お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年11月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年11月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2020年10月

2020年10月31日 (土)

20201031「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(山口~阿下喜)」(超予告編)

Img_7235c_20201031192801  10月も末日になりました。今月3日に続き(2020年10月 3日:20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(予告編))、「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(山口~阿下喜)」に行ってきました。これで、員弁街道はほぼコンプリート。「ほぼ」というのは、微妙なところですが、これまでところどころで員弁街道を外れましたし、今日はコースミスもしでかしましたので、正確には「ほぼ」コンプリートということです。遠隔授業第4回の課題チェック、コメント書きや、明日はオンライン研修会もありますので、取り敢えず「超予告編」。実際に歩いたルートマップをまだつくっていません。当初調べたコースマップでは、8.5㎞となっていました。

Img_7248c_20201031192801  今までの続きからとなりますと、三岐鉄道北勢線阿下喜駅から、員弁街道(濃州道)の終点にして、巡見道との合流点であるいなべ市藤原町山口まで歩くのですが、藤原町山口から阿下喜駅に戻ると、倍の距離を歩かねばなりません。三岐鉄道三岐線の西藤原駅まで行くと、さらに3.2㎞を歩かねばなりません。それ故、阿下喜駅からタクシーで終点まで行き、そこから戻るというコース設定。しかし、阿下喜駅で近鉄配車センターに電話すると、「いつ戻ってくるか分かりません。かなりかかります」と。いなべ市の福祉バスがあるのですが、土日祝日は運休でした。結局、50分ほど待ってやって来たタクシーに乗車する羽目に。西桑名を8時23分に乗車し、阿下喜には9時22分着。¥510。タクシーに乗れたのは10時15分過ぎ。いなべ市藤原町山口まで約15分、¥2,990。

201031inabec  こちらが用意していったコースマップ。実際は、もっと拡大して5枚に分割しています。藤原町山口にある常夜燈のところを10時35分にスタート、途中、昼食休憩を取りましたが、阿下喜駅にゴールしたのは、15時少し前。4時間半ほどかかりました。東海道や、参宮街道など、メインの街道では道標や道案内がありますが、田舎の街道ではそういうものはほとんどありません。あちこちでルートを確かめたのですが(Googleマップには「濃州道」という表示が出て来て、ずいぶん助けられました)、何度かコースミスをしました。

Img_7281c  巡見道との合流点から歩くつもりでしたが、タクシーの運転手さんに分かりやすい目標ということで,こちらの常夜燈のところでクルマを降りました。集落の入り口に当たるところにあり、「内宮外宮/村内安全」と刻まれています。背後にあるのは,個人の忠魂碑。この常夜燈の東にも、忠魂碑が3基ありました。ここから東に向かって歩き始めたのが、10時35分頃。

Img_7331c_20201031192801  藤原町本郷にある本郷社。キョリ測のマップには載っておらず、リサーチしていませんでした。主祭神は、火産霊命。相殿神は、品田別命ほか7柱。勧請年月は不詳。なかなかよい雰囲気の神社でした。

Img_7356c  歩いたルート沿いのあちこちには、蕎麦畑。花はほとんど終わり、実が生長している途中です。ごく一部には、赤蕎麦が栽培されているところもありました。

Img_7358c  円琳寺の手前に地蔵堂。その奥に青龍山円琳寺(せいりゅうざんえんりんImg_7365c_20201031192801 じ)。今は、真宗大谷派ですが、もとは天台宗でした。天和2(1682)年、本山4世常如上人の頃に、真宗大谷派に改宗、桑名の本統寺与力の寺となっています。桑名藩主・久松松平家の知遇を得て、松平候の家紋「梅鉢」を賜り、その使用を許されました。

Img_7411c_20201031192801 Img_7417c_20201031192801  続いて、猪名部神社。「猪名部神社」というと、上げ馬の神事も行われる東員町の猪名部神社を思い浮かべる方もいらっしゃるとは思いますが、こちらも同名の神社。猪名部氏の祖神伊香我色男命を主神として祀り、古くから長尾、日内、川合の三村の氏神と尊崇してきた神社。猪名部氏の祖神伊香我色男命を主神として祀り、古くから長尾、日内、川合の三村の氏神と尊崇してきた古社です。延喜式内社。

Img_7440c_20201031192801  猪名部神社からしばらく行くと、村境に鳥居が立っています。鳥居の傍らにある道標によれば、これは猪名部神社の一の鳥居のようでした。

Img_7462c_20201031192801  さらに進みますと、徳円寺。真宗大谷派。

Img_7486c_20201031192801  その先、員弁川を渡ったところに川合神社。主祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと:大国主命の子、諏訪神社の祭神)。御鎮座年月は不詳。

Img_7533c_20201031192801  野尻橋の手前で春日神社。主祭神は、少名毘古那命(すくなびこなのみこと:農業・酒造・医薬・温泉の神)。勧請年月は不詳。獅子舞があります。桑名の春日神社の分霊を奉祀したという伝承もあるといいます。このあと、鎌田川を渡ります。

Img_7577c  阿下喜の町に戻ってきて、大西神社。主祭神は、建御名方神(たけみながたのかみ)。境内は広く、拝殿のほかに神輿殿があImg_7561c_20201031200401 り、神輿が保管されています。

Img_7568c_20201031200401  大西神社の拝殿前の狛犬。時節柄、マスク着用。前足で子供をあやしている「子取り」になっています。これには、子孫繁栄の意味があるのですが、その子の方もマスクをつけています。狛犬ですから、もう一方の方とは当然、ソーシャルディスタンスを十分にとっています。

Img_7597c_20201031200401  阿下喜駅には、初めに書きましたように、15時少し前に到着。15時1分に西桑名行きの電車があり、ジャストタイム。桑名には15時56分着。¥510。

Img_7613c_20201031200401  今日の歩数。ALKOOでは、22,940歩。17.5㎞となっていますが、これほどは歩いていないと思います。冒頭に書きましたように、やるべき仕事が滞っていますので、たぶん来週になってから本編を書く時間がとれると思います。ということで、超予告編でした。

2020年10月30日 (金)

カワセミ、ヒドリガモ、キセキレイにジョウビタキ……諸戸氏庭園秋の特別公開はあるのか?【付記あります(10/30)】

Img_6956c_20201030163201  今日もよく晴れました。気温は、20℃ちょうど。相変わらずの散歩日和(微笑)。猛暑の頃からの習慣が続いており、、7時半過ぎから歩き始めました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町商店街と、昨日と同じコース。ただし、公園でウロウロしたため、歩いたのは、6.2㎞。冒頭の写真は、藤原岳。秋が深まると、よく見えるようになります。

Img_6971c_20201030163201  桑名七里の渡し公園でジョウビタキの鳴き声。そっと探したら出て来たのですが、住吉ポンプ場の屋上の避雷針へ。ウ~ン、証Img_6974c 拠写真気味。このほか、カワラヒワがいましたし、シジュウカラの鳴き声が聞こえて来ました。揖斐川には、赤須賀の漁船が数隻。こういう日は、水鳥は来ません。

Img_7102c_20201030163201  九華公園では、今日もカワセミ。2回も目撃しました。鎮国守国神社の社務所裏で、です。2回というのは、公園に着いたときと、公園を半周してからとということ。最近よく見かけます。雌のカワセミ。今日は、ダイビングシーンはなし。

Img_7016c  カモは、一気に40羽に増えていました。まずは、ヒドリガモが再登場。オス1羽にメス3羽のImg_7062c 計4羽。ハシビロガモは、5羽。キンクロハジロが31羽。10月のうちに40羽になるのは、珍しい。

Img_7135c  小型の野鳥は、今日もあまりいませんでしたが、キセキレイを2羽見ました。初めは、鎮国守国神社の社務所裏の堀を1羽が飛ぶのを目撃。その後、本丸跡の花菖蒲園のところで2羽。そのうち1羽は、ハクセキレイに追いかけられていました。もうちょっとよい写真を撮りたかったところ。

Img_7124c  その他は、ハクセキレイ。カワラヒワも見られました。モズや、シジュウカラの鳴き声も聞いたものの、その姿は確認できず。

Img_7055c_20201030163201  公園内、木々がかなり色づいてきています。左の写真は、朝日丸跡から二の丸跡の東側を見たもの。まあまImg_7079c_20201030163201 あの景色のように思います。色づいたといえば、ドウダンツツジも右の写真のようになってきています。このあと、Oさんご夫婦に久しぶりに会えました。ご主人は、80代後半。それでも毎日散歩に来られますし、なかなかのユーモリスト。

Img_7155c_20201030165001  貝塚公園。散歩する人も、鳥もあまりいません。いるのはヒヨドリばかり。賑やかというより、やかましいImg_7172c_20201030163201 くらい。ヒヨドリ以外に見たのは、カワラヒワ。このところ、九華公園でも、貝塚公園でも、メジロ、ヤマガラをほとんど見なくなりました。今の時点では、食べるものがないのかも知れません。

Img_7181c_20201030163201  内堀公園では、先日、ジョウビタキのメス2羽を見ました。「柳の下のドジョウ」ねらいではありませんが、縄張りがはっきりした鳥ですから、いる可能性が高いと思って、立ち寄って来ました。案の定、1羽がいました。ジョウビタキがいるかいないかは、割とよく分かります。鳴き声(ヒッ、ヒッという鳴き声)が聞こえたり、尾を振るので、それが止まっている木や電線などに当たる音がしたりするからです。

Img_7201c_20201030163201  新築公園、老松公園もジョウビタキを見ることがありますので、立ち寄ったものの、今日は、見られませんでした。しかし、三崎見附跡近くの住吉入江のところには、今日も、オスのジョウビタキがいました。あるお宅の屋根からクルマに移動したところ。ジョウビタキ、とくにオスはクルマが好きなようです。

Img_7209c_20201030163201  余談を2つほど。諸戸氏庭園の煉瓦蔵。散歩に出るときはなかったのですが、もっとも西の蔵の入り口に屋根が設置されていたのです。特別公開が行われるとき、入り口として使われるところです。諸戸氏庭園のWebサイトには、今日のところまだ何も載っていませんが、秋の特別公開があるのかと期待させます。ちなみに、去年は、11月29日に諸戸氏庭園の紅葉を見に行っています(2019年11月29日:2019諸戸氏庭園の紅葉)。今年も是非みたいもの。

Img_7196c_20201030163201  寺町商店街の花甚さんという花屋さんの店頭。先日から、「ハエトリソウ」を売っています。食虫植物の代表的な種類。以前にも、花甚さんでは、7月にウツボカズラを売っていて、これも気になりました(2020年7月26日:ヒマワリは、青空のもとで見たい)。買ってもよいのですが、マンション9階の我が家では、虫はほとんど上がってこないのです。

Img_7212c_20201030163201  明日は、員弁街道(濃州道)ハイキングの予定。三岐鉄道北勢線阿下喜駅まで行き、いなべ市藤原町山口まで移動して、そこから阿下喜駅に戻るコースの予定。これで、員弁街道をコンプリートできます。遠隔授業第4回は、授業から2日目で、出席は今のところ、半分ほど。いつものペース。第9回授業の内容のチェックと、課題作りは終了。録音をしたいところですが、週末は難しそう。月曜日が雨予報ですから、その時にでもと思っています。

【付記(10/30)】 政治向きのことはあまり書きませんが、私がかねてから疑っていたことと同じ趣旨の記事を見つけましたので、覚え書き。立憲民主党の衆議院議員・山内康一さんがお書きになった「本を読まない首相:安倍総理と菅総理」というもの。歴史家の保阪正康氏の著書「田中角栄と安倍晋三( 朝日新書、2016年)」を引用して書いておられますが、元の保坂氏の著書には、次のようにあるそうです:

一つが形容詞や形容句を多用すること。二つ目が「侵略に定義がない」という風に物事を断定し、その理由や結論に至ったプロセスを説明しないこと。もう一つはどんな話をしても5分以上持たないこと。それ以上は言葉を換えて同じことを繰り返す。知識の吸収が耳学問だから深みに欠ける。さらにあえてもう一点つけ加えるなら、自らの話に権威を持たせるために、すぐに自らの地位や肩書を誇示する。

 保坂氏は、これは東条英機に特徴的であり、安倍晋三前総理にも共通すると書いているといいます。さらに保坂氏は、次のようにも書いているそうです:

これは誤解であればそれに越したことはないのだが、安倍首相はきちんと本を読んでいないのではないか。あるいは物事を深く考えていないのではないか。さまざまな発言は単なる付け焼刃ではないか。それが私の安倍に対する見方である。

 さらに、保坂氏は、「言葉として表すと『形容詞の多用』『立論不足』『耳学問』の三大特徴ということになる」としているとか。他人様を批判するだけでなく、自戒としなくてはなりませんが。

 以上、引用のつまみ食いですので、元記事や、保坂氏の著書をお読みください。この特徴、管総理にも当てはまるように思えます。そうそう、私が疑っていたことは、安倍前総理は、ほとんど本を読んでいないのではないか(過去の総理大臣は、本屋に出かけて本を買い込んだというのがニュースになっていた記憶がありますが、安倍前総理にはこういう話しはなかったと思います)、深く考えていないのではないか、の2点です。まぁ、一国の総理に向かって失礼な妄想ではありますが……。

2020年10月29日 (木)

20201029十三夜の月

Img_6937c_20201029174001 Img_6926c_20201029174001  10月29日、今日は旧暦では9月13日で、「十三夜」。今宵の月は旧暦の8月15日(十五夜)に出る月(中秋の名月)と並ぶ名月。十三夜の月は、十五夜の月とセットで呼ばれることも多く、旧暦8月の十五夜の月を「前の月」、9月の十三夜の月を「後(のち)の月」と呼んだり、2つの月を合わせて「二夜(ふたよ)の月」と呼ぶこともあるといいます。片方しか月見を行わないことを「片見月(かたみづき)」と呼んで、縁起が悪いとか。そこで、17時半過ぎに非常階段に上がって見てきました。カメラは、Canon powershot SX60HSで手持ち撮影。1,365mmズーム、f/6.3、ISO400、SS1/640秒、ホワイトバランスはオート。左の写真は、ノートリミングです。右は、どのあたりに出ていたかの記録。これで「片見月」とはならずに済みました。十五夜の月は、20201001仲秋の名月にあります。

揖斐川にカンムリカイツブリ登場……イソヒヨドリのオス、カワセミ嬢、ジョウビタキのオスたち

Img_6616c_20201029174101  好天続きで、散歩日和も続きます。今朝は必要があって、家事を一通り済ませ、8時20分から散歩。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町と5.7㎞。11時10分帰宅。貝塚公園で、知人と話していたところにいらした男性、70代かとお見受けしたのですが、もうじき90歳と伺ってビックリ。外見も若く、歩くというか、小走りをしておられるのです。最近、手術を受けたそうですが、毎日2~3㎞は歩くとか。スゴい人はあちこちにおられます。冒頭の写真は、諸戸氏庭園前の桜並木。かなり色づきました。

Img_6641c_20201029174101 Img_6635c  まずは、揖斐川に、今シーズン初登場。カンムリカイツブリです。2羽いました。川の中程に、白く光るものがあり、単眼鏡で見たら、カンムリカイツブリでした。今月18日に三ツ又池公園で今年初めて見ていますが(2020年10月18日:長良川河口堰でキンクロハジロ、三ツ又池公園でカンムリカイツブリ、コガモ、ヒドリガモ)、やはり普段の散歩コースで見られるのは、また格別です。

Img_6647c_20201029174101  さらに、三の丸水門のところで散歩友達Yさんと話して、分かれたときにイソヒヨドリのオスが蟠龍櫓にやって来ました。Yさんは「最近、イソヒヨドリを見てない」とおっしゃったばかり。なのに、Yさんは七里の渡し跡の方へ歩いて行く途中で、気づかず。写真を見せたら、残念がっておられました。まぁ、タイミングなどがありますから、やむを得ません。

Img_6669c_20201029174101  重ねて、ラッキーなことがありました。九華公園に着いてすぐ、カワセミ嬢が飛び回っていたのです。日当たりのよいところに止まってくれました。このあと、ダイビングしたのですが、さすがに超望遠コンデジでは対応困難。

Img_6690c Img_6729c_20201029174101  カモは、26羽。九華橋のところと、吉之丸堀の四阿近く。キンクロハジロが18羽にハシビロガモが8羽。ヒドリガモを見たという話もあったのですが、私が行ったときには、この2種類のみ。

Img_6703c Img_6712c  散歩に来たのがやや遅くて、小型の野鳥はあまりいません。奥平屋敷跡でハクセキレイ2羽。

Img_6775c_20201029174101  二の丸跡や、朝日丸跡、辰巳櫓跡ではカワラヒワが多数。このほか、もちろんヒヨドリはあちこちで賑やか。九華公園で、今の時期もっとも多いのが、ヒヨドリ。モズの鳴き声も聞こえたものの、姿は見られず。

Img_6883c_20201029174001  貝塚公園、内堀公園では、時間が遅かったこともあり、ヒヨドリなど以外はおらず。老松公園(左の写真)と、三崎見附跡近くの住吉入江(右の写真)Img_6898c_20201029174001 でジョウビタキのオス。右の写真のジョウビタキのオスは、たぶんこれで3日連続見たはず。今日の鳥見も、まぁ良かった(微笑)。明日もと願っています。

Img_6618c_20201029174101  ところで、またまた遠隔授業の話し。今週は、第4回の授業。準備は、1ヶ月分くらい先行させていて、第9回の授業内容を調整中。あとは課題を考えれば、録音ができます。課題を考えるのは、けっこう大変。学生たちへの負担、難易度、採点のしやすさなどが考慮すべき要因ですが、授業テーマによっては、課題をつくるのは難しいのです。最近、夜になるとアタマが働きませんので(苦笑)、明日の朝、早く目覚めたらエイヤッと決めることにします。

Img_6764c_20201029174101  オマケ。イロハモミジの翼果、ときどき見ているのですが、今日はこんな風。プロペラのような形をしていて、遠くまで飛ぶのです。かなり色づいていました。熟してきたということでしょう。飛ぶところも是非とも見てみたいと思っているのですが、どうでしょう?

 

2020年10月28日 (水)

散髪のあと、散歩……カワセミ、モズを目撃(しただけ……苦笑)、寺町でチンドン・ガールズに遭遇

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 晴れ間もありましたが、ほぼ曇りの1日。気温も18.1度止まり。今日は、恒例の散髪日。勝手に自分で決めているだけですが、偶数月の最終水曜日の朝と決めています。現役時代は、月に1回でしたが、今は2ヶ月に1回。これで十分。髪も少なくなり、娘に言わせると、頭頂部は「爺ちゃんに似てきた」そうですから(苦笑)。8時半からいつものように、S理容院さんで髪を切ってもらい、9時半から散歩。九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町、寺町商店街と5.2㎞。

Img_6528c_20201028145501  いつもより1時間はほど時間が遅いので、当然、鳥は少なし。九華公園の北門すぐの堀付近には、樹上にアオサギさん。このほImg_6522c_20201028145501 か、カワセミとモズを目撃したものの、写真が撮れたのはカワセミのみ。しかし、逆光で、遠くて、何とかカワセミと分かるくらいの証拠写真で、残念。

Img_6534c  奥平屋敷跡では、草刈り&枯葉集め作業も行われていて、ハクセキレイ1羽だけで、ハトもおらず(苦笑)。二の丸跡、朝日丸跡も静か。ヒヨドリの鳴き声が響くだけ。

Img_6537c_20201028145501  カモは合計18羽。キンクロハジロが16羽に、ハシビロガモのオス、メスが1羽ずつ。二の丸堀Img_6547c_20201028145501 にいましたが、その後、昨日と同じく、吉之丸堀の方へ移動。本丸跡で知人と話していたら、ヤマガラの鳴き声が聞こえてきましたが、姿は見えず。いつもより遅い時間帯でしたので、以前よくあった知人たち(Aさん、Yさんなど)に久しぶりに会えましたが、鳥が少ないので、寒くなるまでは7時半スタートで散歩することにします。

Img_6595c_20201028145501  貝塚公園でも、ヒヨドリくらい。寺町商店街では、三八市開催中。家内から「みたらし団子を買ってくるように」というミッImg_6598c ションを与えられたものの、条件にあるみたらし団子屋さんは、出店しておらず。和菓子屋さんでも店頭で焼いて売っているところがあるのですが、そそこのものは、我が家の好みには合わないのです。以前書いたことがありますが、郷里の「天王の団子屋」(2014年3月21日:お彼岸の中日、実家へ)がベスト。ソウルフードなのです。ガッカリして、歩いていたら、チンドン屋さんの音楽が聞こえて来ました。チンドン屋さんというには、若い女性ばかりの3人組の方でした。「桑名ほんぱく2020」のPRをしていたようです。

Img_6593c  寺町商店街でもう一つ。松茸の土瓶蒸しに使う土瓶と碗のセット。「松茸の季節が来ました!」とあります。ウ~ン、季節は来ましたが、我が家には松茸はやって来ません(苦笑)。¥3,300だそうです。お一つ、いかがでしょうか?

