20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その3)……百々川の常夜燈、薬師寺、旧・小津清左衛門家、三井家発祥地から、松治郎の老舗で絶品はちみつ最中アイスを食べ、近鉄松阪駅へゴール、土産は老伴(完)
10月5日に行われた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」のその3です。その2では、初瀬街道から松阪市六軒で伊勢街道に入り、前回のハイキングで歩いた市場庄のまち並みを再確認してきました。前回見てこなかった神楽寺を見てきたり、他にも見落としたところを確認したり。前回のゴールであった近鉄山田線・松ヶ崎駅の西を通って、さらに伊勢街道を進み、松阪の市街地へと向かいます。
冒頭の実測ルートマップその5で、「道標?」と書いたところ(養蜂園の前)に道標らしきものがありました。文字が彫られているのですが、かなり風化して薄くなっています。現地でも読めなかったのですが、調べたら分かるかもとほのかに期待して写真を撮って来ました。が、ネット検索では出て来ません。三重県内の道標、常夜燈をリストアップしている方のサイト(北伊勢の道標)もあるのですが、載っていませんでした。
その先、西福寺のすぐ東あたりで、「かじ栄 山田鉄工所」という看板を発見。鍛冶屋さんですが、ここでもつくっていらっし ゃるような感じでした。鉄工、溶接の他、農具、刃物と看板に書かれています。こういう鍛冶屋さんは、昔はけっこうあちこちにあったと思うのですが、最近はとんと見なくなりました。懐かしい感じ。
8.8㎞あたりで百々川(どどがわ)を塚本橋で渡ります。渡った東側(左手)に常夜燈があります。正 面には、「奉納/常夜燈」と、碑陰には「嘉永五年壬子二月吉祥日」とあります。また、台石には「日本橋/○久/室壱」・「紅林氏」と掘られていました。嘉永5年は1852年。対馬に外国船が現れたり、ロシアの軍艦が下田に来港したりした年です。
常夜燈から伊勢街道を挟んだ西側に小公園があり、気になるものを見つけました。石柱なのですが、よく見ると「どゝ」「大 正○○」とあります(半分くらいは土中に埋まっています)。塚本橋の古い親柱と思われます。小公園の入り口にもそれらしい石柱がありますが、こちらは、ゴミ収集の案内板が貼られていて、ちょっとなんだかなという気もします。このあたりで時刻は12時35分くらい。
JR紀勢線の船江踏切を渡ります。この踏切でスタートから9㎞。松阪市街地も近くなってきています。次の目的地は、薬師寺。踏切からは200mほど。
利生山延命院薬師寺。天台宗のお寺。聖武天皇の勅願所で、天平2(730)年、行基の開基と伝えられます。まさに古 刹。仁王門(写真)と本堂が残っています。所蔵されている「木造薬師如来坐像」は、貞観年間(859~877年)末期の作といわれ、県の有形文化財。仁王門は、修理中でした。
その仁王門は、入母屋造、本瓦葺で阿吽の仁王像が安置されています。修理中で、仁王様の ところにはあまり近づくことができず、ちょっと残念。かなり古いように思えますが、「天正年間(1573~93年)の戦乱で灰燼に帰し、棟札からは、承応2(1653)年に再興された本堂の後に、仁王門も再興されたものと思われる」とありました。
こちらが本堂。戦国時代、織田氏が北畠氏を攻めた大河内(おかわち)合戦の後、講和の条件として、信長の二男・茶筅丸(信雄)が北畠氏の養子となり、永禄12(1569)年から3年間をここで過ごしたといいます。ちなみに、戦の舞台となった「大河内城跡」は、薬師寺から南西に10㎞ほどのところにあります。
境内には芭蕉句碑があります。「梅が香にのっと日の出る山路かな」とあります。高さ約2m38cmの細長い角柱の碑です。こういう角柱の句碑も珍しい気がします。句は中央に一行で刻まれ、碑陰には何も刻字がありませんので、この句碑は、いつ頃誰が建てたものか不明です。薬師寺で、スタートから9.2㎞。12時40分。
薬師寺を過ぎますと、街道筋は建物も増えてきて、賑やかさが窺えます。船江町から川井町 へ進み、川井町3丁目の信号を越えて行くと、いよいよ松阪市街に入っていきます。松阪市のマンホールの蓋のデザインは、鈴。これは、本居宣長が鈴を好み、書斎を鈴屋と称したほどであったことによると思われます。JR松阪駅の駅前にも宣長が愛した「駅鈴」のモニュメントがあります。駅鈴は、律令制で駅馬を利用する時に携行を必要とする鈴です。あとでJR松阪駅の駅前にある駅鈴の写真を載せます。
