お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年4月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年4月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2020年4月

2020年4月30日 (木)

スズメのヒナが登場……九華公園のキンクロハジロは5羽のみ

Img_5494c_20200430164701  最高気温は23.9℃。夏日にはなりませんでしたが、歩いているといささか暑く感じ、汗をかきました。散歩して汗をかく季節がやって来ます。8時半から11時過ぎにかけて、いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、京町、田町、三崎通と6.8㎞を歩いてきました。ソメイヨシノ、葉っぱが青々としてきて、これはこれで見事です。蟠龍櫓とのコラボレーションも、いい感じになりました。

Img_4521c_20200430164601  さて、今日はまずは、こちら。スズメのヒナたち。2羽。九華公園の奥平屋敷跡で出遭いました。花菖蒲園の柵のところに出て来ていたのです。近づいたらそばのソメイヨシノの木へ。すぐ近くに親らしいスズメは見当たりませんでした。巣立ってきたばかりなのでしょう。これから、スズメだけでなく、カワラヒワなどのヒナも出てくるでしょう。いつぞやエナガのヒナを見ましたが、もう一度見たいですねぇ。

Img_4561c_20200430164601  セキセイインコがお好きな方もいらっしゃると思いますが、今日はこんなシーンが撮れました。向かって右がオス、左がメス。Img_5566c_20200430164601 しかし、今日もヒナが孵ったかどうかはよく分かりません。メスは、巣箱にいる時間が長いのですが、こうして出て来たりしています。しかし、ヒナの鳴き声はまだしていない気がします。そして、今日のコゲラ。相変わらずで、ときどき巣穴から顔を出しています。

Img_5510c_20200430164701  話を戻して。住吉入江から揖斐川、七里の渡し跡、三之丸公園あたりまで、スズメやドバトなどを除いて、これはという鳥はいません。三の丸水門のところでは、ヒバリ。今日はオス。

Img_4571c-2  九華公園では、カモの数がさらに減っていました。キンクロハジロが5羽のみ。例年通り、ゴールデンウィーク中には皆、帰っていくとImg_5522c_20200430164701 思われます。ツグミは見なくなりましたし、シロハラやシメもしばらく前からいません。今日見たのは、メジロ、シジュウカラ、スズメ、ムクドリ、ヒヨドリ、カワラヒワ、ハシボソガラス。

Img_5539c Img_5552c_20200430164601  ツツジは、今年は咲き始めは早かったものの、その後、開花の足並みが揃いません。いつもなら今頃には、公園全体が満開になっているのですがねぇ……。今年は、ソメイヨシノもそうでした。

Img_5624c_20200430164501  貝塚公園でも、鳥は少なく、今日はツグミはいませんでした。メジロ、スズメ、ムクドリ、カワラヒワくらい。藤棚は、内堀南公園のもの。九華公園や他の散歩コースにある公園の中ではもっとも立派(これで? といわれるかも知れませんが)。何度も書きますが、手入れや施肥をしてもらえると、もっと見応えのある花が咲くと思います。

Img_5639c_20200430164501  このあとは、京町、田町でツバメの巣の確認。左の写真は、市立博物館にて。建物の南西側のところにつがImg_4611c_20200430164401 いがやって来ていました。これとは別に、玄関先の巣には、親ツバメがいました。

Img_4614c_20200430164401  京町のお宅にある巣にも、今日は親ツバメが座っていました。ただし、後Img_4623c-2 ろ姿。このお宅の巣にも、毎年ツバメがやって来ます。右は、田町にある商店の巣。ここに2つの巣がありますが、そのうち南側の巣。

Img_5486c_20200430164701  ところで、揖斐川の堤防、住吉水門のところに左の写真のような掲示が出ていました。今のImg_5488c_20200430164701 ところ、このあたりや、私の散歩コースでは、テレビなどで報じられているような都会の公園で見られるほどの人混みは生じてはいません。揖斐川の堤防も、右の写真のような様子。新型コロナウイルスが問題になる以前に比べれば、人出は若干多い印象ですが、混み合うという状況からはほど遠いところ。

000887518  「新型コロナウイルス感染症拡大阻止に向けた「三重県緊急事態措置」~5つのお願い~」などを遵守しつつ、健康増進のため散歩はできる限り続けたいと思っています。

2020年4月29日 (水)

キンクロハジロは残り17羽……コゲラは健在

Img_5466c_20200429155901  今日は23~24℃くらいになるという予報でした。実際には21℃止まりでしたが、それでも風が南寄りで、弱かったので暖かいImg_5404c_20200429155901 というより、歩いていると少し汗ばむくらいでした。8時半から散歩。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、田町、三崎通と5.2㎞。揖斐川の堤防や、三之丸公園、柿安コミュニティパークあたりには人がそれなりにいましたが、九華公園は普段通り。

Img_5385c_20200429155901  三の丸水門のところでヒバリ。証拠写真ですが、メスと思われます。揚げ雲雀も聞かれたものの、姿は見つけられず。ここらあたりまで、これといって鳥はいませんでした。スズメ、ムクドリ、ヒヨドリが少数。水鳥は見かけません。

Img_5395c_20200429155901  九華公園にも鳥はあまりおらず、静か。静かなのは、ヒヨドリがいないのが大きな要因。コゲラの巣には、コImg_4477c_20200429155901 ゲラがちゃんといました。今日もカメラ目線。セキセイインコ、メスが外を覗いたり、巣箱から出てくることが増えました。金網越しの写真ですから、鮮明さを欠きますが、このように中睦まじい様子も見られました。

Img_4480c_20200429155901  ツグミは今日はまったく見当たりません。少しのカワラヒワと、スズメ、ムクドリ、ドバトなど。この頃カワウについて触れませんが、ほとんど来ていません。カラスの姿もありません。

Img_5448c_20200429155901  カモは、キンクロハジロのみが17羽。二の丸堀に集まっています。もうそろそろ旅立つ頃。名残惜しいのですが、また秋にやって来てくれるでしょう。それと、毎年ゴールデンウィークころ、キビタキが来たりします。夏鳥が通りがかりに立ち寄ってくれるのを願っています。

Img_4496c_20200429155901  貝塚公園も静かでした。子ども連れの家族や、散歩友達の姿はあるのですが、鳥はやはり少ない。ムクドリ、カワラヒワの他は、ツグミ1羽。

Img_4502c_20200429155901  ツバメの巣チェック。左は、市立博物館の巣。ここは、このところいつ見Img_4507c ても親が巣に就いていますから、もう卵があると考えられます。呉服屋さんの巣では、最近使われていなかった、奥にある巣の修復がなされていました。ここには天井の蛍光灯に3つの巣があるのです。

Img_5458c_20200429155901  ところで、昨日の記事の最後に書きましたように、江戸橋での授業は、遠隔授業にするという連絡がありました。教材をpdfで用意し、音声ファイルをつくる必要があります。教材は、授業用のパワーポイントのプレゼンテーションがありますから、それを編集すればできるでしょう。音声ファイルは、1コマあたり、20分弱×3本=60分。普段の講義は90分ですから、内容をかなり精選しなければなりません。前期の授業では演習や、DVD視聴を取り入れていたのですが、遠隔授業ではこれは不可能でしょう。ウ~ン、なかなか難しい。よく考え、工夫しないといけません。似たような経験は、10年以上前に放送大学で「心理学研究法」の講座を2コマ、ラジオで担当したことがあります。このときは、教科書を2章書いて、放送は1コマ45分×2回、試験は多肢選択式で行ったと記憶しています。

2020年4月28日 (火)

河口堰でコアジサシ、コムクドリ、ヒレンジャク、ササゴイ、長島水辺のやすらぎパークで牡丹……プチ遠征を楽しみました

Img_5124c_20200428191901  風はありましたが、20℃を超え、この時期らしい気候。プチ遠征としました。とはいえ、県境を越えるのは自粛を要請されていますので、行き先は長良川河口堰とその周辺です。河口堰、臨時駐車場、長島水辺のやすらぎパーク、願證寺などを回ってきました。現地で歩いたのは、合計4.5㎞ほど。河口堰で出会ったのは3組計5人、やすらぎパークでは先客2名、願證寺では私一人です。しかし、気になったのは、河口堰でも、やすらぎパーク駐車場でも、名古屋ナンバーの車が複数止まっていました。県外への外出は自粛が要請されています。どちらも「密」になるところではありませんが、時節柄いかがかという気がします。

Img_4935c  さて、長良川河口堰。8時35分到着、10時10分まで。サギはあまりいないかと思ったのですが、かなりたくさんいました。コImg_4328c_20200428191701 サギがほとんどで、ダイサギが混じり、アオサギもいるという状況。右は、管理橋を渡った西側、魚道あたりの様子。乱舞しています。ダイサギとコサギが混じっています。

Img_5067c  その河口堰では、親水広場でヒレンジャクを見つけました。6~7羽がいました。先だっての九Img_5109c_20200428191901 華公園に続いての幸運(2020年4月15日:九華公園で7年4ヶ月ぶりにヒレンジャク)。親水広場あたりを移動していましたが、見ている間はあたりの木を移動していました。キレンジャクの方はいません。キレンジャクも見てみたいものです。

Img_4342c_20200428191801  さらに、先日も見たコムクドリがまだいました(2020年4月21日:その後の御衣黄、河口堰でコムクドリ、某所でケリは営巣……なばなの里は花ひろばのみ公開中)。全長19cm。オスは頭から胸にかけて灰色味のある白色で、頬に赤褐色斑があります。Img_4349c-2メスは頭から背は黄褐色で、くちばしと脚は黒色。ヒレンジャクとコムクドリとは、同じ木に集まっていました。いやぁ、それにしてもラッキーでした。

Img_4365c_20200428191901  ヒレンジャクと、ホオジロのオスとのコラボ写真も撮れました(微笑)。そうなのです、今日もホオジロが見られたのです。

Img_4992c_20200428191701 Img_5003c  現地ではホオジロのオスが2羽と思い込んだのですが、帰ってパソコンで見たら、1羽はメスでした。メスの写真は、ちょっとピンぼけ(苦笑)。

Img_5012c  その上、ササゴイ(笹五位)までいたのです。親水広場の東側。気づかずに近づいてしまい、逃げられたのですが、証拠写真は撮れました。翼の上面は青藍色で、各羽の羽縁に白く縁取りがあり、「笹の葉」のように見えるので、この名前が付けられているそうです。

Img_4295c_20200428191701  いや、しっかり楽しめましたが、もう一つ、ニュースがあります。コアジサシが飛来していたのです。長良川の中央から右岸Img_4293c_20200428191701 側(西側)で数羽を見かけました。ただし、いかにも遠い。証拠写真もいいところ。クリックして拡大していただき、よくよく見ていただくとコアジサシらしいことが分かっていただけると思います。以前、この近くにあった繁殖地は、建物が建ったりして見当たらなくなっています。ここに来るということは、どこかに繁殖地を決めて、来ていると思うのですが、それはまだ不明。揖斐長良川の中洲あたりも飛んでいたのですが、中洲には普通は立ち入れませんので、確認できません。

Img_4278c_20200428191601  忘れてはいけません。キンクロハジロはまだ14羽ほどが滞在中。上に書きましたように、アオサギもいました。西側の魚道Img_4319c_20200428191701 でエサを探していたものが飛び立ったのが右の写真。

Img_5155c_20200428192001  それにしても、今日は河口堰まで出かけてよかったですねぇ。コサギが魚をゲットするシーImg_4404c_20200428192101 ンも見られたのですが、写真はピンぼけでした(苦笑)。1時間半もいてしまいました。

Img_4444c_20200428192101  続いては、某臨時駐車場。先だっては(2020年4月21日:その後の御衣黄、河口堰でコムクドリ、某所でケリは営巣……なばなの里は花ひろばのみ公開中)、ケリの営巣やら、コチドリやら見られたのですが、今日はどちらも不在。ケリは営巣を諦めたようで、残念。今日いたのは、カワラヒワ4羽のみ。

Img_5177c_20200428192101 Img_5207c_20200428192101  続いて、長島水辺のやすらぎパークへ。ここには牡丹園があるのです。公園自体は休館中でも、牡丹は見られるだろうと思って、です。予想通りでした。水辺のやすらぎパークにある久我屋敷は入れず、また、イベントも行われてはいませんでしたが、牡丹園は開放されていました。久我屋敷は、長島藩の重臣であった久我家のもの。明治になって久我氏は戸長に任命され、長島・大島・松ヶ島・駒江・出口・又木・小島の各村を治めました。、家屋は明治12(1879)年)に建築されたもの。後裔は長島町を離れ、空家となっていた家屋敷を平成15(2003)年、長島町が譲り受け、観光客などの休憩施設として改装をしました。

Img_5231c_20200428192201  牡丹は早く咲いたものは盛りを過ぎつつありましたが、見応え十分でした。最初に書きましたように、先客は近くからいらしImg_5229c_20200428192201 たという女性お二人のみ。他には、ここの整備を担当している男性のみ。堪能してきました(微笑)。

Img_5199c_20200428192101  昨日も書きましたが、牡丹の花はボリュームがあります。こういうことを書くといけませんImg_5272c が、グラマラスな女性を連想させます。お断りしておきますが、主観的には、決してセクハラオヤジではありません。こう見えても、現役当時は、セクハラ相談員でしたから(微苦笑)。

Img_5244c_20200428192201  牡丹園のところには藤棚もあります。そこで、両者のコラボ写真も。ここは、穴場スポッImg_5283c_20200428200601 ト。そばには、長島川が流れていて、とても気持ちの良いところです。水辺のやすらぎパークには、桜の木もたくさんあり、実が色づき始めていました。食べてみたい衝動に駆られたのですが、触ってみたらまだ固くて食べられそうもありませんでした。

Img_5281c_20200428200801  ここもよいところです。長島川に沿って遊歩道が整備されていて、近鉄長島駅近くから、長島城跡(長島中Img_5298c_20200428201101 学校、長島中部小学校)、又木茶屋、長島水辺のやすらぎパークを経て、なばなの里近くまで歩けるのです。ゴールデンウィーク中、もう一度来て散策を楽しむのもよいかと思います。このように近場でもけっこう楽しめるところが、どこにでもあるように思います。とくに、ここのように水辺の空間は、気持ちよいと思うのです。

Img_5322c_20200428192201  長島水辺のやすらぎパーク駐車場まで戻って、近くの神社仏閣へ。すでに行ったことはあるのですが、駐車場のとなりには神明社。主祭神は、天照皇大神。社伝によれば、慶長19(1614)年に西外面村遠浅に神明宮として勧請したものの、その後荒廃。そのため西外面鎮座のハ幡宮を産土神として崇敬するに至りました。大阪の陣に際し、当地の民が多く徴発されて出陣したものの、全員つつがなく帰村できたのは神明の加護によるものとして再び社殿を造営し奉斎したと伝えられています。簡素な社ですが、それなりの由緒、経緯があるものです。

Img_5328c_20200428192201 Img_5340c_20200428192201  そして、長島山願證寺。願證寺(がんしょうじ)は戦国時代、織田信長と長島の一向宗門徒の間で起こった長島一向一揆の舞台となった寺として、悲惨な歴史があります。しかし、もともとの寺跡は明治期の河川改修工事によって、長良川の川底に沈んでしまいました。現在の願證寺は、門徒のために祐泉寺を寺縁により願證寺の名称で呼ぶようになったものです。長島一向一揆の激しい戦いは、上宮寺絵伝や長島一向一揆殉教の碑にしのばれます。

Img_5345c_20200428192201  こちらが長島一向一揆殉教の碑。木曽・長良・揖斐の三川に囲まれたデルタ地帯にある長島には、大坂の石山本願寺の末寺、願證寺(がんしょうじ)があり、東海地方の一向宗の中心として、その門徒は、およそ10万人といわれるほどで、長島の城主伊藤重晴を追い出し、一向宗門徒による自治を行っていました。天正2(1574)年7月、信長は三度目の長島攻撃を開始し、志摩の九鬼水軍を中心に数百艘の軍船を用いるなど、これまでにない大軍を動員しました。この軍船の威力は大きく、長島方の受けた被害は甚大でした。長島方では食糧不足から餓死者が続出、二つの砦は落ち、風雨に紛れて砦から脱出した男女千人余りが信長軍に斬り殺されました。三カ月にわたる籠城戦が続き、9月29日、遂に長島方は降伏し、門徒衆は船で逃げ出しました。しかし、待ちかまえていた信長軍に攻められ、砦に残っていた男女2万人余りは、周囲に柵を設けて閉じ込められ、四方から火を放たれ焼き殺されてしまいました。現在の長島町の人口の約2倍の人々が殺されたことになります。ナガシマスパーランドなどで知られる長島の地にも、このような痛ましい出来事があったのです。

Img_5349c_20200428192201  ということで、プチ遠征、しっかり楽しんできました。連休中も(連休とはいえ、ほとんど関係ない立場ではありますが)、このように近場で、あるいは、いつもの散歩コースで楽しみ、人混みには無縁の生活を送ろうと思っています。写真は、願證寺近くの水田。長島町内ではほぼ田植が終わっています。中央やや左に見える山は、多度山。多度山にも登に行きたい気もしています。

【付記(4/28)】 江戸橋の非常勤先から、5月12日からの開講は当面延期とすること、検討されていた集中講義型時間割は取りやめ、開講時期を遅らせて、遠隔授業の実施を予定するという連絡がありました。学生たちの負担を避けるため、講義の音声ファイルと講義資料を学生に配信する、という形で授業を実施するということです。非常事態ですから、協力することにしますが、1回の講義につき、講義資料のpdfファイル(A4で4~5枚程度まで)と、講義音声を録音した音声ファイル(20分弱×3)を用意することになります。まだ詳細が分かりませんが、けっこう大変かも知れません。しかし、学生の皆さんのために何とか工夫しなければなりません。

2020年4月27日 (月)

まだいたジョウビタキのメス

Img_4160c  最高気温は21.6℃。ほぼ平年値でした。午前中は3m/s前後の風で暖かい感じ。昨日と同じく朝8時過ぎの揖斐川の堤防、今日は歩く人はほとんどありません。これが、最近の普段の様子です。いつも通り、8時から散歩。住吉神社、九華公園、赤須賀郵便局、貝塚公園、内堀公園、新築町、老松公園、寺町と散歩コースはちょっと変えました。赤須賀郵便局では、レターパックプラスを購入。寺町では、長寿院というお寺にも立ち寄り。これで7.6㎞。ちょっと歩きすぎ。「淡々と」から逸脱しているかも知れません(苦笑)。

Img_4236c  今日は、九華公園で「まだいたの!?」という鳥に遭遇して、ビックリ。それはこちら、ジョウビタキのメス。もう、しばらく前から見なくなりましたので、皆帰ったと思っていました。4月下旬にジョウビタキを見たことは今まではありませんでした。神戸櫓跡で、キビタキでもいないかと思ってみていたら、ジョウビタキがいたという次第。管理事務所の方まで逃げられたので追いかけたのですが、よい写真は撮れず、これがベスト。

Img_4816c_20200427162101  さて、住吉入江、諸戸氏庭園あたり、揖斐川、七里の渡し跡には、スズメやムクドリくらいしかいません。水鳥の姿はなし。三之丸公園にも、スズメとハシボソガラスのみ。三の丸水門では、ヒバリの姿があったものの逃げられました。葉桜も、いよいよ新緑というイメージになってきました。

Img_4188c-2 Img_4171c_20200427162101  九華公園のカモ、今日は合計14羽。キンクロハジロが13羽なのですが、なぜかホシハジロのメスが1羽。ホシハジロのメス、昨日はいませんでした。また、昨日見かけたヒドリガモのオスは見られませんでした。キセキレイを朝日丸跡で見かけたのですが、写真は撮れず仕舞いで残念。

Img_4868c  コゲラは、時間をおいて2回見たものの、不在でした。が、2回目にいなかったので他へ回ろうと巣を離れたところで、鳴き声がして戻って来た様子。慌てて引き返して、確認したら、いました。三度目の正直(微笑)。巣にいるコゲラの他にもう1羽、近くで鳴き声がしていましたから、ペアでいると思われます。もう1箇所の巣は、たぶん古い巣で、今年つくられたものではないと、個人的に結論。

Img_4173c_20200427162101  鳥小屋のセキセイインコの様子。オスが、何度も巣箱の中を覗いていて、気にしていました。そろそろ雛が孵るのかと思うのImg_4219c ですが、まだヒナの姿は確認できません。このすぐ後には、メスが、オスに答えるかのように顔を覗かせたり。さらに、メスも外に出て来たりもしました。気になりますねぇ(微笑)。キジバトの巣には今日も親鳥はいません。これはもう放棄されたのは確実。

Img_4166cImg_4863c_20200427162101  このほかの鳥は少なめ。毎年、今頃は「端境期」です。カワラヒワの姿を見かけるようになりました。昨日見たのは、やはりヒナかと思いますが、まだはっきりと確信は持てません。ツグミも少なくなりました。今日、九華公園では1羽のみ。

Img_4850c  ツバメはあちこち飛び交っており、九華公園にもやって来ています。時折、吉之丸堀の上空に張られた電線で休んでいます。ここは、ヒナが巣立つと、飛行訓練にやって来るところでもあります。

Img_4882c  寒暖を繰り返しているためか、ツツジの開花がさほど進みませImg_4842c ん。いつもよく咲いているところを撮りますから、「もう満開か」と勘違いを招いているかも知れません(苦笑)。左の写真は、外周の遊歩道の東。ここはよく陽が当たるのです。右は、朝日丸跡の北側。松やソメイヨシノが茂った陰になりますので、ツツジはまだまだ。

Img_4823c  管理事務所の北の通路沿いに牡丹が何種類か植えられています。牡丹も種類が多いので、名札がないと名前が分かりません。Img_4830c 左は「雪重」という品種。右は、「八千代椿」。牡丹というと、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」ということばを思い出します。美しい女性を形容する表現とされますが、それぞれの花を鑑賞するのに適した見方を示しているという説もあります(花の付き方によって、芍薬は立って見るのが一番美しく、牡丹は座って見るのが一番美しく、百合は歩きながら見るのが一番美しいという説。確かにボタンは、横を向いて咲いています)。それにしても、花にボリュームがあります。牡丹といえば、長島水辺のやすらぎパークに「長島牡丹園」があり、今頃は見頃なのでしょうが(2017年4月25日:河口堰でコアジサシとミサゴ、長島町内でケリの巣……またもや御衣黄と、水辺のやすらぎパークでは牡丹)、ご多分に漏れず、休館中。しかし、長島川の遊歩道から見えるところですから、覗きに行ってこようかという気がしています。ちなみに去年はフライイングを犯し、早すぎました(2019年4月19日:長島やすらぎの水辺パークでボタンを見に行ったものの早すぎて苦笑……なばなの里、治水神社で御衣黃、サギの営巣も)。

Img_4884c_20200427162201  九華公園から赤須賀郵便局へ。去年の秋くらいから利用するようになりました。九華公園の本丸跡からは、直線距離で600mほど。ついでに、ちょっと足を伸ばせば行けるという距離。はまぐりプラザや、赤須賀漁港のすぐ西。局員さんが、親しみやすく、親切なのが気に入ったのです(あまり愛想のないところもありますから)。相談の報告をお送りするのに、レターパックプラスを購入。

Img_4259c  その後、貝塚公園、内堀公園、京町へ。京町ではツバメの巣のチェック。親ツバメがいたのは、市立博物館のみ。それも、ここに来たときには巣におらず。次へ行こうと思ったら、戻って来ました。卵があるならずっと巣に就いていると思いますので、まだ卵は産んでいないのかも知れません。

Img_4894c_20200427162201  「アジサイに似た花」と思って、あまりよく調べないでいました(苦笑)。ずっと昔、ブログに載せた気がします(そのときブロ友さんに名前を教えていただいた記憶もありますが、忘却の彼方)。葉っぱの形からアナベル(アメリカノリノキ)だろうと思います。三栄町あたりのお宅にありました。オオデマリかとも思ったのですが、オオデマリの葉形は卵形です。

Img_4912c_20200427174301  帰りに寄ってきた松嶽山長寿院。北寺町にあります。臨済宗妙心寺派のお寺。元は、陽向寺と称したのですが、元和4(1618)年、時Img_4924c_20200427174301 の桑名藩主松平定行夫人(薩摩藩島津家久の養女)が没したのですが、実家の宗旨が臨済宗であったため、ここに葬りました。夫人の院号により、それ以後、長寿院と称しました。墓地には、「長寿院墓」の他、薩摩義士の墓3基や「鶯宿雑記」を書いた駒井鶯宿(こまいおうじゅく;白川藩主松平定永に仕え、定永が桑名の15代藩主として国替えの時、先鋒隊として城の受け取りや住居の手配に奔走;弘化3(1846)年没)の墓もあります。

2020年4月26日 (日)

スズメの砂浴びは気持ちよさそう

Img_4073c-2  今日も今日とて「淡々と飽きもせず……」のモットーで過ごしております(微笑)。いつも通り、8時から11時までは散歩。住吉神社の前に出てビックリ。揖斐川の堤防が賑わっていました。ウォーキング、ジョギングの人がこんなにたくさん、ここにいるのは見たことがありません。まぁそれでも「密集」というほどではありませんが。このあとはいつも通り、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町、田町と6.2㎞。私がいつも行くこれらの公園は、ありがたいことに空いています。

Img_4648c_20200426152601  三の丸水門のところまで来たら、「揚げ雲雀」。ほぼ垂直に降下して、水門の上流側の高水敷に降りてきました。メスも近くにいました。毎日ではありませんが、頻繁にここらでヒバリを見ます。繁殖してくれるとよいのですが、写真のように草も伸びてきましたので、巣を見つけるのは至難の業かという気がしています。

Img_4696c  九華公園では、相撲場近くでスズメが砂浴びをしているところに遭遇しました。久しぶりです。3羽がいたのでImg_4721c_20200426152701 すが、2羽が砂浴びをして、1羽があたりを警戒しているというふうに見えました。

Img_4713c  連写で何枚もシャッターを押したものの、なかなかこれはというシーンは撮Img_4711c_20200426152701 れないものです。もっとたくさん撮らないとダメかも知れません。

Img_4727c  コゲラの巣、時間をおいて2回見に行きました。2回目にいつものように巣から顔を覗かせているのが見えました。一安心(微笑)。もう1箇所のコゲラの巣には、来ていないようです。

Img_4106c_20200426152601  キジバトの巣には、今日も親鳥の姿はありませんでした。これで2日連続で不在。もちろんヒナの姿はありません。何かアクシデントがあって、巣を放棄した可能性が高いかという気がします。セキセイインコは、今日もオスが外にいて、メスは巣箱の中にいるようです。

Img_4086c_20200426152601  カモたちは、キンクロハジロのみが15羽。いよいよ少なくなってきました。九華橋から二の丸堀あたりにいImg_4739c ます。その後、公園内を回っていたら、ヒドリガモのオスの姿が見えました。しかし、よく見ると、左の翼を痛めているようです。吉之丸堀から、奥平屋敷跡と二の丸跡の間の堀を行ったので、追いかけたのですが、いませんでした。毎年のように、傷ついたカモを見ます。これでは長距離は飛べないような気がします。

Img_4116c  今日は、九華公園でカワラヒワの姿を少し見るようになりました。抱卵などヒナを育てるシーズンだと思うのですが、もう巣Img_4725c 立つヒナも出て来たのでしょうか。こちらによれば、抱卵日数は11~13日、育雛日数は14日程度といいます。右のカワラヒワ、幼い個体のようにも見えます。4月初めから卵を抱いていれば、そろそろ巣立ってくるヒナもいそうです。これまた、要継続観察です。

Img_4682c  今日は、九華公園で見たツグミは、ゼロ。三之丸公園や、柿安コミュニティパークにもいませんでした。九華公園では、メジロがまたもやさえずり。他には、スズメ、ムクドリ、ドバト、ヒヨドリなどがいましたが、いずれも数は多くはありません。皆、繁殖期で忙しいのでしょうね。

Img_4749c_20200426152501  貝塚公園では、ツグミ2羽。もう皆帰ったかと思ったのですが、まだいてくれて、ちょっとホッとします。いImg_4764c つまでもいて欲しいようにも思いますが、ツグミたちにも都合がありますから、そろそろ帰って行くでしょう。

Img_4145c-2  恒例のツバメの巣チェック。京町で4箇所、田町・三崎通で3箇所を見てきImg_4140c ました。親鳥がいたのは、市立博物館の巣だけでした。博物館の前の街灯にはもう1羽。他の巣も、周りをツバメが飛んでいることがあります。こちらも、要継続観察です。

Img_4095c_20200426152601  野鳥が少ないので、昆虫を撮ろうとも思うのですが、なかなかいません。モンシロチョウ、キチョウ、アゲハはときどき飛んでいます。トンボはその後見ていません。鎮国守国神社の境内で見つけたテントウムシ。フタモンクロテントウかと思うのですが、紋の色がリンク先ではもう少しオレンジ色の感じがします。

Img_4745c  仕事の方は、一区切りをつけられました。ちょっと時間がかかりすぎ、ご迷惑をおかけしたのですが、明Img_4748c_20200426152501 日、発送予定。教育委員会関係の5月、6月に予定された会議は、中止されました。その後の予定変更も連絡が来ています。江戸橋方面も、連休明けからの授業開始は難しそうな気がします。今の状況ではいずれもやむを得ません。冒頭にも書きましたが、私は「淡々と飽きもせず……」でやります。これは、自分が体調不良で長く苦しんだときに得たモットー。この機会に、徒歩圏内にあって、まだ行ったことのない神社仏閣を訪ねたり、市内にもう一つある旧街道「八風道」を歩いたりしようかと考えています。また、一昨年、一昨昨年の市民大学郷土史学科のまとめも途中で放ってありますから、これに再挑戦もありかと(微笑)。人混みに行かなくとも、お金を使わなくとも、それなりの楽しみを見いだすのも楽しみ(屁理屈にて失礼)。

2020年4月25日 (土)

ソメイヨシノに実がなる……サクランボと呼んでもよいのか?