Img_6600c_20201028145501  三崎見附跡から住吉入江に来たら、オスのジョウビタキ。昨日も、ここでオスのジョウビタキに遭遇していますし、今朝も早くからジョウビタキの「ヒッ、ヒッ」という鳴き声が聞こえていました。昨日のジョウビタキと思います。

Img_6576c  午後は、ちょっと一眠りと思ったら、爆睡。家内は出かけるといっていたのですが、出遅れというか、置いて行かれたというか(爆)。昨日、今週の遠隔授業の資料と音声ファイルをアップロードしましたが、次は、第9回の分の資料をチェック&修正して、録音をしなければなりません。昨日の話ではありませんが、やはり授業がある間は、自転車操業に近いかも知れません。

【付記(10/28)】 チンドン屋さんは、「名古屋のちんどん べんてんや」だそうです。ブロ友のミリオンさんが教えてくださいました。

「子どもの心理検査・知能検査 保護者と先生のための100%活用ブック」の紹介

51efkpqhtcl_sx350_bo1204203200_  熊上 崇・星井 純子・熊上 藤子の3先生が、合同出版から「子どもの心理検査・知能検査 保護者と先生のための100%活用ブック」を出版されました。熊上崇先生には、三重K-ABCアセスメント研究会にも来ていただいて、お話を伺ったことがありますし、星井先生は、昔から(などと書くと失礼ですが)、日本K-ABCアセスメント学会でもご活躍です。次のような趣旨で刊行されたものです:

発達の遅れや凸凹が感じられる時に「検査を受けましょう」と言われると、親も子どもも不安な気持ちになります。
それは当然のことです。
本書では、なんのために検査を行うのかを明確にして、活用の仕方をわかりやすく解説しました。
検査は子どもにレッテルを貼ったり、識別するためのものではありません。子どもを理解し子どもを中心としたチーム支援を促進するためのものです。

 園や学校と共有できる検査活用サポートシートも付いています。内容は、次の3つのパートからなっています:

  1. IQと心理検査・知能検査
  2. 検査報告書の読み取り方と活用例
  3. 子どもを支援する10のポイント

 マイブックスにも紹介しましたが、私が本業で行っている知能検査、認知能力検査のコンサルテーションと競合するような内容が書かれています。「強力な商売敵」登場というところです(微苦笑)。

 冗談はともかくとして、95ページというコンパクトな分量に、お子さんの検査結果と、それに基づく支援についての基礎知識として、保護者の方や学校の先生方として知っておいていただきたいことが分かりやすくまとめられています。医療機関や相談機関での説明や、報告書は通り一遍なもので、お子さんの特徴や、支援への活かし方が分からないという声をよく聞きますが、これと照らし合わせることで理解度はかなり向上します。説明を受ける前に予習をして行き、わかりにくいところを検査者や専門家に確認するという使い方もできると思います。逆に、ここに書かれているような内容について、もし説明がないようでしたら、心理士さんに確認するということも可能です。

 ただし、知能検査や、心理検査の解釈には、専門的知識や熟練したスキルが必要ですから、この本を読めば、保護者でも先生でも、自分たちだけで子どもの支援ができるということにはなりません。専門家と連携して、子どもたちの特性に応じた支援をともに考えていっていただくことが重要だという点もお忘れなく。

 なお、「医療機関や相談機関での説明や、報告書は通り一遍なもので、お子さんの特徴や、支援への活かし方が分からない」という点については、やむを得ない面もあります。というのも、これらの機関では多数のお子さんへの対応をしなければならないという状況ですから。私がコンサルテーションを承ると、面談や報告書の送付までに1週間~10日ほどの時間をいただいています。さまざまな角度から検査結果を分析し、お子さんについての情報と照らし合わせて、解釈、アセスメントをある程度きちんとしようと思って、あれこれ考え、その結果について誤りがないか検討していますと、それなりの時間と労力を要するのです。

2020年10月27日 (火)

イソヒヨドリのオスに、ジョウビタキデー

Img_6135c_20201027151401  今日も朝は冷えたものの、日中は暖かくなりました。気温は、21.9℃。気持ちの良い青空。ご相談の報告も仕上げ、第3回遠隔授業の課題の評価も終え、まさに一段落つきました(微笑)。安心して散歩に行けます。ということで、いつも通り、朝7時半から3時間近く歩いてきました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、赤須賀郵便局で郵便を投函して、再び貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と、6.2㎞。

Img_6143c  散歩に出てすぐ、桑名七里の渡し公園の南でオスのイソヒヨドリに遭遇。イソヒヨドリは、久しぶりに見ました。幸先がよいかも(微笑)。そっと近づいたら、あまり遠くに行かず、近いところをあちこち移動してくれました。ただ、県道の橋の陰になっているところで、ちょっと暗くて残念。このあと、揖斐川沿いを歩いたものの、最近、中洲にはアオサギや、ダイサギなどはまったく見えません。

Img_6210c_20201027151401  九華公園までは、ヒヨドリがいたのと、カワウが飛んでいたくらい。公園の北門を入ってすぐの堀にアオサギがいました。最近、このあたりにカワセミ、ゴイサギなどがいることもあり、いきなり堀端に行かないようにしています。今日も、しばらくはアオサギには気づかれませんでした。木の陰に入って写真を撮っていたものの、さすがに「アオサギ・センサー」にチェックされ、鎮国守国神社の社務所裏の木に逃げられました。

Img_6232c  この社務所裏の木には、ゴイサギが1羽、奥まったところにいました。その反対側、相撲場脇の樹上には、モズがやって来て、Img_6220c_20201027151401 高鳴き。ここで、散歩友達のYさんと遭遇。直前にカワセミがこちらに飛ぶのを見たとおっしゃるのですが、私はまったく気づかず。アオサギやゴイサギに気をとられていたため。惜しいことをしました。

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 カモは、18羽。キンクImg_6276c_20201027151401 ロハジロが15羽で、ハシビロガモが3羽。これまでは、二の丸堀にいたのですが、キンクロハジロたちは、今日は、吉之丸堀へ移動。昔のアヒル小屋のあたりにいました。

Img_6269c_20201027151401  こちらは、ハシビロガモのオス。採餌行動中。水と一緒にプランクトンなどを吸い込み、嘴にあるブラシのようなもので食物だけ漉し採るといいます。

Img_6292c_20201027151401 Img_6298c_20201027151401  奥平屋敷跡、二の丸跡などには、ヒヨドリ、ドバトくらいしかいません。吉之丸堀の橋にある四阿や、本丸跡の花菖蒲園のところでハクセキレイ。計4羽。四阿から菖蒲園に移動したかも知れません。

Img_6318c_20201027151401  本丸跡では、メジロ10羽あまりとシジュウカラ、カワラヒワ。写真が撮れたのは、メジロとカワラヒワ。ヤマガラは9月頃よ Img_6245c_20201027151401 く見ましたが、最近はサッパリ。エゾビタキ、コサメビタキなどはすっかり見なくなりましたので、旅立っていったのでしょう。

Img_6368c_20201027151301  貝塚公園で、遠くに「珍しい鳥がいる!」と思って、追いかけてあれこれ撮ったのですが、Img_6378c_20201027151301 落ち着いて、よく見たら、カワラヒワのようでした(爆)。まだまだ修行が足りません(苦笑)。その後、南東エリアにある四阿で、鳥がでてこないかしばらく待ったのですが、飛んでいるのはヒヨドリとキジバトくらい。

Img_6387c_20201027151301  赤須賀郵便局まで足を延ばして、ご相談の報告書を投函。近所の郵便局でもよいのですが、Img_6396c いつものコースを歩くと、ずっと持ち歩いていないといけませんし、ここの郵便局の方は、とてもフレンドリーで、親切なのです。以前一度来て、すっかり気に入ったのです(微笑)。もう一度、貝塚公園まで戻って、西側をチェック。やはり何もおらず。

Img_6441c_20201027151301 Img_6404c_20201027153901  内堀公園へ。ジョウビタキのメスを発見。追いかけていたら、もう1羽、メスがいて。時折、諍い。縄張り争いなのでしょう。遠くからやって来てすぐに、自分の場所を確保しなければならないのも大変です。しばらくして、どちらも姿が見えなくなりました。ここ内堀公園も、毎年ジョウビタキを見るスポットです。

Img_6455c_20201027151301  京町、寺町を通って、三崎見附のところから住吉入江に。ここで、オスのジョウビタキに遭遇。左の写真は、ソメイヨシノのImg_6481c_20201027154501 木のてっぺんにいるところ。このあと、近くの駐車場に移動し、車のタイヤに乗ったり、ルーフトップに上がったり。遊んでいるように見えます。ジョウビタキ、時々車に止まっていたり、ミラーに映る自分の姿に攻撃したりするのも見ます。いろいろと撮ったものの、なかなかうまく行かず(苦笑)。

Img_6343c  初めに、一段落ついたと書きましたが、今日は火曜日。第4回遠隔授業の資料、音声ファイルをこれからアップロードしなければなりません。あっという間に1週間が過ぎていきます。自転車操業とは思っていないのですが、ひょっとするとそうなのかも知れません。JRさわやかウォーキングが再開されると昨日書きました。早速調べたら、興味のあるコースがいくつかありました。取り敢えずは、2020年11月7日の「町制65周年を迎えた玉城町の歴史探索ウォーキング」はよさそう。田丸城跡は、一度行ってみたいところ。田丸は、大和国からの初瀬街道と、紀伊国からの熊野街道との合流地点です。これらの街道も少し歩けるかも知れません。

2020年10月26日 (月)

九華公園でソメイヨシノ……JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングとも11月から再開

Img_6129c_20201026173501  10月も最終週となりました。「秋の日はつるべ落とし」といいますが、名古屋での今日の日の入りは17時3分。日が暮れるのが本当に早くなりました。日の出も、6時9分ですから、遅くなっています。朝早く目が覚めたとき、仕事ですることがあればそれをしているのですがなかなか明るくならなくなっています。今日も、かなり早く目が覚め、第3回遠隔授業のQ&Aの最終仕上げをしていました。日中は、22℃を超え、暖かくなりました。

Img_6066c_20201026173501  今日は、九華公園の外周遊歩道の東にあるソメイヨシノで、花が咲いているのを見つけました(驚)。公園内ではあまり見ませんが、外周遊歩道にあるソメイヨシノでは、毎年この時期、どこかで花がついているのを見つけます。

Img_5967c_20201026173501  散歩は、いつも通り、7時半にスタート。10時頃まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町、寺町と5.3㎞ほど。九華公園ではあちこち歩き回りましたから、もう少し歩いているかも知れません。揖斐長良川の中洲や、揖斐川には、鳥影はありません。三の丸公園まで来て、モズ。毎年のことですが、9~10月にかけて、いったん「顔見世興行」のようにあちこちで姿を見て、高鳴きを聞くのですが、その後、あまり見かけなくなります。

Img_5977c_20201026173501  九華公園に着いたときには、ホシゴイが1羽、木の陰にいましたが、アオサギは来ていません。ちなみに、アオサギさんは、9時Img_6056c_20201026173501 過ぎに東の、揖斐川の方から飛んで来ました。右は、その証拠写真(笑)。重役出勤です。ホシゴイを見ている時、一瞬、カワセミを見たものの、すぐに見失いました。残念。

Img_5979c_20201026173501  カモは16羽。毎年、この時期には、20羽前後ですから、ほぼ同じ。キンクロハジロが7羽に、Img_6092c_20201026173501 ハシビロガモが9羽。ハシビロガモたちは、右の写真のように、休憩していることがほとんど。

Img_6084c_20201026173501  キンクロさんたちも、エサをくれる人がほとんどないこともあってか、あまり活発ではありません。左の写真は、羽繕いのときに見られる、通称「バッサバッサ」(と勝手に呼んでいます)。最近、散歩の時には、超望遠コンデジ(Canon SX60 HS)しか持っていきませんが、こんな写真も撮れますので、普段はこれで十分かという気になってきています。歩くのには、カメラ2台持ち(デジイチも)というのは、ちょっと不便。

Img_6074c_20201026173501  小型野鳥は、今日も少なく、ジョウビタキのメスくらい。鎮国守国神社で見つけたものの、写真が撮れず、残念に思っていたImg_6048c_20201026173501 ら、外周遊歩道で出て来ました。他には、本丸跡の花菖蒲園のところでセグロセキレイ。

Img_5986c  奥平屋敷跡の鳥小屋のセキセイインコ、毎日見てきますが、今日は、こんなシーン。ラブラブなのでしょうか、パッと見でオスメスが区別できませんし、セキセイインコの行動パターンをあまりよく知らないのです。

Img_6081c_20201026173501  柿の木レストランは、さすがに柿の実がほとんどなくなりました。収穫されたのかも知れません。貝塚公園では、ヒヨドリ、ドバト、カワラヒワくらい。天気がよくて、暖かいので、こういうときに野鳥にでてきてもらいたいのですが、なかなか思い通りには行きません。

Img_6118c_20201026173501  吉津屋町で、建物解体工事。ここは、仏壇屋さんでした。仏壇屋さんとか、石材店とか、散歩コースにはけっこうあるのですが、どこも経営は芳しくないという話も聞きます。

Img_6011c  市役所の会議、評議員会、出張相談と続きましたが、一段落。そうそう、JRさわやかウォーキング近鉄ハイキングも11月から再開。インスタの知人がpostしていました。待ちかねました(微笑)。ただし、JRの方は、以前と同じような開催形式のようですが、近鉄は、常設コースに近い形で再開。

2020年10月25日 (日)

天気晴朗

Dscn3584c  久しぶりに20℃を超えましたし、よく晴れました。午前中は、出張相談をお約束していましたので、行ってきました。お母様とDsc_0014c お子さんとにお目にかかり1時間15分ほどの面談です。保護者の方だけでなく、お子さんご本人とも、直接、いろいろと話しをするところに意味、意義があります。右の写真は、途中、乗り換えたJR名古屋駅。日曜ですが、人出はさほど多くない感じでした。

Dscn3604c  こちらは、帰りのJR関西線から見た景色。名古屋モード学園や名古屋医専が入るスパイラルタワーが、手前のLABI NAGOYAのビルからニョキッと生えているように見えておもしろかったのです。コロナ蔓延以降、出かける機会も減り(そもそも、名古屋方面に行く用事はさほど多くはありませんが)、時間の流れ方というか、その感じ方が変わってしまっているような気がします。メリハリを欠き、何となく、惰性のように流れている感じがします。自分で、感染しない/させないよう気をつけて、イベントをつくらないといけません。

Dscn3609c  ところで、いつぞや、上之輪新田のかつてコスモス畑、今年はないと書きました。今日、帰りの電車から眺めていたら、コスモスは多少花が咲いていました。慌ててカメラを取り出して撮りましたから、不出来な写真になっていますが、休耕田の周囲に少しだけ咲いていました。種をまいたのではなく、一昨年の名残(去年も、少し咲いていましたので、その名残というべきか)という感じ。これくらいでは、絵になりませんねぇ。木曜、土曜、そして今日と、半隠居状態の私にとっては、多用な日々でした(苦笑)。相談の報告を仕上げるとともに、第3回の遠隔授業のQ&Aも書き、課題の評価もしなくてはなりません。

2020年10月24日 (土)

ハシビロガモが登場……午後は仕事ついでに菰野町田光にあるコスモス畑に立ち寄り

Img_5951c_20201024110601  朝は曇っていて、風もあり、寒く感じましたが、9時を過ぎてからはよく晴れてきて、暖かくなりました。午後からは、仕事がありましたので、7時半から2時間ほどの予定で、いつも通りに散歩。歩いたコースもほぼいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.0㎞。

Img_5795c_20201024110501 Img_5891c_20201024110601  住吉神社の前の揖斐川には、ヒドリガモが2羽、浮かんでいました。九華公園では、まず、鎮国守国神社の社務所裏にゴイサギ2羽とホシゴイ1羽、アオサギ1羽がいました。ホシゴイ、ゴイサギともに見られたのは、久しぶり。

Img_5809c_20201024110501  アオサギは、九華橋近くの高い木の上。たぶん、どこから出勤してきます。しばらく待ったものの、今日は、カワセミは登場しませんでした。このあと、奥平屋敷跡でもじっくり見て回ったのですが、ドバトとヒヨドリばかり(苦笑)。

Img_5922c_20201024110601  カモたちは、ハシビロガモが登場しました。4羽です。オスばかりと思いますが、ハシビロガモは渡ってきたときには、エクリプスの状態ですから、ひょっとすると見間違いがあるかも知れません。

Img_5930c  キンクロハジロは、8羽。昨日よりもやや減少。昨日、団体でいたホシハジロは、ゼロ。ヒドリガモのオスもいませんでした。

Img_5913c Img_5917c  このあと二之丸、朝日丸、本丸、鎮国守国神社と回ったのですが、ジョウビタキも、エゾビタキもいません。カワラヒワがいたくらい。写真が撮れたのは、ハクセキレイ2羽のみでした。メジロやヤマガラ、シジュウカラも、鳴き声も聞こえてきませんでした。

Img_5866c_20201024110501  最近、ほとんど登場していませんでしたが、カワウは秋が深まるにつれて、数がやや増えてきています。野球場の照明灯の上や、神戸櫓跡の松の木の上に数羽ずつたむろしているのが見えます。また、揖斐川からの水が入っているときには、堀に入って、集団で漁をしていることがあります。貝塚公園、内堀公園では、これといった鳥は見られませんでした。

1603512221061c  さて、午後は13時半から菰野町の社会福祉法人の評議員会がありました。12時出発。前回、ほとんど遅刻で1603512241738c したので、早めの出発。早く終わったら立ち寄ろうと思っていたところがあったのですが、ナビ通りに走って行ったら、13時頃、そこを通りかかりました(微笑)。道路脇にクルマを止めて、スマホ写真。菰野町田光(たびか)にあるコスモス畑です。

1603512335365c  ここは、何と、コスモスとヒマワリが同時に咲いているのです。ヒマワリの種をまくのを遅らせたと聞いています。いや、見られてよかった、よかった。会議は1時間ほどで無事終了。今回は、議事録署名人ということで、後から送られてくる議事録を確認して、署名するという役割。明日は、午前中に出張相談の予定。

2020年10月23日 (金)

九華公園のカモは23羽……ホシハジロご一行が到着

Img_5601c  天気予報通り、昼頃まで雨でした。14時過ぎには晴れ間も見えてきましたので、散歩に出て来ました。14時半から16時頃まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、京町、寺町と5㎞ほど。犬の散歩をする人は多いものの、散歩だけの人はあまりいませんでした。

Img_5622c_20201023170301 Img_5628c_20201023170301  この時間帯は、鳥たちはあまり見かけません。九華公園に着くまでに見たのは、三の丸水門のところでハクセキレイのみ。九華公園には14時50分頃到着。鎮国守国神社の社務所裏には、ホシゴイ1羽と、アオサギ1羽。アオサギも、社務所のちょうど裏にある木の上にいました。他には、ヒヨドリ多数と、ドバト。小型の野鳥では、カワラヒワくらいしかいません。

Img_5683c_20201023170301  本丸跡の花菖蒲園のところでは、小型の野鳥1羽がいたのですが、逆光で何かはよく分からず。やむを得ず鎮国守国神社にお参りに行こうと思ったら、本丸跡の中央にある木にエゾビタキ。花菖蒲園にいたのも、このエゾビタキかも知れません。エゾビタキに会えただけでもまぁ良し。

Img_5637c  さて、気になっていたのは、カモ。今日は、何と23羽! 一昨日の倍の数。まさか倍々ゲームにはならないでImg_5702c_20201023170301 しょうが、一気に増えたという印象。右の写真の方がよく分かりますが、ホシハジロの団体さんご一行が到着していました。オスが7羽、メスが3羽。

Img_5648c  ホシハジロ、手前がメス、奥がオス。去年、ホシハジロはこれほどたくさんImg_5651c は来ませんでした。他には、ヒドリガモのオスが1羽。右の写真で、向かって右がそれ(左は、ホシハジロのメス)。ヒドリガモのメスはいませんでした。

Img_5665c_20201023170301  キンクロハジロも11羽いたのですが、ホシハジロの方に目が向いてしまい、その存在感はImg_5667c 何となく薄くなっていました(苦笑)。

Img_5753c  貝塚公園には、ヒヨドリがいたくらい。公園の西側を歩いていたら、近所のお宅のテレビアンテナにモズのオス。午後からの短時間散歩でしたが、まぁそれなりに成果あり、というところです。

Img_5609c  ところで、午前中は、遠隔授業第8回の資料のチェックを行い、課題をつくって、仕上げられましたので、「録音会」(と称しています)を実行。無事、音声ファイルもつくることができました。後期は、オリエンテーション1回を含め、全13回の授業ですので、これでほぼ2/3の準備を終えられました。残りも滞りなく勧めたいところ。今週の遠隔授業は、第3回です。出欠確認の締切は、明日土曜の正午。今日の17時現在では、まだ、半分に達していません。今回は、友人関係の話。なるべく学生たち自身に関わるような内容を取り上げて話をしています。それぞれに自分の体験と照らし合わせて利いてくれているようです。

Img_5770c_20201023170301  明日は、午後、社会福祉法人の評議員会があり、菰野まで出かけます。いつものように、朝7時半から、時間制限法で散歩をしたいと思っています。日曜日は、午前中に出張相談。説明資料はほぼできあがっています。という次第で、今週は、珍しく忙しい(苦笑)。

2020年10月22日 (木)

終日会議……昼の休憩は立坂神社へ散歩

Dscn3582c  曇りで、夕方から雨という予報ですが、今日は、予定通り、9時から市役所にて終日、会議でした。17時までの予定が、16時過ぎに終了。詳細は書けませんが、世の中、いろいろあります。終わって、ドッと疲れました。以前よりも、養育能力が低下している家族が増え、養育環境は全体としてよくない方向に向かっている気がします。ただ、これは原因や、要因ではなく、ある種の結果の一つであり、問題はもっと根本的で、大きなものがあるように思います。単純な因果的認識では解決できません。円環的な認識が必要でしょう。訳が分かりませんが、まぁ、独り言ということで。

Dsc_0011c  それはさておき、会議では、居眠りをしないでおとなしく座っていること、余計なことをいわないながらも、必要と思ったことはいうというモットーで出席しています(半分冗談、半分本気です)。このように、1日会議に出ての楽しみは、昼食。担当の先生が、弁当を手配してくださるのですが、今日は、海鮮ちらしと、牛肉弁当とでチョイスというかつてない斬新なメニュー。若干迷って、海鮮ちらしを選びました。¥500でお茶、インスタント味噌汁付きです。

Dscn3568c  昼休みはほぼ1時間ありましたので、海鮮ちらしを食べた後は、ちょっと散歩に出て来ました。これもいつものパターン。これまでは、市役所を出て、庁舎の周りを一周していたのですが、今日は、南の正面玄関を出て東に向かって歩き始めたところで、ふと「パターンを変えよう」と思いつき、光風中学校の東を通って、南へ。

Dscn3570c  光風中学校の南側には立坂神社があります。今年の5月1日に「ご近所神社めぐり」と称して歩いたときに訪ねDscn3572c た神社の1つ(2020年5月1日:20200501ご近所神社めぐり……(その1)立坂神社、神舘神社、八重垣神社と善西寺、オマケは「特別定額給付金」オンライン申請の話)。ここに立ち寄って来ました。今日は、裏参道から境内へ。もともとは「矢田八幡社」でした。主祭神は、大日孁貴尊(おおひるめのむち;天照大神の別名)。

Dscn3574c  境内には、烏骨鶏が飼われています。今日は、2羽ほどが鳥小屋の外に出て来ていました。見たら、鳥小屋の入り口は開けっ放しになっていました。割と人になれているようで、側に行っても、ちょっと嫌がるくらいで、逃げようとはしません。

Dscn3580c  立坂神社から光風中学校に沿って、中学校の西を通って北へ向かうと、新矢田公園を通って、市役所に戻ってきます。一周で約1㎞の散歩。市の職員と覚しき方が歩いているのにもすれ違いました。

Dscn3567c  ということで、とくにこれは、ということはない1日でした。が、今日の会議は、市議会の議場などがあるフロアーの会議室で行われました。ここには、こんなパネルが置いてあります。市長さんなどが記者会見するところ。

 明日は、午前中までは雨のようです。録音会をしたいのですが、遠隔授業第8回の準備が滞っていますので、無理かもしれません。15時頃には晴れてくるという予報になっていますから、それまでは仕事をすることにしましょう。

2020年10月21日 (水)

ジョウビタキのオスが九華公園に登場、カワセミにも久しぶりに遭遇

Img_5586c_20201021161501  今日も朝からよく晴れました。気温は、21.6℃でしたが、昨日より暖かい感じがします。寝入りばなに賑やかで寝付けず、睡眠不足(苦笑)。しかし、行動パターンは、いつも通り(微笑)。7時半から10時過ぎにかけては散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、新築公園、常盤町、寺町と6.0㎞。

Img_5363c_20201021161601  今日のトピックスの第一は、これ。ジョウビタキのオスが登場。昨日までのメスと同じく、九華公園の本丸跡花菖蒲園のところでした。ここ、ジョウビタキや、エゾビタキなどが来ますが、ヒタキ類が好むような場所なのでしょうか?

