お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年9月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2020年1月

2020年1月31日 (金)

今シーズン初のウメジロウ……【付記:九華公園の石垣崩れについて(1/31)】

Img_5926c  最高気温は、10℃を超えたものの、最大8.2m/sという強風。寒くなっています。とはいえ、これが平年並みなのでしょう。藤原岳も久しぶりに中腹くらいまで冠雪しているのが見えました。寒風をついてでもありませんが、今日も8時から散歩。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園から、今日は内堀公園、歴史を語る公園、中橋、北大手橋、川口町、住吉神社と回ってきました。川口町では、散歩友達のお宅にちょっと立ち寄り。いったん帰宅してから、駅近くへ用事をしに行き、合計7.3㎞も歩きました。

Img_5931c  揖斐川沿いはとくに風が強く、涙がちょちょ切れそうになります(苦笑)。今日も、白魚漁の船が1組出ていましたが、鳥影はこの波でかなり少なくなっています。カモはあまりいません。カンムリカイツブリが3羽ほど。中州方面にもサギの姿はありません。船津屋さんの裏手の高水敷でツグミ。七里の渡し跡には、コガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロ。柿安コミュニティパークで、ツグミ1羽。

Img_0116c  九華公園、昨日から堀に水を入れています。導水口が、公園の東北隅にありますので、東側のエリアから少しImg_6074c ずつ堀に水が満ちてきています。水が入り始めたためか、今日は、ユリカモメの姿はゼロ。干上がった堀に降りられないからでしょう。アオサギとダイサギも1羽ずつ。なぜか、この2羽ずっと近くにいました。

Img_5987c_20200131163001  今日は、今シーズン初の「ウメジロウ」。「梅にメジロ」で、「ウメジロウ」です。業界用語(微笑)。梅は、管理事務所の少し南にある白梅。2~3日前から咲き始めました。鳥好きの女性の方がそばで見ていらっしゃったのですが、「あれだけたくさん撮って、気に入るのはどれくらいですか?」と質問。左の写真は、30枚ほど撮った中から選びましたが、まだ満足したわけではありません。女性には、「下手な鉄砲ですから」とお答えしたら、大笑いされました(微笑)。

Img_0067c_20200131164501  カモは、奥平屋敷跡の東、二の丸堀に大半が集まっていました。今日は合計43羽とかなり少なくなっています。ヒドリガモやホシハジロはいません。ハシビロガモのオスが7羽、メスが2羽(もう少しいたとは思いますが)とキンクロハジロ。オオバンも2羽くらい。

Img_0094c Img_6016c  小型の野鳥は、今日も少なく、本丸跡でシメが1羽地上に降りていたのと、朝日丸跡でメジロ2羽くらい。あとは、カワラヒワ、スズメ、ヒヨドリなど。今シーズン、ヤマガラは見ていません。ジョウビタキ、モズもあまり姿は見られませんし、ビンズイは2回ちらっと見ただけ。ツグミも例年ほどはいませんし、シロハラも九華公園ではまだ見ていません。

Img_0112c_20200131162801  そうそう、ハクセキレイは割とよく見ます。それと、堀の水が抜かれていた間は、カワセミをよく見ました。カワセミはダイビングしてえさをとりますから、ダイビングするところがなくて、うろうろしていたのではないかという気がします。堀の水は、今日も入れられていましたが、抜く前の水位になるまで4~5日かかるということです。

Img_6092c  貝塚公園も、今年は静かです。今日もヒヨドリ、カワラヒワ、ムクドリがそれなりにいたくらい。ウグイスの地鳴きも聞こえましたが、姿は見えません。シロハラは、なにやら緊張したような鳴き声で、あちこち飛び回っていました。何かに驚いたのかもしれません。

Img_0127c  内堀公園ではカワラヒワくらい。久しぶりに歴史を語る公園に立ち寄ってきました。目の前に掘があり、旧桑名城の石垣も残っているのですが、相変わらずプレジャーボートなどが係留されたままで、景観は台無し。堀には、オオバンが2羽。ここは、念仏宗無量寿院の三重別院の裏手になるのですが、そこにある木にホシゴイが1羽、飛んできました。こんなところにもいるようです。

Img_0134c_20200131162901 Img_6122c_20200131163101  この後、中橋のゴイサギコロニーをチェック。中橋からは、ゴイサギ3羽ほどが見えたのみ。10時頃でしたので、もう少し遅い時間の方がよいかもしれません。北側の駐車場から見ると、木の奥にゴイサギ3羽、ホシゴイ1羽。

Img_0150c_20200131163101  柿安コミュニティパークの西から、北大手橋を渡って、旧東海道に出て、川口町へ。七里のImg_0152c 渡し跡の南へ。この近くに散歩友達というには、大先輩なのですが、88歳の男性の知人がお住まいなのです。正月に皆さんに配った「開運写真セット」を届けてきました。お一人暮らし、矍鑠としておられます。「上がって、コーヒーでも飲んでいけ」といっていただいたのですが、用事がありましたので、また後日ということに。

Img_0156c_20200131163001  揖斐川の堤防でツグミ。朝見かけたツグミかもしれません。この後いったん帰宅して、駅方面へ。昼前に帰宅。

Img_0089c_20200131162801  鎮国守国神社では、枝垂れ梅も咲いてきました。調べてみましたら、去年も今頃、梅が咲いてきていました。鎮国さん(鎮国守国神社のことを地元ではこう呼びます)の梅は、手入れが必ずしも十分ではないようで、それがちょっと残念。もっと見事に咲くだろうにと思ってしまいます。

Img_6034c  履歴書は書き終え、ほかの書類とともに今日の午後、投函してきました。先方から依頼されたことですから、今更ひっくり返ることはないと思いますが、その結果は、3月上旬に出ます。明日は、岐阜でのJRさわやかウォーキングに参加する予定。岐阜初進出です(微笑)。「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」という企画。JR岐阜駅の南を歩きます。加納城跡、巨大赤鬼の玉性院、中山道を約6㎞。昼は、12月にも食べましたが、「鶏ちゃん」でも食べようかと思っています。さらに、日曜は、津でのJRさわやかウォーキングへ行くつもり。「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音「津観音寺」を訪ねて」です。津偕楽公園、高山(こうざん)神社、津観音、四天王寺、大門商店街などすでに訪ねたところがほとんどですが、比佐豆知(ひさずち)神社など初めてのところもあります。こちらは7.2㎞。土日とも寒そうですが、寒さに負けず、です。

【付記:九華公園の石垣崩れについて(1/31)】

 これについてはいろいろと書きました。桑名市のサイトにある「あなたの声」に書き込んだところ、その回答をいただきました。

 九華公園の石垣については、経年劣化に伴う崩れや破損を把握しておりますが、昨年9月の豪雨により、ご指摘の状況にあることから、現在修理を検討しているところであります。しかし、県指定文化財として指定を受けており、工法や費用の面での検討が必要になってまいります。

 そういえば、九華公園は、たしかに県指定文化財に指定されています。文化財に指定されていると、地面を50cm以上掘る場合には、許可を取る必要があるとか(ただし、未確認です)。九華公園は、昭和3(1928)年、楽翁公一百年記念大祭を期に公園として整備され、その後、戦災被害を受け、昭和23(1948)年から再整備された、歴史のある公園です。市民の憩いの場所となっていますし、さくらまつり、つつじまつり、花菖蒲まつりなども催され、観光スポットにもなっています。将来を見据えて、長期的な計画のもと、整備を進めてもらいたいと思います。

2020年1月30日 (木)

結局、修理はされず、再び堀に水

Img_9947c  「えぇ~!?」、「修理はしないのか?!」、「何のために水を抜いたんだか、分からないな」などなど、公園利用者の声が聞Img_5885c こえてくる中、今朝8時から、九華公園の堀に水が入れられていました。今日は昼くらいまで水を入れるということでした。揖斐川から導水しているだけですので、水が入れられるかどうかは揖斐川の水位によります。水を抜く前の状態に戻すのには、4~5日かかるという見込み。まさに「点検・調査」で終わった、今回の「堀の水、ほとんど抜く」でした。

Img_9878c_20200130162701  今朝、九華公園に行ったのは、9時をかなり回った頃でした。水を入れ始めて1時間あまりでしたが、ご覧のような様子。今日Img_9907c_20200130162301 は、アオサギ3羽(ここでのアオサギ同時観察数の新記録を更新)、ダイサギ2羽、ユリカモメ100数十羽、カモ約20羽を記録。水がほとんどない光景は、それなりに面白く、鳥たちの普段とは違った行動も見られましたし、水がなくなった堀の底に動物の足跡を見つけたりして、けっこう楽しんだので、ちょっと残念な気がします。

Img_5762c_20200130163201  今日の散歩は、8時半スタート、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と6.6㎞。今日も知り合い何名かに会い、話していましたので、11時過ぎに帰宅。住吉入江には、キンクロハジロ3羽とホシハジロのオス1羽。揖斐川には数羽のカンムリカイツブリ。よく見ると、頬から後頭にかけてかなり赤褐色になってきている個体がいました。夏羽に変わりつつあるのです。鳥たちの行動や、特徴は季節を先取りしています。

Img_5772c_20200130163701  中橋のゴイサギコロニーを今日も見てきました。今日見えたのは、合計5羽のゴイサギ。昨日も書きましたが、北側の駐車場かImg_9871c ら木の奥を見ると4羽、中橋の方からは、外の木に1羽いたのが見えたのみでした。昼前くらいの方が外によく出て来ていると思われますから、今度は、散歩のコースを変えて、帰り道にここを見てみることにしましょう。

Img_5789c  さて、九華公園に入ったら、管理人Kさんから呼び止められ、「ウナギを捕まえたけど、見ていく?」と(微笑)。昨日、水のなくなった橋の下でもがいているところを保護されたそうです。直径30cmほどのバケツの中にぐるりと一回りする大きさ。ということは90cm前後あります。カワウが大ウナギを捕まえて格闘しているところは何度も目撃していますから、堀にはかなりの数のウナギがいると思っていましたが、これも結構大きい。

Img_5795c  アオサギさんたちは、奥平屋敷跡の周囲に3羽がいました。左の写真は、南西側、立教小学校の体育館の前。近くでは、ハシImg_5796c ビロガモのオス、メス1羽ずつが身繕い中。足を踏ん張っているようにも見え、リラックスはしていないと思われました。

Img_5803c_20200130164801  こちらは、奥平屋敷跡のちょうど南のところにいたアオサギ。写真を撮っている間は、逃げImg_5806c ようかどうしようか迷っていた様子。撮り終えたら、逃げました。右は、奥平屋敷跡の東側にいたアオサギ。上にも書きましたように、九華公園で同時に3羽のアオサギを見たのは、新記録。しかし、どうやってこの状況を知って集まってくるのか? 飛んでいて、この様子に気づいてやってくるのでしょうか。それにしても、堀の水が減って、堀にアオサギが降りている景色は、そうそう見られる機会はありません。

Img_5877c  ダイサギは2羽。主に、二の丸堀の東側のエリアにいます。面白いことに、ダイサギの周りにたくさんいたユリカモメが、何Img_5882c_20200130165401 かの拍子に皆飛び立って、ダイサギのすぐ近くを飛ぶシーンがありました。さすがに驚いたようで、右の写真のように、威嚇するような行動が見られました。

Img_9898c_20200130165701  ユリカモメは、堀のあちこちに降りてきて、泥のところを突いたり、水のあるところで小魚Img_5844c を探したり、賑やか。

 以下にYouTubeに載せた動画を埋め込んであります。

Img_9936c  ところで、これ以外の小型野鳥はあまりいません。今日見たのは、ハクセキレイの他、少数のカワラヒワ、メジロくらい。本丸跡でシメを見たものの、遠くて、ピンぼけ写真(涙)。知人に聞くと、ジョウビタキのメスが、泥の上に降りて採餌していたというのですが、遭遇できず。ムクドリもたくさん堀の泥に降りて来ています。

Img_0022c_20200130170701  こちらは、「おぉ! 珍鳥か?」と思ったのですが、ムクドリのようです。頭部の白い部分が大きいだけなのかImg_5902c と思います。

Img_0025c  貝塚公園も静かでした。ツグミが2羽、他にはヒヨドリ。シロハラの鳴き声も聞こえたのですが、姿は見られず。他はカワラヒワくらい。

Img_5919c  拙宅マンション前の住吉入江まで戻って来たら、シロハラがマンション玄関前の植え込みに逃げていきました。そっと近づいたら、いました。以前にもここでシロハラを目撃しています。諸戸氏庭園にやって来たのが、出てくると思われます。

Img_5862c_20200130171601  ところで、鎮国守国神社の境内にある梅がかなり咲いてきました。梅の木はたくさんあるのですが、古木も多く、つぼみ、花Img_5870c が少ないものもありますが、新しい木を中心にご覧のような様子。花が咲いてくるのも、散歩の楽しみ。

Img_9892c  江戸橋の非常勤も終わり、市役所の会議も済み、遊んでばかりいるようでありますが、来月の支援員養成講座のレジメはつくって送りました。講座は、2月23日にウィルあいちで予定されています。「勉強始め」の大六先生の資料も、修正個所のチェックは済み、修正作業に着手。「淡々と飽きもせず……」、勉強もです(微笑)。

 

2020年1月29日 (水)

15.9℃と3月並みの陽気

Img_9845c  15.9℃にもなりました。散歩をしていても汗ばむくらいの陽気。8時10分にスタート、住吉神社と九華公園、京町、寺町と回って、11時10分と3時間も! またもや知人多数に会って、1時間以上は立ち話に費やしました(苦笑)。いったん帰宅して、用事を1つ済ませるために駅前のサンファーレへ。都合6.7㎞を歩いてきました。

Img_5616c_20200129163201  住吉入江には、キンクロハジロ3羽、ホシハジロのオス1羽。揖斐川には、ヒドリガモのペアが5組ほど。中洲近くにはキンクロハジロらしい鳥が、13羽ほど。今日は、シラウオ漁の船は、2組。柿安コミュニティパークまで来て、モズが1羽。スズメ、ドバトなどは見ましたが、他の鳥はあまりいません。

Img_5621c Img_5625c  中橋のゴイサギコロニーは、ゴイサギ9羽、ホシゴイが2羽とかなりいました。しかし、8時半過ぎの時間では、外には出て来ておらず、皆、木の奥の方に隠れています。11時過ぎに行くと、木の外側に出て来ているそうです。

Img_5659c  中橋の北側の駐車場から覗いていたら、ゴイサギ1羽、ホシゴイ1羽が驚いて飛び立ちました。九華公園に回ると上空をこの2羽が旋回。かなり西の方まで回って行き、数回回った後、鎮国守国神社の社務所の裏に降りてきました。

Img_5685c_20200129163401  九華公園の堀の水は、今日も抜かれたまま。夜の雨で多少水は増えたと聞きますが、見た目には大きな変化はありません。カモは、ハシビロガモが13羽ほどと、キンクロハジロ15羽ほど。今日はホシハジロの姿はありません。水が抜かれてからヒドリガモはいなくなりました。代わりにユリカモメがけっこうたくさん集まってきています。

Img_9833c  ユリカモメは、今日、今シーズン初めて二の丸橋の欄干に並んだのですが、わずか数羽。ちょっと張り合いありませんし、絵になりません(苦笑)。

Img_9841c  こちらは二の丸堀の東側のエリア。ダイサギ2羽と、アオサギ1羽が見えます。堀の水が抜かれてからダイサギが毎日来ています。このように2羽いるときもあります。アオサギも、鎮国守国神社の社務所裏ではなく、堀に降りてエサ探しをしているところをよく見ます。

Img_5673c Img_9815c_20200129164101  アオサギも、ダイサギもしばらくは同じところに留まっていますが、歩き回ったり、時には少し飛んだりして、場所を変えてエサを探しています。

Img_5739c  このほか、カワセミも見たのですが、あっという間に飛び去ってしまいました。堀の水が減ってからの方が、姿をよく見る気がします。外周遊歩道の南で、メジロ2匹。

Dscn2755c  所用は、印鑑証明書をもらうことでした。履歴書も書く必要があります。が、この年になって就職しようということではありません。また、決まったらここに書くかも知れません。昨日から、ようやく「勉強始め」の大六一志先生の「WISC-Ⅳの理論と活用Ⅷ」の復習と、昨年までの講演内容に基づいてまとめ直した資料の修正、確認を始めました。早めに作り終えたいと思っています。昨年の市民大学の講義もまとめたいと思っていますが、大六先生の資料の修正をしてからですね。

2020年1月28日 (火)

午後から散歩……午前は市役所のお仕事

 この間正月を迎えたと思ったのに、もう1月も28日。繰り返し書きますが、光陰矢のごとしというか、歳月人を待たずというか(苦笑)。

Dscn2747c  今日は、午前中は市役所で特別支援教育に関わる会議に出席してきました。年に2回、市の特別支援教育の推進について、現状と課題、取り組みの成果を伺い、いろいろと意見を申し上げるという趣旨の会議です。特別支援教育の成果は上がってきていますが、世の中の変化によって新たな課題も多々出て来ますので、いくらやってもこれで良しということはありません。子どもたちは、われわれの未来の希望ですから、特別支援が必要かどうかにかかわらず、子どもたちがしっかり学び、自らを活かしていく力をつけられるようにしたいと思います。「3月で高齢者の仲間入りですから……」と、教育委員会の先生に申し上げたら、「まだまだお若いですから、引き続きお願いします」ということでした。

Img_9684c_20200128173501  さて、午後から天気が崩れると思っていたら、案外の好天。15時前から1時間くらいのつもりで散歩に出ました。住吉神社から九華公園を回って来るつもりでしたが、知人何名かと、九華公園の管理人Nさん、そして、私はよく存じ上げないものの、向こうが私を知っているという方にも出会って、かなりの時間しゃべってきました(苦笑)。17時前に帰宅。4.1㎞。

Img_9689c  ほぼ夕景ですが、夕方近くの景色もなかなかよいものです。左の写真は、住吉神社の前から揖斐川の下流方向Img_9691c を見たもの。住吉神社から見る、揖斐長良川の中洲、最近私が散歩に行く時にはアオサギは全くいなかったのですが、今日は、6羽。時間帯によっても状況は異なるのかも知れません。

Img_9779c_20200128175201  九華公園ではカワセミを2回目撃。鎮国守国神社の社務所裏の辺りと、陽和幼稚園から立教小学校の体育館前にて。昨日も眼前に登場したこともありました(とっさのことで写真を撮る余裕はなし)。午後からでも散歩に出て来たご褒美(微笑)。

Img_9707c_20200128173501  九華公園は、今日も水が抜かれた状態です。市役所としては、「堀の調査・点検のため」という見解だそうImg_9754c ですが、散歩に来る方や、周囲にお住まいの方からは、管理事務所や市役所に問い合わせがたくさん寄せられているようです。滅多に見られない光景ですから、驚いている方も多いのでしょう。

Img_9768c  堀の一部では、業者に依頼して、泥を除去したということでした。バキュームカー2台分だと聞いています。Img_9770c_20200128180101 ちなみに、堀全体の泥を除去するには、バキュームカー4台で1週間の作業が必要だ業者さんの担当の方がいっていたと管理人さんから伺いました。

Img_9744c  ところで、カモは、数えた範囲で26羽。ハシビロガモが11羽、ホシハジロのオスが1羽で他は、キンクロハジロでした。キンクロハジロは、普通は潜って餌を採るのですが、水が少なくなっていますので、左のように泳ぎながら、水面に頭を突っ込んで餌を採っているようでした。このほか、ユリカモメが多数、それも管理人さんによれば200羽以上やって来たそうです。

2020年1月27日 (月)

堀の水、ほとんど抜きました@九華公園

Img_9312c  1月24日(金)に「堀の水、かなり抜きました@九華公園」という記事を書きました。その後、土日と町屋川、近鉄ハイキングImg_9350c と九華公園には行っていませんでしたが、その間も、ある方法で水を抜き続け、今日は、ご覧のような状況になっていました。左の写真は、九華公園の北門を入ってすぐ東の堀。アオサギがよくいるところ。右は、九華橋の南あたり。いつもならカモがたくさん集まっているところ。ヘドロがかなり堆積しています。天気がよければ、乾いて、多少はきれいになるのでしょうが、曇天で雨も予想されていますので、それは期待できません。

Img_9440c_20200127160001  某テレビ番組のロケのためにこれだけ抜きました……となればいいのですが、残念ながら、まだ今のところ、そうではありませImg_9306c ん。例の、朝日丸跡の石垣が崩れたところのチェックと、堆積したゴミや、放り込まれた自転車、タイヤなどのゴミを引き上げるためだそうです。今日、明日と市役所と業者さんによってゴミ除去の作業が行われると聞きました。左は、九華公園南東エリア。外周遊歩道の向こうには、レストランもあるのですが、ここは堀の形状の関係で、落ち葉などが堪ってしまうところ。右は、公園北門の西にある舟入橋のところ。自転車とキックボードが捨てられていました。堆積していたヘドロを除去すると、億単位のお金がいるという噂もあります。本当は、この際きれいにしたらよいと思いますし、そのためには、某テレビ番組のロケをきっかけにできるように考えますが、どうなりますか?

Img_9298c  九華公園の堀の水が、これだけ少なくなったのは初めて見ましたので、公園内をいつも以上に丁寧に見て回ってきました。舟入橋のところでは、ムクドリたちが10羽ほど、降りてきてエサ探しをしていました。泥の中に嘴を突っ込んで、何かを食べているようでしたが、それが何かまではよく分かりません。

Img_9314c  冒頭の写真を撮ったあたりの堀(北門を入ってすぐ東の堀)には、ホシハジロのオスが1羽。水量が減ってしまい、泳いでいるというImg_9340c よりも、両足で交互に泥を蹴って進んでいるという感じで、笑えます。それでもここにいたのは、エサが見つかったからのようで、さなかを食いちぎって食べていました。食いちぎるといっても、あの嘴ですから、噛んで引っ張ってちぎっていました。

Img_9325c_20200127153701  同じ堀の九華橋に近いあたりには、足跡。管理人Kさん、鳥見好きの女性の方と3人で見て回ってみたり、覗き込んでよく見たりした結果、動物の足跡だろうということになりました。堀の東にある、昔は櫓があったと思われる丘や、鎮国守国神社の社務所のあたりから出て来て、堀を歩き回り、西側の堀へも行ったと思われます。狐やタヌキが目撃されていますから、そうした類いの動物が、夜間歩き回ったのでしょう。

Img_9326c  西北の堀の、まだ水が溜まっているあたりでは(舟入橋から南)、ハシビロガモが12羽(オス6羽、メス6羽)、泳ぎ回りながら採餌中。実に忙しげにグルグル回っていました。

Img_9359c_20200127154101  こちらは、本丸跡と二の丸跡の間、吉之丸堀。中央部分を除いて、ほとんど水はなくなっています。奥に見Img_9355c えるのは、堀にかかる朱い橋と、四阿。右は、さくらまつりの時に運行される堀めぐりの船の乗船場あたり。堀めぐりの船を運航する業者さん(おおぜき、珈琲館はせ川)が、土日の間に石、タイヤなどを拾い上げられたそうです。

Img_9356c  奥平屋敷跡への入り口あたりで、シメ1羽を確認。高いところにいて、この天気、枝も多くて、超証拠写真Img_9469c_20200127154501 (苦笑)。右は、朝日丸跡で見たメジロ。2羽いました。ちなみに、今日も小型の野鳥はほとんどいません。例外はハクセキレイくらい。いつもよりたくさん集まってきていました。

Img_9392c Img_9367c_20200127154601  こちらは、奥平屋敷跡の東側(左の写真)や南側(右の写真)の石垣の様子。ここの石垣は、昔の桑名城の時代のものが残っているというお話し。

Img_9373c  二の丸堀。二の丸跡や、朝日丸跡の南のImg_9402c 堀。二の丸橋がかかっています。この橋の欄干には、冬にユリカモメが並ぶのですが、今シーズンはまだ一度もそういうシーンを見ていません。南側には、瓦礫がかなりあって、浅くなっています。

Img_9381c  奥平屋敷跡から見た二の丸跡の南側。左の写真のほぼ中央に見える、角の部分は、何年か前に崩れて直したところと思いまImg_9384c_20200127155101 す。石垣を構成する石の間ヶコンクリートで埋められています。しかし、その辺りに廃止や、瓦礫が散らばっています。修理するとき、崩れた古い石などをそのまま掘りに放り込んで、そのままにしてあるのでしょう。不要になった石などを回収するのにもたぶん費用が発生するからでしょうが、こんな状況になってそれが目の当たりになると、みっともない。

Img_9429c_20200127155401  二の丸堀の南東側のエリア。ここは比較的深いところが多いようで、水がかなり残っています。管理人Kさんによれば、このImg_9414c あたりに大きなコイがたくさんいたということです。ここには、ダイサギとアオサギが1羽ずついました。ダイサギは、もう少し早い時間には、2羽いたという情報もあります。

Img_9460c  朝日丸跡の北側、野球場のある方は、吉之丸堀。左の写真で、中央やや右のところに、揖斐Img_9543c 川からの導水口があります。1月23日(木)以来、水は入れていません。右の写真は、野球場側に回って撮ったもの。導水口から水が流れていますが、これは導水路に残った水がわずかに注いでいるのです。

Img_9456c  吉之丸堀のこのあたりにも、泥に足跡が無数見えます。大きさと形から見て、たぶんユリカモメImg_9459c の足跡だろうと見当をつけました。

Img_9529c_20200127160301  しばらくしてユリカモメがたくさんやって来て、このあたりに降りて大騒ぎ。水の中に嘴を突っ込んでいますから、エサを探しているのでしょう。ユリカモメは、潜れませんから、こういうところの方が、採餌しやすいのだろうと考えられます。

Img_9551c  1羽だけ離れたところにいたユリカモメ。小魚をゲットしていました。いつもなら、他から横取り狙いのユリカモメが来るのですが、皆、少し離れたところに集まっていて、気づかず。ラッキーなユリカモメ。

Img_9585c_20200127160501  公園の南東エリア。ダイサギは逃げていったのですが、アオサギは今日Img_9581c_20200127160501 は、平気。餌を採る方を重視した模様(微笑)。

Img_9577c_20200127160601  ダイサギは、堀の中央あたりへ行ったのに、です。

Img_9521c_20200127160701 Img_9493c  次へ行く前に、忘れると行けませんから、本丸跡で見たシメと、ハクセキレイ。シメは2羽いました。ハクセキレイは、今日は多くて、合計では10羽くらい目撃。

Img_9613c_20200127160801  こちらは、公園の南西エリア。向かって左は、陽和幼稚園と立教小学校。右は、奥平屋敷跡。この辺も、瓦礫がけっこうありImg_9624c_20200127160801 ます。80代くらいの方に伺うと、「伊勢湾台風の前は、堀がもっと深かった。台風のあと、埋まってしまった」とおっしゃるのですが、本当にそうなのかどうかは分かりません。右の写真は、立教小学校の体育館前から見た、南西エリアの堀。向かって左は、三之丸町内。今日は、ヒドリガモはゼロ。キンクロハジロは、合計10羽ほどが残っているだけでした。したがって、カモは合計20羽あまり。オオバンが4羽とこちらはちょっと多め。

Img_9480c  いやしかし、滅多にない機会に遭遇しました。某テレビ番組ですと、魚、亀などの生き物の種類、数を確認すると共に、ここは、桑名城跡ですから、何かお宝が出ないかという話になるのでしょう。今日見て回った限りでは、ヘドロ、瓦礫、ゴミが目立ちました。中に入って探してみないことには分かりませんが、戊辰戦争で負けて、石垣や門、建物が売り払われていますから、期待はできないような気がしますが……。

Img_9498c_20200127162101  ところで、鎮国守国神社の境内では、梅がチラホラ咲き始めていました。暖冬のためでしょう。1月の下旬から咲き始めるとImg_9512c いうのは、珍しいことです。九華公園を歩いている途中から、小雨が降り始めました。散歩は、九華公園を一周したところでやめて、京町、寺町を通って帰宅。6.0㎞。コースはいつも通り、住吉神社から九華公園へ。8時出発、10時半過ぎ帰宅。

Img_9214c  その他の話題。揖斐川では、今シーズン初めて、シラウオ漁をきちんと見ました。1月5日に解禁されていまImg_9242c す。2隻の漁船がペアとなって、ゆっくりとしたスピードで大きな網を引いていきます。説明しないと分かりませんから、あまり絵になる風景ではありません。

Img_9219c  こちらは、付属している小型の漁船で、網の先をチェックしているところ。1月12日の中日新聞の記事によれば、その時点では、漁は順調だということでした。

Img_9634c_20200127162701  帰り道、寺町商店街北の住吉入江で、ジョウビタキに遭遇。入江を挟んで西側にオス、東側Img_9656c_20200127162701 にメス、それぞれ1羽。天気のよくない中、散歩に出て来たご褒美(微笑)。

Img_9273c_20200127162901  明日は午前中に教育委員会の会議が市役所であります。週末には、来月の支援員養成講座のレジメの締切。昨年10月のものから、少しバージョンアップを予定しています。

2020年1月26日 (日)

20200126近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒『上げ馬』と多度大社・追儺祭」へ……祝ご当選!でめでたく「完」

Img_9155c  朝方まで細かい雨が降って心配しましたが、天気も回復してきましたので、今日は、近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒『上げ馬』と多度大社・追儺祭」に行ってきました。細川酒造は桑名市多度町古野にあります。ここへは去年(2019)Img_9184c 9  月14日に近鉄ハイキングで訪ねました(20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(予告編))。このときは、上馬ビールが目的でしたが、今日は、日本酒「上げ馬」を味わうため。同級生K氏に近鉄ハイキングと、酒蔵みてある記の話をしたら、大変興味を持ち、「是非とも行く」ということで、二人旅。

Img_9051c  養老鉄道多度駅で9時半から11時が受付でしたので、桑名駅を9時25分に出る大垣行き普通電車に乗車。多度駅には9時38分のImg_9048c_20200126182901 到着。¥310。受付の行列が、改札口を出たすぐのところまで並んででいるくらいの大賑わい。コースマップを受け取り、9時50分頃出発。コースは、昨年9月と全く同じ。多度駅から多度の町並みを楽しみながら、多度大社へ。そして、地名でいうと猪飼の辺りを回って、細川酒造で酒蔵見学、ゴール。帰りは、ふれあい広場・岩や姫から三重交通の臨時バスに乗って、多度大社経由で多度駅へ。歩くのは約6㎞。コースマップには、試飲券とお楽しみ抽選会の番号も印字されていました(#354)。

