿りならぬ「雪宿り」をさせてもらい、9時50分に散歩再開。貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町、南魚町、寺町と5.6㎞。いつもより遅く、10時45分頃帰宅。

Img_9710c Img_9728c_20210217160401  拙宅前の住吉入江には、ヒドリガモが2ペア休んでいました。住吉水門のところまで行くと、ヒドリガモがやはり2ペアに、キンクロハジロが6羽。

Img_9731c Img_9739c_20210217160401  住吉神社の前から揖斐川の上流方向を撮った写真。冒頭の写真でも分かりますが、多度山の方は、雪雲の中。風も強く、住吉神社のあたりでは、雪が飛んで来ていました。こんな天候の中ですが、シラウオ漁の漁船が3組出ています。聞くところでは、今年は白魚がよく育っているそうです。漁船が出ていますので、水鳥はおらず。住吉水門と川口水門の間の堤防にも見当たりません。

Img_9802c_20210217160401 Img_9772c_20210217160401  七里の渡し跡では、このところ恒例になりましたが、ヒドリガモとコガモ。ヒドリガモは24羽、コガモは17羽。コガモはすべて上陸していましたが、ヒドリガモは浮いているのと半々。

Img_9786c_20210217160401  三の丸公園には、ツグミ、ムクドリ、ジョウビタキのメスがいたのですが、そのムクドリの中に白っぽい個体が1羽混じっていました。ギンムクドリでも、コムクドリでもなさそうです。ムクドリの「白変種」でしょう(アルビノではなく)。白変種(はくへんしゅ、Leucism、リューシズム)は、色素の減少により体毛・羽毛・皮膚等が白化した動物の個体をいいます。メラニンに係わる遺伝情報の欠損により白化したアルビノとは異なるのです。

Img_9832c  三の丸公園では、メスのジョウビタキ。寒いので、ふっくら。しかし、堤防の上や、その近く、今日は寒いこと。歩く人はほとんどありません(苦笑)。よほどの物好き。

Img_9894c Img_9924c_20210217160301  九華公園についたものの、北門から管理事務所の南までで見た鳥は、カワラヒワ、シロハラをそれぞれ1羽(写真はありません)。鳴き声を聞いたのは、ヒヨドリ、シジュウカラくらい。奥平屋敷跡にもなかなか鳥は来ず。30分くらい待って、シロハラとシメ。あとはハシボソガラス、ドバト。今日は、ハクセキレイも来ません。二の丸跡へ行こうとしたら、本丸跡の方から、シメが飛来。右の写真のシメがいたところとはまったく反対方向から来ましたので、シメは2羽いると思われます。

Img_9853c_20210217163401 Img_9905c_20210217160301  カモは、合計32羽。ハシビロがモが9羽、ヒドリガモが2ペアとキンクロハジロ。ホシハジロは見られませんでした。カルガモが2羽と、オオバンが1羽。カモは数が減ったようです。さらに、吉之丸堀の東にある揖斐川からの導水口のところに弱った、ハシビロガモのメスが1羽。活気なく浮いていて、時折、足を動かして少しだけ移動するくらい。色つやが冴えないように見えました。

Img_0003cImg_0023c_20210217160301  本丸跡では、シメ。カワラヒワや、ムクドリもいました。鎮国守国神社の境内では、シジュウカラやメジロの鳴き声が聞こえ、カワラヒワがいました。相撲場の方を改めて見たら、シロハラ。シロハラも2羽いるように思われます。管理事務所で「雪宿り」したあと、辰巳櫓跡でビンズイ。久しぶりに見ました。

Img_0052c_20210217160301 Img_0064c_20210217160301  貝塚公園も静かでしたが、南西の門から出て、内堀南公園方面へ行こうとしたら、モズが出て来ました。ラッキー。内堀南公園にはいつも通り、何もおらず。ここで見るのは、スズメかムクドリ、メジロくらい。京町公園で一休みしていたら、ハクセキレイが寄って来ました。

Img_0084c_20210217160301 Img_0105c_20210217160301  寺町商店街では、今日もまた懲りずに河津桜を見てきました(微苦笑)。左はもっともよく咲いている木。他の河津桜の木には、まだこれほど花はついていません。満開の河津桜も早く見てみたいと思うのですが、「もう咲くか」と期待している時や、「だんだんと咲いて来たな」と感じられる頃も、楽しい気がします。

Img_0113c_20210217160301  拙宅前の住吉入江まで戻って来たところで、また、ハクセキレイに遭遇。

Img_0122c_20210217160301  寺町あたりから、天候はかなり回復してきて、青空になってきました。今日は、最低気温2.4℃、最高気温7.5℃と真冬並み。西風が5~6m/s。これらの写真は、正午頃撮ったもの。左の写真はベランダから見た南西の空。鈴鹿山脈の御在所岳などが小さく見えていますが、雪雲のような雲がかかっています。

Img_0128c_20210217160301 Img_0134c_20210217160301  こちらは、北の空。よく書きますので、「もう分かっている」といわれそうですが冬の寒いときの典型的な空。多度山から雲が流れてくるように見えるのです。明朝は、零下になり、雪が降るかも知れないといいます。いったん暖かくなった後の冷え込みは、応えます(苦笑)。午後からは、ようやく昨年の市民大学郷土史学科のまとめ作業の続きを始めました(歴史を裏から見る)。思い出すと、毎年、今頃、同じように「ようやく取りかかった」とか、「続きを再開した」と書いています。同じパターンを繰り返すというのか、進歩がないというのか(爆)。

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2021年2月16日 (火)

鎮国守国神社の梅、寺町の河津桜……九華公園で落下した鳥の巣を発見

Img_9233c_20210216143101  晴れて、気温も10度を越えましたが、夕方までは強風だそうです。最大風速は8.8m/sで、だいたい5~6m/sの風が吹いています。散歩に出たのは、いつもとほぼ同じ、7時40分。冒頭の写真のような空。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、常信寺、南魚町、寺町商店街と6.6㎞。強風で、散歩友達も、鳥もあまりいませんでした。

Img_9239c  拙宅前の住吉入江で、一瞬、イソヒヨドリのメスを見たような気がして、追いかけたのですが、見失いました。追いかけたので、諸戸氏庭園側ではなく、入り江の南側を通って桑名七里の渡し公園へ。今日はハクセキレイのみ2羽。

Img_9250c Img_9261c  住吉水門の内側、キンクロハジロのオス1羽、メス2羽に、ヒドリガモのペアが1組。風が強くて、揖斐川は波立っていて、水鳥の姿は見えず。

Img_9305c_20210216143101 Img_9296c  七里の渡し跡、ヒドリガモとコガモとを合わせて43羽。ヒドリガモが大半で、コガモは10羽足らず。三の丸公園ではツグミと、ムクドリ。今日はジョウビタキのメスの姿はありません。

Img_9314c_20210216143101 Img_9317c_20210216144901  柿安コミュニティパークでもツグミが2羽。他にはスズメの集団。スズメが集団で降りてエサを探しているところは、このところ毎日のように見ます。あまりよい写真ではありませんが、記録のため。

Img_9328c_20210216143101  九華公園には8時に到着。相変わらず、ゴイサギの姿はありません。アオサギも今日はいません。強風で、出勤してこられないのかも。小型の野鳥、姿もなく、鳴き声も聞こえず。いたのは、ヒヨドリのみ。

Img_9371c_20210216143101  奥平屋敷跡、30分あまりいたものの、風が強くて、鳥はなかなか現れません。ハシボソガラスのペア、ハクセキレイ、カワラヒワ数羽のほかにやって来たのは、シロハラのみ。やはり、この風ではねぇ……。

Img_9334c_20210216143101 Img_9589c_20210216143201  カモ、今日は一段と少なく、28羽しかおらず。ハシビロガモが10羽、ヒドリが2ペア。ホシハジロは見当たりません。散歩&鳥見友達のYさんも、「今日はさらにカモが少ないねぇ」と。

Img_9414c_20210216143201 Img_9426c_20210216143201  本丸跡から鎮国守国神社に行こうとしたら、ツグミとカワラヒワ多数。カワラヒワは、ペアまたは数羽の集団で地上に降りてきて、エサを探しています。

Img_9144cImg_9428c  鎮国守国神社には、梅がたくさんあります。神社には鎮国公(松平定綱)、守国公(松平定信)が祀られています。どちらも久松松平家で、その家紋が梅鉢紋であることに因むと思われます(左の写真は、昨日、九華招魂社のところで撮影したもの)。右の写真は、拝殿前の鳥居のところの梅。

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Img_9442c_20210216143201  もう少し手入れをきちんとするともっときれいに咲くなどと勝手なことをいいつつ、楽しませてもらっています。左の写真は、右上の紅梅の木のクローズアップ。右の写真は、拝殿東側にある白梅の木。

 

Img_9458c_20210216143201Img_9477c_20210216143201  こちらも拝殿東側で撮影。ちょっとゴチャゴチャしすぎかもしれませんが、よくいえば、ボリューム感たっぷり(微笑)。右は、九華招魂社の西側の枝垂れ梅。

Img_9520c_20210216143201 神戸櫓跡と辰巳櫓跡との間、お城があった頃には多聞櫓があったはずの場所にベンチがあり、散歩途中で休憩することがよくあります。今日は、ここでヤマガラ、シジュウカラ、カワラヒワが入り乱れて登場。あまりにも賑やかでしたし、逆光位置も多かったので、ヤマガラの証拠写真のみ。

Img_9565c_20210216143201Kyuukapark  その近くでシメも。いや、よかった、シメにも会えました(微笑)。思いつきで、九華公園の図をつくってみました。ファイルサイズが244kbと大きくなっていますが、右の画像がそれ。柿安コミュニティパークは、この図の範囲外、上に、また、貝塚公園は下にあります。右下にある神明社は、赤須賀神明社。

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Img_9608c_20210216143301  このあと行った貝塚公園では、ヒヨドリ、カワラヒワくらいしかいませんでした。内堀公園に行く途中のお宅でメジロ(左の写真)。内堀公園では、久しぶりにジョウビタキのオスが登場。ただし、このあとすぐに姿を消してしまい、こんな証拠写真。

 

Img_9645c_20210216143301Img_9673c_20210216143301  寺町商店街では、河津桜の様子をチェック。やはり、陽光の下で見た方がはるかに綺麗です。ピンク色が濃いのがいい感じ。しかし、まだ花を見上げる人は少なく、物好きな私くらい(苦笑)。もったいない気もします。

Img_9652cImg_9692c_20210216143301  もっともよく咲いている木は、こちら。商店街の店でいうと、「おまえの海鮮丼」さんの裏手あたり。ぼんぼりもつり下げられ、また、「一番早く咲きます 寺町 河津桜」という手作り看板も出て来ています。

Img_9399c_20210216143201Img_9402c_20210216143201  余談その1。折からの強風で飛ばされて、落ちてきたものと思いますが、朝日丸跡で鳥の巣らしきものを見つけました。ボールペンとともに撮りましたが、直径は約5cm、深さは5cm弱。このあたりで営巣する可能性があるのは、カワラヒワ、エナガ、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラなどか。「実物日本鳥の巣図鑑」で調べますと、メジロの巣に似ています。

Img_9499c_20210216143201Img_9495c_20210216143201  余談その2。九華公園で先日、選定作業が行われ、藤棚のフジも剪定されていたと書きました。本丸跡に1箇所、奥平屋敷跡あたりに2箇所あります。本丸跡でよく見てきました。ご覧のとおり、かなり短く切られていました。これでは、花芽も切られたかと思ったのですが、よく見ると、次の写真のようになっていました。

Img_9503c_20210216143201  花芽かと思われるものが残っているようです。これが花芽であるなら、この春、フジがまったく咲かないという事態は避けられそうですが、どうなるでしょう? よくよく見ないといけません。

 

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2021年2月15日 (月)

よく降った後は強風……寺町商店街の河津桜、毎年恒例の「勝手に開花宣言(苦笑)」

Img_9230c_20210215162601  午前中はかなり降りました。24時間雨量は、41.5mm。午後から雨は上がったものの、強風。最大で7m/s。おおよそ4m/s前後の風。13時40分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、吉津屋町、京町、南魚町、寺町と5.3㎞。1時間50分ほどでした。こんな時間、散歩友達には会わないと思ったら、鳥見の大先輩Sさんと、元畳職人のAさんに会えました。

Img_9174c_20210215162601 Img_9180c_20210215162601  まずは、寺町商店街の河津桜。これだけ咲けば、勝手に開花宣言してもよいだろうと思います(微笑)。今夜からは、しばらく寒さがぶり返すそうですが、次の日曜以降は暖かくなるといいますので、さらに咲くでしょう。来週以降が見頃になってくるかという気がします。

Img_8921c_20210215162701  さて、散歩の最初から。拙宅前の住吉入江には、キンクロハジロのオスが1羽。波乗りして、「ワ~ォ!」とでもいっているような雰囲気(笑)。

Img_8926c_20210215162701 Img_8942c_20210215162701  桑名七里の渡し公園には、ツグミとキセキレイ。キセキレイ、遠目にはハクセキレイと区別しにくいので、危うく写真を撮り損ねるところでした。このほかには、ドバトたち。住吉水門の内側、今日は、カモはおらず。

Img_8984c  七里の渡し跡には、ヒドリガモが25羽ほどと、コガモが6羽。写真の向かって右が、七里の渡し跡、左に川口水門を経て揖斐川。かなり波が立っていましたが、ヒドリガモたちは餌を食べるのに懸命なものも多数。コガモは私の姿を見て、揖斐川に出て行こうとしていました。三の丸公園、柿安コミュニティパークにはそれぞれツグミが1羽ずつ。他には、ムクドリ。柿安コミュニティパークの堀には、キンクロハジロ2羽と、オオバン2羽。

Img_9152c_20210215162601  九華公園では、ゴイサギ、アオサギはいません。散歩友達のAさんによれば、少し前、ゴイサギらしき鳥が猫に襲われたそうです。それ以来、ゴイサギが来なくなった可能性があると思われ、すでに繁殖に出かけてしまったワケではないかも知れません。

Img_9066c_20210215162601 Img_9037c_20210215162601  奥平屋敷跡へ行くところにイソヒヨドリのオス。イソヒヨドリも、思わぬところで出遭います。カモ、今日は合計44羽。ハシビロガモが12羽、ホシハジロのオスが1羽、他はキンクロハジロ。ということで、ヒドリガモや、先日いたホシハジロのメスは見当たりませんでした。

Img_9034c_20210215162601 ユリカモメは、旧アヒル小屋のところに1羽。その後、3羽ほどが飛来しただけ。今年は、本当に少ないのです。

Img_9074c_20210215162601 Img_9085c_20210215162601  奥平屋敷跡で、シロハラ。ミミズを引っ張り出していますので、苦手な方は、写真をクリックなさらないでください。このあと、ミミズを丸呑み。ツグミもやって来ましたが、朝8時台に見られるようなジョウビタキ、ハクセキレイ、カワラヒワなどはまったくいません。

Img_9104c_20210215162601 Img_9114c_20210215162601  鎮国守国神社の境内では、梅がさらに咲いてきました。左の写真は、二の鳥居の東側。比較的最近植えられたもの。右の写真は、九華招魂社の西側の枝垂れ梅。

Img_9132c_20210215162601  鎮国さんの境内で、ウメジロウ。一応、梅の木にメジロが来たという証拠写真(苦笑)。風が強かったので、このあとはひたすら歩いてきました。貝塚公園では、中は回らず、北門から入って西門に抜け、シロハラがよくいる西側エリアを外から見ただけ。内堀南公園には、何もおらず。南魚町のミカンがあるお宅、さすがにメジロは来ず。寺町商店街で河津桜を見て、今日の散歩はオシマイ。 

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2021年2月14日 (日)

ミコアイサを見に

Img_8440c_20210214152601  暖かくなって、風も弱そうでしたので、久しぶりにプチ遠征へ。いなべ市の両ヶ池公園と、四日市市の北勢中央公園に行ってきました。ただ、朝、スマホの充電切れに気づかず、出発したのは9時前とかなり出遅れ(苦笑)。両ヶ池には9時半前に到着、小1時間滞在。先客がお二人。

Img_8467c_20210214152701 Img_8459c_20210214152701  ねらいはもちろん、まずは、ミコアイサなのですが、いかにも遠い。ミルクロード沿いにクルマを止め、上池を眺めるのですが、中央より西側にしかいません。120m以上先にしかいません。証拠写真です(嘆息)。

Img_8502c Img_8604c  他には、キンクロハジロ、ホシハジロ、カンムリカイツブリ、オオバン、コガモ、カルガモ、カイツブリなど。写真をパソコンでチェックしていたら、カメが甲羅干ししている姿が映っていました(右の写真の中央やや上あたり)。

Img_8625c_20210214153301 Img_8636c_20210214152601  なかなか近い方にカモたちがやって来ませんので、下池を回ることに。今回はかなり水が入っていました。草競馬が行われる競馬場のところでは、ツグミが1羽。

Img_8678c_20210214152601 Img_8669c  下池にもミコアイサがいました。オスが1羽とメスが3羽。こちらも遠かったのですが、それでも100m前後かと思うくらい。近くに来たのは、カンムリカイツブリのみ。

Img_8719c Img_8639c_20210214152601  下池でキンクロハジロかと思うのですが、ちょっと変わっているなと思うカモ。ウ~ン、何でしょうと思ったら、ホオジロガモ。pnさんのご教示に感謝します。

Img_8906c  続いて、クルマで10分ほど移動し、北勢中央公園へ。10時30分到着。ちょっと遅かったので、鳥たちはあまりいません。

Img_8842c_20210214152601Img_8866c  上池にはカルガモの他、200m以上先にハシビロガモとヒドリガモ。ミコアイサは、メスが1羽見えただけ。下池には水鳥はまったくいません。

Img_8867c_20210214152601Img_8897c  上池と下池の間で、ジョウビタキのオス。公園内のあちこちにツグミ。モズを見たものの、写真は撮れず。他にはスズメとシジュウカラがいたくらい。北勢中央公園ではもっと鳥がいると期待したのですが、朝の出遅れは痛かった(苦笑)。2箇所合わせて歩いたのは、3㎞半くらい。汗をかくくらいの陽気。18℃になったようです。

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2021年2月13日 (土)

4日連続でカワセミ、シロハラに3メートルまで接近

Img_8432c_20210213150401  午後になって晴れてきましたが、午前中は曇り。しかし、最低気温は8.7℃と寒くはありませんでした。まったくいつもと同じく、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、南魚町、寺町商店街と6.1㎞、3時間の散歩。呆れるほどワンパターン(苦笑)。とくに散歩の前半は、毎回必ず同じ。

Img_8229c_20210213150701  まずは、こちら。かなり証拠写真ではありますが、カワセミ。これで4日連続、九華公園でカワセミを見ました。朝日丸跡の堀端を歩いていたら、またもや足元から飛び立ち、吉之丸堀の上に通っている電線へ。メスのようです。このあと、二の丸跡へ飛んだので、追いかけたものの見失いました。

Img_8113c  そして、何日ぶりか調べないと分かりませんが、九華公園の堀で、ホシハジロのメス1羽を確認。あまりに久しぶりだったので、「エッ!?、何だ?」と思ったくらい(苦笑)。写真の奥がホシハジロのメス。

Img_8372c_20210213150501  もう一つは、シロハラ。「何だ、珍しくないじゃん」といわれるでしょうが、「だるまさんが転んだ」方式で、3mほどにまで接近して撮った写真なのです。気づいたら10mほど先にいましたので、シロハラが向こうを向いている間に少しずつ近づいたのです(微笑)。貝塚公園にて。

Img_8029c_20210213150601Img_8038c_20210213150601  さて、散歩の初めから。諸戸氏庭園は今日も静か。桑名七里の渡し公園にも撮り影はなし。住吉水門の内側には、キンクロハジロのオス1羽と、ホシハジロのオスが1羽。スズメは、住吉神社にて。揖斐川では、住吉水門と川口水門の間の堤防にヒドリガモたち。24羽。

Img_8058c_20210213150501Img_8087c_20210213150501  七里の渡し跡には鳥はおらず。三の丸公園では、昨日と同じく、ジョウビタキのメス1羽とツグミ1羽。他には、ムクドリたち。揖斐川にはカンムリカイツブリが2羽、遠くに見えました。柿安コミュニティパークで、ツグミ3羽。西の堀には、オオバン2羽とキンクロハジロ4羽。

Img_8092c  九華公園には8時前に到着。アオサギさんが、出迎えてくれました。あたりでは、ヤマガラの鳴き声がしたので、探したものの、姿は見つけられませんでた。シジュウカラ1羽を目撃。

Img_8196c Img_8165c_20210213150501  奥平屋敷跡、今日は散歩友達はWさんのみ。以前も書きましたが、最近、「朱に交わって」「赤くなって」来られました(微笑)。あくまでも自己責任でとお願いしていますが、セキレイやシロハラなどを判別できるようになっておられます。ジョウビタキのオスが登場。シロハラは、いつも通り、奥平屋敷跡の島の周辺を回っています。

Img_8182c_20210213150501 Img_8131c_20210213150501  他には、シメが遠くの木に。ハクセキレイは、いつも通りやって来ます。今日は、ペアでした。40分ほど待っていたのですが、このほかには、ハシボソガラス。ペアで、奥平屋敷跡にある松の木の高いところに巣材を運んでいきます。カワラヒワも何羽かがやってきます。二の丸跡の複数の場所からは、ウグイスの地鳴き書き越えてきますが、姿は見えず。

