お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年4月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年4月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

最近のコメント

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

« 2019年5月 | トップページ | 2019年7月 »

2019年6月

2019年6月30日 (日)

桑名発達臨床研究室のホームページをリニューアルしました

190630newsite  このブログとどちらが本業かよく分かりませんが、桑名発達臨床研究室のホームページをリニューアルしました。ずいぶん以前から新しくしたいと思っていたものの、ズルズルと先延ばししていました。去年9月、ホームページビルダー21を購入して、作業をしようと思いつつ、ついついサボり癖が出て(笑)、今日に至りました。能率低下も甚だしいのに、「面倒だな」と思うことも増えて来て、我ながら笑えるやら、情けないやら(苦笑)。

 この際、過去の栄光というか、昔の遺産というか、そういう内容はすべてカットしました。別に過去に決別しようなどと大袈裟なことは思ってはいませんが、退職してもうじき8年にもなりますから、「もういらないな」と考えた次第です。なるべくシンプルにしようとは考えました。一からつくる元気はありませんので、ホームページビルダーのテンプレートを流用しています。お時間がおありでしたら、ご覧いただければ幸いです。お気づきの点、ご助言などがありましたら、是非ともご教示のほど、お願いいたします。

峰崎部屋朝稽古に芝田山親方登場……桑名宗社で茅の輪くぐり

Img_2053c  午前中までのところでは、我が家あたりは雷注意報が出ているだけで、雨もさほどではありません。朝早くは、青空も覗いていたりして、これなら近鉄ハイキング(7/4 津新町駅開業88周年記念ハイキング 津のまん中ウォーク 七夕飾りと江姫・高虎さんゆかりの地ウォーク)に行けるかもなどと思ったりもしましたが、最近は、天気の怪しいときに出かけると降られていますので(6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編)、6月9日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))、諦めました。6月に入って3回出かけ、うち2回、雨に見舞われています。

Img_2098c  ということで、8時前から散歩をスタート。住吉神社、九華公園、赤須賀神明神社、桑名宗社(春日神社)、吉津屋町、京町、Img_2080c 寺町、田町と6㎞。自宅近くまで戻って来たところで、小雨が降りましたが、それまでは雨には降られずに済みました。九華公園相撲場での峰崎部屋の朝稽古、今日は、芝田山親方(元横綱大乃国)が来ていらっしゃいました。去年も来ていらっしゃいます。名古屋場所では、大府市に宿舎を構えておられます。芝田山部屋の力士の方も2~3名来ておられ、稽古は一段と熱が入っている感じ。

Img_2112c  やはりときには、他の部屋の力士たちとも稽古をした方が良さそうな気がします。これなど、もちろん、素人考えに過ぎませImg_2146c んが、私が関わっていた教育・研究の仕事でも同様でしたから。右のようなシーン、今回の稽古では初めて目にしました。ぶつかり稽古の流れで、若い衆が土俵の外まで飛ばされ、転がされることがたびたびでした。今日は、動画を撮ってきましたので、載せておきます。最後の方で、ギャラリーがカメラの前を横切ってしまいましたが、ぶつかったときの音がよく入っていますので、ご容赦ください。

Img_2213c  芝田山親方と峰崎親方、並んで土俵に厳しい視線を送っておられます。時折、お二方からは、叱責や、厳しい指導のことばがImg_2089c 飛びます。今日は、荒鷲関も来ておられました。激しい稽古が繰り広げられる傍らで、黙々と四股を踏んだりしていました。名古屋場所が始まるまで残り1週間。是非とも頑張ってもらいたいものです。

Img_2243c  さて、九華公園から今日は、赤須賀神明神社へ。管理事務所で元管理人Oさんから、「赤須賀は、今日、茅の輪くぐりがあImg_2236c る」と伺ったのです。最近、6月30日頃には、祓えのために茅の輪をくぐらないと落ち着かないのです(笑)。昨日まで、桑名宗社(春日神社)には茅の輪が出ていませんでしたので、念には念を入れてということ。ここは、鎮国守国神社の宮司さんが兼職をしておられます。しかし、残念ながら、夏越しの大祓は14時からということで、私が行ったときにはまだ茅の輪を潜ることはできませんでした。

Img_2287c  赤須賀神明神社で茅の輪くぐりができたら、今日は桑名宗社はパスしてもよいと思っていたのですが、これではいけません。Img_2273c この半年の間、知らず知らずに身についた、罪や穢れ、災厄が多々ありそうな気がしますので、桑名宗社へ。いや、安心しました。昨日まではなかったのですが、茅の輪が設けられ、くぐれるようになっていました。

Img_2283c_20190630124701  「水無月の夏越の祓ひする人は 千歳<ちとせ>の命 延ぶといふなり」と唱えながら、8の字を書くように、左、右、左とくぐって来ました。茅の輪くぐりの初穂料は納めなかったのですが、桑名神社、中臣神社ともにお参りし、お賽銭をいつも以上に納めてきました。これにて、今年も無事に夏越しの大祓を済ませることができました(たぶん)。

Img_2061c  野鳥はいませんが、揖斐・長良川の中洲にダイサギらしき姿がありました。今日はスズメやImg_2226c ムクドリも少なく、九華公園ではカワウが数羽いたくらい。たまにはカワウ山の写真でも(苦笑)。

Img_2064c  午後からはさらに天気が荒れるという予報ですから、蟄居。明日は、午後から、市民大学講座の3回目の予定。写真は、住吉神社前に来たアオスジアゲハ。

2019年6月29日 (土)

