20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ
6月9日のJRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」の本編、その1です。この日、桑名は朝から雨。どうしようかと迷っていました。朝からテレビの天気予報にかじりつき、かつ、ネットで雨雲レーダーを何度も確かめていました。7時過ぎから我が家あたりは雨が降ってきたのですが、四日市から南は大丈夫そうでした。そこで、エイヤッとばかりに、出かけました。四日市を過ぎると空は明るくなり、亀山ではわずかに青空も見えており、これはラッキーと思ったのですが、そうそううまい話はありません。結果的には、途中4㎞あたりから雨(涙)。4㎞過ぎでは引き返すとか、途中リタイアという選択肢はありません。何しろ、スタートもゴールもJR関西線・亀山駅ですから、そのままゴールまで行かざるを得ませんでした(苦笑)。
この日のスタート&ゴールは、JR関西線・亀山駅。紀勢線の出発駅でもあります。受付は、8:20~11:10でしたが、空模様を 眺めていましたので、出かけるのはやや遅くなり、桑名駅を9時28分に発車する亀山行き快速に乗車。四日市から先は各駅停車になります。亀山駅着は、10時6分着。¥670。往きの電車で隣り合わせた男性は、浜松から今日のさわやかウォーキングにいらしたそうです。私よりも明らかにご年配。負けてはいられませんねぇ。実は、このあと訪ねた布気皇館太神社でも、浜松からいらした女性に遭遇。この方、親御さんの介護を終え、浜松駅近くに引っ越して、こういうウォーキングに参加していらっしゃるとか。人生、いろいろあります。
左が今日のコースマップ。亀山駅をスタートして、亀山の西部を時計回りに歩くというコース。松月地蔵、忍 山神社、布気皇館太神社、旧・東海道の野村一里塚、慈恩寺を経て、亀山市歴史博物館、亀山公園で花しょうぶまつりを見て、亀山城多門櫓、でころぼ坂という珍しい名前の坂を下って、亀山駅に戻るという、マップ上、約7.4㎞です。右は、実際に歩いたルートを示した実測ルートマップ。8.2㎞を歩いてきました。いつものように桑名駅往復が1.8㎞ですので、今日は10㎞+αということです。スタートしたのは、10時10分。
スタート地点の亀山駅には、駅前に大鳥居があります。これは、けっこう珍しいように思います。亀山駅に降り立ったのは、鈴鹿に就職したときに1度遊びに来て以来ですから、40年ぶり。当時、鳥居があったかどうかは、忘却の彼方。これは、能褒野神社の一の鳥居です。能褒野神社は、亀山市田村町にあり、亀山駅からは北東に直線で5㎞離れています。能褒野の地は、明治12年(1879年)に「王塚」あるいは「丁字塚」と呼ばれていた前方後円墳(現在の能褒野王塚古墳)が、内務省によって「能褒野墓」に治定されたところ。すなわち、日本武尊が崩じた場所とされたのです。その後、地元の有志により日本武尊の遺徳をしのぶため能褒野陵周辺での神社の創建が企画され、明治28(1895)年に社殿が竣工され、御鎮座祭が行われています。能褒野神社も行ってみたいところの一つですが、それはまたの機会に。
こちらは、実際に歩いた実測ルートマップを少し詳しくしたものの、その1。亀山駅をスタートして西へ向かいます。亀山駅 は、名古屋駅とJR難波駅(大阪市)を結ぶ関西本線と、ここを起点として紀伊半島を海沿いに走り和歌山市駅までを結ぶ紀勢本線の2路線の接続駅となっています。かつて国鉄の時代には、機関区や客貨車区などが置かれた三重県内でも有数の鉄道の要衝でした。名古屋方面・京都方面から来る多くの特急列車などが、ここを経由して伊勢・南紀方面に向かっていたのですが、四日市 - 津間は当駅経由では大きく迂回するルートでした。そこで、短絡ルートである国鉄伊勢線の建設が検討されるようになり、昭和48(1973)年に伊勢線が開通すると名古屋方面の特急など優等列車の大半は伊勢線経由となり、徐々にローカル輸送へとシフトして行かざるを得なくなりました。伊勢線開通後も寝台特急「紀伊」が運行されていましたが、昭和59(1984)年に廃止され、亀山駅に停車する特急列車はなくなりました。京都方面からの急行列車も、近鉄特急に客足を奪われ昭和62(19879年に消滅。平成18(2006)年3月のダイヤ改正で急行「かすが」が廃止され、亀山に停車する優等列車はすべてなくなりました。往時にの賑わいを示すのが駅構内の広さです。東西方向に1km以上に渡っているのです。構内には、小さい転車台も残っています。私が40年前に訪ねた頃は、まだ日本国有鉄道の時代で、駅ももっと栄えていた気がします。
