20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その2)……加茂川橋のたもとの常夜燈、大日寺町石、八柱神社、浄林寺、おもん茶屋跡、願證寺から櫛田川へ
10月27日に行ってきた近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」のその2です。その1では、実測ルートマップその2にある常夜燈(植松デンタルクリニックそば)まで来ました。まだ松阪市垣鼻町を歩いています。この常夜燈のあたりでスタートから3.7㎞、時刻は10時55分。
スタートから4.2㎞あたり、神戸保育園のすぐ東に地蔵堂があります。このお地蔵様のことはよく分かりません。お地蔵様は、近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングで歩いているとよく見るのですが、ネットにはその由来などが載っていないことがほとんど。お世話がきちんとなされているところが多いものの、その名前も分からないのです。地元の方に伺うと分かるのでしょうが、現場であたりにそういう方にはなかなか巡り会えません。残念です。
このあたりから、実測ルートマップはその3になります。松阪市上川町地内です。常夜燈、八柱神社、道標と見て、浄林寺へと進んでいきます。
4.3㎞あたりでJR紀勢線・徳和駅そばの踏切を渡ります。紀勢線は、亀山から津までは乗ったことがありますが、このあたりはみ
ちのゾーン。しばらくすると、松阪市上川町に入ります。真盛川にかかる加茂川橋のたもとまでくると、まずはとても大きな常夜燈が見えてきます(右の写真)。天保7(1841)年に建立されたもの(みえの歴史街道の伊勢街道のマップには、天保2年とありますが、裏を見ると、後述のように天保7年となていました)。正面には「三社燈籠/万人講」とあります。左側には「講元 河州諸元 松沢作兵衛/諸方 世話人中」と、また、右側には「諸方/神社仏閣」と刻まれています。裏には「干時天保七年/丙申九月吉日」。
この常夜燈の南側、加茂川橋のたもとには、「大日寺の町石」があります。「片岡山大日如来是より三丁 願主□」と刻まれて
います。三丁は、約327m。大日寺は、ここから南西に600mあまりのところにある高野山真言宗のお寺。片岡山地蔵院大日寺。三重四国八十八箇所霊場の第83番札所。天平年間(729~49) に行基菩薩が建立したという古刹。
この真盛川の左岸堤防の上には、明治13(1880)年に建てられた女人供養塔があると、みえの歴史街道の伊勢街道のマップにありましたので、探したものの、見当たりませんでした。左の写真がそれなのですが(この写真は、こちらからお借りしました)、それらしいものは見たりませんでした。「ない」というのを証明するのは、とても難しいのですが……。由来は、「産後何かあったらしい」という話がリンク先に書いてあるものの、よく分かりません。
上川町西交差点の手前に期間限定の看板があります。次の日曜(11/3)に全日本大学駅伝が開催されるのですが、それによる渋滞を予告するもの。全日本大学駅伝は、熱田神宮から伊勢神宮まで走ります。ただし、走るのは、ここ伊勢街道ではありません。国道23号線を下っていきます(こちら)。桑名も通って行きます。昔は、国道23号線揖斐長良大橋を渡った地蔵交差点まで行って、応援したこともあります(2006年11月5日:全日本大学駅伝)。
スタートから5.4㎞地点で八柱神社にやって来ました。ここについては、みえの歴史街道の伊勢街道のマップにも、ネット上
にも特に情報はありません。「八柱神社」というからには、8柱の神様を祀っているはずですが、御祭神などについても表示はされていません。拝殿は右の写真のように、シンプルなものでした。向かって左手には、小さなお社もあったのですが、これについても不明。
八柱神社の参道口には、明和5(1768)年に建てられたという常夜燈がありました。もとは、伊勢街道沿い
にあったといいます。また、神社の前には、青面金剛石像を祀る庚申堂もあります。
