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2019年12月31日 (火)

20191221JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」へ(その4)……名古屋城内を見てまわり、円頓寺商店街を通り抜けて、タワーズガーデンにゴール(完)

191221jrwalkingnagoya3 その3が長くなりそうなため、中途半端なところで終わりました。12月21日のJRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市Img_4372c 政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」のその4です。入場料¥500なりを支払って、城内に入ったところからです。名古屋城の案内図は、こちらにあります。

Img_4387c  正門を潜ってすぐ左手に大行列。並んで待つのは大嫌いなのに、何の行列かはとても気になります(苦笑)。ヘンなヤツというのは十分自覚しています。天守閣にあるのと同じサイズの金シャチの模型が置いてあって、その前で写真を撮ってもらえるようでした。写真を撮るのは好きですが、写真に写るのは嫌いなので、パス(笑)。よその知らない、ヘンなおじさんが写るのです(爆)。

Img_4390c_20191230110801  案内図で西之丸とあるところに「必勝カヤの木」があります。高さ16m、幹周り8mの榧の巨木。推定樹齢は、600年。初代藩主・義直公が「大坂夏の陣」に出陣するにあたり、実を食したと伝えられています。それにあやかり、尾張藩主は毎年正月にこの実を食べて新年を祝ったという、縁起のよい木。昭和20(1945)年の空襲で火を浴びたものの、枯死を免れています。

Img_4404c  西南隅櫓近くから、この隅櫓と天守閣を眺めた写真。なかなかよい眺めではないかと思います。ここから時計回りに天守閣の向こう側へ回りました。ただし、御深井丸(おふけまる)の方へは、この日は行かず仕舞い。有名な「清正石」も見てきませんでした。改めて、出直しです。しかし、人が途切れないくらい観光客はたくさん。それも、日本語よりも中国語の方がよく聞こえてくる感じ。

Img_4431c_20191230112301  天守閣の北側へ回ると、「天守礎石」がありました。昭和20(1945)年に焼失した旧国宝天守の礎石です。近い穴蔵の地盤の上に置かれて、天守閣を支えていたものですが、天守閣を再建するとき、ここに移し、かつての敷設状況を再現したもの。

Img_4440c  その先へ少し進むと、先ほど通ってきた、城の北側の堀や、堀沿いの散策路が見えます。白い点々は、ユリカモメ。その向こうに広がるのは、名城公園

Img_4449c  不明門から本丸に入ります。不明門の外側は、枡形になっているはずでしたが、現地ではあまりよく分かりませんでした。市民大学郷土史学科で今年度、「城と城下町」の話を聞いたのに勉強が足りません。学んだことは実地で確かめないと身に付きません。

Img_4471c  天守閣の間近にやって来ました。昨年5月からは、天守閣には入れなくなっています。木造復元やら、耐震性に不安があるやらということですが、残念。名古屋城天守閣は、高さが36.2m、石垣を含めると55.6m。姫路城の31.5mをしのぎますし、延べ床面積は1,383坪という城郭建築最大級のスケールを誇っています。木造で復元できればよいのかも知れませんが、石垣の保全、修復など課題も多いようです。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14(1609)年、豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清須から新城下への街まるごとの引越し(清洲越し)を決めました。このとき新たに造られた碁盤割の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています。慶長15(1610)年、名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました(天下普請)。天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17(1612)年にほぼ完成。尾張初代藩主として家康九男の義直公が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。

Img_4464c_20191221175201  そして、名古屋城といえば、何といっても金の鯱。慶長17(1612)年、名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は一対で慶長大判1,940枚分、純金にして215.3㎏の金が使用されたといわれ、高さは約2.74mありました。現在の金鯱は復元されたもので、再建天守建造の時、日本国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師であった大阪造幣局職員の手により製造されました。一対に使用された金の重量は88㎏、鯱の大きさは、雄2.62m、雌2.57m。

Img_4466c_20191221175201  左の写真が雌、右の写真が雄。江戸時代には、藩財政の悪化により、鯱の鱗は3度にわたって金板の改鋳を行って金純度を下Img_4462c げ続けたため、最後には光沢が鈍ってしまったという話もあります。また、盗難事件も何度かありました。江戸時代には、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助(かきのききんすけ)の伝説がありますし、明治以降も4回発生し、犯人はいずれも盗んだ鱗を鋳潰し売却しようとして逮捕されています。

Img_4478c_20191221175201  平成30(2018)年に本丸御殿が復元されました。もとは、初代尾張藩主の住居・政庁として使用するたImg_4507 め、慶長20(1615) 年、徳川家康により建てられました。総面積は約3,100平方メートル、部屋数は30を超える平屋建ての建物でした。御殿の内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作とたたえられたといいます。昭和5(1930)年には、城郭では天守閣とともに国宝第一号に指定されたのですが、昭和20(1945)年の空襲により焼失してしまったのです。平成30年に復元されたのは、徳川家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」です。内部の拝観にはかなりの行列(苦笑)。行列は大嫌いですので、パスして外観のみ見てきました。西南隅櫓にも登れたのですが、そこも行列でした(苦笑)。

