お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年10月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年10月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

最近のコメント

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2020年3月

2020年3月31日 (火)

雨読の日……ブログは累計198万PVを越えました、御礼申し上げます

Img_8561c_20200331134901  朝からずっと小雨というか、霧雨というか。雨に煙っている感じです。朝一番に一つ用事を済ませてからは、蟄居生活というか、居職中。「雨読」の1日になりそうです。4月5日の相談会を中止にさせてもらいましたので、ご相談の方に差し上げる報告書を書いて、読み直し、書き直す作業を続けています。雨雲レーダーを見ると、雨雲は写ってはいないのですが、霧雨が降っていますから、今日は散歩には出られそうもありません。

Img_8554c  先日、去年より2週間ほど早く株分けを行ったサギソウ。6鉢に仕上げ、そのうち4鉢は家内の母に進呈。残り4鉢のうち、3鉢からImg_8557c_20200331134901 は無事に芽が出て来ています。5年前、ブロ友のこころんさんに1鉢をいただいてから毎年育てていますが、エアコンの室外機近くにおいて枯らせてしまうなど、失敗もしましたが、どうやらこうやら冬越しをして、続けて育てられるようになりました。今年もまたあの白い、優雅な花を見たいものです。ささやかなベランダ園芸です(微笑)。

Img_8564c_20200331134901  我が家の北側の様子。「借景」としている諸戸氏庭園を見下ろしています。向こうに見えるのは、揖斐川、長良川。左端には、長良川河口堰、六華苑の洋館塔屋なども写っています。中央、白いカバーがかかっているのは、現在修復工事中の諸戸氏庭園主屋。その右手に桜が見えています。もっとも手前が「マイソメイヨシノ」。

Img_8568c_20200331134901  クローズアップしたのがこちら。7~8分咲きというところでしょうか。ここは今のように整備される前は、まさに「入江」になっていて、その土手にこれらの桜が植わっていました。老木ですが、毎年見事に咲き、楽しませてもらっています。もっとも手前のソメイヨシノを勝手に自分の桜と決めて、毎年楽しんでいます。皆様も、ご自分の桜の木をお決めになると、さらに楽しめるかと思います。

20200331nekonoakubi   ところで、今日の午前中、ブログのアクセスカウンタを見ましたら、累計198万ページビューを越えていました。ブログを始めたのは、平成17(2005)年10月26日でした(Blog事始め)。以来、書き続けて14年5ヶ月あまりになりますが、当初は、アクセスしてくださる方がない日もあり、まさかこれほど読んでいただけるとは思ってもいませんでした。お読みくださる皆様には、厚く御礼申し上げます。

200331access  こちらは、今月の日ごとのページビュー数の推移を示したグラフ。毎日、概ね100前後となっています。ブログの画面左側のコラムの「お知らせ」にありますように、平成26(2014)年12月以前の記事は削除し、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました。こちらココログの「猫の欠伸研究室」には、平成27(2015)年1月以降の記事を残してあります(平成27(2015)年1月から現在までの記事は、両方にあります)。古い記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」にありますので、このココログの記事で検索されない場合、そちらで検索してくださるようお願いします(心理アセスメント関係の記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」にたくさんあります)。

Img_1477c  明日も終日雨で、青空は4月2日までお預けのようです。新型コロナウィルス感染状況や、それにともなうもろもろのことの先が見えませんが、私はモットー通り、「淡々と飽きもせず……」、「晴歩雨読」の生活を続けることにします。このブログも引き続き、よろしくお願いいたします。左の写真は、昨日見てきたイヌナシの花。

2020年3月30日 (月)

桑名発達臨床研究室からのお知らせ

 三重県知事から、本日、3月29日時点で50名を越える感染者が確認されている東京都、大阪府、北海道、愛知県、兵庫県、千葉県、神奈川県、埼玉県の8都道府県には不要不急の出張や訪問を自粛するお願いが発表されました(こちら)。

 これに伴い、4月5日に予定しておりました相談会は、コーディネーターの先生とも相談した結果、中止といたしました。相談会につきましては、今後の状況を見て、改めて設定いたします。 また、面談での相談につきましては、当面、感染状況を考慮して対応したいと考えています。ご相談希望の方には、まずはメールにてご連絡ください。メールアドレスその他につきましては、桑名発達臨床研究室のサイトにあります。

 志村けんさんも新型コロナウィルス肺炎でお亡くなりになりました。身を以て「気をつけろよ」と教えていただいた気がします。ご冥福をお祈りします。われわれも気をつけましょう。

今日もまた東員町方面へ……鳥取神社のイヌナシの花を見てきました

Img_8397c  天気があまりスッキリせず、午後からは雨という予報でした。迷ったものの、今日もまた東員町方面に出没(微笑)。去年見損なったイヌナシの花がそろそろ咲いているらしいという情報を得ましたので、見に行ってきました。結局、鳥取神社のイヌナシを見終え、万助溜公園に回ったところで雨が落ちてきて、撤収(苦笑)。

200329hoshikawatouin0  我が家からクルマで20分あまり、東員町大字鳥取にある鳥取神社へ。8時55分頃到着。去年、ここにイヌナシの木があることだけは確認していました(2019年6月24日:ヤバい公園を巡って(笑)……鳥取神社のイヌナシも見てきました)。昨日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」のマップに位置関係を書き込んでみたものが、左の画像。鳥取塚から北へ1㎞弱のところにあるのが鳥取神社。今日は、さらに万助溜公園や、山田溜公園にも行こうと思ったのですが、上記のように断念。

Img_8524c_20200330163901  鳥取神社に向かって右手(北側)にある公園にイヌナシの木があります。左の写真は、東側にある公園の入り口から撮ったもImg_8497c の。手前に桜の木がありますので、どうしてもそれが写ってしまいます。北側に回ると、右の写真。7~8分咲きという感じでしょうか。今日は、見逃してはいけないと満開でないことも、曇天であることも承知の上で見に来たのです。今週後半くらいになると満開になりそうな印象でした。

Img_1491c Img_8504c   イヌナシの木は、日本では愛知・三重・岐阜のみに生息する野生ナシで、植物学上希少な種とされています。東員町では、「山田半ノ木谷イヌナシ自生地」があり、東員町の天然記念物第2号に指定されています(山田溜公園内)(2019年7月12日:溜池めぐり……チョウトンボはそれなりに、山田溜池公園ではカワセミを撮り逃がす失態(苦笑))。この近くではここ東員町の他、桑名の多度や、四日市の東阿倉川に群生地があります。桑名の「多度のイヌナシ自生地」は国の天然記念物に指定されています。ちなみに、イヌナシは、マメナシといわれる野生のナシの中では原始的な種だそうです。満開になる頃、もう一度見に来たいと思っていますし、山田溜公園の方も行きたいところ。さらに、6月には実がなりますから、今年はそれも見落とせません。

Img_8472c  イヌナシのある公園の周囲には、桜並木。う~ん、やはり好天の日に出直しです。今週後半くらいですね。左側の写真の川Img_8530c_20200330163901 は、藤川。昨日のハイキングで、東員交番の裏手で自然石の道標を見る前に渡った川。ここはその上流。右の写真は、イヌナシのある公園の周囲の桜。東員町、けっこうあちこちに桜がありますし、トウインヤエヤマザクラという珍しい桜もあるそうです。

Img_8427c  さて、鳥取神社については、昨年6月24日にイヌナシの場所確認に来たときにも参拝しています。由緒は不Img_8437c_20200330163901 詳ですが、延喜式内社という石柱がありました。天正の兵火(織田信長と羽柴秀吉による紀伊への侵攻、いわゆる紀州征伐を指すようです)で現地へ遷り、江戸時代は「諏訪社」と称していたといいますが、鳥取神社と称された経緯は不明。員弁川の西、笠間小学校の北、集落の中、2つの小川が合流する地点にあり、古くは川中島といわれた地です。明治5(1872)年に村社。

Img_8439c_20200330163901  御祭神は、天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと;鳥取造(ととりのみやつこ)の祖。垂仁天皇23年、皇子の誉津別命Img_8441c (ほむつわけのみこと)は30歳になっても口をきかなかったが、クグイ(白鳥の古名)が飛ぶのを見てはじめて話すことができました。天湯河板挙は天皇の命でその鳥を捕らえて献上し、その功により氏姓をさずかり、鳥取造と称したといいます)。相殿神は、天照大御神大山祇神(おおやまつみのかみ;山の神)、市寸島姫命(イチキシマヒメノミコト;宗像大社の辺津(へつ)宮の祭神)、宇迦之御魂命大国主命(オオクニヌシノミコト;素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子、出雲大社の祭神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神、伊邪那美命は、この神を生んだために、女陰を焼かれて死亡した)、建御名方命(タケミナカタノカミ、大国主命の子。武神)。

Img_8544c_20200330163901  ところで、本日のマイソメイヨシノの様子。まだ5分咲きに至るかどうか、という感じでした。この冬は暖かかったようで、Img_8546c 寒暖が定まらないところもありましたから、結局、桜はそれほど早くはなかったというところでしょうか。晴天は、4月2日以降という予報です。ということで、散歩というほど歩いてはおりません。専通寺のしだれ桜や、羽根谷だんだん公園のソメイヨシノも見に行きたいと思っていますが、今週後半ですね。

2020年3月29日 (日)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(予告編)

Img_8073c_20200329180701 Img_8082c_20200329180701  不要不急の外出は避けるべきところではありますが、厚生労働省の勧告「換気が悪く、人が密に集まって過ごすような空間に集団で集まることを避けてください」を遵守して、「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』に行ってきました。3月15日の「益生(三ツ矢橋)~星川」に続いての第2弾として、三岐鉄道北勢線の星川駅から、桑名の隣の東員町にある北勢線・東員駅まで歩いてきました。休日の北勢線は、1両にせいぜい数人の乗客、歩いているのは旧街道で人混みとはほど遠い。昼食だけはカフェレストにてという次第。本日は、予告編で主な立ち寄り先を取り上げます。

Img_8085c  朝方、雨がわりと遅くまで残りましたので、スタート時刻を11時に変更。三岐鉄道北勢線西桑名駅を10時35分に発車する楚原行きに乗車。星川駅には10時48分着、¥240。10時55分にスタート。今日も、前回同様、K氏、M氏との三人旅。私の悪影響を受けたのか、お二人とも「是非とも行く」という意気込み(微笑)。

200329hossikawatouin  こちらが本日歩いたコース。前回同様、ほとんど三岐鉄道北勢線に沿っています。ハイキングで歩いた距離は6.3㎞。自宅から西桑名駅往復が、2.1㎞ですから、合計8.4㎞。今日のコースには、寺社仏閣、地蔵堂などの他、道標、桑名市の天然記念物、穴太徳の碑などさまざま見るべきところがあり、楽しめます。予定していたところで見つけられなかったものもありましたが、概ね満足。

Img_8087c_20200329180801  星川駅をスタートして、北勢線の踏切を渡って右折する(西に向かう)と員弁街道に出ます。嘉例川を越え、すぐにまた北勢線を渡った先、右手あたりが星川城跡です(左の写真で、中央に見える万代家具に向かって左あたりの守と思われます)。室町時代の城館跡。春日部若狭守が居城したといいます。春日部氏は、旧朝明郡萱生(現在の四日市市萱生町)の豪族で、星川城主はその一族。織田信長の伊勢侵攻の時に滅んだといいます。

Img_8093c_20200329182201  スタートから700mほどで星川神社の参道入り口に来ます。員弁街道脇には一の鳥居と、「延喜式内星川神社/神厨星川神明Img_8106c_20200329182201 神社」の石柱(明治34(1901)年建立)。星川神社は、この地を開拓した星川武彦命の祖先を祀ります(勢桑見聞志抄)。御祭神は、天照皇大神。相殿神は、須佐之嗚命、大山祇神、宇迦之御魂神、火産霊神。社伝によれば、創立は応神天皇時代とされますが、詳細は不明。明治40(1907)年11月に八坂神社、御厨神明社、山神社を、また、同45(1912)年2月に大字仲新田の稲荷社を合祀しています。台地の上にあり、このあたりも星川城の範囲だったのかという気もしました。

Img_8115c_20200329183101  1㎞の手前に星川山安渡寺(ほしかわざんあんどじ)。特定の宗派には属さない単立の寺院。ご本尊は、平安時代の聖観世音Img_8120c_20200329183201 菩薩(桑名市指定文化財)。檜の一木造り。伊勢巡礼30番札所。奈良時代、行基によって創建され、星川城主・春日部若狭守によって大伽藍が建立されたといいますが、織田信長の兵火で焼失したといいます。鎌倉時代には、「星川の観音さん」として知られていたことが、四日市市南富田町の善教寺が所蔵する阿弥陀如来像の胎内文書に記されています。境内には、見事なしだれ桜とソメイヨシノがありましたし、ここからの眺めはかなりよいものがあります。

Img_8159c_20200329193301  森忠名神明神社(もりただなしんめいじんじゃ)です。スタートからは約1.2㎞。主祭神は、天照皇大神。相殿神は、大山津Img_8169c_20200329193301 見命。創始は不詳。古代、このあたりは伊勢神宮の領地で、「守忠」あるいは「盛忠」という人の名田でした。神宮の領地管理に貢献があったので、その名が地名となったといいます。守忠/盛忠の名田に建てられた神明社から、神社の名前が来ています。

Img_8176c  この神社の境内には、伊勢神宮遙拝所と、神武天皇遙拝所/明治天皇遙拝所の石碑がありました。さほどたくさん見て回ったわけではありませんが、桑名市内の神社では、こうした遙拝所は初めて見ました。皇紀二千五百八十三年(大正12(1923)年)に、山上甚兵衛という方が両者とも建立しています。

Img_8190c  その先でヤマモリの桑名工場脇を通り、天皇八幡神社へ。ヤマモリは、明治22(1889)年創業。三林専太郎が、味噌・しょうゆ醸造業を始めました。今日では、それ以外にもかまめしの素、レトルト食品なども製造しています。三重大学カレーや、桑名カレーのレトルトもつくっています。

Img_8194c  天皇八幡神社。芳ヶ崎(はがさき)の産土神。春日社と牛頭天王社を相殿とします。御祭神Img_8199c は、品陀和気命、素盞嗚命、火産靈命、大山津見命、天兒屋根命。由緒は不詳ですが、鳥居は文化2(1805)年に再建した記録があるといいます。

Img_8222c_20200329194501  天皇八幡神社の南に桑名市の天然記念物に指定されているクロガネモチの木があります。ヤマモリの工場の西。クロガネモチは関東以西から四国九州、沖縄に分布する常緑高木樹。この木は雄株。天皇八幡神社のご神木で、剪定などはしてはならないとされているそうです。このあたりでスタートから約2㎞。

Img_8226c  天皇八幡神社のすぐ西に道標。ここを下ると北勢線七和駅に行きます。「(西)楚原道/東 桑名道/北 多度道/南 七和Img_8230c 駅」とあります。三岐鉄道が、北勢鉄道として大山田(現在の西桑名)~ 楚原間(14.5km)の開業を果たしたのは、大正3(1914)年ですから、それ以降の道標と思われます。道標のある交差点から、南、七和駅に向かってはいると、薬師堂があります。奈良時代に創建され、ご本尊は室町時代の作で、ここは中世の芳ヶ崎城跡(羽笠城跡)といいます。

Img_8249c_20200329202701  員弁街道に戻って五反田地内を進みます。大仲新田に入る手前、寒谷川を渡ったところに大日堂と地蔵堂がImg_8251c_20200329202801 あります。2.9㎞地点です。大日堂は、五反田にあった伝西寺が真宗大谷派に改宗し、星川に移るとき、本尊であった大日如来を安置する御堂を設けたといいます。現在、伝西寺は、バロー星川店の東にあります。地蔵堂については、詳細は不明。

Img_8261c  スタートから3.1㎞で弁天川にかかる弁天橋に来ます。ここが、桑名市と東員町の境界。昭和5(1930)年に完成した橋。弁天橋の先、100mほどの民家の庭に「穴太徳(あのうとく)の碑」があります。「穴太徳事 神戸屋徳次郎Img_8268c_20200329205201 碑」と刻まれています。穴太徳は「荒神山の喧嘩」の一方の当事者で、2代目広沢虎造による「血煙荒神山」の浪曲で有名です。かなり以前から、このあたりにこの碑があることを知っていて、是非とも見たいと思っていました。「穴太徳」は、通称(穴太徳次郎(あのうのとくじろう))で、本名は中野徳次郎。昨日の記事にも書きましたが、穴太徳は、慶応2年4月8日(1866年5月22日)の「荒神山の喧嘩」で、神戸の長吉(かんべのながきち)と私闘を展開した、桑名を縄張りとした博徒です。この荒神山の喧嘩では、神戸の長吉側の助っ人として乗り込んだ吉良仁吉は鉄砲で撃たれた上、斬られて死亡しました。吉良仁吉は、清水次郎長一家の応援をえて、穴太徳勢になぐりこんで、義理に殉じたのですが、講談で紹介され、庶民の人気者となりました。また、村田英雄の歌う「人生劇場」にも出てきました(♪俺も生きたや仁吉の様に~♫)。ちなみに、吉良は現在の愛知県西尾市吉良町。故郷からほど近いところですし、忠臣蔵で有名な吉良上野介は、この吉良の領主でした。話が広がってしまいましたが、あれこれいろいろなところで思わぬつながりがあるものだ、ということです。この穴太徳の碑の近くに「神田屋敷」と「六把野井水(ろっぱのゆすい)」があるはずでした。神田屋敷はここかと思うところはあったものの、確信が持てず。六把野井水は、見つけられませんでした。みえの歴史街道マップを見直したら、かなり細い水路でした。もう少ししっかり予習が必要です。

Img_8295  ここからしばらくは見どころはありません。3.8㎞地点で県道14号線に出ます。東員一中の前を通過し、六把野新田ふれあいImg_8286 広場近くに延命地蔵堂と、道標があります(4.4㎞あたり)。みえの歴史街道マップには延命地蔵堂とありましたが、「病難除地蔵尊」と書かれていました。大正末期、有志の方々が建立し、祀ったもの。道標は、小さい上にかなりすり減ってしまっており、危うく見逃すところでした。「多度香取道」と刻まれています。右面は読めなかったのですが、こちらによれば「草薙稲次郎建」とあるようです。昔は、幅3~4尺(約90~120cm)の細い道だったのですが、多度祭では参詣客で賑わったそうです。

Img_8305  神田変電所前の信号のすぐ先で県道から分かれます。しまむらのすぐ先で藤川を渡ります。Img_8307 藤川橋という細い橋がありますが、かつては七ツ橋と呼ばれたそうです。この富士川の堤防、左岸にはソメイヨシノの桜並木。満開になったら見事だと思います。

Img_8326  東員交番の裏に道標があります。自然石でできています。「右あげきはった/左大いづみ石Img_8322 ぐれ」とあります。阿下喜、治田、大泉、石榑を指しています。道標は、文化14(1817)年に鳥取(このあたりの地名)の俳人岩田卜斎によって建てられ、裏面には卜斎の「雲いくへ ひばりなくなく そりみ坂」の句が記されています。「そりみ坂」は、「楚里見坂」「曲見坂」などと書いたといいます。また、このこの小高いあたりにはヒバリがたくさん生息していたそうで、「雲雀が岡」と呼んだといいます。私は、春、揚げ雲雀を見上げるのに、体を反らせて見たから「そりみ坂」かと想像しました。この道標のところで、道は二股に分かれていたようです(向かって左は途絶えたというのか、県道になったというか)。

Img_8343c_20200329211901

 道標の先、5.7㎞のところに鳥取塚と、珪化木の碑があります。鳥取塚は、饅頭型の円丘で、かつては古墳が4~5基ありました。今残っているのは1つで、東西21m×南北17m、高さ2.5m。桜などが植わっています。珪化木の碑には「鳥取塚」と刻まれています。明治44(1911)年の建立。この先にチリン坂や、「律師智傳之碑」という自然石の碑があったのですが、私が、この鳥取塚の西の道沿いにあると勘違いしていて、「碑がない」と思ってしまいました。次があれば、チリン坂や石碑からスタートしたいと思います。最後に勘違いがありましたが、予定ではここまで。ちょっと戻って、ゴールに設定した三岐鉄道北勢線・東員駅に向かいます。東員交番の交差点から南へ。

Img_8372c_20200329212501  その前に13時半を過ぎていましたので、昼食を摂ることに。あらかじめリサーチしておいたカフェレスト・Img_8370c_20200329212501 ラフィーネへ。東員駅から線路を挟んですぐ北。オムライスが美味しそうでしたので、ランチのセットに。スープ、サラダ、茶碗蒸し、ミニハンバーグがついて、¥980。前期高齢者には、ボリュームたっぷりすぎるくらい。オムライスの中のご飯には、細かな海老やタマネギやニンジンなどの野菜、それにたまごなんかも入っていました。右の写真、先に出て来たミニハンバーグをかじってしまっています(苦笑)。

Img_8383c  食事を終え、東員駅へ。14時32分発の西桑名行きに乗車。鉄道むすめ・楚原れんげの電車でした。西桑名までは¥340。M氏Img_8384c は星川駅で、K氏は蓮花寺駅でそれぞれ下車。西桑名には14時56分着。帰りも電車は空いていました。

Img_8395c_20200329212601  本日のALKOOのデータ。17,208歩でした。距離は、初めの方に書いたとおり、8.4㎞(キョリ測で測定)。本編は、また明日以降ボチボチと書きますが、K氏、M氏からは、次はいつ? どこを歩く? と催促(苦笑)。員弁街道を阿下喜あたりまで歩くことにするかも知れませんが、企画、下調べともストックがありません。

2020年3月28日 (土)

雨上がり、鳥も散歩友達も少なし

Img_7969c  雨は朝7時までには上がり、気温も上昇。19.6℃。しかし、晴れ間もあったものの、曇天。散歩に出た8時にすでに15℃もあり、雨上がりということもあって少し蒸し暑い感じでした。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町とちょうど6.0㎞。寺町商店街、今日は三八市。土曜日でもあり、外出自粛もあり、いつも以上に賑わっている感じでした。

Img_7990c_20200328160001  住吉入江には、カモもオオバンもいませんでした。揖斐川も静かで、カンムリカイツブリが2羽。他にはキンクロハジロが2羽。カンムリカイツブリは、夏羽になってきています。もう1羽のカンムリカイツブリは、もうすっかり夏羽でした。ユリカモメがときどき飛んでいきます。

Img_1380c  川口水門(七里の渡し跡のところ)の下流側の高水敷には、ヒドリガモが100羽ほど集まっていました。やはImg_1382c_20200328160001 りこのあたりは、ヒドリガモが帰る前の集合場所になっている気がします。皆、懸命に草を食んでいました。他には、揚げ雲雀が聞こえましたが、どこにいるか見つけられず。

Img_7997c  三之丸公園のソメイヨシノも咲き始めました。写真の蟠龍櫓のところ、ソメイヨシノが満開になると、私の好きな景色になります。

Img_1395c  こんな雨上がりですから、鳥はあまり見ません。九華公園もドバト、ムクドリ、スズメ、カワラヒワ、ハクセキレイ、ツグミ、シジュウカラなどがいたものの、これという写真は撮れず。カモは、合計20羽と激減。ハシビロガモのペアが1組、ホシハジロのオスが2羽と、他はキンクロハジロ。

Img_8013c_20200328160101  左は、本丸跡の藤棚のところのソメイヨシノ。曇天ですから、色が出ません。右は、管理事務所の南にあるヤマザクラ。これImg_8004c は、ソメイヨシノより早く咲き始めました。散歩する人も少なく、散歩友達にも会いません。管理人Nさんと、前管理人のOさんだけ。

Img_8027c  貝塚公園もソメイヨシノはかなり咲いてきました。こちらも鳥は少なかったのですが、ツグImg_1411c_20200328160101 ミ1羽とシロハラ2羽。

Img_1420c Img_1422c  他にはあまりにも鳥がいませんでしたので、ヒヨドリや、ムクドリも撮ってきました(苦笑)。

Img_8000c_20200328160001  余談。柿安本社のところに出ていた花見弁当の宣伝幟旗。九華公園の隣に本社がありますが、公園には「飲食を伴う宴会等自粛のお願い」が掲示されています。柿安さん、それに挑戦するかのように、けっこう強気(?)。ちなみに、花見シーズン(とくに近年)、公園に柿安さんのレジ袋に入った弁当のゴミが捨ててあるようになりました。

Img_8052c_20200328160101  ところで、明日は、「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三岐鉄道北勢線・星川駅から東員駅)の予定。10時半スタートで、お隣の東員町まで。雨は朝、あがるという予報ですから、何とか歩けると思います。途中には、神社仏閣、城跡のほか、市天然記念物のクロガネモチの木や、穴太徳次郎(あのうのとくじろう、穴太徳)の碑があり、個人的はこれらを楽しみにしています。穴太徳次郎は、慶応2年4月8日(1866年5月22日)の「荒神山の喧嘩」で、神戸の長吉(かんべのながきち)と私闘を展開した、桑名を縄張りとした博徒。荒神山は、私が大学院を修了して最初に就職した鈴鹿にある病院近くの観音寺。近鉄ハイキングなどで出かけた記事もあります(2018年12月 2日:20181202「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(予告編)……最初の勤務地あたりを訪ねて、センチメンタルジャーニー)。

2020年3月27日 (金)

終日雨で「晴歩雨読」なるも、今ひとつ(苦笑)

Img_7968c  朝5時過ぎから降り始めました。大した降りではありませんが、終日雨。「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」がモットーですから、午前中、三洋堂書店に出かけ、新書2冊とノートを買ってきたくらいで、あとは読み書きの日。相談会の資料を読み込み、考え、少しずつアウトプット中。しかしやはり、歩かないとアタマの働きは、今ひとつ(苦笑)。明日は、日中は曇りという予報ですから、歩きたいと思っています。

Img_7964c  玄関先から、諸戸氏庭園前にある「マイソメイヨシノ」が見下ろせます。昨日よりは、花は増えた印象。まだ咲いている途中ですから、雨で散ってしまう心配はありません。月が変わった頃には満開になるのでしょう。

Img_7962c_20200327162401  何もありませんので、余談を3つ(余談の方が多いというツッコミはなしでお願いします)。幼稚園にお勤めの知り合いからいただいたお菓子。珍しいものがあるなと思ったのですが、卒園式などで保護者の方からいただいたのだそうです。「ありがとう クッキー」で検索すると、いろいろなものが出て来ました。どら焼きや、毛筆風の書体で「お世話になりました」と入っているものなど、多種多様。いろいろなものが商売になるものだと感心しています。

Img_1336c  もう一つ。昨日の失敗写真。散歩帰り、我が家前の住吉入江の上空をツバメが飛び交っていました。水面に接してまた飛ぶということを繰り返していました。水を飲んでいるのかなという気がします。ツバメであることは、何とか分かる写真かと思います。

Img_7946c_20200327163401 これでオシマイにしますが、最近の桑名七里の渡し公園。平成27(2015)年11月3日にオープンしました。まImg_7948c_20200327163401 だ部分開園の扱い。増設部分の造成工事が終わって、工事はストップ。といいますか、今年度分が終了したのでしょう。Park-PFI方式で、飲食店、売店等の建物が建ち、この4月から供用開始となっていたのですが(こちら)、これでは無理。掲示も何も出ていませんので、詳細は不明。もっと年がいって、九華公園まで行けなくなったらこここを散歩しようと思っています(微笑)。しかし、その頃には徘徊しているかも……。

2020年3月26日 (木)

