20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その3)……月本追分から先、道標、常夜燈がたくさん、伊勢街道には珍しい一里塚跡も見て国道23号線バイパスの先へ
9月22日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」のその3です。その2では、松阪市に入り、松浦武四郎ゆかりの地や記念館を見て、金剛寺東にある胎蔵界大日如来という珍しい仏様を拝観しました。
実測ルートマップは、その5から6になります。まだこの先、けっこう長丁場(微笑)。よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。金剛寺、胎蔵界大日如来を見て伊勢街道を歩き続けますが、ちょっとセブンイレブンに寄り道。すぐに伊勢街道に戻って、1㎞ほど行くと、月本追分。奈良街道との追分。この先にも常夜燈や道標があります。伊勢街道は、参宮客で賑わっただけに、常夜燈や道標が多い気がします。
11㎞手前、12時25分に月本追分(つきもとおいわけ)。奈良街道との追分です。ここには旅人や籠かきなどの休憩
所であった立場が置かれていました。県指定史跡文化財で、常夜燈と道標があります。奈良街道は、ここ月本から久居を経て、津市美里町五百野まで。「伊賀ならみち」ともいいました。左の写真は、北から撮ったもので、向かって右が奈良街道。右の写真は、南から撮ったもの。月本という地名は、古くから月読社(つきよみしゃ;月読命(ツクヨミ、ツキヨミ;月の神。夜の食国(おすくに)の支配を命じられた)を祭神とする神社)が勧進されており、月読社の本の集落という意味から生まれたといわれています。
「両宮常夜燈」と刻まれた常夜燈。この追分の東北の角に立っています。花崗岩製の宮立型。この常夜燈は、江戸の三人が天保年間(1830~43年)に発起し、角屋精兵衛、綿屋萬助、村田屋新兵衛によって建立されています(角屋、村田屋、錦屋などは、ここにあった立場茶屋や煮売屋のようです)。再発起は、当国有信中により、明治3(1872)年11月に建立されています。
追分の西南側には道標と変形宮立型燈籠(道標も兼ねています)があります。向かって左の道標は、高さ
3.1mで伊勢街道では最大のものです。江戸時代後期に建てられたもので、東面に「月本おひわけ」、西面に「右さんぐうみち」、北面に「右いかご江なら道」、南面に「左やまと七在所順道」と刻まれています。実に立派な道標です。
変形宮立型燈籠は、明治16(1883)年に再建されたもの。正面に「永代常夜燈」と、向かって右側、左側ともに「右大和七在所道/ならはせ/いがこゑ本道 かうや道」と刻まれています。「ならはせ」は初瀬街道、「いがこゑ本道」は伊賀本街道、「かうや道」は和歌山海道かと思います。「大和七在所道」は、今ひとつよく分かりませんが、「『七在所巡道しるべ』(宝暦11年:国会図蔵)序文に、『伊勢参宮して大和の神社を巡高野へ行、住吉天王寺岩清水へ詣、宇治伏見を見て京へ上り、三井寺石山を巡終として帰る。是を七在所巡といふ予住所の辺にて昔よりかくいへども何所をかぞゆるやらん不知昔より巡たるあとを巡也』とある。」という記述を見つけました(こちらのレファレンス共同データベース)。
ここ月本追分も、来てみたかったところでした。追分とか、昔の街道とかに興味があるようです(あまり自分では意識していませんでしたが……微笑)。
月本追分を出て、さらに南へ。11.2㎞ほどで信号交差点を渡るころから、風が強くなり、小雨も降ってきて折りたたみ傘を取り出しました。しかし、強風で煽られ、参りました。11.3㎞地点の御門橋まで来ました。ここに道標があるのですが、月本追分の大きな道標に比べると、かなり小ぶりで、雨風もあって、危うく見逃すところでした。「右からす道」と彫られています。左面には「一志驛跡」とありますが、これは後に加えられたものだそうです。「一志驛」は、古代律令制の「駅制」で設けられた駅(30里(約16㎞)ごとに一駅が置かれ、官吏や使者に馬・食糧を提供)と思います。実は、この少し東には、「常夜燈(天保3(1832)年建立)」と、「勅使塚(「吾妻鏡」の中に源氏追討祈願のため伊勢神宮に向かった勅使大中臣定隆が、一志驛で急逝したことが記されており、それを元に大正8(1919)年に碑が建てられたもの)」があるのですが、見忘れました。雨風で急いだのと、道標を見つけて満足してしまったのです(苦笑)。「勅使塚」の説明にあるように、一志驛は律令制の駅で間違いなさそう。
