20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その2)……そうめん坂道標、轉輪寺、徳浄上人千日祈願の塔、へんばや本店でへんば餅を味わい、宮川の手前へ
11月16日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」のその2です。その1では、まだ2.4㎞ほどしか進んでいません。このところ、用事が多く、なかなか落ち着いて書けないためです。すべきことがあるのはうれしいのですが、「忙しい」のはちょっとどうかという気もします。左は、実測ルートマップその2。安養寺を出て、明星地内を進みます。あまり立ち寄るところはありません。近鉄明星駅の南あたり。
大堀川を越えて明星に入ったところから、緩やかな坂が始まります。その坂の入り口あたりの古いお宅をふと見上げたら、面白
いものを発見しました。鬼瓦のところに、大国様と恵比寿様がいらっしゃったのです。屋根の上の鍾馗様は、時々見つけて、書いていますが、このタイプは初めて。ネットで検索すると(たとえば、こちら)、けっこうあちこちにあるようで、商売繁盛を祈るもののようです。ということは、このお宅も何か商売を営んでおられたのかも知れません。
このすぐ先、2.8㎞ほどのところに「そうめん坂」と書かれた道標。昔、このあたりは明星茶屋のかかりで、そうめん屋やうどん屋が何軒かあって繁盛していたことから名付けられたもの。他にも食べ物・ぞうり・笠等を売る店があったといいます。
スタートから3.2㎞で明星山轉輪寺がありました。真宗高田派のお寺。若い頃から比叡山に入り、天台の教義を修めた桑・本教がこの地に本教寺を創建。その後、諸国を教化に導いていた高田専修寺の第10世真慧(しんね)上人に帰依し、真宗高田派に改めています。元禄15(1702)年、本教寺から轉輪寺に寺号を改めました。古くから、この地には轉輪王が祭られ、信仰されていたためです。ちなみに、真慧上人の導きで真宗高田派に改宗したお寺、この地方では時々あります。
天保2(1831)年、本山の御通所(おかよいしょ)となり、代々の法主が参宮される際の休泊所になり、中本山としての役割
も担いました。第12世教雲のとき本堂を新しくすることになり、文政7(1824)年頃から高次に入り、天保6(1835)年に完成。しかし、天保8(1837)年の台風で本堂は大破。翌年、修理完了して再入仏。これが現在の本堂です。庫裏(右の写真)と表門、梵鐘は明和町有形文化財。庫裏が立派だと思ったら、これが、前の本堂でした。明暦年間(1655~58年)に建てられたとみられ、桃山建築の様式を残しているといいます。また、表門(上左の写真)は、度会郡玉城町の田丸城から移築したと伝わっています。
こちらは経蔵。安永6(1777)年の建立。同性の釈迦如来像、経典、写本が収められています。写真を撮り忘れたのですが、鐘楼は、延宝8(1680)年に建てられ、そこにある梵鐘も同年につくられたもので、戦時中の供出も免れました。南門は、松坂城から移したという話もあるそうです。事前にあまり調べずに訪ねたのですが、由緒ある、立派なお寺でした。詳しい資料もいただけ、話もいろいろと聞かせてもらえました。
このお寺、境内にこんな柿の木がありました。確か、信濃柿とおっしゃったと思います(豆柿、小柿とも)。渋柿の一種で、
食用というよりは「柿渋」を採取する用途の方が主だったようですが、褐色を帯び始めるくらい熟したものはとても甘くておいしいそうです。なかなかよい感じのお寺で、時間が許せばもっとゆっくりお参りし、拝観したいところでした。11時前に轉輪寺を出ます。
このあとが大変。轉輪寺がスタートから約3.2㎞でしたが、このあと1.5㎞ほど、ひたすら
歩いたのです。4.7㎞ほど、明星郵便局を過ぎ、八柱神社の近くに「従是外宮二里」という道標があります。嘉永6(1853)年の建立。ここは、明野への分岐点です。
さて、ここからは実測ルートマップはその3の範囲に。スタートから5㎞を過ぎ、弘法大師堂、徳浄上人千日祈願の塔を見て、明野駅の南、明野交差点で右折して南下。いよいよへんば餅のへんばやにいくことになるのです(微笑)。
5.2㎞あたり、名古屋プロパンの先に弘法大師堂。小道との分岐点にあります。江戸時代から参宮客の信仰を集めていたといいます。旅人の道中の無事を祈ったのではないかと思います。
そのすぐ先で、伊勢市に入ります。このあたりは、旧・度会郡小俣町のはず。平成の大合併で伊勢市に合併(平成17(2005)年11月)。伊勢街道の最後の宿場として栄えました。
5.7㎞、明野庚申前という交差点のところに、「徳浄上人千日祈願の塔」が建っています。昔、一人の僧がここ明野の庚申堂を霊
場(根城)にして修行していたのですが、天保の頃、大飢饉に見舞われたとき、この僧が村民の窮状を救わんとして伊勢両神宮に千日の間、村民の無事息災を祈願して素足で日参されたといいます。その後、明野村は疫病などもなく平安に暮らすことができたそうです。この僧のはを徳浄光我上人といい、その徳を称え建立したもの。満行は、天保7(1836)年3月29日とあります。千日祈願の塔の正面には「南無阿弥陀仏」と、また、台座には「三界萬霊」と刻まれています。この塔に向かって右脇には、「廻国供養碑」。かなり風化していますが、碑表には「大乗妙典六十六部廻國供養」、右面に「寛保元(1741)辛酉十月廿一日」、左面には「願主/小俣住人直念」とあります。ちなみに、廻国供養塔とは、日本全国の社寺に法華経を納経する名目で行われた巡礼(日本廻国)に関わった人たちが造立した石造物をいいます。