春本番の陽気

Img_7951c_20200326161201  19.8℃まで気温が上がり、本当に暖かい日になりました。明日からしばらくは雨模様の予報ですから、貴重な晴れ。必要があっImg_7878c_20200326161201 て、朝一番から戸籍謄本、住民票、所得証明などを取りに回っていました。戸籍の証明や住民票は、今は、マイナンバーカードがあるとコンビニのマルチコピー機で取れます。ただし、戸籍に関しては、その自治体に住んでいない場合には、事前登録が必要なのですが、これが私には理解不能。マイナンバーカードがあれば、事前登録など不要と思うのです。それと、この事前登録をインターネットから行うのにかなり手こずりました(苦笑)。やり方の説明が実にわかりにくい。フローチャートのような全体像を最初に呈示してから、各論に入ってくれると分かりやすいのに、いきなりズラズラと各論が続くのです。他方、住民票は、市役所の窓口や、自動交付機で受け取るよりもマルチコピー機の方が、100円安いのはありがたい(役所では¥300)。マイナンバーカードが普及しないのは、利便性が低く、使えるところが少ないことの他に、たとえ持っていたとしても、事前登録のような、余分で面倒な手続きがあることも理由だろうなと思います。必要があったことは、書類を整えて、郵送してきました。冒頭の写真2枚は、諸戸氏庭園前のマイソメイヨシノの、今朝の様子。

Img_1282c_20200326161201  散歩は、9時半過ぎにスタート。いつもより1時間以上遅いので、住吉神社、九華公園、貝塚公園から中橋のゴイサギコロニー、Img_7914c 七里の渡し跡と5.9㎞。11時過ぎに帰宅。暖かい日でしたし、このあたりでは昨日終業式だったためか、揖斐川沿いも、九華公園もそれなりの人出がありました。左の写真は、諸戸氏庭園前にあるヤマザクラ。右は、九華公園本丸跡の様子。

Img_1285c  揖斐川、今日はほとんど鳥影はありませんでしたが、右岸の堤防、旅館山月の裏あたりには、この頃たいていヒバリがいます。これはオスのヒバリで、ここにいながらもさえずっていることがあります。

Img_7893c_20200326161201  九華公園には9時50分頃到着。アオサギ、ゴイサギもいません。この頃ヒヨドリもほとんどいません。ツグミImg_7896c は公園のあちこちや、野球場でよく見ます。野球場には、多いと4~5羽が散らばっているのです。小型の野鳥はあまりおらず、朝日丸跡でハクセキレイ1羽。

Img_1295c_20200326161201  他には、シジュウカラ。この間「ダーウィンが来た」に出演したためか、Img_1304c九華公園、貝塚公園、諸戸氏庭園前と、あちこちに登場します(微笑)。そして、ソメイヨシノが咲き始めて、「桜にメジロ」が復活。シジュウカラとメジロは、九華公園にて。

Img_7912c  本丸跡の藤棚のところのソメイヨシノ、部分的に見ると7~8分咲きくらいの印象ですが、九華公園全体としてはせいぜいImg_7918c 「咲き始め」の段階。右の写真は、九華公園の外周遊歩道の東から公園を見たもの。貝塚公園では、シロハラ2羽、ツグミ2羽、カワラヒワ、シジュウカラなどを見たものの、これはという写真も、証拠写真も撮れませんでした。暗かったり、ピントが甘かったり(苦笑)。

Img_7931c_20200326161201  中橋のゴイサギコロニー。ちょっと間が空きましたが、まだいました。南側(左の写真)からはよく分からImg_1320c_20200326161201 なかったのですが、北側にある柿安さんの駐車場から覗いたら、ゴイサギが8羽いるのを確認。

Img_7933c_20200326161201  このあとは、いつもとは違うルートでと思って、北大手橋(左の写真)を渡って七里の渡し跡へ。北大手橋は、その名の通り、旧・桑名城へ通じていました。東から写真を撮っていますが、橋の手前の道は枡形らしい形になっています。江戸時代は木橋でしたが、今は石橋。これを向こうに渡ると、旧東海道。

Img_7939c  お馴染み、七里の渡し跡。旧東海道の側からの写真。カメラを構えている背後に旧東海道が延びています。いつもの散歩でImg_7940c_20200326161201 は、この写真の左手から来て、伊勢一の鳥居の向こう側を通り、階段を登って、右端に見えている蟠龍櫓の方へ行くのです。今日は、この景色を眺めながら、写真には写っていませんが、ここの左手(西)にある山月と船津屋の前を通って帰路に。船津屋さんの前を通り過ぎると、今でも銭湯が1軒、営業しています。「七里のわたしゆ」。大正創業の歴史ある銭湯で、平成に入ってリニューアルしていますので、広々としてきれいだそうです。「だそうです」と書きましたが、私は未体験。三重県銭湯組合に加入している、桑名で唯一の銭湯。

Img_7907c_20200326161201  ところで、江戸橋の非常勤先からは、新型コロナウィルス対応も考え、前期は、講義時間を1コマ90分から80分に短縮するという連絡がありました。「10分短くなるなら、楽になるな」と思われるかも知れませんが、う~ん、講義内容を考えると10分短縮はけっこう痛い。それなりにまとまったことを十分話すことができる時間だからです。Q&Aを超短縮版にすると、講義内容を変更せずに済ませられるかと、今のところは考えています。写真は、鎮国稲荷神社にて。

2020年3月25日 (水)

散歩日和……ただしこういう日に限って鳥は少ない(苦笑)

Img_7804c_20200325171501  風も弱く、暖かい日になりました。散歩日和です(微笑)。何はなくとも散歩なのです。8時過ぎから住吉神社、九華公園、貝Img_7737c 塚公園、内堀公園、新築町、京町、寺町と6.2㎞。10時45分に帰宅したら、エレベーター点検(苦笑)。すっかり忘れていました。諸戸氏庭園前で15分、時間をつぶしてようやく帰宅。冒頭の写真は、九華公園。左上に移っているのは、楓なのかイロハモミジなのか。右は、諸戸氏庭園前のマイソメイヨシノ。咲き始めたとはいえ、まだこんな感じ。

Img_7742c_20200325171501  こういう陽気の良い日は、案外鳥はいないもの。桑名七里の渡し公園では、ツグミ(左の写真)、ハクセキレイ1羽とムクドリImg_7783c の群れ。揖斐川の川面は静かだったのですが、カンムリカイツブリが4羽ほど。キンクロ数羽くらい。右の写真は、カンムリカイツブリだと思います。夏羽になってきています。

Img_7758c  船津屋さんの裏手で、ヒバリのオス1羽。今日は、揚げ雲雀は見せてくれませんでしたが、ときどきさえずっていました。三之丸公園や、三の丸水門あたりには、スズメ、ムクドリ、ドバトくらいしかいません。

Img_7787c  九華公園。アオサギ、ゴイサギはいません。九華公園のあちこちで、カワラヒワの姿をよく見ます。巣材を集めているのもたくさん。毎年、営巣するはずなのですが、松の木の高いところなどに巣をつくるようで、落下してきたもの以外、巣を見たことはありません。今年はちょっと挑戦してみたい気がしています。

Img_1239c_20200325171401  九華公園で、咲き始めたヤマザクラに早速メジロが登場。管理事務所の南にある桜に2羽がやって来て、蜜を吸っています。Img_1248c 二の丸跡では、ジョウビタキのオス。枝を突いて、虫を引っ張り出して食べていました。

Img_7819c_20200325171401  本丸跡の藤棚のところは順調にソメイヨシノの開花が進んでいます。今日もここに来て写真Img_7855c_20200325171401 を撮っていく人があります。しだれ桜もだんだん見応えが出て来ました。野球場のフェンスの基礎部分のコンクリートに上がって撮影しました。ちょっと視点をあげると、印象がかなり違います。

Img_1252c_20200325171401  カモは、46羽。またちょっと増えました。ハシビロガモは、オス1羽、メス1羽が遅れて登Img_7834c_20200325171401 場。どこかからやって来るようです。ホシハジロのオスがなんと3羽。メスは1羽。ヒドリガモはここしばらくいません。今シーズンはもう登場しないかも。

Img_7838c_20200325171401 Img_7845c  本丸跡では今日もシメを見ましたが、知人と話していて写真は撮れず。代わりにツグミとカワラヒワ。ツグミ、暖かいのに真ん丸。

Img_1258c_20200325171401  外周遊歩道の南にある桜。花が咲くと、ほぼ同時に緑の葉も出てきますから、ヤマザクラだと思います。そういえば、ヒヨドリはほとんどいなくなりました。

Img_7861c_20200325171401  貝塚公園でも、数少ないソメイヨシノが咲いてきています。ここにもヒヨImg_1261c_20200325171401 ドリは1羽しかいませんでした。ツグミも1羽見ましたが、帰ったかと思っていたシロハラが2羽。

Img_7816c_20200325173501  午後からは、先日の相談会の報告の最終確認。明日、発送予定。4月に入ってもう1回、相談会を予定していますから、その本格的な準備に入ります。週末は雨続きという予報ですし、4月に入っても前半の近鉄ハイキングは中止となっていました。時節柄、やむを得ませんが、屋外のイベントですから、感染が広まる危険性は低いのではないかと思ったりします。員弁街道ハイキングだけでなく、他にも「勝手にハイキング」を企画しないと(笑)。

2020年3月24日 (火)

「飲食を伴う宴会等の自粛のお願い」も出ました@九華公園

Img_7629c  風も強く、雲も多く、気温も13.4℃止まりで寒く感じます。天候が日替わりという感じで、風邪を引かないよう気をつけないといけません。九華公園に行ってみたら、「さくらまつり中止」のお知らせに加えて、「飲食を伴う宴会等の自粛のお願い」が、管理会社名で掲出されていました。いやはや。実は、「一人宴会花見」でもと密かに企んでいたのですが、それもマズいのでしょうか? 今朝の中日新聞には露天商や、キッチンカーで営業している方たちも大打撃を被っているという記事が出ていましたが、皆さん大変です。

Img_1080c  朝一番に用事を済ませ、8時40分から散歩スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋通、寺町と6.0㎞。マイソメイヨシノも咲き始めたと昨日書きましたが、写真のマジックといImg_7621c うか、部分的に撮ると左のようになりますが、全体像は右の写真のとおり(苦笑)。インチキ、ごまかしではありませんが、どこを見るかで印象が全く異なります。視線の先と、視野の広さ、視点の高さによって何が見えるかは全く違うというのは、何ごとにも共通すると思います。

Img_1096c_20200324162601  住吉入江には、オオバン1羽、キンクロハジロのメス1羽、ヒドリガモのペア。揖斐川はキンクロハジロが中洲Img_1100c_20200324162601 近くに20羽ほど。波立っており、鳥影はほかにはありません。七里の渡し跡にヒドリガモが19羽、集まっていました。帰る準備と思います。九華公園に着いて、ツグミ。アオサギやゴイサギの姿はありません。カモは、合計38羽。ハシビロガモのオス1羽、メス1羽、ホシハジロのオス1羽と他は皆キンクロさん。今年は、幸か不幸か、さくらまつりも堀めぐりもありませんから、堀に竹竿が立ったり、行灯が浮いていたりしませんから、カモたちもゆったりしています。

Img_7650c Img_7732c  1日くらいで、ソメイヨシノの様子も大きくは変わりませんが、本丸跡の藤棚のところは、左の写真のような感じ。「勝手に」でなくて、公式に開花宣言できそうですが、今朝の中日新聞の「桜だより」では、「つぼみ」となっていました。これまでの印象では、3~4日遅れの情報です。観光協会がチェックした情報を載せているようですが、その観光協会も現地には来ず、管理事務所に電話で確認していると聞きます。観光協会も、お役所仕事かなという気がしてしまいます。

Img_7635c  しだれ桜も開花が進んでいます。しだれ桜は、公園内の野球場の南にあります。外周遊歩道の東から見ると、右の写真のようImg_7654c_20200324162701 な景色。満開になるともう少し見応えがあります。

Img_1116c  あまり鳥はいなかったのですが、九華公園に着いたときから、コゲラの鳴き声が聞こえていました。少しずつ移動するので、探すのが難しかったのですが、最終的には、辰巳櫓跡近くの本丸跡で発見。鳥好きの知人と話していたところへやって来てくれました。寒い中で出て来たご褒美です。

Img_7657c  貝塚公園、今日はシルバー人材センターの作業もなく、静かでした。いつもいる散歩友達も、今日は不在で、代わって出迎えてくれたのは、ツグミ。たいていいるところは決Img_7685c_20200324162701 まっています。ツグミは2羽。シロハラは、見かけませんでした。そう言えば、九華公園でもシロハラを見なくなった気がします。

Img_7674c_20200324162701  他には、ジョウビタキのオス、メス。いずれもちょっと遠かったのは残念でした。メスの方Img_1200c_20200324165101 は一瞬しか現れず。しかも日が陰り気味でしたから、まぁこれは証拠写真です。

Img_1205c_20200324165101 Img_1168c_20200324162701  シジュウカラのペアもいました。シジュウカラといえば、先々週の「ダーウィンが来た」で取り上げられていました。番組では、チンパンジーをもしのぐ高度な言語能力があるといわれていましたが、確かにいろいろな鳴き方のパターンがあり、このペアもあれこれ鳴き交わしていました。左の写真がオス、右がメス。

Img_7694c_20200324162701  吉津屋町まで寺町商店街の東にある堀が続いています。そこで、昨日、九華公園のしだれ桜の東で見つけた、エドヒガンと同じかと思われる桜を発見。「発見」というと大袈裟で、本当のところは今まで気づかなかっただけです。その気になって、注意深く見て回ると、けっこうあちこちにあるということです。あとは、本当にエドヒガンなのか、別の桜なのかということです。時間はありますが、相談会の報告を仕上げてから調べて見ることにします。

Img_7704c  寺町で常信寺にも立ち寄って来ました。ミツマタ(左の写真)も、サンシュユ(右)も、満開といっていいImg_7708c_20200324162701 でしょう。

Img_7712c  この常信寺で、先日から気になっている木というか、花というか。赤い、Img_7714c 細い花びらがヒラヒラとした感じで咲いています。ずっと以前は、すぐに植物図鑑(小学生用のものがもっとも分かりやすい)を調べていましたが、これはまだ未確認。面倒だなということもあって、我ながら苦笑せざるを得ません。「エドヒガン」と同じく、報告を仕上げたらということにしておきます。

Img_7723c_20200324162701  週末には「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」の続編(星川~東員)に出かけたいと思っていますが、天気がどうもアヤシい。町屋川でのバードウォッチングなども行きたいところです。あれこれやりたいことはありますが、仕事をきちんとしないといけません。江戸橋方面での非常勤の準備も滞っていますし(苦笑)。写真は、八間通・寺町交差点から見た北の方向。

2020年3月23日 (月)

散歩コースのあちこちでソメイヨシノが開花……春爛漫という感じ

Img_0937c  散歩コースのあちこちでソメイヨシノが咲き始めました。まずは、九華公園の本丸跡、藤棚のところのソメイヨシノ。例年、九Img_0939c_20200323192701 華公園ではここがもっとも早く咲き始めます。この様子では、昨日から咲いていたかも知れません。ここは、堀からも離れていて、日当たりもよいところ。九華公園のソメイヨシノは、外周遊歩道の南(キッチン寿さんの前あたり)でも咲いて来ていました。ヤマザクラもキッチン寿さんのところにありますが、これも開花していました。

Img_1071c_20200323192701  続いて、諸戸氏庭園前にある「マイソメイヨシノ」に認定した桜。散歩に出たときにも見たのですが、そのときは咲いていなかったと思います。戻って来たのは、3時間後ですから、その間に開花したのでしょう。諸戸氏庭園内にあるソメイヨシノも昨日、咲き始めたそうです。満開の桜もよいのですが、咲くまでの間や、このように咲き始めたところの桜の方がいい感じがしています。

Img_1035c_20200323193401  続いては、貝塚公園のソメイヨシノ。貝塚公園には桜の木は多くはありませんが、西側の門を入ったところのソメイヨシノが咲いていました。とこのように、散歩コースのあちこちで一気にソメイヨシノが咲いた感じです。このほかの桜の木も見てきましたので、このあと順次紹介します。

Img_0850c_20200323193301  住吉入江や、揖斐川にはカモの姿は少なくなっています。代わって、ヒバリ。いつも「揚げ雲雀」と書いていImg_0844c_20200323193301 て、まともな写真を撮れていませんでしたが、今日はまぁまぁの写真が撮れました。比較的低いところで、ヒバリが鳴いていたのです。前にも書きましたが、これはオスの縄張り宣言。今日は、船津屋さんの裏手と、三の丸水門の下流側の、いずれも高水敷上空で揚げ雲雀が見られました。2箇所で繁殖してくれるのでしょうか?

Img_7469c  七里の渡し跡では、ヒドリガモ9羽、さらに三の丸水門下流側では高水敷に50羽ほど。渡りの準備というところ。しばらく前Img_0864c から、ときどきこのあたり(七里の渡し跡~三の丸水門付近)にはヒドリガモが集まります。ここは、ひょっとしたら、渡って行くヒドリガモの集合地点かも知れません。三の丸水門のところでは、カモメ3羽。下流からやって来ました。

Img_0945c  九華公園では、アオサギもゴイサギも不在。カモは、51羽と増えていました。よく分かりません(苦笑)。Img_7537c ハシビロガモのオス2羽、メスも2羽、ホシハジロのオス、メスが各1羽で他はキンクロハジロ。キンクロさんが増えたということ。ユリカモメは20羽。小学生の女の子2人が、「カモに餌をやりたいのに、白い鳥(ユリカモメ)が横取りする!」と少々怒っていました。パンくずを投げていたのですが、ユリカモメとキンクロハジロでは、勝負になりません。あれこれ説明してあげたら、感心されました(微笑)。

Img_7533c_20200323193401  小型の野鳥はあまりおらず、ツグミ、シロハラ、スズメ、カワラヒワ、シメなど。シメは、本丸跡の大木の下にて。チョウチImg_7546c ョはモンシロチョウ、キチョウなど飛び始めました。相撲場の近くでアゲハ(ナミアゲハ)。

Img_7513c_20200323193401  九華公園では、しだれ桜がかなり見応えがある感じになってきました。いつもですと、このImg_0975c しだれ桜が咲いて1週間ほどすると、ソメイヨシノが咲き始めるのですが、今年はその期間が短い気がします。

Img_7551c_20200323193401  このしだれ桜の東側に別の種類の桜があります。今まであImg_1022c まり明確に意識していなかったのですが、今日、改めて見てみると、他では見かけない桜だと気づきました(苦笑、見れども見えずです)。知人とみながらあれこれ話していたのですが、取り敢えずはエドヒガンなのかということになりました。あの薄墨桜もこの系統の桜だそうです。エドヒガンかどうか、確信が持てません。詳しい方がいらっしゃれば、是非ともご教示をお願いします。

Img_7578c_20200323193401  貝塚公園では、シロハラと、ツグミを1羽ずつ確認。他には、ヒヨドリ、ムクドリなど。今日は、シルバー人材センターの方Img_1038c が清掃、草刈りをする日で、午前中その作業が行われていますから、鳥は少ない気がします。このあと、内堀公園の脇を通り、ツグミを見て、新築町からNTNシティホールへ。

Img_7599c_20200323193401  NTNシティホールの薄墨桜。微妙なところですが、満開の手前という感じでした。一頃、キImg_7591c_20200323193501 ノコが生えるなどして、樹勢が衰えましたが、まぁまぁ回復。これは、二世なのですが、本家は岐阜県本巣市の根尾谷・淡墨公園にある一本桜。樹齢1500年以上のエドヒガンの古木です。

Img_1052c_20200323193501  蕾のときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色になるといわれます。満開近くですから、今はほぼ白色。

Img_7613c  このあとは、寺町商店街を通過して帰宅。河津桜は、ほぼ葉桜。今年もしっかり楽しませてもらいました。河津桜そのものも楽しみましたが、やって来るメジロ、スズメ、ヒヨドリたちにも遊んでもらった感じ。

Img_0974c  相談会を終え、一息つきつつも、報告書のチェックと仕上げにかかっています。ブロ友さんからFacebookでいただいた誕生日祝いのメッセージに「晴れて私達の仲間入り♪ おめでとうございます^_^ これからも悩む方々の手助けを、末長く続けてくださいますように」と書いていただきました。そうですね、「晴れて前期高齢者の仲間入り」と考えることにします。そして、もうしばらくは悩む方の手助けを、できる範囲でという思いを新たにしました。持つべきものは友です。

Img_0995c  新型コロナウィルスも気になるところですが、たぶん普通に感染症に対する予防措置を採っておけば大丈夫でしょう。幸いなことに三重県では、感染者数は8名。いわゆるクラスターもありません。気をつけつつ、なるべく普段の生活が続けられるようにと思います。

2020年3月22日 (日)

相談会に出かけた名古屋は人が少なくてビックリ……帰りにツバメの証拠写真

Dscn2899c  今日も暖かい日になりました。予定通り、名古屋での相談会に行ってきましたが、電車も空いており、名古屋駅や地下街にも人Dscn2902c がいないなど、あまりの様子にちょっと驚きました。冒頭の2枚の写真は、相談会を終え、食事を済ませて来た、午後2時過ぎのユニモール地下街と、近鉄名古屋駅の様子です。名古屋駅は、私が知っている終電車間際の時刻よりも空いている感じ。発車時刻ギリギリに松阪行き急行に乗ったのですが、空いていてゆったり座れました。地下街の店はどこも空いており、いつもなら行列になっている喫茶店や飲食店も空席が目立っていました。

Dscn2889c  相談会はお二組、それぞれ1時間の面談。十分お役に立てたかどうか、分かりませんが、検査結果や、事前にお知らせいただいた情報から見立てたお子さんの特徴は、概ね妥当なものだったようです。来てくださったお子さんご本人、最初は気が進まないようでしたが、あれこれ直接話をしたら、次第に心を開いてくれ、「イヤイヤ来ても、いいことがあることもあるんだよ」といったらニッコリ。お子さんと直接お目にかかって、話をするのは楽しみなのです。これから報告書を仕上げて、お送りしなければなりません。

Dscn2887c  終了後は、いつもコーディネートして下っているYさんと国際センタービル25階の東天紅へ。休日は、サービスランチがなく、バイキングがあるDscn2896c のですが、ご覧のように「しばらくバイキングの営業はございません」とありました。今日は、山の幸膳をチョイス。ここでも驚いたことがありました。ランチを食べ、いろいろとお話をしていたのですが、われわれがいた間、他のお客さんはゼロでした。客よりもスタッフの方の方が多かったはず。人件費も出ないような感じで、何だか気の毒。

Dscn2907c  オマケ。帰りに桑名駅を降りて外に出たら、頭上からツバメの鳴き声が聞こえて来ました。Nikonのcoolpixのコンデジしか持っていませんでしたので、超証拠写真ですが、ツバメが来ていることが証明できます(微笑)。それから、今日でとうとう(?)、見事に(?)、前期高齢者の仲間入りを果たしました(苦笑)。若い頃には想像だにできなかった事態ですが、これまでのモットー通り、「淡々と飽きもせず……」「晴歩雨読」の生活を続けたいと思っています。引き続きよろしくお願い申し上げます。

2020年3月21日 (土)

ツグミの水浴びシーン……今日もツバメを見ましたが、写真はまだ

Img_0724c_20200321191701  今日も暖かい日になりました。いつも通り(笑い話ではありませんが、いつも、いつも通りです……苦笑)、散歩の日々です。8時スタートで住吉神社、中橋のゴイサギコロニー、九華公園、貝塚公園、入江葭町、京町、寺町からスーパー・バローにある100均ショップに寄って7.2㎞。よく歩きましたが、鳥に誘われて、九華公園と貝塚公園でウロウロしたからです。冒頭の写真は、諸戸氏庭園の前にある「マイ・ソメイヨシノ」認定の桜。数日すると咲きそうな感じ。

Img_7415c_20200321192301  今日のハイライト。ツグミの水浴びシーン。九華公園の奥平屋敷跡。インコがいる鳥小屋の北側の水たまりにて。ツグミの水浴Img_7389c_20200321192401 びシーンは初めて見ました。

Img_7426c  そしてもう一つは、コゲラ。鎮国守国神社の境内(本殿の裏手)で鳴いているのに気づき、本丸跡、相撲場近くから奥平屋敷跡へと追いかけて、追いかけて(歌の文句ではありませんが)、撮影。「牛に引かれて善光寺参り」ということばがありますが、「コゲラに誘われて九華公園をウロウロ(不出来)」でした。

Img_0814c  3つめ(笑)。貝塚公園で、アオジのオス。貝塚公園、あまり鳥はいませんでしたが、南西エリアを歩いているとき、何か飛んだ!?と思って、そっと近づいてみたらアオジでした。たまにこういうことがありますので、貝塚公園も散歩コースから外せません。アオジにもあちこち歩かされました。

Img_0746c_20200321191801  さて、中橋のゴイサギコロニー、北側の柿安さんの駐車場から見ると、ゴイサギが4羽とホシゴイが1羽。よくよく見て、この数。以前の半分くらい。サギたち、繁殖期に入っていますからサギ山に行ってしまったのかも知れません。ちなみに、南側からは、モチモチの木の中に見えたのは、1羽くらいでした。三の丸水門のところには、ヒドリガモが18羽ほどいましたが、カラスが乱入して大騒ぎになっていました。

Img_0775c_20200321192101  九華公園、アオサギや、ゴイサギはいません。カモは31羽と減少。ハシビロガモのオスが4羽、メスが3羽、ホシハジロのオス1羽と、珍しくメスも1羽(左の写真)。他はキンクロハジロ。ユリカモメは、18羽。今日の九華公園、カワラヒワ、キジバト、ヒヨドリ、メジロなどはいましたが、ジョウビタキ、シメ、シロハラはいません。

Img_7360c  しだれ桜はかなり咲いてきました。ソメイヨシノは、公園内のあちこちで蕾が膨らみ、花びらのピンク色がImg_0758c 見えてきています。管理事務所には毎日10本以上、「咲きましたか?」とか、「いつ頃咲きそうですか?」という電話がかかってくるようです。週が明けた頃でしょうか? 「今か、今か」と待っているときが、もっとも楽しい気がしています。

Img_0823c  貝塚公園では、アオジの他、ツグミも見ましたが、写真に撮れたのは、シロハラだけ。3時間も歩き回って、あまりたくさんの鳥に出逢えたわけではありませんが、まぁ満足。写真は撮れませんでしたが、帰りに住吉入江でジョウビタキのメスにも会えましたし、九華公園では、二の丸跡と、外周遊歩道の南と2箇所でウグイスの鳴き声を聞けました。そうそう、貝塚公園を歩いているとき、ツバメが上空を通過。写真はまだ撮れていません。

Img_7362c_20200321193601  明日は、午前中に名古屋で相談会の予定。愛知県・名古屋市といえば、新型コロナウィルスの感染者数が多く、それが気にならないことはありませんが、通常の予防をきちんとしておけば、危険性は高くないと理解しています。左の写真、鎮国守国神社で撮りました。狛犬さんは、いったい何を見ているのだろうとふと思ったのです(微笑)。

2020年3月20日 (金)

強風注意……散歩はアリバイ的

Img_7263c_20200320115001  強風が吹きまくっています。家内の実家方面へ出かけようと計画していたのですが、東名阪自動車道が事故で6時間以上通行止め。そのあおりで国道1号線や23号線も大渋滞。9時半になってから、住吉神社、九華公園を散歩。10時半過ぎに帰宅。4.3㎞。先ほど(11時半過ぎ)、下り線の通行止めが解除されましたから、一般道も空いてくるでしょう。もう少ししたら出かけるつもり。

Img_7286c_20200320115001  アリバイ散歩でしたから、記事もアリバイのようなもので(微笑)。九華公園のアオサギさん、今日もいましたが、写真を撮ったらすぐに飛び立っていきました。その前に、この写真の姿勢の後、白い物体を放出(苦笑)。決定的瞬間は撮れませんでした。惜しいことをしました(爆)。