Img_4491c  本丸御殿の南側を歩いて、何枚か写真を撮ってきました。あとで名古屋城のサイトで「フォトスポット」をチェックしたら、Img_4502c 似たようなところからの写真が載っていました。的外れのセンスをしている訳ではなさそうです(微笑)。

Img_4518  本丸表二之門から本丸の外へ。古くは、南二之門。本丸大手の外門であり、内門である表一之門とともに枡形を形成していたといいます。本瓦葺の高麗門で、軒周りは漆喰塗り込め、柱や扉には金具が打ち付けられています。現存する数少ない名古屋城創建時の建物。

Img_4533c_20191221175201  本丸表二之門を出たところで12時半。さすがにお腹も空いてきました。門を出たところでImg_4525c_20191221175201 「きしめん」とのれんが掛かった店があり、熱田神宮で宮きしめんを食べられなかった記憶が蘇ってきました(苦笑)。ついフラフラと寄っていって、名物きしめん(¥600)を注文(笑)。宮きしめんではありませんが、ささやかなリベンジ。暖まりました。

Img_4546c_20191230122601  昼食を終えて、名古屋城にはほぼ1時間滞在。JRさわやかウォーキングでは、ゴール受付時間の制限がありますので、そろそろ次の目的地へ進むことにします。が、正門に行くところで、名古屋おもてなし武将隊の武将を発見。加藤清正公でした。正門をでたところで、スタートから歩いたのは、7.8㎞、12時50分頃。南へ向かい、高等裁判所などがあるところで右折し西へ。伏見通りに出て、中区三の丸一丁目交差点で左折します。このあたりは、旧・三の丸で城内でした。

Img_4564c_20191221190701  中区三の丸一丁目交差点の東南角にKKRホテル名古屋があります。正式には、「国家公務員共済組合連合会名古屋共済会館」といいます。いささかの思い出の地(微笑)。教員になる前、病院(国立療養所)で働いていた頃、プライベートで、とある一大イベントをここで執り行ったのです。平成に入った頃のお話しですから、今さらとくに書くことはありませんが……。

191221jrwalking0nagoya4  この先は、円頓寺商店街を通って、ゴールのJR名古屋駅・タワーズガーデンを目指します。実測ルートマップも、その4となります。中日新聞本社の前を通り、新御園橋で右折し再び外堀通りへ、景雲橋で堀川を渡って左折し、円頓寺商店街に向かいます。さらに円頓寺本町を抜けると、那古野に出て、ゴールも間近となります。

Img_4570c  中日新聞本社。時々、どうでもよい昔話を思い出して書いていますが、小学生のとき、社会見学に来た記憶があります。もう50年以上も前ですから、この建物でもありませんし(このビルは、昭和46(1971)年完成)、場所も別のところだったはず。輪転機の勢いに驚いたのと、屋上に伝書鳩が飼われていたように思います。

Img_4586c_20191230130301  途中、ちょっと端折りますが、左の写真は、円頓寺商店街東にある五条橋。慶長年間の「清洲越し」で、清洲の五条川にあった木造の橋をそのまま名古屋に移したため、名称ももとのままになっています。昭和13年に木造の橋に似せたデザインで架け替えられました。

Img_4597c_20191221190701  円頓寺商店街です。ここで9.1㎞。名古屋で最も古い商店街の一つといわれ、今も昔懐かしい面影が残ってImg_4604c います。明治に創業した老舗店も多く残っている一方で、最近は、個性的な新しい店舗も増えています(たとえば、右の写真のような食堂)。平成27(2015)年春にアーケードも改修され、魅力的なエリアとなっています。パリにあるパノラマ商店街とも姉妹提携をしています。ここは、去年10月27日のJRさわやかウォーキングで来ています(20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(予告編)20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く)。

Img_4610c  こちらは、商店街にある長久山円頓寺。商店街の名前の元になったお寺。円頓寺商店街は、このお寺の門前町が発展したもの。円頓寺は、承応3(1654)年に、普敬院日言上人によって開創された日蓮宗のお寺。当初は、普敬院と称したものが、円頓寺に改められました。ちなみに、お寺の名前は「えんどんじ」と読むようですが、商店街は「えんどうじしょうてんがい」。

Img_4617c_20191230133901  商店街のそこかしこに、この幟旗。「奉納 国府宮大鏡餅 令和2年2月6日 名古屋市西区奉賛会」とあります。来年の国府宮はだか祭に、ここ円頓寺商店街を含む西区奉賛会から大鏡餅を奉納するということでしょう。こちらのサイトに書かれていますが、大鏡餅を奉納するに当たっては、早くから準備も必要で、大変そうです。

