お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年4月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年4月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

最近のコメント

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2019年10月

2019年10月31日 (木)

九華公園にホシハジロもやって来て、カモは合計42羽……ジョウビタキ、メジロもあちこちにいます

Img_5685c_20191031174801  朝は12.2℃、日中は21.6℃とようやくこの時期らしい気候になりました。昼は、長袖シャツ1枚で十分ですが、朝晩は冷える感じ。先日来、ご相談をいただいていた方々については、報告書を仕上げ、お送りしました。次は11月中旬に相談会が控えており、すでに資料も届いています。早速、取りかからなければなりません。非常勤先のQ&Aは、早起きして仕上げて朝イチで送信。「怠け者の節季働き」ではありますが、少しでもお役に立てればと思います。

Img_5770c  今日は、散髪の定例日(と決めてありますが、こだわりはありません……微笑)。9時前から、25年あまりお世話になっているS理容院さんに出かけ、「いつものようにお願いします」ということでやっていただきました。その後、所用で銀行、郵便局を回って九華公園に行こうと田町あたりを歩いていたら、知人Oさんに遭遇。夏前以来でした。Oさんにお目にかかれた日は、私にとっては「吉日」なのです。その後は、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と5.0㎞を歩いてきました。やはりこれくらいは歩かないといけません。

Img_5688c  九華公園は、先週の土曜(10/26)以来。ずいぶん間が空いてしまいました。公園到着は10時をかなり過ぎていたのですが、アオサギさんはいつも通りのところにいてくれました。しかし、ゴイサギや、ホシゴイの姿はありません。

Img_5699c_20191031174801  カモたちは、この5日の間に様子がかなり違っていました。何と、2種類で合計42羽もいたのです。まずは、ホImg_5701c シハジロがやって来ていました。最初に見たときはオス、メス2羽ずつでしたが、帰り際にはメスがもう1羽増え、ホシハジロは計5羽。

Img_5740c_20191031174801  そして、キンクロハジロは、何と37羽。九華橋近くに17羽、二の丸堀に20Img_5743c_20191031174801 羽。いよいよ賑やかになって来ましたねぇ。

Img_5747c_20191031174801  外周遊歩道の東側からはジョウビタキの鳴き声が盛んに聞こえていましたので、ゆっくり探しながら歩いていると、メスのジョウビタキが出て来ました。このほか、公園から1本南の通りからもジョウビタキの鳴き声がしていましたし、散歩を終えてかえってきたら拙宅マンション前にも1羽、メスのジョウビタキが。ジョウビタキも増えてきました。

Img_5732c_20191031174801  話が戻りますが、九華公園では、ヒヨドリがやかましいこと。その他、カワラヒワ(左の写真)、キジバト、ドバト、メジロImg_5771c がいました。貝塚公園でもヒヨドリはたくさんいましたし、メジロもたくさん(右の写真)。

Img_5782c  内堀南公園では、猫が地上に降りてきていたハクセキレイを狙って匍匐前進をしていたものの、ハクセキレイが気づいて、桜の木の上に避難。ということで、比較的短い時間の散歩でしたが、鳥も増えてきて楽しめました。いよいよバードウォッチングのシーズン。よく働き(というほど仕事はありませんが)、よく遊べ(こちらがメインかも)であります。

Img_5719c  ところで、鎮国守国神社にも5日ぶりに行ったわけですが、「御大礼」と書かれたチラシが拝殿と参集殿に貼ってありましImg_5726c_20191031174801 た。土曜日にはなかったはず。即位礼と大嘗祭を知らせるもの。こういう「期間限定」のチラシ、看板など、気になって写真に収めたくなるのです(苦笑)。

20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その2)……加茂川橋のたもとの常夜燈、大日寺町石、八柱神社、浄林寺、おもん茶屋跡、願證寺から櫛田川へ

191027kintetsuhikingmatsusaka2 10月27日に行ってきた近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」のその2です。その1では、実測ルートマップその2にある常夜燈(植松デンタルクリニックそば)まで来ました。まだ松阪市垣鼻町を歩いています。この常夜燈のあたりでスタートから3.7㎞、時刻は10時55分。

Img_5283c_20191029192701  スタートから4.2㎞あたり、神戸保育園のすぐ東に地蔵堂があります。このお地蔵様のことはよく分かりません。お地蔵様は、近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングで歩いているとよく見るのですが、ネットにはその由来などが載っていないことがほとんど。お世話がきちんとなされているところが多いものの、その名前も分からないのです。地元の方に伺うと分かるのでしょうが、現場であたりにそういう方にはなかなか巡り会えません。残念です。

191027kintetsuhikingmatsusaka3  このあたりから、実測ルートマップはその3になります。松阪市上川町地内です。常夜燈、八柱神社、道標と見て、浄林寺へと進んでいきます。

Img_5291c_20191029193501  4.3㎞あたりでJR紀勢線・徳和駅そばの踏切を渡ります。紀勢線は、亀山から津までは乗ったことがありますが、このあたりはみImg_5295c ちのゾーン。しばらくすると、松阪市上川町に入ります。真盛川にかかる加茂川橋のたもとまでくると、まずはとても大きな常夜燈が見えてきます(右の写真)。天保7(1841)年に建立されたもの(みえの歴史街道の伊勢街道のマップには、天保2年とありますが、裏を見ると、後述のように天保7年となていました)。正面には「三社燈籠/万人講」とあります。左側には「講元 河州諸元 松沢作兵衛/諸方 世話人中」と、また、右側には「諸方/神社仏閣」と刻まれています。裏には「干時天保七年/丙申九月吉日」。

Img_5312c  この常夜燈の南側、加茂川橋のたもとには、「大日寺の町石」があります。「片岡山大日如来是より三丁 願主□」と刻まれてImg_5313c_20191029194501 います。三丁は、約327m。大日寺は、ここから南西に600mあまりのところにある高野山真言宗のお寺。片岡山地蔵院大日寺。三重四国八十八箇所霊場の第83番札所。天平年間(729~49) に行基菩薩が建立したという古刹。

Imgp0423nyoninkuyoutou  この真盛川の左岸堤防の上には、明治13(1880)年に建てられた女人供養塔があると、みえの歴史街道の伊勢街道のマップにありましたので、探したものの、見当たりませんでした。左の写真がそれなのですが(この写真は、こちらからお借りしました)、それらしいものは見たりませんでした。「ない」というのを証明するのは、とても難しいのですが……。由来は、「産後何かあったらしい」という話がリンク先に書いてあるものの、よく分かりません。

Img_5316c  上川町西交差点の手前に期間限定の看板があります。次の日曜(11/3)に全日本大学駅伝が開催されるのですが、それによる渋滞を予告するもの。全日本大学駅伝は、熱田神宮から伊勢神宮まで走ります。ただし、走るのは、ここ伊勢街道ではありません。国道23号線を下っていきます(こちら)。桑名も通って行きます。昔は、国道23号線揖斐長良大橋を渡った地蔵交差点まで行って、応援したこともあります(2006年11月5日:全日本大学駅伝)。

Img_5319c_20191029201401  スタートから5.4㎞地点で八柱神社にやって来ました。ここについては、みえの歴史街道の伊勢街道のマップにも、ネット上Img_5329c_20191029201401 にも特に情報はありません。「八柱神社」というからには、8柱の神様を祀っているはずですが、御祭神などについても表示はされていません。拝殿は右の写真のように、シンプルなものでした。向かって左手には、小さなお社もあったのですが、これについても不明。

Img_5326c  八柱神社の参道口には、明和5(1768)年に建てられたという常夜燈がありました。もとは、伊勢街道沿いImg_5322c にあったといいます。また、神社の前には、青面金剛石像を祀る庚申堂もあります。

Img_5345c_20191029202501 佛名寺を過ぎて、浄林寺に行くまでの5.8㎞地点、街道の左側(北側)に道標。「従是外宮四里」と刻まれています。弘化3(1846)年の建立。「玉造講」とあります。いよいよ外宮までかなり近くなってきました。外宮には、次回(第11回)、参拝するはず。3月に桑名、七里の渡し跡をスタートして、10回目でここまで来たのです。

Img_5352c  このあたりの伊勢街道の様子。ここにも、11月3日の全日本大学駅伝による渋滞を予告するImg_5354c 看板がありました。

Img_5356c  そして、ほぼ6㎞のところに浄土宗のお寺、東慮山法音院Img_5358c_20191029203101 浄林寺。参道の入り口には、ご覧のような、石造りの太鼓橋もあって、なかなか風情のあるお寺です。右の写真は、常夜燈。参道口にありますが、珍しい形をしています。由来は不明。

Img_5362c  このような「不許酒肉五辛入門内」という石柱もあります。禅寺などには、「不許葷酒入山門」などと刻まれた石柱が建っていることがありますが、それと同様のようです。酒や肉、臭の強い物を持ち込んではならないということなのでしょう。修行の妨げになるということ。「五辛(ゴジン)」とは、葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)。修行を積んだ僧とはいえ、これらの誘惑には負けそうになるということかと、勝手に想像しました(苦笑)。修行途中の僧では余計にそうなのかもしれません。凡人たる我が身には、それ以上(笑)。

Img_5367c_20191029203101  山門も、本堂もなかなかのものでした。しかしながら、ここも由緒書きはなく、ネットで検索してもこれとImg_5370c いう情報は出て来ません。何でもネットに情報があると思える時代ですが、それから漏れているところもたくさんあるのでしょう。ネット万能とはいえないようです。それはそれでよくて、やはり現地に出かけて、現物を見ることに意味があります。

Img_5373c  境内には、「武平林」という石碑がありました。そばにあった碑によれば、「去んぬる戦の時 國策により境内風致の樹木盡くを供木 平和となりて元の森の姿を願いつゝ いち早く自ら車を引き出して 汗をのごい 力をふりしぼりて 八八〇本の苗木を運び寄進せらるげに篤実妙好の善男子なり」と、橋本武兵衞翁(明治24(1891)年生まれ)の功績を顕彰しています(平成17(2005)年、第13世悠誉代)。

Img_5380c  帰り際、境内をよく眺めてみたら、参道西の庭園の隅に常夜燈らしきものを見つけました。伊勢街道に出て、少し戻って確認。樹木に隠れてよくは見えませんでした。折れた痕はあるものの、天保3(1833)年に建立されたものでした。しかし、詳細は不明。

191027kintetsuhikingmatsusaka4  松阪商業高校の北を歩いて行きます。実測ルートマップは、その4の範囲になります。願證寺の近くに昔、茶屋だった建物(おもん茶屋跡)があります。願證寺には地蔵堂、庚申堂。さらに東に歩いて行き、近鉄山田線・櫛田駅の南で櫛田交差点を渡ると、いよいよ櫛田川に至ります。稲荷社、道標、渡し場跡の標石と見ていき、櫛田橋で櫛田川を渡ります。ここまで来ると、この日のゴールである斎宮駅も近くなってきます。

Img_5384c_20191030050601  おもん茶屋跡です。白壁に虫籠窓(むしこまど)という建物。虫籠窓は、窓の形式の一つで、目の細かい縦の格子が等間隔に並ぶ虫籠格子(むしこごうし)をつけた窓のことです。形が虫籠(むしかご)に似ているところからとも、竹を編んで作った蒸子(むしこ、蒸籠)に似ているところからともいいます。江戸時代後期の天明年間(1781~1789年)頃から徐々に、町家にある二階の天井が通常より低い「厨子二階(つしにかい)」などの採光と風通しのための、堅格子(たてごうし)を土や漆喰で塗り回した、土格子窓をさして呼ぶようになっていったといいます。

Henba2  このおもん茶屋では、へんば餅を名物にしていたといいます(写真は、へんば屋さんのサイトからお借りしました。へんば屋さんの店頭では2個で¥160)。「へんば餅」は、伊勢市小俣町明野にあるへんば屋の名物。へImg_5381c_20191030050601 んば屋は、安永4(1775)年、参宮街道宮川のほとりに茶店として創業。当時駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がここで休憩し、ここから馬を返し参宮されたため、「へんば(返馬)餅」と名づけられています。ちなみに、私の大好物(微笑)。当時、他にも「おかん茶屋」という店もあったそうです。

Img_5386c  このおもん茶屋跡の手前の路地を入って行くと、慈日山願證寺があります。真宗高田派のお寺。このお寺も詳しいことは不明。

Img_5394c  願證寺の境内には、地蔵堂と庚申堂があるということでしたので、見に行ったという次第。Img_5390c みえの歴史街道の伊勢街道マップにも詳細は書かれていないのですが、「ある」と書いてあると見たくなるのです。左が地蔵堂、その奥(右の写真)が庚申堂でした。

Img_5402c  願證寺から櫛田川に向かう途中、豊原南の交差点の手前の民家の玄関先を見てビックリ。「櫛田橋」と刻まれた石が、門柱のように建っているのです。これ、どう見ても櫛田橋の親柱だったものにしか見えません。どうしてここにあるのか? それも普通のお宅の玄関先に? 謎なのですが、どなたもいらっしゃいませんし、コースマップにも、伊勢街道のマップにも記載はありません。世の中にはいろいろあるものです(微笑)。

Img_5411c  櫛田交差点を渡って、クルクルッと回ります。これはこのあたりに立ち寄りポイントが3ヶ所あるためでもありますが、伊勢街道ももともとクネクネしていたようです。まずは、豊養稲荷神Img_5414c_20191030073701 社。神社検索(三重)にはリストアップされていません。こちらのサイトによれば、大櫛神社の旧地といいます。江戸時代には大櫛社と称していました。

Img_5418c  鳥居の脇に「式内大櫛神社」の石碑があります(左の写真)。その脇にもう1つ、石柱がありました。こImg_5420c ちらは事前に調べて行った結果では、かつてこのあたりで開かれていた櫛田大市の碑でした。しかし、樹木が生い茂っていてきちんと写真は撮れません。

Img_5424c_20191030073701  この後、稲荷社の境内から出たところで左折してしまい、コースミス(苦笑)。すぐに気づいて戻って、事なきを得ました。豊養稲荷社から100mほどのところに道標。ここは、もう櫛田川の堤防のすぐ下です。文政2(1819)年、京の商人が寄進したもの。「左さんくうみち 右けかうみち」とあります。「さんくうみち」は「参宮道」ですが、「けかうみち」とはいったい何でしょう? 「けかうみち」は、この先、櫛田川を渡ったところにある早馬瀬神社のところにある、割れた道標にも刻まれていました。調べ、回らぬアタマで考えた結果、「下向(げこう)」であろうという、取り敢えずの結論。「下向」は、①高い所から低い所へおりていくこと、②都から地方へ行くことといった意味(デジタル大辞泉)。さらに調べたら、goo辞書に「参り下向」ということばが載っていました「まいりげこう」、旧仮名遣いでは「まゐりげかう」で、「参上することと下向すること。また、神社や寺院に参詣すること」とありました。たぶんこれで間違いなし(と思います)。

Img_5428c_20191027212701  道標のところを左折し、さらに右折すると(まだ櫛田川の堤防の下)、標石が建っています。ここは、櫛田川の渡し場があっImg_5438c_20191031041701 たところで、これは大正3(1914)に建てられたもの。この標石は里程標で、正面には「距宇治山田元標三里二十町四十一間/距津元標六里十二町十八間」と、右には「距松坂元標一里二十九丁三十四間」、左には「距齋宮元標二十五町三十一間」とあります。裏は「大正三年三月建之」と読めました。斎宮(の元標)まで25町31間ですから、約2.8㎞。

Img_5440c_20191031041901   このあと、櫛田川の堤防に上がり、若干戻る形で、櫛田橋を渡ります。櫛田川は、三重県中部の中央構造線 沿いを西から東に流れている一級河川。その名は、あの倭姫命の故事に因みます。「倭姫命世記」では倭姫命が、天照大神の鎮座地を求めて諸国を巡行する際、この地で櫛を落とされたことから地名が櫛田と名付けられ、それが川名の由来ともなったとされます。それから歴代の斎王は、群行の際に櫛をこの川に捨て、神に仕える決心をしたといいます。櫛田橋は、300mほどの長さ。余談。櫛田交差点の北西に松阪市立揥水小学校がありました。「揥水」は、「ていすい」と読みます。不思議な名前の小学校だと思ったのですが、「揥水」は櫛田川の別名で、これは当地出身の江戸時代中期の儒学者・奥田三角(おくださんかく)が名付けたものでした。「」は櫛を意味しています。こういう話、屁理屈、講釈好きには堪りません(微苦笑)。

Img_5451c  櫛田橋を渡り始めるところで、スタートからは約8.4㎞、時刻は12時15分頃。お腹も減ってくるのですが、松阪駅でゲットした「元祖特選牛肉弁当」はゴールするまでお預け(微笑)。記事も、実測ルートマップのキリが良いので、その2はここまで。その3は、櫛田川を渡って、大乗寺や早馬瀬神社のことから。

2019年10月30日 (水)

非常勤の帰りに志登茂川でバードウォッチング

Dscn1855c  今朝はかなりの霧でした。朝5時頃起きて、ビックリ。非常勤の日ですから、電車はちゃんと動くのか時になりましたが、出かDscn1859c ける頃には晴れてきました。左の写真はベランダから見た、南側の景色。右の写真は、北側の様子。いつもよく見えるショッピングセンターも霧の中でした。

Dscn1863c  いつも通り8時41分の電車で江戸橋へ。今日は、青年期の悩みと人間関係がテーマ。学生の出席は、いつも通り、80%あまり。今日は5回目の授業でしたが、すでに3回も欠席している「強者」もいて、こちらが心配になります。若い学生諸君にとって、対人関係の悩みや、対人恐怖心性は身近なものだったようでした。

Dscn1864c  授業を終わって、二人の学生が質問と相談に来て、いつもの電車に乗るのは無理そうでした。そこで、かねてから企んでいたこDscn1865c とを実行というか、予行演習(微笑)。江戸橋駅まで行く途中、横道に入って行ったのです。塀に沿った路地を行くと、志登茂川に出ます。一度書いたと思いますが、後期も授業に行くようになりましたので、寒くなったら、志登茂川でバードウォッチングをしてこようと思っていたのです。早速、チャンス到来ということ。右の写真は、志登茂川の上流(北)方向。

Dscn1866c  いました。といっても、アオサギが2羽と、他はほとんどがカルガモのようです。カルガモの中に、カモメが混じっているかもDscn1871c 知れませんが、肉眼ではよく見えませんし、持参したカメラが光学20倍ズームのNikonのcollpix s7000です(まさにコンデジ)から、ズームしてもはっきりしません。近くにいたアオサギさんだけ、右の写真のようにズームして撮ってみました。

Dscn1874c  こちらは、下流側。市道の江戸橋や、三重大学が左端に見えています。お昼過ぎでしたが、潮が引いていDscn1875c て、一部は干潟のようになっています。四日市港潮汐表を見ると、四日市では13時5分が干潮でした。志登茂川の堤防を江戸橋の方へ歩きながら観察し、写真を撮っています。途中、西を見ると、江戸橋駅が見えます。いつも乗っている電車がホームに入っていました。

Dscn1883c  下流側はあまり鳥はいなかったのですが、セグロカモメが1羽。ユラユラと浮いていました。近くに行っても逃げません。ただ、警戒はしていたようで、川の真ん中の方へ行ってしまいましたし、背中を向けていました。ちょっと離れたところでこの写真が撮れました。予行演習としては、上出来です。

Dscn1887c  このあとは、江戸橋のたもとまで行き、江戸橋駅に向かうため右折。江戸橋のすぐ西で伊勢街道と伊勢別街Dscn1889c 道とが合流します。そこに、常夜燈と道標。これはもう何度もこのブログの記事に載せました。津市内最古の常夜燈。安永6(1777)年のもの。道標は、高田本山への道を示しています。

Dscn1896c  江戸橋駅を12時42分の急行に乗って帰宅。いつもより1本遅い電車。帰宅後は、昼食を摂って、出欠チェックと、出席票に書かれた質問や、感想、コメントを読み、Q&Aを書いています。もう少し寒くなると、志登茂川にもっとたくさんの冬鳥が来るはず。超望遠コンデジを持って授業に行かなくては(微笑)。

 

2019年10月29日 (火)

20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その1)……早々に松阪牛の弁当と土産を買い、和歌山街道の道標、信楽寺、荒神山稲荷神社から神戸神社へ

 10月27日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」の本編その1です。予告編でも書きましたが、10月のJRさわやかウォーキング/近鉄ハイキングは、雨やら用事やらで、10月5日に行った同じく、近鉄ハイキングのお伊勢さん参りハイキングの9回目「昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」以来でした。ちょっともの足らない気がしたのと同時に、久しぶりに長い距離を歩いて、疲れたというのが正直なところ。何ごとも、コツコツと着実に進めるのがよいようです(苦笑)。

Isemairi  3月に始まった「お伊勢さん参りハイキング」もこの日で10回目。3月10日に桑名の七里の渡し跡をスタートし(2019年3月10日 :20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)、9回かけて松阪まで来ました。1回目の桑名から富田の時は、途中から雨が降り、どうなることかと思いました。また、9月22日の南が丘から松ヶ崎へのハイキングでは(2019年9月22日 :20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)、九州地方に台風17号が接近し、その余波で天候もあやしかったものの、ゴールの松ヶ崎駅近くまでほとんど降られずに済みました。今回を含め、残り3回で松阪から伊勢神宮の内宮まで無事に到達できるよう願いつつ、10回目の旅の記録を書き進めます。

Img_5122c_20191027203301  この日は、近鉄山田線・松阪駅がスタート。9時半から受付開始でしたので、桑名駅を8時42分に出る松阪行きImg_5123c_20191028181501 の急行に乗車。松阪には、9時49分に到着。¥960。1時間も電車に乗ると、さすがに料金も嵩みます。受付開始から時間が経っていましたので、空いていました。受付の様子は、右の写真のような感じ。ここでコースマップを受け取り、あみま倶楽部会員は、会員証に参加証明のスタンプを押してもらうのです。

Img_5095c_20191028181701  いきなりの余談ではありますが、桑名駅は平成29(2017)年度から駅改良工事が進行中。東西自由通路を設け、JR、近鉄、養老鉄道の駅を80mほど南に移動しています(こちら)。自由通路は今年7月30日に東西の鉄骨が接続したそうです。左の写真は、近鉄の下りホームの様子。階段もこのようにかなり建設が進んでいます。来年8月供用開始の予定とか。

Img_5101c_20191028183001  近鉄名古屋線の塩浜駅のところに塩浜検修車庫があります。いわば車両工場で、点検整備を行っています。江戸橋や、近鉄ハイキングの往復でここを通ると、検修車庫を見るのが楽しみの1つ。というのも、近鉄の車両の他、養老鉄道や、四日市あすなろう鉄道、伊賀鉄道の車両もここに来るからです。この日は、養老鉄道が、この4月から導入した元東急7700系が止まっていました。電車はわりと好きで(鉄ちゃんほどではありません)、この車両も乗ってみたいのはもちろん、見てみたかったのです(三岐鉄道の通称「赤電」もです。富田駅を通るとき、三岐線のホームを見るのですが、未だ出逢えてはいません)。見つけて慌てて撮ったのがこの写真。

Img_5117c  さて、話を戻して、この日のコースマップ。B4サイズ両面。例によって、下から上へと進むパターン。毎回、このように写Img_5118c_20191027203301 真を撮って、その後、コースを一通り確認します。が、時々、コースをしでかします(苦笑)。よく見て、勝手な思い込みをしなければよいのですが、それがなかなかなのです。松阪駅は、JR/近鉄共用駅。近鉄の駅は、北側に出入り口がありますから、例によって地下道をくぐり、駅の南側に出ます。まずは、日野町交差点まで行って(前回のハイキング(2019年10月 5日:20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(予告編)……9回目の伊勢参りハイキングにして松阪へ【歩数を付記しました(10/6)】)では伊勢街道をここまで下ってきて、左折して松阪駅に向かったのです)、和歌山街道との追分にある道標を見て、ここから伊勢街道に入ります。すぐに清甘堂(せいかんどう)という和菓子屋さんに立ち寄り、松阪市垣鼻町で信楽寺(しんぎょうじ)と閻魔堂、近くにある神戸神社にお参りし、櫛田川へ。ここには、道標、距離標が櫛田川渡し場跡にあります。櫛田川を渡ると斎宮跡が近くなります。斎宮の手前で祓川。ここは、斎王が最後のお祓いをしたところ。そして、斎宮歴史博物館で特別展「東雲の斎王大来皇女と壬申の乱」を見て、近鉄山田線・斎宮駅へゴール。コースマップ上、約11㎞とありました。

191027kintetsuhikingmatsusaka  こちらは実際に歩いたマップの全体像。松阪駅から東南東へほぼ直線で歩いていますから、かなり縮小されています。おおむImg_5114c ね、近鉄山田線に沿っています。受付でコースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押印してもらい(今回で28個目。12月中に40個が目標ですが、ちょっと難しいか?)、9時55分にスタートしました。左のマップには、主な立ち寄り先や、見てきたところが入れてあります。

191027kintetsuhikingmatsusaka1  実際に歩いたコースの詳しいマップその1。北口の近鉄松阪駅を出て、地下の松阪駅横断通路を通って南側のJR松阪駅のImg_5126c 方に出ます。実はここで、ちょっと行き過ぎて戻るというミスをスタート早々にやらかしました(苦笑)。

Img_5128c  JR松阪駅の駅前に、こんなパネルがありました。小さな松阪牛のオブジェは今までもあったのですが、これは初見。今回は、独りで行っていますからオブジェのところにたっての記念撮影は不可(そうでなく出も、写真を撮るのは好きなのですが、自分が写るのは嫌いなのです……爆)。

Img_5130c  歩き始める前に、JR松阪駅のコンコースへ。行き先はこちら。JRの駅にあるベルマートというコンビニの脇に「あら竹商店」があります。創業明治28(1895)年という老舗の駅弁屋さん。なぜいきなり駅弁屋さんに行ったかというと、あれこれ調Img_5623c べ、いろいろと考えた末、今日の昼は、ここあら竹商店さんで駅弁を買って、斎宮駅にゴールしたらそれを食べようと決めてきたのです。ここに来るまでは、本居宣長弁当(¥1,100)を買おうと思ってきたのですが、あいにく売り切れ。やむなく、元祖特選牛肉弁当(¥1,500)を奮発(かなり頑張りました……微笑)。昭和34(1959)年に発売された、日本で最初の牛肉弁当であり、松阪牛を使った弁当。今でも人気だそうです。

Img_5131c  弁当をゲットしましたので、これで安心してハイキングに戻ることができます。JR松阪駅から南西に向かうのですが、その前Img_5133c_20191028203701 に駅舎と、駅前にある氏郷まつりの案内と、本居宣長が好んだ駅鈴のオブジェを撮影。もう何度も撮っているのですが、通ると気になります。駅鈴は、律令制の頃、公務出張に際し朝廷から与えられた鈴。駅馬の供与を受ける資格を証明し、これを鳴らしながら旅行したといいます。

Img_5140c  スタートしてから800m足らずで、日野町の交差点に来ます。蒲生氏郷が、天正12(1584)年、伊勢松ヶ島(→松阪市)12万石の城主となり、松阪に入ったとき、出身地の近江・日野をはじめ、各地から商人などを招いています。その出身地に由来する町名を付け、それが今に伝わっています。その1つが、ここ日野町。日野町交差点の角、ヒシナカ薬局のすぐ目の前に道標があります。

Img_5141c_20191027205001  去年も2度見ていますが、ここは伊勢街道と和歌山街道との追分。江戸時代に紀州藩の本城と東の領地松阪城を結ぶ街道。松阪は、蒲生氏郷が、天正18(1590)年の小田原征伐の功として会津若松へ移封した翌年服部一忠(はっとりかずただ)が3万5000石で入封し、松阪藩ができます。文禄4(1595)年、古田重勝(しげかつ)が城主となります。慶長5(1600) 年に2万石が加増され、2代続いたのち、元和5(1619) 年、石見・浜田(島根県)へ転出し、廃藩となり和歌山藩領となりました。この道標には、「右わかやま道」「左さんぐう道」とありますが、いつ建立されたかなどは不明です。

