20201031「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(いなべ市藤原町山口~阿下喜)」(その2)……浄円寺、御厨神明社、徳円寺、川合神社、春日神社、大西神社を経て阿下喜駅にゴール(完)
10月31日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(いなべ市藤原町山口~阿下喜)」のその2です。その1では、いなべ市藤原町長尾にある猪名部神社までやって来ました。猪名部神社を出てそのまま南東へ向かうべきところを、地図をよく確認しなかったために大回りする羽目に。3人旅もよいのですが、しゃべっているとこういう確認ミスや、見逃しが生じがち。北に向かって、本来のコースから離れたところで県道107号線に出てしまいました。3㎞を過ぎて、員弁街道に戻れ、いなべ市藤原町日内に入っています。
猪名部神社の近くで、忠魂碑。「陸軍歩兵宮木半十郎之碑」とあります。多少草が生えてはいますが、今でも手入れがされてい
る印象でした。さらにその近くで、変わった実をつけている草を発見(右の写真)。妙に目立っていますが、ちょっと毒々しい気もします。
県道107号線を進みます。3㎞半くらいのところで、北にお寺が見えます。浄円寺。真宗本願寺派のお寺。その隣に御厨神明社。大回りしてしまったあとで、何となくどちらにも立ち寄らず。浄円寺について、ネット検索ではこれという情報はありません。御厨神明社は、勧請年月は不詳。主祭神は、天照大御神。相殿神は、火産霊神、底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命、大山祇神。「御厨」とありますから、もともと伊勢神宮に関係がある土地なのでしょう。それにしても、底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命はいわゆる住吉三神で、海や航海の神様。どうしてここに祀られているのでしょう。
御厨神明社を過ぎ、しばらく行くと、員弁街道は県道107号線から東に逸れて行きます。道が分かれるあたりに鳥居が建って
います。「みえの歴史街道」のマップには、川合と日内の境の鳥居とありましたが、鳥居の傍らには、「式内猪名部神社 従是九」と刻まれた石柱が建っていますというか、「九」以下は埋もれています。猪名部神社までの距離を示しているはずですが、全部見えるようにしておいてもらいたいところ。このあたりからも、藤原岳はよく見えています。
いなべ市藤原町川合に入ってきました。民家のところに「彰忠碑」。「彰忠碑」という文字は読めますが、
それ以外はかなり読みにくくなっています。日清・日露戦争の頃のものかという気がします。その先で、右の写真のようなお宅。これは、そのつくり方からみて、たぶん以前は茅葺き屋根の建物だったのでしょう。その上に覆いを掛けてあります。
歩き始めて4.4㎞ほどで和田山徳円寺。真宗大谷派。ここも案内板はなく、ネットで調べてもとくに情報は出
て来ません。しかし、境内はなかなかよい雰囲気で、よく手入れされていました。
徳円寺の先に小学校の跡地らしきところ。昔風の石柱の校門らしきものと、二宮金次郎像が
見えていました。この先で、川合橋で員弁川を渡ります。
川合橋を渡ったところに川合神社があります。勧請年月は不詳。神社にあった由緒書きによれば、、この地の住民は、古来尚武の気性に富んでいたこともあって、いつとなく諏訪明神を鎮祀して産土神としていたといいます。応神天皇(誉田別命)は、杉山龍之助という人物が元亀年代(1570年)頃祀ったものの、八幡社は荒廃したため、諏訪明神に合祀したそうです。さらに、伊邪那美尊については、永禄年代(1558年)頃、小寺太郎兵衛という武人が養老郡の和田川原でご神体を拾得し、川合字向沢に一族の氏神として和田明神を鎮祀したとあります。
上述の経緯があり、主祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと:大国主命の子。武神。諏訪大社の御祭神)。相殿神は、
誉田別命、火産霊神、土御祖神(つちのみおやのかみ:伊勢神宮では、外宮所在地・山田の原の地主の神とされるので、川合の土地の神か?)、御饌都神(みけつがみ:天照大御神にお供えする食事を司る神。天照大御神が伊勢に鎮座して約500年後に「御饌都神」として呼ばれたのは、穀物の神である豊受大御神)、大山祇神、伊邪那美尊、天照大御神。
川合神社には、おもしろい形の燈籠がありました。よくある春日燈籠よりも、「笠」の部分がかなり長いのです。左の写真で手前に写っているタイプは、金山型燈籠というようです。
拝殿の前にも金山型燈籠はありました。もう一つは、右のタイプ。濡鷺型灯籠。火袋に鷺を刻っていることと全体の形から、霧雨の中に立つ鷺のイメージを現しているようです。ただし、サギが彫られているかまでは確認していません。いや、知らないこと、気づいていないことはたくさんあります。
川合神社のところからは、実測ルートマップはその3になっています。県道107号線からはいったん離れていましたが、川合神社の南、スタートから5㎞の手前で再び県道107号線を歩きます。「志礼石新田」の交差点で行動306号線に入り、下野尻交差点で右折すると春日神社。員弁川が、川合神社の東で大きく曲がって下野尻交差点のすぐ東に流れてきています。
下野尻交差点を曲がってすぐに春日神社。下野尻の氏神様。勧請年月は不詳。『員弁雑誌』には、「春日大明神 字飯原野に在り、社頭南向、拝殿在り、両野尻の産土神なり、例祭八月一四日、神前の高麗狗古物なり、住古は壮大なる社なりしと云ふ」とあるそうです。桑名の春日神社の分霊を祀っているという話もありますが、神社検索のサイトなどではそういう記述はありません。