Img_8312c_20210213152401  ホシハジロのメスが1羽いたと書きましたが、カモ、今日は合計37羽と少ないこと。ハシビロガモが10羽、ホシハジロがオス、メス各1羽、ヒドリガモは2ペアで他はキンクロハジロ。キンクロハジロが減っています。カルガモは1羽、オオバンは2羽。

Img_8216c_20210213150601  今日、九華公園には造園業者さんがやって来て、あちこちで剪定作業。これら2枚の写真は、神戸櫓跡と辰巳Img_8307c 櫓跡の間から、水平に吉之丸堀に伸びている(実は、徐々に倒れてきて、現時点では水平になっているのです)松の枝の剪定中と、剪定後。残念、これでハシビロガモや、カルガモの休憩場所がなくなってしまいました。

Img_8243c_20210213152601  さらに、本丸跡などにある藤棚のフジも剪定。いやぁ、しかし、今の時期に剪定するのはよくないと、ど素人の私でも知っています。ツツジでも花が終わった6月頃に剪定しますが、フジも花が終わった5月下旬~6月下旬ころに剪定をしないといけないはず。ツツジも、フジも8月が過ぎると翌年の花芽ができているのです。花芽を残して剪定してもらっていればよいのですが、どうなるでしょう。

Img_8329c_20210213150501  貝塚公園、入ってすぐにモズの鳴き声。これまた証拠写真で、いささか残念。オスのモズ。他には、キジバト、カワラヒワくらい。ヒヨドリはおらず。内堀南公園には何もいません。内堀公園ではキジバトのみ。

Img_8389c_20210213150401  寺町商店街、今日は三八市。市の開催に合わせたのか、「河津桜」看板が登場していました。看板を眺めていたら、駐車場整理の係の方が登場。「河津桜は、今の様子ならあと1週間くらいで見頃や……」と話しかけてこられます。もちろん、毎年毎年見ていますので、私としては先刻承知なのですが、ご機嫌を損ねてもいけませんので、ご高説を承ってきました(微苦笑)。ちなみに、開花はあまり進んでいませんでしたが、蕾はかなり膨らんで来ていて、「いつ咲いてもいいぞ!」という雰囲気に満ちあふれていました。

Img_8415c Img_8404c_20210213150401  我が家前の住吉入江のところまで戻って来て、入り江を覗いたら、カンムリカイツブリとホシハジロのオス。

Img_8253c_20210213150501  2月も早くも13日。明日は、バレンタインデーと書くつもりはありません。2月の半分が過ぎようとしていると思ったのです。「2月は逃げる」といい、早いとは思っているのですが、それにしても早い。

12200  余談。鉄ちゃんではありませんが、鉄道、電車には多少興味があります。ネットニュースを見ていたら、「近鉄特急12200系が静かに引退」というニュースが載っていました。「スナックカー」という愛称でした。半世紀以上走り続けた特急車両で、最初の職場にいたころ、出張するのに利用しましたし、教員になってからも疲れたときなど1区間だけでもラクをしたいと乗ったことも度々ありました。昭和44(1969)年から8年間にわたって、近鉄特急車の中では最多の166両が製造されたそうです。近鉄では今日から、名阪特急は全て、新型車両の「ひのとり」と、桑名や四日市など途中駅に止まる「アーバンライナー」に統一するといいます。写真は、近鉄のサイトからお借りしました。

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2021年2月12日 (金)

今日の散歩はシルバー人材センターへ(微笑)

Img_8009c_20210212151901  風も弱く、気温も14℃になったにもかかわらず、何だか寒い感じの1日です。朝からずっと曇り。ソーラーパワーは偉大だというのを改めて実感します。いつものように、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園を歩いたあと、シルバー人材センターに立ち寄り、そこで1時間20分滞在。内堀公園、京町、南魚町、寺町と歩いて、5.0㎞。11時を大幅に回ってやっと帰宅。鳥はあまり出てこず。

Img_7682c_20210212152001Img_7703c_20210212152001  桑名七里の渡し公園には、今日もキセキレイの姿。ただし、証拠写真。住吉水門の内側には、ヒドリガモ10羽、キンクロハジロが3羽、ホシハジロのオスが1羽。これは、最近の「いつもの光景」になっています。

Img_7827c_20210212152001  揖斐川には、今日もシラウオ漁の漁船が1組でており、水鳥はほとんどいません。カンムリカイツブリが2羽ほど。うちの1羽は、夏バージョンにほとんど模様替え完了。

Img_7800c Img_7803c_20210212152001  七里の渡し跡には、今日もヒドリガモ12羽と、コガモ8羽。昨日も同じような光景を見ました。春先によく見ます。

Img_7757c_20210212152001 Img_7785c_20210212152001  三の丸公園でも、京都同じく、ツグミが1羽と、ジョウビタキのメスが1羽。しかし、曇天で、明るさが足りません。ピントのシャープさがありませんし、色も出ず。まぁやむを得ず。今日は、証拠写真のオンパレード。

Img_7813c_20210212152001 Img_7848c_20210212152001  蟠龍櫓に近い堤防では、ツグミ。柿安コミュニティパークで、ヒヨドリが降りて来て、雑草を食いちぎって食べていました。今シーズン初めて見ました。食べ物がなくて、困っているのです。

Img_7963c_20210212152001  九華公園には8時に到着。今日は、アオサギが、鎮国守国神社の社務所裏にいました。頭にある冠羽がピンと立っていました。ゴイサギはやはりいません。このあと、一瞬カワセミを見たものの、すぐに見失ってしまいました。残念。しかし、これで、3日連続目撃。

Img_7864c_20210212154101 Img_7877c  奥平屋敷跡では、まずはツグミ。そういえば、今日はツグミばかり。シメは、奥平屋敷跡の南の端っこの木の上。

Img_7894c_20210212152001  そして、シロハラ。ハクセキレイとジョウビタキのオスは来ず、カラスは一瞬。

Img_7903c_20210212152001  カモは、合計41羽。ハシビロガモが13羽とホシハジロのオスが1羽。今日はヒドリガモの姿はありません。残りはキンクロハジロ。ユリカモメは1羽が飛んでいるのを見ましたが、それだけ。本丸跡ではカワラヒワが多数。

Img_7974c_20210212152001  その後、シルバー人材センターへ(微笑)。ここで1時間20分ほど滞在。前にも書きましたが、別に会員になろうとかそういうことではありません(苦笑)。同級生K氏の職場。資料を持参しようと思ったら、電話があり、「知恵を貸せ」と。作業の安全マニュアルについて、意見を聞かれた次第。コーヒーをご馳走になり、ついつい話し込んでしまったというワケ。

Img_7981c_20210212151901  10時45分になっていましたので、内堀公園、京町、南魚町、寺町とそのまま帰宅。写真は、寺町の河津桜。昨日までと比べ、わずかに花の数が増えた気がします。

Img_8005c_20210212151901  ところで、東京オリ・パラ組織委員会委員長に川口三郎氏が就任するという話しが白紙になったというニュースが流れています。「森さんが密室で選んだ」という批判が湧いてきたためだとか。「密室で選んだ」といえば、森さんが総理大臣になったときもそうでした。麻生太郎財務大臣が、「呪われたオリンピック」といっていましたが、どうなりますか。後任には、橋本聖子五輪担当大臣の名前も挙がっていると中日新聞のサイトはありました。

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2021年2月11日 (木)

今日はカワセミに大接近……ジンチョウゲやミモザにも蕾で春近し

Img_7549c_20210211172701 Img_7531c 春本番の陽気でした。最高気温は、13.6℃。風はそれなりに吹いたものの、身にしみるような冷たさはありません。いつも通り、朝7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、外堀、吉津屋町、京町、常信寺、桑名別院本統寺、南魚町、寺町商店街と、6.7㎞。ジンチョウゲや、ミモザの蕾が早くも出て来ていました。いずれも、常信寺にて。

Img_7446c_20210211172701 Img_7456c_20210211172701  今日は、まずは、カワセミ。今日は、20m以内のところまで大接近できました。今日のカワセミは、オス。神戸櫓跡にいるのを見つけ、トイレの建物に隠れて近づいたのです。右はさらに10m以内に行ったものの、後ろ姿しか撮れず。このあとさすがに気づかれ、逃げられました。

Img_7636c Img_7611c_20210211172601  そして、このところ毎日見に行っている南魚町のお宅。ミカンが2つ、木の枝に刺してあるのですが、今日は「ダブル・メジロ」。ヒヨドリは来ておらず、ラッキー。ここは日もよく当たるところで、写真を撮るのに最適なのです。

Img_7356c_20210211172801  もう一つ、先に。アオサギさん。九華公園の朝日丸跡にて。微妙と云うべきか、絶妙と云うべきか、「魚つり/とり禁止」の看板の先にいたのです(笑)。本当のところをいえば、アオサギがここで餌を採ることは、これまでに見たことはありません。ダイビングするには、堀が浅すぎ。堀に降りて餌を採るのは、相撲場近くがほとんどなのです。

Img_6957c_20210211172901 Img_7004c_20210211173001  さて、散歩の初めに戻って。諸戸氏庭園あたりには鳥影はなし。桑名七里の渡し公園には、今日は、ハクセキレイ2羽のみ。住吉水門の内側には(左の写真)、ヒドリガモが1ペア、ホシハジロのオスが1羽、キンクロハジロが2羽。水門の外側には、ヒドリガモが9羽、キンクロハジロが2羽。

Img_6979c_20210211173001 Img_7071c_20210211172801  さらに、住吉水門と川口水門の間、揖斐川右岸の堤防には、ヒドリガモや、コガモが合わせて20数羽。オオバンも1羽見えていました。七里の渡し跡の堤防(右の写真)では、ヒドリガモが11羽にコガモが4羽。これらのように、ヒドリガモが堤防に集団で上がっているのは、毎年、春先に見られる光景。渡って行く前に見る気がしています。

Img_7033c_20210211172901  七里の渡し跡の堤防の柵には、ハシボソガラスが枝をくわえて止まっていました。1週間ほど前から、カラスがこのように、木の枝をくわえているようになりました。九華公園でも見ます。奥平屋敷跡では、枝をくわえたカラスが、松の木の中に入っていきます。早くも巣をつくっていると考えられます。カラスは、木の枝を折り取って、さらに余分なところを折って、形を整えています。なかなか賢い。

Img_7082c  三の丸水門の近くでは、カンムリカイツブリが魚を捕まえ、飲み込むところが見られました。このカンムリカイツブリ、すでにほとんど夏羽にモデルチェンジしているようです。

Img_7112cImg_7079c_20210211172901  三の丸水門近くでは、今日もまた、ジョウビタキのメスが2羽登場。ツグミも、三の丸公園と、水門のところと2箇所に。

Img_7129c_20210211172901  九華公園では、カワラヒワが出迎え。北門近くにあるサザンカの木に。他にメジロの鳴き声も聞こえたものの、姿は見えず。他の鳥たちもいません。ゴイサギは、このところ、鎮国守国神社の社務所裏にはいません。もう繁殖地に行ったのかも。

Img_7142c_20210211172801 Img_7155c_20210211172801  奥平屋敷跡の入り口にある花菖蒲園で、スズメがごく近くにやって来ました。さほど寒くは感じなかったのですが、ふっくら。「福良雀」ということばがありますが、まさにその通り。私があまり動かずに立っていたからでしょう。ツグミも割と近くに来ました。

Img_7203c_20210211172801 Img_7222c_20210211172801  奥平屋敷跡では、ジョウビタキのオス。人懐っこい鳥とよく書いていますが、今日は移動中、散歩友達のYさんから1mほどのところにも降りて来ました。餌付けできそうな気がします。シロハラは遠かったので、証拠写真。

Img_7233c_20210211172801  他は、ハクセキレイのペア1組と、カワラヒワ、ドバト、ハシボソガラスなど。シメもいたのですが、木陰で暗くて、ペケ写真しか撮れませんでした。

Img_7262c_20210211172801Img_7384c  カモは、57羽。ハシビロガモが14羽、ヒドリガモは2ペア、ホシハジロのオスは1羽。今日は、ほとんどが吉之丸堀の西側のエリアに集まっていました。

Img_7264c_20210211172801  カモの中で気になったものがいました。パッと見では、キンクロハジロにしてはヘンなカモだなと思ったのですが、何でしょう? 冠羽はなかったと思います。スズガモでもなさそう。ウ~ン。

Img_7393c  ユリカモメは、12羽。例年より飛来数はかなり少なくなっています。この分では、今シーズンは、二の丸橋の欄干にユリカモメがずらーっと並ぶ光景は見られなさそうな気がします。

Img_7304c_20210211172801  二の丸跡で、再び、シメ。これまでの経験からすると、奥平屋敷跡にいたシメの可能性が高い。ときどき、奥平屋敷跡から二の丸跡に飛んで行くのを見るのです。このあと、朝日丸跡でアオサギを見て、本丸跡や鎮国守国神社の境内では、カワラヒワがたくさん。グルッと回って、神戸櫓跡でカワセミに遭遇したのです。

Img_7512c_20210211172701  貝塚公園、内堀公園では、ヒヨドリやカワラヒワのみ。吉津屋町を歩いていて、ふと見上げたら、イソヒヨドリのオスが。何となく、何かいるような気がしたのです。こういう勘、ときどき働きます。

Img_7549c_20210211172701Img_7562c_20210211172701  常信寺のあと、桑名別院本統寺へ。ここにもミモザがあるのです。せっかく来ましたので、お参り。境内を見ていたら、2月16・17日にイチョウの木を伐採するという掲示がありました。イチョウの木は、火災に強いということで、寺社に、あるいは、街路樹としてよく植えられています。これまで訪ねた神社でも、イチョウの木があったから空襲の時の火災にも耐えられたという話を聞きました。

Img_7641c Img_7649c_20210211172601  寺町商店街の河津桜。まださほど花は増えていませんでしたが、あちこちでつぼみは膨らんで来ています。週末には、もっと咲くような気がします。

Img_7340c 【余談というか戯言というか】 東京オリ・パラ組織委員会の森喜朗会長が辞意を固め、後任には川淵三郎氏というニュースが流れています。森さんは、失言が多いとかいろいろいわれていますが、もともとそういう傾向のあった方と思います。一時、臨床心理士資格認定協会の会頭を務めておられましたが、私自身は、なぜ森さんを会頭にしたのか、まったく理解ができませんでした。文教族の大物といわれましたが、「臨床心理士の資格云々では、儲からないから、動かないだろう」と思ったのです。まさしくその通りだったという気がします。

Img_7407c_20210211172701  しかし、今回、いいたいのはそれではなく、自民党の国会議員などが森さんのことを「余人を持って代えがたい」としていたことについてです。「他の人に代わりにやらせることができない。その人にしかできない、といった意味の言い回し」なのですが、私自身は、自分の体験からも、これはほとんどあり得ないと思っています。たとえがきわめて不適切なのですが、天皇陛下であっても代替わりをするのです。本当に「余人を持って代えがたい」のは、家族、恩人、親友などだと、私は考えています。あれは、「森さんでないと困る」あるいは「森さんでないとうまい汁が吸えない」、「森さんには恩義がある(この場合、まさに余人を持って代えがたいのかも知れませんが、利権がらみではないかという気がしてなりません)」というように、何か損得、利害があるからあのように「忖度して」ものをいっているのではないかと強く疑っています(爆)。いっそのこと、女性を会長にするとか、理事、評議員も総入れ替えして、女性を半分以上にするとか、若い人だけにするとかしてはいかがでしょう? マッカーサーが「老兵は死なず、単に消え去るのみ(Old soldiers never die, they simply fade away)」といっていますが、年寄りがいつまでも居座っているのはよくありません。自分も例外ではあり得ないというのは、自覚しているつもり。

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2021年2月10日 (水)

久々のカワセミ嬢……確定申告を完了

Img_6364c_20210210184301 12.3℃まで気温は上がり、暖かくなりました。朝は、訳あって家事を済ませ、散歩開始は8時20分。コースはいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町、南魚町と6.4㎞。2時間余りで帰宅。というのも、散歩の時間がいつもとは50分ほど遅いので、散歩友達にあまり会わなかったのです。

Img_6799c_20210210184501 今日は、この写真から。カワセミ嬢。いつ以来でしょうか、久しぶりです。神戸櫓跡から野球場南へ歩いていたら、足元から飛び立って、二の丸跡のソメイヨシノの木に降りたところ。けっこう距離はあります。今日は、アオサギはいなかったのですが、カワセミが見られたので、散歩は大成功(微笑)。

Img_6609c そして、今日もまた、セグロカモメもやってきていました。九華公園の二の丸堀の西側エリア。昨日と同じところ。悠然としていてカッコイイ。奥平屋敷跡からの撮影。二の丸跡へ行ったときにはもういませんでした。

Img_6395c_20210210184401 さて、散歩の初めに戻って。諸戸氏庭園あたりにも、住吉入江にも、今日は鳥はいませんでした。桑名七里の渡し公園には、今日もキセキレイがいました。他には、メジロ3羽と、ハクセキレイのペア。ハクセキレイもたいていいます。

Img_6426c 揖斐川、風がなく、川面は穏やかでしたが、水鳥は、カンムリカイツブリが1羽のみ。カンムリカイツブリ、ひょっとしたら、Img_6455c_20210210184401数が減っているのかも知れません。七里の渡し跡では、まずは、ヒドリガモたち。14羽。何やら騒いでいるグループがいたのですが、いったい何なのかは分からず。

Img_6511c_20210210184401 コガモは4羽が上陸。日向ぼっこというい感じ。オス、メス2羽ずつなのですが、メスがちょっと隠れています。実は、これ、石垣の石と石の間のくぼみに入っていたのです。

Img_6482c_20210210184401 三の丸公園では、今日もまた(こればかり……苦笑)、ジョウビタキのメスが1羽と、ツグミが1羽。他には、ムクドリが数羽。

Img_6526c_20210210184401 柿安コミュニティパークへ行く途中、三の丸水門から堀に通じる水路の上を通ります。そこの柵にもジョウビタキのメス。「バックシャン」です(歴史的用語! 我々の学生時代には、まだこれが通じていました)。今日、柿安コミュニティパークでは、グラウンドゴルフが行われています。今日は、シルバー人材センターの方たち。散歩友達のMさんも参加していました。

Img_6536c_20210210184401 九華公園には8時50分着。北門から相撲場あたりでは、ハクセキレイのオスのみ。ゴイサギもアオサギもいませんし、カワラヒワ、メジロなども見当たらず。ヒヨドリの声もほとんど聞こえません。

Img_6549c_20210210184401 Img_6664c_20210210190701  カモは今日は合計56羽。ハシビロガモが16羽、ヒドリガモは2ペア、ホシハジロのオスが2羽と、残りはキンクロハジロ。キンクロハジロの寝癖は相変わらず。右の写真のハシビロガモは、身繕いの途中。

Img_6827c_20210210184501  ユリカモメは6羽。本当に少ない。写真は、野球場の外野フェンスの上に止まったところ。この「扁平足」で上手にバランスを取っているものです。感心します。

Img_6584c_20210210184401 Img_6555c  奥平屋敷跡。15分ほど見ていましたが、その間に出て来たのは、シロハラ。このところ毎日見られます。さらに、ハクセキレイのペア(右の写真はオス)。

Img_6640c_20210210184501  そして、花菖蒲園にツグミ。ヤマガラの鳴き声も聞こえたものの、姿は見つかりませんでした。

Img_6649c_20210210184501  二の丸跡へ行ったら、シメがいました。近づいたものの、すぐに気づかれ、近くの樹上に逃げられました。逃げられる前のショットが、これ。

Img_6727c_20210210191201  鎮国守国神社の境内には、カワラヒワがImg_6767c_20210210184501 多数。集団で降りて来て、エサ探し中。九華公園の北門を回って来たら、ヒヨドリ。割と暖かく感じていたのですが、ヒヨドリは真ん丸。

Img_6882c_20210210184601 Img_6916c_20210210184601  途中、貝塚公園、内堀公園では鳥はおらず。ヒヨドリくらい。常信寺で、今日もまた、「ウメジロウ」。少し待ったら、上手い具合にやって来ました。が、時期に気づかれ、逃げられました。その後は、戻ってこず。南魚町、佛眼院近くのお宅でもメジロ。ここのお宅は、いつも新しいミカンが補給してあります。今日は、ここにはヒヨドリは来ませんでした。

Img_6723c_20210210184501  午後からは、「いい加減に確定申告を済ませたら」という娘の助言(指令? 指示?)にしたがって、確定申告を行い、1時間弱で作業を終えました。これでようやく懸案が1つ、片付きました。お陰様で些少ながら、還付金があります。が、これは、目の前を通って家計に入ってしまいます(苦笑)。確定申告には、マイナポータルを経由したのですが、これが一苦労。一苦労というのは、マイナポータルに必要なアプリをインストールする作業プロセスが、ということ。手順を踏んで説明されていると思うものの、説明が分かりにくい。e-TAXの方は、Google Chromeも使えるようになり、入力作業も改善され、スムーズでした。「デジタル庁」をつくるそうですが、紙ベースの手続きをデジタルに置き換えるだけでなく、根本的な発想からして改めてもらわないといけないという気がします。懸案、もう1つあります。あれこれ考えているのですが、その方針が上手くまとまらないでいます。写真は、鎮国守国神社の紅梅。