峰崎部屋の朝稽古は気合いが入ってきています

Img_2052c  週末から週明けにかけて、局地的に雷や大雨が予想されるということです。我が家あたりも、雷注意報が出ていますし、明日から月曜にかけては大雨警報が出る可能性があるようです。今日も朝から蒸し暑くなっています。曇ってはいるものの、時折晴れ間もあります。プチ遠征して、鳥やチョウトンボ、蓮の花などを見たい気もするのですが、出先で雨に降られるのもイヤですので、いつも通り散歩へ。8時15分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、春日神社、京町、寺町と回って、5.4㎞。けっこう汗も掻き、「歩いたぞ!」と思えます(笑)。

Img_1893c  九華公園の相撲場では、峰崎部屋の朝稽古。今日も、峰崎親方と力士8名。週末ということもあってか、ギャラリーはいつものImg_1942c 倍以上。名古屋から電車で来たという高齢の女性からも声をかけられました(宿舎はどこ? など尋ねられました)。昨日もそうでしたが、雨が降りそうな日は、超望遠コンデジしか持って出ません(いつもは、デジイチと2台持って散歩しています)。相撲の朝稽古だけで200以上撮って来たのですが、「これは!」という写真はほとんどゼロ(苦笑)。曇天で、テントの下ですので、写真も暗くなりがちですし、ピントが甘いのです。

Img_1971c  稽古もだんだんと気合いが入ってきている感じがします。親方は朝一番(6時にスタートするようです)はいらっしゃらないよImg_2013c うで、親方不在の間は「だらけている」と評する人もありますが、私が見に行く8時過ぎや8時半頃には、ギャラリーも多く、かなり真剣です。若い衆は相変わらず転がされていて、泥だらけ。倒れ込んで荒い息づかいをしていても引き起こされて稽古へ戻されます。気の毒な感じもしますが、何ごとも基本を大切にして、精進しなければならないと思います。

Img_1996c-2  相撲を見ながら、鎮国守国神社の大奥様に久しぶりにお目にかかったり、同じマンションの方や散歩友達に出遭ったりし、ギImg_2010c ャラリーにとっては社交場という雰囲気もあります。今日は、ハイキングにもご一緒する畏友Mさんにも会い、話をしながら、稽古が終わる9時半まで見ていました。

Img_2020c  さて、鳥は相変わらずいませんが、久しぶりに揖斐川・三の丸水門のところでヒバリ2羽を見かけました。揚げ雲雀も披露しImg_2041c てくれたのですが、超望遠コンデジではうまく撮れません。他では、スズメ、ムクドリくらい。写真は、鎮国守国神社の境内の水たまりで水浴びをしていたスズメ。右は、春日神社に行く途中、宮通のお宅で見つけたツバメの巣。たまにしか通らないところですので、今まで気づかず。4~5羽のヒナがいました。

Img_2045c  他のツバメの巣も、久しぶりに巡回してきました。この写真は、京町の呉服屋さんの巣。3つあるうちのもっとも奥(南)にある巣です。ここでは2回目の営巣(ただし、同じ親かどうかは判別不能)。京町のお宅、吉津屋町、博物館などの巣は空っぽでした。寺町から田町に回ろうとしたものの、小雨が降ってきて、そのまま帰宅してしまい、田町のあたりは未確認。ちなみに、昨日、内科受診に出かけましたが、そこにも巣があり、2回目の抱卵中でした(主治医&畏友のS氏に確認)。

Img_1808c  花菖蒲もアジサイもほぼ終わり、ユリの花や、クチナシの花(左の写真)が目立っています。クチナシは、柿安コミュニティImg_2049c パークの歩道沿いに植えられています。甘い香りが漂っています。花をアップで撮って来るのですが、小さい、黒い虫が集っていることが多くて、使えない写真がたくさんあります。寺町近くのお宅にあるノウゼンカズラは、真っ盛りという感じ。明日予定していた研究会は、荒天が予想されるため、延期を決定しました。近鉄ハイキングが津であります(7/4 津新町駅開業88周年記念ハイキング 津のまん中ウォーク 七夕飾りと江姫・高虎さんゆかりの地ウォーク)。コースに含まれている四天王寺は行ったことがないのですが、この天候では無理でしょうねぇ。

2019年6月28日 (金)

台風は無事通過、鳥も散歩友達も少なし

Img_2070c  「令和初の台風」と騒がれましたが(マスコミは、騒ぐのが仕事と最近思っています)、昨日の夕方から22時頃まではそれなりに降ったものの、その後は大した雨にはなりませんでした。午前中、曇天でしたが、昨日、散歩に行けませんでしたので、出かけてきました。午後からは晴れてきましたが、それはまぁ、結果論(笑)。8時20分出発で出かけ、住吉神社から九華公園に行った頃から、小雨に降られました(苦笑)。そのまままた、春日神社から田町を通って帰宅。4.2㎞。モヤモヤは解消しておりませんが、やむを得ません。冒頭の写真は、多度山方面の夕景。

Img_1682c  鳥もいませんし、こんな天候ですから散歩友達もほとんど歩いていません。九華公園の相撲場では、峰崎部屋のお相撲さんたちImg_1692c が朝稽古。今朝は、峰崎親方と8人の力士。荒鷲関と、花籠親方の姿はありません。峰崎部屋には荒鷲関以下11名の力士がいるはずですが、どこかへ出稽古でしょうか。稽古は、今日も地道にぶつかり稽古が行われていました。当たった時に押せなかった場合は、首を押さえられながらすり足をさせられます(右の写真)。