Img_4563c_20200425180401  昨日までは肌寒い感じでしたが、今日は気温も19℃近くまで上がり、風も弱く、散歩日和でした。私が行く九華公園(左の写真)や、貝塚公Img_4573c_20200425180401 園(右の写真)の様子は、これら2枚の写真のような感じ。今日の9時半~10時頃の様子です。曜日や時間帯によって人出は異なりますが、都会の公園とは違って、賑わっているということはありません。今日も8時から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、田町と6.5㎞を歩いて、11時過ぎに帰宅。午後からは仕事に勤しんでおりました。

Img_4058c_20200425180301  今日のハイライト(勝手に決めているだけですが)は、こちら。「サクランボ」と呼んでよいのかどうか迷うところですが、花が終わったばかりのソメイヨシノの木に実がつき始めました。諸戸氏庭園前にあるマイソメイヨシノの木です。食べられるのでしょうか? 熟したら一度試してみようかと思います。

Img_3976c_20200425180301  さて、住吉入江、もうカモもオオバンも来ないと思っていたのですが、今日は、キンクロハジロのメスが1羽来ていました。今の時期に単独行動で大丈夫かという気もします。揖斐川には鳥影は見えません。冬は、カモメの仲間が飛んでいましたが、それも見なくなりました。住吉神社あたりで「揚げ雲雀」が聞かれたのですが、姿は確認できません。これはひとえに老眼のなせる技(苦笑)。

Img_4518c  蟠龍櫓と、三之丸公園のソメイヨシノの葉桜。いい感じになってきました。七里の渡し跡にもカモなどはいません。三之丸公園には、ツグミが1羽とムクドリ、スズメ、ハシボソガラス。冬鳥もかなり帰って行ったようです。ヒバリは、今日は見当たりません。

Img_4525c_20200425180301  九華公園では、もういなくなったと思っていたシロハラが1羽。相撲場近くにて。カモたちは、今日はキンクImg_4547c_20200425182701 ロハジロだけになっていました。その数は、39羽。二の丸堀の西側エリアに固まっています。キンクロハジロたちもそろそろ帰っていく頃になります。

Img_4538c_20200425180401  コゲラの巣のうち、1箇所には今日もコゲラがいました。姿が見えないとImg_4010c きもありますが、写真のように外を覗いていることもあります。要継続観察です。鳥小屋のセキセイインコ。今日は、メスも外に出て、オスと並んでいました。巣箱の中の様子は窺い知れませんので、雛が孵ったのかどうかはまだ不明。

Img_3998c_20200425180401 Img_4003c  キジバトの巣、今日は親鳥はいませんでした。しばらく待っても戻って来ません。単眼鏡で見たり、そっと巣の下に行ってみたりしたのですが、卵やヒナの存在は不明。ちょっと気になります。何かアクシデントがなかったのでなければよいのですが。

Img_4536c_20200425180401 Img_4560c_20200425180401  昨日、奥平屋敷跡への入り口にある花菖蒲園の写真を載せました。九華公園には、他に2箇所の花菖蒲園があります。左は、奥平屋敷跡から管理事務所に行った方のところ。ここは、素人目にもちょっとどうかなという印象。右は、本丸跡の南。ここは植え替えをしてかなりケアをしたところなのですが、今ひとつパッとしない感じ。管理形態が変わってから、桜も、花菖蒲も管理が行き届いていない印象です。桜、ツツジ、花菖蒲の名所という評判を返上しなければならないような事態は避けてもらいたいと思うのですが、どうなりますか、心配です。

Img_4569c_20200425180401  ツツジ。例のこのタイプをじっくり見てきました。よく見ると、白色とピンク色の混じり具合は、さまざまです。去年は、白Img_4571c_20200425192501 とピンクとが半々のものも見た記憶があります。あまりあちこち出かけられない今、このように身近なものをじっくりと見ると、新たな発見があるかも知れません。

Img_4032c_20200425180301  貝塚公園ではツグミ、ムクドリなど。その後、ツバメの巣チェックをしてきましたが、左のImg_4605c_20200425180301 写真は市立博物館の巣。今日親鳥がいたのはここだけ。右の写真は、桑名七里の渡し公園。ここも空いていました。都会と違って、公園が空いているのは、散歩を日課にしている私にはありがたいところ。

2020年4月24日 (金)

九華公園でアカハラ、コゲラはカメラ目線

Img_4374c  肌寒い感じの日が続きます。午後からは通り雨。さらに寒くなった気がします。最高気温は15.5℃。朝8時過ぎから、歩いてきました。いつものコースで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町。いったん帰宅して、いつも使っている薬が切れますので、駅前の開業医さんへ。桑名に来てからずっとお世話になっています。空いていました。中待合には1人ずつ呼ばれていました。歩いたのは、合計7.4㎞。住吉神社前で、バーテンダーをしている若い知人が、ストレッチ体操。店はしばらく前から休業だそうで、体がなまっているとか。どこも大変です。写真は、七里の渡し跡にある伊勢一の鳥居。

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 住吉入江、揖斐川には鳥影はありません。三の丸水門でヒバリ2羽。奥にいるのがオス。この直前まで「揚げ雲雀」。急降下してきました。このあたりで繁殖してくれることをずっと期待していますが、巣を見つけられるかが大問題(苦笑)。

Img_3936c-2  九華公園のコゲラ。ときどき姿が見えないのですが、巣の奥に引っ込んでいるように思います。今日はカメラ目線をくれました(微笑)。このすぐ近くで別のコゲラの鳴き声もしていました。ペアの相方なのかも知れません。このまま無事に繁殖してくれるのを祈りたいと思います。

Img_3906c  奥平屋敷跡で、シロハラに似た鳥が一瞬見えました。木陰に入ってしまい、よく見えませんでしたが、アカハラのようです。2年ぶりに見ました(2018年4月21日:九華公園で4年ぶりにアカハラ)。その前は、2014年4月23日(気持ちのよい散歩日和……久しぶりにお目にかかった知人からは“隠居勧告”!?)。こうして振り返って見ると、毎回ほぼ4月20日過ぎです。「本州の高原から北海道の山林で繁殖し、冬は暖かい地方の平地へ移動する、一般的には夏鳥だが、冬になると海外から渡来してくることも確認されている」といいます。九華公園では、移動の途中立ち寄るということだろうと思います。

Img_4440c_20200424163201  奥平屋敷跡では、メジロがかなりよく響く鳴き声で囀っていました(リンク先で鳴き声が聞けます)。この小さな体からあんな大きな鳴き声が出るのかと思うほどです。高い木のてっぺんをときどき移動しながら、囀っています。見つけるのには、けっこう苦労しました。

Img_3926c  鳥小屋のセキセイインコ。メスの姿がほとんど見られなかったのですが、今日は珍しく登場。金網越しですImg_4421c_20200424163201 から、ピントは合っていません。管理人さんが掃除し、エサを与えると出てくることが多いそうです。抱卵を始めてから3週間くらいで雛が孵るそうですから、そろそろです。右は、今日のキジバトの巣の様子。こちらは抱卵日数は、15~16日といいます。それもこの週末くらい。

Img_3951c_20200424163201  今日は、シジュウカラも本丸跡や、外周遊歩道の南で見かけました。写真は、外周遊歩道のImg_3888c_20200424163201 南で、毛虫か何かを食べていたシジュウカラ。苦手な方は、クリックなさらないでください。他には、ツグミを2羽ほど見ました。カモは35羽が滞在中でした。

Img_4437c_20200424163201  昨日、ツツジについて少しだけ調べましたので、今日は割Img_4468c_20200424163201 とじっくり見てきました(微笑)。左の写真は「シロタエ(白妙)」と思います。右は、昨日も触れた白にピンクが混じったもの。今日は、半々くらいのものは見つけられませんでした。

Img_3893c_20200424163201  鎮国守国神社の境内にある梅の木。梅の実がかなり大きくなってきています。そして、気が早過ぎるのですが(爆)、花菖Img_4458c_20200424163201 蒲園。右の写真は、奥平屋敷跡への入り口にある花菖蒲園。ショウブも成長してきているのが分かります。

Img_3957c  貝塚公Img_4482c_20200424173001 園へ。いた鳥はツグミとムクドリくらい。ツグミも減っています。シロハラは見なくなりました。貝塚公園の清掃をしているシルバー人材センターの方から、ツツジの咲き具合の写真を撮ってくれと頼まれています。かなり思い切って剪定されました。花芽は前年、花が散ってから8月頃くらいにはできるそうですから、これほど思い切って切ってしまうと、花は当然、少なくなります。

Img_3960c-2  ツバメの巣チェック。時間の都合で、京町あたりの4箇所のツバメの巣だけを見てきました。左は、京町のあるお宅の巣。今シーズン、今日初めImg_3964c_20200424163201 てツバメが巣にいました。右は、市立博物館の玄関先にある巣。しばらく前に一度親ツバメが巣に就いていました。

Dsc_6171c  駅前に出かけたついでに銀行にも寄って来ました。入店前、外から見たら窓口にはシャッターが閉まっていて驚いたのですが、ご覧のように、昼休みの休業が導入されていたのです。昼休みに来店したいというニーズは多いと思うのですが、それが密集を呼ぶ可能性が高いということなのでしょう。小中学校なども、5月末まで休校を延長する動きが出ています。私もよりいっそう気をつけて行動しなくてはなりません。今のところ、散歩に出かける先の人出は新型コロナウイルスが問題になる以前とさほど変わりませんが、マスク着用、手洗い・うがい・消毒の励行、知人・散歩友達とはいえ必要以上に接近したり、長い時間会話したりしないことが肝心かと。

Img_4494c_20200424174801 夕方、ベランダに出たら、東の空に虹が見えました。ちょうどナガシマスパーランドあたり。

2020年4月23日 (木)

金儲けにならない、役に立たないことばかりで楽しむ(微笑)

Img_4226c_20200423180201  朝、最低気温は6℃とけっこう冷えた感じ。日中は晴れときどき曇り。陽が当たると暖かいのですが、曇ると肌寒い。4月になってから、寒暖差あり、雨の日もありで、安定しません。しかし、淡々と飽きもせず……で、今日も散歩。8時半過ぎから住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町。田町と6.3㎞。寺町商店街には行っていません。というのも、今日は三八市で賑わっているからです。密集というほどではないかも知れませんが、念のため避けておこうということ。

Img_3814c-2  九華公園での最近の関心事は、コゲラ、キジバトの営巣と、鳥小屋のセキセイインコの抱卵です。コゲラ、まずは、管理事務所Img_4256c_20200423180301 近くに登場。営巣しているコゲラかどうかは、分かりません。コゲラの巣は、2つあるうちの一方で親鳥がいました。いつもいる方です。今日も、嘴やおでこあたりに木くずのようなものがついているのが見えました。まだ工事中なのでしょうか? キジバトは相変わらず就巣中(写真を撮ったのですが、知らぬ間にシャッタースピード優先になっていて、真っ黒でした)。セキセイインコ、今日は管理人さんがエサを置いたら、メスが一瞬巣箱から出て来て採餌し、またすぐに戻ったという話でした。今週末くらいに雛が孵るかと期待しています。

Img_4237c_20200423180301  散歩に出るのが、いつもより30分くらい遅く、途中、知人と話していたりしましたので、公園内を歩くのが、いつもより1時間Img_4245c_20200423180301 遅れで、鳥はあまり見られません。カモは、合計35羽。ヒドリガモが2ペア、ホシハジロのオスが4羽、メスが1羽。ホシハジロ、どうしてオスばかりいるのかは、不明。他はキンクロハジロ。ユリカモメが2羽飛来したものの、すぐにいなくなりました。他は、ツグミは朝日丸跡にて。1羽のみ。他は、ドバト、スズメ、ムクドリなど。ヒヨドリ、カラス、カワラヒワ、ハクセキレイなどは見当たりません。

Img_4250c_20200423180301  この春気になっているのは、鎮国守国神社の境内にあるドウダンツツジ。花がきわめて少ないのです。去年は木一杯に咲いていImg_4254c_20200423180301 た気がするのですが、どうしたのでしょう? 知人Aさんも、「今年は、ドウダンツツジがさっぱりだなぁ」とおっしゃっています。

Img_4276c  ツツジ、日当たりのよいところではほぼ満開。しかし、公園全体では2分咲きに行くかどうか。「ヒラドツツジと、オオムラサキツツジがある」と観光案内のサイトにはあるのですが、こちらを見ると、ヒラドツツジには300種以上の品種があり、その中にオオムラサキ、アケボノ、シロタエなどがあるのだそうです(藤が丘デザイン公園の御衣黄も間違っている可能性大ですし、観光案内のサイトの説明もアヤシいか、と疑っています)。左の写真で手前にたくさん咲いているのがアケボノ(曙)、奥にチラッと見えているのがたぶんオオムラサキ(大紫)。九華公園にはこのほか、白い花が咲くものがけっこうあり、さらにオレンジ色、赤色などもあります。

Img_4274c_20200423180301  私の好みはこちら。白い花びらにスッとピンク色のラインが入っていたり、斑紋が入っていたりします。中には、一つの花が白とピンクの半々というのもあります。こちらにその理由が書かれていました。「もともとツツジは色があるものが通常の状態。突然変異で白く咲いたものを改良したのが真っ白ツツジ。ある意味、無理やり白いものだけにした結果、たまに部分的にピンクのものが混じることがある」のだそうです。もう少し専門的な文献かサイトを調べる必要がありますが、今日のところはこれで。

Img_4288c  貝塚公園へは10時半近く。親子連れの方が3組ほど。都会では公園を散歩する人やジョギングする人が増えたといいますが、私の散歩コースではやや多い日があるかなという印象。小学生くらいの男の子とお母さんが、座り込んで何やら観察し、ノートに記入している様子も見られました。休校を機会にこういうのもよいかも知れません。鳥は、ツグミ1羽とムクドリ。メジロもいました。

Img_4310c_20200423180301  今日のツバメの巣チェックの結果。市立博物館の玄関先の巣に親鳥が就いていました。京町の呉服屋さんは、今日はいません。他の巣にもいませんでした。

Img_4264c  というように、いつも通り歩いて、「いったい何が面白いのか?」「何か役に立つのか?」と思えるようなことばかり見て、楽しんでいます。何も役には立ちません。好奇心を満たせるくらい。ごくまれに、面白がってくださる方や、共通の趣味を持つ人に出会えます。それはそれでとても楽しく、うれしいこと。馬齢を重ねて、フルタイムで働かなくてもよくなりましたから、食べていけるのであれば、お金儲けにつながらないことや、役に立たないことをする(やれる、打ち込める)というのがよいのです(微笑)。まぁ、もともと調べること、屁理屈、講釈が大好きですから、ホドホドにお付き合いいただければ、幸いです。今日も散歩コースにあるお寺をいくつか、改めて見て回ってきました。仕事のキリがついたら、そういう話もまた載せようと思います。写真は、九華公園の藤棚。

2020年4月22日 (水)

コゲラの巣はまだ工事中……鯉のぼりも見かけました

Img_4055c_20200422164901 Img_4063c_20200422164901  気温は15℃止まりで、北寄りの風もけっこう吹いて、寒く感じます。冒頭の写真は、散歩に出るときの北の空。何だか冬の空のイメージです。8時過ぎから、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、京町、寺町、田町と6.1㎞を歩いてきました。これくらい歩くのが、今のところちょうどよい感じ。寒い感じがしたためか、散歩する人はきわめて少なく、知人1名、九華公園の管理人さんと、清掃のシルバー人材センターの方に会ったくらい。三之丸公園のソメイヨシノと蟠龍櫓。もう少し葉っぱが繁ってくるとまたよい景色になるはず。

Img_3706c  三之丸公園にある藤棚。クローズアップして見ると、左の写真のように、それなりに見事なフジの花が咲いているのですが、離Img_4068c れて見ると、右のような写真。2~3回書いたと思いますが、市の公園では藤棚の手入れや、施肥がされているのを見たことがありません。以前はもっと見事に咲いたのに、残念だと思います。

Img_4075c_20200422164901  九華公園、今日は、鎮国守国神社の社務所裏にゴイサギが1羽。よく見ると、ゴイサギの特徴Img_3715c の1つである目(虹彩)の赤さがありません。虹彩は黄色がかったオレンジ色で、幼鳥の特徴が残っています。成鳥では、繁殖期には後頭に白い冠羽が3本伸てきて、足が赤みを帯びます。このゴイサギ、足はピンク色をしています。別のアングルの写真で見ると、冠羽があります。ということは、ホシゴイからゴイサギに変身したばかりか、という気がします。

Img_4081c_20200422164901  コゲラの巣、卵があるのかどうかよく分かりませんでしたが、今日は、木くずを放り出していましたので、まだ工事中のようですImg_3771c_20200422171501 。もう1箇所の巣は、今日もコゲラの姿はありませんでした。キジバトの巣は、今日も親が就いていました。キジバト、今週終わり頃には雛が孵るのではないかと期待しています。さらに、鳥小屋のセキセイインコも、今週中くらいには雛が産まれてくるという話。楽しみですねぇ。

Img_3759c_20200422164901  カモたちは、まだまだ滞在中。合計38羽。ヒドリガモが2ペア、ホシハジロはオスが4羽にメスが1羽。他はImg_3752c-2 キンクロハジロ。そうそう、カルガモのアーちゃんもいます(いたり、いなかったりですが)。一方、オオバンは姿を見なくなりました。その他には、ツグミが、奥平屋敷跡にも、朝日丸跡にも2羽ずつ、二の丸跡には1羽と合計5羽。ハクセキレイ、カワラヒワ、ムクドリなど。ヒヨドリ、カラスはほとんど見ません。

Img_3775c_20200422164901  九華公園の藤棚は、ほぼ満開といってよいかと思います。ツツジは、日当たりのよいところはよく咲いていImg_4111c_20200422164901 ますが、全体としては1~2分咲きくらいの印象。

Img_4174c  貝塚公園も人の姿はありません。南東側のエリアでシメ。シメ、今日は、三之丸公園と柿安Img_4188c コミュニティパークとの間でも鳴き声がしていました。シメの近くには、ツグミが3羽。ここでもカワラヒワと、ムクドリが少しいたくらい。

Img_4199c  内堀南公園では、ちょっと珍しい景色。藤棚の脇に藤のImg_4203c_20200422165001 木が生えてきています。去年、気づいてブログにも載せています(2019年4月26日:スッキリしない天気……鳥はやはりいません)。

Img_4162c_20200422165001  九華公園の近くのお宅では、鯉のぼり。近年は(などと書くと大袈裟ですが)、散歩コースではあまり見なくなっています。田舎の方へ行くと、昔のように庭にポールを立てて、昔ながらの大きな鯉のぼりが泳いでいるのを見ますが、市街地では少なくなっています。

Img_4077c  オマケ(では、恐縮なのですが)。九華公園の清掃をしてくださっているシルバー人材センターの方から呼び止められ、1つプレゼントしてもらいました。趣味でつくっておられ、公園で配ったりしていらっしゃるそうです。「広告の紙でつくっているンや。よかったらもらって」ということ。趣味で何かをつくり、皆さんに差し上げて喜んでもらうというのは、老後の楽しみとしてよいこと。

 

 

 

2020年4月21日 (火)

その後の御衣黄、河口堰でコムクドリ、某所でケリは営巣……なばなの里は花ひろばのみ公開中

 もう少しよい天気になるかと思ったのですが、曇りでした。気になることがありましたので、朝、用事のついでに3ヶ所ほどを回って来ました。出かけるに当たって念のため「三重県緊急事態措置」を改めて確認したところ、「屋外での運動や散歩等」も「外出自粛」に含まれない「生活の維持に必要な場合」です。もちろん、あちこちフラフラするのはよくありませんから、人との密な関わりも避けた上で、です。

Img_3763c_20200421160201 Img_3522c  まずは、藤が丘デザイン公園の御衣黄、先日見に行ってから1週間経ちました。そろそろ花の色も変化しているでしょうから、それを確認にです。ウォーキングや、犬の散歩をする人たち、お子さん連れのお母さんたちの姿があります。御衣黄、だんだんと中心部から赤みが増してきていました。「紅変」というそうです。

Img_3743c_20200421160301  こちらは、鬱金と思われる桜。こちらも、赤みが増してきていました。「緑色の桜=御衣黄」というイメージとらえられているのかも知れません。

Img_3777c  今日のデザイン公園で目だったのはツグミ。公園のほぼ中央にやや傾斜したひろばがありまImg_3789c す。そこに入れ替わり立ち代わりではあるものの、多いときには10羽以上のツグミが出て来ていました。いつもの散歩コースではこれほどたくさんのツグミを一度に見ることはありません。

Img_3805c_20200421161301 Img_3560c  続いて、長良川河口堰へ。いつ以来か、たぶん3月12日以来(2020年3月12日:M池公園にミコアイサは見当たらず、サギ山はそれなりの賑わい……野鳥園もアクアプラザながらも魚道観察室も「休園」)。これまで、平日に来たときにはここで出遭う人は、せいぜい1~2名でしたが、今日は、ウォーキングをする人2組計4名、サイクリングできた人1名。河口堰としては、大賑わい(苦笑)。堰の下流側には、キンクロハジロが76羽。オオバン、カルガモ、カンムリカイツブリはもういません。

Img_3826c  堰の東も、西も、魚道のあたりにはコサギたち。その数、合計20羽以上。左の写真は、西側の閘門へのアプローチのところImg_3841c_20200421161401 に集まっていたコサギたち。身繕いに余念がありません。右は、西側の魚道、上流側でエサを探していたコサギ。足や、嘴の根元、目のあたりがピンク色になっています。繁殖期のサイン。

Img_3870c_20200421161401  アオサギさんも2羽を目撃。1羽は、堰の西、上流側にある赤い柱の上。身繕いしたりしてImg_3617c-2 います。もう1羽は、西から飛んで来ました。

Img_3883c  親水広場では、コチドリ。人工河川の方から鳴き声がしImg_3894c_20200421161401 ていたので、見に行こうとしたら、アユの孵化試験を行う水路に出て来ました。お尻写真もゲット(微笑)。

Img_3909c  ハクセキレイも2羽。ホオジロのオスも2羽。ホオジロは樹上や、交通標識Img_3937c_20200421161501 (速度制限)の上でさえずっていました。鳥たち、繁殖シーズンの盛りです。遠くからもこのさえずりは、よく聞こえます。

 Img_3945c そして、今日の河口堰でのハイライト。変わったムクドリだなぁと思ったら、コムクドリ。全長19cm。サハリン、南千島、北海道、本州などで繁殖し、冬にはフィリピンへ渡っていきます。本州中部から北では山地の林、北海道では平地の林、疎林、住宅地などで見られます。春・秋の渡りの季節に群れをなした姿が全国で見られるのですが、初めて見ました。いやぁ、ラッキーでした。これで鳥図鑑は、プラス1。 

Img_3628c  河口堰では、魚道観察室も、アクアプラザながらも休館中。他に確認するとすれば、このアユのぼり。アユの遡上期間中、風力を見る吹き流しの代わりにこれが掲げられています。

Img_3645c_20200421161501  さて、河口堰近くの某所も見てきました。ブロ友のひらいさんも書いておられたのですが、ケリが営巣してImg_3637c-2 いるようでした。これは、ときどき見に行かねばなりません。ここには、コチドリと、他にヒバリも2羽ほどいました。コチドリも営巣していたことがありますし、あのコアジサシも以前は卵を抱いていました。

Img_4033c_20200421161601 Img_4036c  最後に、なばなの里へ。「休園中じゃぁないのか?!」といわれると思いますが(2020年4月14日:御衣黄、ベゴニアガーデンそして押し寿司……藤が丘デザイン公園となばなの里へ)、実は、花ひろばに限って無料公開中なのです。これまたブロ友のひらいさん情報。友はありがたいものです(微笑)。ホームページにも載っておらず、ひっそりと公開中。10時~17時(入村は16時まで)。

Img_4041c_20200421161601  到着したとき、駐車場には他に車は1台のみ。ご夫婦がなばなの里から出てこられましたので、前回のベゴニアガーデン同Img_3978c_20200421161501 様、独占状態で花ひろばを見てこられました(微笑)。

Img_4004c_20200421161601  花ひろばでは、手入れ作業などは行われていますが、十分に楽しめます。もう少Img_4015c_20200421161601 し晴れているとよかったのですが、なばなの里にいた時間帯は、霧雨でした。

Img_4009c_20200421165601 Img_3688c_20200421161601  ネモフィラもまだまだしっかり楽しめますし、チューリップも同様です。時節柄、たぶん空いていると思いますので、また折を見て、ウォーキングがてら出かけようと思います。

Img_4029c_20200421161601  飲食店、土産物店は閉店中(花市場も含め)。イルミネーションは終了しています。しかし、トイレは使えます。帰りにゲートを出たところで、シメの鳴き声が聞こえて来Img_3696c_20200421161601 ました。

2020年4月20日 (月)

午後から散歩に出るも、降られる(苦笑)

Img_3651c_20200420162101  14時半を過ぎて、もう降らないかと思って散歩に出たのですが、九華公園を歩いている途中から小雨というか、霧雨というか。降られました(苦笑)。結局、途中からは折りたたみ傘を差して歩く羽目になりました。住吉神社、九華公園、京町、寺町商店街のアーケードを抜けて16時前に帰宅。4.0㎞。

Img_3656c_20200420162101  こんな天気でしたから、鳥も、散歩する人もあまりいません。散歩友達にも出会わず、知り合いに会ったのは、九華公園の管理人Nさんだけ。写真のできもあまりよくありませんが、記録の意味もあって(と屁理屈)。揖斐川には、今日も、スズガモが16羽。

Img_3703c_20200420162101 Img_3662c  九華公園のカモたちは、計21羽。ホシハジロのオスが4羽にメス1羽と、キンクロハジロ。ヒドリガモもいたかも知れませんが、雨に降られましたので、最近ヒドリガモがいるあたりはショートカットして行っていません。4月も下旬に入り、カモもさすがに減ってきました。

Img_3682c  他に見たのは、ツグミ2羽とシメ1羽。ツグミは二の丸跡と朝日丸跡とにいました。シメは、もういなくなったものと思っていまImg_3684c_20200420162101 したが、朝日丸跡にいました。遠い上に、曇天&小雨で超証拠写真。そっと近寄ったのですが、他に犬を連れた方がやって来て、二の丸跡方面に逃げられ、残念至極。

Img_3676c  他にあまりにも鳥がいませんので特例として、ドバト(爆)。奥平屋敷跡から二の丸跡にかかる朱い橋に。ユリカモメがときどき並ぶ橋です。ドバトたち、近づいても逃げません。キジバトは巣に就いていましたが、コゲラは、巣にはいませんでした。

Img_3724c  九華公園から京町に行く途中、ツバメの巣を4ヶ所見てきましたが、親が巣にいたのは呉服屋さんの巣、1ヶ所のみでした。寺町商店街は、今日は定休日。ここはアーケードがありますので、今日のような天気のときは便利。商店街の北、寺町交差点の手前には、クレープ屋さんがあったのですが、最近、唐揚げ屋さん、ドッグサロンに続いてドローンshopがオープンしたという看板が出ていました。ドローンにカメラを載せて、鳥の目になって町や公園、川などを見下ろしてみるというのは、ちょっと魅力的な気がします。

