お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年4月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年4月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

最近のコメント

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2019年9月

2019年9月30日 (月)

河口堰で「好評 ダイビング祭」、木曽川には早くもカモの姿……久しぶりに祝 当選

Img_2817c   長良川河口堰で「好評 ダイビング祭」を開催しているという、ブロ友のひらいさんの情報もあり(2019.09.28~29 お散歩週報、おまけはヒマワリ)、確認に行ってきました。先日はまだでしたが(2019年9月25日:徒歩にて長良川河口堰へ)、私もImg_2857c そろそろであろうと期待していたところでした。9月25日は歩いて行きましたが、今日は、その後、木曽川などにも回ろうと思っていましたので、クルマで(微笑)。クルマで行けば10分足らず。8時半から10時頃まで河口堰滞在。

Img_2859c  今日の河口堰、ダイサギ、コサギを中心に数え切れないくらいのサギがいました。しかも活発に動き回っていImg_2935c ます。久しぶりにこんなに賑やかな河口堰を見た気がします。

Img_8054c  ダイサギが群れになって飛び回っていたりします。さらに、アオサギさん、管理橋の東で端のImg_8192c_20190930164001 手すりに止まっていて、名駅前の高層ビル群とのコラボ写真を撮らせてくれるなど、今日は、大サービス(微笑)。

Img_8209c_20190930164201  さて、気を持たせましたが、「ダイビング祭」。長良川河口Img_8211c_20190930164201 堰の左岸(東側)の魚道下流で開催。到着したときはまだでしたが、西側へ行き、親水広場を回って戻って来たら、ようやく始まり。しかし、最初のうちは、飛び込むかと見せるだけだったり(左の写真)、飛び込んだかと思ってもフェイントだったりで、振り回されました(苦笑)。

Img_8231c_20190930164201  10分ほど待って、ようやくダイビング開始。しかし、100mほど先でダイビングするサギが多く、なかなかこれはという写真Img_8250c_20190930164501 は撮れません。撮った写真をカメラの液晶で見ていたり、ちょっと気を抜いたりすると、その好きにダイビングするなど、油断できません(苦笑)。

Img_8240c これなど、130mくらい先でダイビングしましたので、せっかく魚をゲットしたシーンが綺Img_8265c 麗に撮れませんでした。右も同様。もうちょっと近くでやってくれないかと思うのですが、気持ちはサギにはなかなか通じません。

Img_8273c  サギの様子を見ていたすぐ下の魚道には、コサギがいたのですが、突然飛び出してきました。慌ててシャッターを切ったら、左の写真。これもピントは甘いのですが、迫力は他の写真よりは多少マシかと(笑)。

Img_8276c_20190930165101  このコサギさん、魚道の堤防の上に降りて来て、ゆっくりと飲み込んでいました。サギが獲物を取り合う所は見たこと上がりImg_8283c ませんが、ゆっくりと味わいたかったのか? いや、たぶんサギが待機しているオレンジのフロートを結んだワイヤーの上は(7枚目の写真をご覧ください)、不安定だからなのでしょう。それにしても、けっこう大きな魚。水量が多く、流れがけっこう強くて、魚がよくジャンプしていると(あるいは、今の時期、そういう条件が揃うのかとも思いますが)、ダイビング祭が開催される気がします。また、見に行かねばなりません。

Img_8132c  その他の写真。左の写真は、イソシギ。親水広場東にいました。また、親水広場では、モズのメス。ここには大きな木が数本Img_2915c あるのですが、それらの高いところを回って鳴いていました。たぶん「縄張り宣言」をしていたのでしょう。今朝は、我が家の周りでも、モズの鳴き声が聞こえていました。例年、諸戸氏庭園などにモズが来ます。

 

Img_2907c

 こちらの写真は、親水広場のアユ孵化試験を行う水路のところにいたアオサギ。ここで見るのは、初めてでした。また、右のImg_2845c 写真、「白鷺の親子」ではありません。向かって右の大きい方はダイサギ、左の小さい方がコサギなのです。ちなみに、「白鷺」というのは通称であって、そういう名前のサギはいません。

Img_2954c_20190930170401  10時過ぎまで河口堰にいて、木曽川へ移動。国道23号線の木曽川大橋のすぐ上流。いつもImg_2956c 行く水制が3つ並んでいるところへ。去年は、9月26日にここでマガモや、ハシビロガモを見ています(2018年9月26日 :木曽川でマガモとハシビロガモ、河口堰ではミサゴと、魚道観察室からコサギを撮影)。

Img_8305c_20190930170401  先にこちらへとも思ったのですが、やはりダイビング祭が気になったので、後になりましImg_8312c_20190930170401 た。カワウやコサギが目に入ります。木曽川大橋から上流へ2つめの水制のところには、カモのような姿も。見に行く途中、まったく気づかなかったのですが、シギの仲間が飛び立ちました。別の写真で見ると、お腹が白かったので、ダイシャクシギかと思いますが、シギの区別は難しいので、自信はありません。

Img_2967c_20190930170401  カモたち。久しぶりです。ゴールデンウィークの頃以来。しかし、そうでした、カモたち、渡ってきたときImg_2993c には、オスがまだ図鑑に載っているような色模様になってはいないのです。みんな濃い茶色っぽい色(苦笑)。遠目にはあまりさえない景色。コガモでしょうかねぇ? と聞かれても困るとおっしゃるでしょうが……。

Img_3016c_20190930171801  このあとついでに桑名市南部の城南地区あたりも回って来ました。木曽川で干潮かと思ったからですが、四Img_3026c 日市港での干潮は12時54分でまだ十分引き切ってはいませんでした。左の写真は、湾岸高速桑名インターチェンジの近く。旧・桑名市の南端。東を見ると、ナガシマスパーランドが見えます。左手には、天然温泉・元気村。右の写真は、川越町の中部電力川越火力発電所方面。冬にバスに乗ってバードウォッチングに来るあたりです(町屋川の河口)。

Img_3051c  その町屋川も見てきたのですが、カワウ多数、アオサギ、白いサギたちに混じってこちら。オオセグロカモメと思います。去年も9月下旬から、いつもの散歩の他、河口堰その他へよく出かけていました。今年もと思っています。

Img_2811c  ところで、久しぶりに「祝 ご当選!」の報告。この夏前、14年ぶりにエアコンを更新しました。壊れたわけではありませんが、猛暑という予報でしたので、新しくして涼しく過ごそうということでした。三菱の霧ヶ峰ですが、登録しておいたら、アンケートのメールが来て、回答したところ、1,000円分のQUOカードをいただきました(微笑)。

2019年9月29日 (日)

20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その3)……月本追分から先、道標、常夜燈がたくさん、伊勢街道には珍しい一里塚跡も見て国道23号線バイパスの先へ

 9月22日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」のその3です。その2では、松阪市に入り、松浦武四郎ゆかりの地や記念館を見て、金剛寺東にある胎蔵界大日如来という珍しい仏様を拝観しました。

190922kintetsuhikingminamigaoka5  実測ルートマップは、その5から6になります。まだこの先、けっこう長丁場(微笑)。よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。金剛寺、胎蔵界大日如来を見て伊勢街道を歩き続けますが、ちょっとセブンイレブンに寄り道。すぐに伊勢街道に戻って、1㎞ほど行くと、月本追分。奈良街道との追分。この先にも常夜燈や道標があります。伊勢街道は、参宮客で賑わっただけに、常夜燈や道標が多い気がします。

Img_0993c  11㎞手前、12時25分に月本追分(つきもとおいわけ)。奈良街道との追分です。ここには旅人や籠かきなどの休憩Img_1015c 所であった立場が置かれていました。県指定史跡文化財で、常夜燈と道標があります。奈良街道は、ここ月本から久居を経て、津市美里町五百野まで。「伊賀ならみち」ともいいました。左の写真は、北から撮ったもので、向かって右が奈良街道。右の写真は、南から撮ったもの。月本という地名は、古くから月読社(つきよみしゃ;月読命(ツクヨミ、ツキヨミ;月の神。夜の食国(おすくに)の支配を命じられた)を祭神とする神社)が勧進されており、月読社の本の集落という意味から生まれたといわれています。

Img_1014c  「両宮常夜燈」と刻まれた常夜燈。この追分の東北の角に立っています。花崗岩製の宮立型。この常夜燈は、江戸の三人が天保年間(1830~43年)に発起し、角屋精兵衛、綿屋萬助、村田屋新兵衛によって建立されています(角屋、村田屋、錦屋などは、ここにあった立場茶屋や煮売屋のようです)。再発起は、当国有信中により、明治3(1872)年11月に建立されています。

Img_0994c  追分の西南側には道標と変形宮立型燈籠(道標も兼ねています)があります。向かって左の道標は、高さImg_1000c 3.1mで伊勢街道では最大のものです。江戸時代後期に建てられたもので、東面に「月本おひわけ」、西面に「右さんぐうみち」、北面に「右いかご江なら道」、南面に「左やまと七在所順道」と刻まれています。実に立派な道標です。

Img_0998c_20190928074301  変形宮立型燈籠は、明治16(1883)年に再建されたもの。正面に「永代常夜燈」と、向かって右側、左側ともに「右大和七在所道/ならはせ/いがこゑ本道 かうや道」と刻まれています。「ならはせ」は初瀬街道、「いがこゑ本道」は伊賀本街道、「かうや道」は和歌山海道かと思います。「大和七在所道」は、今ひとつよく分かりませんが、「『七在所巡道しるべ』(宝暦11年:国会図蔵)序文に、『伊勢参宮して大和の神社を巡高野へ行、住吉天王寺岩清水へ詣、宇治伏見を見て京へ上り、三井寺石山を巡終として帰る。是を七在所巡といふ予住所の辺にて昔よりかくいへども何所をかぞゆるやらん不知昔より巡たるあとを巡也』とある。」という記述を見つけました(こちらのレファレンス共同データベース)。

Img_1003c  ここ月本追分も、来てみたかったところでした。追分とか、昔の街道とかに興味があるようです(あまり自分では意識していませんでしたが……微笑)。

Img_1021c  月本追分を出て、さらに南へ。11.2㎞ほどで信号交差点を渡るころから、風が強くなり、小雨も降ってきて折りたたみ傘を取り出しました。しかし、強風で煽られ、参りました。11.3㎞地点の御門橋まで来ました。ここに道標があるのですが、月本追分の大きな道標に比べると、かなり小ぶりで、雨風もあって、危うく見逃すところでした。「右からす道」と彫られています。左面には「一志驛跡」とありますが、これは後に加えられたものだそうです。「一志驛」は、古代律令制の「駅制」で設けられた駅(30里(約16㎞)ごとに一駅が置かれ、官吏や使者に馬・食糧を提供)と思います。実は、この少し東には、「常夜燈(天保3(1832)年建立)」と、「勅使塚(「吾妻鏡」の中に源氏追討祈願のため伊勢神宮に向かった勅使大中臣定隆が、一志驛で急逝したことが記されており、それを元に大正8(1919)年に碑が建てられたもの)」があるのですが、見忘れました。雨風で急いだのと、道標を見つけて満足してしまったのです(苦笑)。「勅使塚」の説明にあるように、一志驛は律令制の駅で間違いなさそう。

190922kintetsuhikingminamigaoka7  このあたりから、実測ルートマップはその7へ。道標、常夜燈などをいくつか見た後、国道23号線のバイパスを潜って小津町へ。その先で、伊勢街道では初めての「一里塚跡」があります。JR紀勢線・六軒駅の東を歩いて行き、三渡川(みわたりがわ)を渡って行きます。三渡川は、中世に渡しが3ヶ所あったので、この名前がついたそうです。

Img_1028c  雨はすぐに収まりました。11.5㎞のところに三叉路。伊勢街道は、左手に向かうのですが、そこに道標、常夜燈、他1基がありました。これは、伊勢街道のマップにもなく、ノーマークでした。向かって右は常夜燈と思います。「太一」と刻まれています。伊勢神宮では、天照大神を「太一」とする解釈がなされることがあり、実際、遷宮の際行われる御木曳の奉曳車には「太一」と記されています。これはおそらく神宮のことを意味しています。中央の道標には、正面に「左さんぐう道」、右に「津みち」とあります。向かって左にあるものは、形を見ると、橋の親柱かという気がします。穴のあいている部分には高欄が通っていたように思います。「山神松」という文字が見えますが、さらに下に文字が隠れている気がします。

Img_1041c_20190929174401  その先、中道公会所の前には、石柱が1基と、道標が2基立っています。伊勢街道のマップには、常夜燈もあると書かれていImg_1048c るのですが、それはありません(リンク先のマップは、平成23(2011)年2月現在のもの)。石柱の表には「天白村中道青年團」、裏には「昭和十二年十月建之」とありました。「天白村」は、このあたりにかつてあった村。中道もここの付近の地名ですから、地元青年団が建てたもの。

Img_1050c  中央にある道標。「右さんぐう道」とあります。確かに、伊勢参りには、北から来てこの中道公会所の前で右に向かいます。この道標、中央に穴があいているという珍しいタイプ。もう一本、向かって右にある道標には、「右からす道」と刻まれていますが、ちょっと不鮮明になっています。「天白村中道青年團」の石柱の東に金毘羅大権現と、山の神が2基あったのですが、見忘れました(けっこうこういうミスをやらかしています。予習をしたのに)。

Img_1053c_20190929183501  中道公会所からすぐの民家のブロック塀の角に道標がありました。「左からす道」とあります。「からす」は何度も出て来ますが、「香良洲」。平成18(2006)年旧・津市など10市町村で合併するまでは、一志郡香良洲町でした。雲出川古川、雲出川、伊勢湾に挟まれた小さな町。郊外通勤農村といわれます。伊勢神宮の御薗で、塩を奉納していたといいます。香良洲神社の参詣者で賑わいましたので、あちこちに道標があると思われます。香良洲神社の御祭神は、天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命とも)。このため「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」とされました。

Img_1057c_20190929184701  12㎞を過ぎて、国道23号線のバイパスを潜ります。このあたりで中勢バイパスから南勢バイパスへと変わります。中勢バイパスは、鈴鹿市 北玉垣町交差点からここ松阪市小津町交差点まで(鈴鹿市内の一部が未開通)。中勢バイパスは、家内の実家に行くときに利用しています。

Img_1059c  余談はさておき、左の写真が「小津一里塚跡」。国道23号線の高架を潜って200mも行かないところに「小Img_1061c 津一里塚跡」の碑があります。これまで見てきた一里塚跡の碑はかなり大きくて、目立つものばかりでしたので、危うく見逃すところでした。引いて撮ると右のような景色。よく見つけたと自画自賛(爆)。「一里塚龍宮橋より南凡そ95メートル」と刻まれています。昭和54(1979)年に再建されたもの。

Img_1066c  六軒駅の東、スタートからは12.4㎞のところに道標と常夜燈。常夜燈は、明治45(1912)Img_1069c 年建立。入母屋型竿長。明治の終わり頃、参宮鉄道が開通しても、白装束の参宮客は六軒駅で降り、ここを曲がって伊勢まで歩いて行ったといいます。道標はかなり読みにくくなっていますが、「右松阪及山田○○」「左津及香良洲○○」とあります。下部が埋まってしまっていて、文字は一部不明。大正3(1914)年の建立。

 今回は短いのですが、キリが良いのでここまで。次は、三渡川を渡り、市場庄のまち並みへ。

*お断り:実測ルートマップその6が、原因不明のエラーで掲載できていません。

ヒガンバナがほぼ満開

Img_2725c  9月ももう明日で終わり。10月2日からは、いよいよ非常勤の超パートタイマー仕事が再開されます。今日は、昨日よりはカラImg_8032c ッとしている感じで、過ごしやすく感じます。昨日のJRさわやかウォーキングではかなり歩いてきましたが、今日は今日でいつも通りに散歩であります。8時10分スタート、10時半帰宅。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町から、京町、田町と5.6㎞。柿の実もずいぶん色づいてきて、美味しそうに見えます(九華公園の外周遊歩道南にて)。

Img_7995c  揖斐川の堤防を歩いていますと、時折、ヒヨドリが群れになって飛んで行くのを見るようになりました。九華公園や、諸戸氏庭園、貝塚公園などにもヒヨドリは少しずつ戻って来ています。鳥が少ないのは張り合いがないのですが、ヒヨドリばかりが賑やかのはどうもなぁという気がして、微妙なところ(苦笑)。今日も、モズの姿はありませんでした。

Img_2739c  揖斐川の堤防、三の丸水門のところにアオサギが1羽。時々、このように揖斐川沿いの堤防に佇んでいます。ここですと水面まで距離がありますし、川はそれなりの深さがありますから、餌を採ろうと思っているのではなさそう。

Img_2743c_20190929120201  九華公園のアオサギさん、今日は、こんな風でした。こうやって見ると、何やら不機嫌そうに思えてしまいますが、必ずしもそうではなさそうで、違うアングルからは普通に見えました。ホシゴイやゴイサギは、今日は見つけられませんでした(いなかったかも知れませんが、判然とはしないのです)。奥平屋敷跡の東側の堀沿いで、カワセミを一瞬見たのですが、すぐに見失ってしまい、写真はありません。とても残念。他には、ドバト、ヒヨドリ、カワラヒワ、スズメくらい。

Img_2762c  鎮国守国神社の境内では、ヒガンバナがほぼ満開。実はあまり好きな花ではありません。子どもの頃植え付けられたマイナスイメージを引きずっている気がします。被写体としては面白いと思い、あれこれ撮ってみて、工夫しています。

Img_2779c  しかしその工夫も、何度かやるとワンパターンの極致に陥っています(苦笑)。あの「真上から見たヒガンImg_2783c バナ」と、「裏側から覗いたヒガンバナ」です。自分でバラすのも何ですが(というか、もうバレているとは思っていますが)、アジサイでも同じことをしています。

Img_2795c  貝塚公園にもヒガンバナがあります。それも、去年見た記憶がないのですImg_2804c が、シロバナヒガンバナもありました。ここでも、ワンパターンの極致を発揮してきました(微笑)。

Img_2757c  10月から非常勤が始まると書きましたが、準備は90%くらい終わったという感じ。去年と同じテーマの部分は、確認の上、修正を終えていますが、今年新しく追加する内容がまだすべて揃っていないのです。後1~2日はかかるかなというところ。10月に入りますと、近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングはもちろんですが、毎週水曜に非常勤、6日(日)には支援員養成講座、7日は市民大学、他にも、研究会1回、市の教育委員会の仕事が1日など。遊んでばかりはいられません(微苦笑)。

2019年9月28日 (土)

20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(予告編)

190928jrwalkingatsutamap  天気予報では夕方から雨かも知れないということでしたが、大丈夫だろうと考え、今日は、久しぶりにJRさわやかウォーキングに行ってきました。「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」ということで、JR東海道線・熱田駅から熱田神宮公園、白鳥公園、松重閘門、真宗大谷派名古屋別院(てづくり朝市の会場)、久屋大通庭園フラリエを回って、JR中央線・鶴舞駅がゴールという、マップ上約8.9㎞というコース。JRさわやかウォーキングは、6月9日に亀山へ行って以来(20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))、3ヶ月半のブランク。あの時は雨に降られましたが、今日は、曇天。しかし、蒸し暑くて汗だく。歩くのも決して楽ではありません。

Img_2078c_20190928184901  JR東海道線・熱田駅での受付は、8時半から11時。家での用事を済ませ、桑名駅を8時59分に出る快速みえ4号に乗車。名古屋に9時22分着。9時33分発の東海道線豊橋行きの普通に乗り換え。熱田駅には、9時41分着。¥500。熱田駅に降りるのは初めて。

Img_2094c_20190928185501  改札を出たところでコースマップを受け取り、階段を降りて外へ。恒例によりスタート看板をImg_2091c 撮影(これと、ゴールの「完歩」を写さないと、JRさわやかウォーキングに参加した気分になれないのです)。マップでコースをざっと確認して、スタートしたのは、9時46分。

190928jrwalkingatsuta  こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。コースマップでは、約8.9㎞ということでしたが、白鳥公園内を一Img_2719c 周したり、東別院でウロウロしたりしましたので、鶴舞駅にゴールしたときには、11.8㎞も歩いていました(苦笑)。昼食を鶴舞公園に行って食べましたので、ウォーキングで歩いたのは、12.0㎞。自宅から桑名駅往復が1.8㎞ですから、合計13.8㎞も歩きました。こんなに歩くつもりじゃなかったのに。ALKOOのデータは、25,000歩を越えていました(苦笑)。

Img_2124c_20190928185601  最初に熱田神宮公園へ。スタートしてまだ1㎞ほど。近くには、熱田神宮や白鳥庭園など、歴史や日本情緒が楽しめる場所がたくさんあります。緑に恵まれた都市公園で、園内には熱田球場やテニスコートがあります。ここで見たかったのは、断夫山古墳(ダンプサンImg_2125c コフン)。公園の南東部にある、深い森に包まれた東海地方最大の前方後円墳です。右の写真が、その断夫山古墳。

Img_2131c  ここは、永い間熱田神宮の所属地でしたが、第二次世界大戦後、名古屋市の戦災復興事業として仮換地され、昭和55(1980)年に愛知県の所有になり、愛知県都市公園として整備されました。昭和62(1987)年には国の史跡に指定されています。古事記や日本書紀では、日本武尊が東征の折、この尾張の地で豪族の娘・宮簀媛(ミヤズヒメ)と結婚の約束をかわしたものの、東征の帰途、病気がもとで死に、白鳥となり飛去ったとあります。この白鳥となった日本武尊の墓が白鳥古墳であり、日本武尊への思いをいだいて死んだ宮簀媛の墓がこの断夫山古墳であると伝えられています。このことから夫を断つ山、断夫山古墳と名前がついたそうです。5世紀末から6世紀初頭に築造されたものと考えられています。ちなみに、日本武尊は、伊勢国の能褒野 (のぼの) で崩じたという説もあります。

Img_2143c  熱田神宮公園を出るとすぐに堀川。江戸時代初期の名古屋開府に際して、建築資材運搬用の運河として伊勢湾から名古屋城付近まで開削されたことがそのルーツ。ここにかかる熱田記念橋を渡って堀川の西へ。熱田記念橋は、吊橋で長さ107m。昭和61(1986)年にかけられました。北の方には、名古屋国際会議場が見えまImg_2155c_20190928190801 す。国際会議場は、いろいろな機会に訪れています。子どもたちが小さい頃には、ポンキッキーズを見に来たり、ユーミンのコンサートにも来ました。市大の教員のときには、入学式、卒業式がここのセンチュリーホールで行われていました。また、学会や研究会でも何度か来ています。さらには、現役の頃どういうわけか、大学の評議員をしたことがあり、そのときは、センチュリーホールの舞台に座っていました(苦笑)。評議員などセレモニーでは、要するに「枯れ木も山の賑わい」で、何もすることはありません。居眠りしたり、余計なことをしたりしないで、おとなしく座っているのが仕事でした。昔のことを思い出して、一人苦笑い。

Img_2188c  白鳥庭園に行くのですが、このあたりは昔は貯木場でした(白鳥貯木場)。それを埋め立てて、昭和58(1983)年から平成3(1991)年までかけて整備した庭園が、白鳥庭園。国際会議場は、何度か来たのですが、白鳥庭園は初めて。ここも以前から訪ねてみたかったところ。写真は、庭園に行く途中にある旧・白鳥貯木場の「太夫堀 中水門」あたりにいたダイサギと、コサギ。冬はたぶんこのあたりにユリカモメがやって来ると思います。

Img_2199c  白鳥庭園(しろとりていえん)の入り口。スタートから1.8㎞、10時15分頃。今日は、JRさわやかウォーキング参加者は、コースマップを呈示すると、通常、大Img_2321c 人一人¥300のところ、¥240で入園できました。園内をほぼ一周してきました。ここは、大きな池を中心に配置した「池泉回遊式」の日本庭園で、都市公園内の庭園としては、東海地方随一の規模だそうです。世界デザイン博覧会のパビリオンとして設置されましたので、東海三県を中心とした中部地方の地形をモチーフにしています。公園の南側にある築山を御嶽山に、そこから各池に注ぐ川を木曽川に、中央・周辺の池を伊勢湾に見立てています。 右の写真は、庭園のほぼ中央にある「宮の渡し広場」。

Img_2317c  ここで、早くも一休み。抹茶のアイスティーを売っていて、美味しそうだったからです(¥300)。余談ですが、昔は、駅でImg_2301c こういう抹茶のアイスティーの自販機がよくあって(名鉄の新名古屋駅や、近鉄名古屋駅にもあったと思います。透明の容器の中で抹茶が循環していたタイプ)、時々買って飲んだものです。向こうに見えているのは、メイン施設である清羽亭。本格的数寄屋建築の茶室です。清羽亭の庭を見に行ったら、セグロセキレイが遊んでいました(微笑)。白鳥庭園には、35分ほど滞在し、10時53分再出発。

Img_2374c_20190928193801  白鳥庭園の北門を出て庭園の南側を周り、名古屋学院大学の名古屋キャンパスしろとりや、名古屋国際会議場の西側を周り、Img_2391c 国際会議場の北にある旗屋橋をわたって、堀川の東側へ。ここをしばらく北上します。スタートからほぼ6㎞、JR東海道線、名鉄名古屋本線、JR中央線の線路を潜る手前、西にはJRAウィンズ名古屋。馬券が購入できるところですが、あいにく私には縁がありません。左の写真は、途中にあった住吉橋。珍しい意匠だなと思ったら、昭和12(1937)年のもの。名古屋では珍しいラーメン橋台橋だそうです。三連アーチに見える外観はとても美しいと思います。

Img_2396c  JRAのウィンズ名古屋のすぐ先で、JR・名鉄の鉄橋を潜ります。鉄道、道路を問わず、橋の下を潜るのがどうも好みです。ずImg_2411c_20190928194501 っと昔、散歩でよく伊勢大橋の下をくぐって行きました。昔、橋の下で拾われたのかも知れません(爆)。ちょうど、中央線の多治見行き電車が上を通過していきました。怖いような、楽しいような。

Img_2431c  この先、古渡橋で名古屋高速の下を潜って行きます。潜った先にドンキホーテ。伊勢街道や、湯の山あたりを歩いているのとはまったく違った景色。「ビルのまちにガオー……」という鉄人28号の主題歌が浮かんできたりします(苦笑)。別にこういう所を歩くのがイヤだということではなく、それぞれに楽しめます。

Img_2445c  江川線を北上し、スタートから7.3㎞で松重閘門に到着。11時50分です。ここは、学生時代、大学・大学院に通う名鉄電車かImg_2469c_20190928195401 らも見ていました。懐かしい気もしますし、「閘門」ということで、一度は来たかったところ。閘門も好きです。我が家の近くでも、船頭平閘門がありますし、長良川河口堰にも閘門があります。水位差のある水面間で船を就航させるための施設。この松重閘門は、中川運河が開削されたとき、堀川とを結ぶためにつくられたもの(昭和5(1930)年。供用開始は、翌年)。両河川は水位が2メートルほど違ったそうです。東西長さ90mの水路の両端に高さ約20mの塔が2棟ずつあり、一対の塔をつなぐ橋に吊られた40トンの鉄板を上げ下げしました。塔の内部には鋼板を動かすのに使う錘が入っています。日本の閘門では、扉式が多いそうですが、このように両側に塔を建設するやり方は珍しいとされます。ライトアップされた姿は、水上の貴婦人と呼ばれるそうです。西側(中川運河)の側は、塔の近くまで行けましたので、あれこれ見てきました。満足です(微笑)。

Img_2511c  ここでUターン。すぐに左折して東へ。東別院の交差点の手前に次の目的地。9㎞近く、時刻は、12時10分。真宗大谷派名古屋別院です。Img_2516c_20190928200401 きょうは、ここで「てづくり朝市」が10時から14時まで行われているのです。ここへ来たのは、2回目。前に来たのは、大学時代の恩師のお通夜と葬儀のとき。25年くらい前でした。今日は、ご覧のように大賑わい。山門(左の写真)から入って、本堂にお参り(右の写真)。階段にまでたくさんの人が座っていたりします。

Img_2543c  時間が時間でしたから、小腹が空いてきました。あちこち見て回った結果、手ごろな価格で腹が満たせそうなものということで、玄米でできた五平餅を¥250でゲット。行儀は悪かったのですが、山門脇の階段に座って食べてきました。普通の五平餅の方が、もちもち感が強い感じでした。腹を満たして、12時35分に再スタート。

Img_2578c  東別院の交差点にメ~テレがあります。どういうわけか、メ~テレの番組は好みで、ドデスカ!とか、アップ!などの他、ミステリーもよく見ます。今日は、1階のロビーが公開されていましたので、見てきました。メ~テレのキャラクターは、ウルフィ。地デジが始まった2003年から活動中。昔ウルフィのキャラクターグッズに「根付け」があり、愛用していました(微笑)。

Img_2593c  ここまで来ると、ゴールもかなり近くなってきます。東別院の交差点を左折し、北へ。大須観音・大須商店街の東を通り過ぎImg_2600c て、若宮大通久屋の交差点まで来ると、久屋大通庭園フラリエ。10.5㎞、13時。以前はランの館といいましたが、平成26(2014)年3月に閉館し、再整備ののち、同年9月から久屋大通庭園フラリエとして新たに開園。一通り見てきましたが、建物内や、庭にはハローウィンの飾りが目立ちました。

Img_2604c  睡蓮の池もありました。花はもうさすがに少なくなってきていましたが、いい感じでした。ただ、BBQの施設もあって、かなりの賑わい。しかし、個人的には、ここにBBQはふさわしくない気がします。花の美しさと、焼き肉の臭いは私のセンスでは、マッチしないのです。

Img_2621c_20190928202501  それはさておき、これでコースマップにある目的地はすべてコンプリート。ゴールのJR中央線・鶴舞駅を目Img_2654c 指します。久屋大通庭園フラリエからは、ほぼ1㎞。若宮大通を丸太町まで。右折して、南へ。鶴舞駅には、13時25分に到着。スタートから11.8㎞を歩いてきました。

Img_2658c_20190928202501  久しぶりにJRさわやかウォーキングのスタンプをもらい、これで8個目。Img_2664c_20190928202501 11月の終わりまでに10個が目標です。鶴舞駅あたりの中央線は高架になっていて、その下に飲食店もいくつかあります。駅すぐの蕎麦屋さんで昼を食べようと思っていたのですが、あいにく長蛇の列。

Img_2670c  やむなく駅のベルマート(コンビニ)で幕の内弁当(税込み¥450。時間が時間でしたから、ほとんど選択肢がありませんでした)を買って駅の東にある鶴舞公園で食べることにしました。周りを見ると、Img_2677c JRさわやかウォーキング参加者の方で、同様の方がたくさんおられました。天気も悪くありませんでしたので、公園で食べた方が気持ちよいということ。

Img_2706c  弁当を食べ、しばし休憩して、鶴舞駅へ。これでトータル12㎞。13時58分の名古屋行き普通に乗車。名古屋には14時6分着。関西線の四日市行き普通が、14時16分にありましたからそれに乗って、桑名には14時46分着。途中、春田あたりまでは混んでいましたが、これはいつものこと。春田から座れ、楽チン。桑名まで¥500。けっこうたくさん歩きました(苦笑)。白鳥庭園の中を歩き回らなければ、こんなに長距離を歩かなくて済んだ気がしますが、白鳥庭園も訪ねてみたかったところですから、仕方ありません。

 今日のところは、予告編。まだ先日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」の本編が終わっていません。もう10月ですから非常勤も始まりますが、合間を見てまずは近鉄ハイキングの記事を早めに終え、今日のJRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」の本編にも着手したいと思っています。

2019年9月27日 (金)

20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その2)……玉造院、明治天皇島貫御小休所跡碑、島貫の常夜燈、松浦武四郎誕生地、松浦武四郎記念館を経て、金剛寺近くにある胎蔵界大日如来にお参り

190922kintetsuhikingminamigaoka3  9月22日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」のその2となります。その1では、近鉄名古屋線・南が丘駅を出発して、高茶屋神社まで来ました。スタートから約4㎞、神社を出たところで10時40分くらいです。マップ上14㎞のコースですから、まだ1/3も来ていません。実測ルートマップは、その3になります。JR紀勢線・高茶屋駅の西を南に下って行きます。

Img_0748c_20190926071701  高茶屋駅を過ぎると国道165号線の高架を潜ります。高架の上の国道はクルマで走ったことがあります。高架Img_0752c の先にJR紀勢線の踏切。紀勢線は、亀山から津までは乗ったことがありますが、このあたりは知らないところ。

Img_0760c  スタートからほぼ5.3㎞、龍護山玉造院(りゅうごさんぎょくぞういん)〔池Img_0763c_20190926190101 田大師〕があります。高野山真言宗のお寺。実はノーマークでした(苦笑)。みえの歴史街道(伊勢街道)のルートマップにも特に説明がなかったのです。その上、立ち寄ったら大混雑。よく見たら、近鉄ハイキングの参加者だけでなく、“Suzuka Citizen Walking Club”と書かれたユニフォームを着た方、多数。ここを休憩所に使っていらしたようです。境内には八十八所の石仏が並んでいるのだそうですが、早々に出て来てしまいました(苦笑、最近、人混みはあまり得意ではないのです)。

Img_0767c  本堂の前にあった、この「撫で石」だけ撫でてきました。「悩みや妬みがあるとイライラが募ってきたり、きついことばを知人や周りの人に使ったりしていませんか? 『撫で石』をさわって角のない、丸い艶のある自分に戻ってみませんか」とあったのです。

Img_0771c  玉造院から南へ100mあまりの所、西側に少し入って「社跡」を見てきました。ここは、みえの歴史街道(伊勢街道)のルートマップにあったのです。写真は、ちょっとピンぼけですが、集落の両側の入口から移設した山ノ神が4基ありました。こうしてみると、昔はあちこちに山の神様が祀られていたのだということがよく分かります。

Img_0773c  社跡を見て、また伊勢街道に戻ります。このあたりは田園地帯。稲刈りはまだでした。東の方には、JFEエンジニアリング津製作所が見えます。われわれの世代には、日本鋼管といった方が馴染みがあります。住所は、今でも津市雲出鋼管町というくらImg_0776c いです。この時点では、かなり厚い雲がかかってはいましたが、雨は降っていません。

190922kintetsuhikingminamigaoka4  6㎞を過ぎて津市雲出市民館前を通過。実測ルートマップは、その4。市民館の南に圃場整備事業記念碑や、「紀念碑」がありましたが、ネットでは詳細が分からず、また、紀念碑は風化していてよく読めませんでしたので、割愛。雲出川に近づいてきました。

Img_0782c  ただ、一つ気になるラーメン屋さんらしき店がありました。車が2台止まっている奥にある店です。「長崎屋」という小さい看板が見えますが、その看板があるところは、かつては屋台であったように見えるのです。食べログにも載っている店でした(こちら)。「昭和ラーメンの代名詞」といったコメントがあり、ワンコインで食べられるようでした。ハイキングで歩いていなければ立ち寄ればよかったかも。

Img_0811c  スタートから6.7㎞ほど、円福寺というお寺の近くに「明治天皇島貫御小休所跡碑」があります。ここは、伊勢街道・雲出宿本陣柏屋の跡。明治天皇は明治2(1869)年3月10日、明治13(1880)年7月7日、9日の3回、本陣柏屋で休憩されました。伊勢街道で明治天皇がお休みになられたところは、津八幡町に続いて2ヶ所目(2019年9月12日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完)))。

Img_0817c_20190926195101  明治天皇の御小休所跡のすぐ先、円福寺の参道入り口に道標。「神明道」と刻まれています。上部が少し欠けており、また、文字もやや不鮮明になっています。神明道は、雲出長常村の神明社へ至る道を示しています。雲出長常村の神明社というのは、現在の雲出神社(津市雲出本郷町)かと思います。

Img_0832c  この道標を過ぎると雲出川に行き当たります。右折して(西へ)堤防に上がり、7㎞を過ぎた、雲出橋のたもと(北側)に島貫の常夜燈があります。正面には「奉献」と、裏には「天保五年甲午三月建」とあります。天保元(1830)年におかげ参りが流行しましたが、その旅人の安全や神宮への祈願を込めて建てられたと思われます。上でも少し触れましたが、島貫は伊勢街道の宿場で栄えたところでした。昭和の初めまでは旅籠も何軒か残っていたのですが、参宮鉄道が敷設された頃から寂れてしまいました。この常夜燈は、かつては渡し場口にあったもので、高さは4.6mという立派なもの。この近くの毘沙門堂には、「島貫の松」があったのですが、伊勢湾台風の後、枯れてしまい、現在は碑が残っているそうです。

Img_0842c  雲出橋雲出川を渡ります。スタートから7.2㎞、時刻は11時20分頃。雲出川は、三重・奈良両県の県境から伊勢平野を抜Img_0856c け、津市香良洲(からす)町で伊勢湾に注ぐ、全長 63kmの川。このあたり、かなり川幅が広く、500mくらいありそう。橋の下流には、ダイサギが1羽。川の中を歩いて、獲物を探していました。が、今日はゆっくり見ている余裕はなし(苦笑)。

Img_0861c  雲出橋を渡ったところ、右側(西側)には「小野古江渡跡(おののふるえのわたりあと)」があります。雲出川は、櫛田川・宮川と並ぶ三大河川の1つで、南北朝時代には南朝方と北朝方との境界であり、軍事上の問題から橋は架けられませんでした。そのため渡し場が設けられ、その1つがこの小野古江渡です。慶長19(1614)年頃までは川越場からJんばによって川越をしていたといいます。江戸時代のおかげ参りでは、全国から多いときには500万人もの人が往来したそうです。明治13(1880)年に雲出橋が架けられました(上記のリンク参照。現在の橋は、平成12(2000)年のもの)。

Img_0869c  小野古江渡跡から道を挟んだ向かいにも常夜燈があります。寛政12(1800)年に雲出川の川端に建てられたもので、元はここから200mほど下流にあった伊勢街道の渡し場にありました。平成12(2000)年に雲出橋が新しくなるとき、ここに移設されています。幾度かの大地震で倒れたものの、そのたびに建て直され、近年では昭和19(1944)年の東南海大地震で倒壊し、火袋が補修されました。宮立型という形で、高さは4.7m、花崗岩製。この常夜燈の西面には「常夜燈」、東面には「寛政十二龍集庚申晩春穀旦」、北面に「京都○講大坂屋藤七(○の部分は、○に漢数字の一)」、さらに南面には「腰山市左衛門 藤忠三」と刻まれています。寛政12年は1800年。常夜燈を見て、雲出川を下流方向に少し歩いて、堤防から降り、右折します。右折した先でスタートから8㎞。

Img_0885c_20190922201601  8.2㎞、11時40分に松浦武四郎誕生地に到着。松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888)年)は、 探検家。幕末に蝦夷地(現北海道)を6回にわたって歩き、「蝦夷日誌」と呼ばれる調査記録をまとめています。アイヌ民族とも交流を深め、北海道開拓の基礎を築いた人。画家、書道家、歌人、登山家としての顔も持っています。ここは、その松浦の生家で、以前からずっと来てみたかったところです。入館料は、通常¥100のところ、ハイキングのマップを呈示し、¥80。内部も拝見してきました。建物は天保3(1832)年の建築で、本家の家督を譲った武四郎の父・圭介が購入し、移住したといわれています。後に増改築された箇所があるものの、ほぼ当時の様子を残しているそうです。

Img_0892c  武四郎が13歳のとき、大きな出来事があったといいます。文政のおかげ参りです。日本の人口が約3,200万人と推定される時代に、1年間に約400万人が伊勢へ参宮したのです。ここ松浦家の前の伊勢街道も多くの旅人が行き交ったのです。武四郎は、参宮客から名所図会に出てくるような土地や道中の話を聞いて、見知らぬ土地への憧れ、旅への思いを募らせたと考えられています。16歳のとき、家出して江戸に行ったといいます(山本命著、松浦武四郎入門、月兎舎)。

Img_0907c  屋根に珍しいものがありました。鬼瓦の所に布袋様。「屋根の上の鍾馗様」は、知っていて、桑名でも時々見かけますが、布Img_0887c 袋様は初めて。ネットで検索すると、布袋様や大黒様などの屋根飾りがあるようです(たとえばこちら)。布袋様は、七福神のお一人。もとは、中国、唐末頃のお坊さん。常に杖と布袋とを持歩き、人の吉凶や晴雨を予知し、尊崇されましたから、福の神として祀られているのかという気がします。

190922kintetsuhikingminamigaoka5  松浦武四郎誕生地からは、松浦武四郎記念館に向かいます。その前に、実測ルートマップその5。尾上小学校の東を通って、8.6㎞ほどのところで右折し、いったん伊勢街道から離れます。松浦武四郎記念館は、小野江のコミュニティセンターに併設されています。ここを見学して9㎞。記念館を出たのは、12時頃。金剛寺、その東にあるお地蔵様のような胎蔵界大日如来を見に行きます。

