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2020年12月19日 (土)

20201219桑名の八風街道を行く(東金井から能部へ)

Kuwanahappu  今日は、タイトルのように、桑名の八風街道を歩いてきました。本来の八風街道は、四日市市富田一色を起点として東海道と交差し、大矢知、平津を経て菰野町田光で巡見道と合流、八風峠を越える道です。桑名では、町屋川右岸の街道を八風街道を呼びます(くわな史跡めぐり)。これは、町屋川右岸の道が田光付近で四日市からの八風道と交わるからとも、桑名の道が昔は八風道と呼ばれていたからと、諸説があります。桑名の八風街道は、桑名市東金井から志知まで約7㎞あります。その先は東員町に入るのですが、東員町から先はルートがよく分かりません(調べがついていないということ)。コロナであちこちで歩くのも憚られますし、JRさわやかウォーキングや近鉄ハイキングも一時期中止されましたので、「桑名の街道を歩く」一環として桑名市内の八風街道を歩こうと考えた次第。このマップは、桑名市内の八風街道の全体。

1219happu  これを2回に分けて歩くこととしました。今日は、東金井(ひがしかない)から能部(のんべ)まで。町屋川の右岸(南側)です。東金井、西金井、桑部、能部と歩いてきましたが、桑名の八風海道の始点は、町屋橋をわたった先、朝日町との境目あたり、春日台公園の近く(「くわな史跡めぐり」による)。東海道が通っているところからやや北からという、ちょっと中途半端なところ。なぜここが始点かは、不明。

Img_5406c  スタート地点まで行くのにもっとも便利なルートは、三交バスで桑名駅前から、日の出橋行きに乗車して、城南口で降りて1㎞Img_5408c_20201219193701 ほど歩くもの。日の出橋行きのバスは、町屋川へバードウォッチングに行くときに利用するバス。桑名駅前のバスターミナル・3番乗り場から9時30分発の日の出橋行きのバスに乗車。城南口には9時39分着。¥210。町屋橋を渡って、東海道を横切って行きます。

1219happu1  こちらが詳しいルートマップその1。春日台公園あたりから北西へ。JR関西線、近鉄名古屋線を越えて行きます。東金井公民館の近くで、春日神社と徳元寺。西金井バス停のところで、御講堂、薬師堂、須賀神社と立ち寄りながら、八風街道を進んでいきます。

Img_5482c  東金井の公民館。公民館というからにはもう少し立派な建物を想像していました。けっこう古くて、小さいImg_5476c (失礼)。古い看板や、町内案内板が壁一杯にあります。何となく懐かしい光景。公民館の手前には、地蔵堂と「蓮如上人御𦾔跡」の石碑。この石碑、中央のやや下で二つに折れたようです。コンクリートで石碑を覆ってあり、いつ頃のものかなどは分かりません。

Img_5436c_20201219193701  ここで左折して春日神社へ。東金井に鎮座していた春日社、その境内摂社神明社、境内神社火霊社、山神社の3社が、明治41(1908)年、長谷神社(あとで訪ねます)に合祀になりました。戦後、氏子の総意により旧社地に分祀鎮座となっています。

Img_5438c_20201219193701  主祭神は、天児屋根命(あまのこやねのみこと:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)。相殿神は、天照大御神大山津見命(おおやまつみのみこと:山を司る神)、火産霊神(ほむすびのかみ:火の神)。ちなみに、この春日神社の南側には金井城跡があります。松岡彦之進家勝が築城し、織田信長によって滅ぼされています。遺構は郭、土塁、堀、遺物は五輪塔。城跡に山家氏や戦没者の墓塚が見られるのですが、下調べ不十分にて見てこず。なお、松岡氏は、北勢四十八家のひとつ。

Img_5470c_20201219193701  春日神社の東に徳元寺(廃寺)。浄土真宗本願寺派の寺でした。徳元寺は東金井城主・松岡彦之進の被官・山家氏一族の祐Img_5465c_20201219193701 西坊により明応年間(1492~1501)に開基され、長島一向一揆の際に、信長勢に攻められて廃寺になりましたが、慶長5(1600)年に再興し、本堂は文化2(1805)年に建立されました。なのですが、平成に入って、廃寺。その後も、鐘楼堂のみ残っていたのですが、今はそれもありません。

