20200111JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」(その3)……宮の渡し跡へ
新春最初のJRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」の本編その3です。名古屋国際会議場、白鳥公園を過ぎて、いよいよ宮の渡し跡に向かっています。
白鳥橋の下を潜って、堀川の右岸をさらに南下していきます。白鳥橋は国道1号線が堀川を渡るための橋。写
真、向かって左手が熱田神宮、右は桑名、四日市方面。白鳥橋を潜ると、右手(西側)に愛知時計電機があります。元は、明治時代中期に創業された掛時計メーカー。現在もその系譜を継ぐ社名ですが、実際には、精密計測機器類メーカーになっています。戦前から時計製造による技術・資本蓄積によって派生した機械、電機、化学部門などを擁し、さらには航空機とそのエンジン製造にまで携わった歴史があります。昭和初期には九六式艦上爆撃機、九九式艦上爆撃機などを設計、製造しました。
その愛知時計電機の敷地の東 側、堀川沿いの遊歩道に古い護岸が保存されています。これは、昭和8(1933)年に築造された
護岸の一部です。この表面には、昭和20(1945)年6月9日の「熱田空襲」の際の爆撃でできたものだそうです。平成4(1992)年から「マイタウン・マイリバー整備事業」で新しい護岸が設置されたときに撤去されたものを保存しています。余談ですが、ここにはお地蔵様があったようですが、このJRさわやかウォーキングの前日から行方不明になったという掲示がありました。お地蔵様を持ち去るような、不心得者がいるのでしょうか。
スタートから5.4㎞のところで大瀬子橋を渡り、堀川の左岸側へ行きます。後で調べて分かったのですが、この橋を渡った左手にある大瀬子公園のところには、かつて熱田魚市場があったそうです。天正年間(1573年〜)には既に魚市場があり、織田信長の居城清須に魚介類を運んでいました。また、寛永年間(1624〜)尾張藩政のもとに、木之免、大瀬子に四戸ずつの問屋ができ、市場が開設されていたといいます。藩の保護により、遠国からも魚介が運び込まれ、毎日取引が行なわれました。ウ~ン、やはり予習をして行かないといけません(苦笑)。
大瀬子橋の上流側の当たりには、ユリカモメや、セグロカモメが浮いていました。今日は、あちこちでバードウォッチングもできて、最高のウォーキングです(微笑)。写真手前はセグロカモメ。奥はユリカモメ。大きさの違いがよく分かります。
大瀬子橋をわたって左手、マンションに接するように軻遇突智社。軻遇突智(カグツチ)は火の神。これも
後から調べて分かったのですが、この一帯には秋葉社・軻遇突智社が合わせて5社あるといいますが、それにしても多い。今日のゴール受付があるのが、秋葉山円通寺。ここは、熱田神宮の神宮寺として建てられたといいます。円通寺から勧請して建てられたのかも知れません。この5社の他にも路地に入っていくと、小さな秋葉社の祠や、屋根神様もあるといいます。
大瀬子浜公園という小さい公園を過ぎると、市バスのバス停。「七里の渡し」です。宮の渡
し跡はもうすぐそこ。なぜか入り口に冠木門。桑名の七里の渡し跡には、伊勢一の鳥居が立っています(これは、天明年間(1781~1789年)に東海道をまたぐように建てられたといいます)が、「久波奈名所図会」の「船場」の絵を見ても、門はありません。
宮の渡し跡は、東海道五十三次のうち41番目の宿場である宮宿(みやしゅく、みやじゅく;宮の宿)にあった渡し場。スタートから5.7㎞、11時20分に到着。宮宿は、東海道にある宿場のなかでも最大級の規模でした。42番目の宿場である桑名宿(くわなしゅく、くわなじゅく)に行くには、船で海路を行かねばなりません。その距離が七里であったため「七里の渡し」と呼ばれていました。七里の渡しが始まったのは、元和2(1616)年といいます。満潮時には陸地沿いの航路を辿り、それは約7里(27㎞)でしたが、干潮時には沖を廻らねばならず、この場合は約10里(39㎞)でした。所要時間は、3時間から4時間と推定されています。渡し賃は、正徳元(1711)年の規定では乗合船一人当り45文(1,125円)であったといいます(換算にあたっては、1両=米180㎏=100,000円とみなし、「keisan 生活や実務に役立つ高精度計算サイト」によりました)。宮の渡し跡、今は、「宮の渡し公園」として整備され、時の鐘と、常夜燈が復元されています。