川井町を過ぎるあたりから、実測ルートマップは、その7。いよいよゴールが視野に入ります。13時を回る頃で、スタートから3時間余り経っています。この日は、好天で、けっこう暑くて汗を掻いていますし、腹も減ってきています(苦笑)。ゴール目前の「終末努力」。
阪内川を大橋で渡ります。この阪内川は、松坂城の北にあり、天然の堀になっています。大橋を渡ったすぐ先、スタートから 10.7㎞のところに、旧・小津清左衛門家があります。以前来たときは、松阪商人の館といっていました。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は格子と矢来があり、質素なイメージなのですが、屋敷は意外なほど広く、土蔵も2つ残っています。
承応2(1653)年に江戸・大伝馬町一丁目に紙店(小津屋)を開業し、明治以降は、銀行・紡績工場などを 設立して多角経営に乗り出しましたものの、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の紙卸問屋に復し、現在は創業以来の地で小津産業株式会社として紙業と不動産業を継続しています。展示品の中には「千両箱」ならぬ「万両箱」もあり、興味深く見てきました。ここは、2度目(2018年5月26日: 20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編))。
旧・小津清左衛門家から200m足らずで三井家発祥地があります。三井家は、もちろんあの 三井財閥の三井家。ここ松阪出身の高利(たかとし;1622~94)を祖とします。高利は14歳から江戸で修行、28歳で松坂に戻り、家庭を持った後、金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出。江戸・京都・大坂で呉服店を開き、両替商も営んで幕府・諸藩の為替御用の地位を得て発展しました。高利は、三井家の3代目。ここには白粉町来迎寺から移した初代高安と2代高俊の墓、高利の長兄らの供養碑、発祥の地の記念碑、また、高利の産湯に使ったという伝承のある井戸があります。しかし、一般には公開されていません。塀の隙間から覗いてみたら、井戸と石碑が見えました。
三井家発祥地のすぐ先が、本町交差点。ここに豪商ポケットパークがあります。ここも、去年5月のJRさわやかウォーキングできています(上記リンクをご覧ください)。ここには四阿と、ライオン像があります。四阿では、休憩もできますが、ちょっとしたイベントもできるスペースになっています。ライオン像(来遠像となっています)は、三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として三越伊勢丹ホールディングスから寄贈されたものです。
豪商ポケットパークの西に松阪もめん手織りセンターがありますが、私はやはり去年5月のJRさわやかウォーキングで立ち寄っていますので、パス(左の写真で、向かって左にある、3階建ての建物が、松阪市産業振興センターとなっていて、その1階に松阪もめん手織りセンターがあります。向かって右が、豪商ポケットパーク。松阪もめん手織りセンターに向かって左(西)に豪商のまち松阪 観光交流センター(2019年4月5日オープン)があったのですが、こちらもパスしてしまいました。観光情報の案内や、松阪ならではのおみやげ品などを販売するところ。
本町交差点を渡ってじきにスタートから11㎞。すぐに左手(東側)にあの有名な和田金があります。松阪牛のすき焼きで有名。前を通るのは3回目くらいですが、もちろん行ったことはありません(威張ることではありませんが。苦笑)。すき焼き、梅でも12,900円しますし、松になると18,200円! 和田金三種盛(そぼろ煮/季節のゼリーよせ/野菜のムース)・ かはり炙り焼・和田金肉すまし・御飯・香の物・デザートというメニュー(よだれが出て来ても、当方は責任を負いませんので、悪しからず……微笑)。家内の知人からここの松阪肉をいただいたことはありますが、ずいぶん昔の話で、どんな味だったかはすでに忘却の彼方。