Img_5148c  道標からほぼ100m、清甘堂(せいかんどう)という和菓子屋さんに立ち寄り。ここの名物は、「利久松Img_5145c_20191027205501 ば」、「まつ佐華(さか)」、「鈴がね」など。この日は、ハイキング特典でマップを呈示すると、利久松ばが普段¥410のところ、¥310でした。1袋お買い上げ。松葉の形を模した甘めのカリカリせんべいで、千利休にちなんでいるらしいのですが、由緒などはなく、詳細は不明。翌日、おやつに食べてみました。1枚1枚がそれなりの大きさですが、その割には軽い感じ。けっこう堅かったのですが、伊賀の堅焼きには遠く及ばず。ジジイの老化した歯でもかみ砕けました。懐かしいお菓子という感じ。ハイキングに行く前から興味があったのですが、この日は、店主御自らの呼び込みでそれに釣られて、入店。その勢いで1袋買ってしまったというのが、真相。ハイキング開始早々から弁当と土産をゲット。弁当と土産を買いに来た訳ではありません。これからまだ10㎞以上歩くのですから、気を引き締めて行かねば。

Img_5150c_20191029063201  日野町地内を歩き、愛宕橋の名残を見て(左の写真)、愛宕町西交差点を渡ります。この交差点の北西には、愛宕山龍泉寺があります。去年の氏郷まつりの時に立ち寄っています(2018年11月4日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)。神仏習合の色合いが濃く感じられ、魅力的なお寺ですが、今回はパス。垣鼻町の三Img_5160c 角公園の向かいに小津安二郎青春記念館がありますが(約1.5㎞地点)、この日はまだ開館前。去年5月26日に訪ねています(2018年5月26日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編))。小津安二郎青春記念館のところで伊勢街道は南に向かいます。

191027kintetsuhikingmatsusaka2  実測ルートマップはその2へ。さらに1㎞ほど歩いて、信楽寺(しんぎょうじ)、神戸神社(かんべじんじゃ)そしてちょっとアヤシい荒神山稲荷神社が近くにあります。なかなか面白いところ。

Img_5177c  まずは、天台真盛宗、普照山信楽寺(しんぎょうじ)。山門の隣に閻魔堂があります。信楽寺・閻魔堂とも、由緒などは説明板もなく、ネット検索でもこれという情報はありませんでした。

Img_5194c  みえの歴史街道の伊勢街道マップにも、「信楽寺 天台真盛宗の名刹」とあるだけでした。Img_5199c ただ、県立松阪高校の総合学習のサイト(こちら)に「もと、この位置に法延寺という寺があり、奈良の大仏建立の時に建てられたが、源平の争乱で焼失し、その後再建されて今の信楽寺となった(夕刊三重「松阪の伝説」より)」とあります。

Img_5191c  信楽寺の山門に向かって右手には、仏足石が建っています。天明5(1785)年のもので、広瀬栄正寺の名僧・天阿上人が建てたといいます。伊勢街道マップには「仏足石は都市に近い村里では珍しい」とありましたが、私には、このような石柱になっている仏足石は初めて見ました。ちなみに、ネットで検索すると、「愛染寺の初代住持・天阿上人」がヒットしますが、この僧は1598-1674年の方で、仏足石の建立年とは一致しません。

Img_5182c  閻魔堂。前に掲げられているのは、このあたりの古い住宅案内図で、説明板ではありませんでした。中にImg_5184c は、けっこう色鮮やかな閻魔様が御鎮座。綺麗にしてありますので、きちんとお世話をする方がいらっしゃるのでしょう。

Img_5201c  信楽寺の手前、東側に荒神山稲荷神社があります。最初は、鳥居の写真をImg_5203c_20191029080401 撮っただけでしたが、気になったので戻ってみてきました。鳥居に向かって右にある石碑には、「伊勢の國司遺跡 荒神山稲荷 斎藤昇書」とありました。伊勢国司とは、南北朝時代、南伊勢五郡(一志・飯高・飯野・多気・度会)を中心に勢力を保ち、南朝方を支えた戦国大名・北畠家のことです。さらに、斎藤昇は、三重県出身の政治家。参議院議員を4期務め、運輸大臣、厚生大臣などを歴任しています。参議院議長を務めた斎藤十朗の父。

Img_5205c  これは!と思って鳥居をくぐって行ったのですが、その先には広場と、古い2階建てのアパートしかない。と見えたのですが、よくよく探すと、アパートの横に朱い鳥居がありました。ちょっとヤバいかもと思いつつ、恐る恐る鳥居の方へ(苦笑)。

Img_5207c_20191029080401  かなり古びた朱い鳥居の下には百度石。鳥居を潜って、先を見るとこれまた、古びてしまい、かなり傷みがImg_5210c_20191029080401 激しいお社が、伸び放題の草木の奥にありました。手入れやお世話をする人はなさそうな雰囲気。お参りする人もないのかも知れません。ネット検索をしてもよく分からず。神社検索(三重)にも載っていません。北畠家に関わる遺跡なら、もうちょっと知りたいですねぇ。

Img_5220c_20191027210301  伊勢街道に戻って、ほぼ100m先に神戸神社(かんべじんじゃ)。創始については明らかではありませんが、いにしえよりここ、垣鼻町字里中の旧参宮街道沿いにある築山の地にあります。この築山は、古墳という説があるそうです。垣鼻古墳群の一つで、奈良時代(710年~)以前のものといいます(こちら)。明治41(1908)年3月、垣鼻町字世古出の八雲神社(須佐之男命)ほか12社を合祀し、神社名も香具土神社から神戸神社へと改称しています(昭和26(1951)年3月には、合祀されていた八雲神社、皆月神社、八幡神社の三社を合祀以前の地にもう一度奉斎したいという地元氏子の強い要望により分祀しています)

Img_5230c_20191027210301  拝殿は、あまり見たことのないタイプでした。主祭神は、香具土神(かぐつちのかみ;火の神)。昔は、香具土神社と称していました。そのため現在でも地元の人々より通称「荒神さん」と呼ばれているといいます(先の荒神山稲荷神社との関係が気になってきますが、その辺りは不明)。 建速素盞嗚尊誉田別尊五男三女神

Img_5234c_20191029083201  昭和16(1941)年には、大津町に奉祀されていた御乳母稲荷神社を境内社として奉遷しています。お稲Img_5236c 荷 さんについては今さら説明の要はないと思いますが、この御乳母稲荷神社は、大津町の金剛川堤防沿いに鎮座し、濃厚の守り神であるとともに、とくに乳幼児の「うば咳(百日咳)」に霊験あらたかとして遠近からの篤い信仰を受けてきたそうです。

Img_5240c  境内には、山の神、庚申塔がかなりたくさん集められていました。その山の神、庚申塔の脇には、「八幡大Img_5244c 菩薩/天照皇大神宮/春日大明神」と刻まれた石碑があります。遙拝所ではなさそうです。

Img_5248c_20191029083901  さらにその隣には、これは初めて見ましたが、「大正天皇遙拝所」と刻まれた石柱がありました。北を向いて拝む位置に立っていたと思うのですが、遙拝する先がどこなのかは分かりませんでした。御陵は多摩陵(東京都八王子市)にあります。

Img_5251c_20191029083901  このほか、拝殿近くには、「明治天皇/神武天皇 遙拝所」の石柱がありました。明治天皇の御陵は、京都・伏見に伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)があります。神武天皇陵は奈良県橿原市にありますので、この遙拝所が西を向いている理由はよく分かりました。

Img_5255c  また、境内の南東には、「皇大神宮遙拝所」もあります。遙拝所の石柱に向かって左にあるのは、常夜燈と思われます。以上のように、神戸神社、なかなかのワンダーランドぶりでした。と喜んでいたら、実は、事前の調べで見てこようと思っていたことを1つ忘れていました(苦笑)。ぬか喜びでした。参道階段に「産子中」などと掘られた石柱がかなりの数埋まっているのですが、これをチェックし忘れ(こちらのブログに写真があります)。こういうのも見たことがなかったので、ちょっと失敗(気づいたのは、帰宅後……爆)。

Img_5261c  神戸神社の辺りは登り坂(徳和坂)。それを上り詰めた、住宅街の真ん中、小高いところに庚申堂があります。登ってはみなImg_5263c かったのですが、ここには青面金剛(しょうめんこんごう;庚申待の本尊)の石像が祀られているそうです。

Img_5266c  3.1㎞を過ぎて、金剛川に架かる金剛橋を渡ります。その先、九手川にかかる極門橋の傍らImg_5270c には常夜燈。文政12(1829)年の建立。江戸干し鰯問屋などの寄進によるものといいます。嘉永2(1849)年に修理されています。金剛橋から極門橋のあたりは、江戸時代、「徳和畷」と呼ばれ、白酒を名物とする店が数軒立ち並んでいたそうです。

 実測ルートマップその2がまだ終わっていませんが、長くなりましたし、キリが良いので、その1はここまで。極門橋の常夜燈でスタートから3.7㎞、時刻は10時55分と、1時間かかっています。

2019年10月28日 (月)

近所でコスモス……相談と所用の1日

Dscn1832c  10月も最終週を迎えました。早いものです。今年も残すところあと2ヶ月あまり(微笑)。普段、散歩は続けていますが、今月は近鉄ハイキング/JRさわやかウォーキングには2回しか行きませんでした。昨日久しぶりに12~3㎞を歩いたら、けっこう疲れました(苦笑)。昨日は、案外蒸し暑かったので、そのせいもあるのかも知れませんが、普段からもう少し運動負荷をかけていた方がよいか、という気もしています。

Dscn1834c  と書きつつ、今日は好天の中、お一方のご相談と、自分の用事で午前中は駅周辺へ。ということで、散歩はしておりません。午Dscn1835c 後も、もう一つ済ませておくことがありましたので、外出。「明日こそ!」と思ったら、天気予報では朝から午後まで雨。なかなか思うとおりには行きませんが、サボり癖だけはつけないようにしたいもの。ちなみに、今日は2.4㎞しか歩いていません。左の写真は、出かける途中、国道1号線八間交差点から西を撮ったもの。向こうにあるのはUFJ銀行の支店。その奥は、最近建ったマンション。この先に駅があります。この何年かで駅前には、マンションが何棟も建っています(右の写真は、左の写真に写っているマンションをそばで北から撮ったもの)。近鉄を利用すると、名古屋駅までは急行で20分あまりですから、通勤に便利なためと思います。私の現役時代も、乗り換えがスムーズに行けば、職場まで1時間あまりで行けました。名古屋市内でも周辺部に住んでいる方よりも通勤時間は短いくらいでした。

Dscn1849c  午後から出かけた帰り、外に借りている駐車場のそばのお宅でコスモスを見てきました。今年は、去年あった上之輪新田のコスモス畑がなかったり(2018年10月17日:休耕田のコスモス畑発見……モズ、カワセミ、ゴイサギ、ムシクイ、ヤマガラ、エゾビタキ、ミサゴ、ジョウビタキと鳥も盛りだくさん(微笑)、2018年10月18日:上之輪新田のコスモス再チャレンジ……河口堰で魚道観察室からコサギ撮影、木曽川へも、2018年10月19日、九華公園にハシビロガモ飛来……3日連続でコスモス畑、近鉄特急「しまかぜ」とのコラボ写真)、また、東員のコスモスを見る近鉄ハイキングの日(10月14日:おいでよ東員町!コスモスハイキング!)が雨だったりでコスモス畑を見ていないのです。

 今週は水曜日に江戸橋の非常勤がありますが、これは天気は良さそう。その他、今日のご相談の報告をお送りしますし、そろそろ11月中旬の相談会に向けての資料が届くと思いますので、届いたらその準備もということです。来週末は、松阪である氏郷まつりに行く近鉄ハイキングがありますので(11/3:蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策)、それに参加しようと思っています。氏郷まつりは、去年も行っていますが(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)、あの御城番屋敷をもう一度訪ね、松坂城跡からも眺めてみようという趣向。松阪牛は、値段のこともありますから、そうたびたびは楽しめないか(爆)。

2019年10月27日 (日)

20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(予告編)

 予定通り、近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」に行ってきました。JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングともに久しぶりです。というのも、体育の日の3連休は雨、先週末は、法事と研究会ということでしたから、今月5日に行った同じく、近鉄ハイキングのお伊勢さん参りハイキングの9回目「昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」以来です。そして、今月はこの2回しか参加できていません。ちょっともの足らない気がしていますが、やむを得ません。

Img_5122c_20191027203301   今日は、近鉄山田線・松阪駅がスタート。9時半から受付開始でしたので、桑名駅を8時42分に出る松阪行きの急行に乗車。松阪には、9時49分に到着。¥960。さすがに料金も嵩みます。時間が経っていましたので、受付は空いていました。

Img_5117c  いつものようにコースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押してもらい、スタート。近鉄Img_5118c_20191027203301 松阪駅は、北側にありますから、例によって地下道をくぐり、駅の南側に出ます。前回、曲がってきた日野町に行って、和歌山街道との追分にある道標を見て、ここから伊勢街道に入ります。すぐに清甘堂(せいかんどう)という和菓子屋さんに立ち寄り、松阪市垣鼻町で信楽寺(しんぎょうじ)と閻魔堂、近くにある神戸神社にお参りし、櫛田川へ。ここには、道標、距離標が櫛田川渡し場跡にあります。櫛田川を渡ると斎宮跡が近くなります。斎宮の手前で祓川。ここは、斎王が最後のお祓いをしたところ。そして、斎宮歴史博物館で特別展「東雲の斎王大来皇女と壬申の乱」を見て、近鉄山田線・斎宮駅へゴール。コースマップ上、約11㎞とありました。今回は、超予告編(苦笑)。いささかお疲れなのです。

191027kintetsuhikingmatsusaka  こちらが実測ルートマップ。かなりの縮尺になっています。松阪駅スタートは9時55分。斎宮駅には13時20分にゴール。3時Img_5114c 間25分かかって12.5㎞を歩きました。ゴールして、参加記念マグネットをもらってから近くで昼ご飯にしています。最終的にはハイキングで12.9㎞を歩いています。あみま倶楽部のスタンプは28個目。このペースですと12月中に40個に達するのは、微妙な感じです。

Img_5130c  スタートして、JR松阪駅側に出たところでいきなり寄り道です。JR松阪駅構内にあるあら竹さんの駅弁売りImg_5623c 場へ(笑)。今日はいろいろ考えた末、昼をあら竹の駅弁に決めたのです。本居宣長弁当(¥1,100)がよかったのですが、あいにく売り切れ。やむなく、元祖特選牛肉弁当(¥1,500)を奮発。昭和34(1959)年に発売された、日本で最初の牛肉弁当。今でも人気だそうです。

Img_5140c  スタートから800m弱。日野町交差点の南西過度にある薬局の前に和歌山街道との追分を示す道標があります。去年も2回見Img_5141c_20191027205001 たものの、いずれも大混雑でしたのできちんとした写真が撮れていなかったのです。「右わかやま道」「左さんぐう道」とあります。

Img_5148c  道標のすぐ先で早くも和菓子店に立ち寄ります。清甘堂(せいかんどう)。今日は、近鉄ハImg_5145c_20191027205501 イキング特典で「利久松ば」という、この店のお菓子1袋¥410が¥310。¥100も割人は太っ腹です。店主自らが、歩道に出てPRをしておられました。土産に利久松ばを1つ、買ってきました。これで、昼の弁当も土産も確保しましたので、後は歩くのに専念するだけ(微笑)。

Img_5177c  松阪市垣鼻町まで来て、信楽寺(しんぎょうじ)。天台真盛宗のお寺。スタートから2.6㎞、時Img_5191c 刻は10時半を過ぎた頃。山門の隣に閻魔堂があります(中にはカラフルな閻魔様がいらっしゃいました)。また、山門前には、仏足石が建っています。建っていますというのはヘンですが、石柱になっているのです。こういうのは珍しい気がします。信楽寺の近くにある公人山稲荷も見てきましたが、それはまた本編にて。

Img_5220c_20191027210301  信楽寺から100m、神戸神社(かんべじんじゃ)があります。御祭神は、天照皇大御神、建速素戔嗚尊、建Img_5230c_20191027210301 速香具土神、五男三女神。拝殿は、今まであまり見たことがないタイプ。公民館かなにかのようなイメージ。

Img_5234c  境内社には、御乳母稲荷神社があります。このほか、ここで初めて見ましImg_5248c たが、大正天皇遙拝所というのもありました。皇大神宮遙拝所の他、山の神、庚申塔が多数ありました。

Img_5295c  JR紀勢線の徳和駅を過ぎた、スタートから4.5㎞地点に大きな常夜燈がありました。この大きさはなかなか見事。天保2(1836)年の建立。

Img_5316c  常夜燈の先で、珍しい看板を発見。来週の日曜(11/3)は、熱田神宮から伊勢神宮まで走る全日本大学駅伝が、あるのです。その渋滞予告。走るのは、ここ伊勢街道ではありません。国道23号線を下っていきます(こちら)。

Img_5345c_20191027211501

 途中端折って、5.8㎞、松阪市上川町に道標があります。浄林寺の手前です。「従是外宮四里」と刻まれていImg_5384c_20191027211801 ます。いよいよ外宮までかなり近くなってきました。外宮には、次回(第11回)、参拝するはず。3月に桑名、七里の渡し跡をスタートして、10回目でここまで来たのです。6.9㎞地点には、「おもん茶屋跡」という掲示が。白壁に虫籠窓の家です。他に「おかん茶屋」というのもあったそうです。「へんば餅」を名物にしていたといいます。へんば餅は、大好物(微笑)。

Img_5424c  櫛田川の手前にやって来ました。豊養稲荷神社にお参りしてから道標を見ます。このあたりで12時になっています。櫛田川の堤Img_5428c_20191027212701 防の下にあります。京の商人が寄進しています。「左さんくうみち」「右けかうみち」とあります。文政2(1819)年に建てられました。右は、櫛田川渡し場跡の標石となっていますが、距離元標にもなっています。対象3(1914)年に建立されました。ここは、旧・櫛田村大字豊原。櫛田川の渡し場があったところ。

Img_5509c  櫛田川を渡り終えてじきに9㎞になります。スタートから10.4㎞で祓川にImg_5517c_20191027213101 来ました。ここは、斎王が、群行の際、祓いをして斎王宮に入ったのでこの名が付いています。斎宮歴史博物館の手前には払戸跡もありました。

Img_5525c_20191027213101  祓川橋の先にも道標があります。弘化4(1847)年に建てられたもので、「従是外宮三里」と刻まれています。三里ですから、約12㎞にまで近くなったのです。今日のハイキングは、ここを左折して、斎宮跡にある斎宮歴史博物館に向Img_5549c_20191027213101 かいます。途中には、まだ、現在進行形で遺跡の発掘調査が行われているエリアもありました。

Img_5559c  斎宮歴史博物館では、斎宮歴史博物館開館30周年記念・史跡斎宮跡指定40周年記念特別展Img_5566c として、「東雲(しののめ)の斎王 大来(おおくの)皇女(ひめみこ)と壬申(じんしん)の乱」が開催されていますので、これを観てきました。こちらも近鉄ハイキングの特典で一般¥400のところ、¥320。ここが最後の立ち寄り先。

Img_5610c_20191027213201  ゴールの近鉄山田線・斎宮駅に到着。13時20分。ここまでで12.5㎞。記念のマグネットも無事にゲット。今回は、神戸神社のデザインでした。今日は、朝のうちはImg_5612c_20191027204301 曇っていて、ちょっと寒いかと思ったのですが、松阪に着いた頃からは日も照ってきて、大変蒸し暑くなり、かなりの汗を掻きました。斎宮に着いてから弁当を食べようと決めていましたので、ここまで何も食べず。お茶だけは、かなり飲んできました。

Img_5628c  さて、元祖特選牛肉弁当、ようやく食べられます(微笑)。松阪牛のももの柔らかい部分を厳選し、独特の焼き方を工夫、最後に絡めるたれも秘伝のもの。冷めても美味しいというキャッチフレーズに間違いはありませんでした。いやぁ、去年食べた「モー太郎弁当」も美味しかったですが、これも甲乙つけ難し。この弁当は、昭和34(1959年)7月15日に紀勢本線が全通したのを記念して、日本初の牛肉、しかも松阪肉の駅弁として売り出され、それ以来食べ続けられているのです。当時の値段は150円だったといいます。「還暦の弁当」です。

Img_5618c  帰りは、斎宮駅を13時58分に出る伊勢中川行きの普通に乗車。松阪駅に14時11分に到着。14時15分に名古屋行き急行が来Img_5669c ましたので、それに乗り換えて、桑名駅には15時22分着。料金は¥1,090。とうとう¥1,000を越えました(爆)。歩数は、スマホのALKOOによれば、25,436歩。久しぶりにこれだけ歩くと、疲れます。ハイキングで最終的には12.9㎞、自宅から駅の往復が1.8㎞で、14.7㎞でした。本編は明日以降、ボチボチと書いていきます。

2019年10月26日 (土)

ユリカモメ、ジョウビタキのオス・メス登場……バードウォッチングが楽しみな季節になって来ました

Img_4997c_20191026115601  火曜日(10/22)以来の散歩です。間が空きましたから、この間にやって来た冬の鳥もいるのではないかと期待が高まります。8時15分から10時半、いつも通りのコースを回って来ました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と5.6㎞。スマホのアプリでは、久しぶりに10,000歩を越えました(微笑)。やはり、これくらい歩かないといけません。

Img_9263c  さて、今日は期待通りの成果がありました。まずは、揖斐川沿い、三の丸水門のところで知人と話していたら、カモメが2羽、下流からやって来て上流でUターン。これが、ユリカモメでした。私にとっては冬の使者というイメージ。九華公園にはまだやって来ません。去年、九華公園にやって来たのは11月14日でした(2018年11月14日:ツグミ、ユリカモメが九華公園に登場)。

Img_9305c  そして、九華公園。先日からヒタキらしい鳴き声が時々していましたので、もう来ているのかと思っていましたが、ようやく今日になって姿を確認できました。ジョウビタキのオスです。初めは、奥平屋敷跡の南西エリアで鳴き声がしていたのですが、姿を見たのは、朝日丸跡。いやぁ、「待ってました!」と声をかけたくなります(微笑)。

Img_9379c_20191026115701  さらに、ひょっとしたらと思って、寺町商店街から住吉入江を通って帰ってきたら、ここでも入江の東からヒタキの鳴き声が聞こえるのです。ベンチでしばらく待っていたら、近くでヒタヒタヒタと何かを叩くような音が聞こえてきました。そっと振り返って見ると、メスのジョウビタキがいました。ジョウビタキは割と人懐っこい感じで、九華公園にいたオスも、このメスもわざわざ挨拶に来たような感じです。

Img_5009c  その他の鳥たち。揖斐川と長良川は、九華公園の東で合流します。その辺りまでの中洲を十万山と呼んでいます。その十万山の南の端には、時々アオサギなど、サギがいます。今日は、アオサギの姿が見えましたので、柿安コミュニティパークの南の端まで行って撮影。知人は、この直前、このあたりでカモがたくさんいるように見えたといっていましたが、それは確認できませんでした。

Img_9270c  九華公園に到着。まずは、ゴイサギ1羽。ヘンな体勢をしていますが、実はこの直前、ゴイサギ汁を放出したのです。カメラImg_5019c を構えようとしたときで、決定的瞬間は撮り逃がしました。他には、アオサギ1羽のみ。ホシゴイは見当たらず。30分くらい後、もう一度見にいったら、どちらもいなくなっていました。

Img_5048c  キンクロハジロは、合計18羽に増えていました。二の丸堀に12羽、吉之丸堀に6羽。去年Img_9287c は、今頃、ホシハジロやハシビロガモ、ヒドリガモもいて、33羽でしたが、今年は出足が芳しくありません(2018年10月26日:九華公園にホシハジロのメス登場、カモは早くも33羽)。今年は、ハシビロガモのオスが一度だけ姿を見せたのですが、その後はキンクロさんのみ。

Img_5051c  その他、オスのモズ、カワラヒワ、ハクセキレイ、キジバト、ドバト、スズメ、メジロ、シジュウカラなどがいたものの、これという写真には撮れず仕舞い。いつも通り、鎮国守国神社にお参りに行ったら、拝殿の前から何やら殺気が(苦笑)。カマキリさんが睨んでいました。

Img_5083c  帰りに寄った寺町商店街。今日、明日は、「桑名まつり博」。以前はもっと大々的に開催されていました(2015年10月24日:「冬の使者」ユリカモメ来る、カモは10羽に……桑名まつり博も開催)ので、それを知っているとちょっと張り合いない気もします。ステージパフォーマンス、縁日ゲームコーナー、抽選会の他、明日は「寺町ハロウィン」が行われるといいます。

Img_5054c  ところでというか、余談というか。九華公園の朝日丸跡、北東隅の石垣のところが崩れかかっていましたが、今日見たら、さImg_4586c_20191026125401 らにひどい状況になっていました。右の写真は、10月14日の記事に載せたもの(2019年10月14日:時々雨という感じで、結局いつもの九華公園へ……イソヒヨドリのつがい)。これ、早急に修理しないといけません。その九華公園、管理人さんの話では、昨日、テレビ東京の方が取材に来ておられたそうです。ということだけでピンと来る方、スゴいです(微笑)。まだどうなるのかはまったく分かりませんが、取材にいらした方は航空写真(グーグルアース?)を見ながら1時間ほど話を聞いて行かれたそうです。散歩に来る人の間では、「あれに来てもらったら、堀も綺麗になるのにね」とよく話題になっていました。

 

2019年10月25日 (金)

雨が上がって虹、名古屋駅前の高層ビル群のてっぺんは雲の中

191025amedas  よく降りました。16時20分現在のアメダスのデータです。丸1日以上、雨が降っています。千葉では、猛烈な雨が降り、土砂災害の恐れがあると聞きますし、避難勧告が出ているところもあるようです。まったく何と申し上げてよいか分かりません。これ以上の被害がなく、また、台風19号の被害からも早急な復旧を願うばかりです。

Img_4959c  夕方まで雨という予報でしたので、午前中は、仕事。裏稼業(?)の桑名発達臨床研究室にご依頼いただいたコンサルテーションの報告書を仕上げていました。あれこれ忙しく(あくまでも私にしては、です)、申し訳ないと思いつつ、ついつい遅れていたのです。心理アセスメントについては、まさに個別性が高く、検査結果の数値パターンを読み取って、このパターンなら「はい、これです」というわけには行きません。お子さんの検査結果、相談内容、お子さんの状況・実態についての情報、絵やプリントなどの参考資料などを繰り返し読み、分析し、あれこれと考えをめぐらすのです。午後からは、定例の内科受診&特定健診。インフルエンザの予防接種を受ける方が多くて、賑わっていました。

Img_4971c  さて、内科から帰ってきた15時過ぎから小降りになり、16時前くらいから晴れてきました。こういうとき、ひょっとしてと思Img_4995c って確認したら、案の定、虹が出ていました。左の写真は、我が家の北北東、長良川河口堰の向こうに見えています。右の写真は、ベランダから東を見たもの。これで1つの虹になっているはずなのですが、空の高いところはよく分かりませんでした。

Img_4985c_20191025164301  もう一つ、興味深い光景を見つけました。我が家の玄関先からは、名古屋駅前の高層ビル群がよく見えます。虹を見ていたときの光景がこちら。ビルの高いところには雲がかかっています。JR名古屋駅の上に立つJRセントラルタワーズには、2つのタワーがあります。オフィス棟は245.1 m(地上51階建て)、ホテル棟は226 m(地上53階建て)といずれも200mを越えています。セントラルタワーズの南東には、247mあるミッドランドスクエアも建っています。200mを越えるあたりから上が雲の中のように思います。

Img_8926c_20191025170601  こちらは、揖斐川の堤防の上から撮った写真で、見ているアングルなどは異なりますが、晴れているとこのように見えるというサンプル。今年10月13日の撮影。

 明日は天気は良さそうですから、まずは散歩(微笑)。明後日の日曜(10/27)は、近鉄ハイキングのお伊勢さん参りハイキングの10回目があります。「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」があります。いよいよ松阪から、斎王がいた斎宮跡へ。約11㎞の予定。万難を排して参加しなくては。

2019年10月24日 (木)

仕事は無事終了か?