Img_3709c  午前中は、「雨読」。相談を承っていますので、その報告を書いています。資料を読み、検査結果から得られる所見と照らし合わせ、あれこれ考えて、仮説を立て、それが妥当なものかをさらに考えるということを繰り返しています。主訴や問題の要因とそれに対する対応を考え、「こうすればうまく行く」ということ書きたいと思うのですが、これがけっこう難しい。また、検査結果で主訴、問題が説明できたか、解釈どうしで矛盾はないかという点についての確認も欠かせません。

2020年4月19日 (日)

20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(その3)……石仏墓地、ヨシヅヤのスガキヤで昼食、ねじり橋・めがね橋を見て、員弁西小学校で句碑を確認して楚原駅にゴール(完)

200411touin3  4月11日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」のその3です。どうも筆の進みがあまりよくありませんでしたので、あまりキリがよくないとは思いつつ、リセットする意味でその2にはキリをつけました。員弁中学校のところを過ぎて、7㎞地点で左折、北勢線を越え少し行った石仏墓地からです。

Img_2350c_20200411202601  石仏墓地は、一般の墓地でもあるのですが、美濃国守護・土岐大膳太夫父子の墓があります。高さ92cmの五輪の塔3基が、土岐康行、その子・康政、その子・持頼の墓とされています。土岐康行は、守護職継承のことなどで弟満貞と対立し、美濃、尾張に内乱が起ったため、元中6=康応元 (1389) 年に室町幕府の討伐を受け、滅ぼされました(土岐氏の乱)。康政は、土岐氏の乱、また応永6(1399)年の応永の乱でも反幕府側にくみしたものの、のちにゆるされ、伊勢守護を継ぎました。持頼は、父の死没以前に伊勢守護を継承したものの、密通事件を起こし、一時、伊勢守護を解任されてしまいます。のちに罪を許され、正長元(1428)年、北畠満雅が小倉宮を奉じて挙兵した際、伊勢守護に再任されました。再任後、伊勢を平定したのですが、強引に荘園押領を進める一方、将軍足利義教の意を迎えることに努めました。しかし、義教には冷遇され、永享12(1440)年5月、国人一揆鎮圧のため大和三輪山麓に滞陣中、義教の命を受けた細川氏、長野氏らに攻められて自害しています。五輪塔の傍らには説明板があったものの、古くて文字がかすれてしまって、読めなかったのは残念。

Img_2363c_20200411204601  このあと、員弁街道に戻り、楚原駅の方に向かいますが、時刻が11時45分でしたので、先に昼食を摂ることに。楚原駅の周囲には飲食店はありませんので、国道421号線に出て、ヨシヅヤ員弁店へ。ヨシヅヤは、愛知県尾張地方を中心としたスーパー。普通のフードコート以外にも、飲食店が入っているだろうと思ったのですが、当てが外れ、スガキヤしかありませんでした(苦笑)。「たまには、スガキヤでもいいか(スガキヤの方には、大変失礼な言いぐさで申し訳ありません。普段、スガキヤに入ることは滅多にないのです)」ということで、「直火焼き塩豚カルビ丼・サラダセット(¥350)」を食べてきました。美味しかったのですが、量的にはやや少なめ。店員さんが、「ラーメンか何かをセットにしなくていいか」と聞いてこられた訳です。食事、休憩、次回の話をして、楚原駅方面に戻り、ねじり橋、めがね橋を見に行くことに。往復でプラス2㎞ほど。

Img_2373c_20200418110801  楚原駅のすぐそばにある楚原神社の北の交差点まで戻り、ねじり橋・めがね橋にむかいます。員弁街道からはこの交差点でいったん離れます。この道は、以前、近鉄ハイキングで阿下喜のお雛さんを見に行ったときに通った道です(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))。途中、昔ながらの「金物屋さん」などもあって、懐かしい感じがしました。員弁西小学校方面へ向かいます。

Img_2378c_20200411205401 Img_2376c  小学校を過ぎて坂を下っていくと、まずは、ねじり橋。長さは約9.1m。正式には、「六把野井水拱橋(ろっぱのいすいきょうきょう)」といい、大正5(1916)年に建造。江戸時代につくられた六把野井水にかかる橋。線路と用水が斜めに交差するため(約40度で)、アーチ橋下部のブロックは、ひねりを入れてつくられています。この構造は、「ねじり間歩(まんぽ)」といい、現存するコンクリートブロック製の橋では唯一といわれます。「日本の近代土木遺産-現存する重要な土木構造物2000選(土木学会)」に選ばれています。

17f5fb9d  この日は、電車が通過する時間にうまく合いませんでした。電車が通っている写真は、2018年2月27日の近鉄ハイキングの記事から引用しました。ねじり橋は、次に行くめがね橋とともに、三岐鉄道北勢線の人気撮り鉄スポットです。

Img_2384c 55b8548c  こちらがめがね橋。長さは約19.8m。正式には、「明智川穹㝫橋(あけちがわきゅうりゅうきょう)」。眼鏡橋は、全国に数多く存在しますが、ここが珍しいのは、コンクリートブロック製だということ。三連式のアーチはとても美しい。右の電車が通過している写真も、2018年2月27日の近鉄ハイキングのときに撮影したもの。

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 ねじり橋、めがね橋を見ましたので、楚原駅に向かいますが、来るときにはそのまま通過した員弁西小学校で「多湖健一句碑」をImg_2410c 確認 。南東側の入り口の両側に、それぞれ1基が建っています。西側の句碑(左の写真)には、「飛び来る蜻蛉手の上に遊びけり」と刻まれています。碑表には他に「九一翁そう荷と、碑陰には「昭和六年春 健一」とあります。東側の句碑には、「雪の朝めじろ囀る薮の中」とあります。他には、西側の句碑と同様に、碑表に他に「九一翁そう荷と、碑陰には「昭和六年春 健一」とあります。昭和6年は1931年。多湖健一は、明治8(1875)年生まれで、土木建設業で成功した人です。笠田新田にある生家跡にも句碑があります(村しぐれ走る女の素足哉)。

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 これでこの日訪ねようと思ったところはすべてコンプリート。来た道を辿って楚原駅に向かいます。時間があれば、楚原神社も行こうと思いましたが、電車の時刻が迫っていましたので、パス。それでも、道ばたで気になったものだけは写真を撮ってきました。一つは、楚原駅北の市営住宅の敷地にあった石碑。向かって右の大きい石碑には「如禾必(以か?)稲/直胤筆」と刻まれていると思います。「禾」は、のぎ、イネ科植物の先端にある毛、穀物、いねなどの意味があります。その傍らにある、小さい石碑には、「死亡會員霊位」とあり、碑陰には「昭和十一年……」とありました。急いだので、十分には確認してきませんでした。

Img_2423c_20200418113001  もう一つは市営住宅の南にあった楚原公民館の敷地内の「里程標」。碑表には「桑名郡桑名町字京町エ四里Img_2425c_20200418113001 壱町十六間/津市元標エ十四里貳拾五町拾九間/大泉原村大字楚原、右側「三重郡富田村大字東富田エ四里拾三町貳十四間/桑名郡七取村大字香取エ貳里三拾壱町四拾壱間」、碑陰「明治四十五年三月 三重縣」、左側「員弁郡阿下喜村大字阿下喜壱里三拾壱町四拾壱間」とあります。前のパラグラフで触れた石碑2基と、楚原神社、さらに駅の南には天白神社がありますが、次ぎに員弁街道ハイキングに来る機会があれば、これらからしっかり見てこようと思います。

Img_2430c  楚原駅は、この里程標の目の前。13時45分に到着。その1にも書きましたが、現地で歩いたのは11.3㎞! 私にとっては、自宅から西桑名駅往復が2.1㎞ですから、合計13.4㎞。歩数は、24,835歩にもなりました。この日はここまで。ちImg_2434c ょうど13時51分に西桑名行き電車がありましたので、それに乗車して帰途につきました。改札口の脇に「鉄道むすめ/楚原れんげ」のパネル。西桑名駅のホームにもありました。「楚原れんげ」の名字「楚原」はこの駅の名前から。「れんげ」という名前は、前にも書きましたが、「蓮花寺駅」に由来します。ちなみに楚原れんげ嬢は、東員駅の駅務員という設定。西桑名駅には、14時26分着。¥430。

 次は、ここ楚原駅から阿下喜駅までを歩く計画を立て、コースマップもつくっていましたが、新型コロナウイルスをめぐる状況が芳しくありませんので、無期限延期としました。

青紅葉が目にまぶしい

Img_3584c_20200419144601  風はけっこう吹いているものの、20℃を超えました。ソメイヨシノがほぼ終わるこの時期、「青紅葉」が目にまぶしくなっています。紅葉もよいのですが、私はこの青紅葉もそれに負けず劣らずきれいだと思っています。今日も、相も変わらず散歩三昧。8時20分からいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、田町と5.9㎞。11時頃帰宅。

Img_3410c_20200419144601  冬鳥は少なくなっているのですが、普段からいる留鳥たちもスズメを除いて、その数が減っている気がしまImg_3417c_20200419145401 す。繁殖に入っていてあまり姿が見られないのでしょう。ハクセキレイも同様で、散歩コースや九華公園でもあまり見ませんでした。今日は、住吉ポンプ場にいました。住吉入江のカモ、オオバンも見なくなりました。七里の渡し跡には、ヒドリガモのオス3羽、メス2羽がいたのですが、オス1羽、ご覧のような様子。嘴の根元に何か刺さっているのでしょうか。

Img_3566c_20200419144601  三之丸公園もドバトしかいませんでした。三の丸水門あたりでは、揚げ雲雀が鳴く声が聞こえるのですが、どこにいるのかは分Img_3421c からず。柿安コミュニティパークに藤棚がありますが、だんだんと貧弱になってきています。ピンク色の花がつきます。手入れをしてもらえるとありがたいのですが、市の公園はどこも同じ状態。

Img_3570c

 九華公園。私がついた8時40分頃は、散歩する人は他に誰もいませんでした。ソメイヨシノが終わり、木々がだんだんと青々としてきています。この写真は、管理事務所から奥平屋敷跡へ向かうところ。

Img_3465c  コゲラの巣は、2ヶ所見つけたうちの1ヶ所には、ほぼ常駐している様子。ここ3日ほどは、Img_3429c_20200419144601 必ずいます。もう卵があるのでしょうか。もう1ヶ所は、最初にその巣を見つけたときから以降は、ほとんど見かけません。鳥小屋のセキセイインコは、ご覧の通り。メスは巣箱の中で卵を温めている模様で、オスが警戒に当たっています。近づくと、必ず巣箱の上にやって来るのです。

Img_3453c  キジバトさんも、相変わらず巣に就いています。見ている間に、もう1羽がやって来て交代していました。この巣を見つけたのは、4月8日でした(桜の水鏡、花筏、花筏に遊ぶヒドリガモ……桜の楽しみ方いろいろ)。Wikipediaによれば「1回に2個の卵を産む。抱卵日数は15~16日」ということですから、来週末くらいには卵が孵るかなと思います。

Img_3446c_20200419144601  その他の鳥は少なく、ツグミが3羽。スズメ、ムクドリ、メジロ、ヒヨドリなどが少数いたくらい。カモは、今日は、42羽。ホシハジロが1ペア、ヒドリガモのオスが3羽、メスが2羽、他はキンクロハジロ。ユリカモメは見ず。

Img_3471c Img_3623c_20200419144601  九華公園には八重桜は3本ほどしかありません。そのうち2本は、日陰になってしまうところで、あまり大きくありません。奥平屋敷跡の南側にある1本は、よく日も当たって大きくなっています。散歩友達に聞くと、岐阜・海津の羽根谷だんだん公園の八重桜が見事だったそうですが、知事から岐阜へ行くことは自粛するよう要請されていますから、今年は諦めましょう(2020年4月3日:20200403「勝手に養老鉄道ハイキング『専通寺のしだれ桜と羽根谷だんだん公園』(駒野)」(完))。

Img_3620c  ツツジは、日当たりのよいところではかなり咲いています。明るいところにたくさんツツジが咲いているのを見ると、気持ちImg_3617c_20200419153301 が和みます。このところの新型コロナウイルス蔓延で気分も晴れず、モチベーションも下がりがちですが、やはりこうして外に出て、「3密」を避けてブラブラ歩き、出会った散歩友達と世間話をするのはよさそうです。今日は、久しぶりに鳥見の大先輩Sさんに会えました。御年84歳、お元気です。今日は、以前教えて差し上げた「単眼鏡」を手に歩いておられました。

Img_3484c  ツバメの巣は、失念していたところも思い出したので、京町、田町で計7ヶ所をチェックしてきました。しかし、親が巣にいたのは、京町の呉服屋さんだけで、状況は変わらず。

Img_3495c  ハナミズキもあちこちで咲いています。こちらは、南魚町のあるお宅で咲いていたもの。青空をバックに気持ちいい景色です。

Img_3637c_20200419144501  ところで、連休明けに予定されていた教育委員会の会議を中止するという連絡をいただきました。三重県でも新型コロナウイルス感染者は、昨日までで35名となっていますから、やむを得ません。しかし、よいニュースが聞けませんし、政府の対策もあまり芳しくありません(むしろその場しのぎの感じがして、大丈夫かよぉ!と心配になります。コントロールがキチンとされている印象もありません)。そのせいにしてはいけませんが、仕事への気合いも今ひとつで、何とかしないとと思っています。昔のように、とにかく、無理矢理にでもやるという「力技」が使えなくなって来ています(苦笑)。

2020年4月18日 (土)

夕方の散歩……ハナミズキも咲いています

Img_3499c_20200418181901 Img_3518c_20200418182001  よく降りました。15時過ぎには上がったのですが、雨が上がると散歩に行きたくなります。そういう人は多いようで、16時頃から歩きに出たのですが、同じマンションの方や、散歩友達合計6人に出会いました。住吉神社、九華公園から京町、田町あたりを4.3㎞。しゃべっていたので帰宅は17時半。冒頭の写真は、京町から田町に向かう途中で撮ったもの。「城下町筋」といっています。春日神社の西あたり。右は、清水町にある地蔵寺境内で咲いていたハナミズキ。

Img_3372c_20200418181901  諸戸氏庭園前の桜並木。手前がマイソメイヨシノ。他にヤマザクラも2種類ありますが、この雨で残っていた花も散ってしまい、ほぼ葉桜状態。今年は、長く桜を楽しめました。

Img_3385c_20200418181901  揖斐川では、遠目にはキンクロハジロと思えたのですが、スズガモでした。30羽くらいが浮いています。主にImg_3383c_20200418182801 海にいるカモで、町屋川の河口部などで見かけます。右は、住吉神社の前から見た名古屋駅前の高層ビル群。現役の頃は、あの向こうまで通っていたのですが、今はほとんど用事もなくなりました。そういえば、元気に働き続けていたら、この3月で定年退職になっていたはずでした。

Img_3392c_20200418181901  さて、九華公園では、コゲラの巣を見てきました。2ヶ所あるうちの1ヶ所は、昨日と同様に、コゲラが巣穴かImg_3401c ら除いていました。見ているうちに外に出て来たりもします。これで、ここで営巣するのは、ほぼ確実かと思います。もう1ヶ所はいないことが多いので、気になります。鎮国守国神社の境内のキジバトの巣、今日も親鳥が巣に就いていました。

Img_3388c  他の鳥は、ツグミとシロハラくらい。シロハラは、奥平屋敷跡に1羽。ツグミは、奥平屋敷跡、二の丸跡、朝Img_3443c_20200418182001 日丸跡の3ヶ所で1羽ずつ。いずれも堀の中の島になっていますから、それぞれが縄張りにしているような気がします。

Img_3473c_20200418182001  カモは、合計29羽とやや少なめ。午前中に多いのか、それとも減ったのかは不明。ヒドリガモが3ペア、ホシハジロのオスが1羽、他はキンクロハジロ。

Img_3426c  九華公園のソメイヨシノもほぼ散ってしまいました。代わって、日当たりのよいところからImg_3460c ツツジが咲き始めています。ヒラドツツジ、オオムラサキツツジなど約550本があるといいます。

Img_3464c  私は、何という種類なのか知らないのですが、この花が咲くツツジが気になります。

Img_3490c_20200418181901  いつものツバメの巣も一通り見てきましたが、親が巣に就いていたのは、京町の呉服屋さんの1ヶ所のみ。ここは数日前から、見るとかならず巣にいますから、もう卵を抱いているのかも知れません。

 

2020年4月17日 (金)

20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(その2)……もう一つの大谷神社、長宮公園、神明社と道標、大泉新田開発記念碑を見る

200411touin2  4月11日に出かけた「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」のその2です。その1では、東員駅をスタートし、チリン坂・律師智傳之碑から、茶屋橋を渡って大谷神社にお参りし、うりぼう(いなべ市農産物直売所)まででした。その2では、うりぼうからほど近い、もう一つの大谷神社から。うりぼうを出て県道555号線へ。途中で左に入って611号線に。いなべ東小学校のところで北勢線を渡っていきます。

Img_2275c_20200411190201  もう一つの大谷神社。ただし、裏参道というか、「横参道」というか、東側にあるJAの敷地から入っていき、拝殿の横から境Img_2242c 内  にお邪魔しました。本来の参道は、南に200mほど行ったところからです。主祭神は、水分神(ミクマリノカミ:水の分配をつかさどる神)と、天児屋根命(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)。相殿神は、宇気母智神(うけもちのかみ:食物の神)、天照大御神。大泉の氏神様。社名はこの地が「大谷御厨(みくりや)」の地であったことよると考えられています。ちなみに、御厨は、古代、中世の神社の荘園である神領。伊勢神宮では各地の神宮神領を御厨、御園 (みその) と呼びました。もとは、員弁川対岸の梅戸にあったのですが、明応8(1499)年、大洪水のため押流され、村落ごと大泉に移転し、大泉の春日明神(永仁4(1296)年、奈良の春日大社から分霊)へ合祀しました(そのため、大谷春日大明神と称しています)。拝殿前には狛犬ではなく、鹿の像。春日神社との関わりがあるからと思われます。

Img_2266c  表参道の鳥居からまっすぐに150mに及ぶ長い参道があるため、昔から「長宮さん」と呼ばれてきました。上記の神鹿の他、Img_2273c_20200411190201 狛犬もあったのですが、それがどういうわけか、「子取り、玉取り」になっておらず、拝殿に向かって左の狛犬が子どもを抱き、その子どもが玉を持っているスタイルでした。「玉取り」の狛犬は、鞠で遊んでいるような様子から「運気がよく転がるように」という意味合いで、縁起がいいといいます。一方、「子取り」の方は、文字通り子どもを連れている狛犬で、子孫繁栄のご利益があるといわれています。こういうタイプは初見。

Img_2271c_20200411190201  ちなみに対をなす方には、子も玉もありませんでした。また、由緒書きには、桑名に関わるImg_2249c_20200416080201 こととして、次のような記述がありました。「元禄3(1690)年桑名藩主松平定重の重臣野村増右衛門が耕地に適するとしてこの氏神を岡の茶臼山に移し耕地としたが不思議にも作物悉く実らずこれ神慮なりとして改めてこの地に鎮座するに至ったのである」。江戸時代、このあたりも桑名藩領でした。

Img_2260c  境内には、「殉国義士の碑」があります。員弁町大泉区自治会と大泉区遺族会が、昭和30(1955)年4月に建立したもので、大泉地区全戦没者の慰霊碑です。明治37(1904)年~昭和20(1945)年にかけて亡くなられた27名の方のお名前が刻まれています。日露戦争、日中戦争(支那事変)、第2次世界大戦に出征された方々です。

Img_2279c  大谷神社で一息入れて、また、員弁街道に戻ります。北勢線の線路を越えImg_2285c_20200411190301 て、員弁東小学校の北東側に来ると、長宮公園があり、鳥居が立っていました。ここは、大谷神社の裏参道なのでしょう。そこに北勢線(発足当時は、北勢鉄道)が通り、さらに小学校ができたのでしょう。この公園にある鳥居から、表参道に見えた鳥居までは500mほどありますから、確かに「長宮」といえます。

Img_2283  公園の中をよく見ると、「長宮」という駅名板が残っています。平成16(2004)年4月に廃止された駅です。駅名板には、「大泉東」「楚原」の文字も見えます。うりぼうが併設されていた大泉駅は、大泉東駅と長宮駅を統合し、両駅の中間部分に新設された駅です。長宮公園で11時頃、スタートからは5.2㎞ほど。

Img_2296c  大谷神社の先の員弁街道からの眺め。麦畑の向こうに空に向かう北勢線の黄色い電車。さらにその向こうには、藤原岳や、龍ヶ岳が見えています。天気もよく、いい眺め。山もはっきり見えます。途中、喜之助橋という橋を渡りますが、名前の由来は不明。喜之助さんという方がかけたのかなどと想像だけが膨らみます。

200411touin3

 このあたりで実際に歩いたルートマップは、その3に入ります。神明社、石仏墓地に立ち寄ると、ゴールの楚原駅が間近になります。石仏墓地で11時40分を過ぎましたので、取り敢えず楚原駅近くで昼食を摂ろうということになり、結局、ヨシヅヤへ。相談の結果、ねじり橋、眼鏡橋を見ることになり、そちらへ行ってから楚原駅にゴールということに。

Img_2304  スタートから5.8㎞、大泉新田に神明社。主祭神は、天照大御神。相殿神は、誉田別命(ほImg_2308 んだわけのみこと:応神天皇)、須佐之男命(すさのおのみこと)、市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)、火産霊神(ほむすびのかみ)。寛永13(1636) 年、大溜をが豪雨で大破し修復するとき、庄屋・正木嘉兵衛を伊勢の山田へ遣わし、笠田大溜に勧請した神明社の分霊を遷座したといいます。明治40(1907)年に厳島神社(宇賀神弁財天(市寸島姫命)を祀る)を合祀しています。

Img_2316c Img_2323c  境内には珪化木らしきものでつくった碑があります。文字はとても読みにくく、何かの「記念」に昭和8(1933)年に「青年会」がつくったことしか分かりません。忠魂碑も1基。これをネットで調べようと思ったら、三重県遺族会のサイトがリニューアルして、慰霊碑のリストへのリンクがなくなってしまっていました。

Img_2327c  境内には、仏像を刻んだ石や、五輪塔の頭らしき石が、きちんと並べられて、榊が供えられています。これについて、詳細は分かりません。

Img_2301  この神社は、旧里道の畑新田道と員弁街道の分岐点にあります。神社の前には、小さい道標が立っています。道標には「北平古 たど」とあります。碑陰には「青年支部」とあります。「平古(ひらこ)」は、ここから北東に2㎞あまり行ったところにあります。平古の向こうが多度の美鹿(びろく)・古野(この)になります。余談ですが、平古は、桑名藩が戊辰戦争に負けた後、11万3,000石から6万石(実収2万3,450石)に減封となりました。分領地の越後柏崎陣屋や、江戸藩邸・大坂蔵屋敷・京都所司代屋敷から藩士が家族を連れて桑名城下に帰郷したため、禄高は半分になって生活が苦しくなった上に、住むところのない藩士が多数出ました。桑名藩は、この対策として原野であった平古野を開拓させ、農業によって士族の自立を図ろうとしたといいます。

Img_2335c_20200411202401  神社の裏手には、「大泉新田開発之碑」があります。この碑は、上でも触れましたが、寛永年間に大泉新田を開発し、笠田大溜完成のために力を尽くした正木嘉兵衛の功労を顕彰する碑となっています。さらにこの先、員弁街道と下笠田道との分岐点にも道標があったのですが、こちらは見逃してしまいました。見逃した道標は、旧里道の下笠田道との分岐点にあり、「左下笠田三笠橋ちか道」と刻んであるのだそうです。

Img_2340c_20200417193201  6㎞あたりのところで、員弁街道に鳥居が立っています。この鳥居、南東から北西に向かって潜るようになっているようですが(北西側に建立年月日などが刻まれているのです)、どこの神社の鳥居なのかはよく分かりません(三重県教育委員会編の歴史の道調査報告書「濃州道」にも鳥居があることは触れられていますが、詳細については書かれていないのです)。この鳥居から500mほど行き、左折し、北勢線の踏切を越えると石仏墓地がありますが、キリが良いので、その2はここまで。その3は、石仏墓地からとします。

コゲラは今日も巣にいました

Img_3361-2c  午前中はときどき晴れ間もありましたが、ほぼ曇り、夕方から雨になっています。今日も、午前中はいつも通り散歩であります。8時過ぎから住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町から田町、参宮通と6.5㎞。緊急事態宣言が全国に出るためか、散歩する人は少なめという感じ。静かに花や鳥を楽しめるのですが、こういうときこそ、外に出て、人の少ない公園で風に当たり、自然を楽しむのもよいように思うのですが、いかがでしょう。人混みも避けられますし、運動にもなります(微笑)。

Img_3273c Img_3338c_20200417164001  諸戸氏庭園からは、コゲラが木をつつく音が響いてきます。貝塚公園にもコゲラがいます。去年は今の時期、これほどコゲラは散歩コースにいなかったと思います。住吉入江から三之丸公園、柿安コミュニティパークあたりは、ムクドリ、スズメくらい。九華公園に来て、鎮国守国神社の社務所裏には、ホシゴイが2羽。ゴイサギが1羽飛び去るのも見えました。曇天、日陰で暗い写真。

Img_3397c_20200417164001  カモは、まだ57羽がいます。ヒドリガモのオスが3羽、メスが2羽、ホシハジロのオスが3羽とキンクロハジロ。ゆったりしていImg_3393c_20200417164001 るように見えます。もうしばらくはいてくれると思います。

Img_3280c  ユリカモメも2羽来ていました。どちらも「ガングロ」。4月になってからも、九華公園にユリカモメが来るのは珍しいことです。

Img_3324c-2  コゲラ、最初に行ったときは留守。30分ほど後にもう一度行ったら、巣に入って外を眺めていました。巣のできばえに満足しているように見えます。もう一つの巣は、留守でした。5年ぶりに繁殖が見られればありがたいのですが。

Img_3288c-2  他にはシロハラとツグミ。ツグミは公園内で4羽。シジュウカラや、スズImg_3295c_20200417164001 メ、ムクドリ、キジバトも見ますが、それ以外は見当たりません。鎮国守国神社の境内では、キジバトが相変わらず巣に座っていますし、他にも枝をくわえて木に入っていくのを見ます。カワラヒワはほとんど見かけません。去年はエナガを見たのですが、今年は見かけません。

Img_3285c_20200417164001 Img_3347-2c  鎮国守国神社の境内を歩いていたら、先代宮司の奥様から久しぶりに「お茶でもどうぞ」と誘っていただき、コーヒーをご馳走になってきました。宮司さんのお宅の裏手にある花なども見せてもらいました。話し好きでいらっしゃいます。

Img_3375c_20200417164001  お宅の裏手に回ったのは初めて。カワセミなどが出入りしているあたりです。見上げたら、ホシゴイの姿がありました。こんな間近で見られることは、あまりありません。ラッキー(微笑)。このあと、貝塚公園では、シロハラ、ツグミなど。ツバメの巣は京町で見てきましたが、皆留守。

Img_3319c_20200417164001  週末、「勝手にハイキング」を予定していましたが、時節柄、「無期限延期」としました。近郊の旧街道を歩くは、しばらくお預けです。パブリックセンターの「くわな市民大学郷土史学科」も5月開講が、取り敢えず6月に延期されましたし、江戸橋の非常勤先からは、ゴールデンウィーク明けに開講できなかった場合、6~8月の間に集中講義方式で対応できるか打診がありました。1日3コマの講義ができる体力、気力があるか不安もありますが、非常事態ですから協力しましょう。

2020年4月16日 (木)

九華公園でコゲラの巣2ヶ所、貝塚公園で今シーズン初のトンボ

Img_3234-2c  気温は22.7℃まで上がり、歩いていると汗ばみます。九華公園では、数少ない八重桜が咲き始めました。ソメイヨシノは、場所や木によっても違いますが、かなり散ってしまっています。もう4月も後半ですから、ソメイヨシノもよく保ったといえるかも知れません。8時半からいつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、京町、田町と6.5㎞を散歩。11時半に帰宅。寺町に行っていませんが、京町、田町でツバメの巣チェックをしているからです。

Img_3187-2c  昨日、二の丸跡で知人と話しているとき、コゲラが木をつつく音がよく響いていましたが、巣穴を開けていたようです。今日Img_3195-2c は、九華公園内某所、それも2ヶ所でコゲラが巣穴を開けているところを見つけました。コゲラが突く音を頼りに、そっと歩き回って見つけたという次第。これらの2枚は、そのうちの1ヶ所。既に中には入れるくらいの大きさになっていて、入り込んでは様子を確かめていました。

