20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(その1)……スタートして、三崎見附跡から上之輪神社まで
新型コロナウィルスで、鉄道会社のハイキング/ウォーキングも軒並み中止。最後に行ったのは2月9日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」でしたから、ハイキング/ウォーキングの虫がウズウズ(苦笑)。そこで、「一人ハイキング」を計画。以前もたまにありましたが、「勝手にハイキング」企画です。前から近くの旧街道を歩きたいと思っていましたので、混雑する電車に乗らなくて済むことも考え、美濃街道を行くことにしました。一般に美濃街道といえば、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道乗井宿をつなぐ脇街道のことですが、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいました。「みえの歴史街道」にある美濃街道のウォーキングマップを参考に桑名から、岐阜県境の多度までを2回に分けて歩くつもり。初回の今回は、美濃街道のスタートである桑名市川口町から下深谷まで。美濃街道そのものは約5㎞の予定。よく晴れて、気温も17℃を超え、絶好のハイキング日和でした。
こちらが歩いた全行程。美濃街道は、東海道の七里の渡から南へ200m足らず下った桑名市川口町と江戸町の境が起点。そこから西に向かい、三崎通を経て、堤原から北へ(福島縄手)。国道1号線、上之輪、汰上(ゆりあげ)を通って深谷まで。養老鉄道下深谷駅をゴールに設定し、美濃街道自体は約5㎞を歩く計画。下深谷駅近くで、地蔵、神社、お寺を見て回りました。美濃街道は下深谷からさらに多度へと向かいますが、それは次の機会に。この日、スタートから下深谷駅のゴールまでで歩いたのは、7.5㎞。スタート地点まで、我が家から0.7㎞、帰りに桑名駅から我が家までが0.9㎞ですので、合計9.1㎞。歩数は、NintendoDSの生活リズム計で、14,948歩でした。
朝、8時25分に我が家を出て、まずは七里の渡し跡へ。街道歩きですから、そういう気分にしようということです。ここは、い つもの散歩で通るところ。この七里の渡し跡から東海道を南に200mほど行ったところが、美濃街道の起点。伊勢一の鳥居を背に立つと、右の写真のように東海道がまっすぐ続いています。
美濃街道が、東海道から分かれるところのすぐ手前、東側には、北大手橋が堀にかかっています。その名の通り、お城に入るための橋。ただし、今はコンクリート橋になっています。このあたりは七里の渡し跡(川口水門)から続く昔ながらの堀で、桑名城の石垣がそのまま残っています。
歌行燈本店のある三叉路。ここから美濃街道がスタートします。写真中央が、その歌行燈。東海道は写真の右手から来て、歌行燈の前を通っています。美濃街道はここで右折していくのです。
こちらは、少し詳しい、実際に歩いたルートマップ(その1)。美濃街道 は、ここを起点に西に向かいます。桑名駅から九華公園まで通っているメインストリートの八間通の1本北側の道が美濃街道なのです。スタート地点に立って、これから歩く美濃街道を見たのが、右の写真。8時35分にスタートします。
いきなり話が逸れますが、スタート地点の東海道のまん中に「井」と刻まれた石がはめ込まれています。これは、江戸 時代、ここに「通り井」があったことを示しています。ただし、注意して見ないと分かりません。桑名は地下水に海水が混じりましたので、寛永3(1626)年に町屋川から水を引いて、水道をつくり、町内の主要道路の地下に筒を埋め、ところどころの道路の中央に方形の升を開けて、一般の人々が利用しましたこれを「通り井」といい、ここにそれがあったことを示しているのです。
さて、話を戻して、川口町と江戸町の境をスタート。本町を行きます。格子窓の家もあり、多少は江戸時代の街道であったと いうイメージもあります。