Dscn1831c  午前中は曇り、午後からは雨が降り始めました。予定通り、朝から市役所の仕事に出かけて行きました。「9時から17時」という見込みでしたが、幸い、14時過ぎに終了。本当にお役に立てたのか、不安もありますが、まぁ良しとしましょう。自分の専門に関わることがらなのですが、かなりの資料があり、それを読み、必要な意見を申し上げるのが役割。しかし、何を今さらとは思うものの、寄る年波には勝てず、目がショボショボ。老眼鏡をかけたり、外したり。はたまた時々目薬をさすという始末。この目が疲れるという現象、それだけならよいのですが、能率低下の大きな要因であります。さらに、モチベーションも下げる方向に貢献してくれるような気がします。困ったもの。

Dscn1827c  会場が比較的近かったので、今日は、散歩代わりに徒歩で行ってきました。片道ほぼ1㎞。早く終わって、帰りにはアピタなどに立ち寄り、文房具と本をチェック。さらにちょっと余分に歩いて、往復2.8㎞あまり。いつも歩く距離の半分くらいですが、歩かないよりははるかにマシ(微笑)。ほぼ自己満足の世界です。

 余談。江戸橋での授業では出席票に質問、感想などを書いてもらい、それに基づいて次の週の授業で補足説明をします。いつもそのための資料をつくり、前もって助手の先生に送って、印刷などをお願いします。昨日の分は昨日のうちに仕上げて、メールで送ったと思っていたのですが、つくったファイルを添付するのをすっかり忘れていました(苦笑)。今日の仕事があるから、昨日のうちにと急いだのがよくなかったのでしょう。高齢者の仲間入り一歩手前ですから、何ごともゆっくりよく確認する必要があります。

2019年10月23日 (水)

晴れ男になれたか?……気を抜いてはいけませんが……

Dscn1821c  絶好の行楽日和、散歩日和の中、今日は、江戸橋にて非常勤の仕事でした。これで、水曜日の天気については、前期から引き続いて16連勝中(微笑)。助手の先生も、「水曜はいい天気ばかりですね」と絶賛して下さいます。「ただし、明日は雨だそうですよ」といわれたのですが、幸か不幸か、明日は、終日、市役所の仕事で1日缶詰めです。桑名、津とも最高気温は、24.5℃。夏日にはなりませんでしたが、昼、帰宅するときにはけっこう暑く感じました。

Dscn1807c  授業は、後期、これで4回目。受講者数は、50名代半ばで確定。先週、今週とやや欠席が多いのが気になります。台風がいくつも来たり、寒暖差がかなりあったりして、体調を崩している学生諸君が多いのかも知れません。今日のテーマは、「職業から見た人間関係」。進路選択、職業選択、自我形成などにも言及しましたが、学生諸君にも身近な話ですから、皆関心が高いようで、いつも以上に熱心に聞いてくれていた感じでした。授業の最後には、「進路選択に対する自己効力感尺度」という質問紙を実施。自己採点して、自らの特徴の1つとして、自己理解を促すため。

Dscn1799c  ところで、先週水曜の記事で、非常勤先近くの伊勢別街道などについて触れました(2019年10月16日:今日も晴れ(微笑))。江戸橋駅近くの江戸橋常夜燈のところが、伊勢別街道と伊勢街道との追分になります。江戸橋駅で近鉄電車を降りて、駐205ddc47 輪場から少し東に行くと、伊勢別街道に出ます。北上して、近鉄の踏切を渡ったところで道路が二股になっています(左の写真)。これを左に進むのが、伊勢別街道

Dscn1802c  こちらの写真が、二股のちょうど分かれるあたりで、伊勢別街道を眺めた写真。この先、一身田中野あたりの住宅街を抜けて、途中で右折。右上の地図で、「線路跡(現・道路)」とある上の矢印のところにでます。ここから北西に向かって、高田本山の方へと続きます。

Dscn1801c  こちらは、旧・伊勢鉄道の廃線跡の道路。非常勤先へは、どちらを通ってもいけますが、廃線跡の道路を行った方が、若干近いのでいつもこちらを歩いて行きます。

 と、とくに話題もありませんので、よく分からない記事を書きました(苦笑)。もう少ししたら、志登茂川あたりに冬鳥がやって来るのではないかと期待しています。後期に授業に行くのは初めてですから、また折を見て、非常勤&バードウォッチングをしてみようと企んでいます。明日は、上にも書きましたが、終日、市役所の仕事の予定。

2019年10月22日 (火)

晴れてきて、アオサギ、ゴイサギ、ホシゴイ……木曽御嶽山は初冠雪

Img_4939c  10月22日、即位礼正殿の儀で祝日。住吉神社の前で久しぶりにお目にかかった御年95歳の男性は、「今日は息子たちが起きてこなかったので、どうした?」と思っていたら、「祝日だったんですね」と(微笑)。我が家あたりは午前中から晴れてきましたが、雨雲レーダーを見ますと、東京方面はまだ降っているようです。セレモニーが始まるまでに雨が上がるといいのですが。冒頭の写真は、散歩から帰ってきた10時半頃の東の空。

Img_4928c  さて、8時頃はまだ霧雨のように降っていました。上がるのを待って、8時20分頃、散歩へ。いつもどおり、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と5.8㎞。同じコースでも微妙に距離が異なるのですが、これは、九華公園で知り合いを見つけると話しに行ったりして、多少余分に歩くためなのです。

Img_4915c  例年ですと、いつもモズがいて、そろそろジョウビタキが登場する頃ですが、今年は天候が不順で、モズはあImg_4918c まり見ませんし、ジョウビタキも散歩コースではまだ(ブロ友のひらいさんは、先週末ご覧になったそうで、羨ましい)。アオサギさん、いる場所は、鎮国守国神社の社務所裏なのですが、以前より高いところや、西側から見て葉っぱの陰になるところによくいます。ホシゴイは、1羽。ホシゴイやゴイサギは、何度も書きますが、「隠れ上手」で「忍者」のようです。ウッカリすると、見逃します(たぶんこれまでにも何度となく見逃しているはず……苦笑)。

Img_9237c  ゴイサギが今日は、2羽。8時40分頃は1羽しかいませんでしたが、30分あまり経ってもう一度行くと、もう1羽が登場。左の写Img_9232c 真のゴイサギは、最初からいたのですが、もっと見えにくいところに「隠れて」いました。9時過ぎに少し見やすいところに移動していました。右の写真のゴイサギは、木のてっぺんあたりで身繕い中。

Img_4927c_20191022112401  キンクロハジロは、昨日と同じく12羽。九華橋の南、神戸櫓跡の西でお休み中。オス、メImg_9244c ス6羽ずつも変わりなし。去年の今日は、ヒドリガモ、ハシビロガモもいましたが(2018年10月22日:九華公園にハシビロガモのオスと、ヒドリガモのメス登場……モズやジョウビタキもたくさんで賑やかになって来ました)、今年はまだ(ハシビロガモは、今年は10月4日にオス1羽がいましたが、その後は来ていません:九華公園に遠来の客、ハシビロガモ……上之輪新田偵察の結果はいかに?)。

Img_9221c  モズも、公園の南にいたのですが、撮れた写真は証拠写真以下で、割愛。ハクセキレイは、野球場に2羽。朝日丸跡でメジロ。メジロは、諸戸氏庭園や、貝塚Img_9217c_20191022112401 公園でも鳴き声が聞こえていました。他に九華公園では、キジバト、ドバト、スズメ、カワラヒワ、カワウなど。そういえば、今年はヤマガラを見ていません(たとえば、2018年10月17日:休耕田のコスモス畑発見……モズ、カワセミ、ゴイサギ、ムシクイ、ヤマガラ、エゾビタキ、ミサゴ、ジョウビタキと鳥も盛りだくさん(微笑))。

Img_4940c  ところで、木曽御嶽山、冠雪しているようです。昼前のメ~テレでもそのようにいっていました。これらの写真は、散歩からImg_4944c 帰ってきた10時半頃、玄関前から撮影しました。もう10月も下旬ですからねぇ。

Img_4938c  明日は、江戸橋での授業。これは晴れそうです(微笑)。明後日は、教育委員会の会議で終日缶詰め。微力を尽くしましょう。少し先ですが、次の日曜は、近鉄ハイキング「お伊勢さん参り」の10回目。松阪駅から斎宮駅まで、約11km。「よく学び、よく遊べ」にしたいところ。

2019年10月21日 (月)

桑名宗社で御大典記念事業「村正」特別公開を見る【桑名宗社・不破宮司さんによる御礼記事へのリンクを追加しました(10/23)】

Img_4800c  夕方4時前くらいから降り始めましたが、それまでは曇天の空。8時に散歩をスタート。住吉神社から九華公園を一周。その後、畏友M氏と待ち合わせのため、桑名宗社(春日神社)へ。ここまでで歩いたのは、3.9㎞。昨日の記事にも書きましたように、御大典記念事業「村正」特別公開を見てきました。その後、Mさんの車でガストへ。そこで2時間も話し込んでいました(苦笑)。ガストへ行ったのは、御用達のはせ川さんが月曜定休だからです。12時前に帰宅。

Img_4877c_20191021165001  まずは、御大典祈念事業「村正」特別公開について。場所は、桑名宗社にある春日神社会館。左の写真にある楼門を潜って、向Img_4880c かって右手にあります。結婚式、披露宴などが行えるところ。ただし、桑名在住20数年ですが、未だかつて中に入ったことはありません。いきなり特別公開には行けませんので、まずは、桑名神社、中臣神社にお参り。

Img_4894c  新聞やテレビのニュースでも取り上げられていましたので、混むだろうと思って、9時半に拝Img_4896c 観に行った次第。桑名宗社には、御神宝として、「村正」と「正重」の太刀、計4振が伝わっています。第二次世界大戦の際、これらの正常な管理ができないことを見越し、先々代宮司によって錆防止のため空気に触れない工夫として、漆黒の漆が塗られ、疎開されました。無事に今まで伝わっているのですが、普段は見られませんし、漆が塗られているため本来の姿が見られないでいました。今回、現在の宮司さんが、平和の時代の下、御神宝の本来の姿を明らかにすることは、桑名総鎮守としての桑名宗社の使命とお考えになり、特別公開に踏み切られたのです。4振伝わっている太刀の内、2振を研いで、漆を取った姿で拝観できたということです。

 残念ながら、今回研がれた村正と正重は、撮影不可。昨日も引用しましたが、中日新聞の記事に写真が載っています。村正自身が奉納したもので、私自身刀剣には詳しくはないのですが、見事と思えました。切っ先は怖いほど鋭く、刃紋も華やか。いかにも名刀という感じでした。

 出品目録は次の通り:

  1. 太刀 銘は「勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作/天文十二年天癸卯五月 日」 刃長78.2cm(三重県文化財)
  2. 拵 「四弁花繋文鏥包糸巻太刀拵」
  3. 太刀 銘は「勢州桑名藤原千子正重/寛文二年壬寅正月三日」 刃長75.1cm(三重県文化財)
  4. 太刀 銘は「勢州桑名藤原千子正重/寛文元年辛丑十二月吉日」 刃長75.1cm(三重県文化財)
  5. 短刀 村正 刃長26.5cm(桑名市文化財)
  6. 短刀 村正 刃長23.2cm(未指定)

 これらはいずれも桑名宗社の所蔵で、桑名市博物館に寄託し、管理されています。ちなみに天文12年は1543年、寛文元年は1661年。益田庄は、桑名あたりを表す当時の地名。今回研がれた村正は、その写しを制作し、常設展示を行う計画だそうです。

Img_4883c_20191021173101  5と6の短刀のみ、写真撮影可となっていました。奉納の経緯は不明だそうですが、これらの短刀も桑名宗社に伝わる村正のImg_4884c_20191021173101 ものです。

 なお、桑名市博物館で開催された村正の展覧会は、次の記事にあります。村正についてもそこで触れています:

Img_4810c  ところで、バードウォッチングの成果の方は、はかばかしくありませんでした。揖斐川でカモメが飛んでいましたが、写真はImg_4855c_20191021164901 ピンぼけ(今日も超望遠コンデジのみ持参。とっさにすぐピントが合わないのが玉に瑕)。九華公園では、アオサギとホシゴイ、1羽ずつ。

Img_4827c  キンクロハジロは、12羽となっていました。オス、メス6羽ずつ。曇天ですからあまりきれImg_4840c いに撮れません。

Img_4849c_20191021174301  他にはヒヨドリ、ドバト、キジバト、スズメ、カワラヒワくらい。モズの鳴き声も聞こえたのですが、姿は見えず。たまにはと思って、ヒヨドリを撮影。

 

【追記(10/23)】 本日、桑名宗社のサイトに不破宮司さんによる「御大典記念「村正」特別公開の御礼」という記事がアップされました。今回の特別公開の背景や、村正の写しの作成計画、また、NHKテレビによる取材とその放送の見込みについて述べられています。是非ご参照下さい。

2019年10月20日 (日)

九華公園で2年ぶりにキセキレイ……午後は研究会へ

Img_4799c  久しぶりの好天で、気温も26.0℃になりました。今日は、午後から研究会に行く予定でしたので、朝8時から10時過ぎまで「時間制限法」で散歩。コースはいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と5.6㎞。

Img_9165c_20191020184601  九華公園の外周遊歩道の南で、キセキレイに遭遇。先だっても見たのですが、写真は撮れませんでした。そのImg_4783c_20191020184601 ときは、野球場の南あたりにて。キセキレイ、普通は川の上流部にいるのですが、たまに九華公園でも見ます。前回は、2017年10月25日でした(午前は「幕末維新と桑名藩」展、午後は九華公園でカワセミ、キセキレイ)。このときも10月下旬ですね。この時期、遠征してくるのかも。2枚とも同じキセキレイの写真です。左の写真では、何か虫を咥えています。

Img_9093c  さて、住吉神社前から揖斐川の下流方向を見たとき、「あぁ、カワウがいるな」と思って、念のため写真だけ撮って来ましたが、それ、実はアオサギだったのです。撮ってすぐにもカメラの液晶モニタで見たのですが、黒くてカワウに見えたのです(苦笑)。まだまだ修行が足らないのか、それとも老眼のなせる技か? 

Img_4747c  しばらくモズの姿を見ていませんでしたが、今日は、三の丸公園の東の電柱にいました。この時刻(8時20分くらい)はまだ曇天でしたので、写真としては今イチ。モズのいるすぐ下あたりまで行ったものの、こんな写真でした。

Img_4758c
 九華公園にやって来ました。北門を入って100mも行かないところの東側の堀越しに鎮国守国神社の社務所がImg_9117c_20191020184601 あり、そこにアオサギ、ゴイサギ、ホシゴイが来ます。アオサギさんはいたものの、背中を向けていました。しかしながら、こちらを拒否しているわけではありません。何か理由があるのかも知れませんが、その後、目が合ってもいつも通り、逃げたりはしませんでしたから。

Img_4776c  そして、今日は久しぶりにゴイサギや、ホシゴイ2羽の姿も見られました。いゃ、うれしいですねぇ、アオサギ、ゴイサギ、Img_4777c ホシゴイと揃っているのは。今の時期、九華公園のゴールデントリオといってもよいかも知れません。右のホシゴイは、2羽いたうちの1羽。

Img_9157c  3種類4羽のいた位置関係はこの写真の通り。おおむね、いつもの(というか、よくある)パターンです。ゴイサギ、ホシゴイは、多いときは合わせて5~6羽はいるのに、なかなか見つけられないのです。

Img_9164c_20191020184601  カモは、キンクロハジロが9羽。吉之丸堀の東側エリアにいました。オス4羽、メス5羽でImg_9135c す。管理人さんは、11羽いたとおっしゃったのですが、ひょっとするとカルガモをカウントに入れていらっしゃるかも知れません。「非公式記録員」としては、9羽としておきます。

Dscn1792c  ところで午後からは、日進市にある某女子大学にて、心理アセスメントの研究会。詳細については書けませんが、3歳から20年にわたってフォローされた自閉スペクトラム症の方の事例報告。この方は言語能力が高く、その内面や、考え方などいろいろとセラピストに語ってくださったそうで、大変興味深かっただけでなく、自閉スペクトラム症の心模様を理解するのにとても参考になる話でした。私自身の相談活動にも実に有益な内容を知ることができました。

Img_4781c_20191020184601  今週は、水曜の非常勤の授業の他、木曜は1日、教育委員会の仕事の予定。定例の内科受診&特定健診も行かねばなりません。ご相談を承っている方の報告のまとめもめどをつけなくてはなりません。まさに「怠け者の節季働き」のようなものであります(苦笑)。あちこちに迷惑をおかけしないようorその程度を最小限にするようしなくてはと思っています。なのですが、今日から明後日までの3日間、桑名宗社(春日神社)で御大典記念事業として、桑名宗社が所蔵する「村正」「村重」の特別公開が行われているのです(こちら中日新聞にも記事があります)。桑名宗社の御神宝として、「村正・正重」の太刀4振が伝わっているのですが、それらは、第二次世界大戦の際、正常な管理が不可になることを見越し、先々代宮司によって漆黒の漆が塗られ、錆防止のため空気に触れないようにされました。これら4振の刀は戦災に遭うことなく現在に伝わったのですが、漆が塗られたため本来の刀剣の姿は見た方はありません。新天皇陛下の御即位にあたり、本来の姿を明らかにすることになり、「村正」「正重」各2振のうち、各1振ずつが研がれ、公開されるのです。これは見逃す手はないということで、明日、散歩のときに見てくるつもり。

2019年10月19日 (土)

法事でした

Dscn1737c  午後から止み間があり、日も当たってきたのですが、終日ほぼ雨。家内の実家にて、亡義父の7回忌を営んできました。7回忌ですから丸6年。早いものです。大正8(1919)年生まれですから、生きていれば今年100歳。94歳で亡くなりましたから、男としては長寿でした。

Dscn1744c  墓は近くの檀那寺にあるのですが、もう一ヶ所、地域の「三昧(さんまい;三昧場ともいいます)」にも実家の古い墓があります。実家のあたりでは、地区ごとにこの三昧があるようです。家内の母親に聞いても、誰が埋葬されているか分からないというくらい古いもので、現実には、ある区画に自然石が1つおいてあるのです。法事のついでに、ここは「墓仕舞い」をしようということで、ご住職にお願いして弔っていただいたのです。昔は、この三昧場でも葬儀のような儀式をしたような跡がありました。場所柄、写真を載せるのは控えますが、この地区の集会所の右手を奥に登っていくと、山間に三昧があります。

Dscn1753c  実家であれこれしていると、外から賑やかな「ジュルジュル」という鳴き声が聞こえてきました。エナガの群れがやって来ています。今日は、雨で、法事でしたから、Nikonのcoolpix s7000しか持っていきませんでしたので、残念ながら超々証拠写真のみ。光学20倍で撮り、トリミングしています。エナガらしいということはお分かりいただけるかと思います。

 明日は天気は回復するようですが、午後から日進市で研究会。朝のうち、時間制限法で散歩はしようと思っています。

2019年10月18日 (金)

居職の日なるも、能率は??

Img_4734c_20191018163101  朝から、さほど強い雨ではありませんが降り続いています。冒頭の写真は、8時過ぎの雨雲レーダー(XRAIN)画像。天気予報191018amedas でも、雨ということで、早々に散歩は諦めました。ということで、本日は居職の日。午前中10時から小1時間、エディオンにプリンタのインクを、また、三洋堂書店に雑誌と文庫本、ノートを買いに出たのみで蟄居生活(苦笑)。しかし、昨日の記事の最後に書きましたように、「動きがぎこちなくなったアタマで、ない知恵を絞って」いる有様で、我ながら、情けない。「昔はもっとてきぱきとやっていたのになぁ」という気もしますが、これは妄想かも知れません。効率が低下している上に、根気が続かなくってきている気がします。まぁ、来年3月になると高齢者の仲間入りですからねぇ(爆)。

Img_4728c  相談の準備をしながら、非常勤の授業などに持っていくために買ったPanasonicのLet's note CF-SZ5のバッテリーの「残量表示補正」作業を行っていました。中古品で買いましたので、バッテリーが弱っているのは承知の上だったのですが、残量表示も不安定な気がしていました。2時間40分と出ていたかと思うと、急に1時間あまりになったりしていたのです。PanasonicのPC設定ユーティリティを入手して、完全充電→完全放電→再充電を行うことで、残量表示補正ができるのです。パソコン購入後、バッテリーの新品も買ってありますが、バッテリーも消耗品ですから、念には念を入れてということです。

Img_4730c  しかし、散歩をしないと、アタマの働きも一段と悪い気さえします。京都に行くと、琵琶湖疎水の傍らに「哲学の道」がありますが、その昔、京都大学の哲学者・西田幾多郎田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたといいます。これほどの碩学とは比べものにならないのは、先刻承知ですが、それでも歩いた方が、気持ちもスッキリし、アタマの働きも少しは良い気がするのです。しかし、週末、明日は法事(家内の父親の7回忌)、日曜は研究会。鉄道会社のハイキングはもちろん、散歩も難しいかも。いやはや。

2019年10月17日 (木)

小雨に降られ、カワセミは見たものの、鳥は少なし

Img_4664c_20191017173401  気がつけば、10月もすでに後半に入っています。今朝は、14.2℃と寒いくらいでした。日中も曇天で、気温も22.2℃。散歩に出るにも、長袖1枚でいいか迷うようになっています。天気がよければ、長良川河口堰や、コスモスでもと思ったのですが、日中も雨が降るかも知れないということで、8時スタートでいつものコースへ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町、寺町と5㎞。途中3回ほど、小雨にやられました。それ故、コースもちょっと省略。写真は、住吉神社の前から見た、揖斐川の下流方向。中央やや右に蟠龍櫓が見えています。その左あたりで、揖斐川と長良川が合流します。

Img_4699c  こんな天気でしたので、鳥は少なめ。三の丸水門近くで、2羽のハクセキレイが戯れていました。手前は顔が黄色っぽい(ちょっと修正をかけましたので、強調されていますが)。若鳥か? 奥は黒っぽい。成鳥。よく動くので、2羽揃ったシーンは、なかなか撮れません。

Img_4716c_20191017173101  九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏にアオサギさん。他の野鳥がいなくても、たいていはいてくれますから、その意味ではありがたい。神様みたいなものというか、神対応をしてくれているというか(微笑)。しかも、逃げないのです。

Img_9058c  アオサギさんの下で、今日は、カワセミを目撃。鎮国守国神社の社務所裏に棲み処があると思っています。南北にしばらく移動した後、堀に落ちた枝に止まったのです。慌てたため、ピントが合いません(苦笑)。4枚くらい撮ったうち、これでもマシな方。10月にここで見かけるのは、珍しい。堀の北の端へ行ったあとは、15分くらい待っても現れず。その後30分ほど経ってから、もう一度確認に行ったものの、やはり姿は見せてくれませんでした。公園では、他にメジロ、カワラヒワ、キジバト、ドバト、ムクドリ、ヒヨドリ多数。

Img_4718c  キンクロハジロは、今日は6羽。二の丸堀の西側エリアにいました。オス、メスとも3羽。オスの寝癖は、健在。今年はまだImg_9078c エサをくれる人がないのか、人の姿を見ても寄って来ません。このあと、貝塚公園などでは、めぼしい鳥はおらず。モズは、鳴き声を時々聞くものの、このところ姿は見ません。どうしたのでしょう?