Img_7293c_20200320115001  ユリカモメ。20羽くらい。カモは30羽くらい。「くらい」と書いていますが、今日は散歩用メモ帳を忘れたのImg_7304c です。ルーチンのことを、決まった時間にすると忘れることはありませんが、パターンが変わると、何か忘れます(苦笑)。こまったもの。本丸跡には、シメ。

Img_7327c_20200320115001  野球場の南にあるしだれ桜は、けっこう咲いて来ています。ソメイヨシノImg_7336c_20200320115001 は、公園内の場所によってさまざま。右の写真は、外周遊歩道の南、二の丸橋のたもとあたり。

Img_7282c_20200320115001  明後日は相談会。準備はかなり進んだつもりです。しかし、ここまでの作業は、いわばデータを拝見して、そのお子さんについての「仮説」を建てた段階。親御さんと、できればご本人にも直接お目にかかって、その仮説を検証しながら、知能検査の結果を説明し、どのように対応したらよいか、支援をどうするかをお話しします。通常のカウンセリングよりもこちらがお話しする時間は長いのですが、親御さん・ご本人からのフィードバックをいただきながら進めます。

2020年3月19日 (木)

お彼岸で、御坊さんにお参り

Img_0645c  最高気温は19℃でした。若い人など、上着なしで出歩いていたくらいです。朝一番に用事を済ませ、8時半から11時まで歩いてきました。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町を回ったあと、シティホールの薄墨桜を見て、寺町へ。お彼岸ですから、桑名別院本統寺にお参りして帰ってきました。6.3㎞。汗ばみました。冒頭の写真、鳥が小さく写っていますが、これはヒバリ。いわゆる「揚げ雲雀」で、オスが高く飛び上がって、さえずり、縄張り宣言をしています。繁殖期が始まったことを示しています。この写真を撮っていたら、男性が「飛行機を撮っているんじゃなさそうですね」と話しかけてこられました。「野鳥は興味がないから、分からないなぁ。ヒバリは名前は知っているが、どんな鳥かは知らない」などとおっしゃっていました。

Img_0628c  揖斐川にはあちこちにキンクロハジロらしきカモが20羽ほど、また、カンムリカイツブリも2羽ほど見えました。七里の渡し跡には、コガモが12羽ほど(左の写真はメス)。オオバンが2羽の他、珍客。カンムリカイツブリが入ってきていまImg_0634c した。住吉入江に来ていることも年に1~2回ありますが、たいていは揖斐川にいます。

Img_0638c_20200319164601  三の丸水門近くの高水敷には、ヒドリガモたちがあがってきていました。ここには15羽ほどいImg_0641c_20200319164601 たほか、水門の前の揖斐川にも30羽ほどが浮いていました。この高水敷や、七里の渡し跡の堤防の法面に集まって、草を食べているのが2~3日続いた後、北の国に帰っていくようです。

Img_0653c  九華公園。アオサギは、今日も定位置にやって来ていましたが、ご覧の通り。「オーイ!」とImg_0702c_20200319164601 呼びかけると、顔を上げますが、別に私の声に反応したわけではなく、定位反応(声が聞こえたので、何だろう?と思った)でしょう。ゴイサギやホシゴイは見当たりません。カモは、37羽。ハシビロガモのオス2羽、メス2羽、ホシハジロのオス2羽とキンクロハジロ。ハシビロガモが減りました。ユリカモメは17羽。

Img_7240c  堀では、ミドリガメたちが甲羅干しの場所を争っています。この写真は、相撲場の東の堀で撮りました。こImg_0704c こにはこの石しか甲羅干しをするところがなく、本当に場所の争奪戦。右手前のカメは、ずり落ちていくところ。このほか、野球場の南、吉之丸堀の通路脇に大きな石がありますが、そこも大賑わい。カメの数は、一頃より減った気もしますが、それでもかなりたくさんいるのは確か。

Img_0681c  公園内、今日は小型の野鳥はあまりいませんでしたが、それでもツグミは5羽ほど見かけました。朝日丸跡でImg_0663c_20200319164601 はシメが一瞬出て来ましたが、散歩する人があってすぐどこかに行ってしまいました。カワラヒワもたくさんいます。エサを拾っていることが多いのですが、中には、巣の材料を集めているカップルもあります。

Img_0689c_20200319164601  他に見たのは、ジョウビタキのメス。しかし、枝被り。今日も、ウグイスは鳴いていましたし、メジロ、シジュウカラなどの姿も見られました。しかし、先日いたコゲラは見当たらず。エナガも見たいのに、このところすっかりご無沙汰。貝塚公園は、静かでした。ツグミ、ムクドリを見たくらい。シメはいません。ちょっと残念。こういう陽気の良い日には案外鳥がいないものです。

Img_0716c  NTNシティホールの薄墨桜、かなり咲いてきたかと期待して見に行ったのですが、まだまだでした。1本で数輪咲くというのImg_0719c_20200319164601 が、ソメイヨシノの開花宣言の基準と聞いたことがあります。それは満たしていると思うのですが、全体としてはまだまだ。

Img_7252c_20200319164601  明日が彼岸の中日。ということで、恒例、本統寺にお参り。地元の方は、御坊さんと呼んでおられます。実家方面に檀那寺はありますImg_7244c_20200319164601 が、いつもはこちらに参らせてもらいます。お彼岸なのに、人がまばらでした。

Img_7250c  本堂にあったのが、こんな掲示物。新型コロナウィルスの関係で、3月2日から5月6日(右上の写真)までの諸行事は、原則中止だそうです(真宗大谷派の対応にしたがっているということ)。法要についても、参拝者の受け入れは行わず、別院職員の方が務めてくださるとなっていました。今日は、春季彼岸会でしたが、これも同様。そういえば、市内の大福田寺の火渡り(4月1・2日)も、今年は中止だそうです。といいますか、正確には、稚児行列・福もちなげ・大神楽・火渡り神事は中止ですが、神事として行われる柴燈護摩法要は開催されます。ただし、一般の参加はできないということだそうです。護摩法要は、無病息災、疫病退散、開運福徳を祈願するものですから、何となく複雑な気分です。

Img_0687c_20200319164601  最後に、九華公園のソメイヨシノの様子。本丸跡の藤棚のところの木です。ここが例年、もっとも早く咲きます。

 

2020年3月18日 (水)

今日こそ「ひのとり」……ツバメを見て(今シーズン初見)、ジョウビタキ、ガングロになりかけたユリカモメ、モンシロチョウにそばに寄り添ってきたハシボソガラス

Img_0568c  けっこうよく晴れ、暖かい日になりました。16.8℃です。昨日は、大ポカを演じましたので、今日こそと思い、九華公園、貝塚Img_7187c_20200318182701 公園、中橋ゴイサギコロニーを回ったあと、上之輪新田の「マイ撮り鉄スポット」に出かけ、近鉄の新型特急「ひのとり」の撮影に挑戦してきました。平日午前中、名古屋発は、7時と11時。特急で名古屋から桑名の所要時間は16分。11時15分頃、揖斐長良橋梁を渡って上之輪新田に登場すると見込んで、です。ひのとりを撮影に来た方は、ほかにも4~5名。上之輪新田のあちこちに散らばって、撮影。私は、ほぼ30分前からスタンバイ。

Img_0587c Img_0596c  いや、やはりカッコイイ。メタリックレッドの色が何ともいえませんし、デザインも新鮮。名古屋と大阪難波の間を1日6往復。名古屋から大阪難波まで乗ると、大人普通運賃が¥2,410、特急料金が¥1,930。プレミアム車両は、ひのとり特別車両料金¥900で、計¥5,240(レギュラー車両の特別料金は¥200)。乗ってみたいですねぇ。しかし、大阪へ行く用事はありません(苦笑)。さらには、しまかぜにもまだ乗ったことがないくらいですから。写真で見ると、先頭車両は、座席がけっこう埋まっていました。撮影したときは薄曇り。スッキリ晴れていたら、あの深い赤い色がもっときれいに出たのではないかと思いますし、もう少し線路に近いところで撮れば、もっと迫力のある写真が撮れたように思います。近いうちにもう一度、撮りに行くことにしましょう。

Img_7185c  さて、前半のいつものコースの散歩。8時20分にスタート、住吉神社、九華公園、貝塚公園、中橋のゴイサギコロニーから七里の渡し跡、住吉神社と戻って10時半にいったん帰宅。クルマに乗って、上之輪新田へ。歩いたのは、5.6㎞でした。左の写真は、七里の渡し跡から住吉神社に戻る途中撮ったもの。

Img_7108c_20200318182901  九華公園では、ご覧のように「さくらままつり中止」の掲示が出ていました。残念ですが、個人的には昨日もImg_7092c_20200318183101 書きましたように、静かに桜が見られる方がありがたい気がしています。それに何より、人の集まりが少なければ、花見期間中も、バードウォッチングが楽しめるであろうと期待しているのです。今日もまだ準備が行われていましたが、右の写真のように、ライトアップだけは例年通りに行われます。

Img_0408c_20200318183101  今日は、アオサギさんがいつものところに。最近は、来たり来なかったりしています。ゴイサギ、ホシゴイはいませんでしImg_0405c_20200318183101 た。アオサギさんを見ていたら、ジョウビタキのメスが登場。微妙に近くに来るかと思えば、ちょっと逃げてみたりします。まぁ、それなりに相手をしてくれる感じ。

Img_7111c  管理事務所の南、奥平屋敷跡への入り口で今度は、ジョウビタキのオス。今日はラッキー。ジョウビタキのオス、メスとも見られました。

Img_0412c_20200318183101  もとアヒル小屋の屋根には、今日もユリカモメが待機中。昨日までは気づかなかったのですが、よく見たら、頭部が黒くなってきているユリカモメがいます。ユリカモメは、夏羽では頭部が黒くなります。夏のユリカモメは、ガングロになるのです(微笑)。

Img_0418c_20200318183101  二の丸跡では、シロハラ。ときどきいます。さらに、本丸跡に行ったら、Img_7120c_20200318183101 ツグミとシメのツーショットが撮れました。東側の野球場寄りのところ。超望遠コンデジの65倍ズームですので、ちょっと画像が粗いのですが、なかなか見られないシーンです。

Img_7157c_20200318183201  本丸跡では、ほぼ同じ時刻にもう1羽のシメ。いつものように、本丸跡中央の大木の下でエサを拾っていました。右は、ツグImg_7159c ミ。これは野球場のグラウンドにて。ピントが甘くて、ブレ気味ですが、何かの幼虫のようなものを咥えていました。

Img_7168c  貝塚公園では、シロハラとシメ、1羽ずつ。木陰ですのでこんな写真。シメの写真は、ピントが甘すぎて載せられません。

Img_7181c Img_0488c_20200318183201  立教小学校の校舎の西に、これは桜の木と思うのですが、いつもソメイヨシノよりも早く咲くものが1本あります。早咲きの桜で検索して、ざっと見比べてみると、カンヒザクラか、オオカンザクラの系統かという気がするのですが、私の知識では区別できません。お分かりの方がいらっしゃったら、是非ともご教示ください。

Img_0503c Img_0499c  中橋のゴイサギコロニー。ひのとりを見に行こうと思っていましたので、南側の中橋から見たのみ。ゴイサギ2羽とホシゴイ1羽が確認できました。木の奥にいつもいますから、北側から見ないと、実際にどれくらいいるかは分かりません。

Img_0535c_20200318183201  上之輪新田でひのとりを待っている間に、モンシロチョウ。チョウチョは2月中旬から見てImg_0540c いますが、なかなかじっとしてくれず、撮れたのはたぶん今日が初めて。さらに、ひのとりが来るのを待っていたら、なぜかハシボソガラスが近くにやって来ました。デジイチの55mmで撮って右の写真になるくらいのところ。逃げません。ひのとりを撮っている間中ずっとそばにいました。

Img_0459c_20200318183201  オマケは、例年、九華公園でもっとも早く咲くソメイヨシノの様子。暖かい日が続くという予報ですから、早ければ、今週末に咲くかと思います。書くのを忘れていましたので、付記します。九華公園を散歩中、今シーズン初めて、ツバメを見ました。上空を西から東に向かって飛んでいきました。写真は残念ながら撮れず。

20200315「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)(補遺編にて完)

 3月15日に行ってきた「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)の補遺編です。見てきたところはさほど多くありませんし、話に夢中になって見逃したところもいくつかありますので、補遺編として書くことにしました。概要は、昨日(3/15)の予告編をご覧ください(2020年3月15日:20200315「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)(予告編))。

200315masuohoshikawa1  まずは、歩いたルートと、立ち寄ったところの詳しいマップその1です。私とM氏は、桑名駅から近鉄名古屋線に乗って益生駅まで。ここでK氏と合流。員弁街道を歩く前に、お二人とも有王塚と俊寬塚の存在は知ってはいたものの、行ったことはないということでしたので、まずはそちらへ。これは益生駅の西にあります。

Img_6491c_20200316185201  有王塚の全景。右手前にある「有王塚」の石碑。碑陰には「「哀弧忠零落僅修荒墳 大正7年夏 昌忠」とありImg_6497c_20200316185201 ます。大正7年は1918年。これは、天春静堂(本名又三郎。明治6(1873)年、三重郡保々村(現四日市市中野町)生まれ。実業界で活躍したが、心臓病により引退。静養の傍ら俳句に精進したといいます)によるもの。さらに、この石碑の正面に句碑が建っています。句碑の正面には、「塚になけわが泣くあとを友千鳥 句仏」、裏に「有王者俊寛侍者也 少尋師絶島事生収骨行脚没 桑名里人塚之此是也 大正十四年十二月十二日」とあります。大正14年は1925年。句仏は、大谷句仏(浄土真宗の僧・俳人。東本願寺二十三世)。案内の石碑も、句碑も俳人天春静堂が、この塚の荒廃を惜しんで修築し、 静堂をめぐる桑名の俳人たちによって句碑を建て、また有王講という保存会を創ったことによります。なお、俊寬は、平家物語に登場するのですが、そこに有王という侍童は出て来ません。潤色されて有王が登場するのは後代の俗書だそうです。この地には、往昔、りん(舟偏に侖)崇寺(りんそうじ)があって、また付近に塚が多く、後年、りん崇寺によって有王伝説が流布されたようです。すなわち、俊寛の侍童有王丸が、流罪中の俊寛を鬼界ヵ島に訪ね、師の骨を抱いて高野に収めるために行脚中 、りん崇寺門前で生き倒れたというのです。この種の伝説はあちこちに残っていて、高野聖の宣伝によったものとされます。なお、りん崇寺は、現在は、南寺町(桑名別院本統寺の南)にあります(帰帆山円林院りん崇寺)。

Img_6502c_20200315161201  員弁街道の起点は、益生駅の東300mほどのところにある三ツ矢橋交差点です。東海道は、この三ツ矢橋交差点の南120mほどのところを通っています。東海道のその辺りは、矢田立場でした。街道は、別の街道から追分などでつながっているものだと思っていましたが、員弁街道は東海道から分岐するという風にはなっていないようです。ちなみに、員弁街道(濃州道)は、ここから、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜、いなべ市藤原町川合などを通り、いなべ市藤原町山口で巡見道と合流し、濃州(今の岐阜県)へ向かいます。

Img_6511c_20200315161201  馬道駅の東にある阿耨山善龍寺。詳細は、3/15の予告編に書きました。この寺の山号の文字「」という文字が、3人とも読Img_6515c めず、唸っていました(苦笑)。調べたら、音読みは「ドウ・ジョク・ヌ・ドク・ノク」、訓読みは「くわ・くさぎる・すく」でした。意味は、「くわ。くわで草をかる。くさぎる。すく」といいます。「阿耨山」は「あどうざん」と読むのでしょうか。

Img_6548c_20200316193301  続いて、玉三稲荷神社。この近くの何ヶ所かに大きな看板が出ており、前から気になっていた神社でした。Img_6538c 員弁街道沿いには、左の写真のように一の鳥居と社号標が建っています。神社は、ここから奥に入っていきます。京都にある伏見稲荷大社の桑名支部、しかも現存する最古の支部といいます。拝殿は、3/15の記事にも載せましたが、右の写真のようになっています。御祭神は、玉三稲荷大神と清龍大神。「玉三稲荷大神」は、お稲荷様ですから、宇迦之御魂神と思います。また、清瀧大神は、龍神と考えます。

Img_6543c  こちらが、清瀧大神。伊勢神宮とも書かれています。伊勢で龍神伝説で有名なのは、松尾観音寺(龍神伝説については、こちらを参照)。清瀧大神の背後には、「玉龍之瀧」という石碑がはめ込まれた人工の瀧。かつては、水が流れていたと思われます。このほか、北側に祖霊社、別社として金山稲荷社(金運)と長福稲荷社(健康運)が祀られていましたが、これらにはお参りはしてきませんでした。Img_6545c_20200316195301

 玉三稲荷には、神宝として「白蛇の天然石」があるそうですが、下調べが十分でなく、あとから気づいた次第。2匹の白蛇がお互いの尻尾で結び合い、顔を向かい合わせて巻き付いており、良縁・縁結びのご利益があるそうです。ちなみに、白蛇は七福神の一柱である弁財天の化身で、古来より財宝神として崇められているといいます。また、ここにある松は「三鈷(さんこ)の松」と呼ばれており、葉が三葉で一組(通常は二葉一組)になっているという貴重な品種とか。これもあとから気づいたので、見ていません。

Img_6552c  明正中学校の北西あたりで、員弁街道は右折するところにある地蔵堂と、石碑「瑠璃山明光寺 三界萬霊」については、割愛します。3/15の予告編をご覧ください。予告編では触れませんでしたが、もう一つ石碑? 墓?がありました。読める範囲では、「竹本三津杢(以下は、地中に埋まっていて見えず)」「行年?」とあります。「行年(ぎょうねん)」とあるからには、墓かと思いますが、「くわな史跡めぐり」にも「みえの歴史街道 濃州道」にも言及はありません。言及がないということは、歴史的な人物ではない人の個人の墓なのかという気がしますが、なぜここにあるのかは謎。

Img_6562c_20200315161301  西別所駅の南にあった小祠堂。クローズアップ写真を右に載せておきます。予告編で書いたように、10cmほImg_6564c_20200316201201 どの高さの、小さなお地蔵様が祀られていました。お供え物がありますから、お参りする方もいらっしゃるのでしょう。

200315masuohoshikawa2_20200317070901  詳しいマップは、その2の範囲へ。西別所駅のすぐ南には、辻内鋳物鉄工Img_6566 本社工場があります。ここは、500年を越える鋳物業の歴史があります。江戸時代、鋳物師の辻内家は、揖斐川右岸に住み、このあたりを「鍋屋堤」といいました。現在も、桑名水郷花火大会(今年は、11月21日(土)に開催)の会場は、「鍋屋堤」と表現されています。辻内善右衛門尉藤原種次は、桑名藩主・松平定重の命により、桑名宗社の青銅の鳥居をつくっています(寛文7(1667)年完成)。この鳥居は、その後たびたび崩れたのですが、その都度、辻内家によって補修され、現在に至っています。このように歴史のある辻内鋳物鉄工ですが、本社工場は稼働していないようでした。

Img_6570c_20200317070101  辻内鋳物鉄工の前を過ぎると、員弁街道は三岐鉄道を渡って、右斜め(北西)に向かいます。そこに「日露戦争出征兵士の記念の碑」と書かれた「従軍紀念碑」がありました。まだ新しいもので、碑陰には西別所の勇士の方のお名前が刻まれていました。こんな新しい戦争の紀念碑は珍しいのですが、古いものを建て直したのかという気がします。建立年月日はありませんでした。そして、このあたりに安永6(1777)年の地蔵堂があるはずですが、この紀念碑に気をとられ、見忘れました(苦笑)。マルチタスクがアヤシくなっています。ということは、ワーキングメモリーが低下しているためか(爆)。そろそろ前期高齢者ですからねぇ。

200315masuohoshikawa3  このあとは、蓮花寺川に沿ってしばらく行きます。城下橋のところでも子安地蔵を見落としました(気づいて、振り返って、遠目の写真は撮りましたが)。在良駅と東名阪自動車道のところまでは、「くわな史跡めぐり」や「みえの歴史街道マップ」に載っているような見るところはありません。在良駅手前の東名阪自動車道の高架下にも地蔵堂があるのですが、これも気づかずに通過(苦笑)。ここは、このあと行く額田の子安地蔵を分祀したものです。あとで気づいたのですが、額田の、いわばご本尊を拝めばよいかと。

Img_6634c_20200315161301  スタートから4㎞の手前、員弁街道が左折するところに額田神社の社号標。額田神社は、ここから400mほど北に行ったところにあります。式内社。意富伊我都命(おおいがつのみこと:額田連(ぬかたのむらじ)の祖)、天照大御神天津彦根命を祀っています。意冨伊我都命と額田神社について、神社検索三重には、「天津彦根命ノ御孫ニシテ額田部連ノ御祖神デアリ第十九代(允恭天皇:西暦440年)ノ御世ニ御奉斎セラル。延喜式神名帳ニ桑名郡(郷)額田神社也トアル」とあります。「額田部」氏は、推古天皇の時代には外交で活躍した一族で、応神天皇の子であった額田大中彦の名代であるという説や天津彦根命の末裔だという説などいろいろあります。一度は行ってみないといけません。

Img_6653c_20200317073101  予告編には書きましたが、額田の子安地蔵様はきちんと拝んできました。4.7㎞ほどで坂井橋に至ります。その手前、北側の北勢線の線路際に顕彰碑がありました。これは、「くわな史跡めぐり」や「みえの歴史街道マップ」には載っておらず、ノーチェック。「故水越徳次郎翁顕彰碑」とあります。水越徳次郎という方については、ネット検索では情報が出て来ませんが、K氏によれば、この地域の有力者で、地元に貢献した人だそうです。顕彰碑も、「桑名市長 水谷昇 書」とあります。そのご子孫が、このすぐ近くの貞昭院というお寺を開いたそうです。顕彰碑は、県道の向こうにありましたので、写真を撮ったのみで碑陰などは見ていません。

Img_6664c  ゴールは、三岐鉄道北勢線・星川駅としました。駅の先の員弁街道沿いに、星川城跡星川神社など見るべきところがたくさんあります。星川城には、中世、春日部若狭守が居城したとされます。春日部氏は、旧朝明郡萱生(現在の四日市市萱生町)の豪族で、城主の若狭守はその一族。城は、織田信長の伊勢侵攻で滅ぼされています。星川神社は、式内社。この地を開拓した星川建彦(たけるひこ)命を祀るといわれます。星川から先も近いうちに歩きたいと思っていますが、相談会準備もあり、今の時点では未定。

2020年3月17日 (火)

彼岸の入り、九華公園ではしだれ桜が咲き始めました……シティホールの薄墨桜は1輪だけ

Img_7023c_20200317161001 Img_0385c  今日は、彼岸の入り。暑さ寒さも彼岸まで、といいますが、今朝は氷点下でした(-0.8℃)。日中は12℃を超え、寒暖差がかなりあります。九華公園では、野球場の南の堀端にあるしだれ桜が、7~8輪開花していました。数からいっても、立派に「開花宣言」ができます。NTNシティホールの薄墨桜は、1輪だけ咲いていました。例年ですと、これら、しだれ桜と薄墨桜が咲き始めて1週間ほどすると、九華公園のソメイヨシノが咲き始めます。桜は咲くのを待っている、今の時期がもっとも楽しいかも知れません。

Img_7011c_20200317161401  その九華公園では、昨日、桜の植え替え作業が行われました。数えてみたら、10本ほど。ちょっと少ない気がしますが、植え替えなしよりは、マシ。ただ、木と木の間隔がちょっと狭いような気がします。また、今日は、ライトアップ用の電線を敷設し、電球を取り付ける作業が行われていました。さくらまつり、堀めぐり、写生大会は中止。露店も出店しません。静かに花見を楽しむということです。張り合いがないとか、それでは楽しくないという方も多いでしょうが、まったく個人的には、その方がありがたいと思っています。

Img_0297c_20200317161801  さて、散歩は、朝一番に所用を済ませ、8時50分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園、NTNシティホール、寿町でもう一つ所用を済ませ、寺町経由で11時半に帰宅。6.8㎞。晴れて、気温も上がったものの、案外こういう日は鳥が少ないのです。揖斐川では、シラウオ漁の漁船が1組。そのうち1隻にユリカモメがたかっていました。船の周囲を飛んだり、近くの水面に降りたり。おこぼれがもらえているようでもありません。

Img_7000c  九華公園では、アオサギは今日もいません。鎮国守国神社の社務所裏には、ゴイサギが2羽。ほかに見たのは、カワラヒワ、ハImg_0361c_20200317162101 クセキレイ、ツグミ、ジョウビタキのオス、スズメ、ムクドリくらい。あまりにもいないので、たまにはと思って、ヒヨドリの写真を撮ったくらい(苦笑)。

Img_0370c_20200317162201 Img_0309c_20200317162201  カモは、合計41羽。このところはこれくらいで推移。ハシビロガモのオスが4羽、メスが2羽、ホシハジロのオスが2羽、ヒドリガモが1ペアとキンクロハジロ。ユリカモメは、30羽ほど。最近は、ずっと昔、アヒル小屋だったところの屋根に集まっています。

Img_7034c_20200317162401  九華公園から貝塚公園に行く途中の、あるお宅でボケの花がきれいに、たくさん咲いています。これ、植えてあるわけではありません。大きな瓶に枝がさしてあるだけなのです。それだけでこんなに見事に咲くものなのか、何か特別な肥料でも与えてあるのか? 

