20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(その2)……東汰上から深谷の町を見て回り、下深谷駅にゴールにて「完」
3月1日に行ってきた“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)”のその2です。その1では、川口町と江戸町の境にある美濃街道の起点をスタートし、三崎見附跡、北桑名神社、西浄寺、上之輪神社を経て、東汰上(ひがしゆりあげ)あたりまで来ました。
多少、前後しますが、東方や東沙上あたりの様子から。JR関西線と近鉄名古屋線の鉄橋を潜って西側へ。この
あたりにはNTN桑名製作所の工場などが集まっています。コミュニティバス・明竜町の停留所近くで、JR・近鉄の鉄橋をふと見たら、「湿地橋橋りょう」と書いてありました。この東には上之輪新田が広がっています。なるほど湿地だったのかと妙に納得。
その先の地名は、「東沙上」。桑名には、「養老-桑名-四日市断層帯」が走っています。「東沙上」とは、何だか気になる地名です。ここにある報告によれば、汰上付近で調査した結果、「養老・桑名断層の上下方向の平均変位速度はそれぞれ6.5m/千年、2.1m/千年以上と計算されるが、前者は平均を求める期間が短いため、実際より値が大きくなっている可能性がある。以上のデ-タから、養老・桑名断層の過去約1万年間の平均変位速度を、3.3-3.5m/千年(上下方向)と推定する」だそうです。活断層ですから、ちょっと怖い。1回の活動によるずれの量が約6m(上下成分)と推定されることから、過去にマグニチュード8程度の大地震を繰り返し発生させたと推定されるそうです(こちら)。「古地図で楽しむ三重(目崎茂和著、風媒社、2016年)」によれば、桑名駅あたりから桑名高校の西側にかけて4段の階段状地形が見られ、標高差は4段合わせて30mにも及ぶそうですし、丘陵全体では60mの高低差があるといいます。古くからの地名には、関心を払うべきです。
このあたりで目を惹いたのは、「日本キャタピラー桑名ヤード」でした。ショベルカー、ホイルローダなど重機の会社。新品
の働くクルマが実にたくさん置いてありました。幼い男の子でしたら、飛び上がって喜びそう。東沙上のバス停を過ぎ、くわな幼稚園の前を通ると、東名阪自動車道桑名東インターが近づいてきます。
このあたりから実測ルートマップは、その3へ。実際に歩いたルートは薄いブルーでトレー
スしてあります。「桑名東インター入り口」交差点のところでは、オレンジのラインが入れてありますが、こちらが本来の美濃街道のルート。しかし、ここに降りる道が途切れていますし、もしそちらをいったとしても国道258号線をそのままでは横断できません。そこで、「桑名東インター入り口」交差点を回ります。ここでスタートから4㎞、時刻は9時40分。1時間5分で4㎞ですから、よいペース。
桑名東インター入り口交差点を渡って、美濃街道に戻り、東名阪自動車道の下を潜るというか、桑名東インターのすぐ脇を通って行きます。ここからの道は、今まで来たことがありません。
桑名東インターのすぐ北に「ニューギン」という会社があります。以前からどういう会社か気になっていましたが、今回、改めて調べて見たら、「各種遊技機の開発・製造」をしている会社でした。ここは、工場で本社は名古屋。要するにパチンコ台を開発、作成しているところのようでした。
下深谷部の町を歩いて行きます。道の広さ、曲がり具合など、いかにも昔からの街道という
イメージです。古い看板もあちこちに残っています。右の写真の看板には、「桑名新警察署前」とあります。今も、ナカムラ設備工業という会社があり、電話番号も同じです。古い看板を見るのは、けっこう好きなのです。ちなみに、このあたりの東、国道258号線を越え、揖斐川沿いには「屋長島城址(柳ヶ島城址)」があるのですが、かなり大回りになりますから、今回はパス。ここも、長島一向一揆の拠点でした。
下調べをしていたとき、地図で稲荷神社があるのを見つけましたので、立ち寄るつもりでした。5㎞の手前で右折し、東へ。稲荷神社に着く前に、とあるお宅の屋根に「鍾馗様」を見つけました。歩く時には、いささか気にしているのですが、久しぶりに「新発見」。詳しくはないのですが、比較的よく見かけるタイプのようです。
目的の稲荷神社は、スタートから5.1㎞のところにありました。神社検索三重には載っていません。柵に囲ま