Img_4659c_20191017173101  ところで、拙宅近くの桑名七里の渡し公園。今日、住吉神社の側から見てみました。拡張工Img_9034c 事が始まっていますが、今のところ見る限り、とくにこれという進展はありません。「令和元年度 木曽三川公園桑名七里の渡し公園整備工事」という表示が出ていたので、注目したのですが、どのようなできあがりかという内容はありません。公募設置管理制度(Park-PFI)によって、物販・カフェ・飲食等の公園施設が整備されるようなのですが、具体的な内容については、不明。

 帰宅後は、昨日の非常勤の授業でのQ&Aを仕上げ、確認して助手の先生にメールで送って、印刷をお願いしました。その他、現在受けている相談の仕事をしているのですが、能率があがらず(苦笑)。いわれたことを手順通りそのままやればよいということではありません。動きがぎこちなくなったアタマで、ない知恵を絞っています。

2019年10月16日 (水)

今日も晴れ(微笑)

Dscn1732c  水曜日、江戸橋での非常勤の日です。毎回毎回天気のことを書いていますが、お陰様で、今日も晴れ(16連勝中……微笑)。天気予報では曇りでしたが、昼は22.9℃になり、快適。学生諸君、出席は50名弱。まだ履修登録者名簿が来ていませんが、これくらいなら適切なクラスサイズ。今日は、ちょっと乱暴でしたが、幼児期、児童期、青年期、中高年期の友人関係について。人との関わりの中でもろもろが発達することや、反抗期など、一見困った現象の背景に発達的な意味があるという話。学生諸君には、青年期の友人関係の話は、実感ができたようでした。

Dscn1729c  非常勤の行き帰りは近鉄電車を利用します。桑名から江戸橋まで、急行で約40分。江戸橋駅からは徒歩10分あまり。電車のEb57b1ca 待 ち時間を除けば、片道1時間あまりですから、通勤時間もまあまあ。江戸橋駅から少し歩いて、旧・伊勢別街道に出ます。伊勢別街道は、関宿東追分(亀山市)から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田(いっしんでん)を通り、伊勢街道と合流する江戸橋までの総距離およそ四里二六町(28.5㎞)の街道です。高田本山専修寺へ行くハイキングなどで何度か通っています。右の写真は(2018年3月25日撮影)、江戸橋駅近くの伊勢別街道(これは南向き。この先、江戸橋常夜燈のところで伊勢街道に合流します)。

Dscn1730c  江戸橋駅から上り方向(白子駅方向)の踏切を越えたところで(上左の写真で右端に写っています)、伊勢別街道から離れるの205ddc47 ですが、この道は(左の写真)、旧・伊勢鉄道の廃線跡。現在の伊勢鉄道ではなく、明治44(1911)年、三重県四日市市に設立された鉄道会社で、現在の近畿日本鉄道名古屋線・鈴鹿線、養老鉄道養老線を作り上げた会社です。伊勢電気鉄道として知られています。昨年3月25日、近鉄ハイキングで歩いています(2018年3月25日:近鉄ハイキング「(旧)伊勢鉄道廃線跡めぐり」へ)。ちなみに、踏切あたりからは、現在の近鉄名古屋線と同じルートを走ったそうです(右の画像は、このハイキングの時のもの)。

Dscn1728c  余談。江戸橋駅から踏切に至る途中におぼろタオルという会社があります。昨年1月11日に高田本山を訪ねる近鉄ハイキングで立ち寄り、「おぼろガーゼタオル」をいただいたことがあります(2018年1月13日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」)。これは明治時代から続いている品物だそうですが、二重袋織りガーゼタオルでとても気持ちよく使えます。門内に直売所があるのですが、ハイキング以来立ち寄ってはいません(苦笑)。

2019年10月15日 (火)

ダイサギ、アオサギ、イソヒヨドリに、今頃出て来たヒガンバナ

Img_4600c  よく晴れました。昼前に25.2℃。散歩日和。風はやや強く、4~5m/sくらいでしたので、いつもの散歩コースへ。河口堰や、N里駐車場の「白線鳥」も見に行きたいのですが(2019.10.13~14 お散歩週報)、それまた今度。8時10分スタート、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、京町から寺町。毎度毎度のワンパターン。5.5㎞、10時半過ぎに帰宅。

Img_4612c  住吉水門から見ると、下流にダイサギの姿。住吉神社前に揖斐川まで降りる階段がありますので、そこへ降りImg_4617c ていって写真を撮ろうとしたら、逃げる、逃げる。逃げた先は、さらに下流の川口水門。七里の渡し跡への入り口。100m以上もあるのに、逃げる? 堤防道路を歩いて、七里の渡し跡から蟠龍櫓を回って、5~6分。まだいてくれました。今度は、気づかれないようソーッと近寄り、パチリ。右の写真で、ダイサギのいるところの左手に入ったところが、七里の渡し跡。

Img_8989c_20191015121201  その後、柿安コミュニティパークへ向かう途中、揖斐・長良川上空をカモらしき群れが飛んでいきます。V字隊形で下流に向かっていきます。その数20羽あまり。種類までは、遠くてちょっと判別は困難。カモと思いますので、いわゆる「雁(カリ)」とはいえませんが、雁がV字になって飛ぶのはよく知られています。この方が、遠くまで行けるという話があります(こちら)。

Img_8994c_20191015121201  九華公園では、アオサギと、キンクロハジロ5羽。オス2羽とメス3羽。昨日は9羽いたのですが、途中で5羽がImg_8998c 飛び去って行きました。柿安コミュニティパークで出遭った知人は、ゴイサギもいたというのですが、見当たりませんでした。ヒヨドリはかなり増えてきました。そろそろ賑やかというか、やかましくなり始めた感じ。他にはカワラヒワ、キジバト、ドバト、ムクドリなど。

Img_4632c_20191015121201  九華公園の外周遊歩道の南側です。いつもヒガンバナが咲くところなのに、今年は出ないと思っていたら、今頃出て来ました。お彼岸からやがて1ヶ月です。こんなに遅れることがあるんですねぇ。

Img_9008c_20191015121201  寺町を通って、住吉入江まで来たら、イソヒヨドリのオス。今日は天気がよく綺麗に見えたのですが、あいにくなかなかよいアングルには出て来てくれません。

Img_4637c_20191015121201  さて明日は、水曜日。江戸橋での授業、後期3回目。晴れるという予報で、ありがたい(微笑)。現在、その他、コンサルテーションのご依頼が2件+2件+1件。珍しく大繁盛(微笑)。ありがたいのですが、黙って座ればピタリと当たるというものとは、ほど遠いというか、対極にあります。データ(検査結果、いただいたお子さんの情報、参考資料)をあれこれ眺め、ひねくり回し、考え込み、短くとも1週間ほど苦吟しているのが、実態(苦笑)。最初の2件は現在進行形、そろそろ報告をまとめなければなりません。真ん中の2件は、来月中旬の相談会、最後の1件は12月に予定。

2019年10月14日 (月)

時々雨という感じで、結局いつもの九華公園へ……イソヒヨドリのつがい

10140748xrainc  JRさわやかウォーキング「隠れ古道「金王道」と三寺コスモス畑を散策」(JR関西線・亀山駅、約11.2km)に行こうか、それとも近鉄ハイキング「近鉄エンジョイウォーキング おいでよ東員町!コスモスハイキング!」(三岐鉄道北勢線・東員駅、約5㎞)に行くか、さんざん迷ったのですが、8時前の雨雲の様子がこれでした。仕事も立て込んでいて、遅れ気味でしたので、泣く泣く断念。止み間を縫って、いつも通り、住吉神社、九華公園に行ってきました。ただし、こんな空模様ですから、九華公園から京町、寺町を通って帰宅。1時間半あまり、4.5㎞。

 最初から余談で恐縮ですが、JRさわやかウォーキングのコースにある「金王道(こんのうみち)」とは、尾張の地で最期を遂げた源義朝に仕えた金王丸が、京の常盤御前に義朝の最後の様子を知らせに馳せ上った道といわれます。東海道から離れた丘陵地帯を縫うように進む道だそうです。こういうエピソードを知ると、行ってみたくなりますねぇ。またの機会に。ちなみに、源義朝は、藤原信頼と結んで平治1(1159) 年、平治の乱を起したものの、敗れて東国に逃れる途中、立寄った尾張野間の長田忠致(おさだただむね)のもとで、浴室で謀殺されています。美浜町野間には、義朝が殺された湯殿跡や、義朝の首を洗った「血の池」、のちに頼朝がかたきを討った「はりつけの松」など、ゆかりの地があります。野間大坊(大御堂寺)には源義朝の墓があり、法山寺(臨済宗天竜寺派、知多郡美浜町大字野間字田上)には湯殿跡が残っています。この湯殿跡や、血の池などは、詳細は忘れてしまったのですが、なぜか、昔、訪ねた記憶があるのです。

Img_4470c  さて、話を戻して。時々小雨がぱらつくというコンディションの中、あちこちで雨宿りしながらの散歩でした。いつものコースですから、どこで雨Img_4473c_20191014105101 宿りできるか十分に承知しています(と負け惜しみand/or屁理屈……苦笑)。三の丸水門のところで、イソヒヨドリの番がやって来ました。左の写真がオス、右の写真がメス。メスは、コオロギか何かを咥えていました。天気がよければオスはもっときれいに撮れたとおもいます。

Img_4488c_20191014105201  九華公園。まずは、鎮国守国神社の社務所裏にゴイサギとホシゴイが1羽ずつ。たぶん、いつもいると思うのでImg_4496c_20191014105201 すが、堀の対岸から見ていると、気や葉っぱの陰で見つけられないだけだと思います。ゴイサギはずっとお休みの体勢。ホシゴイは、顔を上げていました。

Img_4508c  アオサギさんもいました。公園内を半周して、再び見に来たら、北門近くの堀に降りていましImg_4568c た。私が近づいたので、慌ててまた樹上に。ここで魚を捕っていることも、たまに見かけます。

Img_4514c  キンクロハジロ、今日は、一気に9羽に増えていました。Img_4540c_20191014105201 今年も観察記録をきちんとつけないと行けませんし、管理事務所前のカウントボードも正式に再開しないといけません(微笑)。2枚の写真に写っているほかに、メスが2羽いましたが、私が公園を回っている間に5羽が西の方へ飛び去ってしまいました。

Img_4482c_20191014105101  九華公園に行く前に柿安コミュニティパークを通ったら、イベントの準備中でした。商連(桑名市商店連合会青年部)が開催Img_4593c する「2019くわな楽市」です。飲食ブースの他、ステージイベント、こども職業体験、こども縁日、リフティング・万歩計・炭酸早飲み選手権などもあるのですが、この天候ではお客さんの集まりがよくないかも知れません。個人的には、「花苗プレゼント(10時から、先着100名)」が気になったのですが、ここを通ったのは8時半過ぎで早すぎました。待っているには時間が長すぎ。

Img_4586c_20191014105201  オマケ。九華公園の朝日丸跡の東北角の石垣。以前から少し崩れ気味でしたが、かなり崩れてきていました。台風19号では、このあたりはさほどの雨風ではなかったのですが、それでも影響があったようです。これは、ちょっとマズい感じ。

Img_4538c_20191014110801  終日、降ったり止んだりのようですから、このあとはおとなしく、仕事に励みましょう。相談資料を読み込み、解釈、アセスメント、報告書の下書きへと進めたいと思っています。

20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その3)……百々川の常夜燈、薬師寺、旧・小津清左衛門家、三井家発祥地から、松治郎の老舗で絶品はちみつ最中アイスを食べ、近鉄松阪駅へゴール、土産は老伴(完)

191005kintetsuhikingisenakagawa5  10月5日に行われた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」のその3です。その2では、初瀬街道から松阪市六軒で伊勢街道に入り、前回のハイキングで歩いた市場庄のまち並みを再確認してきました。前回見てこなかった神楽寺を見てきたり、他にも見落としたところを確認したり。前回のゴールであった近鉄山田線・松ヶ崎駅の西を通って、さらに伊勢街道を進み、松阪の市街地へと向かいます。

Img_3675c  冒頭の実測ルートマップその5で、「道標?」と書いたところ(養蜂園の前)に道標らしきものがありました。文字が彫られているのですが、かなり風化して薄くなっています。現地でも読めなかったのですが、調べたら分かるかもとほのかに期待して写真を撮って来ました。が、ネット検索では出て来ません。三重県内の道標、常夜燈をリストアップしている方のサイト(北伊勢の道標)もあるのですが、載っていませんでした。

Img_3683c  その先、西福寺のすぐ東あたりで、「かじ栄 山田鉄工所」という看板を発見。鍛冶屋さんですが、ここでもつくっていらっしImg_3684c ゃるような感じでした。鉄工、溶接の他、農具、刃物と看板に書かれています。こういう鍛冶屋さんは、昔はけっこうあちこちにあったと思うのですが、最近はとんと見なくなりました。懐かしい感じ。

Img_3688c  8.8㎞あたりで百々川(どどがわ)を塚本橋で渡ります。渡った東側(左手)に常夜燈があります。正Img_3690c 面には、「奉納/常夜燈」と、碑陰には「嘉永五年壬子二月吉祥日」とあります。また、台石には「日本橋/○久/室壱」・「紅林氏」と掘られていました。嘉永5年は1852年。対馬に外国船が現れたり、ロシアの軍艦が下田に来港したりした年です。

Img_3693c  常夜燈から伊勢街道を挟んだ西側に小公園があり、気になるものを見つけました。石柱なのですが、よく見ると「どゝ」「大Img_3696c 正○○」とあります(半分くらいは土中に埋まっています)。塚本橋の古い親柱と思われます。小公園の入り口にもそれらしい石柱がありますが、こちらは、ゴミ収集の案内板が貼られていて、ちょっとなんだかなという気もします。このあたりで時刻は12時35分くらい。

Img_3703c  JR紀勢線の船江踏切を渡ります。この踏切でスタートから9㎞。松阪市街地も近くなってきています。次の目的地は、薬師寺。踏切からは200mほど。

Img_3707c_20191013162501  利生山延命院薬師寺。天台宗のお寺。聖武天皇の勅願所で、天平2(730)年、行基の開基と伝えられます。まさに古Img_3729c 刹。仁王門(写真)と本堂が残っています。所蔵されている「木造薬師如来坐像」は、貞観年間(859~877年)末期の作といわれ、県の有形文化財。仁王門は、修理中でした。

Img_3712c_20191013165301  その仁王門は、入母屋造、本瓦葺で阿吽の仁王像が安置されています。修理中で、仁王様のImg_3714c ところにはあまり近づくことができず、ちょっと残念。かなり古いように思えますが、「天正年間(1573~93年)の戦乱で灰燼に帰し、棟札からは、承応2(1653)年に再興された本堂の後に、仁王門も再興されたものと思われる」とありました。

Img_3717c_20191013165501  こちらが本堂。戦国時代、織田氏が北畠氏を攻めた大河内(おかわち)合戦の後、講和の条件として、信長の二男・茶筅丸(信雄)が北畠氏の養子となり、永禄12(1569)年から3年間をここで過ごしたといいます。ちなみに、戦の舞台となった「大河内城跡」は、薬師寺から南西に10㎞ほどのところにあります。

Img_3720c_20191005203001  境内には芭蕉句碑があります。「梅が香にのっと日の出る山路かな」とあります。高さ約2m38cmの細長い角柱の碑です。こういう角柱の句碑も珍しい気がします。句は中央に一行で刻まれ、碑陰には何も刻字がありませんので、この句碑は、いつ頃誰が建てたものか不明です。薬師寺で、スタートから9.2㎞。12時40分。

Img_3759c  薬師寺を過ぎますと、街道筋は建物も増えてきて、賑やかさが窺えます。船江町から川井町Img_3754c へ進み、川井町3丁目の信号を越えて行くと、いよいよ松阪市街に入っていきます。松阪市のマンホールの蓋のデザインは、鈴。これは、本居宣長が鈴を好み、書斎を鈴屋と称したほどであったことによると思われます。JR松阪駅の駅前にも宣長が愛した「駅鈴」のモニュメントがあります。駅鈴は、律令制で駅馬を利用する時に携行を必要とする鈴です。あとでJR松阪駅の駅前にある駅鈴の写真を載せます。

191005kintetsuhikingisenakagawa7  川井町を過ぎるあたりから、実測ルートマップは、その7。いよいよゴールが視野に入ります。13時を回る頃で、スタートから3時間余り経っています。この日は、好天で、けっこう暑くて汗を掻いていますし、腹も減ってきています(苦笑)。ゴール目前の「終末努力」。

Img_3763c_20191013174401  阪内川を大橋で渡ります。この阪内川は、松坂城の北にあり、天然の堀になっています。大橋を渡ったすぐ先、スタートからImg_3784c_20191013174401 10.7㎞のところに、旧・小津清左衛門家があります。以前来たときは、松阪商人の館といっていました。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は格子と矢来があり、質素なイメージなのですが、屋敷は意外なほど広く、土蔵も2つ残っています。

Img_3771c  承応2(1653)年に江戸・大伝馬町一丁目に紙店(小津屋)を開業し、明治以降は、銀行・紡績工場などを 設立して多角経営に乗り出しましたものの、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の紙卸問屋に復し、現在は創業以来の地で小津産業株式会社として紙業と不動産業を継続しています。展示品の中には「千両箱」ならぬ「万両箱」もあり、興味深く見てきました。ここは、2度目(2018年5月26日:Img_3768c 20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編))。

Img_3786c  旧・小津清左衛門家から200m足らずで三井家発祥地があります。三井家は、もちろんあのImg_3796c 三井財閥の三井家。ここ松阪出身の高利(たかとし;1622~94)を祖とします。高利は14歳から江戸で修行、28歳で松坂に戻り、家庭を持った後、金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出。江戸・京都・大坂で呉服店を開き、両替商も営んで幕府・諸藩の為替御用の地位を得て発展しました。高利は、三井家の3代目。ここには白粉町来迎寺から移した初代高安と2代高俊の墓、高利の長兄らの供養碑、発祥の地の記念碑、また、高利の産湯に使ったという伝承のある井戸があります。しかし、一般には公開されていません。塀の隙間から覗いてみたら、井戸と石碑が見えました。

Img_3797c_20191013205801  三井家発祥地のすぐ先が、本町交差点。ここに豪商ポケットパークがあります。ここも、去年5月のJRさわやかウォーキングできています(上記リンクをご覧ください)。ここには四阿と、ライオン像があります。四阿では、休憩もできますが、ちょっとしたイベントもできるスペースになっています。ライオン像(来遠像となっています)は、三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として三越伊勢丹ホールディングスから寄贈されたものです。

Img_3801c  豪商ポケットパークの西に松阪もめん手織りセンターがありますが、私はやはり去年5月のJRさわやかウォーキングで立ち寄っていますので、パス(左の写真で、向かって左にある、3階建ての建物が、松阪市産業振興センターとなっていて、その1階に松阪もめん手織りセンターがあります。向かって右が、豪商ポケットパーク。松阪もめん手織りセンターに向かって左(西)に豪商のまち松阪 観光交流センター(2019年4月5日オープン)があったのですが、こちらもパスしてしまいました。観光情報の案内や、松阪ならではのおみやげ品などを販売するところ。

Img_3803c  本町交差点を渡ってじきにスタートから11㎞。すぐに左手(東側)にあの有名な和田金があります。松阪牛のすき焼きで有名。前を通るのは3回目くらいですが、もちろん行ったことはありません(威張ることではありませんが。苦笑)。すき焼き、梅でも12,900円しますし、松になると18,200円! 和田金三種盛(そぼろ煮/季節のゼリーよせ/野菜のムース)・ かはり炙り焼・和田金肉すまし・御飯・香の物・デザートというメニュー(よだれが出て来ても、当方は責任を負いませんので、悪しからず……微笑)。家内の知人からここの松阪肉をいただいたことはありますが、ずいぶん昔の話で、どんな味だったかはすでに忘却の彼方。

Img_3805c_20191005205001  このあと、鶴の玉本舗 たつみ堂さんによるコースになっていたのですが、「暑いなぁ」「疲れたなぁ」ということで、和田金の4軒ほど先にあった松治郎の老舗へ。ここの店頭に掲げられていた「蜂蜜屋さんの最中アイス」という看板に吸い込まれて、鶴の玉本舗 たつみ堂さんのことはすっかり失念してです(苦笑)。ここは、伊勢にある大正元(1912)年創業の老舗・水谷養蜂園が直営するはちみつ専門店だそうです。立ち寄って大正解でした。蜂蜜もいろいろと味見をさせていただきました。事前のリサーチなしだったので、惜しいこともしました。日本ミツバチが集めた蜂蜜もあったのです。西洋ミツバチが集めたものに比べ、倍くらいの値段。という情報は、翌週月曜(10/7)の三重テレビ「ええじゃないか。」を見て知ったのです(「ちょっと小粋なふれあい旅」(三重県松阪市))。

Img_3806c_20191005205001  「ええじゃないか。」でチャンカワイさんも食べていたのが、こちらはちみつ最中アイス。¥380。ちょっと高いなと思ったのですが、これが絶品。水谷養蜂園のはちみつと三重県産の牛乳を使用し、最中は新潟産のもち米を用いた職人の手焼き。店舗限定商品ですから、松治郎の老舗の松阪本店に行かないと食べられません。これでしっかりクールダウン。「暑い、暑い」と繰り返していた、同行のMさんもおとなしくなられました(微笑、失礼)。

Img_3813c_20191013213101  さあ、後は松阪駅にゴールするだけです。日野町交差点に行く途中、電話ボックスのような建物があって、人のようなものImg_3816c_20191013213101 が。ちょっとギョッとしましたが、本居宣長さんでした。後で調べたら、これはからくり人形でした。日時が決まっていて、文字を書くのだそうです。日野町交差点を左折して新町通へ。ベルタウンの向かいに駅弁の「あら竹」さんのお店がありました。ここの「モー太郎弁当(税込み¥1,500)」を、今年6月2日の近鉄ハイキングの帰りに買ってきたことがあります(20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。

Img_3819c  松阪駅までやって来ました。が、こちらはJR松阪駅(西口)。左の写真に、本居宣長の愛した駅鈴のモニュImg_3841c_20191005205501 メントがあります。さらに、11月3日の氏郷まつりの看板が出ています。Mさん、一度来てみたいとおっしゃっていますので、近鉄ハイキングで氏郷まつりに来ようと思います(私は、去年来ました:2018年11月4日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)。JR側にある「まつさか交流物産館」で、土産に「老伴(おいのとも)(柳屋奉善)」を購入(4個入り、¥700)。

Img_3823c_20191005205501  近鉄松阪駅は、東口です。地下通路を通って、東の近鉄側へ。ゴールしたのは、13時50分。ほぼ4時間かかImg_3827c_20191005205501 りました。歩いたのは12㎞ちょうど。いや、今回も暑い中、よく歩きました。今回も無事に記念品のマグネットをいただけました。薬師寺の仁王門がデザインされています。

Nakagawa_20191013214401  昼を食べて帰ろうということになり、近鉄駅前にある「なかがわ」という喫茶店へ。「昔ながらのピラフ(¥700)」を食べてきたのですが、店の写真も、ピラフの写真も撮るのをすっかり失念(苦笑)。左の写真は、Googleのストリートビューから借りました。

Img_3833c  松阪駅を14時54分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名には16時4分着。¥960。松阪始発だったようで、座れて楽チン。このImg_3846c 日の歩数は、Nintendo DSの生活リズム計では、23,491歩。スマホのAlkooでは、24,699歩でした。自宅から桑名駅往復を足すと、合計13.8㎞を歩いています。

Dscn1710c  土産に買ってきた老伴は、後日、おやつに。この老伴、天正3(1575)年に作られたものDscn1717c だそうで、松阪の豪商で茶人でもあった三井高敏氏によって、白楽天の詩集から「老伴」(永遠に付合えるお菓子)と改名されました。羊羹の甘さを最中の皮で抑えた、上品で独特の風味で、私の好みです。最中の方には(左の写真)、向かって右から「延年」と刻まれています。「延年」とは「不老長寿」のことです。2つの文字の間には、「(おおとり)」が描かれています。「鴻」は、「こう」「ひしくい」とも読み、「オオハクチョウ」や「ヒシクイ」をさします(どちらも鳥)。幸せを呼ぶ鳥であると、製造元の柳屋奉善のサイトには説明されていました。

 以上、10月5日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」もめでたく「完」となります。お付き合いいただきまして、ありがとうございます。

2019年10月13日 (日)

20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その2)……中原神社、常夜燈2基を経て伊勢街道に入り、市場庄のまち並みを再確認

191005kintetsuhikingisenakagawa2 10月5日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」のその2です。小川神社、西方寺、須加神社を見て来ました。須加神社からしばらく歩いてもまだ3㎞です。

Img_3518c_20191012102701  スタートから3.5㎞、時刻は10時50分頃。歩き始めて1時間で、中原神社に到着。往古は龍玉神社と呼ばれ、須Img_3529c 可・須賀領、津屋城の氏神でした。しかし、創祀年代やその事情については不詳。明治43(1910)年、中原全域の大祠小祠を合祀しています。この神社も、初潮街道に面していますので、旅人たちにも「灯籠の森」「鶴の宮」として親しまれて来たといいます。大晦日の夜には、神々の化身である火の玉が上空を舞うという話が伝わっています。また、雨乞いの宮として知られ、旱魅のときには境内にある空池に村人が集まり、雨乞い祈願をして池を掃除すると願いがかなったといいます(右の写真)。昭和26(1951)年、黒野地区氏子の総意により、同地区の天王神社を分祀しました。

Img_3525c_20191012102801  主祭神は、豊玉彦命(とよたまひこのみこと;海の神;綿津見神(わたつみのかみ)、海神(わたつみ、わたのかみ)などともImg_3528c 表記される)、金山彦命(かなやまびこのみこと;鉱山の神)、誉田別命(ほんだわけのみこと;応神天皇)。相殿神は、素盞男尊(すさのおのみこと)、五男三女神、菅原遠津御祖神、天児屋根神(アマノコヤネノミコト)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)、志貴大神(今のところよく分かりませんが、奈良県桜井市に志貴御縣坐神社があります)。

Img_3532c  境内には、山の神が8基ほど集められていました。近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングであちこちの神社を訪ね、旧街道などいろいろの旧道をImg_3524c_20191012102801 歩きましたが、実にたくさんの山の神があります。農耕が始まる春に山から迎えた山の神は、田の神となって五穀の生育を見守り,収穫後には再び田から山へ帰って山の神となると考えられていましたから、あちこちで祀られていたものなのでしょう。そのほか、山の神の信仰には、山で生産に従事する炭焼き、きこり、木地屋、鉱山業者などの奉じる神様もありますから、いろいろな信仰があったと思えます。中原神社にも、合祀100年紀念碑がありました。「中原神社 合祀百年記念碑 平成21年7月吉日 中原神社氏子中」と刻まれています。

191005kintetsuhikingisenakagawa3  中原神社で小休止し、お茶を一杯飲んで、再出発。中原神社を出てすぐのところに常夜燈があります。正面には「両宮 常夜Img_3537c 燈」と、左には「修復 下竜王野区 平成五年十月」、右には「明治拾五年弐月吉日」とありました。火袋のところが新しい感じでしたので、ここを平成5(1993)年に修理したと思われます。

Img_3548c_20191012113501  さらに進んで、4㎞を過ぎて近鉄山田線の線路を渡ります。線路のすぐ南には、伊勢中原駅がみえます。踏切Img_3554c を越えたところの左手にまた常夜燈があります。上部の宝珠や笠がなくなっています。正面には「常夜燈」、右には「氏子中」、左には「 明治二十八年八月」とあります。明治28(1895)年です。この先、常蓮寺・善勝寺に入っていくところ(4.5㎞過ぎ)のところにも常夜燈があります。これは詳細は不明。しかし、初瀬街道沿いにもたくさん常夜燈があります。京、奈良などからも参宮客が多かったためでしょう。ところで、みえの歴史街道(初瀬街道)のマップによれば、初瀬街道は、この2つの常夜燈の手前(西側)で右折し、南に向かって行くルートが描かれています。

Img_3562c_20191012115401  当日のコースマップにしたがい、大門橋まで行って、橋の手前を右折。水田地帯を三渡川を目指して歩きます。三渡川の手前Img_3569c_20191012115401 で5㎞。巡見橋で三渡川を渡りますが、橋に差し掛かる前に西をみたら、近鉄特急・しまかぜが通過。巡見橋の手前で、みえの歴史街道(初瀬街道)のマップに描かれたルートに戻ります。

191005kintetsuhikingisenakagawa4  JR紀勢線の踏切を越え、5.8㎞で前回も通った三渡橋のたもとにやって来ます。三渡橋のImg_3583c_20191012115801 た もとが、初瀬街道と伊勢街道の追分。前回(2019年9月22日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)、ここで道標を探したのですが、見つけられませんでした。この日、よく見て考えると、三渡橋は新しく掛け替えられたようでした。おそらく右の写真の辺りに道標があるのですが、工事のために一時的に撤去されているのだろうと考えました。

Img_3584c  三渡橋のたもとには、常夜燈。それを過ぎると、市場庄のまち並みに入りますが、松ヶ崎駅の西まで2㎞あまりは、9月22日Img_1195c_20191012151501 に歩いたコースと重複します。前回のハイキングできた後、「格子戸めぐり~伊勢街道の小さな旅~」(格子戸の会)という、市場庄のまち並みを案内するリーフレットを見つけました。市場庄のまち並みを抜けたところに右のような案内板もあります(写真は、9月22日に撮影)。

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 Mさんもいらっしゃいましたので、前回訪ねた忘井、市場庄公会所、その先にある庚申堂・行者堂・道標・Img_3664c
常夜燈、中道公会所、舟木家長屋門、庚申堂も見てきましたが、内容が重複しますので、割愛します。10月1日にブログに載せました「20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ」をご覧ください。以下、神楽寺など、前回見なかったところや、よく確認しなかったことを書いていきます。

Img_3639c_20191012152301  護法山神楽寺(ごほうざん しんらくじ)です。市場庄公会所の東にあります(というよりも、市場庄公会所が、神楽寺の境Img_3631c 内を利用して建てられたとされます)。曹洞宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来。神楽寺は、古くは旧米ノ庄村の熊野権現社の別当寺として権現坊護国院と称しており、その頃は熊野権現社の祭礼に際し、祭供を司り舞楽を演奏する道場であったといわれています。

Img_3630c_20191012152301  慶長16(1611)年3月、越中新川郡布目村(現富山県富山市)大安寺の5世聖山巌祝が曹洞宗に改め、寺号を神楽寺と改称して開山しました。本堂・山門ともに江戸時代中期の建立とされます。山門(右上の写真)は黄檗宗の山門に似ており、切妻造りの中央部分の屋根を切り上げてつくられています。宝暦7(1757)年の銘がある瓦も残されているそうで、本堂・山門の建立時期もそれ以前と考えられています。

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 境内には観音堂があり、ここには聖観音菩薩が安置されています。左がその観音堂と思います(説明板はありませんでしImg_3619c た)。境内には、村の入り口にあったという庚申塔が納められた小堂があります。右がそれですが、文字庚申と、何か刻まれた像が見えました。

Img_3621c  また、同じく、村の入り口にあった青面金剛(ショウメンコンゴウ) 像があるということでした。どれなのImg_3625c_20191012153601 かよく分からず、手当たり次第写真を撮って来ました(これ、ホントはよくないパターンです。分かってはいるのですが、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式で野鳥撮影をしているので、その悪影響)。青面金剛は、帝釈天の使者の金剛童子。身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂(「臂」は腕。六臂は、腕が六本ということ)、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとります。病魔を退散させる威力があり、庚申待の本尊とされます。その恐ろしい姿から、邪気や悪病を払うご利益が期待されたので、村の入り口に祀られたと思われます。が、他のお堂などにあるお像を見ても、お地蔵ざまばかりと思えます。上右の写真にある、文字庚申の入ったお堂にあったもう一体の像が、青面金剛像かも知れません。やはりきちんと見て、写真が撮れるものは確実に撮ってこないといけません。