Img_5457c_20201021161501  さらに、第二のトピックスはこちら。ジョウビタキの相方は、エゾビタキでしょうか、サメビImg_5410c_20201021161601 タキでしょうか。胸の斑紋は見えていますが、はっきりしているようなしていないような(苦笑)。この2羽、実は、先にここにいたのは謎のヒタキの方。ジョウビタキが近くに降りたので、「オォ! ツーショットになれ!」と念じたのです。願ってみるものです。

Img_5420c_20201021161601  右上の写真の状態から、ジョウビタキオスが近づき、同じ杭にやって来たたのです。最初は、左の写真のように、何か文句をいImg_5423c_20201021161601 っているような様子があったり、右の写真のように、ジョウビタキが、攻撃というか、脅迫というかをやって、それなりに落ち着いて、左上の写真の状況に至ったという次第。しっかりと楽しませてもらいました。

Img_5394c_20201021161601 Img_5388c_20201021163401  エゾビタキ、サメビタキらしき鳥の写真。左の写真は、胸の斑紋がはっきりしていますから、エゾビタキと思います。これがたぶん、ジョウビタキのオスの相手。右は、光の当たり具合がイマイチでよく分かりませんが、サメビタキかなぁ?というところ。

Img_5294c_20201021161601  今日は、久しぶりにカワセミに遭遇。九華公園について、サギの様子を見ようと鎮国守国神社の社務所裏の堀に行ったら、あちこち飛びまくりという状態。ダイビングした後、私の足元近くにも来たのですが、さすがに驚いたのか、一瞬着地して、すぐに逃げていきました。あまりのことに写真を撮るヒマはなく、残念。

Img_5305c  さて、九華公園のカモの様子。今日は、一気に倍増以上。キンクロハジロは、11羽になりました。二の丸堀の西側エリアにImg_5566c_20201021161501 います。様子を見ていると、おもしろいことに気づきます。堀の端に立つと、寄ってくるキンクロと、寄ってこないキンクロとに分かれます。寄ってくるキンクロは、エサをもらえることを学習しているようですから、去年以前から来ていると思われます。寄ってこない方は、新入社員かという気がします。まぁ、立証のしようがない仮説ではありますが……。

Img_5485c_20201021164201  アオサギさんは、初めはいなかったのですが、朝日丸跡を歩いていた8時半頃上空を通過。後で見たら、九華橋近くの樹上のImg_5267c 定位置にいました。やはり、朝、どこかから出勤してくるようです。ホシゴイは、木の奥の方に潜んでいましたので、証拠写真。

Img_5526c Img_5548c_20201021161501  外周遊歩道の南、柿の木レストランには、メジロが3~4羽やって来ていました。今日は、キセキレイは見かけず。貝塚公園では、モズの鳴き声もしていたものの、姿は見えませんでした。

Img_5582c_20201021161501  帰宅後、午前中には、遠隔授業第8回の準備。分量が多くなっていますので精選しなくてはなりません。課題も苦慮中(微苦笑)。今日は、時間割では、第3回の授業の日。これを書きながら、チェックしたのですが、出席確認はまだ10名に達せず。写真は、ツマグロヒョウモンのメス。

Img_5300c_20201021161601  明日は、終日、市役所で終日会議の予定。一応、夕方5時までとなっていますが、早く終わるかもと期待しています。雨の予報ですから、「散歩に行きたい」などとは思わないで済むでしょう。写真は、九華公園にて。

2020年10月20日 (火)

九華公園でキビタキのメスとジョウビタキのメス、貝塚公園ではエゾビタキ

Img_5238c_20201020172101  朝は10.4℃と冷えましたが、日中はよく晴れて、22.5℃まで気温が上がりました。寒暖差があるのは、参ります。10月も20Img_5123c_20201020172201 日となりました。二十四節気では、「寒露(かんろ)」で(10月8日頃~)、「草木に冷たい露が降りる頃という意味です。秋の長雨が終わり、ぐっと秋が深まる」時期。23日には、「霜降(そうこう)」を迎えます。文字通り、「早朝に霜が降りる頃」となります。今日も、相変わらず、散歩。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.6㎞。10時過ぎに帰宅。右の写真は、九華公園の奥平屋敷跡を外周遊歩道から見たもの。秋の雰囲気たっぷりです。

Img_4858c  最近は、九華公園に着くまで、ヒヨドリ、カワラヒワ、ハクセキレイなど以外の鳥をあまり見なかったのですが、三の丸水門のImg_4877c_20201020172201 下流側にイソシギがいました。ごくたまにこのあたりでも見かけますが、写真はなかなか撮れません。まぁ、これも証拠写真ではありますが(苦笑)。三の丸水門のところには、ハクセキレイも2羽。この直前、三の丸公園の西側にあるソメイヨシノのてっぺんでは、モズが鳴いていました(写真は、逆光でペケ写真)。

Img_4892c  九華公園では、珍しくアオサギが堀にいました。北門を入ってすぐのところ。遠くから気づかれないよう写真Img_4906c_20201020172201 を撮っていたつもりですが、さすがアオサギ。すぐに気づいて、樹上に逃げられました。アオサギの近くをよく見たら、ホシゴイも1羽、堀にいました。

Img_4988c  公園内を半周して、もう一度見たら、アオサギも、ホシゴイもおらず。鎮国守国神社の社務所裏の木の奥にゴイサギがいるのが見えただけ。

Img_4926c_20201020172201  アオサギ、ホシゴイの写真を撮って歩き始めたときに登場したのが、こちら。コサメビタキかと思ったのですが、これは、キビタキのメスのようです。しばらく前に、貝塚公園でも見ました(2020年9月30日:九華公園では今日もカワセミが出迎え……貝塚公園でキビタキのメス、コサメビタキ)。この秋は、キビタキのオスは見ていません(2020年5月2日:諸戸氏庭園にキビタキのオス)。

Img_5009c_20201020172201  ジョウビタキのメスは、今日も本丸跡の花菖蒲園のところで待っていました。まさに「待っていた」と思える感じで、しばらく相手をしてもらえました(微笑)。

Img_4978c_20201020172201  キンクロハジロは、5羽。「日曜から5羽いる」という話しです(散歩友達Yさん、鳥見の大先輩Sさんによれば)。昨日、私が見たときは、3羽。どこかと往き来しているものと思います。

Img_5073c_20201020172201  公園の外周遊歩道の南では、昨日のリベンジが若干(微苦笑)。今日も、キセキレイに遭遇Img_5066c したのです。昨日よりは、多少マシな写真。柿の木レストランには、メジロが2羽。相撲場あたりで、メジロとヤマガラの鳴き声を聞いたものの、姿は見えず。奥平屋敷跡でメジロ2羽を確認。九華公園では、以上。

Img_5169c  貝塚公園では、エゾビタキ。モズは、鳴き声のみ。探したものの、いなくなってしまいました。このほか、キジバト、ヒヨドリ、カワラヒワくらい。今シーズン、エゾビタキ、コサメビタキ、キビタキなど、ヒタキ類に恵まれています。ジョウビタキも登場しましたし(微笑)。

Img_5232c  我が家前の住吉入江沿いまで帰ってきたら、シジュウカラにヤマガラ。シジュウカラは撮り損ねましたが、ヤマガラをゲット。

Img_5138c  帰宅後は相談を承った方の事例の分析と報告書の下書き。それに、午後からは、第3回遠隔授業の資料、音声ファイルのアップロード作業。Googleの不具合が解消されたという連絡があり、音声ファイルのアップロードも手順が簡単になりました。アップロードするとすぐに聴講してくれる学生さんがいます。本来は、水曜3・4限(午前中の2コマ目)の科目で、フライイングといえばそうなのですが、私としては、きちんとアップロードできたことの確認がとれて、助かっています。今日もすでに、出欠確認がされ、課題も報告してありました。写真は、貝塚公園にて。

2020年10月19日 (月)

九華公園にジョウビタキのメス登場

201018surprisefireworkc  散歩から帰ってきたら、雨が降り始めました。ラッキー(微笑)。しかし、歩いている間も雲は厚く、気温はずっと13~14℃。寒く感じます。今日も、7時半にスタートし、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、常盤町、寿町、末広町から参宮通を経て、10時頃に帰宅。6.2㎞ほど。冒頭の写真は、昨日のシークレット花火。動画からキャプチャーしたもの。今日、散歩で出合った知り合いに聞いてみましたが、「パンパン音がしていたなぁ」とおっしゃる方もあった一方で、「花火? 知らなかった」という反応もたくさんありました。

Img_4636c_20201019145001  さて、今日はまずはこちら。ジョウビタキのメスです。九華公園の本丸跡の花菖蒲園のところで、一休みしようと思ったら出て来ました。まるで、「やって来方から、挨拶!」という感じ(微笑)。去年、姿を確認できたのは、2019年10月26日でした(声はそれ以前から聞いていました:ユリカモメ、ジョウビタキのオス・メス登場……バードウォッチングが楽しみな季節になって来ました)。いよいよバードウォッチングも本格化する季節。

Img_4671c_20201019144901  また、もう抜けてしまったかと思っていたのですが、こちらも。エゾビタキ。幼い印象があります.エゾビタキも、本丸跡の花菖蒲園のところにやって来ました。花菖蒲園に降りては、ショウブの名札や、フェンスの上に戻るという行動を繰り返していました。

Img_4721c_20201019144901  さらに、かなり追いかけたものの、結局、証拠写真しか撮れなかったのですが、キセキレイも九華公園に来ていました。公園の外周遊歩道の南あたりにて。最終的には、公園の外、南の方に逃げられました。

Img_4612c_20201019145001  ジョウビタキに出会うまで、今日の公園は鳥は少なかったのです。アオサギも、ゴイサギ・Img_4689c ホシゴイもいませんでした。キンクロハジロは、二の丸堀に、オス・メスそれぞれ1羽。その後、吉之丸堀に、もう1羽のオスがやって来ました。鳥見の大先輩Sさんによれば、昨日は5羽いたそうです。

Img_4633c_20201019145001  その他は、ドバト、ムクドリ、カワラヒワ、ヒヨドリなど。メジロ、シジュウカラ、ヤマガラには遭遇せImg_4736c ず。ハクセキレイも、花菖蒲園のところにやって来ました。外周遊歩道の柿の木レストラン、今日は、メジロ2羽のみ。

Img_4792c   貝塚公園でも、エゾビタキ。こちらも幼い鳥のような印象があります。貝塚公園では、他にカワラヒワ、ヒヨドリくらい。しかし、鳥が少ない中、それなりに恵まれました(微笑)。

Img_4592c_20201019145001  ところで、川口水門の耐震補強工事現場、このような様子になっていました。水門の内外両側を鉄板で仕切って、ポンプで水をくみ出しているようです。

Img_4816c_20201019144901  気温が下がってきて、今日のように、どんよりした空で雨まで落ちてくると、なかなか意気が上がりません(苦笑)。インフルの予防接種をするつもりでいるのですが、桑名市では65歳以上は無料になったとか。11月に入ってからであれば、窓口で立て替え払いの必要もなくなるそうです(10月中は、いったん¥1,600を窓口で支払うそうです)。今週は、木曜に教育委員会の会議、土曜には社会福祉法人の評議員会、そして、日曜は出張相談と、珍しく予定が立て込んでいます。写真は、キンモクセイ。散歩途中のお宅で撮らせてもらいました。

2020年10月18日 (日)

20201018シークレット花火@桑名

 今日、18時半から10分間、桑名でもシークレット花火が打ち上げられました。シークレットなのに、何故か事前に知人から情報をいただきました(微笑)。桑名水郷花火大会と同じく、揖斐長良川の中洲・鍋屋堤からの打ち上げでした。

長良川河口堰でキンクロハジロ、三ツ又池公園でカンムリカイツブリ、コガモ、ヒドリガモ

Img_4353c  9月27日以来になりますが、長良川河口堰方面へ遠征してきました(2020年9月27日:プチ遠征でミサゴ、モズ、シロチドリ、ひのとり)。もう少し天気がよいかと期待したのですが、現地に着いてからは、雲が多くなってきて、風もあり、ちょっと肌寒い感じでした。しかし、まぁ、それなりに楽しめました。

Img_4267c_20201018160401  まずは、こちら。河口堰の上流側にキンクロハジロ3羽がいるのが見えました。オス2羽、メス1羽。いよいよ河口堰にも冬の使者が到着、というところです。最盛期には、数100羽になると思います。期待しましょう。

Img_3465c_20201018160401  その前に、河口堰東の上流側の魚道には、サギがけっこう集まっていました。ダイサギ1羽、コサギ7羽が見えていまImg_3473c_20201018160401 す。コサギ同士で、エサ取り場所を巡って諍いが起きたりして、なかなかおもしろい。

Img_4255c_20201018160401  魚道がよく見えるところまで行くと、遠くにアオサギもいるのが見Img_4231c_20201018160401 えました。右は、ダイサギ。このほか、堰の下流側にも、コサギが1羽。

Img_3485c_20201018161601  管理橋を西に向かいます。途中で、コサギが1羽やって来て、機械室の脇に降り立ちました。割と近いところから写真を撮ったのですが、逃げませんでした。

Img_3497c_20201018160501 Img_3500c  西側の閘門下流のところには、サギたちが無数といってよいほど、たくさん集まっていました。なかなかこれだけいるシーンは見られません。アオサギ2羽、ダイサギとコサギをあわせて44羽。

Img_4287c_20201018160401  左は、アオサギとダイサギが並んでいるところ。近くにいても、平然としている印象。右Img_4278c_20201018160401 は、ダイサギが2羽。あの「ダイビング祭」は開催されないかと期待して、しばらく見ていたのですが、何故か、半数くらいが飛び立って、東の方へ行ってしまいました。

Img_4292c_20201018160401 Img_4297c_20201018160501  閘門の上流側には、アオサギとダイサギ。この時、風がけっこう強かったので、どちらも「モシャって」いました(懐かしい用語!)。

Img_4314c_20201018160501 Img_4317c  いつものように、親水広場の方も一回りしてきました。この時期になりますと、水路でアユの孵化試験が行われています(左の写真の場所)。孵化試験が行われている間、せせらぎにも水が流れています。年中流れている状態にしておいてくれると、まさに「親水広場」になると思うのですが、それは今まで見たことなし。

Img_4325c  親水広場は、水路が孵化試験で上記のような状態になっていますので、ハクセキレイなどが見当たりませんでした。代わっImg_4326c_20201018160501 て、イソシギが1羽。神経質な鳥ですので、遠くからそっと1枚(微笑)。途中、ハクセキレイがキジバトを追い回して飛ぶ、という珍しいシーンを目撃(とても写真には撮れません)。管理橋に戻るとき、ホオジロのオスが1羽。

Img_4355c_20201018160501  河口堰から、木曽川へ。国道23号線の木曽川大橋のすぐ上流のところ。ブロ友のひらいさんの情報で、木曽Img_4364c_20201018160501 川にカモが来ているということでしたので、ここから見えるかと思って立ち寄ったのですが、堤防はまだ工事中で入れず。1つだけ見えている水制のところには、カワウしかいませんでしたので、早々に撤退。もう少し上流側で観察できるところがあるのかも知れません。

Img_4366c_20201018163101  続いて、こちらへ。三ツ又池公園ですが、今日は、「植樹祭」をしているということで、駐車場がいつものImg_4533c_20201018160601 半分しか使えず、すでに満車。しまったと思ったのですが、池の北東側にもう1箇所、駐車場があったと思いだし、そちらへ回ろうとしたら、十四山総合センターの敷地に臨時駐車場が設けられていましたので、そこに入れさせてもらいました。中之島で、芝桜の苗を植えているようでした。

Img_4378c_20201018160601  今日は、東側から遊歩道を一周。まずは、オオバン2羽。今シーズン初確認。この頃、曇天で、色が出ず(苦Img_4393c_20201018160501 笑)。カイツブリも数羽いたものの、皆、池の中央にいて遠い。それ故、証拠写真(右の写真)。今年生まれと思われるカイツブリもいました。

Img_4505c Img_4404c_20201018163801  カモが来ているかも知れないと思って、ここへ来たのですが、期待通り。ただし、カモも、池の中央にいてなかなか写真が撮れず。コガモとヒドリガモを確認できたのですが、いずれもメスと思われる個体しか見当たりませんでした。

Img_4479c  西側を歩いていたら、「何か変なものが浮かんでいる」のに気づきました。それが左の写真。カンムリカイツブリ! もうやって来ていたのです。これには、ちょっと驚き&感動。コガモ、ヒドリガモ、カンムリカイツブリと、今シーズン初確認です。

Img_4462c_20201018160601 池の周囲では、3箇所くらいからモズの鳴き声が聞こえてきました。もっともよく撮れた写真がこちら。池の北側にて。以上が遠征記録。今シーズン初確認がけっこうあって、まぁよかった(微笑)。歩いたのは、合計5.1㎞。

Img_3456c_20201018160401  今朝、出がけに木曽御嶽山を見たら、頂上付近が白くなっているのが見えました。テレビや新聞にはまだ載っていないと思いますが、初冠雪ということかも知れません。帰宅後は、遠隔授業の課題のチェック。約50名分を2回、3回と見直します。A、B、Cの3段階評価を済ませました。これで第2回授業についてのタスクが終了。土曜日に締切ですので、どうしても週末にやらざるを得ません。火曜日に次の授業の資料をアップロードしていますが、そこに補足説明をつける関係で、こうなります。

2020年10月17日 (土)

雨読の日は、地道に仕事(微笑)……【上之輪新田のかつてあったコスモス畑の様子についての付記(10/17)】

Img_4172c  未明から終日雨。0.5~2mmくらいですから大した雨ではありませんが、気温が13℃ほどでほとんど変わらず、冷たい感じの1日になっています。「晴歩雨読」のモットーにしたがい、今日は、「雨読」の日。朝から雨が降っている日は、さすがに散歩には行きません。午前中は、相談を承った方の検査結果の説明を書いていました。午後からは、第2回遠隔授業の出欠を確認し、その後は、質問や感想への回答、コメント(補足説明)を書いています。「倦まず弛まず」といえればよいのですが、持続性は低下してきていますので、時々気分転換をしつつの仕事。8時間労働とはほど遠く、せいぜい6時間くらい(苦笑)。出欠確認は完了し、補足説明はほぼできあがり。あとは、学生たちが提出した課題への回答をチェックし、評価をしなければなりません。

Img_4168c_20201017165501 アサガオは、さすがに10月11日を最後に花は咲かなくなりました(2020年10月11日:コサメビタキ、ミサゴ、メジロ、シジュウカラ……午後は、研修会の講師へ)。家内から、花は合計いくつ咲いたのか? と聞かれたのですが、カウントしていません。ブログの記事を辿ると、数えられるとは思うものの、モチベーションが湧いてきません(苦笑)。「面倒だな」と思うことが増えてきた気がします。

Img_4186c_20201017165501  アサガオの枯れ葉を取り除いているのですが、蔓のからみ具合がトンでもないことになっていました。分かってはいたのですが、葉っぱが減って、それが顕わになったということ。「行灯仕立てにする」と宣言したものの、リング付支柱を立てたのみで、あとは放置していた結果がこれです(爆)。

Img_4188c_20201017165501  花はたくさん咲きましたので、種もたくさんできてきています。「来年は、もうもらって来なくて良いね」といわれています(「もらってくるな」ということと理解しています)。我が家だけでは余ると思いますので、家内の実家で母親の居室の南側に種をまいて、夏の日陰にするつもりです。

Img_4170c_20201017165501  ニチニチソウの方は、まさにその名の通り、ボチボチと咲き続けています。ちょっと伸びすぎた気がします。大きめの鉢に植え替えればよいと思うのですが、どのタイミングがよいのか調べておらず、そのまま(苦笑)。

Img_4199c_20201017165501  などとブログを書いていましたら、家電に「電話アンケート」。11月29日に行われる予定の桑名市長選挙についてのものでしたが、最近よくある「機械音」のもの。通常、留守電にしてあるのですが(家電は、もうなくしてもよいと思っています)、こういう電話の場合、いったん受話器を上げて、下ろさないといつまでも留守録されるようで、面倒。機械音というか、コンピューター式の電話というか、止めて欲しいですねぇ。いつぞや、本当に留守の時にもかかっていて、延々と録音されていました。明日は、天候は回復するようですから、まずは散歩。何はなくとも散歩です。

【上之輪新田のかつてあったコスモス畑の様子についての付記】Dsc_0006c  10月11日に名古屋に出かけたとき、近鉄電車からスマホで撮ったので、そのまま忘れていました。上之輪新田には、一昨年、コスモス畑が出現しました(2018年10月17日:休耕田のコスモス畑発見……モズ、カワセミ、ゴイサギ、ムシクイ、ヤマガラ、エゾビタキ、ミサゴ、ジョウビタキと鳥も盛りだくさん(微笑))。去年はなく、今年はどうかと期待していたのですが、今年もなさそうです。

