20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その1)……下深谷駅をスタートし、深谷の町を進む
3月6日に出かけた「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名の美濃街道を歩く』」(下深谷~多度)の本編です。新型コロナウイルス
の影響で近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも中止となっていますので、その代わりに「勝手にハイキング(もしくは「一人ハイキング」)」を計画したのです。前から近くの旧街道を歩きたいと思っていましたし、混雑する電車に乗らなくて済むことを考え、美濃街道を行くことにしました。一般に美濃街道といえば、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道乗井宿をつなぐ脇街道のことですが、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいました。「みえの歴史街道」にある美濃街道のウォーキングマップを参考に桑名から、岐阜県境の多度までを2回に分けて歩くことにし、第1回は3月1日に美濃街道のスタートである桑名市川口町から下深谷まで歩きました(2020年3月1日:20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編))。この日は、その続きとして、下深谷から多度へ。冒頭の写真は、我が家の玄関前から撮ったもので、同じようなものをよく載せます。奥に小さく見えているのが、多度山。この日のハイキングでは、この多度山の麓を目指して行ったのです。右は、予告編に載せました。歩いたルートの全体図。
スタート地点は、前回のゴールであった養老鉄道下深谷駅。そこまでは、播磨駅から養老鉄道で。8時47分発の大垣行きに乗り
ます。やって来た電車は、通称「ラビットカラー」リバイバル塗色の車両。ラビットカーは、昭和32(1957)年から、近鉄南大阪線などで運転されていた通勤車両につけられた愛称だそうです。この車両には、初めて乗ります。
養老鉄道ではICカード初変えません。播磨駅は、無人駅ですので、ホームにある機械から乗車票を取ります。車内で係の方が回ってこられ、料金を支払い、今では珍しいカーボン複写の「車内補充券」を受け取りました。もちろん係の方の手書きです。いかにも田舎の電車に乗っているという感じ。
下深谷駅は播磨駅から1駅。8時51分着、¥210。降りたのは、私一人。そもそも1車両に数人しか乗客はありませんでした。余談ですが、サイクルトレインですので、桑名駅以外のすべての駅で、無料で(乗車券を持っていれば)自転車を持ち込めます。どこかで降りて、サイクリングも可能ということ。
ハイキングは、8時55分にスタート。駅から踏み切りの手前の細い道を通って、130mほど行くと、前回通ったところ(左の
写真)に出ます。前回は、手前奥から来ました。美濃街道は右折するのですが、直進して養老鉄道の踏切を渡って、深江神社、西林寺方面に行ったのです。右は、下深谷駅からの詳しい実測ルートマップ(その1)。養老鉄道に沿って北に向かいます。
下深谷部の町を行く美濃街道。道幅も、昔の街道とほぼ同じではないかという印象があります(東海道な
ど、江戸幕府が定めた五街道では、標準的な道幅はおおよそ3間から4間(5.4~7.2m)とされていました)。スタートして200mあまり、JAの近くに「和弘(わこう)地蔵堂」。比較的新しい、ごく普通のお地蔵様が祀られていました。みえの歴史街道には、昭和52(1977)年のもので、幼児の交通事故供養のためだそうです。
深谷小学校を通過。美濃街道を挟んで西側に校舎、東側に屋内運動場がありますので、街道の上を通路が通
っています。新型コロナウィルスの関係で休校中。桑名では、学校で子どもたちを預かることはしていませんので、静か。ここで、オスのモズに遭遇。他には、水田でツグミを見たり、ヒヨドリにはあちこちで出会いましたが、この日の野鳥はそれくらい。
深谷小学校の北、スタートから830mのところに、高野山真言宗のお寺、法光寺。山号や、由緒、詳細は不明。境内には、稲荷社があります。しかも稲荷社の社は、本堂に接続するように建っています。法光寺の背後の丘には、室町時代に三砂城という城館がありました(玉井四郎左衛門)。