Img_1684c  若い力士は、相変わらず今日も、土俵に転がされています。基本をたたき込み、体を作るのには必要かつ重要な稽古なのだと思Img_1744c いますが、相当キツそうです。私などは、相撲取りになるような根性はとてもありません(苦笑)。左は、すり足をさせられたあと、転がされたシーン。

Img_1722c  今日は雨の後というか、雨模様ですから、転がされると、背中も、お尻も泥だらけ。朝稽古見Img_1741c 物のファンは10名ほど。皆さん熱心です。

Img_1764c  さて、散歩コースで鳥は、スズメ、ムクドリくらいで、わずかにカラスやカワラヒワがいるだけでしたが、九華公園にはカルImg_1767c ガモのペアがいました。普段でしたら、あまり見向きもしませんが、ちょっと救われた気がします(笑)。以前からいた1羽のカルガモは、この頃、時々しか姿を見かけません。草刈りなどをしてくださるシルバー人材センターの方が「アーちゃん」と名づけてかわいがっておられるのですが、「最近、アーちゃんを見ない。センセイ、どこにいるんじゃ?」と聞かれます。

Img_1783c  桑名宗社(春日神社)。先日も来ましたが、6月30日に夏越しの大祓がありますので、そろそろ茅の輪が設けられているかと思ったのですImg_1785c が、今日もまだでした。例年ならすでに茅の輪があるのですが……。週末は大雨という予報もありますし、6月30日は出かけなくてはなりません。

Img_1757c  午後は、定例の内科受診。2ヶ月に1回。空いていて早くに終えられました。持病はあるものの、今のところはとくに問題なし。この状況を続けられるよう気をつけねばなりません。

2019年6月27日 (木)

熱帯低気圧接近中……メダカの赤ちゃん誕生

190627tenkizu  梅雨前線が本州にかかる中、台風にはまだなっていない熱帯低気圧が近づき、梅雨らしい天候の1日です。明日の未明には、こ190627amagumo の熱帯低気圧は台風になるという予報があるそうです。我が家あたり、これまでのところ、午前中はさほど降らず、午後からそれなりに降ったという感じで、17時頃は雨雲の切れ間に入っています。画像は、気象庁のサイトからお借りしました。

Img_1635c_20190627171001  こんな風ですから、散歩には出られません。午前中は、散髪に行ったあと、エディオンと三洋190627kuwanaamedas 堂書店に寄って帰宅。午後は、まずは、連名になっている学会発表の抄録について査読結果が返ってきたのをチェック。その後、先日の相談会で相談した方のフォローアップ作業。学校への報告を書いて欲しいと依頼されたのです。学校の先生方がどれくらい知能検査のことをご存じか、判断が難しいところがあり、あれこれ考えながら取り敢えず、第1稿を仕上げ、現在「寝かせて」あります。時間をおいて、印刷したものを読み直して修正するわけですが、「寝かせておく」ことで、アタマの中でも「熟成」が進むかも知れないことも期待しています(微笑)。

Img_1645c_20190627171001  さて、4年前からメダカを飼っていることはたまに書いています。今年は、世代交代時期なのか、病気のためなのかよく分からImg_1624c ないのですが、ここ1ヶ月くらいで激減していました。卵も産んではいたものの、増えすぎると困るなと思ってあまり積極的に別の容器に移し替えないでいました。メダカが減った分だけ、容器を減らし、水草だけをそれ専用の容器に入れておいていました。夕方、その水草容器を見たら、針の先ほどの大きさのメダカが数匹泳いでいるのを発見(あまりよく分かりませんが、右の写真)。ちょっと安心しました。手間はかかりますが、いないと淋しいなと思っていたのです。

Img_1655c  こちらは、先日ゲットした熱帯スイレン(6月5日:江戸橋での仕事は試験を除くと、折り返し点……メダカの睡蓮鉢に熱帯スイレンを導入しました)。次々と花が咲くと期待していたのに、2輪咲いたあとは、全然です(苦笑)。葉っぱだけはドンドンDscn1137c と出てきています。「メダカ専用 猛暑対策」なるキャッチコピーが付いていたのですが、それはこういうこと? とちょっと納得がいかないでいます(笑)。

2019年6月26日 (水)

江戸橋での仕事も2/3を終えました

Dscn1238c  水曜日、江戸橋での仕事の日。朝出がけに同じマンションの方に出会ったら、「今日は、写真はもう終わったの?」と尋ねられました。「今日はこれから、週1回の仕事。超パートタイマー」と答えたら、大ウケ(苦笑)。冗談はともかく、今日で10回目を迎えました。全15回ですから、どうにか2/3を終えたことになります。今回は、これまでの講義、DVD視聴学習をベースに「傾聴の演習」。3人一組で、傾聴や、理解的態度について演習を行い、その結果で来週レポートを提出という運び。演習そのものでは、学生たち、最初は緊張気味でしたが、次第に盛り上がっていました(?)。来週のレポートが楽しみ。天気はお陰様で8連勝中。しかし、7月に入ると、梅雨らしくなるという予報もありますから、楽観は禁物。

Dscn1245c  ところで、この非常勤先でのツバメの巣。今日は、非常勤講師控え室前の巣を見てきました。2つあるうち、西側の巣に親ツバメが就いていました。抱卵中と思われます。先々週くらいからいるようですから、そのうち雛が孵ると期待しています。

2019年6月25日 (火)