スタートから370mほどのところに三崎見附跡があります。江戸時代、三崎見附がありました。多度や美濃 国への出入り口として、番所と三崎門があり、また、寺の開帳や芝居・相撲の開催を告げる立て札が立てられるところでした。ここも実は、毎日の散歩コース。写真左下の先に寺町商店街があります。右奥には、住吉入江。郵便ポストの手前には堀があり、見崎橋が架かっていたのですが、今はその名残はなく、暗渠になっています。このあたりは、大垣への定期航路の客船が発着していたといいます。現在は暗渠になっています。
堤原に入って、北桑名神社があります。スタートして、まだ750mほど。ここは、我が家の氏神様なのですが、由緒もある神社です。江戸時代の初めからここに鎮座し、「三崎神明社」あるいは「今一色神明社」と称されました。明治41(1908)年、太一丸にあった「太一丸神明社」、宝殿町にあった「佐乃富神社」を合祀し、「北桑名総社北桑名神社」となっています。
御祭神は、天照大御神、建速須佐之男命、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト;神武天皇の父)、泣沢女神(なきさわめのみこと:伊奘諾尊が、伊奘冉尊の死をなげきかなしんで流した涙から生まれた。奈良県橿原市畝尾都多本(うねおつたもと)神社の祭神)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、持統天皇、応神天皇、宇迦之御魂神、火産霊神、高水上命(由緒書には伊勢の豪族とある;内宮の神田を守護する水神、あるいは、石清水の守護神ともされる)(神社検索三重による)。
北桑名神社の鳥居脇には、「持統天皇御𦾔跡」と刻まれた石柱が建っています。壬申の乱(672年)の時、大海人皇子(後の天武天皇)は一族を連れて桑名郡家(くわなこおりのみやけ)に着き、菟野皇女(うののひめみこ;後の持統天皇)と幼い草壁皇子をそこに残して戦場となる不破に向かわれ、勝利を得て桑名に戻られました。その間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが佐乃富神社であるといういい伝えがあるのです(由緒書による)。なお、定説では、桑名郡家の場所は、不詳となっています。ちなみに市内には、この壬申の乱のとき、大海人皇子が滞在されたことから、天武天皇社という神社があります。
こちらは境内社。八天宮(火産霊神)、稲荷大明神(宇迦御霊神)、金刀比羅宮(大物主神)、天神社(菅原道真公)、船魂社(神功皇后)が祀られています。また、境内のはずれにはお地蔵様。「帖付地蔵尊」とあ るのですが、その由来は確かめたことがありません。毎年8月には地蔵盆が行われています。
スタートから800mあまり、変則的な四差路に来ます。ここが、美濃街道(福島縄手)と、八丁畷と呼ばれる道の追分。美濃街道は、左の写真で中央にある民家の右手の細い道となります。八丁畷は、民家の左手を行く道。この先、国道1号線の参宮通交差点を過ぎ、桑名駅の北を通って、東海山照源寺に続いています。照源寺には、久松松平家の墓所があります。寛永元(1624)年、桑名藩3代藩主・松平定勝が亡くなったとき、その子定行(4代藩主)が東海山崇源寺(東方)として創建した、浄土宗のお寺です。崇源寺はその後、照源寺と改称。
この民家が建っているところには、かつて常夜燈と道標がありました。常夜燈の正面には「多度両宮 常夜燈」、右には「堤原」、裏面には「安政三歳丙辰九月吉日」、左には「神主 小串肥後守重郷」とありました。安政3年は1856年。道標は、弘化4(1847)年の建立で、「右みのたどみち、左すてんしょみち」と刻まれていました。「すてんしょ」とは鉄道の駅のことで、桑名駅が現在地で開業したのは明治28(1895)年でしたから、「左すてんしょみち」の文字は駅ができてから彫り加えられたものと考えられています。文化財に指定されていなかったため、民家を建てる際に撤去され、現在は桑名市が保管していると聞いています。この写真は、10年以上前に撮ったもの。
福島縄手といわれる、美濃街道を進みます。細い道ですが、昔の街道はこれくらいの道幅だったのかも知れません。ここを 150mあまり行くと、国道1号線に合流します。この先、美濃街道はしばらく国道1号線とかさなっています。国道1号線に合流するところに1本の木があり、その下に碑が建っています。