Img_5449c_20201219193701  鐘楼堂の梵鐘は、明治初年まで、桑名の春日神宮寺(仏眼院)にあった北勢地方最古のものでした。寛永15(1638)年の銘があります。廃仏毀釈の際に徳元寺に買い取られましたが、さらにその後、平成29(2017)F3f5c514 年になって仏眼院が買い戻しています。仏眼院は何度も訪ねています(たとえば、2020年8月15日:寺町寺めぐりの続き)。右の写真は、仏眼院にあるその梵鐘。寛永15(1638)年、京都の冶工・近藤丹波、藤久の作で鐘銘は桑名藩三宅正堅の撰文だそうです。「くわな史跡めぐり」には、徳元寺の鐘楼の写真が載っていましたので、まだそれがあるものと思って訪ねたのですが、諸行無常。ちょっと残念でした。

Img_5488c_20201219193701  八風街道に戻って、西金井のバス停(コミュニティバス)から南西へ。まずは、御講堂。御講堂の前には、Img_5485c_20201219193701 地蔵堂がありますが、どちらも詳細は不明。御講堂は、お寺とはいえないようですが、内部には仏像も安置されているようです。宗旨宗派は分かりませんでした。

Img_5501c_20201219193801  御講堂の南西、社会福祉法人憩の裏手には、薬師堂があります。小高くなったところに立っていて、なかなかよい感じ。古墳か?という気もしましたが、定かではありません。由緒がありそうですが、これまた、詳細不明で、残念。ネット検索では限界があります。

Img_5510c_20201219193801  続いて、須賀神社。桑部にある長谷神社の分霊を祀る神社として、ここ西Img_5519c 金井に鎮座しています。由緒などは不明。須賀神社の本殿は、土蔵造りです。これは、昭和3(1928)年に桑部小学校の奉安殿としてつくられた建物を戦後、移築したものです。奉安殿は、天皇皇后両陛下のご真影と教育勅語を納めていた建物。余談ですが、私が通った小学校にも奉安殿が残っていた記憶があります。

1219happu2  詳しいルートマップはその2へ。桑部橋の南を通ります。桑部橋南の交差点の南には、桑部城跡があるのですが、信長の伊勢侵攻で滅ぼされ、現在は減失してしまっています。桑部の町に入って、教専寺、善徳寺、長谷神社を訪れていきます。

Img_5525c_20201219193801  桑部橋の手前あたりからは、藤原岳などがよく見えました。藤原岳には、一昨日の雪がまだそのまま残ってImg_5531c_20201219193801 いました。開けていて、このあたりでは風が強く、寒いこと(苦笑)。

Img_5535c_20201219193801  桑部橋南の交差点。写真の奥が桑部橋。左下方向へ進み、丘に上がったあたりに桑部城跡。今は減失してしまっています。リンク先に、桑部城跡の説明と発掘調査結果の概要があります。桑部城は、室町時代末期に築かれました。北城と南城とがあったと伝わります。北城の城主は毛利次郎左衛門、南城が大儀須若狭守で、両城とも織田信長の伊勢侵攻(1567年)により滅ぼされました。その後、小牧長久手の戦いのとき(1584)年、豊臣秀吉が改修を命じた古文書があるそうです。ちなみに、ここから先、今日歩いたところは、2019年2月9日に近鉄ハイキングで来ています(20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(予告編))。

Img_5543c_20201219193801  桑部橋南の交差点の先から八風街道をそれて、桑部の町を歩くことにしました。途中、「町屋川珈琲」という洒落たカフェ。上記の近鉄ハイキングで来たときはありませんでした(昨年5月1日にオープンですから)。就労継続支援・生活介護などを行っている「風の子 ビレッジ」が営んでいます。

Img_5551c_20201219193801  町屋川珈琲のすぐ先に藤花山教専寺。その先に古城山善徳寺。いずれも真宗本願寺派の寺です。この2つのおImg_5561c_20201219193801 寺、由緒その他は、不明。

Img_5565c_20201219193801  さらに、長谷(ながたに)神社。「延喜式」にある「桑名郡長谷神社」と考えられています。村社。奈良時代、称徳天皇の神護景雲元(767)年、常陸国鹿島神宮の御祭神を勧請し、桑部村の地、谷の奥にあたる長谷に鎮座したといいます。常陸国から大和国への遷座の際、当地に立ち寄った使者が、藤原氏の興隆にあやかりたいと、当地の有力者の懇願による勧請だったと伝わっています。

Img_5581c_20201219193801 御祭神は、建御雷之男神(たけみかづちのかみ)、斎主神天児屋根命(あまのこやねのみこと)、姫大神品陀和気命(ほんだわけのみこと;応神天皇)、大山祇命(おおやつみのかみ;山の神)、天目一箇命(あまのまひとつのかみ;金工の神)、須佐之男命(すさのおのみこと;天照大神の弟。乱暴を行ったため、天照大神が怒って高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣を天照大神に献じた)。 明治41(1908)年、能部神社、須賀神社、、春日神社を合祀していますが、昭和56(1981)年に春日神社(東金井字西谷)、昭和57(1982)年に能部神社を分祀しました。ちなみに、明治初年に至るまで、桑名春日神社(現桑名宗社)の神事において桑部の人たちが招聘され、当社の協力を得て行われたといいます。