千日祈願の塔の奥には庚申堂があります。寛政年間(1789~1801年)の建立と伝わっています。徳浄上人が霊場としたのは、この庚申堂ということになります。
徳浄上人千日祈願の塔を過ぎると、スタートから6㎞。その先、明野交差点を右折し、南へ。6.3㎞地点に
「へんばや」本店。この楽しみの一つ。というか、かなりメイン(笑)。ここを通るだろうから、ぜひともへんばや本店で「へんば餅」を味わおうと思ってきました。時刻は、11時40分頃とちょうどよい頃合い。伊勢街道の最終の宿場である小俣宿にあります。「へんば」は、「返馬」。安永4(1775)年)に9代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け餅を商い初めました。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休み、ここから馬を返し参宮したため、何時からかへんば(返馬)餅と名づけられたといいます。
へんばや本店には、30数年前に1度だけ来た記憶があります。へんば餅は、米粉を用いた餅で、独特の食感があり、両面に焼
き色がついています。香ばしく、口溶けもよく、こし餡はまろやかな甘み。堪りませんねぇ(微笑)。へんば餅2個に玄米茶がついて、¥160。昔の旅人気分を満喫。
さらに、今日は大盤振る舞い。へんばやさんの隠れた名物である、赤飯弁当(一合少々で¥450)と、昆布の佃煮(120gで¥500)を土産に買ってきました(微笑)。餅やで佃煮? と思われるでしょうが、これがなかなかのもの。ご飯のお供にもいけますし、酒のアテにも最適。飲み過ぎないようにしないといけません。
へんば餅を味わい、小腹も満たせ、再び旅人になり、歩き続けます(11時50分)。相合川を渡り、7㎞あたりに新出交差点の先に庚申堂と
常夜燈があります。この庚申堂は、安永年間(1772~81年)の建立と伝わっています。
ここで実測ルートマップはその4へ。小俣の町を通って、宮川の近くへと進んでいきます。宮川は、三重・奈良県境の大台ヶ原に端を発し、91㎞を流れ伊勢湾に注ぎます。三重県内最長の川。伊勢神宮の式年遷宮でのお白石持行事で使う白石は、この川で採集します。
その前に、7.6㎞で外城田川を越えます。この川は、平時は水量が乏しく、雨が降ると直ちに水量を増
すことから「貧乏川」と呼ばれました。小俣小学校の前を通って、8㎞。JR参宮線・宮川駅の近くに来ています。8.1㎞のところに「札の辻」。かつてここには、和歌山藩の高札場がありました。今は、まだ新しい「紀州藩高札場跡」という石柱が立てられています。ここを左折し、東へ。「丸吉」という屋号の格子の町家があるはずでしたが、気づかず。煙草入れ、薬等を販売しており、虫籠窓が残っているというのですが、残念。
その先でまた右折。右折してすぐに「板田の橋跡」という石柱。民家を挟んでその向こうに
は、「鳥羽藩高札場跡」の石柱。このあたりは、和歌山藩と鳥羽藩の領地が入り組んでいたのかも知れません。「板田の橋跡」碑の右面には、「名木 板田の薄紅葉跡」とありますが、今は、橋も紅葉もありません(リンク先に、昭和11(1936)年の絵はがきの画像がありました。紅葉の大木が写っています)。
絵はがきとほぼ同じところを同じ方角から撮っていました。道の曲がり具合などは、同じと思います。この近くには、鳥羽藩本陣跡や、離宮院跡もあったのですが、本陣跡は見逃し、離宮院跡には行っていません。ともに惜しいことをしたと、帰ってから反省。江戸時代の小俣村は、紀州藩領と鳥羽藩領に分かれていました。また、離宮院跡は、伊勢神宮斎宮の離宮のあった場所。対象13(1924)年に国の史跡に指定されています。斎宮の斎館および勅使の宿舎、神宮司・諸司の官舎駅馬院などがあったそうです。
8.7㎞で汁谷川を宮古橋で渡ります。橋の西のたもとに「参宮人見附」と刻まれた石柱が建っています。江戸時代、伊勢神宮のおかげがいただけるありがたい年として「おかげ参り」が約60年毎に起こり、たくさんの人々が伊勢神宮へと押しかけました。そのため治安が乱れ、警備のため見張り所を造り、不審者をチェックしたのが「参宮人見附」です。これを観て不思議なもののように思ったのですが、ここに建っているものは、昭和54(1979)年7月に付近の側溝の底から発見されたといいます。もとは、柱石角柱、火袋屋根木製の常夜燈だったと考えられますが、ほぼ半分に割られています。宮川の渡から遠くないところです。
宮古橋を渡ったところに、三重県南部自動車学校があったのですが、キャッチコピーが笑えました。「ほめちぎる教習所」だそうです。私が運転免許を取った、今から40年前など、教習所の指導員の先生は、怖い人ばかりだったような気がしますが、それは今は昔のことのようです。笑ったところで、キリも良いので、その2はここまで。その3では、いよいよ宮川・桜の渡し跡から、宮川を渡り、伊勢の街中へ。
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