Img_0932c_20190922201601  こちらが、松浦武四郎記念館。平成6(1994)年に開館。松浦家から松阪市(旧三雲町)Img_0929c に寄贈された武四郎の貴重な資料が収蔵されています。平成20(2008)年には、これら松浦家から寄贈された資料のうち、1,505点が国の重要文化財に指定されました。展示室では、約2ヶ月ごとに資料が入れ替えられ、多彩な分野で活躍し、さまざまな顔を持っている松浦武四郎の姿を紹介されています。

Img_0939c  松浦武四郎については、去年(2018年)9月22日、JRさわやかウォーキングで訪ねた三重県立総合博物館で展覧会を見ていImg_0942c ます(20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(予告編)……【キョリ測データを付記しました(9/23)】)。このときは、武四郎の生誕200年を記念した展覧会でした(2018年9月25日 :20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その1)……宗宝院と三重県総合博物館)。この記念館の展示も充実していました。武四郎は、何といっても、幕末の樺太北海道開拓の先駆者・大台ヶ原開拓者ですし、「北海道の名付け親」です。北海道踏査だけでなく、幕末の志士・文人たちとも幅広い交友をもち、さらに、当代随一の情報収集家・古物蒐集家としても魅力あふれる人物です。もう少し本を読むなどして、その人隣や、業績について知りたいと思います。

Img_0955c  松浦武四郎記念館を出て9㎞。伊勢街道に戻って南下。このあたりはすでに松阪市(旧三雲町)。ここで余談一つ。伊勢街道に戻ったあたりで町名表示を見たら、ご覧のようになっていました。松阪市肥留町。何と読むのか? 不思議でした。「こえとめちょう?」などと思っていたのですが、帰宅して調べたら「ひるちょう」だそうです。ちょっと安心しました(微笑)。このあと、風がかなり出てきたり、細かい雨が降ってきたりで、ちょっと難儀をしましたが、本格的には降られず助かりました。

Img_0957c  途中、この「市川庄次郎君之碑」があったのですが、詳細は不明。碑陰の撰文を見ると、明治33(1900)年生まれで、小野江村在郷軍人分会長を務めるなど、地方自治に功労のあった方のようです。碑は、昭和34(1959)年7月に建之。撰文は三雲村長・宇野誠一、碑表は当時の三重県知事・田中覚によるものでした。

Img_0967c  さらにその先、9.3㎞ほどのところにある金剛寺の向かいに常夜燈。正面には「両宮 常夜燈」、裏には「文政七年甲申三月吉日」とあります。常夜燈の下部には、「江戸/乾物問屋中」とあり、江戸の乾物問屋の集まりが、文政7(1824)年に建てたと考えられます。

Img_0973c  王殿山瑠璃光院金剛寺。真宗高田派。ご本尊は、来迎阿弥陀如来立像。このお寺、ご覧のように生け垣が山 Img_0976c 門風にしつらえられていました。コウヤマキかと思います(自信はありません)。こういうのは、去年2018年12月23日の近鉄ハイキングのとき久居の宝窟山栄松寺でみました(20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め)。

Img_0979c  見たかったのは、この金剛寺ではなく(失礼)、このすぐ東にある胎蔵界大日如来です。お地蔵様に見えます。大日如来は、Img_0981c 真言密教の教主にして、宇宙の実相を仏格化した根本仏とされます。一切の現実経験世界の現象はこの如来そのものであるといわれ、諸仏諸菩薩はすべて大日如来から出生したと説かれます。さらに、大日如来には、智徳の面を現示した金剛界大日如来と,理徳の面を現示した胎蔵界大日如来とがあります。こちらの仏様は、その後者。母胎中に男女の諸子を守り育てる意義を有しており、仏の大悲が衆生を守護して育てることを意味していると考えられます。

 長くなりましたので、その2はここまで。胎蔵界大日如来でまだ9.3㎞。先はまだまだあります。

九華公園でアオサギ2羽、ゴイサギ1羽、ホシゴイ3羽……余談は回数券、桑名駅の工事そして「やめたらこんなに幸せ」

Img_2059c  今日もまた、涼しいのか、ちょっと蒸し暑いのか微妙な日になっています。その昔の仕事柄、悪い癖が残っていて、すぐにデータを見たくなります(苦笑)。最低気温22.5℃、最高気温27.8℃でした。アメダスでは、湿度が分かりませんが、昼前からは南風ですから、湿った空気が入ってきているかも知れません。何はなくとも散歩ですから、今日も8時10分から住吉神社、九華公園、貝塚公園へ。その後は、近鉄桑名駅で江戸橋に通う回数券を買いに行って11時前に帰宅。7.1㎞も歩いてきました(苦笑)。

Img_1990c  揖斐長良川の中洲。アオサギさんが1羽いるのが見えました。もう少し涼しくなると,もっとたくさん集まってくると思いまImg_7934c す。今日は、赤須賀の漁船の出漁日という影響もあったかも知れません。今は、シジミを捕っていると思います。しかし、こんな漁船を出して大がかりに、根こそぎ採るようなやり方でいいのかなと、素人は思います。

Img_1992c_20190927151401  九華公園、今日は驚きました。何とアオサギが2羽もいたのです。左の写真は、いつものようImg_2002c に、鎮国守国神社の社務所裏にいたアオサギさん。右の写真は、社務所に向かって右手、いつもいるアオサギから30~40m離れたところにもう1羽いたのです。バードウォッチングの知人女性とあれこれしゃべりながら見ていたら、うるさすぎたのか、どちらも相次いで飛び立って行ってしまいました(苦笑)。ちょっと迷惑をかけたかも知れません。

Img_2000c  ゴイサギ、ホシゴイは,最初に気づいたのはホシゴイ1羽でした。左の写真のホシゴイがそれ。さらに、上右のアオサギを見つImg_2005c けたら、すぐそばにゴイサギが隠れているのも見えました。

Img_2008c  この写真で赤丸をつけたあたりが、いつもアオサギや、ゴイサギ/ホシゴイがいるところ。今日別のアオサギがいたのは、黄色い丸のあたり。たいてい赤丸のあたりをよく見てくるのですが、これからは観察範囲を広げないといけません。

Img_2021c_20190927151401  公園内を半周して、もう一度見に来たら、さらにホシゴイを見つけました。赤丸の所のさらImg_7976c に左手(北側)の木です。2羽、隠れていました。以前から「忍者」と呼んでいますが、まさに上手に隠れています。ということで、今日は、九華公園では、アオサギ2羽、ゴイサギ1羽、ホシゴイ3羽を確認。

Img_7962c  さらに、アオサギなどを見て騒いでいたら、カワセミが飛んでいきました。全くの証拠写真(苦笑)。賑やかにしゃべっていたから、逃げられたということという意味の「証拠」でもあります。いったんこのように飛んで行くと、後を追いかけて探すというのは、実際上不可能。探し回るのは、早々に断念。

Img_2013c_20190927151401  九華公園、鎮国守国神社ではヒガンバナが次第に増えてきています。しかし、ここにあるのは赤い色の普通Img_2027c のヒガンバナばかり。白いのも見たいと思っていたら、シルバー人材センターの敷地内で復活していました。草刈りが行われ、いったんなくなっていたのです。ただし、去年まで見たのはもっと真っ白に近い感じでした。今日のは、ピンクというか、白赤入り交じったというか、そういう感じのものでした。

Img_7990c  ヒガンバナには、黄色いものや、オレンジ色のものもあるそうですから、そういうのも一度は実物を見てみたいと思います。

Img_2061c_20190927154801  さてはじめにも書きましたように、来月から(ということは、来週から)始まる江戸橋での仕事に備えて、近鉄桑名駅まで回数券カードを買いに行きました。消費税が上がっても、旧料金のまま使えるのか心配だったのですが、ネットで確認して大丈夫ということだったからです(こちら)。通常の「パールカードイレブン(11回使用可能)」と、平日10時から16時と、土日に使える「オフピークチケット(12回使用可能)」です。「旧運賃を新運賃に読み替えた区間まで、当該回数券カードでご乗車いただけます」ということでした。

Img_2043c  桑名駅は近鉄ハイキングで時々利用していますが、先日(9/14)、中日新聞に東西連絡自由通路などがかなりできあImg_2052c_20190927151401 がったというニュースが載っていましたので(こちら)、ついでに交番などの方から見てきました。左の写真は駅前交番の横から西を見たもの。右は、工事現場の前を通りかかったら、たまたま見られた光景。2階に東西自由通路ができ、枠組みは完成し、今は半分くらい舗装されているようです。

Img_2053c_20190927151401  現在の桑名駅につながる2階の通路から見ると、こんな感じ。桑名駅東口の桑栄メイト入り口あたりから撮ったもの。左の写Img_2055c_20190927151401 真では、今の駅の東口の建物が一部写っています。右の写真は、視線をさらに左(南)側に向けて撮ったもの。駅は、現在の位置から南に80m移動するそうで、自由通路のところにJR、近鉄、養老鉄道の3つの改札ができるといいます。どうせなら、三岐鉄道北勢線の西桑名駅も一緒にした方が、乗降客には便利だと思うのですが、それは実現しません。

Img_2068c  余談。朝刊を見ていたら、週刊現代に面白そうな記事がありました。今は週刊誌とはいえ¥500もするのですが、買ってしまいました(苦笑/微笑)。「やめたらこんなに幸せ」というタイトルの記事です。65歳になったら、いろいろやめるべきという内容。葬儀・結婚式に出ない、親戚付き合いをしない、年賀状は出さない、自分の墓は作らないなどなど。平成が終わり、令和に入って、生涯働け!、隠居なんか許さないぞという雰囲気もありますが、ストレスフリーで、自由に生きるためには、もろもろ「やめる」ことを勧めているのです。世間体や、自分のプライドを気にすることや、過去の栄光にすがることをやめて、人生を自分のために生きるというのはなかなかよいかも知れません。「お前はけっこう、好きにやっているんじゃないか」といわれるかも知れませんが、まだまだ十分ではないのです(笑)。

2019年9月26日 (木)

ようやくモズが登場……伊勢湾台風から60年

Img_1973c  最低気温は20℃くらい。最高気温は、真夏日一歩手前の29℃。風は、午前中は北寄りの風だったのに、午後からは南風。微妙に湿度も高い感じで、決して過ごしやすいとはいいがたい気候。今日は、伊勢湾台風から60年ですが、あの時私は4歳。断片的な記憶しかありません。父親がいつも通り仕事に行ったままなかなか帰ってこなかった、猛烈な雨風でとても怖かった、なぜか足踏み式ミシンの下にいた(避難したつもり?)、次の日はものすごくよい天気だった、当時、自宅の庭に親戚が営んでいた土建屋の倉庫があったのですが、そこにしまわれていた材木が自宅の屋根を飛び越して裏の溝にたくさん重なっていたなどなど。

Img_1949c  今日は、散歩途中、貝塚公園で80歳前後の男性から「ここの慰霊碑は、伊勢湾台風のものじゃないんだね」と声をかけられたのImg_1961c で、いろいろと記憶が蘇ってきたのです。貝塚公園にある慰霊碑は、桑名空襲のもの(2019年7月15日:ツバメもスズメもヒナは自立に向けて訓練中……吉津屋町に知人が手作りの東海道案内板を掲示【桑名空襲慰霊之碑の写真を追加(7/16)】)。桑名市長島町松蔭には伊勢湾台風記念館があり、ここには一度行ったことがあります(2017年8月27日:河口堰、伊勢湾台風記念館、木曽川の水制へ)。こちらには伊勢湾台風に関する碑のリストがあり、桑名市やその他の自治体のものが確認できます。男性には、長島に伊勢湾台風記念館があることや、城南干拓や大貝須に行けば慰霊碑があるはずと伝えましたが、徒歩のようでしたので、それらはちょっと無理。「赤須賀で川や海を見たい」とおっしゃるので、柿安コミュニティパークに高潮堤防の工事の碑や、伊勢湾台風30年の碑があることを伝えたら、「足の訓練がてら、見てくる」とのことでした。左の写真が「高潮堤防緊急嵩上事業竣工之碑」、右が「伊勢湾台風30年碑」。いずれも平成元(1989)年9月に建てられています。この前年度、伊勢湾台風の災害復旧事業で建設された高潮堤防の地盤沈下対策として着手された嵩上工事が竣工したことを記念して建てられたと説明されています。

 さて、散歩はいつも通り、ほぼいつものコース。8時10分出発、住吉神社、九華公園から貝塚公園へ。貝塚公園で上記の男性に聞かれたこともあって、せっかくだから自分も柿安コミュニティパークの碑を見ていこうとUターン。11時前までかかって5.6㎞。

Img_1879c  今日は何といってもこちら。モズが登場したのです。待っていました! 去年より半月あまり遅くなっています。左の写真は、三の丸公園の東のImg_7881c 端にある電柱の先端にいたメスのモズ。去年も、このあたりはメスのモズが縄張りにしていました。同じモズが同じ所にやって来るのか?という気がします。まだ、高鳴きはしていません。右は、九華公園の奥平屋敷跡にいたオスのモズ。九華公園でも昨シーズンはオスのモズを見ていた記憶があります。これでヒガンバナも咲き、モズも来ましたので、秋の準備は万端(微笑)。あとは、コサメビタキが来てくれればいうことなし。ムシクイも見られれば、さらにいうことなしですが、ちょっと高望みかも。

Img_1853c  モズを見つける前、三の丸公園の西にある桜の木のてっぺんにも鳥影がありました。七里の渡し跡から見て気づいたのですImg_1857c が、遠目にはよく分からず、「モズにしては大きいから、違うな」と思っただけ。近づいて、写真を撮って確認したら、イソヒヨドリのメスでした。このあと堤防にある手すりに移動したりして、しばらく楽しませてくれました。

Img_1917c  九華公園では、何といってもアオサギ。いつも通り、いつものところにいました。今日はじっとしておらImg_1921c_20190926151201 ず、けっこうよく移動していましたし、右のような行動も見せてくれました。移動途中、何か気になったのか、首を下に伸ばして覗き込んでいる感じ。このほか、どこからかよく分からなかったものの、ホシゴイが1羽飛び出してきたり、別のアオサギが公園上空を通過していったりということも。

Img_1886c_20190926151401  他にはカワラヒワが小さいグループになり始めていましたし、ヒヨドリも少しずつ戻って来ています。これからもっと小型の野鳥が増えてきてくれると期待しています。

Img_1890c_20190926151501  ヒガンバナは少しずつ増えてきています。左の写真は、奥平屋敷跡の鳥小屋の裏手にて。鎮国守国神社の境Img_1908c 内も、芽がニョキニョキと出て来ています。一昨日(2019年9月24日:一気に涼しくなった感じ……咲きかけのヒガンバナを見つけました)、ヒガンバナは花弁が1つずつ順番に咲くのではないかと書きましたが、どうも間違いではなさそうです。今日は、鎮国守国神社で2つの花弁が咲いたヒガンバナを見つけたからです。2つの花弁が咲いたヒガンバナが2本並んでいました。

2019年9月25日 (水)

20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ

 9月22日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」のその1です。9月は、このお伊勢さん参りハイキングは3回目。豊津上野駅から始まり津市内の伊勢街道を歩いてきました。3回目のこの日は、いよいよ松阪市へ向かいます。ただし、この日は、台風17号が九州に接近しており、スタート地点の津の天気予報は朝から雨。しかし、雨雲レーダー画像を見ると、三重県は南部を除いてほとんど雨雲はかかっていませんでしたので、予定通り、ちょっと強行気味に参加してきました。結果的には、途中でしばし強風に煽られたり、小雨に降られたりはしましたが、傘もほとんど使わずに無事に歩き通せました。今回は、一人旅。

Img_0594c  近鉄名古屋線・南が丘駅がスタート。受付が9時半から11時でしたので、桑名駅を8時42分に出る松阪行き急行に乗車。南が丘Img_0599c_20190922201501 駅には、9時31分に到着。¥750。受付開始が早まったのか、あまり混んでいませんでした。あとで係の方に伺ったら、今日の参加者は280名くらいとか。前回の旅7日目のゴールがここ南が丘駅でした(20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(予告編))。あの時は、真夏の暑さで参りましたが、今日はかなりマシ。本日のコースマップはこちら。B4サイズ両面にびっしり。それもそのはず、マップ上約14㎞という長丁場。南が丘駅を出て、1.5㎞ほどで伊勢街道に出て、そこからひたすら南下。式内加良比乃神社、島貫の常夜燈を経て、雲出川を渡ります。さらに、松浦武四郎誕生地、松浦武四郎記念館、月本追分(奈良街道分岐)、市場庄のまち並み、舟木家の長屋門と歩いて、近鉄山田線・松ヶ崎駅がゴール。松ヶ崎駅は、大阪線乗り換えの伊勢中川駅から2駅目にして、松阪駅の1つ手前の駅。歩き通せるか、一抹の不安もありました。

190922kintetsuhikingminamigaoka  こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。南が丘駅があるのは、津市。上述のようにほぼひたすら南に歩きます。近鉄の駅にして、南が丘から、久居、桃園、伊勢中川、伊勢中原を経て松ヶ崎となります。5駅分も歩いたということです。ゴールの松ヶ崎駅は、すでに松阪市。まったくよくやったなと我ながら関心します。

Img_0605c  南が丘駅を9時40分にスタートしました。ご覧のような曇天でしたが、雨はしばらくは大丈夫そうな感じ。Img_0607c_20190925073701 南が丘の住宅地を抜けて行きますが、途中までは、南が丘小学校近くを通るという、前回とは違った道を辿っていきます。

190922kintetsuhikingminamigaoka1  実測ルートマップを詳しくしたもの、その1。前回は、にし整形外科のすぐ北の信号から県道に入り、南が丘ツツジ公園を通り抜けて南が丘駅に向かいました。今回は、香水池の方を回って行き、成就寺の所から伊勢街道に入っていきます。

Img_0614c  スタートから950mほど来た、南側に清水不動明王がありました。立ち寄らずにこの写真だけを撮ってきました。ネットで調べても情報はこれといってありません。不動明王は、大日如来が衆生を教化するとき、通常の姿のままでは教化できないので忿怒相をもって現れたもの。内外の障害や種々のけがれを焼き尽し、すべての悪魔や敵を撃滅し、行者を守護するとともにその菩薩を成就させるといいます。

 清水不動明王を過ぎてすぐのところで前回通った道に戻ります。Img_0616c_20190925073801 1.3㎞ほどのとこImg_0618c ろで、前回昼食を摂った喫茶「ノンネーム」の前を通過。江戸時代の旅であれば、「峠の茶屋」という感じ。前回は、9月7日でしたから、あれからもう2週間以上経っています。  

Img_0629c  1.5㎞ほどで、前回伊勢街道と分かれた成就寺の交差点までやってきました。右が成就寺。真言宗醍醐寺派のお寺。今回も、山門下で写真を撮らせてもらうだけにしたのですが、後で調べて、寄って来たらよかったと反省。ご本尊は、行基によって見いだされた、平安後期(12世紀後半)に作られた大日如来座像。行基(668~749年)は伊勢参宮の途中、このあたりの山中から仏像を掘り出し、堂を建てて安置しました。垂水は水に恵まれないところであったものの、この仏像が出現した跡地から「香水(こうずい)」と称する一切の痛みのある病を治す水が湧き出し、それを白河法皇に献上したところ病気が治癒したことから、七堂伽藍が建てられ、200人近くの僧侶が修行に励んでいたとのことです。このあたりも、織田信長による焼き討ちに遭ったものの、成就寺と清水不動院、南晶寺、金剛寺だけは残ったのだそうです。右の写真では、奥から来て左へ(コースとしては、右折)。伊勢街道に入っていきます。

Img_0625c_20190925125801  境内に上がっていく階段の手前、左側のお地蔵様の脇に道標があります。半ば埋もれているのですが、碑表と右側には「大日如来出現所香水道 従是/四丁」とあり、大日如来が出現した香水道がここから4丁(約436m)であることを示しています。左側には「安永二癸巳歳/九月吉日建之」、碑陰には「津魚町施主/栄四建之」とあります。安永2年は、1773年。

Img_0638c_20190925140301  下ってきた交差点を右折して、伊勢街道に入ってすぐのところに金剛寺。真宗高田派のお寺。もとは、成就Img_0639c 寺の金剛坊でした。ここの境内には、念仏塚があります。「寛政六年甲寅季秋中旬勢州一志郡垂水邨法林山金剛教寺」と彫られています。成就寺は真言宗醍醐寺派であるのに、ここと次の南昌寺は、成就寺の坊であったにもかかわらず真宗高田派になっているのには疑問がありますが、理由は不明。

Img_0647c_20190925141001  こちらが金剛寺の南にある南昌寺。真宗高田派。こちらはとくに由緒あるものはないようでした。南昌寺から南へ150mほどImg_0651c のところに須賀神社があります。事前の調べでは、「垂水の産土神」ということでしたので、この写真だけ撮って、通過しました。主祭神は、建速須佐之男命。他に12柱の神様が合祀されています。由緒は不明ですが、明治時代に加良比乃神社に合祀されていたものを昭和26(1951)年に分祀。これを書くのに再び調べたら、境内に「首切られ地蔵」があるということでした(こちら)。織田信長が北畠家を攻略する際、身代わりになって切られたお地蔵様だそうです。

Img_0648c  このあたりの伊勢街道の様子。道幅やゆるやかにカーブしている感じなど、いかにも昔からの街道というイメージです。が、ここは、三重交通のバス路線になっていました。歩いていたら向こうからバスがやって来てビックリ。津駅から警察学校へ行くバスの路線(城山線)でした。

Img_0656c  スタートから2.1㎞を過ぎたところに石柱と、青銅製の常夜燈があります。ここは加良比乃神社への参道の入り口。石柱には、「式内加良比乃神社」とあります。常夜燈は、明和元(1764)年の建立。加良比乃神社は、ここから西へ150mほど入ったところにあります。

Img_0663c  加良比乃神社(からびのじんじゃ)は、垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が天照大神を奉戴し、Img_0668c_20190925144701 神殿を建築して鎮座したところとされます。そのとき、この地は水が不便な地であり、この神社のある場所の片側が急な斜面になっているため、樋を用いて泉の水を引いたことから「片桶宮」と称しました。4年を経て、御神記によって他所に遷座されたのですが、この宮跡に御倉板擧神、伊豆能売神を祀り「加良比乃神社」となり、土地の人々が産土神として崇敬してきました。ちなみに、「加良比」は「片樋」のなまったものといわれています。右の写真の「片樋宮」の石標は、寛保2(1742)年のもの。

Img_0675c  主祭神は、御倉板挙神(みくらたなのかみ;五穀豊壌、開運の神)、伊豆能売神(いずのめのかみ)、天照皇大御神大山祇神大物主大神水波能売神(ミヅハノメノカミ;水の神)、宇迦之御魂神建速須佐之男命。相殿神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)、天之穂日命天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活津日子根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)、多紀理毘売命(たきりびひめのみこと)、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、応神天皇。明治40(1907)年、境内神社神明宮など4社を、また明治42(1909)年に同稲荷社を、明治44(1911)年須賀神社を合祀した(須賀神社は、既述の通り、昭和26(1951)年、分祀されています)。なお、昭和25(1950)年、近隣の火災が飛火し社殿を失いましたが、拝殿(仮本殿)を造営し、平成8(1996)年、神宮より御遷宮で撤下された内宮外幤殿を戴き、正本殿として造営されています。

Img_0666c  余談です。倭姫命が天照大神の御杖代として、大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされます。倭姫命が伊勢神宮を創建するまでに天照大神の神体である八咫鏡を順次奉斎した場所は「元伊勢」と呼ばれますが、それを訪ねるのにはなぜか、とても興味を持っています。桑名の野志里神社(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))、亀山の忍山神社に続いて(2019年6月9日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))、ここ加良比乃神社は3社目。

Img_0678c  加良比乃神社の参道の途中、南側に円光寺があります。真宗高田派のお寺。嘉永8(1631)年開創と伝わっています。円光寺190922kintetsuhikingminamigaoka2 を出て再び伊勢街道へ。相川を相川橋で渡り、ここらあたりから実測ルートマップは、その2になります。

Img_0690c 伊勢街道に戻ってさらに南へ。相川橋を渡って、スタートからほぼ3㎞のところに浄誓寺。ここも真宗高田派のお寺。このあたり、お寺がけっこうたくさんあります。浄誓寺に立ち寄ったのは、このあたりに文政8(1825)年に建立された常夜燈があると、みえの歴史街道(伊勢街道)の資料にあったからです。しかし、境内や参道あたりにはありませんでした。寺の裏の方だったかも知れませんが、この日の天候もあって急いでしまい、十分には確認しませんでした。この常夜燈は、大正初期まで木札を回す当番制で燈明を上げていたといいます。 

Img_0694c  スタートから3.5㎞ほど、城山特別支援学校の東を歩いているはずですが、学校は森の向こうで見えません。伊勢街道の東側に紀念碑がありました。「髙郷井用排水路改修竣工紀念 三重縣知事 田中 覚書」と読めます。「髙郷井」は、江戸時代初期、雲出川に堰を設け、戸木村(現・津市戸木町)から雲出地域まで水路を通し、高茶屋で三分(髙郷井、八寸、揚溝)して水田を潤した水路の一つ。この工事は、津藩2代藩主・藤堂高次公が、西島八兵衛(慶長元(1596)~延宝8(1680)年:藤堂高虎の近習として禄高150石で仕えて以来、高虎の信頼を得て津藩を水利・灌漑の面から支えた人物)に命じて行わせたもの(こちらを参照)。その高郷水を排水する水路を改修したということなのでしょうが、碑陰を見られず、また、ネットでも情報は出てこず、この改修工事そのものについては分かりませんでした。ちなみに、田中 覚(たなか さとる、明治42(1909)~平成14(2002)年)が三重県知事であったのは、昭和30(1955)~昭和47(1972)年)でした。

Img_0703c_20190925155601  3.8㎞地点で天神橋を渡ると、すぐ右手に(西側に)、寳福山雙樹院称念寺。浄土宗のお寺。みえの歴史街道(伊勢街道)の資料には、「円光大師二五霊場」とあります。また、寺の前の石柱(右下の写真)にも、「圓光大師廿五霊場」という文字が見えるのですが(第十四番ともあるような気もします)、円光大師二十五霊場のリストにはありません。こちらのWeb版浄土宗大辞典によれば、これ以外に、正式なものを模倣して作った「うつし霊場」がいくつかあるそうです。円光大師は、法然上人勅諡号。寺の前に常夜燈1基と、六阿弥陀堂があると、伊勢街道の資料にあるのですが、常夜燈はどこを見てもありません。

Img_0709c  六阿弥陀堂は、こちらの建物。伊勢街道のルートマップにある写真を見ると、どうもこの六阿弥陀堂の右奥、クルマが止まっていImg_0706c るところの横(舗装が新しいところ)に常夜燈があったように見えます。何らかの理由で撤去されたのかも知れません。六阿弥陀堂の前にある石碑などの、向かって左のものには「薬師堂記念碑 六阿弥陀堂 昭和五十年五月建?」とあります。ちなみに、六阿弥陀(ろくあみだ)は、もともと阿弥陀仏を安置する六つの寺を巡拝すること。元禄年間(1688~1704年)のころから行基作と伝える阿弥陀像を祀る六か寺を春秋の彼岸に参詣して歩くことが盛んに行われたことに始まります(詳細はリンク先をご覧ください)。その後、各地に「○○六阿弥陀」ができたそうです。扉が開いていませんでしたので、拝観はできませんでした。またもや(「いつもだ」という声が聞こえてきそうですが)謎を残したまま、進みます。

Img_0717c_20190925202001  称念寺の先に「耕地整理記念碑」がありました。高茶屋村の東部地区の耕地整理は村を一変する大事業として、大正9(1920)年、時の村長服部米次郎の陣頭指揮の下に実現しました。この記念碑は、昭和16(1941)年に建立されていますが、長年の夢が叶って今までの湿田が美田になり、村の明るい将来が約束された喜びが歌われています(碑文は、こちらの7~8ページにあります)。

Img_0721c  長くなりましたが、キリが良いので高茶屋神社(たかじゃやじんじゃ)まで。高茶屋(たかじゃや)は、高台にあり周辺に茶屋が多かったことが名前の由来です。高茶屋神社は、通称、粟嶋さんと呼ばれています。主祭神は、玉柱屋姫命です。志摩郡伊雑村の神である、伊佐波登美命の奥方です。倭姫命を出迎えた神様で、豊受社の神様だそうです。玉は星とすると、屋は夜という意味なので、「星の柱の夜の姫」という意味になります。つまり、天の川のお姫様。

Img_0729c  第53代淳和天皇の時代の824年、一志狭山枚男という人が伊雑村の祭神をこの地に祀り、栗嶋神社と称したとされます。粟嶋神というのは、1,500年前、粟で作られた船で航海の折、紀州灘佐之郡という所に漂着し、この神、粟嶋大明神を祀ったところ、人々の病を治したというので、病を治してくれる神様、または薬の神様として伝わっています。昔、高茶屋神社は、玉柱屋姫命の祭神のほかに九ヶ所に祠が奉られその祭神をあわせて、十社宮と呼ばれていました。後に、十社杜、粟嶋神社などを明治41(1908)年に合祀し、高茶屋神社となりました。

Img_0732c  相殿神は、素戔嗚神速玉男神(はやたまのおのかみ)、富姫命(調べたものの不明)、五男三女神宇賀之御魂神大物主神大山津見神火産霊神(ほむすびのかみ:火の神)、経津主神(ふつぬしのかみ)、誉田別命水象女神(みつはのめのかみ:水の神)、枚男命(調べたものの不明)、木花咲耶姫命(このはなさくやびめ:富士山の神、火山の神、安産の神、子育ての神として浅間神社に祀られる)、少名彦奈之神(すくなびこなのかみ:医薬の神)。ちなみに、鎌倉時代、津市には神宮領である御厨・御園が20近くありました。高茶屋神社は、4ヵ月に一度神に塩を献上する神社として指定をうけていたといいます。また、十社の森と呼ばれ、街道の勅使休泊所として使われたそうです。

Img_0725c  境内にある常夜燈は、文久3(1863)年のもので、「十三社 常夜燈」と刻まれた春日型常夜燈です。高茶屋神社を出る辺りでスタートから約4㎞。時刻は、10時40分くらい。

 その1はここまで。その2は、髙茶液の脇を通り、国道165号線の高架を潜った先にある玉造院から。

徒歩にて長良川河口堰へ

Img_1495c  タイトルを見て、「何を酔狂な!?」と思われるかも知れません。いつもなら、クルマで行くのに、今日は好き好んで歩いて往復してきました(爆)。先日、家内が「たまには歩いて行ってみたら」などとつぶやいたのです。また、いつぞや書きましたが、御年95歳の男性が若い頃は(といっても90歳くらい)、毎日散歩のため、ご自宅(我が家近くの東太一丸団地)から伊勢大橋を歩いて、中堤を経て河口堰を渡って帰ってきていたと伺ったのです。別に「負けてはならじ」と思ったわけでもありませんが、過ごしやすくなったので、一度、歩いて行ってみるかと思いついた次第。冒頭の写真は、出かけるとき、玄関前から撮りました。いつものスーパー・バローの遙か向こうに見えるアーチが伊勢大橋、中央から右に見えているのが、長良川河口堰。揖斐川右岸の堤防から伊勢大橋を渡り、行きは中堤から河口堰の親水広場へ。河口堰の管理橋を西から東へ渡って、帰りは伊勢大橋をまた渡って帰ってくるというプラン。8時出発。

Img_1500c

 住吉神社の前。いつもはここから下流方向へ行き、七里の渡し跡、九華公園に向かいますが、今日は写真の奥の方向(上流)をImg_1524c_20190925173401 向いて歩いて行きます。伊勢大橋西詰交差点をまずは目指します。我が家から1.6㎞くらいでしょうか。右の写真は、揖斐川河口から5.6㎞地点。伊勢大橋西詰交差点は間近。

Img_1525c  国土交通省木曽川下流河川事務所。伊勢大橋西詰交差点のすぐ近くに建っています。8時半Img_1534c 頃、伊勢大橋西詰交差点に到着。堤防道路を歩いてきました。上流側の歩行者自転車専用通路を通るために、3回信号で横断歩道を渡ります。右の写真では右手から来て手前に渡り、さらに国道1号線を渡って……と繰り返します。

Img_1543c  こちらが、上流側の歩行者自転車専用通路。伊勢大橋東詰交差点(桑名市長島町)は遙か遠く。大丈夫かなぁ?と若干不安にImg_7702c もなります。クルマはけっこう通っていますが、歩行者とは遭遇せず。自転車の方2人とすれ違い。まさに専用通路(苦笑)。伊勢大橋を渡り始めてすぐ、揖斐川右岸でダイサギを目撃。幸先よし。他にももう1羽、ダイサギがいました。

Img_1567c  上流側の景色。多度山がよく見えますし、その向かって左には藤原岳が小さく見えています(山肌が削られている山)。写真ではよく分かりませんが、近鉄やJRの橋も写っています。

Img_1569c  西詰交差点から約490mで中堤入り口の交差点に来ます。全国的にも珍しいと思うのですImg_1573c が、伊勢大橋は途中に信号交差点(三叉路)があるのです。中堤はここから上流方向に揖斐長良川の中洲を走る道路(正式には、三重県道・岐阜県道106号桑名海津線)。この道路は、海津市海津町油島の長良川大橋西交差点までですが、その先羽島市や、岐阜市まで道は続いています。

Img_1578c  中堤入り口から私は左折して、中堤を少しだけ歩きます。振り返って見ると、左のような交差点になっていImg_1584c ます。朝7時から夜7時は長島側から桑名市内に向かう車線は右折禁止。右折レーンがありませんから大渋滞を引き起こすので、その防止のため。右の写真は、上流方向。まっすぐ進むのが中堤の道路。少し歩くとご覧のように、左に入る道があります。ここを行くと、伊勢大橋の下を潜って、長良川河口堰の親水広場に通じているのです。10月に入ると、また伊勢大橋の架け替え工事が始まりますので、たぶん通行止めになってしまいます。

Img_1594c  このように伊勢大橋の下をアンダーパスしていきます。潜った先で桑名市街地側を見たのが右の写真。渡ってきた伊勢大橋やImg_1610c (歩いたのは、上流側ですから反対側)、国交省木曽川河川下流事務所などが見えます。このあたりで歩き始めてから2.5㎞ほど。親水広場に着いたのは、8時45分を過ぎたくらい。途中、写真を撮ったりしてマジメ一筋に歩いてきた訳ではありませんので、まぁこんなもの。

Img_1612c  親水広場、草刈り作業が行われていたこともあって、あまり野鳥はいませんでした。スズメの他は、ハクセImg_1624c_20190925173501 キレイが1羽。ちょっとガッカリ(苦笑)。

Img_7721c  いつも河口堰に来るときは、アクアプラザながらの駐車場にクルマを置いて、管理橋を東から西へ渡り、この親水広場を一回りしてまた、管理橋を東に戻っていきます。しかし、今日は、親水広場から管理橋を西から東へ。親水広場から管理橋に上がっていくところの東、魚道脇にアオサギさん1羽。これで、今日のバードウォッチングの目標は達成(苦笑)。アオサギを見るというのが、バードウォッチング散歩の目標になっています。

Img_1632c  管理橋の西の端から見た桑名市街地。見えているのは、揖斐長良川の中洲、揖斐川、そして桑名の市街地。川の向こうから歩Img_1650c いてきたのです(と自慢するほどの距離ではありません)。これから、管理橋を東に渡っていきます。管理橋は、長さ約640m。

Img_7745c_20190925173501  途中、下流側にミサゴの姿。いつもは、管理橋西の端の下流にあるオレンジ色の柱に止まっImg_7751c_20190925185201 ていることが多いのですが、今日は、獲物を探していたようです。ただ、かなり距離があったので、こんな証拠写真。右は、ナガシマリゾート。管理橋の途中から撮影。

Img_1671c  管理橋の東まで来ました。歩き始めてから4㎞、時刻は9時15分くらい。魚道の上流側にImg_1674c は、ダイサギとアオサギが1羽ずつ。互いに牽制し合って、側に行ったり、放れたり。遊んでいるようにも見えました。アオサギが、東側にある魚道観察室の正面の堤防上にいましたので、魚道観察室から写真が撮れないかと思って、魚道観察室の側に周り、まさに入って行こうとしたら、逃げられました。見えていないはずなのに、この仕打ち。あんまりです(苦笑)。

Img_1686c  魚道の下流側には、コサギとダイサギがあわせて13羽ほど。ひらいさんのブログにあったように(2019.09.21~23 週報)、「ダイビング祭」でも始まらないかと思ったのですが、残念ながら今日はそれはなし。やむなく、9時35分に河口堰を出Img_1719c 発して、帰途につきました。

 

Img_1732c  帰りは、伊勢大橋東詰交差点に出て、フルに伊勢大橋を渡ります。伊勢大橋について触れていませんでしたImg_1732c が、昭和9(1934)年に開通しています。橋自体の長さは、1,105.8m。幅員は7.5m。「下路ランガートラス橋」という形式。これは、トラスを上弦のアーチで吊り下げる構造で、当時は最高技術だったといいます。桑名水郷花火大会は、伊勢大橋の開通を記念して始まっています。伊勢大橋の開通前は、三重県営の渡船が運航されていたのですが、重量物の運搬ができず、また、天候にも左右されたため、国庫の補助を得て建設されました。老朽化のため、現在架け替え工事が進んでいます(平成27(2015)年9月着工)。東詰交差点で9時42分。

Img_1741c_20190925191401  今のところ、いくつかの橋脚が作られています。このように下流側に2車線の橋を架け、その後、現在の伊勢大橋を取り壊しImg_1746c_20190925173501 て、さらに2車線の橋を架ける予定と聞いています。橋を渡る途中、こわごわと足下を覗いてみました(右の写真)。高所恐怖症とかではありませんが、あまり気持ちのよいものではありません。写真は載せませんが、歩行者自転車専用通路の鉄板がさびていて、穴があいているところも見つけてしまいました(苦笑)。細かいところに目が向くという特徴も、困ったものです(苦笑)。

Img_7789c_20190925173501  この伊勢大橋には、第2次世界大戦の跡が残っています。15連のスパンのうち、長島側から1連目の上部の梁にこれらの写真Img_7797c のような弾痕が残っているのです。昭和20(1945)年7月30日の米軍艦載機の機銃掃射の跡とされています。このほか数カ所の弾痕が確認されています。左の写真は長島側から、右は桑名側から撮ったもの。

 

Img_1763c_20190925173501  再び、中堤入り口交差点にやって来ます。中堤は上流側に道がある三叉路ですから、帰りにImg_1769c 通っている下流側には道はありません。ここをクルマで初めて通ったときには、「橋の真ん中に信号交差点?」と思ったものですが、今ではすっかり慣れてしまいました。

Img_1783c_20190925173601  伊勢大橋の架け替え工事のことを書きましたが、「非出水期の10月から工事再開」というImg_7811c_20190925173601 ことです。現在、この中堤入り口交差点のところでは、それに向けた準備が行われていました。

Img_1757c_20190925192301  途中、赤須賀漁港所属の漁船が伊勢大橋の下をくぐって行くのを見ながImg_1796c_20190925173601 ら、西詰交差点に向かって行きます。伊勢大橋は、片側1車線。交通量はかなり多く、ダンプや大型トラックもよく通ります。クルマで通っているときもそうですが、歩いていても、大型車両が通過していくと、橋がかなり揺れて怖い思いをします。今日もたびたび、恐怖感を味わいました。

Img_1804c  やっとの思いで、伊勢大橋西詰交差点に戻ってきました。10時を少し回った頃。20分ほどで渡ってきたことになります。思Img_1808c_20190925173601 っていたよりも短い時間です。ここからはまた、揖斐川右岸を戻って来ます。

Img_1821c  住吉神社前まで来たのが、10時25分頃。2時間半弱です。ここまでで歩いたのは、7㎞ほImg_1819c ど。6㎞くらいと思っていましたので、ほぼ妥当。ここで、散歩友達のYtさんに遭遇。Ytさんは、赤須賀のはまぐりプラザの近くにお住まい。「今日は、遅いですねぇ」といわれたのですが、すでに伊勢大橋から長良川河口堰を回って来たことを話すと、ビックリされました。

Img_7827c_20190925173601  Ytさんと話しているとき、上空にトビ。これで、ミサゴに続いて、本日2種類目の猛禽類。たくさん歩いたご褒美(微笑)。