200126tado  こちらは実際に歩いたルートマップ。ほとんどコースマップの通りです(微笑)。鯉料理の大黒屋さんで上がらせてもらい、お庭を拝見して来たくらい。多度大社は、お参りは省略。追儺祭ということで、節分に先立って、今日、特別に豆まきがあるのですが、それもパス。神馬の顔だけ拝んできました。細川酒造では、しっかり楽しんできました。去年9月14日と同じコースですので、今回はかいつまんで。

Img_9092c Img_9084c  鯉料理の大黒屋さん。江戸時代中期に多度大社の参詣者のための旅籠として創業したが後に旅館となりました。幕末に近くの木曽三川で獲れる天然の鯉を使用して鯉料理を始め、現在では鯉料理の専門店。江戸時代の旅館の建物をそのまま使用しており、古い日本庭園とともに多くの和室があります。門を潜って、お庭だけ覗こうと思ったら、大黒屋さんの方が「どうぞ上がって、庭を見ていって下さい」といってくださったノで、お言葉に甘えて来ました。ここは、2019年に公開された実写映画「アルキメデスの大戦」でロケ地として使われ、主人公らが出会う舞台となる老舗料亭として登場しています。

Img_9055c_20200126191001  お庭は、なかなかのものでした。日本庭園の見方を良く理解している訳ではありませんが、高低差などをうImg_9061c まく利用している感じもあります。これは手入れも大変でしょう。ちなみに、鯉料理も、あの池波正太郎さんが絶賛するほどのものだそうです。川魚が苦手で、まだ一度も食べたことはありませんが、ここの料理に使う鯉は、仕入れ、池に放して、2ヶ月の間餌を与えずに泳がせるといいます。 そうするときれいな水のおかげで、臭みがなくなるとともに、身も締まって美味しくなるのだそうです。

Img_9115c  多度大社。10時半頃に到着。2月3日に節分で豆まきがありますが(節分祭)、今日も「追儺祭 特別豆撒き」で、11時、14Img_9105c 時の2回豆まきがあるということでした。まだ1月ということもあって、初詣という方も多かったようで、賑わっていました。

Img_9109c  K氏と「どうしよう?」と相談したものの、「まぁいいか」ということで参拝はまた次回(苦笑)。神馬の錦山号の顔だけ拝んできました(微笑)。多度大社を出たあたりでスタートからは約2㎞。このあと、猪飼地区を回って、細川酒造のある古野(この)へ。アップダウンのあるところを4㎞近く歩きます。「歩いたあとの日本酒は、うまいぞ!」などといいながら……。

Img_9117c_20200126192801  細川酒造には、11時半に到着。この頃には青空も見えてきました。「酒蔵みてある記」は、いつも人気で、どこも大賑わい。着いたときには、アタマの中は「上げ馬の試飲」一色でした(苦笑)。6㎞近く歩いてきて、ようやく試飲にありつけるのです。

Img_9121c_20200126193201  入り口の建物に「お楽しみ抽選会の番号 当選番号」が張り出されていました。話に夢中になってきて、すImg_9122c っかり失念していたのですが、コースマップに抽選番号が印字されていたのでした。ここまで、何番かもまったく確認もせずに来たのですが、「#354」です。ほとんど期待せずに当選番号を見たら、ラッキー! 見事、「西美濃・北伊勢観光サミット賞」ということで「純米酒 上げ馬720ml」が当たりました。

Img_9127c  こちらがその賞品。試飲はさておき、賞品をいただき、リュックに大事にしまい込みました。酒蔵みてある記のとき、いつも720ml入りを1本くらい買ってくるのですが、今日は、これで買わずに済みました(微笑)。しかし、同行のK氏の悔しがること。「オレの番号はないぞ!」「どこかでお前のと入れ替わったのではないのか」などなど。

Img_9129c  それはさておき、試飲は、冒頭に写真を載せた酒樽から。木の香りもして、これがまた美味しいこと。「上げ馬」は、三重県産米の「山田錦」・「神の穂」・「みえのゆめ」 を使用し、養老山系の自然水で仕込んであります。「米」と「水」以外の原材料は使われていません。さらに、新酒の状態より、秋まで熟成させて、「秋上がり」にします。秋上がりにすると、冷やでも燗でも崩れず、杯を重ねても飲み飽きることはないそうです。

Img_9133c  こういうお酒ですから、当然、試飲だけではとても味わい足りません。ワンカップを¥250で売っていましたので、席が空くのをImg_9138c 待って、購入。桑名宗社前にあるとらや饅頭さんが、饅頭の他にみたらし団子を売っていましたので、まずはそれをつまみに。せっかく来たから、ゆっくりしていこうという次第。遊びに来たのですから、慌てて帰る必要は全くありません。

Img_9140c_20200126193801 Img_9142c_20200126193901  「もう少し」ということで、2人でワンカップをもう1杯買い、半分ずつ飲むことに。桑名・寺町商店街にある貝新フーズの若大将がハマグリを焼いて売っていましたので、それをゲット。若大将とは以前からの知り合い。彼もカメラ、写真、動画などが好きなのです。

Img_9151c  俗な表現になりますが、これがまた絶品。プリプリ。焼いてから出汁につImg_9152c けているのですが、この出汁もいい味が出ています。2個で¥750でした。食べる前はちょっといい値段だなと思っていたのですが、納得しました。ということで、これほど楽しんだ酒蔵みてある記は、初めて(微笑)。K氏に感謝です。そして、結局2時間も細川酒造にいました(爆)。

Img_9173c_20200126195401  さすがにけっこう飲みましたので、バスが必須。岩や姫まで500mほど歩いてバスに乗ります。13時40分に到着。最終のバImg_9169c_20200126195501 スに間に合いました(14時10分)。時間がありましたし、つまみは食べたものの、昼ご飯がまだでしたから、ここで焼きそば。¥350。バスは、多度大社を経由して、15分ほどで多度駅へ。9月の時も感じたのですが、歩くと大変ですが、バスに乗るとあっという間で、あっけないくらい。しかし、歩くからこそ見えるもの、楽しめるところがあるのです。

Img_9189c_20200126195401  多度駅を14時42分に出る桑名行きの普通電車に乗車。桑名には、14時58分着。¥310。東急から導入された電車に乗りたかったものの、行き帰りとも近鉄時代の車両でした。K氏の近鉄ハイキングand/or酒蔵みてある記デビューは、無事終了。しっかり楽しんでくれたようで、また行こうということになりました。

Img_9194c  今日のALKOOのデータ16,379歩。ハイキングで6.3㎞プラス桑名駅~自宅往復が1.8㎞ですので、合計8.1Img_9198c_20200126195401 ㎞。まあまあです。あみま倶楽部のスタンプは3個目をゲット。

 以上、今日の近鉄ハイキングは、細川酒造をしっかり堪能し、オマケに、祝ご当選!で「完」。

 

2020年1月25日 (土)

20200125勝手に三岐鉄道・三交バス「バードウォッチング@町屋川」

Img_8776c_20200125163801  曇りがちですが、割と暖かい日になりました。ハイキング/ウォーキングには行かず、町屋川へプチ遠征としました。西桑名駅Img_8798c_20200125163801 から三岐鉄道北勢線に乗って、2駅目の西別所で下車。8時44分発、8時55分着、¥190です。西別所駅からは、比較的すぐに町屋川の堤防に出られますし、いつもバスで出かける日の出橋バス停までは5㎞ほど。日の出橋を11時44分に出る桑名駅前行きのバスに乗って帰るつもりなら、ちょうど良いプチ遠征となると見込んで、です。

Img_8802c  西別所駅を出て少し南へ。バードウォッチングとは別の話ですが、員弁街道を横断します。員弁街道は、桑名Img_8804c 市三ツ矢橋町から東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、北勢町阿下喜、藤原町山口で巡見街道と合流して、濃州(岐阜県)に向かう街道で、三岐鉄道北勢線とほぼ並行しています。員弁郡下と桑名城下を結ぶ道として発展したもの。左の写真が桑名市街地から来る道、右は、いなべ市方面に向かう方向。余談に余談を重ねますが、こういう地元の街道もいつかは歩いてみたいと思っています。

200125machiyariver  今日歩いてきたコースマップ。地図には員弁川とありますが、地元ではこのあたりを町屋川と呼んでいます。その町屋川左岸の堤防を河口の少し手前、伊勢湾岸自動車道の近くまで歩き、そこでUターンして、日の出橋にある三重交通バスの日の出橋バス停まで戻り、7.3㎞ほど歩きながら、バードウォッチングという趣向です。三岐鉄道北勢線・西別所駅から、町屋川の堤防に出て、JR関西線・近鉄名古屋線の鉄橋、国道1号線、国道23号線を越えるというルート。

Img_8823c_20200125164801  県道63号線を渡って、スーパー一号館のところから町屋川の堤防に上がります。西別所緑地公園のすぐ西。左の写真は、上流方Img_8822c_20200125164701 向。写真右奥には鈴鹿山脈。右の写真は、西別所緑地公園。今日歩いたルートの堤防沿いには、何ヶ所か、こういう緑地公園が整備されています。遊んでいる子どもはおらず、散歩途中の方が休憩しているくらいでした。

Img_8816c_20200125165701  堤防に上がったところで、セグロセキレイが出迎え。堤防下から飛んで来て、近くのお宅の屋根に。川にImg_5457c_20200125165901 は、アオサギの姿。このあたりから、国道1号線の町屋橋あたりまで、あちこちでツグミとカワラヒワを見ました。今シーズン、散歩コースではツグミをあまり見ないのですが、いないということではなさそうです。それと、ヒヨドリも結構たくさん見かけました。

Img_8835c  JRと近鉄の鉄橋の手前でホオジロのオス。ホオジロは、ほかにもいたと思うのですが、はImg_8840c っきりと確認できたのはこれだけ。右は少し離れたところにいた、たぶんホオジロのメス。

Img_8842c  鉄橋のすぐ上流の右岸(対岸)には、ダイサギが5羽集まっていました。すぐ近くには、カルガモの姿もありました。このあたりまでにいた水鳥は、ほかにオオバン、キンクロハジロ、ヒドリガモ、カワウなど。ただし、数は多くはありません。

Img_5478c_20200125173601  9時半を過ぎて、JR・近鉄の鉄橋を通過します。ただし、いったん国道258号線に出て、大回りしなければなりません。鉄橋を通過するとじきに三重県企業庁の安Img_8877c_20200125173601 永取水所があります。頭首工が設けられていて、いくつもの取水用の堰があります。

Img_8878c_20200125174201  取水所内にもアオサギが1羽いましたし、堰の下側にもアオサギが1羽。ここまでそれなりに鳥が見られ、まImg_5486c_20200125181501 あまあの成果。ただし、私にとって珍しい鳥はいません。小型の野鳥も時々飛んでいるのですが、たぶんカワラヒワがほとんどで、ジョウビタキなども混じっていたような気がします。このあたりまででほかに見たのは、コガモ、キジバト、カラスなど。それともう一つ、鳥見を始めて間もない頃、たぶんこの安永取水所のあたりに来ているのを思い出しました。頭首工の景色を見て気づいたのです。あのときは、どこか中州にキジの雄がいました。

Img_8874c  安永取水所のところに「町屋用水建設記念碑」があります。昭和39(1964)年に建てられています。町屋川下流沿岸地域の桑名市、朝日町、川越町は、取水施設の不完全及び河床低下のため取水困難となり、農業用水が不足する状態であったため、昭和28年から県営事業として総工費約1億円(当時)で町屋用水の建設に着工したのです。これによって農業用水の安定供給が果たされたといいます。

Img_8894c

 歩き始めて2.5㎞ほどで安永第三公園に到着。ここは、旧東海道の町屋橋が架かっていたところにある公園。現在の国道1号Img_8891c_20200125174701 線の町屋橋よりも少し上流になります。この公園の南にあるお宅のテレビアンテナにジョウビタキのオス。この公園で小休止。

Img_8901c  公園の東には、すし清(すしせい)という料理旅館。安政3(1856)年、東海道筋の茶店Img_8905c_20200125174701 として創業し、現在は料理旅館となっています。ここは、樹齢250年以上の藤の木があることでも有名です。この藤は何度か見に来ています。すし清のところから北へは、旧東海道。両宮常夜灯が立っています。七里の渡から約1里(4km)の地点ですある。常夜燈は伊勢神宮への祈願を兼ねたもので、文政元(1818)年に、桑名在住の材木商が連名で寄進しています。

Img_8914c  国道1号線の町屋橋。ここは、すし清から回り道をして、信号交差点で1号線を渡ります。向こうは、朝日町。写真の左手が町屋川の下流。ここで9時55分頃。この先しばらくは鳥影なし。500mほど進んで、左手(北側)に町屋川緑地公園があります。

Img_5511c_20200125185901  町屋川緑地公園からモズの鳴き声が複数聞こえてきました。公園に立ち寄Img_8925c り、確認。公園の西北側のエリアで、モズ2羽。オスとメスのようです。モズは、2~8月に繁殖するといいますから、すでにカップルができたのかも知れません。今年は暖冬ですから、早くから繁殖期なのかもと思ったり。モズは、この公園の西南側のエリアにもいましたし(右の写真)、公園近くの民家のテレビアンテナにもいました。

Img_5529c  町屋川緑地公園を過ぎたあたりで南の空にミサゴ。ただし、遠かったので、証拠写真(苦笑)。その先、右岸側にアオサギ、Img_8937c_20200125190601 カワウ、ダイサギという珍しい組合せのスリーショット。少し離れたところには、コサギも1羽。アオサギ、ダイサギはあちこちで見かけましたが、コサギは、今日はこの1羽のみ。

Img_8950c  10時25分頃、国道23号線の町屋大橋が見えてきました。西別所駅からは4㎞あまり歩いてきたことになります。スタートしたのは8時55分頃でしたから、ちょうど1時間半。町屋大橋は、この下をアンダーパスするルートがあります。

Img_8953c  町屋大橋を潜った先で、セグロカモメが何かを食べていました。今ひとつハッキリしませんImg_8956c_20200125191201 でしたが、カニのようなものを食べていました。町屋大橋から日の出橋あたりまでも、鳥影はありません。日の出橋(右の写真)で、10時半。

Img_5547c_20200125191201  日の出橋の先でアオサギ。しかし、さすがにアオサギ。Img_5549c_20200125191201 左の写真を撮っていたら、すぐに逃げられました(苦笑)。何も危害を加えたりはしないのですから、もう少しフレンドリーになってほしいもの。

Img_8964c  少し進むと、またセグロカモメ。今日はけっこうたくさんのセグロカモメを見ました。日の出橋から下流は、カモがたくさんImg_5566c_20200125191401 います。今日もまたもっとも多かったのは、ヒドリガモ。数えられないくらいの数。左岸から中洲あたりにかけてたくさんいました。その次に多かったのは、コガモ。

Img_8978c_20200125191401  証拠写真かそれ以下のレベルの写真ですが、他にはオナガガモ。中洲あたりや、川の中程に数羽いたのを確認。このほか、マガモやオカヨシガモの姿も見えたのですが、とても載せられるレベルの写真にはなりませんでした。

Img_8995c_20200125191801  そして、こちらは、ハジロカイツブリでしょうか。嘴は上に反っているように三重、年末に見たミミカイツブリとは違う気がImg_9006c します。頭の黒い部分も、目の後ろで下に広がっているようです。 

Img_8994c_20200125192401  この先で伊勢湾岸自動車道に行き当たりますが、今日は、11時44分のバスに乗らないと、次は2時間後ですから、湾岸自動車道の手前、スタートから5.5㎞を過ぎたあたりでUターン。日の出橋バス停まで戻ります。

Img_5600c  日の出橋まで戻って来たのは、11時半。少し時間がありましたので、日の出橋の中程まで渡って、鳥をチェック。下流側の中洲でセグロカモメ。カラスもそばに2羽。セグロカモメは、何かを食べていましたが、それが何かはハッキリしませんでした。

Img_9035c  日の出橋バス停には11時40分に到着。予定通り、11時44分発の桑名駅前行きのバスに乗車して帰途につきました。桑名駅前には12時1分が定刻(数分遅れましたが)。町屋川では7.3㎞を歩きました。朝、西桑名駅まで歩いたのと、帰り、バス停から自宅まで歩いたのは2.1㎞。今日は、合計9.4㎞。まあまあ歩いた感じ。

Img_8772c_20200125193401  余談。朝、桑名駅の工事現場を通ったら、新しい駅舎と自由通路の完成予想図がありましImg_9039c た。今年8月末に供用開始予定だそうです。右の写真は、桑栄メイト。昭和のイメージあふれる建物ですが、それもそのはず昭和48(1973)年10月にできたビル。地階から2階は飲食店などの店舗が、3・4階は事務所や診療所などが、5・6階は住宅が入居。老朽化もあって、今年2月で使用停止とか。その後は、ナガシマスパーランドがホテルを建てるという噂。飲食店街は、もう一度行ってみたい店もあります。

2020年1月24日 (金)

堀の水、かなり抜きました@九華公園

Img_8753c  先日から九華公園の管理人Kさんに伺っていたのですが、昨晩、大潮の干潮を利用して堀の水を外に出すということでした。それなら、是非とも見なくては、ということで出かけてきました。とはいえ、もちろんいつもの散歩コースです(苦笑)。8時25分くらいから住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、京町、寺町と6.5㎞歩くついでです。九華公園の北門を入ってすぐの堀は、写真のような状況。これほど堀の水が少ないのは、初めて見ました。30cm以上引いていると思います。

Img_8755c  左は、外周の遊歩道の南、二の丸橋の南側のたもとから二の丸跡、奥平屋敷跡を見た写真。九華公園の堀、実はさほど深くはあImg_8691c_20200124193901 りません。昔、城があったときのままではなさそうで、水深はせいぜい数10cm。花見シーズンになりますと、堀めぐりの船が運航されますが、堀の水が少し減ると、船が動かない位なのです。右の写真は、二の丸跡から奥平屋敷跡を見たもの。ここに写っている石垣は、昔の桑名城のものといわれています。カモも写っていますが、これだけ水が少ないと、戸惑っているように見えます。

Img_8709c  このように堀の水がかなり減った中、今日はセグロカモメが飛来。南西側の堀やら、二の丸堀を悠然と泳いでいたり、食餌をしImg_8673c_20200124194201 ていたり。全長60cmですから、さすがに大きい。右の写真に写っているユリカモメと比べていただくと、それが良くお分かりかと思います。ユリカモメも40cmほどとそれなりに大きいのですが、段違い。

Img_5325c  そして、ダイサギも登場。私が行くより早い時間には、ダイサギが2羽いたという情報もあります。北門を入ってすぐの堀や、舟入橋近くの堀にいました。少しでも近づこうとしたり、カメラを向けたりすると、すぐに飛び立って移動します。ダイサギも、アオサギもけっこう神経質。そのアオサギ、今日はいませんでした。

Img_8652c  これだけ水が減ると、カモの動向が異なります。いつもたくさん集まっている九華橋のところは、閑散としていました。水がImg_5346c 減って、水に浮かびながら藻が食べられるためか、あちこちでけっこうたくさん石垣に集まって来ていました。今日は、合計49羽。ヒドリガモはオス1羽、メス2羽、ハシビロガモはオス7羽、メス5羽くらい。ホシハジロはオスだけが1羽。他はキンクロハジロ。

Img_5375c  ハシビロガモは、普段から、堀に浮かんだ石の上にいたりしますが、今日は水が減って露出した石や、浅くImg_5381c_20200124195201 なった堀の底に集まっていました。ユリカモメは、餌をやる人があって、あちこちで飛び回っていました。数えられたのは、27羽。もう少しいたと思います。

Img_5416c  堀の水をかなり抜いたのは、朝日丸跡の石垣が崩れた現場を市役所の担当課が確認に来るためということもあったようです。3名ほどの方が来て、あちこち見て回っておられました。某テレビ局の方も来るという話もありましたが、それはどうやら誤情報。ちなみに、九華公園の堀の水を全部抜くと、8,000万円~1億円の費用がかかる見込みだそうです。しかしこれでも、区切って一部だけ抜くよりもはるかに安いのだそうです(区切るのに工事が必要となり、その方が費用がかなり嵩むのだとか)。

Img_8760c_20200124195501  ということで、興味津々で九華公園内のあちこちを見て回りましたが、今日も小型野鳥はほとんどいませんでした。ドバト、キジバト、カラス、カワウ、ハクセキレイ、カワラヒワなどがいたくらい。ハクセキレイも、水が減った堀に降りていました。

Img_5309c  さて、話を戻して、柿安コミュニティパークでは、シメが1羽。といっても曇天で、しかも枝かぶりの位置で、こんな証拠写真しか撮れませんでした。

Img_5320c  中橋のゴイサギコロニーでは、ゴイサギが合計5羽。ただし、4羽は、木の中に隠れていまImg_5323c す。右のゴイサギは、中橋の側(南側)から見たのですが、コロニーになっている木とは別のところにいたもの。

Img_8765c  貝塚公園その他にも鳥はいません。拙宅マンションまで戻って来たら、マンション内の公園でツグミ。ツグミも今年は少ないままです。

Img_8729c  ところで、鎮国守国神社の境内で、紅梅が一輪咲いていました。このほかにも紅梅は、つぼみが少し膨らんで来ているものがありましたし、白梅もつぼみがけっこう出始めていました。

Img_5394c_20200124200201  左の写真は椿。これも、鎮国守国神社の境内にあります。椿は何種類か植えられています。乙女椿というピンクの花が咲くもImg_5431c のもあります。右は、寺町商店街の河津桜。つぼみが少し膨らんで来たように見えます。長期予報によれば、2月に入っても暖かい日が多いとか。今年、河津桜も早く咲くかも知れません。

Img_5302c  江戸橋で水曜日に実施してきた試験、再チェックも終わり、成績もつけ終えました。重要なことですから、もう一度確認してから、成績を報告するつもり。大学入試センター試験ではありませんが、得点調整が必要なこともあります(微笑)。今回どうだったかは、マル秘。いつぞや書いたかも知れませんが、私の学生時代には、単位が取りやすいのは「老人、外人、非常勤」ということばがありました。非常勤講師ですし、そろそろ「老人」に該当しかかっています(苦笑)。厳正に評価していますが、学生諸君の成績は「秀」(90点以上)から「不可」(60点未満)の範囲にバラついています。体調が悪そうな学生さんもいたのですが、そこまで配慮するのも憚られます。学生の試験とはいえ、他人の評価をするのは難しいと、試験をするたびに思います。

Img_5439c  明日は天気は良さそうで、JRさわやかウォーキング(豪商のまち松阪で開運の神様めぐり)も、近鉄ハイキング(工場訪問ハイキング(その3)奥野食品「東京納豆」と情緒ある松阪城下町)も予定されています。どちらも松阪であるのですが、これまでに訪ねたところがほとんどですので、あまり魅力的ではありません。JRさわやかウォーキングは、このほか蒲郡でもあるのですが(素盞嗚神社の「たび石」を巡り、蒲郡市農林水産まつりに行こう!)、ちょっと遠いなと思ってしまっています。いつも通りの散歩か、プチ遠征か、はたまた四日市市立博物館特別展・企画展 昭和のくらし 昭和の面影)かと迷っています。「明日の朝、決めるのだ!」であります。日曜は、今のところ、近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒「上げ馬」と多度大社・追儺祭」に畏友K氏と出かけたいと思っていますが、天気がちょっと心配。K氏の近鉄ハイキングデビューなのですが……。

2020年1月23日 (木)

採点は一通り終え、くわな鋳物大展示会を見て、ランチへ……鉄板イタスパ(微笑)【気になったという鉄板イタスパの看板写真を追加(1/27)】

Img_8129c_20200123171701  未明から昼過ぎくらいまで雨でした。午前中は、昨日実施した試験の採点の続き。昨日のうちに半分くらい終えていましたので、予定より早く終了(もちろん、まだ一通り見ただけですから、再確認をします)。そこで、昼前から買い物に。四日市の近鉄富田駅近くにあるショッピングセンター(トライアル)と、ダイソー、アピタ桑名店へ。

Dscn2707c  アピタ桑名店では、2階マクドナルドの前で1月21日から28日まで「くわな鋳物大展示会」が行われています。Dscn2711c 1月10日から16日にかけてイオン桑名でも同じ催しがありました。桑名の鋳物は、江戸時代、本多忠勝が桑名藩主となり、鉄砲の製造を始めたのが起源といわれています。「東の川口、西の桑名」と称され、日本の二大鋳物産地といわれます。私の郷里も、鋳物は盛んでしたので、親しみがあります。この展示会では、主力の工業製品に加えて、桑名で盛んに製造されていた日用品鋳物を再興するため取り組まれているデザインや機能性の優れた鋳物の開発について紹介しています。日用品からマンホールの蓋まで展示されていました。なお、桑名の鋳物について、詳しいことはこちら

Dscn2742c  展示の目玉は、これ、「鋳物大恐竜」です。桑原鋳工製。全長が4mもあり、けっこうな迫力。鋳物というと、Dscn2745c 黒いというイメージがあったのですが、これは銀色。溶融した金属を鋳型に注入し、凝固させて取り出された製品が鋳物ですから、用いる金属によって色が異なるのかも知れませんし、マンホールのように最近はカラフルなものがありますから、着色されているのかも知れません。

Dscn2714c  いろいろな製品が展示されていましたが、気になったものをいくつか。左の写真は、コーヒーミル(「ダイヤミル」という製品名のようでした)。辻内鋳物鉄工製。この会社は、創業500年。辻内氏の先祖は、桑名宗社(春日神社)の青銅鳥居をつくっています。また、揖斐川右岸に住んでおり、その付近は鍋屋堤と呼ばれました(現在も、桑名水郷花火大会は、パンフレットには「会場は鍋屋堤」と書かれていたと思います)。ここのコーヒーミル、いい感じです。

Dscn2716c  こちらは、蚊遣り器。そうです、蚊取り線香を入れる器。マルデ鋳器製。伊勢型紙の意匠を思わせるデザインが6種類あります。重さは、1.7㎏(蓋だけでも700g)としっかりしているのに、高さは4.3cmとコンパクト。風情もあって、一つ欲しくなります。

Dscn2722c  ハードスタイルケトルベル伊藤鉉鋳工所製。日本で唯一の国産のケトルベルだそうです。筋トレ用の器具ですが、普通のダンベルとは異なったトレーニング方法で、筋力トレーニングと有酸素運動が同時に行えるのだそうです。一般女性の開始重量である8㎏が5,000円、女性アスリート、一般男性の開始重量用の12㎏は6,000円で買えるそうです。

Dscn2728c  このほか、昔の製品もいくつか並んでいました。左の写真に写っているのは、向かって右から順にアイススライサー(カキ氷機)、かぶと、福鈴。私が幼い頃、こんなカキ氷機だったような気がします。鋳物製のかぶととは、いかにも重そうです。福鈴は、これを縁起物として飾ったのでしょうね。

Dscn2737c  そして、珍しかったのは、日時計(左の写真)。地球ゴマのように見えました。また、右の写真は、はそり(端反)。口端が少し反った大形の鍋のことです。辞書には、「愛知地方でいう」と但し書きがありましたDscn2740c が、今まで標準語と思っていました(苦笑)。郷里で、厄年の行事として、神社での初詣の接待の時など、汁粉などをこれで作ったことがあります。ただし、もう少し平たく、口も広かった記憶があります。ということで、けっこう楽しめました。週末限定でクイズラリーとか、ガラガラ抽選会があるということでしたが、私としては、即売会などもあれば良かったと思います。

Dsc_6153c  さて、出て来たついでに昼食は外食(微笑)。鉄板イタリアンスパゲッティであります。市内江場にある「伊勢ノ花天(いせDscn2703c のかてん)」で食べてきました。我が家の近くに大きな看板が出ていて、一度行ってみたいと思っていたところです。熱々の鉄板でいただくケチャップ味のイタリアンスパゲティーで、通称は「イタスパ」。昭和30年代に名古屋の喫茶店から生まれた名古屋めしの一つです。調理する傍らで鉄板を熱するため、手間がかかる上にガスコンロも占領されてしまうので、一時期イタスパを出すお店が少なくなったといいます。「鉄板イタスパ(ミニサラダ付き)マイルド」、¥850を食べてきましたが、ふわトロでした。麺はもちもち。やや甘めの味付けで、懐かしい感じ。麺は特注の2.2mmという極太の生麺でした。なかなか冷めないので、麺を卵に絡めながらフォークに巻きつけて、フーフーしていただきました。

Dsc_6156c  お店は、和カフェっぽい感じ。鉄板ミートスパゲッティとか、台湾まぜスパ、鉄板ソーススパといったメニューもありますから、これら他のパスタも試してみたいですねぇ。

 ところで、冒頭に書きましたが、昨日の試験の採点は、一通りは終えられました。しかし、50枚もの答案を見ていますと、採点基準が変わってしまっていたり、ぶれていたりすることもあります。また、時折、合計点の計算ミスもやらかしますので、明日、再チェックして、成績をつける予定。

【付記(1/27)】

Img_9667c_20200127163101  本文に「我が家の近くに大きな看板が出ていた」と書きました。1月27日にその看板を撮影してきましたので、追加します。Img_9670c_20200127163101 これ、美味しそうに見えますし、懐かしくて、一度食べたいと思ったのです。

2020年1月22日 (水)

本年度最後の江戸橋での仕事

Dscn2674c  今朝の最低気温は、マイナス0.2℃で、この冬初めて氷点下の気温になりました。日中も雲が多く、気温も上がりません。陽が当たっているときは良いのですが、陰ると寒く感じます。今年度最後の江戸橋での仕事でした。予定通り、筆記試験を実施。受験資格のある学生諸君は皆、出席し、とくにトラブルもなく終了。あとは、採点作業。○×式の問題も出してありますが、用語の説明、記述式の方が分量は多くなっています。これは、学生諸君がどのくらい勉強してきたかがよく分かりますし、採点の時に「部分点(正答の答案ではなくても、部分的に点数を与えること)」がつけられるという理由によります。ただし、昨日の記事の最後にも書きましたが、たいてい想定外の答案がありますから、そういう場合には悩みます。2~3日中には、採点を終え、成績を提出するつもり。それが終わると、非常勤のわれわれは、来年度の講義が始まる4月上旬まではお休み。

Dscn2676c  帰りには、答案を持っていますのでちょっと迷ったのですが、寄り道というか、回り道をする感じで志登茂川を見てきました。四日市港潮汐表では、干潮が10時24分でしたから少し潮が満ちてきたくらい。堤防に上がったところの近くには、水鳥はいません。遠くにアオサギ、セグロカモメ、カルガモ、オナガガモ、ユリカモメなどの姿が見え、いたのはほぼいつも通りの鳥たちのようでした。

Dscn2688c  右岸を少しだけ歩いて江戸橋まで行くのですが、こちら側に多いのは、オナガガモ。今日は、上陸して休んでいるカモは前回Dscn2690c よりかなり少なめ。