今日の散歩は、口の運動(笑)……峰崎部屋の朝稽古風景と御年95歳のウォーキングの話し

Img_1617c  今日も29℃。昨日と違い、湿度は高くないものの、日当たりにいるとけっこう暑い。暑さを避けるのと、峰崎部屋の朝稽古が今日から始まるはずですので、見逃してはならじといつもよりかなり早く、7時45分に散歩をスタート(微笑)。住吉神社から九華公園へ。ほぼ1㎞ですので、8時に到着。散歩友達によれば、稽古は、朝6時からラジオ体操で始まるそうです(この散歩友達の方、九華公園近くにお住まいで、今朝6時に一度散歩がてら見に来たということでした)。

Img_1476c_20190625170601  さて、8時頃到着。10人あまりの見物人。峰崎部屋のホームページによれば、お相撲さんは11名。行司さんが3名、呼び出し2Img_1486c 名、床山1名に峰崎親方、部屋付きの花籠親方がいらっしゃいます。最上位は、十両西10枚目の荒鷲関(右の写真)。最高位は、幕内8枚目。モンゴル出身、昭和61年(1986)年8月生まれですから、満32歳。番付はこちらにあります。

Img_1590c  30分ほど見学して、写真を撮ってきたのですが、なかなか難しい。去年から進歩したとは到底思えない写真を量産してきましたImg_2004c (爆)。相撲場の土俵の周りには、東、北、南に運動会などで使うテントが、合計3張りあります。南側のテントには、親方が陣取っておられます。写真を撮るのはまったく構わないようで、制限はされません。カメラを持った方もたくさん。仕切り線は東西にありますので、どのポジションから撮るかが、まずは、難しい。お尻や背中という写真を今日もたくさん撮ってしまいました(笑)。

Img_1953c  豪快な投げのシーンを撮りたいという気持ちになるのですが、稽古ではそういうシーンはほとんどありません。「ぶつかり稽古」がほとんどです。上のパラグラフの2枚の写真は、そのぶつかり稽古のシーン。ぶつかり稽古は、相撲の基本的な練習の方法だそうです。押し手と受け手の練習がねらいで,攻手 (せめて) と稽古台とを決めて行ないます。攻め手は押す力、出足をつけて当り、倒れる際に受け身の稽古をします。攻め手が当たった時に押せなかった場合には、首を押さえられながらすり足をさせられ、転がされます。受け手はぶつかる側より、やや力の強い力士が行っています。番付が下の方のお相撲さんを見ていると、腰が安定しなかったり、手をついたりして親方から注意を受けています。受け手をする力士は、腰が安定していて、体がぶれないようです(これは、素人目で見た感想故、間違っているかも)。

Img_1996c  ぶつかり稽古の最後に、攻め手が転がされるシーンを何枚か撮ったものの、ピントが甘かったり、写真が暗かったりして、思Img_1981c うようには行かないものです(苦笑)。まだまだ修行と工夫が足りません。明日は、江戸橋での仕事ですから、明後日以降、名古屋場所が終わるまでには少しは上達したいものです。左の写真、奥に写っているのが花籠親方。

Img_1968c_20190625173501  土俵でぶつかり稽古をするのは1組だけですので、他の力士は、それぞれ四股を踏んだり、股割をしたり、鉄Img_1992c 砲をしたり(左の写真)しています。力士をテレビだけで見ていると「単に太っている人」と思っていらっしゃるかも知れませんが、入門したての力士を覗けば、皆かなりの筋肉質です。荒鷲関など、艶も張りもある上に筋骨隆々です。地道な稽古の成果だと思います。右は、峰崎親方(もと三杉磯、最高位は前頭2枚目、幕の内在位は、昭和52(1977)年11月場所~昭和62(1987)年9月場所)。

Img_1606c  ところで、今日のタイトルは「今日の散歩は、口の運動」としました。九華公園には8時から3時間も滞在しImg_1472c_20190625170601 ていましたが、最初の30分は朝稽古の見学。その後、公園の管理人さんK氏、掃除のおばちゃんMさん、散歩友達W・Ym・Ak・Yg・As・S各氏(ご夫婦もあり)、もと管理人O氏と話したり、鳥のことを聞かれたり。公園内を半周したところで、ずーっとほぼ立ち止まって、口の運動(頭も多少は動いていますが……)に専念していました(爆)。11時になって、「これはいかん」と、公園外周を回って、ショートカットして田町から帰ってきました。4.4㎞しか歩いていません。右の写真は、柿安コミュニティパークにあるクチナシの花。これをみると、どうも渡哲也の「くちなしの花」の歌がアタマの中を巡り始めます。

Img_1465c_20190625170601  すごいオマケの話。散歩で知り合った、六華苑近くにお住まいの方。ここ2ヶ月ほどお目にかからず心配していたのですが、今日は住吉神社の前で遭遇。お話を伺って、ほとんどひっくり返りました。80代とお見受けしていたのですが、何と!御年95歳だそうです。2ヶ月ほど前までは、毎朝往復2㎞を歩いて、柿安コミュニティパークへ。そこで体操をしていらっしゃいました。「最近、それだけ歩くと、1日中疲れが取れないので、半分にした」とおっしゃいます。さらに驚いたことに、「若い頃は、伊勢大橋を渡って、中堤から長良川河口堰の管理橋を渡って、アクアプラザまで往復していた」とおっしゃるのです。これだけ歩くと優に5㎞以上あります。その上もう一度ひっくり返ってしまったのですが、この若い頃というのが、「90歳くらいの頃だ」と。開いた口がふさがらないとは、このこと。大正13(1924)年のお生まれですので、私の亡くなったオヤジより1歳年上。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生きていらっしゃっています。心身とも矍鑠としていらっしゃいます。見倣おうにもとても足下にも及びそうもない私は、ただただ頭が下がるばかり。口の運動ばかりしていてはいけません(苦笑)。