Img_3218c_20200416170901  もう1ヶ所が、こちらの写真。よく似てはいますが、別の巣穴です。九華公園では、5年ほど前に営巣し、雛も誕生したのですが、巣立つ寸前にヘビか、カラスにやられたのを見ています(たとえば、2015年5月13日:今日もコゲラを見て来ました)。そっと見守って行くことにします。ちなみに、キジバトさんは、今日も巣に就いていました。もう1ヶ所ある聞いたところは、未確認。

Img_3247c_20200416172001  そして、もう1つのトピックスは、今年初のトンボ。貝塚公園で見つけました。シオカラトンボのメス。

Img_3202c  さて、住吉入江、揖斐川にはカモはいません。今日は、揖斐川でヒドリガモのオスを1羽見ただけ。旅館山月の裏手では、揚げ雲雀。高水敷に降りてきたのですが、あちこち移動してまともな写真は撮れず仕舞い。三之丸公園では、ツグミ2羽。柿安コミュニティパーク西の堀にオオバンが1羽。他はスズメ、ムクドリ、ヒヨドリがところどころにいるくらい。

Img_3232c  九華公園でもツグミを2羽。二の丸跡と、朝日丸跡にいました。左は二の丸跡にいたツグミですが、わりと近くまでいっても平気でした。このほか、メジロが盛んにさえずっています。カワラヒワはあまり姿を見なくなっています。去年は、この時期エナガを見たのですが、今年はほとんど見ません。公園上空をゴイサギが2羽旋回しているのも見えました。

Img_3288c_20200416172101  あまり鳥がいませんので、カメの甲羅干し(苦笑)。以前、管理事務所近くの元アヒル小屋にあった「甲羅干しスロープ(本来は、アヒルが小屋に上ってくるスロープでした)」がなくなってしまい、甲羅干しに適した場所が限られてしまっています。それ故、激戦(爆)。甲羅干しができないと、健康に過ごせない僧ですから、カメたちにとっては死活問題。

Img_3257c_20200416172301  九華公園のフジもご覧のようになってきました。施肥など世話がされていませんので、だんだんと貧弱になってきている気がImg_3238c して、残念。右は、あの「ナンジャモンジャ」。鎮国守国神社の境内にあります。本名は、ヒトツバタゴ。地方によっては、ヒトツバタゴ以外の木をナンジャモンジャというところもあるそうです。

Img_3245-2c  貝塚公園では、ツグミ2羽とシロハラ1羽。公園はどこもさほど賑わっていません。Img_3302c_20200416172701 お子さん連れの方も少なく、散歩する人も顔なじみの人がほとんど。公園であれば、「3密」になることはほとんどありえません。人と出会うことはあり、話もしますが、せいぜい数分くらいで、「濃厚接触」にはまずなりません。

Img_3312c_20200416172901  ツバメの巣は、京町で3ヶ所、田町で3ヶ所を見てきました。昨日と同じ京町のあるお宅では巣にいましたが、卵があるのかどうかは不明。継続して観察することにしましょう。

Img_3324c_20200416173301  ところで、ニュース速報によれば、全都道府県を緊急事態の対象にする検討に入ったとか。さらに安倍総理が「一律10万円給付」を補正予算に組み入れるよう指示したとも伝わっています。どうも一貫性がなく、右往左往して、小出しに対応しているように見えてしまいます。きちんとした司令塔がいないという気がしてなりません。現在までに分かっている科学的な根拠に基づいて対応してもらいたいと思います。昨日はクラスター対策班の専門家が見通しを語っていましたが、予測式や、パラメータなど詳しいことは出ていないようです。そこまで明らかにして、専門家でさらに検討してもらうことは大切ではないかと考えます。個人的には、可能な予防策(手洗い、うがいの励行、必要なところではマスク、3密を避けるなど)をきちんと実行していくことにします。最後の写真は、諸戸氏庭園上空を飛んでいたゴイサギ。

 

2020年4月15日 (水)

九華公園で7年4ヶ月ぶりにヒレンジャク

Img_3117-2c  昨日とは打って変わって、風も弱く、20℃ほどの気温で暖かくなっています。当初の予定であれば、今日から江戸橋方面での非常勤の仕事が始まるはずでしたが、新型コロナウイルス感染症の影響でゴールデンウィーク明けからになっています。週1回の仕事ですから「調子が狂う」というほどではありませんが、「何だかなぁ」という気持ちです。収束は見通せず、大都市圏を中心に厳しい状況が続いていますから、気を抜けません。自分が媒介者にならないようにします。冒頭の写真のように、九華公園では日明のよいところからツツジが咲いてきています。

Img_3089-2c  今日は、ヒレンジャクから。2012年12月14日に九華公園で5羽を見たのが最初で最後でした(初めてのヒレンジャクに、久しぶりのおジョウ様)。このときは5羽。今日は3羽。7年4ヶ月ぶりです。相撲場近くにいるのを少し離れたところから見Img_3097c_20200415150501 つけ、ひょっとしたらと思ったら、ヒレンジャクでした。枝被りやらで証拠写真でしかありませんが、ちょっとうれしい(微笑)。

Img_3029-2c  さて、散歩コースのソメイヨシノは、かなり散ってきています。左の写真はマイソメイヨシノ、右は三之丸公Img_3038-2c 園のソメイヨシノと蟠龍櫓。ちょっと中途半端な感じで、葉桜になった方が、景色としては見栄えがします。

Img_3105-2c  住吉入江、揖斐川、七里の渡し跡、三之丸公園あたりには、スズメ、カラス、ムクドリなど以外はいません。九華公園荷は、この時期にしては珍しくユリカモメが1羽。ご覧のように、夏羽にモデルチェンジしているのですが、何だから少し斑で笑えます。

Img_3127c_20200415152001  カモはまだ59羽がいます。ヒドリガモのオスが3羽にメスが2羽、ホシハジロはオスが4羽Img_3121c でメスが1羽。他はキンクロハジロ。さくらまつりも、堀めぐりもなくゆったり過ごしているように見えます。

Img_3041-2c  その他には、シロハラがまだいます。しかも2羽が、奥平Img_3115c_20200415152401 屋敷跡あたりにいました。ツグミも、二の丸跡と、朝日丸跡とで計2羽。ツグミもいつも、ゴールデンウィーク近くまでいます。ジョウビタキは見なくなりました。

Img_3039c  たまにはいつものメンバーということで、カワラヒワ。繁殖シーズンに入ったようで、あまり降りてきてはいません。そしImg_3050c_20200415152401 て、スズメ。あちこちで懸命にエサを啄んでいるのを見ます。こちらもそろそろ巣作りをして、繁殖するのではないかと思います。

Img_3068-2c  鎮国守国神社の境内で繁殖しているキジバト。卵は外からは見えません。昼はメスが、夜はImg_3036c_20200415152901 オスが抱卵するといいます(こちら)。管理人さんによれば、奥平屋敷跡にもキジバトの巣があるそうです。右は金網越しの写真で鮮明ではありませんが、鳥小屋のセキセイインコ。巣箱でメスが抱卵しているといいます。そばにいるのは、オスで警戒に当たっているとか。今までは、巣箱が壊れていて卵を産んでも下に落ちていたそうですが、今年は修理して、ヒナの誕生が期待できそう。

Img_3146-2c  貝塚公園。こちらでも、シロハラとツグミを2羽ずつ見ました。他にはシジュウカラ、ムクドリなど。貝塚公園にもツツジがたくさんあるのですが、かなりバッサリと切られてしまっていますので、今年は花は少なそうです。

Img_3149c  このあとは、京町、田町でツバメの巣チェック。左の写真は、京町のあるお宅。巣が3ヶ所あるうちの1ヶ所Img_3147c にツバメがやって来ていました。ここも毎年ツバメが来ます。博物館の巣にも、ツバメが来ていました。右は、京町の別のお宅にある巣。新しい泥が見えますから、補修をしているようです。

Img_3177c  このほか、田町の商店の巣にもツバメが来ていました。この写真は、その商店の巣から出て来て、目の前にある電線で一休み中のオス。

Img_3165-2c  冒頭に書きましたように、本来でしたら江戸橋での仕事始めでした。準備が途中になっていますから、そろそろ再開しないといけません。また、相談を承った方もいらっしゃいますので、そちらもピッチを上げないといけません。

20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(その1)……チリン坂・律師智傳之碑、茶屋橋を渡って大谷神社からうりぼう(いなべ市農産物直売所)へ

200411touin  4月11日に行ってきた「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」の本編、その1です。前日の4月10日、三重県では知事から「三重県新型コロナウイルス『感染拡大阻止緊急宣言』」が出されましたが、「媒介者」にはならないよう、「3密」は極力避けて出かけてきました。「健康維持のための散歩やジョギングは不要不急の外出に含まれない」というのImg_2440c も出かけた根拠の一つです。前回、三岐鉄道北勢線の東員駅まで行きましたので、今回はここがスタート。前回見忘れた「チリン坂「律師智傳之碑」を見て、員弁街道に入り、いなべ市に進みます。旧員弁町が今日の主な行き先。大泉駅に併設された「うりぼう(農産物直売所)」を覗き、いくつかの神社、道標、石仏墓地を経て、ヨシヅヤにあるスガキヤで昼食。ゴールの楚原駅をいったん通り過ごして、撮り鉄スポットである「ねじり橋」「めがね橋」を見て、楚原駅にゴールというコース。これほど歩くつもりはありませんでしたが、現地で歩いたのは11.3㎞! 私にとっては、自宅から西桑名駅往復が2.1㎞ですから、合計13.4㎞。歩数は、24,835歩にもなりました。今日も、M、K両氏と3人旅。

Img_2118c_20200411173601 Img_2121c  西桑名駅のある桑名駅前のバスターミナルあたりは、ほとんど人が歩いていませんでした。北勢線の電車も、東員までは乗客3名。3両編成でしたから、1人あたり1両の貸し切り。西桑名駅を8時44分の楚原行きに乗車。途中からK氏が合流。東員駅には9時10分着。¥340。ここでM氏と待ち合わせ。すぐにスタート。右の写真は、東員駅から員弁街道に向かう途中、鈴鹿山脈を見たもの。天気がよく山並みがよく見えますし、近くに感じます。

200411touin1  こちらが実際に歩いたルートマップのその1。右上の写真は、「ふれあい農園東」あたりから撮ったもの。東員交番前で左折し、西へ。鳥取東交差点のところのバス停の前で「不忘碑(神田用水完成記念碑)」を見て、「チリン坂・律師智傳之碑」へ。その後、左折すると員弁街道に入ります。西北に向かって員弁街道を歩いて行きます。

Img_2124c_20200413203301  「不忘碑(神田用水完成記念碑)」。かつては、律師智傳之碑の前にあったようですが、現在は鳥取のバス停前に移設されています。六把野古井水、六把野新井水の水不足を解消するため、昭和25(1950)年、県営灌漑事業で完成しました。東員町山田にある員弁川左岸を取水口として、約4㎞北の三百坊という丘陵地まで三個所のポンプ場により水が揚げられました。神田用水は、現在も神田土地改良区(東員町山田)によって管理され、町内の多くの水田に農業用水を供給しているそうです。

Img_2130c_20200411173901  その鳥取東交差点を右折すると、チリン坂です。この坂のあたりに「律師智傳」が住んでいたといいます。「律師」は相当高い僧の位を意味し、「智傳」という名の高僧の碑です。しかしながら、智傳は、昭和22(1947)年頃、80歳くらいで亡くなったという以外、その来歴などは不明。この高僧「智傳」の名前がなまって「チリン」となり、坂の名前が「チリン坂」になったといいます。

Img_2136c Img_2139c  この坂の中程に「律師智傳之碑」という自然石でできた碑が建っています。碑陰には、「涼風や 麦田見下す 智伝坂」の句があるというのですが、はっきりとは読めません。また、碑には「素水建之」とあるそうでが、これもまた判読困難。この理由や経歴なども分かっていないといいます。先ほど見てきた「不忘碑」は、この「律師智傳之碑」の向かいにあったもの。ここには「旧鳥取学校」もあったといいます。

Img_2132c_20200413205101  「律師智傳之碑」の傍らには、地蔵堂がありました。お地蔵様の横の石碑には「嗟夫佐喜子Img_2134c_20200414051401 短命而逝……」と刻まれていました。「嗟夫」は、「ああ」と読むそうです。あとの方の文章を拾い読みすると「童女」、「菩提安置」という文字もありますから、佐喜子さんという方が短命で亡くなられた菩提を弔うためにお地蔵様を祀ったということかと思われます。

Img_2144c Img_2156c  「律師智傳之碑」の先で左折し、西に向かいます。この先、しばらくは見るところはありませんが、ご覧のように天気もよく、ハイキング日和。途中の民家では、右の写真のように、個人で建てたと思われる慰霊碑あるいは忠魂碑もあります。今までの経験上、こういうものは日清、日露戦争に出征された方ものが大半(勝手に入って確かめる訳にはいきません)。桑名でも中心部から離れたところではこういう碑を見かけます。その他、街道沿いのお宅などに植わっている樹木、草花も見て楽しんでいます。K氏がかなり詳しいので、教えられること多々あります。

Img_2169c  スタートから2.5㎞の手前で戸上川にかかる茶屋橋に差し掛かります。東員町といなべ市の境目です。この川はよく氾濫したようで、あたりの地名には上仮宿、下仮宿、仮宿というものがあるそうです。茶屋橋という名前は、このあたりに茶屋があったからといわれています。ここで、女性二人組に遭遇。われわれと同じく、員弁街道ウォーキングをしておられるようでした。

200411touin2  実際に歩いたルートマップは、その2に入っています。茶屋橋を渡って、予定では大泉駅に併設されているImg_2174c_20200411174901 「うりぼう(いなべ市農産物直売所)に行くことにしていましたが、街道沿いに鳥居があり、遠くに鎮守の森らしきものが見えましたので、「せっかくだから行ってみよう」ということになりました。

Img_2177c_20200414061101  神社は大谷神社でした。参道を歩いていると、脇には麦畑。麦はかなり生長してきていました。昔よりも、Img_2178c_20200414061101 身近なところで麦畑を見ることは少なくなった気がします。そして、ツクシ。ちょっと時期を過ぎた感じですが、これも春らしい。以前は、我が家近くの諸戸氏庭園前の土手にも出たのですが、最近は見当たらなくなっています。

Img_2184c_20200414061101  とあれこれ見ながら、大谷神社の境内へ。延喜式内社。創立は不詳ですが、古くは「大谷野魔里井上神社」と称し、神護景雲元(767)年に春日神社を合祀し、そのために「大谷春日」といったという説明がありました。主祭神は、罔象女命(みつはのめのみこと:伊奘冉尊が火の神を出産し、そのために火傷を負って亡くなるとき、その漏らした尿から生まれた水の神)。相殿神は、武甕槌神(タケミカヅチノカミ:伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。経津主神とともに葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功)、経津主神(ふつぬしのかみ:天孫降臨に先立って、出雲に行き、大己貴命を説いて国土を献上させた)、姫神(ひめがみ:女神。また、彦神(男神)の配偶神)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、速玉之男命(はやたまのおのかみ:伊奘諾尊が黄泉国の伊奘冉尊を訪れたとき、見ないでほしいといわれたその姿をみてしまい、離縁することになった。その約束をかためるためにはいた唾から生まれた神)、伊邪那美尊事解之男命(日本書紀で伊弉諾尊が伊弉冉尊を追いかけて黄泉の国へ行ったときに生まれた神。速玉之男(ハヤタマノオ)と同じ)、火軻遇突智命建速須佐之男命埴安姫命(はにやすひめのみこと:土をつかさどる神)、埴安彦命(はにやすひこのみこと:孝元天皇の皇子)、大山祇神(おおやまつみのかみ:山の神)。

Img_2208c  ここは、藤原小黒麻呂に関わる伝承があります。宝亀11(780)年、小黒麻呂が蝦夷征伐の命を受けて奈良から東北地方に向かわれる途中、当社で戦勝祈願をし、帰路にも奉告参詣されました。その年、桓武天皇が即位、天応と改元、その後延暦12(793)年、東夷征服祈願の為、奉弊使(勅命により神宮や神社に出向いた使者)として再び参詣したのですが、この地に逗留中、病気にかかり62歳で亡くなっています。この時以来、村人は当社を小黒宮と呼ぶに至ったといいます。境内の西南には小黒麻呂の墳墓があると伝わります。嘉永元(1848)年、参道を改修中、巨石の重なっている中から太刀、花瓶、香炉、陶器類がたくさん出たので元どおりに埋蔵されました。

Img_2198c  この神社の巽の方角に「霊泉清水池」があったという石碑が建っていました。清水が湧き出ていて、この水を飲むと万病がたImg_2224c ちまちに癒えたと書かれています。また、この清泉が湧出したことが、大泉の村の名前になったともあります。泉は今は枯れてしまっていました。いや、やはり寄り道というか、道草というか、してみるものです。

Img_2214c_20200414061101  境内には、古い鬼瓦が残っています。「甍の由来」という石碑が脇に立っており、そこには、旧社務所の鬼瓦で、銘に「文政十三寅年(1830年)六月楚原村瓦屋兵左衛門」とあると書かれています。旧社務所は、明治40(1907)年、字屋敷にあった熊野神社を大谷神社に合祀したときその社殿をこの地に移築したものともあります。

Img_2230c_20200411190201 Img_2234c  大谷神社からまた員弁街道に戻り、次の目的地である「うりぼう(いなべ市農産物直売所)」へ。スタートから約4㎞、時刻は10時半頃、うりぼうに到着。大泉駅に併設されています。2年ほど前、ここのジェラート屋さんで日本酒の入ったジェラートを食べたことがあります(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。鹿肉なども売っていたのですが、見るだけで何も買わず。

 実際に歩いたルートマップその2の途中ですが、キリも良く、あまり長くなってもいけませんので、本編その1はここまで。その2は、このすぐ先にある、もう一つの大谷神社から。

2020年4月14日 (火)

御衣黄、ベゴニアガーデンそして押し寿司……藤が丘デザイン公園となばなの里へ

 強風の1日です。5~6m/sほどの北西の風が続いています。最大風速は8m/sを超え、風がまともに当たると寒い。花見にも、バードウォッチングにもあまり適さない日ですが、そろそろ御衣黃、鬱金が咲いているであろうということ、また、なばなの里の招待券をいただいたのですが、明日から当分の間休業ということで、そちらへ。どちらへかといいますと、藤が丘デザイン公園と、なばなの里へ行ってきたという次第。

Img_2638c  朝一番に用事を済ませ、そのまま車で藤が丘デザイン公園へ。我が家からは車で15分ほどのところにあります。例年ですと、けっこう賑わっていて、駐車スペースがさほど広くないので、遅いと車が止められないのですが、今日は8時半過ぎについたこともあって楽勝。小高い丘になっていて、その頂上に「ジャックとつたの木」という展望台があり、夜景スポットにもなっています。

Img_2642c_20200414161201  まずはこちら。花弁は厚目で、外側に反っており、緑色が濃いので、御衣黃(ぎょいこう)と思います。緑のImg_2654c_20200414161201 花が咲く桜があると知って、いろいろ調べた結果、ここ藤が丘デザイン公園にあることが分かったのが、3年前(2017年4月18日 :御衣黄を見に行く……コアジサシ営巣地と、長良川河口堰もチェック)。それ以来、毎年見に来ています。知っている限りで、この公園内には5本ほどあります。御衣黃はもともと、京都の仁和寺で生み出されたといいます(諸説あり)。

Img_2652c-2  もう1種類、というかもう1品種。こちらにも「御衣黃」という表示があるのですが、これはたぶん鬱金(うこん)ではないかとImg_2648c_20200414161201 思っています。東京の荒川堤で栽培されていた品種です。淡黄緑色の花色が、ウコンという植物の根茎を使って染めた色(鬱金色)に似ていることからこの名がついたといわれます。御衣黄とは系統的に近縁だそうで、御衣黄の枝変わりによって鬱金型の花を咲かせる枝を生じた例も発見されているといいます。

Img_2687c_20200414164001  小高いところにあるベンチに座って、御衣黃を眺めていたら、どこかで見た人がやって来ました(微笑)。畏友・M氏です。お互いに「ヘンなオッサンがいるな」と挨拶。しばし、歓談。散歩でこの公園をよく歩くのだそうです。いや、それにしても偶然でした。

Img_2660c Img_2674c_20200414164301  この公園には、御衣黃の他、ソメイヨシノ、しだれ桜、八重桜などさまざまな桜があります。品種が違うことは分かりますが、何という名前花までは分からない/知らない桜も多いので、参ります。

Img_2711c  Mさんと話していたこともあって、藤が丘デザイン公園には1時間あまり滞Img_2969-2c 在。続いて、なばなの里へ移動。車で15分あまり。家内の知人から招待券(ベゴニアガーデン入場券付き)をいただいたのですが、明日から当分の間休業ということを知り、「それ行け!」ということにしたのです。白状しますと、自分で入場料金を払って入ったのは数えるほどしかありません(苦笑)。年間パスポートを購入することも考えたのですが、それほど頻繁に来るか自信がなく、未だ手に入れていません(実質無料になっておトクなのですが)。今日は、イルミネーション開催中ですので、入場料金は本来、¥2,300円(¥1,000分 金券付)。

Img_2719c_20200414164801 Img_2732c  「明日から休みなら、混んでいるんじゃないか」というMさんの予想を見事裏切って(私は、お客さんはかなり少ないと読んでいました)、閑散としていました。確実にスタッフの方の方が多かったのです。植物の手入れの他、明日からの休業に向けて準備している方もたくさんいらっしゃいました。

Img_2754c_20200414165101  今日の主たる目的は、こちらのベゴニアガーデン。ここは、なばなの里入場料金とは、別にImg_2762c_20200414165101 入館料が¥1,000かかるのです。ベゴニアをはじめ、世界各国から集めた数百種・1万2千株の絢爛たる花々が4棟からなる大温室なのです。何と、ここを独り占めで見てこられました(微笑)。他のお客さんにはまったく出会わなかったのです。

Img_2778c_20200414165201  贅沢な体験でした。1万2千株あるという謳い文句の通りで、実にたくさんの花があります。本当なら、一つずつ名前を確かImg_2768c_20200414165201 めてじっくり見てくるとよかったのでしょうが、あまりにもたくさんあり過ぎて、目移りするというか、ついつい興奮して足の運びが早くなってしまいました。写真だけはあちこちで撮りまくった、という感じ(苦笑)。

Img_2841c  今から考えると、もったいないことをしたと反省していますが、後悔先に立たずとはよくいったもの。まImg_2871c_20200414165201 ぁ、我が家から揖斐・長良川を挟んで見えるところにありますから、その気になれば伊勢大橋を渡って、いつでも行けますから。

Img_2816c  ご覧のような熱帯植物かと思うようなコーナーもあります。

Img_2923c  ベゴニアガーデンを出て、花ひろばへ。13,000坪の広さがあり、季節によっていろいろなImg_2907c_20200414170901 花が見られます。3月~5月上旬にかけてはチューリップや春の花々となっています。展望台もあり、ここにあがれば花ひろばが一望できますが、今日は、展望台に上がっている人はゼロ。何となく気後れがして、上がらず仕舞い。花ひろばの南には、あの巨大な「イルミネーション」があります。今シーズンのテーマは、「さくら~SAKURA~」でしたが、5月6日までの予定でしたから、今晩が最後でしょう。

Img_2891c  花ひろばへ行くところには、イルミネーションが始まる頃、地元のテレビニュースなどによく登場するイルImg_2889c ミネーションのトンネルがあります。毎日、ここで点灯式があるのです。他には、右の写真のようなところも。今日は、風が強かったものの、よく晴れていたので、花もきれいで、気持ちよく過ごせました。

Img_2951-2c  その他いくつかの写真を。左の写真は、花ひろばの北側エリアにて。チューリップと桜のコImg_2741c_20200414171901 ラボ写真。右は、「アイランド富士」の写真。ただし、今日は動いていませんでした。地上45メートルまで展望台が上がり、さらに頂上では、展望台が360度回転するのです(¥500)。ナガシマスパーランドや、中部国際空港セントレア、名古屋市街地から、アルプスなどの山々まで見えるはずで、一度は乗ってみたいと思っています。

80e15146ab6552e2f684f7675be18ad3  1時間あまり過ごして、土産にと思って、安永餅のなばなの里限定「さくら安永餅」がないかと探し、聞いたのですが、「今日は、通常商品のみです」ということでした(画像は、なばなの里のサイトからお借りしました)。これだけお客さんが少ないと、そもそもつくらなかったのでしょう。残念。

Img_2999-2c Img_3004-2c  なばなの里にも緑色の花が咲く桜があります。観光バスなどが入るC駐車場の西側の歩道沿いにあります。去年までは御衣黃と思っていたのですが、今日改めてよく見ると、鬱金ではないかと考え直しました。3本ほどあります。

Img_3022c_20200414170901 37b37083  このあとは、なばなの里にある花市場へ。ここは4月20日から当分、休業。熱帯スイレンの肥料が欲しかったのですが、それはまだ時期的に早かったのか、見当たらず。あの箱寿司(押し寿司)をゲットして帰ってきました。桑名市長島町の郷土料理ということですが、小生の生まれ故郷でも祭りの時などによくつくってもらいました。ときどき食べたくなるのです。

Img_2991c  ということで、強風の中、御衣黃、鬱金を見て、なばなの里へ。押し寿司をゲットして、プチ遠征は無事終了。仕事も忘れずに地道に取り組んでおります。明日は、またいつも通りの散歩へと思っています。

2020年4月13日 (月)

花散らしの雨……蟄居生活というか、居職中というか【新型コロナウイルス予防をめぐる戯言(4/13追加)】

Img_2625c_20200413155601  ほぼ終日雨になっています。気温も10~12℃で変化がなく、寒く感じます。雨雲レーダーを見ると、雨はまだしばらく続きそうです。「晴歩雨読」のモットーで、蟄居生活というか、居職中というか(微苦笑)。相談の依頼をいただいた方からの資料を整理し、読み込んでいます。検査結果のデータは、念のため、可能な範囲でチェックをかけ、自分でプロフィール図などもすべて描き直しています。こうした方が、アタマによく入るのです。これらを「淡々と飽きもせず……」の精神でやっています。とはいえ、加齢効果によると自分では思うのですが、ずっと以前に比べると、根気が続きにくくなってきていて、我ながら笑えます。

Img_2627c_20200413155601  さて、今日は新聞休刊日でもあり、ベランダに何度か出たのを除いて、一歩も外へ出ていませんでした。珍しいことです。今Img_2629c_20200413155601 日、初めて外に出たのは、16時前。マイソメイヨシノの様子を見ようと思って、です。右の写真でもっとも手前にあるのが、マイソメイヨシノ。かなり葉桜化が進んでいるようです。満開は過ぎていますので、この雨が「花散らしの雨」。

Img_2623c  本来でしたら、今週から江戸橋方面での非常勤の仕事が始まるはずでしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で、ゴールデンウィーク明けからになりました。やむを得ませんが、気分的にはたるんでいる感じが否めません(困ったもの)。こちらの写真は、サギソウの様子。少しずつ伸びてきています。もう1鉢ありますが、4鉢すべてから芽が伸びてきています。明日は、晴れそうですから、いつも通りに散歩のつもり。

【新型コロナウイルスについての戯言を追加(4/13)】

 「不要不急の外出を繰り返しているおまえが何をいう」といわれそうですが、新型コロナウイルスについては「感染予防」という観点からいろいろの情報が提供されています。友人のブログを読んだりして、考えたのですが、ことの本質は「感染の媒介防止」ではないかと思い至りました。もちろん、私ごときが思いついたのですから、既にこういう言説はあちこちで指摘されていると思います。「感染防止(感染予防)」というと、どうしても「自分がうつらない(うつされない)」という視点に立ってしまいがちのように感じます。「媒介」には、“両方の間に立って、なかだちをすること。とりもつこと。「虫が伝染病を媒介する」”という意味があります(リンク先から引用しました)。国民に訴えるとしたら、「感染予防」ではなく“「媒介予防(媒介防止)」に努める”という方がよいのではないかという気がしたのです。他にもっと適切な表現があるかも知れませんが、単に「いい方(表現方法)」の問題ではなく、問題の本質を突いた、分かりやすい表現を工夫する余地があるのではないかと思ったのです。アタマの回転がぎこちなくなった高齢者の戯言ではありますが、若くて、アタマがよく回る、鋭い方にもっと伝わりやすい表現を是非とも工夫をしていただきたいと思うところです。

2020年4月12日 (日)