Img_3613c_20191012160001  市場庄公会所の建物の前に、「皇太子殿下御誕生紀念」と刻まれた石柱がありました。前回の記事では、「現在の上皇陛下がお生まれになったときにたぶん、記念植樹をしたのでしょう」と推測しました。まず、これを建てたのは、「帝国在郷軍人會 米ノ庄村分會第二斑」でした(石柱の正面、下に刻まれています)。日付などは読めませんでした。

Img_3643c  近鉄山田線の高架をくぐって、7.6㎞のところで伊勢街道は左折します。ここに庚申堂、行者堂、山の神2Img_3645c_20191012163901 基、「いおちかんのん」への道標と常夜燈が並んでいます。行者堂に木札があり、前回の写真ではよく読めなかったのですが、「金剛童子蔵王権現不動」とありました。また、みえの歴史街道「伊勢街道」のコースマップによれば、もう1つ、「左さんぐう道」と刻まれた道標があるとなっているのですが、見当たりませんでした(前回も見つけていません)。詳細は不明。

191005kintetsuhikingisenakagawa5  このあたりから、実測ルートマップはその5です。この先に公会堂があり、その敷地内に「太田雅城翁頌徳Img_3653c 碑」がありました。裏の台座には、「久米區建設 昭和十四年一月十五日」とあります。久米はこのあたりの地名。碑陰の写真が、前回は曇天で不鮮明にしか写っていませんでした。この日は好天のもと、しっかりと見て、鮮明な写真を撮って来ました。本名は、太田政四郎といい、明治9(1876)年生まれ。温厚篤実、誠実な人柄で、大正元(1912)年、区長に推薦され、公共慈善に尽くしたとありました。これにより、昭和12年2月、この頌徳碑を建てることにしたとありました。これでちょっとスッキリ(微笑)。

Img_3659c  公会堂の敷地内、伊勢街道沿いに石標が1基あるのに、新たに気づきました。「北距安濃郡界貳(?)……」。下の方は読めませんでした。碑陰も「距/三重縣……/一志郡……」と同じくはっきりせず。里程標と思われます。安濃郡は、現在の津市。

Img_3668c_20191012162001  さらに進み、舟木家長屋門を見て、スタートから8.1㎞過ぎ、伊勢街道が鉤の手に曲がるところに庚申堂があImg_3667c りました。先日は、この向かいにある庚申塔2基を見逃していました。何の変哲もない庚申塔といえば、それまでなのですが、あると分かっていると見てこなくちゃと思うのです(微笑)。

Img_3670c_20191012162001  この先、8.3㎞地点。前回は、ここまでがコースで、左の写真にある交差点を左折してImg_3672c_20191012162401 200mほど先にある近鉄山田線・松ヶ崎駅がゴールでした(写真では奥の方向)。この日は、伊勢街道をまっすぐ進み(写真では右の方)、松阪の市街地を目指していきます(右の写真)。

 キリが良いので、その2はここまで。

台風一過、申し訳ないくらいの好天ですが、珍鳥はおらず、常連さんばかり

Img_4366c_20191013113201  東日本では、川が決壊、氾濫して、住宅も浸水するなど、台風19号による大きな被害が出ています。被害に遭われた皆様にはおImg_8926c 見舞申し上げます。三重県内でも、伊勢や志摩で浸水被害が出ていますが、我が家あたりは、申し訳ないと思うのですが、特に被害もなく、台風一過、好天に恵まれています。

Img_4370c_20191013113201  いつも通り、8時から散歩に出て、これまたいつもと同じように、住吉神社、九華公園、貝塚Img_4446c 公園、入江葭町、吉津屋町、新築公園、寺町と回ってから、バローにある100均ショップに寄ってきて、6.4㎞。出かけるときには、台風を避けて住吉入江に避難した、赤須賀漁港の漁船はまだそのままでしたが、帰ってきた10時半近くには、残り2隻、もう2隻が赤須賀に引き上げるところでした。

Img_4395c  住吉水門。朝8時過ぎはまだ水門は閉められていました。このほか、散歩コースにある川口水門も、三の丸水門も同様に閉め切られていました。揖斐川を眺めても、カワウと、カモメが1羽ずつ見えたくらい。中洲にもサギの姿はありません。いつも台風のあとは、「珍しい鳥が、台風で飛ばされてきていないか」と思うのですが、その期待は裏切られるためにあります(微笑)。

Img_4411c  九華公園、着いたときにいたのは、ゴイサギ1羽のみ。しかし、すぐに他の木に飛んでしまい、見えなくなりました。他は、ドImg_4425c バト、ヒヨドリ、スズメ、カワラヒワ、ハクセキレイ、ムクドリなど。公園内と鎮国守国神社を回って、もう一度見に行くと(9時頃)、アオサギさんがいました。

Img_4421c_20191013113301  先日から来ているキンクロハジロがどうしているか、心配したのですが、今日は吉之丸堀にImg_4436c_20191013113301 いました。台風も過ぎましたので、そろそろ仲間のキンクロさんや、他のカモも来るのではないかと来たいしています。10月始めにいったん来ていたハシビロガモは、その後姿を見ません。

Img_4423c_20191013113301  ハクセキレイ。こちらは、九華公園北門近くにいました。公園は、今日も散歩する人も、鳥も少なく、ちょっと淋しい。今シーズンは、いつも見ているコサメビタキ、キビタキなどを一度も見ていません。このままですと、見ないまま終わってしまいそうな気がします。

Img_4444c  貝塚公園に回って、門のところでビックリ。台風の前、10月11日にはなかった看板が出ていたのです。「ヘビに注意」とあります。九華公園にもマムシがいたそうですから、ここにもヘビがいても不思議ではありませんが、こういう看板を見るだけでビビります(苦笑)。

Img_4418c  明日は、亀山でのJRさわやかウォーキング(隠れ古道「金王道」と三寺コスモス畑を散策)に行こうと思っていたのですが、あいにく、曇りのち雨という予報。6月に亀山でのJRさわやかウォーキングに行ったときも降られましたので(2019年6月 9日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))、それを思い出してしまいます(苦笑)。JRさわやかウォーキングのスタンプが8個貯まっていて、11月23日までに10個にしたいと思っているのですがねぇ……。あまり早くから雨になりそうなら、近場で行われる近鉄ハイキング(近鉄エンジョイウォーキング おいでよ東員町!コスモスハイキング!)に予定変更しようかという気もしています。しかし、それはまぁ「明日の心だぁ」。

2019年10月12日 (土)

台風19号、静岡、関東、東北の皆様にはくれぐれもお気をつけください……我が家あたりはお陰様で無事過ぎそうです

Img_4360c  台風19号、わが家のあたりには、今日15時頃もっとも接近するということでした。大型で非常に強力ということで、ずいぶん心配し、水、電池、食料品、ランタンなどを準備し、ベランダに置いたものもほとんど室内に収納しました。左の写真は、15時15分頃撮影したもの。スーパーは、バロー桑名東店も、アピタ桑名店も営業しています。写真に写っているバローでは、午前中はもう駐車場にもう少したくさんクルマが止まっていて、いつもの週末に比べればはるかに少ないものの、お客さんは来店していました。この頃も含め、朝から今までのところ(18時)、雨はさほど降っていません。

191012amedas  こちらは、17時30分に確認したアメダスのデータ。24時間雨量は74.5mm。時間ごとの降水量を見ても、せいぜい8.5mmでTyphoon19 す。最大風速も、7.1m/s。風向は、朝からずっと北でしたが、16時頃から西寄りの風に変わって来つつあります。我が家あたりは、まだ暴風域には含まれていますが、これから台風は離れていきますので、このまま無事に通り過ぎるかと思います。しかし、群馬、埼玉、東京、神奈川、山梨、長野、静岡には「大雨特別警報」も発令され、今後台風が向かう、静岡、関東、東北の皆様には最大級の警戒が必要と聞きます。どうぞ十分お気をつけになって、少しでも被害がないよう切に願っています。

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 三重県内でも、伊勢市、志摩市、鳥羽市などでは川が増水してあふれたり、避難指示が出たりしています。伊Img_4363c 勢神宮の御手洗場にもなっている五十鈴川も伊勢市楠部であふれて、床下浸水などの被害を及ぼしているようです。Facebookの知人が心配して連絡を下さったのですが、同じ県内でも60㎞以上離れていますので、こちらとはかなり状況が違います。15時15分頃、揖斐・長良川や長良川河口堰の様子も見てみたのですが、水量は多いものの、あふれているという感じではありません。10月14日が満月で、大潮も近いので、普段よりは水量は多めです。

 最後に、繰り返しになりますが、被害が少しでも少ないことを願っています。

20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その1)……伊勢中川駅を出発、初瀬街道に入ってまずは神社めぐり、小川神社、西方寺、常夜燈そして須加神社へ

 10月5日に行ってきた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」の本編、その1です。翌日は研修会講師、その次の日は歴史講座参加、水曜日は江戸橋での授業、さらに本業の相談業務が重なり(どっちが本業か、よく分かりません。散歩業が本業かも)、遅々として進んでいませんが、まぁボチボチ。モットー通り、「淡々と飽きもせず」で参りましょう。

Img_3827c_20191005205501  この伊勢参りハイキングも9回目。これまでのところ、コンプリートしています。この日は、近鉄・伊勢中川から近鉄山田線・松阪駅までの12㎞。天気がよく暑いくらいでした。ところどころ、風がよく通るところがあり、そういうところはよかったのですが……。今回も、畏友Mさんと二人旅(「ブログには、今回もMとして登場しますか?」と確認されました。もう少し登場したいということでしょうか……笑)。

Img_3370c 今日の受付は、近鉄名古屋線・伊勢中川駅の西口で、9時半から11時。桑名駅を8時42分発の松阪行き急行540pxrail_tracks_map_kintetsu_isenakagaw に乗車。伊勢中川駅 には9時40分着。¥900。伊勢中川駅は、名古屋線、山田線、大阪線の接続駅。昭和5(1930)年、参宮急行電鉄が開通した時に参急中川駅として開業しています。右の画像は、Wikipediaからお借りしたものを加工しました。乗り換えに便利なように、1~5番線間にはすべてホームがあり、2~4番線は両側をホームで挟まれる構造になっています(左の写真でもお分かりいただけると思います)。また、駅構内に、名古屋線・大阪線間を短絡する中川短絡線があります。ちなみに、伊勢中川駅では乗り換えたことはありましたし、大阪方面へ往き来するときに短絡線を通ったことは何度もありましたが、降りるのは初めてでした。ちなみに、ここまで来ると、「赤福」の看板がきわめて多数出ています(写真にはありませんが)。ベンチも全部といってよいほど「赤福」となっていて、伊勢も近いという気持ちになります。

Img_3834c_20191005193001  いつも通り、コースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプをいただき、さらに今日は、「KIPS対象ハイキング」といImg_3375c うことで、KIPSポイント100Pもプレゼントされました。あみま倶楽部のスタンプは27個目をゲット。伊勢中川駅をスタートしたのは、9時52分。右の写真のように上天気。

Img_3378c  こちらがこの日のコースマップ。伊勢中川駅をスタートして、小川神社、中原Img_3383c_20191005192301 神社などを回って市場庄のまち並みへ行きます。伊勢中川駅を出てしばらくのところから、市場庄に入る手前までは、奈良との間の初瀬(はせ)街道(長谷街道などともいいます)を歩きます。その後、松阪市街地に入って薬師寺(仁王門など)、旧小津清左衛門家、三井家発祥地、豪商のまち 松阪観光交流センターから鶴の玉本舗たつみ堂を経て、近鉄山田線・松阪駅北口がゴール。途中、市場庄のまち並みは、前回のハイキングコースと重複しています(20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)。

191005kintetsuhikingisenakagawa  実際に歩いたルートマップ。伊勢中川駅は、以前は嬉野町でしたが、広域合併にともない、松阪市になりました。上述の通り、伊勢中川駅を出て三渡川の三渡橋のところまでは、基本的に初瀬(はせ)街道を歩きました。三渡橋の南のたもとが、長谷街道と伊勢街道の合流点。ここからが、伊勢街道。近鉄山田線・松ヶ崎駅の西までは、前回歩いたところです。ただし、前回見逃した神楽寺に立ち寄っています。松ヶ崎駅の西から松阪駅までの約4㎞が、伊勢街道としては、今回新たに歩いたルートということになります。

191005kintetsuhikingisenakagawa1  伊勢中川駅を出てまずは南へ。中川駅西から、常念寺前の交差点で右折。ここから初瀬街道に入ります。常念寺前の交差点かImg_3384c_20191009215201 らすぐ、スタートから700mほどで小川神社に。その先、西方寺の前を通って進みます。1.2㎞ほどのところ、南浦団地公園の東あたりで常夜燈。このあたり、すぐ西に名松線が走っていて、時々線路が見えます。名松線は、松阪駅から津市の伊勢奥津駅まで走るJR東海の路線。松阪から名張を結ぶ計画でしたので、「名松線」。一度乗ってみたいところ。

Img_3399c  小川神社です。創立や由緒は不詳ですが、式内社です。江戸時代には「二天王子」と称しました。明治40(1907)年9月に宮古の郡一神社、小Img_3408c_20191010080001 川の田中神社・八幡神教・加茂神社を合祀し、明治41(1908)年6月に中川村全城の鎮座31社を合祀し、小川神社となっています。ここ小川神社や、この先で訪れた神社では、右の写真のように、合祀100年の紀念碑が建っていました。社伝では、「往古丹波渓戸と云う医師が常に高於加美命・大国主命を信仰したが、この後宮帳に入れ、郷名を採り社号とし、且つ村名とした」とされます。

Img_3430c_20191010080001  御祭神は、高裁加美命(たかおかみのみこと;雨をつかさどる神)、大国主命素直鳴尊大日霊命天忍穂耳命少彦名命天児屋根命応神天皇宇迦之御霊命武甕槌神火之迦具土神事代主神大山津見神、加茂明神、菅原道真です。合祀が行われたためなのでしょうが、14柱もの神様がいらっしゃいます。合祀前、それぞれの神社にそれぞれの理由、由来があって神様を祀っていたと思うのですが、合理的な観点(神社の数を減らし残った神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備・財産を備えさせ、神社の威厳を保たせて、神社の継続的経営を確立させるため)だけから合祀をしたのは、ちょっと乱暴な気がします。神社合祀は、明治39(1906)年、第1次西園寺内閣において進められ、当初は地域の実情に合わせかなりの幅を持たせたものであったといいます。しかし、第2次桂内閣の内務大臣平田東助がこれを強固に推し進めることを厳命したため、大正3(1914)年までに全国で約20万社あった神社のうち、7万社が取り壊されたそうです。三重県では、県下全神社のおよそ9割が廃されることとなりました。

Img_3411c_20191012084101  古い常夜燈がありましたが、中央の大きな常夜燈は部分的に破損しているように見えます。正面には「(両宮/常)夜燈」とあります(括弧内は破損しています)右には「村中」、左には「(天保五)年甲午七月」とあります(天保5年は1834年)。手前に立つ2基の常夜燈には、「元禄十Img_3422c_20191012084101 二巳卯年三月吉日」と刻まれています。元禄12年は、1699年。300年以上前のもの。拝殿に向かって右手(東)には、山の神と、稲荷社もありました。

Img_3395c  これもよく調べて行かなかったのですが、小川神社の西に小泉山常念寺(こいずみざんじょうねんじ)があります。天台真盛宗西来寺末。開基、当地に建立された経緯は、兵火に遭った伽藍と共に記録等を焼失したため不明です。しかし、「一志郡史」に掲載された由緒書によれば、織田信長の兵火に焼失した中川村十三仏にあった不断念仏の道場、大念仏寺を起源とし、文明年間(1469~87年)に天台宗真盛派西来寺末となったといいます。よく調べなかったので、写真を1枚撮っただけでしたが、伊勢中川駅から来て曲がった交差点の名前が「常念寺前」でした。このあたりでは珍しい「向拝造り」の仏堂があるということでしたし(向拝とは、社寺の堂や社殿の正面階段上にふきおろしの屋根、ひさしをつけたところで、そこで参詣者が礼拝します)、山門前には「真盛上人(しんせいしょうにん)御旧蹟」と刻まれているそうです。真盛上人は、伊勢の生まれ。室町後期の天台宗の僧で、真盛派の開祖。    

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 小川神社の先には、真宗高田派の小川山西方寺。後からしまったと思うことが多いのですが、初瀬街道沿いの予習が不十分でした。みえの歴史街道「初瀬街道」によれば、「門前に壇の浦の戦いに敗れた平家にまつわる伝説がある五六橋がかかる」とありました。知っていればもっとよく見てきたのに。確かに門前に用水路のようなものがあり、短い橋がかかっていました。関連があるのかよく分かりませんでしたが、平清盛の孫の六代が隠れ住んだという伝承がある山間部の集落に「平六代(たいらのろくだい)の墓があるそうです。

Img_3439c_20191012085101  西方寺の先の初瀬街道の様子。足下を見ると、旧・嬉野町のマンホール。ハイキング・ウォーキングで歩いていると、マンホールの蓋のデザイン、けっこう気になります。旧・嬉野町の町の花が山百合、町の鳥が雉でしたかImg_3442c_20191012085101 らそれをデザインしたものでした。西方寺を過ぎてようやく1㎞。

Img_3446c  南浦団地公園近く、1.2㎞ほどのところに常夜燈がありました。正面には「常夜燈」、右には「小川氏子中」、左には「昭和六年十一月建之」。昭和6(1931)年になってからもこういう常夜燈を建てたものなのだと感心します。

Img_3456c  スタートから1.8㎞ほどで左手(東)に旧・嬉野町役場が見えてきます。平成17(2005)191005kintetsuhikingisenakagawa2 年1月、松阪市、一志郡三雲町、飯南郡飯南町、飯高町と合併し、新しい松阪市になっています。町名は、およそ2,000年前に倭姫命が阿坂の賊徒を平定した折に「うれし」と喜んだという伝承に由来します(こういう話を読むと、何だか楽しくなります)。このあたりから、実測ルートマップはその2に。初瀬街道のすぐ西には、JR名松線が通っていて、ところどころで線路が見えます。松阪駅から伊勢奥津駅の間、43.5㎞。赤字路線で、平成21(2009)年の台風18号により甚大な被害を受け、JR東海は部分廃止・バス転換を打ち出したものの、沿線自治体の支援により平成28(2016)年3月に運行が再開されました。一度乗ってみたい路線です。JRさわやかウォーキングも行われるようになったのですが、全線通して運転されているのは1日6往復(途中の家城までは8往復)ですから、よく調べて行かないといけません。

 遅くなった割りに余談が多くて読みにくくなっています。勘と記憶を取り戻すのに、グダグダしており、大変恐縮です。

Img_3488c_20191012090401  旧・嬉野町役場は、社会福祉センターや体育センターになっています。このすぐ南にある須加(すが)神社が次の立ち寄りImg_3467c 先。スタートから約2.2㎞、10時半少し前。須賀の里の産土神でした。左は表参道を出たところの様子ですが、初瀬街道を左折して東に向かうと、裏参道から入ります(右の写真)。式内社。垂仁天皇の18年、倭姫命が天照大御神を奉じて伊勢へ向かわれる途中、鈴鹿の忍山からここにいらしたとき、阿射加山(今の松阪市阿坂付近と思われます)に荒振る神があって難渋した時、大若子命に命じてその神を鎮められたといいます。倭姫命はとても喜ばれて「あな嬉し」とおっしゃっり(既述の通り)、この地に創建されたのが、須加神社といいます。江戸時代には須加権現と称されました。明治41(1908)年5月、旧・豊田にあった鎮守神社、秋葉神社、金刀比羅神社、八雲神社、八重垣神社、八王子神社、鏡神社、八幡神社、若宮神社、稲荷神社、春日神社、宇氣比神社、山神社を合祀しています。

Img_3481c_20191012090501  主祭神は、道生貴神(みちぬしのむちのかみ)。筑前の宗像神社と同じ神様であり、みちびきの神です。ちなみに、「貴(むち)」はもっとも高貴な神に贈られる尊称で、道主貴(宗像三女神)以外には、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち)(天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち)(大国主命)のみとなっています。初瀬街道を行くたび人が多数参拝したと思われます。相殿神は、素盞嗚尊(高天原から追放され、出雲に降り、八岐大蛇を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を天照大神に献じた)、大日孁貴命(天照大神の異称)、天児屋根命(天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、御食津神(みけつかみ;食物をつかさどる神)、応神天皇迦具土神(かぐつちのかみ;火の神)、大国主神(おおくにぬしのみこと;出雲大社の祭神)、五男三女神(天照大神と素戔嗚尊とが誓約して生んだという五柱の男神と三柱の女神)、大山祇神(おおやまつみのかみ;山を司る神)、仁徳天皇八島士奴美尊(やしまじぬみのかみ;素戔嗚尊の子で、母は櫛名田比売(くしなだひめ、奇稲田姫)。木花知流比売(このはなちるひめ)を妻にむかえ、布波能母遅久奴須奴(ふはのもじくぬすぬの)神をもうけた)、奇名田姫命(八岐大蛇のいけにえとなるところを、素戔嗚尊によって助けられ、その妻となった)、足名椎命(アシナズチノミコト、脚摩乳;大山祇神の子で妻は手摩乳。奇稲田姫はその末娘)、手名椎命(テナズチノミコト、手摩乳)、天忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊)、不詳一座となっています。

Img_3474c  境内には、橿原神宮遙拝所があります。また、ここにも、小川神社と同じように、合祀祈念碑が建てられていました。「式Img_3470c 内 須加神社合祀百季記念碑」と刻まれています。表参道の案内板に境内の石段横には「天の真名井」と言われる天然の井戸があるとありました。その底は計り知れず、俗に山辺の清水というそうです。さらに、石段には万福寺と刻んだ石があり、神仏習合の跡が見られるともありました。が、ここでも予習不足を露呈(苦笑)。見てきませんでした。ちなみに、万福寺は、このすぐ南に同じ名前の浄土宗の寺があります(立ち寄ってはいません)。

Img_3496c  表参道の西あたりに石標が2基あります。こういうものがあるとどうしても惹かれます(苦笑)。ささいなこImg_3499c と、どうでもよいことが気になりがち。正面には、「式内 須加神社 是」とあり、他にも「権現村前」などが刻まれています。須加神社への道標のように思われますが、詳細は不明。この脇にも、石標があります(右の写真)。正面には「権現前邑権現社境内」と、また、右には「従是東権現社境内」とあります。

Img_3509c_20191012102601  予習不足を反省しつつ、初瀬街道に戻って先に進みますが、長くなりましたので、その1はここまで。その2は、中原神社から。

2019年10月11日 (金)

台風19号に備えて……イソヒヨドリとノスリ?、漁船は住吉入江に避難【鳥名について付記(10/12)】

Img_4211c_20191011154501  不適切な表現かも知れませんが、まさに「嵐の前の静けさ」という感じです。冒頭の写真は、今朝、散歩に出る8時頃のもの。わずかに晴れ間も出たり、霧雨がぱらついたりはしましたが、ほぼ曇り。いつも通りに散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と5.5㎞。2時間半くらい。

Img_4215c  住吉神社に行くまでに県道の下を潜りますが、そこに住吉入江に架かる歩道橋があります。この歩道橋、可動Img_4224c 式で、今回のような台風の際、住吉水門から入って、住吉入江に漁船が避難できるようになっています。通りかかったとき、ちょうど係の方がいらして、橋を回転する作業をしておられました。ものの数分で橋は動いて、船が通れるようになります。

Img_4231c_20191011154601  こちらは、住吉水門のところから見下ろしてズームアップした景色。奥の建物が住吉ポンプ場。ここを回って、拙宅前の広いところにつながっています。そこがいわば船だまりになっているのです。

Img_4319c  散歩から帰ってきた10時過ぎには、赤須賀漁港の漁船が15隻ほど入ってきていました。漁船がここに避難してImg_4332c_20191011154601 くるのは、よほどの大型の台風か、この地方を台風が直撃することが予想されているときだけです。我が家あたりは直撃は免れそうですが、大型の台風ですので、暴風域にかかる可能性は大きいので、ベランダのものも片づけました。

Img_4245c  さて、散歩では、今日もまた、鳥も、散歩友達も少ないというふうでした。しかし、三の丸水門ののところには、イソヒヨドリのメスがいました。しばらく写真を撮らせてくれた後、飛び去ったのですが、近くにオスもいたようで、2羽が一緒に飛んで行きました。ちなみに、昼食を摂っているとき、ふとベランダを見たら、お隣との境にある隔壁にイソヒヨドリのオスが止まっていました。以前にも、2~3回、大雨の時などこの隔壁のところにイソヒヨドリが来ていたことがあります。我が家に避難してくれるなら、歓迎します。

Img_4249c_20191011154601  九華公園も静か。写真のアオサギさんは、いつものアオサギ。鎮国守国神社の社務所裏にいます。知人は、この少し前、二の丸跡でももう1羽、アオサギがいたといっていました。ゴイサギ、ホシゴイの姿はありません。他には、カワラヒワ、ハクセキレイ、ドバト、キジバト、ヒヨドリ(最近増えました)、スズメなど。モズの鳴き声もしたのですが、姿はありません。

Img_4254c_20191011154601  キンクロハジロは、オス、メスそれぞれ1羽。先日から来ているキンクロさんと思います。二の丸堀の西側にImg_4256c います。そろそろ仲間が増える頃ですが、台風が過ぎ去ってからということでしょうか。

Img_4267c  貝塚公園を歩いている途中、何か動いているのが見えて、上空を見上げたら、猛禽類が旋回中。曇天で色、模様がはっきりしないのですが、ノスリかな??という気がします。

Img_4296c_20191011154601  帰り道、寺町商店街を通ったら、商店街にある美術教室の前に、こんなもImg_4293c のがぶら下がっていました。ハローウィンの飾りです。うまくつくってあります。

Img_4303c  明日は、近鉄ハイキングに行こうと思っていましたが(特別企画ハイキング・名鉄タイアップ企画(踏破賞対象)1日で愛知・岐阜・三重県を歩く レンコンの里愛西市からコスモス咲き誇る国営木曽三川公園へ)、この台風で中止になりました。

Japan_near_20191011150000largeradar  その台風19号、大型で非常に強いということですから、進路に当たるところはもちろん、遠いところでも十分な警戒が必要といいます。地元自治体からは、警報が発令されてもされなくても、明日朝7時に避難所を開設するというメールが届いています。夕方16時頃、家内がスーパーへ買い物に行ったら、総菜や、寿司、弁当などが売り切れていたといっていました。十分に気をつけたいと思っています。皆様も、お気をつけ下さい。

【ノスリ? について(10/12)】

 pnさんからトビか?というコメントをいただきました。トビですと、尾羽の中央部が凹んでいるので、違うと考えましたが、「まっすぐに揃う個体もいるというWikipediaの記述もあります。難しい(苦笑)。

2019年10月10日 (木)

木曽川、長良川河口堰へ……ダイビング祭ではなく、「顔ツッコミ漁」が展開【付記 台風の進路予想について(10/10)】

Img_3993c  今日はやや雲が多かったものの、上天気でした。今晩から明日夕方までは曇り、夜から雨。土曜日は終日雨という予報。台風19号、スーパー台風といわれていますから、注意しなければなりません。ただ、気象庁や、テレビがいう「命を守る行動」という表現は、何となく馴染めません。「○十年に一度の豪雨」というような表現も同様です。客観的に気圧、大きさ、風速を述べ、過去の台風のそれらや被害と比較して伝えるということでよいような気がします。ことばで伝えようとすると、うまく伝わらないとさらに強いことばを使うようになり、そのうち用いる表現がなくなる様な気がします。

Img_4007c_20191010202701  さて、屁理屈はともかく、台風前に長良川河口堰や、木曽川を見てこようということで、プチ遠征。昨日のQ&Aも終えていないのに、です(苦笑)。まずは8時40分に木曽川へ。国道23号線木曽川大橋のすぐ上流、水制が3つあるところへ。早く来た方が、このあたりも鳥が多いかと思ったのですが、期待通りとは行きませんでした。

