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2020年12月 9日 (水)

円通寺の大イチョウを見てきました

Img_0924c  朝のうちは曇り。肌寒い感じでした。東海道歩きに行こうかとも思っていたのですが、せっかくならもっとよい天気の時にと思い直し、別のアイデアを実行。12月5日に「大イチョウが気になりました……六華苑と円通寺」という記事を書きました。この円通寺の大イチョウを見に行くことに(微笑)。7時半に出発、寺町方面へ。京町から旧東海道を南下し、日進小学校の南へほぼ2㎞で円通寺。そこから貝塚公園に向かうのですが、途中、天武天皇御足洗井跡、楊柳寺、法盛寺、西恩寺に立ち寄りました。その後九華公園から七里の渡し跡、住吉神社、桑名七里の渡し公園を経て7.8㎞も歩いてきました。

Img_0929c_20201209151701  寺町商店街。昨日は、三八市で賑わっていましたが、7時半過ぎですからまだやっていません。東側の寺町堀沿いを行きます。Img_0932c_20201209151701 京町交差点の先で旧東海道。旧東海道は、東から来て、京町公園のところで南に曲がるのです。途中、旧東海道沿いには、途中、枡形があり、また、寺もたくさんありますが、今日のところはほとんど割愛します。

Img_0958c  こちらは、いもや本店。玩具、プラモデルなどを扱っています。前は何度も通ったことがあImg_0963c り、一度は店主さんに呼び込まれ、中を一通り見てきました。店頭が、整理整頓されています(たとえば、2019年3月10日:20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」にある写真をご覧ください)。いもや本店の少し先に「東京屋」という古い看板。ここは、肉屋さんでしたかで、ここのコロッケが絶品でした。かなり前に閉店してしまっています。

Img_1009c_20201209153101  お寺は、上記のようにたくさんありますが、長圓寺だけ載せておきます。桑名の千羽鶴(数羽の繋がった連鶴を折る千羽鶴)を考案し、また、久波奈名所図会も著した僧侶・義道(1762~1834)が住職を務めていたお寺がここなのです。

Img_1024c  7時55分、円通寺に到着。約2㎞ですから、30分弱で着いたのは、当たりImg_1031c_20201209151701 前なのですが、気分的には「早かったなぁ」というところ。立派な大イチョウです。高さは30m、幹囲は5.7m、樹齢は400年以上だといいます(リンク先では300年となっていますが、5年前に尋ねたときお寺の方に400年以上と伺いました)。

Img_1043c_20201209160401  巨樹を見に行くと、パワーをいただきたくなります(微Img_1037c_20201209151801 笑)。写真もあれこれ、いろいろと撮ってきましたが、惜しむらくは天候。もっと晴れていたら言うことはなかったのに。ちなみに、円通寺は、真宗本願寺派の寺。元亀3(1572)年、江場城主の子・佐藤秀道が出家して教円と名乗り、開基したと伝わります。

Img_1133c  日進小学校の南を回って行きます。最初は、桑名城惣構の跡でも歩こうかと思ったのですが、気が変わり、初めに書いたように、天武天皇御足洗井の跡へ。ここ、以前何度も探して分からず、ようやく見つけたところです(2013年4月Img_1140c_20201209151801 19日:いもや本店と、天武天皇御足洗井(とうとう見つけました!))。新屋敷西集会所の裏にあるのです。「一名 菊之井」。壬申の乱(672年)の折、ご自身の領地である美濃国を目指した、当時は、大海人皇子(後の天武帝)と后(後の持統帝)一行が、桑名に滞在した折、皇子が足を洗われたといわれる井戸です。飲水を供した井戸は別にあったのですが、江戸時代の町割りの時、城の堀の中に埋められたそうです。この石碑は、桑名史蹟調査会によって、昭和3年(1928年)に建立されたそうです(新桑名歴史散歩、西羽晃著)。次に尋ねる楊柳寺は、かつてここにあり、井戸はその境内地にあったとも言われます。

Img_1156c_20201209151801  続いて、楊柳寺こちらに詳しい情報があります。安国山と号し、曹洞宗の寺。開基は不明、戦国時代に薩摩国福昌寺の高山和尚によっって再興されたといいます。江戸初期に現地に移転。6世住職・万機和尚は、真田幸村の三男といわれているそうです。天武天皇にゆかりがあるとされます。壬申の乱(672年)の時に、後の持統天皇が当寺に滞在されたとも伝えられますが、寺の所在地は度々移動しています。天平12(740)年、藤原広嗣の乱の時に、聖武天皇が難を避けるため、大和から桑名郡の“石占頓宮<いしうらとんぐう>”に至り、美濃近江を経て山城(京都)に入ったといいます。この“石占頓宮<いしうらとんぐう>”の場所はハッキリしないものの、この楊柳寺付近とも考えられているようです。しかしながら、天武・持統・聖武の三天皇の御代、新屋敷付近は、まだ海だったといいますから、これらの説も確実なものではないと思われます。