藤が咲き始め、ツバメが巣にやって来ていました……コンビニのレジでビックリ

Img_2492c  午後から雨が降り始めました。明日にかけて荒れるといいます。午前中、雨が降る前にと思い、8時から10時半にかけていつものコースを散歩してきました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、寺町に寄って、田町とちょうど6㎞。我ながら飽きもせずよく歩くと思います(苦笑、自画自賛ではありません)。九華公園、曇天、ときどき薄曇りでしたから、花見客は少なく、散歩する人も多くはありません。

Img_2573c_20200412185101  九華公園の藤棚のチェックを忘れたのですが、内堀南公園の藤棚を見たら、もう咲いていました。曇天でしたので、色があまりImg_2518c きれいに出ませんでしたが、確かに咲いていました。いつもの年より、数日早いと思います。九華公園では、ツツジもあちこちで咲いて来ていますから、このところ季節の進み具合は早いようです。

Img_2535c  その九華公園の桜、新聞では今朝も「満開」となっていましたが、少なくとも散り始めです。冒頭の写真は、九華公園の吉之丸堀にある四阿。こちらは、奥平屋敷跡と外周遊歩道(立教小学校側)の間の堀とその周囲の様子。新型コロナウイルスの影響でウロウロしていますが、4月も12日になりましたから、季節は移ろっています。身の回りでもよく見ると、季節の変化が実感できると思います。

Img_2587c_20200412185501  その季節の変化といえば、ツバメたちが巣に来始めていました。今日も,京町で3箇所、田町・三崎通で3箇所をチェックしてきImg_2608c_20200412185501 ました。左は、桑名市博物館の玄関先にある巣。先日、少しだけ修復しているように見えましたが、今日は、見ている間に3回ほど出入りしていました。右は、三崎通にある商店の軒先の巣。2回ほどやってきて、その間、すぐ目の前の電線で休んでいたりしています。もう少しすると、あちこちで卵を産んで温める様子が見られるかも知れません。

Img_2462c_20200412185901  さて、住吉入江にいたキンクロハジロ、ヒドリガモ、ホシハジロ、オオバンはこのところ姿が見えなくなりました。揖斐川では住吉水門ののところにヒドリガモが12羽ほどと、コガモが2羽いたくらい。三之丸公園にはスズメとムクドリのみ。九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏にゴイサギが1羽。1羽しかいないと思ったのですが、公園内を1周して、再度見に来たら、どこにいたのか、5羽ほどのゴイサギが次々に飛び立ってきました。いないだろうと思って過ぎてしまうのでなく、よくよく見ないといけません。なかなか反省が身につきません(苦笑)。

Img_2476c_20200412190201 Img_2523c  カモは案外多く、合計54羽。花見や堀めぐりでの賑わいがないとこんなにたくさんいるんだと改めて思った次第。ホシハジロのオスがどういうわけか4羽、メスは1羽。ヒドリガモは相変わらず2ペア。他はキンクロさんたち。ハシビロガモは既に旅立ったのでしょう。

Img_2501c_20200412190601  キジバトさんは、相変わらず巣に就いています。巣に就いているということは、卵を抱いてImg_2485c_20200412190601 いるのだろうと思うのですが、邪魔してはいけませんので、離れたところから写真を撮るだけにしています。シロハラは奥平屋敷跡にて。このほか、コゲラ、シメもいたのですが、あいにく今日持っていたのは超望遠コンデジのみ。貝塚公園では、シロハラ1羽、ツグミ2羽とコゲラ1羽。

Img_2513c  午後からは、新たに依頼をいただいた相談のお子さんの資料の確認をしていました。同じ診断がついたとしても、お子さんによって個人差があります。いわゆる「特性」にも個人差がおありですし、それぞれに困っていらっしゃること、苦戦していらっしゃることにも個人差があります。WISC-Ⅳなどの知能検査の結果にも当然個人差があります。その意味では、相談を承るというのはすべて「オーダーメイド」であります。ボチボチとしっかり拝見し、考えます。

Img_2581c_20200412191301  ところで、散歩途中、切手などを買おうと思って、コンビニに立ち寄って、ビックリ。テレビのニュースでは見たものの、自Img_2583c_20200412191301 分で直接目にするとドキッとします。用心するに越したことはありませんが、今日の経験では店員さんとのコミュニケーションにスムーズさを欠いたような気がします。私自身、聴力低下があるとは自覚していないのですが、何度か聞き直してしまいました。店員さんの口元が見えにくいせいもあるかも知れません。私自身も含め、皆様も新型コロナウイルスには気をつけましょう。信頼できるリソースの情報を確かめて正しく理解し、きちんとした予防策をとりましょう。

Img_2445c_20200412191801  明日は終日雨の予報。「晴歩雨読」のモットーにしたがい、仕事と読書、ハイキングのプランニングの予定。写真は、マイソメイヨシノ。さすがに葉っぱがかなりでてきています。

 

2020年4月11日 (土)

20200411「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(東員~楚原)」(予告編)【参考資料を追加しました(4/12)】

 昨日(4/10)、三重県では知事から「三重県新型コロナウイルス『感染拡大阻止緊急宣言』」が出されました。県内の4月9日現在の感染者数は15名ですが、いずれも感染経路が明らかです。しかし、隣接する愛知県、岐阜県では相変わらず感染者数が増えていますので、両県と共同して、この宣言を発するに至ったということです。「愛知県、岐阜県については、移動自粛による感染拡大防止の効果を最大限に発揮するため、医療機関への通院や通勤等生活の維持に必要な場合を除く移動の自粛<」が求められました。勝手にハイキングもヤバいかという気もしましたが、県外に出る訳ではなく、3密は避けていますし、健康維持のための散歩やジョギングは不要不急の外出に含まれないという報道もありましたので、出かけることとしました。

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 2回目の前回、三岐鉄道北勢線の東員駅まで行きましたので、今日はここがスタート。前回見忘れた「チリン坂「律師智傳之Img_2440c 碑」を見て、員弁街道に入り、いなべ市に進みます。旧員弁町が今日の主な行き先。大泉駅に併設された「うりぼう(農産物直売所)」を覗き、いくつかの神社、道標、石仏墓地を経て、ヨシヅヤにあるスガキヤで昼食。ゴールの楚原駅をいったん通り過ごして、撮り鉄スポットである「ねじり橋」「めがね橋」を見て、楚原駅にゴールというコース。こんなに歩くつもりはありませんでしたが、現地で歩いたのは11.3㎞! 私は西桑名駅往復が2.1㎞ですから、合計13.4㎞。歩数は、24,835歩にもなりました。今日も、M、K両氏と3人旅。お疲れさまでした。

Img_2109c  西桑名駅のあるあたり(バスターミナル)の今朝の様子。ほとんど人が歩いていませんでした。北勢線の電車も、東員までは乗Img_2118c_20200411173601 客3名。3両編成でしたから、1人1両貸し切り。西桑名駅を8時44分の楚原行きに乗車。途中からK氏が合流。東員駅には9時10分着。¥340。ここでM氏と待ち合わせ。すぐにスタート。

Img_2130c_20200411173901  県道14号線(菰野東員線)の鳥取交差点を右折(北へ)すると、チリン坂です。坂の中程にImg_2136c 「律師智傳之碑」という自然石でできた碑が建っています。「律師」は相当高い僧の位を意味し、「智傳」という名の高僧の碑です。しかしながら、智傳は、昭和22(1947)年頃、80歳くらいで亡くなったという以外、その来歴などは不明。この高僧「智傳」の名前がなまって「チリン」となり、坂の名前が「チリン坂」になったといいます。碑の表面には「涼風や 麦田見下す 智伝坂」の句があるというのですが、はっきりとは読めません。

Img_2144c  チリン坂を登って、員弁街道に出ます。いなべ市に入るまで、次に見るべきところはありませんので、ひたすら歩きます。というのは結果的にはウソで、あれこれしゃべりながら、また、道ばたや民家に生えている樹木、草花などを見て、ああだこうだといいながら進みました。これまでに見た草花などを突然指さして、「これ、何だった?」と聞いてみたり、それなりに楽しめます(苦笑)。

Img_2174c_20200411174901 Img_2208c  いなべ市内に入って、遠くに神社らしきものが見え、少し進むと鳥居がありましたので、予定にはなかったものの立ち寄ることに。延喜式内大谷神社です。創立は不詳ですが、古くは「大谷野魔里井上神社」と称し、神護景雲元(767)年に春日神社を合祀し、そのために「大谷春日」といったという説明がありました。主祭神は、罔象女命(みつはのめのみこと:伊奘冉尊が火の神を出産し、そのために火傷を負って亡くなるとき、その漏らした尿から生まれた水の神)。相殿神は、武甕槌神経津主神他10柱。ここは、藤原小黒麻呂に関わる伝承がありますが、それはまた本編にて。

Img_2198c  この神社の巽の方角に「霊泉清水池」があったという石碑が建っていました。清水が湧き出ていて、この水を飲むと万病がたImg_2224c ちまちに癒えたと書かれています。また、この清泉が湧出したので、大泉の村の名前になったともあります。泉は今は枯れてしまっていました。

Img_2230c_20200411190201  スタートから約4㎞、時刻は10時半頃、「うりぼう(いなべ農産物直売所)」に到着。大泉Img_2234c 駅に併設されています。2年ほど前、ここのジェラート屋さんで日本酒の入ったジェラートを食べたことがあります(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。鹿肉なども売っていたのですが、今日は見るだけ。

Img_2275c_20200411190201  うりぼう&大泉駅の先、員弁東小学校の南にも、大谷神社があります。主祭神は、水分神(ミクマリノカミ:水の分配をつかImg_2242c さどる神)と、天児屋根命(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)。相殿神は、宇気母智神(うけもちのかみ:食物の神)、天照大御神。大泉の氏神様。社名はこの地が「大谷御厨」の地であったことよると考えられています。員弁川対岸の梅戸にあったのですが、明応8(1499)年、大洪水のため押流され、村落ごと大泉に移転し、大泉の春日明神へ合祀しました(そのため、大谷春日大明神と称しています)。拝殿前には狛犬ではなく、鹿の像。春日神社との関わりがあるからと思われます。

Img_2266c  表参道の鳥居からまっすぐに150mに及ぶ長い参道があるため、昔から「長宮さん」と呼ばれてきました。上記の神鹿の他、Img_2273c_20200411190201 狛犬もあったのですが、それがどういうわけか、「子取り、玉取り」になっておらず、拝殿に向かって左の狛犬が子どもを抱き、その子どもが玉を持っているスタイルでした。「玉取り」の狛犬は、鞠で遊んでいるような様子から「運気がよく転がるように」という意味合いで、縁起がいいといいます。一方、「子取り」の方は、文字通り子どもを連れている狛犬で、子孫繁栄のご利益があるといわれています。こういうタイプは初見。ちなみに対をなす方には、子も玉もありませんでした。

Img_2285c_20200411190301 Img_2283  員弁東小学校の北、員弁街道に戻ると、長宮公園があります。ここには、鳥居があります。ここも大谷神社の境内であったと思われます。また、ここは、かつて、北勢線の長宮駅があったところ。平成16(2004)年4月1日に廃駅になりました。ちなみに、大泉駅は、長宮駅と大泉東駅を統合し、両駅の中間部分に新設されています。

Img_2304  6㎞の手前に神明社。主祭神は、天照大御神。相殿神は、誉田別命、須佐之男命、市寸島姫命、火産霊神。寛永13(1636)Img_2308 年、大溜を築いたものの、たびたび堤切れしたため、庄屋・正木嘉兵衛を伊勢の山田へ遣わし、笠田大溜に勧請した神明社の分霊を遷座したといいます。

Img_2335c_20200411202401  その正木嘉兵衛の功労に対する顕彰碑が神明社の裏手に建っています。

Img_2301  この神明社が建つのは、員弁街道と旧・里道の畑新田道との分岐点です。神社の南に小さな道標がありました。「北 平古 たど」とあります。碑陰には「青年支部」。さらにこの先、員弁街道と下笠田道との分岐点にも道標があったのですが、こちらは見逃してしまいました。

Img_2350c_20200411202601  スタートから7㎞ほどのところで、石仏墓地に立ち寄ります。員弁中学校を過ぎたところ。美濃国守護・土岐大膳太夫父子の墓があるのです。高さ92cmの五輪の塔3基が、土岐康行、その子・康政、その子・持頼の墓とされています。土岐大膳太夫は、金井城主種村弾正左衛門攻撃に際し、敗れ、玉手の森に(今の石仏)に逃れ切腹して打ち果てています(金井城跡は、いなべ市員弁町北金井亀谷)。

Img_2363c_20200411204601  ここで11時45分。ねじり橋めぐり橋を見に行くにしても、その前に腹ごしらえをしようと、国道421号線まで出ました。ヨシヅヤ員弁店がありましたので、フードコートがあるだろうとここへ。ところが、あったのはスガキヤ1店のみ(苦笑)。たまにはいいかということで、ここで「直火焼き塩豚カルビ丼・サラダセット」(¥350)。食事、休憩、次回の話をして、楚原駅方面に戻り、ねじり橋、めがね橋を見に行くことに。往復でプラス2㎞ほど。

Img_2378c_20200411205401  楚原駅の北で員弁街道からは離れ、員弁西小学校方面へ。小学校を過ぎて坂を下っていくと、まずは、ねじり橋。長さは約Img_2376c 9.1m。正式には、「六把野井水拱橋(きょうきょう)」といい、大正5(1916)年に建造。江戸時代につくられた六把野井水にかかる橋。線路と用水が斜めに交差するため(約40度で)、アーチ橋下部のブロックは、ひねりを入れてつくられています。この構造は、「ねじり間歩(まんぽ)」といい、現存するコンクリートブロック製の橋では唯一といわれます。「日本の近代土木遺産-現存する重要な土木構造物2000選(土木学会)」に選ばれています。私は、2年前の2月27日の近鉄ハイキングで訪ねています(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。今日は、電車が通過する時間にうまく合いませんでした。電車が通っている写真は、このハイキングの記事にあります。

Img_2384c  こちらがめがね橋。長さは約19.8m。正式には、「明智川穹㝫橋(きゅうりゅうきょう)」。眼鏡橋は、全国に数多く存在しますが、ここが珍しいのは、コンクリートブロック製だということ。三連式のアーチはとても美しい。ねじり橋ともども、三岐鉄道北勢線の代表的な撮影スポットとなっています。

Img_2430c  ねじり橋、めがね橋を見ましたので、楚原駅に向かいました。13時45分に到着。今日はここまで。ちょうどImg_2434c 13時51分に西桑名行き電車がありましたので、それに乗車して帰途につきました。鉄道むすめ・楚原れんげの名字「楚原」はこの駅の名前から。「れんげ」という名前は、前にも書きましたが、「蓮花寺駅」に由来します。ちなみに楚原れんげ嬢は、東員駅の駅務員という設定。西桑名駅には、14時26分着。¥430。

 「員弁街道ハイキング」、前回までは桑名市内を主に歩いていましたので「桑名の」とつけていましたが、桑名を離れましたから、今回から割愛。本編はまた明日以降順次載せる予定。次は、新型コロナウイルスの影響が拡大しない限り、来週にでも楚原から阿下喜まで歩くつもりでいます。北勢線は、この阿下喜が終点。員弁街道はさらに続くのですが、電車に乗って出かけられない範囲になってしまいますから、取り敢えず阿下喜まで歩いてキリをつけるつもりです。

【参考資料リスト(4/12追加)】

・みえの歴史街道ウォーキングマップ 濃州道(員弁街道)

東員町文化財マップ

ふるさといなべ市の紹介

2020年4月10日 (金)

大山田川へ……イワツバメの飛び姿撮影はうまく行かず、ケリに威嚇される

Img_1935c_20200410154301  強風の1日で、寒いくらいです。今日は、こちらへ。いつもの散歩コースにあまり鳥がいないということと、ソメイヨシノもそろそろ散り始めてきましたから、いつも見ない、名所でもない桜を見てこようという次第。養老鉄道播磨駅の西から大山田川を下り、新宮西橋でイワツバメを見て、上之輪新田を覗き、伊勢大橋から揖斐川沿いを下り、福島の水田でケリを探して来ようということです。8時半にスタート、6.6㎞を歩いて11時に帰宅。

Img_2791c_20200410154401  大山田川では、新宮西橋、JR関西線・近鉄名古屋線の鉄橋あたりにはまだコガモが、合計20羽以上見られました。他には、あちImg_2678c_20200410154301 こちで見られたのは、ハクセキレイ。ペアと思われるものも見ます。数年前より、セキレイの仲間が減った印象があります。セグロセキレイや、ときにはキセキレイも見られたのですが、河川改修工事が行われて以来、少なくなったと思います。

Img_1941c  養老鉄道の鉄橋の東で、モズ。いつもの散歩コースあたりでは、この冬の間、あまり見ませんでした。モズImg_1946c_20200410154301 は、このあと、沢南橋のすぐ上流でも見ました。その先、新宮西橋の上流にアオサギが1羽。嘴はピンク色になってきています。

Img_2763c  新宮西橋のイワツバメ。たくさん飛び交っています。飛んでいるところが撮れないかと思っImg_2722c_20200410154301 て、挑戦したものの、敢えなく敗退(苦笑)。練習が必要です。まぁ、飛ぶスピードが速く、ツバメ返しもしますし、今日は強風に煽られるということもありました、という言い訳。橋の下の道路から巣を見上げたのです(真上ですから、ひっくり返りそうになります)。ところどころの巣から、イワツバメがのぞき見しているのが見えます。照源寺の近くの養老鉄道の跨線橋のところは、最近はイワツバメは来ないと思いますが、そちらも一度見て来ないといけません。

Img_1967c-2  沢南橋のところでは、ちょっと離れたところにアオジのオス。証拠写真(苦笑)。カワセミは、今日は見当たらず。イソシギらしき鳥を何度か目撃したものの、写真は撮れず。上之輪新田にケリがいないかと思って回ってみたのですが、いたのは、ムクドリ、ハシボソガラス、ツグミ。去年くらいから、私が鳥見に行くところではケリが減った気がします。

Img_2823c Img_2861c_20200410154401  そのケリは、福島の水田で3羽を確認。2羽はペアのようで、近くにいましたし、鳴き交わしている感じでした。写真を撮っていたら、警戒音を発し、こちらに向かって威嚇するように飛んで来ました。巣があるとは思えませんでしたが、確認はできていません。要チェックです。このあと、大山田川、沢北川が揖斐川に合流するところでそれぞれキンクロハジロ。また、長良川河口堰近くにダイサギ2羽とアオサギ1羽、揖斐川にキンクロハジロが見えました。今日のコースもあまり鳥はいませんでしたが、モズ、イワツバメ、ケリを見ましたので、いささか満足。

Img_1975c  さて、桜その他。木によって違いますが、かなり葉桜になって来ているものもあります。こちらは、沢南橋の西、上之輪神社Img_1955c_20200410154401 の参道南にある桜。かなり見事で、ここを通ると見上げています。その脇に、ソメイヨシノといつも同じ頃に濃いピンクの花をつける木があります。ソメイヨシノよりも早めに咲き始めるかも知れません。

Img_2792c_20200410154401  花は、ご覧のように濃いピンク色で、八重咲き。何でしょう? 当てずっぽうに書けば、ハナモモかと思うのですが、どなたか詳しい方にご教示いただければ大変ありがたく思います。

Img_1982c Img_1994c_20200410154401  こちらは、上之輪神社の境内社である伊奈利社、阿岐波社の参道入り口にある桜。とくに何ということはありませんが……(微笑)。右は、沢南橋から揖斐川の堤防に行く途中、大山田川沿いにある桜。

Img_2039c  続いては、先日も載せましたが、揖斐川右岸堤防にあるImg_2055c_20200410162301 「桜堤防」のソメイヨシノ。ここは、ちょっと気に入った景色。右は、六華苑の洋館塔屋を入れて撮った桜堤防のソメイヨシノ。揖斐川の方から六華苑を撮ると、電線が必ず写り込んでしまい、いけません。

Img_2075c_20200410154401  桑名七里の渡し公園にあるヤマザクラ。まだ若い木ですが、年数が経つと見事になるのではないかと期待しています。桜の最Img_2101c 後は、マイソメイヨシノ。少しずつ散って、葉が出て来ています。

Img_2885c_20200410154401  オマケ、その1。福島にあるちょっとした梅林というか、梅の木が10数本植えられているところで見つけました。梅の実が赤らんでいました。

Img_2021c_20200410154401  オマケ、その2。長良川河口堰の西側を歩いていたときに見えた景色。管理橋とアクアプラザながらの間に木曽御嶽山。望遠レンズの圧縮効果で、すぐ近くに御嶽山があるように見えます。

 明日は、勝手に員弁街道ハイキング第3弾に出かける予定。三岐鉄道北勢線の東員駅から楚原駅まで歩くつもりです。

 

2020年4月 9日 (木)

スズメの「犯行現場」を押さえました(微笑)

Img_1741c_20200409162301  最高気温は19.9℃。風は3~4m/sと穏やか。朝一番に用事を済ませ、8時半から今日も3時間近く散歩(苦笑)。住吉神社、九華公園、貝塚公園、京町、寺町からスーパーの100均ショップで買い物をして帰宅。6.8㎞。冒頭の写真は、諸戸氏庭園前にあるマイソメイヨシノ。ただ、今日は、いつもとは逆に、東側から撮っています。

Img_2629c  今日はまずこちらの「スクープ写真」から(微笑)。スズメが、サクラの花を折って、蜜を吸っている現場でImg_2645c す。昨日も書きましたように、スズメはメジロのように、嘴を花に突っ込んで蜜を吸うことができませんので、がくごと花を食いちぎってしまうのです。撮影したのは、九華公園の二の丸橋のたもと。

Img_2633c_20200409162601  こんなシーンも撮れました。スズメがくわえているのは、めしべのように見えます。いずれにしても、花や、そのパーツを折り取ってしまうのは確かということです。

Img_2521c_20200409163201 Img_1755c  さて、住吉入江には鳥影はありません。揖斐川には、キンクロハジロらしき姿が数羽。旅館山月の裏手で、ヒバリ。揚げ雲雀です。右は、そのあと降りてきたところ。

Img_1758c  降りてきた近くには、メスもいました。ヒバリは、このほか、三の丸水門のところでも、揚げ雲雀が見られました。散歩コースの揖斐川の堤防で繁殖してくれると、ヒナを見るチャンスもあるかと期待しています。

Img_1781c_20200409163501  九華公園、午前中はいつも散歩する人たちの他、花見客は多くはありませImg_2624c_20200409163801 ん。カモは、今日は55羽もいました。ヒドリガモのペアが2組で、ホシハジロのオスが1羽、他はキンクロハジロたち。オオバンも1羽。

Img_1818c_20200409163901  鎮国守国神社の境内、昨日見つけたキジバトの巣、今日も無事。見上げていたら、通りがかった女性が、Img_2573c_20200409163901 「何がいるんですか?」と。「キジバトが巣をつくっている」とお話ししたら、キジと勘違いされたようで、「子どもですか?」とちょっとトンチンカンな会話(微笑)。そっと見守ってくださるようお願いしました。まだ卵はないようです。

Img_2551c  奥平屋敷跡には、コゲラ。二の丸跡では、ツグミ。朝日丸跡では、シメも一瞬見たものの、すぐに逃げられてしまいました。他には、カワラヒワ、スズメ、ムクドリ、シジュウカラなど。小型の野鳥は多くはありません。

Img_1827c Img_2590c  ツツジは少しずつ花が増えています。桜は、今週末くらいまでは鑑賞に耐えられそうですから、ソメイヨシノとツツジとが同時に楽しめると思います。右は、本丸跡の藤棚。つぼみが膨らんで来ています。背景はソメイヨシノの花。ひょっとしたら、ツツジ、ソメイヨシノ、フジとそろい踏み?

Img_1874c-2  貝塚公園では、まずは、ツグミ1羽とシロハラ1羽。ツグミは、何か、餌になるものを見つけたような感じでした。シロハラImg_1884c は、相変わらずあまり明るいところには出て来ません。

Img_1904c  そして、コゲラ登場。昨日、シルバー人材センターから来ている方にも聞かれました。単独で行動していたようでした。シジュウカラもいましたが、ピンぼけ写真でした(苦笑)。

Img_2594c  ツバメ。九華公園の本丸上空で4羽が戯れるように飛んでいました。電線が写ってしまってImg_2659c いて、証拠写真ではありますが、比較的マシかと(苦笑)。京町あたりのツバメの巣も見てきました。市立博物館の玄関にある巣が、修復中のようでした。

Img_1913c  午後からは、ベランダ園芸。先日、ようやくメダカの水槽の水替えと掃除を済ませましたので、次は園芸。前からある小さな鉢植えが、植え替えもせず放置してありましたので、その植え替え。うまく行って、花が咲いたら、また載せることにします。江戸橋での非常勤、ゴールデンウィーク明けからに延期されましたが、そろそろ準備を再開しないといけません。こちらの写真は、住吉入江のところ、三崎見附跡の近くで撮影。アカメウバガシとソメイヨシノ。週末、土曜日には、“勝手に北勢線「員弁街道ハイキング」”の3回目、東員~楚原に出かける予定。

 

2020年4月 8日 (水)

桜の水鏡、花筏、花筏に遊ぶヒドリガモ……桜の楽しみ方いろいろ

 昨日、新型コロナウイルスにともなう緊急事態宣言が出されました(安倍総理の記者会見内容は、こちら)。三重県は対象とされていませんが、十分な注意は必要です。私にとくに関わる部分は、安倍総理の発言のうち次の部分です。

今までどおり、外に出て散歩をしたり、ジョギングをすることは何ら問題ありません。他方で、3つの密がより濃厚な形で重なる、バー、ナイトクラブ、カラオケ、ライブハウスへの出入りは控えてください。集会やイベントを避け、飲み会はもとより、家族以外の多人数での会食も行わないようお願いいたします。

 全体の内容は、ちきりんさんがブログ「chikirinの日記」にまとめておられます(安倍総理 緊急事態宣言 まとめ)。内容、説明、背景要因、根拠その他はある程度きちんと読み、理解しておく必要があります。「緊急事態宣言→→→大変だと大騒ぎ」という、「刺激即反応」パターンはあまりよろしくないと思います。いったんはきちんと受け止めて、理解し、分からないところは調べた上で考え、可能な範囲でしっかり対応することが肝心。

Img_1506c_20200408171201  さて、散歩であります。何はなくとも散歩、という感じの毎日です。8時スタート、いつものコースと後半が微妙に違います。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、田町と回って来ました。5.6㎞。寺町商店街、今日は、三八市でしたが、複数の知人から「大賑わいだった。あんなに混んだ三八市は、最近見たことがない」と聞き、パス。というよりも、ツバメの巣を見に行ったというのが、正しいのですが……。11時半に帰宅。あちこちで散歩友達、知人と話していました。話すときは、距離を置いています。

Img_2387c  まずは、鳥の様子。住吉入江には、ヒドリガモのペア1組、キンクロハジロのメス1羽、オオバンが1羽。揖Img_2463c_20200408171501 斐川には鳥影はなし。三之丸公園にはツグミ1羽、ムクドリ、ドバト、スズメ。九華公園に来て、カモは合計41羽。ヒドリガモが2ペア、ホシハジロはオス3羽、メス1羽(うち1組はペアのようでした)、他はキンクロハジロ。ハシビロガモは姿を見せなくなっています。ジョウビタキも見られなくなりました。右の写真は、二の丸堀にて。花筏の中でエサ探しをしているヒドリガモ。

Img_1466c  九華公園上空、ゴイサギが1羽飛んでいましたが、写真は撮れず。シメは、奥平屋敷跡にいImg_1476c_20200408171701 ました。ツグミは、二の丸跡や野球場で計3羽。他は、ヒヨドリが若干戻って来た印象。カワラヒワ、シジュウカラ、スズメ、ドバト、ムクドリ、キジバトなど。

Img_2405c  キジバトさん、鎮国守国神社の境内で、巣作り中らしいとImg_2407c ころを発見。以前にも九華公園でキジバトの巣を見ましたが、小枝などを雑に組み合わせたものでした。下から巣の中の卵が見えることも少なくないといいます。

Img_2458c_20200408171701  外周の遊歩道では、メジロが柿の木に。貝塚公園でも、今日はかなり少なImg_1693c く、ツグミの他は、ムクドリくらい。公園の清掃に来ているシルバー人材センターの方から「この間、スゴい勢いで木をつついている鳥がいたが、あれはキツツキか?」と聞かれました。「何か、変わった動物が鳴いているのかとも思った」そうですが、話を伺うとコゲラに間違いなさそうでした。 