2020年10月16日 (金)

天気はよかったものの鳥は少なし……遠隔授業覚え書き

Img_4012c  今朝は、13.9℃と「冷えました」。天気は下り坂ということです。午前中は晴れ間もありましたが、午後からは雲が多めの空。例によって、いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から寿町で用事を済ませ、末広町を通り抜けて、参宮通りから帰宅。6.3㎞。冒頭の写真は、諸戸氏庭園の煉瓦蔵の前から見上げた西の空。秋模様でした。

Img_4021c  天気はよかったものの、鳥には恵まれませんでした(微苦笑)。揖斐川沿い、旅館山月の避雷針にイソヒヨドリのオス。ここに良くいます。ただ、このショットを撮らせてくれただけで、次に見たら、いなくなっていました。まさに証拠写真(苦笑)。

Img_4026c_20201016164601  九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏にアオサギ1羽と、ホシゴイが1羽。アオサギさんは、Img_4033c_20201016164601 九華橋に近い樹上でお休み。ホシゴイは、久しぶり。といっても、いるのに見つけられないだけかも知れません。というのも、今日、このあと、神戸櫓跡にホシゴイが1羽いたのです。社務所裏にだけいるのではなさそうです。捜索範囲を広げないと。

Img_4096c  キンクロハジロは、今日も、オス、メス1羽ずつ。鳥見の大先輩Sさんは、早速、パン屑持参で散歩にいらしていました。キンクImg_4100c_20201016164601 ロが好みで、もうじきやって来るであろうユリカモメは嫌いだそうです。堀には、久しぶりにカルガモの姿が2羽。

Img_4082c  奥平屋敷跡では、ハクセキレイが2羽。左はオス、右は、若いオスのような感じがしますが、Img_4088c_20201016164601 どうでしょう? 最近、散歩友達Yさん、Mさんと奥平屋敷跡でじっくりと鳥を探すのですが、今日は、ヒヨドリ、ハシボソガラス、ムクドリ、ドバトくらい。メジロが短時間、2羽来たくらい。昨日まで見たコサメビタキや、エゾビタキはいませんでした。もう通り抜けて行ってしまったのかも知れません。

Img_4114c_20201016164601  九華公園では、いつも、北門から入り、鎮国守国神社の社務所裏、管理事務所前、奥平屋敷跡、二の丸跡、朝日丸跡から本丸Img_4118c 跡、さらに、鎮国守国神社を見て回ります。鎮国さんから柿安本社の方へ抜けて、再び、社務所裏を見て、本丸跡の神戸櫓跡、辰巳櫓跡を見て、外周の遊歩道を東から南へと歩いて、鳥を探しています。ヒヨドリ、ムクドリ、ドバト、カワラヒワはいたものの、他の鳥はなかなかいません。外周遊歩道の東で、やっとメジロの群れに遭遇。しかし、今日は、超望遠コンデジしか持って出ませんでしたので、動きの速さに追いつけません(苦笑)。柿の木レストランは、今日は来客なし。貝塚公園では、ヒヨドリが賑やかでした。他には、カワラヒワが数羽。モズの鳴き声も聞こえたのですが、姿は見つけられず。

Img_4162c_20201016164601  10時前に帰宅できましたので、臨時録音会(微笑)。急遽、遠隔授業第7回の録音をすることにしました。ちょっと準備不足というか、気合いの入れ方が足らず、調子はイマイチ。遠隔授業といえば、「5号館を出て」さんが、ブログに「手稲山初冠雪とオンライン授業に対する学生の反応」という記事を書いておられました。詳細はリンク先をお読みいただきたいと思いますが、「アンケート結果で衝撃的だったのは1回の授業に対して行った予習・復習(課題を含む)の量が去年より、そして今年に関しては他の教科よりなんと1時間以上も多かったということでした」とありました。その要因について、学生のコメントを引用しながら、次に引用したようなことを述べておられます。私自身も、対面授業で説明しているよりも、今年度の遠隔授業の方が、学生たちがこちらの意図したことや、説明した内容を良く理解してくれているような印象を持っています。

私の狙いとしては昨年までの対面授業の時とまったく変わってはいないのですが、対面授業の時には今ひとつもどかしく伝わっていないと思っていたことが、なんと今年はかなり伝わったように思えるのが大発見でした。対面授業では90分という制限時間でできるだけのことを頑張って来たつもりなのですが、今年のやり方だとおそらく私の提示したスライドをすみからすみまで読み解こうとすると、学生の能力にもよるとは思いますが、平均的には2-3時間かかるのではないかと思うくらいの内容を盛り込んでしまいました。このやり方だと、力のある学生はすべてを飲み込めるでしょうし、嫌なら飛ばしてしまうこともできるので、学生の力に応じて時間もスピードも自由にコントロールできるという意味で学生にとっても良かったのかもしれません。

おまけに最後には小さな「論文」とでもいうべき「ミニテスト」を要求されて、それも自分の力と持ち時間に応じて対応できた学生が多かったのではないかと思います。

 だからといって直ちに、遠隔授業が優れているという結論を導くことができる訳ではありません。しかし、Resede教育業界ニュースの「学生のオンライン講義に関する意識、肯定評価が優勢」という記事も出ています。そこには、次のような調査結果(東洋大学による)が書かれています。

オンライン講義を希望したのは40%、対面講義を希望したのは33%、オンラインと対面型の組み合わせを希望したのは5%だった。オンライン講義が従来の対面型講義と比較して良いと思う点を複数回答で答えてもらったところ、「通学時間がかからない」82%、「自分のペースで学習できる」68%、「自宅で学習できる」66%、「教室移動がない」61%、「私語がない」「復習が何度もできる」各34%の順に多かった。

一方、劣ると思う点については、「自宅だとほかの誘惑に負けそうで授業に集中できない」43%、「(ネットワークやデバイスの不具合などで)音声や動画が途切れて聞き逃すことがある」39%、「開始・終了のメリハリがない」「教員ごとに使用するシステムが異なるため、混乱しやすい」各36%、「対面時よりも単調に感じてしまう」35%、「ほかの受講生とのディスカッションや交流が少ない」34%など、良い点に比べると分散していることがわかる。

 教員へ教育効果について尋ねたところ、高まったと感じていたのは40%、落ちたと感じていたのは20%だったそうです。また、今後、どちらの講義の実施を希望するかと聞くと、オンラインを希望が50%、対面を希望が25%という結果が得られています。多面的な検討が必要ですが、1つのデータとして貴重な報告と思います。個人的には、これに安心せず、さらに工夫を重ね、教育効果を上げられるよう精進します。

Img_4101c_20201016164601  なお、2つの記事の引用につきましては、ご興味がおありの方には、是非ともリンク先で全文をお読みください。明日は雨模様のようです。相談のご依頼も承っていますし、遠隔授業の準備も進めなければなりませんから、おとなしく仕事となりそうです。

2020年10月15日 (木)

さすがに昨日の疲労が残る(苦笑)……九華公園のキンクロは2羽に

Img_3902c_20201015170601  昨日の「勝手に養老鉄道ハイキング」は、さすがに疲れました(微苦笑)。熟睡はしましたが、疲労感を持ち越しています。もう若くはないという事実を再確認するために行ったのかも知れません。しかし、決して「懲りた」ということはありません。「勝手にハイキング」シリーズは続けます。写真は、揖斐川から見た多度山。あのてっぺんまで行ってきたのです。

Img_3944c  さて、今日も、散歩であります。懲りていない証拠(笑)。7時半過ぎにスタート。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.6㎞。疲れたので、今日はホドホドにしておこうと思ったものの、九華公園でウロウロしたので、この距離。

Img_3985c  九華公園では、キンクロハジロが2羽になっていました。オス、メス1羽ずつ。二の丸堀にいました。8時過ぎ頃には、2羽とも盛んに身繕いをしていましたが、9時過ぎに見たときは、このように、堀を泳ぎ回っていました。堀端から写真を撮っていたら、寄って来ましたので、去年も来て、エサをもらえることを学習したのかも知れません。

Img_3926c_20201015170601  エゾビタキは今日もいましたが、奥平屋敷跡に、です。パッと見た印象では、先日、野球場の南で見たエゾビタキに比べ、若いImg_3344c ような気がします。奥平屋敷跡には、いつもメジロやカワラヒワなどがいるのですが、今日は、ドバト、ムクドリ、ヒヨドリくらいで、鳥は少なめ。ヒヨドリは少しずつ増えてきています。右の写真のメジロは、鎮国守国神社の境内にて。公園の外周遊歩道の東では、シジュウカラとヤマガラが出て来ました。写真に撮ったものの、枝被りその他で、不可(苦笑)。

Img_3398c_20201015170601  あの柿の木レストラン、ヒヨドリで賑わっていましたが、私が歩いて行くと逃げてしまい、代わりにメジロたちが集Img_3964c_20201015170601 まって来ました。メジロは、側で見ていても、逃げるようなことはありません。右の「チョー証拠写真」は、キッチン寿さんの屋根のテレビアンテナにいたモズのオス。今年は、モズを見たり、見なかったり。

Img_3448c_20201015170601  貝塚公園では、カワラヒワ。あちこち歩き回ったり、四阿で待っていたりしたものの、これだけ。もちろん、ヒヨドリやムクドリはいますが……。

Img_3890c

ところで、川口水門の耐震補強工事の様子。まだ工事は始まっていませんが、準備は進んでいImg_3892c ます。左の写真は、川口水門の西から見た、住吉神社の方向。右は、振り向いて撮った川口水門。囲われて入れないようになっています。

Img_3895c  看板が、このようにズラリ。「テロ対策」というのは、この頃、定番(というと語弊がありますが)のようです。しかし、水門の耐震補強工事現場でテロが起きる可能性は低いような気がしますがねぇ……。

Img_3847c  昨日の余談。まずは、桑名駅。自由通路の東端に「伊勢ノ国ダイニングしちり」という店があるのは、いつぞや書きましたImg_3845c (2020年9月8日:遠隔授業講習会のついでに新しい桑名駅もチェック)。「はまぐり天むす」という表示が気になったので、テイクアウトのサンプルをマジマジと見てきました。はまぐり天むすは¥800、海老天重は¥900となっていました。案外お値打ちかも。さらに桑名では有名な魚城の玉子焼きも売っていました。¥1,100。ここ、案外よいかも知れないと思った次第。

Img_3874c  もう一つ、昨日の余談。伊藤園の「濃いお茶 お~いお茶」です。若い知人のFacebookで知ったのですが、キオスクなど限Img_3878c_20201015173001 定で、現在、「新幹線マスキングテープ」がオマケになっているのです。名づけて「トレインマスキングテープ」。何だか欲しくなって、2種類(2本)ゲットしてきました。ドクターイエローと、N700Sのバージョン。このほか、秋田新幹線E6と、ALFA-Xとがあります。「どうして4種類全部ゲットしてこなかったのか?!」と家族からは詰問されましたが(苦笑)。またいずれ、「勝手にハイキング」を企画して、その時にでも。

Img_3386c_20201015175401  遠隔授業第2回目の出席状況は、夕方現在で、17名。コメントに「遠隔授業で他の学生とコミュニケーションをする機会が少ないので、補足説明は参考になると感じた」というものがあり、ニヤリ。補足説明を書くのは大変ですが、こういうコメントがあると、励まされます。金木犀の香りがあちこちから漂ってきます。

2020年10月14日 (水)

20201014勝手に養老鉄道ハイキング「多度山に登ろう」

Img_3204c_20201014183701  「思い立ったが吉日」と申します。以前から漠然と考えていたものの、なかなか実行に移せずにいたのですが、つい2~3日Img_3868c 前、「多度山なら、どのコースで登っても、1時間もあれば、頂上に行けますよ」といわれ、その気になってしまいました(爆)。後で良く考えたら、これをおっしゃった方は、キャンプの達人でした(苦笑)。多度山は、我が家の玄関先からもよく見えています。

Img_3207c  朝、養老鉄道播磨駅まで送ってもらい、8時47分の大垣行きに乗車。やって来た電車は、「近鉄ラビットカImg_3216c_20201014183901 ー」の600系。近鉄の時代に導入された車両で、名古屋線や大阪線を走っていたそうです(こちら)。昭和40年代製とか。

Img_3223c_20201014183901  多度駅には、8時58分に到着。¥310。今日は、近鉄ハイキングの「多度山水郷展望コースImg_3226c_20201014183901 のマップを利用して、多度山に登っていくつもりで、拡大コピーした自作マップを持参。9時にスタート。

201014tadoyama  こちらが、今日、多度で歩いたルートマップ。市の観光案内では、「眺望満喫コース」となっています。これを歩いて、多度山の頂上へ。帰りも途中までこれを辿ってきたのですが、途中第1見晴台の下から「のんびりコース」へ。愛宕神社にお参りして、そこからは「健脚コース」を下ってきました。

Img_3229c_20201014183901  多度駅から北に向かいます。多度川を多度橋で渡って、Img_3232c_20201014183901 600mあまり行くと、宇賀神社の一の鳥居があり、そこが多度山に登るコースの入り口の一つになっています。多度橋から見た多度山が右の写真。標高は403m。

Img_3242c  宇賀神社の一の鳥居。向かって右の常夜燈の陰になっていますが、オレンジ色の看板で「入り口 多度山上公園/自然教室・Img_3258c_20201014185401 水郷展望ハイキングコース」と大書されています。その、向かって右の常夜燈の背後に石碑があったのですが、良く読めず、残念。碑表には、名前が刻まれているようでしたので、忠魂碑のようなものかも知れません。碑陰には、「明治39年7月建之」とともに、西田さんという名字の方5名の他、「取持 宮守中・消防組」「肝煎 字総代」とあります。この一の鳥居のところを左折し(西に向かい)、多度山の登山道に入っていきます。ここの交差点でスタートから650m。

Img_3261c_20201014183901  200mほど行くと、宇賀神社があります。元々は、有力者を祀っていたのが、後に農耕神として宇迦之御魂神を祀るようになImg_3267c_20201014185601 ったといわれています。正面にはシイの巨木群があります。主祭神は、宇賀御魂神。相殿神は、大山津見神火之迦具土神、火之夜芸速男神、火之炫毘古神(以上の2神は、火之迦具土神に同じ)、表筒男神、中筒男神、底筒男神(以上の3神は、いわゆる住吉大神)、大己貴命少彦名命

Img_3276c Img_3283c_20201014185601  古くは「天田社」といったといい、天田はあがたの訛ではないかとされています。「県の神」として農耕神を祀り五穀豊熟を祈つた社ではなかったかと推測されるのです。延喜式内社で明治43(1910)年、境内、区内の神々を合祀し、現在の宇賀神社となっています。大正年間に村社より郷社に昇格したのですが、遠く、仁寿元(851)年すでに神階正六位に叙せられています。農事、山と火の安全、舟便、医薬の神として崇められているといいます。

Img_3270c_20201014190701  ちなみに、正面にシイの巨木群があります。拝殿の前にも、ご覧のように巨木が立っています。教育委員会による「シイの巨Img_3290c 樹からなる宇賀神社の森」という説明板もありました。

Img_3296c_20201014191001 Img_3293c_20201014191001  宇賀神社から登山ルートに入ると、そこには「農道竣工の碑」がありました。

Img_3303c  ポケットパークの駐車場の手前に、こんな石碑がありまImg_3322c_20201014191901 す。昭和4年11月2日に神社に畑を寄附したという記念碑でした。こういう畑を寄附した記念碑は、初めて見ました。ここからいよいよ本格的に登りになります。

Img_3402c_20201014192001  途中、お地蔵様。2.5㎞地点にある「中央地蔵」と思いますが、詳細は不明。このあとは、ひたすら登りでしたので、割愛して、一気に、頂上近くまでワープします。

Img_3479c が、一つだけ。パラグライダーが飛び立つ「飛行台(発射台?)」がありました。以前は、良く多度山からパラグライダーが飛んでくるのを見ました。

Img_3486c_20201014192301 Img_3491c  スタートから1時間半、10時半頃、山上公園に到着。このあたりで、約4.6㎞を歩いてきたはず。登り始めと、この近くがキツく、「来なければ良かった」と思わないでもありませんでした(苦笑)。途中、中間あたりは、平坦なところもあり、見晴台や休憩所もあり、休憩を取りつつ来ましたので、比較的楽でした。

Img_3497c_20201014192301  山上公園の広場を見て、いよいよ頂上へ。やっと403m(三角点の正式な高さは、402.7mとなっていました)を登り切れまImg_3513c_20201014192301 した。いや、天気が良くて良かった (^_^) 多度山には一度は登りたいと思っていましたので、念願を叶えられました(微笑)。

Img_3501c_20201014192301  こちらが、三角点や、「三本杉の相場振り」のところ。「三本杉の相場振り」というのは、電信電話がまだ発達していなかった明治の初期、大阪、桑名、名古屋、大垣の間の米相場は、「旗振り通信」で伝えられていました。相場の値段が決まると、高いところから赤・白の大きな旗(旗信号)を振って、その値段を伝えたのです。ここ三本杉にも信号所(中継所)が設けられていて、桑名米穀取引所から送られる旗信号を望遠鏡で確認して、同じ信号を振ると、四日市・名古屋・高須で見て、次々と中継されて各地に伝えられました。

Img_3506c_20201014192301  こちらが、「相場振り」の説明。「新桑名歴史散歩(西羽晃著)」によれば、桑名米穀取引所では、他の市場が閉店した後、夕市が開かれ、とくに注目されたといいます。あの初代諸戸清六氏は、大隈重信と懇意になり、情報を早く仕入れ、政府の公金を低利で借り入れ、米相場で成功しています。

Img_3517c_20201014193901  さて、山頂からの眺めは抜群。左の写真、中央あたりが、木曽三川公園木曽三川公園センター。川は、手Img_3530c_20201014193901 前から揖斐、長良、木曽の木曽三川。そのやや左上に名古屋駅前の高層ビル群がありますが、この写真でははっきりしません。右は、木曽三川の下流方向。中央やや上には、ナガシマスパーランドが見えますし、その手前には国道23号線の揖斐長良大橋。中央の左には、長良川河口堰、JR・近鉄の揖斐長良川鉄橋、東名阪高速道路の鉄橋なども見えます。ただ、この時間、南の方角はやや雲がかかっていましたし、逆光で今ひとつ。

Img_3574c 山頂には、高峯神社があります。神社の境内に三本杉があります。商売繁盛・家内安全・進学祈願の神様だそうです。

Img_3565c また、高峯神社の脇には、千体地蔵菩薩が安置されている御堂がありました。多度大社にお参りするものImg_3567c_20201014195001
は、ここに鎮座する高峯神社と、地蔵大菩薩に額づいて、心身を清めたそうです。高峯神社と千体地蔵菩薩との間には、「多度山古戦場跡戦没者総慰霊之碑」があります。詳細は不明。「壬申の乱に関わる」としているブログもありました(こちら)。山頂には、10時50分まで20分ほど滞在。

Img_3614c 山頂近くには、いくつもの無線中継所が立っています。山上公園の西側あたりです。ここから、来たルートを下っていきます。

Img_3655c 途中、木曽三川公園や名古屋駅方面がさらによく見えるところがありました。同じところかImg_3667c_20201014200101 ら、木曽三川の下流方面も眺めてみました。

Img_3650c_20201014200201 木曽三川公園の手前をよく見ますと、平野のあちこちに池や、曲がりくねった水路が残っているのが見えます。これらは、かつて河川が蛇行していた跡だそうです。「河跡湖(かせきこ)」あるいは「三日月湖」と呼ばれています。河川改修工事で、川の流路を変え、堤防を建設するなど、多くの治水工事をした結果、このような姿になったのです。

Img_3683c_20201014200101  登ってきたときの1.5㎞地点に戻って来ました。ここから「のんびりコース」にルート変更。まっすぐ行くと、多度大社に出Img_3690c_20201014200101 ます。名前の通り、起伏はあるものの、さほどではありません。右の写真は、赤谷川にかかる長尾橋。

Img_3707c_20201014200801  長尾橋を越えてしばらく行くと、約9㎞地点に愛宕神社があります。ここにも立ち寄りたかったのです。社伝によれば、勧請の年月は不詳であものの、古くから鎮座し、元亀年間の兵火に遭い、いったんは衰退したものを、元和2(1616)年、桑名藩主・松平定勝公が再興されたのを、松平定行公が寛永6(1629)年、再び社殿を造営し、毎年正月・5月・9月の3度家臣を遣わして厚く祭祀を厳修せしめたといいます。その後も、松平家によって崇敬され、手厚く庇護されたそうです。『多度大神本縁略記』には多度大社の第四別宮であったことが伝わっています。大正9(1920)年、境内社山神社、厳島社を合祀しています。

Img_3711c  御祭神は、火之夜芸速男神。境内には、合祀された神様を祀っていると思われる社がありましたが、説明板などはありませImg_3716c ん。

Img_3725c_20201014200801  愛宕神社から健脚コースへ降りていきます。道をはさんで、駐車場の脇に下に降りていく階Img_3727c 段がそれ。距離は約1,680メートルで、所要時間約40分と最短コースなのですが、これはとても登れそうにありません。短い間でしたが、下るのにも苦労しました。

Img_3745c  多度の町に降りてきました。予想通り、桔梗屋さんの東にある鳥居のところでした。多度のハイキングで、ここに鳥居があるのが気になっていました。ハイキングコースを調べると、たぶんここからが健脚コースだろうと思っていたのです。「いにしえコース」と石柱が建っています。昔の人たちはここを登ったということでしょうか。桔梗屋さんは、享保元(1716)年の和菓子の店。八壺豆(多度豆)などを売っていたと思います。写真で、左手に行くと多度大社、右手は多度駅方面。

Img_3773c_20201014200801  大黒屋さん。鯉料理のお店。過去に近鉄ハイキングで庭を拝見しています(2020年1月26日:20200126近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒『上げ馬』と多度大社・追儺祭」へ……祝ご当選!でめでたく「完」)。こちらにも詳しい案内があります。