Img_5591c_20201219193801  境内には、八天宮社がありました。八天宮は、火伏の神。桑名・員弁地方ではたくさん祀られているそうです(こちらに言及あり。八天宮は秋葉神社と同じとも書かれています)。それは、江戸時代・文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされたからだといいます。

Img_5572c_20201219193801  また、一の鳥居をくぐった右側(西側)には、忠魂碑、日露戦役祈念碑、五箇条の御誓文を刻んだ石碑、まImg_5575c た、忠魂義胆郷党軍人記念之碑がありました。忠魂碑は、「桑名の戦争遺跡」によれば、昭和15(1940)年1月の建立。建立者は、石原末松。支那事変と太平洋戦争の戦没者83名の名が刻まれています。日露戦役祈念碑は、同書によれば、明治40(1907)年4月に山本鐵太郎他19名により建立され、日露戦争での戦没者7名と、従軍者36名の名前があります。この五箇条の御誓文碑は、桑部小学校にあったものを戦後、現在地へ移したそうです(こちらに記述があります)。忠魂義胆郷党軍人記念之碑は、明治28(1895)年2月、桑部村大字桑部壮年会が建てています。

Img_5584c_20201219193801  拝殿前の狛犬がちょっとユニーク。何と形容してよいかよく分かりませんが、髪の毛がベタッとなっている感じで、ユーモラス。狛犬は、いろいろあっておもしろいというか、退屈しないというか(微笑)。ここ長谷神社で一休み。作業に来ていらした氏子の方から、「何のハイキング?」と聞かれ、「勝手にハイキングをしている」と答えたら、大ウケ(爆)。今日の立ち寄り先は、ここまで。長谷神社を出たら、時雨れてきて、向かいにある桑部まちづくり拠点施設でしばし、雨宿り。今日のゴールは、能部のバス停(八風バス)に設定してありましたので、そこに向かいます。12時を過ぎていたので、立ち寄ろうと思っていた能部神社は、次回に回します。

Img_5597c  能部バス停。城南口からは、7㎞を歩いてきました。12時20分少し過ぎに到着。ここを12時39分に出る桑和駅前行きのバス1219happu3 がありましたので、それに乗ろうと思ってきたのです。この路線、昼間は1時間に1本しか走っていません。無事に予定のバスに乗って、桑名駅前まで。バスは桑部橋南から左折して、桑部橋を渡り、県道63号線へ。益生駅前などを通って、桑名駅前には12時58分着。¥340。

Img_5608c  サンファーレにある貝侍で昼食。伊勢うどんのタレでつけ込んだという唐揚げを試してみたくて、「伊勢津唐揚げ定食」をチョイス。¥780。なかなかの美味。量が多いというか、唐揚げ一つ一つがビッグサイズで、満腹。「普段、家で食べさせてもらえないものを食べるんだろう」と思われた方、大正解です(苦笑)。

Img_5614c  今日のALKOOのデータ。家に帰ってすぐに撮影するのを忘れましたので、若干増えていますが、16,773歩でした。自宅から桑名駅前のバスターミナルまでが、往復2.4㎞。今日歩いたのは、合計9.4㎞でした。次回は、1月中旬の予定。桑名の八風街道、後半を歩きます。

 

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コメント

ミリオンさん、こんにちは。

桑部がご実家でいらっしゃるんですね。
以前、近鉄ハイキングで後藤酒造さんに行くときも通ったことがありました。

志知では、景清屋敷跡、蓮敬寺、来遊寺あたりまで行くつもりです。
平群池も訪ねてみたいところです。

八風街道は、菰野まで続いているはずなのですが、東員町から先のルートが分かりません。

投稿: mamekichi | 2020年12月20日 (日) 14時41分

こんにちは、桑部あたりは思いっきり実家周辺です。
地元だけど神社やお寺の事はあんまりというか全然無知です。
あの辺りは道路が狭いから歩きにくかったでしょう。
志知の方はどのあたりまで行かれるんでしょうか。
志知の平群(へぐり)神社と神社の裏の平群沢ため池公園へ行かれるのでしょうか。。
平群池でヤマトタケルが足を洗ったという伝説があるらしいですね。
志知でタケル歩道という看板を見たことあるけど、どんな所か行ってみたいです。

投稿: ミリオン | 2020年12月20日 (日) 14時24分

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