Ibinagara  こちらは、伊勢大橋、長良川河口堰あたりの地図。おおよその距離を入れてあります。帰宅までにバローに立ち寄りましたので、最終的には8㎞あまりを歩きました。予定より少し多め。歩数は、14,000歩くらいでした。今まで伊勢大橋を歩いて渡るということはしていませんでしたが、心理的抵抗が大きかったためと考えられます。真夏や真冬を除いて、季候のよいときなら気持ちよく、いろいろと面白い感じもしました。いつもとはルートが変わり、パターンも変わったので余計に楽しめた感じです。決まったルートにプラスして、新しいルートなどを開拓するとよいことがよく分かりました。

2019年9月24日 (火)

一気に涼しくなった感じ……咲きかけのヒガンバナを見つけました

Img_1435c  今日は、最高気温も27℃、それも朝の9時半前に記録。風はずっと北寄りの風で、一気に涼しくなった感じ。やはりヒガンバナが咲き始めると、暑さが収まると理解できます(微笑)。屁理屈こきですからあまりマジに読んでいただく必要はまったくありませんが、花が咲き始めたり、生き物がやって来たりすると、それから季節が変わるのです。

Img_7640c_20190924165601  それはさておき、生活パターンはいつも通り。いつもの生活ができるのはありがたいことです。8時過ぎから10時半過ぎにかけて散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、新築公園、寺町と5.7㎞。コースもパターン化していますが、途中や後半でバリエーションをつけています。バードウォッチングを始める以前は、あちこちウロウロしていましたが、ここ数年は、これがおきまりのコース。写真は、木曽御嶽山。今時分から、玄関先でも揖斐川沿いでもよく見える日が多くなります。

Img_7645c  その揖斐川と長良川の中洲、今日は、ダイサギ2羽が飛んでいました。このあと別々の所に降りてエサ探しを始めました。ここに載せた写真ではよく分かりませんが、カルガモも2羽ほど見えています。この下流では、アオサギも1羽、中洲近くにいました。九華公園まで、他の鳥は、スズメ、ドバト、ハシボソガラスくらい。そろそろモズに出て来て欲しいのですが、まだ。

Img_1460c  九華公園では、アオサギさん。最近、毎日いてくれますので、安心(微笑)。今日は、ゴイサギ、ホシゴイは見当たらず。他にこの近くにいたのは、シジュウカラ。写真は遠くて、無理でした。バードウォッチング好きの知人からは、昨日、コサメビタキに似た鳥を見たという情報がありました。夏鳥ですので、渡りの途中、立ち寄っていくと考えています(例年、今頃から10月半ばにかけて見かけます)。他は、ムクドリその他のみでした。

Img_7669c_20190924165601  昨日、九華公園ではヒガンバナが咲き始めていましたが、今日は、咲きかけの様子を見られました。ヒガンバナでは6枚の花Img_1464c 弁が放射状についているのですが、これを見ると、一気に6枚の花弁が開くのではなく、1つずつ順番に開いていくと思われます。鎮国守国神社の境内でも、ヒガンバナはニョキニョキと出て来ています。

Img_1478c  トンボも少なくなりましたが、アキアカネなどアカトンボはたくさん見ます。これは、ノシメトンボか、コノシメトンボと思います。九華公園の堀にて。

Img_7643c  江戸橋方面のお話し。今日から後期の授業が始まっています。明日は水曜ですが、授業回数調整のため、月曜の授業が行われます。それ故、私の授業は来週(10/2)から。今日は、助手の先生に最初の授業で使うパワーポイントの配付資料などをメールで送って、準備をお願いしました。2ヶ月の夏休みでしたが、それも終わるとなるとあっという間だった感じです。写真は、名駅前の高層ビル群と、恵那山方面。秋になるとだんだんと岐阜、長野方面の山がよく見えるようになります。

2019年9月23日 (月)

ヒガンバナが咲き始めました……アオサギの大あくびも

Img_1344c  台風17号は温帯低気圧に変わったとはいえ、引き続き暴風に対する警戒が必要だといいます。千葉などでは台風15号の被害かImg_7485c らもまだ復旧が進んでいませんし、これから北日本に進みますから、くれぐれもお気をつけ下さい。我が家あたりも、今朝7時台くらいまでは少し雨が降り、また、風は午後になって収まってきてはいますが、それでも3~4m/sくらい吹いています。冒頭の写真は揖斐川・三の丸水門から見た北の空。このとき、多度山は見えませんでした。右の写真は、住吉神社からみた揖斐長良川の中洲、長良川河口堰方面。川面にかなり波がたっています。

Img_1334c_20190923154801  さて、昨日の近鉄ハイキングでは、よく歩きました。今朝、Nintendoの生活リズム計で確認したら、ご覧のような結果に。9時台後半から14時直前まで赤いマークが並んでいます。この時間帯がハイキングで歩いていたとき。こちらでの歩数も29,264歩と、スマホのアプリとほぼ同じでした。歩数を知るだけならどちらでもよいのですが、生活リズムが見られるので、これも手放せません。

 8時過ぎからいつものように散歩に出て来ました。昨日たくさん歩いたからといって、今日は休みにはなりません(微笑)。住吉神社、九華公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、寺町、桑名別院本統寺、田町から住吉入江と、5.8㎞。お彼岸の中日ですから桑名別院にお参り。

Img_7547c  咲かないと騒いでいたヒガンバナ、九華公園では咲き始めました。奥平屋敷跡の鳥小屋の裏です(左の写真)。他に管理事務所Img_1356c 近くや、二の丸橋の南のたもと、鎮国守国神社の境内でもニョキニョキ出て来ました(右の写真は、鎮国守国神社の境内)。いつまでも暑くて、遅くなったのかという気がします。お彼岸に間に合ってよかった(笑)。

Img_7509c_20190923154801  アオサギさんのスクープ写真(爆)。葉っぱの陰になってしまい、しかもちょっと遠かったので今イチではImg_7509c2 ありますが……。大あくびの瞬間です。左の写真を無理矢理もう少しトリミングすると、右のようになります。まぁ、ご愛敬ということで。

Img_7599c_20190923154801  さらに今日は、ゴイサギ1羽と、ホシゴイ(ゴイサギの幼鳥)2羽を見つけました。最近、アオサギと同じ木にいます。いつも堀を挟んで西側から30mほど離れて見ています。アオサギはいるのに見つけられないことはまずありませんが、ゴイサギ&ホシゴイはなかなか見つけられません。今日もしゃがんでみたり、あちこち動いてみたりしてようやくでした。左の写真は、しばらく見ていて、ゴイサギたちが割りと撮りやすいところに揃ったときに撮ったもの。

Img_7612c_20190923154801  何も危害を加える訳ではありませんので、もう少し愛想よくというか、フレンドリーになっImg_1375c て欲しいと、常々サギたちには願っているのですが、なかなか通じません。

Img_1430c  昨日の疲れはさほどではないと思っていたのですが、午後から「ちょっと昼寝を」と思ったら、1時間半も爆睡。目が覚めてからもなかなか動き出せず(苦笑)。インスタの知り合いは、「70歳くらいまでは無理しても動け。70歳を過ぎると、ガックリ来るから」と励ましなのか、威しなのかよく分からないコメントをくれました(苦笑)。写真は、百日紅の実が出て来た様子(桑名七里の渡し公園にて)。

2019年9月22日 (日)

20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞

 九州地方に台風17号が接近し、その余波で天候もあやしい中、予定通り、近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」に参加してきました。タイトルのように、今日はハイキングだけで15.6㎞も歩いてきました。まさに「歩きに歩いたり」という感じ。桑名の予報は、15時過ぎから雨。それに対して、津は朝から雨という予報でしたが、雨雲レーダー画像ではコースあたりに雨雲はありませんでしたので、「エイヤッ」とばかりに出かけた次第。途中、昼頃からしばらく強い風と細かい雨に見舞われたものの、ほとんど傘も差さずに済みました。680枚くらいの膨大な写真もあり、まだすべてをしっかり確認する余裕はありませんでしたので、ざっとした予告編です。

Img_0594c  近鉄名古屋線・南が丘駅がスタート。受付は9時半から11時。桑名駅を8時42分に出る松阪行き急行に乗車。南が丘駅には、9Img_0599c_20190922201501 時31分到着。¥750。あまり混んでいませんでした。あとで係の方に伺ったら、今日の参加者は280名くらいとか。前回の旅7日目が南が丘駅がゴールでした(20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(予告編))。あの時は暑くて参りましたが、今日はかなりマシ。本日のコースマップ。B4サイズ両面にびっしり。マップ上約14㎞という長丁場。南が丘駅を出て、式内加良比乃神社、島貫の常夜燈、松浦武四郎誕生地、松浦武四郎記念館、月本追分(奈良街道分岐)、市場庄のまち並み、舟木家の長屋門と歩いて、近鉄山田線・松ヶ崎駅がゴール。松ヶ崎駅は、伊勢中川駅から2駅目にして、松阪駅の1つ手前の駅。

190922kintetsuhikingminamigaoka  こちらは、実際に歩いた実測ルートマップ。南が丘駅を出て1.5㎞ほどで伊勢街道に出ます。そこからは、ひたすら南下。津市から松阪市まで。近鉄の駅にして、南が丘から、久居、桃園、伊勢中川、伊勢中原を経て松ヶ崎となります。5駅分も歩いたのです(爆)。まったくよくやるなと我ながら関心。

Img_0605c  南が丘駅を9時40分にスタートしました。曇天でしたが、雨はしばらくは大丈夫そうな感じ。南が丘の住宅Img_0629c 地を抜けて、前回伊勢街道と分かれた成就寺の交差点まで。右が成就寺。真言宗醍醐寺派のお寺。今回も、山門下で写真を撮らせてもらうだけ。右の写真では、奥から来て左へ(コースとしては、右折)。伊勢街道に入っていきます。

Img_0663c  途中かなり端折りつつ行きます。スタートから2.3㎞、10時10分。加良比乃神社(からひのじんじゃ)。延喜式内社で、御祭神は、御倉板擧神(みくらたなのかみ)、天照大神他17柱。垂仁天皇の皇女である倭姫命が天照大御神を奉戴しての遍歴の際、ここに神殿をImg_0671c 設けたのですが、水利が不便なため、樋を使って通したので「片樋宮」と称したといい、これが社名の謂われです。4年後、大御神の神託があり、よそに遷座しましたが、この宮跡に御倉板擧神、伊豆能賣神の二柱を祀って、加良比乃神社と称しました。

Img_0721c  4㎞を過ぎて、高茶屋神社。主祭神は玉柱屋姫命。他に14柱の神が合祀されています。天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)の末裔で、天日別命(あめのひわけのみこと)の娘といいます。もとは「粟島社」と称しており、明治期に近隣の神社を合祀し現在の名称となりましたが、今でも「粟島さん」と呼ばれるそうです。ちなみに、『伊勢参宮名所図会』は、江戸時代の高茶屋の様子について「高茶屋、茶屋多し、此処より晴天には富士山見ゆるといふ」と書いています。また、高茶屋にはあずきバーや肉まん・あんまんで有名な井村屋の本社や、警察学校、機動隊本部などがあります。

Img_0761c_20190922201501  JR紀勢線・高茶屋駅の南で線路を渡って、5.2㎞あたりに龍護山玉造院(ぎょくぞういん)。高野山真言宗のお寺。境内には八十八所の石仏が並んでいるのだそうですが、今日は大賑わい。近鉄ハイキングの参加者の他に、鈴鹿市のウォーキングクラブの団体の方が休憩しておられたのです。早々に出て来てしまいました(苦笑、最近、人混みがあまり得意ではないのです)。

Img_0811c  雲出川(くもずがわ)の手前、6.7㎞あたりで、「史蹟 明治天皇島貫御小休所阯」の碑があります。ここは、Img_0832c 伊勢街道・雲出宿本陣の跡。明治天皇は明治2(1869)年3月10日、明治13(1880)年7月7日、9日の3回、本陣柏屋で休憩されました。雲出川の堤防に上がり、雲出橋の北のたもとに「島貫の常夜燈」があります(右の写真)。碑表には「奉献」、碑陰には「天保五(1835)年甲午三月建」とあります。天保元(1830)年におかげ参りが流行しましたが、その旅人の安全や神宮への祈願を込めて建てられたと思われます。この近くの毘沙門堂には、「島貫の松」があったのですが、伊勢湾台風の後、枯れてしまったそうです。

Img_0842c  雲出橋を渡って松阪市へ。橋を渡ったところの右手(西側)に「小野古江渡跡(おののふるえのImg_0860c わたりあと)」があります。雲出川は、櫛田川・宮川と並ぶ三大河川の1つで、南北朝時代には南朝方と北朝型との境界であり、軍事上の問題から橋は架けられませんでした。そのため渡し場が設けられ、その1つがこの小野古江渡です。明治13(1880)年に雲出橋が架けられました(現在の橋は、平成12(2000)年のもの)。

Img_0869c  小野古江渡跡の向かい(東)には、常夜燈があります。碑表には「常夜燈」、右に「京都○一講/大坂屋藤七」、左には「越山市左衛門/藤忠三」、碑陰には「寛政十二龍集庚申晩春穀旦」と彫られています。寛政12年は1800年。

Img_0885c_20190922201601  スタートから8.2㎞ほど、11時35分に松浦武四郎誕生地に到着。ここが、北海道の名付け親とされる松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888)年)の生家です。ここも以前から来てみたかったところです。入館料は、通常¥100のところ、ハイキングのマップを呈示し、¥80。建物は天保3(1832)年の建築で、本家の家督を譲った武四郎の父・圭介が購入し、移住したといわれています。後に増改築された箇所があるものの、ほぼ当時の様子を残しているそうです。

Img_0932c_20190922201601  さらに、松浦武四郎誕生地から数分のところに松浦武四郎記念館があります。平成6(1994)年に開館し、Img_0939c 松浦武四郎の偉業を伝えています。松浦家から松阪市(旧三雲町)に寄贈された武四郎の貴重な資料が数多く収蔵されており、平成20(2008)年にはそれら資料のうち、1,503点が国の重要文化財に指定されています。入館料は、通常¥310がマップ呈示で¥200でした。記念館を出たところでほぼ正午。

Img_0955c  余談。松浦武四郎記念館から伊勢街道に戻ったあたりで町名表示を見たら、ご覧のようになっていました。松阪市肥留町。何と読むのか? 不思議でした。「こえとめちょう?」などと思っていたのですが、帰宅して調べたら「ひるちょう」だそうです。ちょっと安心しました(微笑)。このあと、風がかなり出てきたり、細かい雨が降ってきたりで、ちょっと難儀をしましたが、本格的には降られず助かりました。

Img_0993c  月本追分(つきもとおいわけ)まで来ました。11㎞の手前、12時25分。奈良街道との分岐です(奈良街道は、ここ月本から久居を経て、津市美里町五百野まで。「伊賀ならみち」ともいいました)。左の写真は、北から撮ったもので、向かって右が奈良Img_1015c 街道。右の写真は、南から撮ったもの。元来は、単なる街道の分岐点でしたが、江戸時代、伊勢参宮が盛んになるにつれて、立場茶屋や煮売屋などが軒を連ねるようになり、休憩を取ることの出来る追分となっていったと考えられています。月本という地名は、古くから月読社(つきよみしゃ;月読命(ツクヨミ、ツキヨミ;月の神。夜の食国(おすくに)の支配を命じられた)を祭神とする神社)が勧進されており、月読社の本の集落という意味から生まれたといわれています。道標と2つの常夜燈があります。

Img_1014c  東側には、天保13(1842)年に奈良までの宿屋連中の寄進によって大型の常夜燈が建立されました。現在のものは、明治3(1870)年に立て替えられたもので、花崗岩の「宮立型」、高さ6mです。表には「(両宮)常夜燈」、裏には「明治三庚午十一月」とあります。

Img_1041c  中道公会所の前に道標があります。中央のものは、「右さんぐう道」と刻まれ、上部に穴があいているといImg_1053c_20190922201801 う珍しいものでした。さらにこの公会所からすぐ南の民家のブロック塀の角にも道標があります。「左からす道」と彫られています。道標を残すためにこういうブロック塀にしたものと思います。

Img_1059c  12㎞あたりで国道23号線の中勢バイパスを潜ります。潜って200mもいかないところに「小津一里塚跡」の碑があります。これまで見てきた一里塚跡の碑はかなり大きくて、目立つものばかりでしたので、危うく見逃すところでした。「一里塚龍宮橋より南凡そ95メートル」と刻まれています。昭和54(1979)年に再建されたもの。

Img_1087c_20190922201601  13㎞の手前で三度川(みわたりがわ)をわたります。中世に渡しが3ヶ所あったので、この名前がついたそうです。橋を渡ったところに常夜燈。表に「両宮/常夜燈」、右には「秋九月造建」、左には「 文政元年戊寅」とあります。文政元年は、1818年。三度橋をわたったところで、初瀬街道が分岐します。初瀬街道は、ここ松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからその名がついています(古くは、「青山越」「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれました)。古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもあったといいます。そのこの向かいに道標があるというのですが、見つけられず残念でした。

Img_1106c_20190922201601  13㎞を過ぎた、このあたりから市場庄に入ります。「市場庄のまち並み」が有名。参宮街道は、江戸時代、大名から庶民に至るまで多くの人々が、駕籠や馬、徒歩で日夜往来し、賑わっていました。なかでもここ市場庄地区の伊勢街道沿いには、全国的にも珍しいといわれる妻入り連子格子の町並が残り、当時の風情を漂わせています。写真はまた改めて整理して、本編に載せます。

Img_1137c  13.9㎞のところにある護法山神楽寺(ごほうざんしんらくじ;曹洞宗)の東に「忘井(わすれい)」という旧蹟があります。「忘れて捨てられた井戸」という意味なImg_1139c_20190922201601 のですが、ここは、斎王群行(さいおうぐんこう;古代、天皇の即位ごとに伊勢神宮の斎宮へ斎王となる皇女が派遣され、その行列を斎王群行と言った)に同行した官女甲斐の詠んだ歌で有名です。「わかれ行く都の方の恋しきにいざむすび見んわすれゐの水」 官女甲斐は、伝説上の斎王を除き、大来皇女(おおくのこうじょ)から数えて49代目の斎王、あい子内親王(在任期間1108~1123)にしたがってこの忘井を通った際、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたといいます。

Img_1166c  また、神楽寺の前には、市場庄公会所。大正7(1918)年に建てられ、昭和30(1955)年まで米ノ庄村役場として利用されていました。神楽寺の境内を利用して建てたとされます。外壁が下見板張りの寄棟造桟瓦葺平屋建で、正面中央に切妻造起り屋根の玄関が組み合わされています。建物の門前には、石製の門柱が立てられており、いかにも役場という雰囲気を感じさせます。現在は、公会所として利用されています。

Img_1212c  市場庄の町を進み、近鉄山田線の高架をくぐり、スタートから14.8㎞のところに行者堂(石造りの役行者を祀る)、庚申堂(自然石の文字庚申)、山の神2基、道標、常夜燈が並んでいました。ここで13時30分。

Img_1246c_20190922201601  いよいよゴールも近くなり、立ち寄るところも残りわずか。そのうちの1ヶ所が、舟木家の長屋門。屋敷へのImg_1249c 入り口としてだけでなく、舟木家の格式を示しています。門の正面中央より下の部屋には、海鼠壁(なまこかべ)が施されています。海鼠壁は、土蔵などの外壁によくあります。この長屋門は、寛政6(1794)年に建てられ、天保5(1834)年に改修されています。

Img_1298c  ゴールの近鉄山田線・松ヶ崎駅には、13時45分に到着。歩いた距離は、15.6㎞。最長距離とほぼ同じではないかと思いますが、また改めて確認します。かなり疲れていたのと、雨が落ち始めたのとで、駅  舎の外観を撮り忘れ(苦笑)。さらに、駅を目前にしたところで、伊勢中川行きの普通電車が出てしまい(13時44分発)、30分待ちという有様。

Img_1288c_20190922201601  ゴールでは、参加記念のマグネットをいただきました。伊勢参りツアー、今のところコンプリートしていて、これで8個目。デザインは、島Img_1295c_20190922201601 貫の常夜燈でした。雨に降られる前にと思って、ここまでほとんど休憩せずに歩いてきました。4時間5分かかっています。ホームのベンチが空いていたので、そこで昼食。今日は、ファミマの助六寿司(税込¥398)。

Img_1305c  14時14分発の伊勢中川行きの普通電車に乗車。伊勢中川には14時20分に着いて、名古屋行き急行(14時23分発)に乗り換え。どちらも座れて楽チン。桑名には15時22分着。¥940。伊勢中川の向こうからとなると、料金が跳ね上がる気がします(苦笑)。今日は、土産はありません。買い物をするところに立ち寄るコースになっていませんでしたし、雨に降られまいとひたすら歩いてということ(笑)。

Img_1328c  ALKOOのデータはこちら。29,143歩と、30,000歩目前でした。これは、最多かも知れません。歩いた距離共々、よく調べてみることにします。この予告編も、急いで書きましたので、また見直して修正を入れるかも知れません。写真の整理は主なものをピックアップしただけで、全体としてはできていません。写真を整理して、また本編を書き始めます。

2019年9月21日 (土)

たまには勉強(^_^)……三重K-ABCアセスメント研究会へ

Dscn1531c  たまには勉強しなければということで、今日は三重K-ABCアセスメント研究会の第27回研究会へ行ってきました。空模様はあDscn1539c やしかったものの、道中、降られることもなく行ってこられました。9時から受付、9時半から12時が研究会ということで、たまにはということで(というか、実はあまり朝早くから出かけるのが苦手なのです。5時過ぎには起きているのですが……)ちょっと贅沢をして、桑名駅から8時7分発の近鉄特急で津まで。8時39分着。運賃¥690+特急料金¥900。

Dscn1552c  津駅でいったん改札を出て、伊勢鉄道の切符を購入。河芸までは2駅で、¥220。伊勢鉄道のことは以前にも書いたことがありまDscn1545c すが、旧国鉄伊勢線。昭和48(1973)年9月1日に国鉄伊勢線として開業したのですが、超赤字路線となり、昭和62(1987)年3月に伊勢鉄道の路線となりました。四日市~津間で運転されていますが、伊勢鉄道自体の路線は河原田駅~津駅間になっています。伊勢鉄道の列車だけでなく、JR東海の特急「南紀」や快速「みえ」が通り、名古屋と鳥羽・新宮方面の間に運転されています。津駅のホームは、JR紀勢線の1番ホームの亀山方向にあります。

Dscn1547c  8時47分発の四日市行き普通に乗車します。車両は、イセIII形気動車。軽快気動車という種別で、平成15(2003)年から平成17(2005)年にかけて製造された車両で、綺麗です。JR紀勢線との連絡待ちで7分ほど遅れて発車。東一身田に停車したら、次が河芸駅。定刻は8時54分着ですが、3~4分の遅れで到着。途中、「伊勢鉄道もこんなにスピードが出るんだ」と思うくらいの速さでした。

Dscn1554c  河芸駅。といっても、ホーム2面と跨線橋と飲料自販機があるだけ。駅前はロータリーになっていますが、こちらにも河芸町Dscn1558c 内の案内看板があるだけ。ここから今日の研究会の会場である津市河芸公民館までは、500mあまり。ちょっとした坂道を登って行かねばならず、徒歩10分くらい。

Dscn1563c  こちらが津市河芸公民館。今日は、山田 充先生(呉市教育委員会)による「発達にアンバDscn1566c ランスな子どもへの正しいアセスメントと支援」 というテーマで講演会。2時間あまりの講演を拝聴。S病院時代の先輩Otさんなど知人にも何人かお目にかかり、旧交を温める機会にもなりましたし、また、別の先生からはコンサルテーションについてのお話しもいただきました。

Dscn1581c  12時前に終了。津駅や白子駅まで送って下さるというお申し出もいただいたのですが、伊勢鉄道の津行きが12時15分にありましたし、津駅で本屋などに寄りたいと思っていましたので、帰りも伊勢鉄道で。券売機はありません。整理券をとって、下車するときに料金を支払い、「精算券」をもらって改札を出ることになります。列車は定刻にやって来て、津駅には12時23分着。

Dscn1589c  15分ほど待ち時間があったのですが、ここでは退屈しません。「駅の周りに何もないのに?!」とお思いでしょう(笑)。Dscn1594c ところが、駅の西は住宅団地になっているのですが、東側には国道23号線近くまで水田が広がっているのです。左の写真は、跨線橋の上から下り方向(津方面)を撮ったもの。水田には今の時期、サギがやって来ます。ざっと見て、ダイサギらしき姿があちこちに3羽。ツバメも飛んでいました。そうなのです、ここはバードウォッチングができる駅なので、退屈しないということ。

Dscn1612c  津駅に着いたのは12時半近くでしたので、まずは腹ごしらえ。9月1日の近鉄ハイキングのときと同じく(2019年9月2日 :Dscn1615c 20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(予告編))、津駅ビル・チャムの2階へ。ここには5軒ほどのレストラン、蕎麦屋などがあります。前回は、「美濃味匠」という店へ行きましたが、今日は、「信州そば処 そじ坊」で「おろしざる定食(税込み¥770)」。お茶とともに「蕎麦チップス」が出て来ましたが、これがなかなか行けました。

Dscn1616c  食後、3階へ行って、別所書店を覗いてきましたが、めぼしいものはなし。また2階のレストラン街に戻って、「美濃味匠」へ。前回の近鉄ハイキングのとき、ここで弁当をイートインして、気に入ったのです。晩ご飯用に弁当と、お彼岸ですから仏壇に供えようと思って、お萩も買ってきました。

Dscn1619c  帰りは急ぎませんから、津駅から急行に乗車。13時18分発の名古屋行き。桑名には、14時3分着。¥690。

Dscn1574c  ところでオマケのような話を1つ。河芸公民館で道標を見てきました。中庭に2つに折れたものを修復した道標が保存されているのです。元河芸消防署前の三差路に建っていたものだそうです。「右 しろこかいたう(白子街道) 左 かんへちかみち(神戸近道)」、側面に「元禄三庚午(かのえうま)年三月吉日 野町中」と彫られています。野町は鈴鹿サーキットの東にあります。河芸の上野から白子を経由して神戸にいくよりも野町を経由するのが近道であることを、旅人に知らすため野町の人々が河芸の上野に建てたものといいます。元禄3年ですから、1690年のもの。

 明日は近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」ですが、津の天気予報は終日雨。約13㎞コース。悩ましい。コースマップだけもらって、別の、天気の良い日に歩くという手もあるか、と思案中。

2019年9月20日 (金)

20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」(その2)……いよいよ菰野富士に登り、眺望を楽しみゴールへ(完)

190916kintetsuhikingyunoyamaonsen0 9月16日の近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」のその2。その1では、菰野富士の登山口まで登ってきて、一息入れました。さぁ、今回は、いよいよ菰野富士に登ります。左の実測ルートマップでは、山の神とあるところの下(南)、国道477号線を潜ったところからです。その1でも書きましたが、歩いた距離を測定するのに使っているMapionの「キョリ測」というサイトでは、東海自然歩道や、登山道はルートが描かれていませんので、この先、菰野富士頂上を往復する道筋はおおよそのものです。

Img_0027c_20190916200001  登山道入り口にある案内板。途中までは東海自然歩道と重なっています。現在地とあるところの上(西)に鳥居道山キャンプ場という表示があります。その1で触れましたが、S病院で働いていた頃、入院していた筋ジストロフィーの子どもたち、ご家族と夏休みにキャンプに何度も来ました。このあたりのキャンプ場をすべて見て回って、車いすでも来られそうなところを探して、ここに決めたのですが、当時、こんなことをしている病院はありませんでした。大変でしたが、子どもたちも家族の方も喜んでくださったのが思い起こされます。

Img_0218c  すぐに下って、紅葉橋で鳥井戸川を渡ります。紅葉のシーズンであればとても美しいところと思えます。まさに渓谷という感じImg_0213c で、川遊びをしている方々の姿もありました。

Img_0040c_20190916183901  紅葉橋を渡るといよいよ登山道。個人的な印象では、最初のうちの方が、足場が悪く、登り坂も急なImg_0045c 感じでした。右の写真のように、階段状に整備されているところもありますが、岩がそのままであったり、木の根が露出したりしているところもかなりました。

Img_0051c_20190919123201  途中で登山道は、大石公園に向かう東海自然歩道と分岐します。ここから先は、アップダウンはかなり続くものの、ここまでほどの急な上り坂はなくなり、比較的楽になりました。

Img_0074c  頂上までの間、ところどころに石柱が建っています。数えたら5基ありました。「陸軍用Img_0069c_20190916184001 地」と刻まれています。明治43(1910)年から昭和20(1945)年まで35年間にわたって、陸軍の演習場である「千種演習場」がこのあたりにあったといいます(リンク先に演習風景の写真があります)。明治38(1905)年、日露戦争が終結すると、陸軍増設・海軍拡張の声があがり、名古屋駐屯の陸軍第三師団司令部は管下部隊の野戦訓練場として、菰野富士山麓の江野高原に目をつけたのだそうです。演習場は、昭和16(1941)年4月、京都第十六師団の管轄下に置かれましたが、戦争の拡大に伴い、演習場は拡張されます。同年12月8日、太平洋戦争へ突入すると、演習場の戦闘訓練も激しさを増し、野戦重砲・重機関銃・軽機関銃・小銃の射撃音の聞こえない日はないようになったといいます。終戦後は、しばらく進駐軍が巡視に来ることもあったそうですが、江野は県営開拓団が入植し、食糧の自給と酪農の基地となり、また、鳥井戸川以北は、千種村に払い下げられ、もとの水田や畑、牧野、山林となり、原形に戻りました。

Img_0109c_20190916184001  登り始めて25分、11時11分に頂上が見えてきました(微笑)。いやぁかなり長い時間がかかった気がしました。それに、正Img_0110c 直に書けば、かなりしんどい思いをしました(苦笑)。頂上は小さな広場にテーブルとベンチもあって、休んだりすることができるようになっています。が、この日は日差しがかなりキツくて、大半の方は木陰に入っていました。頂上でスタートからおおよそ3.4㎞。

Img_0129c  眺めは、コースマップに「周囲360℃ 展望」とあったとおり、山頂は開けていて、360°Img_0111c の眺望が楽しめます。これら2枚は、東側(平野側)の眺め。菰野、四日市方面が見えます。この日は、少し霞んでいて伊勢湾ははっきりとは見えませんでした。新名神高速道路などもよく見えます。

Img_0117c  山の側(西側)は、御在所岳など鈴鹿山脈と、湯の山の温泉街が一望できました。左の写真で御在所岳はもImg_0120c っとも左に写っています。ズームアップして見たのが、右の写真。頂上にある建物(展望レストランなどがあります)と、御在所ロープウェイの白い鉄塔が見えています。この鉄塔、晴れていると我が家からも見えます(知多半島からも見えるそうです)。ロープウェーの鉄塔の中で「日本一」の高さで、正式には「6号支柱」といいます。御在所岳の標高約943m地点に建ち、御在所ロープウエイを支えているのです。鉄塔の高さは61mで、日本一。開通当時の昭和34(1969)年には、世界一だったそうです。ちなみに、この日、ロープウェイのゴンドラが見えなかったのですが、後で調べたら、11時現在、頂上では15m/sの強風で、運行停止でした。

Img_0158c_20190919131701  「6号支柱」辺りをもう少しズームアップするとこんな感じ。ロープウェイの支索まで見えます。右は、湯の山の温泉街。向かって右に見えている橋は、「かもしか大橋」。平成30(2018)年8月に、住民や観光客の災害時や緊急時における安全な交通を確保することを目的に新しく開通したもの。

Img_0143c  頂上をあちこち見て回ったところ、ここにも「陸軍用地」の石柱がありました。テーブル・ベンチの南に詰Img_0145c まれていたケルンのすぐ脇に、です。頂上には20分ほど滞在。景色を眺め、写真を撮ったあとは、小休止&おやつタイム。下山しようと思ったら、知人に遭遇。去年4月28日の多度の近鉄ハイキング(20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))で知り合った、桑名・大山田にお住まいの男性。私より10歳以上は年長でいらっしゃるはずですが、お元気です。飄々と登ってこられました。

Img_0227c  11時半に下山開始。帰りはさすがに早い。童謡に「行きはよいよい、帰りは怖い」というImg_0224c_20190916184001 のがありますが、全くの逆(微笑)。15分で降りてきました。登山口まで降りてきたら(11時45分)、休憩小屋にどなたもいらっしゃいませんでしたので、ここでお昼にします(4.1㎞)。今日はまたもや、ファミマの弁当。「バラエティおかず&おむすび」(税込み¥368)。15分ほどで弁当を食べ、12時に再スタート。

 そうそう、「菰野富士」というからには、富士山のような形をしているはずですが、歩いているときには、どの山が菰野富士か、まったく意識していませんでした。それ故、全体像の写真もありません。帰ってから調べたら、「菰野富士チャレンジハイキング」のパンフレットに写真が載っていました。確かに富士山の形。また、このパンフレットには、次のような菰野富士誕生の「大男伝説」が載っていました。

むかしむかし、西の近江国にとてつもなく大きな男がいました。国のどまん中に大きな穴を掘り、その土をモッコに入れて棒でかつぎ、せっせと遠い駿河国まで運びました。

その土が積もり積もって富士の山になり、彫った大穴に水が溜まって琵琶湖ができました。

あるとき大男が鈴鹿の山をヨイショと越えたひょうしにモッコの土がこぼれ、その土で菰野富士ができたという話。

Img_0232c  国道477号線を再び潜って、希望荘の入り口へ。ここにある山神様へ、無事登山を済ませられたお礼参りに。「鳥居道山山Img_0235c_20190916202701 神」とありますが、社などはなく、石垣の上に山神と刻まれ、注連縄が飾られた大きな石が祀られていました。

Img_9932c  往きに来た道を「嶽不動 鳥居口」の石碑まで戻ります。ハイキングコースは、ここを右折Img_0253c (東へ)。ここから来たときとは違ったルートになるのです。5㎞を過ぎて、左側(北側)に「菰野陶芸村」の看板が見えてきます。故伊藤圭氏(1937~1999)が主宰し賛同者が集まったもので、12連登り窯があるそうです。陶芸教室なども行われています。

Img_0264c_20190919151401  5.5㎞地点にかもしかのオブジェ。なぜここにかもしかのオブジェがあるかといいますと、御在所岳一帯には特別天然記念物のニホンカモシカが生息していて、菰野町観光協会の公式キャラクターもそこから「こもしか」となっているのです。ただし、このオブジェの由来その他は不明。

Img_0289c_20190916203101  かもしかのオブジェのところで右折し、あとはひたすら南へ下っていきます。6㎞を過ぎて、往きに登っていった国道477号Img_0330c_20190919152201 線を渡り、今日のゴール受付があるグリーンホテルへ。12時30分に到着、ここまで歩いたのは、6.4㎞。ここでは、「菰野まるごとハイキング」というスタンプラリーの用紙をいただきました。春夏秋冬の4シーズンについてハイキングを達成すると抽選で記念品がいただけるという企画。来年でも、再来年でも構いませんということでした。グリーンホテルさんでは、今日のコースマップがあると、日帰り入浴が、通常¥700のところ¥550に割引でしたが、着替えを持っていませんでしたので、これはパス(ちょっと残念)。涼しいところで5分ほど休んで、湯の山温泉駅を目指します。

Img_0298c  スタートした湯の山温泉駅にゴールしたのは、12時40分に到着。スタートから3時間半ほどかかりました。次の四日市行き普Img_0300c 通電車が出るのは、13時ちょうど。時間がありましたし、暑くてたまりませんでしたので、珍しく自販機でアイスを購入(苦笑)。グリコ・セブンティーンアイスのチョコミントです(¥140)。お陰でクールダウン。

 

Img_0310c  13時の四日市行きに乗車。電車には、昨年の「湯の山温泉開湯1300年」のヘッドマークがまだつけられていました。近鉄四12041552_5843bd2f75fac_20190919152901 日市駅には13時25分に到着(¥380)。ここで途中下車して、四日市近鉄百貨店に寄り道。寿や(恵那市)の栗きんとんが出張販売で売られているのです。去年も同じように途中下車して寿やの栗きんとんを買っています(20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ……予告編)。6個入りを購入(税込み¥1,782;去年は¥1,501で、20%近い値上げ)。家内も娘も大好物なので、特別に(微笑)。四日市からは13時51分の名古屋行き急行に乗車して、桑名には14時4分着(¥300)。

Img_0326c  この日はかなり暑くて、風も強かったですし、菰野富士にも登って、疲れました。歩数は、ALKOOによれば、17,141歩。歩数もさることながら、今日は、湯の山温泉駅(標高は約135m)から菰野富士(標高369m)まで3.5㎞ほど歩く中で230mほどの高さを登りましたので、余計に大変でした(苦笑)。普段の散歩でも高低差のあるところも歩かねばと思いました(書くだけで、実行するかどうかはアヤシい)。そして、矛盾するようなことを書きますが、今度はチャンスがあれば、多度山(標高403m)にも挑戦しなくっちゃとも思い始めています。多度山にはいくつものハイキングコースが設定されています(こちら)。

Img_9882c  あみま倶楽部のスタンプは25個目となっています。次の近鉄ハイキングは、9月22日の「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」です。伊勢参りツアーですから是非とも参加したいと思っていますが、週間予報では微妙な天気(曇り時々雨)。何とか晴れて欲しいですねぇ。

彼岸の入りにて、鳥いよいよ少なく、ヒガンバナは咲かず

Img_0535c_20190920154601 今朝は、最低気温が 16.3℃と寒いくらい。日中は、28.8℃まで上がりましたが、これだけ寒暖差があると参ります。朝のうちは、風も強く、散歩には長袖シャツで出かけたくらい。彼岸の入りを迎えました。いつも通り、8時から2時間ほどの散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町から寺町へ。寺町では、彼岸の入りということもあって、桑名別院本統寺にお参り。

Img_7449c  タイトル通り、鳥はほとんどいません。スズメ、カラスさえも少なめ(苦笑)。写真のアオサギさんは、揖斐川に面する三の丸水門のところにいました。しかし、九華公園にはアオサギも、ゴイサギ・ホシゴイも不在。ダイサギは来ていません。九華公園で見たのは、スズメ、カワラヒワ、ムクドリ、ドバト、キジバト、カワウ、ヒヨドリくらい。しかも数が少ない。バードウォッチング好きの知人お二人にも会いましたが、「何もいませんねぇ」というのが、挨拶変わり(苦笑)。モズは今日も来ていませんし、ヒガンバナも芽も出て来ていません。知人や、公園清掃に来ていらっしゃるシルバー人材センターの方に伺っても、「そういえば、モズが来ないな。ヒガンバナも見ていない」とおっしゃいます。貝塚公園や、内堀南公園でも同様。カラスか、ヒヨドリくらい。ヒヨドリも例年より少ない気がします。

Img_0573c  冒頭にも書きましたが、彼岸の入りですので恒例にしたがい桑名別院本統寺にお参りしてきました。真宗大谷派のお寺。お墓参りの方もチラホラいらっしゃいます。明日からは、3連休ですが、台風17号の影響を受けそうです。明日は、三重K-ABCアセスメント研究会がありますから、津市河芸町まで出かけるつもり。日曜(9/22)は、近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」ですが、曇り時々雨の予報。微妙です。

Img_7474c_20190920154601  10月からの江戸橋での授業再開に向けて、ボチボチと準備を進めています。去年の講義内容は確認し、修正も終えました。一部入れ替えと、去年は14回しか担当していませんので、1回分はまったく新たに追加が必要です。考えた結果、2コマ分は新しい内容とし、1コマ分は内容をかなり大幅に入れ替えることにし、これらに取り組んでいる最中。

2019年9月19日 (木)

彼岸の入りを前にヒガンバナは見当たらず

 朝は20.4℃、日中の最高気温は30.5℃。10℃も気温の差がありますと、体調を崩しかねません。年齢もそれなりに重ねておりますから、若い頃のようには行きません。十分に自覚しないと(苦笑)。

Img_0490c  さて、いつも通り散歩であります。他にすることがないのか? と思われるかも知れませんが、運動にもなりますし、気分転換、バードウォッチングもできますし、人にも会えます。思わぬひらめきが浮かぶことも(役に立つかどうかは、別問題)。今のところは最優先課題(爆)。ということで、今日も8時から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、新築公園、寺町商店街と回って、5.6㎞。10時半帰宅。これくらいが運動量としても、歩数(1日で1万歩あまり)としてもちょうどよいくらい。今朝の空は、秋の空。

Img_0508c_20190919163001  住吉水門から下流を眺めたら、川口水門と三の丸水門との間にアオサギが佇んでいました。これからの季節、揖斐川の堤防にこImg_7400c うして、アオサギがいることがよくあります。住吉水門のところでは、こんな鳥が。新種ではありません。ハシボソガラスです。病気なのか羽が抜けて薄くなっている感じ。カラスにしてはちょっと情けない姿で気の毒に思えます。