さて、亀山駅をスタートして西へ。線路沿いの細い道を抜けて、旧国道1号線に出ます。昔はバイパスになっていたところが今 は正式な国道1号線になり、ここは、県道565号線に変わってます。これだけで「今は昔」という感じ。少し行くと、カメヤマローソクの直売所だった建物の前を通ります。カメヤマローソクは、神仏用ローソクだけでなく、キャンドルの製造、販売をしています。現在は、大阪市北区に本社を置いていますが、もともとは昭和2(1927)年、ここ亀山で谷川兵三郎(ひょうさぶろう)が創業した谷川蝋燭製造所が始まりです(こちら)。ろうそくを専門に取り扱っており、ろうそくの国内シェアは約5割。ちなみに、今は結婚式で定番となったキャンドルサービスを昭和34(1959)年に生み出しています。
亀山ローソクの直売所の先、亀山警察署のところを左折。JR関西線を潜り、鈴鹿川方面を目指します。亀山駅から西は、JR西 日本の管轄。少し行くと、右の写真のように関西線の下を潜るのです。関西線を潜るところには、「制限高1.7m」とあります。関西線を越え、鈴鹿川の手前で1㎞。その先に、松月地蔵(しょうげつじぞう)があります。
こちらがその松月地蔵。松月地蔵(しょうげつじぞう)。五体のお地蔵様がいらっしゃいます。亀山市歴史博物館のサイトに よれば、亀山駅近くに住む方が中心になってお世話をしておられ、地蔵や五輪塔(部分)を「松月地蔵」と名づけたそうです。祠の後ろの松を植え替えたり、アジサイを植えたりなさっています。「川原の地蔵さん」というのが昔からの呼び名のようです(こちら)。詳しい由緒などは、検索しても不明ですし、亀山市歴史博物館のサイトにもありません。
例によって(微笑)、田園地帯を進みます。鈴鹿川や、JR関西線の線路沿いです。稲はすでにかなり伸びてきていて、青々と しています。このあたり(JR関西線を越えて、松月地蔵に出るところから500m以上にわたって)、関西線と鈴鹿川の間にメガソーラーの太陽光発電パネルが並んでいます。まさにその名の通り「メガ」です。右の写真は、メガソーラーの西側にある忍山大橋の上から東を向いて撮ったもの。これだけの規模のものは初めて見ます。
スタートから2㎞ほどで、忍山神社(おしやまじんじゃ)に到着。「延喜式」神名帳に登録された式内社です。第10代崇神天皇7年(紀元前91年)、伊香我色雄命(いかがしこめのみこと;孝元天皇の妃となり、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を生みますが、天皇の死後、その子・第9代開化天皇の皇后となり、崇神天皇を生んだと伝わっています)に猿田彦を鎮座せしめられ、その子・大水口宿禰(おおみなくちのすくね)の子孫(80代)が相継いで神主となって明治に至ったとされます。垂仁天皇の御代に倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。また、第12代景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされ、媛は東征に従われ、相模の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められたと伝承されています。余談ですが、倭姫命が赴かれたところや、日本武尊がいらしたところについては、少なくとも近くにあるところはすべて訪ねてみたい気がしています。
明治41(1908)年、村社能牟良(のむら)神社他、近隣の20社を合祀しています。主祭神は、猿田彦命と、天照皇大神。相殿神は、天児屋根命(アマノコヤネノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、天布刃玉命(アマノフトダマノミコト;高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子。天照大神が天の岩屋に隠れた際、天児屋命とその出現を祈請)、倭姫命、天照大御神荒御魂(天照大御神の荒御魂(あらみたま);神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」というのに対して、荒々しく格別に顕著な神威を表す魂の働きを「荒御魂」と呼びます)、大比古命(おおひこのみこと;日本書紀によれば孝 元天皇の皇子)、大若子命(おおわくごのみこと;伝承上の伊勢神宮の初代大神主。天日別命の子孫。度会(わたらい)氏の祖先神。倭姫命が天照大神を伊勢神宮にまつったとき、南伊勢の豪族として協力したため、神国造(かみのくにのみやつこ)と神宮の大神主に任じられた)、乙若子命(おとわくごのみこと;伝承上の伊勢神宮の神職。大若子命の弟。景行天皇、成務天皇、仲哀天皇の3代にわたって豊受大神宮の大神主としてつかえたという)、天宇受売命(アマノウズメノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れた際、その前で踊り、大神を誘い出した女神)、大山津見命(オオヤマツミノカミ;山をつかさどる神)、豊宇賀乃売命(トヨウケビメノミコト;豊受大神の異称)、木花佐久夜姫命(コノハナノサクヤビメノミコト;日本神話にみえる女神。