Dscn2701c  去年は、1月中旬に大風邪を引いたりしていましたので、今年は大丈夫かと心配したり、初めてインフルエンザの予防接種を受けたりしましたが、何とかここまでこぎ着けました。成績を提出するまでは気を抜けませんし、「百里の道も九十九里をもって半ばとすべし」といいますから、今の時点でようやく道半ばと思わねば。

2020年1月21日 (火)

新旧交代……ウォーキングシューズの話です

Img_8624c Img_5220c_20200121161001  晴れたり、曇ったりで、日が陰ると寒く感じます。午後からはとくに風が出てきて、外に出ると寒さが身にしみます。空も、まさに冬の空という感じ。散歩友達には、「雪でも降るんじゃないか」という人もありました。プチ遠征も考えましたが、こんな天候でしたから、いつも通りの散歩。朝一番に用事を済ませ、8時半から11時頃まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と6.0㎞。

Img_8583c_20200121161001  住吉浦駐車場に消防車両が2台。さらに北側の入り口からもう1台が入ってくるのが見えました。何かあったのかと思ったのですが、このすぐ近くの六華苑で消防訓練があったようでした。1月26日の文化財防火デーを前に、重要文化財に指定された六華苑で初期消火の手順などを確認する防火訓練が行われたということです。

Img_8594c  さて、鳥見の方はといえば、今日も成果少なしで、残念。住吉入江には、オオバン1羽とキンクロハジロのメスImg_8597c_20200121161101 2羽。その周囲では、少数のヒヨドリと、これまた少数のカワラヒワ。揖斐川には、今日もセグロカモメの姿。3羽。カンムリカイツブリも3羽くらいいましたが、カモの姿は数えるほど。ヒドリガモや、七里の渡し跡にコガモがいたくらい。

Img_5231c  三の丸水門のところで、九華公園の管理人さんNさん、Kさんと、散歩友達のWさんに出会って話をしていたら、近くをセグロカモメが2羽、飛んでいました。ちなみに、昨日の、某テレビ局の「池の水を抜く」番組スタッフと、市の担当者との話し合いについて。市の担当部署の間で意見が一致しないという話でした。市のPRのため話を進めたいと思う部署と、リスクを取りたくないという管理を担当する部署があるようです。市長がこの話を知ったら、一気にゴーサインが出そうな気がしますが、どうなりますか。

Img_5253c  中橋のゴイサギコロニー。今日も、周囲をグルッと回ってきたのですが、木の中の方にゴイサギが2羽見えたのみ。日によっImg_5255c_20200121161001 て数が変わるのか、それとも、周りからはよく見えないところに潜んでいるのか。その両者かも知れません。もうしばらく観察を続けましょう。

Img_8615c_20200121162801 Img_8618c  九華公園に着いたのは、9時半といつもよりかなり遅くなりました。アオサギや、ゴイサギはいません。カモは64羽と、昨日よりやや多め。しかも、理由は定かではありませんが、ハシビロガモが増えました。オスが6羽、メスが5羽で11羽。ヒドリガモやホシハジロは今日は確認できずで、他はすべてキンクロハジロでした。

Img_5273c_20200121161001  ユリカモメは、16羽。餌をやる人を見かけませんでしたから、このくらいでしょう。今日もこのほかの鳥はほとんど見かけImg_5269c ず、かろうじて、シメの証拠写真(ともいえないレベル)。いやぁ、鳥見という点では、このところ張り合いのない日々(涙)。貝塚公園でも同様。

Img_8621c_20200121161001  内堀公園の近くでは、ツグミ。これも見上げて撮りましたから、あまり良い写真ではありまImg_5284c せん。京町公園でハクセキレイ2羽。鳥見は、以上(苦笑)。

Img_5263c_20200121161101  鳥が少ないので、鎮国守国神社の境内で梅と、ドウダンImg_5265c_20200121161101 ツツジの様子を見てきました。紅梅だけでなく、白梅も少しずつ蕾が膨らみつつあります。ドウダンツツジも芽吹いてきています。暖冬傾向ですから、改めてという感じではありませんが、春近しという気持ちも芽吹いてきます。

Img_5141c_20200121164001  ところで、今日からウォーキングシューズを新しいものにしました。左が、昨日までの古いもの。このタイプの2代目でしたImg_5210c_20200121161001 が、これは、去年3月10日から使っていました。あの「お伊勢さん参りハイキング」の初回です(2019年3月10日:20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)。ほぼ10ヶ月使ったことになります。色もかなり褪せてしまい、あちこちに穴があいてきて、酷使したことが窺われます。左のウォーキングシューズで歩いたのは、1,531㎞。我ながら、よく歩いたなと思います。3代目も同じタイプにしました。アディダスのランニングシューズ SOLAR GLIDE M WIDE。最初だけ、我が家近くのスポーツ用品店(DEPO)でシューフィッターさんに相談し、勧められて買ったもの。その後は、申し訳ないと思いつつ、Amazonで買っています。

 オマケ。明日は、本年度最後の江戸橋への出勤。後期の試験を実施してきます。学生諸君の健闘を願うと共に、採点や成績評価で悩まないで済むとありがたいと思っています。しかし、先だって大学共通テストをめぐって話題になった「記述式」の問題が出題してあります。記述式の問題は、自分で出題しておいても、採点に悩むことがあります。まさに「想定外」の回答があるのです。数10枚の答案を採点していると、途中で採点基準がブレる気がしますので、最低2回は見直します。大学共通テストの記述式云々の問題は、現場を知らない人の発想。それに、とくに入試であるなら余計にですが、試験問題をつくって、採点するのは、入試を実施する大学の教員がすべきこと。何でも民間業者に丸投げするのは、別の意図がありあり。戯言はさておき、明日は、学生諸君には体調を整えて試験に臨み、学習性かを遺憾なく発揮して欲しいと思っています。

2020年1月20日 (月)

大寒の今日も暖かい……しかし鳥はいない

Img_8571c_20200120153601  暦の上では、大寒を迎えましたが、この時期にしては暖かい日です。昼くらいから雲が出て来たものの、最高気温は14.1℃にもなっています。この冬は、まだ氷点下の気温になっていませんし、雪も降っていません。このように暖かいせいで、野鳥の世界もいつもと様子が違うのかも知れません。冒頭の写真は、散歩から帰ってきた11時過ぎの空。冬の空というイメージではありません。今日も、8時過ぎから住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と6.5㎞。自宅には上がらず、クルマで三洋堂書店へ行き、帰宅したのが11時過ぎ。

Img_5146c  拙宅マンションから外へ出てすぐ、ツグミとシロハラの鳴き声が聞こえました。住吉入江沿いのソメイヨシノの木から。ツグミは写真に撮れませんでしたが、シロハラは、証拠写真に。桜の木に鳥がいると、枝かぶりになってしまいます。グルッと回ったのですが、植え込みもあってうまく撮れません。しかし、シロハラを見て「これは幸先が良い」と思ったのですが、やはりそうそううまくは行きませんでした。

Img_5155c  住吉入江には、キンクロハジロのオスと、ホシハジロのオスが1羽ずつ。スタートはよかったものの、住吉神社前までで見たのImg_8517c は、このほかにはスズメとムクドリだけ(苦笑)。住吉神社から七里の渡し跡に行く間には、カンムリカイツブリが5~6羽と、セグロカモメの、たぶん若い鳥が3羽、揖斐川に浮いていました。カモの姿はなし。十万山の南端にアオサギがいるのが見えました。

Img_5167c  中橋のゴイサギコロニーをチェック。赤い実がなっている大木にいます。樹木に疎いのでよく分かりませんImg_5173c が、この木は、モチノキかな? と思っています。今日は、ゴイサギ5羽とホシゴイ1羽。朝、私が見に行く時間帯にはゴイサギたちの多くは、葉っぱの奥に隠れています。中橋側から見るとあまりいないようでも、北側にある駐車場の端からは、葉の中にいるのが見えます。しばらくは観察を続けることにします。

Img_8557c_20200120155501  九華公園。今日も静か(苦笑)。ヒヨドリがこのところ激減しているためです。アオサギさんは、いつものImg_5190c_20200120155501 ところにいます。超望遠コンデジでズームして、画面いっぱいに撮ってみました。カモは、また減って今日は、48羽。ハシビロガモのオスは7羽、メスは2羽、ヒドリガモはオスメスとも2羽、ホシハジロ、今日はオスはいなくて、メスが1羽(右の写真、久しぶりに見ました)。他はキンクロハジロたち。

Img_5200c  その他、公園内を丁寧に見回ったつもりですが、カワラヒワ、ドバト、キジバト、シジュウカラ、ヒヨドリの他は、シメを1羽見つけたのみ。まだ地上に降りたところを見たのは、数えるほどの回数。途中で会ったYさんとも、歩かないと野鳥がいるかいないか分からないから、頑張って歩くしかないですね、と話したくらい。

Img_8565c  貝塚公園でもヒヨドリがほとんどいなくなり、静か。何日か前には、ツグミをたくさん見たのに、その後はサッパリ。カワラヒワも少なく、ここでも歩き回って、シロハラ1羽を見つけただけ。これは、事態打開のため(意味不明)、どこかプチ遠征でもしてこなくては……と思っています。

Img_7900c  ところで、マイパークである九華公園、以前にも書きましたが、某TV局の池の水を抜く番組から何度もアプローチがあり、今日は、プロデューサーの方などと、市の担当課の職員の方とが現地で話し合いを持つのだそうです。噂では、番組から出るお金は300万円。これでは水を全部抜いて、ヘドロを取り除くのにはとても足らないでしょうが、どうなりますか。城跡とはいえ、戊辰戦争で負けて、石垣の石は売り払われて四日市旧港の突堤に使われ、建物も何も残っていません(一部は近郊の寺の山門とか、書院などに買われていったようですが)。お宝が出てくる可能性ありや、なしや? それよりも「市にお金はありません」と断る可能性大というのが、散歩友達仲間の見るところ。

2020年1月19日 (日)

穏やかな日ですが、鳥も散歩友達も少なし……ヒバリとゴイサギコロニーチェック

Img_8503c  昨日と同じく、風が弱く、よく晴れて穏やかな日になりました。センター試験初日は、大きなトラブルはなかったようですが、今日の2日目も無事に終わることを願います。しかし、それにしても、受験生ももちろん大変なのですが、試験を実施し、監督する各大学の教職員の皆さんにも多大な負担がある試験です。私も、その昔携わったことがありましたが、分厚いマニュアルを渡され、そこに書かれた指示通りに行動しなければなりません。受験生への説明も、書かれた内容を一字一句間違えないように伝えますし、トラブルがあったときには、マニュアルにあるやり方で対応しなければなりません。書かれていないトラブルについては、勝手に判断するのではなく、大学の本部や、場合によっては入試センターに問い合わせてその指示にしたがうのです。

Img_8424c_20200119154501  さて、今日はいつも通りに散歩。8時スタートで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と6.0㎞。天気はよく、暖かい感じなのに、散歩友達も鳥も少なく、2時間15分ほどで帰宅。こういう日こそ、鳥に出てきてもらいたいのですがねぇ。この写真は、住吉神社の前から常夜燈を入れて、長良川河口堰を撮ってみました。

Img_5027c Img_8439c  住吉入江にも、揖斐川にもほとんど鳥影はありません。風がないので川面は穏やかなのですが、こういう日は案外鳥が少ないのです。ちょっと不思議。カンムリカイツブリが1~2羽、カモが数羽いたくらい。三の丸公園にもほとんど鳥影なし。遠くにモズのオスらしき鳥がいたくらい。三の丸水門まで来て、ヒバリが4羽。高水敷で一所懸命エサを探していました。そのせいか、割と近くから覗き込んでも逃げず。

Img_8449c  中橋のゴイサギコロニーも見てきました。北側の多聞橋からまず眺めたのですが、遠いせいもあってか、ゴイサギたちは見えず。グルッと回って、桑名宗社の方から東に向いて橋を渡りImg_8458c ます。このときの写真が左の写真。中橋の上から。ゴイサギが3羽とホシゴイが1羽見えました。

Img_8465c_20200119155301  さらに、今日は、上・左の写真に写っている倉庫の向こう側(現在は、駐車場)にも回って、木Img_5069c_20200119155301 のごく近くから見てみました。この位置からは、さらに3羽のゴイサギが、木の中にいるのが確認できました。合計では、ゴイサギ6羽、ホシゴイ1羽です。

Img_5075c_20200119155601  九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏にアオサギ。お休み中でしたが、声をかけると顔を上げます。ただし、これは私を判別して反応しているのではなく、音が聞こえたことに対する「オリエンテーション反応(orientation reflex)」だろうと思います。つまり、「オヤ? 何だ?!」という反応。

Img_5073c  アオサギのいた隣の木には、ゴイサギが1羽。皆が中橋の方へ行っているわけではありません。カモ、今日Img_8476c_20200119155701 は少なめで、合計52羽。ハシビロガモのオス4羽、メス2羽と今日は、ハシビロが少なめ。ヒドリガモはオス1羽にメス2羽。ホシハジロは見当たらず、他はキンクロ。このほか、オオバンが2羽と、カルガモが1羽。他にいた鳥は、ドバト、カワラヒワ、スズメ、ムクドリ。ツグミの鳴き声も聞こえていたものの、姿は見えず。ヒヨドリは、このところかなり少なくなっていて、公園全体が静かな感じ(苦笑)。

Img_8482c  貝塚公園も静かでした。ヒヨドリはほとんどいません。カワラヒワや、ムクドリがいたくらい。シロハラも今日は見当たらず。ようやくツグミ1羽を見つけました。これほど野鳥がいないのは、暖かいせいなのでしょうかねぇ?

Img_5124c  内堀公園でもスズメとムクドリのみ。寺町商店街の北側に来たら、コサギが1羽が飛んで来て、交通標識や信Img_8490c 号の上に降りてきました。足に網か、ロープのようなものが絡んでいます。ダイサギは、この辺で見たことはありませんが、コサギは、時々、こういう街中にやって来ます。アオサギも商店街の屋根にいることもあります。同じサギでも、行動パターンに違いがありそうです。

Img_5080c  昨日、福島地区で白梅が咲いていましたので、九華公園、鎮国守国神社でも注意して見てきましたが、まだImg_5107c その兆しはありません。左の写真は、鎮国守国神社境内の白梅。なばなの里では、河津桜がほぼ満開という話も聞きましたが、寺町商店街の河津桜はまだ右の写真のような状態でした。

Img_5094c_20200119155701  ところで、九華公園の朝日丸跡の石垣が、去年9月の台風で崩れて、そのままになっているという話を何度か書きました。年が改まっても修理される様子がなかったのですが、2~3日前に市役所の担当課の方が管理会社と同行して確認に来られたそうです。修理に向けて動き出したようですが、堀のところですから、重機も簡単には入れられません。ちなみに、「業を煮やして」ではありませんが、市役所のホームページにある「あなたの声 お聞かせください」に私が10日ほど前にこの件について書き込んだのです。私のところには返事は来ていませんが、時系列から考え、書き込んだため確認に来たような気がします。話がどこで止まっていたのかよく分かりませんが、対応していただけるのはありがたいこと。

2020年1月18日 (土)

大山田川沿いから福島あたりでバードウォッチング……カワセミ、ケリ、芸達者なアオサギたち、そしてイワツバメが来て白梅が咲いて、春の雰囲気

Img_8217c Img_4927c_20200118155801  大学入試センター試験初日です。我が家あたりは、天気はよく、午前中は風も弱くて、暖かい日になりました。12.3℃です。リビングには日がよく入ってぬくぬく。JRさわやかウォーキング(初歩き豊川詣を満喫しよう)か、近鉄ハイキング(菰野まるごとハイキング・冬 鈴鹿山脈を望み湯ったりウォーキング♪)に行こうかと考えたものの、今日は断念。JRさわやかウォーキングは、飯田線・三河一宮駅が受付。豊橋からさらに飯田線に行くのはいささか遠い(片道1時間40分~2時間)。近鉄ハイキングは、以前ほとんど同じコースを歩きましたので(2018年10月20日:20181020近鉄ハイキング「芸術の秋!鈴鹿山脈を望み湯ったりウォーキング」へ……菰野駅をスタート、五郎兵衛地蔵、三滝川ジョギングコース、大羽根園運動公園から湯の山温泉駅、観光列車「つどい」もしっかり見てきました(完))、もういいかと思った次第。そこで、今日は、久しく歩いていなかった、大山田川沿いや、上之輪、 福島地区に出かけることにしました。

Img_8306c_20200118161601  今日のベストは、こちら。沢南橋や、そのすぐ上流の人・自転車専用橋のところでカワセミに遭遇。何度も、往ったり来たりしていましたが、2つの橋の間にある堰の脇にしばし留まっていました。陽がよく当たって、明るいところに止まっていました。これが幸い。カワセミがこれほどクリアに撮れたのは、久しぶり。超望遠コンデジによる写真です。

Img_4888c_20200118161501  もう一つの話題は、イワツバメ。新宮西橋の裏側に毎年繁殖に来ます。今日、早くも6羽が新宮西橋の周囲を元気に飛び回っていました。飛びもの、しかもツバメの飛びものは難しい。一応、イワツバメらしい姿が分かる写真が撮れました。

Img_5001c  さらに、早くも白梅が一輪咲いているのを見つけました。福島にある洗車場の近く。服部嵐Img_5005c 雪の「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という句が浮かんできます。ここは、小規模な梅林になっていて、他にももう咲きそうに膨らんだ白梅のつぼみもありました。

Img_4816c_20200118160101 Img_8210c  さて、散歩は日物谷の市営住宅近くからスタート、大山田川を下り、途中上之輪神社のところから上之輪新田へ。沢南橋からまた大山田川沿いに戻り、揖斐川の堤防へ。沢北川や、甚内排水機場あたり、伊勢大橋西詰交差点から少し南で、福島へ。諸戸苑の住宅地を抜けて、福島ポンプ場からバローを経て5.5㎞。2時間半あまり。もっと歩いた気がしたのですが、まあこれくらいの距離でしょう。スタートして、播磨橋までの間では、ハクセキレイ、コガモなど。播磨橋近くのお宅で、エナガとメジロの混群。賑やかでした。逆光だったり、狭い路地で高い木を見上げたりということで、証拠写真のみ。コガモは、JR・近鉄の鉄橋あたりまであちこちに分散しています。

Img_4831c

 新宮西橋を過ぎて、コスモマンションの北あたりでは、ダイサギや、メジロ、アオサギ、イソシギ、セグロセキレイ、ハクセキImg_4822c レイなどたくさんの鳥たち。

Img_8229c  アオサギさんは、漁をしているようでもあり、また、不思議な行動もしていました。色が薄Img_8235c_20200118161501 いので、まだ若いアオサギさんのようです。右の写真など、まるで「立○小○」でもしているかのように見えます。護岸に向かって何をしているのでしょう?

Img_8239c_20200118161501  モズは、遠かったので、クリアな写真ではありません。ムクドリもあちこちで見ましたが、Img_4853c_20200118161501 あまりよいところには出てこず、これまた証拠写真(苦笑)。バードウォッチングの成果はあるものの、あまり誉められたものはありません。

Img_8251c_20200118161501  セグロセキレイや、イソシギも遠い、遠い。どちらも超望遠コンデジの65倍ズームで撮っImg_8256c て、さらに大トリミング(苦笑)。天気が良かったお陰でそれなりに見られる写真にはなりました。

Img_4914c  沢南橋のところにもアオサギさん。上のアオサギとは、別の個体。逃げませんでした(微笑)。近くでは、小ガモが4羽ほどいて、エサ探し。

Img_8329c_20200118161601 Img_8348c_20200118161601  ここから、上之輪神社を通り抜けて、上之輪新田へ。ケリがいないかと期待して、でしたが、結果は期待通り(微笑)。8匹が割と近くに集まっていました。

Img_4955c_20200118161601  揖斐川沿いに出て、船だまりのところから東を見ていると、葦原から猛禽類が飛び立ってきたのが見えました。ノスリのように見えます。

Img_4969c_20200118161601  沢北樋管の先にはオオバンの群れ、大山Img_8366c 田樋管のところにはカワウ。そして、甚内排水機場の先には、アオサギとダイサギ。アオサギさん、やはり役者です。このアオサギさん、なぜかがに股(笑)。ダイサギは、水の中にいたのに、アオサギよりも速く逃げて、近くの樹上へ。

Img_8389c_20200118161601  伊勢大橋西詰交差点から国交省木曽川河川下流事務所を越えたところで福島地区へ。このあたりも、以前は良くケリを見ましImg_4989c_20200118161601 た。今日も少し期待していましたが、3個所の水田で合計7羽。去年は、あまりケリを見なかった気がしますが、今年はどうでしょう?

Img_5009c_20200118164101  ということで、ウォーキング/ハイキングではなく、大山田川沿い散歩にしましたが、それなりに成果ありで、楽しめました。この写真は、拙宅前まで帰ってきたときに見かけた住吉キンクロウズ。オス、メス2羽ずつ。江戸橋での仕事の区切りが見えてきて、ちょっと気が抜けているような気がします(苦笑)。やりたいことはいくつかありますから、新年から半月あまりでもう気合いを入れ直さないといけないようです。

 

2020年 春季特別支援教育支援員(学習支援員)養成講座(追加募集)のお知らせ

 NPO法人子ども支援室カシオペアとディスレクシア協会名古屋では、令和2(2020)年2月9日(日)~3月21日(土)の間、土日・祝日6日、平日1日を使って、「特別支援教育支援員(学習支援員)養成講座を行います。令和2年1月14日現在、10名の追加募集が行われています。

 特別支援教育支援員(学習支援員)は、小・中学校の通常学級で、特別な支援を必要とする子どもたちをサポートするため、平成19(2007) 年度から配置され始め、本年度では全国平均で1校につき約1.8人が配置されています。市町村によっては1校に2人以上配置されている学校もあります。名古屋市では、平成23(2011) 年から「発達障害対応支援員」の配置が始まり、平成28(2016)年度以降は、幼稚園を含め全校(395校)に配置されています。この養成講座は、名古屋市の制度に先駆けて、平成22(2010)年春に第1期養成講座を実施、その後、春秋の年2回開催し、令和元(2019)年秋の第20期養成講座までに計707人の方が修了され、修了者は名古屋市をはじめ、各市町の学校現場で活躍されています。

2020springsien  支援員は、一人ひとり違う個性豊かなLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)などの子たちについて、その理解と必要な対応スキルを学び、その学校の指導方針(個別の指導計画)を理解し、先生方の指示を受けて支援する力量が必要になります。発達障害のある子は何に困っているのか、その原因は何か、どのような支援をすればよいのかなど、現場で役に立つ支援員を養成するために、この講座ではさまざまな分野の専門家が協力して、講義などを行います。応募要項は、この記事の末尾からダウンロードできますので、ご関心がおありの方、参加ご希望の方は、必ずそれをご覧ください。以下には、概要を示しておきます:

  1. 講座内容:応募要項をご参照ください
  2. 日時:令和2(2020)年2月9日(日)~3月21日(土)の間、土日・祝日6日、平日1日、各回とも10時~15時30分
  3. 会場:ウィルあいち(名古屋市東区上堅杉町1;地下鉄市役所駅から徒歩5分)
  4. 対象:発達障害について多角的に学び、子どもの支援に役立てたい方が対象です。講座中に知り得た個人情報の秘密保持についての誓約が求められます
  5. 受講料:26,000円(一括して前納)
  6. 追加募集定員:10名(先着順)
  7. 申込締切:令和2(2020)年1月25日
  8. 申込方法:応募要項にある申込書に必要事項を記入の上、郵送またはメール添付で子ども支援室カシオペアまでお申し込みください
  9. 子ども支援室カシオペアの連絡先:kodomosien@gmail.com(スパムメール防止のため、アットマークは全角サイズで表示しています。メールご送信の際には半角サイズ(@)にご訂正ください)、または、〒456-0024 名古屋市熱田区森後町7-14 沼田ビル3階
  10. 受付後の手順:受講者には、1週間以内に受講決定通知書が届きますので、受講料を銀行振込で納めてください

 なお、プログラムにアステリスクマーク(*)が付された講座は、公開講座です。公開講座には受講条件はなく、どなたでも1回2,500円で受講できます(各回15名ほど)。公開講座は、メールで先着順に受け付けます。講座日、講座名、お名前、郵便番号、住所、電話、携帯番号、職業を明記してお申し込みください。

 お問い合わせも、直接子ども支援室カシオペアまでお願いします。NPO法人子ども支援室カシオペアのサイトにも詳しい情報と応募要項があります。

 私も2月23日の第4回講座で「心理検査でわかること・検査結果の支援への活かし方」についてお話しします。

 2020年 春季特別支援教育支援員(学習支援員)養成講座の要項:ダウンロード - 2020e698a5e69c9fe694afe68fb4e593a1e9a48ae68890e8ac9be5baa7e5bf9ce58b9fe8a681e9a085.pdf

 なお、子ども支援室カシオペアのFacebookに講義風景などが掲載されています。

2020年1月17日 (金)

ゴイサギコロニー、博物館の「書院の茶と草庵の茶」展、そして「へこきまんじゅう」

Img_8009c  今日も曇天で寒い1日でした。夜には雨という予報です。冒頭の写真、よく分からない写真ですが(今日は、あちこち行こうと思って、超望遠コンデジしか持っていきませんでした)、名古屋駅当たりの高層ビル群とその背後に見える雪山です。中央アルプス(木曽山脈)あたりかと思います。最高峰は木曽駒ヶ岳の2,956mですが、私には区別がつきません。

Img_8000c  8時半少し前から、3時間もウロウロ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から桑名市博物館、アピタ、Img_8017c_20200117172201 銀行と回って、7.6㎞も歩いてきました(微笑)。揖斐川では、今シーズン初めて、シラウオ漁の船がでているのが見えました。右の写真、向かって右の漁船がそれです。ただし、2隻が組みになって大きな網を引きますから、この写真だけでは分かりません。市内小貝須(こがいす)には、芭蕉の句碑「明けぼのや白魚しろきこと一寸」があります(こちらを参照)。「野ざらし紀行」で、貞享元(1684)年の冬に詠んだ句。

Img_8025c  昨日に引き続き、まずは、中橋のゴイサギコロニーをチェックしてきました。今日、ここにいたのは、ゴイサギ3羽、ホシゴイ3羽Img_8031c でしたが、木の中には他にもゴイサギ/ホシゴイがいそうな雰囲気でした。というのも、見ている間に、木の中からゴイサギ、ホシゴイが合わせて3羽出て来たのです。

Img_8029c_20200117173001 Img_8042c  そして、もう一つ分かったことは、以前の記事で書いたように(2017年4月8日:「美白スズメ」の巣作り、ゴイサギたちは2軒の家を使い分ける?……桜は、水鏡と、霧の中)、ゴイサギ/ホシゴイは、この中橋と、鎮国守国神社の社務所裏とを往き来していました。今日、両地点で見てきたのですが、その間に往き来しているのを確認できました。

Img_8088c Img_8066c  揖斐川にはほとんど鳥影はありませんでした。赤須賀の漁船が漁に出ていたためと思います。十万山の先、長良川の方にはカモらしき姿がありました。三の丸公園などにも鳥はいません。九華公園に来ても、アオサギはいません。ゴイサギとホシゴイは、先に見に行っていた中橋から、1羽ずつ飛んで来ていました。見ている内に、両方とも飛び立って、中橋付近に降りるのを確認できました。九華公園のカモは、合計52羽。ハシビロガモのオス6羽、メス5羽、ヒドリガモのオス1羽、メス2羽とキンクロハジロです。

Img_8074c_20200117174201  ユリカモメは、餌をやる人もあって、入り乱れていましたが、カウントできた範囲では、34羽。BIRDERの最新号(200年2月号)を見ていたら、「ユリカモメは元祖都市鳥か?」という記事がありました(鳥の都会暮らし始めましたという連載の23回目)。繁殖地では人が出すゴミで増え、また飛来地では、給餌によって内陸部にも進出してきたということが書かれていました。人との関わりの中で都会暮らしをしているといえそうです。

Img_8069c_20200117174201  奥平屋敷跡でシメ。昨シーズンは、九華公園だけで3~4羽同時にいたのですが、今年はどうも1羽のみ(三の丸公園でも見まImg_8084c_20200117174201 すが、同一個体かどうかは不明)。辰巳櫓跡あたりでジョウビタキのメス。ビンズイも1羽いたものの、すぐに逃げられ、撮れず仕舞い。このほか、ツグミの鳴き声が何度か聞こえていたものの、姿は見られませんでした。そういえば、ヒヨドリの姿がいつもよりかなり少ない気がしました。

Img_8095c  貝塚公園は静かでした。ヒヨドリもカワラヒワも少ないのです。いなくなったのかと心配したのですが、いつもいるあたりで、シロハラを確認できました。ここのシロハラも、昨シーズンは少なくとも2羽いたと思うのですが、1羽しか見られません。

Img_8127c_20200117175101 20200117kuwanacitymuseum  このあと、桑名市博物館へ。1月11日(土)から2月16日(日)まで、新春企画展「書院の茶と草庵の茶」を開催中。臨済宗の僧・栄西が中国から持ち込んで以来長い歴史がある喫茶文化の発展を辿るという内容。室町時代には、将軍の館や寺の書院に貴人を招いて茶や和歌を楽しんだのですが、それが戦国時代から安土桃山時代になると、千利休の影響で2~6畳の茶室で茶を嗜むように変わっていきました。これがタイトルの「書院の茶と草庵の茶」になっています。初出品約40点を含め、136点が公開されています。私が気になったのは、「起絵図(おこしえず)」。江戸時代、主として茶室建築を対象に開発された日本建築独特の立体見取図です。折りたたむと平面状になり、たとうに納まります。高校生以上は¥150。午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)、原則として月曜休館。

Img_8129c_20200117180501  そしてさらに、アピタ桑名店へ。昨日の記事にも書きましたが、19日まで出張販売されている「へこきまんじゅう」を買おうという算段。ずいぶん久しぶりにやって来ました。この前いつ来たか、覚えがないくらい。現在、小規模ながら、九州物産展もやっていましたが、今日は「へこきまんじゅう」。三重・名張の赤目四十八滝にある「たまきや」が製造販売しています。テレビで何度か見て以来、気になっていたのです。たまきやさんは、昔から、赤目四十八滝の入口でお土産屋さんをしていたのですが、嫁いできたお母さんが「お客さんに、何かホッとできるお土産をつくりたい」と考えて生まれたそうです。