2019年6月24日 (月)

ヤバい公園を巡って(笑)……鳥取神社のイヌナシも見てきました

Img_1335c_20190624152901  最高気温は31.3℃。朝は雲も多めでしたが、その後は青空に白い雲。まるで夏の空。梅雨はいったいどこに行ったのか?と思うほど。鎮国守国神社に宿舎をとっている大相撲峰崎部屋、今日は九華公園相撲場で土俵を清める神事のはず。そちらも気になったのですが、ブロ友さんのブログを見ているとそろそろ行かねばと思うところがありました。それ故、今日は、プチ遠征。ただし、主たる目的はバードウォッチングではありません。ちょっとアブナイところかも(笑)。

Img_1388c_20190624152901  まずやって来たのは、こちら。「サル出没注意」の看板があるところ。ここ2~3年、梅雨から梅雨明け頃通っていますが、未だImg_1341v サルに遭遇したことはありません。秋から冬の方がよく出るのではないかと思います。ここは、東員町にある万助溜公園。そうなのです、そろそろ蓮が咲き始め、チョウトンボも出て来たということで、そろそろ行かねばと思っていたのです。

Img_1909c  9時頃到着。右上の写真は、上溜。ここに東屋があり、蓮田になっています。このあたりなどにチョウトンボがいるのです。今Img_1921c 日もここに到着した早々、1羽が飛んでいたのですが、すぐに見失いました。上溜の周りや、木道を歩いて、蓮や、睡蓮を撮影しながらチョウトンボを探すものの、なかなか見つけられず。30分近く経った頃、もう1羽が登場したのですが、これもすぐにどこかに消えました。溜池の南側の高くなっているところから探したら、葦の間に2羽いるのをようやく見つけました。今日は、これでやむを得ず。他日を期すことにします。

Img_1786c  蓮は、3枚目の写真にあるように、まだ咲き始めたところ。チョウトンボや他のトンボも見ながら、上溜あたりを回って、あImg_1796c れこれと撮って来ました。

Img_1823c  すでに花びら(?)がかなり開いてしまったものもありますが、それはそれで楽しめます。Img_1840c まだまだこれからたくさん蓮が咲きますし、チョウトンボもきちんと見たいので、また何度か出かけることにします。

Img_1922c  ここは大きな鯉も何匹もいますし、こちらのカメさんもImg_1816c いました。ニホンイシガメのように思います。ミドリガメは見あたり ません。貴重なカメです。万助溜公園には1時間ほど滞在。

Img_1396c  次いで、こちらへ。もっとヤバい看板があり、ビビります(笑)。イラストまで入れなくてもよいのにという気もしますが、Img_1397c_20190624152901 この方がアピールするんでしょうね。こころんさんのブログによれば(紫陽花めぐり)、実際に噛まれた人もいるとか。とくに池の方(下)へ降りていくとアブナイということで、今日は降りるのはやめておきました。アジサイにはちょっと遅いかなと思ってきたのですが、やはり遅かったようです。去年は、6月11日に来ていますが、そのときはアジサイは見事でした(東員町の中部公園と万助溜公園へ……アジサイを楽しみ、チョウトンボをチラッと見る)。ここはカワセミが姿を見せたり、去年はチョウトンボをチラッと見ました。今日もそれを期待したものの、どちらも見られず。もう少し早い時間に来ないとカワセミはいないかも。そのため、今日は水景苑の池の周りを一周してオシマイ。中部公園で10時40分。まだ早いので、近くの行きたかったところを確認することにしました。

Img_1406c  それは、こちら。鳥取神社。この境内にイヌナシがあるのです。由緒は不詳ですが、延喜式内社という石柱がありました。天Img_1412c 正の兵火で現地へ遷り、江戸時代は「諏訪社」と称していたといいますが、鳥取神社と称された経緯は不明。員弁川の西、笠間小学校の北、集落の中、2つの小川が合流する地点にあり、古くは川中島といわれた地です。明治5(1872)年に村社。

Img_1415c_20190624153001  御祭神は、天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと;鳥取造(ととりのみやつこ)の祖。垂仁天皇23年、皇子の誉津別命(ほむつわけのみこと)は30歳になっても口をきかなかったが、クグイ(白鳥)が飛ぶのを見てはじめて話すことができた。天湯河板挙は天皇の命でその鳥を捕らえて献上し、その功により氏姓をさずかり、鳥取造と称したといいます)。相殿神は、天照大御神、大山祇Img_1417c_20190624153001 神、市寸島姫命、宇迦之御魂命、大国主命、火産霊神、建御名方命。

Img_1439c  拝殿に向かって右(北)にイヌナシの木があります。イヌナシの木は、日本では愛知・三重・岐阜のみに生Img_1442c 息する野生ナシで、植物学上希少な種とされています。この近くではここの他、多度や東阿倉川に群生地があります。この木は、平成6(1994)年に生育が確認され、学術的に価値の高いものとして町指定天然記念物となっています。本当は、4月に咲くという白い花を見たいと思っていました。神社の前にある藤川堤防には桜並木もありますから、また来年。ちなみに、イヌナシは、マメナシといわれる野生のナシの中では原始的な種だそうです。

2019年6月23日 (日)