大山祇神の娘。天孫瓊瓊杵尊の妃。富士山の神)、饒速日命(ニギハヤヒノミコト;天孫降臨に先だち、天磐船(あまのいわふね)に乗って天下ったという神)、大水口宿禰穂積命、忍山宿禰(Wikipediaによれば、古事記では建忍山垂根(たけおしやまたりね)。日本書紀に現れる穂積忍山宿彌と同じという。古事記には、成務天皇の妃である弟財郎女の父として登場する。また日本書紀に記される、日本武尊の妃・弟橘媛の父である穂積忍山宿禰も同一人物とされる。穂積神社、忍山神社の祭神)、建速須佐之男命(タケハヤノスサノオノミコト;天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ;三種の神器の一。のちに、熱田神宮に祭られる。別称、草薙剣(くさなぎのつるぎ))、大名牟遅命(おおなむちのみこと)、伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ;伊弉冉尊とともに天つ神の命で磤馭慮島(おのころじま)をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神)、伊邪那美大神(イザナミノミコト;伊弉諾尊と結婚し、国生みと神生みを行った女神)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津宮の祭神)、火産霊神(ホムスビノカミ;迦具土神(かぐつちのかみ;伊弉諾尊・伊弉冉尊の子。火の神))、菅原道真公、保食神(ウケモチノカミ;五穀をつかさどる神。食物の神)、伊香我子雄命(いかがしこめのみこと)。いやぁ、調べてリンクを張るのも大変です(微笑)。20社を合祀したが故にこれほど多くの神様がいらっしゃるのでしょうが、関連図でも書いてみないといけません。
先に述べましたが、垂仁天皇14年(紀元前16年)、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和 の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。拝殿前にはそれを記した柱が立っています。神社でいただいた由緒にはこれを貸し込んで天照大神を奉祀したとあります。ここ忍山神社の神事には、「傘鉾」というものがあるそうです。素戔嗚尊の荒魂を鎮めるため古くから行われています。毎年10月の例祭日に傘鉾が町内巡行されます。傘鉾は、傘状の山車で毎年、新たに造られるそうです。リンク先で動画が見られます。もとは、能牟良(のむら)神社の祭礼で、忍山神社に合祀されたため、忍山神社の祭りになっています。こちらに亀山市教育委員会がつくった「忍山神社の歴史」という資料があります。倭姫命は、「河曲鈴鹿小山宮」に鎮座されたといいますが、この小山宮がここ忍山神社とされています。倭姫命が「ここはどこか」と聞いたところ、大比古命が「味酒鈴鹿国(ウマサケスズカノクニ」と答えたといいます。
拝殿の東側には、山の神、庚申塚などが、8基集められていました。向かって右から2基目には、「辯才天」と彫られています。歴史のある神社で、なかなかよい雰囲気というか、それなりに厳粛でありつつ、落ち着ける感じがします。
参拝を終えたところで、氏子の代表の方が由緒を書いたパンフレットをくださり、さらに、「いただいていってもらわないと困るんです」と、御神酒を強く勧めてくださいました。お断りするのもどうかと思い、素直に頂戴してきました(微笑)。辛口で、なかなかいける「御神酒」でしたなどと書いていると、罰が当たるかも知れません(苦笑)。いや、お断りすると罰が当たったということにしておきましょう。忍山神社でちょうど2㎞、時刻は10時45分頃。
実測ルートマップは、その2の範囲に進みます。忍山神社から再びJR関西線沿いを進みます。布気町に入って、昔の国道1号 線を渡り、布気皇館太神社を目指します。右の写真では、「どんなところ?」と思われそうですが、田園地帯です。草が生い茂っている向こうは、水田。
旧・国道1号線(現在は県道)を布気東交差点で渡ります。この交差点の東南に「亀八食堂」という、このあたりでは焼き肉・ホルモンで有名な食堂があります。鈴鹿で働いていた 頃、何度も来たことがあります。最近は、B級グルメの「亀山みそ焼きうどん」でも有名な店。ここのみそ焼きうどんは、自分で鉄板で焼いて食べます。この店、お勧めです。今回のウォーキングでも、ルートを調べていて、すぐ近くを通るなら立ち寄りたいと思ったくらい。皆様も、近くにいらっしゃる機会がおありでしたら、ぜひお立ち寄りください(微笑)。
というところで、その1はここまで。その2は、布気皇館太神社から。
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