Img_8170c_20200117180501  こちらがそのパッケージと、へこきまんじゅう。たくさんのサツマイモで焼き上げられた饅頭で、「忍者福笑門」の形になImg_8181c_20200117180501 っています。プレーン(1個¥200)と、こしあん入り(1個¥250)を2つずつ買ってきました。食べてみたら、ふっわふわの柔らかい焼き芋という感じ。これは、癖になるかも知れません(微笑)。名前がユニークですが、「へこき」は「屁こき」。できあがった試作品を店のお父さんが食べたところ、「プッ!!!!!」 嘘みたいな話ですが、おならをしたそうです。そして、お父さん一言。「へこきまんじゅうや!!!」 家族大笑いで、これがこのまんじゅうの名前になったそうです。赤目四十八滝入り口のお店に行くと、店頭に「名前で笑って、食べて満足」とあるそうですが、美味しいです。ちなみに、私、まだ、「プッ!!!!!」という音はさせておりません(微笑)。

20200111JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」(その4)……秋葉山円通寺でゴール、オプションコースの熱田神宮に参拝し、宝物館で日本書紀展を見る(完)

200111jrwalkingsannou3  1月11日のJRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」のその4です。その3では、宮の渡し跡を堪能しました(微笑)。宮の渡し跡を出たのが、11時40分頃。このあとは、内田橋北交差点を渡って、伝馬町に出て、ゴールの秋葉山円通寺を目指します。ここでいったんゴール受付をしたあと、熱田神宮は、オプションコースとなっています。

Img_7553c  円通寺の南側にゴール受付が設けられていましたので、お参りする前に、ゴール受付を済ませます。まずは、JRさわやかウォーImg_7561c キングのゴール受付。11時52分に到着。ここまでで6.7㎞でした。けっこう賑わっています。歩く距離がさほど長くはありませんでしたので、差がつかなかったのでしょう。スタンプは、これで3個目。順調です。

Img_7558c  いつもの完歩パネルも撮影。デザインは同じで、ゴールの場所と、日付が異なるだけなのですが、これを撮影しないと、JRさわやかウォーキングを歩き通したという気にならないのです(微笑)。

Img_7564c  さらにこの日は、その1にも書きましたように、名鉄のハイキングとの共同開催でした。途中Img_7566c でラッキーナンバーが印字されたカードをもらいましたが(その2参照)、その結果は、名鉄のハイキングの受付でということなのです。こちらは、JRさわやかウォーキングの受付以上の大混雑。結局、抽選では、「円通寺賞」ということで、ハッキリ言えば、ハズレ(苦笑)。「ともしび 秋葉総本山 熱田秋葉山 神佛用マッチ」がもらえました。また、名鉄のハイキングの完歩券もいただいてきました。JRさわやかウォーキングや近鉄ハイキングと同じく、集めた枚数に応じて賞品やバッジがもらえるようです。

Img_7642c  秋葉山のマッチ。火防(ひぶせ)の神様ですから、「守護 鎮防火燭 熱田秋葉山」とあります。一人暮らしをしている家内の母に進呈することにします。

Img_7568c  2つのゴール受付を済ませて、秋葉山円通寺(あきはさんえんつうじ)の境内へ。曹洞宗の寺院。山号は補陀山(ほださん)ですが、秋葉山、羽休山ともいうようです。ご本尊は釈迦如来。熱田の両参り「熱田さま」「秋葉さま」として親しまれているといいます。秋葉大権現は、火の神様。「火防守護」その他七難を除き、除災開運・家内安全・授福繁栄の神様だそうです。お寺なのに神様?? お堂が二つある!?など、今ひとつよく分かりませんでした。

Img_7580c_20200111185001  始まりは尾張国の豪族であった尾張氏が熱田社に神宮寺として建立したものとされます。弘仁年間(810~824年)に当地を訪れた空海がこの地に小宇を築いて、自ら彫った十一面観音像を安置したと伝わっています。宝暦7(1757)年に伽藍の大造営が行われましたが、明治24(1891)年の濃尾地震で全壊。明治40(1907)年に本堂が建て直されるなどしたものの、これらは昭和20(1945)年の名古屋大空襲によって焼失、戦後に再建されました。寺が開かれて多くの修行僧が集まった中に、一人の僧に姿を変えた秋葉三尺坊(あきばさんじゃくぼう)がおり、長年の修行を経て永享年間(1429~1441年)、ついに鎮防火燭の秘法を得たといいます。喜びのあまり本当の姿を見せた三尺坊は寺の守護を誓したと伝わり、これに由来して、秋葉三尺坊大権現や羽休の秋葉などの通称で呼ばれています。

Img_7590c  熱田神宮の神宮寺として建立されたと考えられていますから、神仏習合の1つなのですが、今の感覚からすると不思議なところ。お寺なのですが、神社みたいなところもあって、今ひとつよく分かりません。そこで、秋葉信仰について調べてみると、これは知ってはいましたが、とくに火難よけ(火伏せ)の信仰として全国的に分布しています。関東・中部地方に濃厚といいます。信仰の中心は遠州秋葉山で、各地の秋葉山はここから分祀したものです。秋葉山は、神仏習合に伴い修験(しゅげん)の霊場となりましたが、修験者の三尺坊は、観音の化身で火伏せの法に通じた天狗といわれ、越後国から飛来して秋葉山の鎮守となり、三尺坊大権現と称して、大登山秋葉寺に祀られたといいます。明治初期の神仏分離令で、秋葉神社と改称、独立し、秋葉寺は廃寺となったため三尺坊の像などを可睡斎(かすいさい:静岡県袋井市の寺、秋葉総本堂と称する曹洞宗の専門僧堂、修験道場)に移したのですが、現在も根強く信仰されているそうです。

Img_7591c  不思議な感覚を引きずったまま、熱田神宮へ向かいます。円通寺のすぐ北が熱田神宮。東門から境内へ。鳥居を潜る直前で7Img_7628c_20200111195101 ㎞。1月11日でしたが、まだ初詣客で大賑わい。参道にも「あけましておめでとうございます」の膜が掲げられ、正月気分満載。参道にも露店多数。縁日か、お祭りみたい。正月に神社にこんなに露店が出るなど、桑名などでは考えられません。

Img_7597c_20200116072301  年末に来たとき(20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(予告編))、ある程度Img_7599c_20200111195101 見て周り、お参りもしたのですが、下調べを全くしなかったこともあって、コンプリートはしていません。この日は、初詣と、宝物館拝観を目的としてきましたので、それはまた別の機会に。まずは、本殿へお参り。当然ながら、ここも大賑わい。年末は拝殿前まで進めたのですが、この日は、拝殿前に特設の賽銭箱ならぬ、何というのでしょう、賽銭投入場。広場に白い布が敷いてあります。この光景、テレビでは見たことがありますが、この目で見るのは初めて。ちなみに、お札は少なかったように思います。

Img_7624c_20200111195101  お参りを済ませ、熱田神宮宝物館へ。校倉風鉄筋コンクリート造の建造物で、昭和41(1966)年12月に開館しています。皇200111 室をはじめ、将軍・藩主・一般の篤志家などから熱田神宮に寄進された資料約6,000点が収蔵されているといいます。国宝・重要文化財・愛知県文化財に指定されたものが177点もあります。また、熱田神宮に草薙神剣を奉斎することから、刀剣類はとくに多く、名刀の宝庫ともいわれています。元旦から1月28日まで「新春特別展 日本書紀の世界-熱田本日本書紀と共に-」という展覧会が開かれていて、これを見てきました。「熱田本日本書紀」は、日本書紀を書き写した書物として熱田神宮が所蔵している、十五巻本です。このすべてが公開されていました。南北朝時代の1377年に寄進されたものです。日本書紀の編纂事業を担った舎人親王の像や、江戸時代などに国学者らが研究した注釈書、日本書紀に出てくる場面を描いた日本画なども並び、展示品は全77点でした。日本画の中には、三重県朝日町出身の栗田真秀のものがあったり、同じく橘守部の書跡も出ていたりしました(これらは、朝日町歴史博物館などで見たことがあります)。

Img_7616c_20200116074201  内部は当然撮影禁止でしたが、玄関ロビーにあった「末乃青江(真柄太刀)(備中)」だけ撮って来ましImg_7626c_20200116181301 た。室町時代(15世紀)のもの。刃長221.5cmm、反り3.4cm、元巾4.5cm、重さ 刀身約4.5㎏という大きな太刀。通常の太刀の刃の長さの約3倍、重さは約5倍もあります。常人には扱えないと思うのですが、元亀元(1570)年6月の姉川合戦で戦死した朝倉側の勇士・真柄十郎左衛門所用と伝わります。真柄は身長が7尺(約210cm)あったといいます。天正4(1576)年8月に春日部熊野庄(春日井市熊野町)の山田甚八郎吉久が奉納したという記録があるそうです。いや、これを振り回せるとはスゴい。

Img_7610c  熱田神宮の神鶏、名古屋コーチンは、正月の人出に疲れたのか、参道脇でお休み中。最初に見たときには、一帯何だ?!と思ったくらい。この日見たのは、この1羽のみ。皆さん、そばによって写真を撮っていくのですが、「我関せず」という感じでした。

Img_7605c  これで熱田神宮での初詣も、宝物館拝観も無事終了。念のため、12月に食べ損ねた、境内にある宮きしめん神宮店を覗いたのでImg_7606c すが、年末に来た時以上の超長蛇の列(苦笑)。初詣期間中ですから、さもありなん。ということで、熱田神宮会館がやっている出店で売っていた宮きしめんを買ってきました。2種類ありましたが、しょうゆ味の三人前、出汁入り、半生を購入。¥1,080。同じところできよめ餅も売っていましたが、この日はパス。熱田神宮には12時10分頃着いて、13時10分まで滞在。

Img_7630c  帰りは、当初の予定通り、名鉄名古屋本線神宮前駅から電車に乗ることにしました。ここまででトータル8.4㎞を歩いてきました。改札口に着いたのは、13時13分。13時15分に新鵜沼行きの快速特急があり、それに乗車。名鉄名古屋駅には13時22分着。¥230。近鉄に乗り換え。13時41分の五十鈴川行き急行で、桑名到着は14時1分、¥450。

Img_7647c_20200111195101  ALKOOのデータ。19,415歩を歩きました。歩いた距離は、JRさわやかウォーキングで8.4㎞、自宅から桑Img_7651c 名駅往復が1.8㎞ですから、合計10.2㎞。新年初のウォーキングとしては、まあまあでしょう。

 

2020年1月16日 (木)

ビンズイ再登場、ゴイサギコロニー復活か?【過去のゴイサギコロニーについて付記しました(1/17)】

Img_4693c  暖かい日が続いたので、よくわかりませんが、たぶんこの時期らしい寒さです。最低気温は0.8℃(7時32分)、最高気温は9.0℃ (15時41分)だそうです。風は弱いものの、終日曇天で寒いこと。時々書きますが、ソーラーパワーは偉大です。例のごとく、8時半からいつものコースを散歩というか、巡回というか(笑)。住吉神社、九華公園、貝塚公園と周り、アピタやら銀行やらにも行こうかと思ったのですが、寒いので京町、寺町商店街を回って帰宅。6.2㎞。アピタに行こうと思ったのは、赤目四十八滝名物の「へこきまんじゅう」を期間限定で出張販売しているからでした(19日まで)。テレビで見て、気になっているのです。

Img_7977c  相変わらず鳥は少ないのですが、今日は、九華公園で、久しぶりにというか、今シーズン2回目、ビンズイを見ました。鳥見好きの知人と「ビンズイや、ヤマガラを見ませんねぇ」と話した直後、登場というグッドタイミング。1羽だけ。昨年11月1日以来です(2019年11月1日:ヒドリガモとビンズイ登場……カワセミは接近遭遇したものの撮り逃がし)。

Img_7966c  もう一つのトピックスもありました。九華公園と桑名宗社(春日神社)の間にある中橋のところに、ゴイサギ、ホシゴイが集まっていました。ここは、以前、ゴイサギコロニーがあったところ(6~7年前。12~8年前にかけてでした。付記をご覧ください)。今朝、出会った知人が、「火曜日の昼前にたまたま通ったら、10羽以上のゴイサギがいた。昨日も10羽くらいいた」と教えてくださったのです。

Img_4734c_20200116172201  九華公園の北門前で話を聞いて、早速やってきたという次第。今日確認できたのは、ゴイサギ3羽と、ホシゴイ1羽。ここにゴイサギコロニーがImg_4740c_20200116172201 復活するか? と勝手に期待が高まります(微笑)。そういえば、今週に入ってから九華公園の鎮国守国神社の社務所裏にはゴイサギ、ホシゴイがいません。こちらに移ってきているのかもしれません。

Img_4698c_20200116172201  さて、揖斐川の様子。あちこちにカンムリカイツブリ。合計7~8羽くらい。そのほか、揖斐川や、十万山近く、揖斐・長良川の合流点あたりにキンクロハジロ。合わせて150羽かそれ以上。今シーズンは、よく見ます。河口堰には最近行っていませんが、住吉神社前から遠望すると、河口堰にはあまりカモがいないように見えます。

Img_4722c_20200116172201  三の丸公園の東端のソメイヨシノには、シメ。最近、ここでシメをよく見かけます。同じ個体かどうか、よくは分かりません。今日は、よく動き、枝の向こうにいましたので、なかなかよい写真が撮れず、証拠写真という感じ。

Img_7990c_20200116172301  九華公園、今日は、アオサギも、ゴイサギ、ホシゴイもいません。カモは、56羽。ハシビロガモのオスが4羽、メスも4羽、ホシハジロのオス1羽とキンクロハジロ。ヒドリガモは見当たりません。

Img_4770c  ユリカモメは、41羽。今日はえさをやる人がありましたし、堀に揖斐川から水が入っていましたので、忙しそう(微笑)。写真は、揖斐川からの導水口あたりに集まっているところ。川の水に載って、魚が入って来ますので、ユリカモメもダイビングすることが多いのですが、今日はあまりしてくれませんでした。

Img_4774c  それというのも、7~8羽がカワウも集まってきて漁をしImg_4788c ていたからのようです。運動能力が高いユリカモメも、体の大きいカワウには負けるようです。

Img_4794c_20200116172201 Img_7996c  ユリカモメ、カワウに見入ってしまい、30分くらい過ごしていました。さすがに足下から冷えてきます。10時を過ぎてしまい、鳥の姿もなくなりました。貝塚公園に行っても同様。カワラヒワ、ヒヨドリくらい。おとといはたくさんいたのに、ツグミは影も形もなし。シロハラも、この頃見ません。寺町から住吉入江に戻ってきて、ホシハジロとジョウビタキのメス(証拠写真)。

Img_7999c_20200116172301  午後からは、昨日の江戸橋での授業のQ&Aを書き終え、助手の先生にメールで送信。これで、今年度の授業関係も、来週の試験を残すだけ。やりたいこと、やるべきことは、市民大学郷土史学科「城と城下町」のまとめや、「勉強はじめ」で伺った大六先生のWISC-Ⅳの講演のまとめなどがあります。ボチボチと、着実に取り組まなければなりません(微笑)。

Img_7962c_20200116180401  オマケの話。桑名宗社(春日神社)の近く、江戸町に八百勇というお好み焼き屋さんがありました。過去形で書きましたが、一度行ってみたいと思っていたのですが、その機会のないまま、先日閉店したという情報がありました。今日、見てきたら、「都合により閉店しました」という貼り紙。残念。行きたいと思ったところは早めに行っておかないといけませんでした。

【過去のゴイサギコロニーについて(1/17)】

 過去記事をチェックし、中橋のところにあったゴイサギコロニーの状況を確認しました。

 その結果、私が見ていた範囲で、第1次ゴイサギコロニーは、2008~2012年にかけて存在していました。最初に気づいたのは、2008年12月9日でした(野鳥図鑑……本日の散歩の成果)。途中経過は、割愛しますが、2012年2月4日(モズとツグミ、そしてゴイサギが飛ぶ)以降は、ここにゴイサギやホシゴイが集まっている様子は確認できていません(もちろん、コンスタントにチェックしていたわけではありませんので、確認漏れという可能性も十分あります)。

 また、2017年4月の初めにも「ゴイサギコロニー復活か」という記事を書いていました(2017年4月6日:ゴイサギ・コロニー復活か?、2017年4月7日:ゴイサギ・コロニーと近所の桜……すっきりしない中、2回も散歩(笑))。このときは、2017年4月8日以降、中橋のところからゴイサギは姿を消してしまい(「美白スズメ」の巣作り、ゴイサギたちは2軒の家を使い分ける?……桜は、水鏡と、霧の中)、コロニーは結局復活しませんでした。繁殖期に入って、よそへ行った可能性が高いと思っています。

2020年1月15日 (水)

江戸橋での授業も最終日、来週は筆記試験

Dscn2616c  雨は明け方にはもう降ってはおらず、日中は晴れました。しかし、北風が冷たい。暖かく感じる日が続きましたので、寒さが身にしみます(苦笑)。今日は、江戸橋での授業、14回目。授業は今日で終了し、来週は試験となります。授業最終日とあって、出席率も85%を越えました。「来週のテスト がんばる!!」というコメントもありましたが、しっかり準備してきてもらいたいと思っています。

Dscn2619c  今日は、出勤したとき、グラウンドにツグミが7~8羽いました。それもけっこう近いところに集まっていました。いるところにはいるのか、それとも出てくるようになったのかは分かりませんが、ちょっと感激。最近、Q&Aを説明して、その日の授業内容に入るとき、覚醒水準向上を狙って(?)、鳥の写真を見せてバードウォッチングの話を少しだけしていましたが、概して好評でした。これが楽しみで授業に来たとか、授業をきちんと聞けるようになったというコメントもあり、「いいのか?」と若干迷うところもありますが、それなりの効果はあり、さらには学生との距離は縮まったようです。授業が終わったとき、「センセイ、もう卒業ですから、一緒に写真を撮ってください」という学生あり、「鳥が見えたので、見てきま~す」という学生ありでした(微笑)。

Dscn2623c  さて、帰りは風が冷たかったものの、いつも通り、志登茂川で道草。四日市港潮汐表で見ると、満潮は9時25分、干潮は15時Dscn2641c 11分とちょうど間の時間。水量はかなり多かったものの、水鳥はそれなりにいました。もっとも多かったのは、オナガガモたち。右の写真は、右岸の堤防下の様子。数10羽のオナガガモ、ヒドリガモが上がってきていました。覗き込むと驚かせてしまい、カモたちは川へ逃げます。

Dscn2646c  オナガガモのオス。コンデジ(Nikon Coolpix S7000)の割に良く撮れたと自己満足(微笑)。右は、マガDscn2650c モ。マガモは数は多くはありませんが、対岸(左岸)の方にも見えました。

Dscn2644c  他には、ホシハジロや、ヒドリガモの姿もあります。寒かったのであまりDscn2660c じっくりとは見てきませんでしたが、ホシハジロはオスのみ。

Dscn2653c  対岸を見ると、ユリカモメや、セグロカモメの姿もありました。これは、いつもの散歩コースでのバードウォッチングよりも楽しめた感じです(微笑)。まったく何をしにいっているやら(苦笑)。

20200111JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」(その3)……宮の渡し跡へ

200111jrwalkingsannou3  新春最初のJRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」の本編その3です。名古屋国際会議場、白鳥公園を過ぎて、いよいよ宮の渡し跡に向かっています。

Img_7402c  白鳥橋の下を潜って、堀川の右岸をさらに南下していきます。白鳥橋は国道1号線が堀川を渡るための橋。写Img_7405c_20200114062201 真、向かって左手が熱田神宮、右は桑名、四日市方面。白鳥橋を潜ると、右手(西側)に愛知時計電機があります。元は、明治時代中期に創業された掛時計メーカー。現在もその系譜を継ぐ社名ですが、実際には、精密計測機器類メーカーになっています。戦前から時計製造による技術・資本蓄積によって派生した機械、電機、化学部門などを擁し、さらには航空機とそのエンジン製造にまで携わった歴史があります。昭和初期には九六式艦上爆撃機九九式艦上爆撃機などを設計、製造しました。

 その愛知時計電機の敷地の東Img_7409c 側、堀川沿いの遊歩道に古い護岸が保存されています。これは、昭和8(1933)年に築造されたImg_7413c_20200114062801 護岸の一部です。この表面には、昭和20(1945)年6月9日の「熱田空襲」の際の爆撃でできたものだそうです。平成4(1992)年から「マイタウン・マイリバー整備事業」で新しい護岸が設置されたときに撤去されたものを保存しています。余談ですが、ここにはお地蔵様があったようですが、このJRさわやかウォーキングの前日から行方不明になったという掲示がありました。お地蔵様を持ち去るような、不心得者がいるのでしょうか。

Img_7422c_20200114063601 Img_7424c_20200114064001  スタートから5.4㎞のところで大瀬子橋を渡り、堀川の左岸側へ行きます。後で調べて分かったのですが、この橋を渡った左手にある大瀬子公園のところには、かつて熱田魚市場があったそうです。天正年間(1573年〜)には既に魚市場があり、織田信長の居城清須に魚介類を運んでいました。また、寛永年間(1624〜)尾張藩政のもとに、木之免、大瀬子に四戸ずつの問屋ができ、市場が開設されていたといいます。藩の保護により、遠国からも魚介が運び込まれ、毎日取引が行なわれました。ウ~ン、やはり予習をして行かないといけません(苦笑)。

Img_7417c  大瀬子橋の上流側の当たりには、ユリカモメや、セグロカモメが浮いていました。今日は、あちこちでバードウォッチングもできて、最高のウォーキングです(微笑)。写真手前はセグロカモメ。奥はユリカモメ。大きさの違いがよく分かります。

Img_7433c   大瀬子橋をわたって左手、マンションに接するように軻遇突智社軻遇突智(カグツチ)は火の神。これもImg_7434c 後から調べて分かったのですが、この一帯には秋葉社・軻遇突智社が合わせて5社あるといいますが、それにしても多い。今日のゴール受付があるのが、秋葉山円通寺。ここは、熱田神宮の神宮寺として建てられたといいます。円通寺から勧請して建てられたのかも知れません。この5社の他にも路地に入っていくと、小さな秋葉社の祠や、屋根神様もあるといいます。

Img_7440c  大瀬子浜公園という小さい公園を過ぎると、市バスのバス停。「七里の渡し」です。宮の渡Img_7442c_20200114072701 し跡はもうすぐそこ。なぜか入り口に冠木門。桑名の七里の渡し跡には、伊勢一の鳥居が立っています(これは、天明年間(1781~1789年)に東海道をまたぐように建てられたといいます)が、「久波奈名所図会」の「船場」の絵を見ても、門はありません。

Img_7453c_20200114180001  宮の渡し跡は、東海道五十三次のうち41番目の宿場である宮宿(みやしゅく、みやじゅく;宮の宿)にあった渡し場。スタートから5.7㎞、11時20分に到着。宮宿は、東海道にある宿場のなかでも最大級の規模でした。42番目の宿場である桑名宿(くわなしゅく、くわなじゅく)に行くには、船で海路を行かねばなりません。その距離が七里であったため「七里の渡し」と呼ばれていました。七里の渡しが始まったのは、元和2(1616)年といいます。満潮時には陸地沿いの航路を辿り、それは約7里(27㎞)でしたが、干潮時には沖を廻らねばならず、この場合は約10里(39㎞)でした。所要時間は、3時間から4時間と推定されています。渡し賃は、正徳元(1711)年の規定では乗合船一人当り45文(1,125円)であったといいます(換算にあたっては、1両=米180㎏=100,000円とみなし、「keisan 生活や実務に役立つ高精度計算サイト」によりました)。宮の渡し跡、今は、「宮の渡し公園」として整備され、時の鐘と、常夜燈が復元されています。

Img_7488c_20200114183401  時の鐘は、延宝4(1676)年に尾張藩2代藩主・徳川光友の命によって作られました。熱田の住民や、東海道をゆく旅人に時Img_7475c_20200114190801 刻を知らせる役目を担いました。江戸時代に使われていた鐘は、今も蔵福寺(熱田区神宮二丁目、浄土宗西山禅林寺派)に保管されています。昭和58年に宮の渡し公園内に復元され、ふたたび近隣住民や訪れた人に時間を知らせています。常夜灯は寛永2(1625)年、藩の家老にして犬山城主である成瀬正房が熱田須賀浦太子堂(聖徳寺(熱田区大瀬子町、浄土宗西山禅林寺派)の隣地に建立したものの、風害で破損。承応3(1654)年からは現在の位置に移り、神戸町の宝勝院に管理がゆだねられ、で宮の渡しの安全を見守る役となりました。しかし、寛政3(1791)年、またしても火事で焼失。同年、成瀬正典によって再建されたもののすぐに荒廃。昭和30(1955)年になってやっと当時とほぼ同じ位置に復元されました。

Img_7458c_20200111181001  宮の宿は、松尾芭蕉や、シーボルトにも縁があるということでした。松尾芭蕉は、旅の書紀に熱田をたびたび訪れ、林桐葉(はやしとうよう;熱田に住み、芭蕉の定宿の主人)の計らいで名古屋の門人たちと交流し、七里の渡しから船遊びであゆち潟を楽しみ、「熱田三歌仙」を残しています。説明板には以下の3句が書かれています:

この海に 草鞋捨てん 笠しぐれ(妙安寺石碑)

海暮れて 鴨の声 ほのかに白し(妙安寺石碑五・五・七)

なんとはなしに 何やらゆかし すみれ草(宮中学校石碑)

 シーボルトについては、次のような説明がありました。すなわち、名古屋の本草学者水谷豊文(ほうぶん)、その門下生伊藤圭介(けいすけ)、大河内存真(おおこうちぞんしん)らは、ドイツ人医師シーボルトが、文政9(1826)年2月オランダ使節に随行して江戸へ参府する際と、4月長崎への帰路、宮の宿で会見し、教えを受けたといいます。水谷らは名古屋の医学・植物学の研究に多大な貢献をしています。

Img_7460c  さて、宮の渡し跡から南をみると、このような景色です。すぐに海というイメージがあったのですが、名古屋港ガーデン埠頭Img_7513c あたりまで、4㎞弱ほど堀川の流れが続いているのです。70 0mほど先には、新幹線が通っていますし、さらにその南には名古屋高速や、国道23号線が通っているはず。

Img_7468c  また、ほぼ余談に近いのですが、宮の渡し跡にある桟橋には、ユリカモメがたくさんいましImg_7502c た。船を待っていました、というわけはありませんが(微笑)、ユリカモメが集まっていたのは、事実。宮の渡し跡では、15分かけてあちこち見て回り、海を眺め、堪能してきました。次は、七里の渡しを船で渡ってみたいものです。と思っています。

Img_7540c  上に書きましたように、宮の渡し跡は、今は宮の渡し公園として整備されています。堀川は、宮の渡し跡のところで南に向きImg_7538c を変えます。東南の方角には、新堀川。ただし、新堀川は、中区にある堀留水処理センターを起点として、精進川低地に沿って市内を南流し、南区明治にて堀川へと注いでいます。精進川(しょうじんがわ;昔、熱田神宮の神職が6月の名越の祓の際にこの川でみそぎをしたことからこの名が付けられたといわれます)は、かつて今池辺りを源流として、名古屋台地を流れていましたが、曲がりくねった川筋が洪水の原因ともなっていました。洪水の発生を防ぐとともに、船舶の航行と下水処理水の受け皿とするため、明治43(1910)年に現在の川筋に付け替えられ、新堀川という名称になりました。元の精進川は大正15(1926)年に埋め立てられ、消滅しています。

Img_7446c_20200115050501 Img_7550c_20200115050501  その3では、宮の渡し跡を見て、満足しましたので、ここまで。このあとは、内田橋北交差点を横断歩道橋で越え、伝馬町からゴールの秋葉山円通寺を目指します。その4に続きます。

2020年1月14日 (火)

貝塚公園でツグミ4羽、真ん丸のジョビボールも……多度の八壺豆をいただきました、オマケにシラウオ丼の話

Img_4538c_20200114151401  3連休明け、まったくいつも通り(微笑)。朝一番に用事を一つ済ませたのが、例外。8時半から住吉神社、九華公園、貝塚公Img_7875c 園、内堀公園、京町、寺町商店街と5.6㎞を歩いてきました。朝方は曇っていましたが、9時くらいからは良く晴れてきました。今日もまだ大潮が続いているようで、揖斐川は左の写真のような様子。住吉入江も、昨日と同じくあふれそう。

Img_4530c  鳥がいないといけないと思って、保険をかける意味で(失礼ながら)、スズメたちを桑名七里の渡し公園にImg_4546c_20200114151901 て。スズメは、人家の近くにいて、身近な鳥なのですが、近寄ろうと思うと、割とすぐ逃げる鳥です。いろいろと撮ってみたいと思っているのですが、工夫が必要なようです。揖斐川には、カモはほとんど見えず、カンムリカイツブリが2~3羽。カモメが2羽ほど飛んでいました。

Img_4547c_20200114151901  九華公園、アオサギが1羽。ゴイサギとホシゴイは見当たらず。直前に出会った知人Yさんは、ゴイサギも2羽Img_7899c_20200114151901 いたとおっしゃったのですが、100%いるとは限りません。カモたち、今日は合計54羽と、やや少なくなりました。ハシビロガモのオス、メスが5羽ずつ、ホシハジロはオス、メス各1羽、ヒドリガモ(今日はいました!)はオス1羽、メス2羽で他はキンクロハジロ。

Img_4582c  ユリカモメは今日は活発に動き回り、カウントが難しかったのですが、一応31羽。今日は、揖斐川から水を入Img_4631c_20200114152801 れていたのですが、その導水口のあたりに集まって、漁をしていたのです。そのシーン、写真を撮ったのですが、ボツを量産(苦笑)。その他、奥平屋敷跡でシメがいたものの、枝かぶりの一からしか見えず、残念。

Img_7907c_20200114151901  九華公園の外周遊歩道東では、ジョビボール。オスのジョウビタキが本当に真ん丸に。

Img_7911c  貝塚公園では驚くべきことが! 昨日まで、全く見かけなかったツグミを4羽も確認したんImg_4663c_20200114153001 です。いや、ビックリ。やはり、いないと思っても、きちんと現地に出かけて確認しないといけません。バードウォッチングも、ウォーキング/ハイキングも、現地・現物主義でいかねば(笑)。

Img_7932c  ところで、今日は散歩友達のAさんから、多度土産をいただきました。昨日、多度大社に初詣にいらしたそうです。八壺豆(やつぼまめ;または多度豆)という、昔ながらのお菓子。大豆を煎ってから、砂糖を溶かして作った蜜、きな粉を交互に何度もまぶしてあります。「開運写真4点セット」のお礼だそうです(微笑)。ちなみに、八壺豆という名前は、多度山の八壺渓谷に由来し、八壺渓谷にある、みそぎ滝のしぶきをかたどったものとされています。先日、高田本山専修寺でも「桜おこし」を買ってきましたが、お土産はやはり、昔ながらの、地元でつくっているものがベストです。

