20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(その2)……寝覚めの橋、大聖不動、文治の墓、久保院、麻績塚古墳、戦没者紀念碑を経て、阿下喜の町に近づく
10月3日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」、その2です。その1では、楚原駅、楚原神社、天白神社、真養寺から瑞龍院観音堂までやって来ました。寄り道が多く、スタートからは、まだ2㎞ほどです。詳細なコースマップもまだその1の範囲。瑞龍院観音堂は、国道421号線の笠田新田のすぐ北にあります。
観音堂を過ぎたあたり。昔ながらの街道という雰囲気がたっぷりのところを下っていきます。同行のK氏、M
氏とも、「これで間違いないのか」と不安そう。確かに(微笑)。左の写真の先は、右のような写真のところを下っていくのです。
この先で、寝覚めの橋。スタートから2.2㎞ほど。明智川にかかっていますが、かつては目も覚めるほ
ど立派な朱塗りの橋だったそうです。左の写真の中央に写っているのですが、明らかに失敗写真。確かに歩いたという証拠としてご覧ください(苦笑)。その手前右に、石碑。何となくではありますが、「寝覚めの橋」と彫られているような気がします。「祢?免乃橋」とあると思うのですが、くずし字は読みたいと思えど、読めず。陰には「二井文?左衛門」とあるような感じ。これまたアヤシい。
寝覚めの橋を過ぎると、詳細なルートマップもやっとその2になります。「いなべ警察東」の交差点の北側を通って行きますが、ここで旧・員弁街道は大きく湾曲しています。この理由は定かではありません。文治の墓をみて、大聖不動を経て、いったん県道5号線にでます。上笠田の信号から、左に、細い道で逸れていきます。民家に入って行くような道でちょっと心配になります。3㎞を過ぎて、ちょっとだけコースミス。南(左)に逸れてしまいましたが、すぐに気づいて戻り、事なきを得ます。山田川にかかる山田橋を渡り、昭和電線ケーブルシステムの方へ坂道を上り、久保院、麻績塚古墳、戦没者紀念碑に立ち寄ります。
寝覚めの橋を渡った先、街道がカーブしているところに「文治の墓」。寛政11(1799)年のもの。宇野村と笠田新田の水路
の争いで亡くなった農民・文治の墓。鍬・鎌・竹槍等を手にした百姓の喧嘩で、宇野村の文治(35 歳)が重傷を負い、戸板に乗せられて村へ引き揚げる途中、明智川を渡った西側まで来てとうとう絶命するという悲惨な事件が起きた、その文治が絶命したといわれる地に、ため池を望むように墓が建てられたといいます(こちら)。上掲のルートマップ2の右上にわずかに見えているのが、笠田大溜。その手前にも、荒田溜、宇野溜があります。神明神社とあるのは、笠田新田の神明神社。文治の墓、古いものの向かって左には、新しい墓。この先も、本当に街道か?」と思うようなところを通って、大聖不動に出ます。
大聖不動。かつては、藤の花が美しく、「藤の棚不動」と呼ばれたそうです。しかし、周りをざっと見たと
ころでは、藤らしきものは見当たりませんでした。ちなみに、不動明王は、大日如来の命を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させます。右手に利剣、左手に縄を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿で、怒りの形相に表すといいます。この「大聖不動の前に石灯籠がある」とみえの歴史街道「濃州道(員弁街道)」のコースマップにあったのですが、左の写真にチラッと写っているだけで、きちんとは見てきませんでした。大聖不動で、2.7㎞。
大聖不動の手前で県道5号線に出て、県道を300mほど歩きます。上笠田の信号交差点を過ぎて、左手に逸れ
て行きます。
民家の庭先に入っていきそうな道を恐る恐る進んだ先には、写真のように、木々が生い茂った中を通る道が見えてきます。またもや、「こんなところが街道か?」「間違いないのか?」と同行の二人に聞かれます。何度地図を見ても、間違いはありません。その先に「上笠田 北稲荷」。地図にもなく、ネット情報もありませんが、お参り。