九華公園でわんぱく相撲大会

Img_1330c_20190623171001  昨日の近鉄ハイキングは、さすがに疲れました(笑)。勝手に期待を高めすぎましたので、自業自得という面もあります。今日は、控えめに、いつものように散歩であります。暑いとイヤなので、8時スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、春日神社、京町、田町と5.7㎞。あちこちで知人、散歩友達(少しずつ増えたりしていますが、私より高齢の方ばかり)などにお目にかかり、しゃべってきています。アガパンサスは、田町交差点近くの眼科医院の前にて。

Img_1259c  さて、今日は、九華公園相撲場で「わんぱく相撲大会」が開かれていました。先日、峰崎部屋のお相撲さんにImg_1260c 聞いていましたので、まずはこれを観ようという次第。桑名大相撲愛好会が主催し、峰崎部屋と市教育委員会が後援、桑名三重信用金庫が協賛。8時40分頃九華公園の北門についたときには、すでに大賑わい。しかも、付添の親や祖父母の数が子どもたちの数をはるかに凌駕。

Img_1295c  十両・荒鷲関も来ていましたが、峰崎親方の姿はありませんでした。峰崎部屋のお相撲さんが行司役。9時頃から取り組み開Img_1272c 始。相撲場の土俵は、まずは小学校1年生の部から。といっても、親御さんや、祖父母の方の方が熱が入っている感じでした(微笑)。男の子たちは、上半身は裸、短パンの上に着脱式の、ベルトのようなまわしを着けています。

Img_1289c  女の子たちは、やはり土俵には上がれないのか、相撲場脇に土俵の円形、仕切り線を描いたマットを敷いて、その上で相撲に取り組んでいました。わんぱく相撲大会のあとは、ちゃんこ鍋のふるまいがありますが、これはあらかじめ申し込んでおかないといけないようでした。

Img_1317c  春日神社にも行ってきたのですが、いつも6月30日に夏越しの大祓があり、茅の輪くぐりが催されます。今年もそろそろ茅のImg_1319c 輪がしつらえられているかと思ったのですが、まだでした。去年は行かなかったようで、一昨年の記事がありました(2017年6月27日:船頭平河川公園で蓮の花……コアジサシの営巣地は営業終了、治水神社でアオサギコロニーそして、春日神社で茅の輪くぐり)。鎮国守国神社の茅の輪くぐり、毎年7月20日で、今年も同様だそうです(2018年7月20日:土用の丑の日……鎮国守国神社では茅の輪くぐり)。

Img_1763c  野鳥は、スズメ、ムクドリ、カラスくらい。九華公園には先日、巣立ったツバメのヒナが親に連れられてきていましたが、今日はいません。基礎訓練が終わって、次の段階に進んだのかも知れません。このところ、散歩コースでは、再びスズメの幼鳥が目立ちます。左の写真は、九華公園の吉之丸堀の上空を通る電線。ほとんどが、黄色い嘴のスズメの幼鳥。Wikipediaの説明では、「1年に2回程度繁殖すると考えられている」とあります。

 ツバメの巣チェック。左右の2枚は、京町のImg_1322c 呉服屋さんの巣。ヒナは3羽いるように見えます。ちょうど親ツバメがエサを運Img_1774c_20190623171001 んで来て与えたところでした。右の写真、向かって右のヒナ(まだ目も開いていないようです)が、トンボをもらっています。トンボの翅と尾が一部見えています。写真をクリックすると拡大しますので、苦手な方はご注意ください。

Img_1331c  田町の商店にあるツバメの巣。親が巣に就いていますし、近くにもう1羽、親ツバメがいました。京町の呉服屋さんも、ここも営巣は2回目ですが、いずれも複数ある巣のうち、別の巣を使っています。「二番仔」と呼んでよいものかどうか、分かりません。

2019年6月22日 (土)

20190622近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」……昨年のリベンジなるか?(完)

 朝方、9時頃まで小雨が降っていました。雨雲レーダーを見ていると雨雲は北へ向かい、じきに止みそうでしたので、予定通り、近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」に行ってきました。今日の受付・集合は、近鉄名古屋線・北楠駅。9時半から10時半でしたので、「慌てていかなくてもいいや」と思い、雨が止んだ9時過ぎに出かけ、桑名駅を9時29分に出る普通電車・津新町行きに乗車。北楠駅には10時9分の到着。¥400。桑名駅では、散歩友達のOさんと遭遇。四日市へいらっしゃるということで、四日市までご一緒。

Img_1054c  北楠駅。去年も同じコースのハイキングに参加しています(2018年5月19日:近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」へ……楠中央緑地公園、吉崎海岸でハマヒルガオそして御園神社(完))。このとき、ハマヒルガオは少Img_1056c し咲いていたのですが、妄想していたほど「一面にハマヒルガオが咲いている」光景ではありませんでした。そこで、今回リベンジを図るべく、同じコースは承知の上、再度参加した次第。右は、今日のコースマップ。日時など以外は、去年とまったく同じであります(苦笑)。北楠駅から、楠中央緑地公園を経て吉崎海岸へ。ここでハマヒルガオを見て、鈴鹿川沿いを歩いて御薗神社に立ち寄って、名古屋線・塩浜駅がゴールです。近鉄ハイキングのサイトには、約9㎞とありますが、去年は8㎞でした。

190622kintetsuhikingkitakusu  こちらが実際に歩いたルートをトレースした実測ルートマップ。実際に歩いたのは、7.8㎞でした。立ち寄り先は3ヶ所しかありません。去年同様、ひたすら歩くことになります。北楠駅を10時15分にスタートして、まずは東へ向かいます。