Img_7406c  いつもながら鳥はあまりおらず、九華公園へ。アオサギさんはいつものところに、いつもと同じようにいます。残念ながら、今日はダイサギは来ておらず。これまでですと、年に1回、姿を現すかどうかでしたからこの3日間ができすぎでした。このほか、朝日丸跡でメジロがいたものの、逆光でとても見られない写真でしたので割愛。

Img_0525c  明日は彼岸の入りなのに、散歩コースではヒガンバナが見当たりません。「ありません」という写真を載せるのE54d2273 も何ですが、九華公園の二の丸橋の南の袂もご覧の様子。右の写真は、ちょうど1年前の今日、鎮国守国神社で撮ったもの(2018年9月19日:油を売って3時間半、5.5㎞散歩(笑)……シロバナヒガンバナも)。この二の丸橋の辺りも同様だったのですが、今年はさっぱり。

Img_7442c  アキアカネはよく飛んでいますが、なかなか止まってくれず。飛んでいるところは至難の業。変わりにアゲハ。

20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」(その1)……湯の山温泉駅をスタートし、ひたすら登り、江野高原のツツジ群生地、嶽不動鳥居口の石碑を経て、菰野富士登山道へ

 9月16日(月・祝)、近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」に行ってきました。菰野で富士登山です(笑)。一昨年の暮れから近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングに行くようになり、その企画を見るうちに菰野にこの「菰野富士」という山があることを知り、登ってみたくなったのです。しかし、普段の散歩では平地ばかりを歩いており、多度山にも登ったことがありませんので、若干不安でしたが、ヘトヘトになりながらも、無事に登ってきました。この日は、好天でかなり暑く、また、風もとても強くて参りました。桑名では最高気温34.2℃と、ハイキングのテーマにあるように「夏納め」とは行かず。

Img_9886c  受付は、湯の山線・湯の山温泉駅で9時半から11時。桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行に乗車。四日市に9時14分に着いて、四日市発9時30分発の湯の山温泉行き普通に乗り換え。湯の山温泉駅には9時56分着。¥520。車内は、ハイキング参加者で座席が埋まっていました。受付開始から30分も経っていますから、受付も空いています。最近は、急いで行くことはない、ゆっくり行った方が空いていてよいと思うようになっています。

Img_9880c  こちらがコースマップ。マップ上約8㎞のコース。B4片面ですが、湯の山温泉駅から菰野富士までを往復するコースでしたから、これで収まるのです。湯の山や、菰野は、去年、「湯の山温泉開湯1,300年」ということで、ハイキングの企画がいくつもあり、何回か来ました。また、それ以外にも懐かしい思い出があります。写真ではわかりにくいのですが、地図の左上に希望荘があります。ここは三重県勤労者福祉センターがやっている宿で、国立療養所S病院で働いていた頃、泊まったことがあります。また、地図の範囲外になりますが、すぐ近くに、鳥居道山キャンプ場があります。ここは、S病院にいたとき、子どもたちを連れてキャンプに何度か来ました。ということで、ある種、懐かしいところなのです。

190916kintetsuhikingyunoyamaonsen0  実際に歩いたルートマップ。キョリ測では、登山道や、東海自然歩道などのルートが載っていません。希望荘、山の神から先、菰野富士を往復するところはおおよそのルートになっています。そのため、湯の山温泉駅にゴールしたときの距離も7.2㎞と、コースマップよりも短くなっています。ちなみに、湯の山温泉駅の標高は約135m。10時8分にスタートして、往きはひたすら登っていきます。菰野富士の標高が369mですから3.5㎞ほど歩く中で230mを登るということです。予告編で、「私の近鉄ハイキング参加史上、最大の高低差」と書きましたが、間違っていました。去年11月10日に行った近鉄ハイキング「親孝行のふるさと『養老フェスタ』」(20181110近鉄ハイキング「親孝行のふるさと『養老フェスタ』」へ……予告編)では、254mの高低差でした(養老駅が25m、養老の滝付近で279m)。わずかな差ではありますが、それについで2番目ということで、訂正します。養老のハイキングでは、コースミスをしでかし、2㎞ほど余分に歩きましたし、養老の滝に登る道もかなりしんどかった記憶が蘇ってきます。

Img_9887c  さて、湯の山温泉駅を10時8分にスタート。天気晴朗なれど、風強しという状況。駅を出て西へ。すぐに三滝川を神明橋をわImg_9891c たります。このあたりからも鈴鹿の山並みが見えますが、御在所岳は、画面の範囲外。もう少し右にあります。今日の近鉄ハイキングのコース、菰野町が「菰野富士チャレンジハイキング-自然を満喫する半日コース-」として設定しています。それも何と、菰野富士山頂まで3776mと、本物の富士山の高さと同じ距離を歩くコースになっています。あちこちに右の写真のような道標があり、これを辿って菰野富士まで行けるようになっています。

Img_9893c  神明橋をわたって右折。今は営業していないようですが、湯の山ストアーの前を通ってすぐまた左折。すでにこのあたりからImg_9899c_20190916183801 ズーッと登り坂(苦笑)。600m足らずで左折。国道477号線に入ります(右の写真)。この国道477号線は、この先、鈴鹿スカイラインになります。平成9(1997)年11月以前は、有料道路でした。若い頃、鈴鹿スカイラインをよく走りに来ていましたが、5kmで440mほど登るというかなりの坂。この先が思いやられます(苦笑)。

86  ちなみに、当時は、スプリンタートレノGT-APEXなる、スポーツタイプの車に乗っておりました(昭和58(1983)年発862 売)。AE86、いわゆる86トレノです。これらの写真と同じクルマですが、私が乗っていたのは色が赤黒。ツインカム16の4A-GEUエンジンは、よく回りました。ローギアでめいっぱい踏み込み、セカンドギアに入れる頃には時速90㎞を越えるくらい。乗り始めた頃は、外車と間違われたのか、前を走るクルマが道を譲ってくれたこともありました(今のようなあおり運転はしておりませんし、暴走行為もしていません。念のため)。若かったですねぇ。

Img_9908c  左の写真あたりで1.2㎞の手前で、標高190mを越えたくらい。すでに50m以上登ってきたことになります。けっこうしんどくて、「来なけりゃよかった」という気もしてきます(苦笑)。正直に白状すると、時々、こういうことを思います。

Img_9920c_20190918195701  鈴鹿スカイラインに入って、1.4㎞あたり、左手(西側)にこのような景色。道の向かい側でしたので、案内Img_9924c_20190918195701 板をズームアップしてみると、右の写真のような説明があります。「江野高原ツツジの群生地」とあります。ここは、古くからツツジの自生地として知られ、江戸時代の俳人横山也有(元禄15(1702)~天明3(1783)年)が、高原一面に咲き誇るのを見て「絵のように美しい」といったのが地名の由来といわれます。横山也有、名は時般(ときつら)。尾張藩の重臣で文武芸能にすぐれ、俳諧は余技であったといいます。江野高原は、菰野富士の裾野。

Img_9927c  さらに登り坂を息を切らしながら登っていくと、スタートから1.8㎞地点で三叉路。そこに「嶽不動鳥居口」と彫られた大きImg_9929c な石碑があります。このあたりで標高は240m前後。駅から100mも登ってきました。このあたりは、中世の頃、国見岳(1,170m)の中腹にあった天台宗の 冠峰山三嶽寺の寺領でした。三嶽寺へ年貢米を納めるのに、村の西はずれの嶽道を通り、 菰野富士北側の参道入口の鳥居の下で、山寺の僧兵に引き渡したといわれ、 今もここを鳥居口といい、道案内の石仏が残っています(こちらを参照)。

Img_0247c_20190918200901  往きには気づかなかったのですが、帰り道、石碑に向かって右にお地蔵様がいらっしゃいました。千草財産区が設けている説明板によると、「往昔の冠峯山三岳寺の表参道の入口にあたる。ここに鳥居が立ちその下に寺への道程を示す丁仏があった」といいますから、この丁仏様かも知れません。

Img_9942c  さらに登り続け、2.2㎞近くで、再び三叉路。ここで国道477号線(鈴鹿スカイライン)とは別れを告げまImg_9946c す。菰野富士の頂上から見える景色がありました(とはいえ、希望荘の宣伝看板ですが)。こういうパノラマが楽しめるのか、とちょっと元気になれます。

Img_9950c  右に逸れる道を進むと、ご覧のような大きな石碑。「鳥居道山渓谷 希望Img_0008c 荘源泉」とあります。ここが、希望荘への入り口。何回か泊まりに来たはずが、ほとんど記憶にありません。まぁ、30数年前のことですから(苦笑)。

Img_0010c_20190918202501  希望荘への入り口に「鳥居道山山神」という碑が建っています。神社があると立ち寄りたくなる私ですが、このときはあまり気持ちに余裕がなく、この日の写真を撮っただけでパス。帰りに無事に登山できたお礼に立ち寄って来ましたので、またあとで。

Img_0013c  このあたりは東海自然歩道の一部。こんなトンネルを潜って、菰野富士登山に向かうのです。あらかじめ、Img_0015c 先に同じルートのハイキングに参加した方の記録を見ていきましたのでよかったのですが(こちら)、そうしていなければ、「こんなところを行くのか?」と不安になったと思います。ちなみに、ほんのわずかではありますが、東海自然歩道を歩いたのは初めて。また、今でも東海自然歩道があるのには、ちょっとビックリ。

Img_0019c  トンネルを潜った先に、休憩所や案内表示、看板があります。ここからがいよいよ本格的な登山(本当の山登りをなさる方にImg_0023c は、鼻先で笑われること請負ですが、超初心者の私にとってはまさに「登山」なのです)。ということで、登山前に一息入れたくなりました。その1はここまで。その2では、菰野富士に登り、眺望を楽しみます。

 

2019年9月18日 (水)

九華公園で今日もダイサギ……コシアカツバメも

Img_0389c_20190918162901  気温は27℃にならないくらいでしたが、湿度が高い日です。午後3時頃から晴れ間が出て来ました。午前中、雨も降りそうな感じもありましたが、いつも通りの散歩です。8時スタートで、住吉神社、九華公園から、所用がありましたので、京町、寺町商店街脇を通って、寿町へ。用事を済ませていったん帰宅。5.5㎞。その後、バードウォッチング雑誌を見に、改めて本屋に行ったものの、ありません。今月は発売日が早かったので売れてしまったのかも。

Img_0408c  相変わらず鳥は少なかったものの、今日も九華公園では、アオサギとダイサギが1羽ずつ。アオサギさんは、いつもの定位置にいます。先日までゴイサギや、ホシゴイがいたのですが、ここ何日か、私は姿を見ていません。ただし、今日出遭った知人は、いつもと違うところにゴイサギがいたとおっしゃっていましたので、見つけられないだけという可能性もかなりあります。

Img_0431c  ダイサギは、知人の目撃情報も含め、今日で3日連続登場。今日は、昨日と同じく、朝日丸跡(右の写真)、野球場南の堀(左の写真)、Img_0464c 吉之丸堀の東屋の下の3ヶ所を移動しつつ、獲物を狙っている風でした。今日は、用事に回ろうと思っていましたので、あまりゆっくりは見ていません。このまま毎日来てくれるとありがたいのですが、どうでしょう?

Img_0483c_20190918163001  さらに今日は、二の丸橋の南でツバメを目撃。肉眼では普通のツバメと思ったのですが、写真で確認するとコシアカツバメでした。3羽が電線に止まっていました。胸から腹にかけて細い縦斑がたくさん見えていました。このうち1羽はヒナのようでした。普段、散歩コースで見ることはありません。これまで見たのは、四日市に住んでいたときと(もう20数年前)、家内の実家で2年前に見たのと(2017年5月3日:コシアカツバメ……家内の実家にて)、2回くらいです。そろそろ南の国へ帰っていく頃でしょう。

Img_0466c  九華公園の外周遊歩道の南にあるお宅で、この白い花。葉っぱを見て、ハギだなと思っていたのですが、咲いた花は白。植物のことは詳しくはないのですが、シラハギあるいはシロバナハギというものかと思います。ヒガンバナは、九華公園、鎮国守国神社では、今日もまったく出て来ていません。彼岸の入りが9月20日(金)に迫っているのに、気になります。

2019年9月17日 (火)

20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(その3)……多度大社で謎を残したまま先に進み、細川酒造へ、六角地蔵堂を見て、帰りはハローキティラッピング電車を楽しみ「完」

 9月14日に行ってきた近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」のその3です。「オクトーバーフェスト」の謎は解明できたものの、多度大社をめぐっての謎、疑問は残したまま次へ進みます。別にビールの魅力に目がくらんでいるというわけではありません。

190914kintetsuhikingtado2  実測ルートマップは、その2になります。多度大社の境内を歩き回っている間にスタートから2㎞。大社前の丸繁さんを覗いただImg_9639c けで、何も買わずに先に進んでいます。多度川を大門橋で渡り(こころんさんのコメントに関連して、昔の地図を見たら、この多度大社から南に向かう道は、明治24年頃にはなかったようです。こちら。何ごとも、時間的、空間的な視点からの理解が必要だと思いました)、多度大社前の信号交差点を渡って、右折。西に向かいます。

Img_9645c 多度保育園、多度幼稚園の前を通って、3㎞を過ぎて左折。細川酒造に行くには、このまま直進した方が距離は短いのですが、Img_9646c ハイキングとしてはある程度歩け、ということなのでしょう(実際、直進していく人もたくさんいました)。多度町北猪飼の辺りを南に進みます。これを書くのに地図を見ると「ごんべえ溜」という溜池もあったりして気になりますが、当日はそんな余裕はありません。

Img_9650c  途中、諏訪神社という社号標と、神社に上がっていくらしい階段を見つけたものの、寄り道する元気はありImg_9667c_20190914161801 ません(苦笑)。このあたりの産土神。主祭神は、建御名方神。途中、あるお宅の前を通ったら、鶏の鳴き声。養鶏というほどの規模ではありませんでしたから、趣味で飼っていらっしゃるのかも知れません(金網越しでピンぼけ写真でした)。子どもの頃、我が家でも鶏を飼っていたことがありました。卵を取ることがで来たかどうかは、記憶がありません。さらに進んで、3.6㎞地点、北猪飼のKバス(桑名のコミュニティバス)バス停や、多度南郵便局のある辺りで右折。西へ。

Img_9670c_20190917195101  この先しばらくは、コースマップでは立ち寄り先は指定されていませんでした。しかし、3.9㎞ほどのところで大日如来堂を見つけました。大日如来堂、珍しくないと思って、一応見てきただけだったのですが、後で調べたら、桑名市内では、五反田、久米の島田と、ここ多度町猪飼の3か所のみに祀られているものだそうで、もっとしっかり見てくればよかったと反省(こちらの5ページ)。大日如来は、真言密教の教主とされます。宇宙の実相を仏格化した根本仏でありで一切の現実経験世界の現象はこの如来そのものであるといわれるほどの仏様。

Img_9682c_20190914175501  このあたり、立ち寄るところも、とくに他に見るところもなく、ひたすら肱江川沿いの道を歩いて行きます。コースマップにImg_9696c は、「肱江川 渓谷の眺め」とありましたが、草も生い茂っていて、渓谷の眺めは楽しめず。途中、5㎞の手前で大規模な採石場がありました。多度開発という会社が採石をしているようでした。

Img_9703c_20190914161801  11時20分頃、古野の信号に出ました。5.6㎞地点。ここまで来れば、細川酒造もすぐ近くImg_9707c のはず。信号を渡って、古野の町へ入っていきます。アタマの中は、ビール、ビール(苦笑)。暑くて、汗を掻いて、ビールがうまいぞというのが、このあたりを歩いていたときのモチベーションなのです。

Img_9727c  スタートから6.1㎞、時刻は11時半、やっとの思いで細川酒造に到着(微笑)。すでにたくさんの方たちがいて、「宴会」をして盛り上がっているグループもあります。暑い中を歩いてきましたので、のどが渇いていImg_9712c て、試飲が楽しみ(爆)。近鉄ハイキングの「酒蔵見てある記」ではお馴染みの光景。このハイキングで知り合った、四日市・富田の人も仲間の方たちと盛り上がっておられました。

Img_9714c_20190914161901  試飲会場へ直行。コースマップについている試飲券と引き替えにまずは一杯。試飲にいただいたのは、「上馬ビール ヘレス」。いわゆるラガーと思います。のどが渇いていましたし、試飲のカップが右の写真のようにミニサイズでしたので、ごくごくと一気に飲んでしまい、あまりよく味わっていません。上Img_9716c 馬ビールは、初めてではありませんが、まさに「麦酒」という感じがかなりします(素人表現丸出しで我ながら笑えます)。というのも、「上馬ビール」は、ドイツ直輸入の有機無農薬麦芽と有機ホップのみを使用したオーガニック原料のビールで、「有機無農薬麦芽100%」・「有機ホップ100%」で作られているのです。

Img_9721c_20190914161901  当然これだけでは足りませんでしたので、もう1杯。ワンコイン(¥500)を払って、「上馬ビール ドゥンケル」。普通にいう黒ビール。試飲用とは違って、大きめサイズ。それに、さすがにうまい! 値段はそれなりなのですが(へレス、ドゥンケルともに330mlで¥460)、いかにもビールという感じで美味しく飲めること請け合い。細川酒造では、地酒「上馬」もありますが、この時期まだ新酒はありませんから、今日は、土産その他のお買い上げはありません。多度土産と同じく、我が家近くでも買えるからです。あとから思い出すと、私がドゥンケルを待っているとき、前にいた女性が予告編で書いた「3杯飲んだ」方でした。私も、つまみも売っていて、もう少し飲もうかとも思ったのですが、帰りのことも考え、細川酒造滞在は10分ほどで、次へ(我ながら、もうちょっと後先を考えずにぱーっとやるようになってもいいか、という気もします)。

Img_9736c  細川酒造から300mほどのところに六角地蔵堂。案内板の説明によれば、六角形の花崗岩の各面にお地蔵様が彫られていまImg_9738c す。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天という6つの善悪の業を救済する姿が薄肉彫りにされています。昔、一人の行者が員弁郡中津原のススキの中に倒れていた地蔵を見つけ、それを背負って市之原、前山を通って古野の山まで来たとき、「もうここでけっこうだ」というお地蔵様の声がしたのでそこに下ろしたといいます。また、あるとき、古野の年貢米を運ぶ船が出るとき、突風で沈みそうになったとき、お地蔵様が「古野の個目を運んだ船が沈むぞ」と大声で3回叫び、それを聞きつけた若い衆が駆けつけ、事なきを得たといいます。以前は、肱江川の南の前の山に安置されていたものが、明治時代に現在の場所に移されたといいます。お堂は、昭和52年(1977)年3月に建て替えられています。

Img_9749c  六角地蔵堂からすぐ(200m足らず)、ほろ酔い気分で(足取りはアヤシくはありません……ただし、あくまでも主観ではあImg_9752c りますが)、この日のゴールというか、バス乗り場のふれあい広場・岩や姫。11時42分、スタートから6.7㎞。生活必需品の廉価販売やコミュニティ広場として開放されていますが、さらに、地元産の野菜や果物、手作り品など、様々な商品が売られているところ。ここから多度駅までの三重交通のバスが出ます。乗車券を買った上で乗るようにということでしたので、まずは¥340を払って乗車券を確保。バスが出るのは、12時10分。

Img_9753c  時間がありますし、腹も減ってきましたので、腹ごしらえをすることに。駐車場に出ていた店で赤飯、串カツなどいろいろとImg_9756c_20190914161901 売っていたのですが、焼きそばをゲット。¥350。こういうところで売っている食べ物は、けっこう美味しくいただけるものです。焼きそばを食べて、バスの到着を待ちます。路線バスではなく、この近鉄ハイキングのための臨時バス。お客が多かったので、同じ時刻に2台。お陰で座れました(微笑)。コースマップには、「熱中症注意! 水分補給!! お帰りはバスをご利用ください」「飲酒後の運動は危険です! お帰りはバスをご利用ください」とありましたので、素直にしたがうことにしました。

190914kintetsuhikingtadobusrout  多度駅から、ここふれあい広場・岩や姫までは、ほぼ2時間をかけて歩いてきたのですが、バスは、歩いてきたルートとは少Img_9769c し違うものの、10分あまりで多度駅まで行きました(苦笑)。「何だかなぁ」という気もしますが、まぁ世の中こんなものでしょう。好き好んで、この暑い中歩きに来たのですから、文句が言える次第ではありません。ということで、屁理屈はともかく、多度駅に12時21分着。バスを待つ間に一緒になった女性は、細川酒造で試飲以外に3杯飲んだ方で、「もう私、酔っ払ってます」とおっしゃっていました。羨ましいというか、負けたというか(爆)。私は、まだ修行が足らないようです。

Img_9775c  多度駅を12時42分に出る桑名行きがありましたので、それに乗車することに。帰りに、自販機ではなく、駅の窓口で切符をImg_9770c 買ったら、珍しく硬券でした。しかし、よく見ると「運賃変更」とスタンプがあり、かなり前のものを利用しているようでした。¥300の頃のもの(今は、¥310)。多度大社の上げ馬神事に因んだ駅名表示板を撮影(去年から設置されています)。こういうもの、好みなのです。

Img_9789c  やって来た電車が、こちら。ハローキティのラッピング電車。ラッピング電車が走っているのは、新聞記事で知っていたのですが、思わぬことでラッキー。ネットで調べればこのラッピング電車が運Img_9792c 行される時刻が公開されているようですが、そこまではしていませんでした。車内の、普段ならつり下げ広告があるところにも、キティばかり。桑名駅には、12時58分着。¥310。

Img_9796c  桑名駅で降りてから、乗客が途切れるのを待ってあれこれ撮って来ました。他にもスマホなどで撮っているImg_9798c 方、多数。いわゆる「インスタ映え」するのでしょう。7月から走り始め、11月いっぱいの期間限定だそうです。モチーフは沿線の観光スポットとキティちゃんのコラボです。

Img_9804c Img_9805c Img_9808c

 

 

 

 

 

Img_9814c  今日のALKOOのデータは、16,217歩。ハイキングで歩いたのが6.7㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で、合計8.5㎞。けっこう暑くて疲れたものの、多度大社の摂社・末社をコンプリートできました。鉾立社の位置、向きなど謎は残ったものの、芭蕉の句碑も見てこられましたので、まぁ満足。細川酒造も訪ねたかったところですから、今日もハイキングに出かけて楽しめたということです。9月になって、近鉄ハイキングが再開され、遊んでばかりのようではありますが、江戸橋での非常勤の準備もコツコツと進めております。

相変わらずの残暑……オマケに『日本全国インバウンド音頭』

Img_0342c_20190917162001  朝は涼しいものの、日中は、いつまでも残暑が続き、参ります。とはいえ、千葉県などでは、先日の台風15号の被害、とくに停電や住宅の損壊がなかなか回復しないそうですから、贅沢をいっていてはいけません。昨日の「登山(苦笑)」でけっこう疲れた気もするのですが、今日もいつも通り散歩であります。いつも通りのことができるのは、大変ありがたいことです。朝8時から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町から寺町を通って帰ってきました。5.2㎞。

Img_0358c  残暑が続いているせいか、小型の野鳥(モズなど)が見当たりません。シジュウカラ、コゲラ、メジロは時々姿を見せるものImg_7330c_20190917162001 の、定着しない感じです。いつものようにほとんど毎日いるのは、アオサギさんだけです。まさに「アオサギだけが頼り」の散歩です(苦笑)。ホシゴイ、ゴイサギは、ここのところいません(あるいは、見つけられません)。

Img_0372c  鳥見の大先輩Sさんが、「昨日、ダイサギがいた」とおっしゃっていました。年に1回くらい、九華公園で姿を見ます。話を聞いただけでほとんど意識せずに歩いていたら、今日もダイサギがいました。吉之丸堀、朝日丸跡、吉之丸堀の東屋辺りを移動しつつ、獲物を狙っていました。散歩友達のYさんもやって来て「何をしているの?」と興味を持ち、「話のタネに」と、二人でかなり長時間粘って身ていたのですが、結局魚を捕るところは見られず。残念。

Img_0354c  他には、スズメ、ドバト、ハシボソガラス、ムクドリ、ヒヨドリ、カワラヒワくらい。ハクセキレイは、三の丸水門で。ハクセキレイ、最近はあまり見かけません。このあと、内堀南公園でシジュウカラの鳴き声がしていた気がするのですが、姿はありません。

Img_0382c_20190917162001  ヒガンバナ。シルバー人材センターの敷地で見つけたものの、それは草刈りが行われてなくなってしまいました。九華公園、鎮国守国神社の境内も、去年はニョキニョキと出ていたのが、今年はまださっぱり。写真は、九華公園の二の丸橋の南の袂。まったく見当たりません。今年はどうなっているのでしょう?

Img_0345c  ところで、桑名七里の渡し公園の拡張工事。始まってはいるものの、今のところまだ目に見える進捗はありません。物販・カフェ・飲食等を提供する便益施設と、トイレなどの公園施設ができるはず(こちら)。

 オマケというか、全くの余談。ネットニュースを見ていたら、「函館発、笑うに笑えない日本全国インバウンド音頭」なる記事を見つけました。「日本全国テーマパーク化で失われる平和な暮らし」というサブタイトルがついています。「日本全国インバウンド音頭」は、Youtubeで聞けます(こちら)。歌っているのは人造音声の「昭和亡霊合唱団」だそうです。このまま「観光立国」に向けて突っ走れば、街並みや伝統文化の崩壊など、悪影響が及ぶ範囲が大きくなると危惧して、この歌は作られています。函館は日本の縮図とか。そういえば、我が地元の自治体の市長さんもよく「インバウンド」とおっしゃって市内のリゾート施設に何かと力を入れておられ、先日は、IRについて検討するよう県に申し入れたとか。「観光客が増えれば、地元住民は幸せになれるのか、インバウンドの空騒ぎに振り回されて、本質を見失ってはいけない」と記事にはあります。経済、お金ばかりに目を奪われていると、大事なことを失いかねないと思いますし、自治体や、国は、住民、国民にとって本当に必要なことをきちんとしているのか、アヤシい限りと思うのであります。残暑続きで、私のアタマがヘンになっているのかも知れませんが……。

2019年9月16日 (月)

20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」……菰野で富士登山(笑)(予告編)

 今日は、富士山に登ってきました(笑)。といっても、本家の富士山ではなく、「菰野富士」。三重県菰野町にあります。近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」で、菰野富士に登る企画があり、それに行ってきたのです。一昨年の暮れから近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングに行くようになり、菰野に、この菰野富士という山があることを知り、登ってみたくなったのです。が、普段の散歩では平地を歩いており、多度山にも登ったことがありませんので、若干不安でした。これを書いてるということは、無事に帰宅しております(微笑)。今日は、好天でかなり暑く、また、風もとても強くて参りました。桑名で最高気温34.2℃と、ハイキングのテーマにあるように「夏納め」とは行かず。

 いきなりの余談で恐縮ですが、菰野富士の標高は396m。近鉄湯の山線・湯の山温泉駅から江野高原を経由して、ハイキングコースが設定されており、その距離が何と、3,776mになっているのです。コースの途中には、いくつも道標が設けられています。

Img_9886c  今日の受付は、湯の山線・湯の山温泉駅で9時半から11時。桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行に乗車。四日市に9時14分に着いて、四日市発9時30分発の湯の山温泉行き普通に乗り換え。湯の山温泉駅には9時56分着。¥520。受付開始から30分も経っていますから、空いています。最近、急いで行くことはない、ゆっくりいった方が空いていてよいと思うようになっています。

Img_9880c  今日のコースマップ。今日は、マップ上約8㎞のコース。B4片面ですが、湯の山温泉駅から菰野富士までを往復するコース故、これで収まるのです。地図の中に希望荘があります。ここは三重県勤労者福祉センターがやっている宿で、国立療養所S病院で働いていた頃泊まったことがあります。また、地図の範囲外になりますが、すぐ近くに、鳥居道山キャンプ場があります。ここは、S病院にいたとき、子どもたちを連れてキャンプに何度か来ました。ということで、ある種、懐かしいところです。

190916kintetsuhikingyunoyamaonsen0  実測ルートマップを描いたのですが、キョリ測では、登山道や、東海自然歩道などのルートが載っていません。希望荘、山の神から先、菰野富士を往復するところはおおよそのルートになっています。そのため、湯の山温泉駅にゴールしたときの距離も7.2㎞と、コースマップよりも短くなっています。ちなみに、湯の山温泉駅の標高は約135m。10時8分にスタートして、往きはひたすら登っていきます。菰野富士の標高が369mですから3.5㎞ほど歩く中で230mを登るということです。私の近鉄ハイキング参加史上、最大の高低差です。

Img_9887c  湯の山温泉駅からすぐのところにある神明橋。鈴鹿山脈がよく見えています。御在所岳はもう少し右手(北)。上でも触れまImg_9891c したが、そこかしこに道標があります(右の写真)。今日は、ハイキングのコースマップを持っていますが、地図がなくとも、この道標を辿っていけば、菰野富士に登れるという仕組み。

Img_9899c_20190916183801  途中、端折りますが、左の写真は、1㎞手前の辺り。ゆるやかそうに見えるのですが、こうImg_9908c いう上り坂がずっと続きます。けっこうしんどいのです(爆)。右の写真のように、鈴鹿スカイラインのごく一部を歩いて登っています。鈴鹿スカイラインは、若かりし頃、よく走りに来たところ(当時は、スプリンタートレノGT-APEXなる、スポーツタイプの車に乗っておりました。AE86、いわゆる86トレノです。若かったですねぇ)。

Img_9927c  2㎞手前に「嶽不動 鳥居口」の石碑。このあたりで標高は240m前後。駅から100mも登ってきました。このあたりは、中世のImg_9929c 頃、国見岳(1,170m)の中腹にあった天台宗の 冠峰山三嶽寺の寺領でした。三嶽寺へ年貢米を納めるのに、村の西はずれの嶽道を通り、 菰野富士北側の参道入口の鳥居の下で、山寺の僧兵に引き渡したといわれ、 今もここを鳥居口といい、道案内の石仏が残っています(こちらを参照)。

Img_9942c  スタートから2.2㎞ほどのところで、希望荘の方へ入って行きます。写真では、右手へ入って行きます。鈴鹿Img_0008c スカイラインは、三叉路を左へ。その先でさらに道は分かれ(右の写真)、右に入っていくと希望荘なのですが、昔の記憶はほとんどなし(笑えます)。鳥居道山山神の石碑があるところを左へ。山神様は帰りに、無事に登頂できたお礼にお参り。

Img_0013c  このあたりは東海自然歩道の一部。こんなトンネルを潜って、菰野富士登山に向かうのです。あらかじめ、Img_0027c_20190916200001 先に同じルートのハイキングに参加した方の記録を見ていきましたのでよかったのですが(こちら)、そうしていなければ、「こんなところを行くのか?」と不安になったと思います。

Img_0040c_20190916183901  けっこうな登山でした(苦笑)。舐めていたり、高を括っていたりしたわけではありませんが、平地ばかりImg_0045c 歩いている我が身にはキツい。上で書いたトンネルのところ(たぶん290mくらいの標高)から菰野富士の頂上(標高369m)までは、25分あまり。アップダウンあり、足場のよくないところありで苦労。

Img_0069c_20190916184001  途中、このような石柱が5ヶ所ほどに建っています。「陸Img_0074c 軍用地」と刻まれています。明治43(1910)年から昭和20(1945)年まで35年間にわたって、陸軍の演習場である「千種演習場」がこのあたりにあったといいます。明治38(1905)年、日露戦争が終結すると、陸軍増設・海軍拡張の声があがり、名古屋駐屯の陸軍第三師団司令部は管下部隊の野戦訓練場として、菰野富士山麓の江野高原に目をつけたのだそうです。

Img_0109c_20190916184001  11時11分、菰野富士の頂上に到着。360度のパノラマが開けていて、とてImg_0129c も気持ちの良い場所でした。ここまで登ってきた疲れ、苦労が吹っ飛びます。右の写真は、南西方向。菰野町の町並みや、新名神高速道路などが見えます。

Img_0117c  こちらは、西側の眺め。鈴鹿山脈も一望できます。写真でもっとも左に見えているのが、御在所岳。標高は1,212m。御在所ロープウェイで頂上まで行けます。今日は、ゴンドラが見えないなと思ったら、11時現在、強Img_0120c 風のため(15m/s)、運転はされていないということでした。

Img_0110c  頂上で20分ほど、休憩したり、あちこち眺めたり。下山しようと思ったら、知人に遭遇。去年4月28日の多度の近鉄ハイキングで知り合った、桑名・大山田にお住まいの男性。私より10歳は年長でいらっしゃるはずですが、お元気です。飄々と登ってこられました。

Img_0019c  下山は、15分ほど。「行きはよいよい、帰りは怖い」の逆です。あのトンネルの手前にベンImg_0224c_20190916184001 チや、休憩用の小屋がありましたので、そこで弁当にしました。今日はまたもや、ファミマの弁当。「バラエティおかず&おむすび」(税込み¥368)。15分ほどで弁当を食べ、12時に再スタート。

Img_0235c_20190916202701  希望荘入り口で、山の神にお参り。無事に登頂できたお礼であります。あとはひたすら下り。「嶽不動 鳥Img_0253c 居口」の石碑を過ぎて、行きとは違う道へ。この先、5㎞を過ぎた辺りには、菰野陶芸村があります。故伊藤圭氏が主宰し賛同者が集まったもので12連登り窯があるそうです。陶芸教室なども行われています。

 Img_0289c_20190916203101今日のゴール受付は、グリーンホテル。ここには、12時30分に到着。「菰野まるごとハイキング」というスタンプラリーのImg_0330c_20190916203201 用紙をいただきました。春夏秋冬の4シーズン、ハイキングを達成すると抽選で記念品がいただけるという企画。来年でも、再来年でも構いませんということでした。グリーンホテルさんでは、今日のコースマップがあると、日帰り入浴が、通常¥700のところ、¥550に割引でしたが、着替えを持っていませんでしたので、これはパス(ちょっと残念)。

Img_0298c  ゴールも近鉄湯の山温泉駅。12時40分に到着。スタートから3時間半ほどでした。次の四日市行きは、13時ちょうど。時間Img_0300c がありましたし、暑くてたまりませんでしたので、珍しく自販機でアイスを購入(苦笑)。グリコ・セブンティーンアイスのチョコミントです(¥140)。お陰でクールダウン。

Img_0310c  13時の四日市行きに乗車。四日市駅には13時25分に到着(¥380)。ここで途中下車して、四日市近鉄百貨店に寄り道。寿や(恵那市)の栗きんとんが出張販売で売られているのです。去年も同じように途12041552_5843bd2f75fac 中下車して寿やの栗きんとんを買っています(20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ……予告編)。6個入りを購入(税込み¥1,782;去年は¥1,501で、かなりの値上げ)。家内も娘も大好物なので、特別に(微笑)。四日市からは13時51分の名古屋行き急行に乗車して、桑名には14時4分着(¥300)。

Img_0326c  いやぁ暑くて、風も強かったですし、菰野富士にも登って、疲れました。歩数は、ALKOOによれば、17,141歩。歩数もさることながら、今日は、湯の山温泉駅(標高は約135m)から菰野富士(標高369m)まで3.5㎞ほど歩く中で230mを登り降りしましましたので、この高低差を克服する方が大変でした(苦笑)。普段の散歩でも高低差のあるところも歩かねばと思いました(書くだけで、実行するかどうかはアヤシい)。

Img_9882c  あみま倶楽部のスタンプは25個目。先日の多度のハイキングの記事が終わってから、本編を書こうと思っています。次の近鉄ハイキングは、9月22日の「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」です。伊勢参りツアーですから是非とも参加しようと思っていますが、週間予報では微妙な天気(曇り時々雨)。何とか晴れて欲しいですねぇ。

20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(その2)……多度大社、そして「オクトーバーフェスト」の謎も解明

190914kintetsuhikingtado1 9月14日の近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」のその2です。その1では、多度駅をスタートして、大黒屋、清めの池、多度稲荷神社、多度観音堂、道路元標を見て来ました。いよいよ多度大社ですが、その前に。ブロ友のミリオンさんのコメントで、この「オクトーバーフェスト(OKTOBERFEST;ドイツ語)」の意味が分かりました。「オクトーバーフェストとは、毎年秋にドイツ・ミュンヘンで開催、200年以上の歴史を持つ世界最大のビールのお祭りです。9月半ばから10月上旬の16日間、会場となるテレージエンウィーゼ広場にはドイツ国内だけでなく世界中から600万人以上の人々が訪れます」なのだそうです(こちら、名古屋オクトーバーフェストのサイトを参照ください)。いやぁ、やはり知らないことがたくさんあります。ミリオンさん、ありがとうございました。

Img_9490c  さて、多度大社までやって来ました。去年4月28日に続いて2回目の参拝。桑名在住27年目にして2回(苦笑)。「神社はワンダーランド」などといいながら、不信心であります。去年の近鉄ハイキングで来たとき(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))、しっかり見て回ったと思ったのですが、後から調べると、摂社・末社でも見落としがありましたし、芭蕉の句碑などほとんど意識していませんでした(苦笑)。やはり、予習は大切です(爆)。学生たちに偉そうなことはいえません。

Img_9503c  多度大社に到着したのは、10時10分。スタートの多度駅からは1.7㎞。ここはなかなかよい感じの神社で、気に入っていまImg_9570c_20190915203001 す。式内社(名神大社(みょうじんたいしゃ))で、旧社格も最高ランクの国幣大社(こくへいたいしゃ)。左の写真は、摂社の新宮社と参集殿、儀式殿。右の写真は、於葺門(おぶきもん)。この門を潜ると、本殿の神域に入ります。気持ちが改まり、厳かな雰囲気になります。

Img_9586c  主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと、天照大神の第3子)(左の写真が拝殿)。天津彦根命は、このあたりの豪族・桑Img_9590c 名首(くわなのおびと)の祖神です。天津彦根命が天照大神の御子神であることや、参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われています。境内には天津彦根命の子である天目一箇命(あまのまひとつのみこと)を祀る別宮・一目連神社があり(右の写真)、本宮とともに「多度両宮」と称されます。

Img_9626c  社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝わっています。古代には、社殿背後の多度山を神体山としていました。天平宝字7(763)年、僧・満願によって神宮寺が創建されています。延喜式神名帳では名神大社に列し、伊勢国二宮として崇敬されました。神宮寺は伊勢国の准国分寺とされた。中世には国司・北畠氏が保護していたのですが元亀2(1571)年、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失してしまいます。慶長10(1605)年、桑名藩主・本多忠勝公により再建されました。

Img_9617c_20190914161801  鳥居に向かって左に、上げ馬神事(多度祭)が行われる「上げ坂」があります。上げ馬神事では、もともと農作の時期やそのImg_9613c_20190914161801 豊凶を占っていました。現在の神事は寛政6(1794)年の大祭御神事規式簿と変わらない形式で受け継がれているといいます。昭和53(1978)年、三重県無形文化財に指定。毎年、5月4・5日に行われ、少年騎手6人が武者姿にて約2mの絶壁を人馬一体となって駆け上がる勇壮な神事です。左の写真がその上げ坂を見上げたところ。かなりの勾配になっています。写っている人物の大きさと比べていただくとその様子がよくお分かりいただけけるかと思います。右の写真は、上げ坂の最後の難所。ほぼ垂直の壁になっています。ここが約2mの高さです。挙げ坂の脇にある建物は、多度祭御殿。歴代の桑名藩主が上げ馬神事を拝観されたところといいます。

Img_9620c_20190915210101  上げ坂の南にご神木があります。クスノキの巨木。このご神木にはいわれがあります。その昔、滝川一益が長島城を修築するとき、家臣の中江清十郎に多度大社の大楠を切り倒して城門を作り替えさせたのですが、完成の祝宴をしているとき、暴風雨が起こり、城門は流され、中江清十郎は溺死。村人は大切な大楠を切り倒されて嘆き悲しんだそうですが、その切り株から芽が出て生育したのが、現在のご神木といいます。

Tadokeidaizu  境内には、摂社・末社合わせて9社があります。去年の近鉄ハイキングでは、お参りしなかったところがありましたので、今日は、境内図(多度大社のサイトからお借りしました)を印刷して持参し、すべて回って来ました。去年お参りしたのは、雨宮八幡社、招魂社、美御前社(うつくしごぜんのやしろ)、神明社、新宮社の5社でした。

Img_9516c_20190915220901  鳥居を潜った正面にあるのが、新宮社(しんぐうしゃ)。御祭神は、天津彦根命幸魂(あまつひこねのみことさきみたま)、天目一箇命幸魂(あめのまひとつのみことさきみたま)です。幸魂(さきみたま)、小生は知りませんでしたが、神道の一霊四魂(いちれいしこん)という考え方によるもので、人を幸せにする神霊のことだそうです。江戸時代、多度大社が復興される際、両宮の御祭神は美濃国赤坂山より、まず当社に還御になられたといいます。この新宮社は、鳥居を潜った先に御鎮座。まるで神社を守っているかのように見えます。伊勢神宮などにあるような「蕃塀」のような役割をはたいている気がしました。つまり、不浄なものの侵入を防ぐために造られたという感じです(全くの個人的イメージですが)。これも気になります。しかし、多度大社のサイトではそういうことは触れられていないのです。