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20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その3……揚げ雲雀の鳴き声を聞きながら連敬寺、景清屋敷跡、久米まちづくり拠点施設で「完」

210206happuu3  2月6日の「桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)」のその3です。今回で完結予定。その2では、平群神社と平群沢ため池公園まで来ました。念願を一つ果たしたという次第。このあとは、八風街道に戻って、すぐに右折し、連敬寺へ。ここも、長島一向一揆に関わるお寺。さらに、もう一つ、訪ねたいとずっと思っていた景清屋敷跡へ。本来であれば、八風街道をもう少し西に行ったところにある来遊寺(真宗大谷派。長島一向一揆では一揆方に味方。元は、多度・法泉寺の末寺)にも行きたかったのですが、今回はパス。景清屋敷跡からは砂出川沿いを歩いて、久米まちづくり拠点施設へ。この前に平群神社前バス停がありますので、ここがこの日のゴール。

Img_4639c_20210206185401 Img_4642c_20210208164801  景清山連敬寺(かげきよざんれんぎょうじ)。真宗大谷派のお寺。このあたりの小字名が「鎮守堂」で、平景清(たいらのかげきよ)と深い関係があったと推測されています。連敬寺は、もとは多度・香取の法泉寺の末寺でした。長島一向一揆のとき、一揆方に味方し、信長に焼かれ、江戸時代初期に再興されています。

Img_4645c_20210208164801  本堂をよく見たら、入り口が障子戸になっていました。最近はサッシにガラス窓になっているところが多く、珍しい気がします。ここでは、このお寺の男の子が遊んでいたので、挨拶して見せてもらっていたら、「お父さんを呼んできましょうか?」と尋ねられました。丁寧な応対と、きちんとしたしつけを受けているようで、「さすがにお寺で育つと違うなぁ」と思った次第。

Img_4647c_20210208164801  連敬寺のすぐ北の麦畑の脇には「連敬寺跡」という石碑が建っていました。このあたりを歩いていると、あちこちで揚げ雲雀の鳴き声が聞こえてきました。揚げ雲雀は、ヒバリのオスによる「縄張り宣言」。ヒバリたち、すでに繁殖の準備に入っているようです。春がもうすぐそこに来ているのを感じます。

Img_4656c  連敬寺から北西へ300m弱、水田の畦道沿いに景清屋敷跡があります。景清は、平家物語にも登場する平七兵衛景清(藤原景清)で、平安時代に平資盛(たいらのすけもり・平清盛の孫)の名代として、志知に住み、代官として治政にあたったという伝説があるのです。景清は、源平の戦に臨み、勇名をとどろかし、「悪七兵衛景清」と称されました。ここは戦前までは森となっていたそうです。中世の城館跡で、山茶碗、大窯製品などが出土しています。また、周辺は鎌倉時代の陶器などが出土したということで、連敬寺遺跡になっています。ここ景清屋敷跡も、以前から訪ねたかったところです。

Img_4656c2  景清屋敷跡には、石碑が建てられています。碑には、「平家住みし 遺跡を濡らす 春の雨」という内田一舟の句が刻まれています(内田一舟について、ネット検索では詳細不明)。昭和53(1978)年3月の建立。さらに、下記のような漢詩がそれに続いています。この漢詩には、「訪平景清公遺跡/戌午弥生桑城」と添えられています。「戊午」は昭和53(1978)年の干支。「弥生」は3月でしょうから、昭和53(1978)年3月に「桑城」という方がここを尋ねて詠んだ漢詩ということでしょう。

聞説景公留志知
當年遺跡再興誰
恩讐如夢恨何限
八百星霜剰一碑

 ちなみに、源平合戦で、源氏は敗れ、東国に去りましたが、伊勢国は、平氏の影響が大きくありました。桑名にも、平氏は平安時代から勢力があったといいます。伊勢平氏ということばがあるくらいです。伊勢平氏とは、桓武(かんむ)平氏の諸流のうち平維衡(たいらのこれひら)の子孫をいいます。伊勢・伊賀地方を根拠地としていました。5代忠盛以後、中央政界に進出し、その子の清盛が武家としてはじめて政権を樹立しています。

Img_4672c_20210206185501  これで、来遊寺を残して、今回の目的地はコンプリート。時刻は12時25分を過ぎました。次の桑名駅前行きのバスは、平群神社前を12時26分発。乗り遅れ確定です(苦笑)。次は1時間後。やむなく、久米まちづくり拠点施設のところまで戻って、グラウンドゴルフをする広場のベンチで時間つぶしをしたり、ここにある石碑などを見て回ったりすることに。12時45分にまちづくり拠点施設に到着。

Img_4661c_20210208173401  久米まちづくり拠点施設には裏門の方から入ったのですが、そこに石造りの門柱があり、「久米村役場」と刻まれています。このあたりは、昭和30(1955)年に桑名市に合併するまでは、久米村でした。久米村は員弁郡に属していましたので、郡境を越えての合併。江戸時代にあった坂井村、赤尾村、友村、島田村、志知村、中上村が明治22(1889)年に合併して久米村となっています。古代に大和の久米から移住してきた人びとによって開発されたため、久米郷と呼ばれていました。 昭和23(1948)年の町村合併促進法の施行の際に、三重県庁では大長村、稲部村、神田村と合併する計画を立てたものの、村民の世論調査では桑名市への合併を希望するものが過半数を占めたといいます。これに対して中上地区は東員村(現東員町)への合併を希望し、合併問題は一時紛糾したのですが、中上地区は東員村と合併し、その他の地区は桑名市と合併したという歴史があります。

Img_4678c_20210208173401  忠魂碑。昭和12(1937)年4月に「帝国在郷軍人會 久米村分會」が建立しています。陸軍大将・杉山元(すぎやまはじめ)の書。杉山は、福岡県の生まれで、元帥、陸軍大将。昭和15(1940)年、参謀総長に就任し、太平洋戦争初期の陸軍の総指揮に当たった人物。終戦後、自殺しています。昭和12(1937)年4月は、盧溝橋事件の前ですから、日清、日露両戦争に従軍した方のための忠魂碑と考えられます。

Img_4518c_20210208180701  敷地の東端には、「藤ノ森平太郎碑」。またもや、あのミスを犯し、碑陰を見てきませんでした(苦笑)。というのも、この写真は、平群神社に行くのに、ここを通ったときに撮ったものなのです。ハイキングでは毎回、こういうミスを1回は必ず犯します。学習しません。他人様にエラそうにはいえません。ちなみに、ネット検索では情報なし。桑名市史、新桑名歴史散歩などにも出てこない人物でした。

Img_4694c_20210208173401  もう一つ。「久米小学校跡」と刻まれた記念碑。「佐々木宗一書」とあります。明治8(1875)年、連敬寺境内に設けられた志知学校が起源。明治20(1887)年に設立された教立尋常小学校が、補修科を併設した後、明治40(1907)年にここに新築落成移転しています。この碑は、昭和50(1975)年に創立百周年を記念して建立されたもの。

Img_4698c_20210208173401  向かって右には、「念いれて かへり見て亦 学ぶ秋」と刻まれています(たぶん。というのも、自分で解読した故、間違っているかも)。ただ、残念ながら、作者名が読めず(苦笑)。しばらく前にくずし字の入門書を読んだものの(小林正博: これなら読める!くずし字・古文書入門 (潮新書))、まだまだ勉強が足らず。左には、「百歳の学びの庭の思いでは 緑さやかに 松の下影」という一舟の和歌が刻まれています。

Img_4675c_20210206185501  休憩したり、石碑を見たりしているうちに、桑名駅前行きのバスの時刻が近づきました。平群神社前バス停発13時26分に乗車。この帰りのバスには桑名西高の生徒さんが多数乗車。途中から乗る人もけっこうありました。桑名駅前には13時58分着。¥420。

Img_4705c_20210206185501 Dsc_0063c  いつものように、桑名駅あたりで遅めの昼食を摂って帰ることにし、桑名駅自由通路にある伊勢ノ国ダイニングSicili(シチリ)へ。ここも前から一度入ってみたかった店なのです。「とろアジフライランチ(税込み¥980)」をチョイス。大きくて、部厚いアジフライを堪能。桑名の魚城の卵焼きが付いていました。前期高齢者には、食べ過ぎで(苦笑)、夕食の量を減らしたくらい。ちなみに、このお店も、最近は、ご多分に漏れず、テイクアウトも充実しています。

Img_4712c_20210206200301 Sisekimeguri  この日、現地で歩いたのは6.5㎞。自宅から桑名駅前のバスターミナルへの往復が2.3㎞。合計8.8㎞を歩いてきました。スマホのALKOOでは、歩数は16,477歩を達成。今回の「桑名の八風街道を行く」ハイキングも、2月1日の「勝手に養老鉄道ハイキング 桑名駅西歴史散歩」、いずれもネタ本は「くわな史跡めぐり」(桑名市文化課、平成28(2016)年3月刊行)。この本は、ミス多発で、新聞やテレビで取り上げられたこともあって、すぐに販売停止に至っていますから、稀覯本といえるかも知れません。詳細な正誤表がありますので、自分で訂正を書き込むのに、むしろ熟読できてよいと私などは思っています。冗談はともかく、市内の歴史散歩には格好のガイドブックです。

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2021年2月 9日 (火)

セグロカモメ登場……ヒヨドリとメジロのミカン争奪戦も

Img_6348c_20210209151801 Img_5762c_20210209152001  今日が取り敢えずの寒さの底だそうです。零下にはなりませんでしたが、朝は0.1℃。日中は7.4℃でしたが、北西の冷たい風が4~6m/s。午前中から昼過ぎには、雪もちらつきました。北の空を見ると、冬の寒い日の典型的パターン。多度山から雲が流れてきています。その多度山、頂上付近が少し白くなっており、また、雪雲がかかっています。寒さに負けず(苦笑)、今日も7時半から散歩。ほとんどビョーキです。自覚はしています。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町、常信寺、南魚町と6.4㎞、3時間。

Img_5783c_20210209152001 諸戸氏庭園や、その前の住吉入江沿いでは、鳥はいません。住吉水門の内側には、ヒドリガモが15羽とオオバンが2羽、キンクロハジロのメスが1羽。

Img_5792c_20210209152001  七里の渡し跡には、コガモが6羽にオオバンが4羽。たまにはオオバンの写真を載せましょう(笑)。三の丸公園では、ジョウビタキのメス1羽と、ツグミ1羽、ムクドリ数羽。ジョウビタキもツグミも遠すぎて、写真にはなりません。柿安コミュニティパークには、今日もたくさんのスズメが集まり、地面でエサ探しをしています。

Img_5838c Img_5848c  九華公園の相撲場近く、ジョウビタキのメスと、ヤマガラが出迎え。どちらにも大接近できました。5~6mくらいのところ。左のジョウビタキの写真はトリミングなし。ゴイサギ、アオサギはいません。ヒヨドリも少なく、声はほとんど聞こえず。

Img_5870c_20210209151901  奥平屋敷跡で、Yさん、Wさん、Mさん。鳥はあまり出てこなかったものの、久しぶりにハImg_5882c_20210209151901 クセキレイがペアでやって来ました。また、遠く南西エリアにはシメの姿(ほとんど証拠写真ですが)。シロハラは今日は見られず。Wさんは、最近、「朱に交わった」ようで、鳥を見るようになり、少し区別できるようになっています(笑)。Mさんは私のことを「バードのおじさん」と呼びます(Mさんの方が10歳くらい年長なのに!)。

Img_5967c_20210209151901  ジョウビタキのオスが割と近くにやって来ます。近いところを移動したので、あれこれと写真が撮れました。他には、カワラヒワ。メジロの鳴き声も聞こえましたし、ドバト、ハシボソガラスは毎日姿を見ます。

Img_5972c_20210209151901 Img_5988c  二の丸堀を見ると、何と、セグロカモメがいつの間にか浮かんでいました。全長は60cmですで、さすがに貫禄があります。カモも近くには寄っていきません。目を離した隙に、またいつの間にかいなくなりました。

Img_5861c_20210209151901Img_6156c_20210209151901  カモは、今日は合計46羽。今シーズンは、80とか100とかにはなりそうもありません。ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモは1ペア、ハシビロガモは14羽。他はキンクロハジロ。カルガモは4羽、オオバンが1羽。ユリカモメは、教は見当たりません。右の写真は、ハシビロガモのオスです。かなり男らしくなってきましたが、よくみるとオッサンのような顔に思えます。

Img_6051c_20210209151901  二の丸跡で、再びシメに遭遇。奥平屋敷跡からこちらに飛んだのが見えましたので、上の写真のと同じ個体と思います。朝日丸跡でもジョウビタキのオスに出遭ったのですが、遠くてまともな写真は撮れず。鎮国守国神社の境内では、シロハラがいたのですが、暗くて判別不能な写真。なかなか思い通りには行きません。

Img_6171c_20210209151901 Img_6112c_20210209151901  貝塚公園では散歩友達Sさんに出遭ったものの、寒かったので挨拶のみ。鳥もいません。内堀南公園、内堀公園にも鳥はいません。左の写真は、常信寺(南寺町)の紅梅。ここは早くからよく咲きます。右は、鎮国守国神社の白梅。だんだんと咲いて来ましたが、まだまだ。

Img_6186c_20210209151901 Img_6195c  南魚町のお宅、ミカンが木の枝に刺してあります。これまでは、このやり方ならヒヨドリは来ないかもと思っていたら、大間違い。よほど腹が減ったと見えます。

Img_6206c_20210209151901 Img_6232c_20210209151901  その近くの木で、メジロ2羽が待機中。しかし、しびれを切らして、恐る恐るやって来ます。

Img_6257c_20210209151901 Img_6273c_20210209151901  このあと、ヒヨドリは満足したのかどうかは分かりませんが、どこかへ飛び去ってしまい、メジロたちは、落ち着いてミカンを啄んでいました。ちなみに、「ウメジロウ」シーン、今日は遭遇できず。

Img_6320c_20210209151901 Img_6327c_20210209151901  寺町商店街の河津桜。週末が暖かかったためか、わずかに咲いた花が増えました。右の写真は、最初に見つけた河津桜のつぼみ(2021年1月25日 :シラウオ漁の様子、ジョウビタキのオス、メス、ヤマガラ……河津桜のつぼみ、1つだけ膨らむ)。ようやくほころびてきました。半月かかっています。

Img_5746c_20210209152001  いや、それにしても寒い。北国の方からすれば、笑われること必至ではありますが、寒い(苦笑)。とくに今日は雲が多くて、風が強いので、室内にいても足元から冷えてきます。明日は10℃、木曜以降は1週間くらい15℃くらいの日が続きそうで、ありがたい(苦笑)。この写真は、今朝6時50分を過ぎた頃のもの。日の出の位置が、かなり北になってきました。元旦には、地平線の左から1/3くらいのところにあるビル(柿安本社ビル;小さく2つ、影になっています)のあたりから昇ってくるのです。

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20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その2……善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓から平群神社へ

210206happuu2  2月6日に行ってきた「桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)」のその2です。その1では、ゼニス羽田の敷地内にある島田城跡を眺めたところまで。その後、ゼニス羽田の敷地に沿って、善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓へと行きます。

Img_4428c_20210206185301 Img_4442c_20210207175601  遍照山善教寺へ。真宗本願寺派のお寺。しかし、もとは、弘仁3年(812)年、空海が開基した真言宗の寺でした。応仁元(1467)年、僧隆教のとき、蓮如上人の巡教により真宗に改宗したといわれます。長島の願証寺の末寺でしたが、正徳5(1715)年、願証寺が高田派に改修したときにそれにしたがわず、本願寺派に留まっています。ご本尊(阿弥陀如来像)は、この地方出身の野村増右衛門吉正の持念仏(弘法大師作という)であるとされます。

Img_4445c_20210207183801Img_4588c_20210207184101  善教寺の南、「タケル遊歩道」の看板が立っている階段を登ったところに櫛田神社があります。あとで平群神社に行くのですが、このあたりには日本武尊が来られたという伝承があり、このように「タケル遊歩道」が整備されているのです。

Img_4450c_20210206185401  こちらが櫛田神社の一の鳥居。向かって右の柱には「神明昭々」とあります。「神明」は天照大神のことかと思います。「昭々」は、「明らかに、心に明白である」といった意味のようです。天照大神の御神徳を讃えることばでしょうか。向かって左の柱には「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」とあります。「天地とともに永遠に続くこと(デジタル大辞泉)」という意味。

Img_4454c_20210207185301  鳥居をくぐってさらに登っていきます。創立年月は、不詳。昔は、現在地の南方の丘の下に鎮座して、蔵王権現(修験道における最高の礼拝対象で、金峰山寺(きんぷせんじ:奈良県吉野山にある金峰山修験本宗の総本山)蔵王堂の本尊。役(えん)の行者(修験道の祖)が金峰山で衆生救済のために祈請して感得したと伝える)、天白大明神Img_4464c_20210207185801 (諸説あるものの、伊勢土着の麻積(おみ)氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名:伊勢麻績の祖。天照大神が天の岩屋にこもったとき青和幣(あおにきて:麻製の幣(ぬさ))をつくった)に起源を求める説が有力か)として他村よりの崇敬を受けていた記録があるといいます。実際、拝殿に向かって左手(南側)に、右の写真のように、「延喜式内櫛田神社遺構碑」が建っていました。島田城の西方の出城の役目を果たしていたのではないかという推測もあります。「延喜式」の中に朝明郡に櫛田神社と記載されていますので、古くは朝明郡に鎮座していたと考えられます。明治42(1909)年12月、平群神社に合祀された後、昭和27(1952)年12月に分祀して現在に至っています。

Img_4457c_20210206185401  主祭神は、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと:八岐大蛇のいけにえとなるところを、素戔嗚尊によって助けられ、その妻となった)。相殿神は、奇日方命(くしびがたのみこと:事代主神の子。妹の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)が神武天皇の皇后になったことにより、可美真手命(うましまでのみこと)とともに申食国政大夫(けくにのまつりごともうすうなきみ:貢進国の高官)となったという)、須佐之男命保食神(うけもちのかみ:食物の神)、大山津見命(おおやまつみのみこと:山の神)。本殿前の燈籠は野村増右衛門が寄進したものといわれ、燈籠竿石には「寶永弐乙酉年十一月吉日」と刻まれているそうですが、これを知ったのは、この記事を書くプロセスにて。後の祭りというのはこういうこと(残念)。

Img_4468c_20210207203401  櫛田神社の境内には、稲荷社がありました。しかし、社名を示すものはありません。拝殿の背後に石碑がありましたが、それには「定礎」とあり、寄贈者の名前が彫られていました。

Img_4482c_20210206185401  いったん善教寺のところまで戻って、櫛田神社下の道を行くと、島田自治会が管理する島田共同墓地に行き当たります。ここに、野村増右衛門(正保3(1646)~宝永7(1710)年)の墓があります。増右衛門は、ここ島田の出身。郡代の手Img_4475c_20210206185401 代(8石2人扶持)という低い身分から藩政を左右する地位にまで昇ったものの(元禄13(1700)年には物頭(ものがしら)となり、分限帳によると、宝永2(1705)年の時点で禄高750石で郡代を勤めています)、妬みから宝永7(1710)年に処刑されました。墓は最勝寺にあったものが、善教寺に移された後、さらに、ここに移っています。野村増右衛門の「事件」は、桑名藩にとっても大きな影響を与え、藩主松平定重は越後高田(新潟県上越市)に国替えを命ぜられています。ちなみに、先日訪ねた岸西山遺跡にある大正寺に、増右衛門の供養塔があります(2021年1月15日:大山田川あたりでバードウォッチングとプチ歴史散歩……大正寺と尾野神社について付記、修正しました【1/18】)。

Img_4484c_20210207203401  野村増右衛門の墓にお参りしましたので、八風街道に戻りますが、その途中、善教寺の北の四つ辻に大日堂。これは、野村増右衛門の持念仏と称される大日如来像を安置している小さなお堂です。もとは善教寺南の丘陵上にあったものを集落の中を通る往還脇に新築し、移転しています。野村増右衛門が善教寺に寄進したという、三具足(みつぐそく:香炉、ロウソク立て、花瓶)を置く前卓(まえじゃく:燭台・香炉・花瓶を置くための机で、須弥壇の前におく)が保存されているそうです。覗いてみたら、厨子のようなものが見えました。

Img_4492c_20210208044301 Img_4504c  八風街道に戻り、島田のバス停のところから西に向かいます。このあたりには、日露戦争などに従軍して亡くなられた方の碑や、墓がいくつか建っています。左の碑は、日露戦争に従軍なさった方のもので、母と次男の名義で立てられていました。右は、太平洋戦争に従軍し、戦死なさった方のものでした。今も、花が飾られ、世話が行われています。これらの他にも何ヶ所かでこういう碑、墓を見ました。

Img_4512c  久米小学校前の信号交差点まで来ました。信号を越えると、右手(北側)に久米まちづくりImg_4521c_20210208044801 拠点施設が、左手(南側)に久米小学校があります。右の写真が、久米まちづくり拠点施設。今日はここがゴールに設定してありますが、この先にある平群神社などを回ってから。