このあたりから、実測ルートマップはその7へ。道標、常夜燈などをいくつか見た後、国道23号線のバイパスを潜って小津町へ。その先で、伊勢街道では初めての「一里塚跡」があります。JR紀勢線・六軒駅の東を歩いて行き、三渡川(みわたりがわ)を渡って行きます。三渡川は、中世に渡しが3ヶ所あったので、この名前がついたそうです。
雨はすぐに収まりました。11.5㎞のところに三叉路。伊勢街道は、左手に向かうのですが、そこに道標、常夜燈、他1基がありました。これは、伊勢街道のマップにもなく、ノーマークでした。向かって右は常夜燈と思います。「太一」と刻まれています。伊勢神宮では、天照大神を「太一」とする解釈がなされることがあり、実際、遷宮の際行われる御木曳の奉曳車には「太一」と記されています。これはおそらく神宮のことを意味しています。中央の道標には、正面に「左さんぐう道」、右に「津みち」とあります。向かって左にあるものは、形を見ると、橋の親柱かという気がします。穴のあいている部分には高欄が通っていたように思います。「山神松」という文字が見えますが、さらに下に文字が隠れている気がします。
その先、中道公会所の前には、石柱が1基と、道標が2基立っています。伊勢街道のマップには、常夜燈もあると書かれてい
るのですが、それはありません(リンク先のマップは、平成23(2011)年2月現在のもの)。石柱の表には「天白村中道青年團」、裏には「昭和十二年十月建之」とありました。「天白村」は、このあたりにかつてあった村。中道もここの付近の地名ですから、地元青年団が建てたもの。
中央にある道標。「右さんぐう道」とあります。確かに、伊勢参りには、北から来てこの中道公会所の前で右に向かいます。この道標、中央に穴があいているという珍しいタイプ。もう一本、向かって右にある道標には、「右からす道」と刻まれていますが、ちょっと不鮮明になっています。「天白村中道青年團」の石柱の東に金毘羅大権現と、山の神が2基あったのですが、見忘れました(けっこうこういうミスをやらかしています。予習をしたのに)。
中道公会所からすぐの民家のブロック塀の角に道標がありました。「左からす道」とあります。「からす」は何度も出て来ますが、「香良洲」。平成18(2006)年旧・津市など10市町村で合併するまでは、一志郡香良洲町でした。雲出川古川、雲出川、伊勢湾に挟まれた小さな町。郊外通勤農村といわれます。伊勢神宮の御薗で、塩を奉納していたといいます。香良洲神社の参詣者で賑わいましたので、あちこちに道標があると思われます。香良洲神社の御祭神は、天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命とも)。このため「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」とされました。
12㎞を過ぎて、国道23号線のバイパスを潜ります。このあたりで中勢バイパスから南勢バイパスへと変わります。中勢バイパスは、鈴鹿市 北玉垣町交差点からここ松阪市小津町交差点まで(鈴鹿市内の一部が未開通)。中勢バイパスは、家内の実家に行くときに利用しています。
余談はさておき、左の写真が「小津一里塚跡」。国道23号線の高架を潜って200mも行かないところに「小
津一里塚跡」の碑があります。これまで見てきた一里塚跡の碑はかなり大きくて、目立つものばかりでしたので、危うく見逃すところでした。引いて撮ると右のような景色。よく見つけたと自画自賛(爆)。「一里塚龍宮橋より南凡そ95メートル」と刻まれています。昭和54(1979)年に再建されたもの。
六軒駅の東、スタートからは12.4㎞のところに道標と常夜燈。常夜燈は、明治45(1912)
年建立。入母屋型竿長。明治の終わり頃、参宮鉄道が開通しても、白装束の参宮客は六軒駅で降り、ここを曲がって伊勢まで歩いて行ったといいます。道標はかなり読みにくくなっていますが、「右松阪及山田○○」「左津及香良洲○○」とあります。下部が埋まってしまっていて、文字は一部不明。大正3(1914)年の建立。
今回は短いのですが、キリが良いのでここまで。次は、三渡川を渡り、市場庄のまち並みへ。
*お断り:実測ルートマップその6が、原因不明のエラーで掲載できていません。
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