Img_2489c  ツバメはあちこちで飛んでいます。去年よりも早く、たくさんやって来ているように思います。巣は、京町で2箇所、田町、三崎通で3箇所を見てきましたが、どこもまだツバメが来ている様子はありませんでした。しかし、ときどき巡回しようと思います。

Img_1579c_20200408173001  ところで、桜。満開から少し散り始めという感じです。上に花筏に遊ぶヒドリガモたちの写真を載せましたImg_1583c ので、お分かりになると思います。今日は、水鏡狙いで九華公園を歩いてきました。少し曇っていた方が堀の水面にきれいに映るようです。左の写真は、二の丸跡を南から見たもの。右は立教小学校の北側の堀、奥平屋敷(右側)との間のところ。

Img_1564c  二の丸橋のたもとのソメイヨシノでうまく撮れないかと思うのですが、なかなか難しい。

Img_1632c_20200408173101  花筏は、今年は、堀めぐりの舟が出ていませんから、割と撮りやすい印象。舟が出ていると、せっかくうまImg_1654c く流れているのをかき回してしまうのです。立教小学校の北側と奥平屋敷跡の間から、三之丸町内へつながるあたりが、撮影ポイント。ここで堀がいったん狭くなってから、三之丸町内の東へ出るところで堀が広くなるのです。

Img_1669c Img_1606c_20200408174201  余談その1。2018年4月1日に「遠山のカメさん」と題した写真を載せました(この桜吹雪、見事散らせるもんなら散らしてみろぃ!(笑))。去年も、似たようなものを載せましたから(2019年4月 8日:水鏡、花筏に挑戦するも、今ひとつ……桑名別院で花祭り)、二番煎じならぬ三番煎じではありますが、今年も(微笑)。去年よりはマシと思います。

Img_2504c  余談その2。桜が散り始めたと書きましたが、左の写真のように、花が丸ごと落ちているのを見かけることがあります。これImg_2444c_20200408174501 は、自然に散ったのではなく、故意にこうなっています。犯人は、右の写真のように、スズメ。スズメもサクラの花の蜜を吸うのですが、メジロのように、嘴を花に突っ込んで蜜を吸うことができませんので、がくごと花を食いちぎってしまうのです(こちら)。リンク先の記事は、2010年のものですが、そこに「比較的最近よく見られるようになった」とありますように、1980年代半ばから気づかれるようになったスズメの行動だそうです。

2020年4月 7日 (火)

九華公園でもツツジ、ドウダンツツジが咲き、藤の蕾も膨らむ

Img_1314c  風も弱く、暖かくなりました。絶好の散歩日和です。いつもの散歩コースへ。「3密」には該当しませんからほぼ安心して歩けImg_1320c_20200407175001 ます(微笑)。朝一番に用事を済ませ、8時半からスタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、歴史を語る公園、京町、寺町と5.6㎞。11時半に帰宅。またもや、あちこちで散歩友達などと話をしてきました。先日、船津屋さんの裏手でツツジが咲いているのを見つたと書きましたが、今日は、九華公園の中と、外周の遊歩道でも咲いていました。桜とツツジが同時に咲いているというのは、あまり見たことがない気がします。

Img_1159c_20200407172601  まずは、マイソメイヨシノ。この間は、まだ咲いていないつぼみがありましたが、今日はまさに満開といってImg_1161c よい状態。天気もよく、桜も気持ちよく見えます。このソメイヨシノの木の下で、入学、入園記念の写真を撮っているお子さん連れのご家族を見かけます。ここで写真を撮りたくなる気持ちはよく分かります。

Img_1166c_20200407172801  諸戸氏庭園の煉瓦蔵と桜。写真の腕前は別として、ここも景色になる場所です。蔵は、明治20(1887)年頃に当初は木造で建築。明治28(1894)年に火災で焼失したため、その後煉瓦で再建。5棟あったものが、戦災で2棟失われ、現在は3棟が残っています。米蔵として使用され、蔵前の堀に船を着け米を搬入していました。桜が植わっている土手の手前側が堀でした(現在は、住吉入江として整備されています)。

Img_1175c_20200407173101 Img_1186c_20200407173401  こちらは、七里の渡し跡。伊勢一の鳥居の脇に桜があります。ここは、ヤマザクラと思います。カモやオオバンはもう来なくなっています。右は、蟠龍櫓と三之丸公園の桜。蟠龍櫓の向こうが七里の渡し跡になります。

Img_1192c  柿安コミュニティパーク西の堀。桜の水鏡を撮れないかと思ったのですが、今日はあまりよくありませんでした。水面は穏やかなのですが、きれいに映らないのです。雲が多いのがよくなかったのかも知れません。

Img_1223c_20200407173801 Img_1303c  九華公園には9時過ぎに到着。堀めぐりも、露店もありませんから、人出は少なく、静かに花を見られ、鳥を探せます。「これでは、楽しくない」と思う方も多いかも知れませんが、まったく個人的にはこの方がありがたいと思っています。

Img_1205c_20200407173801  人が少ないためか、シロハラの他、ツグミもあちこちにいました。シロハラは、奥平屋敷跡への入り口にいました。ミミズをImg_1213c_20200407173801 見つけて、食べようとしていたのですが、そのシーンは割愛しておきます。ツグミはグラウンドその他にいます。アオサギ、ゴイサギはいません。

Img_2287c_20200407173901  コゲラは公園に入ったときから鳴き声が聞こえていました。この写真は、管理事務所近くにImg_2231c_20200407173901 て。2羽が近くにいましたから、ペアだろうと思います。シメはもういなくなったのかと思ったのですが、朝日丸跡にいました。このように、人出が少ないとけっこう、小型野鳥も出て来ます。

Img_2223c  カモは、合計47羽。ヒドリガモが2ペア、ホシハジロのオスが3羽、メスが1羽。他はキンImg_2293c クロハジロ。オオバンも1羽。例年並みか、やや多い気がします。堀めぐりの舟が出ませんし、浮き行燈もありませんから、のびのびとしているように見えます。

Img_1271c_20200407174701  ツツジが早いので、他の植物も気になります。本丸跡の藤棚。かなりつぼみが出て来ていまImg_2264c_20200407174701 した。例年ですと、4月15日過ぎくらいから咲きますが、今年はもう少し早くなりそうな気がします。

Img_1263c_20200407174801  鎮国守国神社の拝殿前にあるドウダンツツジ。すでに一Img_2261c 部で花が咲いてきていました。ジャーマンアイリスも咲いています。例年より花が早いので、新型コロナウイルスの影響で気分も滅入りがちではありますが、人混みを避けて、公園などに出かけ、花を眺めると多少とも気分も落ち着くかも知れません。

Img_2312c  しゃべっている時間が長かったので(苦笑)、少し風が出てきて、水鏡には不適になってしまいました。桜はまだ本格的に散Img_1332c っている訳ではありませんが、それでも堀には花びらが落ちて、花筏らしきものができてきています。右は、二の丸橋のたもとのところ。ボリュームがあり、また、ソメイヨシノの枝が水面ギリギリに伸びていて、いい感じです。

Img_1346c  貝塚公園は、小さいお子さんを二人連れた親子連れが一組、遊んでいたくらい。シロハラも、ツグミも2羽ずImg_1348c つ見かけました。ジョウビタキは、ここ数日見なくなってしまいましたし、モズは秋口には見かけたものの、冬の間から、散歩コースではあまり見なくなりました。冬鳥はだんだんと減ってきているようです。

Img_1362c_20200407175401  歴史を語る公園近くでは、電線でメジロがさえずっていました。遠くまでよく聞こえます。Img_2341c_20200407175201 京町のツバメの巣を覗いたら、新たに泥を運んで来て、修復しているように見えました。ツバメの営巣はもう少し後だと思っていましたが、これも今年は早いかも知れません。京町の呉服屋さんの辺りもツバメは飛んでいましたが、巣は去年のまま。しかし、そろそろ、散歩コースやその近くにあるツバメの巣も見て回る必要があるかも知れません。

Img_1378c  散歩の終わりがけに、寺町商店街でこの間からやろうと思っていたことをしてきました。別に大したことではありません。本Img_1380c_20200407175601 当は、桜の木の下で食べたかったのですが、大黒屋さんの店頭でみたらし団子をおやつ代わりに1本、食べてきました(微笑)。税込み¥97。先日、伝馬公園ではいばら餅を食べましたが、これで花見気分をそれなりに味わった感じ。

Img_1403c_20200407180001  午後からは、内科へ定例受診。いつも飲んでいる薬が切れますから、診察を受け、処方してもらいに行ったのですが、受付&診療開始の14時に並んだ患者さんも、待っている間に来た患者さんも、いつもの1/4か、それ以下くらい。薬局で薬をもらうまでに30分で終了。最短記録の更新でした。医療機関まで空いているとは、これいかに? 主治医&同級生のS氏は、「人混みに行かなければまずうつらないよ。mamekichiさんのように、公園を歩いているのが一番いい」といっていました。お墨付きをもらった訳ではありませんから、手洗い・うがいと、人がいるところへ行くときはマスク着用は必要ともいわれましたから、これまで通りのやり方で気をつけることにします。写真は、玉重橋から見た住吉入江と諸戸氏庭園。

Img_1409c_20200407180001  江戸橋方面の非常勤が、連休明けからになりましたので、何となく調子が狂うような気がしますが、明日以降も、「淡々と飽きもせず……」で行くことにします。

2020年4月 6日 (月)

町屋川にてミヤコドリと、まさに“black-headed gull”の「ガングロユリカモメ」

Img_0601c Img_1154c_20200406174901  今日も風が強い日でした。桜はまだ散らないでしょう。風が強いと桜の水鏡写真はダメですし、町屋川にミヤコドリがいるという情報を得ましたので、プチ遠征としました。うまい具合に、干潮は11時ちょうど(四日市港潮汐表によります)。1月25日と同じく、「20200125勝手に三岐鉄道・三交バス『バードウォッチング@町屋川」」です(微笑)。このときと同じく、三岐鉄道北勢線で西別所駅まで行き、員弁街道を横切って町屋川の堤防へ。JR関西線・近鉄名古屋線の鉄橋、国道1号線、国道23号線と渡って、伊勢湾岸自動車道の橋の近くまでいって、三交バス・日の出橋バス停に戻り、バスで桑名駅前に帰ってきました。8時44分の電車に乗って出かけ、桑名駅前に戻って来たのは、12時過ぎ。電車賃とバス代で、¥540。現地で歩いたのは7.3㎞。駅までの往復が、2.1㎞。合計9.4㎞、15,584歩と、今日もよく歩きました。

Img_0942c_20200406175101 Img_1062c  まずは、目的のミヤコドリ。伊勢湾岸自動車道の橋から上流300mほどのあたりの中洲というか、干潟になったあたりに35羽ほどがいました。ただし、町屋川左岸堤防からは、たぶん130mほどのところにいて、デジイチの250mmではいかにも非力。超望遠コンデジでもさほど大きくは写りませんし、コンデジでは画像が今イチ。たぶん200枚以上撮ったのですが、アイキャッチは難しい。しかし、初見、初撮影ですから、それなりに満足。

Img_1010c_20200406175701  在原業平が「名にしおはば  いざこと問はむ みやこどり 我が思う人は ありやなしやと」と詠んでいますが(伊勢物語9段、「東下り」;古今集にも掲載)、ここに詠まれている「都鳥」は、ユリカモメとされています。業平一行が、都を離れ、三河、駿河と旅をし、武蔵の国と下総の国の間に位置する隅田川まで足を運んだところで目にした鳥の名前を都鳥と聞いて詠んだ歌とされます。「『都』という名を持っているのなら、(都の事情に詳しいであろうから)さあ尋ねよう、都鳥よ。私が恋い慕う人は無事でいるのかいないのかと」という意味で、都や都に残してきた人を思う気持ちが強く感じられます。伊勢物語も、古今集も、そしてこの業平の和歌も高校時代に習いました。「みやこどり」は、大友家持も詠んでいるそうですし、枕草子にも出てくるそうです(日本野鳥歳時記、大橋弘一著、ナツメ社)。ただし、家持の歌と、枕草子に出てくる「みやこどり」が、ミヤコドリなのかユリカモメなのかは、定かではないようです。

Img_0953c  業平が詠んだミヤコドリは、ユリカモメ。そのユリカモメ、ミヤコドリがいたさらに下流の干潟に大集合。これ、全部というか、ほとんどすべてがユリカモメ。このほか、少数Img_0898c が他のところでエサを探していたり、波に浮いていたり。カウンターを持っていきませんでしたし、これほどいると数えるのは面倒。「かなりたくさんいた」ということにしておきます(微苦笑)。

Img_0858c  珍しい鳥がいる! と思いかけたのがこちら。落ち着いて、よく見たら、何のことはなし。ガングロになったユリカモメです。夏羽にモデルチェンジ済みということ。すぐ上右の写真もよく見ると、ガングロユリカモメがかなり混じっています。

Img_0865c  堤防から高水敷に降りて休憩していたら、目の前にもやって来ました。ユリカモメは、英語では“black-Img_0910c_20200406180801 headed gull”といいますが、この容貌から来ているのでしょう。講釈ついでに和名を漢字で書くと「百合鴎」。

Img_1940c_20200406183801  さて、このほか見て来た鳥たちなど。町屋川の堤防にあがってすぐに、モズ。Img_0618c_20200406183801 遠くて、こんな証拠写真。モズは、もう1羽を見ました。ホオジロのオス。枝というか、幹が被ってしまっています。盛んにさえずっていました。ウグイスのさえずりも、何ヶ所かで聞こえて来ました。

Img_0651c_20200406184001  アオサギさんには、4羽に遭遇。1羽は飛んで行くところを見ましたが、それ以外は、JR関西線・近鉄名古屋線の鉄橋よりもImg_0659c 上流側で、中洲にいました。左の写真と、右の写真とは別もの。2羽は、嘴がピンク色になってきていますが、右の写真で向かって右にいるアオサギさんの嘴は色が変わっていません。

Img_1990c_20200406184501  国道1号線のすぐ上流にある安永第一公園(ここは、旧東海道の町屋橋がかかっていたあたImg_0674c り)ではツグミ。

Img_0688c_20200406184701  安永第一公園の隣は、すし清という料理旅館。創業164年Img_1992c_20200406184701 で、藤が美しいのです。2~3回、見に来たことがあります(2015年4月30日:すし清の藤を見に行く)。最近、新聞とかで紹介されませんが、また見に来たいと思います。つぼみは右の写真のようでした。

Img_0696c_20200406185201  国道1号線を越えたところで菜の花。さらに、町屋川緑地公園の手前でソメイヨシImg_0701c_20200406185201 ノ。あちこちハイキングやウォーキングで歩きましたが、こういう何気ないところにも美しい桜の木があるのが、何ともありがたく、楽しいです。

Img_0727c
 日の出橋。ここまでで5kmほど。ここからさらに伊勢湾岸自動車道の橋の近くまで行きまImg_0732c_20200406193801
す。前回来てから2ヶ月半ほど。変わったことが1つありました。堤防のところどころから町屋川に降りる階段があるのですが、その入り口のほとんどが新たにコンクリートで塞がれていたのです。ここは、ときどき立ち止まって、町屋川にいる鳥を見るのに便利なところだったのに、残念。

 セグロカモメ。ずっと佇んでいました。そして、川の下流なのに、セグロセキレイ。セグロ続き(微笑)。Img_0737c 海岸には出ませImg_0752c_20200406194101 ん。飛行は上下に揺れる波型を描き、その時には「ジジッ ジジッ」といった濁った声を出しています。
近年、日本では急速に分布を拡げているハクセキレイとの軋轢(あつれき)があり、個体数が減少する傾向にあります。

Img_0772c  こちらは、イカルチドリと思います。パッと見たときは、コチドリかと思いましたが、目のあたりの模様かImg_0794c_20200406194101 らしてイカルチドリと考えました。カモはほとんどがヒドリガモでしたが、コガモや、オカヨシガモも混じっていました。他には、マガモのオス。カモの仲間の代表種とされますが、桑名あたりではキンクロハジロや、ヒドリガモの方が多数派。

Img_1029c  このほかには、ダイサギや、コサギなど。キジも見たいと思ったのですが、見当たらず。セイタカシギもいImg_1120c_20200406194101 たという情報もありましたが、こちらも見当たらず。しかしまぁ、ミヤコドリが見られたので、かなり満足したプチ遠征でした。

Img_2184c_20200406194101  猛禽類もいませんでしたが、飛ぶものがいると写真を撮りたくなります(苦笑)。中日本航空のヘリでした。日の出橋のバス停には15分ほど早く戻ってきましたので、近くの神社2社を回って来ました。

Img_1140c  バス停に行って、ビックリ。私がいうところの「チンチクリンバス」からマイクロバスに変Img_1144c_20200406194101 わっていました。ちなみに新車のようで、最近変わったばかりと思われます。2ヶ月半ほどの間に変わったのでしょう。普通の路線バスは、「後ろ乗り、前降り」などになっていますが、乗降口は1つ。なのにICカードをタッチするところは、乗り降りで別(2つありました)で、迷いそう(苦笑)。乗客は必ずしも多くはありませんから、やむを得ません。

32de1db6s  ちなみに私がいう「チンチクリンバス」はこちら。普通の路線バスを縮めたようなバスのことをいっています。

 

 

2020年4月 5日 (日)

桜満開の中、ツツジが咲いていました(驚)

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 天気晴朗なれど、風強しです。4月2~4日とあちこちで歩いていましたが、今日はいつものコースを散歩してきました。8時10分から3時間ほど、住吉神社、九華公園、貝塚公園から桑名宗社、中橋のゴイサギコロニー、住吉神社に戻り、揖斐川の桜堤防から桑名七里の渡し公園と、6.5㎞。公園などはよいのですが、揖斐川の堤防の上は強風で参りました。最大風速は8.8m/s。

Img_1921c_20200405125801  トップニュースは、こちら。揖斐川の堤防、船津屋さんの裏手のところで、もうツツジが咲いているのを見つImg_0323c_20200405125801 けました。日当たりがとても良いためかも知れません。九華公園でも、右の写真のように、ツツジのつぼみが膨らんで来ていたのですが、さすがにまだ咲いているとは思いませんでした。いつもよりかなり早いのです。

Img_0457c_20200405125701  続いては、気に入っている風景から。1つは、三之丸公園にあるソメイヨシノを入れた蟠龍櫓。毎年、同じ写真をImg_0435c 撮っていますが、それくらい気に入っているということ。もう1つは、柿安コミュニティパークの入り口にある本多忠勝公の銅像。サクラの花を入れたこの景色が、もっともよいと思います。

Img_0550c  話を戻して、諸戸氏庭園前のマイソメイヨシノ。遠目には満開に見えるのでImg_0552c すが、近くに寄ってよく見ると、まだつぼみがたくさんついています。何となく、今ひとつきれいに咲いていないような気がしていたのですが、たぶんこれが原因。

Img_0216c  諸戸氏庭園にある煉瓦蔵3棟。ここもサクラの花を入れてImg_0220c 撮ると、いい眺めになります。ただ、残念ながら、諸戸氏庭園は、この春の特別公開は、中止だそうです。お庭、とくに花菖蒲を見られるのを楽しみにしているのですがねぇ。

Img_0254c  九華公園。昨日はそれなりに花見の人がいたと聞きますが、今日は時間も早かったためか、まだチラホラくらい。散歩目的の人が多かった印象。左の写真は、北Img_0285c 門のところ。右は、何度か載せましたが、本丸跡の藤棚のところのソメイヨシノ。

Img_0274c_20200405133401  こちらは、二の丸堀の南側の様子。外周遊歩道にも桜がずっと植えられています。二の丸橋Img_0350c_20200405125801 のたもと(写真中央あたり)は、桜の木が大きく、ボリュームもあり、見応えがあります。右は、近づいて撮ったもの。

Img_0417c  桑名宗社(春日神社)へは、金龍桜を見ようと思って、行ってきました。昨日の記事にも書きましたように、ここにもあるのです(2020年4月4日:「ひのとり」、照源寺の金龍桜、道祖神、走井山公園の桜に北勢線の「ゆる鉄写真」……土産は宝来軒本店の花見団子)。

Img_0421c  拝殿前にあったはずなのですが、そこに行っても、サクラの花は見えません。取り敢えずは、お参りを済ませ、よくよく見たImg_0422c ら、花は1つも咲いていませんでした。照源寺と同じく、松平定綱公が、摂津の天台宗金龍寺から分植したという桜です。以前、咲いているのを見た記憶はあるのですが、かなりの老木ですから、弱っているのでしょうか。枝をよく見ると、芽らしきものは少しあるものの、固く、色も枝と同じく茶色でした。残念。

Img_0514c_20200405125801 Img_0505c  途中、端折って、揖斐川の堤防。住吉神社より北、六華苑の東あたりから福島ポンプ場付近まで桜並木があります。伊勢湾台風まで、ここに桜堤防があったのを復活したもの。堤防が整備された15年あまり前に植えられたと記憶しています。しかし、七里の渡し跡からここまで、正面からの風が強くて参りました。これで散歩コースあたりや、近いところの今年の桜はコンプリート。だんだん公園や専通寺にも遠征しましたし、走井山公園にも行きました。他に見たいとすれば、去年近鉄ハイキングで出かけた鍋田川堤防の桜並木くらい(2019年4月4日:20190403近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」へ(その1)……近鉄弥富駅をスタート、鍋田川堤桜並木から源盛院で芭蕉句碑、常在院に立ち寄る)。あれも見事でした。あと、これからは花筏や、いつぞや撮ったような「遠山のカメさん」のような写真(2018年4月1日:この桜吹雪、見事散らせるもんなら散らしてみろぃ!(笑))を狙うかです。そうそう、散り始めないうちに、風の弱い日には水鏡がありました。

Img_1829c_20200405125701  さて、鳥見について。拙宅マンションの公園で、ツグミ1羽。写真は割愛しますが、住吉入江には、ヒドリガモのペア1組Img_1842c と、キンクロハジロのメス1羽。揖斐川では、シラウオ漁の漁船が曳く網の最後部にユリカモメが5羽たかっていました(2羽は、顔がガングロ)。ツグミは、三の丸水門のところにもいましたが、今日は、強風のためもあってか、鳥は概して少なし。

Img_1887c_20200405125801 Img_1894c_20200405125801  九華公園では、久しぶりにエナガ。しかし、今イチ(苦笑)。ペアで出て来て、片方は羽毛らしきものを咥えていきました。写真のエナガ、尾が曲がっているように見えたのですが、まだ巣作り中なのか、今ひとつ定かではありません。メジロも桜に出て来ていましたが、これもどうもうまくありません。

Img_0264c_20200405135501  カモは、ハシビロガモの姿がなくなり、いったんいなくなったと思ったヒドリガモがオス3羽、メス2羽(2ペア+オス1羽という感じ)。他に、ホシハジロのオスが2羽とキンクロハジロで、合計47羽。九華公園には、ユリカモメの姿はありません。他には、ツグミ2羽、カワラヒワ、スズメ、ドバト、ヒヨドリ、ムクドリなど。コゲラの鳴き声もしたのですが、姿はありません。ジョウビタキ、シロハラは姿を見ませんでした。冬鳥も徐々に減っていく頃でしょう。ツバメの姿は増えました。

Img_0389c_20200405140001  貝塚公園では、ツグミ1羽、メジロ、スズメ、ムクドリのみ。シロハラはいません。

Img_0412c_20200405125801  中橋のゴイサギコロニー。南側からは、ゴイサギも、ホシゴイも見えませんでした。北側に回ってよくよくImg_1917c_20200405125801 探すと、ゴイサギが1羽だけ隠れていました。そろそろ繁殖のため、どこかのコロニーに移動したのかも知れません。九華公園のアオサギも、来なくなっています。今朝出会った知人は、鎮国守国神社の社務所裏にゴイサギが2羽いたといっていましたが、私が通ったときには不在でした。

Img_0449c_20200405125801  週間予報によれば、しばらくは好天続きのようです。地元の小中学校は明日始業式、明後日入学式を迎えますが、私の非常勤先は、この間も書きましたように、ゴールデンウィーク明けからに延期されました。しばらくは、感染症予防に努めつつ、「淡々と飽きもせず……」に「晴歩雨読」生活を続けましょう。授業の準備も途中で止まっていますし、授業回数が元に戻り、なおかつ1回の授業時間が10分削減されますから、リセットしてやり直しです。皆様も、ご留意ください。

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(その3)……六把野新田の地蔵堂、道標、自然石の道標、鳥取塚と珪化木の碑を見て、東員駅へゴール(完)

200329hoshikawatouin3  3月29日に出かけた「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」のその3です。東員一中の手前でスタートから4㎞。その先に地蔵堂と道標1基。ピアゴ、しまむらを過ぎてまた、員弁街道は脇道に入っていき、藤川(上流に行くと、イヌナシを見に行った鳥取神社の横に続いています)を渡り、東員交番の裏で自然石の道標。その先で鳥取塚とそこに立つ珪化木の碑を見て、いよいよ東員駅にゴールします。

Img_8295  東員一中を過ぎ、4.4㎞のところに地蔵堂があります。「みえの歴史街道マップ(濃州道)」には、「延命地蔵堂」とありましImg_8292c たが、確か「病難除地蔵」と書かれていました。新型コロナウィルスも蔓延していますので、丁寧にお参りしてきました。大正末期に有志によってここに建立されたそうです(東員町観光パンフレットによる)。

Img_8286  地蔵堂の手前、交差点の東側に小さな道標があります。危うく見落としそうになります。「多度香取道」とあるのがかろうじて読めます。香取道は、ここ六把野新田の地蔵堂東側から大仲新田を通り、嘉例川を経て多度へ通じている道。この道は、昔は、3~4尺幅(約90~120cm)の細い道だったそうですが、多度祭ではかなり賑わったといいます。

Img_8298c  4.7㎞のところにある神田公園に「旧神田小学校跡」という案内板があります。明治34(1901)年、穴太にあった弘道尋常小学校と鳥取の養義(尋常)小学校が合併して、その中央に位置する六把野新田に神田小学校の前身である「神田尋常高等小学校」が創立され、ここに3棟の校舎が新築されたそうです。その後、昭和6(1931)年には木造2階建て北校舎が完成。さらに戦後、講堂が新築されたのですが、昭和48(1973)年に移転し、現在の神田小学校となっています。跡地が、神田公園として整備されました。

Img_8305  5㎞を歩き、神田変電所前の交差点から員弁街道は、右に逸れ、県道からは離れます。時刻は13時5分頃。このすぐ先で、藤Img_8307 川を渡ります。橋は、七ツ橋と呼ばれた橋。

Img_8317c_20200404204001  この藤川、鳥取神社のところから来ています(2020年4月 2日:今日も東員町で花見とバードウォッチング……イヌナシの花リベンジ、藤川の桜並木と町天然記念物のトウインヤエヤマザクラ)。鳥取神社までは1㎞足らずと思いますが、桜並木が続いているようです。

Img_8326  東員交番の裏に道標があります。自然石でできています。「右あげきはった/左大いづみ石Img_8322 ぐれ」とあります。それぞれ、阿下喜、治田、大泉、石榑を指しています。道標は、文化14(1817)年に鳥取(このあたりの地名)の俳人岩田卜斎(ぼくさい)によって建てられたものです。卜斎については、調べがつきませんが、こちらには「美濃派徐風庵で学ぶ」とあります。美濃派は俳諧の一派で、各務支考の系統。「徐風庵」は、美濃派の分派・再和派の九世・多賀徐風庵(1772~1832)。

Img_8331c_20200404204301  裏面には卜斎の「雲いくへ ひばり鳴くなり そりみ坂」の句が記されています(芭蕉が詠んだという説もあるようです。いつ詠まれたかなどは不詳)。かなり薄くなっていて詠みにくいのですが、こちらによれば、碑陰には、上記の句の他「文化十四丁丑年孟春中旬岐路人惑標石指南。楚里見坂 卜斎建立。是より道法 御城下へ二り半 あげきへ同はつたへ同 石南村へ同」とあるそうです。「そりみ坂」は、「楚里Img_8327c_20200404204301 見坂」「曲見坂」などと書きました。また、このこの小高いあたりにはヒバリがたくさん生息していたそうで、「雲雀が岡」と呼んだといいます。私は、春、揚げ雲雀を見上げるのに、体を反らせて見たから「反り見坂」かと想像しました。この道標のところで、道は二股に分かれ、一方は大木へ向かう道でしたが、今ははっきりしなくなっているようでした。道標は、平成19(2007)年4月に東員交番ができて、少し移動しました。

