20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(その2)……堀川沿いを歩いて松重閘門から、東別院で「手作り朝市」そしてメ~テレを覗く
9月28日のJRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」のその2です。その1では、熱田神宮公園と白鳥庭園を歩き、名古屋学院大学、名古屋国際会議場の周囲を回って旗屋橋で再び堀川を超えるところまで来ました。ここからは延々と堀川沿いを北上し、古渡橋東まで進みます。1.5㎞ほど。立ち寄るところもとくに指定されていません。
立ち寄るところはありませんから、堀川や、途中にかかっている橋を眺めながら進みます。旗屋橋の次は瓶屋橋。そして、左の写真は、住吉橋。スタートから約5.2㎞。八熊通にかかっています。わざわざ通りの名前を書いたのは、この通りは昔の勤務先近くに通じているからです。珍しい意匠だなと思ったら、昭和12(1937)年のもの。名古屋では珍しいラーメン橋台橋だそうです(ラーメンはドイツ語で、英語ではRigid frame bridgeだそうです)。三連
アーチに見える外観はとても美しいと思います。このデザインは、関東大震災後の復興橋梁の標準形式としてよく採用されたといいます。親柱もなかなかよい感じです。
その後、尾頭橋(おとうばし)。「尾頭」という地名は、ここが熱田台地の尾根筋と尾張平野の南部を結ぶ接点で、長い坂道が鵜の首のようであったため、烏頭(うとう)の里と呼ばれていたものが、中世初期に「尾頭」に変化したという説があるそうです(諸説あります。こちら)。尾頭橋は、佐屋街道の橋としてかけられました。佐屋街道は寛永11(1634)年、江戸幕府3代将軍徳川家光通過の際に本格的に整備された街道で、東海道・七里の渡しを避ける脇往還(いわばバイパス)です。大正期の尾頭橋には、八幡園と呼ばれる花街もあったそうですが、昭和20年代後半から衰退してしまいました。
尾頭橋を越えると左手(西)にWins名古屋が見えます。有り体にいってしまえば、場外馬券売り場なのですが、かなり快適
に過ごせたり、飲食エリアもあったりするそうです。しかし、私には縁のないところ。ギャンブルは、一切やらないのです。この先でJR東海道線、名鉄名古屋本線、JR中央線の堀川橋梁の下を潜ります。ここらあたりで別のハイキンググループの方多数とすれ違い。
堀川橋梁と橋脚についての歴史的な経緯は、ここにあります。堀川の下流側から東海道線、名鉄線、中央線
が通っています。東海道線上り・下りと、名鉄線上りの3つ線路の橋脚は煉瓦積みになっています。リンク先の記述によれば、かなり古いものを今でも使っていると思われます。橋の下を通っているとき、中央線の多治見行き電車が通過していきました。ものすごい音で怖い感じもしますが、何となく楽しい気もします。
ようやく古渡橋(ふるわたりばし)まで来ました。ここまでで6㎞。11時40分近くになっています。橋を渡
って、都市高速の下を潜って古渡橋の交差点を右折し、北へ。古渡橋は、堀川が掘られたころにかけられた「堀川七橋(ほりかわななはし)」の1つです。橋の名前は、地名に由来するといいます。名古屋高速の下を歩き、山王橋を越えて、南北橋のところまで行きます。
実測ルートマップは、その3。その2と一部重複しています。次の目的地は、この地図の左上にある松重閘門。そこから少し南に戻って、山王橋交差点を左折して東へ。真宗大谷派名古屋別院で手作り朝市。お隣のメ~テレを除いて東別院交差点を左折して北へ。久屋を目指します。
松重閘門(まつしげこうもん)に到着。スタートからほぼ7㎞。11時50分くらい。実測ルートマップでは分からないのですが、この西300~400mあたりを東海道新幹線、東海道線、名鉄名古屋本線、中央線が通っていて、電車からも見えます。学生時代、名古屋に通学している頃から「何だろう?」と思っていました。「閘門」は、水位差のある水面間で船を就航させるための構造物です。閘室とよぶ前後を扉(lock gate)で仕切った水面に船を入れ、扉の開閉によって水位を昇降させてのち、一方を開いて船を進める仕組みになっていま
す。長良川河口堰にもありますし、時々行く船頭平閘門もこれです。画期的な発明と思います。松重閘門は、中川運河(昭和7(1932)年に開通。東洋一の大運河と称されました)と堀川を結ぶために昭和5(1930)年に開通しています。中川運河は、名古屋港と国鉄笹島貨物駅(昭和61(1986)年に廃止。現在は、ささしまライブ24)とを結ぶために作られたのですが、駅の手前で堀川とつなぐことになったものの、両河川の水位が2mほど異なるためつくられたのが、松重閘門です。ヨーロッパのお城といわれても通りそうな建築物です。これらの写真は2枚とも、西側の塔。左の写真は、西側から見たもの、右の写真は、閘室があったところから西の塔を見たもの(運河の奥にJR、名鉄の線路が見えます)。