Img_0374c Img_7044c_20200317162701  貝塚公園も比較的静かでした。いたのはツグミとシメ、それぞれ1羽。このほか、シロハラ1羽と、ジョウビタキのメス1羽を見たものの、ピンぼけ写真(苦笑)。

Img_7075c_20200317162701  内堀公園では、ジョウビタキのオスが来ましたが、ちょっと遠かった。という次第で、天気はよく、暖かくなってきたものの、鳥見はあまり恵まれませんでした。

Img_7071c  立教小学校の校庭。例の臨時休校にともない、桑名市でも小学校の校庭や、市立幼稚園の園庭が子どもたちに開放されることになったのです。昨日、夕方、用事があって教育委員会に行ってきましたが、先生方は「バタバタでした。ようやく少し落ち着きました。でも、そろそろ異動の内示もありますから、気を抜けません」とおっしゃっていました。

Img_7027c_20200317163301  余談。朝、近鉄の新しい特急「ひのとり」の写真を撮ろうと思って、上之輪新田の「マイ撮り鉄スポット」に行ったのですが、時間を取り違えていて、失敗(苦笑)。平日ダイヤをよく確認せず、休日ダイヤを見ていました。顔を洗って出直しです。

2020年3月16日 (月)

九華公園のウグイスの鳴き声、コゲラも久しぶりに登場……天気は不安定で、藤原岳には雪【付記(3/17)あります】

Img_6985c_20200316164701  めまぐるしく天候が代わる1日でした。未明に降ったあと、午前中もアメダスのデータには記録されていませんが、散歩中にも何度か降られ、雨宿り(苦笑)。その後晴れ間も増えたものの、強風に煽られています。そして、藤原岳には雪。季節はずれとはいえないかも知れませんが、「今頃?」という感じ。朝は雨模様でしたから、空とネットの雨雲レーダを眺め、9時前から散歩。住吉神社から九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町といつものコースを5.7㎞。九華公園で2度ほど雨宿り。11時過ぎに帰宅。

 先週から九華公園でウグイスが鳴き始めました。今日は、目の前の植え込みで鳴いていましたので、動画で音声も録ってきました。ちょっと聞きにくいかも知れませんが、Youtubeへのリンクを張っておきます。ノイズもありますし、いつものように「撮って出し」で編集もしていません。ご了解ください。

Img_6702c  さて、歩いてきた順に。住吉入江には、オオバン2羽とキンクロハジロのメス1羽しかいません。揖斐川にもカモ類の姿はほImg_6710c_20200316165401 とんどありません。船津屋さんの裏手の揖斐川の堤防でツグミ。三の丸水門の上空では、「揚げ雲雀」。揚げ雲雀は、ヒバリのオスによる縄張り宣言。このあたりで繁殖してくれると楽しみが増えます。かなり高いところで鳴いていたオスが急降下して、高水敷に降り立ちました(右の写真)。

Img_6719c_20200316165401  七里の渡し跡には、ヒドリガモの群れ。といっても、。といっても、36羽。ほとんどが堤防の法面に上陸。Img_6729c_20200316165401 このあと皆、草を食べ始めました。次は、このヒドリガモグループが北の国へ帰っていくのでしょう。三の丸水門沖の揖斐川には、セグロカモメが4羽。いずれもちょっと幼いように見えました。

Img_6745c_20200316165401  九華公園では、北門を入ってすぐのところで、実に久しぶりにコゲラの鳴き声。今日は、雨が降るとイヤだと思って、超望遠コンデジしか持って出ませんでした。チョコマカ動き回られると、ピントが追いつきません。超証拠写真。鎮国守国神社の社務所裏にはアオサギもゴイサギもいませんでした。この頃、カワセミはすっかりご無沙汰。どこかへ繁殖に出かけているのかも知れません。

Img_6786c_20200316165401 Img_6790c_20200316165401  先週、市内のM造園の大将が下見に来ていましたが、今日は、桜(ソメイヨシノ)の植え替え作業が行われていました。といっても確か10本くらいという話だったと思います。古木を掘り出して、その後に若い木を植えているようでした。公園内には、ソメイヨシノ、しだれ桜、山桜など約450本があるとされますが、いずれも古木、老木が多いのです。しだれ桜も、今年はつぼみがあまりついていません。もっとハイペースで植え替えをしないと、「桜の名所」といえなくなってしまうのではないかと思います。

Img_6782c_20200316165401  カモは、合計40羽。ハシビロガモのオスが4羽、メスが1羽、ヒドリガモが1ペア、ホシハジロのオスが2羽、他はキンクロハImg_6780c_20200316165401 ジロ。九華橋の南や、二の丸堀の西側エリアにいます。午前中は曇天&ときどき雨でしたから、カモたちもテンションは上がらない様子。オマケにこの天気ではエサをくれる人もなし。

Img_6835c  ユリカモメは、30羽くらい。この写真を撮った時間帯には晴れてきたのですが、あいにくの強風で、二の丸橋に並んだものの、風を避けるため、風上に向かって前傾姿勢。

Img_6795c  その他、本丸跡でシメと、シロハラ。シメはいつも通り、本丸跡の中央にある大木の下でエImg_6809c サを拾っています。シロハラも近くにいたようですが、私は気づかず。樹上に逃げたのを見つけました。

Img_6821c_20200316165401  九華公園の桜。例年、もっとも早く咲くのは、本丸跡の時計台の東あたりの木(藤棚のところ)。しかし、今日の様子は写真のとおり。まだ1週間くらいはかかりそうな気がします。

Img_6871c  貝塚公園では、ツグミも1羽見たものの、それ以外にいたのは、シメ1羽。貝塚公園には九華公園とは違って、ドングリが落ちる木がたくさんあります(九華公園にはたぶんありません)。このシメさんも、ドングリをムシャムシャ食べていました。

Img_6904c_20200316165501  寺町では、常信寺に立ち寄って来ました。サンシュユと、ミツマタの花を見るためです。左がサンシュユ、右がミツマタ。サImg_6890c ンシュユは満開、ミツマタはもう少しというところ。ここには、ハクモクレンもあるのですが、ハクモクレンの花は、痛みやすく、すでに花びらが痛み始めていました。ジンチョウゲは満開で、甘い香りが漂っています。

Img_6960c_20200316165501  寺町商店街、今日は定休日。河津桜もほとんどが葉桜。それでもまだ、メジロが来ていました。もう本当にImg_6961c_20200316165501 「河津桜にメジロ」も限界(微笑)。そうそう、ソメイヨシノが咲く前に、シティホールの薄墨桜が咲きます。午後からクルマで出かけた帰りに、見てきました。薄墨桜はまだ咲いてはいませんでしたが、木がほのかにピンク色のようにも見えました。そろそろ咲くかも知れません。

【付記(3/17)】 セグロカモメは、カモメの誤りでした。pnさんのご指摘に感謝します。

2020年3月15日 (日)

20200315「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)(予告編)

 近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも今月いっぱいは中止です。近鉄ハイキングは、4月の予定がネットに載っていましたが、どうなりますか? ということで、「勝手にハイキング」企画の第2弾。「桑名の員弁街道を歩く」に出かけてきました。員弁街道(濃州道)は、桑名市の三ツ矢橋町から、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜、いなべ市藤原町川合などを通り、いなべ市藤原町山口で巡見道と合流して濃州(今の岐阜県)へ向かう街道です。

200315masuohoshikawa  こちらが、今日歩いたコースの全体像。近鉄名古屋線・益生駅に集合。有王塚・俊寬塚を見たあと、東に向かい、スタートの三ツ矢橋町交差点へ。ここから、益生駅までは来た道を戻り、県道63号線と三岐鉄道北勢線に沿って西へ歩いて行きます。県道と北勢線の間を通るところがほとんど。地蔵堂などが多いところ。寺社仏閣、名所旧跡は、星川から先の方がたくさんあります。天気もよく、風はややあったものの、まぁまぁのハイキング日和でした。

Img_6485c  近鉄名古屋線・益生駅。M氏と二人で、桑名駅を8時59分に出る塩浜行き普通に乗車。何と1分で益生駅着。これで¥160はちょっと高い(?)。ここでK氏と合流。お二人に確認したところ、有王塚/俊寬塚を訪れたことはないということでしたので、員弁街道を歩く前にそちらへ行くことにしました。益生駅の西にあります。9時少し過ぎにスタート。

Img_6487c_20200315161201  左の写真が俊寬塚、右が有王塚。俊寬は、平安末期の真言宗の僧。平氏討伐の謀議に参加したのですが、発Img_6493c_20200315161201 覚。平清盛に捕えられて薩摩国鬼界ヶ島に配流されました。共に流された藤原成経・平康頼は翌年許され帰京したが、俊寛は一人残され、治承3(1179)年頃同地で没したとされます。有王は、俊寬の侍童。俊寬を慕って鬼界ヶ島を訪ねましたがすでに俊寬は死亡。遺骨を持って全国を行脚中、桑名で倒れ、亡くなったと伝わります。

Img_6502c_20200315161201  有王塚/俊寬塚を見たあと、県道63号線を東へ。員弁街道のスタート地点である三ツ矢橋の交差点へ向かいます。三ツ矢橋Img_6505c 交差点は、旧・東海道の矢田立場から北へ100mほどのところにあります。旧地名は「本願寺村枝郷」。大きな水車があったといいます。知人に伺ったところ、このあたりの地名を「水車(みずぐるま)」と呼んだり、「水車」という名前がつく店があったりしたそうで、不思議に思っていたということです。ここから来た道を戻り、益生駅北の踏切(JR側は「員弁街道踏切」という名称)を越え、旧道に入っていきます。国道421号線の1本北の道です。

Img_6510c_20200315161201  こちらが、踏切を越えたあたりの員弁街道。馬道という地名で、明治時代に建てられた古い家が残っています。中には、江戸Img_6511c_20200315161201 時代のものもあるとみえの歴史街道マップには書かれていました。三岐鉄道北勢線・馬道駅の東に阿耨山善龍寺。真宗本願寺派のお寺。もとは、萱町にある真宗本願寺派・法盛寺(ほうじょうじ)の末寺。寛永2(1625)年、本尊と寺号を授与され、明治14(1881)年にここに移ってきました。話が逸れますが、法盛寺は、桑名坊舎柳堂と号し、元は三河国矢矧(やはぎ、現同崎市)にあり、室町時代後期に戦乱を避けて桑名三崎に移り、長島一向一揆では本願寺の基幹寺院として重要な位置を占めました。この戦乱ののち法盛寺と改称、慶長の町割で萱町へ移りました。東御坊の本統寺に対し、西御坊とも呼ばれ、明治初年まで尾張、美濃、伊勢に末寺200余ヵ寺を数え、境内地4,000坪余、寺内寺7ヵ寺があるという大きな寺でした。明治8(1875)年桑名別院となっています。

Img_6523c  馬道駅を過ぎると、右手(北)に走井山、勧学寺が見えます。走井山は戦国時代に矢田城があったところ。春には桜の名所とImg_6525c して親しまれています。北畠氏の家臣である矢田半右衛門俊元の居城でしたが、織田信長の伊勢侵攻の際に滝川一益によって攻められ落城すると、その後は一益に与えられ、長島一向一揆を攻略する最前線基地として使われました。公園内には庚申塔がたくさん集められているなど、見どころがあります。勧学寺は、織田信長に滅ぼされたあと、桑名藩主・松平定重により跡地に本堂が再建されました。市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。また、伝説では、このあたりに村正の屋敷があったといいます。私は、この馬道駅から走井山に上がっていく階段の下にある「三猿」が気に入っています。現役の頃、この三猿の写真を研究室のドアに貼って「魔除け」と称していました(微笑)。

Img_6535c_20200315161201  走井山からさらに進み、三ツ矢橋交差点から800mほどのところに玉三(たまみつ)稲荷神社があります。伏見稲荷大社の桑Img_6538c 名支部となっています。江戸時代末期に、松平定永が白河藩(現福島県)より桑名藩へ移封された際に、初代が家臣として随行し、現在の地に鎮座されたと伝えられています。みえの歴史街道マップには「安藤家の屋敷神であった」とあります。御祭神は、玉三稲荷大神と清龍大神。

Img_6550c  明正中学校の北西あたりで、員弁街道は右折(北へ)します。そこに地蔵堂と、石碑がありImg_6556c_20200315161301 ます。地蔵堂の詳細は不明。大きなお地蔵様がいらっしゃいました。地蔵堂に向かって右手に「瑠璃山明光寺 三界萬霊」と刻まれた石碑が建っています。光明寺は、西山浄土宗で、新町にあります。光明寺は、室町時代にはすでに本町付近に設立されていたといい、江⼾時代、慶⻑の町割の時、新町に移っています。なぜこの石碑がここに建っているのかは不明。

Img_6562c_20200315161301  西別所駅の南、スタートから1.6㎞地点に小さな祠堂が建っています。ウッカリすると見逃しそう。中を拝見Img_6580c_20200315161301 すると、高さ10cmほどの小さなお地蔵様がいらっしゃいました。このあと、話に夢中で、地蔵堂1箇所を見逃していました(苦笑)。オッサンも話しに夢中になるのです。2㎞地点の手前に照林寺。西別所の会所でしたが、明治44(1911)年に萱町の法盛寺の塔頭であった照林寺がここに移転してきています。真宗本願寺派のお寺。この北東300mほどのところに万機庵跡(江戸時代の城館跡)がありますが、ちょっと離れていますから、今回はパス。

Img_6584c  西別所駅から蓮花寺駅あたりの員弁街道。蓮花寺川沿いをしばらく歩いていきます。城下橋をわたって、蓮Img_6588c 花寺川の南に出るのですが、そこでも子安地蔵様を見忘れました(苦笑)。もとは北部の台地の上に祀られていたのが、廃寺に伴い、安全祈願のため街道沿いに遷されたといいます。在良小学校を過ぎると、蓮花寺駅。

Img_6604c_20200315161301  その先、ヤマザキマザック精工の工場あたりで、北勢線のレトロカラー電車(楚原行き)がやって来ましImg_6621c た。昭和34(1959)年8月に、当時の三重交通が三重線に導入した車両。当時の色に塗装されています。この先、3.7㎞地点、東名阪道の下に在良駅があり、ここで電車の行き違いがあるのです。代わって、西桑名行きの電車。鉄道むすめ「楚原れんげ」のキャラクターが描かれています。「楚原れんげ」の由来は、いなべ市「楚原駅」と桑名市「蓮花寺駅」、勤務地は東員町「東員駅」だそうです。これ、一度見たかった車両です。

Img_6629c_20200315173601  東名阪自動車道の高架下に在良駅。実は、この高架下にお地蔵様がいらしたのですが、これも見忘れ(苦笑)。今日はこんなImg_6634c_20200315161301 ことばかり。4㎞の手前、員弁街道が左折するところに、額田(ぬかた)神社の石碑。ここから北に参道があり、400mほど行くと山の中腹に額田神社があります。神社には行っていません。式内社。意富伊我都命(おおいがつのみこと:額田連(ぬかたのむらじ)の祖)、天照大御神、天津彦根命を祀っています。

Img_6640c  左折していったん県道63号線に出ます。県道を100mほど進んでまた、左斜めに進みます。ここにも地蔵堂。子安地蔵です。石仏の他、五輪塔片なども祀られています。これらは、旧・浄蓮寺(額田廃寺)跡の一部といいます。額田廃寺は、大化改新以前に建てられたお寺で、大変立派な寺であったようです。現在は宅地になってしまっていて、昔の様子はうかがえず、残念です。

Img_6647c  額田地内の員弁街道。この先で、町屋川の堤防に出ます。三ツ矢橋交差点からは4.5㎞ほどで右の写真のように町屋川の堤防Img_6651c_20200315161301 に出ます。ここまで来ると、ゴールの三岐鉄道北勢線・星川駅はすぐ近く。町屋川は、正式には員弁川ですが、桑名では町屋川と呼んでいます。

Img_6660c_20200315174801  一説によれば、この坂井橋を境に上流を員弁川、下流を町屋川というといいます。坂井橋のImg_6664c 「坂井」は「境」だというわけです。坂井橋を過ぎると(坂井橋は渡りません)、星川南交差点を通って、三岐鉄道北勢線・星川駅にゴール。11時25分。所要時間は2時間20分ほど。歩いたのは、6.6㎞。

Img_6669c  11時41分に西桑名行きの普通電車がありましたので、それに乗車。あのレトロカラー電車Img_6673c が来ました。これにも乗ってみたかったのです。ちなみにK氏は三岐鉄道北勢線初体験、M氏は40年ぶりだそうです。¥240。西桑名駅には、11時56分着。

Img_6674c  途中、蓮花寺駅で「鉄道むすめ・楚原れんげ」の駅名板を撮影。本当は、中止になってしまImg_6681c_20200315161301 った2月22日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 令和2年2月22日に歩いて銘酒「青雲」で祝酒」の集合・受付が、ここ蓮花寺駅でしたから、そのときに見ようと思っていたもの。ようやく念願を果たした次第。西桑名駅に楚原れんげちゃんの等身大パネルがあったのだそうですが、見落とし(苦笑)。まぁ、西桑名駅ならまた歩いても行けますから。

Img_6684c_20200315161301  昼は、桑栄メイト2階にあるエベレストでカレーランチ。チキンキーマカレー(辛さは普通)、ナン、チャイをチョイス。ヨImg_6686c ーグルトとサラダもついて、¥700。我が家近くでは、たぶんもっとも美味しいカレー屋さんです。桑栄メイトは、老朽化のため今年6月か、7月で閉鎖。取り壊して、ホテルが建つという噂。桑栄メイトには、ハンバーガーのドムドムや、餃子の新北京もあります。今のうちに楽しんでおかないといけません。

Img_6691c  今日の歩数は、ALKOOのデータで16,662歩。朝、桑名駅までが0.9㎞、西桑名駅で下車して昼食を食べて帰宅するのに、1.4㎞、ハイキングで歩いたのが6.6㎞で、合計8.9㎞。それなりによく歩きました。見てきたところが多くありませんので、今のところ、本編とするか、補遺編とするか未定。来週の相談会の準備との兼ね合いもあります。「桑名の員弁街道を歩く」の続き、北勢線の星川駅から東員駅までも近いうちに歩きたいと思っていますが、今のところまだ決めていません。この区間の方が、たくさんの寺社仏閣などがあります。

【付記(員弁街道起点の「水車」その他について(3/21)】

 員弁街道の起点である三ツ矢橋は、本願寺村に属し、その枝郷(支郷)「水車(みずくるま)」と称していました。慶長年間、綿実から油を絞るための水車を儲けたので、この地名となったといいます(三重県教育委員会編集、歴史の道調査報告書 美濃街道、濃州道、八風道、菰野道、巡見道、巡礼道、鈴鹿の峠道、1984年)。

 馬道は、「久波奈名所図会」には、「馬道 員弁郡への通路、御城下町の出はつれり、矢田村と本願寺村の地内なり、日々午馬の通り道なるゆへ、自然と地名に呼なせるなり……」とありました。

 現在、三重県教育委員会編集、歴史の道調査報告書 美濃街道、濃州道、八風道、菰野道、巡見道、巡礼道、鈴鹿の峠道、1984年を読んでいますので、さらに追記するかも知れません。

2020年3月14日 (土)

雨が上がった午後から散歩

Img_6481c 朝6時頃から降り始め、昼過ぎまで雨でした。ほとんどビョーキですから、雨が上がると、「歩かなくては」とウズウズしてきます(苦笑)。14時から15時半近くまで、住吉神社、九華公園、京町、寺町と4.2㎞ほどを歩いてきました。晴れ間が出て来た時間帯もあったのですが、おおよそは曇り。気温は10℃にもなりませんが、寒い感じはしませんでした。

Img_6454c この時間帯では、通常でも鳥はあまりいません。七里の渡し跡にコガモ6羽とヒドリガモ3羽。三の丸水門にムImg_6458c
クドリ、柿安コミュニティパーク西の堀にオオバンが3羽。九華公園にはアオサギもゴイサギもいません。カモも、何と20羽しかいませんでした。ハシビロガモのオスが4羽、メスが2羽、ホシハジロのオスが1羽とキンクロハジロ。キンクロさんが激減しています。ユリカモメは、15羽ほど。

Img_6462c ほかには、ツグミを合計6羽、メジロ2羽、それにこの写真のジョウビタキのメス。ジョウビタキは朝日丸跡にて。午後からの時間帯でしたが、散歩友達には3組に出会いました。「雨が上がったから出て来た」という方ばかり(微笑)。皆さん、同じようなことをお考えです。

Img_6449c_20200314154501  午前中は、資料を読み込んでいました。このあともその予定。あれこれ考えながらやっています。明日午前中は、また、例の「勝手にハイキング」に出かける予定。今回は「濃州道(員弁街道)」。市内三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線の星川駅まで。濃州道を寄り道せずに歩くと約5㎞。

 

2020年3月13日 (金)

今日の散歩は、シルバー人材センターへ(微笑)……サギソウの植え替えもしました

Img_0197c  風もなく、暖かい日でした。4月並みの陽気だそうです。いつも通りに散歩に行ってきました。冒頭の2枚の写真は、寺町商店街Img_0232c_20200313164401 の河津桜に来たメジロ。もうかなり葉桜になってしまっているのですが、今日も2箇所で10羽以上が来ていました。梅はもうすっかり終わってしまいましたから、次はソメイヨシノにメジロ狙いです。名古屋での開花予想は、3月15日といっていましたが、我が家あたりはどうでしょう?

Img_6408c  さて、今日の散歩は、住吉神社、九華公園、シルバー人材センターに立ち寄って、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.6㎞。8時から11時半。朝、出かけるとき、娘に「今日は、散歩途中でシルバー人材センターに寄ってくる」といったら、「とうとう働く気になったか?」といわれました(爆)。が、残念ながらそうではありません。高校の同級生が職員として働いていて、「ちょっと知恵を貸して欲しい」ということがあったのです。

Img_6350c  我が家の隣の諸戸氏庭園の煉瓦蔵の前で、卒業式らしい親子連れの方が写真を撮っておられました。晴れ着に袴姿のお嬢さんは、この煉瓦蔵をバックにするといい感じです。この春は、新型コロナウィルス蔓延のため、あちこちで卒業式が規模を縮小したり、中止になったりしています。セレモニーがないと気持ちにけじめをつけて、次の道に進むのが難しいかも知れませんが、若い人たちの力で世の中を変えていってもらいたいと思います。

Img_6365c_20200313164401 Img_0132c  今日は、揖斐川の中洲に、あちこち散らばってはいたものの、合計すると200羽以上のカモが浮かんでいました。大半はキンクロハジロのようです。今頃集団で集まっているということは、帰る準備なのかも知れません。七里の渡し跡では、ヒドリガモが8羽、堤防で草を食べていました(右の写真)。小ガモも9羽が上陸してお休み。三之丸公園でオスのジョウビタキ(左の写真)。最近、ここでよく見ます。ツグミは、船津屋の裏と、三の丸水門のところでそれぞれ1羽。

Img_0140c  何日かぶりに中橋のゴイサギコロニーをチェック。北側から見ると、ゴイサギが5羽、ホシゴイが1羽。南側からはホシゴイImg_0153c_20200313164401 が1羽のみ。あくまでも見えたもののみですが、今日は、ゴイサギ5羽、ホシゴイ2羽。

Img_6383c_20200313170201  九華公園では、アオサギもゴイサギもいません。ウグイスは、相変わらず、鎮国守国神社の社務所裏で鳴いています。少し上手になってきました(微笑)。今日も動画を撮ったのですが、シジュウカラの鳴き声の方がハッキリと入っていて、ちょっとなぁというものでした。また、今度。カワラヒワは今日も巣材集めをしていたのですが、暗い写真になってしまいました。ツグミは、朝日丸で。

Img_6398c_20200313164501  久しぶりに本丸跡で、シメ。エサを拾いながら、ときどきこのように小首をかしげています。まるで何か、考えているかのようですが、何をしているのでしょう? このあとシルバー人材センターを経て、貝塚公園に回りましたが、10時半を過ぎており、シロハラ1羽をチラッと見ただけでした。

Img_6414c_20200313164501  散歩コースの京町には、石取会館と桑名市博物館があります。写真は、石取会館。石取祭を紹介している施Img_6416c_20200313164501 設で、諸戸家が所有していた祭車が展示されています。大正14(1925)年に四日市銀行桑名支店として建築された鉄筋コンクリートの建物で、登録有形文化財。ここも臨時閉館が3月末まで延長。博物館も同様。博物館では、3月7日から「刀剣幻想曲(ファンタジア)」が始まるはずでしたが、どうなりますか。今のところ、4月1日(水)から5月10日(日)と変更されています。噂では、九華公園の桜まつりも、堀めぐりも中止で、ライトアップのみされるとか。露店も今年は出ないという話。一昨年、去年と開催された「灯街道・桑名宿(とうかいどう くわなじゅく)」のイベントは、今年は噂もなし。何も聞こえて来ません。ホームページも去年のイベントが終了した時点のまま(こちら)。

Img_0175c  ハクモクレンの白い花を青空をバックに撮りたいと思っていました。普段あまり通らない路地を入ったら、見つけました。しかし、枝を見るとハクモクレンではないような気もして、ちょっと心配。

Dscn2861c  オマケ。サギソウの株分け、無事に終了。去年の3鉢から15個の球根が出て来ました。1鉢は、家内の母に謹呈したのですが、これはうまく行かず(説明がうまく伝わらず、当初、日陰に置いてしまい、徒長したのです)。実質上は、2鉢から15個。すでに芽が出て来ており、ちょっと焦っていたのです。花がつかないうちは、植え替えをしても大丈夫ということでした。去年より半月近く早い作業。今年も、あの白い花が見られるでしょうか。

 明日は雨の予報。員弁街道ハイキングは、明後日の日曜、益生から星川までの予定。

 小声で一言。新型インフルエンザ特措法が成立したそうですが、総理大臣にほぼフリーハンドであれほどの強権を与えるような法律を作ってよいのか、と思います。ヤバい時代の始まりでなければよいがという気がします。

2020年3月12日 (木)

M池公園にミコアイサは見当たらず、サギ山はそれなりの賑わい……野鳥園もアクアプラザながらも魚道観察室も「休園」

Img_6288c_20200312163101  どこへ行っても、こういう掲示が出て、閉園です。今日行ってきたところは、普段ならさほど人が来るところではありません。Img_0124c_20200312163101 ちょっと行き過ぎという気もしないわけではありません。「何かあったらどうするんだ」ということだと理解しています。冒頭の写真は、弥富野鳥園。駐車場にクルマは入れられましたので、ここに止めてサギ山を見てきました。右は、アクアプラザながら。普段の平日は、閑散としています。

Img_6335c  長良川河口堰は、魚道観察室もクローズ。今日は行くのが遅くて、魚道にサギたちはいませんでしたから、まImg_0116c_20200312163301 あこれでもよかったのですが、鮎の遡上はすでに始まっているようでした。あの「アユのぼり」が掲げられていたのです。このアユのぼりを見に行ったようなものでした(微笑)。アクアプラザながらの駐車場には、県外ナンバーも含め、10台以上のクルマ。こんなことは普段ありません。親水広場の方に人がいるようでした(ブロ友のひらいさんの記事(2020.03.07 N里三昧!)にもありました)が、本格的なバーダーさんたちが集まってきているようです。時間がなかったので、そちらには行かず。

Img_6276c_20200312163201  本日は、M池公園、サギ山と長良川河口堰に出かけてきました。もう3月も中旬ですから、まだミコアイサがいるかとか、サギ山のアオサギの集まり具合や、そこでの繁殖状況はどうかなどを見てこようという次第。早めに出かけましたので、ちょっと時間的余裕ができ、河口堰にも立ち寄ったのです。左の写真は、M池公園。結論から書きますと、ミコアイサ(パンダガモ)は見当たりませんでした。カモ類も前回行ったときよりもかなり少ない印象。

Img_9970c  コガモがもっとも多かったのですが、それでも100羽はいないと思いました(きちんとカウントしていません)。ほかには、ヒImg_9975c ドリガモ、ハシビロガモ、カルガモ、オオバンなど。

Img_6248c  カンムリカイツブリは2羽。カイツブリは6羽ほど。周囲を歩くと、2㎞あまりになります。Img_6269c_20200312163201 いつもならたっぷり1時間以上かかるのに、今日はあまり鳥がいませんでしたので、45分ほどで1周してしまいました。

Img_6237c  これはというシーンにも遭遇しません。強いて載せれば、カイツブリが獲物を捕まえていたところ。カイツブリにしては、大きな獲物のように思います。

Img_9985c  蓮池のところで、オオジュリン。2羽。左の写真はオスで、すでに夏羽にImg_9998c なっているようです。右は、メスだと思います。少しでも近づくと逃げます。

Img_0073c_20200312163301  続いて、弥富のサギ山へ。道路を挟んだ反対側から見ると、80羽以上が集まっていました(見えた範囲で、です)。最盛期には及びませんが、かなり集まってきています。

Img_0062c  アオサギたちは、飛び回っていますし、オスが枯れ枝など、巣の材料になるものを盛んに運んで来ていました。このサギ山にImg_0103c_20200312163301 来る途中、野鳥園の北側を通ります。カワウの巣が無数にあるところです。そこにもアオサギがやって来て、巣材を探しています。

Img_0065c_20200312165501  左の写真は、カップルで並んでいるように見えます。右の写真は、求愛のダンスでもしていImg_0082c_20200312165501 るような気がします。このように、カップルでもいろいろ。

Img_0042c  こちらは、すでにメスが巣に就いているような感じ。ということは、すでに交尾して、卵を産んだということかと思って見てきました。

Img_0089c_20200312165501  これだけ集まっていると、近くの巣にいる同士で小競り合いも起きます。アオサギたちも大変と思います。追いかけている方が、怒りまくっていたように見えました。サギ山観察も比較的短時間で済んでしまいましたので、長良川河口堰にも立ち寄って来ました。

Img_6324c  長良川河口堰は、久しぶり。たぶん去年12月24日以来(2019年12月24日:ミコアイサに会いに行ってきました……河口堰Img_0113c_20200312170301 ではカワセミと、ミサゴの食事を遠望)。11時を過ぎていましたので、左岸(東側)だけ。カモは、かなり少なく、下流側に60羽ほど。ほとんどはキンクロハジロでした。カンムリカイツブリは、上流側に2羽見えたのみ。今日歩いたのは、合計で4.5㎞ほど。