Img_8337c_20200405045001 Img_8349c_20200405045001  この道標の先、街道の北側に大きなお屋敷があります。庭の手入れもされており、立派な屋敷で、「岩田」という表札が出ていました。調べて見たら、ここが鳥取を代表する旧家である岩田家でした。そり見坂の道標を建てた卜斎も、ここ岩田家の俳人です(こちら)。

Img_8343c_20200329211901  もう少し西へ行き、スタートから5.4㎞を過ぎたところに、鳥取塚と珪化木の碑がありまImg_8353c す。鳥取塚は、饅頭型の円丘で、かつては古墳が4~5基ありました。今残っているのは1つで、東西21m×南北17m、高さ2.5m。桜などが植わっています。珪化木の碑には「鳥取塚」と刻まれています。碑は、明治44(1911)年3月の建立。珪化木(けいかぼく)とは、樹幹が珪質化(シリカ(SiO2)に富むようになること)して保存された植物化石。この鳥取塚のあるところを左折したところが、チリン坂で、「律師智伝之碑」があると思い込んでいたのですが、見当たらず。もう一度落ち着いて調べたら、これらはもう一本先を曲がったところでした(苦笑)。これは、次に見なくては。

Img_8360c_20200405050201  鳥取塚で13時20分。この日はここまでとし、ゴールに決めておいた三岐鉄道北勢線東員駅に向かいます。昼食は、予め調べておいた、東員駅近くのカフェレスト・ラフィーネで摂ることにします。写真は、東員駅に向かう途中に見た、鈴鹿山脈。この日は雨上がりで、風は強かったものの、それなりによい天気で、山もよく見えました。

Img_8372c_20200329212501  ラフィーネ。東員駅から線路を挟んですぐ北。13時40分着。オムライスが美味しそうでしたので、ランチのセットに。スImg_8370c_20200329212501 ープ、サラダ、茶碗蒸し、ミニハンバーグがついて、¥980。前期高齢者には、ボリュームたっぷりすぎるくらい。オムライスの中のご飯には、細かな海老やタマネギやニンジンなどの野菜、それにたまごなども入っていました。右の写真、先に出て来たミニハンバーグをかじってしまっています(苦笑)。満腹。この日の夕食は控えめにしました(微笑)。

Img_8383c Img_8384c  食事を終え、東員駅へは14時25分に着きました。ちょうどタイミング良く14時32分発の西桑名行きがありましたので、それに乗車。鉄道むすめ・楚原れんげのイラストが描かれた電車でした。西桑名までは¥340。M氏は星川駅で、K氏は蓮花寺駅でそれぞれ下車。西桑名には14時56分着。帰りも電車は空いていました。

Img_8395c_20200329212601  この日のALKOOのデータ。17,208歩でした。距離は、ハイキングで6.3㎞、自宅から西桑名駅往復が2.1㎞ですから、合計8.4㎞(キョリ測で測定)。帰り道、K氏、M氏からは、「次はいつ?」「どこを歩く?」と催促(苦笑)。員弁街道を阿下喜あたりまで歩くことにして、現在、少しずつ下調べ中。「勝手にハイキング」企画もそれなりに大変。過去の近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングで歩いたコースに行くのも一つの手かと思いついたところ。これにて、3月29日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」も無事に「完」。

2020年4月 4日 (土)

「ひのとり」、照源寺の金龍桜、道祖神、走井山公園の桜に北勢線の「ゆる鉄写真」……土産は宝来軒本店の花見団子

 風も弱く、好天で暖かい日。散歩日和です。今日も、3密を避けて市内を7.6㎞歩いてきました。まずは、東海山照源寺(とうかいざんしょうげんじ)。久松松平家の菩提寺で、ここに金龍桜があります。照源寺近くで道祖神探し。「くわな史跡めぐり」に載っていたのを見てきました。そこから県立桑名高校近くを通って、走井山公園へ。矢田城跡が公園になっていて、桜の名所。ここには句碑があるのですが、今まで見つけられずにいました。花見と句碑探し。走井山勧学寺というお寺もあり、お参り。馬道に降りて、先日歩いた員弁街道にある宝来軒本店で花見団子、いばら餅を買い、伝馬公園へ。ここは、願証寺跡で、一昨年、江戸時代の上水道管が敷設状態で見つかったところ。さらにNTNシティホールから寺町と桑名駅、市役所あたりを中心に一周してきた感じ。

Img_9782c  照源寺へは、国道1号線・参宮町交差点の近くで、美濃街道から分かれた八丁畷という道がまっすぐ続いています。この道は、Img_9790c_20200404170201 照源寺開基のときに新たに造られた道。桑名駅の北を通っています。踏切に差し掛かったら、近鉄の上下線の電車が通過するところ。名古屋行きのアーバンライナーが通過した後、何と、あの「ひのとり」がやってきました。そうでした、土日休日は、名古屋からの最初のひのとり、8時20分発でした。

Img_1690c_20200404170201  先日、上之輪新田で撮影しましたが、そのとき、次はもっと間近で迫力ある写真をと思っていImg_1695c_20200404170201 ました。いや、カッコイイ。ヨーロッパの電車みたいです。それにこのメタリックレッドの色、いいですね。メタリックですから、陽の当たり方によって微妙に色合いが異なります。いきなり登場しましたので、気持ちの準備が不十分でしたが、ラッキーでした。

Img_9805c_20200404170201 Img_9818c  照源寺は、浄土宗のお寺。寛永元(1624)年、桑名藩主であった松平定勝公(徳川家康公の異父弟)がなくなったとき、子の松平定行公が建立した、久松松平家の菩提寺です。この照源寺は私の気に入ったお寺で、たびたび来ています。静かで落ち着いた寺。本堂の裏手には、「松平定綱及一統墓所」があります。

Img_9827c  こちらが金龍桜。松平定綱公が、摂津の天台宗金龍寺から分植したという桜です。現在の木は、何度か植え継がれたものと思Img_9824c われます。「徳川時代初期以来存在している名木のひこばえとして、今日にその特徴を伝えているものである」昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定されましたが、1959年の伊勢湾台風の被害で枯れ、指定は解除されました。

Img_9833c_20200404170201 Img_9855c_20200404170201  花びらは6~12枚、中には花びらが変形したものもあるといいます。色は淡紅色で、葉も同時に出ます。花の直径4~5 cm(こちらによります)。ちなみに、桑名宗社(春日神社)の境内にも、同じく金龍桜があります(こちら)。

Img_9853c  いきなりの余談ですが、照源寺には、最近、てらカフェ「茶所 御堂」ができています。ただし、営業は毎週木・金の8時~15時。一度来てみたいと思うのですが、今は、新型コロナウィルスの蔓延の影響で、休業中(寺内の掲示によれば、4/10まで)。

Img_9864c  さて、続いては、「くわな史跡めぐり」に書かれていた道祖神探し。説明、地図によれば、照源寺の南側の道路沿いにあります。由来ははっきりしないそうですが、交差点の民家の前に立っていました。「くわな史跡めぐり」には写真がなく、「道祖神」ということばからはもっと小さい、素朴なものを想像していましたので、ちょっと驚きました。ちなみに、「以前はこの近くに高浜虚子の句碑もあった」と「桑名史跡めぐり」には書いてあったのですが、三重の句碑のサイトにはそのような記述はありませんでした。虚子は、娘の星野立子と昭和24(1949)年4月に桑名を訪れ(桑名史跡めぐりには、昭和30年に訪れたとありますが、それは、句碑の建立年月日と混同しているようです)、「老一日落花をあだに踏むまじく」と詠んだそうです。星野立子は「今年はも満朶の花を桑名に見」という句を残しています(こちら)。「満朶」は、「ばんだ」と読み、多く垂れ下がった枝だそうです。三重の句碑のサイトには、佐藤信之助氏の母・益女(ますじょ)が記念に碑を立て、東方の佐藤信義氏邸に碑があるとなっています。

Img_9897c Img_9900c  市立桑陽保育所や、県立桑名高校近くを通って、走井山公園へ行くのですが、公園内に入る前にとなりにある上野浄水場の桜を見ていきます。ここは、浄水場ですから敷地には入れないのですが、見事なソメイヨシノがあります。フェンスの外からですと、なかなかよいポジションから撮るのは難しいのが難点。

Img_9887c_20200404174501  走井山公園。戦国時代に矢田城があった場所に造られた公園です。 春には100本以上の桜Img_9911c_20200404174601 が咲き乱れ、市内では花見の名所として知られています。しかし、昨今の状況から、花見客は例年に比べ、かなり少ない印象でした。

Img_9936c_20200404174601  まずは、「みえの歴史街道マップ(濃州道)」にあった「梶島一操の句碑」を探します。今まで気づかず(苦笑)、このマップを見てその存在を知った次第。公園の南側、お菊稲荷社の東にありました。「琅扞の竹ひびかせて木の葉降る」という句が刻まれていました。「琅扞(ろうかん)」は、暗緑色または青碧(せいへき)色の半透明の硬玉。また、美しいもののたとえ。色が似るところから、青々とした美しい竹という意味もあります。碑陰には、「昭和五十三年四月吉日 梶島一操先生句碑建立会」とあります。建立されたのは、 昭和53(1978)年4月。梶島一操については、詳細は不明。

Img_1739c_20200404174601 Img_1756c  走井山公園の南には、三岐鉄道北勢線が通り、馬道駅があります。先日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング(員弁街道)」でも歩いたあたり。北勢線の電車の音が聞こえてきましたので、「俄撮り鉄」、それも「ゆる鉄写真」に挑戦(微笑)。左の写真は、西桑名行き電車が、馬道駅に入ってくるところを見下ろしています。右の写真は、勧学寺の鐘楼から、同じ電車がJR関西線・近鉄名古屋線をまたぐ跨線橋に差し掛かるところ。もうちょっとサクラの花がたくさんあるところを通して見える写真の方がよかったと反省。

Img_0008c_20200404174601  走井山勧学寺。ここにあった矢田城は織田信長に滅ぼされたのですが、桑名藩主・松平定重公により跡地に本堂が再建されまImg_1785c_20200404174701 した。市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。しばらく前から旅ネコさんたちが集まっています。人に慣れているようで、近くに寄っていっても逃げません。

Img_0024c_20200404181401  走井山公園から北勢線馬道駅の方に降りていきます。階段の途中で振り返ると、左の写真のImg_0039c_20200404174701 ような景色。北勢線の踏切の手間には、私の好みの「三猿」の石像があります。桜を背景に撮ってみました。現役の頃、「魔除け」と称して、この三猿の写真を研究室の入り口に貼っていたことがありました(微笑)。

Img_0066c  先日歩いた員弁街道に出て、益生駅方面に向かいます。まったく個人的な思い出なのですが、天神堂書店。最初の勤務先の国立療養所S病院時代、養護学校の小・中学部はあったものの、高等部がなく、高校は県立四日市高校の通信制課程を受講していました。先生方が病院にスクーリングに来てくださったのですが、日本史を担当しておられた先生のお宅が、ここ天神堂書店でした。当時の先輩児童指導員のM先生の高校時代の恩師。ヒゲを蓄えておられ、私など「本当に天神様みたいだ」と思った記憶があります。この先生、飄々としておられ、「僕の専門は、新選組だ」と。

Img_0073c_20200404174701 Img_0181c_20200404182501  その先、先日は通過したのですが、宝来軒本店という和菓子屋さんがあります。創業100年以上。現在の5代目店主は女性。我が家近くの浄土寺(本多忠勝の菩提寺)の地蔵盆で売られる幽霊飴もここでつくっておられます。一度、ここのお菓子を食べたいと思っていました。今日は土産に花見団子を買い、おやつに「へそだんご(みたらし団子)」をと思ったのですが、へそだんごはこれから焼くということで、「いばら餅ができたてですからどう?」と勧められ、おやつはいばら餅にしました(1個¥135)。へそだんごは、故郷の天王の団子屋さんの団子と同じく、砂糖は使わずたまり醤油を使っているのです。へそだんごは、またの機会に是非とも食べてみたいと思います。花見団子4本といばら餅1個で、計¥620。

Img_0101c_20200404183601   このあと近鉄益生駅から、員弁街道の起点・三ツ矢橋を経て、相川町交差点で国道1号線を渡り、伝馬公園へ。伝馬公園の手前、掛樋交差点のところに金刀比羅神社。地名の「掛樋(かけい)」は、江戸時代、町屋川の水を願証寺(伝馬公園のあたりにありましたが、その後、廃寺)まで運ぶのにつくられた水道の名前に由来します。この金刀比羅神社は、宝永7(1710)年、8代桑名城主・松平忠雅公が、備後福山から移封された際に、随伴してきた円覚院住職が境内に祭ったことによるといいます。

Img_0107c  伝馬公園。10時40分到着。上にも書きましたが、このあたりに願証寺という大きな寺がありました。最初に書きましたが、一昨年、江戸時代Img_0114c_20200404183601 の上水道管が敷設状態で見つかっています(2018年12月13日:20181208伝馬公園遺跡発掘調査説明会に参加して来ました)。桜の名所ではありませんが、今日のようにグルッと回って散歩する途中、休憩するのに好適なところにあります。ということで、ここでおやつタイム。宝来軒本店で買ってきたいばら餅をいただきました。何というか、昔ながらのいばら餅という感じ。

Img_0123c_20200404184101  このあと、掛樋交差点近くまで戻って、大央町まで市道の1本東の道を歩いて行きます。ここは吉津屋堀の先ですから、たぶん堀の跡。遊歩Img_0127c_20200404184101 道のようになっていて、あちこちに花壇があります。ハナモモも咲いていました。1本の木で、色違いの花が咲くとは不思議。このあと、NTNシティホールから寺町を通過。シティホールの薄墨桜は、かなり葉桜になっていました。

Img_0142c  寺町交差点から住吉入江に。左の写真は、三崎見附跡から見た住吉入江。いつも見ている景Img_0157c_20200404183601 色なのですが、桜が咲いていると、どこかよそに来たようにも思います。今日の桜&ゆる鉄写真ツアーもゴール間近。

Img_0158c_20200404183601  玉重橋の東詰にある桜。エドヒガンザクラの系列という看板が出ていたように思うのですが、記憶にも自信がありませんし、エドヒガンザクラかどうかについても自信はありません。

Img_0167c_20200404183601  そして、今日のマイソメイヨシノ。満開で、まさに春爛漫という感じ。新Img_1823c_20200404183601 入生と思われる男の子と、ご両親、兄弟の方が記念撮影をしておられました。そうなのです、このソメイヨシノ、記念写真を撮りたくなるのです。

Img_0190c_20200404183601  今日のALKOOのデータ。13,237歩。公共交通機関は使っていませんので、正味の歩数です。明日は、久しぶりにいつもの散歩コースを歩いて、三之丸公園、九華公園の桜を見てこようと思っています。揖斐川沿いの桜堤防も見たいところ。ならば、逆回りの方がいいかもしれません。

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(その2)……七和の道標、薬師堂、穴太徳の碑へ

200329hoshikawatouin1   3月29日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」のその2です。その1では、星川駅をスタートして、天皇八幡神社(マップでは八幡神社)、クロガネモチの木まで来ましたが、実際のルートマップは、まだその1のエリアです。

Img_8225c_20200402043501  天皇八幡神社のすぐ南の交差点の北西に九華(くわな)はちみつがあります。大正元(1912)年創業の舘養蜂場本店がやっている直売所。無添加で純粋に国産の蜂蜜を取り扱っています。ちょっとだけ覗いてきましたが、蜂蜜の甘い香りが漂っていました。菰野町・いなべ市で採った「そば蜜」などもあります。これは古くから咳止めに使われてきたとか。

Img_8226c Img_8228c  その先、七和駅から来る道との交差点の北西角に道標。「(西)楚原道/東 桑名道/北 多度道/南 七和駅道」とあります。三岐鉄道が、北勢鉄道として大山田(現在の西桑名)~ 楚原間(14.5km)の開業を果たしたのは、大正3(1914)年ですから、それ以降の道標と思われます。員弁街道と多度へ向かう道の交差点ということで、ちょっとした交通の要衝であったと考えられます。「楚原道」の上には、「西」と刻まれているようですが、薄くなって(もしくは削られた)います。右は、多度方向を見た写真。

Img_8230c Img_8240c_20200402051401  この道標がある交差点で左折し(南へ)、七和駅方向に150mほど入っていったところに瑠璃山薬師堂があります奈良時代に創建され、本尊は室町時代の作といいます。御堂の前にソメイヨシノが咲いていて、なかなか落ち着いた、よい感じ。ここは中世の芳ヶ崎城(羽笠城)の遺跡ともいいます。

Img_8237c_20200402051401  ここでまた、M氏から質問、「瑠璃山の瑠璃はよく見聞きするが、何?」。私は、「知っていることは何でも知っているが、知らないことはまったく知らない」と嘯いていますが(苦笑)、瑠璃についてはちょっとアヤシい。瑠璃色が濃い紫みの鮮やかな青色なのは知っています。鳥にも、オオルリ、コルリ、ルリビタキがいます。しかし、分からないことは確認しないといけません。「瑠璃(るり)」は、7つの仏宝の1つで、青色の美しい宝石。「ラピスラズリ」ともいうということでした。

Img_8235c_20200402051401 境内には地蔵堂らしき御堂もありましたが、こちらについては不明。ちなみにこのあたりは、旧七和村でした。七和村は員弁郡に属していましたが、昭和26(1951)年に桑名市と合併。郡境を越えての合併でした。江戸時代にあった五反田村、大仲新田、巌新田(いわお)、嘉例川村、芳ヶ崎村、森忠村、星川村が明治22(1889)年に合併して七和村ができました。七つの村が合併したので、七和村といったそうです。

200329hoshikawatouin2  員弁街道に戻ってハイキングを続けます。ルートマップはその2へ。五反田の町を歩いて行きます。しばらくは立ち寄るとこImg_8242c_20200402052401 ろはありません。町の風景は、右の写真のような感じ。写真を撮ったあたりは道幅が広くなっていますが、昔の街道は、写真の奥に見えるくらいの道幅だったのであろうと思います。

Img_8249c_20200329202701  2.9㎞のところで寒谷川を渡ると、そこに大日堂と地蔵堂があります。大日堂は、この五反Img_8251c_20200329202801 田にあった伝西寺が真宗大谷派に改修し、星川に移るとき、ご本尊であった大日如来を安置する御堂を設置したといいます。大日如来がご本尊ということは、真言宗系統かと思います(ちなみに、真宗のご本尊は、阿弥陀如来)。右は地蔵堂。

Img_8259c  これら大日堂と地蔵堂のすぐ先にも、街道左側(南)に地蔵堂がありましたが、みえの歴史街道マップにも、くわな史跡めぐりにも載っておらず、不明。御堂にも何地蔵とは書かれていません。お地蔵様は、あちこちにありますが、資料に載っていないものも多く、地元の方に伺わないと分かりません。

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 スタートから3.1㎞、弁天川にかかる弁天橋に来ます。ここが、桑名市と東員町との境界。M氏、K氏とも途中で「ブログに写真を載せられるかも知れんなぁ」とおっしゃっていたので(期待されていた??)、ちょっと登場してもらいました(微笑)。橋を渡って、員弁郡東員町に入ります。平成の大合併で、員弁町、藤原町、大安町、北勢町が合併し(平成15(2003)年12月1日)、いなべ市が誕生しましたので、今では、員弁郡も東員町のみ。

Img_8268c_20200329205201  弁天橋の先、100mほどの民家の庭に「穴太徳(あのうとく)の碑」があります。「穴太徳事 神戸屋徳次郎碑」と刻まれています。穴太徳(本名は中野徳次郎)は、慶応2年4月8日(1866年5月22日)の「荒神山の喧嘩」で、神戸の長吉(かんべのながきち)と私闘を展開した、桑名を縄張りとした博徒です。この荒神山の喧嘩では、神戸の長吉側の助っ人として乗り込んだ吉良仁吉は、鉄砲で撃たれた上、斬られて死亡しました。吉良仁吉は、清水次郎長一家の応援をえて、穴太徳勢になぐりこんで、義理に殉じてしまったのです。「荒神山の喧嘩」は、2代目広沢虎造による「血煙荒神山」の浪曲で有名ですし、吉良の仁吉については、村田英雄の歌う「人生劇場」にも出てきました(♪俺も生きたや仁吉の様に~♫)。何度も書きましたが、この碑は、是非とも見たいと思っていました。ちなみに、「荒神山の喧嘩」があった荒神山観音は、鈴鹿にあり、私の最初の職場がその近くでした。近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングでも訪ねています(2018年12月7日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その3)……加佐登の町を経て、荒神山観音寺へ、2019年4月20日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(予告編)。荒神山の喧嘩については、2018年12月7日の近鉄ハイキングの記事に詳しくあります。

 この穴太徳の碑のすぐ先に神田屋敷と、六把野井水(ろっぱのいすい)があると「三重の歴史街道マップ 濃州道」にはあったのですが、結局よく分からず。マップには、小さな写真が載っていますが、それをよく確認し、記憶していなかったのです。さらに、マップをプリントアウトしたものを忘れて出かけていました(苦笑)。六把野井水について、こちらのサイトには「道の横を流れる六把野井水は江戸時代に桑名藩の行った水利開発の一つで、安政12年(1635)に完成した。今の北勢町麻生田にある大井口から員弁川の水を堰入れ、桑名市大仲新田山ケ道に至る流程12キロに渡る井水で、完成当時の受益面積は約460町といわれた」とありました。結局、このあたりでは員弁街道に沿って流れていたようです。本多忠勝が桑名に来てから着工したといいます。この先、北勢線楚原駅を過ぎたところにある「ねじり橋」があり、これが六把野井水にかかる橋ですから、そこで見ることにしましょう。神田屋敷は調べたものの、よく分かりません。手持ちの資料にも、ネットにも出てこないのです。

 この先穴太西の交差点から員弁街道は、県道14号線に合流します。こちらは、「現代の員弁街道」ともいえ、車の通行量がかなり多いところ。しばらく見るところはありません。ルートマップその2はここまでで、キリが良いので記事もここで区切りをつけます。

2020年4月 3日 (金)

20200403「勝手に養老鉄道ハイキング『専通寺のしだれ桜と羽根谷だんだん公園』(駒野)」(完)

Img_9711c  朝は5℃を切り、冷えましたが、日中は暖かくなるという予報でしたので、海津市にある専通寺のしだれ桜と、羽根谷だんだん公園の桜などを見に行くことにしました。散歩友達からも勧められ、ブロ友のくろしばくろまるさんも先日行っていらしたそうで、機会があればと思っていたのを実行に移したという訳です。名づけて「勝手に養老鉄道ハイキング『専通寺のしだれ桜と羽根谷だんだん公園』(駒野)」です。不要不急の外出を続けておりますが、「密閉」「密集」「密接」の3密ではありません。冒頭の写真は、帰りの養老鉄道の車内であります。

Komano  専通寺や、羽根谷だんだん公園へは我が家からクルマで30分ほどですが、今日も養老鉄道を利用しました。多度や養老の山でも眺めながら、のんびり行こうという次第です。桑名から1駅先のImg_9225c_20200403173001 播磨駅まで送ってもらい、8時47分の大垣行きに乗車。駒野駅には9時15分に到着。¥470。

Img_9244c_20200403173201  駒野駅にも、特産物をモチーフにした駅名表示板があります。グーグルマップで調べておい200403komano た地図をてに9時20分にスタート。いつも通り、ブラブラ、あちこち眺めながらです。が、いきなり大回りの道をとってしまいました(苦笑)。駅を出てすぐ左に行けばよかったのですが、それを見落としました。駅からすぐのところに市神神社があり、まずはそこに立ち寄り。ナイガイテキスタイルの工場脇を抜け、薩摩カイコウズ街道と国道258号線を渡り、海津市南濃町奥条地内を歩いたのですが、258号線を渡ったところで曲がるところを見逃し、スマホのグーグルマップに道案内され、専通寺へ。しだれ桜を見て、羽根谷だんだん公園へ。ソメイヨシノの、見応えある桜並木を眺め、上流にあるさぼう遊学館方面へ。ヨハネスデレーケが指導してつくったという「巨石積み堰堤(砂防ダム)」を見て駒野駅に戻るというコース。5.7㎞+αを歩きました。

Img_9267c Img_9270c_20200403174001  市神神社。猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀っています。創立年月日は不詳ですが、古来より崇敬が厚く、明治3(1872)年11月に再建したといいます。

Img_9259c  駒野招魂社が隣接してありました。招魂社の境内には、紀念碑。明治33(あるいは35)年Img_9262c に建てられていますので、日清戦争にかかわるものと思われますが、草木が生い茂っていて、詳細は読めません。

Img_9295c_20200403175001  途中、やや端折りますが、専通寺の近くにお地蔵様。こImg_9298c_20200403175001 のあたり、道が思っていたよりもかなり細く、微妙に曲がっていて、昔のままと思われます。このお地蔵様、なかなかよいお顔をなさっていました。

Img_9326c_20200403175401  黄金山専通寺。真宗大谷派のお寺。9時45分に着きました。ここは、しだImg_9308c れ桜で有名。樹齢二百数十年と百数十年の2本の親子しだれ桜があり、古くから地域の人々に親しまれているといいます。葉が出て来ており、時期的にちょっと遅かった気がしますが、さすがに立派でした。

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 私がついたときには、他には女性が一人、写真を撮っておられただけで、ほぼ独占状態で楽しめました。あちこち周りながImg_9318c_20200403175501 ら、写真を撮ってきました。ここ専通寺、ネットで調べたのですが、情報が出て来ませんでしたので、その由緒などは分かりませんでした。

Img_9391c  専通寺の山門とそこへ続く参道。いい感じでした。古刹という感じ。この参道入り口には、Img_9302c忠魂碑と「南無阿弥陀佛」の名号碑がありました。忠魂碑は、昭和8(1933)年5月に奥條在郷軍人青年会が建てています。名号碑は、昭和22(1947)年2月、奥條信濃會が建てたもの。

Img_9371c_20200403193701  さらに、その北には、「九条殿御納経地」という石碑がありました。「安政三丙辰年三月建之 黄金山」と刻まれています。九条殿があの九条家であるなら、藤原氏の一支族で、五摂家の一つとして代々摂政,関白に任じられることが多かった家ですが、詳細は分かりません。あまりにも想像をたくましくするのも何ですから、次へ(微笑)。

Img_9440c_20200403195101  専通寺から南へ300mほどいくと、羽根谷だんだん公園に行き着きます。さぼう遊学館巨石積堰堤を中心にした自然豊かImg_9466c_20200403195101 な公園です。今の季節、羽根谷に沿って約1,800本の桜が咲くそうです。とくに八重桜は、1,000本もあるといいます。ここは、本当に見事。桑名ですと九華公園や走井山が桜の名所ですが、ここに来てみて、羽根谷だんだん公園の方が見応えがあることを実感しました。

Img_9476c_20200403200701 Img_9486c_20200403195201  羽根谷は養老山系の代表的渓流で、昔は大雨ごとに大量の土砂を押し出し、広大な扇状地をつくり、津屋川や揖斐川を埋めて大洪水の原因となっていました。そこで、河川氾濫を防ぐため、明治6(1873)年に政府が招いたオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導で砂防工事が進められました。「砂防先達之碑」は、昭和62(1987)年9月に先人の業績に感謝して建立されています。

Img_9502c  上流の方向へ進み、さぼう遊学館のところを目指します。途中、八重桜の並木。すでに咲き始めていました。1,000本あるとImg_1674c_20200403195201 いいますが、ここはたぶんその一部。

Img_9530c_20200403195201 Img_9551c_20200403195301  前方に巨石積堰堤が見えてきます。これが、ヨハネス・デ・レーケの指導を得てつくられた砂防ダムです。羽根谷には多くの巨石積堰堤があります。ヨハネス・デ・レーケの教えにより、明治11(1878)年に着工し、明治24(189)年に完成しています。

Img_9554c_20200403195301  堰堤に使った石は、人がそりに乗せて運んでいたそうです。石を切り出した跡が、現在も残っているそうです。この明治時代Img_9573c につくられた砂防ダムは、現在も土石流から人々の暮らしを守るための働きをしているといいます。高台にあり、眺めもかなりよいものがありました。いや、来てよかったですねぇ。

Img_9597c  この巨石積堰堤は、さぼう遊学館のすぐ近く。ここで10時50分頃でした。ちょうど小腹も空いてきましたので、一休み(微笑)。近所の方からいただいたお菓子を持参していましたので、それをいただき、お茶を飲んで10分ほど休憩。奥に見えているのが、さぼう遊学館。ただし、新型コロナウィルスの関係で、4月12日までは休館中でした。