御祭神は、少名毘古那命(すくなびこなのみこと:農業、酒造、医薬、温泉の神)。相殿神は、大山祇神、火産霊神、八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ:集落や道の要所にすわり、八衢比古神とともに邪神・悪霊の侵入をふせぐ)、久那斗神(くなどのかみ:道の分岐点で、旅人の道中の安全をはかる神)、磐長姫命(いわながひめ:長寿を司る神)、武甕槌神(タケミカヅチノカミ:鹿島神宮の祭神。経津主神とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功。また、神武東征においても、天皇の危難を救った)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、経津主命(フツヌシノカミ:香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、出雲に行き、大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた)、罔象女神(みつはのめのかみ:水の神)。春日神社には、獅子舞があり、例祭に奉納されます。「狂乱牡丹の舞」といわれ、今から300年余り前に江州から伝えられたもの。素朴で幻想的な舞といいます。
春日神社を過ぎると、実測ルートマップはその4。員弁川を野尻橋で渡ります。野尻橋の手前で歩き始めから6㎞。この辺ま
で来ると、藤原岳の見え方も変わってきます。時刻はすでに13時半。鎌田大橋を渡る手前で、猪毛利谷(いもりだに)神社があり、立ち寄ろうと思っていたのですが、M氏が「向こうにうどん屋があるから、あそこで昼飯にしよう、2時を過ぎると昼休憩になって食べるところがなくなる」というので、「うどん釜田」へ。猪毛利谷神社は断念。
うどん釜田。昼時は過ぎており、空いていました。広いのですが、落ち着いた印象の店。土曜限定ランチが、¥980とお得で したから、私は天ぷらランチをチョイス。14時20分、店を出て、釜田川を越え、阿下喜の町へ向かいます。
ルートマップはその5。大西神社の他、桐林館に立ち寄ることも考えていたのですが、結局、大西神社にお参りしてからは、阿下喜駅にまっしぐら。スタートのタクシーでつまずいたがために、時間が押してしまい、急ぐことになったというワケ。
大西神社。員弁街道に面しています。勧請年月は不詳。私は、ここには、近鉄ハイキングで一度訪ねています(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。 と、神社検索(三重)によれば、御祭神は、次のリストの通り。創建年は不明ですが、織田信長の時代に阿下喜城主・片山大和守が、諏訪大明神を祀ったのが始まりで、建御名方神及び下照姫命、また、境内社として山神を祀っていたと由緒書きにあります。天保7(1836)年に大西神社となり、明治40(1907)年に諸社を合祀しています。
御祭神は、建御名方神 (タケミナカタノカミ:大国主命の子。武神。諏訪大社の祭神)、相殿神は、下照姫命(シタテルヒメノミコト:大国主命の娘)、誉田別命(ホンダワケノミコト:応神天皇)、火産霊神(ホムスビノカミ:火の神)、須佐之男命(スサノオノミコト)、大山祇神(オオヤマツミノカミ:山をつかさどる神)、石神(イシガミ:「しゃくじん」ともいう。奇石、霊石を神体とする神)。
拝殿前の狛犬。「子取り」「玉取り」になっています。時節柄、どちらもマスク着用。ソー
シャルディスタンスを十分にとっています。前足で子供をあやしている「子取り」の子の方もマスクをつけています。大西神社の詳細は、「近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その4)……メイン会場のウッドヘッドで大ひな壇を見て、12㎞以上、4時間半を歩いた」(2018年3月5日)にありますので、ここでは割愛。
員弁街道は、大西神社のところで左折し、阿下喜の昔の商店街を東南に直進します。途中、稲垣眼科の近くで忠魂碑。在郷軍人阿下喜分会が、北勢町旧阿下喜地区全戦没者を祀る慰霊碑として建てたもの。「元帥 陸軍大将 子爵 川村景明書」と読めます。川村景明(かわむらかげあき)は、薩摩の出身で、日清、日露の両戦争に従事しています。
斎藤医院のところで右折し、阿下喜駅に向かいます。途中、街道の西側に、旧・稲垣屋。こ
こは、明治31(1898)年、員弁銀行(のちに四日市銀行を経て、三重銀行)を開業し、頭取を務めた阿下喜村の稲垣專八氏の旧宅と思います。続いて、石井書店のところで、員弁街道と巡見道の合流点。前回も見た道標を確認。
阿下喜駅前の信号のところで、前回十分確認しなかった「牛馬坂」をチェック。この写真に見える道が、おそらく牛馬坂。阿下喜湊・阿下喜駅から北の阿下喜集落の台地に上がる坂を牛馬坂と呼んだそうです。
15時少し前、ようやく三岐鉄道北勢線・阿下喜駅に到着。朝9時22分にここに着いたわけですから、6時間
近くかかりました(もっとも、朝、スタートしたのが10時15分頃でした)。コースミスを2回ほどしましたが、歩いたのは8.9㎞でした。15時1分発の西桑名行きがありましたので、ジャストタイミング。¥510。
この日のALKOOのデータ。22,940歩でした。いなべ市で8.9㎞を歩きましたが、自宅から西桑名駅往復は、2.2㎞。合計11.1㎞。
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