Img_3792c  汗だくになって、多度駅にゴール。12時15分。3時間15分かかり、10.5㎞を歩いてきました。カッターがImg_3816c_20201014200801 濡れて気持ち悪かったので、着替えたくらい(苦笑)。桑名行きは、12時42分。¥310。電車は、養老鉄道7700系、通称「緑歌舞伎」でした。桑名には、12時58分着。

Img_3871c_20201014203101  いやぁ、よく歩きました。それに、400mの高低差(苦笑)。登りはさすがにキツかったですねぇ。現地で10.5㎞、桑名駅から自宅が1.1㎞ですから、合計11.6㎞ほど。スマホのALKOOでは、21,000歩あまりの記録。途中、私よりも高齢、70歳代と覚しき男性が自転車でスイスイと登っていくのを目撃。次の見晴台で休憩しておられたので、話しかけてみたら、何と電動自転車でした。脊柱管狭窄症を患い、10分も歩くとしびれるので、電動自転車なら登れるかと思って来たとおっしゃっていました。他にも走って登る人が3名。いろいろな方に出会いました。

 余談、こぼれ話はまだありますが、それらはまた明日以降のオマケに。

2020年10月13日 (火)

九華公園にキンクロハジロのオス、再登場……エゾビタキ、コサメビタキもまだいます

Img_3102c_20201013140901  今日も好天で、27℃になっています。日中は、半袖でもよいくらいの陽気。今朝の散歩は、スマホの充電に手間取って、7時55分スタート。九華公園に、冒頭の写真の鳥さんが、来ていました。先週の水曜(10/7)以来。詳しくは、後ほど。散歩コースは、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園、常盤町、京町、寺町商店街と6.2㎞。10時半に帰宅。

Img_3066c  住吉神社の前から揖斐長良川の中洲を見ていたら、河口堰方面にダイサギらしき姿。肉眼でも、超望遠コンデジでも2羽いると思ったのですが、パソコンで見たら、一方は、ゴミのようでした(苦笑)。よくあることではありますが(爆)。鳥ではないものが鳥に見える症状です。

Img_3093c_20201013140901  七里の渡し跡、三の丸水門あたりでハクセキレイを何羽も見かけました。去年は、このあたりでノビタキを見たと思うので、若干期待しているのですが、今のところは見られていません。

Img_3155c Img_3205c_20201013140901  そして、九華公園では、冒頭に写真を載せましたように、キンクロハジロのオスが、再び登場。吉之丸堀から二の丸堀にかけて、ゆっくりと回っていました。去年の今頃は、キンクロのオス、メスが1羽ずつでした(2019年10月11日:台風19号に備えて……イソヒヨドリとノスリ?、漁船は住吉入江に避難【鳥名について付記(10/12)】)。

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 話を戻して、鎮国守国神社の社務所裏には、ホシゴイが1羽のみ。アオサギも来ていませんでしたし、カワセミも姿は現さImg_3122c_20201013140901 ず。2回見ても、結果は変わらず。奥平屋敷跡では、まずは、コサメビタキ。日曜から3日目。2羽いるという話もあるのですが、私自身は確認していません。

Img_3188c  奥平屋敷跡では、今日もメジロ。昨日は、2羽が並んだ写真を撮りましたが、今日も、ペアが3組、それぞれくっついているところを目撃しました。ただ、木の奥でうまくは撮れませんでした。pnさんからいただいたコメントによれば、メジロは夫婦仲がよく、相互羽繕いを
する姿をみかけるということですから、そういうシーンだったかも知れません。また、よく探して、観察してくることにしましょう。

Img_3239c  昨日は、ヤマガラ、シジュウカラなども見たのですが、今日はまったく見当たりませんでした。カワラヒワは、公園内のあちImg_3262c こちにいました。

Img_3158c_20201013140801  野球場の南、しだれ桜のところでは、今日もエゾビタキと遭遇。こちらもしばらく滞在中なのかも知れません。柿の木レストランは、今日は、開店休業でした。

Img_3180-2c  貝塚公園。こちらも、鳥は少なく、しばらく南東エリアにある四阿で待ってみたものの、メジロ、ヒヨドリ、カワラヒワくらい。

Img_3071c  昨日の余談の続き。川口水門の耐震補強工事について、説明が出ていましImg_3074c_20201013140901 た。現場事務所のところにです。川口水門の壁面コンクリートに補強鉄筋を埋め込むということです。「ポストヘッドバー工法」と書いてありました。

Img_3076c_20201013140901  旅館山月の裏あたりは、このように、通行制限が行われていました。奥が川口水門、七里の渡し跡方面。向かって右側を通ることができるようになっていました。

Img_3060c_20201013140901  今日は、このあと16時頃に、遠隔授業第2回の資料と音声ファイルをアップロードすることにしています。手順は、第1回目の時に習得できたはず(微笑)。先日、多度山ならどのルートを上っても、1時間もあれば頂上に行けるという話を聞いて以来、気になっています。

2020年10月12日 (月)

鳥果大いにあり、吉日(微笑)……ヤマガラ、並んだメジロ、コサメビタキ、エゾビタキ、セグロセキレイ【鳥名についての付記(10/13)】

Img_3059-2c  朝のうちは雲が多かったのですが、散歩の途中、9時半頃からはよく晴れてきて暑くなりました。台風接近中は肌寒いくらいでしたので、気候のめまぐるしい変化についていけません(苦笑)。昨日は、何だか疲れたと思ったのですが、午後の支援員養成講座で、2時間、マスクをつけて話をしていたのが、けっこうしんどかったのかも知れないと思い至りました。30人を超える方を対象にしていますと、マイクは使うものの、やはり大きな声になりますから、暑く、のどもかなり渇いたのです。それに、非常勤は、前期、後期ともに遠隔授業ですから、2時間立ったままで話しをするのは、2月以来でした。これも影響したかも知れません。思わぬところに、コロナの影響があるものです。

Img_2962-2c さて、それでも、今朝も7時半から散歩。それも11時半までの4時間も! 住吉神社、九華公園からシルバー人材センターのところを通ったら、同級生K氏に出会い、「ちょっと寄っていけ」ということになって、コーヒーを飲みながら、たぶん1時間くらい話し込んでいました(苦笑)。オッサンもおしゃべり好きなのです。その後、貝塚公園、外堀、吉津屋町、京町、寺町と6.2㎞ほどを歩いて帰宅。

Img_2810c  今日の鳥見は、成果がありました(微笑)。まずは、我が家のお隣、諸戸氏庭園というか、諸戸家の玄関前でシジュウカラやヤマガラに遭遇。諸戸氏庭園から出て来たところでした。シジュウカラは、うまく撮れませんでしたが、ヤマガラはそれなりに撮れました。幸先よし。七里の渡し跡近くの旅館山月の避雷針には、イソヒヨドリがいたのですが、写真は撮れませんでした。

Img_2937-2c  九華公園では、ホシゴイ1羽と、アオサギ1羽。ゴイサギや、カワセミは見当たらず。ホシゴイは、鎮国守国神Img_2831c_20201012171001 社の社務所裏の、また、アオサギは、九華橋に近い高いところの、それぞれいつもの場所にいました。アオサギ、ホシゴイなどを見られると、それなりに満足できます。

Img_2851c_20201012171001  そして、奥平屋敷跡。「目白押し」とまでは行きませんでしたが、メジロが2羽並んだところが撮れました(微笑)。視線の向きもシンクロしています。余計な講釈ですが、「目白押し」とは、「メジロが樹上に押し合うように並んでとまるところから」来ています。

Img_2944-2c  さらに、奥平屋敷跡には、こちらが。コサメビタキのように思います。そうであれば、昨日もいたのですが。アイリングがわりとはっきりしていて、嘴の下は黄色、胸や脇は淡い灰褐色ですから。奥平屋敷跡を移動して、回っていましたので、しばらく楽しませてくれました。

Img_2900c  このあと、鎮国守国神社にお参りし、もう一度、神社の社務所裏のところから、管理事務所近くを歩いていImg_2974c_20201012171101 たら、メジロとヤマガラの混群に遭遇。混群は、神戸櫓跡の方へ移動していきましたので、神戸櫓跡に上がってベンチで待機。期待通りやって来てくれました(微笑)。目の前にヤマガラが数羽やって来ました。

Img_3029c  朝日丸跡に散歩友達のOさんご夫婦の姿が見えましたので、話しに行ったら、そこに何と、セグロセキレイが登場。ハクセキレイは毎日のように見ますが、セグロセキレイはめったに見ません。キセキレイの方がまだ見られるのです。公園の外周遊歩道の東から、「ジジッ ジジッ」といった濁った声が聞こえていたので、ひょっとしたらと思ったら、その通りでした。川の上流に多いといわれます。

Img_2967-2c  幸運はまだ続きました。野球場の南にあるしだれ桜のところを外周遊歩道に向かって歩いていたら、エゾビタキが登場。いったん本丸跡に逃げられたものの、執念で追いかけました(爆)。「逃がしてなるものか」という感じ。本丸跡でいったん見失ったものの、野球場の南に戻って来たら、フェンスに来てくれました。ちょっと陽がまともに当たりすぎていますが、エゾビタキに間違いなし。

Img_2992-2c  外周遊歩道の南、柿の木レストランは、今日も繁盛。最初に通りかかったときは、メジロはいなかったのですが、通り過ぎよImg_2998-2c うとしたら、メジロがやって来ました。2羽のメジロが、同じ柿の実に来て、食事するところなども見られました(右の写真)。

Img_3012-2c  メジロたち、種を除けて、上手に、また、きれいに食べていきます。感心します。というような次第で、今日の九華公園での鳥見は、大いに成果がありました。モズの鳴き声もしていたのですが、姿は見られず。明日以降、反動が来ないか気になります。ちなみに、カモは今日も姿が見られませんでした。

Img_3145c_20201012171301  同級生K氏と話し込んだ後、10時45分に貝塚公園に到着。この時間ではもう何もいないかと思ったのですが、こちらを見つけました。またもや陽がよく当たりすぎて、胸の斑紋や、アイリングがしっかりとは判別できませんが、コサメビタキか、サメビタキと思います。このほか、カワラヒワを確認し、モズとメジロの鳴き声を聞きました。

Img_2920-2c Img_2923-2c  余談。七里の渡し跡のところは、川口水門になっています。ここの耐震補強工事が行われるようで、準備が進んでいます。川口水門、七里の渡し跡のあたりには、フェンスが設けられたり、仮設の小さな建物が作られていたりしています。

Img_2907-2c  住吉神社の前にある住吉水門の上流側には、現場事務所があり、今日はクレーン車も来ていました。通行止めにはならないようですので、いつも通りに散歩は続けられそうです。工事期間は、来年(令和3年2月末)までとあります。

Img_2860-2c  明日は、後期2回目の遠隔授業の資料と音声ファイルをアップロードする日。いつも、夕方4時頃にアップロードしています。先週の初回から欠席している学生もあって、ちょっと気になっています(対面授業でも、1回目には来なくて、2回目からという学生もいますが)。

【付記(10/13)】 貝塚公園で見たヒタキは、キビタキのメスではないかというご指摘をいただきました。

2020年10月11日 (日)

コサメビタキ、ミサゴ、メジロ、シジュウカラ……午後は、研修会の講師へ

Img_2859c_20201011191501  我が家あたりは、雨はそれなりに降ったものの、風はさほど強くはありませんでしたので、「台風一過」という感じではありませんが、今日は、久しぶりによく晴れました。午後は、研修会の講師に出かけることになっていましたので、朝7時半から10時は帰って来ようと「時間制限法」で散歩。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園と回り、その後は、内堀公園、京町、寺町と5.1㎞、予定通り10時に帰宅。

Img_2710c_20201011191701  九華公園に着いたのは、8時少し前。ちょうどアオサギさんの出勤場面に遭遇。南の方から飛んで来て、最近の定位置である、九華橋近くの樹上に降り立ちました。今日、このあたりにいたのは、このアオサギのみ。ゴイサギ、ホシゴイの姿はなく、カワセミも登場してはくれませんでした。

Img_2813c_20201011191901  奥平屋敷跡では、散歩&鳥見友達のYさんが、鳥を見ておられました。今日、奥平屋敷跡の中を回っていたのImg_2788c は、たぶんコサメビタキ。ムシクイもいたとおっしゃったのですが、私は確認できず。メジロなどは今日は、ここでは見られませんでした。コサメビタキは、英語では、asian brown flychatcherと呼ばれます。枝から飛び上がり空中で飛ぶ虫をくわえて、また元の枝に戻る、という行動をすることからこの名がついています。

Img_2756-2c  奥平屋敷跡から二の丸跡に向かうとき、上空をミサゴが通過。九華公園でもたまに見かけます。公園の堀にダイビングしてきたのは見たことがありません。

Img_2850c  貝塚公園に向かうべく、外周遊歩道を東から南へと歩いていると、メジロの姿を見かけました。10羽ほど。移Img_2803-2c 動しつつ、あの「柿の木レストラン」へ。二の丸橋の南のたもとあたりでは、シジュウカラが2羽ほど。

Dscn3546c  午後からは、予定通り、ウィルあいちで行われた「特別支援教育支援員養Dscn3550c 成講座」へ。名古屋へ行ったのは、たぶん3月22日に行った「相談会」以来(2020年3月22日:相談会に出かけた名古屋は人が少なくてビックリ……帰りにツバメの証拠写真)。今日は、名古屋駅前あたりは、かなりの人出でした。

Dscn3565c  13時30分から2時間、「心理検査でわかること・検査結果の支援への活用」についてお話ししてきました。受講してくださった方は30名ほど。「3蜜対策」で、人数を限定されたようです。受講者の皆さんは、いつもと同じく、熱心で質問もたくさん出していただきました。

Img_2721c_20201011191501  余談です。貝塚公園で「赤須賀城跡はどこか?」と尋ねられました。桑名城について聞かれることはよくあるのですが、こういう方はとても珍しいのです。「赤須賀城」は、室町時代の城館ですが、今は遺構は何もありません。場所は特定されていますが、民家で、どなたもお住まいではなく、草木が生い茂ってしまっています。こちらに桑名市の指定文化財、埋蔵文化財リストがあります。「埋蔵文化財」を見ると、遺跡包蔵地検索ができますが、そこに城跡も含まれています。よほどのマニアの方でないと、赤須賀城跡のような、いわばマイナーな城跡には目を向けないと思います。いやぁ、自分自身も含めてですが、いろいろな人がいます。

Img_2725c_20201011191501  遠隔授業は、第2週に入ります。第1回はオリエンテーションでしたが、第2回からは本格的に内容に入っていきます。学生諸君には、頑張って、継続して学習を続けて欲しいと思いますので、授業内容はもちろんですが、補足説明を通して、コミュニケーションを深めようと考えています。アサガオは今日も1輪、ニチニチソウはボチボチと咲き続けています。

2020年10月10日 (土)

雨が止んで、3日ぶりに少しだけ散歩

Img_2705c_20201010165301  大雨警報も出ましたが、16時までの24時間雨量は、138mmでした。15時を過ぎて雨も止みましたので、3日ぶりに少し歩こうと、九華公園まで往復してきました。1時間ほどで、3.3㎞。雨が止んだためか、歩いている人はけっこうあります。九華公園では、ホシゴイ2羽と、ゴイサギ1羽が、いつものように鎮国守国神社の社務所裏にいました。カワセミも飛んでいたのですが、よく見えるところには止まってくれず、写真は撮れず仕舞い。ゴイサギの写真は、ピンぼけ(苦笑)。アオサギ、カモはいませんでした。知り合いのKさんに会って、しばし歓談し、気分転換(微笑)。

Img_2665c_20201010165301  午前中は、11時前に宅急便でプリンタが届きましたので、早速セットアップ。プリンタ自体のセットアップは30分ほどで終了。そこから、私のパソコン2台、娘のパソコン1台にドライバなどをインストールしてセッティング。古いプリンタのドライバなどは削除。スマホからも印刷できるように、スマホのアプリを修正。これが、昼食をはさんで2時頃までかかりました。お陰様で順調(微笑)。思ったほど大きくもなく、無事にデスクに鎮座。エコタンク仕様です。

Img_2667c_20201010165301  ところで、後期第1回目の遠隔授業の出欠確認は、今日の正午が締切。受講登録者は、今のところ、50名台後半と前期の1.5倍。質問、感想などを読むのもかなり時間がかかりますし、それに対する説明、コメントを書くのに取りかかったものの、なかなか進まず。来週からは課題を課しますので、そのチェックもしなければなりません。いやぁ、遠隔授業の方が、仕事量はかなり増えて大変です。手当も1.5倍くらいにしてもらえないかなぁなどと、密かに思っています。

Dscn3544c  明日は、午後から、名古屋で特別支援教育支援員養成講座の講師。天気が良く、暑くなるとか。午前中は、いつも通りに散歩に行ってくることにしましょう。

2020年10月 9日 (金)

遠隔授業の録音中にもかかわらず、火災報知器の点検?!……何とか無事に終了

Img_2656c_20201009162001  今日も終日雨。気温も、ずっと16℃前後になっています。雨量は、今のところ、毎時間最大6mmほど。冒頭の写真は、夕方41009rain 時過ぎ。この頃の雨雲レーダーは、右の画像の通りで、さほど強い雨雲はありません。今日もまた、散歩には出かけておりません。代わって、午前中は、コンビニに行った後、第7回分の遠隔授業の録音会(微笑)。

Famima  コンビニに行ったのは、遠隔授業の資料を印刷するためでした。昨日も書きましたが、プリンタが不調に陥り、印刷できません。コンビニにあるマルチコピー機で印刷できるらしいと分かりましたので、あれこれ調べたら、パワーポイントのファイルは印刷できませんが、pdfにすれば大丈夫ということでした。ただし、USBメモリで持っていってもダメで、スマホからなら印刷できるとか。

Printsmash  ちょっと面倒だなと思いつつ、Google Playストアで“PrintSmash”というアプリをインストール、第7回授業資料をpdfで印刷して、スマホに保存。近くのファミマに出動(笑)。Playストアのアプリの評価を見ていたら、「使えない」「印刷できない」などとあったので、心配したのですが、手間取ったのはスマホとマルチコピー機をWi-Fiでつなぐところだけ。あとは、多少時間がかかったり、面倒だったりしましたが、無事に印刷できました。モノクロは1枚10円ですから、まあOK。しかし、便利なもの。

Img_2649c_20201009162001  帰宅して、9時半過ぎから録音を開始。となったのですが、思わぬ事態が発生(苦笑)。マンションの火災報知器の点検が始まったのです。「エ~ッ、そんな連絡来てないぞ!」と思ったものの、止めてもらう訳にもいかず。時々、ごくごく短時間ベルが鳴ったのですが、なるべくその合間を見計らって、録音作業を継続。その結果、若干、ベルの音が混じったものの、昼前に録音完了。最後のところで、学生たちには「お詫び」。いやぁ、苦労するというか、いろいろとあるものです。

1009taifuu  ところで、台風14号は、午後3時現在、足摺岬の南南東約230㎞㎞にあって、暴風域を伴いながらゆっくり北北東に進んでい1010weather るようです。テレビなどの予報によれば、明日午前中、東海地方に最接近とか。しかし、Yahooの天気予報では、さほどの雨量にはならないようになっています。ウ~ン、実際にはどうなのでしょう? まぁ、気をつけるに越したことはありません。皆様方にもどうぞ、くれぐれもお気をつけください。

Img_2643c  オマケ。アサガオ、今日もかなり小さいのですが、1輪だけ咲きました。

20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(その3)……阿下喜の町を歩いて「完」

Sohara4  10月3日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」、その3です。今回で、ゴールに至ります。その2で7㎞地点まで来ています。六石橋を過ぎて、員弁街道は右に逸れていきます。7.8㎞ほどのところに大西神社の御旅所があります。ここには、献燈籠も。8㎞の少し手前で、阿下喜駅から登ってくる道に行き当たりますが、ここが巡見道(治田からの枝道)との分岐点。員弁街道は右折して北に向かいます。ここには道標もありました。そのすぐ北、詳細なルートマップに星印をつけたところで、員弁街道は左折して西へ。今回の街道歩きはここまで。12時20分頃で、ちょっと迷いましたが、昼食を食べることに。上木(あげき)食堂に行ったものの、大賑わいで待っている人も多数で、断念。すぐ先にあるカドヤ食堂で昼食。阿下喜駅に向かいました。

Img_1899c_20201003194601  阿下喜の町に入る手前に六石橋。旧・員弁街道、過去のルートはこのあたりからもう少し員弁川に近いところを通っていましImg_1904c_20201007191201た。われわれが渡ったのは、西六石橋。すぐ南を北勢線が通っていますが、過去の員弁街道は、右の写真で、北勢線の向こうを通っていたということです。

Img_1916c  六石橋の先、7.4㎞あたりで旧・員弁街道は右に逸れていきます(左の写真)。この先、スタImg_1927c ートから7.8㎞のところに、大西神社御旅所と献燈籠があります。大西神社の八幡祭のとき、神輿がここで小休止します。

Img_1933c_20201003194601  献燈籠は、高さ2.7m。元は常夜燈で、員弁川の高瀬舟の船Img_1937c_20201007191901 着場の目印でした。文久元(1861)年のもの。正面には、「内外両宮/多度両社 献燈」とあります。ちなみに、高瀬舟とは、川船の一種。古くは小型で底が深かった(高背)のですが、のちには大型で舳が高く底の浅いものになりました。近世では多くの川筋で貨物輸送に用いられています。高瀬舟というと、森鴎外の短編小説にあります。弟殺しの罪に問われた喜助が、遠島の途次、高瀬舟の中で、同心羽田庄兵衛に問われるままに、罪を犯した事情を打ち明ける、というストーリーです。

Img_1951c_20201003194601  いよいよ今日のゴールも間近。8㎞の手前で、巡見道との分岐・道標となります。石井書店のすぐ北の三叉路に、道標があります。ここが、巡見道(いなべ市北勢町治田からの枝道)との分岐。道標には、「右 こもの 四日市」「左 くわな」とあります。コンクリートに囲まれ、ちょっとかわいそう。ここで時刻は、12時20分。阿下喜から西桑名に行く電車は、12時39分か13時39分。ちょっと迷ったものの、食事を選択。

Img_1956c_20201003194601  左の写真のように本町通りの坂を登って上木食堂に向かったのですが、上述のように、大賑わいで、待っている人が10Img_1959c 組くらい。残念。その手前に右の写真のように、何やら由緒がありそうな建物もありました。このほか、旧家・稲垣家もあります。ここは、写真を撮り忘れましたが、明治31(1898)年に員弁銀行を設立したといいます。

Img_1968c_20201003194601  結局、上木食堂から少し先、北勢郵便局の北にある大衆食堂「カドヤ食堂」へ。地元の方などでけっこう繁Img_1965c_20201003194601 盛していました。カツ丼(¥700)をチョイス。前期高齢者になったということもあってか(苦笑)、普段、こういうものは食卓には上りません(爆)。美味しくいただけました(微笑)。

Img_1975c_20201003194601  桐林館なども見ようかと思ったものの、食事をしてからしゃべっていて、電車の時刻も近づ  きましたので、阿下喜駅へ。その途中、石井書店の先に「牛馬坂」という坂があるのですが、はっきり確認できず。たぶん左の写真の坂が牛馬坂。

Img_1980c_20201003194601

 13時28分に到着。スタートからは4時間8分。ここまで楚原駅から9㎞歩きました。帰りImg_1994c_20201003194601 も、レトロカラー塗装の電車でした。

Img_1991c  ここ阿下喜駅は、「日本最西端のナローゲージ駅」だそうです。狭軌(1,067mm)より狭い線路幅は特殊狭軌、またはナローゲージといわれます。現在、日本で、通年に旅客営業をしているナローゲージは、ここ北勢線の他、四日市あすなろう鉄道の内部線と八王子線のみ。この3路線では、阿下喜駅がもっとも西にあるということ(こちら)。

Img_1997c  阿下喜駅の東には、軽便鉄道博物館があります。第1・3日曜のみ会館(ただし、現在、コロナウィルスの関係で休館が続いています)。モニ226が屋外展示されています。

Img_2010c_20201007194201  13時39分の西桑名行きに乗車。西桑名駅には、14時26分に到着。¥510。途中、めがね橋では、撮り鉄の方が数人、写真を撮っているのが見えました。

Img_2047c_20201003200301  この日のスマホ・アプリ・ALKOOのデータ。20,628歩でした。久しぶりによく歩いたという感じ。

Ageki0  「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」は、これにて「完」です。旧・員弁街道は、この先、いなべ市藤原町山田まで続きます(みえの歴史街道「濃州道(員弁街道)」)。まだ8㎞あまりあるのです。しかし、阿下喜からいなべ市藤原町山田まで歩くと、帰りに困ってしまうのです。最も近い駅は、三岐鉄道三岐線の西藤原駅。そこまで歩くとなると、約3.2㎞。いっそ、いなべ市藤原町山田までタクシーで行き、阿下喜駅に歩いてくることにしようかと思案中。

Img_1650c_20201007200501  余談。新しい桑名駅から西桑名駅の間に、桑名駅東口駅前広場の整備予想図が2種類、掲げられていました。サンファーレのImg_2012c 方から、回廊が続き、東口にもエスカレーターが設置される構想になっていました。桑栄メイトは立て替えられて、新しいホテルとして描かれています。駅前というのは、賑わいが必要と思いますが、さて実際にはどうなるのでしょう?