Img_4524c_20210206185401  まちづくり拠点施設を過ぎるとすぐに、左手(南側)に平群(へぐり)神社の一の鳥居があImg_4532c ります。予告編にも書きましたが、ここはずっと以前から訪ねてみたいと思っていたところです。そう思った訳の一つは、日本武尊の伝説があることです。日本武尊は、東征の帰り伊吹山で病となり、多度を通り、桑名の志知村・平群山にさしかかった時、同じ名前の故郷の平群を想い、 歌を詠み、また、神社の裏の平群池でヤマトタケルが足を洗ったといいます。「足を洗った」といえば、桑名・新屋敷にも「天武天皇御足洗井」があります(2020年12月9日:円通寺の大イチョウを見てきました)。もう一つは、平群池に伝説というか昔話があり、平群池を見てみたいということです。「片目の魚」、「久左衛門と白鷺」という話し(こちら)。

Img_4535c_20210208050201 Img_4539c_20210208051201  平群神社の背後の平群山(右上の写真を参照)は、古代神奈備(かんなび:上代、神霊の鎮座すると信じられた山や森)の遺跡といわれるだけあって、神社には神々しい雰囲気が感じられます。延喜式内社。平安時代前期、第54代仁明天皇(在位:833~850年)から第56代清和天皇(在位:858~876年)の間に創立したと伝わっています。木菟宿祢(ずくのすくね:大和平野に居住する臣姓の豪族。伝承城の人物)の後裔である平群氏族は、味酒臣(うまざけのおみ)の姓を賜り、大和国から伊勢国のこの地に移住、祖神を祀ったものだといいますので、志知の氏神様となります。

Img_4543c_20210206185401 Img_4564c_20210208055601  主祭神は、木菟宿禰と、天照大御神。相殿神は、武内宿禰命(たけうちのすくね:古代,大和朝廷初期に活躍したといわれる伝承上の人物)、大己貴命(おおなむちのみこと:「日本書紀」が設定した国の神の首魁(しゅかい)。「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされる)、須佐之男命(すさのおのみこと)、大山津見命(おおやまつみのみこと:山の神)、倭建命

Img_4571c_20210208062201 Img_4561c_20210208062401  拝殿の北側には、慰霊社。戦争などの殉難者を祀っていると思われます。右の写真は、拝殿前から境内を見下ろした写真。木々の茂り具合、木漏れ日の感じなど、いかにも神様がいらっしゃるという雰囲気を醸し出しています。

Img_4623c_20210206185401  こちらは、日本武尊の歌碑。「いのちのまたけむ人はたたみこもへくりの山のくまかしか葉をうすにさせその子」。氏子の皆さんが建立されたものだそうです。意味は、概略次の通り:

 

命が無事だつた人は、大和の國の平群の山のりつぱなカシの木の葉を頭插にお插しなさい。お前たち。

Img_4548c_20210208065101Img_4552c  また、境内には、狛犬の台座2基に俳句。向かって左の狛犬には、「いろいろの草を沈めて秋の水」という小林雨月の句。小林雨月は、桑名別院本統寺にある芭蕉の「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」句碑を建立した人物。

Img_4555c_20210208065401  向かって右の狛犬の台座にも、同様に、小林雨月の句が刻まれています。こちらには、「菊の世や多度も鈴鹿も一かすみ」とあります。いずれも、昭和8(1933)年春の建立。

Img_4602c_20210208071001  平群神社の南西に平群池があります。ここは、水環境整備事業の一環として「平群沢ため池Img_4617c_20210208071001 公園」として整備されています。上述のように、倭建命の足洗池と伝わっています。池の周囲には遊歩道が整備されていて、散策にも好適。池には、コイなど魚もたくさん泳いでいるのが見えました。が、いろいろ伝説がありますから、魚を釣ったり、撮ったりするのは憚られます。

Img_4599c Img_4620c  池の北側には、平郷水神が祀られています。また、池の東側にある芝生広場の一角には、日本武尊の銅像が鎮座。

 その2は、ここまで。平群神社あたりで、スタートから4㎞を歩いてきました。神社を出るときには12時を過ぎていましたが、目的としたところは残り2箇所ですので、このまま歩き続けます。その話は、その3にて。

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2021年2月 8日 (月)

証拠写真のイカルと、今日もウメジロウに挑戦……ジョウビタキ&シジュウカラ・デー

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 今日と明日は、寒くなるという予報ですが、今日はまだ10℃を超えました。しかし、寒い。足元から冷えてくる感じです。散歩に出るときに見た多度山には、帽子のような白い雲がかかっていました。今日も7時半スタート。住吉神社、九華公園、京町、南魚町、寺町と歩いて10時過ぎに帰宅。しばらく家のことをして、駅方面に所用で再度外出。11時半帰宅。歩いたのは、合計で6.3㎞。

Img_5450c_20210208153401  証拠写真を初めに持って来るのはいかがかとは思いますが、散歩コースでは、年に1回出会えるかどうかという鳥ですので。イカルです。九華公園の奥平屋敷跡に3羽ほどいるのを見つけました。この写真を撮った直後、西の方へ飛び去ってしまい、これしか写真はありません。

Img_5589c_20210208153501  そして、今日もウメジロウにチャレンジ。今日は、鎮国守国神社の境内にある旧・桑名城天守台のところの梅Img_5607c_20210208153501 の木にて。天守台の上にある梅の木にメジロが来たのですが、天守台は最近、危険なため登るのが禁止されていて、下から見上げて撮っていました。それもあって、イマイチ(苦笑)。ウメジロウへの挑戦(修行?)は、まだまだ続きます。

Img_5265c_20210208154201  さて、話を戻して、散歩に出てすぐ、諸戸氏庭園前のソメイヨシノにはシジュウカラが出て来て、囀りを聞かせてくれました。今日は、このあとも、九華公園、三崎見附跡近くの住吉入江でも、シジュウカラが出て来ていました。このところ、シジュウカラをあまり見ていませんでしたが、一斉に再登場したという感じ。シジュウカラには春が来たのかも知れません。他には、ツグミも。

Img_5323c_20210208153401  住吉入江には、ヒドリガモのペアが1組、キンクロハジロのオスが2羽、メスが1羽、オオバンが1羽、ホシハジロのオスが1羽。ヒドリガモは、日によって数が異なりますが、他はいつものメンバー。

Img_5354c_20210208153401  揖斐川には、今日もシラウオ漁の漁船が2組。このところよく見ますが、シラウオもたくさん獲れるのでしょImg_5357c_20210208153401 うか。右は、七里の渡し跡。先日、松の木の剪定が行われていました。見栄えがよくなった気がします。

Img_5364c Img_5367c_20210208153401  その七里の渡し跡では、ヒドリがモア24羽、コガモが12羽と、たくさん。オオバンも1羽。

Img_5382c_20210208153401 Img_5394c_20210208153401  三の丸公園では、ツグミ1羽と、ジョウビタキのメスが1羽。ジョウビタキのメスは、しばらく見なかったものが、昨日に続いて登場。

Img_5427c_20210208153401  さらに、柿安コミュニティパークでもジョウビタキのメス。三の丸公園のジョウビタキとは、別個体と思います。今シーズン、柿安コミュニティパークで、同時にメスのジョウビタキ2羽を見たことがありましたので、別個体の可能性は高い気がします。

Img_5469c_20210208153401  九華公園には8時に到着。相撲場、鎮国守国神社の社務所裏あたりには鳥はおらず。奥平屋敷跡まで行って、Img_5491c_20210208153401 まずは、上述のようにイカルを見つけた次第。すでに来ていたYさんが、「アオサギがステージの裏にいる」と教えてくださり、左の写真。ステージの近くには、シロハラも登場。シロハラは、最近、毎日ここ奥平屋敷跡に登場。今日も、外側を移動しつつ採餌していました。シメも一瞬、登場したものの、写真には撮れませんでした。覚え書きですが、ここにハクセキレイがよく来るのですが、最近はメスしか来なくなっています。

Img_5542c_20210208153401  カモは、合計59羽。ハシビロガモは合計14羽、ホシハジロのオスが2羽、ヒドリガモは1ペアで、他はキンクロハジロ。オオImg_5562c バン、カルガモがそれぞれ2羽。ユリカモメは6羽のみ。今シーズン、ユリカモメは本当に少ない。何度も書きますが、餌をやる人が昨シーズンまでより少ないのが影響している気がしますが、この仮説を検証するのは難しい。

Img_5663c_20210208153501Img_5670c_20210208153501  鎮国守国神社の境内でも、シジュウカラ。写真はありませんが、九華公園の中でもシジュウカラを何羽か見ています。一回りして、鎮国守国神社の社務所裏に行くと、そこにアオサギ。奥平屋敷跡のステージ裏の堀にいたアオサギが飛んでいきましたので、ここに来たような気がします。

Img_5680c_20210208153501  公園の外周遊歩道、まずは、東側でジョウビタキのオス1羽。「早く写真、撮ってくれよ」とでもいっている感じ(微笑)。Img_5677c その近くの堀にある石にハクセキレイ。

Img_5694c_20210208153501  南側に行って、シロハラが登場。初めに書きましたが、散歩のあと、用事に行こうと思っていたのですが、こういうときに限って、散歩友達多数に出会ったり、久しぶりに会う人がいたりして、けっこう時間を食ってしまいました(苦笑)。それ故、貝塚公園、内堀公園はパス。

Img_5704c_20210208153501  三崎見附跡近くの住吉入江でもシジュウカラ。今日は、シジュウカラ・デーといえるくらImg_5713c い。その近くで、メジロが数羽。

Img_5730c_20210208161901  さらに、拙宅マンション前に来て、ジョウビタキのメスに遭遇。

Img_5413c  今週の寒さは明日が「底」だそうですが、今日すでにかなり寒く感じます。これからの季節、寒暖を繰り返すのでしょうが、昨日、一昨日の貼るような陽気のあと、寒くなると参ります。

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20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)その1……能部神社、平田御薗神明社、浄光寺、島田城跡

Img_4310c_20210206185301  2月6日に行ってきた「桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)」への本編、その1です。昨年12月19日に出かけた「2020年12月19日:20201219桑名の八風街道を行く(東金井から能部へ)」の続きで、桑名の八風街道を歩いてきました。もともと先週の土曜日に行こうかと計画していたのですが、その日は午前中は雪模様という予報で、この日に延期。ポカポカ陽気でした。風も弱く、最高気温も14.2℃。ダウンジャケットで歩いていると汗をかくくらいでした。前回も書きましたが、本来の八風街道は、四日市市富田一色を起点として東海道と交差し、大矢知、平津を経て菰野町田光で巡見道と合流、八風峠を越える道です。桑名では、町屋川右岸の街道を八風街道を呼びます(「くわな史跡めぐり」による)。これには、町屋川右岸の道が田光付近で四日市からの八風道と交わるからとも、桑名の道が昔は八風道と呼ばれていたからと、諸説があります。桑名の八風街道は、桑名市東金井から志知まで約7㎞あります。前回は、東金井から能部(のんべ)までを歩き、この日は、能部から志知(しち)までです。

210206happuu0  こちらが歩いたコース全体のルートマップ。桑名西高校行きの八風バスで能部まで行き、能部神社へ。本来の八風道は、能部バス停から西へ行き、赤尾(あこお)交差点へと進みます。しかし、能部神社からそのまま西に進み、正和台の団地を通り抜け、多少ウロウロして、平田御薗神明社、浄興寺を回って、八風道に戻りました。ゼニス羽田(旧羽田ヒューム管)のところで島田城跡を眺め、善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓(島田共同墓地内)。久米小学校前から平群(へぐり)神社、平群沢ため池公園、連敬寺、景清屋敷跡まで足を伸ばして、ゴールの久米まちづくり拠点施設へ。ここにある平群神社前のバス停から八風バスで、桑名駅前まで戻って来ました。現地で歩いたのは、6.5㎞ほど。

Img_4320c_20210206185301   桑名駅前バスターミナルの8番乗り場から八風バス・桑名西高校行きが出ます。乗車したのは、9時25分発。この1本前は7時Img_4325c_20210206185301 55分ですので、いかにも早い。土曜日で、バスは空いています。ここから、前回ゴールとした能部バス停までは20分、¥340。今日のハイキングは、この能部バス停から、9時45分にスタート。

210206happuu1  こちらは、詳しいルートマップその1。能部バス停から南に少し入って、能部神社。そこから西へ向かい、正和台の団地を通過。県道26号線をそのまま横断できると思ったら、勘違い。大回りして、平田御薗神明社(マップでは、神明社)と浄光寺へ。その後、八風街道に戻ります。

Img_4328c_20210206185301  まずは、八風道を少し戻って南に入り、能部神社へ。創立は不詳。旧・能部村には、明治12(1879)年当時、春日神社、山神社、八幡宮社、白山神社が鎮座していたのですが、明治40(1907)年、字南貝戸の八幡宮境内(現在地)に移し、「能部神社」と単称しています。明治41(1908)年には桑部にある長谷(ながたに)神社(ここは、前回(12月19日)に訪ねています)に合祀となりました。終戦後、氏子の総意により分祀されることになり、ここの旧社地に分祀、鎮座されました。

Img_4331c_20210206185301  主祭神は、建御雷之男神(タケミカヅチノカミ:武甕槌神とも書きます。出雲の国譲り神話で、高天原から経津主(ふつぬし)神とともに派遣され、大国主神に国譲りを交渉し、成立させた神。雷神・剣神・武神とされ、鹿島神宮、春日大社に祀られImg_4334c_20210207071201 ます)。相殿神は、大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと:天照大神の別称)、素盞嗚尊(すさのおのみこと:天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇を退治し、奇稲田姫を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣を天照大神に献じた)、品陀和気命(ほむたわけのみこと:応神天皇)、大山祇神(おおやまつみのかみ:山をつかさどる神)、菊理姫命(くくりひめのみこと:黄泉国からにげる伊奘諾尊黄泉平坂(よもつひらさか:現世と黄泉(よみ)の国との境にあるとされた坂)で伊奘冉尊と争ったとき、二神の主張を聞きいれ、助言した女神)。お社は小ぶりで、東名阪道の下にひっそりと建っているという印象ですが、もちろん高速道路の方があとからできたもので、神様には迷惑かも知れません。

Img_4343c_20210206185301 Img_4350c_20210207150301  来た道を戻って、八風街道へ行くところですが、桑部神社の前の道をそのまま西に行けば良さそうだと思い込み(結局、これは勘違い)、県道26号線のところで若干ウロウロし(歩きに来たのですし、時間はたっぷりありますから、まぁこれも良し)、赤尾台の団地から平田御薗神明社へ。神社の由緒書きによれば、南北朝時代の中頃にはすでに、神明社あるいは平田神社と呼ばれていました。このあたりは、伊勢神宮の御料地で、伊勢の両神宮へ米を奉納していたといいます。神社は、幾多の変遷を経て、中世の赤尾氏城跡にありました。なお、この「赤尾氏城跡」は、桑名市史本編(p.84)には「赤尾堡 赤尾 赤尾某」とのみ言及があります。桑名市史補遺p.566には、「赤尾城址 久米地区赤尾の西山にあり、赤尾氏が居城したと伝え、先年この地から古刀を掘り出したという」とあります。桑名市の遺跡包蔵地検索サイトには載っていません。大正時代に入り、村の中心地にお社をという赤尾村民の願いで、赤尾東山に社を造営(現在の赤尾台東公園の西側あたり:マップでは「ひがし公園」と思われます)。その後、昭和57(1982)~平成6(1994)年にわたる赤尾台団地の造成によって、現地に遷っています。明治40(1907)年4月、八幡社(品陀和気命)、天満社(菅原道真公)、八坂社(須佐之男命)、日枝神社(大山咋命)、山神社(大山祇命)の5社を久米神社(今の多奈閇(たなべ)神社)(東員町大字中上)へ合祀、昭和27(1952)年12月、当社に分祀されています。

Img_4355c_20210207151501 Img_4373c  主祭神は、天照皇大神。相殿神は、品田和気命(ほむたわけのみこと:応神天皇)、須佐之男命(すさのおのみこと:天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ:素戔嗚尊に助けられ、その妻となった)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ:のちに、熱田神宮に祭られた。別称、草薙剣)を天照大神に献じた、菅原道真大山咋命(おおやまくいのかみ:大津の日吉神社、京都の松尾神社などの祭神)、大山祇命(山をつかさどる神)。

Img_4376c_20210206185301 Img_4390c_20210207163801  平田御薗神明社のすぐ隣(北西)に西南山浄光寺。真宗本願寺派のお寺。創建は、不明ですが、元は真言宗でした。明応5(1496)年、本願寺第8代・蓮如上人のときに、僧・正西(しょうさい)が中興し、真宗に改宗。元亀4(天正元年、15573)年、長島一向一揆の兵火に遭って中絶したものの、1750~1800年頃に万牛(まんぎゅう)が再興。当時は、員弁郡山田村字野田(寺号標による。現在の東員町に山田という地名があります。東員町役場の東で、員弁川と藤川に囲まれたところ。ここから北西へ直線距離で4㎞ほど)にあったのですが、度重なる水害に遭い、文化2(1805)年、水害を避けて、檀家ともどもここに移ってきました。「檀家ともども」というのがすごいと思います。当時の寺と檀家の結びつきの強さを伺わせます。

Img_4405c_20210206185301 Img_4412c_20210207165701  浄光寺からは北に向かい、ようやく八風街道に戻りました。浄光寺から八風街道に出たところから見た北の方角の様子が、左の写真。正面には大山田団地、少し左には多度の山並みが見えます。北西の方を見ると、右の写真。藤原岳、竜ヶ岳などが見えます。右の写真の道が八風街道。これから向かう先。

210206happuu2  詳しいルートマップはその2になります。赤尾西交差点を過ぎ、ゼニス羽田(旧羽田ヒューム管)の入り口あたりでスタートから2㎞。時刻は、10時40分頃。このゼニス羽田の敷地内に島田城跡があります。その先で八風街道からはそれて、善教寺、櫛田神社、さらには島田共同墓地内にある野村増右衛門の墓へと進んでいきます。

Img_4414c_20210206185301 Img_4421c_20210207172101  ゼニス羽田(旧・羽田ヒューム管)の工場の敷地内に島田城跡が見えます。写真で前方に見える小高い丘がそれ。戦国時代に島田兵庫助が居城したといいます。永禄11(1568)年、織田信長の伊勢侵攻で滅ぼされています。中世の城館跡で、郭、堀、土塁があるといいますが、残念ながら、勝手には入れません。八風街道沿いから見てみたのですが(右の写真)、竹が鬱蒼と茂っており、中の様子はうかがえません。

 ここでキリが良く、また、長くなるといけませんので、その1はここまでとします。その2は、善教寺、櫛田神社から。

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2021年2月 7日 (日)

今シーズン初のウメジロウ

Img_5230c_20210207142201  今日も暖かい日になっています。最高気温も14.2℃。いつものように、朝7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町、南魚町と6.4㎞。毎日、毎日同じようなところをよく歩くものだと、自分でも思います(苦笑)。しかし、日々、見られるものは同じではありません。

Img_5061c_20210207142201 Img_5169c_20210207142201  今日は、今シーズン初めての「ウメジロウ」から。場所は、南寺町にある常信寺。真宗高田派のお寺。ここは早くから紅梅が咲きます。思いついて立ち寄ってみたら、メジロが3羽ほどやって来ていました。100枚近く撮ったのですが、なかなかこれはというものはありませんでしたが、この1枚。

Img_4754c_20210207142301  続いて、桑名七里の渡し公園にて、キセキレイ。しばらく前から、朝、散歩の出がけに見かけるようになっています。公園が開くのは9時ですから、柵の外からの撮影で、ちょっと距離があります。柵の近くに寄ってきてくれるとよいのですが、そうそう思い通りには行きません。住吉入江には、オオバンしかいませんでした。揖斐川には、シラウオ漁の漁船が2組出ていて、水鳥の姿はありません。

Img_4786c  七里の渡し跡には、コガモのオスが3羽にメスが2羽(左の写真は、コガモのメス)。最近、ここではコガモがよくやって来ています。昨シーズンと同様。

Img_4796c_20210207142301  三の丸公園では、ジョウビタキのメスが1羽(左の写真)。今日は、あまり近くには来ず、また、追いかけると逃げるというImg_4789c_20210207142301 パターンで、証拠写真に近い(苦笑)。他には、ツグミが1羽。ハクセキレイもいましたが、こちらはピンぼけ写真。

Img_4843c  柿安コミュニティパークでも、ツグミ。2~3羽がいます。「だるまさんがImg_4833c_20210207143101 転んだ」でもしているように、チョコチョコッと歩いては止まります。スズメもこの頃、20~30羽くらいがやって来て、集団でエサ探しをしているのを見ます。

Img_4857c  九華公園には8時前に到着。相撲場近くで、ヤマガラが3羽。なかなかよいところには来てImg_4868c_20210207142201 くれません。左の写真も、枝被りを何とか免れたところ。ジョウビタキのオスもやって来ました。真ん丸です。この時間、まだ気温が上がらず、日も当たらず、ちょっと寒かったからでしょう。

Img_4925c_20210207142201Img_4910c  奥平屋敷跡では、Yさん、Wさん、Oさんと。しばらく話しながら鳥の出待ち。しかし、なかなか。どちらも遠かったのですが、シロハラ(左の写真)とツグミ。Wさん、最近、どういうわけか鳥見に付き合うようになっています(笑)。「私のせいにしないでくださいね」といってあります。