時の鐘は、延宝4(1676)年に尾張藩2代藩主・徳川光友の命によって作られました。熱田の住民や、東海道をゆく旅人に時
刻を知らせる役目を担いました。江戸時代に使われていた鐘は、今も蔵福寺(熱田区神宮二丁目、浄土宗西山禅林寺派)に保管されています。昭和58年に宮の渡し公園内に復元され、ふたたび近隣住民や訪れた人に時間を知らせています。常夜灯は寛永2(1625)年、藩の家老にして犬山城主である成瀬正房が熱田須賀浦太子堂(聖徳寺(熱田区大瀬子町、浄土宗西山禅林寺派)の隣地に建立したものの、風害で破損。承応3(1654)年からは現在の位置に移り、神戸町の宝勝院に管理がゆだねられ、で宮の渡しの安全を見守る役となりました。しかし、寛政3(1791)年、またしても火事で焼失。同年、成瀬正典によって再建されたもののすぐに荒廃。昭和30(1955)年になってやっと当時とほぼ同じ位置に復元されました。
宮の宿は、松尾芭蕉や、シーボルトにも縁があるということでした。松尾芭蕉は、旅の書紀に熱田をたびたび訪れ、林桐葉(はやしとうよう;熱田に住み、芭蕉の定宿の主人)の計らいで名古屋の門人たちと交流し、七里の渡しから船遊びであゆち潟を楽しみ、「熱田三歌仙」を残しています。説明板には以下の3句が書かれています:
この海に 草鞋捨てん 笠しぐれ(妙安寺石碑)
海暮れて 鴨の声 ほのかに白し(妙安寺石碑五・五・七)
なんとはなしに 何やらゆかし すみれ草(宮中学校石碑)
シーボルトについては、次のような説明がありました。すなわち、名古屋の本草学者水谷豊文(ほうぶん)、その門下生伊藤圭介(けいすけ)、大河内存真(おおこうちぞんしん)らは、ドイツ人医師シーボルトが、文政9(1826)年2月オランダ使節に随行して江戸へ参府する際と、4月長崎への帰路、宮の宿で会見し、教えを受けたといいます。水谷らは名古屋の医学・植物学の研究に多大な貢献をしています。
さて、宮の渡し跡から南をみると、このような景色です。すぐに海というイメージがあったのですが、名古屋港ガーデン埠頭
あたりまで、4㎞弱ほど堀川の流れが続いているのです。70 0mほど先には、新幹線が通っていますし、さらにその南には名古屋高速や、国道23号線が通っているはず。
また、ほぼ余談に近いのですが、宮の渡し跡にある桟橋には、ユリカモメがたくさんいまし
た。船を待っていました、というわけはありませんが(微笑)、ユリカモメが集まっていたのは、事実。宮の渡し跡では、15分かけてあちこち見て回り、海を眺め、堪能してきました。次は、七里の渡しを船で渡ってみたいものです。と思っています。
上に書きましたように、宮の渡し跡は、今は宮の渡し公園として整備されています。堀川は、宮の渡し跡のところで南に向き
を変えます。東南の方角には、新堀川。ただし、新堀川は、中区にある堀留水処理センターを起点として、精進川低地に沿って市内を南流し、南区明治にて堀川へと注いでいます。精進川(しょうじんがわ;昔、熱田神宮の神職が6月の名越の祓の際にこの川でみそぎをしたことからこの名が付けられたといわれます)は、かつて今池辺りを源流として、名古屋台地を流れていましたが、曲がりくねった川筋が洪水の原因ともなっていました。洪水の発生を防ぐとともに、船舶の航行と下水処理水の受け皿とするため、明治43(1910)年に現在の川筋に付け替えられ、新堀川という名称になりました。元の精進川は大正15(1926)年に埋め立てられ、消滅しています。
その3では、宮の渡し跡を見て、満足しましたので、ここまで。このあとは、内田橋北交差点を横断歩道橋で越え、伝馬町からゴールの秋葉山円通寺を目指します。その4に続きます。
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