佛名寺を過ぎて、浄林寺に行くまでの5.8㎞地点、街道の左側(北側)に道標。「従是外宮四里」と刻まれています。弘化3(1846)年の建立。「玉造講」とあります。いよいよ外宮までかなり近くなってきました。外宮には、次回(第11回)、参拝するはず。3月に桑名、七里の渡し跡をスタートして、10回目でここまで来たのです。
このあたりの伊勢街道の様子。ここにも、11月3日の全日本大学駅伝による渋滞を予告する
看板がありました。
そして、ほぼ6㎞のところに浄土宗のお寺、東慮山法音院
浄林寺。参道の入り口には、ご覧のような、石造りの太鼓橋もあって、なかなか風情のあるお寺です。右の写真は、常夜燈。参道口にありますが、珍しい形をしています。由来は不明。
このような「不許酒肉五辛入門内」という石柱もあります。禅寺などには、「不許葷酒入山門」などと刻まれた石柱が建っていることがありますが、それと同様のようです。酒や肉、臭の強い物を持ち込んではならないということなのでしょう。修行の妨げになるということ。「五辛(ゴジン)」とは、葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)。修行を積んだ僧とはいえ、これらの誘惑には負けそうになるということかと、勝手に想像しました(苦笑)。修行途中の僧では余計にそうなのかもしれません。凡人たる我が身には、それ以上(笑)。
山門も、本堂もなかなかのものでした。しかしながら、ここも由緒書きはなく、ネットで検索してもこれと
いう情報は出て来ません。何でもネットに情報があると思える時代ですが、それから漏れているところもたくさんあるのでしょう。ネット万能とはいえないようです。それはそれでよくて、やはり現地に出かけて、現物を見ることに意味があります。
境内には、「武平林」という石碑がありました。そばにあった碑によれば、「去んぬる戦の時 國策により境内風致の樹木盡くを供木 平和となりて元の森の姿を願いつゝ いち早く自ら車を引き出して 汗をのごい 力をふりしぼりて 八八〇本の苗木を運び寄進せらるげに篤実妙好の善男子なり」と、橋本武兵衞翁(明治24(1891)年生まれ)の功績を顕彰しています(平成17(2005)年、第13世悠誉代)。
帰り際、境内をよく眺めてみたら、参道西の庭園の隅に常夜燈らしきものを見つけました。伊勢街道に出て、少し戻って確認。樹木に隠れてよくは見えませんでした。折れた痕はあるものの、天保3(1833)年に建立されたものでした。しかし、詳細は不明。
松阪商業高校の北を歩いて行きます。実測ルートマップは、その4の範囲になります。願證寺の近くに昔、茶屋だった建物(おもん茶屋跡)があります。願證寺には地蔵堂、庚申堂。さらに東に歩いて行き、近鉄山田線・櫛田駅の南で櫛田交差点を渡ると、いよいよ櫛田川に至ります。稲荷社、道標、渡し場跡の標石と見ていき、櫛田橋で櫛田川を渡ります。ここまで来ると、この日のゴールである斎宮駅も近くなってきます。
おもん茶屋跡です。白壁に虫籠窓(むしこまど)という建物。虫籠窓は、窓の形式の一つで、目の細かい縦の格子が等間隔に並ぶ虫籠格子(むしこごうし)をつけた窓のことです。形が虫籠(むしかご)に似ているところからとも、竹を編んで作った蒸子(むしこ、蒸籠)に似ているところからともいいます。江戸時代後期の天明年間(1781~1789年)頃から徐々に、町家にある二階の天井が通常より低い「厨子二階(つしにかい)」などの採光と風通しのための、堅格子(たてごうし)を土や漆喰で塗り回した、土格子窓をさして呼ぶようになっていったといいます。
このおもん茶屋では、へんば餅を名物にしていたといいます(写真は、へんば屋さんのサイトからお借りしました。へんば屋さんの店頭では2個で¥160)。「へんば餅」は、伊勢市小俣町明野にあるへんば屋の名物。へ
んば屋は、安永4(1775)年、参宮街道宮川のほとりに茶店として創業。当時駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がここで休憩し、ここから馬を返し参宮されたため、「へんば(返馬)餅」と名づけられています。ちなみに、私の大好物(微笑)。当時、他にも「おかん茶屋」という店もあったそうです。
このおもん茶屋跡の手前の路地を入って行くと、慈日山願證寺があります。真宗高田派のお寺。このお寺も詳しいことは不明。
願證寺の境内には、地蔵堂と庚申堂があるということでしたので、見に行ったという次第。