Img_4892c_20210207142201 Img_4930c_20210207142201  カモは、パッと見でも少ない感じ。36羽でした。ハシビロガモは、合計13羽で変わらず。ヒドリガモは1ペアのみになっています。ホシハジロのオスも1羽のみ。堀の水を少し減らしている影響があるかも知れません(汚泥の除去が予定されているそうです)。ユリカモメは、15羽ほど。餌をやる人があって、大騒ぎで正確なカウントではありません。

Img_4956c_20210207142201  鎮国守国神社を回って、九華公園の北門から相撲場近くへ。何か飛んだと思ったら、シメ。珍しいところにいます。最初は樹上にいましたが、そのうち、地上に降りました。しかし、ここでも、ちょっと距離があり、しかも日陰で、証拠写真。貝塚公園では、キジバトとハシボソガラスのみ。内堀公園では、ムクドリ、カワラヒワ、スズメ、ハクセキレイ。

Img_5189c  常信寺では、冒頭で触れましたように、「ウメジロウ」の他、ミツマタの蕾が出て来ていました。南魚町では、ミカンが出してあるお宅2軒を見てきましたが、メジロの姿はなし。

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2021年2月 6日 (土)

20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)(予告編)

Img_4310c_20210206185301  もともと先週の土曜日に行こうかと計画していたのですが、その日は午前中は雪模様という予報で、今日に延期。ポカポカ陽気でした。風も弱く、最高気温も14.2℃。ダウンジャケットで歩いていると汗をかくくらいでした。昨年12月19日に出かけた「2020年12月19日:20201219桑名の八風街道を行く(東金井から能部へ)」の続きで、桑名の八風街道を歩いてきました。前回も書きましたが、本来の八風街道は、四日市市富田一色を起点として東海道と交差し、大矢知、平津を経て菰野町田光で巡見道と合流、八風峠を越える道です。桑名では、町屋川右岸の街道を八風街道を呼びます(くわな史跡めぐり)。これは、町屋川右岸の道が田光付近で四日市からの八風道と交わるからとも、桑名の道が昔は八風道と呼ばれていたからと、諸説があります。桑名の八風街道は、桑名市東金井から志知まで約7㎞あります。前回は、東金井から能部までを歩きました。今日は、能部から志知までの予告編。

210206happuu0  こちらが今日歩いたルートマップ。桑名西高校行きの八風バスで能部まで行き、能部神社へ。本来の八風道は、能部バス停から西へ行き、赤尾交差点と進みます。しかし、能部神社からそのまま正和台の団地を通り抜け、多少ウロウロして、平田御薗神明社、浄興寺を回って、八風道に戻り、ゼニス羽田のところで島田城跡を眺め、善教寺、櫛田神社、野村増右衛門の墓。久米小学校前から平群神社、平群沢溜池公園、連敬寺、景清屋敷跡まで足を伸ばして、ゴールの久米まちづくり拠点施設へ。ここにある平群神社前のバス停から八風バスで、桑名駅前まで戻って来ました。現地で歩いたのは、6.5㎞ほど。

Img_4320c_20210206185301 Img_4325c_20210206185301  桑名駅前のバスターミナル8番乗り場から八風バス・桑名西高校行きが出ます。乗車したのは、9時25分発。この1本前は7時55分ですので、いかにも早い。ここから、前回ゴールとした能部(のんべ)バス停までは20分、¥340。9時45分に今日のハイキングはスタート。

Img_4328c_20210206185301Img_4331c_20210206185301  能部神社。創立は不詳。明治21(1888)年、春日神社が鎮座していたのですが、明治40(1907)年、八幡宮境内に移し、「能部神社」と単称。明治41(1908)年には桑部にある長谷神社に合祀となりました。終戦後、氏子の総意により分祀されることになり、ここの旧社地に分祀、鎮座されました。主祭神は、建御雷之男神、相殿神は、大日孁貴命、素盞嗚尊、品陀和気命、大山祇神、菊理姫命。このあと、八風道に戻らなくても、正和台を抜けて行けそうでしたので、そのまま西へ。

Img_4343c_20210206185301 Img_4373c  赤尾台(あこおだい)まで来て、まずは、平田御薗神明社。創立年月は不詳ですが、由緒書きによれば、南北朝時代にはあったといいます。御薗神明社の社名の如く、赤尾は伊勢神宮の御料として、米を奉納していたところです。社地は、いろいろと変遷はあったものの、中世の赤尾氏城跡にあったといいます。大正時代には、赤尾東山に移り、さらに昭和から平成の時代、住宅地造成などにより、ここに移転したといいます。主祭神は、天照皇大神。相殿神は、品田和気命、須佐之男命、菅原道真、大山咋命、大山祇命。

Img_4376c_20210206185301  平田御薗神明社のすぐ隣に西南山浄光寺。真宗本願寺派のお寺。元は真言宗でした。名桜5(1496)年、僧・正西(しょうさい)が中興し、真宗に改宗。長島一向一揆の兵火に遭って中絶したものの、1750~1800年頃に再興。文化2(1805)年、員弁郡野田村から水害を避けて、檀家ともどもここに移ってきました。「檀家ともども」というのがすごいと思います。

Img_4414c_20210206185301  八風道に戻って西へ、スタートから2㎞ほどでゼニス羽田(旧・羽田ヒューム管)の工場前へ。この敷地内に島田城跡があります。写真で前方に見える小高い丘がそれ。戦国時代に島田兵庫助が居城したといいます。永禄11(1568)年の信長の伊勢侵攻で滅ぼされています。中世の城館跡で、郭、堀、土塁があるといいますが、ゼニス羽田の敷地内で、残念ながら、勝手には入れません。

Img_4428c_20210206185301  島田城跡を過ぎたところで、八風道から離れ、遍照山善教寺へ。もとは、弘仁3年(812)年、空海が開基した真言宗の寺でしたが、応仁元(1467)年、僧隆教のとき、蓮如上人の巡教により真宗に改宗したといわれます。真宗本願寺派のお寺。長島の願証寺の末寺でしたが、正徳5(1715)年、願証寺が高田派に改修したときにそれにしたがわず、本願寺派に留まっています。ご本尊(阿弥陀如来像)は、この地方出身の野村増右衛門吉正の持念仏(弘法大師作という)であるとされます。

Img_4450c_20210206185401  善教寺から少し登ったところに、櫛田神社。創立年月は不詳。昔は、現在地の南方の丘の下に鎮Img_4457c_20210206185401 座し、蔵王権現、天白天明神であったといいます。寛永12(1635)年の郷村帳には、現在地として明記されているそうです。明治42(1909)年、平群神社に合祀されたものの、昭和27(1952)年に分祀して現在に至っています。

Img_4482c_20210206185401  櫛田神社からさらに南に行った島田地区の共同墓地に、野村増右衛門(正保3(1646)~宝永7(1710)年)の墓があります。増右衛門は、こImg_4475c_20210206185401 こ島田の出身。郡代の手代(8石2人扶持)という低い身分から藩政を左右する地位にまで昇ったものの(元禄13(1700)年には物頭(ものがしら)となり、分限帳によると、宝永2(1705)年の時点で禄高750石で郡代を勤めています)、妬みから宝永7(1710)年に処刑されました。墓は最勝寺にあったものが、善教寺に移された後、さらに、ここに移っています。野村増右衛門の「事件」は、桑名藩にとっても大きな影響を与え、藩主松平定重は越後高田(新潟県上越市)に国替えを命ぜられています。ちなみに、先日訪ねた岸西山遺跡にある大正寺に、増右衛門の供養塔があります(2021年1月15日:大山田川あたりでバードウォッチングとプチ歴史散歩……大正寺と尾野神社について付記、修正しました【1/18】)。

Img_4524c_20210206185401Img_4543c_20210206185401  八風道に戻って、さらに西へ。久米小学校や、久米まちづくり拠点施設を過ぎると、街道沿いに平群(へぐり)神社の一の鳥居が建っています。ここは、ずいぶん前から一度来てみたかった神社で、念願が叶ったという次第。延喜式内社で、志知の氏神様。主祭神は、木菟宿禰(ずくすくね)と、天照大御神。相殿神は、武内宿禰命、大己貴命、須佐之男命、大山津見命、倭建命。木菟宿禰は、平群氏族の祖神です。また、このあたりは、また、倭建命(日本武尊)御駐足の跡と伝えられています。ここは、いかにも神様がいらっしゃるという雰囲気の神社でした。神社の背後の平群山は、古代神奈備(かんなび:上代、神霊の鎮座すると信じられた山や森)の遺跡といわれます。

Img_4602c_20210206185401  Img_4623c_20210206185401境内には、氏子などによって建てられた日本武尊の御歌「いのちのまたけむ人はたたみこもへくりの山のくまかしか葉をうすにさせその子」を刻んだ石碑があります。また、境内奥には倭建命の足洗池と伝えられる池があり、「平群池の白サギ」などの伝説も残っています。池の周りは、平群沢溜池公園として整備されています。この平群池も、一度は来たいと思っていたところです。

Img_4639c_20210206185401  平群神社の近くには、平景清(たいらのかげきよ)伝説に関わる遺跡があり、そちらにも行ってみたいところですので、足を延ばしました。そこへ行く途中に景清山連敬寺(かげきよざんれんぎょうじ)。真宗大谷派のお寺。このあたりの小字名が「鎮守堂」で、平景清と深い関係があったと推測されています。連敬寺は、もとは多度・香取の法泉寺の末寺でした。長島一向一揆のとき、一揆方に味方し、信長に焼かれ、江戸時代初期に再興されています。近くの畑には「連敬寺跡」という石碑が建っていました。

Img_4656c  連敬寺から北西へ少し行くと、田畑の中に「景清屋敷跡」があります。景清は、平家物語にも登場する侍大将。代官として桑名に住んだという伝説があるのです。ここは戦前までは森となっていて、周辺は鎌倉時代の陶器などが出土したということで、連敬寺遺跡になっています。中世の城館跡で、山茶碗、大窯製品などが出土。景清屋敷跡を見終えた時点で、12時25分を過ぎました。帰りのバスは、久米まちづくり拠点施設のところにある平群神社前を12時26分発。乗り遅れです(苦笑)。次は1時間後。

Img_4672c_20210206185501  やむなく、久米まちづくり拠点施設のところまで戻って、グラウンドゴルフをする広場のベンチで時間つぶし。12時45分にまちづくり拠点施設に到着。13時26分Img_4675c_20210206185501 発の桑名駅前行きを待って、それに乗車。桑名駅前には13時58分。¥420。

Img_4705c_20210206185501Dsc_0063c  桑名駅にある伊勢ノ国ダイニングSicili(シチリ)で昼ご飯。ここも前から一度入ってみたかった店なのです。「とろアジフライランチ(税込み¥980)」をチョイス。大きくて、部厚いアジフライを堪能。桑名の魚城の卵焼きが付いていました。前期高齢者には、食べ過ぎで(苦笑)、夕食の量を減らしたくらい。

Img_4712c_20210206200301  その後、徒歩にて15時に帰宅。今日の歩数は、ALKOOでは、16,477歩でした。今日は、取り敢えず、行ってきたところの紹介としました。本編は、明日以降書きます。

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20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その4)……尾野神社を経て、やっと養老鉄道播磨駅にゴールで「完」

210201ekinishi1 2月1日の「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」の本編です。その3で終わるつもりが長くなり、ついにその4。尾野神社を経て、養老鉄道播磨駅にゴールで、今回で「完」。詳細なルートマップは、その1に戻りました。スタートしてすぐに歩いていたところから少し東のあたりです。

Img_2949c_20210201192801  市立大成小学校の下を通って行きます。「下を通る」というのは、大成小学校は、小高い丘の上にあるからでImg_2952c す。その大成小学校のすぐ北に尾野神社。尾野神社もやや小高い丘にありますが、ここは尾野山城跡でもあります。中世の城館跡で、遺構としては、郭が残っています。尾野神社もこれまでに何回か訪ねています(2006年1月28日:例によって例のごとくなど)。鳥居脇には、「縣社 式内尾野神社 式内立坂神社」という社号標が建っています。

Img_2961c_20210201192801  鳥居をくぐってすぐ右に進むと拝殿があります。お社が2つ連なって建っていますが、向かって左が尾野神社、右の少し小さい方が立坂神社です。尾野神社は平安時代からこの地にあったようです。先日訪れた岸西山遺跡にあった尾野神社北之宮にもともとあったのが、こちらに移ったと考えられます(2021年1月15日:大山田川あたりでバードウォッチングとプチ歴史散歩……大正寺と尾野神社について付記、修正しました【1/18】)。

Img_2981c_20210204074401  こちら、尾野神社。主祭神は、天押帯日子命(あめのおしたるひこのみこと:孝昭天皇の皇子。春日、大宅(おおやけ)、栗田、小野、柿本氏ら中央豪族の祖)。相殿神は、天照大御神春日神(かすがのかみ:春日大社の祭神である以下の四柱の神の総称:武甕槌命(たけみかづちのかみ:経津主神とともに大国主神と談判し、国譲りをさせた神。鹿島神宮の祭神)、経津主命(ふつぬしのかみ:刀剣の神格化された神。武甕槌命とともに国譲りをさせた神)、天児屋根命(あまのこやねのみこと:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、比売神(ひめがみ:特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの))、船戸神(ふなどのかみ:外部から邪霊が侵入するのを防ぐ神)、八幡大神(はちまんおおかみ:応神天皇、武家の守護神)、宇賀神(うがじん:古来、人間に福徳をもたらすと考えられている福の神たちの総称あるいは宇迦御魂(うかのみたま:食物、ことに稲の神霊)の異称)、山神(さんじん:山に鎮座する神。やまのかみ)となっています。神社検索(三重)によれば、創立は不詳。桑名市史には 「(前略)昔は入江村、田宮村、船戸村の三ヶ村の総社であったが、中古、三ケ村が合併して東方村と称し、入江村は尾野入江の辺に居住して尾野神社を祀り、(中略)。一説には尾野山の北の鼻山に鎮座してあったのを、後に船着大明神の社へ奉還して相殿としたという」とあります。尾野神社も、織田信長の伊勢侵攻の際に焼かれ、古文書などは失われたといいます。

Img_2984c_20210204074401  立坂神社です。立坂神社は、もともと市内西方にあったのですが(その2で書きましたように、市立桑陽保育所のところに「立坂神社旧蹟」の石碑があります)、明治41(1908)年、ここ尾野神社に合祀されました。立坂神社は、別名、「草鞋社」といいます。海善寺の僧が修行に出る時、道中安全を祈願して草鞋を供えたといいますし、また、足止め信仰があったため、家出人があった場合には、ここに草鞋を供えて、家出人の足を止めることを祈願したともいいます。市内新矢田にも立坂神社がありますが、そちらは、もともとは矢田八幡社と称していました。桑名藩主本多忠勝の宗敬深く、以後代々の藩主の保護を受けています。明治以後は、この矢田八幡社が、式内立坂神社と称しています。

Img_2987c  これは、ご神木。推定樹齢300年という梛(なぎ)の木がありました。相当の大木です。

Img_2990c_20210204085601 Img_2964c  境内社としては、康髙稲荷大神と祖霊社があります。康髙稲荷大神についての詳細は不明。祖霊社は、昭和55(1980)年7月に創建された新しいものです。由緒書きによれば、尾野神社が鎮座して以来、神社を崇敬守護した氏子すべての祖先の霊を永遠に祀るとともに、数代に渡って、昭和初期に至るまで神主を務めた鬼島家の霊、および戦火に倒れた氏子出身兵士の霊などを祀ったとありました。

Img_3002c_20210204090301  そして、尾野神社と云えば、これが外せません。「船繋ぎ(ふなつなぎ)の松」です。あるいは「船着きのImg_3016c_20210201192801 松」とも呼ばれます。尾野神社は、1,000数百年前には、船着大明神と呼ばれていました。当時、この地は町屋川と大山田川が合流するところで(本多忠勝による慶長の町割によって、両河川は現在のところを流れるよう改修されています)、海陸交通の接点として船の出入りがあったといいます。

Img_3025c_20210201211301  さて、この記事の初めの方にも書きましたが、ここは、尾野山城跡でもあります。写真は、一の鳥居をくぐったあたりの参道から西の様子。広場の向こうに登り口がありました。尾野神社の別当・尾野山正斎坊が築城したのですが、永録天正のころ、織田信長によって滅亡したとも、また永禄中には建部(渡部とも)掃部下介が居城したとも伝わっています。登ってみようとは思ったのですが、登っていくところがあまり手入れされていませんでしたので、やめておきました。これで、この日予定したところはすべて回り終えました。時刻は、11時15分。6㎞近くを歩いてきました。養老鉄道播磨駅に向かいます。

Img_3035c  が、その途中で、これまた以前から気になっていたところがありましたので、ちょっとだけ確認。マップで、尾野山城跡と岸Img_3039c_20210204091801 西山遺跡とある中間あたりに、「最上稲荷山大祥寺」というところがあるのです。一時期、この「大祥寺」と、岸西山遺跡にある「大正寺」とを混同していたこともありました(苦笑)。アヤシげなお寺というか、お稲荷さんというからには神社か? と不思議に思っていたのです。

Img_3042c_20210204091801  こちらが本堂のようで、そこにある看板をよく見ると、「最上稲荷山奥秘修法祈祷桑名教会」と書いてありました。「最上稲荷」を調べたら、岡山市にある「最上稲荷山妙教寺 (さいじょういなりさん みょうきょうじ)」という日蓮宗に属するお寺でした。そのWebサイトには、「伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷の一つ」とあり、1,200年以上の歴史を有するそうでした。今年の初詣の案内も貼ってありましたので、活動はしているようです。これで、ここは何かという疑問は解けましたので、安心してゴールへ。

Img_3059c  ゴールは、養老鉄道播磨駅。11時25分に到着。6.5㎞を歩いてきたのですが、この日歩いたところはかなり高低差があり、いImg_3079c_20210201192801 ささかお疲れ。電車がなければ、家内に迎えに来てもらおうと思ったのですが、幸い、11時35分に桑名行きがありました。「センロク」と呼ばれる1600系電車。元は近鉄名古屋線を走っていたそうです。

Img_3090c_20210201192801  桑名までは1駅、たった3分で、¥210。播磨駅は無人駅ですので、乗車票を取って、桑名駅で精算。11時38分着。

Img_3077c_20210204124301  ちなみに、播磨駅から南西を見ると、こういう景色。踏切のすぐ向こうに見えているのが、岸西山遺跡。さらに「NTN」の青い看板の左手にあるのが、尾野山城跡・尾野神社。

Img_3100c  桑名駅では、ついでに旧駅舎がどうなっているか、覗いてきました。この写真は、東口の少し北からImg_3093c_20210204093301 見たもの。名鉄タクシーの待機場があったあたり。左端に少し見えているのは、桑栄メイトの建物と、東口に上がる階段。駅舎や、通路はすでに取り壊されてしまっていました。右の写真は、名鉄タクシーの待機場跡。こちらも取り壊され、整地作業が行われていました。

Img_3123c  12時前に帰宅。スマホのALKOOでは、歩数は16,091歩でした。現地で6.5㎞、桑名駅から自宅までなどが1.2㎞ですから、合計7.7㎞ほどを歩いてきました。

Img_3138c Img_2861c_20210204093601  こちらは、照源寺で授与していただいてきたお守り。「利剣の名号」という名前。念仏の功徳を煩悩や徐魔を切り裂く鋭利な刀剣の文字で現したものだそうです。

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2021年2月 5日 (金)

イソヒヨドリのオス、モズのメス……散歩友達多数に出会い、3時間半

Img_3890c_20210205161601  10時頃からはよく晴れてきて、暖かくなりましたが(10.1℃)、それまでは雲の多い空。いつも通り、7時半から散歩。これまたいつもと同じく、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、内堀、外堀、吉津屋町、京町、南魚町、寺町と6.4㎞。それに3時間半もかかりました(苦笑)。知り合い多数と会い、あちこちで話をしていたので、よくあること。冒頭の写真は、住吉神社前から撮った南東の空。天使の梯子も写っています。

Img_3938c_20210205161601  住吉水門の内側には、ヒドリガモ1ペア、キンクロハジロのオス・メスが1羽ずつ、オオバン1羽。ヒドリが少なく、ホシハジロのオスはいません。揖斐川には、シラウオ漁の漁船が3組出ていて、水鳥はいません。七里の渡し跡では、左の写真のように、小ガモが6羽。

Img_3906c_20210205161601 Img_3912c  その七里の渡し跡では、松の木の剪定作業が行われていました。見かけたのは、たぶん今日が2回目。庭師さんが、お二人。ここの松の木、なかなかよい具合の配置、大きさで植えられていると思います。

Img_3930c_20210205161601  三の丸公園では、メスのジョウビタキが1羽。愛嬌を振りまいてくれ、楽しめImg_3921c ました。三の丸水門の近くの高水敷には、ツグミ。ちょうど正面の写真になりました。何だかユーモラスで、笑えます。鳥も、魚も、正面顔は剽軽に見えます。

