20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(予告編)
雨で予定が狂ったり、猛暑を避け涼しくなるのを待っていたりしていて、前回からずいぶん日にちが経ってしまいましたが(2020年4月11日:20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(予告編)【参考資料を追加しました(4/12)】)、「勝手にハイキング」シリーズの「員弁街道ハイキング」に行ってきました。ほぼ半年ぶりです(笑)。今回は、楚原駅から阿下喜駅までを歩きました。今日のところは、予告編。例の3人組で行っております(同級生K氏、畏友M氏と私)。
楚原駅に集合。私は、三岐鉄道北勢線西桑名駅を8時23分に出る阿下喜行きに乗車。途中からK氏も乗り込み、楚原には9時8分着。西桑名からは、¥430。M氏は楚原駅へクルマで直行。
こちらが本日歩いたルート。楚原駅あたりで、いきなり寄り道(楚原神社、天白神社、真養寺)をし、1㎞あまり歩いて、員弁街道(濃州道)に出て、左折し(ここまでが前回歩いたルート)、北上。瑞龍院観音堂、寝覚めの橋、文治の墓から大聖不動へ。山田橋あたりまでは員弁街道を辿っていきます。旧・員弁街道はここから現在の員弁街道(県道5号線)の方へ回りますので、その1本西の道を行きます。久保院・麻績塚古墳・戦没者紀念碑に立ち寄り、さらに萬笑院にも立ち寄ろうと思ったものの、ちょっと行き過ぎてしまい、断念。麻生田から再び、旧・員弁街道に入り、いなべ市北勢町阿下喜へ。阿下喜では、西六石橋を渡って、大西神社の御旅所、献燈籠を見て、巡見道(枝道)との分岐点まで。ここには道標があります。昼食を摂るのに、ちょっと歩いて「カドヤ食堂」にて。阿下喜駅まで下って、合計約9㎞。
楚原神社。楚原駅の目の前にあります。主祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)。天文7(1538)年、八幡社を勧請し氏
神として尊崇していたのが、始まりと伝わっています。境内には昭和32年に建立された忠魂碑があります。昭和12(1937)年の日中戦争から、第二次大戦までの戦没者の方が祀られています。
M氏が、線路のすぐ向こうに天白神社があるというので、そちらにも立ち寄ることにしました。M氏の父上
の故郷だそうで、よくご存じ。楚原御厨天白神社が正式な名前のようです。鎮守の森がなかなかよい感じの神社。主祭神は、天照大神。
その近くに真宗大谷派の八英山真養寺。楼門は平成15
(2003)年に再建されたといいます。ここに立派な虎の彫刻がありました。気になって調べたら、左甚五郎の一番弟子の手によるものだそうです(ただし、ここに飾られているのはレプリカ)(こちらを参照)。
天正2(1574)年に近江・番場(現滋賀県米原市)の時宗の蓮華寺の僧・麟龍がこの地に隠居して建立したのが始まり。元和7(1621)年、3代・蟠龍の時に真宗に改宗。寛永13~16(1636~39)年、大泉新田開発に伴う笠田溜池築造工事の頃、桑名藩主・松平定綱が溜池で舟遊びをした時に当寺を定宿にし、門信徒の工事の功績を称え星梅鉢の紋を賜ったといいます。天和2(1682)年、東本願寺常如上人から真養寺の寺号を賜っています。
楚原駅方面に戻り、員弁街道に向かいますが、その手前で、まず里程標。4月11日にも見ています(2020年4月19日:
20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(その3)……石仏墓地、ヨシヅヤのスガキヤで昼食、ねじり橋・めがね橋を見て、員弁西小学校で句碑を確認して楚原駅にゴール(完))。碑表には「桑名郡桑名町字京町エ四里壱町十六間/津市元標エ十四里貳拾五町拾九間/大泉原村大字楚原」とあります。さらにその先、市営住宅のところには、石碑が2基。向かって右の大きい石碑には「如禾必(以か?)稲/直胤筆」と刻まれています。「禾」は、「のぎ」。イネ科植物の先端にある毛、穀物、いねなどの意味があります。その傍らにある、小さい石碑には「死亡會員霊位」とあり、碑陰には「昭和十一年……」とありました。
1㎞を過ぎて、員弁街道に入ります。かなり細い道が続きます。国道421号線をいなべ警察署東交差点の手前