 先日から、メダカの水槽の水替えと、サギソウの株分けをしないとと思いつつ、ついつい延ばしてしまっています。明日こそと思います。とここに書くと、やらざるを得なくなるかと(苦笑)。

2020年3月11日 (水)

九華公園でウグイスの初鳴きを聞く

Img_6114c_20200311154901  日替わりの天気です。昨日はよく降り、春の嵐という感じ。今日は一転、よく晴れ気温も上がったものの、強風。16.1℃で、午Img_6218c 前中は4~5m/sの風。公園の中や、町中はよいのですが、揖斐川沿いを歩いていると、結構寒く感じました。いつものように、8時から住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町から京町、寺町商店街と回って来ました。寺町商店街の河津桜は、かなり散ってきています(右の写真)。冒頭の写真は、蟠龍櫓。川沿いから見上げてみました。九華公園で、ウグイスの初鳴きを聞きました。まだまだ修行が必要な、鳴き方で、大丈夫かなと心配になります(微笑)。コンデジで動画を撮ったのですが、風の音の方がはるかに大きくて、使い物になりませんでした。

Img_9872c  今日は、大潮で、揖斐川沿いに出てみてビックリ。大袈裟に表現すれば、「溢れんばかり」の水量。四日市港Img_6110c_20200311154901 潮汐表では、朝は7時18分が満潮。潮位はプラス2m40cmとありました(こちら)。左の写真は、川口水門や蟠龍櫓あたり(揖斐川右岸)。右は、七里の渡し跡。

 さて、鳥見の方は、拙宅マンションを出たら、玄関先にツグミ1羽。ときどきツグミがいますし、たまにシロハラがいます。揖斐川は、強風で波が高く、ヒドリガモが7羽と、キンクロハジロが3~4羽、波間に漂っていたくらい。カンムリカイツブリは見えません。七里の渡し跡ではヒドリガモが12羽と、オオバンが2羽。いずれもご覧いただくほどの写真はありません。

Img_6118c  九華公園。今日もアオサギは、いつものように、鎮国守国神社の社務所裏にいました。いつものところにいつもの鳥が、いつものようにいるとホッとします(微笑)。ゴイサギやホシゴイはいません。カモImg_9891c_20200311155101 は、久しぶりにヒドリガモが2ペア来ていました。総数は47羽で、変わりはありません。ホシハジロのオス2羽(メスはずっと見ていません)、ハシビロガモのオス3羽、メス2羽とキンクロハジロ。

Img_9889c_20200311155101  奥平屋敷跡は、今日は静かでした。ヒヨドリがいないからです。ツグミ1羽と、ほかにはカワラヒワの鳴き声がするくらい。桜まつりのときにここのステージでライブをするMさんが、様子を見に来ていました。いつも3月中旬からステージの掃除をしたりするのです。今年の桜まつり、桑名市は来週、開催するかどうか決めるようです。堀めぐりの準備は相変わらず行われていません。去年の今日は、堀めぐりの準備はかなり進んでいましたが(2019年3月11日:九華公園のカモは21羽に激減……堀めぐりの準備は進み、3月23日から)。

Img_6134c_20200311154901  二の丸跡では、偶然なのでしょうが、オスのジョウビタキが2羽、接近遭遇。とくにトラブったりはしていませんでしたが、Img_9909c すぐに離れていきました。2羽のうち1羽は、このあと朝日丸跡で見ました(たぶん同じ個体)。同じく、二の丸跡では、カワラヒワが、桜の木に引っかかっていたネットか何かのようなものを咥えていました。巣の材料にするのでしょう。カワラヒワの巣を見たいと思っていますが、落下したものは見たことがありますが、樹上にあるものは見つけられません。

Img_6146c_20200311154901 二の丸跡では、ツグミも1羽。朝日丸跡では、上記のように、ジョウビタキのオスを見たのと、ちょっと距離があったのですImg_6162c_20200311154901 が、シメもいました。シメはすぐに見失ってしまいました。

Img_6198c  本丸跡でもツグミ2羽と、シメ1羽。このシメは、朝日丸跡にいたのと同じ個体かも知れません。

Img_9922c  このあと、貝塚公園では、ツグミ1羽、シロハラ1羽(左の写真)。ほかにはハシボソガラス。知人は、2~3日前、ウグイスを見たといっていました。「下手くそな鳴き方をしていたぞ」とも。

Img_9932c_20200311164701 Img_6210c  寺町では、河津桜のほか、常信寺でサンシュユ(左)と、ミツマタ(右)の花を見てきました。ハクモクレンもあって、できれば青空をバックに写真を撮りたかったのですが、あいにく西の空には大きな雲がかかってしまいました。

 新型コロナウィルスをめぐって、テレビは連日連夜、これでもかと報道しています。ワイドショーはまったく見ませんが、ニュースでも繰り返し取り上げられ、関心はあるものの、不謹慎ながら、ちょっとウンザリ。気が滅入るもとのようにも思えます。感染したら直ちに命に関わるとか、無差別で頻繁な市中感染も今のところ起きていないようです。評論家で、エッセイストの勢古浩爾さんが、JBPressに書いた記事に次のような内容がありました。この通りだと私も思います。

3月9日、毎日新聞に、水戸在住の33歳の女性のこんな投稿が載った。彼女の会社では社員やパートたちが「嫌だ、怖い」といっているが、彼女は「手洗い、うがいの徹底、人混みはさけるか行く時はマスク。後は開き直るしかない」と考える。「いつ感染するかとびくびくおびえても」しようがない。「誰しも病気になる時はなる」「今できることに最善を尽くす」しかない、と書いている。「それは、人生においても同じではないかと思う」。じつにまっとうな考えである。いま必要なのはこういう覚悟ではないか。

 それ故、私は、淡々と飽きもせず、毎日、毎日、散歩に行き、野鳥を見て、知り合いと会ってしゃべって、ブログを書いているのです(微笑? 苦笑? 爆笑?……屁理屈です)。

20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その3)……戸津の町を歩き、戸津と小山の尾津神社2社にお参りし、多度駅にゴールにて「完」

200306tado4 3月6日の「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名の美濃街道を歩く』」(下深谷~多度)のその3です。その2の最後で船着社におImg_5795c_20200310090901 参りし、県道26号線の天王平跨線橋の下を潜るところまで来ました。その2には載せませんでしたが、跨線橋の南からは多度山が右の写真のように見えます。冒頭の実測ルートマップは、その4。

Img_5809c Img_5890c  戸津の町へ入って行きます。「みえの歴史街道」の美濃街道のマップには「集落の中は道が細く、車では通行しにくい」と注意書きがあります。確かに右の写真のようなところもあり、東海道や伊勢街道(参宮街道)のイメージからすると、「これが街道か?」と思えます。集落の中で微妙に曲がっているところもあって、迷いそうでした。

Img_5810c_20200310091201  「みえの歴史街道」の美濃街道のマップをもとに、自作のコースマップをつくっていったのですが、それを見ながら、なおかつアヤシいところでは、スマホでグーグルマップを調べながら進みました。上左の写真の先に、この左の写真の交差点に来ます。ここを左折し、西に向かうと、「旧戸津村の庄屋を代々世襲していた西田家の長屋門と塀のある屋敷がある」とみえの歴史街道のマップにはあったのですが、見当たりませんでした。道を間違えたかとか、すでに取り壊されたのかと思って、実はしばらくあたりをウロウロ(苦笑)。これを書くに当たって、再度よく調べたら、場所が間違っていて訂正されていました(こちら)。「なんてこった!?」という感じ。「正しい位置は、4ブロック北の、4の北、街道が西へ曲がる交差点の東側になります」だそうです。見逃したのは、残念。

Img_5884c_20200310133101  尾津神社にも行くつもりでしたが、まずは、美濃街道が多度川に突き当たるところまで行ってみることに。冒頭の実測ルートマップ(その4)で、美濃街道は南から北へ行き、赤い星印のところまで。街道はこの先、多度川を渡ってさらに続きますが、今回のハイキングはここまで。左の写真は、実測ルートマップで、2つの尾津神社を東西につなぐ道富の街道とがクロスするところから多度川の方を撮ったもの。

Img_5885c_20200306210501 Img_5887c_20200306210501  川まで行って堤防から見える多度山は、左の写真の通り。美濃街道は右の写真のように、人自転車専用橋を渡ってさらに北に延びています。この橋から岐阜県境までは1㎞あまりですが、この日はここまで。引き返して、尾津神社に行きます。尾津神社という名前の神社は、ルートマップにもあるとおり、2つあります。戸津の尾津神社と、小山の尾津神社です。予告編で小山にもあると書きましたが、それは草薙神社。戸津は、古代には川湊であったといいます。

Img_5819c_20200306210901  戸津の尾津神社。実測ルートマップでは、多度中学から多度川を挟んだ南にあるところ。延喜式内社。戸津区の氏神様。御祭神は倭建命稚武彦命(わかたけひこのみこと:第7代孝霊天皇皇子で、吉備臣(吉備氏)の遠祖)、足鏡別命(アシカガミワケノミコト:倭建命の子)、品陀和気之命(応神天皇)宇賀魂神天照大神

Img_5836c  尾津というところは、倭建命が東国遠征の時、尾津崎に立ち寄り、松の木の下で食事をされ、松の木に太刀をかけて置き忘れて立ち去られたといいます。東国遠征を終えての帰途、ここに立ち寄ったところ、松の木にかけた剣が、そのままであったのを見て、感激のあまり歌を詠んだと伝わっています。その和歌は、古事記にある「尾張に直に向える 尾津前なる一つ松吾兄を 一つ松人に在りせば 太刀佩けましを衣着せましを 一つ松吾兄を」です。この大意は、「尾張に向かって真っ直ぐに生えている一本松よ 一本松が人間だったら、服を着せ、太刀を佩かせてやるものを」。境内にはこの歌碑があると「くわな史跡めぐり」にはあったのですが、見忘れてしまいました。なお、尾津崎で休んだとき、もう一振の太刀を持って居られ、それが伊勢神宮で伯母倭比売命から与えられた剣である草薙剣(現在、名古屋の熱田神宮に祀られています)。

Img_5826c  こちらは、鳥居を潜った左手にあった石碑。天保10(1839)年に建立されたもので、日本書紀の文章が書かれており、倭建Img_5824c_20200310171001 命が太刀を置き忘れた故事を記しています。「鳥波利珥多陀霧加幣流……」とあります。右の写真で、この石碑の右手前にあるのは、古い社号標のようで、表面には、「尾津神社」と刻まれた下に「日本武尊/稚武彦命」とありました。

Img_5847c  ほかには、稲荷社と句碑が1基。稲荷社は、「正一位尾津稲荷大神」とありました。句碑Img_5832c は、「上げ馬乃 若獅子の宝 朝さくら/仁志子」と読めます(ちょっとアヤシいですが)。

Img_5852c  戸津の尾津神社から300mほど西に行ったところに小山の尾津神社がありImg_5866c ます。主祭神は、倭建命と足鏡別命。相殿神は、大山津見神のほかに、不詳のご祭神。こちらも延喜式内社と称し、戸津の尾津神社と同様に、倭建命の伝説の地とされています。

Img_5877c_20200310172201  小山の尾津神社の境内には、西南戦争で亡くなった方を顕彰する石碑があります「紀念碑」と題され、小山に在住の小林源三郎という方が、徴兵され、明治以降、旧多度村で最初の戦没者となったことが記されています。多度神社(現在の多度大社)祠官・平野直賢氏がそれを悼み、追悼の辞をしたためておられます。

 なお、この日は訪ねていませんが、御衣野にある草薙神社(こちらも地図によっては尾津神社と表示されます)が、「日本武尊尾津前御遺跡(県指定史跡)」となっています。その理由の一つは、「日本書紀」はこの松があったところを「尾津浜」としているのですが、「絵本名物桑名時雨蛤」には「御園(御衣野)村」に船を止め、船を係留した古松が残ると知るしているからです。古代、肱江川は、入れになっていたと推定されます。草薙神社の境内には、倭建命が太刀を置いたとされる松が枯れた跡に覆いが掛けられて保存されているそうです。

Img_5892c  これで当初訪ねようと思っていたところはほぼ行けました(西田家を除いて)ので、多度駅に向かいます。小山の尾津神社から美濃街道に戻って、もう一度西田家がないかを見たのですが、まさか地図が間違っているとは夢にも思わず(苦笑)。

Img_5906c_20200306212101  ゴールに設定した養老鉄道多度駅には、11時30分に到着。スタートからは2時間35分をかけて、7.9㎞を歩Img_5907c_20200310173701 いてきました。桑名行きの普通電車は、12時2分までありません。駅で待っていると、大阪からいらしたという男性に出会いました。「どこも新型コロナウィルスとかで行くところがないから、人が少なそうなところに来て、多度山を登ってきた」とおっしゃいます。午後からはなばなの里へいらっしゃるとか。さらにこの日は、桑名駅前で泊まって、次の日ゆっくり帰るという予定だそうでした。

Img_5915c_20200306212101  やって来た電車は、通称「赤歌舞伎」。東急電鉄で活躍した7700系。昭和37(1962)年から製造開始された、日本初のオImg_5916c ールステンレス車両です。赤歌舞伎には、初めて乗れました。先日は、「緑歌舞伎」にも乗れました。これらが走り始めてから、一度は乗ってみたいと思っていたのです。

Img_5920c_20200310173901  桑名駅には、12時18分着、¥310。これで、桑名市内の美濃街道はほぼコンプリート。多度川から先、岐阜県境まで1㎞あまり残すのと、地図が間違っていて見られなかった西田家の長屋門と塀も見なくては。それに、草薙神社にも行ってみたいと思いますし、多度山にもまだ登ったことがありません。また、これらを考えて、「勝手にハイキング」を企画することにします。この日、1日での歩数は、16,643歩(生活リズム計のデータ)。帰りに桑名駅から自宅までが0.9㎞ですから、今日歩いたのは、8.8㎞ほど。

Img_5918c  「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名の美濃街道を歩く』」では、桑名市川口町と江戸町の境の起点から多度駅まで、2日間かけて歩きました。合計15.4㎞を歩くのに6時間10分を要しました。まぁまぁですし、それなりに楽しめたと思います。次の「勝手にハイキング」企画は、「濃州道を行く」で、三岐鉄道北勢線沿線の予定。

2020年3月10日 (火)

20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その2)……いくつかの地蔵堂、ナマズの徳蓮寺、倭姫命ゆかりの野志里神社を経て、船着社へ【岩井戸の特徴についての付記(3/21)】

200306tado2   3月6日の「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名の美濃街道を歩く』」(下深谷~多度)のその2です。その1では下深谷駅をスタートし、上深谷部と多度町下野代との境あたりまで行き、地蔵堂にお参りしました。下野代の町に入って、養老鉄道線沿いをさらに進みます。

Img_5606c  下野代駅の近く、スタートから2.7㎞ほどのところにも地蔵堂があります。この地蔵堂は、明治4(1871)年に建てられたもの。お地蔵様は、僧形で左手には宝珠、右手には錫杖を持っておられます。蓮台の下の基台には「三界萬霊」と刻まれているそうですが、それは見えませんでした。三界萬霊とは、「三つの世界、すべての精霊に対して供養することの大切さを示す」ことです。三界は、無色界(むしきかい:心だけが生きている世界)、色界(しきかい:形質だけの世界)、欲界(よくかい:物質欲の世界)の3つ。

Img_5619c  このお地蔵様の西、養老鉄道線を越えたところに岩井戸、大淀の松株跡を示す石柱、石仏、弘法大師の石像があります。「みえImg_5621c_20200309052301 の歴史街道」のウォーキングマップには、この岩井戸は、「扇状地帯の地形、地質の特徴を示す」とありましたが、私の知識ではよく分かりません。石仏は、左の写真で向かって左にあります。板碑(いたび)型に薄肉彫りの石仏。その隣が、弘法大師の石像。

Img_5624c_20200306202201  岩井戸に向かって右(北側)に建っているのが、「大淀の松株跡」の石柱。岩井戸のそばに巨大な松があったという伝説が消えるのを惜しんだ村人によって明治31(1898)年に建てられたもの。「くわな史跡めぐり」には、新古今集に載る「大淀の松」の和歌はここにあった松を詠んだものという記述があります。「大よどの浦立つ波のかえらずば松のかわらず色もみましや」(女御徽子女王)。しかし、ネット検索ではそういう情報は出て来ず、「大淀」は三重県明和町の大淀と考えられているようです(こちらなど)。大淀海岸にこの歌碑もあるといいます(ここ)。

Img_5630c_20200309072501  このすぐ北に、無畏野山徳蓮寺真言宗東寺派のお寺。このあたりのお寺、神社は、美濃街道からは養老鉄Img_5642c 道の踏切を渡らないと行けないところがたくさんあります。さらに、丘陵の中腹やその上に建っていることもおおいのです。徳蓮寺も、右のような階段を登っていかねばなりません。以前、近鉄ハイキングで来ていますので、「この階段を登るのもなぁ」とは思ったものの、考え直して、上まで行ってきました。

Img_5647c  ここは、弘仁11(820)年、弘法大師によって建立されました。ご本尊は弘法大師がつくった虚空蔵菩薩像で、これは7年に一度開帳されます。ちょうど今年4月4、5日にご開帳があるという掲示が出ていました。ちなみに虚空蔵菩薩は、知恵を授けて下さいます。この寺には、200枚を超えるナマズなどの珍しい絵馬も奉納されています。これは、この寺が明応7(1499)年と、天正13(1586)年の2回の地震で破壊されたのですが、行方不明になったご本尊が、土中からナマズとウナギに守られた状態で見つかったことに由来します。ナマズつながりで、秋篠宮殿下も平成17(2005)年にここを訪ねていらっしゃいます。以前、近鉄ハイキングの記事を書いていますので、詳細はそちらをご覧ください(2018年5月21日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その4)……徳蓮寺他のお寺を回って、雨尾山飛鳥寺を経て、下深谷駅へゴール(完))。

Img_5670c_20200309073401  前回来たとき、見落としていたのは、稲荷社と小さな石仏群。寺の南側にありました。石仏は30体以上最前列には、お坊様らしい小さな石像もあります。石仏の由来は、不明。

Img_5680c_20200309074201  徳蓮寺から降りて、美濃街道に戻ったところでスタートからは3㎞、時刻は10時少し前。まぁまぁのペースImg_5681c_20200309074301 で歩いてきています。左の写真は、下野代あたりの美濃街道。クルマもあまり通らず、安心して歩けます。下野代駅の前を過ぎて、野志里神社の手前、西側に頌徳碑があります。「前野先生頌徳碑」とありましたが、詳細は不明。

Img_5683c_20200309174101  頌徳碑に向かって左手に道標があります。「御衣野員辯(みぞのいなべ)道」とあります。ただし、この先は養老鉄道の線路に行き当たって、行き止まり。道標を建てた頃とは、道路事情が変わってしまったのかも知れませんし、こことは別のところにあったのかも知れません。「御衣野」は下野代の西の地名、員弁は、現在のいなべ市。碑陰には、「御大典記念 下野代青年団」とあります。

Img_5690c_20200309174901  この頌徳碑の西、養老鉄道の線路を越えたところにお寺がありますので、Img_5695c_20200309174901 野志里神社の手前の踏切から回って、そちらへ立ち寄ります。無量山延柳寺。真宗本願寺派のお寺です。天正2(1574)年、比叡山から阿弥陀仏を本尊として授与されましたが、後に真宗に改宗しています。昔は、野志里神社の東にあったのですが、江戸時代に現在地に移転しています。

Img_5696c  続いて野志里(のじり)神社。式内社。垂仁天皇の御代の創祀と伝えています。倭姫命が天照大神を奉じて、ここ桑名郡野代Img_5702c_20200309175501 宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたと伝わるところです。倭姫命は、その後伊勢に遷幸され、その野代宮の跡に本社が創祀されたといいます。一昨年4月の近鉄ハイキングで訪れています(2018年5月20日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その3)……舟着社と野志里神社)。詳細は、リンク先をご覧ください。主祭神は、天照大神。相殿神は、建御雷神天児屋根命経津主神ほか。

Img_5704c_20200309180401 Img_5720c_20200306203701  境内には、「千人塚」や、「伊勢神宮御旧蹟野代之宮」という石碑などがあります。千人塚は、長島一向一揆の時、法泉寺の空明が、農民たちと力を合わせて織田信長の軍と肱江川を挟んで戦っています。生き残った空明が戦死者の首を集めて篤く葬ったのが、この千人塚だそうです。その後、関ヶ原の戦に負けた西軍の兵士の霊も慰めたそうです。一説によると、関ヶ原の戦いの時に、薩摩藩兵が多数、ここ美濃街道を通ったため、境内が東西に二分されたそうです。

200306tado3  野志里神社を過ぎると、実測ルートマップはその3になります。スタートから4.3㎞あたりで肱江川に行き当たり、肱江橋を渡ります。多度町肱江を通り、戸津へと進んでいきます。

Img_5730c_20200310080701

 肱江橋。多度山が正面に、しかもかなり近く見えます。この日はよく晴れて暖かく、歩いてImg_5732c_20200310080701 いても気持ちの良い日でした。肱江橋の親柱の飾りには、ナマズのレリーフ。徳蓮寺のエピソードに因むのでしょう。

Img_5747c_20200310080701  肱江橋を渡りきり、地図を見ると、ほぼまっすぐに行くルートになっていImg_5751c ます。が、その先にあるのは、こんな階段。ちょっと迷って、地図を見直したのですが、これを行くはず。階段を降りて、肱江の町を行きます。その先で、美濃街道は、水田になってしまっていて、途切れています。右回りをして迂回。

Img_5756c  迂回して、本来の美濃街道に戻る手前に菜の花。道沿いというか、水路沿いに植えられています。なかなかよい景色。5㎞地点のところでみかんの直売所があります。今シーズンの販売は終え、男性が店の片づけをしておられましたが、「菜の花を撮りに来たのか?」と声をかけられました。先頃、新聞に載ったとかで写真を撮りに来る人が多いとい話です。私が見てきたところと、国道258号線の東に菜の花畑があるそうです。「美濃街道を歩いている」と答え、歩き続けます。予告編にひらいさんからいただいたコメントでは、このあたりの水田には野鳥がけっこう来るとか。

Img_5774c_20200306205101  5.3㎞地点のすぐ西に船着社がありますので、寄り道。ここも、一昨年4月の近鉄ハイキングで寄り道しています(2018年5Img_5784c 月20日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その3)……舟着社と野志里神社)。多度神社別宮の一目連大神が、度会郡山田郷よりの帰りに舟で当社附近に着かれたので舟着社と云うと伝えられています(こちら)。また、この近辺は尾津浜、尾津崎等の小字のとおり、木曽三川の川岸であったため附近の人々が氏神として舟着社の社名で海神を奉斎したとも伝えられているそうです。今は、揖斐川まで2.5㎞ほどあります。

Img_5791c  御祭神は、大山津見神(オオヤマツミノカミ;山の神)、表筒男神、中筒男神、底筒男神ほか。多度大社の御旅所となっておImg_5799c り、5月5日の多度大社神輿渡御の折りには三基の神輿が奉安されるそうです。詳細は、上記のリンク先をご覧ください。船着社で10時40分。この先で、県道26号線の天王平跨線橋の下を潜ると、戸津の町に入っていきます。県道にかかる、多度大社の鳥居を見上げながら進みますが、その2はここまで。

【大淀の松株跡近くの岩井戸についての付記(3/21)】 この岩井戸について「「みえの歴史街道」のウォーキングマップに、この岩井戸は、「扇状地帯の地形、地質の特徴を示す」とあると引用して書きました。この意味は、このあたりから扇状地帯の近い・地質の特徴が現れ始め、岐阜県に入ると壮大な扇状地形が見られることになるという意味でした(三重県教育委員会編集 歴史の道調査報告書 美濃街道、濃州道、八風道、菰野道、巡見道、巡礼道、鈴鹿の峠道、1984年)。

2020年3月 9日 (月)

暖かい日でした……市民大学郷土史学科のまとめは完成、相談会の準備も現在進行形

Img_6093c  今日は最高気温が20℃にもなるという予報でした(実際には、17.9℃)。暖かい日でダウンジャケットもマフラーも不要。上着を着て歩いていると汗ばむくらいでした。陽気に誘われたか、寺町商店街の河津桜を楽しむ親子連れの方が何組もありました。残念ながら商店街は定休日。団子か何か買ってきて、ここで食べると花見気分を十分堪能できると思います。

Img_9804c_20200309160801  散歩は、8時15分から、ほぼいつものコース。住吉神社、九華公園、貝塚公園から内堀公園、歴史を語る公園、中橋のゴイサギコロニー、寺町と歩いてきました。いったん帰宅した後、駅前方面で所要。歩いたのは、何と合計7.4㎞。写真は、九華公園。奥平屋敷跡から二の丸跡にかかる橋にて。橋の上に立っていたら、エサをもらえると早とちりしたユリカモメとドバトが集まってきたのです。入り交じって並んでしまいました。

Img_6008c_20200309160801  さて、桑名七里の渡し公園、今日は休園日でしたが(定例の、です)、ツグミが2羽、ムクドリが数羽。左の写真は、そのうちImg_6020c_20200309160801 のツグミ1羽。揖斐川にはほとんど鳥影はありません。キンクロが3羽、ヒドリガモが2羽くらい。堤防の法面に集まっていたヒドリガモはすっかり見なくなりました。やはりすでに北の国へ帰ったのだろうと思います。淀理があちこちで地上に降りてエサを拾っているのを見ます。右の写真は、三之丸公園にて。木の実を咥えているようです。ヒヨドリが地上を歩いているのを見るのは、たぶん今の時期限定。

Img_9819c_20200309160801  九華公園。まずは、ジョウビタキのオス。左の写真、「あれっ? どうなっているのか?」と思われるかも知れません。頭をクImg_9796c_20200309160801 ルッと回して、振り返ったところ。これは初めて見ました。ジョウビタキのオス、九華公園内の3箇所ほどで目撃。右は、シメの証拠写真。公園を入ったところで知人に出逢い、話していたとき、近くの木にやって来ました。われわれには気づかなかったようで、10mほど先に来たのです。

Img_9826c  アオサギさんはいませんでしたが、ゴイサギが3羽。左の写真はそのうちの2羽。この頃は、中橋のコロニーImg_6056c とこことに分かれているところをときどき見ます。

Img_9830c  カモは42羽。ハシビロガモのオスが6羽、メスが2羽、ホシハジロのオスが1羽とキンクロImg_6065c_20200309160801 ハジロ(左の写真)。ヒドリガモはいません。ユリカモメは、数えられた範囲では、25羽。このほかは、カワラヒワ、ヒヨドリ、スズメ、ドバト、キジバト、ハクセキレイなど。貝塚公園では、シロハラ1羽を見たくらい。

Img_6074c_20200309160801  歴史を語る公園。東海道五十三次をモチーフにした公園ですが、散歩する人などはほとんど見かけません。もったいない。地名でいうと、片町。東海道の西側に家が建ち、東側には堀があります(江戸時代から)。江戸Img_6072c 時代には、七里の渡し、川口櫓から日用品を運ぶ船が入ってきていたといいます。また、南大手橋がかかっていました(右の写真)。石垣に凹凸がありますから、その辺りと思います(今の南大手橋は、少し南、左の写真の「三条大橋」南隣にあります)。

Img_9860c  中橋のゴイサギコロニーには、ホシゴイが1羽、ゴイサギは9羽ほどいたと思われます。10時半頃の観察ですImg_6083c_20200309160801 が、モチモチの木の奥にいます。左の写真のように、近くに集まっている事もあるのですが、あまりに接近すると小競り合いも起きます。

