今日も降られました(苦笑)……ちっとも懲りませんというか、反省しないのです
終日梅雨空という予報でしたが、午後からは晴れ。それもご覧のように真夏の空というイメージ。「梅雨明けか!?」と思いたくなりますし、午前中、無理に散歩に行ってまたもや降られましたので、「慌てて散歩に行くんじゃなかった」と反省(苦笑)。最高気温は、真夏日一歩手前の29.7℃。蒸し暑くなりました。明日も午前中は晴れ、来週は、水・木は晴れるもののその他は、曇天/雨という予報。梅雨明けが待たれます。
今日は、10時過ぎには雨雲レーダーを見ても、雨雲が切れてきましたので、10時半過ぎに散歩に出ました。が、これ、裏目に出ました。最近は、いつものことですが……。住吉神社あたりまで来たら、霧雨(苦笑)。いったん、住吉橋の下に戻って雨宿り。また止んできたと思い、九華公園に向かったものの、やはり雨。やむなく公園北門の手前で八間通へ。田町あたりでご近所めぐりに変更。北寺町の海蔵寺、堤原の北桑名神社から参宮通を経て帰宅。途中からは止んで来ました。3.3㎞、小1時間の散歩。
珈琲館はせ川さんの西、多聞橋から見た旧桑名城の堀。奥に見える橋は、北大手橋。向かって右手の石垣は、昔の桑名城のものが残っています。七里の渡し跡の川口樋門から南大手橋に至る堀川東岸に城壁が延約500m残っています。積み石は乱積で、野面はぎ、打込はぎの2つの方法によっています。また、全面的ではありませんが、数十の刻印を刻んだものがあります。しばらく前にも書きましたが、船がつないであるのが残念。桑名城の遺構は少ないので、景観も含めて保存して欲しいと思います。
北寺町にある曹洞宗法性山海蔵寺。左の写真にも写っているように、「宝暦治水 薩摩義士墓所」があります。宝暦治水は、江戸中期の宝暦3(1753)年、徳川幕府が薩摩藩に濃尾平野の木曽三川の治水を命じ、約1年半をかけて完成させた難工事で
す。幕府が薩摩藩の弱体化をねらったとみられています。酷暑と空腹から生水を飲み、赤痢による死者が続出し、90人近くが死亡したとされます。「洪水で苦しむ民を救うのが薩摩武士の本分」と藩士を説き、工事の総奉行に就いた家老の平田靭負(ゆきえ)は巨額の出費の責任をとり、工事完了の翌年に切腹したと伝わっています。私がアオサギのコロニーを見に行く、海津市の治水神社で犠牲となった義士を弔っています。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺にあります。市内では、海蔵寺の他、長寿院、長禅寺、常音寺にあります。
ここ海蔵寺には、割腹した24名の薩摩藩士の墓があります。中央に平田靭負(法名:髙元院殿節岑了操大居士)の墓があ
り、その周りに藩士23名の墓が配置されています。市指定史跡です。平田靭負の命日である5月25日に毎年、薩摩義士の偉業をたたえる追悼法要が行われます。本堂には、平田靭負の像があるのですが、まだ拝観したことはありません。
余談。この境内には、「さざれ石」があります。漢字で書くと「細石」のとおり、もともと小さな石の意味です。長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化した「石灰質角礫岩」を「君が代」の歌詞にある巌(いわお)であるとされます。桑名宗社(春日神社)の境内にもあります。
堤原まで行き、北桑名神社。ここは、何度か取り上げていますが、我が家の氏神様です(リンク先の氏子町
内にあります)。その割に、あまりお参りには行きませんので、ここでも反省が必要です。御祭神は、天照大御神、建速須佐之男命、持統天皇他7柱。佐乃富神社、中臣神社、太一丸神明社などを合祀し、現社名に改称しています。写真の向かって左手に写っていますが、「持統天皇御舊跡」の石碑があります。由緒書きによれば、壬申の乱(672年)のとき、大海人皇子(後の天武天皇)が、一族を連れて桑名郡家に着き、妻の莵野皇女(うののひめみこ;後の持統天皇)と幼い草壁皇子をここに残して不破に戦に向かわれたという故事に因むといいます。
境内の端には、帳付地蔵尊があります。名前の由来は不明。地元の方に一度伺ってみたいと思って、そのまま。この北桑名神社は、美濃街道に面しています(2020年3月1日:20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編))。
参宮通、国道1号線に面して、「参宮国道碑」があります。大正時代、木曽・長良・揖斐の三大川は渡船に頼っていたようで、ここに橋を架ける運動が進むとともに、「東海道国道」が新しくつくられることになりました。これが現在の国道1号線です。町屋橋から伊勢大橋までの3.87㎞は、昭和6~7年(1931~32年)にかけて、当時のお金で55万円でつくられました。その竣工記念として西桑名町(当時)によって建てられたのがこの参宮国道碑です。車道はコンクリート舗装で、町中心部は11メートル(車道8メートル)の道幅だったそうです(新桑名歴史散歩)。
という次第で、散歩は中途半端に。遠隔授業は、今日正午が、第4回の出席確認期限。午後から、青空を眺めながら、出欠を確認し、Q&Aの補足説明を書き、課題のチェック&評価をしています。非常勤先は、一部で対面授業が始まるという情報もありますが、新型コロナウイルスへの感染者がまた増えてきています。われわれの授業は、どうなるか気になりますが、このまま前期は遠隔授業かという気がしています。それ故、明日は、また、録音作業をする予定。
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コメント
おユキさん、こんばんは。
いやぁ、今は不適切な表現なのでしょうが、「慌てる乞食は貰いが少ない」ですね。
午後から散歩に行けばよかったと思ったのですが、出席締切が正午でしたから、判断は難しいところです。
平年の梅雨明け日は、7月21日だそうですから、まだ3日あります。
しかし、その後も梅雨空のような予報ですから、いい加減にしてもらいたいと思います。
北桑名神社は、鳥居と楼門は北向き、潜って右に曲がると拝殿があります(つまり、拝殿は東向き)。
掃除が行き届いていて、きれいな神社です。
鎮国守国神社の茅の輪くぐりは、たぶん月曜(7/20)。
最終的に確認していませんが、例年はこの日。
16時頃御神事と思います。
天気は怪しそうですし、コロナがまた微妙に増えてきていますね。
まさに「ウ~ン」と唸らざるを得ません。
投稿: mamekichi | 2020年7月18日 (土) 20時29分
mamekichi先生、こんばんは。
最後の、「午後から、青空を眺めながら、出欠を確認し」で、爆笑してしまいました(笑)。
なんとも恨めしそうというか、反省が窺える(?)描写に思えて。
それはそうと、なかなか雨が止んでくれませんねぇ。
こちらは午前中、大雨が降りました。
またしても洪水警戒警報が鳴るくらい、たくさんです。
今年の梅雨は、いったいどうなっているのやら。
北桑名神社、奥行きがあって、小ざっぱりした神社ですね。
神社と言えば、鎮国守国神社の茅の輪くぐり。
先日の桑名宗社のものは、10日まで設置とありましたが、あの豪雨の最中でしたので、行くのも大変そうだけど、もう撤去しているかも、と、泣く泣く諦めたのです。
20日こそ、行けるはず、と思っていたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大が進んできて、またしても悩ましい感じになっています。
う~ん・・・。
投稿: おユキ | 2020年7月18日 (土) 19時02分