20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その2)……布気皇館太神社、野村一里塚、浄恩寺、羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡から、亀山市歴史博物館へ【布気皇館太神社のお社について追記しました(6/17)】
6月9日に行ってきたJRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」のその2です。その1では、忍山神社を訪ね、懐かしい亀八食堂を眺めて、亀山市布気町にやって来ました。若いとき、鈴鹿に住み、働いていました。亀山は隣の市。遊びに行ったり、食事に行ったりしたところもいくつかあり、その意味では懐かしいところですが、その頃は歴史などあまり興味はなく、今回のハイキングで訪ねるところにはほとんど行っていません。
スタートから3.3㎞で布気皇館太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)にやって来ました。時刻は11時。延喜式神名帳には、垂仁 天皇18年、「鈴鹿郡布気神社」とあるそうです。 昔、旧野村に布気林というところがあり、そこに奉斎してあったことから布気神社と称えたのですが、 文明(1469~86年)の頃に起った兵乱のため、社殿が焼失したため、後に皇舘の森へ奉遷したと伝えられています。 皇舘の森の「皇舘」とは、垂仁天皇の御代、天照大御神が忍山に御遷幸されたとき、大比占命が神田・神戸を献じ給うたことに由来する地名で、 野尻、落針、大岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七ケ村を神戸郷といって皇舘太神社を総社と仰いだといいます。いろいろな名で親しまれたのですが、 亨保8(1723)年、吉田家から皇舘大神の神号を受け、布気神社皇舘大神となり、さらに、明治41(1908)年6月から現在の社名となっています。この年、近郷近在の小社・小祠を合祀しています。倭姫命が立ち寄ったともいわれています。
ここの主祭神は、天照大御神、豊受大神、伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ;払戸大神に同じ)。相殿神は、宇迦之御魂神、火之迦具土神、大山津見神、大名牟遅命、菅原道真、火之夜芸速男神(軻遇突智神(かぐつちのかみ)のこと)、木花佐久夜比売命、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ;大国主命の別名)、天宇受売命、五男三女神、帯中日子命(第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう))、広国押武金日命(第27代・安閑天皇(あんかんてんのう))、建速須佐之男命、猿田彦神、品陀和気命(第15代・応神天皇)、稲田比売命(クシナダヒメノミコト)、高御産巣日神(たかみむすびのみこと)、手力雄命(タヂカラオノミコト;天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神)、彦狭知命(ヒコイサチノミコト;第11代垂仁天皇)、手置帆負命(たおきほおいのかみ;紀伊の忌部(いんべ)の祖。国ゆずり・国土平定の話に登場し、笠づくりの役目をになった)。静かでなかなかよい感じの神社でした。
境内には、拝殿に向かって左に小さいお社。居合わせた亀山宿語り部の会の方に伺ったものの、「合祀された神社でしょう」 とあまり要領を得ない説明でした(末尾の付記をご覧ください)。このお社に向かって左に石碑がありました。題字には「聖訓」とあります。その下に刻まれた文字を読むと、次に引用した文章が彫られていました。これは、「軍人勅諭」です。明治15(1882)年1月、明治天皇が軍隊に下賜した勅諭で、忠節、礼儀、武勇、信義、質素の5つの基本徳目を示し、第2次世界大戦の終戦にいたるまで軍の精神的支柱となっていました。「勅諭下賜五十周年紀念」として、昭和6(1931)年4月、「帝国在郷軍人会 神邊村分會」が建てています。軍人勅諭の石碑も、それが神社にあるのも初めて見ました。
一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし
一、軍人は武勇を尊ぶべし
一、軍人は信義を重んずべし
一、軍人は質素を旨とすべし
ここも森に囲まれ、厳かな雰囲気のある、よい神社でした。歴史のある神社はこういう感じのところがたくさんあります。お茶を飲んでしばし休憩。ここで、その1の最初に書いた、浜松からいらした女性に出会って、お話をしてきました。布気皇館太神社には、裏参道から入りました。コースがそういう指定になっていたので、やむを得ません。