(東)で渡り、さらに細い道を進んでいきます。
2㎞を過ぎたところに瑞龍院観音堂。この観音堂には、真中に聖観音菩
薩像が、また、左側に安置されているのは抜雲(ばつうん)和尚が自分の像を彫ったもの(木像)が安置されているといいます。抜雲和尚の像は、旱魃のときこの像を背負って雨乞いをし、ご利益を得たそうです。観音堂の前には笠田新田延命地蔵。ちなみに、抜雲和尚は、永明山長楽寺(いなべ市藤原町篠立)の第7代。その昔、三谷川の最源流、拘留孫岳中腹に大蛇が住んでいたそうです。抜雲和尚がここにある大杉の根元に石の唐戸を造り、念力をもってこの大蛇を小さなトカゲに変えて閉じ込めたのですが、篠立が大日照りで困った時はこの唐戸に祈願すると雨を降らしてくれるようになったといい(「龍王さん」と呼ばれています)、抜雲和尚には、雨乞いに御利益があるとされたと思われます。
観音堂を過ぎたあたり。昔ながらの街道という雰囲気がたっぷりのところを下っていきます。同行のK氏、M氏とも、これで間違いないのかと不安そう。
この先で、寝覚めの橋。明智川にかかっていますが、かつては目も覚めるほど立派な朱塗りの橋だったそうです。その手前に、石碑。何となくではありますが、「寝覚めの橋」と彫られているような気がします。「祢?免乃橋」かと思うのですが、くずし字は読みたいと思えど、読めず。陰には「二井文?左衛門」とあるような感じ。これまたアヤシい。
寝覚めの橋を渡った先、街道がカーブしているところに「文治の墓」。寛政11(1799)年のもの。宇野村と
笠田新田の水路の争いで亡くなった農民・文治の墓。鍬・鎌・竹槍等を手にした百姓の喧嘩で、宇野村の文治(35 歳)が重傷を負い、戸板に乗せられて村へ引き揚げる途中、明智川を渡った西側まで来てとうとう絶命するという悲惨な事件が起きた、その文治が絶命したといわれる地に、ため池を望むように墓が建てられたといいます(こちら)。向かって左には、新しい墓。ちなみに、ここでなぜカーブしているのか、不明。ルートマップでは、「員弁町上笠田」とあるところ。
県道5号線に出たところに大聖不動明王堂。いなべ警察署前になります。昔は藤の花が咲き乱れ「藤の棚不動」と呼ばれたといいます。
このまま少し、県道5号線を進み、旧・員弁街道は、上笠田の交差点から左
に逸れていきます。またもや、こんなところを進むのかという道へ。このすぐ先の北側(右手)に、上笠田北稲荷。Googleで検索しても出て来ません。
途中、少しばかりコースミス。すぐに気づいて、旧・員弁街道に戻りました。この先で、山田川にかかる山
田橋を渡りますが、このあたりから本来の旧・員弁街道は、右手(北東)に行きます。山田橋は、昭和25(1950)年に竣工した橋。ここから、麻生田。昭和電線ホールディングス方面へ直進。登り坂。2年前の2月に近鉄ハイキングで歩いたところ(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。
この先、4㎞を過ぎたところで、久保院・麻績塚古墳、戦没者紀念碑に立ち寄り、しばし休憩。ここも、上記のリンクにある近鉄ハイキングで訪ねています。久保(くぼ)院は、笠田村和波九十郎氏の二男、久保(ひさやす)氏(明治12(1879)年~明治29(1896)年9月没・当時18歳)の追善供養のため、私有地に寺院建立と霊場を作る事を発願し、近隣、同志に呼びかけ篤志浄財(郡内14大字区、個人133名)により明治31(1898)年9月に完成しました。「麻績塚(おみづか)古墳」は、4世紀ごろつくられたと伝わる、大小2つの古墳からなっています。埋葬された人物の名をとって、一般に「麻績塚」と呼ばれます。墓の主の名は、伝承によれば「神麻績連」。天物知命(あめのものしりのみこと)の后、また、桑田玖賀(クワタノクガ)の姫ともいわれていますが、その名の通り、麻の栽培・紡織といった生産に深い関係を持っていたと思われます。祈念碑は、「陸軍大将桂太郎謹書」と刻まれています。桂太郎は、明治時代の軍人、政治家(弘化4(1848)~大正2(1913)年)。明治34(1901)年には、総理大臣も務めた人物です。
この先は、阿下喜までとくに見るところはなく、ひたすら歩きます。ただ、久保院あたりが坂のピークで、あとはほとんど下