Img_1064c  最初の立ち寄り先は、楠中央緑地公園。遠くにコンビナートを眺めながら、田園地帯を走る県道6号線を歩いて、1.2㎞。10時半に到着。75,500平方メートルという広い公園。水生植物園や、自然観察園などもあります。左の写真は、この公園のシンボルといってもよいかと思いますが、中洲の山。去年は登りましたが、今日は曇天でしたので、さほど眺めも利かないかと思い、パス。トイレ休憩のみ。

Img_1068c  ということでほとんど通過して、県道に戻り、海岸まで。2.4㎞地点。ここで左折し、北へ。堤防には、子どもたちが描いたImg_1078c と思われる絵があります。2.8㎞地点で右折し、磯津漁港を通ります。右の写真のように、吉崎海岸やハマヒルガオの案内板があります。「ウェルカメよっかいち」という駄洒落は、ちょっと戴けません(苦笑)。役所や、NHKなども駄洒落のようなネーミングをしたり、番組をつくったりしていますが、どうもなぁという気がしています。

Img_1081c  それはさておき、というか余談というか。磯津漁港で泳いでいる黒っぽい鳥。まさか今頃? と思ったのですが、やはりオオImg_1086c_20190622163801 バン。冬場は、こういうところにいても不思議はないのですが、どうしたのでしょう? さらに、このあたりから吉崎海岸付近の電柱、電線の上には何羽ものホオジロ。さえずっています。ハイキング参加者の中にも見上げていく方、多数。

Img_1089c_20190622163801  そして、とうとうやってきました。待望の吉崎海岸。去年のリベンジで、いよいよ「海岸一面に広がるハマヒルガオの花」という妄想が膨らみまImg_1097c_20190622163801 す(爆)。が、エッ?! あれ!? 目の前に広がるのは、右の写真のような光景。何かの間違いではないかという気がします。しかし、老眼のせいでも、近視のせいでもありません。これが、今日の現実(苦笑)。ハマヒルガオはまったく見当たりません。

Img_1095c_20190622163801  ハマヒルガオ見たさにここまで蒸し暑い中、頑張って3㎞半も歩いてきたのに、この仕打ちはいったい何? と大騒ぎはしまImg_1108c せんでしたが、どうも時期が遅かったようです。一通り見て回りましたが、ハマヒルガオは咲いていません。現地の説明板によれば、「見頃4月中旬~5月上旬」とか。去年来たのは5月19日で、ちょっと早かったかと持ったのですが……。こちらの観光協会のサイトでは、「5月中旬~6月中旬」とあります。自然のことですから、多少のズレはあるのでしょうが、統一してくれませんかねぇ(笑)。呆然としていたら、津市からいらしたという高齢の女性お二人連れから、「ねぇ、ハマヒルガオはどこ?」と尋ねられます。「咲いていませんね。遅かったのではないでしょうか」とお答えしたら、「エ~ッ、「潮風薫るハマヒルガオ」ってあったから来たのに、何? どういうこと?」とご立腹。まぁ私にいわれてもということですが……。さらに、「花がないのなら、葉っぱはどれ? 葉っぱだけでも見て帰りたい」と。残念ながらヒルガオらしき葉っぱも見当たりません。

Img_1119c  こちらの白い花はあちこちに咲いていました。また、ハマボウフウの花が咲いたあとも見られましたが、肝心要のハマヒルガオはどこにも見当たりません。そういえば、去年は、堤防道路や、漁港脇のあちこちにハマヒルガオが咲いていたのに、今日は、まったく見られませんでした。それに、吉崎海岸から戻ってくるハイキング参加者の皆さん、なんだか元気がなかったのは、ハマヒルガオがなくてガックリしておられたということなのでしょう。花を見に行くというのは、時期というか、タイミングというか、難しい。他力本願ではなく、本当に見たければ、自分で調べて、自分で行かないといけません。

Img_1145c  吉崎海岸に来た頃から、晴れてきて、空には白い雲。見ているだけでいかにも暑そう。湿度も高く、蒸し暑くなってきましImg_1157c_20190622163801 た。リベンジは失敗に終わり、何だか疲れましたが、これから磯津、塩浜の工場地帯を歩いて、塩浜駅を目指さなければなりません。まずは、磯津にある工場の間の坂道を登って磯津大橋へ。こういうダラダラの坂、けっこうキツいのです(苦笑)。

Img_1159c_20190622163801  スタートから5.6㎞で磯津大橋、鈴鹿川にかかっています(11時37分)。橋の向こうが塩浜。四日市コンビナートになります。昭和35(1960)年から稼働しましたが、その直後から、住民の方たちは騒音やばい煙、振動、悪臭に悩まされました。当時は、エネルギーのほとんどが硫黄分の多い中東原油であったため亜硫酸ガスがたくさん排出され、住民にぜんそく患者が多く見られることとなり、これが「四日市ぜんそく」と呼ばれました。

Img_1168c  鈴鹿川を渡って、左岸を上流方向へ。ここは、バードウォッチングスポット。あちこちでホオジロのオスがさえずっていますImg_1171c し、ダイサギも4羽ほど。他にもウグイスの鳴き声や、カワラヒワ、カルガモ、カワウなど、いささかの楽しみもありました。バードウォッチングを趣味にしていなければ、こういうところを歩くのは耐えられなかったかも知れません(苦笑)。