Img_9507c  新宮社に向かって左手に藤波社。御祭神は、建速須佐之男命(たけImg_9518c はやのすさのおのみこと)、大穴牟遅命(おおあなむちのみこと;大国主神の一名)、少彦名命(すくなひこなのみこと;農業・酒造・医薬・温泉の神)。この右隣に神馬舎(じんめしゃ)であります。生きた神馬、「錦山」号が飼育されています。生きた神馬がいる神社は珍しいと思います。初穂料100円で、人参を与えることができます。多度大社には1,500年前から白馬が棲むといわれています(こちら)。

Img_9522c  藤波社から神馬舎を挟んで、雨宮八幡社。御祭神は、天水分神(アマノミクマリノカミ;水の分配をつかさどる神で、豊作の神として信仰された)、國水分神(クニノミクマリノカミ;水分神、天水分神とともに、豊作の神として信仰されました)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)。古くは水分社と八幡社の二社であったものが、大正6(1917)年に合祀されています。

Img_9528c_20190915212501  手水舎、宝物殿(左の写真)と進んで行くと、右手に白馬舎(はくばしゃ)があります(右の写真)。上に書きましたように、多度大社にImg_9557c は白馬伝説が伝わり、それに因んだ白馬が納められています。馬は、葉が非常に丈夫な動物ということで、これにあやかった「歯ぎしり除けの豆」が頒布されています。去年来たときは、無病息災にも良いということで、初穂料100円を納め、「御神馬の豆」をいただいて来ました。

Img_9561c  白馬舎の斜向かい(西側)には、皇子社(おうじしゃ)。御祭神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちやはへあめのおしほみみのみこと;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約をしたときに生まれた神)、天之菩卑能命(あめのほひのみこと;天照大神と素戔嗚尊が誓約をした際に生まれた五男神の一神。葦原中国(あしはらのなかつくに)に高天原から派遣されたが、復命せず、のちに大国主神(おおくにぬしのかみ)の祭主を命じられた)、活津彦根命(いくつひこねのみこと;素戔嗚尊と天照大神が誓約を行なった際生まれた、五男神中の一神)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと;須佐之男命が天照大御神の持ち物である八尺勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱で、天照大御神の物実から生まれたので天照大御神の子であると宣言された)、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、沖津宮に鎮座するとされる)、多岐津比賣命(たぎつひめのみこと;同じく宗像三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、中津宮に鎮座するとされる)。

Img_9562c_20190915214401  その奥には、招魂社。明治10(1877)年の西南の役以降、出征、戦没された桑名郡市・員弁郡市・四日市市・三重郡・岐阜県海津郡出身の方々を奉斎しています。創建されたのは、昭和27(1952)年、サンフランシスコ条約発効後だそうです。

Img_9566c_20190915215001  さらに、美御前社(うつくしごぜんのやしろ)。女性の皆様には見逃せないと思います。御祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;宗像三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津(へつ)宮の祭神)。耳、口、鼻、のどの諸病や、婦人の帯下の病の治癒、良縁、子授け、安産に御神徳があるといいます。常に美しくありたいと願う女性の参拝が多いそうです。

Img_9574c_20190915215201  そして、於葺門(おぶきもん)の先に神明社。神明社ですので、御祭神は天照大神。伊勢神宮内宮と同じ。神明社の前には、「ご存じですか? お伊勢さんとお多度さんは親子の神様です。両方の御神札をうけ家族の平穏を祈りましょう」という看板があります。

Img_9596c_20190915215801  この先には、本宮と別宮・一目連神社があります。お参りした帰りの参道は、白馬舎の裏手を通ります。ちImg_9599c_20190915215801 ょうど白馬舎の真裏辺りに、御手洗所があります。伊勢神宮・内宮の五十鈴川と同じように、清流・落葉川に設けられています。階段を降りた先が、御手洗所。

Img_9608c_20190915220101  摂社はもう一社あります。参集殿、豊明殿の裏手(東側)にひっそりとあるのが、一挙社(ひとこぶししゃ)。御祭神は、一言主命(ひとことぬしのみこと;大和の葛城山の神で、悪い事も善い事も一言で言い放つ託宣神)。多度大社創立以前に奈良の葛城山中で雄略天皇と出遭ったとされます。現在では、人々の願い事を一言で聞き届ける神と崇められています。この社の脇には古くから清水が湧いていて、この清水は眼病にご加護があるといわれます。一言多いといわれる私には、ご縁のある神様かも(苦笑)。

Img_9488c_20190915220501  末社の最後。予告編でもくどくどと書きましたが、鉾立社(ほこたてしゃ)。御祭神は、天久之比命(あまくしひのみこImg_9628c_20190914161801 と)。Wikipediaによれば、天目一箇神の別名。このお社、右の写真のように、南を向いて拝礼するようになっています。つまり、お社が鳥居や、本宮、別宮に向かって建てられているので、気になります(微笑)。多くの場合、摂社・末社は、本宮と同じ向きか、参道に向かうように建てられているというのが、これまでの経験。はもともと武器ですが、鎌倉時台以降はもっぱら祭祀儀器でした。もちろん、ここでも何かの御神事が行われるのでしょうが、この神社の向きはやはり何か意味があるのだろうと思います。新宮社の位置、意味ともどもますます気になりますが、私の知識では、理解は及びません。詳しい方がいらっしゃれば、是非ともご教示いただければ幸いです。

Img_9549c_20190914161801  さて、去年見落とした最大のものは、芭蕉の句碑でした。これもあらかじめ場所を確認して行きました。「宮人よ我名を散らせ落葉川」という句が刻まれています。碑表には「芭蕉翁」と、句は碑陰に。碑陰にはさらに「勢州楠無三 同抽井東皐 同我蓬」ともあります。説明板によれば、「この句は芭蕉が多度大社に参拝の折に詠める句を没後75年の正当忌に地元の俳人達より落葉塚として 建立されたもの」といいます。多度大社のサイトには、芭蕉が参拝したのは、元禄2(1689)年とあります。また、「芭蕉が多度を訪れた元禄2(1689)年から満80年を経て、明治6(1873)年10月12日の芭蕉忌を卜して恵方庵富無三という人が多度弥勒堂の側に造立した」というのが三重県内の句碑の説明なのですが、これですと年数の計算が合いません(元禄2年から80年後は、西暦では1769年で明和6年。明治と明和を取り違えたのか?)。多度大社のサイトの説明では、「野ざらし紀行のとき、多度を訪れて詠んだ」といいます。芭蕉の野ざらし紀行は、貞享元(1684)年8月、門人千里を伴って江戸深川を出発、東海道を上り、伊勢、伊賀上野、大和、吉野、山城、近江、大垣から桑名に来ています。中村俊定校注『芭蕉俳句集』(岩波文庫)によれば、貞享元(1684)年の句だといいます(こちらのブログ)。以上からすると、この句が詠まれたのは貞享元年の可能性が高く、それは野ざらし紀行のときと思われます。となると、三重県内の句碑の説明は、アヤシいように思えます。ちなみに、その三重県内の句碑の説明では、建立されたのは、昭和6(1931)年10月。謎は解決されませんが(こんかいは、そんなことばかり)、取り敢えずは芭蕉の句碑を確認して満足。しかし、説明というのは、複数確認してみる必要があります。改めて認識した次第。

Img_9518c  多度大社のその他。神馬の錦山号。初穂料¥100で、エサの人参が与えられるのですが、けっこうな人気でした。白馬伝説に因んでいます。余談ですが、散歩友達のWさんが、「多度大社の神馬は、人参を見せて、回れと指示すると、神馬舎(じんめしゃ)の中でくるっと回る」という話をしていました。罰が当たるといけませんので、確かめてみたりはしていません(微笑)。

Img_9541c  芭蕉のものとは別の句碑。俳人・右城暮石(ウシロ ボセキ;明治32(1899)~平成7(1995)年)の「上げ馬をあげしどよめき多度祭」という句が刻まれています。宝物殿の裏手(北側)。暮石は、大正・昭和期の俳人、「運河」主宰。昭和60(1985)年10月に建立。

Img_9545c  暮石の句碑の傍ら(東)には、歌碑らしきものがあります。しかし、説明も何もなく、私にはこういうくずし字を読む力もなく、ネットで調べても情報は出てこず、不明。不明ばかり。

Img_9630c_20190914161801  ということで謎をいくつも残しつつ、多度大社を出たのが10時35分。門前には昔から何軒もの土産物屋、料理屋が並んでいます。今回は、そのうち丸繁という和菓子、土産物屋さんが立ち寄りスポットになっています。創業150年、現在は7代目とか。多度土産には、八壷豆(やつぼまめ)、紅梅焼(こうばいやき)、多度ういろなどが昔からあります。しかし、ここでしか買えないものではなく、散歩コースにある寺町商店街の「町の駅」でも売っているのです。ですから、ここで買って、我が家まで運ぶ必要はありません(微笑)。桑名名物のアイス饅頭もありましたが、これも製造販売しているお店(マルマン)も散歩コースにありますし、住吉浦休憩所でも買えるのです。それに下手に食べて、歯が欠けると困りますし(2016年7月11日 :猛暑日、九華公園にアオサギ登場……アイスまんじゅうで歯を痛めた話も(苦笑))、この先細川酒造でビールを飲まねばなりませんから、ここは我慢。

 大変長くなりましたので、その2は、多度大社のみにて。

2019年9月15日 (日)

20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(その1)……多度駅を出発して、鯉料理・大黒屋、清めの池を見て、多度稲荷神社、多度観音寺から多度大社前で道路元標を発見

 9月14日の近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」の本編、その1です。「オクトーバーフェストな気分」というのが今ひとつよく分かりません。フェストはどうも“fest”らしいので、“festival”、つまり「祭」。ということは「10月の祭の気分で」ハイキング?? 祭なんかやってるのかなぁ?? 屁理屈はともかく、今回は、細川酒造に釣られて参加(苦笑)。清酒も造っておられるのですが、まだ暑い今の時期なら、タイトルにもあるようにビール。ここは「上馬(あげうま)ビール」という地ビールの醸造元なのです。ビールの名前は、多度大社の上げ馬御神事に因んでいます。

Img_9409c_20190914162801 養老鉄道多度駅で9時半から11時の受付でしたから、桑名駅を9時25分に出る大垣行き普通に乗車。多度には9時38分着。多度Img_9427c は、桑名から4駅目。¥310。養老鉄道、普段は空いていますが、この電車は、近鉄ハイキングの参加者で座席が埋まっていました。多度駅の受付でも、参加者が駅舎南に設けられた受付までずらりと並び、近鉄ハイキング史上初めて「最後尾」という看板をみました(微笑)。

Img_9429c  多度駅でのハイキングは、去年4月28日以来の参加(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。このときは多度大社前の信号から左折して、美濃街道に入り、養老鉄道に沿って桑名の下深谷駅までを歩いています。

Img_9422c  こちらがこの日のコースマップ。コースマップの番号は#246。酒蔵がコースに入っていると、参加者が多い気Img_9817c がします。今日のコースは多度駅から多度の町を歩いて、多度大社へ。そこからさらに多度の奥(西)に歩き、細川酒造が目的地。ここで、上馬ビールの試飲。その後、少し歩いて、ふれあい広場・岩や姫がゴール。ここから三重交通の臨時バスが多度駅まであります。コースマップ上、約6㎞。バスが出るのは、飲酒してまた6㎞、暑い中を歩くのはアブナイということか(微笑)? あみま倶楽部のスタンプは、24個目を無事にゲット。

190914kintetsuhikingtado  実際に歩いたのは、このルート。上述のように、多度駅から多度大社辺りまでは、去年(2018年)4月28日の近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」で歩いたのと同じコース(20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。このときは多度大社前の信号から左折して、美濃街道を歩いたのですが、今回はそこを右折。地名でいうと、多度町猪飼から古野を歩いて、細川酒造を目指します。多度大社までがおおよそ2㎞、そこから細川酒造までは4㎞です。

190914kintetsuhikingtado1  詳しい実測ルートマップ(その1)。上のマップとあまり代わり映えしません(苦笑)。何度も書きますが、去年4月28日の近鉄ハイキングでかなり見て回りました。ただし、多度大社では、摂社・末社を周り切れておらず、また、芭蕉の句碑なども気づかずに通過していましたので、今回はこれらをしっかり見てこようと思って出かけました。また、多度観音寺のところで石碑を十分に確認しなかったところもありますが、これはまぁいいかということにしています(苦笑)。

Img_9431c  多度駅を9時45分にスタート。北に向かい多度川を多度橋で渡ります。多度橋を渡ったところで左折。橋のたもとに多度大Img_9438c_20190914161601社の社号標が建っており、ここから多度大社の参道ということになります。

Img_9440c_20190914161701  この参道、多度の町並みが並んでいるところなのですが、ダラダラと上り坂が多度大社までImg_9439c 続くのです。晴れていてけっこう暑かったので、坂登りは大変でした。かなり汗を掻いた次第。キョリ測で見ると多度駅辺りは標高16m、多度大社のところはほぼ60mなのです。多度大社まで野道の途中、楽しみは、多度山が右手(北側)に見られることです。昔は、多度大社はこの多度山そのものをご神体としていました。また、この日は、アキアカネがあちこちで飛んでいました。

Img_9875c  多度山は、我が家の玄関先からもよく見える山で、このブログにもしょっちゅう写真を載せています。標高403m。養老山地の南端にあります。一度登りたいと思いつつ、まだ果たせていません。この左の写真は、今日(9/15)、散歩から帰ってきたときの多度山方面。中央、バローとマンションの建物の向こうが多度山。この麓を歩いていた訳です。

Img_9444c_20190914161701  スタートから1.1㎞のところ、右側(北側)に鯉料理の大黒屋さんがあります。江戸時代中期に多度大社の参詣者のための旅籠として創業し、幕末に近くの木曽三川で獲れる天然の鯉を使用して鯉料理を始めています。個人的には、川魚はあまり好みません。昔、信州に心理検査の研修会の講師として出かけたとき、主催者の方は気を遣って、鯉料理でもてなしてくださったことがあったのですが、私としては往生しました(個人の嗜好の問題故、ご容赦あれ)。ここ、大黒屋さんの鯉料理は、仕入れた鯉を清流の中で数か月、餌を与えず飼育することで鯉特有の臭みを完全に消しているそうです。「これが鯉か?!」と驚くほど洗練された味と食感という話ですから、毛嫌いせず、一度、試してみる価値があるかも知れません。

Img_9447c  大黒屋さんは、庭園も立派なものですし、座敷からは多度山が借景として眺められるそうです。建物の一部が桑名まちかど博Img_9442c_20190914161701 物館として公開されています。「大黒屋旅の資料館」です。何代にもわたって継承されてきた品が並んでいました。天保時代の銃器や江戸時代の双六盤、古文書、銅鏡などもあります。

Img_9455c  大黒屋さんのほぼ正面、道を挟んだ南側には、清めの池があります。ここは、多度川の伏流Img_9461c_20190915172401 水を利用した、垢離・掻池(こり・かきいけ)です(みそぎ池)。昔、多度大社の参拝者は、ここで手を洗い、口をすすいで身を清めたといいます。いまでも、多度祭には、この池の水で御旅所行列の途中、各御厨(奉仕地区)の祭馬にそれぞれに水を飼い、足を清めるといいます。

Img_9462c  大黒屋さんのすぐ先に愛宕神社の鳥居があります。その脇に「いにしえのコース」という石柱が建っていました。去年は気づきませんでしたが、多度ハイキングコースの1つを示すものでした。距離約360m、所要時間約5分で、愛宕神社から多度大社参道までの近道だそうです。

Img_9466c_20190915172701  清めの池から西へ140mほど行くと、宮川常会集会所の脇に地蔵堂があります(宮川地蔵堂)。室町末期から江戸初期(1500年代~1600年代初め)のものとされる半跏像(片足を組んだ像)が、江戸時代から延命地蔵として(半跏延命地蔵尊)、ここ柚井(ゆい)の人々の信仰を集めたそうです。薬師如来も並祀されていますが、その由来も不明ですが、地元の方たちの信仰が厚く、ここに併せ祀られています。去年見てきましたので、今回は写真を撮って通過。

Img_9471c_20190914161701  10時を過ぎて、多度大社近くに到着。多度大社の手前には、多度稲荷神社があります。ここは、多度大社摂社・末社ではなImg_9474c く、別の神社。御祭神は、宇迦之御霊大神。元治元(1864)年、多度の庄屋が伏見稲荷大社に参拝したときに御分霊を拝戴してここにお祭りしたといいます。去年来たときは、婚活に力を入れていて、社務所に「婚活守を授与する」という掲示が出ていました。

Img_9484c_20190914161701  多度稲荷神社の奥(北)には、多度観音堂があります。正式には、多度山法雲寺。真言宗のお寺で、御本尊は、千手観音(平安時代前期の作とされ、多度神宮寺に関わりがあるといいます)。伊勢西国三十三観音霊場第三十三番札所。明治に至るまでたびたび洪水に出会い、元の御堂の位置は定かではないそうですが、明治34(1901)年の本堂再建以来、この場所にあります。本堂は、昭和38(1963)年に改築されています。多度神宮寺は、天平宝字7(763)年に満願(まんがん)禅師が建てたといいます。ここまで見てきたところについては、昨年の近鉄ハイキングの記事もご参照ください(2018年5月14日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その1)……多度駅から、鯉料理大黒屋、宮川清めの池、地蔵堂、多度稲荷神社を経て、多度観音堂へ)。

Img_9476c  3枚前の写真で、奥に鳥居と常夜燈が見えます。その向かって右脇に道路元標がありました。これは、去年4月のハイキングでImg_9478c は気づきませんでした。碑表には「津市元標 十五里十四町」、碑陰には「大正十年三月 三重縣」とあります。右側には「員弁郡大泉原村へ二里三十一丁五十間/桑名郡古浜村へ二十一丁五十二間」、左側には「 桑名郡桑名町へ二里三十五丁十間/桑名郡野代村へ一里一丁四十七間」と刻まれていました。大正10年は、1921年。

Img_9490c  いよいよ多度大社へ。しかし、多度大社であちこち見て回ってきましたので、記述が長くなりそうですから、その1はここまで。その2は多度大社から。

 

またもや30℃越え

Img_9875c  暑くなるという予報で、一部では猛暑日かといわれていました。が、実際には、最高気温は32.1℃(13時28分)。午前中はさほどでもありませんでしたが、午後からは暑い(苦笑)。昨日、一昨日と30℃にはなりませんでしたので、参ります。それでも散歩は、8時スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町から城下街筋を通って田町、住吉入江と5.6㎞。10時半帰宅。

Img_9865c  去年は、すでにモズが姿を現していたのに、今年はまだ。九華公園や鎮国守国神社では、去年の今頃、ヒガンバナの芽がニョキニョキと出ていたのに今年はまださっぱり。出てくるのか心配になっています。写真は、九華公園の二の丸橋の南側の袂辺り。いつもこの辺もヒガンバナがたくさん出るところです。今日は、城下街筋を歩いて帰ってきましたが、ヒガンバナを探して、です。しかし、その辺りにも見当たりません。

Img_7310c  九華公園、今日はアオサギさんも不在。鎮国守国神社の社務所裏には、ゴイサギが1羽。ずっと奥の方に御鎮座。危うく見逃すところ(苦笑)。カワセミも、奥平屋敷跡の南で一瞬見たものの、それ以降はどこかに行ってしまい、見当たらず。残念。

Img_7296c_20190915153301  鎮国守国神社では、昨日、今日と「桑名お宮めぐり」の日(市内を4地区に分け、今週と来週の週末が市街地区の日になっています)。散歩友達で神社係をしている方が二人いらっしゃるのですが、それぞれ半日ずつ担当されるそうです。参拝の日付を入れ、御朱印を押すのですが、かなり気を遣いそうです。九華公園前管理人のOさんは、すでに昨日、半日ほどで市街地区をコンプリート。8月下旬から9月始めに行われた城南・江場地区もすべて参拝されたそうです。伺うところでは、名古屋や大阪から来ている方もあるとか。御朱印を熱心に集めている方は多いようです。写真は、朝8時半過ぎ、鎮国守国神社の参集殿前で準備中の宮司さん、氏子代表の皆さん。ちなみに、私は市内の神社すべてを回ってみたい気持ちは強いのですが、御朱印にはほとんどこだわりはありません。

Img_9866c_20190915150801  京町交差点を歩いていたら、京町公園横の京町毘沙門堂でお祭のようでした。ここは護摩供養が行われるところ。ここの由来については、以前書いたことがありますが、本多忠勝による慶長の町割の頃に福王山(現在の菰野町)に移されたが、再び現在の地に戻されたというのですが、その詳細については諸説があって不明(2018年1月10日 :ミサゴ、再び飛来……京町毘沙門堂の謎)。

Img_9873c_20190915150801  住吉入江まで戻って来て、ベンチで休憩中、スズメがやって来ました。向こう側は、幼鳥のようです。まだ親と一緒に行動しているのでしょうか? 明日は、また、近鉄ハイキングが菰野であります。「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」。菰野富士、気になりますねぇ(微笑)。近鉄ハイキングでは、何度もコースになっているのです。鳥居道山キャンプ場や、希望荘というホテルの近くにあります。菰野「富士」というと、たいそう立派な山をイメージなさるかも知れませんが、標高は369m。多度山よりやや低い山。ちなみに、明治43(1910)年から昭和20(1945)年まで35年間にわたって、陸軍の演習場である「千種演習場」がこのあたりにあったといいます。

2019年9月14日 (土)

20190914近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」(予告編)

Img_9716c 今日は、近鉄ハイキング「オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造『上馬ビール』」へ行ってきました。曇りという予報でしたが、けっこう晴れ間が多く、最高気温は30℃にはなりませんでしたが、暑くてビールが美味しく戴けました.というのも、タイトル通り、桑名市多度町古野にある細川酒造が最大の目的地。ここは、「上馬(あげうま)ビール」という地ビールの醸造元。ビールの名前は、多度大社の上げ馬御神事に因んでいます。

Img_9409c_20190914162801  養老鉄道多度駅で9時半から11時の受付。桑名駅を9時25分に出る大垣行き普通に乗車。多度には9時38分着。Img_9427c ¥310。この電車、ほとんどのお客は、近鉄ハイキングの参加者。多度駅の受付でも、初めて「最後尾」という看板をみました(微笑)。

Img_9422c  いつものようにコースマップと、あみま倶楽部のスタンプをもらいます。コImg_9817c ースマップの番号は#246。スタンプは24個目。今日のコースは多度駅から多度の町を歩いて、多度大社へ。そこからさらに多度の奥(西)に歩き、細川酒造が目的地。ここで、上馬ビールの試飲。その後、少し歩いて、ふれあい広場・岩や姫がゴール。ここから三重交通の臨時バスが多度駅まであります。コースマップ上、約6㎞。バスが出るのは、飲酒してまた6㎞、暑い中を歩くのはアブナイということか(微笑)?

190914kintetsuhikingtado  こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。多度駅から多度大社辺りまでは、去年(2018年)4月28日の近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」で歩いたのと同じコース(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。このときは多度大社前の信号から左折して、美濃街道を歩いたのですが、今回はそこを右折。地名でいうと、多度町猪飼から古野を歩いて、細川酒造を目指します。多度大社までがおおよそ2㎞、そこから細川酒造までは4㎞です。

Img_9431c  多度駅を9時45分にスタート。北に向かい多度川を多度橋で渡ります。多度橋を渡ったところで左折。橋のたもとに多度大Img_9440c_20190914161701 社の社号標が建っており、ここから多度大社の参道ということになります。この参道、ダラダラと上り坂。この時刻、晴れていてけっこう暑いので、坂登りは大変。キョリ測で見ると多度駅辺りは標高16m、多度大社のところはほぼ60mなのです。

Img_9439c  右手に多度山を見ながら歩いて行きます。多度山は、我が家の玄関先からもよく見える山で、このブログにImg_9444c_20190914161701 も写真をよく載せている山。昔は、多度大社はこの多度山そのものをご神体としていました。途中で鯉料理の大黒屋さんがあります。江戸時代中期に多度大社の参詣者のための旅籠として創業し、幕末に近くの木曽三川で獲れる天然の鯉を使用して鯉料理を始めています。これが鯉か?!と驚くほど洗練された味と食感だそうで、一度は試してみたいもの。

Img_9455c  大黒屋さんのほぼ向かいに「宮川清めの池」があります。ここは、多度川の伏流水を利用した、垢離・掻池(こり・かきいけ)(みそぎ池)です。多度大社の参拝者は、ここで手を洗い、口をすすいで身を清めたといいます。水はとても澄んでいて、綺麗です。

Img_9471c_20190914161701  10時を過ぎて、多度大社近くに到着。多度大社の手前には、多度稲荷神社があります。ここは、多度大社とImg_9474c は別の神社。御祭神は、宇迦之御霊大神。元治元(1864)年、多度の庄屋が伏見稲荷大社に参拝したときに御分霊を拝戴してここにお祭りしたといいます。

Img_9484c_20190914161701  多度稲荷神社の奥(北)には、多度観音堂があります。多度山法雲寺。御本尊は、千手観音伊勢西国三十三観音霊場第三十三番札所。宗派は、真言宗です。明治に至るまでたびたび洪水に出会い、元の御堂の位置は定かではないそうですが、明治34(1901)年の本堂再建以来、この場所にあります。多度稲荷神社も、多度観音も去年のハイキングで訪ねています。

Img_9490c  10時10分に多度大社に到着。1.7㎞。ここはなかなかよい感じの神社です。桑名にいながら、お参りするのは今回が2回目。式内社(名神大社(みょうじんたいしゃ))で、旧社格は国幣大社(こくへいたいしゃ)。鳥居に向かって左に、上げ馬神事(多度祭)が行われる「上げ坂」があります。上げ馬神事では、もともと農作の時期やその豊凶を占っていました。現在の神事は寛政6(1794)年の大祭御神事規式簿と変わらない形式で受け継がれているといいます。昭和53(1978)年、三重県無形文化財に指定。毎年、5月4・5日に行われ、少年騎手6人が武者姿にて約2mの絶壁を人馬一体となって駆け上がる勇壮な神事です。

Img_9617c_20190914161801  左の写真がその上げ坂を見上げたところ。かなりの勾配になっています。写っている人物の大きさと比べていただくとその様Img_9613c_20190914161801 子がよくお分かりいただけけるかと思います。右の写真は、上げ坂の最後の所。ほぼ垂直の壁になっています。ここが約2mの高さです。

Img_9586c  主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと、天照大神の第3子)。天津彦根命は、このImg_9590c あたりの豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神です。天津彦根命が天照大神の御子神であることや、参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われています。境内には天津彦根命の子である天目一箇命(あまのまひとつのみこと)を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに「多度両宮」と称されます。境内には、摂社・末社合わせて9社があります。去年の近鉄ハイキングでは、お参りしなかったところがありましたので、今日は、境内図を印刷して持参し、すべて回って来ました。それはまた本編で。

Img_9549c_20190914161801  さらに去年の見落としで最大のものは、芭蕉の句碑でした。これも場所を確認してから、今日、出かけました。「宮人よ我名を散らせ落葉川」という句が刻まれています。碑表には「芭蕉翁」と、句は碑陰に。碑陰にはさらに「勢州楠無三 同抽井東Img_9554c 皐 同我蓬」ともあります。「芭蕉が多度を訪れた元禄2(1689)年から満80年を経て、明治6(1873)年10月12日の芭蕉忌を卜して恵方庵富無三という人が多度弥勒堂の側に造立した」というのですが(三重県内の句碑の説明)、年数の計算が合いません(元禄2年から80年後は、西暦では1769年で明和6年。明治と明和を取り違えた?)。多度大社のサイトの説明では、「野ざらし紀行のとき、多度を訪れて詠んだ」といいます。芭蕉の野ざらし紀行は、貞享元(1684)年8月、門人千里を伴って江戸深川を出発、東海道を上り、伊勢、伊賀上野、大和、吉野、山城、近江、大垣から桑名に来ています。中村俊定校注『芭蕉俳句集』(岩波文庫)によれば、貞享元(1684)年の句だといいます(こちらのブログ)。多数決で決められることではありませんが、この句が詠まれたのは貞享元年の可能性が高く、それは野ざらし紀行のときと思われます。となると、三重県内の句碑の説明は、アヤシいかな。ちなみに、その三重県内の句碑の説明では、建立されたのは、昭和6(1931)年10月。謎を残しましたが、「芭蕉俳句集」などを、関連文献を調べる必要があります。

Img_9628c_20190914161801  多度大社を出たのが10時35分。左の写真の手前側に小さなお社が写っています。これは、鉾立社(ほこたてしゃ)という末社。御祭神は、天久之比命(あまくしひのみこと)。Wikipediaによれば、天目一箇神の別名。このお社、南を向いて拝礼するようになっています。つまり、お社が鳥居や、本宮、別宮に向かって建てられているのです。気になります(微笑)。今日は写真は載せていませんが、新宮社という摂社は鳥居を潜った先に御鎮座。まるで神社を守っているかのように見えます。これも気になります。しかし、多度大社のサイトではそういうことは触れられていないのです。ますます気になりますが、たぶん私の知識、検索能力では及ばないかも知れません。一応、宿題としておきます。

Img_9630c_20190914161801  門前の丸繁という和菓子、土産物屋さんを一応見て、先に進みます。多度土産には、八壷豆(やつぼまめ)、紅梅焼(こうばいやき)、多度ういろなどが昔からあるのですが、実はこれらは、寺町商店街の「町の駅」で売っています。ですから、ここで買って、我が家まで運ぶ必要はないのです。桑名名物のアイス饅頭もありましたが、これも製造販売しているお店(マルマン)が散歩コースにありますし、住吉浦休憩所でも買えるのです。それに何といっても、歯が欠けると困りますし、この先細川酒造でビールを飲まねばなりませんから、我慢。

Img_9639c  大鳥居を潜って、多度大社前の交差点を渡って右折。西に向かいます。3㎞地点で左折し、南下。主要道路から外れ、多度町猪飼地区Img_9667c_20190914161801 に向かいます。こちらは、車の通行量はかなり少ない道。多度南郵便局やコミュニティバスの北猪飼バス停あたりで右折。

Img_9670c_20190914161801  途中、大日如来堂や、かなり大きな採石場があります。大日如来堂は、後で調べたら、桑名Img_9696c 市内では、五反田、久米の島田と多度町猪飼の3か所のみに祀られているものだそうで、もっとしっかり見てくればよかったと反省(こちら)。採石場は、かなり大規模なものでした。調べたら、多度開発という会社のようでした。このあたり、立ち寄るところも、とくに他に見るところもなく、ひたすら歩いて行きます。

Img_9682c_20190914175501  肱江川沿いの道を歩いて、11時20分頃、古野の信号に出ました。ここまで来れば、細川酒造もすぐ近くのはず。信号を渡っImg_9703c_20190914161801 て、古野の町へ入っていきます。

Img_9727c  11時25分、ようやく、待望の細川酒造に到着。すでにたくさんの方たちがいて、「宴会」Img_9712c をして盛り上がっているグループもあります。暑い中を歩いてきましたので、のどが渇いていて、試飲が楽しみ(爆)。

Img_9714c_20190914161901  試飲会場へ一直線。コースマップについている試飲券とImg_9716c 引き替えにまずは一杯。試飲にいただいたのは、たぶん「上馬ビール ヘレス」。のどが渇いていましたので、ごくごくと飲んでしまい、あまりよく味わっていません。上馬ビールは、初めてではありません。麦酒という感じがかなりします(素人表現丸出しで我ながら笑えます)。

Img_9721c_20190914161901  これだけでは足りませんでしたので、もう1杯。¥500を払って、「上馬ビール ドゥンケル(たぶん)」。試飲用とは違って、大きめサイズ。さすがにうまい! 「上馬ビール」は、ドイツ直輸入の有機無農薬麦芽と有機ホップのみを使用したオーガニック原料のビールで、「有機無農薬麦芽100%」・「有機ホップ100%」で作られています。値段はそれなりなのですが(へレス、ドゥンケルともに330mlで、¥460)、いかにもビールという感じで美味しく飲めること請け合い。細川酒造では、地酒「上馬」もありますが、この時期まだ新酒はありませんから、今日は、土産その他のお買い上げはありません。多度土産と同じく、我が家近くでも買えるからです。

Img_9749c  ほろ酔い気分で(足取りはアヤシくはありません……ただし、あくまでも主観ではありますが)、細川酒造をImg_9752c 出て10分ほど。ゴールというか、バス乗り場のふれあい広場・岩や姫に到着。11時42分、スタートから6.7㎞。生活必需品の廉価販売やコミュニティ広場として開放されていますが、さらに、地元産の野菜や果物、手作り品など、様々な商品が売られているところ。ここから多度駅までの三重交通のバスが出ます。乗車券を買った上で乗るようにということでしたので、まずは¥340を払って乗車券を確保。バスが出るのは、12時10分。

Img_9753c  時間がありますし、腹も減ってきましたので、腹ごしらえ。駐車場に出ていた店で焼きそばをゲット。¥350。こういう所でImg_9756c_20190914161901 売っている食べ物は、けっこう美味しくいただけるものです。焼きそばを食べて、バスの到着を待ちます。路線バスではなく、この近鉄ハイキングのための臨時バス。お客が多かったので、同じ時刻に2台。お陰で座れました(微笑)。コースマップには、「熱中症注意! 水分補給!! お帰りはバスをご利用ください」「飲酒後の運動は危険です! お帰りはバスをご利用ください」とありましたので、素直にしたがうことにしました。

190914kintetsuhikingtadobusrout  多度駅から、ここふれあい広場・岩や姫までは、ほぼ2時間をかけて歩いてきたのですが、バスは、歩いてきたルートとは少Img_9769c し違うものの、10分あまりで多度駅まで行きます(苦笑)。ということで、多度駅には、12時21分着。バスで一緒になった女性は、「もう私、酔っ払ってます」とおっしゃっていました。尋ねたら、試飲以外に3杯も飲んでいらしたとか。負けました(爆)。

Img_9775c  多度駅を12時42分に出る桑名行きがありましたので、それに乗車することに。帰りに、駅の窓口で切符を買Img_9770c ったら、珍しく硬券でした。しかし、「運賃変更」とスタンプがあり、かなり前のもののようでした。

Img_9789c  やって来た電車が、こちら。ハローキティのラッピング電車。ネットで調べると、このラッImg_9792c ピング電車が運行される時刻が公開されているようですが、そこまではしていませんでした。ラッピング電車が走っているのは知っていたのですが、思わぬことでラッキー。車内の、普段ならつり下げ広告があるところにも、キティばかり。桑名駅には、12時58分着。¥310。

Img_9814c  今日のALKOOのデータは、16,217歩。ハイキングで歩いたのが6.7㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で、合計8.5㎞。けっこう暑くて疲れたものの、多度大社の摂社・末社をコンプリートできましたし、謎は残ったものの、芭蕉の句碑も見てこられましたので、まぁ満足。細川酒造も訪ねたかったところですから、今日もハイキングに出かけて楽しめたということ。本編はまた明日以降に。

2019年9月13日 (金)

曇天の一日、7.7㎞散歩(苦笑)

Img_9198c_20190913154001  曇天の一日。気温も、 23.8℃~26.0℃とほぼ一定。午後からは寒いくらいの感じです。今日は、仲秋の名月ですが、夜は晴れ0913walk てくるのでしょうか? 散歩は8時出発。住吉神社、九華公園、貝塚公園と回り、ここで思いついて、いつもとは違うコースへ。いつぞや、散歩友達のSさんに啓発されて歩いた、税務署、国道23号線地蔵交差点、赤須賀漁港周りのコースへ(2019年7月9日:途中からコースを変え、7.9㎞も(笑))。7.7㎞も歩いてきました。猛暑の頃では考えられません(苦笑)。

Img_9208c_20190913154001  住吉神社の近くから川口水門を見ると、アオサギが1羽。ちょっと粗い画像で、証拠写真。川口水門のところでImg_9233c 堤防に上がって写真を撮ろうと思ったら、逃げられました。50mくらいは離れていたのに! 九華公園でもアオサギ。こちらは、定位置の鎮国守国神社の社務所裏に。今日は、かなり探したものの、ゴイサギやホシゴイは見つかりませんでした。

 

Img_9265c  外周の遊歩道では、シジュウカラ数羽と、コゲラ1羽。同じように移動していました。これまたあまり明るくないので、証拠写Img_9275c 真。今日は、雨に降られるとイヤだと思って、超望遠コンデジしか持って行かなかったのです。これでも、何とか撮ろうと思って、それなりにウロウロしたのです(苦笑)。サクラの葉っぱがまだまだたくさん残っていますので、なかなかよい具合に行きません。

Img_9256c  そのサクラといえば、昨日に引き続き、遊歩道の別の2ヶ所でも、時季外れの花をつけていました。さらに、シImg_9297c ルバー人材センターの敷地で、ヒガンバナを発見。昨日は咲いていなかったと思うのですが、自信はありません。通常の散歩コースでは、ここがもっとも早く咲きます。ここには、シロバナヒガンバナもあったのですが、どなたかが持ち去ったようで、去年からは見なくなりました。

Img_9324c  ここから、ルート変更。いつもなら、貝塚公園を出て西に向かうのですが(冒頭の地図でいえば、桑名港とImg_9328c ある方向)、今日は南へ。税務署と消防本部が並んでいる交差点を左折し、国道23号線方面へ。国道23号線の揖斐長良大橋の袂にある地蔵交差点(右の写真)。写真の奥の方が揖斐長良大橋。右に行くと四日市方面。ここを左折して、細い道に入り、赤須賀へ。

Img_9341c_20190913154001  少し歩くと、赤須賀の漁港に出ます。正月に大漁旗の写真を撮りに来るところ(2019年1月1日:明けましておめでとうございます)。今日は出漁日。揖斐川などImg_9348c にも漁船が何隻も出ていました。右の写真は、漁を終えて寄港してきた漁船。今の時期は、シジミ漁をしています。

Img_9376c  こちらは、漁師さんたちが捕ってきたシジミを洗って、選別していると思われるところです。たいていは家族でこの仕事をしていらっしゃいます。

Img_9351c  このあと、揖斐川右岸堤防を歩いてきます。漁港でみたのは、カモメと、コサギ。揖斐川と長良川の中洲にアオサギ1羽、カワウ多数でした。もう少しいると張り合いがあるのですが、あまりいないので黙々と(苦笑)。

Img_9379c  こちらははまぐりプラザ。城東地区公民館や漁業交流センターが入った施設。展示室もあって、桑名の漁業について分かりますし、食堂「はまかぜ」もあります(蛤や、時期には白魚も食べられます)。向かって右の建物が食堂はまかぜ。

Img_9400c  さらに歩いて、九華公園の東。ここまで来ると、我が家までは1㎞あまり。野球場の向こうの森が、九華公園です。隣には市Img_5865 民プールもあります(子どもたちが小さい頃は、夏によく連れてきました)。三の丸水門まで戻って来て10時15分。たくさん歩いたわりに早かったなと思ったら、ここで知人のMさんに遭遇(七里の渡し跡すぐ近くにお住まい)。30分も立ち話(苦笑)。昔のこのあたりのことについていろいろと教えていただきました。七里の渡し跡は、もっと低くて、スロープ状になっていて、すぐに揖斐川だった(今の堤防や、蟠龍櫓が整備される以前の話。工事にともない、七里の渡し跡はかなりかさ上げされたそうです)。鳥居ももっと低いところにあった。自宅の裏がすぐに川というか堀で、そこから釣りができた。伊勢湾台風のときは、1階が半分くらい水に浸かったなどなど(右の写真は、5月16日に堤防から揖斐川の撮影した七里の渡し跡)。

 いやよく歩いてきて、Mさんに昔の話も伺えて面白かったですねぇ。明日は、多度で近鉄ハイキングがあります(近鉄エンジョイウォーキング オクトーバーフェストな気分でハイキング 多度大社と細川酒造「上馬(あげうま)ビール」)。「オクトーバーフェストな気分」というのはよく分かりませんが、上げ馬ビールの細川酒造、行きたいと思案中。思案中というのは、9月16日(月・宿)にも菰野で近鉄ハイキングがあるのです(菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング)。菰野富士も去年から一度行きたいと思っていたところなのです。

2019年9月12日 (木)

非常勤先から連絡……後期の準備を促されたか?

