20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その1)……伊勢中川駅を出発、初瀬街道に入ってまずは神社めぐり、小川神社、西方寺、常夜燈そして須加神社へ
10月5日に行ってきた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」の本編、その1です。翌日は研修会講師、その次の日は歴史講座参加、水曜日は江戸橋での授業、さらに本業の相談業務が重なり(どっちが本業か、よく分かりません。散歩業が本業かも)、遅々として進んでいませんが、まぁボチボチ。モットー通り、「淡々と飽きもせず」で参りましょう。
この伊勢参りハイキングも9回目。これまでのところ、コンプリートしています。この日は、近鉄・伊勢中川から近鉄山田線・松阪駅までの12㎞。天気がよく暑いくらいでした。ところどころ、風がよく通るところがあり、そういうところはよかったのですが……。今回も、畏友Mさんと二人旅(「ブログには、今回もMとして登場しますか?」と確認されました。もう少し登場したいということでしょうか……笑)。
今日の受付は、近鉄名古屋線・伊勢中川駅の西口で、9時半から11時。桑名駅を8時42分発の松阪行き急行 に乗車。伊勢中川駅 には9時40分着。¥900。伊勢中川駅は、名古屋線、山田線、大阪線の接続駅。昭和5(1930)年、参宮急行電鉄が開通した時に参急中川駅として開業しています。右の画像は、Wikipediaからお借りしたものを加工しました。乗り換えに便利なように、1~5番線間にはすべてホームがあり、2~4番線は両側をホームで挟まれる構造になっています(左の写真でもお分かりいただけると思います)。また、駅構内に、名古屋線・大阪線間を短絡する中川短絡線があります。ちなみに、伊勢中川駅では乗り換えたことはありましたし、大阪方面へ往き来するときに短絡線を通ったことは何度もありましたが、降りるのは初めてでした。ちなみに、ここまで来ると、「赤福」の看板がきわめて多数出ています(写真にはありませんが)。ベンチも全部といってよいほど「赤福」となっていて、伊勢も近いという気持ちになります。
いつも通り、コースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプをいただき、さらに今日は、「KIPS対象ハイキング」とい うことで、KIPSポイント100Pもプレゼントされました。あみま倶楽部のスタンプは27個目をゲット。伊勢中川駅をスタートしたのは、9時52分。右の写真のように上天気。
こちらがこの日のコースマップ。伊勢中川駅をスタートして、小川神社、中原 神社などを回って市場庄のまち並みへ行きます。伊勢中川駅を出てしばらくのところから、市場庄に入る手前までは、奈良との間の初瀬(はせ)街道(長谷街道などともいいます)を歩きます。その後、松阪市街地に入って薬師寺(仁王門など)、旧小津清左衛門家、三井家発祥地、豪商のまち 松阪観光交流センターから鶴の玉本舗たつみ堂を経て、近鉄山田線・松阪駅北口がゴール。途中、市場庄のまち並みは、前回のハイキングコースと重複しています(20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)。
実際に歩いたルートマップ。伊勢中川駅は、以前は嬉野町でしたが、広域合併にともない、松阪市になりました。上述の通り、伊勢中川駅を出て三渡川の三渡橋のところまでは、基本的に初瀬(はせ)街道を歩きました。三渡橋の南のたもとが、長谷街道と伊勢街道の合流点。ここからが、伊勢街道。近鉄山田線・松ヶ崎駅の西までは、前回歩いたところです。ただし、前回見逃した神楽寺に立ち寄っています。松ヶ崎駅の西から松阪駅までの約4㎞が、伊勢街道としては、今回新たに歩いたルートということになります。
伊勢中川駅を出てまずは南へ。中川駅西から、常念寺前の交差点で右折。ここから初瀬街道に入ります。常念寺前の交差点か らすぐ、スタートから700mほどで小川神社に。その先、西方寺の前を通って進みます。1.2㎞ほどのところ、南浦団地公園の東あたりで常夜燈。このあたり、すぐ西に名松線が走っていて、時々線路が見えます。名松線は、松阪駅から津市の伊勢奥津駅まで走るJR東海の路線。松阪から名張を結ぶ計画でしたので、「名松線」。一度乗ってみたいところ。
