20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その2)……いくつかの地蔵堂、ナマズの徳蓮寺、倭姫命ゆかりの野志里神社を経て、船着社へ【岩井戸の特徴についての付記(3/21)】
3月6日の「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名の美濃街道を歩く』」(下深谷~多度)のその2です。その1では下深谷駅をスタートし、上深谷部と多度町下野代との境あたりまで行き、地蔵堂にお参りしました。下野代の町に入って、養老鉄道線沿いをさらに進みます。
下野代駅の近く、スタートから2.7㎞ほどのところにも地蔵堂があります。この地蔵堂は、明治4(1871)年に建てられたもの。お地蔵様は、僧形で左手には宝珠、右手には錫杖を持っておられます。蓮台の下の基台には「三界萬霊」と刻まれているそうですが、それは見えませんでした。三界萬霊とは、「三つの世界、すべての精霊に対して供養することの大切さを示す」ことです。三界は、無色界(むしきかい:心だけが生きている世界)、色界(しきかい:形質だけの世界)、欲界(よくかい:物質欲の世界)の3つ。
このお地蔵様の西、養老鉄道線を越えたところに岩井戸、大淀の松株跡を示す石柱、石仏、弘法大師の石像があります。「みえ
の歴史街道」のウォーキングマップには、この岩井戸は、「扇状地帯の地形、地質の特徴を示す」とありましたが、私の知識ではよく分かりません。石仏は、左の写真で向かって左にあります。板碑(いたび)型に薄肉彫りの石仏。その隣が、弘法大師の石像。
岩井戸に向かって右(北側)に建っているのが、「大淀の松株跡」の石柱。岩井戸のそばに巨大な松があったという伝説が消えるのを惜しんだ村人によって明治31(1898)年に建てられたもの。「くわな史跡めぐり」には、新古今集に載る「大淀の松」の和歌はここにあった松を詠んだものという記述があります。「大よどの浦立つ波のかえらずば松のかわらず色もみましや」(女御徽子女王)。しかし、ネット検索ではそういう情報は出て来ず、「大淀」は三重県明和町の大淀と考えられているようです(こちらなど)。大淀海岸にこの歌碑もあるといいます(ここ)。
このすぐ北に、無畏野山徳蓮寺。真言宗東寺派のお寺。このあたりのお寺、神社は、美濃街道からは養老鉄
道の踏切を渡らないと行けないところがたくさんあります。さらに、丘陵の中腹やその上に建っていることもおおいのです。徳蓮寺も、右のような階段を登っていかねばなりません。以前、近鉄ハイキングで来ていますので、「この階段を登るのもなぁ」とは思ったものの、考え直して、上まで行ってきました。
ここは、弘仁11(820)年、弘法大師によって建立されました。ご本尊は弘法大師がつくった虚空蔵菩薩像で、これは7年に一度開帳されます。ちょうど今年4月4、5日にご開帳があるという掲示が出ていました。ちなみに虚空蔵菩薩は、知恵を授けて下さいます。この寺には、200枚を超えるナマズなどの珍しい絵馬も奉納されています。これは、この寺が明応7(1499)年と、天正13(1586)年の2回の地震で破壊されたのですが、行方不明になったご本尊が、土中からナマズとウナギに守られた状態で見つかったことに由来します。ナマズつながりで、秋篠宮殿下も平成17(2005)年にここを訪ねていらっしゃいます。以前、近鉄ハイキングの記事を書いていますので、詳細はそちらをご覧ください(2018年5月21日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その4)……徳蓮寺他のお寺を回って、雨尾山飛鳥寺を経て、下深谷駅へゴール(完))。
前回来たとき、見落としていたのは、稲荷社と小さな石仏群。寺の南側にありました。石仏は30体以上最前列には、お坊様らしい小さな石像もあります。石仏の由来は、不明。
徳蓮寺から降りて、美濃街道に戻ったところでスタートからは3㎞、時刻は10時少し前。まぁまぁのペース
で歩いてきています。左の写真は、下野代あたりの美濃街道。クルマもあまり通らず、安心して歩けます。下野代駅の前を過ぎて、野志里神社の手前、西側に頌徳碑があります。「前野先生頌徳碑」とありましたが、詳細は不明。
頌徳碑に向かって左手に道標があります。「御衣野員辯(みぞのいなべ)道」とあります。ただし、この先は養老鉄道の線路に行き当たって、行き止まり。道標を建てた頃とは、道路事情が変わってしまったのかも知れませんし、こことは別のところにあったのかも知れません。「御衣野」は下野代の西の地名、員弁は、現在のいなべ市。碑陰には、「御大典記念 下野代青年団」とあります。
この頌徳碑の西、養老鉄道の線路を越えたところにお寺がありますので、