事前の下調べでは、法光寺の先、養老鉄道の線路を潜った西に薬師如来堂があるということでした。法光寺の北で養老鉄道の
西に行けるのは、左の写真のところしかありません。しかし、これを行った先は、深い竹林。右の写真で右手に登っていけそうな坂道があったのですが、竹や草が生い茂っていて、あまり気持ちの良い感じではありませんでしたので、撤退(苦笑)。後で三砂城跡についてよく調べたら、このあたりにあったようで、薬師如来堂も私が撤退した坂道を登ったところにありました。ちょっと残念なことをしたかも。
美濃街道に戻って進みます。1.1㎞を超えたところで、小さな川を渡ります。これが三砂川。日本武尊が東国
征伐に行く途中、御衣野(みぞの;桑名市多度町にある地名。草薙神社という日本武尊を祀る神社があります)で休憩したとき、その庭にこの里の五色の砂を奉ったといいます。この三砂川を越えた西側に地蔵堂。もう少し北にあったものが、明治初期にここに移ったといいます。お地蔵様は3体、薬師如来も祀られているようです。
森大明神社(もりだいみょうじんじゃ)。スタートから1.5㎞、9時15分を過ぎた頃。養老鉄道の踏切を越えたすぐのところ
に2基一対の常夜燈があります。勧請年月は不詳。主祭神は、天日方奇日方命(あめのひがたくしびがたのみこと:事代主神(ことしろぬしのかみ)の子)。相殿神は、宇迦之御魂命、品田和気命、大山津見神、天照大神。ここは、かつて堺城があった丘陵の中腹で、北伊勢小島大森大明神といったといいます。ここも、室町時代に城館がありました(片岡掃部頭または深谷監物)。
森大明神社のすぐ北にあるのが、真宗大谷派の明光寺。北畠氏が奥州の国司の時、北畠顕家が討たれ、その孫顕道が奥州海老原に妙光寺を建立。北畠氏が伊勢に移ったとき、寺もここに移転し、寺号も改称しています。しかし、それ以上の詳細は分かりませんでした。山号も不明。
このお寺の山門脇に気になる石碑があります。「天牌奉安地」と刻まれています。碑陰には、明治45(1912)年11月に建立されたと記されていました。興味は持ったものの、いったい何か? 「天牌(てんぱい)」は仏語で、「天子の宝祚ならびに聖寿無窮を奉祷するため、仏本尊前に安置する位牌」だそうです。「天子」は、一国の帝王、日本では天皇。「宝祚(ほうそ)」は天皇の位。「聖寿(せいじゅ)」は天子の寿命で、「無窮(むきゅう)」は果てしないこと。明治45年は7月に明治天皇が崩御されました。大正天皇が即位なさったのですが、わざわざ「明治45年11月」とあるのは、明治天皇に捧げたものなのでしょうか? 建立者や、位牌を安置したのが誰かなどは書かれていませんでした。境内には、他に、「南無阿弥陀佛」の六字を刻んだ石碑も建っていました。
明光寺を出てさらに進みます。実測ルートマップはその2へ。街道の東西には遺跡もありますが、整備はされていないようですから、立ち寄らずに行きます。
上深谷部と多度町下野代の境あたりに地蔵堂があります。地蔵堂なのです
が、祀られているのは、阿弥陀立像。江戸時代のもの(御堂は、昭和61(1986)年に建てられました)。阿弥陀立像は、上品下生(じょうぼんげしょう)の印を結び、舟形光背をもった石仏です。仏教における九等級の品位を表すことばに「九品(くほん)」があります。上品下生は、その一つ。上中下の三品(さんぼん)を、さらにそれぞれ上中下に分けたものです。浄土教では、生前の行いによって、極楽浄土に生まれ変わるとき、9つのパターンがあるとされていて、それがこの九品で表されるそうです。9つのパターンによって極楽浄土から迎えに来る仏様のメンバーや乗り物などが異なるとか(こちら)。表の右端の列がその乗り物です。上品、中品は「生前なんらかの善業をした人」で、上品下生は、上から3番目のランク。極楽浄土にいて衆生を救済するとされるのが阿弥陀様のはず。へそ曲がりの私は、なのになぜこういうランクが生じるのか、今のところ、納得できかねています。我が家の宗派である浄土真宗の教えでは、「本願を信じ念仏申さば仏になる」となっていたと思います。もっともしっかり仏教を勉強したわけではありませんので、間違った理解をしている可能性が大。細部にこだわりすぎました。今日のところは、ここまで。
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