Img_9602c_20200403195301  11時に再スタートして、駒野駅まで戻ります。登ってくるときは背後(東)の景色はあまり眺めませんでしたが、帰り道、上から眺めるとかなりよい眺めでした。揖斐川を挟んだ海津の市街地から、名古屋の方まで見渡せます。こういう広々として、開けた空間は気持ちいいですね。日頃のモヤモヤを忘れさせてくれます。

Img_9616c_20200403203201  専通寺の方に戻り、ほぼ来た道を辿って駒野駅に向かいます。羽根谷だんだん公園を出てすぐのあたりで、Img_9639c_20200403195301 駒野駅まで1.5㎞、約20分。薩摩カイコウズ街道のところまで戻ったら、お地蔵さんと石碑があるのに気づきました。お地蔵様も石碑も詳細は不明。石碑には、「奉……」と刻まれているのですが、薄くなって判読困難。「嘉永七……」とあるような気がします。嘉永7年であれば、1855年で、この年に安政に改元されています。

Img_9657c_20200403195301  往きにもここを通ってきたのですが、駒野駅の南には、ナイガイテキスタイルの工場と、シキボウ物流センターがあります。Img_9653c_20200403204001 ナイガイテキスタイルは、シキボウのグループ企業。シキボウは、明治25(1892)年に有限責任伝法紡績会社として創業。私の世代には、敷島紡績という名前が馴染みがあります。私が通ったのは、西側のナイガイテキスタイルの工場脇。西側から見える範囲は、ちょっと荒れた感じ。祠と鳥居も見えたのですが、手入れはされていないような印象。繊維業ですから、最盛期にはさぞ栄えたと思います。

Img_9690c  駒野駅には、11時35分に戻って来ました。駒野駅に着いたときに時刻表を確認したつもりでしたが、どうもImg_9691c_20200403195401 大垣行きの時刻を見たようで、11時56分に桑名行きがあると思い込んでいました(苦笑)。実際には、11時43分に桑名行きがやって来ましたが、無事に乗車。¥470。播磨までと同一料金。帰りは桑名まで乗車。12時18分着、徒歩にて帰宅。

Img_9753c_20200403195401  ALKOOのデータ。歩いたのは、駒野で5.7㎞。桑名駅から自宅が0.9㎞ですから、合計6.6㎞。歩数は、14,158歩でした。けっこう疲れたようで、午後から1時間半も午睡を貪っておりました(苦笑)。

Img_9741c  オマケ。今日はあちこちでツバメが飛び交っていました。こちらは、桑名駅を出たところで見たツバメ。巣をつくって(修繕して)、営巣するのはもう少し先と思いますが、また、ツバメの巣の巡回もしなくてはなりません。

Img_9749c_20200403195401  オマケその2。マイソメイヨシノ。玄関先から見下ろした写真です。ここ何日か、新型コロナウィルスにまつわる動きについてぼやいておりましたが、よほどのことがなければもうやめておきます。例の「アベノマスク」は、経済官庁出身のお役人が、「マスク2枚を配れば、国民の不安は吹っ飛ぶ」と安倍首相に入れ知恵したという話があります。これが本当なら、まったくわれわれを舐めているとしたいいようがありません。呆れましたので、もうぼやくのも止めようと思った次第。いずれにしても、私も含め、皆様にはくれぐれもご留意、ご自愛ください。「移されない」というのも大事ですが、「移さない」配慮も大切と思っています。

2020年4月 2日 (木)

今日も東員町で花見とバードウォッチング……イヌナシの花リベンジ、藤川の桜並木と町天然記念物のトウインヤエヤマザクラ

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 晴れたものの、強風。午前中は、8m/s前後の風が吹いていました。ちょっと迷ったものの、東員町へ。イヌナシの花のリベンImg_8911c ジと、トウインヤエヤマザクラを探しに、です。まずは、山田溜公園へ。3つの溜池(北から上溜・中溜・下溜)を利用して造られた自然公園で、バードウォッチングも楽しめます。昨シーズンもちょくちょく来ていて、イヌナシが上溜近くにあるのを確認していました。ここは駐車場が少ないので、遅くなると満車で止められなくなるのです。

Img_1507c_20200402173101  冒頭の写真にあるように、南側から見て、向かって左の上の方には花が咲いているのですが、全体としては少なめ。「山田半ノImg_1514c 木谷イヌナシ自生地」として、東員町の天然記念物に指定されています。イヌナシは、野生なしの中でもっとも原始的な種で、4月に白い花が咲き、6月に1センチ位の果実を結びます。マメナシともいわれます。先日も書きましたが、桑名、四日市、東員など伊勢湾周辺に分布しています。

Img_1534c_20200402173101  イヌナシの花を撮っていたら、ヤマガラが出てきました。今シーズンは、いつもの散歩コースでは見られず、Img_1562c 北勢中央公園で見ただけでした。ちょうどソメイヨシノが咲いているところをバックにポーズを取ってくれました。さらに、メジロも。いやぁ、これだけで今日、プチ遠征してきた甲斐があると思えます。イヌナシの木の近くでは、ツグミも目撃。

Img_1574c_20200402173201  ついでにということで、山田溜公園を一周してきました。シロハラ、シジュウカラ、ヒヨドリ、カワラヒワ、ホシハジロのオス、カルガモ、コガモのオスなども確認。左の写真は、シロハラ。ウグイスもあちこちで鳴いていました。動画で音声を録ったのですが、動画の最初と最後に鳴き声が聞こえ、間が空いてしまっていますが、よく聞こえますので、載せておきます。

Img_8964c_20200402173201  山田溜公園には8時50分から9時35分まで滞在。イヌナシの花は、もう1ヶ所、先日行った鳥取神社にもありますが、その前Img_8968c に去年もチョウトンボをよく見に行った万助溜公園へ立ち寄り。こちらでもウグイスがよく鳴いていましたが、あいにく姿は見つけられず。コゲラも同様に、鳴き声のみ。ジョウビタキのオスが出てきたものの、一瞬。ピンぼけで黒っぽい写真のみ。セグロセキレイは、逃げられ写真は撮れず。こちらも撮れたのは、シロハラの写真のみ。ブロ友のmakoさんによれば、しばらく前はカワセミ狙いと思われる方がいらしたようですが、今日は、ウォーキングの人のみ。公園を一周してオシマイ。ここの駐車場から、次に行く鳥取神社まで片道1㎞ほどのウォーキングコースがあります。往復2㎞なら歩くかという気もしたのですが、鳥取神社の後でトウインヤエヤマザクラを探そうと思っていましたので、楽をしてそのままクルマで。万助溜公園には、9時50分から10時15分。

Img_9118c  鳥取神社。10時20分到着。神社近くに来たら、お参りせずにはいられません。静かで、雰囲気も気に入っています。手入れもよくしてあり、Img_9111c 気持ちの良い神社です。拝殿前の燈籠のところ、桜が咲いてなかなかよい景色。

Img_8986c Img_8993c_20200402173201  神社の北にイヌナシの木があります。月曜日は、曇天でしたので、今イチの写真しか撮れませんでしたので、これが今日のリベンジ。左は、東側の入り口から見上げたもの。この位置から撮ると、手前右にあるソメイヨシノが一部、写り込みます。右は、公園内に入って、東南角の柵ギリギリから見た景色。やはり、花は青空の下で見た方が綺麗です。

Img_1599c Img_1597c_20200402180601  風が強かったのでクローズアップは、連写でとにかくたくさん撮って、その中からマシなものをチョイス。先日より開花は進み、ほぼ満開状態。木の周りを潜って、あちこちから眺め、満足。今度は、6月、実がなっているときに来なくてはなりません。

Img_9053c_20200402173201 Img_1611c  鳥取神社のところは、先日の記事にも書きましたが、藤川が流れていて、川の両岸に桜並木があります。日曜のハイキングで、ここから850mほど下流の員弁街道・藤川橋を渡りましたが、そこにも桜並木がありますから、川沿いにずっと桜が植わっているのだろうと思います。左右の写真は、神社のところの橋から1つ下流にある橋からの眺め。いずれも神社の方を撮っています。これで風がなければ、ここで弁当でも食べたいくらい(微笑)。

Img_9038c  こちらは、藤川の北を走る道路からの眺め。遠くには、多度や、鈴鹿の山並みが見えます。いや、こういう広い空間は気持Img_9100c_20200402173301 ちよい。人もほとんどいませんし、新型コロナウィルス云々を忘れて、気持ちが解放されます。右の写真は、桜の根元にタンポポが咲いていたので、何か面白い景色が見えないかと思ったもの。ウ~ン、今イチか(苦笑)。

Img_9088c_20200402173201  レンギョウが咲いているところがあったので、同じような発想で1枚。ここでは30分ほどウロウロして写真Img_9096c を撮っていたのですが、その間、他の花見客は2組のみ。女性3人組と、私より高齢と思われるご夫婦。このご夫婦は、お二人ともカメラを持っておられ、撮影を楽しんでいらっしゃいました。

Img_9130c_20200402173301 Img_9132c  さて、トウインヤエヤマザクラです。最初に訪れた山田溜公園にもあるのですが、それは二代目で(平成29(2017)年秋、初代が枯れたそうです)、まだ十分育っていません。もう1本が、弁天山厳島神社にあるということで、住所をナビにいれ探しに。カーナビでは結局、うまくたどり着かず、最後は、スマホのグーグルマップをナビにして、厳島神社には11時10分に到着。城山小学校の東の小高い山の上にありました。こちらは2号。神社については、また改めて書くか、後で追記します。

Img_9181c Img_9166c  神社までいったん登って、それから拝殿の北東側へ降りていくと森の中にありました。案内看板がきちんとしていますので、迷いません。現地には、「トウインヤエヤマザクラ(第2号)自生地」という看板があり、説明が書かれています。平成8(1996)年に三宅耕三さんという方が発見されたもの。奈良の八重桜に似ているものの、葉や花柄に毛がなく、1つの花にめしべが2本あるものがあり、花が終わると柄の先に2つずつ実が並んでつくという学術上価値が高いヤマザクラといいます。

Img_1633c_20200402173301  こちらは、花のクローズアップ。ヤマザクラは、同一地域の個体群内でもImg_9174c_20200402173301 個体変異が多いそうで、開花時期、花つき、葉と花の開く時期、花の色の濃淡と新芽の色、樹の形など様々な変異があるといいます。八重のヤマザクラが他にあるのかどうか、不勉強にして知りませんが、それはともかく、きれいなピンク色の花が咲いていて、探してやって来た甲斐がありました。今日歩いたのは、合計3.8㎞と短かったのですが、2つの公園と厳島神社はけっこうアップダウンがあり運動になりましたし、イヌナシの花もトウインヤエヤマザクラも見られ、満足。

Img_9206c_20200402173301  ところで、私がお世話になっている江戸橋方面の授業がどうなるか気になっていましたが、結局、連休明け開講に変更したという連絡がありました。4月5日に予定された入学式は中止。オリエンテーションも5月の連休明け。ということで私の出講も5月13日からとなります。この春入試に合格して、入学が決まった1年生の皆さんは、入学式もなく、登校もできずで、喜びと不安がない交ぜになった、宙ぶらりんの状況に置かれ大変でしょう。短大ですから、2年生の皆さんは就活や編入などに向けた活動を始めなければならないところで、これまたどうしたらよいか、大変心配でしょう。お盆前まで授業、お盆の頃前期試験。試験が終わってもう1回授業と変則的なやり方にならざるを得なかったようです。非常勤講師の私は、専任の教職員の方に比べれば責任も軽いのですが、専任の皆さんはてんやわんやしておられることと思います。

Img_1641c_20200402173301  もう一つ。ぼやきが増えていますが(苦笑)。「一世帯に布マスク2枚を配布する」件が話題になっています。「後手後手に回った上に、やることがショボい」というのが、最初の率直な感想(もっともこれを実行するとなると、普通郵便(84円)を利用したとしても、日本の全世帯に配布するのにそれだけで約42億円、マスクの費用、作業にかかる人件費を含めると、軽く100億円を超えるという話がありますから、ショボいというのは不適切な表現かも知れません)。それに私の周囲の女性や、知り合いに聞くところでは、「布マスクなら自分で作れるから、いらない」という声が多数。費用対効果なんて考えてない? こんなこと(と敢えて書きますが)やって、国民が本当に助かって、喜ぶと思っているんでしょうかねぇ。国民や国民の暮らしをいったいどんな風に捉えているのでしょう。総理大臣が、さも大したことのように表明することではないと思うのですが(ご丁寧に、洗うと繰り返し使えると原稿を読み上げたとか)、ヒマな年寄りの杞憂に終わればよいのですが……。

 ということですが、私は、必要な予防に気をつけた上で、「3密」には近づかず、相も変わらず「淡々と飽きもせず……」であります。最後の2枚は諸戸氏庭園前のマイソメイヨシノ。ほぼ満開。自然はいつも通り、移り変わり、楽しませてくれるのが何ともありがたい。

2020年4月 1日 (水)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(その1)……北勢線星川駅をスタート、星川神社、星川山安渡寺、森忠名神明神社、ヤマモリの工場を見て、天皇八幡神社、市天然記念物のクロガネモチの木へ

200329hoshikawatouin  3月29日に「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」に行きました。今回は、その本編その1です。昨今の状況下では、不要不急の外出に間違いはありませんが、人と接触がきわめて少ない、旧街道を歩くハイキングなら、コロナの感染リスクも低く、健康増進にもよいと勝手に考え、3月15日の「益生(三ツ矢橋)~星川」に続いての第2弾として、三岐鉄道北勢線の星川駅から、桑名の隣の東員町にある北勢線・東員駅まで歩いてきました。休日の北勢線は、1両にせいぜい数人の乗客、歩いているのは旧街道で人混みとはほど遠い。昼食だけはカフェレストにてという次第。

Img_8071c_20200331203101  当日は、朝、雨がわりと遅くまで残りましたので、スタートを11時に変更。三岐鉄道北勢線西桑名駅を10時35分に発車Img_8085c する楚原行きに乗車。星川駅には10時48分着、¥240。実際には、10時55分にスタート。今日も、前回同様、K氏、M氏との「オッサン三人旅」。私の悪影響を受けたのか、お二人とも「是非とも行く」という意気込み(微笑)。何だかツアーコンダクターになった気分。「太一丸ツアーズ」か、「mamekichiトラベル」という会社でも立ち上げようかと思ったりします。

200329hoshikawatouin1  さて、実際に歩いたルートマップの詳しいもの、その1。星川駅を出て南へ。町屋川(員弁川)の堤防に突き当たるところからが、員弁街道。右折して、西に向かいます。1㎞までの間に星川城跡、星川神社、安渡寺とあります。星川の町を進み、森忠名神明神社(マップでは名神明神社)に寄って、2㎞を過ぎたところで天皇八幡神社(マップでは八幡神社)と市天然記念物のクロガネモチの木を見ます。続いて、道標を1つ確認してから七和駅の方に入って薬師堂。

Img_8089c_20200331211701  星川駅を出て300mほどで嘉例川(かれがわ)を渡ります。嘉例川は水量が少なく、すぐに枯渇するため、「枯川」の意味で名づけられたといいます。上流には、市天然記念物の「ヒメタイコウチ」が生息します。ヒメタイコウチ(姫太鼓打)は、カメムシ目タイコウチ科に属する小さな水生昆虫なのですが、私は見たことはありません。絶滅が危惧されていて、嘉例川地区ではビオトープを整備するなど保護事業も行われています。

Img_8087c_20200329180801  嘉例川を渡るあたりから進行方向(北西)を見た写真。中央に見える白い建物(万代家具)に向かって左手あたりに星川城がHoshikawacastleruin ありました。室町時代、春日部若狭守が居城したといいます。春日部氏は、旧朝明郡萱生(現在の四日市市萱生町)の豪族で、星川城主はその一族。織田信長の伊勢侵攻の時に滅んだといいます。現在は、はっきりした遺構はないようです(こちら)。右の画像は、桑名市教育委員会の文化財のサイトにある遺跡分布図に目印を記入したもの(こちら)。オレンジの網掛け部分が、星川城跡と考えられています。青いルートが員弁街道。

Img_8091c_20200331212901  嘉例川から少し先の員弁街道の様子。ゆるやかな登り坂になっています。偉そうにM・K両氏を引率して歩いていましたが、この先、実は未知の土地(苦笑)。予め調べて自作したコースマップを見ながらの道中なのです。

Img_8093c_20200329182201  星川駅から600mほどで星川神社。街道の北側に「延喜式内星川神社/神厨星川神明神社」と刻まれた社号Img_8109c_20200331213401 標があります(明治34(1901)年建立)。右は、一の鳥居。

Img_8106c_20200331213401  御祭神は、天照皇大神。相殿神は、須佐之嗚命(すさのおのみこと)、大山祇神(オオヤマツミノカミ;山の神)、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと;五穀、食物をつかさどる神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)。一説によれば、この地を開拓した星川武彦命の祖先を祀るともいいます(勢桑見聞志抄)。社伝によれば、創立は応神天皇時代とされますが、詳細は不明。明治40(1907)年11月に八坂神社、御厨神明社、山神社を、また、同45(1912)年2月に大字仲新田の稲荷社を合祀しています。ちなみに、勢桑見聞志抄は上巻が、桑名私立中央図書館のサイトで見られます(ここ)。

Img_8102c_20200331213401  神社は、台地の上にあります。社殿の背後は、この写真のようになっていて、「このあたりも星川城の範囲だったのかという気もした」と予告編に書いたのですが、上記の遺跡分布図によれば違ったようです。しかしながら、地図や資料を見たり、現地に行ったりして、あれこれ想像をたくましくするのは楽しいものです。

Img_8115c_20200329183101  街道に戻って、1㎞の手前に星川山安渡寺(ほしかわざんあんどじ)。ここは、特定の宗派には属さない単立Img_8130c_20200331220201 の寺院。ご本尊は、平安時代の聖観世音菩薩(桑名市指定文化財)。蓮華座、仏身約35cmの檜の一木造りで、平安中期の作とされます。伊勢巡礼30番札所といいますが、この「伊勢巡礼」は不明。

Img_8120c_20200329183201  奈良時代、行基によって創建され、その昔、本堂裏に行基の腰掛松があったといいます。星川城主・春日部Img_8148c_20200329183201 若狭守によって大伽藍が建立されたといいますが、織田信長の兵火で焼失したといいます。鎌倉時代から「星川の観音さん」として知られていたことが、四日市市南富田町の善教寺が所蔵する阿弥陀如来像の胎内文書に記されているそうです(こちらにその紹介があります)。子安観音として安産守護の霊験あらたかで、また開運・厄除けの守護としても人びとから篤く信仰されています。

Img_8152c_20200331220501  境内には、見事なしだれ桜(左の写真)とソメイヨシノがありましたし、ここからの眺めはかなりよいものImg_8122c があります。

Img_8158c_20200401071602  安渡寺を出てしばらく行くと森忠に入ります。員弁街道は、左の写真のような感じ。前回の三ツ矢橋から星川あたりは、クルマもほとんど通らなかったのですが、星川から西は、けっこう車が頻繁に通ります。このあたりの方が、前回歩いたところよりも住宅が多いからなのだろうと思います。旧東海道や、旧伊勢街道(参宮街道)も生活道路になっているところが多かったのですが、員弁街道のこのあたりもそうなのでしょう。

Img_8159c_20200329193301  森忠名神明神社(もりただなしんめいじんじゃ)が、1.2㎞ほどのところにあります。ちょっと珍しい名前の神社です。主祭Img_8169c_20200329193301 神は、天照皇大神。相殿神は、大山津見命。創始は不詳。古代、このあたりは伊勢神宮の領地で、「守忠」あるいは「盛忠」という人の名田(みょうでん)でした。神宮の領地管理に貢献があったので、その名が地名となったといいます。守忠/盛忠の名田に建てられた神明社から、神社の名前が来ています。

Img_8176c  この神社の境内には、「伊勢神宮遙拝所」と、「神武天皇遙拝所/明治天皇遙拝所」の石碑がありました。写真で向かって左が伊勢神宮遙拝所です。さほどたくさん見て回ったわけではありませんが、桑名市内の神社では、こうした遙拝所は初めて見ました。両遙拝所とも、皇紀二千五百八十三年(大正12(1923)年)に山上甚兵衛という方が建立しています。

Img_8171c  拝殿に向かって右手(東)にもう一つ、社殿がありました。神社検索三重のサイトには、「末社火産霊社(祭神火産霊命)」と、村内の「山神社(祭神大山津見命)」が、いずれも明治40(1907)年に合祀を許可されたとありますので、これらのどちらかかと思います。

Img_8188c  2㎞ほどのところにヤマモリの桑名工場があります。ヤマモリは、明治22(1889)年創業。三林専太郎が、Img_8190c 味噌・しょうゆ醸造業を始めました。今日では、それ以外にもかまめしの素、レトルト食品なども製造しています。三重大学カレーや、桑名カレーのレトルトもつくっています。ちなみに、昭和42(1967)年に日本で初めて「袋詰液体スープ」を発売したそうです。工場の正門脇に朱い鳥居が並んでいましたので、お稲荷さんが祀ってあるかと思いきや、猿田彦さんでした。工場、会社などにはお稲荷さんが定番だと思っていました。猿田彦さんは、導きの神様ですから、これもありかも知れません。

Img_8194c  ヤマモリのすぐ先の北に天皇八幡神社。芳ヶ崎(はがさき)の産土神。春日社と牛頭天王社を相殿とします。御祭神は、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、素盞嗚命(すさのおのみこと)、火産靈命(ほむすびのみこと)、大山津見命(オImg_8199c オヤマツミノミコト)、天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)。由緒は不詳ですが、鳥居は文化2(1805)年に再建した記録があるといいます。

Img_8209c_20200403051901  境内には、拝殿横に順正稲荷大明神があります。以前には、このあと訪れる薬師堂の南に鎮座していたのでImg_8203c_20200403051901 すが、祠の老朽化もあり、建て替えて、平成24(2012)年11月に遷座。拝殿の屋根瓦には菊の紋章らしき模様がありましたが、よく見ると花弁が12枚。本物の菊の紋章は「十六八重表菊」ですから、異なったもの。ちなみに、天皇八幡神社という名前も、牛頭天王辛きていると説明がありました。

 ここの社号標に「村社」とあるのを見て、M氏から「村社とは?」と尋ねられました。神社には、その等級を示す「社格(しゃかく)」がありました。歴史的にそのあり方は変遷していますが、明治以降は、官幣の大社、中社、小社、国幣の大社、中社、小社、別格官幣社、府社、県社、郷社、村社、無格社などの別が定められました。第2次世界大戦後廃止されていますが、今でも「旧社格」といって、神社の格を表す目安になっています。Wikipediaの「近代社格制度」に詳しく説明がありますが、端的には、どこから奉幣(ほうへい)を受けるかということです(ちょっと乱暴な結論ではあります)。

Img_8222c_20200329194501  天皇八幡神社の南、員弁街道を越えたところに市の天然記念物に指定されているクロガネモチの木があります。クロガネモチは暖地に生える常緑高木。これは、天皇八幡神社のご神木で、地元が大切に守っていますが、剪定などはしてはならないとされているそうで、周囲にお住まいの方にはご苦労もおありのようです。多数の枝を四方に張り見事な傘状をした名木です。

 長くなりそうですから、ひとまずここで区切りとします。その2は、この近くにある九華はちみつ、道標、薬師堂から。 

 

いつのまにやら新年度を迎えました

Img_8575c_20200401152401 Img_8579c_20200401152401  雨模様の日が続いていますが、今日午前中は曇り。相談会の報告書を郵送しがてら9時半から11時過ぎまで散歩してきました。住吉入江から八間通の郵便局に立ち寄って、九華公園へ。公園内をほぼ回り終えた頃からポツポツと降ってきました。傘は持って出ましたので、傘を差して、京町から寺町商店街のアーケードを通り抜けて帰宅。4.5㎞。きちんと歩いたのは、日曜の員弁街道ハイキング以来。冒頭の2枚の写真は、マイソメイヨシノ。かなり咲きました。晴天のもとで見たいもの。

Img_8710c_20200401152401  雨が降っていないうちにと思った方は案外多いようで、花見がてら散歩という方がけっこうありました。左の写真は、九華公園Img_8726c_20200401153701 本丸跡の藤棚近くのソメイヨシノ。ここだけ見ればほぼ満開。新聞情報では、今朝も「咲き始め」でしたが……(苦笑)。観光協会も手を抜かずに観に来ればいいのに。

Img_8656c  外周遊歩道の南、二の丸橋の東側あたりもよく咲きました。木が大きく育っていて、ボリュームImg_8838c_20200401152501 がありますから、満開になると見応えがあります。新型コロナウィルスの影響でさくらまつりは中止となり、露店も、堀めぐりもなくなり、静かに楽しめます。関係者の皆さんには大打撃なのですが、ゆっくり見て回れるのはありがたいところ。

Img_8633c_20200401152401  カモはまだ38羽ほど滞在中。「ゆる鉄写真」ではありませんが、「ゆる鳥写真」を狙ってみました(微笑)。ハシビロガモは雄Img_8627c 1羽のみ、ホシハジロはオス2羽にメス1羽。久しぶりにヒドリガモが2ペア。他はキンクロハジロでした。ユリカモメは、例年4月になると、来ないのですが、今日は8羽。夏羽にモデルチェンジ中のものも散見されます。

Img_8769c_20200401154501  キンクロハジロたちの多くは、身繕いに夢中(左の写真)。旅立つのも近いかなと思わされます。この冬もしっかり楽しImg_8660c ませてもらいました。右の写真は、ヒドリガモのオス。

Img_8679c  他の野鳥はそれなりにいたのですが、この天気ではいけません。シメは朝日丸跡にて。このImg_8649c_20200401154801 ほかツグミを2羽、メジロ、シロハラ、コゲラも見かけましたが、今日持っていたのは超望遠コンデジ。追いつきません。やむなく、ヒヨドリで。

Img_8712c  鎮国守国神社の境内で梅の木をよく見たら、小さな実がImg_8666c_20200401155001 なり始めていました。イロハモミジは、右の写真のようになっていました。といっても、よく分かっていないままに写真だけを撮ってきました。勉強します。

Img_8851c  京町で石取会館の前を通ったら、再開されていました。新型コロナウィルス感染予防策を採った上で開館したとあります。こImg_8852c_20200401152501 のほか、図書館なども再開されるようです(こちら)。「これは、博物館もか!?」と期待して、近くにある博物館も見にいったのですが、こちらはまだでガックリ(ここ)。春季企画展「刀剣幻想曲」が見たいのです。会期は5月10日までの予定ですから、見られないまま終わるのかも知れません。桑名宗社(春日神社)では、「宝刀村正特別公開」が3月28日(土)~4月4日(土)に予定されています。以前チェックしたときは(2/28)、通常通り開催予定となっていましたが、どうなったでしょう?

Img_8868c  いつもと違う状況の中、新年度を迎えましたが、年度が替わったという感じがあまりしません。江戸橋の非常勤先も、入学式を中止し、授業を10分短縮して実施する以外は予定通りという連絡がありましたが、あちこちで大学は、授業開始時期を遅らせたり、遠隔授業を企画したりしていますので、個人的には先行き不透明だなと感じています。関わっている研究会の1つは、7月までは休会しようと検討中。もう1つの別の研究会は、4月に企画していた催しは取り敢えず、延期としました。

Img_8862c  政治家は、これまでのところ私の見る限り、「口は出すが金は出さない」、「利権は守ろうとするものの国民はほったらかし」、「自分自身のことしか考えていない」です。自粛を要請するのであれば、それを補う具体的な対策がセットになっていなければなりません。根拠に基づいたルールを示さなければ、国民の行動は変わりません。役人の書いた原稿を棒読みして、「リーマンショックの時以上の対策」と抽象論だけを振りまくのは論外。身内の行動さえコントロールできない人がリーダーで大丈夫かよぉ、と突っ込みたくなります。「飯の食い上げ」状態になっている方も多いと思うのですが、所得制限をつけて商品券を配る(牛肉券とか、魚券という話もありましたが、真面目に考えてるのか、真面目に考えてそのくらいなのかと呆れます)とか。安心して、安全に暮らすことができるようにするのが、政治家の仕事のはず。

Img_8874c_20200401161701  と昔のぼやき漫才のようなことを書きましたが、皆が「これならしばらくは何とかやり過ごせる」と思えないと、この状況を乗り越える力にならないと思います。かく申す私は、例によって「淡々と飽きもせず……」精神で暮らしていくつもり。最後から2枚目の写真は、桑名別院本統寺の門前のソメイヨシノ。左の写真は、我が家近くの玉重橋のたもとの桜。エドヒガンザクラの系統と聞いた記憶がありますが、ちょっとアヤシい。

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  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)