Img_9150c_20190912142701  今朝は、熱帯夜からも逃れられ、また、湿度も低く涼しい感じがしました。今の時期はこうでなくてはなりません(微笑)。日中、気温は上がって、日当たりでは暑かったものの、日陰や風が通るところでは涼しくさえ感じられます。最高気温は、33.0℃。空も高く見え、雲は秋の雲。いつもどおり、7時50分から散歩に出ました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、京町、寺町と5.5㎞。11時をかなり回って帰宅。歩いた距離の割りに時間がかかっていますが、あちこちで知り合いに会って話をしていたがため(苦笑)。冒頭の写真は、住吉神社前から北東の空を撮ったもの、長良川河口堰などが写っています。

Img_7252c  去年は今頃、もうモズが出てきていたのですが(2018年9月9日:九華公園でモズ……サギソウ、メダカ、ミナミヌマエビの話も)、今年はまだ。ヒガンバナも、去年は、散歩コースでもそろそろ咲き始めたのですが(2018年9月13日:ヒガンバナ、咲き始めました……カワウはギマをゲットし、あちこちでサギ)、今年はまだまだかけらもなし(先日、なばなの里では数輪、咲いていましたが(9月10日:無料券でなばなの里へ)。その代わりなのか何だかよく分かりませんが、九華公園の外周遊歩道の桜並木では、ヤマザクラが時季外れの花をつけていました。毎年、10月頃に少し咲いていることはありますが、この暑いのに……。

Img_9148c  住吉神社の前から揖斐長良川の中洲を見たら、河口堰の近くにダイサギとアオサギが1羽ずつ。カルガモも写っています。中洲の例の場所は(住吉神社のほぼ正面)、最近、サギは来ていません。

Img_7223c_20190912142701  九華公園では、いつも通り、アオサギ1羽。ここには棲んでいないと思います。どこかからか、出勤してくるとImg_7218c_20190912142701 考えています。ホシゴイは、今日は最初、見当たらなかったのですが、アオサギを見ている時、飛んできました。ちょっとピントが甘いのですが、証拠写真。ホシゴイは、この直後、側で見ようといったら、すぐどこかに逃げてしまい、残念。

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 このほかは、いつも通り、ムクドリ、スズメ、カワウの他、カワラヒワがけっこういましたが、きちんとしImg_7232c_20190912142701 た写真は撮れず。シジュウカラの姿も見かけたものの、木の高いところで葉っぱが邪魔。ヒヨドリも少しずつ戻って来ています。もう少しすると、コサメビタキがやって来ると期待していますし、ひょっとするとムシクイも来るかも知れません。他にあまりいませんので、たまにはハシブトガラスの写真(微笑)。「ハシブト」は、嘴が太いということ。他には、デコっぱちという特徴もあります。案外可愛らしい顔をしています。

Img_9189c  鳥、やはりいないなと思って帰ってきて、住吉入江まで来たら、あれ?と。多分そうだろうと思って写真だけ撮ってきました。イソヒヨドリのオスです。もう1羽、イソヒヨドリがいました。これまた証拠写真ですが、たまにしか見ませんので。

Img_9153c_20190912142701  さて、そろそろ9月も半ば。今日は、江戸橋の非常勤先からメール。後期は、9月24日(火)から始まるのですが、「25日(水)は授業回数調整のため、月曜日の授業を実施する」というリマインダーメールでした。月曜の祝日や、振替休日が多いのでこうなります。「授業、準備していますか?」と暗に確認されたのかも知れません(苦笑)。朝夕は涼しくなりそうですから、気合いを入れ直さないと行けません(何回、気合いを入れ直しているのか?!というツッコミがおありでしたら、どうぞご遠慮なくコメントをつけて下さい。むしろ歓迎しております(爆))。写真は、七里の渡し跡にて。

 

20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完)

190907kintetsuhikingtsu4 9月7日に行ってきた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」のその3です。その2では、津市下弁財町の真教寺、市杵島姫神社、神明神社(まんどさん)辺りまで来ました。左の実測ルートマップで、中央の上辺りです。ここからは、ほぼ南に向いて、垂水南交差点を目指します。途中、山二造酢、薬師庵跡(この辺りまでは、4月28日の近鉄ハイキングできています。このときは、松源寺(地図では松原寺となっていますが、それは誤り)の手前の交差点で左折し、結城神社へむかいました;20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策』へ(予告編))、照源寺、明治天皇津八幡町御小休所の石碑を見て、垂水南交差点の手前で香良洲道との追分に至ります。伊勢街道は、この追分のすぐ手前で右に曲がり、国道23号線を越えて行きます。

Img_8555c  その2で訪ねた神明神社近くの伊勢街道の様子。昔の名残がある、大きな家もたくさん残っています。間口の広い家は、商家であったのかも知れません。2階には、卯建に似た構造が見えます。卯建といえるのかどうか分かりませんが、防火壁の役目を果たしていたように思われます。

Img_8568c_20190911111901  山二造酢さん。創業は明治20(1887)年。従業員は13名と小規模な会社で、建物もかなり古いのですが、ベンチャースピリットにあふれているようで、伝統的な酢だけでなく、飲む酢の開発にも力を入れています。この日は、Gin-Vine スイートゆずの試飲をさせてもらいました。生姜と、酢を合わせたものにゆずの香りが付けられています。

Img_8575c_20190911112601  山二造酢さんから100m足らず南の交差点。ここは、昔、安濃郡と一志郡との境界だったといいます。写真は、後で思い出して、薬師庵跡の前から北を向いて撮っています。奥に見えている交差点がそれです。

Img_8570c_20190911112901  交差点を過ぎてすぐに薬師庵跡。ここまでは、4月28日のハイキングで訪ねたところ。「水子 子育 地蔵菩薩」とImg_3597c_20190911113301 いう幟が掲げられ山門があります。山門をくぐってすぐ左手に地蔵堂。これが水子地蔵。空き地の奥に石碑が建っており、北畠国主の祈願仏であった薬師如来の庵があったところと書かれていました。永禄12(1569)年、兵乱により家士等が如来様をゆかりのある一志郡松崎村の船乗りを業とする者に預け、厨子に入れたまま小船に乗せ、ここ八幡の地に安置すべく、新たに庵室を建てたということでした。ところが、平成18(2006)年に、この南にある松源寺とともに火災で焼失してしまったのだそうです。右の写真は、今年4月28日に撮影したもの。

Img_8576c  薬師庵から300mあまりのところに松源寺があります。天台真盛宗のお寺。上述のように、平成18(2006)年、薬師庵ととImg_8580c もに火災で焼失したといいます。松源寺には、代々の藩主の位牌が祀られているそうです。

Img_8583c  上の左の写真にも写っていますが、山門脇に弘法大師作と伝わる地蔵が祀られています。宝Img_8588c_20190911114001 暦年間(1751~1761年)、松源寺に立ち寄ったあと、富士参りに向かった度会郡の人が富士山中で道に迷っていたら、旅僧に姿を変えた地蔵に助けられたという逸話が伝わっています。

Img_8596c   松源寺から南へ200mほど行った、右側(西側)の民家の庭に「史跡 明治天皇津八幡町御小休所」という石碑が建っています。明治13(1880)年7月9日、明治天皇はこの地を通られ休憩されました。この頃、明治天皇は、三重県内を行幸されています。7月4日~6日には三重県庁、裁判所、師範学校、津中学校を御巡覧、願王寺に行在所が設けられました(津の寒松院に「明治天皇行在所跡」の石碑があります;2018年4月29日:20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その1)……津新町駅界隈、松菱百貨店、藤堂家墓所の寒松院)。7日に伊勢神宮に御親謁され、その後は、一身田の高田本山にお泊まりになられました(2018年1月19日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その2)専修寺の境内を歩く(前半))。さらに、7月11日・12日に、亀山で大阪鎮台・名古屋鎮台の合同演習(軍事訓練)がおこなわれたのをご覧になっています。

Img_8606c  その先100mほど、スタートからは6.5㎞ほどのところに八幡神社(津八幡宮)の社号標があります。伊勢街道を下る方向からいうと、左折すると、八幡神社の表参道に至ることを示しています。ここから東へ250mほど入ったところに八幡神社の表参道があります。八幡神社は、4月28日の近鉄ハイキングの時にちょっとだけ立ち寄っています(2019年5月10日:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。ちなみに、八幡神社は、垂水村(現在の津市垂水)千歳山にあった八幡神社(京都・石清水八幡宮から、伊勢国へ初めて分霊された神社)を寛永9(1632)年、津藩主・藤堂高次公がこの地に遷祀されたのに始まります。主祭神は、応神天皇神功皇后。相殿神は、住吉大神(すみよしのおおかみ;航海の神)、藤堂高虎公です。寛永21(1644)年には、藤堂家の鎮守神社となり、この頃からの氏神祭が、現在は、津まつりとして続いています。実は、松源寺の手前の交差点には、裏参道に至る社号標もあったはずなのですが、それは見落としてしまいました。

Img_8611c_20190907193101  さらに進み、スタートから6.8㎞のところに、香良洲道との追分があります。左の写真では、左に入っていく道が、香良洲道、左下から右上に通っているのが伊勢街道です(北から南を向いて撮っています)。香良洲道とは、香良洲神社へお参りする道。「からす詣らな片参宮」といわれ、伊勢神宮の往路か復路に多くの人が香良洲神社を訪れたといいます(ちなみに多度大社にも、「お伊勢参らば お多度もかけよ お多度かけねば片参り」といわれたといいます)。香良洲神社の主祭神は、天照大神の妹神とされる稚日女尊(わかひるめのみこと)。

Img_8620c  この追分のところに思案橋という小さな橋があります。こちらの写真の方がよく分かります。これは、香良洲道の側から追分Img_8616c を撮ったもの。石橋が思案橋で、ここが藤枝と垂水の境。橋の名前は、参宮客が香良洲道へ折れて香良洲神社に立ち寄るかどうか橋の上で思案したことに由来します。江戸時代、伊勢参宮の際、香良洲神社を参詣しない人は、ここで遥拝したといわれています。石橋の側面には松・梅・扇が浮き彫りにされ、文政6(1823)年の銘が入っています。ちなみに、この手前の藤枝には、かつて花街(藤枝遊廓)があったそうです。藤枝遊郭は津の城下ではもっとも大きい遊郭だったそうですが、当時の建物はほとんど残っていません(こちら)。

190907kintetsuhikingtsu5  実測ルートマップは、その5、これでラスト。香良洲道との追分から垂水南交差点で国道23号線を越え、さらにJR紀勢本線をImg_8623c_20190907193101 渡って進みます。東雲寺の東南で南に向きを変え、さらに南下していきます。が、この日のハイキングでは、成就寺と南昌寺の間の信号交差点まで。ここからゴールの近鉄名古屋線・南が丘駅に向かいました。右の写真は、垂水南交差点。ここでほぼ6.9㎞。時刻は12時40分。奥に向かって行きます。

Img_8633c_20190911154101  JR紀勢本線を渡り、東雲寺の東辺りの三叉路に珍しい表示のついた信号機があります。この日のコースマッImg_8635c プにも「4分間待つ信号」とわざわざ書いてありました(微笑)。「この信号機は交互通行式です。約四分間お待ち下さい」とあります。伊勢街道に入ってくる道路が、この北でカーブしていて見通しが悪いことと、細い道が交差しているからです。

Img_8638c  7.4㎞地点で成就寺というお寺の前に来ます。この日、伊勢街道はこの寺の前まで。成就寺は、真言宗醍醐派Img_8646c のお寺。ご本尊は、大日如来坐像。元気があれば、階段を登ってお参りしてくるのですが、この日は蒸し暑くて、ヘトヘトでしたので、写真だけ撮って失礼しました。次もここを通るはずということもありますから。右の写真は、成就寺前の交差点。通り過ぎてから思いついて撮ったもの。暑くて、ボンヤリしていました。ここまでくると、南が丘駅までは1㎞あまり、時刻は12時48分。スタートから3時間近く。汗だくですし、平治煎餅本店ととらや本家で和菓子を食べたときに休憩したのみです。ゴールの近鉄名古屋線・南が丘駅には、三重県運転免許センターに運転免許の書き換えで2回ほど電車で来たことがあるのですが、駅前には飲食店はもちろん、コンビニもなかった記憶が……。

Img_8646c  コースマップに「急な上り坂」とあるところをトボトボと、日陰を選んで登っていきます。坂の途中まで来たら、喫茶店らしImg_8655c きものが! 面白いことに同行のMさんも、私もほとんど同時に「ここに入りましょうか?」と(爆)。こういうときの判断はお互い速く、判断基準も似ているようで、笑えました。疲れてきているし、腹も減った。暑いので涼しいところで休みたい、これから先、喫茶店など食事ができるところがあるかどうかアヤシい……というふうに二人とも考えた次第。「喫茶ノンネーム」さん。救いの神です(微笑)。

Img_8649c_20190907193101  外観は事務所のような建物でしたし、営業しているのかどうかも不明だったのですが、結果的にはこれが大正解。これを書くのに調べたら、平日はけっこうな賑わいのようでした。近隣に喫茶店がないということもあるのかもしれません。焼きそば(¥650)を頼んだのですが、けっこう美味しい。頼んでから、他のお客さんの様子やらを見ていたら、モーニングタイムが午後2時までで、¥350でかなりの分量のモーニングサービスが食べられるようでした。そっちの方がよかったかも知れません。アイスコーヒーを追加して、プラス¥250。食事をして、涼みながらしゃべり、13時半、再スタート。あとはゴールを目指すだけ。

Img_8658c_20190911160801  南が丘は、近鉄が開発した団地。平成元(1989)年4月から「津 南が丘住宅地」として分譲が始まっています。丘陵地を利Img_8664c_20190911160801 用して開発され住宅地で、1,100戸以上あるそうです。住宅地に隣接して、小・中学校があります。左の写真は、たぶんこの住宅地のメインストリート。南北に通っています。丘陵地ですから、かなりのアップダウンがあります。桑名の大山田団地も丘陵地に開発されており、高低差が相当あります。新しい住宅地ではどうしてもこうなるのでしょう。私くらいの年齢になると、年を取って体力がなくなったり、病気が出て来たり、車に乗れなくなったりすると、こういう所で生活していくのは大変だなということを考えてしまいます。実際、空き家もあるような感じでした。ちなみに、やはりコース沿いには塾や葬儀社はあっても、飲食店はありません。右は南が丘ツツジ公園脇にあった給水塔。給水塔があるということは、ここがこの団地のもっとも高いところ。ハイキングの終わりに、こういう高低差はけっこうキツい(苦笑)。

Img_8672c_20190911160801  ツツジ公園を抜けてもう少し住宅街を歩かねばなりません。こういう住宅地の道路は、メインストリートは直線なので見通しが利きますが、住宅街に入ると微妙にカーブした道になり、先が見えず、あとどのくらいかが目的地の直前になるまで分かりません。南が丘駅は、この住宅団地のアクセスのために平成元(1989)年に新たに開設された駅。駅の辺りは、かつては津新町駅~久居駅の中間の不便な場所で、青谷という地名。津市立斎場(火葬場)が付近にある静かな土地でした。現在は、急行停車駅。

Img_8674c_20190907193101  結局、南が丘駅には、13時45分に到着しました。ここまで歩いたのは、約9㎞。四天王寺や、津観音で歩き回りましたので、Img_8694c_20190907193101 もう少し歩いていると思います。いやぁ、今日も蒸し暑くて疲れました。昨今の気象状況を考えると、夏はとんでもない猛暑になりますから、近鉄ハイキングが7~8月は休みになったのも当然かも知れません。14時半までにゴールすれば、参加記念のマグネットがもらえるということで、無事に7個目をいただいてきました。今のところすべて揃っています(微笑)。

Img_8683c_20190907193101  ゴールしてすぐ、13時49分に名古屋行き急行がありましたので、それに乗って帰宅。持参したお茶はぬるくなるどころか、暖まってしまっていますので、冷たい飲み物が欲しかったのですが、ホームにも自販機があるだろうと思ったら当てが外れました。桑名着は、14時40分、¥750。バラしてしまいますと、Mさんは車中で爆睡。早くから起きていらっしゃったのと、私があちこち引き回したせいでお疲れだったのでしょう。お陰様で、あみま倶楽部のスタンプは、23個目。

Img_8691c  ALKOOのデータは、19,738歩。歩いた距離は、ハイキングで。約9㎞、自宅と桑名駅の往復が1.8㎞。したがって、10.8㎞と思います。今日も蒸し暑くて、かなり疲れました。長く歩くのは、慣れていてさほど苦にはなりませんが、蒸し暑いのは叶いません。

 次の伊勢参りツアーは、9月22日(お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ)。これが、約13㎞となっています。この日ゴールした南が丘駅から、雲出川を渡り、山田線・大阪線乗り換えの伊勢中川駅を越えて、近鉄山田線・松ヶ崎駅まで。松ヶ崎駅は、もう松阪市になるのです。大丈夫かなぁ(爆)。

2019年9月11日 (水)

猛暑日からは逃れたものの、蒸し暑い……金曜(9/13)は仲秋の名月

Img_9101c  猛暑日からは逃れられたものの、今日も34.3℃。オマケに湿度が高く、朝から蒸し蒸し。散歩は、7時50分に出たものの、いきなり蒸し暑くて、我が家から500mもない住吉神社に行くまでに汗だくに(苦笑)。運動をして、汗を掻くというのが目的なのに先が思いやられること。しかし、めげずにその後もいつもどおり、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と5.3㎞。暑いせいか散歩友達も少なし。Yさん、Sさん(鳥見の大先輩)、Wさんくらい。80歳を過ぎたSさん、お元気。秘訣を教えてもらわないといけません。吉津屋町では、以前散歩途中でよく会っていた方と久しぶりに遭遇。最近、散歩コースをいろいろ変えていらっしゃるとか。ただ歩くだけですと、飽きてきますので、バリエーションをつけるか、何か楽しみを見つけないといけません。

Img_7132c_20190911170301  九華公園では、アオサギとホシゴイ3羽。アオサギと、ホシゴイのうち、1羽はすぐに飛び去りました。ホシゴImg_7171c_20190911170301 イ、今日はいずれも樹上にいました。ただし、やはり暑いのか、右の写真のホシゴイさん、嘴を開いて、のどをブルブルさせていました。アオサギさんが暑いときによくやっている行動。ホシゴイもするのを確認(微笑)。大発見でも何でもありませんが……。

Img_7186c_20190911170301  鳥も少ないのですが、九華公園では、ドバト、スズメ、ムクドリの他にカワラヒワ。ヤマガラの鳴き声のような声を聞いた気がするのですが、確認できませんでした。シジュウカラもいたと思うのですが、写真は撮れず。左の写真のシジュウカラは、住吉入江まで戻って来たところにいた2羽のうちの1羽。もう少し涼しくなると、小型野鳥が戻ってくるものと期待しています。去年は9月9日にモズを初確認していますが、今年はまだ。

Img_9114c  散歩コースの小学校では、運動会の練習をしているようでした。ここの小学校の運動会は、地域の運動会も兼ねて盛大に行われます。「立教小学校運動会」ではなく、「立教大運動会」と銘打って、です。また、ここは、「打毬戯(だきゅうぎ)」といわれる、江戸時代に桑名の藩校「立教館」で行われていた競技が伝わっています(こちらに詳しい説明があります)。寛政の改革で有名な松平定信が白河(福島県白河市)藩主であったころ、藩校立教館に打毬を取り入れているのですが、それが、文政6(1823)年の国替えにより、立教館とともに桑名に移ったのです。明治以降は私塾を経て、立教小学校へと受け継がれたものの、戦争により中断を余儀なくされます。昭和53(1978)年、楽翁公150年記念大祭を機に復活しました(楽翁公は、松平定信公のこと)。私はまだ見たことがありませんが、市立図書館でDVDも見られるそうです。中国から伝わったポロのような球技で、紅白の毬を毬杖(ぎっちょう)ですくい取り、毬門に投げ入れたほうが勝ちというのが基本のようです。詳しくはリンク先をご覧ください。

Img_9116c  金曜くらいからは朝夕を中心にもう少し涼しくなるといいますから、期待しています。金曜(9/13)は、仲秋の名月でもあります。「中秋の名月」は、太陰暦の8月15日の夜に見える月ですが、今年は、満月が9月14日と、仲秋の名月と1日ズレています。リンク先の国立天文台の解説を読んでいたら、「また中秋の名月の翌日、9月14日は、満月が今年最も小さく見える日」だとありました。つまり、 今年の中秋の名月は、比較的遠くて小さい月ということになるのだそうです。眺めているだけではわかりにくいのでしょうが、いずれにしても、美しい仲秋の名月を見たいものです。

20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その2)……平治煎餅本店、津観音寺、大門商店街、とらや本家、閻魔堂、市杵島姫神社から「まんどさん」

Img_8444c 9月7日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂Img_8454c 水へ」のその2です。その1では、主に四天王寺をウロウロして、10時45分になりました。塔世橋を渡って300mほど行くと、松阪肉の朝日屋があります。津では有名。

190907kintetsuhikingtsu1  実測ルートマップ。その1では四天王寺まで。しばらく国道23号線を行きます。上記のように190907kintetsuhikingtsu2 朝日屋の手前で横断歩道橋を渡って、東へ。平治煎餅本店に立ち寄って津観音寺へ。大門商店街を抜けて、とらや本家にも。その南は、だいたて商店街から岩田川を観音橋で渡ります。

Img_8459c  スタートから3㎞の手前で平治煎餅本店に立ち寄ります。平治煎餅は、津の銘菓。Img_8461c_20190910214201 よくあるカステラ生地の薄焼き煎餅。桑名でいえば、かぶら煎餅。平治煎餅の由来は、こちら。この由来にある平治のエピソードから「阿漕な」ということばができています。講釈はともかく、ここでどら焼き(¥200)をMさんと二人で分けて食べてきました。二人で一つにしたのは、大門商店街でもう一ヶ所、和菓子屋さんに立ち寄らねばならないからです(微笑)。

Img_8467c_20190907193001  平治煎餅本店からすぐのところに津観音寺。正式には、恵日山(えにちざん)観音寺大宝院、真言宗醍醐派のお寺。ご本尊は聖Img_8478c_20190907202701 観音菩薩。浅草観音、大須観音と並んで日本三大観音の一つとされます。去年(2018年)4月23日にも訪れています(20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その2)……乱歩の墓のある浄明院、阿漕平治に関わる上宮寺、西来寺、大門商店街から津観音20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その3)……津観音から、蜂蜜まん本舗、千寿で天むすをゲットし、お城公園へ)。詳しくは、これらの記事をご覧ください。

Img_8501c_20190907203301  津観音寺の南には、大門(だいもん)商店街があります。この商店街は、伊勢街道のルートにあります。去年の「勝手に近鉄Img_2239c ハイキング『名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など』」で来たときには(2018年4月23日:またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編))、アーケードがあったのですが、老朽化で、私が訪ねた直後から撤去作業が行われ、去年9月にはすっかり景色が変わってしまいました。右は、去年来たときの写真(平成30(2018年4月23日撮影)。ここは、津における歓楽街、繁華街なのですが、普段は人通りも多くはなく、閉店してしまった店もけっこうあります。

Img_8463c_20190910220601  大門商店街の一角に、道標があります。津観音寺の山門から南に600mほど行った交差点です。碑表には、「すぐこうのあみだ/左げこうみち」と、また、右面には「右さんぐうみImg_8466c ち/左こうのあミだ」と彫られています。碑陰には、「明治廿五年十二月立之□セハ松田傳兵衛/桝田伊蔵」。「こうのあみだ」は、津観音寺を指しています。明治25年は、1892年。

Img_8512c  大門商店街の南の端にあるとらや本家が次の立ち寄りスポット(左の写真)。ここは、いちご大福などが名物というか、いちご大福発祥の店だそうです(リンク先をご覧ください)。そのいちご大福が生まれたのは昭和61(1986)年のことです。とらや本家のご主人 とおかみさんが、たまたま休憩のときに、あまった大福餅にいちごをのせて食べたところ、これが意外に美味しかったことから、約1ヶ月の 研究を重ね、その年の2月13日から販売を開始。その後も、お客さんへの店頭での試食やアンケートを重ねて今のスタイルになったということです。 

Img_8506c_20190907193001  この日、いちご大福はありませんでしたが、何種類かのフルーツ大福があります。ちょっと迷った上で、梨大福をチョイス。2個入りで¥460(税別)。ちょっとImg_8510c_20190910220201 お見苦しいのですが、右は一口囓ったあとの写真 m(_ _)m 梨の食感も残り、けっこういけました。は、この近くにある久居の名産。梨大福は、8月下旬から9月上旬の期間限定販売のようです。今日は、いい年をしたオッサン二人で和菓子を食べてばかり。我ながら笑えてきます。

Img_8515c  とらや本家を出たのは11時半頃、スタートから3.4㎞ほど。とらや本家を出たところは、フェニックス通り。津市中央と津市なぎさまちとを結んでいます。中央分離帯にフェニックスが植えられていますから、このように呼ばれています。

Img_8523c_20190911052101  3.8㎞ほどで岩田川に至ります。相変わらず国道23号線から1本東の道を歩いています。観音橋で川を渡りまImg_8528c_20190911061101 す。幅は広いのですが、自転車歩行者専用。毎年七夕のときに岩田川にササを流すイベントがあると行き来ます。国道23号の岩田橋のあたりには、松菱百貨店、百五銀行、中部電力などがありますし、市役所や津城跡のお城公園もほど近いところ(これらも去年4月23日、訪れています;またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編))。観音橋を渡って、また国道23号線に戻ります。

190907kintetsuhikingtsu3

 実測ルートマップはその3に入ります。津球場の西を進み、岩田交差点で左折し、細い道に入ります。これが伊勢街道。5㎞を過ぎるまで立ち寄るところはありませんので、「今日も暑いなぁ」などとぼやきながら、ひたすら歩きます(苦笑)。

Img_8547c  5.3㎞ほどで天台宗阿古木山眞教寺(あこぎざんしんきょうじ)と市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)。寺と神社が並んでいます。向かって左にあるお堂が、真教寺。右の鳥居が市杵島姫神社。

Img_8538c  眞教寺は、通称の閻魔堂で知られています。閻魔王座像や円空作十一面観音立像(県文化財)などがありImg_8534c ます。十一面観音立像は、総高236cmもあり、円空仏としては屈指の大きさ。17世紀後半に作られた檜の一木造り。真教寺は、慶長19(1607)年、津藩二代藤堂高次公が建立したと伝えられています。ここは、ちょうど津の城下への南の入口にあたり、悪霊や疫病が津の町に入らないようにとの願いもあって、閻魔大王坐像が据えられたと伝えられています。お堂に向かって左手には地蔵堂もあります。

Img_8540c  市杵島姫神社は、通称「べざいさん」。この神社は建武年間(650 年ほど前)からこの地にあり、当時伊勢の国司であった北Img_8542c_20190911061101 畠氏が守り本尊としていたご神体を、天正4(1576)年の岩田川の戦い(同年11月)で敗れたとき、家臣が岩田の清長院へ預けたものがこの土地に移ったといいます。主祭神は、市杵島姫命。真教寺も、市杵島姫神社も、今年4月28日の近鉄ハイキングで来ました(20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その1)……津新町駅をスタートし、三重刑務所、真教寺・閻魔堂と市杵島姫神社へ)。詳しくは、そちらをご覧ください。市杵島姫神社を出たのは、12時10分。スタートから2時間20分かかっています。まだ先がありますし、このルート、コンビニもほとんどなく、ましてや食事をするような店もありませんから、このまま歩くことにします。

Img_8549c_20190911071401  市杵島姫神社からすぐのところに一乗山教圓寺。真宗高田派のお寺。落ち着いた良い感じのお寺ですが、由緒などは不明(案Img_8556c 内板はなく、ネット検索でも情報は出て来ません)。教圓寺のすぐ先、東側に神明神社。御祭神の大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト;天照大神の異称)が屋根に作られた天窓の上に祭られているという珍しい神社。

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 この写真がそれ。拝殿の天井、中央あたりに天窓があり、その向こうに小さなお社が見えます。天窓の向こうに祀られていますから、地元では「まんどさん」と呼ばれています。江戸時代の絵図には「一万度祓納社」として描かれており、悪病が流行して町中がとても苦しんだ時に、人々が相談して阿漕町の中心部に神社を祭り祈祷したところ、病が治まったことから、町の守護として信仰を集めるようになったといいます。ここも4月28日の近鉄ハイキングで来ています。
 キリが良いので、その2はここまで。その3は、薬師庵跡から。実測ルートマップもその3に入っていますが、それは記事のその3で。

2019年9月10日 (火)

20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その1)……津駅をスタートし、四天王寺へ

 9月7日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」のその1です。この日は、近鉄名古屋線・津駅から同じく名古屋線・南が丘駅まで、コースマップ上は8.4㎞。津の天気をアメダスで見たら、最高気温は31.1℃ (14:34)でしたが、湿度が高い感じで、蒸し暑く疲れました。この日もMさんと二人で参加してきました。

Img_8311c  受付は、近鉄津駅(津駅西口)で9時半から11時ということでしたから、Mさんと桑名駅で8時50分に待ち合わせ。9時1分発のImg_8313c 五十鈴川行き急行に乗車し、津駅には、9時46分着。¥690。前回と同じく、受付開始から15分以上経っていますので、空いていました。受付を済ませて、コースマップをざっと確認して、9時55分にスタート。余談ですが、駅への入り口の背景に移っているビルは、「アスト津」。「明日都・津」だそうです。ホテル、公共施設、飲食店、さまざまなショップが入っているそうですが、まだ行ったことはありません。さらなる余談。前回、津駅にゴールしたときは、東口から地下道を通るルートだったのですが、この日は、駅の南にある横断歩道橋(線路の上を横断します)を通りました(右の写真)。初めての経験。

Img_8301c_20190907192901  こちらがコースマップ。今回もB4両面。津駅西口をスタートし、横断歩道橋を渡って津駅の東側へ。国道23号線の手前の信号Img_8304c を右折、伊勢街道に出て、まずは四天王寺へ。ここは、津で最古の寺。ついで、日本三大観音の一つといわれる津観音寺。ここは大門商店街の北の端。大門商店街辺りで、平治煎餅本店と、とらや本家の2軒のお菓子屋さんに立ち寄ります。岩田川にかかる観音橋を渡って、南へ。いつぞや訪ねたことがある、真教寺(閻魔堂)と市杵島姫神社から、神明神社、山二造酢、松源寺の地蔵堂を見て、香良洲道との追分にある思案橋へ。ここでは、いったい何を思案するのか? 垂水南の交差点で国道23号線を渡り、南が丘の住宅団地を通って、名古屋線・南が丘駅がゴール。コースマップでは、約8.4㎞。

190907kintetsuhikingtsu1  実際に歩いた実測ルートマップその1です。四天王寺は、津駅をスタートして1㎞あまりのところにあります。四天王寺に至るまでにお寺が3ヶ所ありました。善徳寺、初馬寺、心覚寺です。国道23号線の1本西の道を南に向いて歩いて行きました。

Img_8324c 寿福山善徳寺(じゅふくさんぜんとくじ)、真宗高田派のお寺。開基は、無碍光院善明ということで、開山以来400年近く経ていると思われます。しかし、この善明と寺の沿革の詳細は不明。というのも、宝暦11(1761)年秋と明治16(1883)年3月と2度にわたって火災に遭い、資料が残っていないそうです。本堂は、明治42(1909)年10月に再建されています。

Img_8326c  善徳寺の西に大きなお寺が見えます。馬寶山蓮光院初馬寺(れんこういん はつうまでら)。真言宗御室寺派のお寺。聖徳太子が厄除け・病気平癒のため開創したという伝承をもち、通称「津の初午さん」。三重四国八十八箇所第64番札所。本尊は馬頭観音。聖徳太子が、42歳の厄年の時(614年)、東の四天王寺建立を発願され、この伊勢の地に来られたのですが、太子自身が急病に罹るとともに、母と妃も病気だという知らせが都から来ます。師であった高麗の僧・慧慈に尋ね、一刀三礼厄除け観音を彫刻し、鬼門の方に草堂を結んで安置し「馬宝山観音寺」と称したといいます。これらが効を奏し、7日後には三人揃って全快され、伽藍の工事も無事に進んで竣工の日を迎えた。その日は推古天皇の26戌寅年(618年)三月の初午の日にあたり、馬頭観音はこの寺の本尊として安置されました。

Img_8329c_20190909122601  近世に至り、元和3(1617)年、国家鎮護の道場に当てられ、その後間もなく津藩主・藤堂高虎公の晩年に藤堂家守護の祈願所になりました。二代藩主・高次公は現在の地に堂宇を建立(寛文12(1672)年に完成)。藤堂家の除災修法寺に当てられました。さらに、延宝8(1680)年、三代藩主・高久公から「初馬寺」なる額を寄進されています。昭和20(1945)年6月26日、太平洋戦争の津空襲で破壊され、27(1947)年、30(1955)年に国宝仏を修理及び奉安庫、昭和51(1976)年に本堂が再建され、今日に至っています。と書きましたが、初馬寺については予習を怠り、これを書きながら調べました。こんな由緒あるお寺なら、もっと丁寧に見てくればよかった(苦笑)。

Img_8331c  スタートからほぼ700m、東側に心覚寺。真宗高田派。ここも後からネットで検索してみましたが、これという情報は出て来Img_8335c ません。左の写真は、このあたりから四天王寺に向かう伊勢街道の様子。突き当たりは安濃川になりますが、その手前に四天王寺があります。四天王寺は、前から一度訪ねてみたかったお寺です。

Img_8338c_20190907193001  四天王寺であります。山号は、塔世山(とうせざん)。曹洞宗の中本山。推古天皇の勅願により、聖徳太子が建立したと伝えられています。用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れたため、太子は四天王尊像を刻み、勝利すれば寺塔を建立するという誓願をたてました。その結果、守屋の軍を破ることができたので、誓願どおり四つの四天王寺を建立し、その一つがこの寺とされています。しかし、度重なる兵火によって焼失を繰り返し、はっきりしたことは分かっていません。安濃津歴史ガイドの方は、ここは東の四天王寺で、大阪にある四天王寺は、「西の四天王寺」だとおっしゃっていました。写真の山門は、市の有形文化財。全体に使われている木が太く、高さもあり、均整のとれた美しい姿です。この形に再建されたのは、寛永18(1646)年、二代藩主・高次公の時代。

Img_8347c  こちらは、山門を潜って本堂に至る途中にある門。この門もなかなか歴史のありそうな、立派な門です。右の写真は、本堂。Img_8352c_20190907195901 昭和20(1945)年、戦災で総門、中雀門、鐘楼以外はほとんど焼失したが、本堂と庫裏は戦後再建されたといいますので、左の門が中雀門でしょうか。

Img_8354c_20190909133601  近年、境内から奈良時代の古瓦が出土され、建立されたのは7世紀頃という説もありますが、いずれにせよ1,000年以上の歴史があり、平安時代にはこの地方でもっとも繁栄した寺院であったといいます。その後、上記のように度重なる兵火で焼失と再興を繰り返しましたが、元和5(1619)年に津に入城した藤堂高虎公が改築、二代藩主・高次公が寛永14(1637)年に寺領を寄進し、寺勢を取り戻しています。写真は、境内絵図。現在でもかなり広い敷地ですが、平安時代にはもっと広かったのでしょう。寺には、聖徳太子像(鎌倉時代、絹本着色、112×39.5cm)、薬師如来像(像高65cm、一木割矧造、彫眼、漆箔)、藤堂高虎、同夫人像(江戸時代、絹本着色)といった重要文化財があります。こちらをご覧ください。

 境内には藤堂高虎夫人・久芳院(きゅうほういん)の墓の他、織田信長生母の墓、斎藤拙堂らの学者・文人の墓、幕末の写真家であり、藩校有造館で化学を講じた堀江鍬次郎らの墓があります。 さらに、芭焦翁文塚や詩文に関係深い碑も数多くあります。

Img_8364c_20190907193001  まずこちらは、藤堂高虎の夫人・久芳院の墓。高虎の正室・久芳夫人は、大坂夏の陣の翌元和2(1616)年8月20日、高虎の留守を守る津城で亡くなり、ここ四天王寺に葬られています。内助に徹したその生涯を偲び、肖像画とともに、菩提供養に思いのこもった高虎の文書が残っているそうです。久芳院は、一色義直の娘といわれています。

Img_8358c  これは、花屋寿栄禅尼(かおくじゅえいぜんに)こと、織田信長信包の生母の墓。信長、信包の生母は土田御前(どたごぜん/つちだごぜん、生年不詳~文禄3(1594)年)。その墓が津にあるのは不思議に思えます。本能寺の変で信長と孫の信忠が自害した後は、孫の信雄の庇護のもとにありましたが、天正18(1590)年の信雄の改易後は、伊勢国安濃津の信包のもとに引き取られ、ここで亡くなったのです。

Img_8426c_20190909171401  さらに、こちらは、斎藤拙堂(寛政9(1797)~慶応元(1865)年)の墓。斎藤拙堂は、江戸後期の儒者で、津藩藩校・有造館設立の際、12代藩主・藤堂高兌(たかさわ)公により学職に抜擢され、藩校の発展に尽くしました。督学(高長)も務め、偕楽公園には「拙堂斎藤先生碑」があります(2019年5月23日:20190519近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」へ(その2)……津偕楽公園と、三重県立美術館「没後200年記念 増山雪斎展」)。

Img_8432c_20190909171401  拙堂の墓の近くには、幕末の写真家であり、藩校有造館で化学を講じた堀江鍬次郎(ほりえくわじろう、天保2(1831)~慶応2(1866)年)の墓もあります。堀江は津藩士で、藩校・有造館の化学教師。日本写真術の祖の一人。上野彦馬(後に坂本龍馬を撮影)を有造館に招聘し、ともに化学の教科書「舎密局必携(せいみきょくひっけい)」を出版しています。上野彦馬ほど有名ではありませんが、それは彼が早世してしまったためと思われます。実は、斎藤拙堂と堀江鍬次郎の墓はすっかり失念していて、次へ行こうとして、山門のところでたまたま安濃津歴史ガイドの方と話をしていたら、この二人の墓もあると聞いて、引き返してお参りしてきた次第。珍道中であること間違いなし(苦笑)。

Img_8393c  文学関係の碑なども見ておきます。こちらは、「芭蕉翁文塚」。元文2(1737)年に津の俳人菊池二日坊 (ふつかぼう)が翁を偲んで建てたものです。追善のためのもので、「文塚」とはいえ、ここに何かが埋められたということではないそうです。芭蕉翁文塚の裏には芭蕉の略歴と由来が記されています。

Img_8394c  芭蕉の文塚に向かって左手には、その二日坊の「杖塚」もあります(右の写真)。碑表には「二日坊杖塚」、碑の左右には「聞たいも病むひとつなり時鳥」(右)「初雪や頂いて行く路て行」(左)の句が刻まれています。碑陰には「君姓菊池名宗雨稱揚立 号二日坊晩号帰旧法子 安永四年乙未五月廿三日死 年六十五 坐秋建之」とあります。建立者は不明。ちなみに、二日坊とは、医術の修行に出たものの、2日で帰ってきたからだというのは、安濃津歴史ガイドの方のお話しでした。

Img_8390c_20190909133701  芭蕉翁文塚、二日坊杖塚の西には、いくつかの石碑が並んでいます。これらは説明もなく、ネット検索でも情報は出て来ません。碑文を見ると、もっとも左のものは、「濱翁秀荻居士」とあり、法名が刻まれていますので、お墓のように思われます。その向かって右にあるものには「櫻木?山先生之寿碑」とあるように読めますが、不明。さらに「舞踊師匠 初代 篠塚力寿碑」という明治45(1912)年7月に建てられた碑。「篠塚力寿(しのづかりきじゅ;本名、後藤りき)は京都祇園の生れ。父に伴われ天保14(1843)年頃(17歳のとき)、名古屋に来たといい、篠塚流を以て名古屋の花柳界舞踊を風靡した一人だといいます(こちら)。もっとも右にあるのは、「大津京臣翁碑」と読めますが、これまた不明。

Img_8419c  こちらは、大橋裸木(おおはしらぼく)句碑。裸木の句碑は県下で唯一です。昭和8(1933)年に建碑されたのですが、当初の位置より少し移動していると云われています。「臥所の上山が晴れるばかし山の蔦」とあります。大橋裸木(明治23(1890)年~昭和8(1933))は、明治〜昭和期の俳人、大阪出身。裸木亡き後、俳句結社層雲の同人たちが集まって、裸木が当時詠んだ句を刻み、故人を偲んだもの。碑表には上記の句。碑陰には、「裸木は大橋氏。 大阪の人。東京に出て雑誌記者たり。少壮より佳什多し、病を得て津に住む。京都に移り昭和八年八月八日歿す。享年四十四也。今層雲同人の志聚りて此碑成る。 昭和八年十二」とあります。