Img_4577c_20200114154001  さて、明日は、江戸橋での授業、第14回目。授業は明日で終了し、来週は定期試験となります。今年度は、初めて後期も授業に行き、1年間(といっても実質は、9ヶ月弱)通うことになったワケですが、何とか無事に終えられそうです。

200112sirauo 【オマケのシラウオ丼の話】 シラウオ漁が1月5日に解禁になっています。ただし、私はまだその様子は見ていません。1月12日の中日新聞北勢版に、シラウオ漁の解禁を受けて、はまぐりプラザの食堂はまかぜでシラウオ丼の販売が始まったというニュースが載っていました。ハマグリの吸い物か、シジミの味噌汁がついて¥1,500。今のところ漁は順調ということですが、3月初旬までの時期限定のメニューですし、日によっては営業時間内に提供を終えることもあるということです。以前、一度だけ食べたことがあります(2015年2月 5日:はまぐりプラザでしらうお丼を食し、ユリカモメを堪能……カンムリカイツブリ、今日も登場)。

20200111JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」(その2)……引き続き堀川沿いを下り、名古屋国際会議場、白鳥公園へ

200111jrwalkingsannou2  その1では、堀川橋梁まで来ました。JR東海道線・中央線、名鉄名古屋本線の3路線が堀川を渡る橋ですが、その橋脚などには明治のものが使われています。堀川橋梁を過ぎた当たりから、実測ルートマップはその2。上部右手にあるのは、金山総合駅(メニューで隠れてしまいました)。このマップその2には、引き続き、堀川沿いを南下し、旗屋橋を渡って名古屋国際会議場までの範囲が含まれます。

Img_7282c_20200113142501  スタートから2.1㎞のところにある尾頭(おとう)橋。「尾頭」という地名は、ここが熱田台地の尾根筋と尾張平野の南部を結ぶ接点で、長い坂道が鵜の首のようであったため、「烏頭(うとう)の里」と呼ばれていたものが、中世初期に「尾頭」に変化したという説があるそうです(諸説あります。こちら)。尾頭橋は、佐屋街道の橋としてかけられました。佐屋街道は寛永11(1634)年、3代将軍徳川家光公が通られた際に本格的に整備された街道で、東海道・七里の渡しを避ける脇往還(いわばバイパス)です。大正期の尾頭橋には、八幡園と呼ばれる花街もあったそうですが、昭和20年代後半から衰退してしまいました。

Img_7287c_20200113144501  こちらは、2.3㎞地点、八熊(やぐま)通にかかる住吉橋。わざわざ通りの名前を書いたのは、この通りは昔のImg_7295c 勤務先近くに通じているからです。珍しい意匠だなと思ったら、昭和12(1937)年のもの。名古屋では珍しいラーメン橋台橋だそうです(ラーメンはドイツ語で、英語ではRigid frame bridgeだそうです)。三連アーチに見える外観はとても美しいと思います。このデザインは、関東大震災後の復興橋梁の標準形式としてよく採用されたといいます。親柱もなかなかよい感じです。

 続いて、瓶屋(かめや)橋。スタートからImg_7299c 2.7㎞のところ。こちらは、かなり新しい感じですが、ネット検索では情報はとくに出て来ません。堀川が開削されたころからあった「堀川七橋(ほりかわななはし)」は、上流から五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋でした。それより下流には橋はなく、今の白鳥橋や大瀬子橋あたりにあった渡し船を利用したといいます。

Img_7305c  名古屋国際会議場が近づいてきました。その手前にある旗屋橋を渡ります。地下鉄西高蔵駅から名古屋国際会議場へ行くにはこの橋を渡ります。珍しい地名ですが、5世紀後半に呉から2人の織女がやってきて、そのうちの1人が熱田神宮に留まったことが起源とされていて、機屋あるいは幡屋から変化したと考えられています。

Img_7311c_20200111175301  この橋のところで、「名鉄のハイキング×さわやかウォーキング 2020.1.11共同開催記念」のカードがImg_7313c_20200111175301 配布されました。裏に番号が記されていて、名鉄のハイキングのゴール受付で抽選会があるのです。「ルート外を歩くと、ナンバーカードを配布できません」という注意書きがコースマップにありました。

Img_7317c  名古屋国際会議場には10時半に到着。スタートからは3.3㎞。ここは、学会や研究会で何度も来ました。前Img_7327c_20200111175601 職の時代には、ここのセンチュリーホールが入学式・卒業式の会場でした。さらにプライベートでは、ポンキッキや、ユーミンなどのコンサートでもたびたび来ています。

Img_7331c_20200111175601  最近は訪れる機会もなく、ちょっと懐かしかったので、中に入ってロビーあたりを一回り。せっかくだからと一休みもしてきました(微笑)。ちなみに、「あいち・なごや生物多様性EXPO」はスルー(苦笑)(当日の午後からイベントが行われ、さかなクンとかが来たようです)。前職の時代、大学の評議員をしていた時期がありました。評議員は、入学式・卒業式には必ず出席し、舞台の上の指定席に着席させられました。決して好き好んでではありません、セレモニーは大嫌いなのです(笑)。あくまでも立場上の役割、義務としてです。その頃は、冗談半分に「いらないことや、居眠りをしないで、おとなしく座っているのが仕事」といっていました。懐かしい思い出(微笑)。

Img_7336c_20200113184501  名古屋国際会議場1号館の南側にスフォルツァ騎馬像があります。スフォルツァ騎馬像は、レオナルド・ダ・ヴィンチが製作に着手したものの、未完成に終わった騎馬像です。製作が中断したため現物は存在しないものの、平成元(1989)年に世界デザイン博覧会での展示を目指して、復元が試みられました。昭和42(1967)年にマドリードで発見された手稿やデッサンを元に全高2メートルの粘土像を製作し、その像をコンピュータで拡大したものを製作することになったのですが、ブロンズで製作した場合には脚部が重量に耐えられないことが判明し、材質を繊維強化プラスチック(FRP)に変更した上で完成しました。完成寸法は、全高8.3m・幅3.6m・全長8.8m。世界デザイン博の創造工房東海銀行館に展示され、博覧会の終了後に東海銀行から名古屋国際会議場に寄贈されました。南を向いていますから、建物の中からは後ろ姿になります。

Img_7351c  名古屋国際会議場を過ぎると、白鳥公園。国際会議場とその南あたりは、昔は貯木場(白鳥貯木場)と国鉄白鳥駅でした。平Img_7395c 成元(1989)年のデザイン博の時はその会場となっています。昭和58(1983)年から平成3(1991)年までかけて整備した白鳥庭園が、この公園の中心です。白鳥庭園は、去年9月のJRさわやかウォーキングで訪ねましたので(20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(予告編))、今回は、パス。

Img_7386c Img_7375c  貯木場の跡は、現在、「太夫堀」のところだけが、池として残っています(上左の写真)。ここには、ユリカモメやカモなどの水鳥が来ているだろうと期待して歩いてきました。白鳥貯木場は、江戸時代初頭の慶長10(1610)年に名古屋城築城のため設けられた材木置場が起源とされています。福島正則が、堀川沿いの白鳥地内に大池を掘らせ、これを太夫堀と呼んだと伝えられていて、これが初の木材置場となったといいます。福島正則の通称は、左衛門大夫だったそうですから、この名前は納得。

Img_7353c_20200111180701 Img_7379c  話が逸れました。太夫堀では期待通り、ユリカモメがフェンスに並んでいました。通り過ぎてから振り返って見ると、餌をやる人があったようで、乱舞シーンも見えました。

Img_7368c  さらに、南側のエリアには、多数のカモ。キンクロハジロがほとんどでしたが、ホシハジロや、ハシビロガモもいましたし、カルガモの姿もありました。この日も、ウォーキングとバードウォッチングの両方が楽しめ、一石二鳥というか、一粒で二度美味しいというか(微笑)。

Img_7399c  このあたりから東を見ますと、白鳥御陵(白鳥古墳)も見えます。12月15日の近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」で訪ねました(20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(予告編))。6世紀初頭に築造されたと考えられている前方後円墳です。熱田神宮社伝では、日本武尊の陵としています。これは、能褒野に葬られてのち白鳥となった日本武尊が当地に降り立ったという伝承に基づいています。

200111jrwalkingsannou3  実測ルートマップがその3の範囲に入っていました。宮の渡し跡、熱田神宮なども近づいてきています。この先、白鳥橋の下を潜って、さらに堀川沿いを南下して、宮の渡し跡(マップでは、七里の渡し跡とあります)に向かいます。その3へ続く。

2020年1月13日 (月)

大潮で揖斐川も住吉入江もあふれそう(笑)……鳥見はツグミ、シメ、ジョウビタキのメスくらい

Img_4447c_20200113163701  成人の日ですが、私はいつも通り(微笑)。8時15分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、Img_7808c_20200113164001 寺町商店街と究極のワンパターン(苦笑)。鳥も少なく、人もおらずで早々と10時15分には帰宅。5.7㎞。今日は大潮で、しかも四日市港のデータでは、8時6分が満潮。住吉神社の前から見た揖斐川は左の写真の通り、あふれんばかりの状態。住吉入江も、右の写真のような状態。今朝、ここには、キンクロハジロ、ホシハジロのオスそしてオオバンがいずれも2羽ずつ。

Img_4460c_20200113164201  九華公園までの間、揖斐川にも、七里の渡し跡にもほとんどカモはいませんでした。川の上空もユリカモメが2羽飛んでいただImg_4461c け。九華公園も、ヒヨドリが一時ほどはおらず、静かという印象。鎮国守国神社の社務所裏には、アオサギ1羽、ゴイサギ1羽、ホシゴイ2羽。最近、カワセミは見なくなっています。

Img_7834c  カモたち、合計55羽。吉之丸堀に大半がいます。ハシビロガモのオスが5羽、メスが3羽、ホImg_4469c シハジロのオスが1羽で、他はキンクロハジロ。今日は、ヒドリガモの姿がありません。ユリカモメは、当初、管理事務所の電柱に12羽、その後しばらくして野球場のフェンスに31羽。同じユリカモメを重複してカウントしているかも知れません。

Img_7852c  二の丸跡と本丸跡で、シメを確認。二の丸跡から本丸跡へ飛んだので、同じ個体と思います。本丸跡では、地面に降りてきたのImg_7828c ですが、まだ、木の直下に降りただけ。ツグミは、九華公園内の何ヶ所かで鳴き声を聞きますが、見られたのは、1羽のみ。朝日丸跡にて。他には、ヒヨドリ、ムクドリ、ドバト、キジバト、メジロくらい。散歩友達にも遭遇しません(苦笑)。貝塚公園でも、ツグミの鳴き声はしたものの、姿はなし。シロハラも今日は、いません。

Img_7867c_20200113164301  内堀南公園近くのお宅で、ジョウビタキのメス。近くには、シジュウカラもいました。今日は、風も弱く、天気もよいので、こういう日に鳥が出て来てくれるとありがたいのですが、なかなか思うようには行きません。

Img_4527c_20200113164301  帰りに、寺町商店街から近い住吉入江で、ホシハジロのオス。近寄っても逃げません。

 久しぶりに2日連続でウォーキング/ハイキングに行ったら、少々お疲れ(苦笑)。午睡をしようと思ったら、どこかのお宅で何かを叩くような音が響いてきて、寝られず。いやはや。

20200111JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」(その1)……松重閘門から堀川沿いを歩き、堀川橋梁まで

 令和2年になって最初に参加したウォーキング/ハイキングである、JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性条約EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」の本編、その1です。この企画は、名鉄のハイキングとの共同開催。名鉄のハイキングには初めて参加しました。当日は、天気もよく、風も弱くて、1月にしては暖かいというか、少々暑く感じるくらいの陽気でした。

Img_7166c  名鉄名古屋本線山王駅で8時半から11時が受付。JRではなく、乗り換えが便利なので、桑名駅を8時31分に出る近鉄名古屋行き普通電車に乗車。近鉄名古屋駅に9時12分着、¥450。名鉄名古屋本線に乗り換えます。名鉄名古屋駅を9時24分に出る東岡崎行き普通で、山王駅に9時26分着、¥170。

Img_7162c_20200111172001 Img_7158c_20200111172001  山王駅は、名鉄名古屋駅から豊橋方向に1駅目。以前は、「ナゴヤ球場前」で、さらにその前は「中日球場前」といわれていました。年配の中日ドラゴンズファンには懐かしい駅。私も、子どもの頃から現役当時まで、何度かここを利用してドラゴンズの試合を見に行きました。平成8(1996)年まで中日ドラゴンズのホームグラウンドだったナゴヤ球場への最寄り駅でした。しかし、ホームグラウンドが平成9(1997)年からナゴヤドームに移転したため、利用客も激減し、平成17(2005)年に開業当時と同じ現在の駅名に改称しました。ナゴヤ球場は、中日ドラゴンズ二軍の本拠地球場および練習場となっています。ホームから南西に見えますが、一軍の本拠地だった頃とはかなり変貌してしまっています。

Img_7178c  ホームは高架にあり、階段を降りて改札口を出たところがスタート受付なのですが、小さな駅なので、大混雑。受付の先ですぐImg_7180c_20200111172001 に信号を渡るコースのようで、それも混雑にいっそうの拍車をかけています。何とかスタート看板を撮って、スタートしたいのですが、信号待ち(笑)。

200111jrwalkingsannou  こちらが当日配布されたコースマップ。山王駅をスタートして松重閘門へ。その後は、堀川沿いをずっと歩いて、名古屋国際会議場に行きます。「あいち・なごや生物多様性EXPO」が、1月11・12日と開催されていました。続いて、白鳥庭園、白鳥公園を経て、宮の渡し跡へ。個人的には、ここ宮の渡し跡へ行くのが目的で参加しました。ゴールは、秋葉山円通寺。オプションコースとして、熱田神宮に参拝しますが、宝物館が割引料金で入れることになっています。熱田さん参拝のついでに、宝物館も観てこようと思って出かけました。帰りは、名鉄神宮前駅から電車に乗るつもり。山王駅から円通寺までは、約7.0㎞。

200111jrwalkingsannou0  実際に歩いた実測ルートマップ。寄り道はしていませんので、ほとんどコースマップ通りに歩いています。こうしてみると、名古屋国際会議場などに立ち寄りながら、堀川沿いを5㎞ほど下ってきたのがよく分かります。ゴール受付の秋葉山円通寺までは、6.7㎞でした。そこから熱田神宮に参拝し、宝物館を拝観して、名鉄神宮前駅へ行きました。神宮前駅までは8.4㎞。

200111jrwalkingsannou1  実測ルートマップの詳細版、その1。スタートの山王駅から、松重閘門を経て、堀川沿いを南下。2㎞あたりまでの地図となっています。

Img_7187c_20200111172001 Img_7192c_20200111172801  さて、山王駅をスタートしたのは、9時35分。左の写真は、スタートして駅前の信号を渡ったところから振り返って撮った写真。名古屋でのJRさわやかウォーキングの参加者は、ものすごい数になりますが、今日は、名鉄のハイキングも共同開催ということで、参加者はさらに多いような気がします。スタートして100mあまりは北に向かいます。前方遠くには、名古屋駅前の高層ビル群も見えます。

Img_7196c_20200113075001  中川運河に突き当たり、右折。この日のコースの案内板は、名鉄のハイキングのもの(左の写真)。また、ところどころにImg_7223c_20200113075201 は、フラッグも掲げられています。新鮮な感じ。同じウォーキング/ハイキングとはいっても、やり方などは鉄道会社によって微妙に異なります。JRと名鉄はコース案内板が掲出されますが、近鉄ハイキングではそれはありません。その代わり、コースマップは近鉄のものは詳しい。受付も、近鉄は原則としてスタートの時のみで、スタートの時にあみま倶楽部のスタンプも押してもらえます。JR・名鉄はスタートはコースマップの配布のみで、スタンプ押印や完歩券配布はゴール受付にて。

Img_7218c_20200111172801  スタートから500mで松重閘門に来ました。去年(令和元(2019)年9月28日のJRさわやかウォーキングでも来ていますImg_7245c_2020011308000120190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(予告編))。名古屋港と、旧国鉄笹島貨物駅を結ぶ中川運河が開削されたとき、堀川とを結ぶためにつくられたもの(昭和5(1930)年(供用開始は、翌年)。両河川は水位が2mほど違ったそうです。東西長さ90mの水路の両端に高さ約20mの塔が2棟ずつあり、一対の塔をつなぐ橋に吊られた40トンの鉄板を上げ下げしました。塔の内部には鋼板を動かすのに使う錘が入っています。日本の閘門では、扉式が多いそうですが、このように両側に塔を建設するやり方は珍しいとされます。左の写真は西側から、右の写真は、もう一対の棟を東側から撮ったもの。夜はライトアップされ、その姿は「水上の貴婦人」と呼ばれます。電車から遠く、見たことはありますが、近くでも見てみたいですねぇ。松重閘門は、昭和43(1968)年に閉鎖され、昭和51(1976)年に使用廃止になっています。

Img_7232c_20200113112501  この松重閘門のところ、南北橋交差点を通り、堀川をわたってその左岸(東側)に出ます。この堀川は、江戸時代初期の名古屋開府に際して、建築資材運搬用の運河として伊勢湾から名古屋城付近まで開削されたことがそのルーツとされます。一般に堀川は、慶長15(1610)年、福島正則が徳川家康の命により、名古屋城築城の天下普請に際して資材運搬を目的とした水路として、現在の朝日橋付近までを掘削したとされます。ただし、当時の土木技術の水準では、何もないところに全く新しい水路を引くのは困難で、元々、自然河川が存在したとする説もあります。尾張藩の公的な記録『事績録』には、慶長16(1611)年2月に、名古屋城普請に携わっていた20の大名に対して名古屋城までの運河開削のために千石当たり1名の人夫を出すことを命じられた(『蓬左遷府記稿』こと、同年6月には熱田白鳥から名古屋城下までの運河開削がほぼ完了したこと、白鳥付近は担当した福島正則(左衛門大夫)から「太夫堀」と呼ばれたとの記載があるそうです(太夫堀については、後ほど、白鳥公園のところで出て来ます)。これから、堀川沿いを下っていきますが、古い橋は、親柱や照明灯のデザインが凝っているので、それを見ていくのがたのしみです。左は南北橋。

Img_7234c_20200113080201  南北橋の東側、松重橋の下流側の堀川は幅が広くなっていて、ユリカモメなどの水鳥が休んでいました。中に、よく見るとセImg_7238c グロカモメもいます。12月21日のJRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」の時と同様に、今日も堀川から宮の渡し跡までの間でバードウォッチングができそうです(微笑)(20191221JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」へ(予告編)……年内最後のハイキング/ウォーキング【カモの名前を付記(12/22)】)。

Img_7254c  松重橋からひたすら南下して行きます。このあたり、指定されたコースは、道路の左側(東側)ですので、Img_7259c 堀川の水面はあまりよく見えません。山王橋を過ぎて、スギドラッグ。割引券がマップに附いていましたが、ドラッグストアには用事はなく、通過。古渡橋(スタートから1.5㎞ほど)に来ました。古渡橋(ふるわたりばし)は、堀川が掘られたころにかけられた「堀川七橋(ほりかわななはし)」の1つです。このあたりの地名「古渡」から名付けたといわれています。近くには、昔、鎌倉街道が通っていたといいます。また、古渡城跡が、現在は、真宗大谷派名古屋別院(東別院)になっています。古渡城は、織田信長の父・信秀が天文3(1534)年、東南方に備えるために築城した城で、信長はここで元服したといいます。この古渡橋のところから、道路の右側を通りますので、まさに堀川沿いを歩いていきます。

Img_7266c_20200111174701  スタートから1.8㎞地点で、JRと名鉄の鉄橋をくぐります。この先には、JRAウィンズ名古屋があります。私には縁がありません。鉄橋は、北から順にJR中央線、名鉄名古屋本線、JR東海道線です。中央線の特急しなのが通過して行きました。この3路線の橋梁はかなり古く見えます。

Img_7276c Img_7273c  調べてみると(こちらを参照)、東海道線の熱田~名古屋間は、明治32(1899)年7月に複線化されました。堀川橋梁は、南側の新線(上り線)に移設されています。中央線の多治見~名古屋間の開通は明治33(1900)年7月で、同線の堀川橋梁は、複線化で余剰となった東海道線の初代橋梁を転用しています。さらに、名鉄名古屋本線の新名古屋~神宮前間は第二次世界大戦中の昭和19(1944)年9月に開通。名鉄の堀川橋梁の下り線は、この区間建設に伴う中央線の線路移設時に廃線となった旧線の橋梁を転用しているといいます。左の写真は東海道線の橋脚、右の写真で向かって右側の2つが名鉄名古屋本線の橋脚。したがって、右の写真でもっとも右に写っているものが、もっとも古い橋脚となります。明治時代の橋脚や橋桁が今も使われているというのは、驚き。

 キリが良いので、その1は、ここ堀川橋梁まで。堀川橋梁は、JR東海道線の尾頭橋駅と、JR東海道線、中央線、名鉄名古屋本線、市営地下鉄の金山総合駅との中間にあります。尾頭橋駅からの方がやや近くなっています。

2020年1月12日 (日)

20200112近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策へ」(完)

Img_7742c_20200112194301  昨日のJRさわやかウォーキングに続いて、今日は、近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」に行ってきました。曇天で雨も心配したのですが、幸い降られずに済みました。このコースは、一昨年1月11日に出かけた近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」と同じものです。一昨年の記事は、以下にリンクしておきます。このときは、とんでもなく風が強くて、寒い日で、「こんな日に来なけりゃ良かった」と思ったくらいでしたが、今日は曇天ながら、風もなく、さほど寒くもありませんでした。冒頭の写真は、高田本山専修寺の御影堂。

Img_7660c  今日は、近鉄名古屋線江戸橋駅で9時半から11時の受付。桑名駅を8時42分に出る松阪行き急行で、江戸橋駅には、9時23分にImg_7659c 到着。¥700。すでに長蛇の列で、驚き。係の方も、「今日は参加者が多い」とおっしゃっていました。もらったコースマップは、ちょうど#200。今日は、畏友M氏と二人旅。

Img_7662c  こちらが今日のコースマップ。地図はリニューアルされたものの、一昨年とほぼ同じルー200112kintetsuhikingedobashi ト。江戸橋駅を出て、勝久寺、魚歳食品(はんぺいの試食あり)、石積神社、窪田の常夜燈と歩いて、高田本山専修寺へ。専修寺では、現在、「お七夜」が行われています。その後、一身田寺内町の館、おぼろタオルから江戸橋駅に戻ります。コースマップ上は約9㎞となっています。右は、実際に歩いたルート。余計な立ち寄りや、道草はしていませんが、高田本山の中を歩き回りましたので、最終的には11.2㎞を歩きました。立ち寄り先も、一昨年のハイキングと全く同じですので、それぞれの詳細は、上記のリンクをご覧くだされば幸いです。

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 江戸橋駅を9時35分にスタートし、西に向かいます。JR紀勢線・伊勢鉄道の踏切を越えて、県道10号線に出ます。この道をまずは、北西に4㎞ほど行きます。途中、勝久寺、大乃己所神社、魚歳食品、石積神社と回るのです。左は、県道10号線の津メディカルモール手前当たりの風景。赤丸をつけたところに、高田本山専修寺が遠望できます。直線で行けば2㎞あまりなのですが、大回りして、このあたりからは5㎞半ほど歩かねばなりません。

Img_7667c Img_7671c_20200112162601  天台真盛(しんせいしゅう)宗日照山勝久寺(しょうきゅうじ)です。スタートからはちょうど2㎞ほど。国の重要文化財に指定されている仏像が3体、所蔵されています。木造聖観音立像、木造阿弥陀如来坐像、木造地蔵菩薩立像です。右の写真にある変額には「國寶」とありますが、重要文化財です(昭和25(1950)年の文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財(美術工芸品および建造物)はすべて「国宝」と称されていました)。いずれも平安時代の作です。阿弥陀如来座像が、このお寺のご本尊です。一昨年来たときは、拝観できなかったのですが、今日は本堂を開けて、上がらせていただけ、お姿を拝んできました。

Img_7682c_20200112163801  続いて、スタートからは4㎞ほど、国道23号線中勢バイパスを潜った先にある大乃己所神社(おおのこそじんじゃ)。創立の時期は不詳ですが、天慶5(942)年の大神主・大乃己所重久著の縁起書(写)に大物主神御鎮座の記述があり、天慶以前の創立と考えられます。明治41(1908)年には須賀神社など11社を合祀し、昭和26(1951)年には八幡神社など3社を分祀しています。創立に関しては、大物主神の鬼退治の伝説があります。


伊勢國奄藝郡の猟人が山に入って鬼を退治し、その鬼の捕へていた女を妻として児を生んだ。ところが、母子ともに姿を隠して行方不明となってしまった。その後猟人が大和國三輪社に詣でて再会を所ったとき、神殿忽ち開扉して母子ともに殿内にあり、猟人妻子みな化して神となった(『袖中抄』『童蒙抄』)。そこで、その神祭は奄藝郡の人が執行する事になつたと言う。このような由緒によつて、三輪の明神すなはち大物主神を創祀したのが当神社である。

Img_7687c_20200112163801  主祭神は、大物主神(オオモノヌシノカミ)。相殿神は、大日孁命(オオヒルメノムチ;天照大神の異称)、豊宇気毘売命(トヨウケビメノカミ;豊受大神の異称)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、天忍穂耳命(アメノオシホノミコImg_7692c ト)、底筒之男命(そこつつのおのみこと;水底で生まれた。中筒男(なかつつのおの)命と表筒男(うわつつのおの)命とあわせて住吉大神)、中筒之男命、上筒之男命、誉田別命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、須佐之男命国狭槌命(くにのさづちのかみ;山の神である大山津見神(大山祇神)(おおやまつみのかみ)と野の神である鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)(草野姫)との子。地上の土の神。山野の土の神である天之狭土神と対をなす)、石凝姥命(イシコリドメノミコト;天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき、鏡を作った神)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。11社を合祀したためか、たくさんの神様がいらっしゃいます。ここでは、氏子の方から、神社の由緒などが書かれたものをいただきました。

Img_7699c_20200112170501 Img_7705c  大乃己所神社からは1㎞足らずで、魚歳食品へ。ここは、はんぺい、天ぷら、エビカツなど、魚肉の加工食品の会社。「はんぺい茶屋」として、製造直売をしています。ここで、お待ちかね、はんぺいの試食(微笑)。一昨年は、空腹で写真を撮る前に、一口かじってしましました。過ちを繰り返さないよう、今回は慎重に行動(苦笑)。試食があると思って、小腹が空いたとき用のおやつは、今日は、持参していません。

Img_7708c_20200112170901  魚歳食品の対面に石積神社(いしづみじんじゃ)があります。創立は、延喜年間以前ですが、詳細は不詳。織田信長の乱に際して兵火に罹り、「社宇悉く灰燼に帰せりし時神霊は伊勢神宮に遷らせ給う時に山田地方大いに暴れて天災・変数々到る。依て神官に神宣を伺わしむるに神宣あって曰、これ石積の神の崇りなりと神語に宣給えり、鈴鹿山の山続なる尾前に於て南の溜池在り北に里ある處に移し祭れよとの宣ありしに囚り神宮より直ちに神官従者等に命じて神輿を奉ぜしめ此の所に祀りし」処の窪田階下に奉遷せられたと伝える。すなわち、信長の戦乱により灰儘に帰したとき、神霊は伊勢神宮にお遷りになりました。その後、山田地方に非常の暴風雨が頻発し、人々が災害に苦しんだとき、神宣を伺ったところ、「これ石積の神の崇りにつき、神霊を鈴鹿の山続きなる尾前の地、南に溜池あり、北に里ある所に遷し祀れよ」というご託宣があり、この旧社地窪田に奉遷になったということです。

Img_7713c  主祭神は、大山祇神(おおやまつみのかみ;山をつかさどる神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子)。相殿神は、大日孁貴命経津主命(ふつぬしのかみ;磐筒男神(いわつつのおのかみ)と磐筒女神の子。香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、出雲に行き、大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた)、活津日子根命(いくつひこねのみこと;素戔嗚尊と天照大神が誓約(うけい)を行なった際生まれた、五男神中の一神)、天津日子根命誉田別命。石積神社を出るところで、ちょうど11時。

Img_7719c_20200112173401  続いて、窪田の常夜燈。高さ8.6mで、津市内最大の常夜灯。東海道関宿と参宮街道を結ぶ伊勢別街道は、江戸時代、京都滋賀方面から伊勢神宮へのルートとして、賑わったそうです。滋賀県の商人が資金を出して造り、当初は伊勢神宮まで運ぶつもりだったのが、大きすぎて運ぶのが困難になり、やむなくこの地に設置したものだといいます。文化14(1817)年につくられ、伊勢別街道の宿場町であった窪田の東端の近江屋、大和屋といった旅籠の近くに置かれました。

Img_7728c_20200112183601  窪田の常夜燈のすぐそばにJR紀勢線が通っていて、一身田駅があります。この駅舎は、大正12(1923)年12月に竣功し、平成3(1991)年に改修されました。趣のある駅舎です。現在は、無人駅。ここまで来れば、高田本山・専修寺はもうすぐ目の前です。

Img_7765c  そして、いよいよ本日のメイン、高田本山専修寺に到着。スタートから7㎞、11時25分。左の写真は、山門。1月9日から16日まで「お七夜」が行われています。お七夜は、他の真宗諸派でいう「報恩講」。宗祖親鸞聖人のご遺徳をしのび、ご恩を喜び、報謝するためのお勤め。専修寺では、七昼夜にわたって勤められるところから、「お七夜」と呼ばれています。

Img_7738c  いささか順番が逆とは思ったものの、時間も時間でしたので、先に御非時をいただくことにしました。心身を落ち着かせてかImg_7733c ら、心静かにお参りしようという(屁)理屈(微笑)。御非時がいただける食堂(じきどう)へ直行。家内の知人からいただいた御非時券でいただいてきました。「非時」とは、仏語で、元は、僧が食事をしてはならないと定められた時という意味です。正午から翌朝の日の出前までの間。僧侶は正式には1日1食で、午後の食事は禁止されていたといいます。御飯も味噌汁も温かく、ヒリョウズにも良い味がついていました。