Img_4005c_20191010202701  アオサギや、コサギ、ダイサギなどはいましたが、思ったほどの数ではありませんでした。コサギは計4羽ほどImg_4029c_20191010202701 いて、干上がったあたりでエサを探して啄んでいました。四日市港での干潮が確か10時過ぎでしたから、潮はかなり引いていて、水制のあたりは小さめの干潟のようになっていました。

Img_4009c  潮が引いていたためか、カモも少なく、6羽のみ。先日はコガモでしたが、橋は、ヒドリガモのメスのようにImg_4037c 見えました。思ったほどサギも、カモもいませんでしたので、20分ほどで長良川河口堰に向かいます。そうそう、シジミを捕っているらしい男性がいらっしゃいました。前にもここでお目にかかった方と思います。

Img_4055c_20191010203101

 長良川河口堰には、9時25分着。いつもより1時間くらい遅いのですが、東の魚道、下流側にはサギが大集合。カワウもたくImg_8666c さんいます。しばらくサギたちの様子を見ていたのですが、ダイビングする兆しはありませんでした。そこで、先に管理橋を渡って、西へ行き、親水広場の様子を見てくることに。

Img_4089c  アオサギや、ダイサギがいます。アオサギは、見える範囲で計4羽。ダイサギは2羽。閘門Img_8699c の下流側アプローチにいつもサギがたくさんいるのですが、今日はカワウばかり。

Img_4101c_20191010204201  親水広場へ降りていく途中、西側の中洲にある木のてっぺんでモズのメス。前回来たときにいたのもメスのモズだったと思いますから、このあたりはこのモズさんの縄張りに決まったのでしょう。

Img_8711c_20191010204201  今日は、アオサギさんのサービスがよく、あたりを飛び回ったり、管理橋から親水広場に降Img_8726c りるスロープの手すりに2羽が並んだりしてくれました。来た甲斐があります。親水広場では、ハクセキレイを2羽ほど見たくらい。他にはスズメ、カワラヒワ程度でした。

Img_4130c_20191010204601  30分あまりでまた、河口堰東側に戻って来ました。ここで、ダイビング祭が開かれるか見ていることにします。魚道から下流に延びる、オレンジ色のフロートのついたワイヤーにサギたちが入れ替わりImg_8799c で5~10羽くらいきます。時々、場所争いが生じたりします。

Img_8764c  30分近く見ていたのですが、ダイビングするサギはほとんどありません。ダインビングしImg_8793c たとしても、獲物をゲットして上がってくるサギは、見ていた限りではゼロ。

Img_4132c_20191010205001  その代わりというか、橋の魚の捕り方は、ワイヤーに掴Img_4139c_20191010205001 まったまま、顔だけを川の中に突っ込んで小魚を捕るというやり方でした。今まであまり見たことがないように思います。

 

Img_8773c Img_8775c  かならずしも上手に連続して撮れたわけではありませんImg_8776c が、これらの写真のようなやり方でした。これは主にダイサギが見せた採り方でした。

Img_4168c  管理橋のすぐ下にいましたので、魚を捕るところは見ませんでしたが、コImg_4171c サギもけっこう大ものをゲットしていました。

Img_4203c  ところで、ブロ友のひらいさんがN里のImg_8848c 駐車場でよく見ておられる、通称「白線鳥」がいます(2019.10.05~06 お散歩週報!)。最近登場したというので、河口堰に行く前後に2回見に行ったのですが、見当たらず。残念。代わりにこちらの「新白線鳥」がいました(もちろん、本名は、ハクセキレイ)。

Img_4058c_20191010210701  昨日のうちに終えているはずの非常勤の授業のQ&Aがなかなか進まず、今日の夕方までかかってしまい、仕事が遅れ気味(苦笑)。先週末から今週初めにかけて3日連続で出かけたためか。明日は、台風に備えてベランダを片づけないといけません。この頃は、能率低下も来していますので、段取りよくやりたいところですが、そのためにはプランニング能力をフル活用しなくては。こちらもアヤシいかも。台風、東海地方には10/12に最接近のようですから、この日の近鉄ハイキング(特別企画ハイキング・名鉄タイアップ企画 1日で愛知・岐阜・三重県を歩く レンコンの里愛西市からコスモス咲き誇る国営木曽三川公園へ)はダメというか、たぶん中止ですね。14日にあるJRさわやかウォーキング(隠れ古道「金王道」と三寺コスモス畑を散策)に行けるよう、それまでに仕事にめどをつけましょう。

【付記 台風の進路予想について(10/10)】 池田信夫さんのブログで「まぎらわしい「予報円」はやめよう」という記事がありました。アゴラで全文が読めます(こちら)。予報円と暴風域の区別が曖昧だという指摘は、確かにそうだと思います。予報円は、スパコンでピンポイントで予測された中心の位置の誤差を示すもの。冒頭に書いたことも含め、客観的な数値、データを優先して示す方がよい気がします。

2019年10月 9日 (水)

後期、2回目の江戸橋も晴れ……前期の3回目から15連続で降られていません(微笑)

 「こんなに天気がよいのに、台風が来るのか?」ということを何人かの方から聞きましたが、本当にそんな感じがしています。しかし、それにしても今朝は、寒いくらいでした。16.3℃だったようです。日中は26℃を超えたのですが、気温の差が10℃もあると体調管理に気をつけなくてはなりません。

Dscn1720c  今日は、後期2回目の江戸橋での授業。先週は、オリエンテーションでしたから、今日から本格的な授業を始めました。前回の授業の日が、履修登録の締切でしたので、受講する学生諸君の顔ぶれにはほとんど変わりはありませんでした。まだ最終的には確定していませんが55名くらいの数。まぁ、ちょうどいいくらいのクラスサイズです。その昔、階段教室にあふれるくらいの数の学生を対象に授業をしたことがありましたが(初回など、座席が足らず、教室の床に座っている学生もいたくらい)、あれでは「授業」とはいえず、毎回完結で、14~15回シリーズの「講演会」をしているみたいでした。

Dscn1724c  授業は、4階の教室で行っています。今日はエレベーターが故障中で、階段を利用。後ろから、私の授業をとっている女子学生も登って来ていて「先生、大丈夫?」と。気遣いのできる優しい学生なのか、あるいはひょっとしたら、私のことをよほどのジジイと思っているのでしょうか(爆)? 普段からそれなりに鍛えていますから大丈夫なのですが、「あかん、ヘロヘロや。代わりに授業してくれ」といったら、「エーッ! フツーのおしゃべりならいいんですけど……」だそうでした。今日は、乳幼児期の人間関係と発達との関わりの話でした。ちなみに、お陰様で前期の3回目の授業から、これで15回連続、雨には降られていません(微笑)。

 13時半近くに帰宅。昼食を摂って、出欠チェック。Q&Aに取り組むつもりが、眠くなって来ました。しかし、昼寝のタイミングを失い、アタマの働Dscn1725c きが今イチ。夕方、日が傾いてから、出席票のコメントを確認しています。明日は、まだ天気は良さそうですから、午前中は散歩か、河口堰あたりへ遠征し、午後から仕事に励むことにしようかと思っています。

2019年10月 8日 (火)

曇天で散歩友達も、鳥も少なし……昨日来たキンクロさんは元気

Img_3986c_20191008165001  終日、曇天でした。雨も降る時間帯があるということでしたが、雨は降らず。朝一に用事をして、8時半から散歩。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、京町、寺町と5.2㎞。2時間あまり。10/5の土曜から昨日まで、近鉄ハイキング、研修会の講師、市民大学講座と、私にしては忙しく過ごしていました。この頃は多少とも昼寝をしないと、ちょっと辛い(苦笑)。今日は、コンサルテーション資料が届くことになっていたのですが、午前中は届かず。昼食を摂って12時過ぎから1時間くらい寝られると思っていたら、12時半に郵便局の方がやって来て、中断。午後から届くと思ったのに、見込み違い(爆)。「昼休みは在宅率が高い」ということかも知れません。

Img_3977c  さて、こんな天気で、散歩する人も、鳥も少なく、ちょっと張り合いがありませんでした。揖斐川沿いでは、ダイサギが飛ぶのImg_3979c_20191008165701 が見えたのと、七里の渡し跡でハクセキレイ2羽を目撃しただけ。九華公園では、ホシゴイと、アオサギが1羽ずつ。しかし、どちらも西側から見ると、背中を向けていました。こういう日は鳥たちもテンションが上がらないのかも知れません。

Img_3973c_20191008165001  堀には、昨日やってきたキンクロハジロが2羽。長旅の疲れはあまり見て取れませんでした。今日は、二の丸堀の西側エリアで休んだり、少し泳ぎ回ったりしています。他には、シジュウカラ、カワラヒワ、カワウ、キジバトなど。キジバトは巣材を運んでいる様子が見えます。九華公園でも、貝塚公園でも、です。秋にも繁殖するのでしょうかねぇ?

Img_8597c  午後からは届いた相談資料をチェックし、検査結果を整理し、グラフを書いたり、あれこれしていました。現在、お二人の相談が並行しています。検査結果をいろいろな視点から見て、あれこれ考えますので、それなりの時間と労力を使います。明日は、非常勤ですから、その準備もしなくては。準備は、明日の授業のそれもですが、授業資料を事前配布しますので、明日は再来週の分の原稿を持参するのです。明日は晴れという予報で、ラッキー。九華公園、ごく一部でまたソメイヨシノがチラホラ咲いています。

2019年10月 7日 (月)

九華公園にキンクロハジロ飛来、揖斐川沿いでノビタキか?……午後は市民大学講座へ【付記:コメントの反映遅延について】

Img_3933c 昨日までとは打って変わり、いきなり最低気温17.1℃、最高気温は21.9℃とは、ちょっとやり過ぎです。散歩友達のOさんご夫婦(ご主人80代後半、奥様70代後半)は「寒い、寒い!」とおっしゃっていました。この年齢で(と書くと失礼なのですが)、ほぼ毎日、お二人揃って九華公園にいらっしゃるのです。かくいう私は、8時過ぎスタートで10時過ぎまでの2時間、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町といつものコースを5.6㎞。河口堰では相変わらず、ダイビング祭が開かれているようなのですが(2019.10.05~06 お散歩週報!)、せっかく行くなら天気の良い日にと思います。

Img_3899c  さて、先週、九華公園に一度だけハシビロガモのオス1羽が姿を現しましたが、今日は、キンクロハジロのオス・メス1羽ずつが登場しました。とうとう、こういう季節がやって来ました。というか、キンクロハジロがやって来ましたから、季節が進みます(屁理屈こきですから、ホドホドにお相手ください)。番なのかも知れません。ちなみに、去年は11月4日にキンクロハジロのメスが1羽来ています(2018年10月4日:九華公園にキンクロハジロ飛来……桑名水郷花火大会は11/24に開催

Img_8481c  また、揖斐川の堤防(右岸)、船津屋さんの裏手では、こちらに遭遇。ホンの一瞬。3~4枚しか撮れず。超望遠コンデジを取り出したときには、すでに姿を消してしまっていました。ノビタキのメスか? という気がするのですが、分かりません。ノビタキであれば、鳥図鑑+1になるのですがねぇ。このほか、揖斐川沿いでは中州にアオサギが1羽、上空にカモメ(猛禽か?と思ったくらいですから、セグロカモメか、オオセグロカモメ)1羽。九華公園にはアオサギも、ゴイサギも、ホシゴイもいません。いたのは、シジュウカラ、カワラヒワ、カワウ、ドバトなど。鳥は少なし。まぁ、キンクロハジロが来ましたから、それで良しとしましょう。

Dscn1709c  午後からは、市民大学講座。市のパブリックセンターにて。以前は、「中央公民館」といっていました。個人的にはパブリックセンターという名前では、何Img_3937c だかよく分からない気がします。直訳すれば、「公的センター」あるいは「公的中央施設」。訳が分かりません。「公民館」ではいけないのでしょうか? どうも名前に馴染めません。屁理屈はさておき、「城と城下町」の5回目。城絵図から、さまざまな門、櫓などの寸法を拾い出す作業と、桑名城の石垣と櫓の変遷についての講義。残りは11月、12月の2回。そろそろ講義の全体を自分なりにまとめたいところ。

【コメントの反映遅延についてのお断り】 コメントをつけていただいてもすぐに反映されない現象が、しばらく前から生じています。ココログを運営する@niftyには連絡してありますが、この現象が起きるのは一部のユーザーに限られているようで、@niftyでは調査中ではあるものの、原因の特定には至っていないということです(こちら)。コメントをつけていただくと、私宛にメールが届きますので、手動でそれが反映されるようにします。ご迷惑をおかけしますが、ご了解ください。

2019年10月 6日 (日)

午前中は散歩、午後からは講師

Img_3850c  気温は29℃を超えました。日向を歩くと暑いのですが、風は涼しげ。天気もよく絶好の行楽日和です。午前中は、散歩、午後からは、かねてからの約束通り、名古屋で支援員講座の講師を務めてきました。散歩は8時にスタート。時間限定で10時まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、京町、寺町と5.5㎞。

Img_3859c  天気はよかったものの、鳥も散歩友達も少なし。三の丸公園で、メスのモズ。2~3日見ませんでしたが、戻っImg_3863c て来ました。ここを縄張りに決めたようです。九華公園では、例によっていつものところにアオサギさん。向こうを向いて、口を開けていますが、欠伸なのか? 鳴き声は聞こえませんでしたので、何か叫んだというわけではありません。この間来ていたハシビロガモのオスは、姿がありませんでした。

Dscn1670c  昼前に出かけ、名古屋へ。左の写真は、名古屋市市政資料館。ここへ行ったのではありません。講座の会場が、この向かいにあDscn1675c るウィルあいちなのです(右の写真)。市政資料館の建物が、お気に入りで、ウィルあいちへ行く機会があると見てくるのです。今日は13時前に着きましたので、中を見学する余裕はありません。ベンチに座ってしばし眺めてオシマイ。

Dscn1678c  支援員講座では、いつもと同じく「心理検査でわかること 検査結果の支援への活かし方」というテーマで13時半から2時間、講師を務めてきました。参加者は、30名弱。特別支援教育の支援員を目指す方や、障害のあるお子さんをお持ちの保護者の方。いつもながら熱心に聴講していただき、また質問もいくつか出ました。学生諸君対象の授業では、なかなか質問は出ません(遠慮しているのか、恥ずかしいのか?)。

Dscn1705c  受講して下さった方に少しでもお役に立てると幸いです。相談のご依頼もいただきましたので、また、主催者のお一人であるディスレクシア協会名古屋のYさんのお世話で相談会を開催することにしてきました。普段、自分を撮るということはないのですが、たまにはと思い、もう一人の主催者であるNさんにお願いして何枚か撮っていただきました。しかし、我ながら「老けたなぁ」とか「ジジイだな」と思い、イヤになります(苦笑)。今後はなるべく載せないことにしましょう(爆)。

2019年10月 5日 (土)

20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(予告編)……9回目の伊勢参りハイキングにして松阪へ【歩数を付記しました(10/6)】

 今日は、近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」に参加してきました。この伊勢参りハイキングも9回目。これまでのところ、コンプリートしています。今日は、近鉄・伊勢中川から松阪駅まで、12㎞。天気がよく暑いくらい。ところどころ、風がよく通るところがあり、そういうところはよかったのですが……。今日も、畏友Mさんと二人旅(ブログには、今回もMとして登場しますか? と確認されました……笑)。今日は予告編。

Img_3370c  今日の受付は、近鉄名古屋線・伊勢中川駅の西口で、9時半から11時。桑名駅を8時42分発の松阪行き急行に乗車。伊勢中川Isenakagawastation 駅 には9時40分着。¥900。伊勢中川駅は、名古屋線、山田線、大阪線の接続駅。昭和5(1930)年、参宮急行電鉄が開通した時に参急中川駅として開業しています。右の画像は、Wikipediaからお借りしました。乗り換えに便利なように、1~5番線間には全てホームがあり、2~4番線は両側をホームで挟まれる構造になっています。また、駅構内に、名古屋線・大阪線間を短絡する中川短絡線があります。ちなみに、伊勢中川駅では乗り換えたことはありましたが、降りるのは初めてでした。

Img_3834c_20191005193001  いつも通り、コースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプをいただき、さらに今日は、「KIPS対象ハイキング」というこImg_3375c とで、KIPSポイント100Pもプレゼントされました。あみま倶楽部のスタンプは27個目をゲット。伊勢中川駅をスタートしたのは、9時52分。

Img_3378c  こちらが今日のコースマップ。伊勢中川駅をスタートして、小川神社、中原神社、市場庄のImg_3383c_20191005192301 まち並み、薬師寺(仁王門など)、旧小津清左衛門家、三井家発祥地、豪商のまち 松阪観光交流センターから鶴の玉本舗たつみ堂を経て、近鉄山田線・松阪駅北口がゴール。途中、市場庄のまち並みは、前回のハイキングコースと重複しています(20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)。

191005kintetsuhikingisenakagawa  実際に歩いたルートマップ。伊勢中川駅は、以前は、嬉野町でしたが、広域合併にともない、松阪市と一緒になりました。伊勢中川駅を出て三渡川の三渡橋のところまでは、基本的に初瀬(はせ)街道を歩きました。三渡橋から近鉄山田線・松ヶ崎駅の西までは、前回歩いたところ。ただし、前回見逃した神楽寺に立ち寄っています。

Img_3399c  伊勢中川駅を出て最初の立ち寄り先は、式内小川神社。伊勢中川駅からは800m足らず。創立や由緒は不詳です。御祭神は、高裁加美命(たかおかみのみこImg_3430c_20191005194101 と?;雨をつかさどる神)、素直鳴尊大国主命等14神です。江戸期には「二天王子」と称しました。明治40(1907)年9月に宮古の郡一神社、小川の田中神社・八幡神教・加茂神社を合祀し、明治41(1908)年6月に中川村全城の鎮座31社を合祀し、小川神社となっています。社伝では、「往古丹波渓戸と云う医師が常に高於加美命・大国主命を信仰したが、この後宮帳に入れ、郷名を採り社号とし、且つ村名とした」とされます。

Img_3509c  このあたりはすでに初瀬街道。京・大和方面と伊勢を結んでいました。現在の松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからこの名がついています。古くは「青山越」、「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれ、古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもありました。全長が約14里17町。ウォーキングマップはこちらにあります。大坂方面から伊勢までは、当時で4~5泊の旅だったそうです。

Img_3488c_20191005195601  続いて、2㎞過ぎ、時刻は10時半頃。昔の嬉野町役場のすぐ南にあるのが、式内須加(すが)神社。御祭神は、道主貴神のImg_3481c_20191005200701 他、素戔嗚尊大日孁貴命、天児屋根命他12柱です。ここはなかなかよい雰囲気の神社でした。境内には、橿原神宮遙拝所もありましたし、拝殿 は何となく、伊勢の外宮や、内宮の正殿を思わせるものでした。

Img_3518c  引き続き、旧・嬉野町内を歩いています。3.5㎞地点で中原神社。往古は龍玉神社と崇めらImg_3525c れ、須可・須賀領、津屋城の氏神でした。創祀などについては不詳。明治43(1910)年、中原全域の大祠小祠を合祀しています。初潮街道に面していますので、旅人たちにも「灯籠の森」「鶴の宮」として親しまれて来たといいます。主祭神は、豊玉彦命(海神・綿津見とも称され、海の神)、金山彦命(かなやまびこのみこと;鉱山の神)、誉田別命(応神天皇)。

Img_3569c  嬉野津屋城町を歩いています。三渡川の手前で、近鉄しまかぜがやって来るのが見えました。三渡川沿いを歩いて、巡見橋でImg_3583c 川を越え、六軒へ。三渡橋まで来ました。ここが、初瀬街道と伊勢街道の追分。ここから市場庄の町は、前回(9/22)のハイキングで歩いたところ。三渡橋のたもとに道標があるとなっていたのに、前回は見つけられませんでしたが、ひょっとしたら、三渡橋の架け替え工事が行われたようですから、どこか別のところで保管されているのかも知れません。

Img_3639c_20191005201601  市場庄のまち並みは、前回の記事で書きましたので、端折らせていただきます(20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)。ただし、前回立ち寄らなかった護法山神楽寺(ごほうざんしんらくじ)に、今日は行ってきました。曹洞宗のお寺。古くImg_3630c_20191005201601 は熊野権現者の別当寺。当時は、熊野権現の祭礼で祭供を司り、舞楽を演奏する道場でした。慶長16(1611)年、曹洞宗に改め、神楽寺と改称し、開山しました。スタートからは6.5㎞ほど。

Img_3670c  8.2㎞まで来ました。前回の旅8日目は、左の写真の交差点まででした。写真の奥にある近鉄道路の向こうにImg_3672c_20191005202101 松ヶ崎駅があります。今日はこのまま伊勢街道を進みます。松阪市の塚本町から船江町と進んでいきます。途中、常夜燈などがありましたが、今日のところはすべて割愛しています。

Img_3707c_20191005202901  9.2㎞を過ぎ、12時40分頃、利生山延命院薬師寺へ。ここまで来ますと、Img_3717c_20191005202901 松阪市街にもほど近いところ。天台宗のお寺。天平2(730)年の開創と伝わっています。まさに古刹。仁王門と本堂が残っています。所蔵されている「木造薬師如来坐像」は、貞観年間(859~877年)末期の作といわれ、県の有形文化財。仁王門は、修理中でした。

Img_3720c_20191005203001  薬師寺境内には、芭蕉句碑もありました。「梅が香にのっと日の出る山路かな」とあります。高さ約2m38cmの細長い角柱の碑です。句は中央に一行で刻まれ、碑陰には何も刻字がありませんので、この句碑は、いつ頃誰が建てたものか不明です。

Img_3784c  伊勢街道は、松阪市川井町に入ったところで左折。10㎞を過ぎて、阪内川を大橋で渡るとすぐに、旧・小津清左衛門家があります。以前来たときは、松阪商人の館といっていました。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は質素なのですが、内部は意外に広く、2つの土倉も残っています。展示品の中には「千両箱」ならぬ「万両箱」もあり、興味深く見てきました。といってもここは、2度目(2018年5月26日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編))。

Img_3786c  小津清左衛門家から100mあまり、三井家発祥地があります。ここも昨年5月26日のJRさわやかウォーキングで来ています。Img_3796c 三井高利が、ここで元和8(1622)年に誕生しました。商人の家で、高利は14歳から江戸で修行、28歳で松坂に戻り、家庭を持った後、金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出し大成功を収めています。内部は見学できませんが、塀の下から覗いてみました(苦笑)。高利が産湯に使ったという伝承のある井戸が見えました。他に、発祥の地の記念碑も建っています。

Img_3801c  本町交差点を渡ります。ここで10.9㎞、時刻は13時20分。「豪商のまち 松阪観光交流センター」の外観を見て(立ち寄りImg_3803c スポットですが、私は去年5月26日に来ていますのでパス)、先に進みます。ちなみに、ここ、去年来たときは「松阪もめん手織りセンター」でした。いつものように、松阪肉の和田金の前を通過。毎回、通るだけです(微笑)。

Img_3805c_20191005205001  はじめにも書きましたが、今日はかなり暑くて汗も掻きました。途中2回ほど小休止をとったのですが、やはImg_3806c_20191005205001 り暑いとぼやいていたら、和田金の先に水谷蜂蜜さんがやっている「松治郎の舗」という店があり、「蜂蜜屋さんの最中アイス」という看板が。これは食べるしかないということになり、お立ち寄り。蜂蜜などを試食して、最中アイスの抹茶をチョイス。¥380。クールダウンできました。ここまで来ると(11.2㎞地点)ゴールの松阪駅もすぐ間近。ここで最中アイスを食べてしまったため、立ち寄りスポットになっていた鶴の玉本舗たつみ堂さんは、申し訳なく思いつつパス(微笑)。

Img_3819c  JR紀勢線・松阪駅。松阪駅は、桑名駅と同じく、JRと近鉄の共用駅。西側がJR、東側が近鉄。11月3日の氏Img_3841c_20191005205501 郷まつりの看板が出ています。Mさん、一度来てみたいとおっしゃっていますので、近鉄ハイキングで氏郷まつりに来ようと思います(私は、去年来ました:2018年11月4日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)。JR側にある「まつさか交流物産館」で、土産に「老伴(おいのとも)(柳屋奉善)」を購入(4個入り、¥700)。

Img_3823c_20191005205501  地下通路を通って、東の近鉄側へ。ゴールしたのは、13時50分。ほぼ4時間かかりました。歩いたのは12㎞Img_3827c_20191005205501 ちょうど。いや、今回も暑い中、よく歩きました。今回も無事に記念品のマグネットをいただけました。薬師寺の仁王門がデザインされています。

Nakagawa  昼を食べて帰ろうということになり、近鉄駅前にある「なかがわ」という喫茶店へ。「昔ながらのピラフ(¥700)」を食べてきたのですが、店の写真も、ピラフの写真も撮るのをすっかり失念(苦笑)。Googleのストリートビューから借りました。

Img_3833c  松阪駅を14時54分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名には16時4分着。¥960。松阪始発だったようで、座れて楽チン。写真整理がまだ十分済んでいませんので、本編はそれらを終えてからにします。

Img_3846c 【付記(10/6)】歩数を書き忘れました。生活リズム計では、23,491歩。スマホのAlkooでは、24,699歩でした。自宅から桑名駅往復を足すと、合計13.8㎞を歩いています。

20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(その3)……久屋大通庭園フラリエから下水処理場のモニュメントを見て、若宮大通からゴールのJR中央線・鶴舞駅へ(完)

190928jrwalkingatsuta3_20191004153601 9月28日のJRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」のその3です。その2では、松重閘門、東別院190928jrwalkingatsuta4 にお参りし、手づくり朝市で玄米五平餅に舌鼓を打ち、メ~テレを覗いてきました。このあとは、久屋大通庭園フラリエに立ち寄って、ゴールのJR中央線・鶴舞駅をめざします。

Img_2584c  メ~テレを出て、東別院の交差点を左折。久屋大通に向かって北に進みます。写真は、下前津東交差点を渡る途中。地下鉄名城線の通っている上を歩いています。9㎞を過ぎ、12時50分近く。大須観音・大須商店街の東を通り過ぎて行きます。

Img_2593c  10㎞を過ぎてようやく久屋大通庭園フラリエに到着。若宮大通久屋の交差点の東南角にあります。10.5㎞、13時。以前はランの館でしたが、平成26(2014)年3月に閉館し、再整備ののち、同年9月から久屋大通庭園フラリエとして新たに開園。ランの館の頃も通じて、初めて来ました。

Img_2600c  一通り見てきましたが、建物内や、庭にはハローウィンの飾りが目立ちました。ハローウィンは、日本の行事としてすっかり定Img_2602c_20191004192301 着したようです。もともとは、悪霊などを追い出す宗教的行事だと思うのですが、私には何となく、カボチャと仮装で盛り上がる行事のようになっている印象があります(あくまでも個人的印象ですので、ご容赦ください)。調べてみたら、カボチャは、目と口と鼻をくりぬいてキャンドルを灯したランタン(ジャック・オー・ランタンというそうです)。仮装をするのは、ハロウィンになると先祖の霊と一緒に悪霊もやってきて、人間たちに悪運をもたらしたり、いたずらをするため、魔女、ゴースト、ゾンビ、ドラキュラ、ガイコツ、黒猫、狼男、フランケンシュタインといった恐ろしい怪物や怖いものに仮装し、悪霊を怖がらせて追い払うためとか。

Flarie  こちらは、フラリエのサイトからお借りした園内マップ。正門からはいってフラリエコートから西ウィングを見てハーモニーImg_2604c ガーデン、ウォーターガーデン、アジアンガーデンあたり、シャクナゲのみちを通って東門へ。右の写真は、ウォーターガーデン。熱帯睡蓮が咲いていました。