Img_1172c_20201209151801  最勝寺に立ち寄ったあと、法盛寺(ほうじょうじ)。桑名坊舎柳堂と号し、浄土真宗本願寺派のお寺。東御坊の本統寺に対Img_1180c_20201209151801 し、西御坊とも呼ばれます。元は三河国矢矧(やはぎ)(現岡崎市)にあり、応仁2(1468)年、桑名郡益田庄に移ったのち現在地に移っています。明治初年まで尾張、美濃、伊勢に末寺200余ヵ寺を数え、境内には寺内寺が7ヵ寺あったといいます。当時の境内地は4,000坪余、本堂は方18間であったそうです。明治8(1875)年、桑名別院となり、同15(1882)年、別格寺に列しています。ご本尊の「阿弥陀如来立像」は湛慶作と伝えられます。柳の大木があり、今日はそれを見ようと思って行ってきました。実は、墓地に「桑名日記」の筆者である渡部平太夫墓があるのですが、すっかり失念。

Img_1224c_20201209151801  柳原に出て、西恩寺。諦受山と号します。真宗大谷派のお寺。ここの前のご住職は、池田勇諦(いけだ ゆうたい、1934年~)先生とおっしゃり、真宗学がご専門の同朋大学名誉教授でいらっしゃいます。実は、親鸞聖人についてのご著書も持っているのですが、未読(苦笑)。このお寺のゆかりの方とも多生の縁がありました。

Img_1258c_20201209151801  このあと、貝塚公園を経て、九華公園へ。貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワのみ。九華公園も、着いたのが、9時前。ややImg_1274c_20201209151801 時間が遅く、ヒヨドリも、ツグミも静か。カモは、70羽。やや増えたというか、誤差範囲というか微妙。メンツは変わりなし。ヒドリガモのペアは2組、ホシハジロのオスは1羽、ハシビロガモが合計11羽。他は、キンクロハジロ。

Img_1479c_20201209151901  管理事務所近くで、ジョウビタキのオスに、ヤマガラ。シジュウカラもたくさんいましImg_1489c_20201209151901 た。時間がずれましたので、鳥は少なかったのですが、いつもとは違う散歩友達に出逢えました。そうそう、カワセミが2度ほど登場しましたので、しばし待ったものの、3度目はなし(苦笑)。

Img_1567c_20201209151901  桑名七里の渡し公園では、あの休憩所を見てきました。建物は、すでに完成しています。現在は、周辺の植栽を整える作業がImg_1582c_20201209151901 行われています。建物の南に、湧水のところにあるのと同じ、旧諸戸水道の共用栓らしきものがありました。いつもは、開園時間よりかなり前に通過するだけですので、公園内には入れないのです。

Img_1605c_20201209151901 Img_0926c_20201209170001  そして、住吉入江には、住吉キンクロウズ(キンクロハジロが2羽)。往きには、オオバン2羽も見ています。

Img_1284c_20201209151801  という次第で、大イチョウあり、寺回りあり、歴史散歩あり、バードウォッチングありという散歩でした。今週は、遠隔授業は、つかの間の休講で、気分が楽ですねぇ(苦笑)。年内は、来週もう1回です。

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コメント

ミリオンさん、こんにちは。

いもや本店さんのご主人、亡くなられたんですか。
一度、前を通りかかったら、「ぜひ、中を見ていけ」と勧められたことがありました。
お店も、閉めてしまわれたんでしょうか、だとしたら、残念。

円通寺の大イチョウ、黄葉はきれいでした。
大きいだけでなく、形もきれいですよね。

江場城跡は、鎌倉~室町時代に城館があったところです。
天守閣や櫓はありませんでした。
城館があったのは、石碑の向かいの東側の住宅地で、城山とありますように、丘の上にあったそうですが、区画整理で平地になったようです。

江場城は佐藤秀勝の居城で信長に従っていたのですが、嫌疑をかけられ追放され、城も焼かれています(1570年)。

投稿: mamekichi | 2020年12月10日 (木) 16時46分

いもや本店さんはいつだったか、店主のおじいさんが亡くなったと聞きましたがお店は閉められたのかどうあんでしょう。
円通寺の大イチョウの木まだ黄葉が綺麗ですね。
江場城跡の城山跡と石碑が住宅地の一角にたってるのを見かけました。
高台でもない所にお城があったとは驚きでした。

投稿: ミリオン | 2020年12月10日 (木) 14時26分

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