Img_6031c  3月下旬と4月上旬に相談会を予定していますが、少しずつ資料が届いています。読み込んでアセスメントを行い始めています。「センセイなら半日もあれば、チョイチョイとできますか?」とおっしゃった方もありますが、とてもではありません。半日では、WISC-Ⅳなどの検査結果のチェックを行い、プロフィール図を描き直すくらいの作業しかできません。相談内容、お子さんの実態と検査所見とを照らし合わせ、相談内容やお子さんの実態が検査所見から説明できるか、検査所見を根拠にしてどのような支援をしたらよいかといった点についてあれこれ、いろいろな角度から考え、考え直していきますと、お一人について1週間くらいの時間が必要です(1日8時間労働でずっとしているわけではありませんが)。報告をいったんまとめたあとも、検査結果で相談内容が説明できたか、説明に矛盾はないか、分かりやすい日本語で書いているかなどを点検します。お一人のご相談について報告を書き終えるまでの仕事は、論文を1編仕上げるような感じです。まぁ、若い頃より能率、ペースが落ちているというのも確かですが、大事なことですから、慎重にという意味もあります。

 相談会の前日に、今年になって依頼され、初めて出席する会議が予定されていましたが、今日、「時節柄、集まることは避けて、持ち回りで開催したい」という連絡がありました。昨今の新型コロナウィルス蔓延を考えるとやむを得ません。デビュー(?)は、6月に延期の予定。

Img_6099c  余談が長くなっていますが、去年の市民大学郷土史学科の講座のまとめ、ようやく完成(微笑)。講義そのものをまとめた本編はA4サイズで100ページあまり。絵図、写真など資料を読み込んで入れましたから、大部になりました。他に、年表、実測寸法図も。一昨年のものなども途中で放り出してあります。まとめをつくりたいとは思うのですがねぇ……。

2020年3月 8日 (日)

20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(その1)……下深谷駅をスタートし、深谷の町を進む

Img_5060c  3月6日に出かけた「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名の美濃街道を歩く』」(下深谷~多度)の本編です。新型コロナウイルス200306tado の影響で近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも中止となっていますので、その代わりに「勝手にハイキング(もしくは「一人ハイキング」)」を計画したのです。前から近くの旧街道を歩きたいと思っていましたし、混雑する電車に乗らなくて済むことを考え、美濃街道を行くことにしました。一般に美濃街道といえば、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道乗井宿をつなぐ脇街道のことですが、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいました。「みえの歴史街道」にある美濃街道のウォーキングマップを参考に桑名から、岐阜県境の多度までを2回に分けて歩くことにし、第1回は3月1日に美濃街道のスタートである桑名市川口町から下深谷まで歩きました(2020年3月1日:20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編))。この日は、その続きとして、下深谷から多度へ。冒頭の写真は、我が家の玄関前から撮ったもので、同じようなものをよく載せます。奥に小さく見えているのが、多度山。この日のハイキングでは、この多度山の麓を目指して行ったのです。右は、予告編に載せました。歩いたルートの全体図。

Img_5485c_20200306183801  スタート地点は、前回のゴールであった養老鉄道下深谷駅。そこまでは、播磨駅から養老鉄道で。8時47分発の大垣行きに乗りImg_5498c_20200306183801 ます。やって来た電車は、通称「ラビットカラー」リバイバル塗色の車両。ラビットカーは、昭和32(1957)年から、近鉄南大阪線などで運転されていた通勤車両につけられた愛称だそうです。この車両には、初めて乗ります。

Img_5494c_20200308164001 Img_5502c_20200308164001  養老鉄道ではICカード初変えません。播磨駅は、無人駅ですので、ホームにある機械から乗車票を取ります。車内で係の方が回ってこられ、料金を支払い、今では珍しいカーボン複写の「車内補充券」を受け取りました。もちろん係の方の手書きです。いかにも田舎の電車に乗っているという感じ。

Img_5505c  下深谷駅は播磨駅から1駅。8時51分着、¥210。降りたのは、私一人。そもそも1車両に数人しか乗客はありませんでした。余談ですが、サイクルトレインですので、桑名駅以外のすべての駅で、無料で(乗車券を持っていれば)自転車を持ち込めます。どこかで降りて、サイクリングも可能ということ。

Img_5512c  ハイキングは、8時55分にスタート。駅から踏み切りの手前の細い道を通って、130mほど行くと、前回通ったところ(左の200306tado1 写真)に出ます。前回は、手前奥から来ました。美濃街道は右折するのですが、直進して養老鉄道の踏切を渡って、深江神社、西林寺方面に行ったのです。右は、下深谷駅からの詳しい実測ルートマップ(その1)。養老鉄道に沿って北に向かいます。

Img_5516c  下深谷部の町を行く美濃街道。道幅も、昔の街道とほぼ同じではないかという印象があります(東海道なImg_5520c_20200308165701 ど、江戸幕府が定めた五街道では、標準的な道幅はおおよそ3間から4間(5.4~7.2m)とされていました)。スタートして200mあまり、JAの近くに「和弘(わこう)地蔵堂」。比較的新しい、ごく普通のお地蔵様が祀られていました。みえの歴史街道には、昭和52(1977)年のもので、幼児の交通事故供養のためだそうです。

Img_5525c_20200308170001  深谷小学校を通過。美濃街道を挟んで西側に校舎、東側に屋内運動場がありますので、街道の上を通路が通Img_5527c っています。新型コロナウィルスの関係で休校中。桑名では、学校で子どもたちを預かることはしていませんので、静か。ここで、オスのモズに遭遇。他には、水田でツグミを見たり、ヒヨドリにはあちこちで出会いましたが、この日の野鳥はそれくらい。

Img_5534c_20200306185701 Img_5537c  深谷小学校の北、スタートから830mのところに、高野山真言宗のお寺、法光寺。山号や、由緒、詳細は不明。境内には、稲荷社があります。しかも稲荷社の社は、本堂に接続するように建っています。法光寺の背後の丘には、室町時代に三砂城という城館がありました(玉井四郎左衛門)。

Img_5542c_20200308171201  事前の下調べでは、法光寺の先、養老鉄道の線路を潜った西に薬師如来堂があるということでした。法光寺の北で養老鉄道のImg_5543c 西に行けるのは、左の写真のところしかありません。しかし、これを行った先は、深い竹林。右の写真で右手に登っていけそうな坂道があったのですが、竹や草が生い茂っていて、あまり気持ちの良い感じではありませんでしたので、撤退(苦笑)。後で三砂城跡についてよく調べたら、このあたりにあったようで、薬師如来堂も私が撤退した坂道を登ったところにありました。ちょっと残念なことをしたかも。

Img_5547c_20200306190101  美濃街道に戻って進みます。1.1㎞を超えたところで、小さな川を渡ります。これが三砂川。日本武尊が東国Img_5550c_20200308172901 征伐に行く途中、御衣野(みぞの;桑名市多度町にある地名。草薙神社という日本武尊を祀る神社があります)で休憩したとき、その庭にこの里の五色の砂を奉ったといいます。この三砂川を越えた西側に地蔵堂。もう少し北にあったものが、明治初期にここに移ったといいます。お地蔵様は3体、薬師如来も祀られているようです。

Img_5558c  森大明神社(もりだいみょうじんじゃ)。スタートから1.5㎞、9時15分を過ぎた頃。養老鉄道の踏切を越えたすぐのところImg_5565c_20200306190101 に2基一対の常夜燈があります。勧請年月は不詳。主祭神は、天日方奇日方命(あめのひがたくしびがたのみこと:事代主神(ことしろぬしのかみ)の子)。相殿神は、宇迦之御魂命品田和気命大山津見神、天照大神。ここは、かつて堺城があった丘陵の中腹で、北伊勢小島大森大明神といったといいます。ここも、室町時代に城館がありました(片岡掃部頭または深谷監物)。

Img_5579c Img_5587c  森大明神社のすぐ北にあるのが、真宗大谷派の明光寺。北畠氏が奥州の国司の時、北畠顕家が討たれ、その孫顕道が奥州海老原に妙光寺を建立。北畠氏が伊勢に移ったとき、寺もここに移転し、寺号も改称しています。しかし、それ以上の詳細は分かりませんでした。山号も不明。

Img_5581c_20200308180601  このお寺の山門脇に気になる石碑があります。「天牌奉安地」と刻まれています。碑陰には、明治45(1912)年11月に建立されたと記されていました。興味は持ったものの、いったい何か? 「天牌(てんぱい)」は仏語で、「天子の宝祚ならびに聖寿無窮を奉祷するため、仏本尊前に安置する位牌」だそうです。「天子」は、一国の帝王、日本では天皇。「宝祚(ほうそ)」は天皇の位。「聖寿(せいじゅ)」は天子の寿命で、「無窮(むきゅう)」は果てしないこと。明治45年は7月に明治天皇が崩御されました。大正天皇が即位なさったのですが、わざわざ「明治45年11月」とあるのは、明治天皇に捧げたものなのでしょうか? 建立者や、位牌を安置したのが誰かなどは書かれていませんでした。境内には、他に、「南無阿弥陀佛」の六字を刻んだ石碑も建っていました。

200306tado2

 明光寺を出てさらに進みます。実測ルートマップはその2へ。街道の東西には遺跡もありますが、整備はされていないようですから、立ち寄らずに行きます。

Img_5595c  上深谷部と多度町下野代の境あたりに地蔵堂があります。地蔵堂なのですImg_5599c_20200308184301 が、祀られているのは、阿弥陀立像。江戸時代のもの(御堂は、昭和61(1986)年に建てられました)。阿弥陀立像は、上品下生(じょうぼんげしょう)の印を結び、舟形光背をもった石仏です。仏教における九等級の品位を表すことばに「九品(くほん)」があります。上品下生は、その一つ。上中下の三品(さんぼん)を、さらにそれぞれ上中下に分けたものです。浄土教では、生前の行いによって、極楽浄土に生まれ変わるとき、9つのパターンがあるとされていて、それがこの九品で表されるそうです。9つのパターンによって極楽浄土から迎えに来る仏様のメンバーや乗り物などが異なるとか(こちら)。表の右端の列がその乗り物です。上品、中品は「生前なんらかの善業をした人」で、上品下生は、上から3番目のランク。極楽浄土にいて衆生を救済するとされるのが阿弥陀様のはず。へそ曲がりの私は、なのになぜこういうランクが生じるのか、今のところ、納得できかねています。我が家の宗派である浄土真宗の教えでは、「本願を信じ念仏申さば仏になる」となっていたと思います。もっともしっかり仏教を勉強したわけではありませんので、間違った理解をしている可能性が大。細部にこだわりすぎました。今日のところは、ここまで。

2020年3月 7日 (土)

冷えましたが、ジョウビタキデーでした

Img_5997c_20200307182001  昼には13.8℃まで上がって暖かくなりましたが、朝は、久しぶりに氷点下でした(ー0.5℃)。いつも通り、8時過ぎから、住吉神社、九華公園、貝塚公園、新築町、京町、寺町とちょうど6.0㎞を歩いてきました。寺町商店街の河津桜は、一部で葉桜になりつつあり、また、散り始めています。この週末までが見頃かも知れません。

Img_5932c_20200307181901  今日は、ジョウビタキ・デーでした。散歩に出てすぐ、諸戸氏庭園前の住吉入江脇でメスが1羽出て来ました。Img_5943c この頃はまだかなり冷えていたので、真ん丸に膨らんでいます。しばらくポーズを取ってくれたような感じ。少し行くと、桑名七里の渡し公園があります。最近、ムクドリ、ツグミ(複数)がいるのですが、今日は、シメも2羽いるのを確認。ツグミやシメが好みそうな広い芝生があるからでしょう。

Img_5956c_20200307181901  揖斐川、七里の渡し跡にはほとんど鳥影はありません。七里の渡し跡には、先日までヒドリガモが集まって草を食べていましたが、いなくなりました。北に帰ったのではないかと思います。三之丸公園では、ジョウビタキのオス。知人お二人と会って話していたら、だんだんと近づいてきました。

Img_9658c  九華公園では、今日は、アオサギがいつものように、鎮国守国神社の社務所裏にいました。嘴は、ピンク色になってきています。そのうち、コロニーに行ってしまうと思います。最近は、毎日は来ていません。

Img_5976c_20200307182001  カモは、合計33羽。少ない! ハシビロガモのオス5羽、メス1羽。ホシハジロのオス1羽とキImg_5979c ンクロハジロ。今日は、ヒドリガモはいません。ユリカモメは、34羽以上。週末には、餌をやる人が複数ありますから集まってきます。堀、去年の今頃は、堀めぐりの準備が始まっていましたが、今年は何もしていません。「桜まつり」をするかどうかも決まっていないそうです。時節柄、人が集まるイベントは難しいかも知れません。

Img_9673c  奥平屋敷跡でも、オスのジョウビタキが1羽。貝塚公園ではシロハラ、ツグミを確認しましたが、載せられる写真は撮れませImg_9724c ん。寺町商店街の河津桜では、まだまだ「河津桜にメジロ」が楽しめます。

Kintetsuhiking2003  ちなみに近鉄ハイキングは、3月22日まですべてのハイキングが中止。JRさわやかウォーキングの方は、今のところ3月15日まで中止が発表されています。仕事の進み具合を見て、しばらくは「勝手にハイキング(別名、一人ハイキング)」を楽しむことにせざるを得ません。昨日の記事にも書きましたが、次は「濃州道勝手にハイキング(一人ハイキング)」ですねぇ。三岐鉄道北勢線であります。現在、着々と計画中なのです。

2020年3月 6日 (金)

20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(予告編)

Img_5923c  3月1日に引き続き、「勝手に養老鉄道ハイキング」に行ってきました。前回は、東海道・七里の渡し跡から200mほどの、桑名市川口町と江戸町の境にある美濃街道の起点をスタートし、下深谷駅まで歩きました。今日は、その続きとして、下深谷駅から美濃街道に出て、多度駅まで。冒頭の写真はよく載せていますが、奥に見えるのが多度山。この手前まで歩いたという次第。今日のところは、予告編。主な立ち寄り先を紹介します。

Img_5485c_20200306183801  養老鉄道には播磨駅から乗車。桑名駅からは大垣方向に1駅目。8時47分発の大垣行きに乗車。やって来た電車は、通称「ラビImg_5498c_20200306183801 ットカラー」リバイバル塗色の車両。この車両には、初めて乗ります。無人駅ですので、ホームにある機械から乗車票を取ります。車内で係の方が回ってこられ、料金を支払い、今では珍しいカーボン複写の「車内補充券」を受け取りました。

Img_5505c  下深谷駅は、播磨駅から1駅。8時51分に到着。ハイキングは、8時55分にスタート。駅から踏み切りの手前のImg_5512c 細い道を通って、前回通ったところまで(右の写真)。前回は、手前奥から来ました。美濃街道は右折するのですが、直進して養老鉄道の踏切を渡って、深江神社、西林寺方面に行ったのです。

Img_5516c  美濃街道を北に進みます。写真の中央に、遠く、小さく今日のゴール近くにある多度山が見え200306tado ています。これを目標に、ほぼ養老鉄道に沿って歩いて行きます。右が今日、歩いたルート。船着社から南で今日立ち寄ったところのほとんどは、一昨年4月の近鉄ハイキングでも訪ねています(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。今日のコースも、「みえの歴史街道」にある美濃街道のウォーキングマップを参照しました。

Img_5534c_20200306185701  深谷小学校を過ぎて、スタートから900mほどのところにあるのが、高野山真言宗のお寺、法光寺。山号や、由緒、詳細は不明。境内には、稲荷社があります。しかも稲荷社の社は、本堂に接続するように建っています。法光寺の背後の丘には、かつて三砂城という城館がありました。この先で、養老鉄道の線路を潜った西に薬師如来堂があるはずでしたが、竹林の奥深くで結局パス。

Img_5547c_20200306190101  1.1㎞を過ぎたところで細い川を渡ります。これが三砂川。日本武尊が東国征伐に行く途中、御衣野で休憩したとき、その庭Img_5565c_20200306190101 にこの里の五色の砂を奉ったといいます。さらに進み、1.5㎞で、森大明神社。勧請年月は不詳。主祭神は、天日方奇日方命(あめのひがたくしびがたのみこと:事代主神(ことしろぬしのかみ)の子)。相殿神は、宇迦之御魂命品田和気命大山津見神天照大神

Img_5579c Img_5606c  森大明神社のすぐ先にあるのが、真宗大谷派の明光寺。北畠氏が奥州の国司の時、奥州海老原に妙光寺を建立。北畠氏が伊勢に移ったとき、寺もここに移転し、寺号も改称しています。下野代に入ってスタートから2.8㎞のところに地蔵堂があります。明治4(1871)年に建立。お地蔵様は僧形で、左手に宝珠、右手には錫杖を持っています。

Img_5619c  この地蔵堂の西、養老鉄道の線路のすぐ西に岩井戸、大淀の松跡、石仏があります。「大淀の松跡」の石柱は、明治Img_5624c_20200306202201 31(1898)年のもの。ここにその昔、大淀の松という巨大な松があったといいます。この石柱に向かって左にあるのが、石仏と弘法大師の石像。手前にある岩井戸は、扇状地帯の地形、地質を示すのだそうですが、私にはよく分かりませんでした。

Img_5647c  地蔵堂のすぐ北には、無畏野山徳蓮寺。真言宗東寺派のお寺。ここは、弘仁11(820)年、弘法大師によって建立されました。ご本尊は弘法大師がつくった虚空蔵菩薩像で、これは7年に一度開帳されます。ちょうど今年4月4、5日にご開帳があるという掲示が出ていました。この寺には、200枚を超えるナマズなどの珍しい絵馬も奉納されています。これは、この寺が明応7(1499)年と、天正13(1586)年の2回の地震で破壊されたのですが、行方不明になったご本尊が、土中からナマズとウナギに守られた状態で見つかったことに由来します。

Img_5690c_20210228070401  下野代駅を過ぎて、野志里神社の手前、養老鉄道の西側に無量山延柳寺。天正2(1574)年、比叡山から阿弥陀仏を本尊として授与されましたが、後に真宗本願寺派に改宗。野志里神社の東にあったのですが、江戸時代後期にここに移転しています。

Img_5696c  美濃街道に戻って野志里神社(のじりじんじゃ)。垂仁天皇の御代の創始と伝わっています。倭姫命が天照Img_5720c_20200306203701 大神を奉じて美濃の伊久良河宮から尾張中島宮にお移りになり、 さらに桑名郡野代宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたというのがここです。主祭神は、天照大神。相殿神は、建御雷神天児屋根命経津主神(フツヌシノカミ)など17柱。野志里神社でスタートから3.8㎞、時刻は10時5分。

Img_5730c  4.3㎞で肱江川に行き当たります。ここまで来ると、多度山がかなり近くなります。肱江橋で肱江川を渡りまImg_5747c_20200306204501 す。肱江橋を渡って、ほぼ直進するのですが、それらしい道はなく、細い階段があるだけ。地図を見直しても、この階段を降りるのが美濃街道と考えられますので、そのまま階段を降りて直進。この先で、昔の美濃街道は部分的に途絶えています(マップには群青色で示してあります)。

Img_5756c  迂回ルートから本来の美濃街道に戻ったあたりに菜の花。この先にあったみかん直売所のご主人から声をかけられ、「菜の花を撮りに来たのか?」と。左の写真のところと、国道258号線の東に菜の花畑があるようで、これが新聞に載ったため撮影に来る方が多いのだそうです。

Img_5774c_20200306205101  さらに進んで、県道26号線の手前で船着社。多度神社別宮の一目連大神が最初にここに船で着いたという伝承があります。上げ馬神事の時の御旅所になっています。主祭神は、表筒男神中筒男神、大山津見神、火之迦具土神

Img_5799c  船着社から県道26号線の下を潜って、多度町戸津の町に入っていきます。多度大社の大きImg_5807c_20200306205601 な鳥居が、県道にかかっています。この鳥居は、我が家の玄関先からも見えます。

Img_5813c_20200306210101  戸津の町の中を進む美濃街道。昭和の初めまでは人家もなく、一人歩きは恐ろしいほどであったといいます。戸津の町には、戸津村の庄屋を世襲した西田家があり、長屋門と塀があると「みえの歴史街道」のマップにはあったのですが、見つけられませんでした。コースミスをしたかと思って、あたりを回ったのですが見つかりません。

Img_5887c_20200306210501  やむを得ず、さらに進んで美濃街道が多度川に突き当たるところまで行きました。川を渡ると、多度中学校があります。左手Img_5885c_20200306210501 の方には、多度山。川口町と江戸町の境にある美濃街道の起点からは、寄り道をしなければ10.5㎞ほどのはず。ここで引き返して、尾津神社に向かいます。ただし、尾津神社という名前の神社は、多度町には小山、戸津、御衣野の3箇所にあります。このうち、戸津は古代には川湊であり、日本武尊が刀を忘れたという「尾津前」も戸津のあたりといいます。まずは、戸津にある尾津神社を目指します。

Img_5819c_20200306210901  戸津の尾津神社。戸津の氏神様。延喜式の式内社。主祭神は、倭建命。相殿神は、足鏡別命(アシカガミワケ:倭建命のImg_5836c 子)、稚武彦命(わかたけひこのみこと:第7代孝霊天皇皇子で、吉備臣(吉備氏)の遠祖。「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」と称される)、品陀和気命など8柱。

Img_5852c  戸津の尾津神社から南西に300mほど行くと、小山の尾津神社があります。主祭神は、倭建Img_5866c 命と、足鏡別命。相殿神は、大山津見神の他、不詳の神様。これで、今日訪ねようと思ったところは、ほぼコンプリート。多度駅に向かいます。美濃街道を若干もどって、西田家があるはずのところから西へ。

Img_5906c_20200306212101  多度駅には11時半に到着。スタートからは2時間35分をかけて7.9㎞を歩いてきました。桑名行きの普通電車は、12時2分までありません。大阪からいらしたという男性に出会いました。「どこも新型コロナウィルスとかで行くところがないから、人が少なそうなところに来て、多度山を登ってきた」とおっしゃいます。午後からはなばなの里へいらっしゃるとか。

Img_5915c_20200306212101  やって来た電車は、通称「赤歌舞伎」。東急電鉄で活躍した7700系。昭和37(1962)年から製造開始された、日本初のオImg_5916c ールステンレス車両です。赤歌舞伎には、初めて乗れました。桑名駅には、12時18分着、¥310。これで、桑名市内の美濃街道はほぼコンプリート。多度川から先、岐阜県境まで1㎞あまり残すのみ。一度、多度山に登りたいと思っていますので、それが実現できたら、そのときに残りを歩こうと思っています。歩数は、16,000歩あまり。帰りに桑名駅から自宅までが0.9㎞ですから、今日歩いたのは、8.8㎞ほど。

 本編はまた追々書いて、載せていきます。ただ、今月下旬以降2回の相談会を予定しており、その資料も届き始めていますから、そちらの読み込みや、アセスメントを優先しなくてはなりません。また、来年度の江戸橋での仕事の準備もありますし、市民大学郷土史学科の「城と城下町」のまとめも終わっていません。忙しい(苦笑)。勝手に忙しくしているだけですが、次の「勝手にハイキング」は濃州道(員弁街道)を歩こうと計画中。こちら、三岐鉄道北勢線に沿っています。

2020年3月 5日 (木)

不安定な天候で雨宿り3回、散歩のメインは寺町商店街

Img_5363c  午前中は雲が多く、昼頃までは局地的に雨や雪が降るという予報通りでした。朝一番に用事を済ませるころは弱い雨。帰ってきたら西の方は明るかったので、散歩を強行。これが裏目に出ました(苦笑)。8時半過ぎから歩き始めたのですが、九華公園にいるときから雨。ときどき止みましたので、歩き続けたら、結局、九華公園、貝塚公園、寺町商店街と3回も雨宿りを強いられる羽目に。歩いたのは、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.5㎞。10時半過ぎに帰宅。

Img_5381c_20200305114701  こんな日、鳥は少ないのです。七里の渡し跡には、ヒドリガモが70羽以上。三之丸公園ではツグミ1羽とスズメ。柿安コミュニティパーク上空には、揚げ雲雀。揚げ雲雀は、ヒバリの縄張り宣言ですから、繁殖が始まるのかも知れません。

Img_5421c  九華公園、アオサギも、ゴイサギもいません。カモは、46羽。ハシビロガモのオス5羽、メス2羽、ホシハジロImg_5433c のオス1羽、ヒドリガモのオス1羽とメス2羽、そしてキンクロハジロ。いつも通りのメンバーでした。ユリカモメは、30羽くらい。シメも見たものの、逃げられました。このあと雨に降られ、二の丸跡の四阿で雨宿り。

Img_5446c  貝塚公園に着いたら、知り合いのSさんと遭遇。「もう大丈夫かと思って出て来たのに、また降ってきたな」と。その通り、またもや雨宿り(苦笑)。ツグミ2羽と、シメ1羽を目撃したにもかかわらず、うまく撮れず。シロハラの写真のみ。これも、手前に草が被ってしまっています。このあと、内堀公園を通過し、京町に行くあたりからまた雨。

Img_5453c_20200305114301  寺町商店街の中を通りがてら、雨宿り。これが3回目。アーケード南側から入ります。ここに以前、種苗店があImg_5449c_20200305114301 りました。先日も載せましたが、「母倉(ぼくら)」という占いなどの店の開店準備が行われていました。今日、見たら、3月7日開店という予告。占いは、500円だそうです。

Img_5459c_20200305114301  さらに商店街の中程よりやや北。「おまえの海鮮丼」という店の開店に向Img_5466c_20200305114401 けた準備が進んでいました。3月2日に開店したという情報もあります。ここは、以前は、「3piece(スリーピース)」という居酒屋さんでした。

Img_5463c  店名がいったいどういう意味なのかとか、「海鮮丼プロデュース専門店」がどういうことか分かりませんでした。きょう、この「海鮮丼の作り方」という案内を見て、納得。①ごはんサイズを選ぶ(大450円、中400円、小350円)、②ケースからネタを取る(升はどれも300円、カップは別)、③レジでセットの汁物を受け取る、④会計、⑤食事だそうで、自分でトッピングするから「おまえの海鮮丼」ということのようでした。

Img_5468c_20200305114401  その他、寺町商店街の様子。左の写真は、「くわな まちの駅」。町中の「みちの駅」というコンセプトの店。地元の特産品、名産品などが揃っています。たまに立ち寄ってかぶら煎餅とか、あられ、永餅などを買い求めます。

Img_5455c_20200305114301  こちらは大黒屋さん。餅菓子などの製造販売をしています。「春のたけのこおこわ」とか、Img_5473c_20200305114401 気になりますが(微笑)、今日は買ってきてはいません。昔からの店の他、MAGO7といった紅茶専門店など、新しい店もあります。

Img_5479c_20200305114401  帰宅したときは青空でしたが、その後、昼を過ぎてもときどき雨、風が強くなっています。

2020年3月 4日 (水)

今日も変わらず「淡々と飽きもせず……」

Img_5149c_20200304145001  昼前から雨という予報通りの天気です。降られるのはイヤですので、7時55分から散歩開始。10時半頃帰宅したら、まもなく小雨が落ちてきました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、京町、寺町からショッピングセンターのバローに立ち寄って帰宅。6.9㎞。冒頭の写真、蟠龍櫓の近くで撮りました。中学生か高校生くらいの男の子、2人がランニングをしていました。学校が休みで、時間と体力をもてあましているのかも知れません。それにしても、唐突な「休校要請」や、もろもろ自粛のため、思わぬところまで影響が及んでいるようで、先が思いやられます。どういう影響が出るか考えなかったのか、想像力が欠如しているか、その両方か、あるいは、考えたくなかったのかも知れませんが、困ったもの。国民の健康と安全、落ち着いた生活を振り回さないでもらいたいと思うのです。