Img_3948c_20210205161601  柿安コミュニティパークでも、ツグミ。8時に九華公園に到Img_3964c_20210205161601 着。静かでした。カワラヒワや、メジロはいたものの、ヒヨドリの声はなし。サギは、アオサギ1羽のみ。ゴイサギは、このところ見られません。相撲場、管理事務所近くには、鳥はいません。

Img_3989c_20210205161601 Img_4027c_20210205161601  奥平屋敷跡で、Yさん、Wさん、Oさんと40分ほど話をしながら、鳥が出てくるのを待っていました。まずは、証拠写真ながら、シメ。我々がいたせいか、降りてこず、奥平屋敷跡の木を回っていただけ。続いては、シロハラ登場。シロハラも、奥平屋敷跡の縁を回っていたのですが、そのうちに降りて来て、枯れ草をひっくり返してエサ探し。シメも、シロハラも、今シーズンは、奥平屋敷跡を気に入っているようです。

Img_4049c  さらに、ジョウビタキのオスがやって来ました。話しに夢中になっていると、我々のすぐ近くにまでやって来ていました。奥Img_4060c_20210205161601 平屋敷跡に隣接する花菖蒲園には、ツグミも来て、エサ探し。写真はありませんが、ハシボソガラスは木の上で、枝を折って、整え、松の木に運んで行きます。すでに巣を作り始めていると思われます。今日は、ハクセキレイ、カワラヒワは登場せず。

Img_4074c_20210205161601 Img_3968c カモは、合計49羽。ハシビロガモが相変わらず多く、14羽。ヒドリガモはこのところ1ペアのみ。ホシハジロのオスは、今日は1羽。他はキンクロハジロ。カルガモとオオバンが1羽ずつ。

Img_4070c Img_4102c  ユリカモメは、29羽。今シーズンとしては多い方なのですが、例年に比べると「激減」といってよいくらい。これまでのシーズンでは多いと150~200羽くらい来ていたのです。

Img_4184c_20210205161501  本丸跡でツグミを見ていた時、知人で、バードウォッチング好きの女性がいらっしゃり、話をしていたら、イソヒヨドリのオImg_4142c_20210205161501 スが出てきました。この方、「一度、イソヒヨドリを見てみたい」とおっしゃっていて、今日が初対面となり、大変喜ばれました。単眼鏡をお貸ししたら、しばらくジーッと見ておられました。こちらも何だかうれしくなります。「『今日は何かいるかな』と思って出てくるのが楽しみ」とおっしゃいますが、まさにその通り。散歩や、バードウォッチングの極意のような気がします。この時、ツグミも見えました。

Img_4221c Img_4266c  はあぶ工房Togetherでミカンを買い(ブランドは、青島みかんだそうでした)、貝塚公園へ。「何か飛んだ!」と思って、そっと追いかけたら、モズのメス。さらに、公園の西側エリアで、久しぶりにシロハラ。いやぁ、貝塚公園にモクモクと通ってきてよかったですねぇ(微笑)。ちなみに貝塚公園では、散歩友達Sさんとも出会いました。しばらく体調を崩し、でてこられなかったのですが、最近復活。「歩かないと体力も、筋肉も落ちるなぁ。もう一度やり直しや」とおっしゃっています。

Img_4290c_20210205161501  内堀公園ではカワラヒワのみ。南魚町のお宅にメジロが来ていないか見に行ったものの、エサのミカンが干からびたままでした。寺町の河津桜は、寒さが続いたためか、開花はまったく進んでいませんでした。週末、ポカポカ陽気になるということですから、もう少し咲くかも知れません。

Img_4134c  鎮国守国神社の境内では、梅の開花が進んでいます。左の写真は、九華招魂社のところにある枝垂れ梅。九華公園にいた時間、曇天でしたので、花はあまりきれいに撮れなかったのはちょっと残念。

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20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その3)……円妙寺、照源寺から専明寺まで

210201ekinishi3  2月1日の「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」のその3です。スローペースで書いていますが、その2では、大福田寺まで来ました。次の円妙寺は、大福田寺から通りを1本はさんだ東。照源寺は、円妙寺から北へ300mあまり。途中、専明寺に立ち寄って、最後の目的地である尾野神社へ。尾野神社からゴールの養老鉄道播磨駅までは、500mほど。

Img_2793c  円妙寺。日蓮宗のお寺。山号は、光徳山。桑名藩主・松平定良が、病の加治祈祷で日蓮宗を信仰したこともあり、これまでの桑名藩久松松平家歴代藩主の菩提寺である浄土宗照源寺ではなく、新たに日蓮宗の寺を菩提寺として建立することになり、明暦3(1657)年に建てられました。日蓮宗の僧侶で、かつて尾張・大光寺住職であった日隆が定良の病気平癒の祈祷をしていたため、その日隆が開山となっています。真言宗霊応寺があった跡地(現・三重県立桑名高等学校の道を挟んで北側、円妙寺墓地のあたり)に、顕本寺の塔頭寺院を元にして、定良の法号より光徳山円妙寺と号しました。また、塔頭寺院として、定良の殉死者である三名の院号をそのまま号した一安院、法性院、蓮心院も建立され、それぞれの菩提が弔われました。境内は約9,000坪にも及ぶ大寺院であったといいます。

Img_2770c_20210201192701  宝永7年閏8月15日(1710年10月7日)、桑名藩主である久松松平家は越後高田藩へ国替えが行われたのですが、円妙寺はそのまま当地で存続。しかし、宝暦年間(1751~1764年)に火災に遭い境内が全焼したため、当時の旧桑名藩主・久松松平家の領国である陸奥白河藩へ、当寺と塔頭の一安院、法性院、蓮心院が移転しました。文政6(1823)年、白河藩の久松松平家は旧領国である桑名へ再び国替えとなり、当寺も塔頭三院と共に桑名に戻りました。寺がもともとあった場所は焼けたままで、建物もありませんでしたが、ちょうどその時、近隣にあった大福田寺が移転することになり、その大福田寺跡(現・大福田寺所在地)に入りました。この時に、桑名に残っていた養珠庵と仙妙庵は廃庵となります(それまでどこで存続していたのかは不明)。弘化4(1848)年12月、当寺と大福田寺の場所の入れ替わりがあり、円妙寺はそれまで大福田寺があった、日当たりも眺望も優れたすぐ東側の丘の上に移転し、大福田寺は元々あった場所に戻り、現在に至っています。この入れ替わりの理由は不明ですが、一説によれば、大福田寺側に問題があり懲罰的な意味合いで、それまでの条件の良い土地を追われ、元の谷間の窪地に戻されたのではないかといわれます。しかし、墓地の移転は行われず、大福田寺の墓地は丘陵上(現・円妙寺の南側)に残り、円妙寺の墓地も現本堂から少し離れた創建時の場所から移転されることなく現在に至っています。昭和20(1945)年、太平洋戦争の空襲でほとんどの境内の建物や寺宝が焼失したものの、嘉永年間に建てられた山門だけは被害を免れています。現本堂は昭和47(1972)年に再建されたもの。

Img_2778c_20210203144701 Img_2773c_20210203150001  境内には、社が1つ。岩谷社とありますが、由緒その他は不明。本堂前に石碑があり、たぶん「今此三界皆是我有」と刻まれています。あれこれ調べたら、法華経に「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護」とありました。すなわち、「この世は全て仏の世界であり、そこに住む人は皆、我が子と同じだ。この世は色々な悩み、災難、苦しみがある。それを救えるのは、唯、私(仏)一人である」という意味だそうです(こちら)。

Img_2775c_20210203150401  このような、「百度無盡燈」も本堂の前にありました。「尽」の字は、旧字体(盡)で刻まれています。「無尽燈」には、①油皿の油が減ると自然に補給され、燃え続けるように作られた灯明台、②仏の教えが次々と伝わって尽きないことを、一つの灯火が無数の灯火になることにたとえていう語、③仏前などに昼夜分かたずともすあかり。長明灯という意味があります。なるほどと思います(微苦笑)。以前、「常夜燈」と同じ意味ではないかと思うと書いたことがありますが、訂正しなければなりません。百度は「百度参り」でしょうから、お百度参りに関した燈りということかと思います。

Img_2805c  続いて、東海山照源寺に来ました。ここでほぼ5㎞、時刻は10時50分頃。浄土宗のお寺。寛永元(1624)年、桑名藩主であった松平定勝公(徳川家康公の異父弟)が亡くなったとき、二代将軍徳川秀忠の命によって、定勝の子・松平定行公が建立した寺。定行は伊予松山へ移封しましたが、弟・定綱が藩主を継ぎましたので、松平家の菩提寺として存続しています。ここは私の好きなお寺で、たびたび訪れています。

Img_2855c Img_2858c_20210203171101  当初は、東海山 泥垣院 崇源寺と号しました。それは定勝公の法号「崇源院殿」に因るものです。しかし、寛永3(1626)年に亡くなった秀忠公夫人の法号が、偶然、「崇源院殿」と一致したため、遠慮し寺号を「照源寺」と改めました。山号の頭文字「東」と、寺号の頭文字「照」の二字を合わせて「東照」となる由縁は、東照大権現(徳川家康)を祀ったことによるといいます。このように、桑名藩の菩提寺である照源寺が徳川家康公の供養をすることによって、桑名藩松平家は徳川家に対し末代にわたり忠誠を示したという訳です。現在も、徳川家康公の木像、位牌を安置し、供養しているそうです。

Img_2895c_20210201192801 Img_2902c  いろいろな石碑などがありますが、何といっても「松平定綱及び一統之墓所」(県史跡)。定勝の他、久松松平系の定綱他の一統の墓、26基が並ぶのです(2013年7月1日:照源寺へ、しかし、ハスは空振りで、松平定綱及び一統之墓所へ……昨日の散歩)。この日は、墓所は見ておりませんので、リンク先の記事をご覧ください。

Img_2809c_20210203152101  山門近くに、大きな石碑があります。「佐藤翁頌徳碑」とあります。桑名の豪商で船頭平閘門の建設に尽力した佐藤義一郎を顕彰する碑。佐藤義一郎(天保2(1831)~明治37(1904)年)は、桑名藩士で、幕末~明治時代の武士、社会事業家。戊辰戦争で幕府についた同藩の救済運動に奔走。維新後は桑名病院や英語学校を設立するとともに、船頭平閘門の設立にも尽力しました(明治27(1894)年5月、桑名町の佐藤義一郎らは国会に閘門設立を請願した結果、現在の立田村船頭平地内に設置が決定されました)。篆額は、松平定晴子爵の書。松平定晴子爵は、高須四兄弟末弟・松平定敬公の四男。大正5(1916)年8月に建立。「桑名町建設」とあります。小山正武謹撰、椿蓁一郎謹書。

Img_2818c_20210203153501Img_2824c  山門をくぐって境内に入ると、右手には、稲荷社。由緒その他は、不明。お寺にある稲荷社の由緒などはよく分からないことが多いのです。稲荷社の手前東に石碑らしきものが1つあるのですが(右の写真)、碑文などはまったく読めませんでした。

Img_2830c_20210203153701  稲荷社の西には、「海星学園創立者 佐藤信之助翁像」があります。海星学園は、現在、四日市に学校法人エスコラピオス学園として、幼稚園、中学校、高校を運営しています。昭和20(1945)年、ここ照源寺に素封家・佐藤信之助氏(醤油醸造業)の発意で「桑名英学塾」が創設されたのがその始まり。さらに、翌昭和21(1946)年には、経済、文学専門教育を目的として民生学園を設立しています。昭和22(1947)年には、四日市市六呂見(現所在地)に民生学園を移転し、海星学園に改めています。

Img_2833c_20210203164701  佐藤信之助翁像の西にある石碑。「西村徳右衛門碑」です。西村徳右衛門(1834~1886)は、柳本通徳(みちのり:徳右衛門の兄)ら10名とともに発起人となり、「桑名米商会所」を創立しました。米商会所は、明治11(1878)年3月に営業を開始。資本金は3万円で、その半分は旧藩主松平家の出資。船場町の旧川口番所に設立の予定でしたが、前年12月の伊勢暴動で焼失したため、殿町で始まりました。徳右衛門はまた、桑名銀行(その後百五銀行に合併)の創設にも関わっています。行書で書かれた碑文、私にはところどころしか読めていません(苦笑)。

Img_2844c  西村徳右衛門碑の西、庫裏の近くには、「夫婦松」があります(市天然記念物)。クロマツの大樹が約1.6m間隔で東西に並Img_2851c_20210203171101 び立ち、太い根が互いに癒着して、連理しているのでこの名前が付いています。樹高は東の松が19m、西の松が12m、根元は同じく、4.1mと2.8m。本殿の前には、「茶筅塚」がありました。

72951e31 Photo_20210203172301  山門に戻って、南側にあるもの。まずは、鐘楼堂。この日は写真を撮り忘れましたので、左の写真は、平成26(2014)年7月7日に撮ったもの(2014年7月8日:定例受診は、久しぶりの2時間半コースでお疲れ……オマケに、昨日の照源寺の蓮は咲いていない証拠写真(意味不明))。なお、この鐘楼堂については、「久波奈名所図会」に似たような絵がありますが、その詳しいことは不明。

Img_2873c_20210203171401 F808e658s  金龍桜。松平定綱公が、摂津の天台宗金龍寺(こんりゅうじ)から分植したという桜です。現在の木は、何度か植え継がれたものです。「徳川時代初期以来存在している名木のひこばえとして、今日にその特徴を伝えているものである」として、昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定されましたが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風の被害で枯れ、指定は解除されました。右の写真は、昨年(令和2(2020))年4月4日に撮ったもの(2020年4月4日:「ひのとり」、照源寺の金龍桜、道祖神、走井山公園の桜に北勢線の「ゆる鉄写真」……土産は宝来軒本店の花見団子)。碑は、大正15(1926)年4月に建立。

Img_2870c Img_2882c_20210203173001  金龍桜の西には、「平岡潤碑」。平岡潤(明治39(1906)~昭和50(1975)年)という方を私は不勉強にして知らなかったのですが、『桑名市史 本編』『桑名市史 補編』『桑名の伝説・昔話』を編纂されたお一人です(市史も持ってはいるのですが)。郷土史に造詣が深いだけでなく、『茉莉花 詩集』(平岡潤/著、平岡潤、1942)で高い評価を受け、「中原中也賞」を受賞しています。この碑の向かって左側に刻まれているのは、この詩集の表紙(右の写真)。また、詩人であるだけでなく美術にも秀で、自由美術家協会賞(第一回)を受賞し、画家を志すほどでした。終戦後、郷里の桑名に戻ってからは郷土資料の収集、編集、文化財保護に尽力しています。桑名市立図書館に勤務したこともあり、戦後、荒廃していた秋山文庫(桑名藩儒であった、秋山白賁堂(はくひどう)、その長男寒緑(かんりょく)、次男罷斎(ひさい)の三人の蔵書)の救済に立ち上がり、伊勢湾台風の際には浸水した史料の修復に取り組んでいます。その後は、昭和45(1970)年、桑名市立文化美術館(現在の桑名市博物館)が創設されると初代館長に就任しますが、残念ながら、昭和50(1975)年、郷土史の講話のさなかに心筋梗塞の発作で倒れ、亡くなられました(こちらを参照)。ここにも平岡潤氏についての記述があります。地元のことでも知らないこと多々あります。なお、右側の碑文は、次の通り。なお、これは、未刊の自筆稿本『無糖珈琲』第25節に所載されているといいます:

 名誉

 詩人は生まれながらにして傷ついてゐる。傷ついた運命を癒やさんために、彼は詩を創るのではなくして、詩を創ることが、傷ついた運命の主なる症状なのである。不治であるといふことは彼の本来の名誉と心得てよい。

 昭和二十一年七月十日

 平岡潤

Img_2892c  さらにその西、本堂に向かって左手には、こちらの石碑があります。桑名市教育委員会の文化財のサイトによれば、照源寺には、以上の他に、松平定信歌碑、庵宗九(松尾流茶人)歌碑、深川照阿(幕末から明治にかけての連歌師)歌碑があるとされています。これらのいずれかという気もするものの、五七五七七になっていないように思われます。碑陰を見てこなかったので、不明。見て回った範囲で、石碑はこれが最後でしたが、見逃しているということになります。宿題を残しました。

Img_2911c_20210203191301 Img_2908c_20210203191501  照源寺には、最近、御堂てらカフェがつくられました。営業は、毎週 木・金曜日、午前8時~午後3時までとなっています。家内からは、一度行ってきたらと勧められていますが、まだその機会はありません。メニューは、右の写真のとおり。なかなかよさげ。

Img_2914c  最近は、照源寺のように松平家菩提寺という由緒だけでやっていくのは難しいようで、来迎殿(宗旨宗派は問わないとか)という納骨堂の他、この写真のように、ペット供養の合同埋葬や、個別埋葬も行っています。

Img_2921c_20210203192101 Img_2925c  円妙寺、照源寺とも歴史のあるお寺で、長くなりました。10時50分頃に照源寺を出て、北へ。尾野神社に行く途中、真宗大谷派の東光山専明寺がありますので、ちょっとだけ立ち寄ります。ネット検索では、これという情報は出て来ません。

Img_2931c  専明寺の山門をくぐった左手には、「故村長伊藤常七翁之碑」。大正元(1912)年10月の建立。このあたりは、東方村であったと思いますが、明治22(1889)年に市町村制が実施されたとき、桑名村、尾野山、西方村、太夫村、北別所村、播磨村、福島村、上之輪新田、西汰上村、東汰上村、蛎塚新田が合併して大山田村となっています。いずれかの村長を務めた方と思われますが、ネット検索では、情報は何も出て来ません。碑陰を見てこなかったのが、失敗。この失敗、毎回、必ず繰り返しています(苦笑)。なかなか学習しません。

 3回で終わるつもりが長くなりましたので、その3はここまで。その4で完結するはずですが、その4では、尾野神社について。

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2021年2月 4日 (木)

午前中はZoomで会議、午後から散歩でヤマガラ、シジュウカラ、イソヒヨドリ……余談は仏教用語の英訳に納得

Img_3403c_20210204171401  やはり青空でなくっちゃと思います(微笑)。朝はわずかに氷点下になったものの、日中は10℃を超えました。北西の風は冷たく、強かったものの(最大7.3m/s、12時30分)、晴れて、陽が当たるのは気持ちいい。午前中は、仕事、午後から散歩という費でした。

Zoom  午前中の仕事は、地元自治体の教育委員会に関わる会議。市役所で行われる予定でしたが、新型コロナウィルスにより三重県には緊急警戒宣言がでていますので、Web会議となりました。Zoomです。昨年、東海地区K-ABC研究会で2回、研修会&幹事会で使った経験があります。会議は1時間で終了。出かけなくてよいのは、楽チン。会議の成果も、変わらない印象でしたが、自画自賛はこの場合は不可。担当してくださった教育委員会の先生方に伺ってみないと分かりません。

Img_3817c_20210204171401  午後は、13時50分から散歩に出かけました。住吉神社、九華公園、京町、南魚町、寺町と4.4㎞。冬の日は、午後になるとどうしても雲や風が出てきますので、ホドホドにということでこれくらいにしておきました。散歩友達には会いませんでしたが、九華公園で俳句をするという高齢の男性にお目にかかり、野鳥や、梅の花について話しが咲きました。

Img_3410c_20210204171401  我が家のお隣、諸戸氏庭園では修復工事が続いていますが、今日は、石取祭の祭車が収められている「祭車庫」に足場が組まれていました。祭車庫の東にある煉瓦蔵の修理もするというのは、歴史案内人のKさんから伺っていましたが、祭車庫も修理するということです。確か、当初の予定では、修復工事は令和3年度までだったような気がしますが、これは延びるかも知れません。

Img_3418c_20210204171401  住吉水門の内側には、ヒドリガモが17羽、キンクロハジロがオス、メス1羽ずつと、ホシハジロのオスが1羽。朝、散歩に行Img_3425c_20210204171401 くと、まだ陽が当たらないので暗いのですが、明るいところで見ると、また印象が違って、新鮮。

Img_3497c_20210204171401  揖斐川上空では、トビが旋回。強風に煽られていました。このあと、三の丸水門あたりでは、ミサゴも飛んでいました。ミサゴの方はトビ以上に風に煽られ、どこに動くか予測不能で、写真は撮れず仕舞い。九華公園の方に飛んで行ったというか、流されていきました。

Img_3518c_20210204171401 Img_3521c_20210204171401  七里の渡し跡では、コガモのオスが3羽に、メスが1羽、ヒドリガモが1ペア。ここでも、午後の日差しがよく当たって、きれいに撮れました。三の丸水門の近くでは、ツグミが1羽。

Img_3546c  九華公園、鎮国守国神社の社務所裏には何もおらず。14Img_3550c_20210204171401 時15分頃では、小型の野鳥も少ない。カモは、合計60羽。ハシビロガモが14羽、ヒドリガモが1ペア、ホシハジロのオスが2羽とキンクロハジロ。カルガモは1羽、オオバンは2羽。

Img_3555c  ユリカモメは、17羽がいました。管理事務所から奥平屋敷跡へ行く橋のところでカモ、ユリカモメを見ていたのですが、ここで冒頭に書いた男性に会ったのです。カモのことを聞いてこられ、話し込んだという次第。

Img_3573c  奥平屋敷跡では、シロハラとツグミを見たものの、シロハラは後ろ姿のみ。ツグミも、これでは、証拠写真Img_3585c_20210204171401 レベルですが、載せておきます。朝日丸跡では、ジョウビタキのオス。これもしかし、証拠写真(苦笑)。小型野鳥いないと思ったものの、これだけ出て来たので、まぁ良し。

