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2021年1月22日 (金)

はっきりしない空模様で蟄居し、市民大学郷土史学科の講義のまとめ

Img_8608c  アメダスに記録はほとんど出ないくらいの雨の1日。日照はなく、10℃を超えたものの、寒い1日です。散歩に出かけるチャンスを狙って、何度も雨雲レーダーを見たり、外を眺めたり(苦笑)。しかし、結局は、終日蟄居にして、居職。「居職」とはいえ、仕事はしていません。市民大学郷土史学科の昨年の講義のとりまとめをしています。7回の講義でしたが、6回目までを終え、最終回に取り組んでいます。「歴史を裏から見る」というテーマでしたが、最終回は、「朝廷と本能寺の変」という内容。一般的にはあまり取り上げられないと思います。年表を駆使したものでしたので、まとめに当たっても、ノートと年表とを首っ引き、合間にコトバンクなどで必要なことを調べるということの繰り返し。体力がなくなってきたことが関わっていると思いますが、根気が続かなくなっていますから、一休みも多く、我ながら笑えます。効率低下は甚だしい。どこかの政府がいうように、70歳まで働けといわれても、続かないでしょう(苦笑)。

Img_8595c_20210122163101  新聞を取りに降りただけで、外には行っていません。最近の在庫写真から。左は、昨日のプチ遠征の帰りに見てきた近所のお宅のロウバイ。かなり咲いていました。

Img_6619c  こちらは、よく立ち寄ってくる新築公園。過去に言及したこともありますが(2020年8月19日:
またもや九華公園でカワセミ……プチ歴史散歩も、2020年10月14日:20201014勝手に養老鉄道ハイキング「多度山に登ろう」)、ここは「桑名米穀取引所跡」。この公園の全域に、明治27(1894)年12月29日から昭和6(1931)年12月、同所が閉鎖となるまで、37年間桑名米穀取引所がありました。桑名米穀取引所では、他の市場が閉店した後、夕市が開かれ、大阪堂島、東京蛎殻町、山口赤間関(下関)の3ヶ所とともにとくに注目されたといいます。この一帯は、明治13(1880)年、田地5,000坪を埋め立てたところで、取引所を中心に40数軒の仲買店が軒を並べ、さながら別世界の賑わいをみせ、相場通信連絡には旗信号を利用し、多度山を中継所として名古屋に報じました。

Img_6612c_20210118174901  今までまったく気づかなかったのですが、こんな看板が西側に立っていました。桑名市の指定文化財(史跡)になっているので、当たり前といえば当たり前なのですが、西側にはほとんど行かないので、この看板の存在を知らなかったのです。

Img_6360c_20210118174901  余談三題噺のようなことですが、もう1つ。どうでもいい話。左の写真は、1月18日に九華公園で見かけた白いドバト(真っ白ではありません)(2021年1月18日 :ハジロカイツブリに2回も遭遇……エレベーター点検で9階まで登山(笑)Img_7664c_20210122165601。その2日後(1月20日)、貝塚公園で同じ個体と思われるドバトに遭遇。見たのは、直線で300mほど離れたところ。300mくらいなら、ドバトにとってはひとっ飛びなのでしょうが、ちょっと興味深かったのです。

Img_8214c_20210122170301  明日も、曇りのち雨の予報。日曜まで散歩は、難しいかも知れません。以前は、雨の日には、ホームセンターへ行って歩いたこともありましたが、今はコロナのこともありますから、そういうのはダメですねぇ。傘を差してまで歩くつもりはありませんし。写真は、昨日撮って来たもの。伊勢湾岸道をくぐった先から見える、JERA川越火力発電所。今日まで中部電力の発電所と思い込んでいましたが、昨年(2019)年4月からJERAになっていました。

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