Img_4629c_20191221190701  円頓寺商店街を抜けて、円頓寺本町商店街へ。円頓寺商店街でもここでも、何か美味しそうなものがあったら買おうとは思っていたものの、これといったものは見つかりませんでした。

Img_4633c_20191230144301  その代わり、今まで気づかなかった神社を見つけました。円頓寺本町商店街の中ほどにある多賀宮(たがぐう)がそれです。円頓寺商店街の方には、いつぞや名古屋弁みくじを引いた金比羅社がありますが(20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く)、こちらは多賀宮。名古屋で多賀宮は珍しい気がします。商店街に面した鳥居から細い参道が奥に続いています。

Img_4637c_20191230144301  こちらが拝殿。奥に小さなお社が鎮座。このお社にも、正Img_4639c_20191230144301 面に鏡のようなものが見えます。御祭神は、伊邪那岐伊邪那美の2神。由来書によれば、明治中期、多賀大社から分祀したとあります。現在の社殿は、昭和32(1957)年に改修したもの。拝殿前には、「多賀大権現 おもかる石」があります。すべての願い事が、軽くなったり、重くなったりすることで霊験を受けることができるといいます。まず持ち上げてみて、願い事を述べ、「願い事が叶うなら、軽くなってください(重くなってください)」と頼んで、再度石を持ち上げ、軽くなっていたら(重くなっていたら)その願いが成就するそうです。

Img_4647c  境内社としては、拝殿に向かって左に倶利迦羅大龍不動明王、右に薬力稲荷大明神が祀られています。倶利Img_4641c_20191230144301 迦羅大龍不動明王は、犬鳴山(大阪府泉佐野市)から勧請したもののようです。ここは、真言宗犬鳴派の本山で、七宝龍寺は661年に役小角が開いたとされ、修験の根本道場のひとつとされます。薬力稲荷大明神は伏見稲荷大社の中にある薬力社から勧請したもの。薬力社の湧き水を飲むと健康で長生きできるとされています。それにしても、不思議な空間という感じでした。

Img_4671c_20191230151001  円頓寺本町商店街を抜けると、西区那古野に出ます。少し進むと、もう名駅前の高層ビル群が見えてきます。このあたりまで来ると、もうゴールまでは数100mのはず。

Img_4675c_20191230151101  那古野交差点の東側に「名古屋市特別消防隊第二方面隊」という表示のある建物がありました。いわゆるImg_4677c_20191230151101 「ハイパーレスキューNAGOYA」の庁舎でした。第一方面隊から第五方面隊まで5つの部隊が設置され、それぞれ異なる災害への装備・任務が与えられているそうで、ここ第二方面隊は、低所災害と地下災害に対応するのが役割だそうです。

Img_4690c  10㎞を過ぎて、JRゲートタワーや、JRセントラルタワーズが見えてきました。朝、出発したJR名古屋駅・Img_4715c タワーズガーデンに戻ってきたのは、13時40分。10.5㎞+αを歩きました。+αは、名古屋城で歩き回った分。4時間20分かかりましたが、名古屋城で1時間を費やしましたので、実質、歩いたのは3時間20分です。

Img_4711c_20191230151801 Img_4726c_20191221192201  ゴール看板を撮影しないと、JRさわやかウォーキングを完歩したという気になれませんので、この日も撮影。JRさわやかウォーキングのスタンプは、更新してから2つめ。来年11月までの1年間で10個をゲットするのが目標。。思っていたより暖かくて、汗を掻いたくらいです。このタワーズガーデンのゴール受付、実は、JR名古屋駅の関西線ホームに行くより、近鉄名古屋駅地下改札の方がはるかに近いので、JRさわやかウォーキングに来たのに、帰りは、近鉄名古屋線を利用することにしました(苦笑)。この少し南から階段を降りたら、12月15日の近鉄ハイキング(20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(予告編))で地上に出て来た階段があり、すぐに近鉄名古屋駅の地下改札に行けるのです。14時1分に松阪行きの急行があり、それに乗車。桑名駅には14時22分着。¥450。近鉄の方が、JRよりも¥100高いのですが、いささかお疲れでしたので、この際、気にしないことに。

Img_4721c  この日のALKOOのデータ。23,250歩でした(Nintendoの生活リズム計では、21,461歩)。歩いたのは、JRさわやかウォーキングで10.5㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で、合計12.3㎞。よく歩きました。当初は、12時にはゴールだなと思っていたのですが、名古屋城に立ち寄ったので、プラス1時間半あまり。

 この日のJRさわやかウォーキングが、2019年の近鉄ハイキング/JRさわやかウォーキング納めでした。今年は、1月26日の近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」(20190126近鉄ハイキング“酒蔵みてある記 銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”へ(予告編))以来、合計41回に参加しました。来年は、1月12日の近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」からと予定しています。

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