れ、入り口もあったものの、施錠されていてお参りはできません。「正一位稲荷大明神」という石柱があります。「御稲荷の歴史」と題した由緒書がありました。「正一位開運稲荷大神爾(?)」「右今般依誓願大式令授共畢竟敬不可怠者也」とあるように読めます。後半は、「右、今般、誓願により、大式を令授すると共に、畢竟(つまるところ)、敬うところ怠らずべからずものなり」ということでしょうか。読み方は、かなりアヤシいのですが(苦笑)。明治34(1901)年4月6日、官幣大社稲荷神社社務所とあります。「官幣大社稲荷神社」は、今の伏見稲荷大社のこと。岐阜県の山中藤七という人物に当てられた文書(「證」とありますから、「証明書」か?)を彫ったもののようです。最後にお二人の方のお名前がありますが、その日付が異なるのも気になります。
疑問は解けたような、解けないような(苦笑)。それはさておき、ここで興味深かったのは、神使の狐さん。稲荷社をたくさ
ん見て回ったわけではありませんが、こういうのは初めて。お参りできなかったのもちょっと残念。
美濃街道に戻って、100mほど行くと、真宗大谷派の深江山南楽寺(ふかえざんなんらく
じ)が西に見えます。平安時代初期の天長元(824)年に天台宗の僧院として建立されましたが、織田信長の伊勢侵攻の時、兵火で焼失し、再建後、浄土真宗に改宗し現在まで続いています。以前は、深江山阿弥陀寺といい、正保2(1645)年にここに移ってきたそうです。頌徳碑が1基あったのですが、黒ずんでいて判読困難でした。また、山門手前のお宅に犬が何匹かいて、出入りの時かなり吠えられてしまいました。不審人物と思われた?
南楽寺の先で、本日最大のミッションがありました。出がけに「今日は下深谷まで歩いてくる」といったら、家内から「末広屋さんでみたらし団子を買ってくるように」という課題を与えられたのです。和菓子その他を売っておられるのですが、団子は店でつくっていらっしゃいます。以前にもここのみたらし団子を食べたことがあり、美味しかったのです。電話しておいてもらい、10時過ぎに立ち寄ってきました。10本で¥750と超お得。
最大のミッションを果たし、気分も軽く歩き続けます。末広屋さんから50mほどで流石川に突き当たり、美濃街道はここで
左折し、西に向かいます。この曲がり角、流石川の右岸に地元の方が「角の地蔵」と呼ぶ地蔵堂があります。「地蔵」といいながら、祀られているのは、如来様。ただし、「くわな史跡めぐり」には「薬師如来」とあるのに、「みえの歴史街道ウォーキングマップ」には「阿弥陀如来」とあり、私にはどちらが正しいのか、判別できません。
下深谷駅の北側あたりを西に、流石川に沿って歩いて行きます。郵便局もあり、コミュニティバスのバス停
は「深谷町中」とありましたから、このあたりは町の中心かもしれません。スタートから6㎞を過ぎたところで、街道は北向きに曲がり、小さな四差路に来ます。右の写真の交差点です。ウッカリしていると通り過ぎそうですが、今回の美濃街道歩きはここまで(ここで10時20分頃)。左折して、深江神社や西林寺に向かいます。左折した先には、養老鉄道の踏切。
深江神社です。深江(ふかえ)はこのあたりの古名。勧請年月は不詳ですが、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に「伊勢国桑名郡深江神社」とありますので、いわゆる「式内社」と考えられます。ここも、織田信長の伊勢侵攻の時、兵火に焼かれました。桑名藩主・松平定勝の子・定実(さだざね)が深く信仰し、元和8(1622)年、社殿を寄進し、現在に至るといいます。
主祭神は、天之菩毘能命(アマノホヒノミコト)と、天照大御神。相殿神は、宇迦之御魂神、大山津見神、武三熊之大人(たけみくまのうし;『古事記』では建比良鳥命(たけひらとりのみこと)とされる。「建」は「勇猛な」、「比良」は、「縁(へり)」と同源であり、物の端・隣との境界の意と解し、名義は「勇猛な、異郷への境界を飛ぶ鳥」と考えられる。『古事記』では、天之菩卑能命の子)、火之加具土神、市杵島姫命、国底立命(クニノソコタチノミコト;「日本書紀」では、天地開闢(かいびゃく)のときあらゆる神に先立って現れた第一神。国土生成の中心的神とされる。「古事記」では、国常立神の名で、第6番目に現れた神)、大山咋神(オオヤマクイノカミ;「咋」は「杭」で、神が依り憑く棒を神格化した神とも、山頂の境界となる棒を神格化した神ともいわれる)、意富伊我都命(おおいかつのみこと、おほいかつのみこと;火に関わるとされる天津彦根命の孫ともいわれ、刀鍛冶の守護神)、倭建命(やまとたけるのみこと)、大物主命(おおものぬしのかみ;奈良県の三輪山に鎮座する神で、大神(おおみわ)神社の祭神。大国主神の異名ともいう。蛇の姿をしており、農業の守護神でもある)。相殿神がたくさんいらっしゃり、しかも、初めて目にする神様もありました。神社の西側には、西林寺がありますから、かつては神宮寺として習合関係があったかも知れません。