野志里神社の手前の踏切から回って、そちらへ立ち寄ります。無量山延柳寺。真宗本願寺派のお寺です。天正2(1574)年、比叡山から阿弥陀仏を本尊として授与されましたが、後に真宗に改宗しています。昔は、野志里神社の東にあったのですが、江戸時代に現在地に移転しています。
続いて野志里(のじり)神社。式内社。垂仁天皇の御代の創祀と伝えています。倭姫命が天照大神を奉じて、ここ桑名郡野代
宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたと伝わるところです。倭姫命は、その後伊勢に遷幸され、その野代宮の跡に本社が創祀されたといいます。一昨年4月の近鉄ハイキングで訪れています(2018年5月20日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その3)……舟着社と野志里神社)。詳細は、リンク先をご覧ください。主祭神は、天照大神。相殿神は、建御雷神、天児屋根命、経津主神ほか。
境内には、「千人塚」や、「伊勢神宮御旧蹟野代之宮」という石碑などがあります。千人塚は、長島一向一揆の時、法泉寺の空明が、農民たちと力を合わせて織田信長の軍と肱江川を挟んで戦っています。生き残った空明が戦死者の首を集めて篤く葬ったのが、この千人塚だそうです。その後、関ヶ原の戦に負けた西軍の兵士の霊も慰めたそうです。一説によると、関ヶ原の戦いの時に、薩摩藩兵が多数、ここ美濃街道を通ったため、境内が東西に二分されたそうです。
野志里神社を過ぎると、実測ルートマップはその3になります。スタートから4.3㎞あたりで肱江川に行き当たり、肱江橋を渡ります。多度町肱江を通り、戸津へと進んでいきます。
肱江橋。多度山が正面に、しかもかなり近く見えます。この日はよく晴れて暖かく、歩いて いても気持ちの良い日でした。肱江橋の親柱の飾りには、ナマズのレリーフ。徳蓮寺のエピソードに因むのでしょう。
肱江橋を渡りきり、地図を見ると、ほぼまっすぐに行くルートになってい
ます。が、その先にあるのは、こんな階段。ちょっと迷って、地図を見直したのですが、これを行くはず。階段を降りて、肱江の町を行きます。その先で、美濃街道は、水田になってしまっていて、途切れています。右回りをして迂回。
迂回して、本来の美濃街道に戻る手前に菜の花。道沿いというか、水路沿いに植えられています。なかなかよい景色。5㎞地点のところでみかんの直売所があります。今シーズンの販売は終え、男性が店の片づけをしておられましたが、「菜の花を撮りに来たのか?」と声をかけられました。先頃、新聞に載ったとかで写真を撮りに来る人が多いとい話です。私が見てきたところと、国道258号線の東に菜の花畑があるそうです。「美濃街道を歩いている」と答え、歩き続けます。予告編にひらいさんからいただいたコメントでは、このあたりの水田には野鳥がけっこう来るとか。
5.3㎞地点のすぐ西に船着社がありますので、寄り道。ここも、一昨年4月の近鉄ハイキングで寄り道しています(2018年5
月20日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その3)……舟着社と野志里神社)。多度神社別宮の一目連大神が、度会郡山田郷よりの帰りに舟で当社附近に着かれたので舟着社と云うと伝えられています(こちら)。また、この近辺は尾津浜、尾津崎等の小字のとおり、木曽三川の川岸であったため附近の人々が氏神として舟着社の社名で海神を奉斎したとも伝えられているそうです。今は、揖斐川まで2.5㎞ほどあります。
御祭神は、大山津見神(オオヤマツミノカミ;山の神)、表筒男神、中筒男神、底筒男神ほか。多度大社の御旅所となってお
り、5月5日の多度大社神輿渡御の折りには三基の神輿が奉安されるそうです。詳細は、上記のリンク先をご覧ください。船着社で10時40分。この先で、県道26号線の天王平跨線橋の下を潜ると、戸津の町に入っていきます。県道にかかる、多度大社の鳥居を見上げながら進みますが、その2はここまで。
【大淀の松株跡近くの岩井戸についての付記(3/21)】 この岩井戸について「「みえの歴史街道」のウォーキングマップに、この岩井戸は、「扇状地帯の地形、地質の特徴を示す」とあると引用して書きました。この意味は、このあたりから扇状地帯の近い・地質の特徴が現れ始め、岐阜県に入ると壮大な扇状地形が見られることになるという意味でした(三重県教育委員会編集 歴史の道調査報告書 美濃街道、濃州道、八風道、菰野道、巡見道、巡礼道、鈴鹿の峠道、1984年)。
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