Img_5141c_20200304145401  いろいろと思うところはありますが、まずは、「淡々と飽きもせず……」と「晴歩雨読」で(微笑)。揖斐川、漁船が出ていたImg_5145c_20200304145601 ものの、キンクロハジロが20羽以上と、カンムリカイツブリの姿も見られました。このカンムリカイツブリさんは、まだ冬モードのスタイルでした。七里の渡し跡のところにある川口水門をシラウオ漁の漁船が通過していきます(右の写真)。このあたり、この頃いつもヒドリガモが集まっています。今日は、その数14羽。

Img_5155c_20200304145401  中橋のゴイサギコロニーを見てきました。南北両側から見た結果、ゴイサギ8羽とホシゴイ1羽がいましたが、Img_5158c_20200304145401 けっこう密集していることもあり(左の写真)、トラブっている様子も見られます(小競り合いのような感じ)。

Img_5217c_20200304145401  九華公園、アオサギはおらず、代わっていつもアオサギがいる鎮国守国神社の社務所裏の木には、ゴイサギが2羽。中橋のゴイサギコロニーで、小競り合いも見られましたから、こちらに避難していたのかも知れません。同じ種類とはいえ、いつも仲良くとは行かない事情があるのでしょう。何だか、笑えます。

Img_5171c  カモ、今日は44羽。メンバーはいつもと同じというか、代わり映えしないというか(苦笑)。ホシハジロのオス2羽、ハシビロガモのオス5羽、メス2羽とキンクロハジロ。そう言えば、今日はヒドリガモの姿がありませんでした。オオバンも2羽います。

Img_5182c_20200304145401  ユリカモメは、数えた範囲では46羽。今日のような天気では、餌をやりに来る人もありません。公園内を移Img_5197c 動しながら、橋の欄干にいたり、野球場のフェンスにいたり、落ち着きません。二の丸橋の欄干にも並んだのですが、さほど数は多くはありません。

Img_5220c_20200304145401  小型の野鳥は、今日もあまりいません。シメは、本丸跡にて。ジョウビタImg_5249c キのメスは、外周の遊歩道の東にて。このほかは、カワラヒワ、ハクセキレイ、スズメ、ムクドリ、ドバト、キジバト、ハシボソガラス。散歩する人も少なめでした。

Img_5255c_20200304145401 Img_5257c_20200304145401  貝塚公園では、ツグミ2羽、シロハラ2羽、シメ1羽。このところ、全く何もいないということはなくなりました。何が関係するのか、よく分かりません。

Img_5298c  こちらは貝塚公園のシメ。ときどき見るようになりました。貝塚公園には、昨年の秋「ヘビに注意」の看板が設置されました。今日、作業中のシルバー人材センターの方に話しかけられたのですが、「ヘビに噛まれたという人がいたから」だそうです。この方によれば、ツツジなどの植え込みに、枝のように擬態をしていることがあるから、気をつけるようにということでした。私は今までここでヘビを見たことがありませんでしたが、それはひょっとしたら、気づかなかっただけなのかも知れません。

Img_5356c_20200304145401  寺町商店街。今日の中日新聞朝刊に「河津桜が満開」という記事が載っていましたが、すでに一部は、葉桜になってきていまImg_5328c す。今日も、ずっと見てきましたが、メジロやスズメはおらず。暴れん坊のヒヨドリが2羽のみ。何となく似合わない気がします。私的には、「花とおじさん」というところか(苦笑)。

Img_5215c_20200304145401  オマケ。今まで気づかなかったというか、きちんと確認しなかったのは、不覚と思いつつ、Img_5210c_20200304145401 記憶のために。鎮国守国神社には、境内社として稲荷社があります。その稲荷社の二の鳥居に向かって左の社号標には「宮光稲荷大明神」と、また、向かって右の社号標には「稲荷神社」とあります。

Img_5208c_20200304145401  この向かって右の社号標の左面に「立退紀念 大正14年12月 二之丸氏子中」と刻まれています。桑名城跡は、明治になってかなり荒れたようで、二の丸には一般の民家があったそうです。昭和3(1928)年、楽翁公(松平定信)百年祭のため、桑名城跡は九華公園として整備されました。この碑にあるのは、公園整備にともなって、民家が立ち退いたことを示しています。右面には発起者として8名の方の名前が刻まれています。西羽晃先生の「新桑名歴史散歩(1974年、新光堂)」で読んでいたものの、このことをしっかりとは認識しておらず、「城と城下町」の復習をするときに再認識した次第。ちなみに、鎮国守国神社も、いったん吉之丸に移転した後、再度、現在地に移転しています。すなわち、明治12(1879)年、旧・桑名城内にあった鎮国守国神社は、内務所貯木場設置のため社地が収用され、吉之丸49番地(現在の地図で見ると、二の丸橋を渡った南東)に移転。その後、明治40(1907)年、現在地に再度移転しています。

2020年3月 3日 (火)

20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(その2)……東汰上から深谷の町を見て回り、下深谷駅にゴールにて「完」

200301mino2  3月1日に行ってきた“勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)”のその2です。その1では、川口町と江戸町の境にある美濃街道の起点をスタートし、三崎見附跡、北桑名神社、西浄寺、上之輪神社を経て、東汰上(ひがしゆりあげ)あたりまで来ました。

Img_4562c_20200302175401  多少、前後しますが、東方や東沙上あたりの様子から。JR関西線と近鉄名古屋線の鉄橋を潜って西側へ。このImg_4565c あたりにはNTN桑名製作所の工場などが集まっています。コミュニティバス・明竜町の停留所近くで、JR・近鉄の鉄橋をふと見たら、「湿地橋橋りょう」と書いてありました。この東には上之輪新田が広がっています。なるほど湿地だったのかと妙に納得。

Img_4585c_20200302175801  その先の地名は、「東沙上」。桑名には、「養老-桑名-四日市断層帯」が走っています。「東沙上」とは、何だか気になる地名です。ここにある報告によれば、汰上付近で調査した結果、「養老・桑名断層の上下方向の平均変位速度はそれぞれ6.5m/千年、2.1m/千年以上と計算されるが、前者は平均を求める期間が短いため、実際より値が大きくなっている可能性がある。以上のデ-タから、養老・桑名断層の過去約1万年間の平均変位速度を、3.3-3.5m/千年(上下方向)と推定する」だそうです。活断層ですから、ちょっと怖い。1回の活動によるずれの量が約6m(上下成分)と推定されることから、過去にマグニチュード8程度の大地震を繰り返し発生させたと推定されるそうです(こちら)。「古地図で楽しむ三重(目崎茂和著、風媒社、2016年)」によれば、桑名駅あたりから桑名高校の西側にかけて4段の階段状地形が見られ、標高差は4段合わせて30mにも及ぶそうですし、丘陵全体では60mの高低差があるといいます。古くからの地名には、関心を払うべきです。

Img_4569c  このあたりで目を惹いたのは、「日本キャタピラー桑名ヤード」でした。ショベルカー、ホイルローダなど重機の会社。新品Img_4591c の働くクルマが実にたくさん置いてありました。幼い男の子でしたら、飛び上がって喜びそう。東沙上のバス停を過ぎ、くわな幼稚園の前を通ると、東名阪自動車道桑名東インターが近づいてきます。

200301mino3  このあたりから実測ルートマップは、その3へ。実際に歩いたルートは薄いブルーでトレーImg_4601c_20200301180901 スしてあります。「桑名東インター入り口」交差点のところでは、オレンジのラインが入れてありますが、こちらが本来の美濃街道のルート。しかし、ここに降りる道が途切れていますし、もしそちらをいったとしても国道258号線をそのままでは横断できません。そこで、「桑名東インター入り口」交差点を回ります。ここでスタートから4㎞、時刻は9時40分。1時間5分で4㎞ですから、よいペース。

Img_4610c_20200301181601 Img_4614c_20200301181601  桑名東インター入り口交差点を渡って、美濃街道に戻り、東名阪自動車道の下を潜るというか、桑名東インターのすぐ脇を通って行きます。ここからの道は、今まで来たことがありません。

Img_4622c  桑名東インターのすぐ北に「ニューギン」という会社があります。以前からどういう会社か気になっていましたが、今回、改めて調べて見たら、「各種遊技機の開発・製造」をしている会社でした。ここは、工場で本社は名古屋。要するにパチンコ台を開発、作成しているところのようでした。

Img_4634c  下深谷部の町を歩いて行きます。道の広さ、曲がり具合など、いかにも昔からの街道というImg_4636c イメージです。古い看板もあちこちに残っています。右の写真の看板には、「桑名新警察署前」とあります。今も、ナカムラ設備工業という会社があり、電話番号も同じです。古い看板を見るのは、けっこう好きなのです。ちなみに、このあたりの東、国道258号線を越え、揖斐川沿いには「屋長島城址(柳ヶ島城址)」があるのですが、かなり大回りになりますから、今回はパス。ここも、長島一向一揆の拠点でした。

Img_4640c  下調べをしていたとき、地図で稲荷神社があるのを見つけましたので、立ち寄るつもりでした。5㎞の手前で右折し、東へ。稲荷神社に着く前に、とあるお宅の屋根に「鍾馗様」を見つけました。歩く時には、いささか気にしているのですが、久しぶりに「新発見」。詳しくはないのですが、比較的よく見かけるタイプのようです。

Img_4643c_20200301182401  目的の稲荷神社は、スタートから5.1㎞のところにありました。神社検索三重には載っていません。柵に囲まImg_4649c_20200302185201 れ、入り口もあったものの、施錠されていてお参りはできません。「正一位稲荷大明神」という石柱があります。「御稲荷の歴史」と題した由緒書がありました。「正一位開運稲荷大神爾(?)」「右今般依誓願大式令授共畢竟敬不可怠者也」とあるように読めます。後半は、「右、今般、誓願により、大式を令授すると共に、畢竟(つまるところ)、敬うところ怠らずべからずものなり」ということでしょうか。読み方は、かなりアヤシいのですが(苦笑)。明治34(1901)年4月6日、官幣大社稲荷神社社務所とあります。「官幣大社稲荷神社」は、今の伏見稲荷大社のこと。岐阜県の山中藤七という人物に当てられた文書(「證」とありますから、「証明書」か?)を彫ったもののようです。最後にお二人の方のお名前がありますが、その日付が異なるのも気になります。

Img_4648c  疑問は解けたような、解けないような(苦笑)。それはさておき、ここで興味深かったのは、神使の狐さん。稲荷社をたくさImg_4646c ん見て回ったわけではありませんが、こういうのは初めて。お参りできなかったのもちょっと残念。

Img_4661c_20200301184301  美濃街道に戻って、100mほど行くと、真宗大谷派の深江山南楽寺(ふかえざんなんらくImg_4664c_20200303030801 じ)が西に見えます。平安時代初期の天長元(824)年に天台宗の僧院として建立されましたが、織田信長の伊勢侵攻の時、兵火で焼失し、再建後、浄土真宗に改宗し現在まで続いています。以前は、深江山阿弥陀寺といい、正保2(1645)年にここに移ってきたそうです。頌徳碑が1基あったのですが、黒ずんでいて判読困難でした。また、山門手前のお宅に犬が何匹かいて、出入りの時かなり吠えられてしまいました。不審人物と思われた?

Img_4679c  南楽寺の先で、本日最大のミッションがありました。出がけに「今日は下深谷まで歩いてくる」といったら、家内から「末広屋さんでみたらし団子を買ってくるように」という課題を与えられたのです。和菓子その他を売っておられるのですが、団子は店でつくっていらっしゃいます。以前にもここのみたらし団子を食べたことがあり、美味しかったのです。電話しておいてもらい、10時過ぎに立ち寄ってきました。10本で¥750と超お得。

Img_4688c  最大のミッションを果たし、気分も軽く歩き続けます。末広屋さんから50mほどで流石川に突き当たり、美濃街道はここでImg_4684c 左折し、西に向かいます。この曲がり角、流石川の右岸に地元の方が「角の地蔵」と呼ぶ地蔵堂があります。「地蔵」といいながら、祀られているのは、如来様。ただし、「くわな史跡めぐり」には「薬師如来」とあるのに、「みえの歴史街道ウォーキングマップ」には「阿弥陀如来」とあり、私にはどちらが正しいのか、判別できません。

Img_4693c_20200301184301  下深谷駅の北側あたりを西に、流石川に沿って歩いて行きます。郵便局もあり、コミュニティバスのバス停Img_4700c_20200301184301 は「深谷町中」とありましたから、このあたりは町の中心かもしれません。スタートから6㎞を過ぎたところで、街道は北向きに曲がり、小さな四差路に来ます。右の写真の交差点です。ウッカリしていると通り過ぎそうですが、今回の美濃街道歩きはここまで(ここで10時20分頃)。左折して、深江神社や西林寺に向かいます。左折した先には、養老鉄道の踏切。

Img_4732c  深江神社です。深江(ふかえ)はこのあたりの古名。勧請年月は不詳ですが、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に「伊勢国桑名郡深江神社」とありますので、いわゆる「式内社」と考えられます。ここも、織田信長の伊勢侵攻の時、兵火に焼かれました。桑名藩主・松平定勝の子・定実(さだざね)が深く信仰し、元和8(1622)年、社殿を寄進し、現在に至るといいます。

Img_4761c_20200301184301  主祭神は、天之菩毘能命(アマノホヒノミコト)と、天照大御神。相殿神は、宇迦之御魂神大山津見神武三熊之大人(たけみくまのうし;『古事記』では建比良鳥命(たけひらとりのみこと)とされる。「建」は「勇猛な」、「比良」は、「縁(へり)」と同源であり、物の端・隣との境界の意と解し、名義は「勇猛な、異郷への境界を飛ぶ鳥」と考えられる。『古事記』では、天之菩卑能命の子)、火之加具土神市杵島姫命国底立命(クニノソコタチノミコト;「日本書紀」では、天地開闢(かいびゃく)のときあらゆる神に先立って現れた第一神。国土生成の中心的神とされる。「古事記」では、国常立神の名で、第6番目に現れた神)、大山咋神(オオヤマクイノカミ;「咋」は「杭」で、神が依り憑く棒を神格化した神とも、山頂の境界となる棒を神格化した神ともいわれる)、意富伊我都命(おおいかつのみこと、おほいかつのみこと;火に関わるとされる天津彦根命の孫ともいわれ、刀鍛冶の守護神)、倭建命(やまとたけるのみこと)、大物主命(おおものぬしのかみ;奈良県の三輪山に鎮座する神で、大神(おおみわ)神社の祭神。大国主神の異名ともいう。蛇の姿をしており、農業の守護神でもある)。相殿神がたくさんいらっしゃり、しかも、初めて目にする神様もありました。神社の西側には、西林寺がありますから、かつては神宮寺として習合関係があったかも知れません。

Img_4763c_20200301184401  深江神社のすぐ西に西林寺。現在は、真宗本願寺派ですが、永正6(1509)年、北廻城主・近藤家教が父の菩提を弔うために創建しました。当時は、禅宗の済林寺。天正2(1574)年、本願寺第9世実如上人(蓮如上人の5男;「御文(おふみ)」を布教の指針としました)により、真宗に改めました。織田信長の伊勢侵攻の時、焼失し、後再建されています。

Img_4768c  この西林寺の裏山あたりが、北廻(きたはざま)城址といわれます。織田信長の侵攻によって滅ぼされましたが、北廻城は堅固な城であり、信長勢(滝川一益)も攻めあぐねて、ついにトンネルを掘って、地下から攻め登ったといいます。籠城したのですが、水がなくなったのを知られないため、馬を洗うのに白米を用いました。遠目には水に見えたからです。これによって「白米城」とも呼ばれました。北廻城主であった近藤氏の子孫が、この西林寺の住職になっています(こちら)。このあと、近くの公園で小休止。この日最後の目的地である飛鳥寺を目指します。

Img_4784c  県立桑名北高校の裏を回って、飛鳥寺に登っていきます。西林寺も、飛鳥寺も一度近鉄ハイキングで来たことがあり、そのとImg_4798c_20200301194701 きのルートを辿っています(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。飛鳥寺の手前で梅が咲いていましたので、写真を撮っていたら、背後に誰かいるような、何か動いているような感じで、背中がぞくぞくします。そーっと振り返ったら……。

Img_4789c  何とニホンザルの集団。仰天はしませんでしたが、ビックリ。たぶん20頭以上いたと思います。林や、飛鳥Img_4824c_20200301172601 寺の墓地に子連れのニホンザル。毛繕いをしたり、何かを食べたり、遊んだり。近くの方に伺ったら、屋根の上を飛び回ったり、畑の作物を食い荒らしたり、大変な迷惑だそうです。この方によれば、「サルは、昔はいなくて、多度から来た。子ザルも生まれて、増えて困っている」ということでした。

Img_4833c  ちょっとビビりつつも、坂を登って、雨尾山味光院飛鳥(ひちょう)寺に到着。スタートから7㎞を過ぎ、 11時少し前。東寺真言宗のお寺。ご本尊は、十一面観世音菩薩。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。延暦13(794)年、大和国生駒山周辺から黄金の花瓶(けびょう;十一面観音の持物)を喰えた霊鳥が、現在地より2km山中の坊ケ谷に飛んで来て、美声にて仏法を説いたといいます。その噂を聞きつけた弘法大師が来山し、霊鳥が十一面観音に変化したそうで、弘法大師は、早速、感得されたお姿を一刀三礼して等身大の御尊像を刻み草庵に安置し、霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺(ひちょうじ)」と名付けたことに始まります。最盛期には、寺域一里半、寺領千石、12の坊舎が並ぶ密・律・禅の名刹となっています。しかし、ここもご多分に漏れず、元亀2(1571)年、織田信長の伊勢長島の一向一揆攻略により全山灰燼に帰し、小堂一宇を残すのみとなりました。その後、寛永12(1635)年、桑名藩主松平定網公が、眼病平癒祈願のため参籠し、その満願の夜に、観世音菩薩の花瓶より滴る霊薬水で洗眼する夢をご覧になられ、忽ちに平癒したといいます。定綱は供料田を寄進し、また、万治3(1660)年には定重から年々の祈願料が寄進されました。元禄年間、桑名藩家臣・南條三太左衛門宗親が、念持仏として地蔵菩薩を得て、それを奉安しています。山号については止雨のみならず、雨壷という古い陶器の壷があり、旱魃の時にこれに水を滴らすと忽ちに降雨したので、「雨尾山(あまおさん))と呼ばれています。

Img_4838c  明治2(1869)年、参詣に不便ということで本堂及び地蔵堂が現在地に移転。木曽三川を眼下に、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽の御嶽が、一望できる眺望絶佳の高台にあります。こちらがその眺め。平成29(2017)年末にNHKで放送していたドラマ「マチ工場のオンナ」のロケ地の1つです。

Img_4847c_20200303050801  境内には、招魂社と思われる社(左の写真)と、三吉稲荷社(右の写真)とがあります。招魂社と思ったのImg_4867c_20200303050801 は、石に「軍恩連」という文字が刻まれていたからです。このほか、石碑などが3基ありましたが、判読困難。調べても、ネット検索では情報が出て来ません。

Img_4869c  三吉稲荷社のところから墓所を見下ろすと、ここからも猿たちがよく見えImg_4886c_20200303062601 ました。下山するとき、近くの藪でサルが枝をユッサユッサゆらし、不気味な感じが……。怖くはなかったものの、何とも気持ち悪い(苦笑)。

Img_4895c  ゴールに決めていた養老鉄道下深谷駅には、11時10分にImg_4897c 到着。スタートから3時間35分。ここまで7.5㎞を歩いてきました。歩いた距離に比べ、時間がかかっていますが、それぞれの目的地でウロウロしているからです。この下深谷駅、昔ながらの駅のイメージで、何だか懐かしい。昼の時間帯は駅員さんが常駐していらっしゃいます。

Img_4909c_20200303063201  次の桑名行きは11時32分。時間がありましたから、駅の周りを見てきました。すぐ近くのお宅の壁には、いくつかの古い看板。左は、Img_4912c_20200303063401 のもの。ここは以前、テレビで何度か見たことがあります。右は、桑名駅前にある桑栄(そうえい)メイトビルにある楽器屋さんのもの。娘が、学生時代、吹奏楽部におり、ドラムのスティックを買いに行ったといっていました。

Img_4923c  さらに、「サルに注意」という掲示もありました。「野生のサルはこわい」という回覧が這ってありましImg_4924c た。近づかない、目をあわせない、刺激しない、驚かせない、走らないという注意事項や、見つけたらどうするかが挙げてありました。

Img_4906c  駅に戻って、まだ時間がありましたので、ベンチで一休み。最近、都市部ですと、駅の待合室にベンチがないことも多いので、これはありがたい。新型コロナウィルスによる近鉄ハイキングの中止のお知らせもありました(涙)。

Img_4930c  20分ほど待って、11時32分の桑名行き普通電車に乗車。やって来た電車Img_4941c_20200301184401 は、「緑歌舞伎」。東急から導入された7700系。昨年(2019年)2月から走っています。乗るのは今日が初めて。2両編成です。養老鉄道としては、新車両ですが、この東急7700系は、東急電鉄池上線で運行されていた昭和38(1963)年~41(1966)年製の電車。桑名には11時38分到着。この日、スタートから下深谷駅のゴールまでで歩いたのは、7.5㎞。スタート地点まで、我が家から0.7㎞、帰りに桑名駅から我が家までが0.9㎞ですので、合計9.1㎞。歩数は、NintendoDSの生活リズム計で、14,948歩でした(いつものALKOOは、写真を撮り忘れました)。勝手にハイキングですので、スタンプはなし。

Img_4958c_20200301200201  こちらが、末広屋さんで買ってきたみたらし団子。上にも書きましたが、10本で¥750。冷めても美味しい。みたらし団子は醤油だれに限ると思っていますが、これは別。故郷にある天王の団子屋の次に美味しいと思うくらい。

Img_4946c_20200301200201  ところで、美濃街道は、さらに多度へと続きます。下深谷駅あたりから多度方面の美濃街道の大半は、一昨年(2018年)4月28日に歩いています(20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。しかし、このとき歩いた美濃街道は、肱江あたりから南。近いうちに、続きを計画しましょう。養老鉄道多度駅の近くなどに訪ねてみたい神社もあります。

ハクモクレンが咲いているのを見つけました

Img_9627c  北寄りの風はやや冷たいのですが、3月下旬並みの気温でそれなりに暖かい日になっています。昨日の記事でモクレンが咲きそうと書きましたが、今日は、内堀公園近くのお宅で満開のハクモクレンを見つけました。朝、一つだけ用事を済ませ、8時半から11時頃まで、いつも通り、散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町商店街と5.9㎞。寺町商店街では三八市が開かれ、それなりに賑わっていましたが、他は人も、クルマも少ない印象。公園では、おじいちゃん、おばあちゃんにつれられたお孫さんの姿が散見されます。柿安コミュニティパークで出遭った小学生の男の子は、「学校が休みでつまらない」といっていました。

Img_9537c_20200303161901  住吉入江にはキンクロハジロ1羽、ホシハジロのオス1羽、オオバン2羽の姿がありましたが、揖斐川には鳥影はなし。七里の渡し跡では、ヒドリガモ24羽ほどと、コガモ1ペア。ヒドリガモは、堤防の法面に上がって、草を食べています。

Img_5072c  九華公園には、今日はアオサギはいません。相撲場近くでジョウビタキのメス。隠れんぼでもするかのように、チョコチョコ動きます。追いかけるとちょっと逃げるの繰り返し(苦笑)。公園内を半周して、同じあたりに戻ったら、まだいました。お陰でけっこう遊んでもらえます。

Img_9593c_20200303161901  カモは、合計48羽。ヒドリガモのオスが1羽とメスが2羽、ホシハジロのオス1羽、ハシビロガImg_9561c_20200303161901 モのオスが6羽にメスが2羽。他はキンクロハジロ。このところ、だいたいこれくらいの数です。ユリカモメは、22羽。ユリカモメは、今月末くらいになると来なくなります。去年は、今日から桜まつりの堀めぐりの準備が始まりましたが、今日午前中は何も行われていませんでした。新型コロナウィルスの影響を見きわめているかも知れません。

Img_5088c  ツグミ。今日もあちこちで見ました。左の写真は、九華公園の朝日丸跡にいたツグミ。今日、ツグミを見たのは、桑名七里のImg_9589c_20200303161901 渡し公園、三之丸公園、九華公園、貝塚公園、内堀公園。このところ、毎日がツグミ・デー(微笑)。しかし、他の野鳥は相変わらず少なし(苦笑)。見たのは、シロハラ、カワラヒワ、キジバト、スズメ、ドバト、ヒヨドリ、ムクドリなど。九華公園では、昨日、エナガを見ましたので、今日も期待したものの、不発。シジュウカラはいましたが、シメにはお目にかかれず。

Img_9621c_20200303161901  貝塚公園では、ジョウビタキのオス、メス1羽ずつを目撃したものの、ここでは写真は撮れず、残念。シロハラは2回目撃。Img_5117c_20200303163501 別の個体かどうかは、判然とせず。昨日もいましたが、シメ。遠くて、木陰で暗いので、まさにいたというだけの「証拠写真」。

Img_9641c_20200303161901  寺町商店街の河津桜も見てきましたが、三八市で賑わっていましたので(駐車場があるところに河津桜の並木があるのです)、メジロは不在。ヒヨドリとスズメが少しだけ。こういう天気がよくて、暖かい日に野鳥がたくさんいてくれるとありがたいのですが、そうそううまい話はありません。

Img_5062c_20200303161901  ところで、桑名七里の渡し公園の工事。整地作業が終わったところで、ストップ。整地したImg_5064c ところが固まるのを待っているのか、という気がしますが、早くも3月。建物が建つと思うのですが、このペースでは年度末には間に合わなさそう。ここにも、最近ツグミがよく来ています。

 3月に入りましたので、江戸橋方面の仕事、前期分のチェック&修正にやっと着手しました。去年の質問、コメントを眺めながら、各回ごとに読み直して、修正をし始めました。これまでは試験も含め15回の授業でしたが、来年度からは試験は別で、授業が正味15回になります。これにも対応する必要があります。ボチボチと進めていくことにします。

2020年3月 2日 (月)

20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(その1)……スタートして、三崎見附跡から上之輪神社まで

Img_4419c_20200301171701  新型コロナウィルスで、鉄道会社のハイキング/ウォーキングも軒並み中止。最後に行ったのは2月9日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」でしたから、ハイキング/ウォーキングの虫がウズウズ(苦笑)。そこで、「一人ハイキング」を計画。以前もたまにありましたが、「勝手にハイキング」企画です。前から近くの旧街道を歩きたいと思っていましたので、混雑する電車に乗らなくて済むことも考え、美濃街道を行くことにしました。一般に美濃街道といえば、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道乗井宿をつなぐ脇街道のことですが、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいました。「みえの歴史街道」にある美濃街道のウォーキングマップを参考に桑名から、岐阜県境の多度までを2回に分けて歩くつもり。初回の今回は、美濃街道のスタートである桑名市川口町から下深谷まで。美濃街道そのものは約5㎞の予定。よく晴れて、気温も17℃を超え、絶好のハイキング日和でした。

200301mino  こちらが歩いた全行程。美濃街道は、東海道の七里の渡から南へ200m足らず下った桑名市川口町と江戸町の境が起点。そこから西に向かい、三崎通を経て、堤原から北へ(福島縄手)。国道1号線、上之輪、汰上(ゆりあげ)を通って深谷まで。養老鉄道下深谷駅をゴールに設定し、美濃街道自体は約5㎞を歩く計画。下深谷駅近くで、地蔵、神社、お寺を見て回りました。美濃街道は下深谷からさらに多度へと向かいますが、それは次の機会に。この日、スタートから下深谷駅のゴールまでで歩いたのは、7.5㎞。スタート地点まで、我が家から0.7㎞、帰りに桑名駅から我が家までが0.9㎞ですので、合計9.1㎞。歩数は、NintendoDSの生活リズム計で、14,948歩でした。