Img_8386c_20190909133701  芭蕉翁文塚などがあるところの側には、お地蔵様がたくさんおられました。中央に大きなお地蔵様がいらっしゃり、その周りにはかなり風化してしまった地蔵が並んでいます。ここには、北向地蔵、目洗地蔵(久芳院などの墓に行くところにあったのに!)などがあるのですが、それらは見逃してしまいました。ということで、他にもまだいろいろとあるのですが、四天王寺については、ここまで。

Img_8341c  余談。同行のMさんから、前回、「お寺には、なぜ○○寺という名前の他に△△山というのがあるんだ?」という宿題をいただいていました。「山号(さんごう)」といいますが、調べたところ、「寺院の名前の上に付ける称号」で、「もと、寺は多く山に建てられたため、その山の名でよばれたが、のちに平地の寺にも用いるようになった」ということでした。

Img_8444c  四天王寺を出たのが、10時45分を過ぎた頃。30分ほど滞在。四天王寺を出て南へ。すぐに安濃川に至り、塔世橋(とうせばし)を渡ります。最初の橋は江戸時代に土橋として架けられ、10~15年周期で架け替えられていたそうです。明治11(1878)年に板橋となりました。昭和20(1945)年7月24日の空襲で被弾市、その後の架け替え工事のとき、弾痕のある欄干が戦災遺跡として残されました(こちら)。

 長くなりましたので、その1はここまで。

無料券でなばなの里へ

Img_9026c_20190910151501  今日もまた暑い日になっています。昨日、桑名の最高気温は37.9℃で全国でトップでしたが、今日はトップ10には入っていまImg_8992c_20190910151501 せん。しかし、それでも35.9℃。暑いです(苦笑)。エアコンを使って過ごしていても、何となく勢いが出ません。などと書きながらも、今日も午前中は出かけていました。それは、こちらです。この地方の方はご存じかと思いますが、なばなの里です。ナガシマリゾートが営んでいます。私がこういうところへ一人でノコノコ出かけて行くなどということは、ほとんどあり得ません(ブロ友のひらいさんに連れていっていただくことはありました)。実は、地元タウン誌に無料入村券がついていて、その期限が9月13日までだったからなのです(微笑)。ちなみに、夏のサービス期間(今年は、9月13日まで)の入場料金は1,000円(大人1名分、1,000円分の金券付ですから、実質無料)。

Img_9053c  無料で入れてくれるというのには、理由があります。それは、9月14日からは、ダリヤ・コスモスまつりが始まるので、今はいわばImg_9001c オフシーズン。イルミネーションは10月19日から。花ひろばはその準備中で入れませんが、ひょっとしたら鳥もいるかも知れないとほのかに期待しつつ、行って来たのです。というのも、ブロ友のこころんさんが先日いらしたときには、ホシゴイがいたというのです(なばなの里)。

Img_9009c_20190910151501  残念ながら見かけた鳥は、キジバトのみ。池やせせらぎを丁寧に見て回ったのですが、サギも、カワセミも、Img_7108c セキレイもいませんでした。暑すぎるのでしょう。話は横道に逸れますが、去年は9月9日にモズを見ているのですが、今のところそういう気配もありませんから。

Img_9019c  アイランド富士も、修理・点検で休業中でした。地上45mからの展望が楽しめるのですImg_7114c が、残念。これは、入村料とは別に¥500が必要です。池には、大きな鯉の他、右の写真のかたも! スッポンではないかと思うのですが、自信はありません。

Img_7120c_20190910151601  さて、転んでもただでは起きません(用法が間違っていますが……苦笑)。ヒガンバナが咲Img_7125c_20190910151601 いているのを見つけました。もう少し傷んでいるヒガンバナもありましたので、もっと早くから咲いていたと思われます。九華公園でも最近、探してはいたのですが、まだ見つけてはいませんでした。

Img_9008c  他には、アオスジアゲハ。トンボやチョウは多少はいました。9時半過ぎから1時間ほど歩き回ってきましたImg_9037c が、やはり暑い。木陰や、ミスト散布もあるものの、なかなか追いつきません。右に案内図を載せましたが、結構広いのです(こちらにあります)。

Img_9064c  帰る前に、花市場へ行って買い物。花市場もナガシマリゾートがやっており、なばなの里にImg_9073c_20190910151601 隣接しています。こちらは入場無料。花や、各種の植物、園芸用品を売っているのですが、ファーマーズマーケット内では地場産の野菜なども売っているのです。ここで売っているものの中で、マイベストはこの押し寿司。¥500。実家の方でも同じような押し寿司があり、お祭などのときによく食べたのです。押し寿司を作る道具も、それぞれの家庭にありました。いわば、ソウルフードに準ずるもの。

Img_8987c  ところで、なばなの里に行く前には、長良川河口堰に立ち寄り。思ったほどたくさんの鳥はいませんでした。これもやはり、Img_6998c_20190910151501 暑いせいだろうと思います。それでも、アオサギ、ダイサギ、コサギ、カワウなどはいました。

Img_8916c  アオサギさんは、「ヘンなおじさんスタイル」も見せてくれていました(左の写真)。右のImg_8974c 写真は、ダイサギとコサギ。

Img_8939c  親水広場にも行ったものの、ここにいたのは、イソシギ(ただし、証拠写真)と、スズメのみ。今日は、ハクセキレイもいません。

Img_8927c  管理橋の西の端から南に見えるオレンジ色の柱の上には、ミサゴ。200mほど先にいますので、超望遠コンデジで65倍ズームを使い、トリミングをしてもこれくらいの写真にしかなりません。河口堰にいたのは8時半過ぎから1時間ほど。

0910map  河口堰となばなの里はお隣さん。車で行きましたので、駐車場は移動しましたが、5分もかかりません。我が家からも、伊勢Img_9066c_20190910151601 大橋を渡ってすぐ。伊勢大橋が渋滞していなければ10分弱で行けます。玄関先からもなばなの里はよく見えるのです(右の写真)。チャペルの塔や、ベゴニアガーデンの温室が見えます。イルミネーションは、メインのものが見えるのですが、真横から見る感じになり、「あぁ、イルミ、やってるな」というくらい。

Img_9071c  明日、明後日は秋雨前線がやって来て、その後は涼しくなるという予報のようです。「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、早く涼しくなってもらいたいところ。

2019年9月 9日 (月)

今日の桑名は、全国でもっとも暑かった

Img_8829c_20190909174401  タイトルの通りであります(苦笑)。13時35分に37.9℃を記録して、今日の最高気温で全国一だったそうです。決してありがたい話ではありませんが、台風15号で被害に遭われた皆様のご苦労に比べれば、ささいなこと。台風では相当の被害が出ているようで、お見舞申し上げます。被害に遭われた皆様には、「何を言っているんだ!?」とお叱りを受けること必定ですが、我が身にとってはこの暑さ、堪えます。しかし、暑さにめげず、今日も8時から散歩。8時の時点ですでに31.0℃でした。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、そして定休日の寺町商店街を抜けてきました。5.4㎞、汗だくで10時15分に帰宅。

Img_8870c  暑い中出ていった甲斐は、今日もありました(微笑)。というのも、今日も、九華公園でカワセミ君が登場してくれたのです。公園についたとき、カワセミの鳴き声が響いていたのですが、姿は見えず。鎮国守国神社の社務所北の森の中からです。公園内を半周して、再び確認しに行ったら、ご覧のように出て来てくれました。田だし、今日は、チラッと顔を見せただけで、また森の中へ消えていきました。

Img_6959c  ホシゴイは、今日は2羽。樹上に1羽と、堀に1羽。堀にいた方は、今日も、「漁の練習」中だったようです。しかし、昨日のよImg_6992c_20190909174501 うな「やらかし」は披露してはくれませんでした。「何だ、つまらない」という声が聞こえそうですが、仕方ありません(苦笑)。

Img_6965c_20190909174401  アオサギはこの頃、毎日いますので、「いるのが当然」という感じ。しかし、アオサギも暑いのでしょう。木の奥の陽が直接当たらないところに佇んでいます。まぁ暑い中、カワセミ、ホシゴイ、アオサギに会えたのですから、上出来と思わないと罰が当たります。

Img_8861c  午後は、定期の歯科検診。3ヶ月に1回。先だって、ブリッジを入れてもらったのですが、そのチェックも。歯科の主治医からは、「下の奥歯がないから、ブリッジを入れたところも、その反対側も万全ではありませんからね」と念押し(苦笑)。「入れ歯も遠い話ではない」といわれたも同然ですが、まぁ、なるようにしかならない訳です。何か努力するとすれば、固いものを食べるときに気をつけることや、歯磨きをきちんとすることくらいでしょうか。

2019年9月 8日 (日)

九華公園でカワセミ、ホシゴイ3羽、ゴイサギ1羽にアオサギ……ホシゴイは漁の練習中か?

Img_8829c  台風15号が日本列島に接近しているためか、また今日も一段と暑くなっています。最高気温は、35.2℃で猛暑日再来。昨日の近鉄ハイキングの疲れが残っているような気もしましたが、いつも通りに散歩です。こういうときでも動いて、汗を掻いた方が調子がよい気がします。7時50分から2時間あまり、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街、桑名別院と5.6㎞。歩いてきて、スッキリです(微笑)。

Img_8787c  今日は何といってもこちらから。カワセミです。九華公園の北門近くの堀というか、鎮国守国神社の社務所裏の辺り、アオサギImg_6915c_20190908155301 がいるところの周りにいました。8月後半に一度見たのですが、それ以来、時々目撃情報がありました。何ヶ所か移動しながら、エサを探していたようで、最終的には、小魚(といっても、写真のように、カワセミにとってはちょっと大きめ)をゲットしていました。久しぶりに九華公園でカワセミを撮影できました。

Img_8718c_20190908155401  実は、今日はこのほか、ゴイサギ1羽と、ホシゴイ3羽もいたのです。最初に九華公園に着いたImg_8722c ときに、ここ北門からすぐの堀にホシゴイが1羽いるのに気づきました。そっと近寄ろうとすると、私からは見えていなかったのですが、他にも2羽がいて、いつもアオサギがいる木の方へ飛んで逃げました。

Img_6775c  こんな位置関係(もう1羽は、この時点では見えないところにいました)。しばらく待っていると、もう1羽もImg_6778c 登場してきて、右の写真のように、久しぶりにホシゴイとアオサギのそろい踏み。秋の顔見世興行という感じ(微笑)。Img_6764c_20190908155401  アオサギさんの方は、ホシゴイがやって来てもまったく関知しない風で、貫禄を見せていました。が、ただし、カラスが飛んでくるのは、かなり気にしていました。

Img_6910c  公園内を半周してきて、もう一度ここにやって来てホシゴイを見ていたImg_8766c ら、カワセミが登場し、さらにホシゴイを見守るようにゴイサギが1羽いるのに気づきました。左の写真では、中央からやや右にゴイサギがいて、左にホシゴイがいます。ホシゴイが漁の練習をしているのをゴイサギが見守っているような印象です。

Img_6887c  さてそのホシゴイ。まだ不慣れなようで、こんなことをやらかしていました(微笑)。堀を覗き込んだり、嘴を突っ込んでみImg_6889c たりしていたのですが、堀から引っ張り出したのは、右の写真のような物体! 堀に沈んでいた枯れ枝です。今年生まれたばかりのホシゴイなのでしょう、きっと。同じことを3回くらい、繰り返していました。このゴイサギが親なのかどうかは分かりませんが、親だとすれば、気が気でないのだろうと思います。ここにしばらくいて、楽しませてくれないかなと願っています。

Img_8734c

 九華公園や、貝塚公園などでは、ハギがかなり咲いてきました。お盆過ぎに少し咲くものの、本格的に咲き始めるのはやはImg_6813c り、今頃からです。九華公園では、奥平屋敷跡と、鎮国守国神社の境内(九華招魂社の前)、外周遊歩道の南にあります。左は奥平屋敷跡、右は九華招魂社の前でそれぞれ撮ったもの。

Img_6945c  入江葭町のあるお宅には、ハイビスカスがあります。お盆を過ぎた頃から花が咲いていて、Img_6937c_20190908155301 9月になってもまだ咲き続けています。真っ赤な鼻が目にまぶしい。

Img_8811c_20190908155301  冒頭にも書きましたが、いつまでも暑くて参ります。夏バテはしてはいませんが、年齢相応に疲れ気味かという気もします。ウロウロしている内に、9月も8日。非常勤の授業準備をサボっています(苦笑)。まだお尻に火はついてはいませんが、明日から、気合いを入れ直してと思っています。どなたかにカツを入れていただきましょうかねぇ。

20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その3)……阿部家住宅、鶴之宮跡碑から近鉄津駅にゴールして、美濃味匠でランチ(完)

Img_7759c_20190907080201 9月1日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」のその3です。今回で津駅にゴール予定。その2では、江戸橋まで来て、伊勢別街道との追分にある江戸橋常夜燈と、高田本山への道標を見ました。

190901kintetsuhikingtoyotsuueno5 実測ルートマップもその5です。この追分のところで伊勢街道は左折し、上浜町の町を進みます。この先、指定Img_7766c_20190907074901 された立ち寄り先は、阿部家住宅と、鶴之宮跡碑、御菓子処風月堂の3ヶ所でした。お寺が気になったので、託縁寺と、深正寺を見てきました。江戸橋の手前で7㎞を過ぎ、ゴールも間近です。右は、上浜町辺りの伊勢街道(南を向いて撮っています。

Img_7768c  追分から300m弱で、お寺が見えましたので、気になって立ち寄って来ました。左は、真宗大谷派の託縁寺。Img_7771c_20190907074901 しかし、覗いただけ(苦笑)。右は、真宗高田派の深正寺(じんしょうじ)。県の有形文化財に指定されている「絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図」を所蔵しているそうですが、正式な立ち寄りスポットではありませんので、拝観はできません。これは、14世紀中頃の製作と考えられ、鎌倉時代来迎図の成立事情を示す極めて貴重な資料だそうです。

Img_7780c_20190907074901  深正寺を出てすぐの左手(西側)に阿部家住宅があります。この日は、外観を拝見するだけでしたが、機会があれば内部も是非Img_7775c_20190901190301 見たいところです。醸造業の大店。このあたりは、醸造業を営む者が多かったといいます。阿部家は、江戸時代から伊勢街道沿いに店を構える商家で、もとは酒造業でしたが、明治時代に味噌醤油醸造業に変わっています。その主屋は典型的な大店の商家建築で、市の文化財に指定されています。主屋は伊勢街道に面して東向きに建っています。主屋の間口は7間半(13.5m)で、外観は切妻造、桟瓦葺きの大屋根となっています。さらに、左の写真でわかるように、卯建(うだつ)が上がっています。他に、大戸、荒格子、千本格子、庇の下のおおだれ(雨除け)など、大店の格式と貫禄が窺えます。主屋の南側には倉庫などに使われた南棟が付属しています。上記のリンク先に詳しい説明や、図面があります。建築様式から見て、江戸時代後期の建物と考えられています。現在も、阿部喜兵衛商店として営業しています。

Img_7784c  阿部家住宅の南で、神社らしきものを発見。鳥居とお社はあるものの、鳥居に掲げられた社号標はかなり朽ちていて、読めない上に傾いています。境内も草が生い茂っています。説明板もなく、また、ネットで調べてもここの情報は出て来ません。

Img_7796c_20190907074901  さらに南へ。ゴールの津駅も近くなってきます。津駅の東側になります。この辺りは知らないところではないのですが、もっと古い家などが建て込んでいて、道も狭かった記憶があります。一帯は再開発され、きれいになっていて、昔の面影はありません。

Img_7786c_20190907074901  スタートからほぼ7.8㎞地点。上浜町一丁目の上浜南公園に「鶴之宮跡碑」があります。津藩の第2代藩主・藤堂高次公が、この場所で狩りをしていて鶴を射止めたちょうどそのとき、朝廷より官位昇進の知らせが届き、大変めでたいことであったので、その射止めた鶴を埋めて、社殿を造り、祀ったということによります。しかし、神社は、明治40(1907)年に小丹神社(津市上浜町6丁目、JR紀勢線・近鉄名古屋線の西)に合祀され、社殿はなくなりました。現在は、この石碑が建っています。碑は、昭和7(1932)年9月に建之。こういうところに鶴がいたのかと思うのですが、江戸時代初期は、このあたりは原野だったそうです。

Img_7799c_20190907074901  鶴之宮跡碑で主な立ち寄り先はすべて見て回りました。残りは1㎞足らず。南へ向かい、津駅の駅前通に出て右折。ここで、今回は伊勢街道を離れます。最後の立ち寄り先は、御菓子処風月堂さん。コースマップを呈示すると、いちご大福、甘夏大福、いちご道明寺、甘夏道明寺の4種類から計600円(税込み)以上買うと、100円割引というサービスがありました。私は、何か津の銘菓というべきものがないかと思ったのですが、そういうものは残念ながらありません。それ故、申し訳なく思いつつ、何も買わずに失礼してきました。

Img_7803c  津駅に到着。左の写真は、東口。こちら側は、JR津駅。紀勢本線と、伊勢鉄道が入っています。河芸で三重K-ABC研究会があるときなど、ここまで近鉄で来て伊勢鉄道に乗り換えていくことがあります。近鉄津駅がある西口へは、地下道を通っていきます。

Img_7806c_20190907074901  津駅西口のゴールに到着。12時20分、約8.7㎞を歩いて、汗だく(苦笑)。蒸し暑くて疲Img_7807c_20190907074901 れました(同行のMさんも同様)。今日も、お陰様で無事に「参加紀念マグネット」をゲットできました。巡礼道との追分にある名残松のデザインでした。これでこれまでの6個をコンプリート。子どもみたいでお恥ずかしいのですが、こういうものがいただけるとなるとついつい欲しくなりますし、集まってくると、全部集めたくなります。

Img_7815c_20190907074901  無事にゴールインしましたし、時間も12時半近く。昼食を食べていくこととし、津駅ビル・チャムの2階へ。サイゼリア、豚Img_7816c_20190907074901 そば屋、信州そば処そじ坊、天はななどがありましたが、「美濃味匠」という店が面白そうでしたので、そこへ。総菜・カフェというコンセプトで、店頭でお弁当などを売っていて、テイクアウトも、イートインもできました。30種の手づくり惣菜を好きな分量だけ取って弁当にできますし、出来合いの弁当もありました。

Img_7811c  総菜を選んで、好みの弁当を仕上げる元気はありませんでしたので、私は、煮物満菜弁当をチョイス(税込み¥599)。イートインの場合、味噌汁も付けていただけてラッキー。弁当もその味も、お店の雰囲気もなかなかよい感じ。1時間ほどゆったりさせてもらいました。

Img_7829c_20190907074901  あみま倶楽部のスタンプは、22個目。20個はクリアしましたので、踏破記念バッジ(銅)と、近鉄百貨店の商品券¥1,000はすでに確保(プレゼントはこちら)。次のレベルは40個を12月までに達成しないといけません。これは、ちょっとキツいかも知れませんが、地道に努力しましょう。

Img_7820c  土産は、近鉄津駅のコンコースに井村屋のアンテナショップ「imuraya Sweets Shopirodori」があり、ここで買ってきたようかん2棹。1棹¥100(^_^) チョコレートようImg_7835c_20190907074901 かんの抹茶と煉。

2019年9月 7日 (土)

20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(予告編)

 今日も暑い中、近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」に行ってきました。近鉄名古屋線・津駅から同じく名古屋線・南が丘駅まで、コースマップ上は8.4㎞。今日の津の天気をアメダスで見ますと、最高気温は31.1℃ (14:34)でしたが、湿度が高い感じで、蒸し暑く疲れました。今日は、いつものように予告編で、主なところについて。今日もMさんと二人で参加してきました。

Img_8311c  受付は、近鉄津駅(津駅西口)で9時半から11時。桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行に乗車し、津駅には、9時46分着。¥690。前回と同じく、受付開始から15分以上経っていますので、空いていました。受付を済ませて、9時55分にスタート。

Img_8301c_20190907192901  こちらがコースマップ。今回もB4両面。津駅西口をスタートし、横断歩道橋を渡って津駅の東側へ。伊勢街道Img_8304c に出て、まずは四天王寺へ。ここは、津で最古の寺。ついで、日本三大観音の一つと言われる津観音寺。ここは大門商店街の北の端。大門商店街辺りで、平治煎餅本店と、とら家本家とお菓子屋さんに立ち寄ります。岩田川にかかる観音橋を渡って、南へ。いつぞや訪ねたことがある、閻魔堂と市杵島姫神社から、松源寺の地蔵堂を見て、思案橋へ。ここでは、いったい何を思案するのか? 垂水南の交差点で国道23号線を渡り、南が丘の住宅団地を通って、名古屋線・南が丘駅がゴール。コースマップでは、約8.4㎞。

190907kintetsuhikingtsu  こちらは、実測ルートマップ。津駅からしばらくは、国道23号線を縫うように伊勢街道が進みます。岩田から東にやや離れます。閻魔堂や市杵島姫神社あたりは昔の津の町の外れ。このあたり立ち寄り先がたくさんありました。八幡町に津八幡神社や、結城神社などがあります。香良洲道との追分を経て、西へ。東雲寺の南辺りで伊勢街道と別れ(伊勢街道は、「たるみ子育て交流館」の辺りから南につながっています)、近鉄南が丘駅に向かいます。近鉄ハイキングですから、近鉄の駅がスタート・ゴールになりますので、伊勢街道からは1㎞以上離れているものの、南が丘駅に向かうのです。

Img_8338c_20190907193001  途中、かなりすっ飛ばしますが、塔世山四天王寺。曹洞宗の中本山。津市で最も古い寺。推古天皇の勅願により、聖徳太子がImg_8352c_20190907195901 建立したと伝えられています。正確な創建の年代は定かではありませんが、平安初期と考えられています。もともと、かなり広い境内を有していたのですが、昭和20(1945)年、戦災で総門、中雀門、鐘楼以外はほとんど焼失しました。本堂と庫裏は戦後再建。現在は山門(江戸時代初期)がもっとも古い建築なのですが、聖徳太子時代の古瓦などを残しているそうです。ここには実にいろいろのものがありますが、今日のところは3つを取り上げます。なお、四天王寺の直前でスタートから1㎞、時刻は10時15分。ここは一度訪ねてみたかったお寺ということもあり、また、いろいろのものがありましたので、30分もウロウロしていました。

Img_8358c  まずは、織田信長、信包の生母である土田御前(どたごぜん/つちだごぜん、生年不詳 – 文禄3(1594)年)と、藤堂高虎Img_8364c_20190907193001 正室の久芳院(きゅうほういん)の墓。左の写真が土田御前の墓。本能寺の変で信長と孫の信忠が自害した後は、孫の信雄の庇護のもとにありましたが、天正18(1590)年の信雄の改易後は伊勢国安濃津の信包のもとに引き取られ、ここで亡くなっています。右の写真が、久芳院のお墓。

Img_8393c  こちらは、「芭蕉翁文塚」。元文2(1737)年に津の俳人菊池二日坊(ふつかぼう)が翁を偲んで建てたものです。塚に向かって左手には、その二日坊の「杖塚」もあります。芭蕉翁文塚の裏には芭蕉の略歴と由来が記されています。ちなみに、二日坊とは、医術の修行に出たものの、2日で帰ってきたからだというのは、安濃津歴史ガイドの方のお話しでした。さらなる余談。同行のMさんから、前回、「お寺には、なぜ○○寺という名前の他に△△山というのがあるんだ?」という宿題をいただいていました。「山号(さんごう)」といいますが、調べたところ、「寺院の名前の上に付ける称号」で、「もと、寺は多く山に建てられたため、その山の名でよばれたが、のちに平地の寺にも用いるようになった」ということでした。

Img_8459c  塔世橋を渡り、国道23号線を南へ。スタートから3㎞の手前で、平治煎餅本店に立ち寄り。平治煎餅の由来は、こちら。この由来にある平治のエピソードから「阿漕な」ということばができています(こちら)。講釈はともかく、ここでどら焼き(¥200)をMさんと二人で分けて食べてきました。二人で一つにしたのは、大門商店街でもう一ヶ所、和菓子屋さんに立ち寄るからです(微笑)。

Img_8467c_20190907193001  平治煎餅本店から津観音寺へ。正式には、恵日山観音寺大宝院、真言宗醍醐派のお寺。ご本尊は聖観音菩薩。浅草観音、大須Img_8478c_20190907202701 観音と並んで日本三大観音の一つとされます。去年(2018年)4月23日にも訪れています(20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その2)……乱歩の墓のある浄明院、阿漕平治に関わる上宮寺、西来寺、大門商店街から津観音)。

Img_8501c_20190907203301  津観音の南には、大門商店街があります。去年4月に訪れた時には、まだアーケードがあったのですが、老朽Img_8512c 化でその後取り壊されています。現在は、この写真のような状態。イメージがまったく変わりました。この大門商店街の南の端にあるとらや本家が次の立ち寄りスポット(右の写真)。ここは、いちご大福などが名物というか、いちご大福発祥の店(リンク先をご覧ください)。

Img_8506c_20190907193001  ただし、今日は「梨大福」をお買い上げ。これまた店内で食べてきました。2個入りで¥460(税別)だったと思いImg_8508c_20190907204001 ます。これ、なかなかの美味。梨は、久居の名産物。今日は、オッサン二人でお菓子を食べてばかり。我ながら笑えてきます。

Img_8547c  大門商店街から伊勢街道はさらに南へ。岩田川を観音橋で渡り、津球場の南で左折し、東南へ向かいます。5.5㎞の手前で、天台宗阿古木山眞教寺と市杵島姫神社。眞教寺は、通称の閻魔堂で知られています(左の写真で向かって左)。閻魔王座像や円空作十一面観音立像などがあります。眞教寺は、慶長19(1607)年、津藩二代藤堂高次公が建立したと伝えられています。ここは、ちょうど津の城下への南の入口にあたり、悪霊や疫病が津の町に入らないようにとの願いもあって、閻魔大王坐像が据えられたと伝えられています。市杵島姫神社は、通称「べざいさん」。この神社は建武年間(650 年ほど前)からこの地にあり、当時伊勢の国司であった北畠氏が守り本尊としていたご神体を、天正4(1576)年の岩田川の戦い(同年11月)で敗れたとき、家臣が岩田の清長院へ預けたものがこの土地に移ったといいます。主祭神は、市杵島姫命。ここは、今年4月27日の近鉄ハイキングで来ました(20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その1)……津新町駅をスタートし、三重刑務所、真教寺・閻魔堂と市杵島姫神社へ)。

Img_8556c  閻魔堂と市杵島姫神社の先には、神明神社。ここも4月27日の近鉄ハイキングで来ています(20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。ここは、御祭神が屋根に作られた天窓の上に祭られているという、大変珍しい神社です。御祭神は、大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト;天照大神の異称)です。天窓の向こうに祀られていますから、地元では「まんどさん」と呼ばれています。

Img_8555c  このあたりは、昔からの建物がまだたくさん残っています。写真のような雰囲気。格子や軒の低い二階づくりの家なみです。Img_8576c 昔からの建物には、これは「卯建」とはいえない気がしますが、防火壁が設けられています。スタートから6.2㎞のところに松源寺。天台真盛宗のお寺。ここの山門脇には、弘法大師作と伝わる地蔵を祀る地蔵堂があります。宝暦年間(1751~1761年)、松源寺に立ち寄ったあと、富士参りに向かった度会郡の人が富士山中で道に迷っていたら、旅僧に姿を変えた地蔵に助けられたといいます。

Img_8596c  松源寺の先に「明治天皇津八幡町御小休所碑」。明治13(1880)年7月9日、明治天皇はこの地を通られ休憩されました。この頃、明治天皇は、三重県内を行幸されています。7月4日~6日には三重県庁、裁判所、師範学校、津中学校を御巡覧。さらに、7月11日・12日に、亀山で大阪鎮台・名古屋鎮台の合同演習(軍事訓練)がおこなわれたのをご覧になっています。

Img_8611c_20190907193101  この先、垂水南交差点の手前に「思案橋」があります。ここは香良洲道との追分。旅人が、香良洲神社に立Img_8616c ち寄るかどうか橋の上で思案したことに由来する名称。江戸時代、伊勢参宮の折に香良洲神社を参詣しない人は、ここで遥拝したといわれています。石橋が残っていて、その側面には松・梅・扇が浮き彫りにされています。文政6(1823)年の銘があります。

Img_8623c_20190907193101  垂水南交差点を渡って、国道23号線の西へ。国道交差点を過ぎて、すぐに7㎞。12時40分Img_8633c 頃。伊勢街道もかなり田舎の道のようになっています。途中、珍しい信号があります。コースマップにも、「4分間待つ信号」とあります。これまでにここは2~3回、クルマで通ったことがあります。

Img_8655c  しばらく坂を登りますが、時刻は、12時45分頃。ゴールの南が丘駅までは、1㎞半ほどのはず。和菓子を2Img_8649c_20190907193101 つ食べたものの、お腹も空いてきました。南が丘駅は、以前、この近くにある三重県運転免許センターに行くときに降りたことがあり、周辺には食べ物屋さんも何もないことが分かっていました。最悪、津まで戻って昼を食べようと思っていたのですが、成就寺を過ぎた坂道の途中に喫茶店がありました。Mさんと相談し、ここで昼食を摂ることにしました。これが大正解。というのも、この先、南が丘駅までの間には、やはり食事ができるところがなかったのです。焼きそば(¥650)を昼食に。失礼ながら、あまり期待しなかったものの、けっこう美味しくいただけました。エアコンが効いた中で涼み、休憩もできました(微笑)。

Img_8658c  このあとはひたすらゴールを目指します。南が丘の住宅団地は、近鉄が開発した団地。南が丘駅は、この住宅団地のアクセスのために平成元(1989)年に新たに開設された駅。駅の辺りは、かつては津新町駅~久居駅の中間の不便な場所で、青谷という地名。津市立斎場(火葬場)が付近にある静かな土地でした。現在は、急行停車駅。南が丘の住宅団地をしばらく歩いたのですが、塾とか、葬儀屋さんとかはあったものの、食事ができる店は歩いたところにはありませんでした。

Img_8674c_20190907193101  ゴールの近鉄名古屋線・南が丘駅。13時45分頃到着。実際に歩いたのは、9㎞(四天王寺や、津観音などで歩き回りましたので、もう少し歩いていると思います)。いやぁ、今日も蒸し暑かったですねぇ。14時半までは、参加紀念マグImg_8694c_20190907193101 ネットがもらえるということで、無事に7個目をいただいてきました。

Img_8683c_20190907193101  これであみま倶楽部のスタンプは、23個目。ゴールしてすぐの13時49分に名古屋行き急行Img_8691c がありましたので、それに乗車。桑名には、14時40分着。¥750。右は、ALKOOによる今日の歩数。歩いた距離は、ハイキングで9㎞、自宅と桑名駅の往復が1.8㎞。したがって、10.8㎞と思います。今日も蒸し暑くて、かなり疲れました。歩く距離はさほど苦にはなりませんが、蒸し暑いのは叶いません。

 今日のハイキングの記事は、9/1の「20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」が終わったら、その次に書きます。

20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その2)……逆川神社、巡礼道との追分、孟夏の常夜燈から江戸橋へ

190901kintetsuhikingtoyotsuueno3 9月1日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」のその2です。その1では、津市栗真小川町にある権現山観音寺まで来ました。観音寺は、伊勢街道からわずかに西にありました。伊勢街道に戻って南下。まずは、逆川神社に立ち寄ります。その後、近鉄名古屋線の踏切を渡り、栗真中山町へ。ここで、またまた国道23号線を渡り、その東へ。

Img_7649c  逆川(さかがわ)神社です。スタートから4.5㎞ほど。時刻は、ちょうど11時。主祭神は、伊邪那美命。他に、高御産巣日神(たかみむすびのみこと;高天原にあらわれた造化三神の一神。天照大神とともに高天原を主宰する)、豊宇気比売命(トヨウケビメノカミ;豊受大神の異称)、豊玉毘売命(トヨタマビメ;海神豊玉彦神の娘。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)の妻となる)、神産巣日神(かんみむすひのみこと;別天神(ことあまつかみ)の一神で、天御中主神、高皇産霊尊とともに造化三神をなす)、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト;天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき、鏡を作った神)、大国主命建速須佐之男命菅原道真大山祇命天之菩毘能命を祀っています。

Img_7656c_20190901181401  後一条天皇の頃(11世紀前半)の創建と伝わっています。この神社は、しもやけの宮として知られ、境内にある弁天池や逆川の水を、Img_7669c_20190901181401 土用の丑の日にくみ取り手足につけるとひびやしもやけ、下の病に効くといわれ、昭和の初期ごろまでは、はるばる東京・大阪・京都からもこの水を取りに来る人がいたといいます。社殿の裏手には弁天池があります。かつては立派な松林があったそうです。

Img_7674c  珍しい名称の神社ですが、その由来は、この神社の南側に逆川が流れていることから。この川は東から西へ流れているので、逆川と名付けられました。このあたり、ほとんどの川は、西から東へ流れ、伊勢湾に注ぐのですが、流れが逆向きということです。写真は、神社の南で撮ったもの。これが逆川と思います。ただし、このとき水はよどんでいて、流れてはおらず、西に流れているのかどうかは確認できませんでした。

Img_7658c  境内は広く、かつては立派な松林があったといいます。境内西側には、橿原神宮遙拝所が、また、南東側には、神宮遙拝所がImg_7666c がありました(こちらはもちろん、伊勢神宮を遙拝するところ)。

 Img_7661cかっこ踊」の絵馬2面が津市指定文化財となっています。この踊りは、津市内の何カ所かで伝承されています(かんこ踊というところもあります)。田植えの装束に身を包んだ「かんこ」と呼ばれる踊り手が、胸に「かっこ」(太鼓)を吊り、背中に18本の「しで」を背負いながら、豊作や厄病退散などを祈願し踊るもの。ちなみに、家内の実家の辺りでは、「かんこ踊」として伝わっています。逆川神社についたのが11時でしたので、ここで小休止。

Img_7685c  15分ほど休んだあと、再出発。南に向かい、栗真中山町交差点で、国道23号線を横断。国道の東へ。ここで5.3㎞。少し進ん190901kintetsuhikingtoyotsuueno4 だところにあったコンビニに立ち寄り、クールダウン&トイレタイム。実測ルートマップは、その4へ。

Img_7711c  栗真出張所の南、スタートから5.9㎞のところで巡礼道との追分があります。「巡礼道」といわれる街道は、県内では、亀山から発する巡見道にほぼ沿って、鈴鹿の安楽峠下(現亀山市内)から員弁の坂本(現いなべ市内)あたりまで通じているものもありますが(ここを参照)、こちらの巡礼道は、津市河芸町千里から白塚を経てここに通っています。浜街道、下街道ともいわれ、伊勢街道よりも古い道だそうです。常夜燈、道標、石碑が建っており、また、名残の松があります。

Img_7707c  常夜燈は、高さ4.2m、笠の南面に「両宮常夜燈」、東面に「天保10年巳亥正月初吉日」と、また、西面に「武州 岩槻 木綿Img_7696c_20190901182901 問屋中」と彫られています。天保10年は1839年、武州(武蔵国)の木綿問屋が集まってこの常夜燈を寄進したということです。当時の伊勢国は木綿の産地として有名だったようで、武蔵国の木綿問屋が伊勢にも来ていたのかもしれません。道標には、「右 白塚豊津道」、「左 上野 白子 神戸 四日市道」とあります。「青年會町屋支部」が建てたもの。道標の写真は、南から北向きに撮りましたので、「右 白塚豊津道」とある方が、巡礼道を示しています。

Img_7703c_20190906175901  ここには石碑もありました。しかし、碑表はほとんど読めません。碑陰の撰文をざっと読むImg_7709c と、数名の兵士の名前と、日清戦争(1894~95年)に従軍した旨が刻まれていました。明治35(1902)年5月に建立されています。日清戦争に参戦された方の顕彰碑か、忠魂碑と思われます。ネットでも調べてもこれについての情報は出て来ませんでした。右は、追分から見た巡礼道(北の方)。

Img_7717c  スタートから6.3㎞、一身田中学校国児分校の西にも常夜燈がありました。「孟夏の常夜Img_7723c_20190901182901 燈」といわれます。かなり荒い彫りの山燈籠で、高さは約2.8m。正面に「両宮常夜燈」とあります。「嘉永四年辛亥孟夏 五穀成就」とあります(1851年)。飢饉が続いたあと、ようやく穀物が実った喜びの表現と思われます。ちなみに「孟夏」とは、初夏あるいは陰暦4月の異称だそうです。余談。上記の追分の常夜燈のようなタイプの常夜燈も立派でよいのですが、この山燈籠には何か親しみを覚えます。

Img_7726c  孟夏の常夜燈の先、三重大学前の交差点で横断歩道橋を渡って、国道23号線に出ます。この交差点を東に入Img_7730c_20190901184601 ると、三重大学教育学部生物資源学部の校舎があります。教育学部には、昔、臨床心理士会の会議や、教育学研究科での集中講義のために何度も来たことがあります。ウィークデイ、このあたりは渋滞の名所。国道23号線の西側の歩道を進みます。

Img_7740c  7㎞を過ぎて、江戸橋に来ます。ここは志登茂川。国道23号線の方は、新江戸橋。左の写真で、直進する方が国道の新江戸橋。ハイキングコースの江戸橋は、右に逸れていきます。こちらの江戸橋は、市道に架かるもImg_7742c の。4年ほどの架け替え工事を経て、今春、新しい橋が完成。非常勤のついでに南側からは新しい橋を見ています。

Img_7745c  近鉄江戸橋駅から三重大学に通う学生の皆さんなどの利用が多いので、写真のように車道と、自転車道、歩道とが分離され、Img_7751c しかも、自転車歩行者専用道の部分がかなり広くなっています。江戸時代には橋は架けられていたといいます。津藩主・藤堂氏が参勤交代で江戸に向かうとき、家臣などがこの橋の傍まで見送りに来たことから江戸橋と名づけられたとされます。以前の記事にも載せましたが、橋には、ご覧のような参勤交代の図が飾られています。ここはまたバードウォッチングのスポットでもあります。今日も、シギが数羽降りてきていました(写真は綺麗ではありませんので、割愛)。余談ですが、今年度からは後期も授業に来ますから、冬鳥を見る機会もありそう(微笑)。

Img_7759c  江戸橋を渡ったところで伊勢街道はすぐに左折し、南に向かいます。この交差点は、伊勢別街道との追分で、伊勢別街道の終着点。伊勢別街道は、亀山市にある関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田(いっしんでん)を通り、ここまでの総距離およそ四里二六町(約18.5㎞)。この交差点の北東には、常夜燈と並んで、高田本山への道標が立っています。常夜燈は、安永6(1777)年に建立された、津市内最古の常夜燈です(津市指定文化財)。高田本山への道標には「左 高田本山道」と刻まれています。高田本山専修寺へはここから北へ、伊勢別街道をたどっておよそ3㎞。明治22(1889)年に「愛知縣名古屋市別院下請講中」によって再建されたと刻まれています。この常夜燈と道標は、これまでのハイキングや、非常勤のついでに何度も見ています。

 この記事、やや短いのですが、キリも良いのでここまで。その3は、江戸橋から先の上浜町辺り、阿部家住宅、鶴之宮跡碑などを見てゴールへという予定。

2019年9月 6日 (金)

九華公園、旧東海道、七里の渡し跡、宿場の茶店「一」から六華苑を漫遊

Img_8233c_20190906194901  三重県内は、昨晩から今朝にかけても、菰野町、いなべ市で120mmを越える記録的短時間大雨を観測しました。JR関西線もImg_8249c 井田川~加佐登間で土砂崩れがあって、朝の内、四日市~亀山間で運転停止となったりしていました。週末からは台風15号の襲来が予想されており、気が抜けません。桑名でも、朝までは大雨警報が出ていたりしました。しかし、今日はそういう中で、桑名に来たいとかねてからおっしゃっていたTさんが名古屋から来訪。昼前から夕方にかけて、案内してきました。10時を過ぎてから待ち合わせの九華公園に出かけていきました。その頃は、ご覧のような空ですでに30℃。今日の最高気温は、32.3℃。九華公園北門で待ち合わせ。Tさんがいらっしゃるまで、散歩友達のYmさん、Wさんが通りかかり、ちょっとずつおしゃべり。関西線も10時過ぎから亀山まで運転が再開されたようでしたが、ダイヤは乱れていたといいます。

Img_8251c_20190906194901  Tさんがいらして、まずは九華公園内を案内。「アオサギとカワウには是非とも会いたい」ということでしたが、幸いなことにImg_8258c どちらもいました。アオサギはいつも通り、鎮国守国神社の社務所裏に、また、右の写真のカワウは、元・カメの甲羅干しスロープのあったところに。いや、しかし、昼前というのはさすがに暑い(苦笑)。九華公園では、奥平屋敷跡、二の丸跡、朝日丸跡、辰巳櫓跡、神戸櫓跡から鎮国守国神社を回って来ました。