Img_2596c  このフラリエ、なかなかよいところだと思うのですが、個人的に玉に瑕と思ったのは、BBQができるようになっていたこと。フラリエコートにあるのです(こちらに飲食施設一覧)。花を楽しむのに、BBQの臭いはどうもいただけません。

Img_2621c_20190928202501  フラリエの東門から若宮大通に出ます。名古屋には、100m道路が2本あります(他には、広島ある『平和大通り』だそうです。こちら)戦災からの復興計画の一環として、火災発生時の延焼防止・市民の避難場所確保・車社会への適応のために計画されました。全国の他の都市でも計画はあったようですが、実現したのは、この若宮大通と久屋大通、そして広島の平和大通です。

Img_2624c  後から調べて分かったのですが、フラリエを出てすぐの南に名古屋市上下水道局があります。若宮大通から少し南に入ったとImg_2625c ころにこんなものがありました。気になります(苦笑)。これはもう見に行くしかないと思って見てきました。ここは、かつて掘留下水処理場(現在は、掘留水処理センター)があったところ。掘留下水処理場は、我が国で初めて活性汚泥法を採用した画期的な水処理センターとして、昭和5(1930)年10月から運転を開始しました。名古屋の下水道は、大正元(1912)年11月に中区伊勢山町など(現在の東別院の西側一帯)でスタートしています。

Img_2627c  ここにモニュメントとして置かれているのは、昭和2(1927)製の「ゐのくち式渦巻ポンプ」。荏原製作所Img_2631c がつくっています。「ゐのくち」は、東京帝国大学教授であった井口在屋(いのぐちありや)の名前から来ています。井口はポンプの神様ともいわれ、日本のポンプの黎明期を築いた人物。井口は、金沢で生まれ、明治15(1882)年に工部大学校(東京帝国大学工学部の前身)機械科第4期を首席で卒業し、明治38(1905)年に300ページに及ぶ「渦巻ポンプの研究」を発表しました。これは、渦巻きポンプに世界で初めて明確な設計理論を与えるもので、国際的にも高く評価されたそうです。ここに展示されている「ゐのくち式渦巻ポンプ」は、昭和2(1937)年から昭和52(1977)年までの50年間、熱田区の浸水被害を抑えるために「熱田ポンプ所(設置当初は、熱田抽水場といいました)」で雨水を排水するのに用いられていたものです。

Img_2633c_20191004202001  上にも書きましたが、ここはもとは掘留下水処理場でした。昭和5(1930)年に完成。中区、東区、千種区、昭和区の各一部の下水浄化を行っていました。また、堀川の水源の一つとしても、名古屋の水環境向上に役割を果たしていました。戦後、都市の再開発がすすみ、生活様式も向上し、流入汚水量が急速に増大し、従来の施設では十分に処理できなくなってきました。そのため、施設の拡張が必要となったのですが、用地確保は困難であったため、既存施設に隣接する久屋大通公園南端の地下部に拡張することになり、昭和48(1973)年11月に完成しています。現在は、旧・掘留下水処理場の施設を残し、それらも見学しつつ下水道の歴史が分かるメモリアルゾーンとして整備されました。このモニュメントの南側一帯がそれです。

Img_2642c  若宮大通に戻ってさらに東進。途中で名古屋市中土木事務所ビルの前を通ります。11㎞の手前。ここには名古屋市の職員研修室が併設されています。わざわざ触れたということは、ここにも思い出があるということです。平成12(2000)年と14(2002)年に、名古屋市衛生局が主催する准看護師さんの研修会の講師として来たことがあります。当時、市民病院に勤務していた准看護師さんたち対象の研修会でした。確か「患者心理の理解」というテーマでお話しし、演習もしました。演習では、TATの図版を利用して、各自がストーリーをつくり、着眼点や重視する点、さらにはストーリーの展開の仕方にはかなりの個人差があることを実感してもらったと思います。余談の余談ですが、この頃は名古屋市もまだ財政に余裕があったのか、事前にタクシーチケットが届き、「よろしければご自宅からお使いください」といわれました(もちろんそんなことはしておりません。念のため書き添えておきます。名古屋駅から利用しました)。平成14(2002)年といえば、通称「いざなみ景気」が始まった頃だったと思います。最近、馬齢を重ねたせいか、ヘンな昔話が多くなっており、反省しています。ご興味がなければ、スルーしてください。

Img_2644c_20191004205701  若宮大通をさらに進み、ほぼ11㎞のところで丸田町交差点を右折。13時15分を回っています。空港線を南下。300mほどでImg_2652c_20191004205701 左折し、東へ。11.5㎞で「名大病院西」交差点。右の写真で中央奥に見えるのが、名古屋大学付属病院。

Img_2654c  ゴールのJR中央線・鶴舞駅には、13時25分に到着しました。スタートから4時間5Img_2658c_20190928202501 分、 11.8㎞です。 久しぶりにJRさわやかウォーキングのスタンプをもらい、これで8個目。11月の終わりまでに10個が目標です。

Img_2664c_20190928202501  鶴舞駅あたりの中央線は高架になっていて、その下に飲食店もいくつかあります。駅すぐの蕎麦屋さんで昼を食べようと思っていたのですが、あいにく長蛇の列。待つ元気はありませんでしたので、やむなく駅のベルマート(コンビニ)で幕の内弁当(税込み¥450)をゲット。時間が時間でしたから、ほとんど選択肢がありませんでした。駅の東にある鶴舞公園で食べることにしました。

Img_2670c 周りを見ると、JRさわやかウォーキング参加者の方で、同様の方がたくさんおられました。天気も悪くありませんでしたのImg_2677c で、公園で食べた方が気持ちよいということ。弁当を食べ、しばし休憩して、鶴舞駅へ。これでトータル12㎞。

Img_2706c  13時58分の名古屋行き普通に乗車。名古屋には14時6分着。関西線の四日市行き普通が、14時16分にありましたからそれに乗って、桑名には14時46分着。途中、春田あたりまでは混んでいましたが、これはいつものこと。春田から座れ、楽チン。桑名まで¥500。けっこうたくさん歩きました(苦笑)。白鳥庭園の中を歩き回らなければ、こんなに長距離を歩かなくて済んだ気がしますが、白鳥庭園も訪ねてみたかったところですから、仕方ありません。

Img_2719c  この日のALKOOのデータ。25,000歩を越えていました(苦笑)。鶴舞駅にゴールしたときには、11.8㎞でしたが、昼食を鶴舞公園に行って食べましたので、ウォーキングで歩いたのは、12.0㎞。自宅から桑名駅往復が1.8㎞ですから、合計13.8㎞も歩きました。こんなに歩くつもりじゃなかったのに。

2019年10月 4日 (金)

20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(その2)……堀川沿いを歩いて松重閘門から、東別院で「手作り朝市」そしてメ~テレを覗く

190928jrwalkingatsuta2  9月28日のJRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」のその2です。その1では、熱田神宮公園と白鳥庭園を歩き、名古屋学院大学、名古屋国際会議場の周囲を回って旗屋橋で再び堀川を超えるところまで来ました。ここからは延々と堀川沿いを北上し、古渡橋東まで進みます。1.5㎞ほど。立ち寄るところもとくに指定されていません。

Img_2374c_20191003052101  立ち寄るところはありませんから、堀川や、途中にかかっている橋を眺めながら進みます。旗屋橋の次は瓶屋橋。そして、左の写真は、住吉橋。スタートから約5.2㎞。八熊通にかかっています。わざわざ通りの名前を書いたのは、この通りは昔の勤務先近くに通じているからです。珍しい意匠だなと思ったら、昭和12(1937)年のもの。名古屋では珍しいラーメン橋台橋だそうです(ラーメンはドイツ語で、英語ではRigid frame bridgeだそうです)。三連Img_2378c アーチに見える外観はとても美しいと思います。このデザインは、関東大震災後の復興橋梁の標準形式としてよく採用されたといいます。親柱もなかなかよい感じです。

Img_2388  その後、尾頭橋(おとうばし)。「尾頭」という地名は、ここが熱田台地の尾根筋と尾張平野の南部を結ぶ接点で、長い坂道が鵜の首のようであったため、烏頭(うとう)の里と呼ばれていたものが、中世初期に「尾頭」に変化したという説があるそうです(諸説あります。こちら)。尾頭橋は、佐屋街道の橋としてかけられました。佐屋街道は寛永11(1634)年、江戸幕府3代将軍徳川家光通過の際に本格的に整備された街道で、東海道・七里の渡しを避ける脇往還(いわばバイパス)です。大正期の尾頭橋には、八幡園と呼ばれる花街もあったそうですが、昭和20年代後半から衰退してしまいました。

Img_2391  尾頭橋を越えると左手(西)にWins名古屋が見えます。有り体にいってしまえば、場外馬券売り場なのですが、かなり快適Img_2396c_20191003052201 に過ごせたり、飲食エリアもあったりするそうです。しかし、私には縁のないところ。ギャンブルは、一切やらないのです。この先でJR東海道線、名鉄名古屋本線、JR中央線の堀川橋梁の下を潜ります。ここらあたりで別のハイキンググループの方多数とすれ違い。

Img_2402c  堀川橋梁と橋脚についての歴史的な経緯は、ここにあります。堀川の下流側から東海道線、名鉄線、中央線Img_2411c_20191003052201 が通っています。東海道線上り・下りと、名鉄線上りの3つ線路の橋脚は煉瓦積みになっています。リンク先の記述によれば、かなり古いものを今でも使っていると思われます。橋の下を通っているとき、中央線の多治見行き電車が通過していきました。ものすごい音で怖い感じもしますが、何となく楽しい気もします。

Img_2419c  ようやく古渡橋(ふるわたりばし)まで来ました。ここまでで6㎞。11時40分近くになっています。橋を渡Img_2431c_20191004052801 って、都市高速の下を潜って古渡橋の交差点を右折し、北へ。古渡橋は、堀川が掘られたころにかけられた「堀川七橋(ほりかわななはし)」の1つです。橋の名前は、地名に由来するといいます。名古屋高速の下を歩き、山王橋を越えて、南北橋のところまで行きます。

190928jrwalkingatsuta3_20191004153601

 実測ルートマップは、その3。その2と一部重複しています。次の目的地は、この地図の左上にある松重閘門。そこから少し南に戻って、山王橋交差点を左折して東へ。真宗大谷派名古屋別院で手作り朝市。お隣のメ~テレを除いて東別院交差点を左折して北へ。久屋を目指します。

Img_2445c  松重閘門(まつしげこうもん)に到着。スタートからほぼ7㎞。11時50分くらい。実測ルートマップでは分からないのですが、この西300~400mあたりを東海道新幹線、東海道線、名鉄名古屋本線、中央線が通っていて、電車からも見えます。学生時代、名古屋に通学している頃から「何だろう?」と思っていました。「閘門」は、水位差のある水面間で船を就航させるための構造物です。閘室とよぶ前後を扉(lock gate)で仕切った水面に船を入れ、扉の開閉によって水位を昇降させてのち、一方を開いて船を進める仕組みになっていまImg_2458c_20191004170401 す。長良川河口堰にもありますし、時々行く船頭平閘門もこれです。画期的な発明と思います。松重閘門は、中川運河(昭和7(1932)年に開通。東洋一の大運河と称されました)と堀川を結ぶために昭和5(1930)年に開通しています。中川運河は、名古屋港と国鉄笹島貨物駅(昭和61(1986)年に廃止。現在は、ささしまライブ24)とを結ぶために作られたのですが、駅の手前で堀川とつなぐことになったものの、両河川の水位が2mほど異なるためつくられたのが、松重閘門です。ヨーロッパのお城といわれても通りそうな建築物です。これらの写真は2枚とも、西側の塔。左の写真は、西側から見たもの、右の写真は、閘室があったところから西の塔を見たもの(運河の奥にJR、名鉄の線路が見えます)。

Img_2482c_20191004170801  東西長さ90mの閘室(現在は埋められていました)の両端に高さ約20mの塔が2棟ずつあり、一対の塔をつなぐ橋に吊られたImg_2453c 40トンの鉄板を上げ下げしました。塔の内部には鋼板を動かすのに使う錘が入っています。日本の閘門では扉式が多いので、こういう形式は珍しいそうです。塔は周囲4m角で、上部に窓が付いていて、どの方向から見てもほぼ同じ形です。下から15mあたりには中世ヨーロッパの城に見られる「石落とし」に似たひさしがあり、その上には三角帽子の屋根がついた見張り台が載っています。

Img_2483c  中川運河は、ピーク時の昭和42(1967)年には、年間32,000隻の船が通過し、貨物量は約380万トンに達しましたが、その後は、水運の役割は急速に減り、松重閘門は昭和51(1976)年、閘門はその役割を終えました。東側の塔の近くにライトアップされた松重閘門の写真がありましたが、それはまさに「水上の貴婦人」という愛称にふさわしいものでした。ライトアップされた松重閘門も、見てみたいですねぇ。閘室のあったところは小さな公園になっていましたので、小休止(ただ、草刈りが行われておらず、草茫々だったのは残念)。

Img_2497c  松重閘門を見られて、満足し、東別院に向かいます。堀川は、白鳥に貯木場があったこともあって、「材木Img_2502c の川」でした。かつては丸太や、それを組んだ筏がたくさん浮かんでいました。川沿いには、製材所や材木店が建ち並んでいたのですが、今は、名古屋港の西にある西部木材港へ引っこしたり、マンションなどに変わったりして、ずいぶん少なくなりましたが、それでもまだ残っています。山王橋で再び堀川を渡って東へ向かいます。

Img_2509c  スタートから8㎞で、真宗大谷派名古屋別院に到着。「古渡城跡」という看板がありました。不覚にも知りませんでしたし、予習が及んでいませんでした(苦笑)。戦国時代、ここに平城があったのです。織田信秀(信長の父)が今川氏豊から那古野城(なごやじょう;名古屋市中区)を奪って居城を移した翌年の天文3(1534)年、今川氏に対する東南方向の備えとして築城し、信秀の居城とした城です。天文15(1546)年、13歳の信長は、この城で元服しています。古渡城は、信秀が天文17(1548)年、末森城(名古屋市千種区)を築いて、新しい居城としたため、廃城となりました。

Img_2511c  真宗大谷派名古屋別院(東別院)は、元禄3(1690)年に尾張藩2代藩主・徳川光友公が、名古屋袋町の泉龍寺を名古屋御坊として公許し、翌年、光友公がこの古渡城跡を御坊の地として寄進しました。元禄15(1702)年、本堂が完成しています。昭和20(1945)年3月12日の名古屋大空襲で、本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失し、戦後再建されました。ここへ来たのは、2回目。前に来たのは、大学時代の恩師(胸部の指導教授をお願いした先生)のお通夜と葬儀のとき。25年くらい前でした。

Img_2516c_20190928200401  この日は、10時から14時まで「てづくり朝市」が境内一帯で開かれていて、この朝市が立ち寄り先。まずImg_2527c_20191004174601 は、本堂にお参りしてきましたが、とにかく大賑わい。いつもなら境内にある建物などを見て回るのですが、とてもそれどころではありませんでした。店もとにかくたくさん出ていました。この日の出店リストがここにありますが、とても回りきれません。

Img_2543c  時間が時間でしたから、小腹が空いてきました。あちこち見て回った結果、手ごろな価格で腹が満たせそうなものということImg_2550c で、玄米でできた五平餅を¥250でゲット。行儀は悪かったのですが、山門脇の階段に座って食べてきました。普通の五平餅の方が、もちもち感が強い感じでした。食べる方に気をとられ、店の写真は撮り忘れ、店の名前もよく覚えていません(爆)。何ともまあ浅ましい次第で、お恥ずかしい。とにかく人が多かったので、腹を満たして、早々に再スタートすることに(12時35分)。

Img_2578c  東別院のすぐ隣には、メ~テレ(名古屋テレビ)があります。どういうわけか、メ~テレの番組は好みで、朝のドデスカ!とか、夕方のアップ!などの他、ミステリーもよく見ます。今日は、1階のロビーが公開されていましたので、見てきました。メImg_2569c ~テレのキャラクターは、ウルフィ。地デジが始まった2003年から活動中。昔、ウルフィのキャラクターグッズに「根付け」があり、愛用していました(微笑)。

 メ~テレを出たのが12時40分。東別院の交差点を左折して、北へ。久屋大通にあるフラリエを目指しますが、そこからはその3にて。

九華公園に遠来の客、ハシビロガモ……上之輪新田偵察の結果はいかに?

Img_3224c  夜中にかなりの風と雨だったようです。気温は28度を超えていますから、日向はけっこう暑い感じがするものの、北あるいは西寄りの風となってきたためか、ようやく少し秋らしくなった気がします。

Img_3272c  さて、今日は、待望の方が九華公園にやって来てくれました。長旅でさぞ疲れたのではないかと思います。ハシビロガモのオス1羽です。去年は10月4日にキンクロハジロのメスが、一番乗りでした(2018年10月4日:九華公園にキンクロハジロ飛来……桑名水郷花火大会は11/24に開催)。このハシビロガモは、オスですが、エクリプス状態で、まだオスらしくありません。1週間くらいのうちに後続のカモたちがやって来ると思います。

Img_3230c  今日の散歩は、8時15分にスタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園から京町、寺町と回って、いったん帰宅。上之輪新田にクImg_3241c_20191004132701 ルマで出直して来ました。歩いたのは、5.4㎞。住吉神社の前から見たら、川口水門のところにアオサギさんが1羽。最近、ここによくアオサギや、ダイサギがいます。このアオサギさん、私が川口水門近くまで来たら、飛び立って、十万山(揖斐長良川の中洲)の南端へ移動してしまいました。

Img_3243c  三の丸公園では、モズ。西の端の桜の木のてっぺん。光の当たり具合がよくありませんでしたので、東側に回ってウロウロしてみたものの、東側からは見えず仕舞い。七里の渡し跡への入り口付近からしか見えないところにいたので、こんな写真。

Img_3255c  途中、知人二人に出逢い、しゃべっていましたので、九華公園に着いたのは、9時前。アオサギは、いつものように、鎮国守国神社の社務所裏にいました。管理人さんが出勤された頃(たぶん7時半くらい)、飛んできたという話です。公園内は静かで、ドバト、カワラヒワ、カワウ、スズメくらいしかいません。

Img_3317c  はじめに書きましたが、いったん帰宅してクルマで上之輪新田へ。去年、ここにかなりの規Img_3355c 模のコスモス畑がありました(2018年10月18日:上之輪新田のコスモス再チャレンジ……河口堰で魚道観察室からコサギ撮影、木曽川へも、2018年10月19日:九華公園にハシビロガモ飛来……3日連続でコスモス畑、近鉄特急「しまかぜ」とのコラボ写真)。今年はどうかと確認に行ったのですが、大変残念ながら、コスモスは見当たりませんでした。去年の名残かと思える、わずかなコスモスが休耕田の周りにチラホラと見えただけ。期待していらっしゃった方もおありかと思いますが、残念な報告でした。

Img_3358c  その上之輪新田では、ダイサギが1羽飛来。ここ、もう少しサギが集まってもよい条件があるように思うのですが、案外です。モズもいましたが、逆光で遠くて、うまく撮れず。モズは、このあたりたくさん来ます。

2019年10月 3日 (木)

20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(その1)……熱田駅をスタート、熱田神宮公園から白鳥庭園へ

 9月28日に参加したJRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」の本編をスタートします。今日はその1。JRさわやかウォーキングは、6月9日に亀山で参加して以来(20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))。JRさわやかウォーキングもスタンプを少なくとも10個集めると景品がいただけるのですが(こちら)、その期限が11月末。6月までで7個という微妙な結果ということもあり、何とかしたいと思っていました(7、8月は休みでしたし)。この日、天気予報では夕方から雨かも知れないということでしたが、日中は大丈夫だろうと考え、久しぶりにJRさわやかウォーキングに出かけた次第。

190928jrwalkingatsutamap_20191001062201 JR東海道線・熱田駅から熱田神宮公園、白鳥公園、松重閘門、真宗大谷派名古屋別院(てづくり朝市の会場)、久屋大通庭園フラリエを回って、JR中央線・鶴舞駅がゴールという、マップ上約8.9㎞というコース。主に白鳥庭園と、松重閘門に行きたいと思っていました。6月の亀山でのJRさわやかウォーキングでは、雨に降られましたが、今日は、曇天。しかし、蒸し暑くて汗だく。歩くのも決して楽ではありません。まだまだ「さわやか」には歩けませんでした(苦笑)。

Img_2078c_20190928184901  JR東海道線・熱田駅での受付は、8時半から11時。慌てて行くことはないと、家での用事を済ませ、桑名駅を8時59分に出る快速みえ4号に乗車。名古屋に9時22分着。快速みえは、桑名を出ると次はもう名古屋駅で快適。ただ、関西線はところどころ単線区間が残っていて、途中で、列車行き違いのため信号停止があります。これがなければもっと早いかも。名古屋駅で9時33分発の東海道線豊橋行きの普通に乗り換え。熱田駅には、9時41分着。¥500。熱田駅に降りるのは初めて。

190928jrwalkingatsuta  こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。熱田神宮公園から白鳥公園を経て堀川沿いを北上。JR東海道線の駅でいうと、熱田から金山、尾頭橋と2駅分を歩いて松重閘門へ。ここは大昔、学生の頃、通学の名鉄電車からも見えて、何だろうと思っていたところ。この後東へ向かって、東別院で行われている手作り朝市を見てから、フラリエ(旧・ランの館)からゴールのJR中央線・鶴舞駅へ。白鳥庭園内を一回りしたこともあって、最終的には11.8㎞を歩いてきました。

Img_2094c_20190928185501  改札を出たところでコースマップを受け取り、階段を降りて外へ。恒例によりスタート看板を撮影。これと、ゴImg_2091c ールの「完歩」を写さないと、JRさわやかウォーキングに参加した気分になれないのです(微笑)。マップでコースをざっと確認して、スタートしたのは、9時46分。

190928jrwalkingatsuta1  こちらは実測ルートマップの詳しいもの、その1。熱田駅から西へ。国道19号線を越えて、1㎞過ぎに熱田神宮公園。熱田記念橋で堀川を渡って、堀川沿いを南に行って、白鳥庭園。庭園を見て、南を回って、名古屋学院大学名古屋キャンパスしろとり、名古屋国際会議場の西を通って、再び旗屋橋で堀川を渡ります。このあとは、堀川右岸を北上していきます。

Img_2098c_20191002073001  歩き始めて直後の写真。名古屋で行われるJRさわやかウォーキングの参加者は、たぶん1,000人単位。受付開始から1時間以上経っているのに、この数。2月3日のJRさわやかウォーキングでは(20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(予告編))、ゴールで先着2,500名がもらえるバッチがもらえなかった思い出があります。

Img_2112c_20191002073001  スタートから1㎞ほどで国道19号線を渡り、熱田神宮公園へ向かいます。横断歩道橋を渡ったところにお寺があり、気になっImg_2118c たのですが、まだ先が長いので、山門の写真を撮っただけでパス。浄土宗西山禅林寺(せいざんぜんりんじは)派の寿琳寺というお寺でした。

Img_2124c_20190928185601  最初の目的地である熱田神宮公園の入り口に到着。1㎞あまり、10時を少し過ぎたところ。Img_2125c 野球場やテニスコートなどもある、大きな公園でした。野球場は、旧名称が熱田球場で、高校野球の開会式や決勝戦が行われたりしたところ。近くには、熱田神宮や白鳥庭園など、歴史や日本情緒が楽しめる場所がたくさんあります。緑に恵まれた都市公園。ここは、永い間熱田神宮の所属地でしたが、第二次世界大戦後、名古屋市の戦災復興事業として仮換地され、昭和55(1980)年に愛知県の所有になり、愛知県都市公園として整備されました。

Img_2131c  事前の予習でここに「断夫山古墳(だんぷさんこふん)」という古墳があることを知っていました。古事記や日本書紀では、日本武尊が東征の折、この尾張の地で豪族の娘・宮簀媛(ミヤズヒメ)と結婚の約束をかわしたものの、東征の帰途、病気がもとで死に、白鳥となり飛去ったとあります。この白鳥となった日本武尊の墓が白鳥古墳であり、日本武尊への思いをいだいて死んだ宮簀媛の墓がこの断夫山古墳であると伝えられています。このことから夫を断つ山、断夫山古墳と名前がついたそうです。5世紀末から6世紀初頭に築造されたものと考えられています。昭和62(1987)年には国の史跡に指定されています。ちなみに、日本武尊は、伊勢国の能褒野 (のぼの) で崩じたという説もあります。

Img_2127c  この断夫山古墳には、立ち入れません。古墳の前にあった「尾張名所図会」の説明では、「常日頃立ち入りが禁止されていたImg_2133c_20191002080601 が、3月3日だけは入ることが許されていた」とあります。このときは、熱田の浜が眼下に見渡せたといいます。なぜ3月3日だけは入れたかは、調べた限りでは不明ですが、この古墳は6世紀初め、尾張南部に勢力をもった尾張氏の首長の墓ですから、立ち入りが制限されていたのかも知れません。今から思えば、古墳の周りだけでも回ってみてくればよかったと思います。古墳の北側には、1/27スケールの「ミニチュア断夫山古墳」がありました。おおよそどのような形をしているかは、これでよく分かります。野球場と球技場の間を通り抜けていきます。

Img_2143c  熱田神宮公園を出るとすぐに堀川。江戸時代初期の名古屋開府に際して、建築資材運搬用の運河として伊勢Img_2155c_20190928190801 湾から名古屋城付近まで開削されたことがそのルーツ。ここにかかる熱田記念橋を渡って堀川の西へ。熱田記念橋は、吊橋で長さ107m。昭和61(1986)年にかけられました。「記念橋」というからには、何か理由があるのかと思ったのですが、よく分かりません。北の方には、名古屋国際会議場が見えます。国際会議場は、いろいろな機会に訪れています。子どもたちが小さい頃には、ポンキッキーズを見に来たり、ユーミンのコンサートにも来ました。また、学会や研究会でも何度か来ています。市大の教員のときには、入学式、卒業式がここのセンチュリーホールで行われていたのですが、その頃どういうわけか、大学の評議員をしたことがあり、そのときは、センチュリーホールの舞台に座っていました(苦笑)。入学式、卒業式などのセレモニーでは、評議員は、主催者の一員として壇上にいることが仕事でした。まぁ、要するに「枯れ木も山の賑わい」のようなもので、何もすることはありません。というよりも、居眠りしたり、余計なことをしたりしないで、おとなしく座っているのが仕事でした(爆)。昔のことを思い出して、一人苦笑い。

Img_2182c  白鳥庭園に向かっているのですが、このあたりは昔は貯木場でした(白鳥貯木場)。それを埋め立てて、昭和58(1983)年Img_2189c_20191002203001 から平成3(1991)年までかけて整備した庭園が、白鳥庭園。国際会議場は、何度か来たのですが、白鳥庭園は初めて。ここも以前から訪ねてみたかったところ。写真は、庭園に行く途中にある旧・白鳥貯木場の「太夫堀 中水門」あたりにいたダイサギと、コサギ。冬はたぶんこのあたりにユリカモメがやって来ると思います。

Img_2192c  実測ルートマップにもありますが、サギがいたのは「太夫堀」。その一角に「白鳥貯木場『太夫堀』中水門」という案内板がImg_2188c ありました。白鳥貯木場は、江戸時代初頭の慶長10(1610)年に名古屋城築城のため設けられた材木置場が起源とされています。福島正則が、堀川沿いの白鳥地内に大池を掘らせ、これを太夫堀と呼んだと伝えられていて、これが初の木材置場となったと考えられています。福島正則の通称は、左衛門大夫だったそうですから、この名前は納得。