Img_7730c_20200112190301 Img_7749c  落ち着いてから(微笑)、御影堂と如来堂その他にお参りしてきました。左は如来堂。こちらにご本尊の阿弥陀如来が安置され、教義上の本堂。右は、御影堂から如来堂を見た写真。御影堂には親鸞聖人の木像が安置されています。高田本山専修寺は、私の好みのお寺です。我が家は、真宗大谷派なのですが、全く個人的には大谷派の本山である東本願寺よりもいいと思っています。如来堂、御影堂は国宝。

Img_7755c_20200112190701  左は、親鸞聖人御廟拝堂。この奥に、宗祖・親鸞聖人の廟所があります。そして、いつも高田本山専修寺にお参りすると、必Img_7759c_20200112190701 ず立ち寄ってくる納骨堂。ここに家内の父の遺骨が納めてあるのです。「挨拶」と思って、お参りしてきます。専修寺と一身田寺内町は、気に入ったところで、一昨年の近鉄ハイキングの後も個人的に訪ね、あちこち歩き回ってきました(2018年1月16日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(予告編))。

Img_7769c_20200112191301  高田本山専修寺には、1時間ほど滞在。境内にある茶所(ちゃそ)で土産も買って、ハイキングを続けます。お七夜の間、参道にはたくさんの露店が出て、まるでお祭りのようです。一昨年はもっとたくさんあったと思うのが、植木屋さん。今年は2~3軒とかなり少なくなっていました。お七夜の植木屋さんといえば、家内の父親がお七夜にお参りするたびに植木を買ってきたといいます。一身田寺内町の館にも立ち寄って来ました。ここでは、高田本山専修寺や、一身田寺内町のことについて詳しく知ることができます。一身田寺内町は、真宗高田派本山専修寺を中心にした一種の自治都市でした。今も町の周囲を環濠が巡り、寺内町の景観を形成しています。

Img_7778c_20200112191901  このあと、東に向かい、伊勢鉄道の高架の下を右折。江戸橋駅に向かいます。伊勢鉄道の線路沿いに進み、いったん伊勢別街道に出て南東へ。途中から伊勢別街道を離れ、旧伊勢鉄道の線路であった道路を歩き、私の非常勤先の踏切手前で再び伊勢別街道に入ります。最終の目的地はおぼろタオル(左の写真)。割引があったのですが、何も買わず。

Img_7779c_20200112191901  ゴールの江戸橋駅には13時15分に到着。ここまで、3時間40分をかけて、11.2㎞を歩いてきました。さほど寒くもなく、また、昨日のように汗を掻くほどでもなく、歩きやすい天気でした。13時20分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名駅には14時3分に到着。¥700。

Img_7786c_20200112191901  ALKOOのデータでは、歩数は22,583歩でした。自宅から桑名駅往復の1.8㎞と合わせて、今日は13.0㎞。あみま倶楽部のスタンプは、ややスローペImg_7790c ースで、昨年12月に会員資格を更新してから、2個目。着実に参加して、スタンプを増やしていこうと思っています。

Img_7794c_20200112191901  今日の土産は、こちらの2品。私としては「桜おこし」が欲しかったのですが、境内にある臨時の土産販売所にも、茶所の売店にもありませんでした。そこで、代わりに「国宝 高田本山専修寺 せんべい(¥630)」を買ってきました。本当に欲しかった土産は、「桜おこし」。こちらは境内では売っておらず、諦めて「本山せんべい」を買ったのですが、一身田寺内町の館の先にある御菓子司春乃舎さんで桜おこしを売っていたので、買ってしまいました(3個入りで¥500)。桜おこし(黒糖を使った昔ながらの高田本山土産)を買わないと、高田本山専修寺に来たという気がしないのです。

 本日の近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策へ」は、これにて「完」。

2020年1月11日 (土)

20200111JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」(予告編)

Img_7162c_20200111172001 Img_7166c  令和2年になって、初めてのウォーキング/ハイキング、JRさわやかウォーキングあいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」に行ってきました。今回は、名鉄のハイキングとの共同開催。名鉄名古屋本線山王駅で8時半から11時が受付。桑名駅を8時31分に出る近鉄名古屋行き普通電車に乗車。近鉄名古屋に9時12分着、¥450。名鉄名古屋本線に乗り換えます。名鉄名古屋駅を9時24分に出る東岡崎行き普通で、山王駅に9時26分着、¥170。

Img_7158c_20200111172001  山王駅は、かつては「中日球場前駅」、「ナゴヤ球場前駅」という名称で、平成8(1996)年まで中日ドラゴンズのホームグラウンドだったナゴヤ球場への最寄り駅でした。しかし、ホームグラウンドが平成9(1997)年からナゴヤドームに移転したため、利用客も激減し、平成17(2005)年に開業当時と同じ現在の駅名に改称しました。中日球場、ナゴヤ球場の時代、いずれもドラゴンズの試合を見に来たことがあり、かなり懐かしい駅です。ナゴヤ球場は、中日ドラゴンズ二軍の本拠地球場および練習場となっています。ホームから南西に見えますが、一軍の本拠地だった頃とはかなり変貌してしまっています。

Img_7180c_20200111172001 Img_7187c_20200111172001  名古屋でのJRさわやかウォーキングは、いつも大混雑ですが、今日は、名鉄のハイキングとの共同開催ということもあってか、狭い山王駅の改札前は大混雑でした。受付を済ませ、スタートしたのは、9時33分。駅の目の前が信号というのも、混雑に拍車をかける要因。今日は、気温はさほど上がりませんでしたが(名古屋で12.1℃)、風もなく、暖かいというより、少々暑いくらい。汗を掻きました。

200111jrwalkingsannou  左は、配布されたコースマップ。右は、実際に歩いたルートマップです。山王駅をスタートして松重閘門200111jrwalkingsannou0 へ。その後は、堀川沿いをずっと歩いて、名古屋国際会議場に行きます。「あいち・なごや生物多様性EXPO」が、今日・明日と開催されています。ついで、白鳥庭園、白鳥公園を経て、宮の渡し跡へ。個人的には、ここ宮の渡し跡へ行くのが目的で参加しています。その後は、秋葉山円通寺がゴール。オプションコースとして、熱田神宮に参拝しますが、宝物館が割引料金で入れることになっています。熱田さん参拝のついでに、宝物館も観てこようと思って出かけました。帰りは、名鉄神宮前駅から電車に乗るつもり。

Img_7192c_20200111172801  スタートして、北へ。名古屋駅方向です。中川運河に突き当たって右折し、松重閘門に向かいます。歩き始めImg_7218c_20200111172801 てすぐの写真が左のもの。名古屋駅前の高層ビル群が遠くに見えています。スタートして500mほどで松重閘門に到着。去年(令和元(2019)年9月28日のJRさわやかウォーキングでも来ています(20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(予告編))。中川運河が開削されたとき、堀川とを結ぶためにつくられたもの(昭和5(1930)年(供用開始は、翌年)。両河川は水位が2メートルほど違ったそうです。東西長さ90mの水路の両端に高さ約20mの塔が2棟ずつあり、一対の塔をつなぐ橋に吊られた40トンの鉄板を上げ下げしました。塔の内部には鋼板を動かすのに使う錘が入っています。日本の閘門では、扉式が多いそうですが、このように両側に塔を建設するやり方は珍しいとされます。

Img_7266c_20200111174701  松重閘門のところの南北橋をわたって、堀川の左岸に出て、ずっと南下していきます。その距離2.3㎞あまり。立ち寄る所はImg_7287c ありませんが、私は、堀川にかかる橋を眺めながら歩いてきました。古い橋は、親柱や照明が凝ったデザインで楽しめるのです。右の写真は、住吉橋。昭和12(1937)年にかけられています。左は、JRAのウィンズ名古屋の東にかかる鉄道橋(スタートから1.8㎞)。JR東海道線、中央線、名鉄名古屋本線が並んでいます。ちょうど、中央線の特急しなのが通過して行きました。

Img_7311c_20200111175301  歩き始めて3㎞を過ぎた所で旗屋橋を渡って、名古屋国際会議場に向かいます。ここで、「名鉄のハイキング×さわやかウォImg_7313c_20200111175301 ーキング 2020.1.11共同開催記念」のカードが配布されました。裏に番号が記されていて、名鉄のハイキングゴール受付で抽選会があるのです。

Img_7317c  名古屋国際会議場には、10時半に到着。スタートからは3.3㎞。ここは、学会でも何度か来Img_7327c_20200111175601 ましたし、前職の時代には、入学式・卒業式が行われたところ。さらには、ポンキッキや、ユーミンなどのコンサートでもたびたび来ています。

Img_7331c_20200111175601  懐かしかったので、ちょっと中に入って、ロビーあたりを一回り。さらには、一休みしてきました(微笑)。ちなみに、「あいち・なごや生物多様性EXPO」は、スルー(苦笑)。前職の時、評議員をしていた時期がありましたので、入学式・卒業式では、舞台の上でセレモニーに参列したことがあります。好き好んでではありません(笑)。立場上の役目として。その頃は、冗談半分に「いらないことと居眠りをしないで、おとなしく座っているのが仕事」といっていました。

Img_7351c  名古屋国際会議場を過ぎると、白鳥公園。このあたりは昔は貯木場(白鳥貯木場)と国鉄白鳥駅でした。平成元(1989)年Img_7395c のデザイン博の時はその会場となっています。昭和58(1983)年から平成3(1991)年までかけて整備した白鳥庭園が、公園の中心です。白鳥庭園は、去年9月のJRさわやかウォーキングで訪ねましたので(20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(予告編))、今回は、パス。

Img_7353c_20200111180701  白鳥庭園に行く途中にある旧・白鳥貯木場の「太夫堀 中水門」あたりにはユリカモメが並んでいました。9月に予想したとImg_7368c おり(微笑)。通り過ぎてから振り返ると、餌をやる人があったようで、大騒ぎになったりしていました。また、カモもたくさんいました。キンクロハジロが多かったのですが、ホシハジロや、ハシビロガモもいましたし、カルガモの姿もありました。

Img_7424c_20200111181001  堀川沿いをさらに下り、白鳥橋の下を潜って、宮の渡し跡に向かいます。左の写真は、白鳥橋より1つ下流にある大瀬古橋から上流方向を振り返ったもの。堀川に浮かんでいるのは、ユリカモメと、セグロカモメ。水があって、広々とした空間は、私の好み(微笑)。

Img_7458c_20200111181001  宮の渡し跡には、11時20分に到着。スタートから5.7㎞ほど。前からずっと、一度は来てみたいと思っていたところです。宮の渡しは、いうまImg_7446c_20200111181601 でもなく、東海道五十三次のうち41番目の宿場である宮宿にあった渡し場。42番目の宿場である桑名宿に行くには、船で海路を行かねばなりませんでした。その距離は当時の単位で七里。そのため「七里の渡し」と呼ばれていたのです。宮の宿は、東海道最大の宿場で、たくさんの人で栄えました。

Img_7475c  今は、ここには当時の常夜燈や時の鐘、船着場などが復元され、「宮の渡し公園」となっています。左はその常夜燈。常夜燈Img_7488c は、寛永2(1625)年、犬山城主である成瀬正房が熱田須賀浦太子堂(聖徳寺)の隣地に建立したものの、風害で破損。承応3(1654)年からは、現在の位置で宮の渡しの安全を見守ることとなりました。しかし、またしても火事で焼失。ほどなくして再建されたもののすぐに荒廃。昭和30(1955)年になってやっと当時とほぼ同じ位置に復元されました。右は、時の鐘。こちらは、延宝4(1676)年、尾張藩主・徳川光友の命によって作られたもので、熱田の住民や東海道をゆく旅人に時刻を知らせる役目を担いました。江戸時代に使われていた鐘は、今も蔵福寺に保管されているそうです。昭和58(1983)年に宮の渡し公園内に復元されました。

Img_7460c  この写真の先が海。昔の東海道の旅は、ここから船に乗って、海上七里を桑名に向かったのです(こちら)。満潮時には、陸地沿いの航路が約7里(27㎞)で、干潮の時には、沖を廻る航路となり、こちらは約10里(39㎞)だったといいます。所要は、3時間から4時間と推定されています。渡し賃は、正徳元(1711)年の規定では乗合船一人当り、宮~桑名は45文(1,125円)であったといいます(換算にあたっては、1両=米180㎏=100,000円とみなし、「keisan 生活や実務に役立つ高精度計算サイト」によりました)。

Img_7468c  ちなみに、ここの桟橋にもユリカモメが集まって、船を待っていました(微笑)。というわけはありませんが、ユリカモメがImg_7502c 集まっていたのは、事実。宮の渡し跡では、15分かけてあちこち見て回り、海を眺め、堪能してきました。次は、七里の渡しを船で渡ってみたいと思っています。

Img_7550c_20200111184001  11時35分に七里の渡し跡をでて、ゴールに向かいます。途中、伝馬町交差点を通過。「伝馬」は、江戸時代、街道の宿駅に常備され、公用の人や荷物の継ぎ送りにあたった馬をいいます。渡し場&宿場の近くにあるはず。桑名でも伝馬町という地名があるのですが、それは、七里の渡し跡からは1.7㎞ほど行ったところ。ちょっと離れている気がします。

Img_7568c Img_7580c_20200111185001  ゴールは、秋葉山円通寺。曹洞宗の寺院。山号は補陀山(ほださん)。ご本尊は釈迦如来。一般には秋葉山円通寺(あきはさんえんつうじ)などの呼び名で知られています。予習をしていきませんでしたので、お堂が二つある!?など、今ひとつよく分からなかったのですが、始まりは尾張国の豪族であった尾張氏が熱田社に神宮寺として建立したものとされます。弘仁年間(810~824年)に当地を訪れた空海がこの地に小宇を築いて、自ら彫った十一面観音像を安置したと伝わっています。宝暦7(1757)年に伽藍の大造営が行われましたが、明治24(1891)年の濃尾地震で全壊。明治40(1907)年に本堂が建て直されるなどしたものの、これらは昭和20(1945)年の名古屋大空襲によって焼失、戦後に再建されました。寺が開かれて多くの修行僧が集まった中に、一人の僧に姿を変えた秋葉三尺坊がおり、長年の修行を経て永享年間(1429~1441年)、ついに鎮防火燭の秘法を得たといいます。喜びのあまり本当の姿を見せた三尺坊は寺の守護を誓したと伝わり、これに由来して、秋葉三尺坊大権現や羽休の秋葉などの通称で呼ばれています。

Img_7553c  JRさわやかウォーキングのゴールは、寺の南側に設けられていました。ゴールに着いたのは、11時50分。ここまでで歩いたImg_7558c のは、6.8㎞(円通寺は、ゴールしてからお参りしました)。完歩記念のパネルも、撮影しました(微笑)。ゴール受付は、けっこうな賑わい。名古屋でのJRさわやかウォーキングは、参加者が半端ありません。途中でもらった抽選カードの番号は、03136でしたから。

Img_7564c  その抽選カードは、名鉄のハイキングのゴール受付でチェック。残念ながら、「円通寺賞」Img_7566c ということで、「ともしび 秋葉総本山熱田秋葉山 神佛用マッチ」が当選。名鉄のハイキングの完歩券もいただきました。

Img_7642c  マッチは、ご覧のようなもの。「守護 鎮防火燭」とあります。秋葉山のImg_7590c ものですから、火除けに霊験があるかも知れません。一人暮らしをしている家内の母に進呈しようかと思っています。受付を済ませてから、拝殿にお参りしてきました。

Img_7591c  これでゴールはしました。熱田神宮は、オプションコースになっていましたが、ここまで来Img_7628c_20200111195101 て素通りはできません。地元で初詣は済ませていましたが、せっかくの機会ですから、熱田さんにもお参り。東門から入り、本宮拝殿へ直行しますが、人出と、露店の多さには驚きました。

Img_7599c_20200111195101  本宮拝殿前は、このようになっていました。賽銭箱ではなく、賽銭投げ入れ広場という感じ。大賑わいですから、幅広いとImg_7603c_20200111195701 ころからお参りできるようにということでしょう。テレビなどでは、こういう場面を見たことがありましたが、実際にこの目で見るのは初めて。お神籤、お守り、破魔矢などを授与してもらう方多数。私は、よほどのことがなければ、そういうものはいただかなくなっています。

Img_7624c_20200111195101  お参りを済ませたら、宝物館へ、これまた直行。元旦から1月28日まで「日本書紀撰上 一三〇〇年 新春Img_7626c_20200111195101 特別展日本書紀の世界~熱田本日本書紀と共に ~」という展覧会を見てきました。熱田神宮は、14世紀の写本の「日本書紀」を所蔵しています(重要文化財)。巻第十一を欠いていますが、巻第一を上下に分け、巻第十五までの15巻が現存しているそうです。これらを見てきたという次第。

Img_7605c  宝物館を出て少し行ったところに熱田神宮会館が、出店を出していて、きよめ餅と宮きしめんを土産に売っImg_7606c ていました。きよめ餅は、年末にも買ってきましたが、宮きしめんは食べ損なっています(2019年12月15日:20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(予告編))。迷わず、宮きしめんを買ってきました。しょうゆ味、半生、三人前で¥1,080。本当は、お店で食べたいところですが、熱田神宮内の宮きしめんの店は、超長蛇の列でした。熱田神宮には12時10分頃着いて、13時10分まで滞在。

Img_7630c  帰りは、当初の予定通り、名鉄名古屋本線神宮前駅から電車に乗ることにしました。ここまででトータル8.4㎞を歩いてきました。改札口に着いたのは、13時13分。13時15分に新鵜沼行きの快速特急があり、それに乗車。名鉄名古屋駅には13時22分着。¥230。近鉄に乗り換え。13時41分の五十鈴川行き急行で、桑名到着は14時1分、¥450。

Img_7647c_20200111195101  ALKOOのデータ。19,415歩を歩きました。歩いた距離は、JRさわやかウォーキングで8.4㎞、自宅から桑Img_7651c 名駅往復が1.8㎞ですから、合計10.2㎞。新年初のウォーキングとしては、まあまあでしょう。

 さて、明日は、近鉄ハイキング「高田本山専修寺「お七夜」と寺内町散策」に行ってきます。このコースは、2年前(2018年1月11日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その1)……勝久寺、大乃巳所神社、魚歳食品など)にも歩いていますが、高田本山専修寺は、お気に入りのお寺ですし、現在、お七夜が行われています。お七夜は、いわゆる報恩講。親鸞聖人の命日のお勤め。1週間にわたって行われます。また、ここには、家内の父親のお骨が納めてありますから、納骨堂にお参りしてこようと思っています。天気予報は、曇りですので、無事に行けそうです。御非時をいただきたいのと、時間がうまく合えば(10時と13時の2回)、本山のお庭、雲幽園にある安楽庵の見学をしてきたいと思っています。

2020年1月10日 (金)

天気晴朗なれど、証拠写真ばかり(苦笑)

Img_7103c  朝、藤原岳の上の方は白くなっていたものの、最低気温は6.0℃でした。今シーズン、鈴鹿の山には雪が積もりますが、多度山Img_7109c_20200110170701 にはまだ雪は降っていません。「多度山に雪が積もるのを期待しているのか?」と聞かれると、YES!と答えなくてはなりません。なぜかというと、多度山に雪が降ると、散歩コースあたりに小型の野鳥が増えるからです。昔から鳥見をしている方々も、「多度山にどかんと雪が降ると、鳥が増えるんだけどなぁ」とおっしゃいます。

Img_7115c_20200110170701  判で押したように(苦笑)、散歩をしてきました。8時10分スタート、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と、書くまでもありません(苦笑)。11時過ぎまで3時間ほどかけて、6.1㎞を歩きました。同じところを歩いていて退屈しないのか? といわれそうですが、格好良くいえば、「定点観測」をしているから少なくとも苦痛ではありません。「今日は、何がいるか?」と楽しみにしていくのです。散歩友達は、冬になってあまり出てこなくなりましたが、それでも、私よりはるかに年長の方でも、毎日、九華公園を歩いている方もありますから、負けられません。写真は、七里の渡し跡。パターンをちょっと変えて、蟠龍櫓の方向から撮りました。旧東海道は、伊勢一の鳥居から向かって左手に進みます。白い建物は、旧脇本陣に立つ旅館・山月。残念ながら、営業はかなり以前からしていません。

Img_4371c  住吉入江には、ホシハジロのオスとオオバンが1羽ずつ。最近、住吉キンクロウズは、拙宅前のところまでは来ません。住吉水門の内側にヒドリガモのオスが2羽とメスが3羽、キンクロハジロが2羽。だいたいいつものメンバーです。ここ何日か、水門の外側にカモが集まっています。今日は、総勢50羽くらい。ヒドリガモ、コガモ、キンクロハジロ、スズガモなど。昨日いたオカヨシガモの姿はありません。ユリカモメが、揖斐川の上を1羽、飛んでいます。船津屋の裏手では、ツグミやウグイスの鳴き声も聞こえました。七里の渡し跡にも、コガモやキンクロハジロ、オオバン、ヒドリガモがいます。

Img_7120c_20200110170701  三の丸公園でシメ。この頃時々、このあたりのソメイヨシノの木にやって来ています。しかし、地面に降りてエサを拾うシーンはこのあたりでは見られません。散歩友達のYさんに会って、九華公園その他での野鳥情報を交換。この頃、夕方も散歩をなさるそうですが、暗くなってから、九華公園野球場脇にある、揖斐川からの導水路のところにアオサギが必ずといってよいほどいるそうです。しかも、近づいても逃げないとか。ただ、18時半過ぎで、我が家では夕食の時間。行ってみたい気もしますが、「こんな時間からいったい何をしに行くの?」と問い詰められそう(苦笑)。

Img_4376c_20200110170701  その九華公園。アオサギさんはいつものところにいましたが、こんな風。昨日もそうでしたが、テンションが上がらないのImg_4405c_20200110170701 か、すでに一働きして、お疲れなのか? 声をかけても顔は上げません。ユリカモメ、今日は、管理事務所脇の電柱にたむろしていました。その数13羽。この近くでエサを与えた人がいるのでしょう。

Img_7123c  カモたち。堀のあちこちに分散しています。合計66羽。ハシビロガモがオス6羽、メス4Img_4382c 羽、ヒドリガモはオス、メスとも2羽ずつ、ホシハジロはオスが1羽(メスは、柿安コミュニティパーク西の堀に1羽いました)、他はキンクロハジロ。オオバンもたいてい2羽がいます。カルガモは1羽。

Img_4385c  小型の野鳥は、今日も少なくて、残念。しかも、証拠写真ばかり。ジョウビタキのオス(左Img_4415c の写真)は、管理事務所で管理人Kさんと話していたら出て来ました。ツグミは、奥平屋敷跡の入り口にて。

Img_7138c_20200110170701  モズは、本丸跡にやって来たのものの、これまた枝被りの写真しか撮れず仕舞い。他は、ヒヨドリ(しかし、最近、ヒヨドリも一頃ほどたくさんはいなくなっています)、ドバト、キジバト、ハクセキレイ、メジロ、シジュウカラ、スズメくらい。ヤマガラは今シーズンまったく見ていません。ツグミ、シメ、ジョウビタキ、モズも少ないのです。

Img_7126c  散歩友達のOさんご夫婦と年が変わって始めてお目にかかり、しばししゃべっていました。ご主人87歳、奥様79歳にして、ほぼ毎日散歩に来られます。「新春開運写真セット」(初日の出、赤須賀の大漁旗及び辰水神社のジャンボ干支の3枚セット)を謹呈。毎年、年始に、他の散歩友達の方にも「新年の挨拶代わり」と称して差し上げて(いや、正しくは、押しつけて)います。中には、リビングなどに飾ってくださる、奇特な方もいらっしゃいます(微笑)。

Img_4419c_20200110170701  貝塚公園に回ったものの、時刻はすでに10時半を過ぎて、割と静か。カワラヒワ、ヒヨドリくらい。それでもと思って一回り。シロハラは1羽いました。木陰の、だいたい決まった所にいます。多い年は複数来るのですが、今年はまだ1羽しか確認していません。

Img_4425c_20200110170701  住吉入江まで戻って来たら、ジョウビタキのオス。これもタイミングがうまく合わず、日陰に入ってしまっImg_4430c_20200110170701 た所しか撮れません。今日は、鳥の写真にはあまり恵まれませんねぇと思っていたら、上空をミサゴが通過。最後にちょっとご褒美をもらったか、という感じ。

Img_7143c  明日は、名古屋でJRさわやかウォーキング。名鉄ハイキングとの共同企画で「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」があります(リンクは、明日、ウォーキング終了まで有効)。名鉄名古屋本線山王駅(昔のナゴヤ球場前駅、さらにその前は中日球場前駅。ただし、もともとは山王駅として開業しています)から、松重閘門、堀川沿い、名古屋国際会議場(あいち・なごや生物多様性EXPO開催)、白鳥庭園、白鳥公園から宮の渡し跡を経て秋葉山円通寺がゴール。熱田神宮宝物館にも割引で入館できるという企画。松重閘門や堀川沿いは去年訪ねています。個人的には、宮の渡し跡に是非行きたいと思っていますので、そのために参加しようと考えています。熱田神宮の宝物館も見てみたいですねぇ。日曜は、近鉄ハイキング「高田本山専修寺「お七夜」と寺内町散策」へ行こうと計画し、お七夜でいただける「御非時券」ももらったのですが、天気が怪しそう。

2020年1月 9日 (木)

住吉水門にオカヨシガモのオスとスズガモ

Img_7093c_20200109171201  昨日ほどではありませんが、気温も上がり(13.6℃)、風は思ったほど強くはなく、散歩日和でした。朝一番に用事を済ませ、8時半から11時頃にかけて、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町商店街と6.1㎞を歩いてきました。我ながらワンパターンもいいところとは思うのですが、今日は風が強くなるというので、遠征したかったのを我慢したという次第。

Img_7036c_20200109171201  用事を済ませ、外に借りている駐車場にクルマを戻して、諸戸氏庭園前に来たら、近くの諸戸苑にお住まいの鳥好Img_7038c_20200109171201 きの知人と遭遇。「最近、鎮国さんに鳥はいないなぁ」という話をしていたら、西の空にアオサギ登場。見に行ったら、諸戸氏庭園の御殿西にある松の大木に止まっていました。かなり以前は、諸戸氏庭園にアオサギがいるのを見ましたが、久しぶりでした。諸戸氏庭園には、ほかにツグミも。また、このとき、拙宅マンションの庭にある木には、メジロが数羽やってきていました。

Img_7049c_20200109171201  住吉神社まで行って、揖斐川を眺めたものの、今日も鳥影は少なし。カンムリカイツブリが浮いているのが見えるくらい。住吉水門を覗いてみると、珍しいことにオカヨシガモのオスが1羽。私のいつもの散歩コースではほとんど見たことがありません。町屋川では何度か見ています。オカヨシガモは、この1羽のみでした。なんとなく上品な印象があります。

Img_7055c  オカヨシガモのあたりにはコガモがいたのですが、よくよく見ると、スズガモの姿も見えました。キンクロハジロに似てはいますが、頭には緑の光沢があり、いささかデコっぱち。スズガモ、以前は九華公園でも少しは見ましたが、この頃は見なくなっています。

Img_4337c_20200109175201  七里の渡し跡には、オオバン、キンクロハジロ、コガモなどがいましたが、ツグミやジョウImg_7080c_20200109171201 ビタキなどは見えません。九華公園では、アオサギ(左の写真)、ゴイサギ、ホシゴイ(右の写真)が1羽ずついたのですが、いずれもお休み中。天気がよくてもテンションは上がらないようです(苦笑)。

Img_4364c  カモは、75とまたやや増えていました。ヒドリガモのオス、メスが2羽ずつ、ハシビロガモはオス6羽、メスImg_4363c_20200109175401 5羽、ほかはキンクロハジロ。今日は、ホシハジロはいませんでした。ユリカモメは、15羽。今日は、えさをやる人が2組ほどあり、カモも、ユリカモメもその間は大騒ぎ。このほかは、カワラヒワ、ヒヨドリ、ハクセキレイがいたくらいで、今日は、ツグミも、ジョウビタキも、シメもおらず。貝塚公園でも同様。

Img_7091c_20200109171201  寺町商店街で、こちらのポスターを発見。NHKのBS3の人気番組「にっぽん縦断こころ旅」が、どうやら桑名でロケをするようです。「桑名のこころの風景のお便り募集」とあり、桑名フィルムコミッションの名前があります。フィルムコミッションが関わっているとすれば、桑名が登場するのはたぶん間違いなし。気になりますねぇ。「お前には、桑名でこころの風景はないのか?」といわれそうですが、ウ~ン。「こころ旅」、この春は、三重県をスタートして、北上。放送は、3月30日から。ということは、その2週間くらい前にロケがある? ロケの方も気になります。

Img_7084c_20200109171301  今日は、早くに目が覚めましたので(最近、割とよくあります)、朝から、昨日の江戸橋での授業のQ&Aを書き始めました。散歩などで中断し、午後から仕上げてメールで助手の先生に送りました。授業も残り1回+試験。無事に終えたいと思っています。

 

2020年1月 8日 (水)

今年初の江戸橋での仕事は豪雨のち晴れ……今年の桑名水郷花火大会は11月下旬開催

Dscn2590c  水曜日、今年最初の江戸橋での仕事の日です。朝出かけるときには、ちょうど寒冷前線が通過するのに伴って、ひどい雨。昨年連休前から続いた「晴れ男」も、ついに運が尽きたかと思いました。が、非常勤先に着く頃には、雨も上がり、風が強くなってきたものの、上天気となりました。まだ、運を使い果たしたわけではなさそうです(微笑)。正月明けということもあってか、あるいは、インフルエンザが流行しているせいなのか、出席率はまたもや80%を切り、しかも、遅刻する学生もかなりありました。試験も近いので、心配になります。授業は来週1回、再来週は試験。

Dscn2598c  さて、強風でしたので、どうかとは思ったのですが、今日も道草をしてきました。授業が終わって江戸橋駅に向かうときも、天Dscn2601c 気はよかったものの、風はかなり強く、迷ったのですが、川を覗くだけでもと思ったのです。津のアメダスを見ると、お昼頃には、10m/sの風が吹いていました。川沿いですから、よりいっそう強い風に感じます。いつものように、おぼろタオルさんの工場脇から、堤防に出てみました。遠くには、ユリカモメらしき姿や、カモも見えました。

Dscn2599c  堤防に出たところのすぐ下には、オナガガモのペア。下流側の堤防下のところに上がって休んでいるオナガガモもたくさんいまDscn2608c すし、対岸に近いあたりを泳いでいるのも見えます。イヤしかし、風が強すぎます。早々に撤退。5分もいないで、江戸橋駅に向かいました。