0ffaf8fcs  昼もかなり過ぎて、12時40分になっていましたので、時々Mさんと行く珈琲館はせ川で昼食Img_8268c 。涼しいところでゆっくり。14時頃まで。エビピラフにアイスコーヒー。ピラフには、コーヒーゼリーがデザート。ランチを済ませ、旧東海道を通って、七里の渡し跡方面へ。これはよい機会と、先日オープンした「宿場の茶店 一(はじめ)」に行ってきました。蒸しハマグリやこめ油を使ったコロッケ、桑名カレーが食べられ、安永餅やしぐれ煮など土産物も買えます。名前の「一(はじめ)」は、「七里の渡し」跡にある「伊勢国一の鳥居」が伊勢国への玄関口の象徴であったことから取ったといいます。

Img_8269c  その後、七里の渡し跡と、蟠龍櫓を見て、六華苑へ。六華苑のすぐ近くに住んではいますが、訪れたのは、2年ぶり(2017年Img_8271c 8月31日:六華苑へ……六華苑新収蔵品展を見る)。自分ではなかなか出かけません。今日のようにどなたか来ていただいて、案内でもしないと行けません(行きません?)。ご希望がおありでしたら、案内いたします(微笑)。今日は、夏休みも終わった、平日の午後でしたから空いていました。しばし、和館の和室に座って、庭園をボンヤリ眺めてきましたが、涼やかな風も通って気持ちの良い時間、空間でした。この楽しみ方、お勧めです。Tさんを16時39分発のコミュニティバスでお送りして、帰宅。

Img_8239c_20190906194901  余談というか、オマケです。桑名七里の渡し公園、工事が始まったようです。左は出かけるときに撮った写真、右は、帰りにImg_8285c_20190906194901 撮った写真。取り敢えずは、10月末までの工事期間とあります。何がどこまでできるのでしょう? 気になりますが、ここは散歩コース、ほとんど毎日チェックしたいと思っています(微笑)。

 明日は、近鉄ハイキングに出かける予定(お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ)。津駅から南が丘駅まで約8㎞ですが、天気がちょっと心配。

20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その1)……豊津上野駅をスタート。屋根の上の鍾馗様を見つけ、痔神大明神にお参り、権現山観音寺と常夜燈

 9月になり、7・8月と2ヶ月間休みであった近鉄ハイキングが再開されました。去年までは、7、8月とも行われていて、暑い中、伊坂ダムに行ったりしましたが(2018年7月14日:20170714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(予告編)……猛暑でしたが、10㎞あまりを完歩!)、今年からは「夏休み」となってしまい、ちょっともの足らない2ヶ月を過ごしていました(JRさわやかウォーキングもお休み)。9月1日には早速、「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」が開催されましたので、参加しました。

 ちなみにこれまでの5回の伊勢参りツアーの記事は、次の通りであります(予告編):

  1. 2019年3月10日:20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」
  2. 2019年3月24日:20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(予告編)
  3. 2019年4月11日:20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(予告編)
  4. 2019年5月4日:20190504近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ」(予告編)
  5. 2019年5月25日:20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(予告編)

 そういえば、この伊勢参りツアーは、5月末以来でした。今月はあと2回(9/7、9/22)、10月に2回(10/5、10/27)、11・12月(11/16、12月は未定)は1回ずつで、伊勢神宮内宮まで行きます。年末までは、この伊勢参りツアーに参加するのを最優先することにしましたので、皆様にはご承知いただければ幸いです(微笑)。

Img_7565c  さて、この日は、近鉄名古屋線・豊津上野駅から津駅まで。豊津上野駅は、津市河芸町中別保にあります。近鉄名古屋線で桑名から行くと、白子駅から4駅目。普通電車しか止まりません。豊津上野駅での受付は、9時半から11時。桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行で白子駅まで。9時32分着。白子駅9時36分発の津新町行き普通に乗り換えて、9時45分に豊津上野駅着。¥620。この北にある本城山(ほんじろやま)に前回訪ねた伊勢上野城があります。受付開始から15分経っていましたので、受付はスムーズでした。

Img_7559c_20190901172001  この2枚がこの日のコースマップの写真。B4サイズ両面。左の写真にある表面、スタートの豊津上野駅はマップの下の端にあImg_7562c ります。今回のマップは、上が南で、そちらが進行方向。伊勢街道は、国道23号線を縫うように進みます。表面は、痔神大明神、権現山観音寺から逆川神社あたりまで。裏面に進んで、巡礼道との追分から三重大学の西を通って江戸橋へ。上浜町の昔ながらの町並を通り、阿部家住宅、鶴之宮跡碑を見て、御菓子処風月堂に立ち寄って津駅西口へ。コースマップ上は、約8.3㎞となっています。この日のコースの一部は、過去の近鉄ハイキングで歩いたことがあります(痔神大明神など:2019年2月2日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編))。ちなみに、今回も畏友Mさんと二人旅でした。
190901kintetsuhikingtoyotsuueno  こちらは、実際に歩いたルートマップ。といってもかなり縮小されています。ほとんど国道23号線に沿っています。実際に歩いたのは、約8.7㎞でした。豊津上野駅に着いた頃は、冒頭の写真のように上天気。途中からは曇ってきて、陽が当たらずその点は楽でしたが、湿度は高く、けっこう蒸し暑くて疲れました。9時50分にスタートし、津駅西口には、12時20分に到着。

190901kintetsuhikingtoyotsuueno1  詳しいルートマップその1。豊津上野駅を出て西へ。国道23号線を渡って伊勢街道に突き当たります。三叉路を左折し、南西へ。津市立朝陽中学校のところで再び23号線を越えると、お地蔵様が2体。中瀬八幡神社の前を通過して、中瀬の痔神大明神に立ち寄ります。

Img_7573c  伊勢街道に突き当たったところで、「屋根の上の鍾馗様」を見つけました。関西地方によく見られる風習Img_7571c_20190901173901 で、邪気を祓うために置きます。右の写真のお宅、玄関の上にありました。屋根の上にあるのをよく見ますが、このように玄関の上にあるのは初めて見ました。玄関からよくないものが入らないようにということなのでしょう。

Img_7575c_20190901172001  このあたりの伊勢街道の様子。南西の方角に向かって歩いています。天気はよく、かなり暑く感じます。スImg_7578c タートから550mあたり、右側(西)に輝雲山光勝禅寺があります。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。光勝(みつかつ)の菩提寺ですから、光勝寺(こうしょうじ)ということ(光勝は29歳で病死)。今年2月2日の近鉄ハイキングで立ち寄りましたし(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編))、写真のようにかなり奥まったところにありますので、今回はパス。

Img_7579c_20190901174501  津市立朝陽中学校まで来ました。ほぼ1㎞。朝陽中学校は、三重K-ABCアセスメント研究会でお世話になっているG先生の前8b3d78f0 任校。この近くにかつて旧・河芸町役場がありました。昭和29(1954)年10月、河芸郡豊津村・上野村・黒田村が合併して河芸郡河芸町が発足。ここにあった役場の庁舎は平成12(2000)年に移転し、旧庁舎は平成13(2001)年3月に解体されました。現在は、記念碑が建っています(右の写真、2月2日に撮影)。河芸町は、平成の大合併(平成18(2006)年)で津市と合併しています。朝陽中学校のところで地下道を潜って、国道23号線の東側へ。

Img_7584c  この先にお地蔵様が2体あるはず。ですが、1体を見逃してしまいました(苦笑)。民家の庭にあるということでしたが、し0901jizou ゃべるのに夢中だったためと思います。左の写真は2体目。私は、これが高山地蔵尊だと思っていたのですが、みえの歴史街道の伊勢街道のウォーキングマップにある説明によると、見逃した方が高山地蔵尊。しかし、Googleマップやこちらのブログによると、左のお地蔵様が高山地蔵尊となっていて、よく分かりません(予告編では何も考えず、左の写真を高山地蔵尊としてしまいました)。高山地蔵尊のあるところは、上野城時代に罪人を処刑する場所であったといわれます。地蔵は処刑された武士の霊を慰め、この地で不慮の災害にあった人の菩提を弔うために建てられたといいます。伊勢上野城は、元亀元(1570)年、織田信包が津城(安濃津城)の仮城として分部光嘉に築城させた城です。

Img_7592c  1.6㎞地点で松林寺と、中瀬八幡神社がありましたが、通過。松林寺は真宗大谷派のお寺。中瀬八幡神社は、中瀬金城の守護神。明治41(1908)年、上野神社に合祀されたものの、昭和26(1951)年に分祀されています。ほぼ2㎞で国道23号線の中瀬交差点に出ます。ここで、痔神大明神に立ち寄るルートになっています。私は2月2日の近鉄ハイキングでも来ていますので、Mさんに意向を確かめたら、「今のところ必要はないけど、これからは分からないからね」ということになり、お参りすることにしました。

Img_7599c  起源は不明。その由来については様々な言い伝えがあり、真実は不明。参詣する方は地元だけでなく、県内や、豊橋、名古屋、大阪からもあるといいます。毎年4月3日が祭礼日。この日にはとくにたくさんの方がお参りされるそうです。ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたと伝わっています。影重の神社へも渡るともいわれているそうです。影重の神社とは、八幡神社であろうと思います。直線距離にして、北東へ700m足らず。明治40(1907)年頃には、45cm位の小さな須屋(仮小屋)の祠でしたが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納し、これよって痔神として霊験あらたかであることが知られて、信奉者も増えたといいます。以降、祠も改築され現在のは4回目です。

190901kintetsuhikingtoyotsuueno2  ここで実測ルートマップは、その2へ。近鉄白塚駅の西の辺りを歩いています。中瀬交差点からしばらくは国道23号を歩き、上小川で右(西)に逸れていきます。地名でいうと、栗真小川町に入ります。善行寺という真宗高田派のお寺の裏庭に道標があるのですが、通過してしまいました。道標には、「是より□しい志んてん道」あるいは「是よりにしい志んてん辺」とあるそうです。一身田に行く道を示していると思われます。

Img_7619c  立ち寄ったのは、指定されていた権現山観音寺。十一面観音を祀っています。ここはネットで検索してもこれという情報は出て来ませImg_7622c_20190901180001 ん。ブログで言及しているところもありますが、「訪ねた」と書いてあって、写真が載っているくらい。

Img_7628c_20190906090801  熊野勧進十界曼荼羅図も一幅収められているのですが、拝観はできず、残念。江戸時代初めのもので、縦132.2cm、横126.2cmの地獄・極楽の絵。熊野信仰の布教と関わって描かれたもので、熊野比丘尼が折りたたんで携行し、勧進や布教の道具として使用したといいます。熊野勧進十界曼荼羅図は三重県に数多く残っているそうです。

Img_7631c_20190906090901  境内には、いろいろのものがありました。まずは、馬頭観音の石碑。馬頭観音は、観世音菩薩の化身で、六観音の一つ。人身で、頭が馬のものと、馬の頭飾りを戴くものとがあり、馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し、煩悩を断つ功徳があるとされます。しかし、一般には馬の無病息災の守り神として信仰されています。馬頭観音の石碑の脇に小さい石碑。「子」という文字が見えますので、「子安観音」かという気がします。

Img_7640c  その他、地蔵堂と彰功碑が1基。地蔵堂には何も表記はありませんが、大小数体のお地蔵様がいらっしゃいました。さらに境Img_7634c 内の北側には、彰功碑。小菅宣弘を顕彰する碑です。小菅氏は、この観音寺を再建するに当たってとくに功績があったと刻まれています。再建3周年を記念して、昭和45(1970)年3月に建立されています。

Img_7612c  観音寺の門前に常夜燈があります。竿石の正面には「太神宮」、右側に「権現」、碑陰にImg_7615c 「文化三丙寅年六月」、左側には「金比羅大権現」とあります。文化3年は、1806年。「太神宮」はもちろん、伊勢神宮のこと。この常夜燈の西側には石柱が建っています。が、かなり風化が進み読めません。「七月三日」という文字は分かりましたが、他は残念ながら不明。碑陰も読めませんでした。

 ここまでで実測ルートマップその2は終了。キリが良いので、その1はここまで。次は、逆川神社から。

2019年9月 5日 (木)

大雨・雷は今日未明まで……九華公園の堀はかなりの増水、ホシゴイが登場

0905amedas  昨晩からの大雨、雷は、結局、今日の未明(3時頃)まで続きました。Yahoo!や、市役所などの気象警報、川の増水情報、避難勧告などのメールがスマホにひっきりなしに届く感じで、睡眠を妨げられ、「通知を切ってしまうか」と思ったくらいでした。左は、桑名のアメダス記録。昨日21時台の1時間に54.5mmも降ったとあります。四日市の山城というところでは、1時間雨量が121mmに達したそうですが、いずれにしても、最近にない大雨でした。テレビのニュースによれば、四日市で床上浸水、四日市・桑名などで床下浸水、東員町で川沿いの道路が崩落などの被害があったといいます。幸い、我が家あたりにはこれという被害はありませんでした。

Img_8209c_20190905145101  九華公園の堀も、いつもより20cm以上水位が上昇していました。それだけ大雨が降ったということです。管理人Kさんも、「しまった。こんなに降るとは思わなかった。昨日、水を抜いておけばよかった」といっておられました。九華公園の堀は、揖斐川から導水し、三の丸水門を経てまた揖斐川に水を出すのですが、潮の干満や、大潮かどうかなどでいつもスムーズに排水できるとは限りません。今日は、ポンプを使って堀から水をくみ出していました。

Img_8227c_20190905150101

 揖斐川、長良川はいつもより水量が多いようでしたが、長良川河口堰もゲートは降りたままでしたので、上流の岐阜県方面ではさほどの大雨ではなかったようです。散歩はいつもよりかなり遅く、9時15分スタート、11時15分過ぎに帰宅。コースは昨日とまったく同じ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋、京町、寺町と5.3㎞。途中、10時頃、九華公園で少し降られ、吉之丸堀の東屋で雨宿り。今日も、鳥見の大先輩Sさんに遭遇。お元気ですが、「mamekichiさん、あんた、元気やなぁ」といわれ、苦笑。コミュニティバスに乗って市南部を周り、その後、メディアライブ(市立図書館)で雑誌を読んできたとおっしゃっています。

Img_8163c  今日もアオサギはいました。これで8月末からほぼ毎日来ていることになります。これなら、これからずっと毎日見られるのはImg_8170c_20190905145101 間違いないだろうと思います。そして、今日は、アオサギを見ていたら、ホシゴイが南から1羽、飛来。葉っぱの陰に降りたので、ちょっと撮影はしにくかったのですが、中腰になって(笑)撮影。管理人Kさんによれば、もっと早い時間帯には、ゴイサギが2羽いたといいます。ゴイサギ、ホシゴイは、例年9月頃からここに数羽がいるようになります。

 九華公園ではこのほか、今日も、シジュウカラとメジロを見ました。朝日丸跡で同じグループになって移動していました。そろそろ、こういう小型野鳥がもっと現れるかも知れません。セミは、クマゼミと、ツクツクボウシ。しかし、お盆の頃までの勢いはありません。

2019年9月 4日 (水)

朝はいつも通り散歩、夜から大雨と雷が続いています

 午前中はいつも通りに散歩。午後からは用事があって、家内の実家へ行っていました。実家からの帰り道、国道23号線を走っていますと、夜8時をかなりすぎた頃、四日市辺りから大雨に雷。前が見えないくらいでした。

Img_8100c_20190905143401  さて、まずは散歩の話。7時45分にスタート。コースもいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋、京町、寺町と5.3㎞。歩き始めてしばらくのとき、揖斐川から撮った東の空。このときは、まさか夜から今日未明にかけてあんな大雨になるとは思いもせず。今日も、けっこう蒸し暑いなと思っていただけでした。

Img_8104c  九華公園ではいつも通り、アオサギさんを確認。今日はちょっとわかりにくいところ(木の奥まった辺り)にImg_8133c いました。このほか、今日は、神戸櫓跡でシジュウカラ、メジロ、ヒヨドリを確認。ただし、木の上の方にいて、写真は撮れず仕舞い。他には、ドバト、ムクドリ、スズメ、カワウなど。セミはかなり静かになっています。時々クマゼミとツクツクボウシの鳴き声が聞こえるくらい。

Img_8119c_20190905143401  ハギの花。かなり前に咲き始めたと書きましたが、その後咲き進まず。去年も同様だった記憶があります。こImg_8146c_20190905143401 れは、鎮国守国神社の境内、九華招魂社のところにあるハギ。九華公園にはこのほか、奥平屋敷跡と、外周遊歩道の南にも1本ずつありますが、それらにはまだ花はついていません。右は、入江葭町辺りのお宅に咲いているハイビスカス。

1909042142  ところで、冒頭に書きましたように、午後からは実家方面へ(津市内)。向こうは、昼過ぎによく降ったようでしたが、それ以降は時々パラパラするくらいでした。夜7時半に出て、中勢バイパス、国道23号線と来たのですが、北に来るほど雲行きがアヤシくなってきました。途中、Yahoo!の防災メールで大雨の警報が届き、四日市に入った辺りから遠くで雷の稲光。続いて大雨。前が見えないくらいのときもありました。左の画像は、帰宅後、21時42分のレーダー画像。まさかこんなに降るとは思いもしませんでした。

2019年9月 3日 (火)

長島町内で、絶賛「コンバイン祭」開催(笑)

Img_8082c  昼は、33.3℃と猛暑。久しぶりに熱中症警報メールが届きましたし、救急車が走り回っていました。夕方には、消防署の広報車が回って来て、「熱中症に注意!」といっていました。いったん少し涼しくなりましたから、残暑がぶり返すと、ちょっとしんどいですねぇ。明日の方が天気は不安定というので、今日は長良川河口堰と、長島町内へプチ遠征。歩き足らなかったので、住吉浦休憩所の駐車場にクルマを置いて、九華公園まで往復。歩いたのは、4.2㎞ほど。

Img_8029c_20190903165901  話の順序は違いますが、まずこちらから。長島町内(たぶん鎌ヶ池というあたり)で、「コンバイン祭」が開かれていましたImg_8008c_20190903165801 (微笑)。稲刈りシーズンに入っているのですが、コンバインが稲を刈るところにサギ(アマサギが主)、カラス、ツバメが集まってくるのです。その一部が、左の写真。無数のサギが集まっています。全体像は、右の写真。250m×80mほどの区画の水田ですが、250mを超える範囲にわたってサギが群がっているのです。体や頭部に亜麻色様の部分があるのが、アマサギ。繁殖期のサインの名残。

Img_6679c  コンバインが動いて、稲を刈り始めると、サギたちも大騒ぎ。あとを追って行きます。アマサギは、動物食で、主に昆虫、クImg_6660c モを食べます。稲刈りをすることで、虫がたくさん出てくるのでしょう。アマサギは、日本では夏鳥として飛来し、繁殖し、冬はフィリピンなどへ南下し、越冬します。九州では、一年中見られるところもあるそうです。

 アマサギのコンバイン祭、動画も撮ってきました。小さな鳥が飛び回っているのは、ツバメです。カラスもやって来ています。

Img_8055c  実は、河口堰に行ったのは、ついでにこの「コンバイン祭」をやっていないか、探したかったからのです。最近は、兼業農家が多いので、週末に稲刈りをするかと思って、あまり期待はしなかったですが、実にラッキーでした。堪能しました(微笑)。先日のひらいさんのブログにも載っていて、これは見なくっちゃと思ったこともあります(2019.08.31~09.01 お散歩週報(おまけは虹))。

Img_7897c  さて、最初に行ったのは、長良川河口堰。8時50分到着。ほぼ1時間滞在。いつものように管理橋を西まで渡って、親水広場を一周してきたのですが、今日はさすがに暑くて参りました。左の写真は、河口堰の上流側を西を向いて撮ったもの。向かって右の橋は、伊勢大橋。画面の奥が親水広場でその向こうは、桑名市街地。管理橋そのものは、700m弱の長さ。

Img_6438c  河口堰にいたのは、いつものメンバー。左は、コサギ。東側(長良川左岸)下流の魚道のところ。上流側にImg_7889c もダイサギなどがいました。右は、カワウの置物(微笑)。ウソです、本物です。暑いのに、こうやって堤防上にペタンと座り込んでいることがあります。

Img_7907c  管理橋を渡って西側の閘門へのアプローチ、下流側には、アオサギ、ダイImg_7937c_20190903165801 サギ、コサギ、カワウなど。左の写真は、ダイサギ。アオサギはちょっと遠くにいました。

Img_6473c  親水広場も一周したものの、今日は、スズメとハクセキレイ3羽しかいません。この頃、イソシギや、コチドリは見なくなりました。夏前に賑やかだったオオヨシキリももういません。

Img_7959c  管理橋に戻る途中、揖斐長良川の中洲にアオサギの姿。どこかから流れてきたものの上にいます。この間から、このあたりにアオサギが降りていくのを何回か見たのですが、これを利用していたのでしょう。暑そうで、嘴を開いて、のどをブルブルさせていました。

Img_7928c  管理橋に戻ります。南にある揖斐川と長良川の中洲の切れ目にオレンジの柱が4本立ってます。この先端にサギやカワウ、ミサゴがよく止まっています。今日はカワウが2羽、アオサギが1羽、そしてミサゴが1羽。超望遠コンデジで65倍ズームで撮って、トリミングした「証拠写真」。逆光で、条件はよくありません。このあと、飛び立って、長良川を越え、なばなの里方面へ行ってしまいました。

Img_7960c  こちらはダイサギ。閘門へのアプローチの上流側の上にある通路の柵にいます。今日はもっとサギが集まっているかと思ったのですが、案外でした。アマサギはここには来ませんので、ダイサギ、コサギ、アオサギはどこか別のところに行っているのでしょう。8月下旬以降は、「ダイビング祭」も行われていることが多いのですが、今年はまだ確認できていません。「ダイビング祭」とは、ダイサギやコサギが、長良川にダイビングしてエサの小魚を捕ることを、ひらいさんと私が勝手に名づけているのです。

Img_8072c_20190903174301  はじめに書いたとおり、歩き足りませんでした。長良川河口堰で歩いたのは、2.5㎞ほど。コンバイン祭のところでは、車外に出たものの、ほとんど歩いていません。そこで、六華苑東の住吉浦休憩所の駐車場にクルマを置いて、九華公園まで往復してくることに。ここからはいつもの散歩コース。駐車場の南には住吉神社。堤防を歩いて行くと、七里の渡し跡に行きます。七里の渡し跡に来たところで、散歩友達のYmさんに遭遇。暑いので、散歩途中、七里の渡し跡の桜の木の下で休憩しておられました。以前、我が家近くの船場町の、石取祭の祭車庫に「蔵前祭車庫」とあるのはどうしてか? と聞かれていました。昨日の歴史講座での話題に関連することが出ていましたので、早速その講釈(苦笑)。我が家の東、住吉入江沿いは、昔、材木や米を上げ下ろししたところで、米の蔵が並んでいたと考えられます。それ故、「蔵前」だろうと。その他、昨日聞いた城の話など。30分ほど話し込んでしまいました(苦笑)。おユキさんに言われるとおり、「おしゃんぽ」であります。

Img_8073c  11時を過ぎそうでしたが、とにかく九華公園へ。アオサギさんは、いてくれました(微笑)。いつものところです。確認しImg_6729c_20190903174901 て、写真を撮ってUターン。そうそう、アオサギがいたところの下の堀にアーちゃんもいました。エサが欲しかったのか、呼びかけなかったのに、寄って来ました。何も持っていないので、やるものはなく、ちょっとかわいそうでした。

Img_8080c_20190903175001  住吉浦休憩所の駐車場に戻る途中、三の丸水門のところでMtさんにお目にかかりました。御年87歳の男性、一人暮らしでいらっしゃいます。ほとんどの家事もご自身でやっておられます。「家に寄っていけ」と行ってくださったのですが、すでに11時15分。3時間近くウロウロしていましたので、またお邪魔しますということで放免してもらいました(微笑)。暑い中出かけましたが、「コンバイン祭」を確認できて、大いに成果ありでした。しかし、さすがにこの暑さ、午後は1時間半も爆睡(苦笑)。夏休み気分が抜けきっていません。

2019年9月 2日 (月)

午後からは2ヶ月ぶりに市民大学講座「城と城下町」第4回

Img_7840c_20190902165201  昨日の近鉄ハイキングは、疲れました(微笑)。蒸し暑さがその原因だと思います。夜は、いつもなら1回くらいは目が覚めるのですが、昨晩は、目が覚めそうになってもそのまままた寝ていきました。年寄りが夜、目が覚める原因の1つには、運動不足、身体的な疲れが足らないということがあるかも知れません。とはいえ、年を取るとヘトヘトになるまで体を動かすのも難しいので、困ったもの。

Img_7847c  さて、疲れたとはいえ、よく寝ましたので、今日はいつも通り。散歩は8時からいつものように、住吉神社、九華公園へと出かけたものの、九華公園で知人、散歩友達など多数に出逢い、今日はいつぞやのように、「口の運動」がメインに(^_^) 九華公園に1時間半以上もいて、10時になってしまいましたので、そのまま京町から寺町を通って帰宅。4.3㎞しか歩いていません(苦笑)。出会った知り合いの数は、13人。パチンコの話から、市の行政、桑名の観光、公園管理、野鳥、近鉄ハイキングのことなどなど、かなりしゃべってきました。

Img_7851c  野鳥、昆虫は少なく、例年9月半ばになるとよく見るコサメビタキなどの鳥もまだ来ていません。アオサギさんImg_7855c_20190902165201 だけは、いつも通り、鎮国守国神社の社務所裏にいました。ただし、今日はちょっとわかりにくい、木の奥の方に密かに佇んでいました。他には、ドバト、キジバト、カワウ、スズメ、ムクドリ。これですべてです。川は水が多くて、中洲にはサギはいません。明日は長良川河口堰や、長島の方へ行ってみたいと思っています。長島町内では、コンバイン祭が開催されているようですから(稲刈りのコンバインのところにサギなどが、おこぼれ頂戴で集まってきます。ただ、稲刈りは、週末にやるでしょうから、平日は無理かも)。

Img_7864c  ところで、午後からは、これまた夏休み明けで、市民大学講座の第4回。郷土史学科「城と城下町」です。8月は休みでしたから、2ヶ月ぶり。前回のワークショップと資料を受けて、旧・桑名城の実測寸法を「間尺寸」単位から、メートル単位に読み替えて図を作る作業を進めていたのですが、8月に入ってサボっていました。ところが、これが幸い(苦笑)。今日の補足説明で、「1間=6尺」は、明治以降の換算で、それ以前、とくに城普請においては、「1間=6尺5寸」が使われていたのだそうです。私は、「1間=6尺」で換算していたのです。ところが、前回の講座でもあったのですが、ある櫓の寸法に「3間6尺」と書いてあり、これがよく分からなかったのです。「1間=6尺5寸」であったなら理解できます。ということで、個人的な「城絵図のメートルへの換算作業」、やり直し部分もできてしまったものの、これでより正確な数値が得られそうです。

Img_7867c  今日も、ワークショップがあり、旧・桑名城の二の丸、三の丸の絵図の寸法を読み取る課題に取り組んできました。左のようImg_7869c なワークシートを、右の写真のような実測寸法図から読み取って埋めていきます。「引っかけ問題」ではありませんが、右の寸法図には、寸法が記載されていない建物や枡形などもいくつかあります。今日は講師の先生から当てられたのですが、私が聞かれた建物の寸法は記載されていないもので、そのように答えて、正解。一安心(微笑)。今日の後半は、桑名城の場所選びや、それに当たって重視した条件、本多忠勝が考え、実行した「慶長の町割」のされ方とその意義などを、昔の城絵図や、久波奈名所図会に掲載された江戸時代の桑名の様子を描いた絵を参考にして見ていくという、大変興味ある内容でした。記憶が確かな内に、ノートや資料を整理しなくては……。

20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(予告編)

 9月になり、2ヶ月の間休みであった近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも再開されます。早速、今日は「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」が開催されましたので、参加してきました。今日のところはいつも通り、予告編。ハイキングのコースと立ち寄りスポットをざっと見ていきます。本日は、予定通り、畏友Mさんと二人旅。

Img_7565c  今日は、近鉄名古屋線・豊津上野駅から津駅まで。豊津上野駅での受付は、9時半から11時。桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行で白子駅まで。9時32分着。白子駅9時36分発の津新町行き普通に乗り換えて、9時45分に豊津上野駅着。¥620。津市河芸町中別保にあります。この北にある本城山に前回訪ねた伊勢上野城があります。受付開始から15分経っていますので、受付はスムーズでした。

Img_7559c_20190901172001  これら2枚が本日のコースマップ。B4サイズ両面。左の写真にある表面、スタートの豊津上野駅はマップの下の端にあります。Img_7562c マップは、上が南方向。国道23号線を縫うように進みます。表面は、痔神大明神、権現山観音寺から逆川神社あたりまで。裏面に進んで、巡礼道との追分から三重大学の西を通って、江戸橋へ。上浜町の昔ながらの町を通り、阿部家住宅、鶴之宮跡碑を見て、御菓子処 風月堂に立ち寄って津駅西口へ。コースマップ上は、約8.3㎞となっています。一部は、過去の近鉄ハイキングで歩いたことがあります(痔神大明神など)。

190901kintetsuhikingtoyotsuueno  これは、実際に歩いたルートマップ。といってもかなり縮小されています。実際に歩いたのは、約8.7㎞でした。豊津上野駅に着いた頃は、冒頭の写真のように上天気。途中からは曇ってきて、陽が当たらずその点は楽でしたが、けっこう蒸し暑くて疲れました。9時50分にスタートし、津駅西口には、12時20分に到着。

Img_7571c_20190901173901  豊津上野駅から西へ。国道23号線を渡って突き当たりの三叉路から伊勢街道へ入ります。Img_7575c_20190901172001 前回のハイキングでは、この三叉路から豊津上野駅に向かったのです(5月25日:20190525近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅5日目~伊勢街道旅人気分で伊勢湾沿いの白子から河芸へ」(予告編))。

Img_7579c_20190901174501  スタートからほぼ1㎞、津市立朝陽中学校の前で地下道を潜って、国道23号線の東へ。1.2㎞あたりに高山地Img_7584c 蔵尊があります。ここは、上野城時代に罪人を処刑する場所であったといわれます。地蔵は処刑された武士の霊を慰め、この地で不慮の災害にあった人の菩提を弔うために建てられたといいます。伊勢上野城は、元亀元(1570)年、織田信包が津城(安濃津城)の仮城として分部光嘉に築城させた城です。

Img_7592c  国道23号線の中瀬交差点から東に入って、ちょっと寄り道というコースになっています。痔神大明神です。Img_7599c ここは、今年2月2日に来ています(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編))。痔の神様は、全国的に珍しいと思います。明治40(1907)年頃は45㎝位の小さな祠だったそうですが、大正末、一身田森の女人が痔疾が治癒したお礼にと大きい祠を奉納し、その後、改築が繰り返され現在にいたっています。古来『痔病に霊験あり』と言われるという話も伝わっていますが、この社の起源は不明で、由来についても様々な口伝があり、真実は不明です。土地の神である「地神」から「痔神」へと呼び名が変わったという説もあります。痔神でほぼ2㎞。

Img_7619c  中瀬交差点から上小川交差点までは23号線を1㎞ほど進み、伊勢街道は西へ逸れていきます。今の地名では栗真小川町。権現Img_7622c_20190901180001 山観音寺に立ち寄ります。十一面観音を祀っています。熊野勧進十界曼荼羅図も一幅収められています。境内には、馬頭観音その他もありますが、それはまた本編にて。

Img_7612c  この観音寺のすぐ南には、太神宮常夜燈があります。太神宮(だいじんぐう)は、もちろん伊勢神宮のこと。この常夜燈は、文化3(1806)年の建立。「金比羅大権現」「太神宮」「権現」と刻まれています。

Img_7649c  観音寺は、伊勢街道からわずかに西に外れています。街道に戻って、さらに南下。近鉄名古Img_7656c_20190901181401 屋線の踏切を越えると、逆川(さかがわ)神社があります。珍しい名前の神社ですが、その由来は、この神社の南側に逆川が流れていることから。この川は、東から西へ流れているのでそのように名付けられたもの(このあたりの川は、西から東に流れ、伊勢湾に注ぐのです)。神社は、後一条天皇の頃(11世紀前半)の創建と伝わります。この神社は、しもやけの宮として知られ、境内弁天池や逆川の水を、土用の丑の日にくみ取り手足につけるとひびやしもやけ、下の病に効くといわれました。御祭神は、伊邪那美命豊玉比売命大国主命ほか8柱(詳細は、本編にて)。

Img_7669c_20190901181401  社殿の裏手には、上でも触れましたが、弁天池があります。境内はかなり広く、かつては立派な松林があったそうです。「かっこ踊」の絵馬2面が津市指定文化財となっています。この踊りは、津市内の何カ所かで伝承されています(かんこ踊というところもあります)。田植えの装束に身を包んだ「かんこ」と呼ばれる踊り手が、胸に「かっこ」(太鼓)を吊り、背中に18本の「しで」を背負いながら、豊作や厄病退散などを祈願し踊るもの。ちなみに、家内の実家の辺りでは、「かんこ踊」として伝わっています。逆川神社についたのが11時でしたので、ここで小休止。

Img_7711c  栗真中山町の交差点でまた国道23号線を渡って、国道の東へ。栗真出張所の南で、巡礼道との追分があります。巡礼道は、Img_7707c 津市河芸町千里から白塚を経てここに通っています。浜街道、下街道ともいわれ、伊勢街道よりも古い道だそうです。常夜燈、道標、石碑が建っています。常夜燈は、高さ4.2m、笠の南面に「両宮常夜燈」、東面に「天保10年巳亥正月(1839)年」と刻まれています。武州(武蔵国)の木綿業者が寄進したともあります。

Img_7717c Img_7723c_20190901182901  さらに南に進み、三重大学の近くにも常夜燈が1基あります。かなり荒い彫りの山燈籠で、高さは約2.8m。正面に「両宮常夜燈」とあります。「嘉永四年辛亥孟夏 五穀成就」とあります(1851年)。飢饉が続いたあと、ようやく穀物が実った喜びの表現と思われます。

Img_7726c  三重大学の教育学部や、生物資源学部などに入る道路のところで、横断歩Img_7730c_20190901184601 道橋を渡って、またまた、国道23号線の西へ。三重大学教育学部には、昔、臨床心理士会の会議や、教育学研究科での集中講義のために何度も来たことがあります。ウィークデイ、このあたりは渋滞の名所。 

Img_7742c  三重大学を過ぎる辺りで6㎞。志登茂川(しともがわ)にかかる江戸橋にやって来ます。江戸橋は、2つあります。国道23号線の方は、新江Img_7745c 戸橋。こちらの江戸橋は、市道に架かるもの。4年ほどの架け替え工事を経て、今年新しい橋が完成。非常勤のついでに南側からは新しい橋を見ています。三重大学に通う学生の皆さんなど乗りようが多いので、写真のように車道と、自転車道、歩道とが分離され、しかも、自転車歩行者専用道の部分がかなり広くなっています。

Img_7751c  江戸時代には橋は架けられていたといいます。津藩主・藤堂氏が参勤交代で江戸に向かうとき、家臣などがこの橋の傍まで見送りに来たことから江戸橋と名づけられたとされます。以前の記事にも載せましたが、橋には、ご覧のような参勤交代の図が飾られています。ここはまたバードウォッチングのスポットでもあります。今日も、シギが数羽降りてきていました。余談ですが、今年度からは後期も授業に来ますから、冬鳥を見る機会もありそう(微笑)。

Img_7759c  江戸橋を渡ってすぐに伊勢街道は左折します。この交差点が伊勢別街道との追分で、伊勢別街道の終着点。伊勢別街道は、亀山市にある関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田(いっしんでん)を通り、ここまでの総距離およそ四里二六町(約18.5㎞)。この交差点の北東には、常夜燈と並んで、高田本山への道標が立っています。常夜燈は、安永6(1777)年に建立された、津市内最古の常夜燈です(津市指定文化財)。高田本山への道標には「左 高田本山道」と刻まれています。高田本山専修寺へはここから北へ、伊勢別街道をたどっておよそ3㎞。明治22(1889)年に「愛知縣名古屋市別院下請講中」によって再建されたと刻まれています。

Img_7766c  上浜町の伊勢街道を進みます。スタートからほぼ7㎞あたりで、阿部家住宅の外観を拝見。醸造業の大店。Img_7775c_20190901190301 このあたりは、醸造業を営む者が多かったといいます。阿部家は、江戸時代から伊勢街道沿いに店を構える商家で、もとは酒造業でしたが、明治時代に味噌醤油醸造業に変わっています。その主屋は典型的な大店の商家建築で、市の文化財に指定されている。主屋は伊勢街道に面して東向きに建っています。

Img_7780c  この写真でわかるように、卯建(うだつ)が上がっています。他に、大戸、荒格子、千本格子、庇の下のおおだれなど、大店の格式と貫禄が窺えます。主屋の南側には倉庫などに使われた南棟が付属しています。できるのなら、一度、内部も拝見してみたいところ。

Img_7796c_20190901191301  さらに南へ。ゴールの津駅も近くなってきます。津駅の東側の一帯は、再開発され、きれいになっていて、Img_7786c 昔の面影はありません。上浜南公園に、「鶴之宮跡碑」があります。津藩の第2代藩主・藤堂高次公が、この場所で狩りをしていて鶴を射止めたちょうどそのとき、朝廷より官位昇進の知らせが届き、大変めでたいことであったので、その射止めた鶴を埋めて、社殿を造り、祀ったということによります。しかし、神社は、明治40(1907)年に小丹神社(津市上浜町6丁目、JR紀勢線・近鉄名古屋線の西)に合祀され、社殿はなくなりました。現在は、この石碑が建っています。

Img_7799c  鶴之宮跡碑からゴールまでは1㎞あまり。国道23号線の津駅南交差点の1本西の交差点で右折し、津駅に向かいます。8㎞の手前で、御菓子処 風月堂さんに立ち寄ります(津駅東口、ソシアビル1階)。津のお菓子というと、個人的には、蜂蜜饅頭とか、平治煎餅を思い浮かべます。他に何か名物がないかと思ったのですが、ざっと見たところ、 いちご大福、甘夏大福などが並んでいました。ハイキング参加特典で割引サービスもあったものの、何も買わず、失礼してきました。

Img_7806c  津駅の東西を結ぶ地下道を通って、西口へ。近鉄津駅は、西口側にあります。12時20分、約8.7㎞を歩いImg_7807c て、汗だくになってゴール(苦笑)。蒸し暑くて疲れました(Mさんも同様)。今日も、お陰様で無事に「参加紀念マグネット」をゲットできました。巡礼道との追分にある名残松のデザインでした。これでこれまでの6個をコンプリート。

Img_7815c  無事にゴールインしましたし、時間も12時半近く。昼食を食べていくこととし、津駅ビル・チャム2階へ。サイゼリア、豚そば屋、信州そば処そじ坊、天はななどがありましたが、「美濃味匠」という店へ。総菜・カフェというコImg_7811c    ンセプトで、店頭でお弁当などを売っていて、テイクアウトも、イートインもできました。出来合いの弁当もありますし、30種の手づくり惣菜を好きな分量だけ取って弁当にできます。私は、煮物満菜弁当をチョイス(税込み¥599)。イートインの場合、味噌汁も付けていただけてラッキー。弁当もその味も、お店の雰囲気もなかなかよい感じ。1時間ほどゆったりさせてもらいました。

Img_7822c

 帰りは、津駅を13時40分発の名古屋行き急行に乗車。桑名駅には14時22分着。¥690。久しぶりのハイキングで、8.7㎞をImg_7837c_20190901205001 歩き、今日はしかも蒸し暑かったので疲れました。歩数は、19,935歩。これは、自宅から桑名駅の往復も含みますので、トータル約10.5㎞を歩いた分。

Img_7829c_20190901191401  あみま倶楽部のスタンプは、22個目。20個はクリアしましたので、踏破記念バッジ(銅)Img_7835c と、近鉄百貨店の商品券¥1,000はすでに確保。次のレベルは40個を12月までに達成しないといけません。ちょっとキツいかも知れませんが、地道に努力しましょう。土産は、近鉄津駅のコンコースにある井村屋の“imuraya Sweets Shop irodori”で買ってきたようかん2棹。1棹¥100(^_^) チョコレートようかんの抹茶と煉。

 明日は午後から市民大学講座。次の近鉄ハイキングは、9月7日の「昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」。津駅から南が丘駅までの約8㎞。途中の伊勢街道は、少し歩いています(4月28日:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策』へ(予告編))。

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  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

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    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

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    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

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    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

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    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

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    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

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    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)