さらに行くと、自動車屋さん(笠田自動車)の工場。街道沿いの敷地には、古いFordのクルマが置いてありました。古き良き
時代のアメ車という感じ。ナンバーもついていて、走れるようでした。オーディオというか、ラジオも、何とも懐かしいスタイル。3人とも、あれこれ眺めてきました。
このあと、いったんコースミス。行った先がグルッと左に回って、東を向いた道になりまし
たので、ミスに気づき、すぐに戻って、結果オーライ。その後も木々の間を下っていきます。下った先で山田川に行き当たります。山田橋を渡っていなべ市北勢町麻生田に入っていきます。ここからは、一昨年、あげきのお雛さんを見るのに歩いたところ(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。
その先、4㎞を過ぎたところで、久保院・麻績塚古墳、戦没者紀念碑に立ち寄ります。10時50分頃。ここも、上記のリンクにある近鉄ハイキングで訪ねています。久保(くぼ)院は、笠田村和波九十郎氏の二男、久保(ひさやす)氏(明治12(1879)年~明治29(1896)年9月没・当時18歳)の追善供養のため、私有地に寺院建立と霊場を作る事を発願し、近隣、同志に呼びかけ篤志浄財(郡内14大字区、個人133名)により明治31(1898)年9月に完成しました。「麻績塚(おみづか)古墳」は、4世紀ごろつくられたと伝わる、大小2つの古墳からなっています。埋葬された人物の名をとって、一般に「麻績塚」と呼ばれます。墓の主の名は、伝承によれば「神麻績連」。天物知命(あめのものしりのみこと)の后、また、桑田玖賀(クワタノクガ)の姫ともいわれていますが、その名の通り、麻の栽培・紡織といった生産に深い関係を持っていたと思われます。久保院には、四国八十八ヶ所の土をもらい受けて、新四国八十八ヶ所霊場も設けられています。詳細は、2018年3月3日の記事(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その3)……鈴鹿山脈を眺めながら、久保院、麻績塚古墳・久保院八十八ヶ所道など)をご覧ください。
戦没者祈念碑は、「陸軍大将桂太郎謹書」と刻まれています。桂太郎は、明治時代の軍人、政治家(弘化4(1848)~大正2(1913)年)。明治34(1901)年には、総理大臣も務めた人物です。この紀念碑のところで休憩。休んでいたら、地域の方がいらっしゃいました。交代で掃除をしておられるそうで、冗談半分で「掃除に来てもらったのかと思った」といわれ、苦笑。
さて、久保院・麻績塚古墳、戦没者紀念碑を出ると、しばらく立ち寄るところはありません。ひたすら歩き
ます。しばらくは上り坂が続くのですが、遠くに阿下喜の町や、藤原岳、太平洋セメントの工場が見えてきます。スタートから6.3㎞あたりで、再び、旧・員弁街道に入ります。6.7㎞付近から、街道は、三岐鉄道北勢線の線路と並行します。
詳細なルートマップは、その3へ。赤い星印をつけたところから、旧・員弁街道です。実は、その前に、神護山萬笑院(しんごさんばんしょういん)に立ち寄ろうと思ったのですが、昭和電線ケーブルシステムの工場を過ぎたところで左折しなければならなかったのを通り過ぎ、途中で尋ねたら要領を得ない答え。やむなく県道5号線の麻生田交差点南で左折して行こうと思ったものの、遠回りになることに気づき、断念。ちなみに、萬笑院は、臨済宗妙心寺派。御本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作と伝わっています。は14世紀に龍象山萬松院と称え、天台宗の道場であつたと伝わっています。
スタートから7㎞あたりで、「北勢町阿下喜」という表示板があります。天気がよければ、藤原岳もよく見えて、気持ちの良い景色が広がっていたはず。その2は、ここまで。その3では、阿下喜の町について。
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