Dscn2609c  ところで、今日は、12月11日に実施した授業評価の結果をいただいてきました。わかりやすさ、話し方、知的刺激、教員の熱意など10項目について6段階評定で評価した上で、総合評価についても6段階評定を求めています。幸い、個別の10項目の平均点数は5.33~5.74、総合評価は5.62でした。概ね好評といってよいかと思います。1、2という評点は皆無で、5、6という評点が88.1~100%。写真は、帰宅途中、我が家近くのお宅に咲いていたロウバイ。甘い香りが漂っています。

200108chuunichi  余談ではあるものの、重要な情報(微笑)。今年の桑名水郷花火大会は、11月下旬に開催されるというニュースが、今朝の中日新聞に載っていました。昨年から、一部では噂を聞いていたのですが、例年通り7月下旬の開催は、東京オリンピック・パラリンピックと重なり、警備員の確保が難しいため、11月下旬に変更して開催するという方針を市長が年頭の記者会見で発表したということです。一昨年(平成30(2018)年)、台風の影響で11月下旬に延期されたことがありました。

2020年1月 7日 (火)

昼前から本格的な雨

Img_7023c  昼前から本格的に降ってきました。まさに冷たい雨で、気温も6.5℃止まり。朝は、まだ大丈夫そうでしたので、降ってくる前に歩いてこようと、8時20分に散歩に出たものの、九華公園にいる頃から時雨れてきて、止みそうもありませんでしたので、引き返してきました。一応、住吉神社から九華公園を半周したところで、戻り、住吉入江から寺町商店街を回って帰宅。5.5㎞。濡れるというほどではありませんでした。

Img_6956c  こんな天気では、鳥もいません。住吉入江にはオオバンが2羽、揖斐川には鳥影なし。三の丸公園まで来て、ようやくムクドリがセンダンの実を啄んでいる様子が見られたくらい。柿安コミュニティパークでは、ハクセキレイが2羽、西側の堀にキンクロハジロが10羽。

Img_6966c_20200107154001  九華公園では、アオサギがいたものの、ローテンションらしい。いつもなら声をかけると、顔を上げるのですが、今日は反応なし(苦笑)。ゴイサギや、ホシゴイは見当たりません。

Img_6970c  カモは、70羽とやや多め。ハシビロガモはオス・メスとも5羽、ホシハジロはいつもはオス1Img_6973c 羽のみですが、今日はメスもいました(右の写真)。ヒドリガモは、オス1羽、メス2羽。ユリカモメは、23羽が野球場の外野フェンスにいました。

Img_7008c_20200107154001  時雨れてきましたので、帰ろうと思い、北門近くまで来たら、モズが出て来ました。ここまでほとんど成果がありませんでしたので、ちょっと粘って撮って来ました。メスのモズ。

Img_7014c  揖斐川沿いに出たら、時雨も止んできたので、住吉入江の南側を周り、寺町まで往復することにしました。これが、幸運を呼び、ジョウビタキのオスに遭遇。住吉ポンプ場の近くです。

 明日は、年明け最初の江戸橋での仕事。残りは、明日を含めて3回。ようやくゴールが見えてきました。雨は朝方で上がりそうです。

2020年1月 6日 (月)

シメがようやく地上に降り始めました……通常の生活に戻しつつあります

Img_6946c  世間では仕事始め。私は、昨日、「勉強初め」を済ませましたので、通常通りの生活に戻すべき日(微笑)。朝は0.4℃と冷えましたが、昼過ぎまでは晴れて、暖かい感じでした。8時10分から散歩に出たのですが、帰宅したのは,11時半近く(苦笑)。歩いたのは、5.7㎞とさほどたくさん歩いたわけではありません。時々ありますが、「口の運動」をしっかりとやって来ました(散歩友達多数に遭遇し、新年の挨拶などなど)。住吉神社、九華公園(2時間ほど滞在……爆)、貝塚公園、内堀公園、桑名宗社(春日神社)、寺町。

Img_4226c_20200106160901  朝は住吉入江にも、揖斐川にも鳥影は全くありませんでした。天気はよく、風もないので川面も穏やかなのに珍しい。拙宅前にカワラヒワ、旅館山月裏手の高水敷にハクセキレイがいたくらい。

Img_4228c_20200106155601  九華公園北門で、次々と散歩友達が集まり、私を入れて4人。30分ほど立ち話。しゃべっている間に、鎮国守国神社の社務所裏から、アオサギ1羽と、ホシゴイ2羽が次々と飛び立って行きました。9時過ぎにようやく再び歩き始めて、見に行ったらゴイサギが1羽のみ。

Img_6899c_20200106155601  奥平屋敷跡では、まずは、ジョウビタキのオス。超望遠コンデジで65倍ズーム(1,365mm)、ノートリミングの画像。明るいと本当にきれいに撮れます。ジョウビタキも,しばらく近くを移動して、遊んでもらった感じ。

Img_6902c  奥平屋敷跡への入り口にある花菖蒲園で、ツグミと、シメが1羽ずつ。割りとImg_6904c 近くに降りてきていました。これも超望遠コンデジで撮ったのですが、やや日陰であまりきれいには撮れませんでした。シメが地面に降りているのは、今シーズン初めて見ました。

Img_6908c  このシメさん、私がちょっと動いたら、樹上に逃げてしまいました。枝が込み入っているところに逃げられたのですが、しばらく見ていたら、けっこう楽しませてくれました。なかなか剽軽なのです。

Img_6915c_20200106155601  カモやユリカモメは、今日は、吉之丸堀の東エリアに集まっていました。こちらで餌をやった人があるためImg_4297c だろうと思われます。カモは、合計64羽。ハシビロガモがオス、メスとも5羽ずつ、ヒドリガモはオス1羽、メス2羽、ホシハジロはオス1羽。他はキンクロハジロ。ユリカモメは、49羽でした。

Img_6920c  本丸跡では、シメが地面に降りていました。奥平屋敷跡にいたシメとは別であろうと思います。というのも、この直前、二の丸跡でシメが本丸跡の方へ飛ぶのを見ていたからです。散歩友達の中には、鳥見をなさる方が複数あるのですが、どういうわけか女性に人気です。男性の方はあまりおっしゃらないのですが、女性お二人は、いつも「シメを見たい!」といわれます。本丸跡でさらに2度に渡って、別々の散歩友達と遭遇し、またもや立ち話(苦笑)。九華公園にいた時間の半分はしゃべっていました。貝塚公園にたどり着いたのは、10時半過ぎ。ヒヨドリ、カワラヒワくらいしかいません。シロハラも見当たらず。 

Img_4268c_20200106155701  公園内を半周した後、いつも鎮国守国神社の社務所裏をもう一度見に行きます。ゴイサギは姿を消し、ホシゴイが1羽、戻っImg_4278c て来ました。相撲場近くにサザンカが2~3本あります。そこには、メジロの群れ。賑やかで、ちょこまか動きますので、これを撮るのはなかなか難しい。アクロバットのような体勢で蜜を吸おうとしますので、楽しめます。このあと、貝塚公園に行ったものの、ヒヨドリ、カワラヒワくらい。10時半を回っていましたので、もう活動時間が過ぎたのでしょう。

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 その後、桑名宗社(春日神社)へ。正月の三が日の間にも近くは通ったものの、混雑が嫌でしたから、まだお参りはしていませんでした。さすがに今日は、一般の初詣客は少なかったのですが、仕事始めの企業が団体でお参りしていました。駐車場に、市内の某社の車が多数止まっていました。交通安全のお祓いも受けるのかも知れません。鎮国守国神社でも会社でお参り、お祓いを受けるというのが、何組かあるそうです。

Img_6935c  桑名宗社は、まだ、正月用の飾りがしてありましたし、古い御札を納めるところには、係の方がいらして受付をしておられまImg_6939c_20200106155701 した。正月気分がちょっと残っている、という感じ。これで、住吉神社、鎮国守国神社、桑名別院本統寺とここ桑名宗社と、いつも正月にお参りするところはコンプリート。ただ、本当の氏神様である、北桑名神社には詣でていません。なるべく早い内に行ってこなくては。

Img_6922c  さて、通常通りの生活に戻しつつあります。いただいた年賀状をチェックして、返事を差し上げるものの準備をしています。また、昨日の三重K-ABCアセスメント研究会での大六先生の講演は、復習を始めるべく、まずは、配付資料をスキャナで取り込んでpdfにする作業に取りかかっています。この作業、手間はかかりますが、時間をかければやれますので、その意味では楽。大六先生のご講演は、自分なりに組み直し、口頭で説明されたことも含めて、ここ数年の内容を整理、統合して、私家版「WISC-Ⅳの理論と活用」という冊子をつくっています。整理していくのは、かなりのブレインワークで大変です。大六先生のお話は、毎年内容がバージョンアップされ、文献なども含めて追加がありますので、それらを整理し、まとめて私家版資料に反映させるのには、労力も時間もかかります。しかし、これを行うと、よく理解できますし、まとめ直しておくと、自分が相談を受けるときにとても役に立つのです。最後の写真、鎮国守国神社の境内でのスナップ。

2020年1月 5日 (日)

勉強始め……三重K-ABCアセスメント研究会で大六先生の講演を拝聴

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 正月5日、寒い日でした。桑名では最高気温は8.5℃、風は最高5.8m/s。朝出がけに見たら、藤原岳はご覧のように冠雪。ここまで白くなったのは、この冬初めてと思います。 今日は、新年恒例の三重K-ABCアセスメント研究会。日本版WISC-Ⅳの著者のお一人でいらっしゃる大六一志先生をお招きしての「WISC-Ⅳの理論と活用」についての特別講演会。今年で第8回となりました。8回目ですが、私はたぶん、平成27(2015)年から参加しています。ここ数年は、「大六先生のお話を伺って、新たな1年がスタートする」となっています。参加された先生方の中には、私のこの個人的見解にうなずいてくださる方も、何名かいらっしゃいました。

Dscn2501c  最近は、なるべく公共交通機関を利用して出かけるようになっています。家内から、「車で遠出はしないように」というお達しDscn2503c が出ていることもあります。私自身は、大丈夫だと思っているのですが、客観的に見ると、運転がアブナイ年齢になってきているのかも知れませんので、この頃は素直にしたがうようにしています。そうしている理由のもう一つは、散歩代わりになるべく歩いた方がよいという判断もあるからです。今日も、昨年と同様に、桑名駅を7時52分に出る近鉄宇治山田行き急行に乗車、津まで。津には、8時31分に到着。8時47分発の伊勢鉄道・四日市行きに乗り換えて、河芸駅には8時55分に到着。近鉄が¥700、伊勢鉄道は¥220。毎度毎度書いていますから、「耳タコ」という方も多いかとは思いますが、伊勢鉄道は私の好みの鉄道。

Dscn2507c  去年も書いたのですが、第三セクターなのに黒字なのです。元は、昭和48(1973)年9月1日に国鉄伊勢線として開業、昭和Dscn2516c 61(1986)年に第三セクター鉄道への転換が決定し、昭和62(1987)年3月27日に伊勢鉄道となっています。現在は、伊勢鉄道の普通列車の他、JRの特急「南紀」や快速「みえ」がここを経由して名古屋と鳥羽・新宮方面の間に運転されています。そのためもあって、列車も4両しかありませんが、きれいな車両です(イセIII形)。ちなみに、津駅でいったん下車して購入した乗車券は、今はほとんど使われなくなった硬券で、これも魅力。

Dscn2530c  JR紀勢線・津駅から、JR関西線・四日市駅までが営業区間。津~河芸間は、この三重K-ABCアセスメント研究会のために年Dscn2537c に2~3回は利用します。全線を1回で通して利用したことはありませんが、何年か前、三重K-ABCアセスメント研究会の帰りに、河芸から四日市まで乗車し、さらにJR関西線に乗り継いで桑名に帰ったことが一度だけあります。右の写真は、河芸駅。何もありません(飲料自販機はあります)。何もないのがよいこともあります(微笑)。

Dscn2549c  さて、会場は、津市河芸公民館。受付開始の9時に到着したのに、すでにたくさんの方が並んでいました。並んだのですが、幹事のSさんのお気遣いで、受付はブッチさせていただきました(他の方には申し訳ないのですが、この研究会のスーパーヴァイザーという立場を利用しました m(_ _)m )。大六先生の講演会は、毎回大盛況。参加できない方も多数いらっしゃいます。これはひとえに会場のキャパシティがその理由。

Dscn2546c_20200105193201  今回は、「WISC-Ⅳの理論と活用Ⅷーつまずきの要因の理解と対応の提案ー」というテーマでした。大六先生のご講演内容は、毎回バージョンアップされていますし、パワポの配付資料も、分量が増加しています。見倣わないといけないと、その都度思いますが、これはなかなか至難の業。今回は、「発達障害の疑似体験 なぜ聞き漏らす?」という演習も含まれていました。休憩を挟みつつ、午前2時間半、午後2時間半、しっかり学んできました。これまた恒例になっていますが、復習をして、独自の読み解き資料をバージョンアップしようと思っています。

Dscn2552c  帰りは、近鉄豊津上野駅から近鉄で帰ることにしました。津市立朝陽中学校の南から、国道23号線を経て豊津上野駅まで徒歩。いささか風もあって寒かったのですが、朝陽中学校の南にある池で、キンクロハジロのメス2羽を発見。お陰様で、バードウォッチングは、どこでも楽しめる趣味(微笑)。電車に乗るため、駅まで単に歩くだけでなく、途中に楽しみがあるのです。

Dscn2558c  近鉄豊津上野駅を16時18分に発車する四日市行き普通に乗車。白子駅には16時27分に到着。しばし待って、16時39分の名古屋行き急行に乗り換え、桑名駅には17時6分に到着。¥440。これで今年も無事にスタートを切れたという感じです(微笑)。来年は、正月早々の日曜日というと、1月3日となります。さすがに、三が日はマズいということになって、令和3(2021)年は、1月10日に大六先生の講演会を予定しています。それまでに、WISC-Ⅴが刊行されるかどうか、微妙な情勢のようですが……。今週は、1月8日(水)から江戸橋での仕事が再開されます。試験を含めて、残り3回、「終末努力」をすることになります。

Dscn2572c  余談。昨年もそうでしたが、三重K-ABCアセスメント研究会の幹事のお一人、Sさん(女性)からまたもや今年も、バレンタインデーのチョコレートをいただきました。ただ、正月バージョンということで、ネズミのデザインのパッケージでした。今日は、知人多数の他、たぶん10数年ぶりにお目にかかる方(Sさん)にも遭遇。以前、私がM大学大学院教育学研究科で集中講義をしたときの受講生にして、私が東海地区K-ABC研究会の事務局長や会長をしている時に事例提供などでお世話になった方です。最近、研究会に行くとこのように、懐かしい方との出逢いが増えていますが、ありがたいことです。

 正月もこれで終わり。明日からは、通常通りの生活です。

2020年1月 4日 (土)

津市・辰水神社のジャンボ干支……金色のネズミ

Img_6676c  昨日の午後から、家内の実家に母親を送りがてら出かけて、一泊してきました。山里の戸建ての家は、寒いというのを改めて実感してきました。マンションは、本当に暖かくて助かります。実家では、墓参りや、室内の整理をしたほか、私は、普段の日課通り散歩。町内を一周して、氏神様にもお参り。4.3㎞。さらに、これは恒例行事になっていますが、津市美里町にある辰水(たつみず)神社のジャンボ干支を見てきました。

Img_6772c  まずは、その辰水神社のジャンボ干支から。金色に仕上げられたネズミは、鉄骨と発泡スチロールでつくられています。全長Img_6786c 4m、高さ3mという立派なもの。昭和61(1986)年から毎年、地元の「ふるさと愛好会」がつくって奉納しています。今年のものは、東京オリンピックを盛り上げるため、ネズミが聖火リレーのトーチを掲げています。ネズミに添えられた門松の切り口が、五輪のマークになっています。初期のジャンボ干支は、いかにも手作りという感じでしたが、最近は、相当凝ったものとなっています。私たちのように、これを目当てにお参りに来る方も多く、地域を盛り上げることにつながっています。2月一杯見られるということです。

Img_6790c  この辰水神社、私は今までお参りしたことがありませんでした。というのも、ジャンボ干支の潜門をくぐってImg_6801c から、150段ほどの階段を登っていかねばならないからなのです。しかし、今日は、お誘いして同行してくださった、家内の母の友人(御年80歳)が、「私、ちょっとお参りしてくるわ」と言い残して、スタスタと登って行ってしまったのです。「これは、いかん。負けてはならない」と思って、私もお参りしてきたという次第(苦笑)。「キョリ測」でみますと、ジャンボ干支があるあたりが標高70数m、頂上の拝殿あたりは110mくらいでしたから、40mほどの高低差。

Img_6815c_20200104211401  膝が笑うほどではなく、助かりましたが、拝殿まで行ってお参りしてきました。家内と、家内の母の分の賽銭を預かって、です。主祭神は、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと;神武天皇の父とされています)。相殿神は、多紀理毘売命をはじめ、21柱。創始は不明ですが、前身は辰の口神社といい、天文8(1539)年、大和国から家所に領主・美川守藤安、同帯刀等とともに宮司が移り、この社を崇敬し、東高倉山に遷座して氏神としたといいます。天文の兵乱に一族が滅亡したとき、社殿も破却、村里も落薄してしまいました(元亀3(1572)年)。寛永年間(1624-43)、藤堂高虎公が伊勢、伊賀の領主となったのを機に社殿復興に力を尽くしたといいます。明治42(1909)年、辰水地区内の各神社を合祀し、辰水神社と単称しました。

Img_6818c  高いところにありますので、拝殿前からの眺めも利きます。左の写真は、青山高原の方を見たもの。青山高原にある風力発電Img_6810c_20200104211401 の風車までよく見えました。また、境内には、神宮遙拝所もあります(昭和56(1981)年に建てられた、比較的新しいものでした)。

Img_6512c  ところで、散歩では、野鳥その他を見てきました。エナガは、九華公園あたりのいつもの散歩コースでは見なくなっていたのですが、久しぶりに。このほか、アオジも見ましたが、枝かぶりの写真。セグロセキレイ、シメ、カルガモなどもいました。

Img_6526c_20200104211401  地区の集会所の前には、山の神が並んでいます。家内の実家あたりでは、Img_6529c 正月7日に山の神の祭りをすると記憶しています。その準備のためと思いますが、二股になった木の枝(三ツ又になっているのもあります)が置かれていました。たぶん、男女のシンボルで、五穀豊穣を祈るものだと思いますが、もう少し調べてみたいと思っています。

 明日は、令和2年の「勉強始め」。恒例の三重K-ABCアセスメント研究会があり、日本版WISC-Ⅳの著者のお一人である、大六一志先生のご講演を聴講に行く予定です。大六先生のお話を聞いて、1年が始まるのです。

2020年1月 3日 (金)

平成31&令和元(2019)年JRさわやかウォーキング&近鉄ハイキングのまとめ

 これも去年のうちに整理して載せたかったのですが、平成31&令和元(2019)年に出かけたJRさわやかウォーキングと近鉄ハイキングのまとめです。以下、日付順にリストアップしてあります。リンクは、基本的には予告編の記事に貼ってあります(一部、1回の記事で完結していたり、予告編がなく「その1」にリンクしていたりします)。日付、参加ハイキング名、利用駅名(1駅のみのところは、その駅がスタート&ゴールになっています)、往復の電車料金がそれぞれ示してあります。近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」のデータは、昨日の記事(2019年近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り」の記録)と重複しています。

1.2019/1/26 近鉄ハイキング 「酒蔵みてある記 銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」 近鉄湯の山線伊勢松本駅~伊勢川島駅 6.9㎞ ¥770

2.2001/1/27 JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」 JR参宮線伊勢市駅 15.5㎞ ¥2,400(近鉄利用)

3.2019/2/2 近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」 近鉄名古屋線千里駅~白塚駅 8.5㎞ ¥1,180

4.2019/2/3 JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」 JR東海道線笠寺駅 7.4㎞ ¥990(帰りのみ近鉄利用)

5.2019/2/9 近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」 三岐鉄道北勢線蓮花寺駅~星川駅 7.9㎞ ¥370

6.2019/2/10 近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」 近鉄名古屋線伊勢朝日駅~川越富洲原駅 7.5㎞ ¥470

7.2019/2/16 近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒『鈿女』伊藤酒造と智積養水をたずねて」 近鉄湯の山線高角駅~桜駅 4.6㎞ ¥1,000

8.2019/3/2 近鉄ハイキング 「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」 近鉄名古屋線塩浜駅~四日市あすなろう鉄道内部駅 15.6㎞ ¥910

9.2019/3/10 近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」 近鉄名古屋線桑名駅~近鉄富田駅 11.9㎞ ¥260

10.2019/3/16 JRさわやかウォーキング「早咲きの『桜みちまつり』を抜け『旅まつり名古屋2019』」JR中央線大曽根駅~地下鉄名城線矢場町駅 11.7㎞ ¥1,090

11.2019/3/23 近鉄ハイキング「早春の海風を感じて おひなさまめぐりと海の幸」 近鉄名古屋線千代崎駅~白子駅 5.5㎞ ¥980

12.2019/3/24 近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」 近鉄名古屋線近鉄富田駅~近鉄四日市駅 7.9㎞ ¥560

13.2019/4/3 近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」 近鉄名古屋線弥富駅 12.1㎞ ¥520

14.2019/4/7 近鉄ハイキング 「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」 近鉄名古屋線鼓ヶ浦駅~鈴鹿線平田町駅 11.0㎞ ¥1,120

15.2019/4/11 近鉄ハイキング 「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」 近鉄名古屋線近鉄四日市駅~鈴鹿線鈴鹿市駅 13.0㎞ ¥790

16.2019/4/20 JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿『植木まつり』を訪ねて」 JR関西線河曲駅~加佐登駅 11.5㎞ ¥910

17.2019/4/28 近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」 近鉄名古屋線津新町駅 7.1㎞ ¥2,830(津松菱百貨店まで)

18.2019/5/4 近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」 近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅~名古屋線白子駅 9.3㎞ ¥980

19.2019/5/11 JRさわやかウォーキング「四日市港開港120周年記念 ポートビルからの展望と萬古まつりを楽しもう」 JR関西線富田浜駅~四日市駅 10.4㎞ ¥440

20.2019/5/19 近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」近鉄名古屋線津新町駅~高田本山駅 12.0㎞ ¥1,440

21.2019/5/25 近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」 近鉄名古屋線白子駅~豊津上野駅 10.4㎞ ¥1,110

22.2019/6/2 近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」 近鉄山田線斎宮駅 8.1㎞ ¥2,140

23.2019/6/9 JRさわやかウォーキング「TOICAエリア拡大記念~~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて~」 JR関西線亀山駅 8.2㎞ ¥1,340

24.2019/6/22 近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」 近鉄名古屋線北楠駅~塩浜駅 7.8㎞ ¥750

25.2019/9/1 近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」 近鉄名古屋線豊津上野駅~津駅 8.7㎞ ¥1,310

26.2019/9/7 近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」 近鉄名古屋線津駅~南が丘駅 9.0㎞ ¥1,440

27.2019/9/14 近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」 養老鉄道多度駅 6.7㎞ ¥620

28.2019/9/16 近鉄ハイキング「菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め 菰野富士ハイキング」 近鉄湯の山線湯の山温泉駅 7.2㎞ ¥1,040

29.2019/9/22 近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」 近鉄名古屋線南が丘駅~山田線松ヶ崎駅 15.6㎞ ¥1,690

30.2019/9/28 JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」 JR東海道線熱田駅~中央線鶴舞駅」11.8㎞ ¥1,000

31.2019/10/5 近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」 近鉄名古屋線伊勢中川駅~山田線松阪駅 12.0㎞ ¥1,860

32.2019/10/27 近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」 近鉄山田線松阪駅~斎宮駅 12.5㎞ ¥2,050

33.2019/11/2 JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」JR関西線蟹江駅 7.3㎞ ¥480

34.2019/11/3 近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」近鉄山田線松阪駅 7.1㎞ ¥1,920

35.2019/11/9 近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」 近鉄名古屋線近鉄弥富駅~近鉄長島駅 5.0㎞ ¥470

36.2019/11/10 JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」 JR紀勢線多気駅 10.5㎞ ¥2,320(松阪まで近鉄で往復、松阪~多気はJR利用)

37.2019/11/16 近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」近鉄山田線斎宮駅~宇治山田駅 14.3㎞ ¥2,310

38.2019/11/30 JRさわやかウォーキング「JR貨物四日市駅コンテナ基地と旧みなとまちめぐり」 JR関西線四日市駅 8.1㎞ ¥480

39.2019/12/1 近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」 近鉄山田線宇治山田駅~鳥羽線五十鈴川駅 9.2㎞ ¥2,520

40.2019/12/15 近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」 近鉄名古屋線近鉄名古屋駅~名鉄名古屋本線神宮前駅 11.2㎞ ¥1,130

41.2019/12/21 JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」 JR名古屋駅 10.5㎞ ¥700

 以上、合計41回。JRさわやかウォーキングには9回、近鉄ハイキングには32回参加しました。意味はありませんが、毎月4.1回、参加していることになります(JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキングとも、去年は8、9月は暑いため、企画がありませんでしたので、10ヶ月で平均しています)。つまり、ウォーキング・ハイキングがある期間は、毎週1回参加するという、勤勉さ(微苦笑)。

 JRさわやかウォーキングの参加スタンプは11月下旬が期限、近鉄あみま倶楽部の会員は12月更新ですので、ちょっとややこしいのですが、JRさわやかウォーキングは11月10日に10回参加を達成し、記念品(折りたたみ三脚チェア)をいただきました。また、近鉄ハイキングは、12月1日の「お伊勢さん参りハイキング」まででスタンプ32個でしたので、12月11日に近鉄桑名駅で、スタンプ20個分と、銅賞のバッチ、近鉄グループで使える商品券1,000円と交換。

 2019年は41回のJRさわやかウォーキング・近鉄ハイキングで、歩いたのは合計398.5㎞でした。自宅から桑名駅までの往復が、1.8㎞ですので、毎回その分がプラスされます。JRと近鉄に支払った料金は、合計¥48,690です。かなり貢献しています(笑)。

シロハラ、貝塚公園に登場……ジョビボールも

Img_6456c_20200103121101  正月も3日、風も弱く、穏やかな日です。いつも通り(自分でも呆れるほどですが)、8時から10時20分まで散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.9㎞。回った場所の割に距離がありますが、貝塚公園内をウロウロしたためです。

Img_4150c  貝塚公園を歩き回ったのは、こちらを見つけたため(微笑)。そうなのです、ようやくシロハラが登場しましImg_6478c た。年末に、一度、我が家のマンション前でシロハラのお尻か?というのを見たのですが、今シーズン、しっかり確認したのは、今日が初めて。もっとも遅い登場ではないかという気がします。今のところ、この1羽のみ。例年、九華公園(鎮国守国神社)にも来ますが、そちらはまだ。

Img_6441c_20200103121101  もう1つ、今日のハイライトは、ジョビボール。七里の渡し跡の近くのお宅でジョウビタキを見つけ、追いかけたらこういう光景を見せてくれたのです。今日は、内堀公園でも、オスのジョウビタキを見ました。

Img_4093c_20200103121101  さて、散歩の初めから。諸戸氏庭園前でハクセキレイ。ハクセキレイも、今シーズン、少ないような気がします。揖斐川では、中洲の近くに50羽近くのキンクロハジロ。カンムリカイツブリも3羽ほど。十万山の南の端には、アオサギの後ろ姿が見えました。そして、下流から、ユリカモメが1羽飛んでくるという、割とのんびりした光景。

Img_4100x  三の丸公園では、ツグミとシメ。ツグミは、センダンの木に2羽いました。今シーズンは、センダンの実が、あちこちでまだImg_4105c たくさん残っています。もう食べられると思うのですが、他に食べ物があるのか、鳥が少ないのか? シメは、もう1羽、別の鳥と場所争いか、トラブっていました。もう1羽も、シメかと思ったのですが、確認できていません。

Img_6445c  九華公園では、今日もアオサギさんは留守。ゴイサギが1羽、葉っぱの陰でお休み中。カモは、合計70羽Img_6467c と、やや増えています。ハシビロガモはオス、メスとも5羽ずつ、ヒドリガモは2ペア、ホシハジロはオスのみ1羽で、他はキンクロハジロ。

Img_6459c  ユリカモメも、合計75羽もいました。二の丸橋の欄干にも10数羽が並んだのですが、残念Img_4132c_20200103121101 ながら、私は奥平屋敷跡を歩いていて、遠すぎました。犬を連れた方が通って、解散してしまったのです。

Img_6497c  内堀公園では、ツグミが3羽。さらに、寺町商店街から住吉入江まで戻って来たら、ソメイヨシノの木に、ツグミが2羽。今日は、割とたくさんツグミを見ました。年も改まって、そろそろツグミ、シメ、ジョウビタキがまた出て来てくれる兆しであればうれしいのですが……。

Img_6452c_20200103121101  ところで、鎮国守国神社の社務所では、新春カルタ大会が開かれます。今日と、1月5日と2回あります。今日は、百人一首の部で、明後日が詩かるたの部。詩かるたは、市指定無形民俗文化財です。一度も見たことはありませんが、漢詩の絶句(唐詩選五言絶句)の起・承句を上の札、転・結句を下の札とし、上の札を読んで下の札を取る遊戯だそうです。桑名へは、文政6(1823)年、奥州白河より復封した桑名藩士によってもたらされたといわれます。吟者と共に大声を張り上げて合誦し、取り札が完全に膝下に収まるま では争奪戦が展開されるという激しいかるたです。

2020年1月 2日 (木)

2019年10~12月の九華公園におけるカモ・ユリカモメ観察数

 令和元年10月から12月にかけて、九華公園で観察したカモとユリカモメの数の記録です。個人的な記録でもあり、ここ九華公園での野鳥観察も始めてからかなりの年数になります。折に触れてまとめておく意義もいささかはあろうかと思います。

2019duckgull  まずは、令和元(2019)年10~12月の九華公園におけるカモとユリカモメの観察の推移を示したのが、左のグラフ。観察は、2018winterduckgull ほとんどが、午前中8時半から10時頃に行っています。ゼロのところは、観察に行ったもののカモ、ユリカモメが確認できなかったことを示しています。データが欠損しているところは、九華公園には行かず、観察していません。右は、平成30(2018)年の同時期のデータ。今シーズン、カモが少ないような印象でしたが、昨年同時期とあまり変わりようです。ユリカモメは、見るからに今年の方が少ないようです。

Gull2018vs2019  グラフを描き直してみます。カモの観察数について、今シーズンと昨シーズンとを比較したものです。日々の変動は、どちらも多少ともありますが、概ね、同様のカーブを描いています。また、11月中旬以降は、60羽前後で推移し、両シーズンで顕著な相違はないといえます。今シーズン、昨シーズンとも、観察できるのは、キンクロハジロ、ヒドリガモ、ホシハジロ、ハシビロガモの4種類が基本。ヒドリガモ、ホシハジロ、ハシビロガモの3種類は日による数の差はあまりありません。キンクロハジロは、増減があります。今シーズンは、揖斐川で数10羽から100羽を越えるキンクロハジロがいるのが、今までとは異なる所見です。