深江神社のすぐ西に西林寺。現在は、真宗本願寺派ですが、永正6(1509)年、北廻城主・近藤家教が父の菩提を弔うために創建しました。当時は、禅宗の済林寺。天正2(1574)年、本願寺第9世実如上人(蓮如上人の5男;「御文(おふみ)」を布教の指針としました)により、真宗に改めました。織田信長の伊勢侵攻の時、焼失し、後再建されています。
この西林寺の裏山あたりが、北廻(きたはざま)城址といわれます。織田信長の侵攻によって滅ぼされましたが、北廻城は堅固な城であり、信長勢(滝川一益)も攻めあぐねて、ついにトンネルを掘って、地下から攻め登ったといいます。籠城したのですが、水がなくなったのを知られないため、馬を洗うのに白米を用いました。遠目には水に見えたからです。これによって「白米城」とも呼ばれました。北廻城主であった近藤氏の子孫が、この西林寺の住職になっています(こちら)。このあと、近くの公園で小休止。この日最後の目的地である飛鳥寺を目指します。
県立桑名北高校の裏を回って、飛鳥寺に登っていきます。西林寺も、飛鳥寺も一度近鉄ハイキングで来たことがあり、そのと
きのルートを辿っています(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。飛鳥寺の手前で梅が咲いていましたので、写真を撮っていたら、背後に誰かいるような、何か動いているような感じで、背中がぞくぞくします。そーっと振り返ったら……。
何とニホンザルの集団。仰天はしませんでしたが、ビックリ。たぶん20頭以上いたと思います。林や、飛鳥
寺の墓地に子連れのニホンザル。毛繕いをしたり、何かを食べたり、遊んだり。近くの方に伺ったら、屋根の上を飛び回ったり、畑の作物を食い荒らしたり、大変な迷惑だそうです。この方によれば、「サルは、昔はいなくて、多度から来た。子ザルも生まれて、増えて困っている」ということでした。
ちょっとビビりつつも、坂を登って、雨尾山味光院飛鳥(ひちょう)寺に到着。スタートから7㎞を過ぎ、 11時少し前。東寺真言宗のお寺。ご本尊は、十一面観世音菩薩。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。延暦13(794)年、大和国生駒山周辺から黄金の花瓶(けびょう;十一面観音の持物)を喰えた霊鳥が、現在地より2km山中の坊ケ谷に飛んで来て、美声にて仏法を説いたといいます。その噂を聞きつけた弘法大師が来山し、霊鳥が十一面観音に変化したそうで、弘法大師は、早速、感得されたお姿を一刀三礼して等身大の御尊像を刻み草庵に安置し、霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺(ひちょうじ)」と名付けたことに始まります。最盛期には、寺域一里半、寺領千石、12の坊舎が並ぶ密・律・禅の名刹となっています。しかし、ここもご多分に漏れず、元亀2(1571)年、織田信長の伊勢長島の一向一揆攻略により全山灰燼に帰し、小堂一宇を残すのみとなりました。その後、寛永12(1635)年、桑名藩主松平定網公が、眼病平癒祈願のため参籠し、その満願の夜に、観世音菩薩の花瓶より滴る霊薬水で洗眼する夢をご覧になられ、忽ちに平癒したといいます。定綱は供料田を寄進し、また、万治3(1660)年には定重から年々の祈願料が寄進されました。元禄年間、桑名藩家臣・南條三太左衛門宗親が、念持仏として地蔵菩薩を得て、それを奉安しています。山号については止雨のみならず、雨壷という古い陶器の壷があり、旱魃の時にこれに水を滴らすと忽ちに降雨したので、「雨尾山(あまおさん))と呼ばれています。
明治2(1869)年、参詣に不便ということで本堂及び地蔵堂が現在地に移転。木曽三川を眼下に、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽の御嶽が、一望できる眺望絶佳の高台にあります。こちらがその眺め。平成29(2017)年末にNHKで放送していたドラマ「マチ工場のオンナ」のロケ地の1つです。
境内には、招魂社と思われる社(左の写真)と、三吉稲荷社(右の写真)とがあります。招魂社と思ったの
は、石に「軍恩連」という文字が刻まれていたからです。このほか、石碑などが3基ありましたが、判読困難。調べても、ネット検索では情報が出て来ません。
三吉稲荷社のところから墓所を見下ろすと、ここからも猿たちがよく見え