東西長さ90mの閘室(現在は埋められていました)の両端に高さ約20mの塔が2棟ずつあり、一対の塔をつなぐ橋に吊られた
40トンの鉄板を上げ下げしました。塔の内部には鋼板を動かすのに使う錘が入っています。日本の閘門では扉式が多いので、こういう形式は珍しいそうです。塔は周囲4m角で、上部に窓が付いていて、どの方向から見てもほぼ同じ形です。下から15mあたりには中世ヨーロッパの城に見られる「石落とし」に似たひさしがあり、その上には三角帽子の屋根がついた見張り台が載っています。
中川運河は、ピーク時の昭和42(1967)年には、年間32,000隻の船が通過し、貨物量は約380万トンに達しましたが、その後は、水運の役割は急速に減り、松重閘門は昭和51(1976)年、閘門はその役割を終えました。東側の塔の近くにライトアップされた松重閘門の写真がありましたが、それはまさに「水上の貴婦人」という愛称にふさわしいものでした。ライトアップされた松重閘門も、見てみたいですねぇ。閘室のあったところは小さな公園になっていましたので、小休止(ただ、草刈りが行われておらず、草茫々だったのは残念)。
松重閘門を見られて、満足し、東別院に向かいます。堀川は、白鳥に貯木場があったこともあって、「材木
の川」でした。かつては丸太や、それを組んだ筏がたくさん浮かんでいました。川沿いには、製材所や材木店が建ち並んでいたのですが、今は、名古屋港の西にある西部木材港へ引っこしたり、マンションなどに変わったりして、ずいぶん少なくなりましたが、それでもまだ残っています。山王橋で再び堀川を渡って東へ向かいます。
スタートから8㎞で、真宗大谷派名古屋別院に到着。「古渡城跡」という看板がありました。不覚にも知りませんでしたし、予習が及んでいませんでした(苦笑)。戦国時代、ここに平城があったのです。織田信秀(信長の父)が今川氏豊から那古野城(なごやじょう;名古屋市中区)を奪って居城を移した翌年の天文3(1534)年、今川氏に対する東南方向の備えとして築城し、信秀の居城とした城です。天文15(1546)年、13歳の信長は、この城で元服しています。古渡城は、信秀が天文17(1548)年、末森城(名古屋市千種区)を築いて、新しい居城としたため、廃城となりました。
真宗大谷派名古屋別院(東別院)は、元禄3(1690)年に尾張藩2代藩主・徳川光友公が、名古屋袋町の泉龍寺を名古屋御坊として公許し、翌年、光友公がこの古渡城跡を御坊の地として寄進しました。元禄15(1702)年、本堂が完成しています。昭和20(1945)年3月12日の名古屋大空襲で、本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失し、戦後再建されました。ここへ来たのは、2回目。前に来たのは、大学時代の恩師(胸部の指導教授をお願いした先生)のお通夜と葬儀のとき。25年くらい前でした。
この日は、10時から14時まで「てづくり朝市」が境内一帯で開かれていて、この朝市が立ち寄り先。まず
は、本堂にお参りしてきましたが、とにかく大賑わい。いつもなら境内にある建物などを見て回るのですが、とてもそれどころではありませんでした。店もとにかくたくさん出ていました。この日の出店リストがここにありますが、とても回りきれません。
時間が時間でしたから、小腹が空いてきました。あちこち見て回った結果、手ごろな価格で腹が満たせそうなものということ
で、玄米でできた五平餅を¥250でゲット。行儀は悪かったのですが、山門脇の階段に座って食べてきました。普通の五平餅の方が、もちもち感が強い感じでした。食べる方に気をとられ、店の写真は撮り忘れ、店の名前もよく覚えていません(爆)。何ともまあ浅ましい次第で、お恥ずかしい。とにかく人が多かったので、腹を満たして、早々に再スタートすることに(12時35分)。
東別院のすぐ隣には、メ~テレ(名古屋テレビ)があります。どういうわけか、メ~テレの番組は好みで、朝のドデスカ!とか、夕方のアップ!などの他、ミステリーもよく見ます。今日は、1階のロビーが公開されていましたので、見てきました。メ
~テレのキャラクターは、ウルフィ。地デジが始まった2003年から活動中。昔、ウルフィのキャラクターグッズに「根付け」があり、愛用していました(微笑)。
メ~テレを出たのが12時40分。東別院の交差点を左折して、北へ。久屋大通にあるフラリエを目指しますが、そこからはその3にて。
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