こちらが表参道の一の鳥居。あとでも触れますが、旧・東海道に面しています。鳥居の右手前に古い、社号標。「式内 布気神社」とある下に「太神宮遷? 御鎮座古跡」とあります。「?」は読めませんでしたが、伊勢神宮に関わる記述のようです。垂仁天皇の御代、倭姫命が天照大御神の御杖代として遷幸された小山宮は、忍山神社ではなく、こちらだという説もあるそうです(こちら)。
前段で述べましたが、布気皇館太神社は旧・東海道に面しています。一の鳥居を出たところで東を見たのが、この写真。ここから1㎞あまり、旧・東海道を上っていきます(東に向かいます)。ところが、布気皇館太神社を出たあたりから渋々と雨が降り始めました。まだ3㎞半くらいで、半分も来ていません。この日はゴールも亀山駅ですし、ここから近い駅も亀山駅。ゴールまで行くしかありません(苦笑)。
布気皇館太神社から出てすぐ、来るときにも見えたのですが、布気町野尻に毘沙門天があります。由緒などはよく分かりませ んが、亀山市歴史博物館のサイトには、「当番の人が毎晩ご飯を備えており、毎年8月には祭りが行われている」と書かれています。右は、「亀山藩大庄屋内田権四郎昌克旧宅跡」。毘沙門天の先、スタートから3.7㎞ほどのところ、南側にあります。内田家は江戸時代初期、近江国から移住し、代々、いくつもの庄屋をまとめる大庄屋を務めました。内田権四郎昌克(うちだごんしろうまさかつ;1641~1758)は、元禄15(1702)年、亀山に関する記録集「九々五集(くくごしゅう)」をまとめました。亀山藩の様子が詳しく記されているといいます。
スタートから4.3㎞で「野村一里塚」に到着。亀山城の西に位置します。県内12ヵ所の一里塚のなかで唯一、昔ながらの原形 を保っています。残っているのは北側の塚で、南側の一里塚は、大正3(1914)年に取り壊されました。江戸日本橋からは106里12町(417.6㎞)、京三条大橋から17里32町(70.2㎞)の距離。樹齢400年のムクの巨木が植えられています。昭和9(1934)年に国の史跡に指定されています。この一里塚は、以前から一度来て、見てみたかったところです。昔のまま残っている東海道の一里塚は、笠寺で見ましたが(2019年2月 3日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(予告編))、県内のものも是非見たかったのです。雨がけっこう降ってきましたので先を急ぎました。雨になるとどうしても急いでしまいますので、見落としも出て来ます。この日も、一里塚の先にあった忍山神社道標に気づかず通過(苦笑)。
野村一里塚から400mほどのところに亀鶴山(きかくさん)無量院慈恩寺(じおんじ)。浄土宗のお寺。ご本尊は、木造阿弥 陀如来立像(国重要文化財)。もとは野村にあった薬師寺(長福寺)の本尊・薬師如来であったといいます。後世の補修の際に、両手首から先を阿弥陀印に下ものと考えられています。慈恩寺の縁起によれば、薬師寺(長福寺)は行基が神亀(じんき)5(728)年に聖武天皇の勅願によって創建し、薬師如来像を彫刻して、安置したと伝わっています。正徳6(1716)年にこのお寺は、慈恩寺と改まっています。行基が開いたときは、忍山神宮の神宮寺であり、七堂伽藍もあったといいますが、度重なる兵火で焼けています。
この木造阿弥陀如来(国重要文化財)は、像高163cm、ヒノキの一木造(いちぼくづくり)。全身に木屎漆(こくそうる し)が塗られ、平安初期彫刻の特徴をよく表した等身大の立像で、県内における9世紀初めの代表作といいます。 今日は、檀家の代表の方がいらっしゃり、ご本尊を拝ませていただけた上に、写真撮影まで認めてくださいました。肉付きがよく、なかなか力強い感じの仏様です。この阿弥陀如来像が国宝(戦後は重要文化財)に指定されたいきさつについては、面白いエピソードがあります。こちらをご覧ください。
慈恩寺の境内には、薬師堂と忍山観音堂があります。1つの建物が2つのお堂になっています。向かって右が観音堂、左が薬師堂です。中を拝見してくればよかったのですが、雨でお堂の写真を撮っただけです。
慈恩寺を出たところで東海道からは離れ、北へ向かいます。慈恩寺のすぐ北に野村地区コミュニティセンターがあります。そこに「羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡」という案内板が建っていました。天正11(1583)年1月、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は大軍を率いて安楽峠(亀山市安坂山町と甲賀市土山町の間、現在は新名神高速道路がこの下をトンネルで通っています)を越え、敵対する亀山・峯城を攻略しました。このとき、秀吉が亀山城攻めの本陣をおいた場所がここと伝えられています。峯城については、こちら。地図は、ここにあります。