Img_3680c_20210204171401  本丸跡から鎮国守国神社の境内では、ヤマガラとシジュウカラの混群が登Img_3663c_20210204171401 場。午後からでも散歩に出て来た甲斐があります。

Img_3695c_20210204171401  そのヤマガラさん、何と、梅のつぼみを食べていました! ヤマガラも、この時期、エサには苦労しているのでしょう。

Img_3733c_20210204171401 Img_3763c_20210204171401  以上3枚の写真は、鎮国守国神社の境内で撮りました。2日ほど行かない間に鎮国さんの梅はかなり咲いて来ていました。いずれも天守台跡に植えられた梅です。立春も過ぎましたから、いよいよ梅の季節。

Img_3799c_20210204171401  まさかと、一瞬目を疑ったのですが、本丸跡の木にイソヒヨドリのオス。九華公園でもときどき見かけますが、本丸跡のまん中にある木の上とは想定外。このあとは、鎮国さんの鎮守の森に姿を消しました。午後からの散歩でしたが、上出来(喜)。

Img_3775c_20210204171401  余談。三重テレビで放送していた「祈り~神と仏と」を録画して見ていたのですが、最終回で興味深い話を聞きました。古館伊知郎さんがキャスター。津市の曹洞宗塔世山・四天王寺の住職・倉島 隆行さんのことばが紹介されていました。仏教に「小欲知足」ということばがあります。「欲が少なく、わずかなもので満足すること」という意味です。古館さんは、これがなかなか腑に落ちなかったとおっしゃっていたのですが、倉島住職は、これは英語では、“compact and simple”だといいかえたのだそうです。浄土宗のサイトには、“Being happy with less makes for greater happiness”とありました(こちら)が、かなり説明的な訳。“compact and simple”の方が、直観的で分かりやすい気がして、妙に納得してしまいました。「なるほどなぁ」と思ったのです。さらに「利他」ということばもよく聞きます。「他人の福利を願うこと。自分を犠牲にして,他人に利益を与えること。仏教用語では、人々に功徳、利益を施して救済すること」ですが、これは“share”だそうです。普通は、“altruism”、“selflessness”と訳されていますが、これにも「なるほど」とうなずきました。

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20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その2)……秋葉三尺膨大権現、尾畑山城跡、立坂神社旧蹟から円妙寺墓地で松平定良公墓所へ

210201ekinishi2  2月1日の「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」のその2です。その1では、播磨を出発して、北別所神明社、北別所中世墓を経て、高塚第三公園から高塚山古墳に登ろうとして、途中で断念。竹林にある式部泉のあたりを通って、土佛山聖衆寺まできました。その2は、この聖衆寺の奥の院でもある、秋葉三尺膨大権現からです。

Img_2534c_20210202203501Img_2550c_20210201192701 聖衆寺の本堂に向かって右手に秋葉三尺坊大権現へ上がっていく階段があります。かなり急な階段。左の写真の上にさらに階段があるのです。私より年配の男性が、手すりにしがみつくようにして降りてこられます。笑えません。「明日は我が身」という気がします。

Img_2595c  こちらが秋葉三尺坊大権現の本殿。伝承によると、三尺坊という信濃出身で、越後の栃尾蔵王堂所属の修験者がいました。秋葉山(浜松市天竜区の天竜川中流左岸にある山。別称「あきばさん」。標高885m。頂上には古くから火伏せの神をまつる秋葉神社があります)に一千日参籠し火生三昧(かしようざんまい:身から火炎を出す三昧で、身から火炎を出し、その火でいっさいの悪魔、煩悩を焼き尽くすというもの)の法を修し、神通不思議の験力を得、飛行昇天したので、秋葉山に合祀し、秋葉三尺坊というようになったとも、秋葉山に大火が発生した際に三尺坊が現れ、火生三昧を修して猛火を止めたことにより火防鎮守としてまつられたとも伝わっています。ここに祀られた経緯については調べが付きませんでしたが、毎年4月17日に行なわれる秋葉大祭火渡り神事は、明治元(1868)年より続いています。

Img_2559c_20210203041401  この秋葉堂には、天手力雄命(アマノタヂカラオノミコト:天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神)、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと:天照大神に天岩戸から出てもらうことを考え、成功させた神(ちなみに、思兼神(おもいかねのかみ)とは、多くの思慮を兼ね備えた神、深く思慮する神)、妙音楽天女(みょうおんがくてんにょ:弁才天(べんざいてん:インド神話で、河川の女神。音楽・弁舌・財福・智慧の徳があり、吉祥天とともに信仰されました。仏教・ヒンズー教に取り入れられ、ふつう琵琶を弾く天女の姿で表されます。日本では財福の神として弁財天と書かれるようになり、七福神の一として信仰されています)の異称。美しい音楽を奏するところからこの名前)、天表治命(あめのうわはるのみこと:天八意思兼命の子)、九頭竜大神(くずりゅうのImg_2565c おおかみ:戸隠山の地主神)、地蔵大菩薩、秋葉三尺房大権現、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ:七観音(千手・馬頭・十一面・聖・如意輪・准胝・不空羂索)または、六観音(七観音のうち不空羂索を除く)の一つ。普通、観音といった場合は、聖観世音菩薩をさします。左の手に蓮華(れんげ)を持ち、右手を開いた形をし、衆生を救済するために種々の身を現ずる大慈大悲の菩薩)、恵比須神(えびすがみ:七福神の一つ。蛭子神(ひるこのかみ)とも、事代主命(ことしろぬしのみこと)ともいわれます。風折り烏帽子に狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)を着け、釣りざおで鯛を釣りあげている姿をしており、商家の福の神として祭られることが多くあります)、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん:頭は象、身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王で、のち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は、男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合・子宝の神として信仰されます)、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう:仏教守護の明王。無動尊・無動使者・不動尊とも呼ばれます。明王中の最高とされ、忿怒(ふんぬ)の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔を祓います)、大黒天(だいこくてん:もとインドで破壊を意味する暗黒の神。密教では、大自在天の眷(けん)族として三宝を守護し、飲食をつかさどる神となり、忿怒(ふんぬ)相を示す。寺の厨房などに祭られました。日本の民間信仰では、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされます。七福神の一で、米俵の上に乗り、頭巾をかぶり、打ち出の小槌を持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で知られています)および毘沙門天(びしゃもんてん:四天王の一神で、北方の世界を守護します。一般に右手に宝棒、左手に宝塔をもつ姿で表され、財宝を施す神として施財天ともいわれます。七福神の一。常に仏法の道場を守り、日夜、法を聞くので多聞天(たもんてん)ともいう)が祀られています。いつも通り、神様などを調べたのですが、たくさんいらっしゃり、大変でした(苦笑)。これだけたくさん祀られているには、理由があると思うのですが、私にはとても理解が及びません。

Img_2574c_20210203050101 Img_2580c_20210203050101  境内には他にもいろいろとあります。まずは、正一位福寿稲荷大明神。「正一位」は、お稲荷さんには必ずといってよいほど書かれていますが、最高位の位階。京都の伏見稲荷大社が正一位を授与されたことから、各地の稲荷もそのように称しているという話を読んだことがあります。他のお稲荷さんも、由緒が分からないことが多いのですが、この福寿稲荷大明神も同じ。

Img_2618c_20210203050601 Img_2598c_20210203050601  拝殿に向かって左手前には、小さなお社とお地蔵様。どちらもその名前などは掲げられていません。同じく拝殿に向かって右側には、「秋葉権現堂由来記」があります。伊藤文助翁という桑名南魚町の人(大正6(1917)年12月、77才で亡くなる)が勧請した旨のことが書かれていました。勧請年月については、記されていません。碑は昭和19(1944)年4月に建立。

Img_2625c_20210203075601  奥の院は高台で見晴らし良く、往時は景勝地として憩いの場所であったと伝えられていまImg_2628c_20210203075801 す。実際、聖衆寺からここまでの階段を登り切ったところから東を見ますと、左の写真のような眺望が広がっています。今ほど木々が生い茂っていなければ、揖斐・長良川から伊勢湾まで見えるでしょう。ズームアップすると、右の写真のように、長良川河口堰や、名古屋駅前の高層ビル群まで望めます。

Img_2632c_20210201202201  また、もう少し右に視線を向けると、この写真のように、桑名市街地のマンションの奥には、名港トリトンまでよく見えます。蟠龍櫓も見えていますので、今はマンションの陰になってしまっていますが、桑名城なども見えたと思われます。景勝地であったであろうことがよく分かります。

Img_2656c_20210203081401  聖衆寺に降りて来て、次の目的地に向かいますが、ここ聖衆寺に来たのは2回目(2006年2月11日:標高88.62メートル)。まだ、その山号の由来となった土佛を拝観したことはありません。是非その機会を得たいもの。

Img_2661c_20210203081801  スタートから3.2㎞ほど、照源寺霊園の西まで来ました。コミュニティバスの北別所バス停のところに道標が1基建っていました。「右Img_2665c_20210201192701  土佛山 左 西方(にしかた)」とあります(西方は、ここから西へ1㎞あまりのところの地名(イオン桑名があるあたりですが、現在は、新西方となっています。また、これから行く大福田寺、円妙寺、照源寺などは「東方」)。石碑には、「東京 多賀源」とも刻まれています。この向かい側(東北側)に小高い丘というか、山というかがあります。ここは、尾畑城跡(おばたじょうせき)。ただし、今は私有地になっていますので、入れません。ここには、やはり15年ほど前に来ています(2006年1月9日:尾畑城跡を求めて6.5㎞)。史料には、田辺伊勢丸が居城したとありますが、築城時期など詳細は不明。中世の城館跡で、土塁を巡られた方形の曲輪が残っているといいます。

210201ekinishi3  その先、照源寺墓地の角を右折し、南へ。県立桑名高校の方へ進みます。さらに、桑陽(そうよう)保育所に向かいます。ここの敷地内に立坂神社旧蹟があるのです。このあとは、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺と回り、北に向かって、照源寺を目指します。照源寺は、私が好きなお寺で何度も訪ねています。

Img_2671c_20210201192701 Img_2686c_20210201192701  市立桑陽保育所の敷地内にある立坂神社旧蹟。元はこのあたりを田宮村といい、その産土神である「高野御前」を祀ったそうです。海善寺の僧が修行に出る時、道中安全を祈願して草鞋を供えたので、草鞋(わらじ)社とも呼ばれました。ここにあった立坂神社は、尾野神社に合祀されています(新矢田にある立坂神社は、もともと矢田八幡社と称しており、明治以後、式内立坂神社と称しています)。実は、この立坂神社旧蹟、桑陽保育所の敷地内にあるはずと思って行ったのですが、なかなか見つけられず、ちょっと苦労(右の写真が桑陽保育所。立坂神社旧蹟は、写真の右端にあります)。というのも、石碑は西向きに建っているのですが、この裏手から西に向かって歩いていたので、木陰になっていて見えず、通り過ぎてウロウロしたという次第。

Img_2697c_20210201192701  続いて、県立桑名高校の北を通って、円妙寺(えんみょうじ)墓地へ。桑名藩6代藩主・松平定良(1632~1657)とその正室養仙院の墓があります。

Img_2709c_20210201192701Img_2713c_20210203090101  定良公は明暦2(1656)年に病となり、有馬温泉で治療しましたが、翌明暦3(1657)年7月18日、桑名への帰路、京都で26歳の若さで客死しています。日蓮宗を信仰したので、松平家の菩提寺照源寺とは別に、円妙寺が創建され、ここに葬られました。法名は、光徳院円妙日法大居士。霊廟は墓地の奥(北隅)に東面し、石廟造りで、正面4mの光徳院殿が松平定良公、その後方右から一安院は殉死堀田一可、法性院は殉死多賀道次、蓮心院は殉死長瀬政直で計4基。霊廟は、荒廃して石垣が崩れ、樹木雑草に蔽われているのは、残念。円妙寺はもともとこの墓地の東北あたりにあったといいます。

Img_2727c_20210203090101  こちらは、正室養仙院の墓。墓地よりやや斜面を下がった東側に独立しています。養仙院(~1683年)は7代定重の母、京極高広の女、法名は、養仙院了栄妙護日立。

Img_2737c_20210201192701  円妙寺からすぐ南東に大福田寺があります。このあたりでほぼ4㎞、時刻は10時20分。大福田寺は、高野山真言宗の寺。山号は神宝山。院号は法皇院。本尊は阿弥陀如来。ほかに聖天(歓喜天ともいう:仏教を守護する天部の善神。多く象頭人身で表されます。仏教に取り入れられてからは富貴・子孫・消厄の得の神とされ、双身で男女抱合像として祀られることもあります)を祀り、日本三大聖天(三大聖天には、東京都台東区の待乳山聖天(本龍院)と、奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)の2つは必ず入っていますが、他はいろいろ)の一つに数えられています。毎年2月3日に節分祭が、また、4月1日・2日に桑名聖天大祭が行われます。

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 この寺の創建年代については正確ではありませんが、用明天皇の時、聖徳太子が度会郡山田に開いたと伝えられます。鎌倉時代中期、後宇多天皇の建治年間に神宮詞人大和守・額田部実澄(ぬかたべのさねずみ)・忍性(にんしょう)によって、市内江場大福地内に再興されましたが、度重なる兵火や風水害によって、寛文2(1662)年、現在地に移築されています。当初は、福田村にあったため福田寺と称したのですが、足利尊氏から「大」の字を賜り、大福田寺と改められたという話が伝わっています。左の写真は、本堂。

Img_2753c_20210201192701 Img_2744c  こちらが聖天堂。歓喜天(聖天)は松平定信の寄進によるものとされるそうです。この日は2月1日でしたが、すでに節分祭が始まっていたようで、人も多く、露店も複数出ていました(ただし、今年は豆まきは中止)。境内には、稲荷社もあります。ちなみに、ここ大福田寺の節分行事は、地元では有名。境内では豆まきや福餅投げが行なわれ、大賑わいになります。また、鬼が市内を練り歩く「鬼追い厄払い」もあり、大福田寺にお願いすると、施設だけでなく、個人宅でも赤鬼・青鬼が揃ってやって来てくれます。

 その2も長くなりましたので、ここまで。その3では、円妙寺、照源寺、円妙寺、尾野神社からゴールまでを取り上げます。

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2021年2月 3日 (水)

立春とは思えぬ荒れた天候

Img_3385c_20210203161901  立春ですが、およそ春とは遠い天候でした。基本的に曇天、最高気温は6.5℃、3~5m/sの風が吹いています。午前中は、こんな天候でしたImg_3389c_20210203161901 し、娘の用事に付き合うようにということで、クルマで2軒ほど回って来ました。9時過ぎに出かける頃からは、時雨というか、雪というかが降り始め、2件目の出先では、かなり激しく降ってきました(右の写真、降っているものは写っていませんが、けっこうひどく降り、また、空の暗いこと)。帰宅は11時をかなり回ったこともあって、散歩はなし。

Img_3398c_20210203161901  午後から晴れ間も出てきたものの、風は相変わらず。「たまには、まぁ、いいか」ということで、本日は、散歩なしに決定(要するにサボりを決め込みました……苦笑)。代わって、先日出かけた「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」の記事本編を書くため、あれこれ調べていました。3回に分けた記事になると思います。ところで、明日は、市役所の会議が午前中に予定されているのですが、とうとうというか、いよいよというか、Web会議になりました(あのZoomによる会議です)。担当の先生に伺うと、今年度は、特別支援関係の会議や、研修会もかなりZoomを使って行われたそうです。参加者としては、さほど気を遣いませんが、担当の先生方には、トラブルが生じないか、会議の進行がうまく行くか、Wi-Fiが切れたりしないかなど、ご苦労は大変のようです。明日は、早めに短時間散歩に行くか、午後から出かけるかと思っています。

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20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その1)……播磨を出発して北別所神明社、高塚山古墳に登るつもりがリタイア、式部泉を通って土佛山聖衆寺へ

Img_3059c  2月1日に行ってきた「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」の本編、その1です。予告編にも書きましたが、下調べは少しずつしていたものの、日程としては、ほぼ思いつきでこの日に出かけました。非常勤の講義も終わり、成績も付け終えましたし、確定申告の準備も済みましたので、前日の夜、「行こう」と決めた次第(微笑)。「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」というタイトルにしましたが、「養老鉄道ハイキング」となったのは、結果論。一応、養老鉄道播磨駅をゴールにしていたのですが、電車の時刻が合わなければ家内に迎えに来てもらおうと思っていました。しかし、ゴールの10分後に桑名行きの電車がありましたので、急遽「勝手に養老鉄道ハイキング」になったのです。この日歩いたのは、「くわな史跡巡り」という桑名市文化課が、平成28(2016)年3月に刊行した本(ミス多発で、すぐに販売停止され、今日に至っていますから、稀覯本といえるかも知れません)の122~125ページにある「駅西コース:照源寺コース」を参考にコースを組み立てました。本編、いつものように書きながら考えますが、3回くらいを見込んでいます。

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 こちらが、この日のルート。朝は家族にクルマで送ってもらい、播磨郵便局近くを8時25分頃スタート。先日行った岸西山の西を通って南下(2021年1月15日:大山田川あたりでバードウォッチングとプチ歴史散歩……大正寺と尾野神社について付記、修正しました【1/18】)。県道142号線を越えて、北別所神明社、北別所中世墓、高塚第三公園、高塚山古墳(途中で断念)、式部泉あたり、土佛山聖衆寺、立坂神社𦾔跡、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺、東海山照源寺、専明寺、尾野神社と回って、養老鉄道播磨駅にゴール。11時25分。歩いたのは6.5㎞ほど。しかし、けっこう高低差があり、運動量はかなりありました。

210201ekinishi1 210201ekinishi2  詳しいルートマップその1(左)。スタートして、すぐに南下。1月15日に訪れた岸西山の西側を通って行きます。「南下」で南に下るのですが、道は登り坂。県道142号線は、桑名東員線。このあたりはずーっと、昔からの住宅団地を通って行きます。142号線を越えて左折し、旧桑名西医療センター(元市民病院)の東を通って北別所神明社(マップでは神明社)、北別所中世墓へ。そこから髙塚町の住宅団地を西へ。ここも登り坂。高塚第三公園から高塚山古墳に登ろうと思ったものの、途中で断念。竹林を通って、式部泉(しきぶせん)、土佛山聖衆寺、その奥の院である秋葉三尺膨大権現と回って行きます。

Img_2354c_20210201192601 Img_2356c  スタートは、このあたり。大山田川をはさんでいます。向かって左が播磨郵便局。向かって右は、今はけっこう少なくなったと思いますが、不二家桑名播磨店。不二家の洋菓子を扱っています。右の写真は、岸西山遺跡の西側。登り坂が続きます。こういうダラダラと登る坂は、けっこうしんどい(苦笑)。

Img_2371c_20210202182301 Img_2374c_20210202182301  坂を登り切ったところで、県道142号線の上を越えます。桑名東員線ですが、我が家からは、イオン桑名や、東員の万助溜公園、いなべの両ヶ池公園などに行くときに通る道。左の写真は東の方、右の写真は西の方。西の方は、小公園になっています。県道は、トンネル。このトンネルをくぐった東西で天気が少し違うなと思うことがたまにあります。

Img_2383c_20210201194101  こちらは、旧桑名西医療センターの跡地を望んだ写真。かつては、正面に病院がありました。桑名市民病院、山本総合病院そして平田循環器病院が合併して、桑名市総合医療センターになりました。山本総合病院のところに新しい病院の建物ができるまでは、市民病院は西医療センターでした。すでに建物は解体され、更地。早ければ、昨年、有料老人ホームと分譲型の医療モール、介護ショップを併設した調剤薬局など開業するということでしたが(こちら)、まだ建物は見えません。

Img_2395c_20210201192601  西医療センターの跡地を過ぎ、角を右に曲がったところに北別所神明社。歩き始めてほぼ1㎞。創始は不詳。旧社格は、村社。織田信長の伊勢侵攻の時、桑名ではここに本陣を置いたといいます。また、神社の由緒には、織田信長在陣の時、当神明社を崇敬し、幣帛等を奉納し、また、社内に信長の駒繋の松と伝える松があったといいます。

Img_2398c_20210201194701 Img_2401c_20210202192701  主祭神は、天照大御神。相殿神は、大山祇神(おおやまつみのかみ:山を司る神)、迦具土神(かぐつちのかみ:火の神)、天満大自在天神(菅原道真、天神に同じ)。由緒書きに、宝物として、信行焼御神酒壺一対(市文化財)、信行焼狛犬一対とあります(ただし、拝殿前の狛犬は、石造)。信行(しんぎょう)は、江戸時代の中頃、聖衆寺を再興した瓦師・岡本信行(1648~1732年)。信行は、瓦師として鍋屋町に住んでいたのですが、 脱俗して北別所の聖衆寺に入り作陶を手がけました。個人的に珍しいと思ったのは、右の写真にあるように、神額。石に文字が刻まれているように見えました。