Img_2199c  スタートから1.8㎞ほど、10時15分過ぎに白鳥庭園に到着。今日は、JRさわやかウォーキング参加者は、コースマップを呈Sirotorimap 示すると、通常、大人一人¥300のところ、¥240で入園できました。園内をほぼ一周してきました。ここは、大きな池を中心に配置した「池泉回遊式」の日本庭園で、都市公園内の庭園としては、東海地方随一の規模だそうです。確かにかなり広い。世界デザイン博覧会のパビリオンとして設置されましたので、東海三県を中心とした中部地方の地形をモチーフにしています。公園の南側にある築山を御嶽山に、そこから各池に注ぐ川を木曽川に、中央・周辺の池を伊勢湾に見立てています(マップは白鳥庭園のサイトからお借りしました)。北門から入って、庭園内を反時計回りにほぼ一周してきました。

Img_2203c  曇天でしたのであまりきれいな写真が撮れていませんが、いくつか紹介しておきます。これからの時期ですと、混むのでしょImg_2209c うが、やはり紅葉シーズンが見栄えしてよいように思います。左の写真は、「くすのき橋」から南を見たもの。島は「英傑島」。右の写真は、「徳川橋」のところで撮ったもの。ここだけモミジが色づいてきていました。

Img_2230c_20191002204801  左の写真は、汐見四阿から清羽亭の方を見たもの。汐見四阿から先には、竹林がつくられています。テレビImg_2232c のミステリードラマに京都の竹林がよく出て来ますが(嵐山というべきか、嵯峨野というのかよく知りませんが、こちらの竹林)、似たようなイメージでした。

Img_2262c  竹林の先、渓流になっているところから少し登っていくと、築山(御嶽山)があり、瀧が流Img_2285c_20191002205201 れ落ちています。深山幽谷というイメージ。築山から降りてくると、北側に清羽亭。茶室で、典型的な数寄屋造りの建築です。

Img_2309c  清羽亭を東側から見た写真。外観は白鳥の舞い降りる姿をイメージしているそうです。茶室は、母屋に2つあり、また、中洲の上では、立札席(りゅうれいせき)として楽しめるそうです。残念ながら、私には茶を楽しむなどという風流さは兼ね備えておりません。

Img_2301c  清羽亭のお庭も見てきたのですが、気に入った写真が撮れていませんでした(苦笑)。ただ、流れのところにセグロセキレイが来ていましたので、こればかりは懸命に写真に収めてきました(微笑)。これだけの緑があって、池もありますから、さまざまな季節にいろいろな鳥がやって来そうな感じがします。

Img_2321c  清羽亭の東にちょっとした広場があります。ここは庭園のほぼ中央で、「宮の渡し広場」と名づけられています。「宮の渡し」は、もちろん東海道五十三次・宮宿にあった渡し場。桑名までの七里の渡しの出発点。これと同じような常夜燈が、宮の渡し跡にもあります。

Img_2317c  まだそんなに長い距離を歩いたわけではありませんでしたが、蒸し暑くてかなり汗も掻きました。ちょうどうまい具合に冷えたグリーンティーの店が出ています。他の方たちもたくさん、美味しそうに飲んでいらっしゃったので、私も「ちょっと早いかな」とは思ったものの、小休止(微笑)。一杯¥300。余談ですが、昔は、駅でこういうグリーンティーの自販機がよくあって(名鉄名古屋駅が新名古屋駅といった頃や、近鉄名古屋駅にもあったと思います。透明の容器の中で抹茶が循環していました)、時々買って飲んだものです。白鳥庭園には35分ほど滞在し、10時53分再出発。北門を再び出るあたりで、スタートからは約2.6㎞です。

Img_2335c  白鳥庭園の北門を出て、堀川沿いに右岸を歩いて行き、白鳥庭園の南を回ります。庭園南の駐車場前で3㎞。熱田生涯学習センターや、中部森林管理局名古屋の西側を北上していきます。

Img_2344c_20191002210901  名古屋学院大学名古屋キャンパスしろとり、名古屋国際会議場と進みます。国際会議場の西で、4㎞。まだ半Img_2351c 分も歩いていません。周りには、URの住宅や、マンションも建っています。地下鉄の駅も近くに日比野と西高蔵と2つあり、さらには、白鳥庭園があって、堀川も流れていますので、環境は良好で住みやすそうな感じ。

Img_2354c_20191002211601

 国際会議場の北、「国際会議場北」交差点のまさに真向かい(北側)にImg_2363c名古屋中央卸売市場」がありました。パッと見では中央市場とは思えません。「熱田魚市場」に始まるところ。中央市場の前で右折し、再び堀川を渡って行きます。堀川を渡ったのは、右の写真にある旗屋橋。

Img_2366c_20191002212101  ここからは堀川の左岸を北へ、北へと歩いて行きますが、ここからはその2にて。

ホシゴイの大欠伸……午後からはコストコデビュー(微笑)

Img_3222c_20191003162001  台風の余波でしょうか、晴れ間もあったものの曇天で、南からの湿った風。晴れているときの空は、夏模様。10月になったとは思えない気候です。午前中、小雨が降りそうな感じもあったのですが、いつも通り散歩に出ました。8時過ぎから10時半、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、寺町商店街と5.6㎞。雨が降るとイヤだと思って、持って出たのは、超望遠コンデジのみ。

Img_3131c  揖斐川沿いを歩いていたら、アオサギが飛んできて川口水門の下流側に降りてきました。ちょっと遠くて、曇天でしたから、こImg_3140c んな写真になりました。さらに進んで、三の丸水門では、ダイサギ。ダイサギは、予想通り、近づいていったら、すぐに逃げられました(苦笑)。今日は、目を皿のようにして歩いてきたのですが、カモの姿はありませんでした。

Img_3152c  九華公園には8時半前に到着。相撲場近くの樹上にメスのモズ。モズのそばには、カワラヒワが2羽。秋になるImg_3158c と、カワラヒワたちは小さい群れを作ります。

Img_3168c  九華公園に着いたときには、アオサギも、ホシゴイも見当たりませんでした。しかし、鎮国守国神社の社務所の南の松の木にゴイサギの姿がありました。ただ、パッと見て分かるところではなく、注意深く見ないと気づかないようなところにいたのです。

Img_3184c_20191003162001  公園内を半周してもう一度、アオサギなどを探しに来たら、来ていました(微笑)。アオサImg_3193c ギ。いつものように、社務所の裏の定位置。さらにその下、葉っぱの陰になっていて見えにくかったのですが、ホシゴイが1羽。しばらく見ていたら、右の写真のようなところを見せてくれました。たぶん、これ、大欠伸。

Img_3199c  外周遊歩道へ回ろうと思って歩き始め、九華橋からたまたま北の空を見上げたら、猛禽の姿。柿安コミュニティパークの堀か、揖斐川かの上空あたりを旋回していました。65倍ズームで撮って、さらにトリミングしました。ミサゴか? という気がしています。

Img_3205c_20191003162001  公園内の野球場のライト側フェンスにハクセキレイ。今日は、このほかには、シジュウカラの鳴き声を聞き、ヒヨドリ、スズメ、ドバト、カラスなどを見たくらい。コサメビタキも、知人は時々見かけるというのですが、私はまだ遭っていません。残念。

Dscn1645c  ところで午後からは、こちらへ。コストコの岐阜羽島倉庫店です。コストコデビューを飾ったという次第(苦笑)。名神高速道路の岐阜羽島インターの近くにあります。我が家からは、伊勢大橋、中堤を走り、約40分。家内は何度か行っているのですが、私は初めて。私自身はとくに買いたいものがあったわけではなく、「大人の社会見学」。本当のその名の通り、倉庫の中をクルクルと回ってきたという感じ。コストコを出て来たところで歩数を見たら、午前中の散歩と合わせて、16,000歩くらいでした。歩数から推定すると、合計10㎞くらい歩いたのでしょう。これは個人的な好き嫌いの問題なのですが、私自身は、どうも大容量のパッケージで売っているというのが、苦手。「あんなに一遍に買ってどうする?」と思ってしまうのです(家内によれば、ご近所や知り合い同士で分けるのだそうですが……)それもあって、疲れました(苦笑)。

 行き帰りの中堤では、揖斐川、長良川を眺め、鳥がいるかいないかを見ていました。サギの仲間の他、シギや、カモがいるところがあるように見えました。あとで地図を確認して、またできればバードウォッチングに出かけたいと思っています。

2019年10月 2日 (水)

後期の江戸橋での仕事開始

Dscn1626c  10月2日、江戸橋での後期の仕事が始まりました。お陰様で、曇天ではあったものの、雨には降られずに済みました。助手の先生からも、「後期も大丈夫だといいですね」といわれました(微笑)。後期の科目は、昨年度前期、ピンチヒッターで依頼されたものです。平成28(2016)年度から、前期の毎週水曜3~4限(2コマ目)に1科目教えに行っていたのですが、このピンチヒッター科目は同じ水曜の1~2限(1コマ目)でした。同じ日の午前中に2科目というのはちょっと大変でしたから、こちらを後期に回していただいたということです。年末年始の冬休みを挟んで来年1月22日まで、今日を含め15回。

Dscn1622c  今日は、初回ですからオリエンテーション。授業の進め方、内容、授業計画、学習目標、試験、参考図書などについて説明した後、心理学の視点について簡単に触れ、最後は、自己理解演習として、「シャイネス尺度」というものを学生たちに実施してきました。回答した結果は自分で処理して、シャイネスという心理特性がどの程度あるかについて理解してもらうという内容。受講学生は、50名あまり。私が担当する科目はおおむねこのくらいの受講者数です。小さめの教室でしたので、満員御礼に近い状態。今日はけっこう蒸し暑かったので、学生たちも、私も大変でした。

 ところで、授業前に、非常勤先の専任の心理学の先生が講師控え室まで訪ねてこられ、来年度も今年度と同じ科目の授業のご依頼をいただきましたので、ありがDscn1624c たく承ってきました。この先生、私がその昔、非常勤で授業をしたことのある大学のご出身でしたし、さらには、指導教授は私の高校の先輩である先生で、多少ともゆかりのある方でした。ということで、来年度もお役に立ちたいと気持ちを新たにして帰ってきた次第です。

 帰宅後、午後からは、受講者の名簿の整理、今日実施してきたシャイネス尺度の受講者の結果の整理、Q&Aの確認と回答書きに勤しんでおりました。生活パターンを取り戻さないといけません(微笑)。

2019年10月 1日 (火)

川口水門(七里の渡し跡)にダイサギとコガモらしき姿……春日神社の御大典祈念「村正」特別公開についても

Img_3112c  散歩から帰ってきた10時半過ぎの北の空。夏の空と同じです。今日も朝から何となく蒸し暑い。11時前に29.1℃。もう10月なのに。散歩は、8時10分から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町商店街と5.1㎞。どこも静かです。蒸し暑い日が続いているためか、小型の野鳥は来ません。モズもいったんは姿を見たものの、その後は現れません。公園も散歩の人は少なめ。

Img_3070c  住吉神社前から川口水門(七里の渡し跡の水門)を見たら、ダイサギが1羽見えました。今時分から冬にかけては、たまにこうImg_3073c_20191001120501 いうところにアオサギや、ダイサギがいます。アオサギがいることの方が多い気がします。右の写真、船津屋さんの裏手あたりから撮ったもの。撮っているときにはまったく気づかなかったのですが、ダイサギのいる向こう側にカモらしき鳥影が2羽。あの「お休み体勢」で写っていました。昨日、木曽川でコガモを見てきましたし、ブロ友のひらいさんは楠町あたりでやはりコガモがいるのを9/29に確認しておられます(2019.09.29 午後の部!)。不覚をとった気もしますが、パソコンで見て気づいてよかった(微笑)。コガモのような気がしますが、定かではありません。九華公園では、去年は10月4日にキンクロハジロが来ています(2018年10月4日:九華公園にキンクロハジロ飛来……桑名水郷花火大会は11/24に開催)。

Img_8350c  このダイサギ、七里の渡し跡、蟠龍櫓を回って、対岸の方(カモがいる方)から撮ろうと思ったら、逃げられました。逃げ足が速いだけでなく、こちらの姿に気づくか否かというくらいで、逃げ出します。それを思うと、九華公園にいるアオサギや、ゴイサギ、ホシゴイは悠然としていて、立派というか、フレンドリーというか。

Img_3075c  その九華公園。着いた途端、北門近くでツクツクボウシの鳴き声が聞こえていました。季節が1ヶ月くらい戻Img_3080c ったみたいです(苦笑)。今日は、アオサギは不在。代わりにホシゴイが1羽、留守番中。ゴイサギ、ホシゴイは隠れ上手ですが、最近、鎮国守国神社の社務所の南側あたりの木にもよくいます。その証拠に、葉っぱに分の白い痕跡がよく見えるのです。ここはまたはが生い茂っていますので、かなり見つけにくいところ。何か方法を考えないといけません。

Img_8367c  このほか、これといって鳥はいません。朝日町からいらっしゃるバードウォッチング好きのご夫婦が「我が家でも、モズは時々見るけど、他の鳥はまだ来ません」とおっしゃっていました。小向神社近くにお住まいのようで、あのあたり、森になっているのですが、蒸し暑いからでしょうか。写真のハクセキレイは、朝日丸跡にて。

Img_3082c  ヒガンバナは、公園管理事務所の南や、鎮国守国神社の境内でほぼ満開。外周遊歩道の南は、今年は少なImg_3085c め。これら2枚は、管理事務所の南にて。ヒガンバナも、咲き始めて満開になった頃は、色鮮やかでとても綺麗です。

Img_3104c_20191001120501  ところで、今月22日には即位の礼正殿の儀が行われますが、春日神社(桑名宗社)では、御大典祈念事業として、あの村正と正重の特別展示が行われます。今日、このポスターを見つけました。10月20~22日、境内にある春日神社会館にて。桑名宗社では、神宝として「村正・正重」の太刀4振を所蔵していますが、戦争により刀の正常な管理が不可になることを見越して、先々代宮司により漆黒の漆が塗られ、錆防止のため空気に触れないようにされていました。終戦より74年を経てもなお、漆が塗られ、本来の刀剣の姿は見た人がいなかったのですが、このたびの御大典を祈念して、村正、正重それぞれ一振を研いで、公開するということです。興味ありますので、是非とも拝見してきたいと表います。こちらに宮司さんのブログがあり、展示の詳細も書かれています。

Img_3108c_20191001124901  明日・10月2日から、後期の江戸橋での授業が始まります。年末年始の冬休みを挟んで来年1月22日まで。前期の授業をとった学生諸君もかなりまた受講してくれるのではないかと思います。週1回出かけて、講義をさせてもらえ、また、若い学生の皆さんと接し、交流する機会があるということは、いろいろな意味でありがたいことです。準備はほぼ終えていますが、最後の方の、新しく取り入れた内容について、最終的に調整し、確認している最中です。

20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ

190922kintetsuhikingminamigaoka8 本編の記事が遅れ気味ですが、9月22日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」、その4です。今回でゴールできるかと思って書き始めています。スタートから12.8㎞、自国は12時55分。三渡川(みわたりがわ)を渡ります。ここまでほとんど休憩をしていません。三渡橋(みわたりばし)をわたって、常夜燈。橋を渡ったところは初瀬街道との分岐で道標があるはずなのですが、見つかりません。そのまま市場庄のまち並みへ。ここは、連子格子の昔ながらの家がたくさん残っています。忘井という、斎王ゆかりの旧蹟を見て、近鉄山田線の高架をくぐって、舟木家の長屋門をみて、いよいよゴールへ。

Img_1078c_20190930073701  三渡川を渡りますが、中世に渡しが3ヶ所あったので、この名前がついたそうです。三渡橋を渡ったところが、初瀬街道(はせImg_1094c かいどう)との分岐になります。京・大和方面と伊勢を結ぶ初瀬街道は、ここ・松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからその名が付いています。古くは「青山越」「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれ、古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもありました。実際にこのように歩くことで、今まで学んだり、見てきたりした歴史が実際につながっていく気がします。右の写真がその初瀬街道ですが、ここに道標があるはずなのに(伊勢街道のマップ)、いくら探しても見つけられませんでした(苦笑)。いったん少し先まで行ったものの、気になって戻ったのですが分からず。10月5日の「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」でもう一度ここを通るはずですから、リベンジを図ります。

Img_1087c_20190930073701  三渡橋を渡ってすぐ、左手(東側)に常夜燈があります。正面に「両宮/常夜燈」、右に「秋九月造建」、左に「文政元年戊Img_1098c 寅」とあります。文政元(1818)年のもの。伊勢街道には、本当にたくさんの道標や、常夜燈があります。江戸時代は、おかげ参りなど、伊勢神宮にお参りする人が本当に多かったことを伺わせます。常夜燈を過ぎるとすぐにスタートから13㎞。このあたりからは市場庄のまち並みに入ります。月本追分で奈良街道と、三渡川の南で初瀬街道と合流し、ここからは伊勢参りの人たちで賑わっていたところ。とくにここ市場庄地区の伊勢街道沿いには、妻入り(つまいり)と連子格子(れんじこうし)の町並が残っていて、当時の風情が漂っているのです。

Img_1108c_20190930080701  こちらは、市場庄の町に入ったあたり。今にも降りそうな曇天でしたので、暗い写真になってしまっていて、ちょっと残念。この北の六軒や、松阪では、「平入り」の民家が多いのに対して、市場庄では、おはらい町(伊勢神宮内宮前)と同じく、妻入り民家が多く、今も20軒近くが残っています。

Img_1115c  その先にあった蔵らしい建物。外壁がトタン板張りになっていますが、かなり古そうです。Img_1117c_20190930080801さびた途端にも味がある感じ。入り口には、「米銀(よねぎん)跡」と書かれています。こちらのマップによれば、「味噌・醤油の米本銀蔵倉庫」の跡でした。蔵の前にコンクリート製の水桶が3つ。リンク先のマップ、大変興味深いもの。10月5日にはこれをプリントしてもって行かなくっちゃ。

Img_1123c

 このお宅は、妻入り、連子格子の典型的な建物。神楽寺の西の三叉路に面しています。上のマップによれば、「道十(どうじゅう」という茶道具商だったところと思います。マップにあった説明に、「『六軒茶屋まで送りましょう……』とはお伊勢参りの旅人と、うたかたに親しんだ遊女がその別れを惜しみ伊勢音頭の一節として歌ったもの」とあります。さもありなんと思わせる、情緒あふれるまち並みです。

Img_1129c  さて、この道十の向かいにある蔵のところに道標があります。この道標は、米の庄神社への分岐点であり、「忘井之道」と刻Img_1131c_20190930080801 まれています。宝暦元(1751)年に建てられたもの。「忘井」はこの道標から100mほど東にあります。斎王に関わる旧蹟。これも必見。

Img_1137c_20190930080801  こちらがその忘井のあるところ。ちょっとした林になっています。林に向かって左手に「忘Img_1139c_20190930080801 井」。「忘井」とは、「忘れて捨てられた井戸」という意味なのですが、ここは、斎王群行(さいおうぐんこう;古代、天皇の即位ごとに伊勢神宮の斎宮へ斎王となる皇女が派遣され、その行列を斎王群行といいました)に同行した官女甲斐(かい)の詠んだ歌で有名です。「わかれ行く都の方の恋しきにいざむすび見んわすれゐの水」(千載和歌集に載っているそうです)。 官女甲斐は、伝説上の斎王を除き、大来皇女(おおくのこうじょ)から数えて49代目の斎王、あい子内親王(在任期間1108~1123;「あい」の文字は変換不能でした。下に斎宮歴史博物館の斎王一覧のサイトにリンクを張ってありますので、そちらでご覧ください)にしたがってこの忘井を通った際、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたといいます。斎王一覧はこちらの斎宮歴史博物館のサイトにあります。ちなみに、井戸そのものは現在は埋まってしまっています。

Img_1145c_20190930080801  忘井のそばには、この石碑が建っていました。上記の官女甲斐の和歌が刻まれているように思うのですが、はっきりとは読めImg_1150c ません(こちらの記述からすると、たぶん間違いないように思います)。また、山の神もありました。6月の近鉄ハイキングで斎宮に行き、斎宮歴史博物館などで斎王について学びましたので(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))、この「忘井」には何となく親しみを覚えました。ただ、天気もよくないためか、ハイキング参加者で立ち寄る人はきわめて少数で、ちょっと残念。

Img_1166c_20190930193801  何となく先を急いでしまい、 護法山神楽寺(ごほうざん しんらくじ)には立ち寄って来ませんでした。曹洞Img_1169c_20190930193801 宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来。境内には、村の入り口にあったという庚申塔と、青面金剛像があるそうです。その神楽寺の境内の一部と思われるところに市場公会所があります。大正7(1918)年に建てられ、昭和30(1955)年まで米ノ庄村役場として利用されていました。外壁が下見板張り寄棟造桟瓦葺平屋建で、正面中央に切妻造起り屋根(むくりやね)の玄関が組み合わされています。建物の門前には、石製の門柱が立てられており、いかにも役場という雰囲気を感じさせます。現在は、公会所として利用されています。

Img_1170c_20190930193801  市場庄公会所の前には、「皇太子殿下御誕生紀念」と刻まれた石柱があります。現在の上皇陛下がお生まれになったときにたぶん、記念植樹をしたのでしょう。石柱の周囲にある木がそれではないかと思います。

Img_1186c_20190930202401  市場庄公会所の先でスタートから14㎞。もちろんこの時点では14㎞も歩いてきたことは分かっていません。Img_1199c ただただ「かなり歩いたな」と思っているだけ。公会所の先で近鉄山田線の高架を潜ります。いよいよゴールの近鉄山田線・松ヶ崎駅も近くなった感じ。高架の先にお地蔵様。詳しいことは分かりません。

Img_1195c_20190930202401  地蔵様と近くに市場庄のまち並みを紹介する大きな案内板。「格子後の町並み案内~伊勢街道 久米-市場庄-六軒~」とあります。このマップにあるものとほぼ同じ内容を案内板にしたものでした。

190922kintetsuhikingminamigaoka9  実測ルートマップもこれで最後、その9です。近鉄山田線を潜るところで14.5㎞。結果から見ると、残り1㎞あまり。その先、14.8㎞あたりで伊勢街道は左折し、すぐ右折します。そこに行者堂など。コースマップでは、このあとゴールの松ヶ崎駅までに舟木屋の長屋門を見るだけです。

Img_1212c_20190930202401  14.8㎞のところに庚申堂、行者堂、山の神、道標と常夜燈が並んでいImg_1215c_20190930205101 ます。向かってもっとも左には庚申堂。お堂の内部には、赤い文字で「庚申」と刻まれた自然石が納められていました。

Img_1219c_20190930205101  その向かって右が行者堂。石造の役行者Img_1223c が祀られています。脇にある木札には、「○○同時蔵王○」とありましたが、詳細は不明。

Img_1224c  その右手に山の神が2基。山の神のさらに右手には、「いおちかんのん道標」が建っています。伊勢街道のマップには、「瑞Img_1226c 龍寺の南辻。松阪市岩内への近道を示す」とあります。松阪市岩内町には、瑞巌寺という寺があり、そこのご本尊は石仏十一面観音菩薩ですから、「いおちかんのん」はこれをさしているのでしょう。瑞巌寺までは、ここから西へ直線距離で6㎞弱。瑞龍寺は不明。

Img_1228c_20190930205101  常夜燈。嘉永5(1853)年に江戸日本橋の人が建立したといいます。伊勢街道のマップには、もう一つ道標があると書かれていましたが、見当たりませんでした。その道標は花崗岩製で、「左さんくう道」と赤字で彫られているとあります。

Img_1233c  15㎞のわずか手前に中道公会堂。これもけっこう古そうな建物でしたが、ネットでは検索Img_1237c してもとくに情報は出て来ません。この公会所の敷地内に「太田雅城翁頌徳碑」があります。裏の台座には、「久米區建設 昭和十四年一月十五日」とあります。久米はこのあたりの地名。碑陰はかなり不鮮明になっていて読めません。ネットでもこれという情報はありませんでした。

Img_1246c_20190930211101  中道公会堂の先でスタートから15㎞。この先に舟木屋の長屋門があります。舟木家は、南Img_1249c_20190930211101 北朝から室町・江戸時代から続いた名家だそうです。江戸時代には、当時の久米村の惣庄屋を務め、後には紀州藩主からお目見えを許されたと伝えられます。長屋門は、舟木家の格式を示しています。特徴は、門の正面中央より下の部屋に施された海鼠壁。この長屋門は、寛政6(1794)年に建築され、天保5(1834)年に改修されました。

Img_1263c  舟木屋の長屋門の先には、慈眼山寿栄院柳福寺(じげんざん じゅえいいん りゅうふくじ)。 浄土宗のお寺で、御本尊は、 Img_1270c 阿弥陀如来。ただし、この写真を撮っただけで、お参りはしていません。先を急いでしまったのです。この先でまた伊勢街道は、枡形を描くように、左折、右折を繰り返します。そこに庚申堂。ここにも、赤い色で描かれた「文字庚申」が収まっていました。この庚申堂の南には、白川稲荷がありましたが、ここもパス。

Img_1277c  庚申堂の先で大きく左折。松ヶ崎駅までは、200m足らず。心理学の知見では、ゴール間近になると「終末Img_1279c_20190930211101 努力」をするということが知られています。あそこがゴールだと思うと、足の運びも早めになります。この高架橋を潜った先の左手に松ヶ崎駅があります。ゴールしたのは、13時45分。しかし、その直前、伊勢中川行きの普通電車が、駅横の踏切にやって来てしまい、これには乗れず仕舞い(右の写真)。

Img_1305c_20190930211101  タッチの差で13時44分発の電車には乗れなかったものの、13時45分に無事にゴール。雨に降られる前にと思って、スタートからは15.6Img_1288c_20190930213701 ㎞をほとんど休みなしで歩いてきました(コンビニに寄ったのと、途中の立ち寄り先でペットボトルのお茶を飲んだくらい)。4時間5分を要しました。ゴール直前からまた雨が降り始め、慌てたため駅舎の写真を撮り忘れて改札内に入ってしまいました(苦笑)。しかし、ゴール記念のマグネットはしっかりゲット。これで8個目をコンプリート。デザインは、島貫の常夜燈。

Img_1298c_20190930211101  松ヶ崎駅には普通電車しか止まりません。次の伊勢中川行き普通電車は、14時14分で、30分待ちという有様。ホームのベンImg_1295c_20190930211101 チが空いていたので、そこで昼食。今日は、ファミマの助六寿司(税込¥398)。天気が悪くて、食べるところがあまりないかと思って、助六にしました。

Img_1310c  お昼を食べ、14時14分発の伊勢中川行きの普通電車に乗車。伊勢中川には14時20分に着いて、名古屋行き急行(14時23分発)に乗り換え。どちらも座れて楽チン。桑名には15時22分着。¥940。伊勢中川の向こうからとなると、料金が跳ね上がる気がします(苦笑)。今日は、土産はありません。買い物をするところに立ち寄るコースになっていませんでしたし、雨に降られまいとひたすら歩いてということ(笑)。

Img_1328c_20190930214201  ALKOOのデータは、29,143歩でした。ハイキング翌朝にチェックした生活リズムのデータは右の写真の通り。歩数は、ほぼImg_1334c_20190930214201    同じく29,264歩でした。「朝型のチータタイプ」に認定。「チータタイプ」が何をさすのか、今イチ不明ですが……。

Img_0600c_20190930214201  あみま倶楽部のスタンプは、この日で26個目。何とか40個に達したいと思うのですが、これまでの実績からすると、微妙かも。

 ちなみに、この日歩いた距離と歩数は、過去最高レベルでした。今年1月27日にJRさわやかウォーキングで伊勢神宮にお参りに行ったとき(20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))、15.5㎞、27,351歩を記録。さらに、3月2日の近鉄ハイキング(20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)では15.6㎞、30,417歩でした。距離、歩数とも測定誤差がありますから、細かい数字にこだわる意味はありません。これらと匹敵する長丁場を歩いたということ。しかし、まぁ、たくさん歩けばよいということでもありませんから、ホドホドにしておかないと(苦笑)。

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  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

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  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)