この碑は、「参宮国道碑」。大正時代まで、木曽・長良・揖斐の三大川は渡船に頼っており、ここに橋を架ける運動が進むとともに、「東海道国道」が新しくつくられました(現在の国道1号線)。町屋橋から伊勢大橋までの3.87㎞は、昭和6~7(1931~32)年にかけて、当時のお金で55万円でつくられたそうです。その竣工記念として西桑名町(当時)によって建てられたのがこの碑です。
美濃街道は、上述のように、この先しばらく(700mほど)国道1号線と重なっています。1号線がカーブし て伊勢大橋に向かう手前、立代町交差点を過ぎたところで、美濃街道は左手の細い道に進みます。右の写真で、1号線が右にカーブしていくのが分かります。ここまでが実測ルートマップその1の範囲。
この先、宮前西交差点を渡って行きます。この交差点近くに神明社と地図にはありませんが、福栄寺というお寺がありますが、今回はパス。大山田川を渡る手前で西浄寺に寄り道。美濃街道に戻って、大山田川を越え、上之輪神社に立ち寄ります。ここは、中江城址といわれ、長島一向一揆に関わります。その先は、工場や水田地帯をひたすら歩くところ。
桑北山西浄寺。浄土宗のお寺です。もとは、北河原葬所の境内の庵だったといいます(みえの歴史街道のマップの説明)。数年前まで木が生い茂っていて、ちょっと怖い雰囲気だったのですが、バッサリと切られ、スッキリしすぎた感じ。ここも何度か来ているのですが、六地蔵と六字名号碑を見るために立ち寄りました。これらを今まできちんと確認していなかったのです。
左の写真は、六地蔵。元禄3(1690)年のもの。六地蔵は、地蔵菩薩の6分身。生前の行為の善悪によって、人は死後、地 獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するとされますが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の6地蔵をいいます。右は、名号碑。「南無阿弥陀佛」と刻まれていますから、「六字名号碑」といってよいでしょう。天保12(1841)年のもので、もとは街道沿いに建っていたのですが、昭和4(1929)年に移動したそうです。さらに、名号碑に向かって左に半分だけ写っているのが、「釈迦如来立像」。このきちんとした写真を撮り忘れるという不始末(苦笑)。これは、嘉永2(1849)年のもので、これも街道沿いにあったものを昭和10(1935)年に移動しています。
本堂から大音量でラジオの放送らしきものが流れていました。恐る恐る覗いたら、クマのぬいぐるみがこちらに向かって座っていますし、仏様に向かって座っているのは、くまのプーさん。他にもクマのぬいぐるみ。?? アヤシいような雰囲気で、そそくさと拝んで退散。
大山田川は、沢南橋のすぐ上流にある人・自転車専用橋が、美濃街道となっています。ここは、バードウォ ッチングでよく来るところ。カワセミ、ウグイス、オオジュリン、アオジ、ジョウビタキなどなどがみられますが、今日はチラッとコガモを見ただけで通過します。
大山田川左岸の堤防を降りたところに上之輪神社があります。ただし、上之輪神社は通称で、正式には「神明社・縣(あがた)社・多度社」です。主祭神は、天照大神。相殿神は、天津日子根命(あまつひこねのみこと)と天穂日命(アマノホヒノミコト)。相殿神は、いずれも天照大神の子。創立は、承応元(1652)年、桑名藩主・松平定良公の時、上之輪新田開発について勧請したといいます。多度社は天保2(1831)年、片桐忠右ヱ門が勧請したと伝わっています(神社検索三重)。
この上之輪神社あたりに中江城があったとされます。戦国時代の豪族・中江(あるいは森)清十郎が居城しました。長島一向一揆の時には、5大拠点の一つで、最後まで抵抗した砦です。多数の人が立て籠もったところを焼き払われたと伝わっていま す。現在は、城の遺構は認められません。境内には、稲荷社と阿岐葉社があります。
上之輪神社を出て、2.7㎞地点でJR関西線と近鉄名古屋線の鉄橋をくぐり、北上。水田や工 場などがある地帯を進みます。この先は、東名阪自動車道の桑名東インターにつながっています。東の方には、JR関西線、近鉄名古屋線の線路。その向こうは、揖斐川と長良川が流れています。長くなりましたので、その1はここらあたりまで。
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