小川神社です。創立や由緒は不詳ですが、式内社です。江戸時代には「二天王子」と称しました。明治40(1907)年9月に宮古の郡一神社、小 川の田中神社・八幡神教・加茂神社を合祀し、明治41(1908)年6月に中川村全城の鎮座31社を合祀し、小川神社となっています。ここ小川神社や、この先で訪れた神社では、右の写真のように、合祀100年の紀念碑が建っていました。社伝では、「往古丹波渓戸と云う医師が常に高於加美命・大国主命を信仰したが、この後宮帳に入れ、郷名を採り社号とし、且つ村名とした」とされます。
御祭神は、高裁加美命(たかおかみのみこと;雨をつかさどる神)、大国主命、素直鳴尊、大日霊命、天忍穂耳命、少彦名命、天児屋根命、応神天皇、宇迦之御霊命、武甕槌神、火之迦具土神、事代主神、大山津見神、加茂明神、菅原道真です。合祀が行われたためなのでしょうが、14柱もの神様がいらっしゃいます。合祀前、それぞれの神社にそれぞれの理由、由来があって神様を祀っていたと思うのですが、合理的な観点(神社の数を減らし残った神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備・財産を備えさせ、神社の威厳を保たせて、神社の継続的経営を確立させるため)だけから合祀をしたのは、ちょっと乱暴な気がします。神社合祀は、明治39(1906)年、第1次西園寺内閣において進められ、当初は地域の実情に合わせかなりの幅を持たせたものであったといいます。しかし、第2次桂内閣の内務大臣平田東助がこれを強固に推し進めることを厳命したため、大正3(1914)年までに全国で約20万社あった神社のうち、7万社が取り壊されたそうです。三重県では、県下全神社のおよそ9割が廃されることとなりました。
古い常夜燈がありましたが、中央の大きな常夜燈は部分的に破損しているように見えます。正面には「(両宮/常)夜燈」とあります(括弧内は破損しています)右には「村中」、左には「(天保五)年甲午七月」とあります(天保5年は1834年)。手前に立つ2基の常夜燈には、「元禄十 二巳卯年三月吉日」と刻まれています。元禄12年は、1699年。300年以上前のもの。拝殿に向かって右手(東)には、山の神と、稲荷社もありました。
これもよく調べて行かなかったのですが、小川神社の西に小泉山常念寺(こいずみざんじょうねんじ)があります。天台真盛宗西来寺末。開基、当地に建立された経緯は、兵火に遭った伽藍と共に記録等を焼失したため不明です。しかし、「一志郡史」に掲載された由緒書によれば、織田信長の兵火に焼失した中川村十三仏にあった不断念仏の道場、大念仏寺を起源とし、文明年間(1469~87年)に天台宗真盛派西来寺末となったといいます。よく調べなかったので、写真を1枚撮っただけでしたが、伊勢中川駅から来て曲がった交差点の名前が「常念寺前」でした。このあたりでは珍しい「向拝造り」の仏堂があるということでしたし(向拝とは、社寺の堂や社殿の正面階段上にふきおろしの屋根、ひさしをつけたところで、そこで参詣者が礼拝します)、山門前には「真盛上人(しんせいしょうにん)御旧蹟」と刻まれているそうです。真盛上人は、伊勢の生まれ。室町後期の天台宗の僧で、真盛派の開祖。
小川神社の先には、真宗高田派の小川山西方寺。後からしまったと思うことが多いのですが、初瀬街道沿いの予習が不十分でした。みえの歴史街道「初瀬街道」によれば、「門前に壇の浦の戦いに敗れた平家にまつわる伝説がある五六橋がかかる」とありました。知っていればもっとよく見てきたのに。確かに門前に用水路のようなものがあり、短い橋がかかっていました。関連があるのかよく分かりませんでしたが、平清盛の孫の六代が隠れ住んだという伝承がある山間部の集落に「平六代(たいらのろくだい)の墓があるそうです。
西方寺の先の初瀬街道の様子。足下を見ると、旧・嬉野町のマンホール。ハイキング・ウォーキングで歩いていると、マンホールの蓋のデザイン、けっこう気になります。旧・嬉野町の町の花が山百合、町の鳥が雉でしたか らそれをデザインしたものでした。西方寺を過ぎてようやく1㎞。
南浦団地公園近く、1.2㎞ほどのところに常夜燈がありました。正面には「常夜燈」、右には「小川氏子中」、左には「昭和六年十一月建之」。昭和6(1931)年になってからもこういう常夜燈を建てたものなのだと感心します。
スタートから1.8㎞ほどで左手(東)に旧・嬉野町役場が見えてきます。平成17(2005) 年1月、松阪市、一志郡三雲町、飯南郡飯南町、飯高町と合併し、新しい松阪市になっています。町名は、およそ2,000年前に倭姫命が阿坂の賊徒を平定した折に「うれし」と喜んだという伝承に由来します(こういう話を読むと、何だか楽しくなります)。このあたりから、実測ルートマップはその2に。初瀬街道のすぐ西には、JR名松線が通っていて、ところどころで線路が見えます。松阪駅から伊勢奥津駅の間、43.5㎞。赤字路線で、平成21(2009)年の台風18号により甚大な被害を受け、JR東海は部分廃止・バス転換を打ち出したものの、沿線自治体の支援により平成28(2016)年3月に運行が再開されました。一度乗ってみたい路線です。JRさわやかウォーキングも行われるようになったのですが、全線通して運転されているのは1日6往復(途中の家城までは8往復)ですから、よく調べて行かないといけません。