Img_2016c_20201007200901  ついでに旧桑名駅あたりも見てきました。左の写真は、閉館した桑栄メイトと、向かって右はサンファーレ。右の写真は、桑栄メイトの南にある階段。階段を上がった先に、旧・桑名駅東口がありますが、すでに登れないようになっImg_2017c_20201007200901 ています。

Img_2020c_20201007200901  桑栄メイトの北側の細い通り。桑名駅まで迎えに来てもらうとき、左の写真あたりにクルマ  を止めて待っていました。左の写真で右端に桑栄メイトへの入り口が写っています。ここを入ってすぐ右手にカトウ医院さんがありましたが、入れないようになっていました。

Img_2034c  旧・桑名駅東口(左の写真)。ここも入れなくなっていました。この階段のすぐ東には、調 Img_2025c 剤薬局(小林薬局さん)がありました。本社機能は残っているようですが、薬局そのものは閉店。

Img_2031c_20201007200901  東口には、名鉄タクシーの営業所もありましたが、こちらImg_2037c_20201007200901 も閉鎖。旧・桑名駅東口の北東には、桑名グリーンホテルがあります。その角に桑名市物産観光案内所が移転してきていました。ここはもともと「新之助貝新」があったところ。今は、たぶん人通りが少なく、新しい桑名駅からは来にくいところです。せめてサンファーレの中に移転すればよかったのに、と思います。

2020年10月 8日 (木)

結局、プリンタは新調することに……おやつは、中津川・川上屋の栗きんとん

Img_2612c  台風14号と秋雨前線の影響で、終日雨。毎時間2~3mmくらい降り続いています。気温も上がらず、最低気温14.8℃、最高気温16.3℃とほとんど上がらず、しかも11月の気温とか。寒い1日。さすがに散歩はしていません(苦笑)。初めから降っているときは、歩きには行きません。

Img_2633c_20201008153601  代わって、不調に陥ったプリンタの対処を朝からしていました。壊さない程度に(爆)、外せるところを外しImg_2637c て掃除してみたり、給紙・排紙部分を調べて見たり。多少のゴミは出てきたものの、用紙の破片が詰まっていたりはしないようでした。しかし、相変わらず、給紙ができません。プリンタ本体に向かって右側で引っかかってしまうのです。何回試みても、同じ。クリーニングをしようと思って、ダイソーで「FAX&プリンタ用クリーニングシート」を買ってきたものの、給紙ができないのでは、使いようがありませんでした(苦笑)。後のために保管しておきます。

Px049a_120_90  これまで使っていたプリンタは、エプソンのPX-049A。愚息が、就職して半年間実習に行っているときに買って、持ち帰ってきたもの。4年前に発売されたもので、まだ修理対応期間中ですが、調べたら基本修理料金は¥7,000。私は、たぶんごく普通のお宅で使うよりも、はるかに酷使しています。コロナ以前から、形の上では自営業で、授業資料や報告書、趣味でまとめたものなどかなり印刷しています。コロナ以降、非常勤の授業は、遠隔授業になりましたが、内容を検討するプロセスで、印刷量はむしろかなり増えました。裏紙も使いますから、それもよくないのかも知れません。ウーンとしばし考え込んだ結果、私にとっては消耗品に近いものと割り切って、新調することにしました。

Ph_visual_ewm752t_img01  印刷量がかなりになりますから、大容量インクのタイプにすることにし、EpsonのEW-M752TCanonのG6030ブラザーのDCP-J988Nなどを候補に検討。ネットでの評判(価格.comなど)を見るのですが、あれこれ書いてあって、逆に決まらない状態に(苦笑)。ブラザーのDCP-J988Nは、安価でADFもあって魅力的でしたが、スキャナーがイマイチで、写真のきれいさに劣るとあり、また、CanonのG6030も評判は必ずしも芳しくない。ということで、かなり消去法的に、EpsonのEW-M752Tを選択。ネットショップで価格を比べ、エディオンで発注(¥39,900)。土曜日に届く予定。

Img_2627c_20201008153601  本来でしたら、「晴歩雨読」ですが、今日は、プリンタのことでかなりの時間をつぶしてしまいました。珍しく、スイーツの話し。昨日の「桑名城惣構ツアー」で案内したSさんご一行から土産をいただいたと書きましたが、それがこちら。どうして我が家の好物をご存じかと思ったのですが、皆様、この方面にゆかりがおありのようでした。中津川・川上屋の栗きんとん。今日のおやつに美味しくいただきました。とくに娘は栗きんとんが大好物で、「5つくらい平気」といいながら、朝から1つ食べて出勤しております。

Img_0666c_20201008153601  今年は、9月の末には、すやの栗きんとんを食べています。これは、娘がJR名古屋タカシマヤで買ってきたもの。これで、あImg_0673c_20201008153601 とは、恵那寿やの栗きんとんを制覇すれば、この地方の有名栗きんとんをコンプリートできるのですが……。実は、恵那寿やさんの栗きんとんは、9月8日に非常勤先に遠隔授業講習会に行った帰りに買おうと、途中下車までして四日市近鉄百貨店に立ち寄ったのですが、16時過ぎと時間が遅くて完売でした。リベンジを謀らねば(笑)。

14  台風14号が気になります。今のところの予報では、このあたりは、土曜日が大雨となっています。土曜の午後くらいに東海地方に最接近のようです。どちら様も、十分気をつけましょう。

20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(その2)……寝覚めの橋、大聖不動、文治の墓、久保院、麻績塚古墳、戦没者紀念碑を経て、阿下喜の町に近づく

Sohara1 10月3日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」、その2です。その1では、楚原駅、楚原神社、天白神社、真養寺から瑞龍院観音堂までやって来ました。寄り道が多く、スタートからは、まだ2㎞ほどです。詳細なコースマップもまだその1の範囲。瑞龍院観音堂は、国道421号線の笠田新田のすぐ北にあります。

Img_1780c  観音堂を過ぎたあたり。昔ながらの街道という雰囲気がたっぷりのところを下っていきます。同行のK氏、MImg_1782c_20201007072501 氏とも、「これで間違いないのか」と不安そう。確かに(微笑)。左の写真の先は、右のような写真のところを下っていくのです。

Img_1793c_20201007072901  この先で、寝覚めの橋。スタートから2.2㎞ほど。明智川にかかっていますが、かつては目も覚めるほImg_1784c_20201003190801 ど立派な朱塗りの橋だったそうです。左の写真の中央に写っているのですが、明らかに失敗写真。確かに歩いたという証拠としてご覧ください(苦笑)。その手前右に、石碑。何となくではありますが、「寝覚めの橋」と彫られているような気がします。「祢?免乃橋」とあると思うのですが、くずし字は読みたいと思えど、読めず。陰には「二井文?左衛門」とあるような感じ。これまたアヤシい。

Sohara2  寝覚めの橋を過ぎると、詳細なルートマップもやっとその2になります。「いなべ警察東」の交差点の北側を通って行きますが、ここで旧・員弁街道は大きく湾曲しています。この理由は定かではありません。文治の墓をみて、大聖不動を経て、いったん県道5号線にでます。上笠田の信号から、左に、細い道で逸れていきます。民家に入って行くような道でちょっと心配になります。3㎞を過ぎて、ちょっとだけコースミス。南(左)に逸れてしまいましたが、すぐに気づいて戻り、事なきを得ます。山田川にかかる山田橋を渡り、昭和電線ケーブルシステムの方へ坂道を上り、久保院、麻績塚古墳、戦没者紀念碑に立ち寄ります。

Img_1807c_20201003191701  寝覚めの橋を渡った先、街道がカーブしているところに「文治の墓」。寛政11(1799)年のもの。宇野村と笠田新田の水路Img_1810c の争いで亡くなった農民・文治の墓。鍬・鎌・竹槍等を手にした百姓の喧嘩で、宇野村の文治(35 歳)が重傷を負い、戸板に乗せられて村へ引き揚げる途中、明智川を渡った西側まで来てとうとう絶命するという悲惨な事件が起きた、その文治が絶命したといわれる地に、ため池を望むように墓が建てられたといいます(こちら)。上掲のルートマップ2の右上にわずかに見えているのが、笠田大溜。その手前にも、荒田溜、宇野溜があります。神明神社とあるのは、笠田新田の神明神社。文治の墓、古いものの向かって左には、新しい墓。この先も、本当に街道か?」と思うようなところを通って、大聖不動に出ます。

Img_1816c_20201003192501  大聖不動。かつては、藤の花が美しく、「藤の棚不動」と呼ばれたそうです。しかし、周りをざっと見たとImg_1819c_20201007075701 ころでは、藤らしきものは見当たりませんでした。ちなみに、不動明王は、大日如来の命を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させます。右手に利剣、左手に縄を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿で、怒りの形相に表すといいます。この「大聖不動の前に石灯籠がある」とみえの歴史街道「濃州道(員弁街道)」のコースマップにあったのですが、左の写真にチラッと写っているだけで、きちんとは見てきませんでした。大聖不動で、2.7㎞。

Img_1813c_20201007080201  大聖不動の手前で県道5号線に出て、県道を300mほど歩きます。上笠田の信号交差点を過ぎて、左手に逸れImg_1828c て行きます。

Img_1831c_20201003192801 Img_1834c_20201003192801  民家の庭先に入っていきそうな道を恐る恐る進んだ先には、写真のように、木々が生い茂った中を通る道が見えてきます。またもや、「こんなところが街道か?」「間違いないのか?」と同行の二人に聞かれます。何度地図を見ても、間違いはありません。その先に「上笠田 北稲荷」。地図にもなく、ネット情報もありませんが、お参り。

Img_1839c  さらに行くと、自動車屋さん(笠田自動車)の工場。街道沿いの敷地には、古いFordのクルマが置いてありました。古き良きImg_1842c_20201007080801 時代のアメ車という感じ。ナンバーもついていて、走れるようでした。オーディオというか、ラジオも、何とも懐かしいスタイル。3人とも、あれこれ眺めてきました。

Img_1852c_20201003193201  このあと、いったんコースミス。行った先がグルッと左に回って、東を向いた道になりましImg_1857c_20201003193201 たので、ミスに気づき、すぐに戻って、結果オーライ。その後も木々の間を下っていきます。下った先で山田川に行き当たります。山田橋を渡っていなべ市北勢町麻生田に入っていきます。ここからは、一昨年、あげきのお雛さんを見るのに歩いたところ(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。

Img_1873c  その先、4㎞を過ぎたところで、久保院・麻績塚古墳、戦没者紀念碑に立ち寄ります。10時50分頃。ここも、上記のリンクにある近鉄ハイキングで訪ねています。久保(くぼ)院は、笠田村和波九十郎氏の二男、久保(ひさやす)氏(明治12(1879)年~明治29(1896)年9月没・当時18歳)の追善供養のため、私有地に寺院建立と霊場を作る事を発願し、近隣、同志に呼びかけ篤志浄財(郡内14大字区、個人133名)により明治31(1898)年9月に完成しました。「麻績塚(おみづか)古墳」は、4世紀ごろつくられたと伝わる、大小2つの古墳からなっています。埋葬された人物の名をとって、一般に「麻績塚」と呼ばれます。墓の主の名は、伝承によれば「神麻績連」。天物知命(あめのものしりのみこと)の后、また、桑田玖賀(クワタノクガ)の姫ともいわれていますが、その名の通り、麻の栽培・紡織といった生産に深い関係を持っていたと思われます。久保院には、四国八十八ヶ所の土をもらい受けて、新四国八十八ヶ所霊場も設けられています。詳細は、2018年3月3日の記事(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その3)……鈴鹿山脈を眺めながら、久保院、麻績塚古墳・久保院八十八ヶ所道など)をご覧ください。

Img_1868c  戦没者祈念碑は、「陸軍大将桂太郎謹書」と刻まれています。桂太郎は、明治時代の軍人、政治家(弘化4(1848)~大正2(1913)年)。明治34(1901)年には、総理大臣も務めた人物です。この紀念碑のところで休憩。休んでいたら、地域の方がいらっしゃいました。交代で掃除をしておられるそうで、冗談半分で「掃除に来てもらったのかと思った」といわれ、苦笑。

Img_1879c_20201003194201  さて、久保院・麻績塚古墳、戦没者紀念碑を出ると、しばらく立ち寄るところはありません。ひたすら歩きImg_1886c_20201003194201 ます。しばらくは上り坂が続くのですが、遠くに阿下喜の町や、藤原岳、太平洋セメントの工場が見えてきます。スタートから6.3㎞あたりで、再び、旧・員弁街道に入ります。6.7㎞付近から、街道は、三岐鉄道北勢線の線路と並行します。

Sohara3  詳細なルートマップは、その3へ。赤い星印をつけたところから、旧・員弁街道です。実は、その前に、神護山萬笑院(しんごさんばんしょういん)に立ち寄ろうと思ったのですが、昭和電線ケーブルシステムの工場を過ぎたところで左折しなければならなかったのを通り過ぎ、途中で尋ねたら要領を得ない答え。やむなく県道5号線の麻生田交差点南で左折して行こうと思ったものの、遠回りになることに気づき、断念。ちなみに、萬笑院は、臨済宗妙心寺派。御本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作と伝わっています。は14世紀に龍象山萬松院と称え、天台宗の道場であつたと伝わっています。

Img_1895c  スタートから7㎞あたりで、「北勢町阿下喜」という表示板があります。天気がよければ、藤原岳もよく見えて、気持ちの良い景色が広がっていたはず。その2は、ここまで。その3では、阿下喜の町について。

 

2020年10月 7日 (水)

「桑名城惣構ツアー」とバードウォッチング少々……キンクロハジロ飛来、サメビタキ(?)も

Img_2596c_20201007151701  今日は、かねてからのご依頼で、「桑名城惣構ツアー」に行ってきましたというか、俄(インチキ?)ツアーコンダクターを務Kuwanasougamae0_20201007151701 めてきました。ずいぶん以前のブログの記事について、ご質問をいただいてメールでやりとりをしたSさんから、「桑名城の惣構(そうがまえ:城や砦の外郭、またはその囲まれた内部をいいます。今回は、惣構堀です)を案内して欲しい」というご依頼を受け、今日のツアーに至りました。柿安コミュニティパーク入り口にある本多忠勝銅像前にて待ち合わせ。Sさんご一行4名と、歩いてきました。桑名城惣構については、8月に実地調査を何回かして、右の画像のように確認。住吉神社のところから、住吉入江、寺町堀、吉津屋堀から吉津屋見附西の緑地帯、伝馬公園の南、七曲がり見附跡、日進小学校南、市営東新町住宅から桑名税務署付近、柳原の南から赤須賀へと約3.4㎞。

Img_2601c_20201007151701  今日は、昼食をはまぐりプラザの食堂はまかぜで11時半に予約ということで、まずは、本多忠勝銅像から九華公園(桑名城址)、中橋から歴史を語る公園あたりの桑名城城壁、春日神社の青銅鳥居、志るべ石、貝塚公園を経てはまぐりプラザへ。ここで昼食の後、赤須賀から惣構を辿って歩いて来ました。ほぼ2枚目の画像通りに歩いたのですが、吉津屋見附跡からは東海道を京町見附跡(京町公園)へ。一部寺町商店街を通って、桑名別院本統寺で、芭蕉の句碑を見て、本多忠勝の菩提寺である浄土寺へ。この頃から雨が降り始め、ちょっと残念。その後は、拙宅前を通りましたので、私はここでお役御免としていただきました。Sさんご一行は、六華苑をご覧になって、揖斐川沿いを歩いて、七里の渡し跡、蟠龍櫓から本多忠勝銅像に戻られたはず。「ブラタモリ」みたいでおもしろいといっていただいたので、素人ツアコンとしては一安心。

Dsc_0003c  昼食は、ご馳走になってしまいました。食堂はまかぜで、焼きはまぐり定食(¥2,000)。焼Dsc_0004c き蛤4個の他、シジミの味噌汁、海苔の風味のはまぐり磯部揚げ、はまぐりフライなど、あさりの時雨の炊き込みご飯。デザートもついていました。

Dsc_0005c  焼き蛤は、その場でコンロで焼いて食べます。アルミホイルにつつまれた生の蛤。焼けると殻が開いてきます。生の蛤ですので、塩分が利いていて、プルプルで美味しい。満腹(微笑)。別れ際には、我が家の大好物であるお土産までいただいてしまい、恐縮至極。楽しんで帰っていただけたらなら幸いです。

Img_2580c_20201007151701  ところで、待ち合わせは9時半過ぎでした。時間に余裕がありましたので、少し早めに出て、九華公園を半周し、バードウォッチング(微笑)。良いことがありました。二の丸堀にキンクロハジロが1羽、やって来ていました。今年のカモ飛来第1号です。去年は、10月4日にハシビロガモのオスが1羽(2019年10月4日:九華公園に遠来の客、ハシビロガモ……上之輪新田偵察の結果はいかに?)、キンクロハジロは10月7日に来ています(2019年10月 7日 :九華公園にキンクロハジロ飛来、揖斐川沿いでノビタキか?……午後は市民大学講座へ【付記:コメントの反映遅延について】)。ほぼ同じ時期にやって来ます。

Img_2592c_20201007151701  他には、こちら。ちょっと判別が難しいのですが、胸のあたりに縦の斑紋がはっきりとは見えませんから、エゾビタキではなさそう。灰褐色の、不明瞭な斑紋があるので、サメビタキかという気がしますが、斜め後ろからしか見えませんでしたので、自信はありません。サメビタキなら、鳥図鑑+1になるのですが……。

Img_2552c_20201007151701  アオサギさんは、2羽。左の写真は、九華橋近くの高いところにいつも来ているアオサギ。右は、鎮国守国神Img_2549c_20201007151701 社の社務所裏に近い木にいたアオサギ。なお、今日は、トータルで9.5㎞を歩いてきました。よく歩きました。

Img_2526c_20201007151701 Img_2522c  今日は、時間割上、後期の遠隔授業第1回の日。16時現在で、受講登録者は、51名。けっこう多い(去年の対面授業に近い人数)。出席確認は、13名ほど。コメントを見ても、まあまあ順調にスタートしたかと思います。左の写真は、今朝の南東の空(6時20分過ぎ)。アサガオ、さすがにもうつぼみは出て来ていません。

20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(その1)……楚原駅から瑞龍院観音堂まで

Img_1675c_20201003172701  10月3日に行ってきた「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」の本編その1です。雨で予201003sohara 定を延ばさざるを得なかったり、猛暑の時期は避け、涼しくなるのを待っていたりしていて、前回からほぼ半年ぶり(2020年4月11日:20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(予告編)【参考資料を追加しました(4/12)】)になっていました。今回は、楚原駅から阿下喜駅までを歩きました。例の3人組(笑:決してアヤシい3人組ではありません、同級生K氏、畏友M氏と私)で行っております。冒頭の写真は、鉄道むすめ、三岐鉄道北勢線のキャラクター「楚原れんげ」ちゃん。楚原駅で撮影。ちなみに「楚原」は「そはら」、「阿下喜」は「あげき」と読みます。