このあと、鶴の玉本舗 たつみ堂さんによるコースになっていたのですが、「暑いなぁ」「疲れたなぁ」ということで、和田金の4軒ほど先にあった松治郎の老舗へ。ここの店頭に掲げられていた「蜂蜜屋さんの最中アイス」という看板に吸い込まれて、鶴の玉本舗 たつみ堂さんのことはすっかり失念してです(苦笑)。ここは、伊勢にある大正元(1912)年創業の老舗・水谷養蜂園が直営するはちみつ専門店だそうです。立ち寄って大正解でした。蜂蜜もいろいろと味見をさせていただきました。事前のリサーチなしだったので、惜しいこともしました。日本ミツバチが集めた蜂蜜もあったのです。西洋ミツバチが集めたものに比べ、倍くらいの値段。という情報は、翌週月曜(10/7)の三重テレビ「ええじゃないか。」を見て知ったのです(「ちょっと小粋なふれあい旅」(三重県松阪市))。
「ええじゃないか。」でチャンカワイさんも食べていたのが、こちらはちみつ最中アイス。¥380。ちょっと高いなと思ったのですが、これが絶品。水谷養蜂園のはちみつと三重県産の牛乳を使用し、最中は新潟産のもち米を用いた職人の手焼き。店舗限定商品ですから、松治郎の老舗の松阪本店に行かないと食べられません。これでしっかりクールダウン。「暑い、暑い」と繰り返していた、同行のMさんもおとなしくなられました(微笑、失礼)。
さあ、後は松阪駅にゴールするだけです。日野町交差点に行く途中、電話ボックスのような建物があって、人のようなもの が。ちょっとギョッとしましたが、本居宣長さんでした。後で調べたら、これはからくり人形でした。日時が決まっていて、文字を書くのだそうです。日野町交差点を左折して新町通へ。ベルタウンの向かいに駅弁の「あら竹」さんのお店がありました。ここの「モー太郎弁当(税込み¥1,500)」を、今年6月2日の近鉄ハイキングの帰りに買ってきたことがあります(20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。
松阪駅までやって来ました。が、こちらはJR松阪駅(西口)。左の写真に、本居宣長の愛した駅鈴のモニュ メントがあります。さらに、11月3日の氏郷まつりの看板が出ています。Mさん、一度来てみたいとおっしゃっていますので、近鉄ハイキングで氏郷まつりに来ようと思います(私は、去年来ました:2018年11月4日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)。JR側にある「まつさか交流物産館」で、土産に「老伴(おいのとも)(柳屋奉善)」を購入(4個入り、¥700)。
近鉄松阪駅は、東口です。地下通路を通って、東の近鉄側へ。ゴールしたのは、13時50分。ほぼ4時間かか りました。歩いたのは12㎞ちょうど。いや、今回も暑い中、よく歩きました。今回も無事に記念品のマグネットをいただけました。薬師寺の仁王門がデザインされています。
昼を食べて帰ろうということになり、近鉄駅前にある「なかがわ」という喫茶店へ。「昔ながらのピラフ(¥700)」を食べてきたのですが、店の写真も、ピラフの写真も撮るのをすっかり失念(苦笑)。左の写真は、Googleのストリートビューから借りました。
松阪駅を14時54分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名には16時4分着。¥960。松阪始発だったようで、座れて楽チン。この 日の歩数は、Nintendo DSの生活リズム計では、23,491歩。スマホのAlkooでは、24,699歩でした。自宅から桑名駅往復を足すと、合計13.8㎞を歩いています。
土産に買ってきた老伴は、後日、おやつに。この老伴、天正3(1575)年に作られたもの だそうで、松阪の豪商で茶人でもあった三井高敏氏によって、白楽天の詩集から「老伴」(永遠に付合えるお菓子)と改名されました。羊羹の甘さを最中の皮で抑えた、上品で独特の風味で、私の好みです。最中の方には(左の写真)、向かって右から「延年」と刻まれています。「延年」とは「不老長寿」のことです。2つの文字の間には、「鴻(おおとり)」が描かれています。「鴻」は、「こう」「ひしくい」とも読み、「オオハクチョウ」や「ヒシクイ」をさします(どちらも鳥)。幸せを呼ぶ鳥であると、製造元の柳屋奉善のサイトには説明されていました。
以上、10月5日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」もめでたく「完」となります。お付き合いいただきまして、ありがとうございます。
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