みえの歴史街道の伊勢街道マップにも詳細は書かれていないのですが、「ある」と書いてあると見たくなるのです。左が地蔵堂、その奥(右の写真)が庚申堂でした。
願證寺から櫛田川に向かう途中、豊原南の交差点の手前の民家の玄関先を見てビックリ。「櫛田橋」と刻まれた石が、門柱のように建っているのです。これ、どう見ても櫛田橋の親柱だったものにしか見えません。どうしてここにあるのか? それも普通のお宅の玄関先に? 謎なのですが、どなたもいらっしゃいませんし、コースマップにも、伊勢街道のマップにも記載はありません。世の中にはいろいろあるものです(微笑)。
櫛田交差点を渡って、クルクルッと回ります。これはこのあたりに立ち寄りポイントが3ヶ所あるためでもありますが、伊勢街道ももともとクネクネしていたようです。まずは、豊養稲荷神
社。神社検索(三重)にはリストアップされていません。こちらのサイトによれば、大櫛神社の旧地といいます。江戸時代には大櫛社と称していました。
鳥居の脇に「式内大櫛神社」の石碑があります(左の写真)。その脇にもう1つ、石柱がありました。こ
ちらは事前に調べて行った結果では、かつてこのあたりで開かれていた櫛田大市の碑でした。しかし、樹木が生い茂っていてきちんと写真は撮れません。
この後、稲荷社の境内から出たところで左折してしまい、コースミス(苦笑)。すぐに気づいて戻って、事なきを得ました。豊養稲荷社から100mほどのところに道標。ここは、もう櫛田川の堤防のすぐ下です。文政2(1819)年、京の商人が寄進したもの。「左さんくうみち 右けかうみち」とあります。「さんくうみち」は「参宮道」ですが、「けかうみち」とはいったい何でしょう? 「けかうみち」は、この先、櫛田川を渡ったところにある早馬瀬神社のところにある、割れた道標にも刻まれていました。調べ、回らぬアタマで考えた結果、「下向(げこう)」であろうという、取り敢えずの結論。「下向」は、①高い所から低い所へおりていくこと、②都から地方へ行くことといった意味(デジタル大辞泉)。さらに調べたら、goo辞書に「参り下向」ということばが載っていました「まいりげこう」、旧仮名遣いでは「まゐりげかう」で、「参上することと下向すること。また、神社や寺院に参詣すること」とありました。たぶんこれで間違いなし(と思います)。
道標のところを左折し、さらに右折すると(まだ櫛田川の堤防の下)、標石が建っています。ここは、櫛田川の渡し場があっ
たところで、これは大正3(1914)に建てられたもの。この標石は里程標で、正面には「距宇治山田元標三里二十町四十一間/距津元標六里十二町十八間」と、右には「距松坂元標一里二十九丁三十四間」、左には「距齋宮元標二十五町三十一間」とあります。裏は「大正三年三月建之」と読めました。斎宮(の元標)まで25町31間ですから、約2.8㎞。
 このあと、櫛田川の堤防に上がり、若干戻る形で、櫛田橋を渡ります。櫛田川は、三重県中部の中央構造線 沿いを西から東に流れている一級河川。その名は、あの倭姫命の故事に因みます。「倭姫命世記」では倭姫命が、天照大神の鎮座地を求めて諸国を巡行する際、この地で櫛を落とされたことから地名が櫛田と名付けられ、それが川名の由来ともなったとされます。それから歴代の斎王は、群行の際に櫛をこの川に捨て、神に仕える決心をしたといいます。櫛田橋は、300mほどの長さ。余談。櫛田交差点の北西に松阪市立揥水小学校がありました。「揥水」は、「ていすい」と読みます。不思議な名前の小学校だと思ったのですが、「揥水」は櫛田川の別名で、これは当地出身の江戸時代中期の儒学者・奥田三角(おくださんかく)が名付けたものでした。「揥」は櫛を意味しています。こういう話、屁理屈、講釈好きには堪りません(微苦笑)。
櫛田橋を渡り始めるところで、スタートからは約8.4㎞、時刻は12時15分頃。お腹も減ってくるのですが、松阪駅でゲットした「元祖特選牛肉弁当」はゴールするまでお預け(微笑)。記事も、実測ルートマップのキリが良いので、その2はここまで。その3は、櫛田川を渡って、大乗寺や早馬瀬神社のことから。
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