Img_4422c  朝、8時25分に我が家を出て、まずは七里の渡し跡へ。街道歩きですから、そういう気分にしようということです。ここは、いImg_4423c_20200302050701 つもの散歩で通るところ。この七里の渡し跡から東海道を南に200mほど行ったところが、美濃街道の起点。伊勢一の鳥居を背に立つと、右の写真のように東海道がまっすぐ続いています。

Img_4427c  美濃街道が、東海道から分かれるところのすぐ手前、東側には、北大手橋が堀にかかっています。その名の通り、お城に入るための橋。ただし、今はコンクリート橋になっています。このあたりは七里の渡し跡(川口水門)から続く昔ながらの堀で、桑名城の石垣がそのまま残っています。

Img_4432c  歌行燈本店のある三叉路。ここから美濃街道がスタートします。写真中央が、その歌行燈。東海道は写真の右手から来て、歌行燈の前を通っています。美濃街道はここで右折していくのです。

200301mino1  こちらは、少し詳しい、実際に歩いたルートマップ(その1)。美濃街道Img_4436c_20200302052201 は、ここを起点に西に向かいます。桑名駅から九華公園まで通っているメインストリートの八間通の1本北側の道が美濃街道なのです。スタート地点に立って、これから歩く美濃街道を見たのが、右の写真。8時35分にスタートします。

Img_4439c_20200302052401  いきなり話が逸れますが、スタート地点の東海道のまん中に「井」と刻まれた石がはめ込まれています。これは、江戸Img_4438c 時代、ここに「通り井」があったことを示しています。ただし、注意して見ないと分かりません。桑名は地下水に海水が混じりましたので、寛永3(1626)年に町屋川から水を引いて、水道をつくり、町内の主要道路の地下に筒を埋め、ところどころの道路の中央に方形の升を開けて、一般の人々が利用しましたこれを「通り井」といい、ここにそれがあったことを示しているのです。

Img_4450  さて、話を戻して、川口町と江戸町の境をスタート。本町を行きます。格子窓の家もあり、多少は江戸時代の街道であったと  いうイメージもあります。

Img_4455c_20200301173601 Img_4457c  スタートから370mほどのところに三崎見附跡があります。江戸時代、三崎見附がありました。多度や美濃 国への出入り口として、番所と三崎門があり、また、寺の開帳や芝居・相撲の開催を告げる立て札が立てられるところでした。ここも実は、毎日の散歩コース。写真左下の先に寺町商店街があります。右奥には、住吉入江。郵便ポストの手前には堀があり、見崎橋が架かっていたのですが、今はその名残はなく、暗渠になっています。このあたりは、大垣への定期航路の客船が発着していたといいます。現在は暗渠になっています。

Img_4461c_20200301173701  堤原に入って、北桑名神社があります。スタートして、まだ750mほど。ここは、我が家の氏神様なのですが、由緒もある神社です。江戸時代の初めからここに鎮座し、「三崎神明社」あるいは「今一色神明社」と称されました。明治41(1908)年、太一丸にあった「太一丸神明社」、宝殿町にあった「佐乃富神社」を合祀し、「北桑名総社北桑名神社」となっています。

Img_4469c_20200302064201  御祭神は、天照大御神建速須佐之男命鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト;神武天皇の父)、泣沢女神(なきさわめのみこと:伊奘諾尊が、伊奘冉尊の死をなげきかなしんで流した涙から生まれた。奈良県橿原市畝尾都多本(うねおつたもと)神社の祭神)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、持統天皇応神天皇宇迦之御魂神火産霊神、高水上命(由緒書には伊勢の豪族とある;内宮の神田を守護する水神、あるいは、石清水の守護神ともされる)(神社検索三重による)。

Img_4463c_20200302123301  北桑名神社の鳥居脇には、「持統天皇御𦾔跡」と刻まれた石柱が建っています。壬申の乱(672年)の時、大海人皇子(後の天武天皇)は一族を連れて桑名郡家(くわなこおりのみやけ)に着き、菟野皇女(うののひめみこ;後の持統天皇)と幼い草壁皇子をそこに残して戦場となる不破に向かわれ、勝利を得て桑名に戻られました。その間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが佐乃富神社であるといういい伝えがあるのです(由緒書による)。なお、定説では、桑名郡家の場所は、不詳となっています。ちなみに市内には、この壬申の乱のとき、大海人皇子が滞在されたことから、天武天皇社という神社があります。

Img_4470c_20200302124501  こちらは境内社。八天宮(火産霊神)、稲荷大明神(宇迦御霊神)、金刀比羅宮(大物主神)、天神社(菅原道真公)、船魂社(神功皇后)が祀られています。また、境内のはずれにはお地蔵様。「帖付地蔵尊」とあImg_4474c るのですが、その由来は確かめたことがありません。毎年8月には地蔵盆が行われています。

Img_4480c_20200301174301  スタートから800mあまり、変則的な四差路に来ます。ここが、美濃街道(福島縄手)と、八丁畷と呼ばれる道の追分。美濃街道は、左の写真で中央にある民家の右手の細い道となります。八丁畷は、民家の左手を行く道。この先、国道1号線の参宮通交差点を過ぎ、桑名駅の北を通って、東海山照源寺に続いています。照源寺には、久松松平家の墓所があります。寛永元(1624)年、桑名藩3代藩主・松平定勝が亡くなったとき、その子定行(4代藩主)が東海山崇源寺(東方)として創建した、浄土宗のお寺です。崇源寺はその後、照源寺と改称。

 この民家が建っているところには、かつて常夜燈と道標がありました。常夜燈の正D641e866面には「多度両宮 常夜燈」、右には「堤原」、裏面には「安政三歳丙辰九月吉日」、左には「神主 小串肥後守重郷」とありました。安政3年は1856年。道標は、弘化4(1847)年の建立で、「右みのたどみち、左すてんしょみち」と刻まれていました。「すてんしょ」とは鉄道の駅のことで、桑名駅が現在地で開業したのは明治28(1895)年でしたから、「左すてんしょみち」の文字は駅ができてから彫り加えられたものと考えられています。文化財に指定されていなかったため、民家を建てる際に撤去され、現在は桑名市が保管していると聞いています。この写真は、10年以上前に撮ったもの。

Img_4487c  福島縄手といわれる、美濃街道を進みます。細い道ですが、昔の街道はこれくらいの道幅だったのかも知れません。ここをImg_4489c_20200302132501 150mあまり行くと、国道1号線に合流します。この先、美濃街道はしばらく国道1号線とかさなっています。国道1号線に合流するところに1本の木があり、その下に碑が建っています。

Img_4490c_20200301174801  この碑は、「参宮国道碑」。大正時代まで、木曽・長良・揖斐の三大川は渡船に頼っており、ここに橋を架ける運動が進むとともに、「東海道国道」が新しくつくられました(現在の国道1号線)。町屋橋から伊勢大橋までの3.87㎞は、昭和6~7(1931~32)年にかけて、当時のお金で55万円でつくられたそうです。その竣工記念として西桑名町(当時)によって建てられたのがこの碑です。

Img_4494c_20200301175001  美濃街道は、上述のように、この先しばらく(700mほど)国道1号線と重なっています。1号線がカーブしImg_4514c_20200301175001 て伊勢大橋に向かう手前、立代町交差点を過ぎたところで、美濃街道は左手の細い道に進みます。右の写真で、1号線が右にカーブしていくのが分かります。ここまでが実測ルートマップその1の範囲。

200301mino2  この先、宮前西交差点を渡って行きます。この交差点近くに神明社と地図にはありませんが、福栄寺というお寺がありますが、今回はパス。大山田川を渡る手前で西浄寺に寄り道。美濃街道に戻って、大山田川を越え、上之輪神社に立ち寄ります。ここは、中江城址といわれ、長島一向一揆に関わります。その先は、工場や水田地帯をひたすら歩くところ。

Img_4521c  桑北山西浄寺。浄土宗のお寺です。もとは、北河原葬所の境内の庵だったといいます(みえの歴史街道のマップの説明)。数年前まで木が生い茂っていて、ちょっと怖い雰囲気だったのですが、バッサリと切られ、スッキリしすぎた感じ。ここも何度か来ているのですが、六地蔵と六字名号碑を見るために立ち寄りました。これらを今まできちんと確認していなかったのです。

Img_4524c_20200302165901  左の写真は、六地蔵。元禄3(1690)年のもの。六地蔵は、地蔵菩薩の6分身。生前の行為の善悪によって、人は死後、地Img_4527c_20200302165901 獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するとされますが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の6地蔵をいいます。右は、名号碑。「南無阿弥陀佛」と刻まれていますから、「六字名号碑」といってよいでしょう。天保12(1841)年のもので、もとは街道沿いに建っていたのですが、昭和4(1929)年に移動したそうです。さらに、名号碑に向かって左に半分だけ写っているのが、「釈迦如来立像」。このきちんとした写真を撮り忘れるという不始末(苦笑)。これは、嘉永2(1849)年のもので、これも街道沿いにあったものを昭和10(1935)年に移動しています。

Img_4536c_20200302165901  本堂から大音量でラジオの放送らしきものが流れていました。恐る恐る覗いたら、クマのぬいぐるみがこちらに向かって座っていますし、仏様に向かって座っているのは、くまのプーさん。他にもクマのぬいぐるみ。?? アヤシいような雰囲気で、そそくさと拝んで退散。

Img_4539c  大山田川は、沢南橋のすぐ上流にある人・自転車専用橋が、美濃街道となっています。ここは、バードウォImg_4543c_20200302171301 ッチングでよく来るところ。カワセミ、ウグイス、オオジュリン、アオジ、ジョウビタキなどなどがみられますが、今日はチラッとコガモを見ただけで通過します。

Img_4546c_20200301175801  大山田川左岸の堤防を降りたところに上之輪神社があります。ただし、上之輪神社は通称で、正式には「神明社・縣(あがた)社・多度社」です。主祭神は、天照大神。相殿神は、天津日子根命(あまつひこねのみこと)と天穂日命(アマノホヒノミコト)。相殿神は、いずれも天照大神の子。創立は、承応元(1652)年、桑名藩主・松平定良公の時、上之輪新田開発について勧請したといいます。多度社は天保2(1831)年、片桐忠右ヱ門が勧請したと伝わっています(神社検索三重)。

Img_4548c_20200302172701  この上之輪神社あたりに中江城があったとされます。戦国時代の豪族・中江(あるいは森)清十郎が居城しました。長島一向一揆の時には、5大拠点の一つで、最後まで抵抗した砦です。多数の人が立て籠もったところを焼き払われたと伝わっていまImg_4551c_20200302172701 す。現在は、城の遺構は認められません。境内には、稲荷社と阿岐葉社があります。

Img_4554c_20200301180901  上之輪神社を出て、2.7㎞地点でJR関西線と近鉄名古屋線の鉄橋をくぐり、北上。水田や工Img_4574c 場などがある地帯を進みます。この先は、東名阪自動車道の桑名東インターにつながっています。東の方には、JR関西線、近鉄名古屋線の線路。その向こうは、揖斐川と長良川が流れています。長くなりましたので、その1はここらあたりまで。

モクレンが咲きそうです……寺町商店街の河津桜は、一部で葉桜

Img_5024c  全国一斉の休校、初日です。市内でも公立幼稚園、小中学校は休校。事情がある場合、子どもを学校で預かるということもないImg_9440c_20200302151501 ようです。冒頭の写真は、立教小学校&陽和幼稚園。いつもなら幼稚園の子どもたちが元気に遊ぶ園庭も静か。代わりに九華公園では、おじいさんが孫を連れて来ていると思われる様子が見られました。このような状況での休校では、外食やショッピングセンターなどにつれていくわけにも行かないでしょう。今回の新型コロナウィルスについて、今まで分かっているところでは、「18歳以下が感染者の2%程度で、子供から子供への感染がほとんどみられない」といいます(WHOと中国政府のCOVID-19についての共同報告書)。こうした統計的事実から考えて、小中高校の一斉休校で新型コロナの感染拡大を止める効果はあまり期待できず、むしろ弊害の方がはるかに大きいと思われます。データや、学問的な知見にもとづいて施策を考えてもらいたいと思います。

Img_9494c Img_5054c_20200302152801  さて、雲が多い天気ですが、雨は降らずに済んでいます。気温は何と17℃を超えました。3月に入りましたから、そろそろ、4月以降の江戸橋での仕事を見越して、準備を始めねばなりませんが、なかなか手がつきません。いつも通り、散歩であります。8時から11時、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、新築町、寺町と6.8㎞。暖かい日が続きますので、モクレンが咲きそうになって来ていました。

Img_4970c  住吉入江には、鳥はいません。揖斐川に出たら、久しぶりにカンムリカイツブリを3羽確認。まだ帰ってしまった訳ではありまImg_4987c_20200302152901 せんでした。右の写真もカンムリカイツブリ。後ろ姿で、証拠写真ですが、大きな魚と格闘していました。これだけ大きいと容易には飲み込めず、しばらく格闘しつつ、徐々に移動して視界から外れてしまいました。最終的にどうなったかは分かりません。

Img_9393c  写真としては失敗作もいいところなのですが、こういうこともあるんだという記憶、記録の意味で載せておきます。揖斐川でヒドリガモが14羽、飛び回っていました。シラウオ漁の漁船に驚いたようです。連写した中にこの1枚が。先頭に写っているヒドリガモ、飛びながら、何やらまき散らしています(笑)。これ、どう考えても排泄物。鳥は飛ぶ直前に排泄することがよくありますが、こういうこともあるものだとちょっと感心した次第。

Img_5006c_20200302153101  ツグミは今日もあちこちにいました。写真は、九華公園で撮ったもの。桑名七里の渡し公園(2羽)、三之丸公園(1羽)、柿安コミュニティパーク(1羽)、九華公園(5羽)、貝塚公園(3羽)、内堀南公園(1羽)、常信寺(1羽)でした。これで例年並みという感じ。

Img_9429c_20200302153801  九華公園では、シロハラも1羽。朝日丸跡にて。今日は(も)あまりにも鳥がいませんでしたので、公園内を2周もしてしまいました。2周目で少し晴れてきて、シロハラやツグミが出て来ました。シジュウカラと、エナガも見つけたのですが、ピンぼけ写真しか撮れませんでした。エナガは去年も、営巣していましたので、期待したいと思います。

Img_9424c  カモ。今日は、53羽。ハシビロガモのオスが8羽、メスが2羽、ヒドリガモが1ペア、ホシハジロのオス1羽と、キンクロハジImg_9438c_20200302153801 ロたち。餌をやる人があると、皆スゴい勢いで集まります。このほか、ユリカモメは、26羽ほど。

Img_5023c  シメは1羽。本丸跡にいましたが、やはり人の姿が見えると逃げてしまいます。

Img_9467c_20200302154301  貝塚公園では、ツグミの他は、ムクドリが多数。他にシロハラを2羽、珍Img_5027c_20200302154301 しくシメも1羽(ちょっと枝かぶりの写真)。ジョウビタキのオスも目撃したものの、写真は撮れませんでした。

Img_5041c  外堀あたりを歩いていたら、民家の屋根にジョウビタキImg_9473c_20200302154401 のメス。今日も常信寺に立ち寄って来ました。またもや、ジョウビタキのオスが1羽。以前、近くにある桑名別院本統寺でも見たことがありますから、この辺にもやってくるということです。

Img_9505c_20200302154701  寺町商店街の河津桜、いよいよ葉桜が見えるようになってきました。そろそろ盛りを過ぎつつあるようです。今日は、保育所Img_9512c_20200302154701 の子どもたちが来ていました。メジロの姿はなく、ヒヨドリが1羽。あまり気合いが入らなかったせいか、「河津桜にヒヨドリ」の写真は今イチ(苦笑)。

2020年3月 1日 (日)

20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編)

Img_4419c_20200301171701  新型コロナウィルスで、鉄道会社のハイキング/ウォーキングも軒並み中止。最後に行ったのは2月9日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」でした。翌週の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」は雨で参加していません。もう3週間ほどハイキング/ウォーキングに行っていませんので、落ち着かなくなりました(苦笑)そこで、2~3日前から「一人ハイキング」を計画。ずいぶん前から近くの旧街道を歩きたいと思っていたことと、混雑する電車に乗らなくて済むことを前提に、美濃街道を歩くことにしました。一般に美濃街道とは、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道乗井宿をつなぐ脇街道のことをいいますが、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいたのです。「みえの歴史街道」に美濃街道のウォーキングマップがあります。これを参考に桑名から多度までを2回に分けて歩くつもり。1回目の今日は、美濃街道のスタートである桑名市川口町から下深谷まで、約5㎞。今日は、よく晴れて、気温も上がるという予報でしたから、絶好のハイキング日和。実際、気温は17℃を超えたくらい。

200301mino  こちらが今日歩いた全行程。美濃街道は、東海道の七里の渡から200m足らず下った桑名市川口町と江戸町の境が起点。そこから西に向かい、三崎通、堤原を経て北へ(福島縄手)。上之輪、汰上(ゆりあげ)を通って深谷まで。養老鉄道下深谷駅をゴールに設定し、美濃街道自体は約5㎞を歩く計画。下深谷駅近くで、地蔵、神社、お寺を見て回りました。美濃街道は下深谷からさらに多度へと向かいます。スタートから下深谷駅のゴールまでで歩いたのは、7.5㎞。スタート地点まで、我が家から0.7㎞、帰りに桑名駅から我が家までが0.9㎞ですので、合計9.1㎞。迷いましたが、取り敢えず今日のところは、予告編。

Img_4789c  いきなりですが、今日遭遇した最大のハプニング。ゴール前、最後に立ち寄ることにしていた雨尾山味光院飛鳥(ひちょう)寺の手前、桑名北高Img_4824c_20200301172601 校の北側で、梅の花の写真を撮っていたのです。背後に誰かいる、何か動いているような気がして振り返ったら、何とニホンザルの集団。仰天はしませんでしたが、ビックリ。たぶん20頭以上いたと思います。林や、飛鳥寺の墓地に子連れのニホンザル。毛繕いをしたり、何かを食べたり、遊んだり。近くの方に伺ったら、屋根の上を飛び回ったり、畑の作物を食い荒らしたり、大変な迷惑だそうです。

Img_4422c  さて、スタートは、七里の渡し跡から200mほど東海道を南に下った、川口町と江戸町の境。我が家からや700mほどのとこImg_4432c ろ。8時35分です。ここには、歌行燈の本店があります。右の写真で正面が歌行燈本店。左手に行くのが、東海道。右手を進むのが、これから歩く美濃街道。西に向かいます。

Img_4455c_20200301173601  スタートから370mほどのところに、江戸時代、三崎見附がありました。多度や美濃国へのImg_4461c_20200301173701 出入り口として、番所と三崎門があり、また、寺の開帳や芝居・相撲の開催を告げる立て札が立てられるところでもあったといいます。その先、750mで(スタートから、以下同じ)北桑名神社。我が家の氏神様ですが、天照大御神、建速須佐之男命の他、持統天皇も祀っています。明治41(1908)年、宝殿町にあった佐乃富神社を合祀したのですが、佐乃富神社が、壬申の乱のとき、後の持統天皇が滞在された桑名郡家であるという言い伝えがあるのです(由緒書による)。

Img_4480c_20200301174301  北桑名神社のすぐ先で追分になります。かつてここには、常夜燈と道標がありました。美濃街道は、左の写真で向かって右のImg_4490c_20200301174801 細い道。左の道は八丁畷といわれ、久松松平家の墓所がある東海山照源寺に続いています。美濃街道はこの先、スタートから1㎞のところで国道1号線と重なります。そこには「参宮国道碑」。大正時代まで、木曽・長良・揖斐の三大川は渡船に頼っており、ここに橋を架ける運動が進むとともに、「東海道国道」が新しくつくられました(現在の国道1号線)。町屋橋から伊勢大橋までの3.87㎞は、昭和6~7(1931~32)年にかけて、当時のお金で55万円でつくられたそうです。その竣工記念として西桑名町(当時)によって建てられたのがこの碑です。

Img_4494c_20200301175001  ここから800mほど国道1号線を歩きます。伊勢大橋の手前、立代町交差点を過ぎたところで、1号線から分かれます。右の写Img_4514c_20200301175001 真で、向かって左に入る細い道を進みます。このあたりはわが家からも近いところですから、クルマでもよく通りますし、以前はよく散歩していたあたりです。右の写真の地点の近くには、エディオンや三洋堂書店もありますから、よく出没するところ。この先、神明社や、福栄寺という真宗大谷派のお寺がありますが、今日はパス。

Img_4521c  県道142号線を渡って福島新町の先へ。ここで西浄寺に立ち寄りました。ここも何度か来ているのですが、六地蔵と六字名号Img_4539c 碑を見るためです。今まできちんと確認していなかったのです。その後、細い道を通って大山田川の沢南橋の上流に架かる人・自転車専用橋を渡ります。ここは、バードウォッチングで何度となく来ているところ。今日は、コガモなどが見えましたが、先を急ぎました。

Img_4546c_20200301175801  大山田川を越えると、上之輪神社。天照大神、天津日子根命、天穂日命を祀っています。ここは、中江城址Img_4554c_20200301180901 といわれます。中世の土豪・中江氏(森氏という説も)の城館があったところ。長島一向一揆に関わって多数の人が立て籠もったところを焼き払われたと伝わっています。2.7㎞地点でJR関西線と近鉄名古屋線の鉄橋をくぐり、北上。

Img_4574c  水田や工場などがある地帯を進みます。この先は、東名阪自動車道の桑名東インターにつながっています。Img_4601c_20200301180901 東の方には、JR関西線、近鉄名古屋線の線路。その向こうは、揖斐川と長良川が流れています。スタートから4㎞ほど、時刻は9時40分。1時間5分ですからよいペース。右の写真は、桑名東インター入り口交差点。実は、美濃街道は、このすぐ北を通っていたのですが、今は、道が途切れ、また、この国道258号線を渡るには、こちらを迂回しなければなりません。

Img_4610c_20200301181601  桑名東インター入り口交差点を渡って、美濃街道に戻り、東名阪自動車道の下を潜るというか、桑名東インターのすぐ脇を通Img_4614c_20200301181601 って行きます。

Img_4634c  下深谷部の町を北に向かって進みます。道幅や、道の進み具合も、昔からの街道だという感Img_4636c じがします。古い看板もけっこうたくさんあって、それらも楽しめます。右の看板、「桑名新警察署前」などとあり、何となく時代を感じてしまいます。

Img_4643c_20200301182401  5㎞を過ぎて、稲荷神社へ立ち寄り。美濃街道から少し外れます。ここは、地図を見て見つImg_4648c け、立ち寄ろうと思ったのです。が、柵が空かず、参拝はできませんでした。明治時代に勧請してきたような由緒が書かれています。面白かったのは、それよりも、眷属の狐さん。右のような姿勢。こういうのは、初めて見ました。

Img_4661c_20200301184301  5.5㎞のところでお寺にも立ち寄り。真宗大谷派の深江山南楽寺。詳しいことは分かりませんが、正保Img_4679c 2(1645)年にここに移ってきたといいます。この先で、本日最大のミッションがありました。「今日は下深谷まで歩いてくる」といったら、家内から「末広屋さんでみたらし団子を買ってくるように」という課題を与えられたのです。以前にもここのみたらし団子を食べたことがあり、美味しかったのです。電話しておいてもらい、10時過ぎに立ち寄ってきました。

Img_4688c  末広屋さんの先で流石川に突き当たります。そこにお地蔵様。「角の地蔵」といわれるのですが、実は、阿弥陀如来像が祀らImg_4693c_20200301184301 れています。ここで美濃街道は、左に曲がり、西に向かいます。

Img_4700c_20200301184301  深谷の町を進み、郵便局の前を通って、スタートから6㎞ほど歩いたところで、四つ辻に来ました。養老鉄道下深谷駅の北。今日、美濃海道を歩くのはここまで。左の写真では、右手に続くのが美濃街道。ここで左折して、深江神社や、西林寺に向かい、さらに飛鳥寺に立ち寄って下深谷駅に向かいます。

Img_4761c_20200301184301  まずは、深江神社。深谷町全域の氏神様。主祭神は、天之菩毘能命、天照大御神。勧請年月は不詳だそうですが、延喜式内社。拝殿に向かって左手には、神馬舎がありました。さらに深江神社のすぐ西に西林寺。現在は、真宗本願寺派ですが、永正Img_4763c_20200301184401 6(1509)年の創建当時は、禅宗の済林寺。天正2(1574)年、本願寺第9世実如上人により、真宗に改めました。この西林寺の裏山あたりが、北廻(きたはざま)城址といわれます。織田信長の侵攻によって滅ぼされましたが、北廻城は堅固な城であり、信長勢も攻めあぐねて、ついにトンネルを掘って、地下から攻め登ったといいます。北廻城主であった近藤氏の子孫が、この西林寺の住職になっています(こちら)。

Img_4798c_20200301194701  西林寺から桑名北高校の北側を通って、雨尾山味光院飛鳥(ひちょう)寺に行く途中、初めの方に書きましたように、ニホンザルの集団に遭遇。左の写真の梅の木を見て、花の写真を撮ろうと思ったら、背中がぞくぞくして、何かいると思ったのです。こういう感覚があるということは、まだまだボケてはいないと、自分では思います。が、自己評価と他者評価とは別物。もし「お前はアヤシい」と思われた方がいらっしゃったら、是非ともご教示くださるよう、伏してお願いいたします(苦笑)。

Img_4833c  スタートから7㎞を過ぎ、11時少し前に雨尾山味光院飛鳥(ひちょう)寺。西林寺と共に、一昨年(2018年)4月28日の近鉄ハイキングで訪ねています(2018年4Img_4869c 月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。ご本尊は、十一面観世音菩薩。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。木曽三川を眼下に、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽の御嶽が、一望できる眺望絶佳の高台にあります。境内にある三吉稲荷社のところから墓所を見下ろすと、猿たちがいました。初めの方に書きましたが、近くの女性に伺った話では、最近子ザルもたくさん生まれているそうです。昔は猿はおらず、多度からやって来たとおっしゃっていました。

Img_4895c  ゴールの養老鉄道下深谷駅。11時10分に到着。昼の時間帯は、駅員の方がいらっしゃるようです。次の桑名行きは11時32Img_4930c 分。桑名までは、260円。桑名には、11時38分着。

Img_4941c_20200301184401  やって来た電車は、「緑歌舞伎」。東急から導入された7700系。昨年(2019年)2月からImg_4946c_20200301200201 走っています。乗るのは今日が初めて。2両編成です。養老鉄道としては、新車両ですが、この東急7700系は、東急電鉄池上線で運行されていた昭和38(1963)年~41(1966)年製の電車。

Img_4950c  という次第で、今日は、勝手に養老鉄道ハイキングでした。散歩コースのすぐ近くから、馴染みのあるところ、近くでも初めてのところと、バリエーションに富み、楽しめました。桑名駅から我が家に戻る途中、行きに通った参宮町あたりの追分。一回りしてきたということです。左の写真では、右奥に続く道を朝歩いてきて、左手に向かう道に進んだということです。

Img_4958c_20200301200201  こちらは、末広屋さんで買ってきたみたらし団子。10本で¥750。冷めても美味しい。みたらし団子は醤油だれに限ると思っていますが、これは別。故郷にある天王の団子屋の次に美味しいと思うくらい。

 以上、勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩くその1(川口町~下深谷)」、予告編。明日以降、本編を書きます。明日は、4月上旬くらいの陽気だとか。温かいのは歓迎ですが、あまりにも極端ですと、心配になります。3月に入りました。来月からの江戸橋方面での仕事の準備に少しずつ取りかからねば(微笑)。

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    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

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    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

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    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

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    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

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    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

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    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

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    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)