ました。下山するとき、近くの藪でサルが枝をユッサユッサゆらし、不気味な感じが……。怖くはなかったものの、何とも気持ち悪い(苦笑)。
ゴールに決めていた養老鉄道下深谷駅には、11時10分に
到着。スタートから3時間35分。ここまで7.5㎞を歩いてきました。歩いた距離に比べ、時間がかかっていますが、それぞれの目的地でウロウロしているからです。この下深谷駅、昔ながらの駅のイメージで、何だか懐かしい。昼の時間帯は駅員さんが常駐していらっしゃいます。
次の桑名行きは11時32分。時間がありましたから、駅の周りを見てきました。すぐ近くのお宅の壁には、いくつかの古い看板。左は、
のもの。ここは以前、テレビで何度か見たことがあります。右は、桑名駅前にある桑栄(そうえい)メイトビルにある楽器屋さんのもの。娘が、学生時代、吹奏楽部におり、ドラムのスティックを買いに行ったといっていました。
さらに、「サルに注意」という掲示もありました。「野生のサルはこわい」という回覧が這ってありまし
た。近づかない、目をあわせない、刺激しない、驚かせない、走らないという注意事項や、見つけたらどうするかが挙げてありました。
駅に戻って、まだ時間がありましたので、ベンチで一休み。最近、都市部ですと、駅の待合室にベンチがないことも多いので、これはありがたい。新型コロナウィルスによる近鉄ハイキングの中止のお知らせもありました(涙)。
20分ほど待って、11時32分の桑名行き普通電車に乗車。やって来た電車
は、「緑歌舞伎」。東急から導入された7700系。昨年(2019年)2月から走っています。乗るのは今日が初めて。2両編成です。養老鉄道としては、新車両ですが、この東急7700系は、東急電鉄池上線で運行されていた昭和38(1963)年~41(1966)年製の電車。桑名には11時38分到着。この日、スタートから下深谷駅のゴールまでで歩いたのは、7.5㎞。スタート地点まで、我が家から0.7㎞、帰りに桑名駅から我が家までが0.9㎞ですので、合計9.1㎞。歩数は、NintendoDSの生活リズム計で、14,948歩でした(いつものALKOOは、写真を撮り忘れました)。勝手にハイキングですので、スタンプはなし。
こちらが、末広屋さんで買ってきたみたらし団子。上にも書きましたが、10本で¥750。冷めても美味しい。みたらし団子は醤油だれに限ると思っていますが、これは別。故郷にある天王の団子屋の次に美味しいと思うくらい。
ところで、美濃街道は、さらに多度へと続きます。下深谷駅あたりから多度方面の美濃街道の大半は、一昨年(2018年)4月28日に歩いています(20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。しかし、このとき歩いた美濃街道は、肱江あたりから南。近いうちに、続きを計画しましょう。養老鉄道多度駅の近くなどに訪ねてみたい神社もあります。
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おユキさん、こんにちは。
おっしゃるとおり、我が家から数百メートルのところからスタートです。
歌行燈本店さんは、梅雨の頃になるとアジサイが見事なところです。
狐さんは、珍しいでしょう?
私も初めて見ました。
ハイキング/ウォーキングでいろいろと神社に行きますから、狛犬などはよく見てくるのですが、実にいろいろあります。
サルは、駅にゴールする前に遭遇していますよ。
最初に気づいたときには、距離はかなりありましたが、飛鳥寺からの下山途中、道のすぐそばで暴れているサルがいて、肝を冷やしました(苦笑)。
ハクモクレン、咲いているお宅を見つけました。
常信寺とは別のところで、です。
投稿: mamekichi | 2020年3月 4日 (水) 12時12分
mamekichi先生、こんばんは。
ご自宅のすぐ近くから、勝手に養老鉄道ハイキングをスタートされたのですね。
私にとっても、見覚えどころか、見慣れた景色から始まりました。
で、見慣れない狐にビックリしました(笑)。
狐さん、飛んでいるではありませんか。
こんなポーズのものも、あるのですねぇ。
それにおサルさん。
駅に貼ってあった、注意書きを読んだ後に、遭遇されたのでしょうか?
おサルさんに失礼を働くこともなく、逃がしていただけたようで何よりです(微笑)。
ハクモクレン、咲きましたか。
これは急がなければ。
そうそう、今日はいつもと違う場所へ寄り道したのですが、なんと!河津桜らしき並木道を発見しました。
あんなところにねぇ・・・と、一人で思い出し笑いをしてしまい、申し訳ありません(笑)。
投稿: おユキ | 2020年3月 3日 (火) 20時48分