Img_1660c_20201004190601  事前の打ち合わせにより、三岐鉄道北勢線西桑名駅を8時23分に出る阿下喜行きに乗車します。この日は、レトImg_1665c_20201004190601 ロカラー塗装の電車が運行されていました。これは、北勢線の開業100周年(2014年)を記念し、同線で運用している車両が三重交通時代の塗装に変更されたものです。当初は、車両の一部だけでしたが、その後4両ともレトロカラー塗装になっています。北勢線は大正3(1914)年4、現在の西桑名(三重県桑名市)~楚原(いなべ市)間が北勢鉄道(後に北勢電気鉄道に改称)として開業、昭和6(1931)年までに西桑名~阿下喜間が全通しました。戦時中の昭和19(1944)年、北勢線は三重県内の他の鉄道・バス会社との合併により三重交通の路線になったのです。

Img_1670c_20201004190601  西桑名から楚原までは、¥430。土曜日で、下り電車ですので、空いています。4両編成でしたが、多くても1両に4~5名の客。同級生K氏は、途中、星川駅から乗車。畏友M氏は、楚原駅へクルマで直行しますので、駅で待ち合わせ。北勢線は、いわゆるナローゲージの電車。

Img_1678c_20201003172701  楚原駅には、9時8分に到着。45分の乗車でしたが、のんびりとした小旅行というイメージ。最高速度45km/hで、ガタンゴトンと走ります。ここでM氏と合流。楚原駅を9時10分にスタート。

Sohara1  こちらが、この日の詳しいルートマップその1。楚原駅の北東に「ここから員弁街道」と書いてありますが、ここまでが、前回歩いたところ(ただし、その後ヨシヅヤ出食事をし、ねじり橋とめがね橋を見に行っています)。いったん、前回の終点に向かって進み、楚原神社に立ち寄り。楚原神社を出たところで、M氏が、踏切の向こうに天白神社があるというので、行ってみることにしました。その南に立派な寺が見えましたので、さらに寄り道。八英山真養寺。ここから元のルートに戻り、1㎞あたりで、里程標と石碑2基。員弁街道に入って北西に進み、国道421号線を越えて瑞龍院観音堂と、寝覚めの橋へ。

Img_1693c_20201003173501  楚原神社。旧社格は、村社。天文7(1583)年、八幡社(品陀和気命)を勧請し、氏神として尊崇されていました。しかし、永禄12(1569)年、兵火にかかり神殿を焼失し廃退しますが、のちに復興。明治40(1907)年、村内の小祠と御薗にあった御薗神社などを合祀して楚原神社と改称しています。

7776c598  主祭神は、品陀和気命(応神天皇)。相殿神は、天照大御神須佐之男命大山祇神火産霊神宇迦之御魂神大国主命。相殿神が、6柱いらっしゃいますが、これは、上記のように明治40(1907)年に御薗神社をImg_1684c_20201004194401 始めとする7社を合祀したため。

Img_1686c_20201003173901  境内には、忠魂碑が1基あります。昭和32(1957)年4月の建之。日陰には、「殉国英霊」として、昭和12(1937)年の日中戦争から第二次世界大戦までに戦没された23柱の方々のお名前が刻まれていました。

Img_1696c  続いて、楚原駅西の踏切を渡って、南西へ。天白神社に向かいます。このあたりは、M氏の父上の故郷だそうで、よくご存じ。神社のところだけ、こんもりと杜になっています。なかなかよい感じなのが、遠くからでも分かります。

Img_1699c_20201004195101  神社検索(三重)では、楚原御厨天白神社となっており、これが正式な名前のようです。鎮守の森がなかなかよい感じの神Img_1702c_20201003174101 社。主祭神は、天照大神。御厨ですので、伊勢神宮の神領地に関わりがあると考えられます。元暦年中(1184~85年)に村人がここに神社を再建して五穀の豊穣を祈ったといわれています。

Img_1711c  天白神社の南に、真宗大谷派の八英山真養寺(しんようじ)があります。楼門は平成15Img_1715c_20201003175501 (2003)年に再建されたといいます。ここに立派な虎の彫刻がありました。気になって調べたら、左甚五郎の一番弟子の手によるものだそうです(ただし、ここに飾られているのはレプリカ)(こちらを参照)。本物は、本堂に保管されています。

Img_1717c_20201003175501  天正2(1574)年に近江・番場(現滋賀県米原市)の時宗の蓮華寺の僧・麟龍がこの地に隠居して建立したのが始まり。元和7(1621)年、3代・蟠龍の時に真宗に改宗。寛永13~16(1636~39)年、大泉新田開発に伴う笠田溜池築造工事の頃、桑名藩主・松平定綱が溜池で舟遊びをした時に当寺を定宿にし、門信徒の工事の功績を称え星梅鉢の紋を賜ったといいます。天和2(1682)年、東本願寺常如上人から真養寺の寺号を賜っています。

Img_1746c_20201007044501  真養寺の北西に、楚原放光菩薩地蔵堂がありました。「放光地蔵」というのは、珍しいと思い、調べました。「放光」はもちろん光を放つことですが、とくに「仏菩薩が身体や白毫(びゃくごう)などから光をはなつこと」をいいます。六地蔵というものがあります。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のそれぞれにあって、衆生(しゅじょう)の苦悩を救済する地蔵菩薩です。このうち、人間道を化すのが、放光地蔵とされています。

Img_1720c_20201003180401  真養寺から楚原駅の方に戻り、すでに1㎞近くを歩きましたが、公民館の庭に里程標が建っています。碑表には「桑名郡桑名Img_1722c_20201004201701 町字京町エ四里壱町十六間/津市元標エ十四里貳拾五町拾九間/大泉原村大字楚原」とあります。さらに、右側には「三重郡富田村大字東富田エ四里拾三町貳十四間/桑名郡七取村大字香取エ貳里三拾壱町四拾壱間」、碑陰には「明治四十五年三月 三重縣」、左側には「員弁郡阿下喜村大字阿下喜壱里三拾壱町四拾壱間」とあります。

Img_1725c_20201003180401  その先、市営住宅の敷地には、石碑が2基あります。向かって右の大きい石碑には「如禾必(以か?)稲/直胤筆」と刻まれています。「禾」は「のぎ」、イネ科植物の先端にある毛、穀物、いねなどの意味があります。その傍らにある、小さい石碑には、「死亡會員(?)霊位」とあり、碑陰には「昭和十一年一月?九日追?……」とありました。前回の疑問が解消されないままですが、ネットでの検索では情報が見つけられませんでした。

Img_1733c_20201003181601  員弁街道に入って北西に向かって進みます。道幅も、昔のままのような感じがします。旧街道は、生活道路になっていることImg_1740c_20201003181601 が多いのですが、楚原から笠田新田あたりは、クルマの通行もあまりありません。右の写真は、国道421号線を斜めに渡った先の辺りの様子。ヒガンバナも咲いていました。ここまで来ると、道は細く、田舎道という印象。

Img_1768c_20201003182001  スタートから2㎞ほど、笠田新田の信号の北側に瑞龍院観音堂があります。真宗大谷派。この観音堂には、真中に聖観音菩Img_1746c_20201007044501 薩像が、また、左側には抜雲(ばつうん)和尚が自分の像を彫ったもの(木像)が安置されているといいます。抜雲和尚の像は、旱魃のときこの像を背負って雨乞いをし、ご利益を得たそうです。抜雲和尚は、永明山長楽寺(いなべ市藤原町篠立)の第7代。その昔、三谷川の最源流、拘留孫岳(くるそんだけ、標高772m)中腹に大蛇が住んでいたそうです。抜雲和尚がここにある大杉の根元に石の唐戸を造り、念力をもってこの大蛇を小さなトカゲに変えて閉じ込めたのですが、篠立(いなべ市藤原町立田地区にある地名)が大日照りで困った時はこの唐戸に祈願すると雨を降らしてくれるようになったといい(「龍王さん」と呼ばれています)、抜雲和尚には、雨乞いに御利益があるとされたと思われます。観音堂の前には笠田新田延命地蔵堂。この地蔵堂は、昭和7(1932)年3月に、観音堂の和賛講中の11名の方が発起人となって建立したもので、堂は赤溜の旧観音堂を改築し、本尊の地蔵菩薩像は桑名で購入したそうです(こちら)。この延命地蔵の後ろに多湖健一の句碑があるというのですが(こちら)、後から調べて分かったことで、この時は見逃しました。

 ちなみに地蔵堂の横にあったのが左の写真Img_1755c_20201007045201 。文字が読めず、ネットで調べても分からず(苦笑)。右の写真は、地蔵堂の裏Img_1762c_20201007045201 の方に建っていました。まだ新しく、「銀杏の木青葉は黄金の色と散る/悉皆金色弥陀の本願念仏」とあります。短歌のような、違うような。

Img_1765c_20201007045201  さらには、左の写真のような石碑も。これには、「母繁八十歳の碑」とありました。けっこImg_1760c う古いもの。そして、地蔵堂の脇には、右の写真のように、「村社神明社」という標柱があります。陰には、大正8(1919)年9月に寄進されたと彫られていました。笠田新田の神明社は、現在は、笠田大溜のところにあります(ここから北へ1.1㎞ほどのところ)。昨年9月23日に「いなべ市員弁町「笠田新田」と「大泉新田」の両神明社合同『弁天祭』が開かれた」という記事がありました(こちら)。このとき、行列がこの観音堂にいったん入ってから、笠田新田の神明社に向かったとあります。観音堂と神明社に何か関わりがあると考えられますが、今のところ、これ以上は不明。

 その1はここまで。畏友M氏からも、「記事が長い」といわれております(苦笑)。楚原駅あたりで、いきなり寄り道をしていましたので、まだ2㎞ほどしか歩いていません。ハイキングはさらに西に進みます。

2020年10月 6日 (火)

散歩中は曇天で風も強く、鳥はおらず……後期第1回の遠隔授業準備は滞りなく終了【プリンター不調についての余談あり(10/6)】

Img_2460c_20201006171601  どうも散歩中は、曇っていて風も強く、帰宅すると晴れてくるという巡り合わせになっているようです(苦笑)。特段、悪いことをしているつもりはないのですがねぇ……。それはさておき、今日も7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町と、今日も謀ったように5.7㎞。歩く距離までワンパターンとは、これいかに(爆)。10時過ぎに帰宅。冒頭の写真、今朝のアサガオ。まだしぶとく、1輪咲きました。しかし、そろそろ限界か、次のつぼみが見当たりません。

Img_2685c  歩いている間は曇天で、北西の風がやや冷たく、散歩する人も、野鳥もかなり少なめ。九華公園に着くまでに聞いたのは、カワImg_2668c_20201006171601 ラヒワとヒヨドリの鳴き声くらい。最近、カラスも少ない気がします。九華公園でいつものようにいたのは、アオサギとホシゴイ、1羽ずつ。

Img_2659c_20201006171601  北門を入ってすぐの堀には、何故かカルガモが3羽いました。いったいどういう風にできたグループなのでしょう? 管理人さんに確かめたら、昨日の午後から3羽になったといいます。試しに「アーちゃん!」と呼びかけたら、2羽が寄って来てしまい、どれがアーちゃんか判別不能(苦笑)。

Img_2484c  奥平屋敷跡では、メジロ、シジュウカラがいたものの、木の奥で写真には撮れず仕舞い。その代わり、イソヒヨドリのメスが来ていました。オスはこの間見ましたが、メスは初めて。最近よく話すようになったMさん(畏友M氏とは別人)、「朱に交われば赤くなる」で私の悪影響をもろに受け、「鳥が気になるようになった。どうしてくれる?!」といわれます。「自己責任で」と答えていますが、同好の士が増えるのはありがたいこと。

Img_2698c_20201006171701  貝塚公園では、カワラヒワがいたものの、他には鳥果なし。

Img_2505c  明日から、後期の遠隔授業が始まります。前日には資料をネットに載せるようにという指示がありますので、今日は、16時頃から授業資料(pdf)と音声ファイル3本をアップロード。シミュレーションはしていましたので、トラブルなく済ませられました。途中、マニュアルになかった方法を発見してしまいました。こちらの方が楽(微笑)。「状況が変われば、対面授業に戻す」ということですが、冬に向かいますから、それはかなり難しいかも知れません。先ほど見たら、気の早い学生がすでに「出席確認」をしてくれていましたので、無事に聴講できることも確認できています。

Img_2454c  明日は、とある経緯で知り合った方のご依頼で、「桑名城惣構ツアー」の「俄ツアー・コンダクター」(微笑)。以前から、時々「インチキ歴史案内人」をナイショで務めていましたから、大丈夫という気もしますが、さてはてどうなりますやら? 個人的には、上記のように、第1回遠隔授業の準備も無事に終えましたので、安心して出かけられます。左の写真は、今朝の朝焼け。きれいでした。5時45分頃の撮影。

 余談。プリンタが不調。紙がきちんと給紙されなくなりました。斜めに給紙され、詰まってしまいます。エプソンのPX-049Aという機種。給紙ローラーに汚れがあるのか、細部は確認が難しく、原因は今のところ、不明。チョー困ります。ごく普通の方に比べれば、酷使しています。紙は、毎月500枚くらいは使用。遠隔授業になってから、資料の確認をよくするようになったため、紙の使用量は増えています。このくらい印刷するのであれば、エコタンク仕様のものの方が、ランニングコストは安いはず。再度調べて、不調なら、新調を考えましょう。しかし、出費は痛い。

 プリンタ不調についての追加。「プリンター・クリーニング用紙」があるそうです。ダイソーなど100均でも売っていて、効果があるとか。プリンタを新調する前に、試してみる価値が大いにありそうです。結果はまたここに書きます。

2020年10月 5日 (月)

モズのオス、イソヒヨドリのメスにコサギ、アオサギ……午後は郷土史講座へ

Img_2247c_20201005172801  午前中は曇天で、時折雨がぱらつくという天気でしたが、午後からは晴れて、北西の風が強くなりました。最高気温は、25.7℃。午前中はちょっと湿度が高い感じ。朝はいつも通りに散歩、午後は市民大学郷土史学科の講座。散歩は7時半スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園から中橋、春日神社、田町、寺町と5.7㎞。幸い、今日も、我が家の前まで帰ってきたら降り出したというパターン。

Img_2267c_20201005173201  九華公園まで、ほとんど鳥を見ませんでした。北門を入った堀にコサギ。しばらくは私に気づかなかったのですが、気づいた途Img_2278c 端、鎮国守国神社の社務所裏の木に逃げました。写真を撮るだけですから、もう少しフレンドリーになって欲しいところ。その後も見ていたのですが、なぜか右の写真のように、両足を開いて、踏ん張っているようなスタイル。

Img_2289c_20201005172801  アオサギ、今日は1羽のみ。九華橋にほど近い樹上にいます。いつものアオサギさん。以前からずっときているImg_2292c-2 アオサギと思います。高いところにいて、安心しているのか、最近はこのように、休んでいるところをよく見ます。そして、今日は、ホシゴイを1羽見つけました。やっぱりいるのはいるようです。ヤマガラ、コゲラの鳴き声も聞こえましたが、姿は見られず。

Img_2321c_20201005172701  貝塚公園に行く途中、立教小学校のところで、校舎の方からモズの鳴き声がしてきました。探してみたのですが、モズは見つからず。代わりに、イソヒヨドリのメス。校舎屋上の端にいました。曇天で、こんな証拠写真。

Img_2397c_20201005172701  貝塚公園も鳥は少なかったのですが、しばらく待っていたら、モズのオスが登場。他にはImg_2377c_20201005172701 は、シジュウカラ、カワラヒワなど。

Img_2420c  今日は、ここから立教小学校の西、さらに九華公園の西を回って、中橋へ。ゴイサギ、ホシゴイが集まるところがあります。九華公園にいないなら、こちらにいるかと思ったのですが、当ては外れました(苦笑)。

Img_2430c_20201005172701 Img_2433c  中橋まで来ると、春日神社(桑名宗社)もすぐ近く。8月の「村正史跡めぐりスタンプラリー」以来ですから、お参りしていくことに。楼門に向かって左手の壁に、桑名に氏ロータリークラブが寄附した説明板があります。内容はいくつかあって、変わります。今日は、「御車祭(みくるまさい)」。毎年9月17日・18日に行われます。700年前の鎌倉時代に始まったと伝わります。と書きつつ、まだ見たことはありません(苦笑)。中臣神社の例大祭で、後期桑名祭とも。第二次大戦までは、「楼車」が2台あって、神社前で奉楽が行われたそうです。現在は、烏帽子に狩衣姿の小学生たちが太鼓と横笛の演奏を奉納します。

Dscn3534  ところで、午後からは、冒頭にも書きましたように、市民大学郷土史学科の講座、第5回目に出席してきました。今回は、「本能寺の変 余波」というテーマ。徳川家康の他、北条氏、上杉氏、武田氏、滝川一益、真田昌幸などがどう動いて、どうなDscn3541c ったかというお話し。「天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)」とも呼ばれます。天正10年(1582年)3月に織田信長による甲州征伐での甲斐武田氏の滅亡と、そのわずか数カ月後の天正10年(1582年)6月に本能寺の変にて織田信長の死によって、統治不在混乱となった甲斐国・信濃国・上野国の支配を巡った争乱です。徳川家康と北条氏政・北条氏直の争いがメインで、上杉景勝の他、旧武田氏遺臣(真田昌幸ら)も巡る広い範囲の争乱。「壬午」は天正10年の干支。上杉氏と北条氏の講和、及び徳川氏と北条氏の講和によって終結を迎え、上杉氏が信濃北部4郡を支配、甲斐と信濃は徳川氏の切り取り次第、上野は北条氏の切り取り次第という形で決着しています。話しはおもしろいのですが、敵・味方が入り乱れてややこしい。復習必須(微苦笑)。

2020年10月 4日 (日)

カワセミ、イソヒヨドリに遭遇したものの、証拠写真(苦笑)

Img_2049c_20201004160601  昨日、久しぶりに11㎞も歩いて、いささか疲れました(苦笑)。近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも2月上旬以来、中止のまま。「勝手にハイキング」も4月上旬以来。8月17日に「村正史跡めぐりスタンプラリー」を歩いて以来(2020年8月17日 :39.2℃のもと村正史跡めぐりスタンプラリーへ……3時間で7.9㎞を歩き村正の鍔の形のピンバッジをゲット)。この時は、猛暑の中、7.9㎞を歩きましたが、明らかに修行不足です。コロナも気にはなりますが、街道歩きなどを考え、実行しないといけません。

Img_2077c  さて、今朝は、家事を済ませ、8時20分から散歩。曇りで、たまにパラつく天気でしたが、歩いている間は降られずに済みました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町商店街と5.7㎞。10時15分に帰ったら、降り始めたという幸運。旅館山月の建物の避雷針にイソヒヨドリのオス。曇天、逆光気味で色が出ません。証拠写真も良いところ。

Img_2085c_20201004160501  九華公園は、散歩する人もほとんどなく、鳥もいません。ドバト、ムクドリ、ヒヨドリ、キジバト以外にいたのは、アオサギ2Img_2096c_20201004160501 羽。鎮国守国神社の社務所裏です。この頃、ゴイサギ、ホシゴイは見当たりません。一度、中橋のところにいないか見てこないといけません。

Img_2156c_20201004160501  公園内を半周して再び、社務所裏に戻って来たら、カワセミ登場。実は、管理事務所の南を歩いていたら、西の堀から吉之丸堀に向かって飛ぶのを見ていたのです。曇っていますから、あまりクリアに撮れません。今日も降られるとイヤだと思って、超望遠コンデジしか持っていきませんでした。これまた証拠写真。

Img_2109c_20201004160501  カワセミの近くに、カルガモ2羽。アーちゃんとその相方と思います。先日は、別行動をしていましたが、今日はいっしょ。公園内で見た鳥は、以上(苦笑)。コゲラやメジロ、カワラヒワの鳴き声はしていたものの、姿は見えず。

Img_2107c_20201004160501  鎮国守国神社の稲荷社では、お参りするときに鳴らす、大きな鈴が新調されていました。かなり前から、古くなったのか、取り外されていたのです。宮司さんの奥様が近くで草取りをしておられたのですが、「見て、見て、新しくなったのよ」といわれたのです。

Img_2207c_20201004160501  九華公園外周遊歩道の南、いつもの柿の木レストランには、今日もメジロがやって来ていました。最近、ここに来れば、メジロに逢えることになっています(微笑)。メジロにも逢えましたし、カワセミも見られましたから、まぁ良し。貝塚公園はさらに静かで、キジバト、ヒヨドリくらいしかいませんでした。

Img_2230c_20201004160501  そうそう、貝塚公園では、ウラギンシジミを見ました。大きさは、モンシロチョウくらい。翅の裏面が真っ白なのが特徴。表面は、濃茶色でしたので、オス。

Img_2105c_20201004160501  帰宅後、昼食までに、遠隔授業の準備。第5回分の録音を済ませました。最後の部分で課題に使うスライドの番号を言い間違え、訂正しましたので、後からカットする羽目に。この間も同様のことをしたのですが、確か無料サイトでカットしたのを、どこだったか忘れてしまい、一苦労。結局、フリーソフトを見つけて対処。ソフトの説明を読まずにやろうと思って、何回か失敗(苦笑)。遠隔授業は、10月7日スタート。前日(10/6)夕方にファイルをアップロードする必要があります。後で予行演習をしておかないと(微笑)。pdfはドラッグ&ドロップで行けるのですが、音声ファイルは先日も書いたように、いくつかのステップからなる手順を踏む必要があるのです。

2020年10月 3日 (土)

20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(予告編)

 雨で予定が狂ったり、猛暑を避け涼しくなるのを待っていたりしていて、前回からずいぶん日にちが経ってしまいましたが(2020年4月11日:20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(予告編)【参考資料を追加しました(4/12)】)、「勝手にハイキング」シリーズの「員弁街道ハイキング」に行ってきました。ほぼ半年ぶりです(笑)。今回は、楚原駅から阿下喜駅までを歩きました。今日のところは、予告編。例の3人組で行っております(同級生K氏、畏友M氏と私)。

Img_1678c_20201003172701 Img_1675c_20201003172701  楚原駅に集合。私は、三岐鉄道北勢線西桑名駅を8時23分に出る阿下喜行きに乗車。途中からK氏も乗り込み、楚原には9時8分着。西桑名からは、¥430。M氏は楚原駅へクルマで直行。