遅くなった割りに余談が多くて読みにくくなっています。勘と記憶を取り戻すのに、グダグダしており、大変恐縮です。
旧・嬉野町役場は、社会福祉センターや体育センターになっています。このすぐ南にある須加(すが)神社が次の立ち寄り 先。スタートから約2.2㎞、10時半少し前。須賀の里の産土神でした。左は表参道を出たところの様子ですが、初瀬街道を左折して東に向かうと、裏参道から入ります(右の写真)。式内社。垂仁天皇の18年、倭姫命が天照大御神を奉じて伊勢へ向かわれる途中、鈴鹿の忍山からここにいらしたとき、阿射加山(今の松阪市阿坂付近と思われます)に荒振る神があって難渋した時、大若子命に命じてその神を鎮められたといいます。倭姫命はとても喜ばれて「あな嬉し」とおっしゃっり(既述の通り)、この地に創建されたのが、須加神社といいます。江戸時代には須加権現と称されました。明治41(1908)年5月、旧・豊田にあった鎮守神社、秋葉神社、金刀比羅神社、八雲神社、八重垣神社、八王子神社、鏡神社、八幡神社、若宮神社、稲荷神社、春日神社、宇氣比神社、山神社を合祀しています。
主祭神は、道生貴神(みちぬしのむちのかみ)。筑前の宗像神社と同じ神様であり、みちびきの神です。ちなみに、「貴(むち)」はもっとも高貴な神に贈られる尊称で、道主貴(宗像三女神)以外には、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち)(天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち)(大国主命)のみとなっています。初瀬街道を行くたび人が多数参拝したと思われます。相殿神は、素盞嗚尊(高天原から追放され、出雲に降り、八岐大蛇を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を天照大神に献じた)、大日孁貴命(天照大神の異称)、天児屋根命(天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、御食津神(みけつかみ;食物をつかさどる神)、応神天皇、迦具土神(かぐつちのかみ;火の神)、大国主神(おおくにぬしのみこと;出雲大社の祭神)、五男三女神(天照大神と素戔嗚尊とが誓約して生んだという五柱の男神と三柱の女神)、大山祇神(おおやまつみのかみ;山を司る神)、仁徳天皇、八島士奴美尊(やしまじぬみのかみ;素戔嗚尊の子で、母は櫛名田比売(くしなだひめ、奇稲田姫)。木花知流比売(このはなちるひめ)を妻にむかえ、布波能母遅久奴須奴(ふはのもじくぬすぬの)神をもうけた)、奇名田姫命(八岐大蛇のいけにえとなるところを、素戔嗚尊によって助けられ、その妻となった)、足名椎命(アシナズチノミコト、脚摩乳;大山祇神の子で妻は手摩乳。奇稲田姫はその末娘)、手名椎命(テナズチノミコト、手摩乳)、天忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊)、不詳一座となっています。
境内には、橿原神宮遙拝所があります。また、ここにも、小川神社と同じように、合祀祈念碑が建てられていました。「式 内 須加神社合祀百季記念碑」と刻まれています。表参道の案内板に境内の石段横には「天の真名井」と言われる天然の井戸があるとありました。その底は計り知れず、俗に山辺の清水というそうです。さらに、石段には万福寺と刻んだ石があり、神仏習合の跡が見られるともありました。が、ここでも予習不足を露呈(苦笑)。見てきませんでした。ちなみに、万福寺は、このすぐ南に同じ名前の浄土宗の寺があります(立ち寄ってはいません)。
表参道の西あたりに石標が2基あります。こういうものがあるとどうしても惹かれます(苦笑)。ささいなこ と、どうでもよいことが気になりがち。正面には、「式内 須加神社 是」とあり、他にも「権現村前」などが刻まれています。須加神社への道標のように思われますが、詳細は不明。この脇にも、石標があります(右の写真)。正面には「権現前邑権現社境内」と、また、右には「従是東権現社境内」とあります。
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