り。このあたりからは、藤原岳や、太平洋セメントの工場が見えてきます。麻生田の町を過ぎる頃には、道は、北勢線と並行しています。
スタートから6㎞半くらい歩いてきました。阿下喜という看板も出て来ます。向こうに阿下
喜の町や、日下病院、いなべ総合病院などが見えています。西六石橋を渡り、六石変電所の先、スタートから7㎞を歩いてきたあたりで旧・員弁街道は右に逸れていきます。
阿下喜の町の手前に大西神社の御旅所と献燈籠。御旅所は、大西神社の八幡祭のとき、神輿
がここで小休止するところ。献燈籠は、高さ2.7m。元は常夜燈で、員弁川の高瀬舟の船着場の目印でした。文久元(1861)年のもの。正面には、「内外両宮/多度両社 献灯燈」とあります。ちなみに、高瀬舟とは、川船の一種。古くは小型で底が深かった(高背)のですが、のちには大型で舳が高く底の浅いものになりました。近世では多くの川筋で貨物輸送に用いられています。
いよいよ今日のゴールも間近。8㎞の手前で、巡見道との分岐・道標となります。石井書店のすぐ北の三叉路に、道標があります。ここが、巡見道(いなべ市北勢町治田からの枝道)との分岐。道標には、「右 こもの 四日市」「左 くわな」とあります。コンクリートに囲まれ、ちょっとかわいそう。ここで時刻は、12時20分。阿下喜から西桑名に行く電車は、12時39分か13時39分。ちょっと迷ったものの、食事を選択。
上木(あげき)食堂を覗いたものの、待っている人多数で断念。北勢郵便局の近くまで行って大衆食堂「カドヤ食堂」へ。カツ丼(¥700)をチョイス。地元の方などでけっこう繁盛していました。カツ丼も美味しくいただけました(微笑)。
桐林館なども見ようかと思ったものの、食事をしてからしゃべっていて、電車の時刻も近づいたので、阿下喜駅へ。13時28
分に到着。ここまで楚原駅から9㎞歩きました。13時39分の西桑名行きに乗車。西桑名駅には、14時26分に到着。¥510。
今日の歩数。スマホのアプリ・ALKOOのデータ。20,000歩を越えました。自宅から西桑名駅往復が、2.2㎞。今日、ハイキングで歩いたのが、9.0㎞で、合計11.2㎞。久しぶりによく歩きました。詳細は、また、明日以降、ボチボチと書きますが、今日のところは、予告編。
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コメント
ひらいさん、こんにちは。
ほぼ半年ぶりにハイキングでした。
近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも中止のままで、「勝手にハイキング」シリーズの続き。
曇り気味でしたが、やや湿度が高く、汗は書いたものの、猛暑の頃のようなこともなく、歩けました。
昨日は、あちこちで、モズを見ました。
木立の中では、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラなどの鳴き声も聞こえていました。
帰りの電車から外を見ていたら、めがね橋のところで数人の方が電車&めがね橋の撮影をしておられました。
ヒガンバナとコラボできたようです。
ところで、北勢線西桑名駅も、新しい桑名駅に乗り入れれば良かったのにと思いますね。
西桑名という駅名は、昔の名残だそうですね。
しかし、今は、ちょっと理解しがたいものになっています。
投稿: mamekichi | 2020年10月 4日 (日) 16時39分
mamekichiさん、こんにちは!
久しぶりにハイキングでしたね、晴天では無かったものの程良い気候で散歩日和だったかと思います。楚原~阿下喜間約9kmを徒歩で約3時間と、ペースも程良い感じです。撮影スポット巡りの為、野鳥は余り居なかったようですが、員弁川沿いだと野鳥も多いのかなと思ったりです。
そして軽便鉄道は、やはり小さいですね、こも辺りでは見慣れた車両ですが、全国的に見るとかなりレア、多くの鉄道ファンが訪れているのではないかと思っています。
北勢線西桑名駅は、桑名駅リニューアルで、多少桑名駅に近くなりましたが、もう少し駅を北側に移動出来れば、乗り継ぎも良くなったのではと思います、それ以前に、桑名駅の南側なのに西桑名と言うのがツッコミどころ満載ですが。(笑)
投稿: ひらい | 2020年10月 4日 (日) 13時13分