Gull2018vs2019  こちらは、ユリカモメの観察数の比較。ユリカモメがやって来るのは、11月中~下旬からで、それに大きな差はありません。過去のデータから、ユリカモメの飛来数は、日による差がかなりあります。今シーズンは12月に入ってから20羽以下という日が多くなっています。昨シーズンは変動が大きいのですが、50羽くらいの時や、100羽を越える数を記録したときもありました。ユリカモメは、普段は他で過ごしていて、九華公園に飛来してきます。

 平成27(2015)年の冬から、毎年、カモとユリカモメの観察数の記録があります。今シーズンも4月末頃まで観察を続け、データを整理ししたいと思っています。

またもアオサギに大接近……他は成果なし(苦笑)

Img_6357c  正月2日も、例によって例の如しで、いつも通り、散歩でしたが、午前中は曇り、時々しぐれという具合。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、歴史を語る公園、京町、寺町と歩いてきたものの、散歩友達には会わず、鳥もおらず、でした。8時から10時、6㎞ちょうど。途中で出遭ったのは、鎮国守国神社の宮司さんと、住吉入江まで車いすで来られ、歩行訓練をしておられる老夫婦の方(暑い日も、寒い日もやってこられ、頭が下がります)、犬の散歩でお目にかかる男性のみ。

Img_4038c_20200102152601  揖斐川には、遠くにキンクロハジロらしき姿が数10羽と、カンムリカイツブリ3羽ほど。七里の渡し跡では、キンクロハジロ1羽と、オオバン2羽。このあたりも、いつもより鳥は少なく、張り合いなし(苦笑)。ツグミがいましたが、証拠写真。すぐ逃げられました。三の丸公園や、九華公園でもツグミの鳴き声はするものの、姿は見つけられません。

Img_4045c  柿安コミュニティパークの西、九華公園の堀の排水ポンプのあるところで、ユリカモメ。たまに見かけます。

Img_6374c_20200102152601  九華公園のアオサギさん、今日は北門を入ってすぐの堀にいたのですが、私に気づいて、九華Img_4066c 橋の近くへ。12月26日の時と同じ場所(アオサギに大接近、カワウの漁も眼前で目撃、さらにイソヒヨドリの採餌シーンも!)。今日も、大接近。10mほど(先日の再現フィルムか?!と思うくらい)。逃げません。ここ、案外落ち着くのかも知れません。

Img_6370c_20200102153501  他には、ゴイサギ。ただし、この写真を撮ったらすぐに、飛び立って行ってしまいました。他には、ドバト、ヒヨドリ、カワラヒワ、ハクセキレイ、メジロくらい。シメもいたのですが、枝被り&ピンぼけ写真でした。上記のようにツグミもいたのですが、姿は見えず。

Img_6378c_20200102152601  カモは63羽、ユリカモメは54羽でしたが、餌をやる人が2組あって、大混乱(苦笑)。数Img_4083c を数える身にとっては、いささか迷惑。カモの内訳、ハシビロガモはオス・メスとも5羽ずつ、ヒドリガモは2ペア、ホシハジロはオスが1羽(メスは見当たりません)、他はキンクロハジロ。オオバンも2羽。

 拙宅前まで戻って来たら、諸戸氏庭園からメジロの鳴き声。見に行ったら、ジョウビタキのメスも出てきたものの、暗くてどちらも写真には撮れず。という次第で、天候も今ひとつで、鳥見も同様。正月、去年のもろもろの記録を少しずつ整理して、ブログに載せています。まずは、自分のための記録という意味合いが強いのですが、ご興味とお暇がおありでしたら、ご覧ください。

2019年近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り」の記録

Isemairi_20200102115301  去年のうちに整理したいと思っていたのですが、用事が重なり、新年に持ち越しました(苦笑)。JRさわやかウォーキングと近鉄ハイキング全体の記録もそうなのですが、まずは、去年もっとも気合いを入れて参加した近鉄ハイキングの「昔も今もお伊勢参り」についてです。今回は、この「昔も今もお伊勢参り」ハイキングの総集編というか、記録をまとめてみました。以下、12回分のハイキングタイトル(近鉄ハイキングの案内ページにリンクしています)、ハイキングでの歩行距離、所要時間(立ち寄り先での見学なども含みます)、支払った近鉄料金(桑名からの往復)、コース概要、当該ハイキングについてまとめたブログ記事のタイトル(リンクしています)が列挙してあります。各回の実測ルートマップも載せてあります。

190310kintetsuhikingkuwanaall 2019/3/10:「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」 11.9㎞、2時間36分、¥260

 桑名駅が受付でしたので、徒歩で。地元・七里の渡し跡から、春日神社、とらや饅頭(和菓子店)、桑名市博物館、矢田立場、東海道 つたや(和菓子店)、町屋橋跡、朝明橋、富田の一里塚跡、富田菓庵 清華堂(和菓子店)と回って、近鉄名古屋線・近鉄富田駅がゴール。このうち、七里の渡し跡から、富田の一里塚跡の少し先までが、旧・東海道。桑名市内の初めの方1/3くらいは、いつもの散歩コース。桑名市内で雨が降り始め、どこにも立ち寄らず、飲み食いもせずひたすら歩きました。

 20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」


190324kintetsuhikingtomida_20200102073601 2019/3/24:「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」 7.9㎞、2時間38分、¥560

 スタートは、近鉄名古屋線・富田駅。富田駅東口から南東へ240mほどで行ったところを右折して、旧・東海道に。四日市市内、ごく一部で旧・東海道が消滅してはいるものの、明治天皇駐輦跡碑、力石、多度神社、三ツ谷一里塚跡、嶋小餅店(和菓子店:みたらし団子)、四日市宿陣屋跡から諏訪神社と、ほとんど昔の旅人と同じ道を歩いて、この日は、スワマエ商店街まで(旧・東海道がアーケードの商店街になっています)。商店街を抜けて、近鉄四日市駅がゴール。

 20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(予告編)

 20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その1)……富田駅をスタートし、明治天皇御駐輦跡碑、十四川、善教寺、薬師寺、常照寺から新設用水道碑・力石、證圓寺、服部泰次郎の道標へ

 20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その2)……八幡常夜灯、八幡地蔵堂、八幡神社跡、かわらずの松、妋石(みよといし;夫婦石)、光明寺を経て国道1号線に合流

 20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その3)……「国寶元三大師道」道標、多度神社、三ツ谷一里塚跡、法泉寺を回り、嶋小餅店でみたらし団子を食べ、三滝川を渡る

 20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その4)……四日市宿中心部(建福寺、四日市陣屋跡、黒川本陣跡、帯屋脇本陣跡、問屋場跡、札の辻)、道標を見て、諏訪神社からゴールの近鉄四日市駅へ(完)

190411kintetsuhikingyokkaichi_20200102103601  2019/4/11:「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」 13.0㎞、4時間5分、¥790

 近鉄四日市駅(南改札口)を出て、国道1号線の手前から東海道に入り、日永神社、日永一里塚跡、東海道名残りの一本松を経て、お茶のやまなか(お茶屋)で呈茶サービス。その後、東海道日永郷土資料館に立ち寄り(菊屋本店の采女の杖衝の出張販売)、伊勢街道との分岐である日永の追分へ。伊勢街道に入って、河原田神社、忘帰處、鈴鹿川を渡って、神戸の見附跡と札の辻を見て、近鉄鈴鹿線・鈴鹿市駅がゴール。鈴鹿市駅前の喫茶店「ロータリー」で昼食(カレーライス)。

 20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(予告編)

 20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その1)……四日市駅をスタートし、崇顕寺、東漸寺、大宮神明社、水沢道標と大聖院へ

 20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その2)……興正寺、両聖寺、日永神社、頌徳碑と表忠碑を見て、西昌寺、日永一里塚跡、東海道名残の一本松を経て、おちゃのやまなかさんで一息、東海道日永郷土資料館で小腹を満たす

 20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その3)……日永の追分から伊勢街道に入り、河原田神社、忘帰處で眺めを楽しみ、鈴鹿市へ

 20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その4)……階段付きの常夜燈、神戸見附跡、神戸の札の辻などを経て、鈴鹿市駅にゴール(完)

190504kintetuhikingsuzukashi_20200102104501  2019/5/4 :「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」 9.3㎞、4時間5分、¥980

 鈴鹿市駅をスタートして、神戸城跡、常夜燈、弥都加伎(みずがき)神社、北の端の地蔵堂、江島若宮八幡神社などを経て、伊勢昆布でくじ引き、久住屋菓舗に立ち寄って(大はら木、かりんとう饅頭)名古屋線・白子駅がゴール。神戸城跡へ行くまでに、曲がるところを見逃しコースミス。しかし、そのお陰で、以前から行きたかった龍光寺にお参りでき、ケガの功名(苦笑)。白子駅西の魚萬寿司でランチ。

 20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(予告編)

 20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(その1)……近鉄鈴鹿市駅をスタート、高田派神戸別院などを見て、龍光寺の大雲龍に感激していたら、早々にコースミスをしてウロウロ

  20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(その2)……ようやく神戸城跡にたどり着き、常夜灯、矢椅神社、宇気比神社、いくつかの道標と山の神、正信寺から彌都加伎神社へ

 20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(その3)……菅原社、北の端の地蔵堂、役行者神変大菩薩、江島若宮八幡神社、久住屋菓舗を経て白子駅に無事ゴールイン(完) 

190525kintetsuhikingshiroko_1_20200102105201  2019/5/25:「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」 10.4㎞、3時間10分、¥1,110

 白子駅をスタートして、伊勢型紙資料館、小原木本舗大徳屋長久(和菓子店:小原木、かりんとう饅頭)、鈴鹿市伝統産業会館、子安観音(田中観月堂さんが、不断桜 大原實(小原木)を出張販売)、村社八幡社を経て、津市河芸町に入り、甕釜冠地蔵堂、弘法井戸から伊勢上野城跡に立ち寄って、名古屋線・豊津上野駅がゴール。途中、いくつも道標があります。昼食は、伊勢上野城跡でコンビニ弁当。

 20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(その1)……伊勢型紙資料館、大徳屋長久さんで早くも土産を買い、久留真神社、道標、目付役所跡、鈴鹿市伝統産業会館、西方寺で山口誓子句碑を見て、子安観音寺へ

 20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(その2)……道標3基、楳荘翁碑、村社八幡社、甕釜冠地蔵堂、本福寺、尾前神社石碑、丹羽君碑、田中地蔵堂

 20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(その3)……河芸の伊勢街道を歩き、弘法井戸、伊勢上野城跡、道路元標跡を見て、近鉄・豊津上野駅にゴール(完)

190901kintetsuhikingtoyotsuueno_20200102105701  2019/9/1:「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」 8.7㎞、2時間半、¥1,310

 近鉄名古屋線・豊津上野駅から痔神大明神、権現山観音寺、逆川神社、巡礼道との追分から三重大学の西を通って、江戸橋へ。上浜町の昔ながらの町を通り、阿部家住宅、鶴之宮跡碑を見て、御菓子処風月堂に立ち寄って津駅西口まで。昼食は、津駅ビル・チャムにある「美濃味匠」で煮物満菜弁当。

 20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(予告編)

 20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その1)……豊津上野駅をスタート。屋根の上の鍾馗様を見つけ、痔神大明神にお参り、権現山観音寺と常夜燈

 20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その2)……逆川神社、巡礼道との追分、孟夏の常夜燈から江戸橋へ

 20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その3)……阿部家住宅、鶴之宮跡碑から近鉄津駅にゴールして、美濃味匠でランチ(完)

190907kintetsuhikingtsu_20200102110801  2019/9/7:「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」 9.0㎞、3時間50分、¥1,440

 津駅西口をスタート。横断歩道橋でJR紀勢線・近鉄名古屋線を越え、津駅の東側へ。伊勢街道に出て、まずは四天王寺。ここは、津で最古の寺。ついで、日本三大観音の一つと言われる津観音寺。ここは大門商店街の北の端。大門商店街で、平治煎餅本店(和菓子店:平治最中)と、とら家本家(和菓子店:梨大福)とお菓子屋さんに立ち寄ります。岩田川にかかる観音橋を渡って、閻魔堂と市杵島姫神社から、松源寺の地蔵堂を見て、思案橋へ。垂水南の交差点で国道23号線を渡ってしばらくして伊勢街道を離れ、南が丘の住宅団地を通って、名古屋線・南が丘駅がゴール。昼食は、南が丘の住宅地に入る手前にあった喫茶店「ノンネーム」で焼きそば。

 20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その1)……津駅をスタートし、四天王寺へ

 20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その2)……平治煎餅本店、津観音寺、大門商店街、とらや本家、閻魔堂、市杵島姫神社から「まんどさん」

 20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完)

190922kintetsuhikingminamigaoka_20200102110901  2019/9/22:「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」 15.6㎞、4時間5分、¥1,690

 この日は九州地方に台風17号が接近し、その余波で天候もあやしい中、参加。予告編のタイトルのように、ハイキングだけで15.6㎞も歩きました。まさに「歩きに歩いたり」という感じ。津は、朝から雨という予報でしたが、雨雲レーダー画像ではコースあたりに雨雲はありませんでしたので、「エイヤッ」とばかりに出かけた次第。途中、昼頃からしばらく強い風と細かい雨に見舞われたものの、ほとんど傘も差さずに済みました。近鉄名古屋線・南が丘駅を出て、式内加良比乃神社、島貫の常夜燈、松浦武四郎誕生地、松浦武四郎記念館、月本追分(奈良街道分岐)、市場庄のまち並み、舟木家の長屋門と歩いて、近鉄山田線・松ヶ崎駅がゴール。松ヶ崎駅は、伊勢中川駅から2駅先で、もう松阪駅の1つ手前の駅。昼食は、松ヶ崎駅に着いてから、電車の待ち時間にコンビニ弁当。食べるところがなく、ここまで持ち越し。

 20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞

 20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ

 20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その2)……玉造院、明治天皇島貫御小休所跡碑、島貫の常夜燈、松浦武四郎誕生地、松浦武四郎記念館を経て、金剛寺近くにある胎蔵界大日如来にお参り

 20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その3)……月本追分から先、道標、常夜燈がたくさん、伊勢街道には珍しい一里塚跡も見て国道23号線バイパスの先へ

 20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ

191005kintetsuhikingisenakagawa_20200102111701  2019/10/5:「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」 12.0㎞、3時間58分、¥1,860

 伊勢中川駅をスタートして、小川神社、中原神社、市場庄のまち並み、薬師寺(仁王門など)、旧小津清左衛門家、三井家発祥地、豪商のまち 松阪観光交流センターから鶴の玉本舗たつみ堂を経て、近鉄山田線・松阪駅北口がゴール。途中、市場庄のまち並みあたりは、前回のハイキングコースと重複して歩いています。伊勢中川駅は、以前は、嬉野町でしたが、広域合併にともない、松阪市なりました。伊勢中川駅を出て三渡川の三渡橋のところまでは、初瀬(はせ)街道を歩きました。松阪の「松治郎の舗」で最中アイスをおやつに、昼食はゴールして、近鉄松阪駅前の喫茶店「なかがわ」で昔ながらのピラフ。まつさか交流物産館で「老伴」を土産に購入。

 20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(予告編)……9回目の伊勢参りハイキングにして松阪へ【歩数を付記しました(10/6)】

  20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その1)……伊勢中川駅を出発、初瀬街道に入ってまずは神社めぐり、小川神社、西方寺、常夜燈そして須加神社へ

 20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その2)……中原神社、常夜燈2基を経て伊勢街道に入り、市場庄のまち並みを再確認

  20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その3)……百々川の常夜燈、薬師寺、旧・小津清左衛門家、三井家発祥地から、松治郎の老舗で絶品はちみつ最中アイスを食べ、近鉄松阪駅へゴール、土産は老伴(完)

191027kintetsuhikingmatsusaka_20200102112501  2019/10/27:「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」 12.5㎞、3時間25分、¥2,050

 スタートの近鉄山田線・松阪駅はJRとの共用駅。近鉄の駅は、北側にありますから、地下道をくぐり、駅の南側に出ます。日野町交差点にある和歌山街道との追分から伊勢街道に入ります。すぐに清甘堂という和菓子屋さんに立ち寄り(「利久松ば」を土産に購入)、松阪市垣鼻町で信楽寺(しんぎょうじ)と閻魔堂、近くにある神戸神社にお参りし、櫛田川へ。ここには、道標、距離標が櫛田川渡し場跡にあります。櫛田川を渡ると斎宮跡が近くなります。斎宮の手前で祓川。斎王が最後のお祓いをしたところ。斎宮歴史博物館で特別展「東雲の斎王大来皇女と壬申の乱」を見て、近鉄山田線・斎宮駅へゴール。昼食は、松阪駅の駅弁屋・あら竹の「元祖特選牛肉弁当」を奮発し(¥1,500)、斎宮にて。

 20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(予告編)

 20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その1)……早々に松阪牛の弁当と土産を買い、和歌山街道の道標、信楽寺、荒神山稲荷神社から神戸神社へ

 20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その2)……加茂川橋のたもとの常夜燈、大日寺町石、八柱神社、浄林寺、おもん茶屋跡、願證寺から櫛田川へ

 20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その3)……櫛田川を越え、大乗寺、早馬瀬神社、野仏地蔵、梵字による六字名号を見ていよいよ祓川を越え、斎宮跡、斎宮歴史博物館を回って、斎宮駅にゴール(完)

191116kintetsuhikngsaiku_20200102113501  2019/11/16:「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」 14.3㎞、3時間55分、¥2,310

 いよいよ豊受大神宮(外宮)参にお参りですので、「神領域へ」ということです。受付は、近鉄山田線・斎宮駅。桑名駅から伊勢中川までは急行、普通に乗り換え、斎宮駅まで1時間半。乗り応え十分(苦笑)。¥1,090。斎宮駅(南出口)を出てまずは、竹神社、有明六地蔵、転輪寺、へん馬や(和菓子店:へん馬餅を食べ、赤飯弁当・昆布の佃煮を土産に購入)宮川・桜の渡し跡から、播田屋・浦の橋店(絲印煎餅を土産に購入)を経て、伊勢街道と伊勢本街道が合流する筋向橋、さらに小西萬金丹の店を見て、豊受大神宮(外宮)にお参り(令和2年の神宮暦を入手)。式年遷宮記念せんぐう館に立ち寄って、近鉄山田線・宇治山田駅がゴール。マップ上約13㎞のコースで、さすがに「健脚向け」となっていました。伊勢うどんを昼食にと思っていたのに、駅構内、周辺に店がなく断念。サンドイッチで済ませました。

 20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(予告編)

  20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その1)……竹神社、有明六地蔵、「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と「斎王隆子女王之墓従是五丁」道標、安養寺と明星水の井戸

 20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その2)……そうめん坂道標、轉輪寺、徳浄上人千日祈願の塔、へんばや本店でへんば餅を味わい、宮川の手前へ

 20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その3)……宮川・桜の渡し跡から伊勢の町へ、茶屋町の道標、街道の分岐点である筋向橋、小西萬金丹を見て、いよいよ外宮参拝を果たし、ゴールの宇治山田駅へ(完)

191201kintetsuhikingujiyamada_20200102114301  2019/12/1:「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」 9.2㎞、3時間45分、¥2,520

 いよいよ最終回で、皇大神宮(内宮)にお参り。この日は、ある研究会があったものの、失礼してこちらに参加。スタートは、山田線・宇治山田駅。宇治山田駅かから南に進み、大林寺、伊勢古市参宮街道資料館、猿田彦神社を経て、皇大神宮(内宮)。お参りを済ませたら、岩戸屋、おかげ横丁、三重交通 Gスポーツの杜 伊勢と立ち寄って、ゴールは、近鉄鳥羽線・五十鈴川駅。1駅先なのですが、グルッと回る感じ。おはらい町にある岩戸屋さんには立ち寄るのを忘れて、接待していただけたはずの湯茶とお菓子にはありつけず。しかし、伊勢くすり本舗おはらい町屋台には立ち寄り、野間の萬金丹を入手してきました。昼食はおはらい町ではんぺん、松阪牛ミンチコロッケを食べ歩き。

 20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」……無事内宮に参拝し、全行程踏破(予告編)

 20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その1)……宇治山田駅をスタートし、古市参宮街道を行き、大林寺、油屋跡をみる

 20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その2)……長峰神社、フォトジェニックな麻吉旅館、寂照寺を見て古市参宮街道資料館、牛谷坂の常夜燈、伊藤小坡美術館を見て宇治総門跡まで

 20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その3)……猿田彦神社からいよいよ内宮へ、おはらい町で食べ歩いて萬金丹の店により、三重交通Gスポーツの杜伊勢から、月読宮を経て五十鈴川駅にゴール(完)

 12回のハイキングで歩いた距離の合計は、133.8㎞でした。駅がスタート、駅がゴールですから、このすべてが東海道、伊勢街道を歩いた距離ではありません。一部では、コース設定上、重複して歩いたところもあります。旅8日目に、伊勢中川駅の2駅先にある松ヶ崎駅まで歩きましたが、旅9日目に、伊勢中川駅から、再び、市場庄のまち並み、舟木家の長屋門あたりを歩いたのがそれです。

 支払った近鉄料金の合計は、¥16,880でした(普通運賃のみ)。このほかに食事、弁当、土産、小腹満たし(おやつ)、飲料なども使っていますが、日帰りですから、大した金額ではありません。基本的に鉄道運賃だけで参加できますから助かります。

Img_6425c  そして、この「お伊勢産参りハイキング」では、毎回、記念品として、その回の主要な立ち寄り先をデザインしたマグネットがいただけました。すべて参加し、12個をコンプリートしています。子どもみたいでお恥ずかしい次第ですが、写真を載せておきます。

 

2020年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます

Img_3776x   あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。皆様には、よいお年をお迎えのことと思います。朝は、冷えましたが、日中は風も穏やかで、さほど寒くは感じません。令和2年の初日の出です。住吉神社まで行って、拝殿前に立つと、鳥居越しに初日の出が上るのが見られるはずですが、今年も、いつも通りベランダから拝みました。

Img_6129c  正月とはいえ、「淡々と飽きもせず……」のモットー通り、特別なことはさほどしていませんので、朝8時から「散歩始め」に出かけました。住吉神社にお参りし、九華公園へ。ここから、普段とは異なって、赤須賀漁港を周り、揖斐川沿いを通って戻って来ました。6.9㎞。歩き始めにしては上出来の距離です。

Img_6353c_20200101150401  その住吉神社で、個人的に運試しをしてきました。というのも、昨年12月25日の中日新聞北勢版に、「元日は、初日の出で特別な御朱印が限定500枚授与される」というニュースが載っていたのです。残っていたら、幸運と思って出かけたのです。最近では1,500~2,000人の人が初日の出を拝みに来るというのですが、今朝は玄関先から眺めたら、いつもより少なそうでした。お陰様で、限定500枚に間に合い、写真のような御朱印をいただいてきました。普段、社寺仏閣にお参りしても、朱印をいただくことはないのですが、これは特別(微笑)。

Img_3873c  九華公園では、まず、「アオサギ大明神」に新年の挨拶を申し上げて来ました(笑)。いつものように、鎮国守国神社の社務Img_3876c_20200101151801 所裏に鎮座しておられました。周囲には、ちょうど狛犬のようにゴイサギが3羽、控えています。ただ、ゴイサギさんたちは、前夜から参拝客が多かったためか、居眠り中。

Img_6201c  鎮国守国神社にもお参り。我が家のあたりは、本当は、北桑名神社が氏神様なのですが、個人的には住吉神社と、鎮国守国神社を「マイ神社」に認定しています(微笑)。大晦日は、14時から年越し参りの準備をして、23時から未明の2時まで接待などをすると、散歩友達で氏子代表の方がおっしゃっていました。今日は、11時から新年のお祓い(歳旦祭というようです)とか。

Img_6197c_20200101150501  去年も干支の猪の飾りがありましたが、今年もネズミのオブジェが拝殿前にありました。拝殿に向かって左のものは、親子のImg_6199c_20200101152201 ネズミに金色に輝く打ち出の小槌、稲穂、右のものは、親ネズミが稲穂をくわえていました。どのネズミも、ヒゲはわら。そして、つり下げられているのは、普通は提灯を下げるところですから、これにはたぶん灯りが入るようになっているのでしょう。

Img_6247c_20200101150401  赤須賀漁港は九華公園から歩いて20分ほど。これも新年恒例となっていますが、大漁旗が飾られているのを見に行ったのです。平成27(2015)年の正月に、漁港の南の国道23号線揖斐長良大橋を渡ったときに、大漁旗が飾られるのを知って以来、毎年見に行くようになりました(2015年1月3日:初歩きは、赤須賀漁港、九華公園へ……大漁旗、ユリカモメ、新たな屋根上の鍾馗さんなど)。

Img_3959c_20200101150401  すべての漁船に大漁旗が掲げられている訳ではありませんし、以前よりその数が減ったような気もします。Img_6281c_20200101150401 それに、今日、見に行った頃は風があまりなくて、残念ながら、大漁旗が力強くはためくというシーンはあまり見られませんでした。しかし、港内を歩き回ってそれなりのシーンは撮ることができたと思います。

Img_3809c  行き帰りは、揖斐川の堤防道路を歩いてきますので、木曽御嶽山や、名古屋の高層ビル群がよく見えます。Img_4011c_20200101152601 天気にもよるのですが、高層ビル群の背後に雪山が見えることがあります。方角から見て、中央アルプス(木曽山脈)ではないかと思うのですが、山のことは不案内で確信はありません。

Img_6164c  もちろん、鳥も見ながら歩いてきました。住吉入江には、キンクロハジロは1羽のみ。揖斐Img_6212c_20200101150601 川には、十万山の下流あたりなどに、キンクロハジロが多数。カンムリカイツブリもそこかしこにいます。シメに会ったのは、三の丸公園。九華公園のカモ、今日は65羽。メンバーもいつも通り、ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモがオス・メスとも5羽、ホシハジロのオス1羽とキンクロハジロ。ユリカモメは、19羽。その他はヒヨドリ、カワラヒワ、ハクセキレイなど。ツグミは、九華公園で鳴き声を聞いただけ。

Img_3893c  九華公園の二の丸堀で、今年初のスクープ写真(微笑)。カワウが、たぶんコイだと思うのですが、大きな魚をゲットし、格Img_3910c 闘していました。ご多分に漏れず、横取りを狙う、別のカワウも乱入したのですが、無事に丸呑み。普段なら、諦めてしまうほどの大きさ。しかし、それにしてもカワウの口、こんなに開くのかと思うほど。あごが外れるようになっているのでしょうか?

 という元旦であります。皆様もごゆるりとお過ごしください。

2019年散歩の記録

 恒例となりました。ただし、個人的な記録のための記事です。平成31&令和元(2019)年の散歩の記録です。歩数は毎日、また、散歩などに出かけた日は歩いた距離を記録しています。歩数は毎日、Nintendo Ds Liteの生活リズム計で記録しています。去年2月からは、スマホのアプリでも記録しています。今のところは、同じ計測器の記録の方がよいと考え、生活リズム計の記録を残しています。歩数は、毎日の記録があります。一方、歩いたルートは、インターネットの「キョリ測」というサイトを利用して、測定しています。去年は、非常勤の講義や仕事、研究会などで出かけたときに歩いた距離も記録するようにしています。去年1年間で歩いた距離の記録があったのは、327日。

 なお、SDは、標準偏差(Standard Deviation)で、平均値を算出したもとのデータの散らばり具合を示しています。この数値が小さいほど、各データは平均値の回りに集まっていることを示します。また、正規分布するデータでは、平均値±1SDの範囲に約68%のデータが含まれます。歩数の月別平均と、散歩距離の月別平均のグラフには、平均値±1SDのデータが示してあります。

2019walkingdm   こちらのグラフは、月ごとに毎日の平均散歩距離を示したものです。平均の範囲は、4.6(SD=1.0)㎞(7月)~6.9(SD=3.4)㎞(4月)となっていました。雨が降っている時は出かけませんし、8~9月はJRさわやかウォーキングも、近鉄ハイキングも企画がありませんでしたので、梅雨の時期から8月はやや短くなっていました。年間トータルでの毎日の平均散歩距離は、6.0㎞でした。一昨年(2018年)は5.9㎞、一昨昨年(2017)年は5.0㎞でした。一昨昨年11月末から、JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキングに参加するようになり、平均値としては1㎞ほど増えたということです。毎日ほぼ6㎞を歩いていることになります。なお、各グラフとも平均値を折れ線グラフで示しましたが、上下に付いている「ヒゲ」は、平均±1SDの範囲を示しています。

2019walkingdt  次のグラフは、月ごとの合計散歩距離となっています。当然のことながら、最初のグラフとはほぼ似た傾向になります。その2019walk 範囲は、106.2㎞(7月)~186.8㎞(3月)でした。7月の歩いた日数は25日でした。3月は毎日歩きましたし、土日ともウォーキング・ハイキングに参加したこともよくありました。年間総散歩距離は、1,762.1㎞。桑名駅から直線で見ますと、沖縄県の与那国島までが1,769㎞ほどでした。日々の積み重ねというのは、すごいというか、恐ろしいものです(微笑)。ちなみに一昨年(2018)年の年間トータルは1,648.3㎞、一昨昨年(2017年)のそれは1,355.6㎞でした。

2019walkingnm  さて、こちらは、月ごとに毎日の平均歩数をグラフにしたものです。平均の範囲は、8115.5歩(SD=3066.2)(7月)~12694.2(SD=4685.7)(9月)となっています。1年を通じての日々の平均歩数が10,328.6歩でしたから、7月はかなり少なくなっていました。いずれの月もSDがかなり大きいので、日によって歩数の差が大きいことが分かります。

2019walkingnt  最後のグラフには、月ごとの合計歩数を示しました。224,749歩(7月)~344,766歩(9月)という範囲に散らばっています。去年1年の総歩数は、3,369,625歩でした。一昨年が3,199,573歩でしたので、17万歩ほど増加しています。

 以上から、平成31&令和元(2019)年は、平均して毎日、6.0㎞、10,000歩ほどを歩いていたことになります。距離の長短、歩数の多寡はともかく、年間327日歩いたということは、1年のうちほぼ90%の日は、何らかの形で歩いたということです。今年も、日々の散歩&バードウォッチングと、JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキングを続け、しっかり歩くことにしましょう。

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    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

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    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

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    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

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    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

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    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

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    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)