201003sohara  こちらが本日歩いたルート。楚原駅あたりで、いきなり寄り道(楚原神社、天白神社、真養寺)をし、1㎞あまり歩いて、員弁街道(濃州道)に出て、左折し(ここまでが前回歩いたルート)、北上。瑞龍院観音堂、寝覚めの橋、文治の墓から大聖不動へ。山田橋あたりまでは員弁街道を辿っていきます。旧・員弁街道はここから現在の員弁街道(県道5号線)の方へ回りますので、その1本西の道を行きます。久保院・麻績塚古墳・戦没者紀念碑に立ち寄り、さらに萬笑院にも立ち寄ろうと思ったものの、ちょっと行き過ぎてしまい、断念。麻生田から再び、旧・員弁街道に入り、いなべ市北勢町阿下喜へ。阿下喜では、西六石橋を渡って、大西神社の御旅所、献燈籠を見て、巡見道(枝道)との分岐点まで。ここには道標があります。昼食を摂るのに、ちょっと歩いて「カドヤ食堂」にて。阿下喜駅まで下って、合計約9㎞。

 楚原神社。楚原駅の目の前にあります。Img_1693c_20201003173501主祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)。天文7(1538)年、八幡社を勧請し氏Img_1686c_20201003173901  神として尊崇していたのが、始まりと伝わっています。境内には昭和32年に建立された忠魂碑があります。昭和12(1937)年の日中戦争から、第二次大戦までの戦没者の方が祀られています。

Img_1696c  M氏が、線路のすぐ向こうに天白神社があるというので、そちらにも立ち寄ることにしました。M氏の父上Img_1702c_20201003174101 の故郷だそうで、よくご存じ。楚原御厨天白神社が正式な名前のようです。鎮守の森がなかなかよい感じの神社。主祭神は、天照大神

Img_1711c  その近くに真宗大谷派の八英山真養寺。楼門は平成15Img_1715c_20201003175501 (2003)年に再建されたといいます。ここに立派な虎の彫刻がありました。気になって調べたら、左甚五郎の一番弟子の手によるものだそうです(ただし、ここに飾られているのはレプリカ)(こちらを参照)。

Img_1717c_20201003175501  天正2(1574)年に近江・番場(現滋賀県米原市)の時宗の蓮華寺の僧・麟龍がこの地に隠居して建立したのが始まり。元和7(1621)年、3代・蟠龍の時に真宗に改宗。寛永13~16(1636~39)年、大泉新田開発に伴う笠田溜池築造工事の頃、桑名藩主・松平定綱が溜池で舟遊びをした時に当寺を定宿にし、門信徒の工事の功績を称え星梅鉢の紋を賜ったといいます。天和2(1682)年、東本願寺常如上人から真養寺の寺号を賜っています。

Img_1720c_20201003180401  楚原駅方面に戻り、員弁街道に向かいますが、その手前で、まず里程標。4月11日にも見ています(2020年4月19日:Img_1725c_20201003180401 20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(その3)……石仏墓地、ヨシヅヤのスガキヤで昼食、ねじり橋・めがね橋を見て、員弁西小学校で句碑を確認して楚原駅にゴール(完))。碑表には「桑名郡桑名町字京町エ四里壱町十六間/津市元標エ十四里貳拾五町拾九間/大泉原村大字楚原」とあります。さらにその先、市営住宅のところには、石碑が2基。向かって右の大きい石碑には「如禾必(以か?)稲/直胤筆」と刻まれています。「禾」は、「のぎ」。イネ科植物の先端にある毛、穀物、いねなどの意味があります。その傍らにある、小さい石碑には「死亡會員霊位」とあり、碑陰には「昭和十一年……」とありました。

Img_1733c_20201003181601  1㎞を過ぎて、員弁街道に入ります。かなり細い道が続きます。国道421号線をいなべ警察署東交差点の手前Img_1740c_20201003181601 (東)で渡り、さらに細い道を進んでいきます。

Img_1768c_20201003182001  2㎞を過ぎたところに瑞龍院観音堂。この観音堂には、真中に聖観音菩Img_1746c_20201003182101 薩像が、また、左側に安置されているのは抜雲(ばつうん)和尚が自分の像を彫ったもの(木像)が安置されているといいます。抜雲和尚の像は、旱魃のときこの像を背負って雨乞いをし、ご利益を得たそうです。観音堂の前には笠田新田延命地蔵。ちなみに、抜雲和尚は、永明山長楽寺(いなべ市藤原町篠立)の第7代。その昔、三谷川の最源流、拘留孫岳中腹に大蛇が住んでいたそうです。抜雲和尚がここにある大杉の根元に石の唐戸を造り、念力をもってこの大蛇を小さなトカゲに変えて閉じ込めたのですが、篠立が大日照りで困った時はこの唐戸に祈願すると雨を降らしてくれるようになったといい(「龍王さん」と呼ばれています)、抜雲和尚には、雨乞いに御利益があるとされたと思われます。

Img_1780c  観音堂を過ぎたあたり。昔ながらの街道という雰囲気がたっぷりのところを下っていきます。同行のK氏、M氏とも、これで間違いないのかと不安そう。Img_1784c_20201003190801 この先で、寝覚めの橋。明智川にかかっていますが、かつては目も覚めるほど立派な朱塗りの橋だったそうです。その手前に、石碑。何となくではありますが、「寝覚めの橋」と彫られているような気がします。「祢?免乃橋」かと思うのですが、くずし字は読みたいと思えど、読めず。陰には「二井文?左衛門」とあるような感じ。これまたアヤシい。

Img_1807c_20201003191701  寝覚めの橋を渡った先、街道がカーブしているところに「文治の墓」。寛政11(1799)年のもの。宇野村とImg_1810c 笠田新田の水路の争いで亡くなった農民・文治の墓。鍬・鎌・竹槍等を手にした百姓の喧嘩で、宇野村の文治(35 歳)が重傷を負い、戸板に乗せられて村へ引き揚げる途中、明智川を渡った西側まで来てとうとう絶命するという悲惨な事件が起きた、その文治が絶命したといわれる地に、ため池を望むように墓が建てられたといいます(こちら)。向かって左には、新しい墓。ちなみに、ここでなぜカーブしているのか、不明。ルートマップでは、「員弁町上笠田」とあるところ。

Img_1816c_20201003192501  県道5号線に出たところに大聖不動明王堂。いなべ警察署前になります。昔は藤の花が咲き乱れ「藤の棚不動」と呼ばれたといいます。

Img_1831c_20201003192801  このまま少し、県道5号線を進み、旧・員弁街道は、上笠田の交差点から左Img_1834c_20201003192801 に逸れていきます。またもや、こんなところを進むのかという道へ。このすぐ先の北側(右手)に、上笠田北稲荷。Googleで検索しても出て来ません。

Img_1852c_20201003193201  途中、少しばかりコースミス。すぐに気づいて、旧・員弁街道に戻りました。この先で、山田川にかかる山Img_1857c_20201003193201 田橋を渡りますが、このあたりから本来の旧・員弁街道は、右手(北東)に行きます。山田橋は、昭和25(1950)年に竣工した橋。ここから、麻生田。昭和電線ホールディングス方面へ直進。登り坂。2年前の2月に近鉄ハイキングで歩いたところ(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。

Img_1868c Img_1873c  この先、4㎞を過ぎたところで、久保院・麻績塚古墳、戦没者紀念碑に立ち寄り、しばし休憩。ここも、上記のリンクにある近鉄ハイキングで訪ねています。久保(くぼ)院は、笠田村和波九十郎氏の二男、久保(ひさやす)氏(明治12(1879)年~明治29(1896)年9月没・当時18歳)の追善供養のため、私有地に寺院建立と霊場を作る事を発願し、近隣、同志に呼びかけ篤志浄財(郡内14大字区、個人133名)により明治31(1898)年9月に完成しました。「麻績塚(おみづか)古墳」は、4世紀ごろつくられたと伝わる、大小2つの古墳からなっています。埋葬された人物の名をとって、一般に「麻績塚」と呼ばれます。墓の主の名は、伝承によれば「神麻績連」。天物知命(あめのものしりのみこと)の后、また、桑田玖賀(クワタノクガ)の姫ともいわれていますが、その名の通り、麻の栽培・紡織といった生産に深い関係を持っていたと思われます。祈念碑は、「陸軍大将桂太郎謹書」と刻まれています。桂太郎は、明治時代の軍人、政治家(弘化4(1848)~大正2(1913)年)。明治34(1901)年には、総理大臣も務めた人物です。

Img_1879c_20201003194201  この先は、阿下喜までとくに見るところはなく、ひたすら歩きます。ただ、久保院あたりが坂のピークで、あとはほとんど下Img_1886c_20201003194201 り。このあたりからは、藤原岳や、太平洋セメントの工場が見えてきます。麻生田の町を過ぎる頃には、道は、北勢線と並行しています。

Img_1895c  スタートから6㎞半くらい歩いてきました。阿下喜という看板も出て来ます。向こうに阿下Img_1899c_20201003194601 喜の町や、日下病院、いなべ総合病院などが見えています。西六石橋を渡り、六石変電所の先、スタートから7㎞を歩いてきたあたりで旧・員弁街道は右に逸れていきます。

Img_1927c  阿下喜の町の手前に大西神社の御旅所と献燈籠。御旅所は、大西神社の八幡祭のとき、神輿Img_1933c_20201003194601 がここで小休止するところ。献燈籠は、高さ2.7m。元は常夜燈で、員弁川の高瀬舟の船着場の目印でした。文久元(1861)年のもの。正面には、「内外両宮/多度両社 献灯燈」とあります。ちなみに、高瀬舟とは、川船の一種。古くは小型で底が深かった(高背)のですが、のちには大型で舳が高く底の浅いものになりました。近世では多くの川筋で貨物輸送に用いられています。

Img_1951c_20201003194601  いよいよ今日のゴールも間近。8㎞の手前で、巡見道との分岐・道標となります。石井書店のすぐ北の三叉路に、道標があります。ここが、巡見道(いなべ市北勢町治田からの枝道)との分岐。道標には、「右 こもの 四日市」「左 くわな」とあります。コンクリートに囲まれ、ちょっとかわいそう。ここで時刻は、12時20分。阿下喜から西桑名に行く電車は、12時39分か13時39分。ちょっと迷ったものの、食事を選択。

Img_1968c_20201003194601 Img_1965c_20201003194601  上木(あげき)食堂を覗いたものの、待っている人多数で断念。北勢郵便局の近くまで行って大衆食堂「カドヤ食堂」へ。カツ丼(¥700)をチョイス。地元の方などでけっこう繁盛していました。カツ丼も美味しくいただけました(微笑)。

Img_1980c_20201003194601  桐林館なども見ようかと思ったものの、食事をしてからしゃべっていて、電車の時刻も近づいたので、阿下喜駅へ。13時28Img_1994c_20201003194601 分に到着。ここまで楚原駅から9㎞歩きました。13時39分の西桑名行きに乗車。西桑名駅には、14時26分に到着。¥510。

Img_2047c_20201003200301  今日の歩数。スマホのアプリ・ALKOOのデータ。20,000歩を越えました。自宅から西桑名駅往復が、2.2㎞。今日、ハイキングで歩いたのが、9.0㎞で、合計11.2㎞。久しぶりによく歩きました。詳細は、また、明日以降、ボチボチと書きますが、今日のところは、予告編。

2020年10月 2日 (金)

天気はよかったものの鳥は少なく、ヤマガラ、コサメビタキの証拠写真くらい(苦笑)

Img_1588c  朝は16.9℃と涼しかったのに、何だか暑くなっています(苦笑)。最高気温は、27.0℃。昼前に用事がありましたので、時間制限法で散歩。7時25分にスタートし、住吉神社、九華公園、貝塚公園から内堀公園、京町、寺町商店街と歩き、9時45分にいったん帰宅。再度、11時前に出て、駅前で所用を済ませてきました。合計6.7㎞。

Img_1608c_20201002155301  九華公園、今日は、ゴイサギ、ホシゴイは見当たらず。アオサギは、2羽いたものの、1羽はすぐに飛び去ってしまい、いつもの、九華橋近くにいたアオサギのみ。カワセミは、今日は姿を見せてくれません。

Img_1609c_20201002154701  カルガモは2羽いたのですが、今日は、なぜか別行動。1羽は、元アヒル小屋のところでお休Img_2488c_20201002154701 み。これが、アーちゃんのような気がします。もう1羽は、相撲場近くの堀に。こちらは、相方を呼ぶような鳴き声を盛んに発していました。公園内、今日は静かで、他にいたのは、ドバト、ムクドリ、スズメ、ヒヨドリ、カラスくらい。天気がよいのに、鳥の出は良くありません。

Img_2521c_20201002154701  公園の外周遊歩道で、ようやくメジロに遭遇。まずは、東南の辺り、キッチン寿さんの近く。あの柿の木レストランから100mほどのあたり。

Img_2536c_20201002154701  その柿の木レストランには、今日もメジロが来ていました。ただし、数はさほど多くはありませんでした。Img_2562c_20201002154701見ていると、やはり、他の鳥(たぶんヒヨドリ)が啄んで、穴があいた柿の実に嘴を突っ込んでいます。メジロの力では柿の実に穴を空けて、食べるのは難しそうに思えます。右の写真のように、もう食べるところはないんじゃないかと思える実にもたかっていました。

Img_2653c  貝塚公園も静かでしたが、2周ほど回っていたら、ヤマガラ、シジュウカラなどがやって来ました。ただ、この時はあいにく、雲が広がってしまい、イマイチ。ヤマガラの証拠写真が撮れただけ。

Img_2584c_20201002154701  さらに、こちらも登場。枝被りで、曇っていて色も出ず、まさに証拠写真そのもの。コサメビタキのように思えます。最初に書きましたように、10時には帰宅という時間制限がありましたので、もう少し見て回りたかったものの、帰宅へ。

Img_1635c_20201002154701  駅前での用事は、空いていて30分ほどで終了。徒歩で行ったのですが、この頃にはけっこう暑くなっていました。明日は、Dscn3526c 「勝手にハイキング 員弁街道」の楚原~阿下喜を歩く予定。コースマップはずいぶん前につくったので、復習をしています(苦笑)。楚原から阿下喜は、一昨年の春先に近鉄ハイキングで歩いて、阿下喜のお雛さんを見てきました(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。明日は、員弁街道(濃州道)を歩くのが目的ですから、最初の1/3くらいは、この時とはルートが異なります。

【付記(10/2)】 菅義偉首相が日本学術会議の新会員候補のうち6人の任命を見送りました。会員選出を公選制から学会推薦制に変更する日本学術会議法改正案の審議において、当時の中曽根康弘首相が1983年5月12日の参院文教委員会で、「これは、学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎない」と答弁しています。日本学術会議法では会員の選び方について、学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると書いてあります。推薦に基づかない任命はないものの、推薦に基づく以上は「任命しない」もないと考えるのが普通でしょう。その分野の学問的な業績に基づくとなっていますが、今回任命されなかった方々は、安保法制に反対したことがあり、それが影響したという見方が報道されています。「不適格」というのであれば、その理由を示す必要がありますが、それはなし。またもや、「法解釈を変更した」のでしょうか。憲法第23条には、学問の自由が保障されています。官房長官は「個々については人事に関わるのでコメントは差し控える」と答えていますが、「差し控える」というより「コメントができない」のでしょう。

 菅首相は、就任の際、「言うことを聞かない者はクビにする」というようなことを言っています。学術会議の会員というのは建前上公務員ですが、選考基準がはっきり決まっているので、任命権者だからといって自由にクビにするとか任命しないとか、できるわけがありません。学問の自由を管理、監督しようと思っているのではないかと疑えます。

 今回、学術会議の会員に推薦されながら任命されなかった立命館大法科大学院の松宮孝明教授が、「ほとんど同じ構造をもっている条文が憲法6条1項にある。天皇の国事行為だ。『天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する』とある。日本学術会議法では『学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する』。主語と述語は入れ替わるが、同じ構造だ。ということは官房長官の言い方だと、国会が指名した人物について天皇が『この者は駄目だから任命しない』と言えることになる。同じ理屈だ。つまり任命権があることを、『任命が拒否できる権限もある』というふうに思うのは間違いなのだ」とインタビューで述べておられます。まさか、天皇陛下が総理大臣の任命を拒否するということはあり得ないと思いますが、どうかしているとしか思えません。

 さすがに「安倍政権の継承」を掲げるだけのことはあります。安倍政権では、説明ができないことを相当たくさんやって来ました。アカウンタビリティーということばがあります。普通は、「説明責任」という意味の分からない、ヘンな日本語になっています。Weblioでは、「社会の了解や合意を得るために業務や研究活動の内容について対外的に説明する責任のこと」と説明されています。これならよく分かります。それにしても、日本は、法治国家ではなかったのでしょうか。

2020年10月 1日 (木)

20201001仲秋の名月

Img_1530c_20201001194101  今日は、仲秋の名月。我が家はマンション暮らし。本来であれば、1階に降りて、住吉入江沿いか、揖斐川の堤防まで行けばよいのですが、夜はあまり外には出ません。拙宅は、ほぼ東西に建っていますので、ベランダから撮ろうと思うと、19時を過ぎないと月が見えないのです。超望遠コンデジCanon Powershot SX60HSで手持ち撮影。1,365mmズーム、f/6.5、ISO400、SS1/640秒、ホワイトバランスはオート。ノートリミングです。

Img_1555c  景色も入れて撮るとなると、難しい。マンションの建物が写り込みます。絞りなどの設定も、いろいろ調べたのですが、けっこうややこしい。やはり、月が昇り始めた頃、外に出て撮った方が良さそうでした。これも、超望遠コンデジCanon Powershot SX60HSで、広角側21mm、f/4.5、ISO1600、SS1/8秒、ホワイトバランスはオート。こちらは、トリミングをしています。気力があれば、明日以降、満月、十六夜の月などに挑戦できればと思っています。また、今月は、もう一度満月がありますから(10月31日)、その時にでも。

九華公園でカワセミ(飛び出しシーンも)、モズ

Img_1432c_20201001163001 10月になりました。今年も残すところ、あと3ヶ月(微苦笑)。そして、今日は、仲秋の名月。写真を撮らなくては(微笑)。それはさておき、今日も今日とて散歩です。7時半スタートで、帰宅したのは、11時15分(爆)。「いったいどこに行っていたのか?」と聞かれました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀から内堀、京町、南魚町、田町、三崎通などを経て6.1㎞。あちこちで、口の体操をしていたので、時間がかかったのです。1年ぶりくらいに会う方もあって、ついつい話しが長くなるというわけ。冒頭の写真は、九華公園の外周遊歩道から見た西の空。

Img_1373c_20201001163001 九華公園では、今日もカワセミに遭遇。しかも20m以内という絶好の条件。飛び出しシーンも撮れました。メスのカワセミ。いやぁ、Img_1371c_20201001163001ラッキーでした。割と近いところを移動してくれたので、じっくりと見られました。

Img_1418c_20201001163001 さらに、本丸跡では、モズのオス。今シーズン、九華公園では初めてモズを確認できました(貝塚公園ではすでにメスのモズを見ています)。

Img_1309c その九華公園では、久しぶりにゴイサギの姿を見られました。ホシゴイも、一瞬出て来たのでImg_2355c_20201001163001 すが、葉の陰に入ってしまい、写真は撮れず。知人Yさんは、昨日、ホシゴイもゴイサギも見たとおっしゃっていました。アオサギさんは、1羽。九華橋に近い樹上の、いつものところ。

Img_2347c Img_2366c_20201001165001

 奥平屋敷跡では、メジロ3羽、カワラヒワ、ヤマガラ1羽を確認したものの、高くて、枝が込み入ったところで、写真には撮れず仕舞い。Yさんは、野球場のところで、ムシクイを見たそうですが、私は確認できませんでした。カルガモ2羽は、居着いたようです。皆さんがいうには、「アーちゃんにペアがで来た」そうです。そういわれると、片方はアーちゃんに見えてきます。ハクセキレイは、本丸跡にて。

 

Img_2471c_20201001163001 公園の外周遊歩道の南の柿の木レストランには、今日もメジロが来ていました。柿の実を啄むのに夢中で、近くで見て、写真Img_2464c_20201001163001 を撮っていても、あまり気にしません。

Img_1437c  鳥の写真としては、失格ですが、こんなシーンも。笑えます。このあと、貝塚公園に行ったのですが、今日は選定作業が行われていて、めぼしい野鳥は見当たらず。

Img_1459c_20201001163001  シルバー人材センターの敷地にピンク色のヒガンバナが咲いていると、昨日書いたのですが、今日見たら、無残にも切り取られてしまっていました。切り口ははさみで切ったように鋭いものでしたから、どなたかが4本すべてを切って持ち帰ったのではないかと思えます。独り占めはいけません。

Img_1473c_20201001162901 Img_1489c  県道613号線の田町交差点から北、船場町あたりまでの道路沿いには、ヒガンバナが咲きます。たぶんこのあたりにお住まいの方々が植えたもの。シロバナヒガンバナがけっこうたくさん咲いているのです。毎年、見ています。

Img_1505c  桑名七里の渡し公園の休憩所、建物はほぼ完成のように見えます。早く営業を始めてくれないかなImg_1284c と期待を高めています。住吉入江沿いの「係留施設」の工事もかなり進みました。護岸の堤防の上には、船をつなぐロープを通す金具が設置されました。護岸の遊歩道側と入江側とにペアで設置されています。県道613号線の新住吉橋の西から、玉重橋までの入江沿いに10箇所以上設置されるようです。

Img_1516c  ところで、10月に入りましたので、来週から非常勤の後期の授業が始まります。4回分のストックを作ってあるとはいえ、気を抜かず、その後の準備もボチボチ進めています。毎回の課題をつくるのが、けっこう難儀(苦笑)。どの授業でも課題が出されますので、学生諸君にあまり負担になってもいけませんし、かといって易しすぎるのもどうかというところ。ネットで見ていますと、「遠隔授業のため、毎日10時間もパソコンに向かっている」とか、「課題が多くて、調べるのが大変」とか、いろいろ学生の皆さんの「悲鳴(?)」が載っています。「勉強するのが本務だろう」といってしまえば、それまでなのですが、多少は配慮するかというのが、「老人、外人、非常勤」の心得かも(苦笑)。「老人、外人、非常勤」というのは、私が学生時代、「楽勝科目」を表したことばでした。今となっては、3つの内2つが当てはまっています。

Img_1278c_20201001163001  アサガオ、今日は2輪。しかし、つぼみはまだまだあります。

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    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

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    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

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    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

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    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

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    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)