野村地区コミュニティセンターのすぐ西に、豊川枳尼天という石柱が見えたので、寄って来ました。枳尼天は、「荼枳尼天」が正式な表現のようです(だきにてん)。夜叉の一種で、人の死ぬ6ヵ月前にそれを通力によって察知して、その人の心臓を取 って食べるといわれます。亀山市歴史博物館のサイトにある聞き取り調査によれば、大正14(1925)年生まれの男性が、「ダイニチさん(天王さんとも呼ぶ)の行事は七月に行われていたが、戦時中になくなった。いわれはわからない。父が夕食の後でダイニチさんの祠に羽織り、袴を着ておまいりしたのを覚えている。沿道にぼんぼりを立てた。ダイニチさんの祠(豊川枳尼天)は野村コミュニティセンターの北にある」と述べています。「ダイニチさん」は、大日如来なのでしょうか? 「天王さん」は牛頭天王他いろいろあります。謎は解けません(苦笑)。こんなことばかりです。不勉強は棚に上げておりますが……(笑)。
さて、この先にある滝川を渡って、野村団地の中を進み、亀山公園にある亀山市歴史博物館に向かいます。雨は相変わらず降 り続いています。スタートから5.8㎞、到着は12時。この日は、JRさわやかウォーキング特典で、団体扱いの入館料で入れました(¥160)。常設展と、第32回企画展「彫った 刷った 出来た!」を見てきました。常設展では「亀山の歴史」が通史として展示されています。
まずこちらは、「井田川茶臼山古墳横穴式石室復元模型」。亀山市みどり町と井田川町にまたがる標高69mの丘陵地帯から出土しています。前方後円墳と思われる古墳があったといいます。 墳丘は上部が削平され不明確になっているようですが、石棺などが出ています。昭和47(1972)年の発掘調査当時の石室のうち、奥側(東)部分の半分を復元しています。三重県朝日町の歴史博物館にも、縄生廃寺の出土跡がレプリカで展示されていますが、こういうものは「百聞は一見にしかず」でよく分かり、興味も持てます。
こちらは、「亀山城・亀山城下復元模型」。文久3(1863)年頃の亀山城と亀山城下の中心部の状況を1/180で再現したもの。これも圧巻。幕末から明治にかけての資料に基づいています。亀山宿内は、文久3(1863)年2月の14代将軍徳川家茂の亀山宿止泊時における宿割帳とみられる、「宿内軒別書上帳」(亀山市歴史博物館蔵)に基づいて復元されているそうです。
もう一つ、面白かったのは、「(伝)亀山城の金庫」です。木製の厨子で四日市市内の家に伝わったもの。近年まで米を貯蔵していたそうです。先代が昭和20年代に亀山市内の家からもらい受けたもので、あまりに大きく重いので、農協でオート三輪を借りて運んだといいます。先代からは、亀山城の金庫であったと聞いているということですが、実際にそうかどうかは分かっていません。幅182cm(6尺)、奥行き76.2cm(2尺藩)、高さ121.2cm(4尺)あり、厚さ4.5cm(1寸半)の板を組み合わせてあります。前方の扉は観音開きで、縦方向のかんぬきがはめ込まれ、その間抜きには簡単に着られないよう鉄棒が埋め込まれています。しかし、内部には棚板や、棚板を取り付けた痕跡はないということです。平成21年4月に寄贈されました。
このあと、企画展も一通り見て、外へ。玄関に向かって左側に「亀山城石坂門の石垣」とその側溝部分が移設復元されています。平成11(1999)年の発掘調査で地上に現れたもの。石坂門は、亀山城本丸と二の丸との間にありました。斜面に建っていたため、石坂門、あるいは、坂口門といわれたようです。そのため、復元にあたっても斜面に設置したということです。
もう一つ、歴史博物館の玄関へのアプローチ、左脇に映画監督・衣笠貞之助(きぬがさていのすけ)顕彰碑があります。明治29(1896)年、亀山の生まれ。大正6(1917)年、女方として日活に入ったのち、大正11(1922)年マキノ映画へ移って監督となります。前衛的な作品「狂った一頁」や「十字路」で国際的に評価される一方、長谷川一夫とくんで「雪之丞(ゆきのじょう)変化」など時代劇の大作も多数手がけました。昭和28(1953)年、「地獄門」でカンヌ映画祭グランプリ。昭和57(1982)年死去。86歳。
ウッカリしていました。実際に歩いたルートマップは、また実測ルートマップその1の範囲に戻って来ていました。亀山市歴史博物館からは、亀山城跡にある亀山公園の中を歩きます。次は、花しょうぶまつり会場へ行くのですが、そこからはその3にて。
【付記(6/17)】 小さいお社は、忠霊殿でした。この地区の遺族会が建てたもので、旧神辺村戦没者126柱の碑でした(こちら)。
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