Img_2414c_20210202193101 Img_2427c  拝殿に向かって左手には、「皇太子殿下御生誕記念御造営」という石碑。碑表、碑陰とも、寄附者の名簿になっています。石碑の古さから勝手に推測するに、現在の上皇陛下がお生まれになったときのものかという気がします。上皇陛下は、昭和8(1933)年12月23日のお生まれ。神社の境内地東側には、「殉国戦士之碑」(右の写真)。詳細不明。以前は、三重県遺族会のサイトに県内のこういう忠魂碑、慰霊碑のリストがあったのですが、最近はなくなってしまい、調べられません。

Img_2424c  北別所神明社の向かいに北別所中世墓(きたべっしょちゅうせいぼ)があったと、「くわな史跡巡り」にあります。この写真がその場所なのですが、建物が建ち、裏手は駐車場になっています。その名の通り、中世の墓の跡と考えられ、古瀬戸、常滑等の焼き物が出土したそうですが、きちんとした調査はされないまま破壊されてしまいました。

Img_2438c_20210201195301 Img_2445c_20210201192601  北別所神明社、北別所中世墓のところからは西へ直進。高塚の住宅団地の中です。西に向かって、さらに登り坂。登り切って、高塚の住宅団地の西の端に高塚第三公園(右の写真)。このあたりで標高70mほど。スタート地点が12~13mでしたから、かなり登ってきました。この公園の西に高塚山古墳があります。15年前に訪ねていますが(2006年2月11日:標高88.62メートル)、改めて行ってみようと思ったのです。高塚山古墳は、全長約56mの桑員地区最大の前方後円墳。平成16(2004)年の調査で盾型や朝顔型、円筒埴輪、籠の文様のついた土師器がたくさん発見され、築造時期は4世紀後半の古墳と推定されています。有力な豪族の墓なのでしょう。

Img_2450c_20210201192601Img_2466c_20210201192601  高塚山古墳に登ろうかどうしようか迷っていたら、地元にお住まいの男性が通りかかられたので伺ってみました。「う~ん、行けるけど、今は難しいよ」ということでした。しかし、「まあせっかく来たから」と登りかけたものの、途中で右の写真のような状態。この古墳、竹林になっているのですが、最近は人の手が入っていないようで、かなり荒れていました。男性も、「古墳の標識も、今は倒れてしまっている」とおっしゃっていましたので、登るのは結局、断念。

6ba2504f  ちなみに、2006年1月に登ったときの写真を載せておきます。左の写真が高塚山古墳のもっとも高いとこ9aab434d ろ。「高塚山古墳」という木製の碑が建っていますが、地元の男性によれば、これはすでに根腐れして、倒れているといいます。向かって左手にあるのは、一等三角点

Img_2453c_20210202200401Img_2478c_20210201200401  降りて来て、高塚第三公園の南の高いところから東を見ますと、眺望が開けていて、揖斐・長良川から名古屋の方までよく見えました。ズームアップすると、我が家のマンションも小さく見えています。このあたりで歩き始めて2㎞。時刻は、9時15分。

Img_2480c Img_2482c_20210202200901  ここからは、土佛山聖衆寺(どぶつざんせいしゅうじ)に向かいますが、この先はずっと竹林の端を通って行きます。

Img_2498c  この先に式部泉(しきぶせん)という泉がありました。平安時代の歌人・和泉式部が硯の水にした、あるいは、長嶋一向一揆の時、江州住人山本式部何某が討れて、その首を洗ったという話があります。式部泉がどこにあったかは、今となっては不明。雰囲気というか、イメージというか、京都の嵯峨野を彷彿とさせる静けさがあります。外からの音が、竹に吸い取られているような感じでした。ちなみに、和泉式部にまつわる説話、伝説は、民間信仰と結びついて広く各地に分布しているといいますから、硯の水にしたというのも真偽は不明と思います。

Img_2509c_20210202201701 Img_2511c_20210202202201  高塚第三公園から10分足らずで、竹林が途切れ、土佛山聖衆寺の下に出ます。この写真で、左手に階段があり、聖衆寺に行くにはこれを登ります。まったくのトリビアですが、向かって右にある電柱には、「とらや饅頭」とあります。とらや饅頭は、春日神社(桑名宗社)門前にある饅頭屋さん。メインのとらや饅頭は、酒饅頭。宝永元(1704)年創業で、江戸時代には桑名宿の土産物などとして武士や町人に親しまれたそうです。

Img_2642c_20210201192701 Img_2514c_20210202202301  土佛山大正院聖衆寺です。ここで2.5㎞。真言宗醍醐寺派のお寺。桑名では「土佛さん(どぶっつぁん)」と呼ばれます。鎌倉初期の建仁4(1204)年に、北伊勢地方鎮護のため定舜法師が建立したといわれる古刹です。永正年間(1504~1520年)に乗覚照範和尚が伽藍修復と堂宇建立を行い、中興されました。当時は、43坊を有し、僧兵も1,000余名置くほどの大寺であったといいます。しかし、信長の伊勢侵攻の時に焼かれ、現在の堂宇のみが残りました。江戸時代の中頃、瓦師岡本信行が、桑名藩主松平定重に寺運再興を言上して再興し、瓦製阿弥陀如来(市文化財)をつくったため、「土佛さん」といわれます。本堂は大正12(1923)年の建立。

Img_2523c_20210202203001 Img_2526c_20210202202301  伊勢七福神恵比寿神)にして、三重四国八十八箇所第2番札所。境内には、7体のお地蔵様もいらっしゃいます。

Img_2534c_20210202203501 Img_2550c_20210201192701  聖衆寺から、奥の院の秋葉三尺坊大権現へ行くには、またもや急な階段を登っていかなければなりません。普段の散歩では、ほとんど高低差のないところを歩いています(せいぜい5~10m)ので、ちょっと大変。奥の院は、かなり広いところ。ここには、秋葉三尺坊大権現の他、稲荷社などがありますが、長くなりますので、その1はここまで。その2は、秋葉三尺坊大権現からとします。

 

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2021年2月 2日 (火)

散歩から四日市市立博物館「昭和のくらし」展へ

Img_3145c_20210202155801  朝6時台まで雨でした。7時半頃には止んでいましたので、いつもより少し遅く、7時45分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園からクルマに乗り、四日市へ。「おかしいんじゃないの?」と思われるかも知れませんが、私は四日市市立博物館で開催中の「昭和のくらし-昭和の風景-」展を見たいのと、家内は四日市近鉄百貨店で特売されている養老軒のフルーツ大福を買いたい(今日まで)ということで、クルマで迎えに来てもらったのです。124年ぶりに節分が今日・2月2日になっています。気温は、14℃を超えたものの、午後からは強風で寒い!

Img_3153c Img_3164c_20210202155801  諸戸氏庭園前に、ツグミ、スズメ。桑名七里の渡し公園には、ムクドリ。住吉入江には、住吉キンクロウズが2羽(オス、メス各1羽)、ヒドリガモが6羽、ホシハジロのオスが1羽。ほぼいつものメンバー。

Img_3181c_20210202155801 Img_3190c_20210202155801  船津屋さんの裏手にツグミ1羽。途中、七里の渡し跡や、三の丸公園に鳥はおらず。三の丸水門のところにジョウビタキのメス1羽。雨上がりのせいか、鳥はあまりいません。

Img_3208c_20210202155801  柿安コミュニティパークではスズメの群の他、ツグミが合計Img_3201c_20210202155801 4羽ほど。揖斐川も水鳥は少なく、オオバンが1羽とカンムリカイツブリが1羽のみ。

Img_3234c_20210202155801  九華公園では、いつものように、鎮国守国神社の社務所裏にアオサギさん。最近、ゴイサギはいません。散歩友達のMさんに伺っても、中橋のところにもいないということでした。相撲場のあたりには、鳥影なし。

Img_3281c_20210202155801 Img_3290c_20210202161201  奥平屋敷跡では、30分あまりいたものの、カワラヒワ、ハシボソガラスのほかに出て来たのは、シロハラとジョウビタキのオス、それぞれ1羽。う~ん、ジョウビタキには、オス、メスとも出逢えたものの、他があまりよくありません。

Img_3248c_20210202155801  カモは、合計42羽。微妙に増減を繰り返しています。ホシハジロのオスが2羽、ハシビロガImg_3303c_20210202155801 モは合計12羽。他はキンクロハジロで、今日は、ヒドリガモが見当たりませんでした。ユリカモメは、25羽ほど来ていましたが、さすがに餌をやる人はおらず、すぐに姿が見えなくなりました。本当に現金です。

Img_3320c_20210202155801  辰巳櫓跡のところで、ジョウビタキのオス(左の写真)。鎮国守国神社、節分の豆まきについては、今年は何も掲示があImg_3360c_20210202155801 りませんでしたが、宮司さんや氏子の方がいらっしゃったので、ご神事はあった様子。境内にはカワラヒワくらい。再び、相撲場の方へ回ると、ここでもジョウビタキのオス(右の写真)。ジョウビタキのオス、実数で3羽なのか、延べ3羽なのか……? このあと貝塚公園では、散歩友達に会ったものの、鳥はカワラヒワくらい。家内に迎えに来てもらって、クルマで四日市へ。

Dsc_0059c  四日市市立博物館は、近鉄四日市駅西にあります。毎年、この時期に「昭和のくらし」展が開催され、ここ数年、必ず見に来ています。今年のサブテーマは、「昭和の風景」。コロナの感染予防として、消毒、ソーシャル・ディスタンスはもちろん、学校・幼稚園の子どもたちの団体と、個人とでは入り口がまったく別になっていました。一人で行った私は、西側の裏口へ回るようにということでした。話が逸れましたが、昭和のくらし展は、2月28日まで。大人は一人¥400。

Shouwa1  こちらがパンフレット。昭和30年代の暮らしを再現した展示がありました。昭和30年生まれの私にとってShouwa2 は、実に懐かしい光景。当時の「3種の神器」である冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが普及しはじめ、また、プラスティック製品も出てきた頃でした。ほかに、学校の教室の再現や、農機具、農作業の風景も展示されています。他に、黒電話、ワープロ専用機、ウォークマン、二つ折り携帯電話、OHP装置などがすでに博物館の展示になっていて、いやぁ、年を取ったわけだと、団体で来館している小学生に混じって、嘆息してきました。鉄道の変遷について取り上げたコーナーもあり、廃線になった旧近鉄八王子線や、ジオラマ、鉄道模型なども見られます。

 余談。こちらがItem_fruit養老軒フルーツ大福。税込みで1個¥303。11~5月の期間限定。四日市近鉄百貨店には、1月27日から今日まで出張販売。

 非常勤の講義の成績は、昨日、最終的にチェックして、提出。今日、事務の担当の方から受け取った旨、連絡をいただきました。あとは、授業評価の結果が来たら、コメントを書く仕事が残っています。確定申告も準備は終えていますから、ネットで行ってしまわないといけません。

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2021年2月 1日 (月)

20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(予告編)

Img_2344c_20210201212201  下調べはしていたものの、日程的には、ほぼ思いつきで出かけてきました。「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」というタイトルにしましたが、「養老鉄道ハイキング」となったのは、結果論。「くわな史跡巡り」という桑名市文化課が、平成28(2016)年3月に刊行した本があります(ミス多発で、すぐに販売停止され、今日に至っていますから、稀覯本といえるかも知れません)。これの122~125ページにある「駅西コース:照源寺コース」を参考にコースを組み立てたのです。あれこれ見て回り、写真も多数になりますので、今日のところは予告編。

210201ekinishi0  こちらが歩いたコース。播磨郵便局あたりから先日行った岸西山の西を通って南下。県道142号線を越えて、北別所神明社、北Img_3123c 別所中世墓、高塚第三公園、高塚山古墳(途中で断念)、式部泉あたり、土佛山聖衆寺、立坂神社𦾔跡、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺、東海山照源寺、専明寺、尾野神社と回って、養老鉄道播磨駅にゴール。播磨駅で10分待つと桑名駅往きの電車がありましたので、ここで初めて「勝手に養老鉄道ハイキング」となった次第。現地で歩いたのは、6.5㎞。桑名駅から自宅が1.2㎞ほど。スマホのALKOOでは、16,091歩(12.3㎞は、電車その他を含んでいると思います)。

Img_2354c_20210201192601  スタートしたのは、故あってこのあたり。播磨郵便局が見えています。ここから坂道を登って、高塚、北別所当たりの住宅街をImg_2383c_20210201194101進んでいきます。県道142号線(国道1号線宮前交差点から大山田方面に通じています)を越え、旧・桑名市民病院(前桑名西医療センター)の南を通って行きます。すでに建物は解体され、更地になっています。早ければ、昨年、有料老人ホームと分譲型の医療モール、介護ショップを併設した調剤薬局など開業するということでしたが(こちら)、まだ建物は見えませんでした。

Img_2395c_20210201192601  旧・市民病院の南、歩き始めて1㎞で北別所神明社。創始は不詳。織田信長の伊勢侵攻の時、桑名ではここに本陣を置いたとImg_2398c_20210201194701 いいます。神社の由緒には、織田信長在陣の時、当神明社を崇敬し、幣帛等を奉納し、また、社内に公の駒繋の松と伝える松があったといいます。

Img_2424c  「くわな史跡巡り」には、北別所神明社から道をはさんだ南に「北別所中世墓」があったとあります。ただし、発掘されずに破壊され、詳細は不明。瀬戸焼の壺が出土し、墓があったといいます。今は、左の写真のように、建物が建っています。たぶんここと思います。

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 北別所神明社からは西へ。坂道を登っていきます。登り切って、高塚の住宅団地の西の端にImg_2445c_20210201192601 高塚第三公園。標高70m弱。スタート地点が12~13mでしたから、かなり登ってきました。この公園の西に高塚山古墳があります。15年前に訪ねています(2006年2月11日:標高88.62メートル)。再度訪問しようと思ったのです。

Img_2450c_20210201192601 Img_2466c_20210201192601  高塚山古墳に登ろうかどうしようか迷っていたら、地元にお住まいの男性が通りかかられたので伺ってみました。「う~ん、行けるけど、今は難しいよ」ということでした。しかし、まあせっかく来たからと登りかけたのですが、途中で右のような状態。この古墳、竹林になっているのですが、最近は人の手が入っていないようで、かなり荒れていました。男性も、「古墳の標識も、今は倒れてしまっている」とおっしゃっていましたので、登るのは結局、断念。

Img_2471c_20210201192601  こちらは、左の写真の先の曲がり角から見た東の方。長良川河口堰、伊勢大橋の向こうには、名古屋駅前のImg_2478c_20210201200401 高層ビル群まで見えました。

Img_2480c  高塚第三公園まで戻って、竹林沿いの道を行きます。この先に式部泉といImg_2498c うのがありました。平安時代の歌人・和泉式部が硯の水にした、あるいは、長嶋一揆の時、江州住人山本式部何某が討れて、その首を洗ったという話しがあります。式部泉がどこにあったかは、今となっては不明。雰囲気というか、イメージというか、京都の嵯峨野を彷彿とさせる静けさがあります。外からの音が、竹に吸い取られているような感じでした。ちなみに、和泉式部にまつわる説話、伝説は、民間信仰と結びついて広く各地に分布しているといいますから、硯の水にしたというのも真偽は不明と思います。

Img_2642c_20210201192701  数分歩くと土佛山聖衆寺(どぶつさんせいしゅうじ)に至ります。桑名では「土佛さん(どぶっつぁん)」と呼ばれます。建仁4(1204)年創建の古刹ですが、信長の伊勢侵攻の時に焼かれ、詳細は不明。江戸時代の中頃、瓦師岡本信行が再興し、焼き物で阿弥陀如来(市文化財)をつくったため、「土佛さん」といわれます。伊勢七福神(恵比寿神)にして、三重四国八十八箇所第2番札所。ここで2㎞。

Img_2595c Img_2632c_20210201202201  土佛さんの奥には、秋葉三尺膨大権現。聖衆寺の奥の院の秋葉堂になります。ここには、秋葉三尺房大権現、恵比須神、天手力雄命、九頭龍大神、地蔵菩薩、聖観世音菩薩、大聖歓喜天などが祀られています。高台で見晴らしがとても良く、往時は景勝地として憩いの場所であったと伝えられています。右の写真は、少しズームアップしていますが、名港トリトンまで見えています(ちなみに、拙宅マンションも写っています)。

Img_2665c_20210201192701  聖衆寺から東へ。市街地の方へ歩いて行きます。3.2㎞ほど、照源寺霊園の西まで来ました。ここには、尾畑城跡があります。左の写真で正面の小高い丘がそれ。ただ、今は私有地になっていますので、入れません。ここには、やはり15年ほど前に来ています(2006年1月9日:尾畑城跡を求めて6.5㎞)。史料には、田辺伊勢丸が居城したとありますが、築城時期など詳細は不明。土塁を巡られた方形の曲輪が残っているといいます。

Img_2671c_20210201192701  続いては、立坂神社があった跡へ。桑陽(そうよう)保育所の敷地当たりにあるはずと思って行ったのですが、なかなか見つImg_2686c_20210201192701 けられず、ちょっと苦労。とうのも、石碑は西向きに建っているのですが、この浦の方から西に向かって歩いていたので、見えず、通り過ぎてウロウロしたという次第。その昔は、田宮村。産土神の高野御前を祀ったといいます。海善寺の僧が修行に出る時、道中安全を祈願して草鞋を供えたので、草鞋社ともいったといいます。ここにあった立坂神社は、尾野神社に合祀されています(新矢田にある立坂神社は、もともと矢田八幡社と称しており、明治以後、式内立坂神社と称しています)。

Img_2697c_20210201192701  県立桑名高校の北を通って、円妙寺墓地へ。桑名藩6代藩主・松平定良(1632~165 7)とその正室養仙院の墓があります。Img_2709c_20210201192701 定良は、明暦3(1657)年7月18日、26歳で病没。日蓮宗を信仰したので、松平家の菩提寺照源寺とは別に、円妙寺が創建され、ここに葬られました。法名光徳院円妙日法大居士。右は、定良の墓。円妙院はもともとこの墓地の東北あたりにあったといいます。

Img_2737c_20210201192701 Img_2753c_20210201192701  神宝山法皇院大福田寺。聖徳太子創建と伝えられる真言宗のお寺。山門は江戸時代建立といわれています。毎年2月3日には節分祭が行われますが、すでに賑わっており、門前には露店も出ていました。奈良の生駒、東京の待乳山と並んで、日本三聖天の一つといわれます。ちなみに、今年の豆まきは中止。賑わっていたので、早々に撤退。ここはまだゆっくりと見て回ったことはありません。

Img_2770c_20210201192701 Img_2793c  大福田寺の東には、円妙寺。日蓮宗のお寺。上述のように、定綱系久松松平家第2代当主で伊勢桑名藩主(第6代)の松平定良の菩提寺として建立されました。宝暦年間(1751~1764年)に火災に遭い、境内が全焼したので、当時の旧桑名藩主・久松松平家の領国である陸奥白河藩へ移転しました(ただし、養珠庵と仙妙庵と墓地はそのまま当地に残っています)。文政6(1823)年、白河藩の久松松平家が、桑名へ再び国替えとなり、当寺も桑名に戻って来ています。山門は、嘉永年間(1848~1855年)に建てられ、戦災に遭わず現在に至っています。

Img_2805c  円妙寺の後は、東海山照源寺へ。浄土宗のお寺。ここでほぼ5㎞。寛永元(1624)年、桑名藩主であった松平定勝公(徳川家Img_2855c 康公の異父弟)が亡くなったとき、二代将軍徳川秀忠の命によって、定勝の子・松平定行公が建立した寺。ここは私の好きなお寺で、たびたび訪れています。

Img_2895c_20210201192801 Img_2902c  いろいろな石碑などがありますが、何といっても「松平定綱及び一統之墓所」があります(県史跡)。定勝の他、久松松平系の定綱他の一統の墓、26基が並ぶのです(2013年7月1日:照源寺へ、しかし、ハスは空振りで、松平定綱及び一統之墓所へ……昨日の散歩)。時刻は10時50分頃。

Img_2949c_20210201192801 Img_2961c_20210201192801  照源寺からは北へ。大成小学校のすぐ北に尾野神社。創立不詳。尾野山の北の鼻山に鎮座していたのを、船着大明神の社へ奉還したといいます。社殿は(右の写真)、尾野神社(向かって左)と、立坂神社(向かって右の小さい社)からなっています。尾野神社の御祭神は、天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)。

Img_3016c_20210201192801 Img_3025c_20210201211301  境内には、「船繋ぎの松」があります。1,000数百年前、このあたりは海陸交通の接点でした(慶長の町割以前、このあたりで町屋川と大山田川が合流し、船の出入りがあったと伝わっています。また、この尾野神社のあるところは、尾野山城跡といわれます。尾野神社の別当・正斎坊が居城し、信長の伊勢侵攻で滅ぼされました。ここは、小野津臣の始祖を祀るといわれ、前方後円墳の形をとどめているそうですが、登り口がやや不安定で下ので、今日はパス。現在、前方部は現在大成小学校の校庭になっています。

Img_3059c  これで、今日訪ねようと思っていたところはほぼコンプリート。養老鉄道播磨駅に11時25分に到着。時刻表を見たら、11時Img_3090c_20210201192801 35分に桑名行きがありましたので、これで帰ることにしました。桑名駅までは1駅、¥210。桑名駅には11時38分着。徒歩にて、12時前に帰宅。ずいぶん長くなりましたが、以上、取り敢えず予告編。明日以降、暇を見て、本編を書きます。

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