Img_1176c_20190622163801  スタートから6.9㎞、11時55分に小倉橋を右折し、北へ。塩浜街道(ここも県道6号線)に入ります。ここImg_1189c まで来れば、ゴールの塩浜駅も遠くはありません。7.5㎞地点の御園町一丁目の信号の交差点で左折し、御薗神社に向かいます。

Img_1201c 御薗神社の手前の交差点の南東の角で、道標を見つけました。去年は見逃しています。これは今年の斬発見(大袈裟な……笑)。四日市あたりにたくさんある「服部泰次郎Img_1202c_20190622163801 の道標」の1つでした。北面には「左七津屋」、南面には「右七津屋」とあります。大正8 (1919)年、三重郡小杉村の服部泰次郎が建てています。七津屋は、戦前、ここから東へ400mほどにありました(現在は昭和四日市石油㈱四日市精油所の敷地)。昭和10年代半ばまで、ここ塩浜は田んぼに囲まれた農村でした。桑名から四日市を経て、白子へと続く「浜街道(参宮下街道)」、塩浜本町の南から西へ斜行して大里・河原田へ向かう「河原田道」、御薗神社前を東へ、七津屋を通って高旭・浜旭町から磯津へ通じる「磯津道」などが通っていました。この道標が立つのは、浜街道と磯津道の四つ辻です。七ツ屋は、昭和13(1938)年に用地買収が始まった海軍第二燃料廠の進出に伴い、旭地区と共に立ち退きを余儀なくされています(こちら)。

 服部泰次郎は、安政元(1854)年、三重郡小杉村(現在は四日市市)に生まれました。10代半ばから半農半商の父親を手伝い、小間物や雑貨を天秤棒で担いで行商に歩き、29歳の頃には米穀商を手がけます。近郊で買い集めた米を四日市港から横浜へ船積みして伊勢米の販路を拡大しました。日清・日露戦争の際には軍用米の扱い業者となり、その後、アメリカへの米の輸出を行うなど県下屈指の米穀商となっています。大正8年(1919)年3月、行商をしていた頃の道がわからなくて苦労をした経験から、道標建立を三重郡役所に申し出ます。泰次郎は、道標の建立がだいたい出来上がった大正9 (1920)年2月に永眠。享年67。泰次郎の道慓は、集落の辻に立てられ、その多くは隣の集落への道筋を示し、ほとんどが地名を刻んでいます。集落に住む人々が日常通っている間道を、遠来の人に教えることを目的としたものと考えられています。

Img_1208c_20190622163801  最終の立ち寄り先は、御薗神社。去年も来ています。スタートからは7.7㎞、時刻は12時10分。創祀年代は不明ですが、もともと神宮の御園として御贄塩を納めていImg_1219c_20190622163801 て、塩田の守護、住民の繁栄祈願のため外宮の御薗を社名に冠して創祀したと考えられています。主祭神は、天照大御神。忠魂碑1基、神武天皇遙拝所があります。詳細は、去年の記事をご覧いただければ幸いです。

Img_1222c  今日のハイキングは、かなり速いペースで歩いてきましたが、蒸し暑くてさすがにお疲れ。ゴールの塩浜駅は100m先なのですが、ここで昼食&休憩としました。例によって駅ナカファミマの幕の内弁当(税込み¥398)。値段からしてまぁこういうものでしょう(笑)。ただ、ご飯がもう少し美味しいとありがたいと思います(温めれば違うのかも知れません)。ここで、吉崎海岸で出遭った、津の高齢女性お二人と再会。「あれからガッカリして、足取りがすっかり重くなって、今日は一段と疲れた」とぼやいておられます。同感。30分ほど休んで、ようやく重い腰を上げます。

Img_1231c  ゴールの塩浜駅。神社を出てすぐ(100mもありません)。12時40分着。すぐに名古屋行き急行がありましたので(12時46分)、それに乗車。乗ってからよく考えたら、いつも江戸橋に仕事に行った帰りに乗るのと同じ時刻の急行でした(江戸橋を12時20分に出ます)。桑名駅には、13時4分着。¥350。

Img_1245c_20190622163801  本日のALKOOのデータは、左の写真の通り。歩数は、16,367歩。歩いた距離は、キョリ測ではハイキングで7.8㎞(+Img_1246c α)、桑名駅往復が1.8㎞ですから、合計9.6㎞。この歩数は妥当と思われます。あみま倶楽部のスタンプは、21個目をゲット。去年が1年でこれくらいでしたから、今年は相当頑張っています(笑)。今日は、蒸し暑くてかなり汗も掻き、疲れました(苦笑)。ハマヒルガオに期待が大きかっただけに、落胆も大きく、それも影響しています。近鉄ハイキングは(JRさわやかウォーキングも)、7~8月は休み。今月中まだ企画はありますが、予定その他で参加できませんので、夏前は今回で区切り。

2019年6月21日 (金)

鎮国守国神社に大相撲峰崎部屋のお相撲さん登場

Img_1043c  午前中はそれなりに晴れていましたが、午後は雲が多い空になっています。気温は28℃台でしたが、今日も蒸し暑い感じ。若干迷いましたが、いつもの散歩コースを5.8㎞。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、田町です。迷ったというのは明日のことを考えて。明日は、近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」が、近鉄名古屋線・北楠駅から塩浜駅であるのですが、天気がよく分からないのです。よく分からないというのは、テレビ局によって予報が異なるからです。時々雨が降るというところと、晴れというところとあるのです。雨が確実なら、今日、ハマヒルガオを見に行ってこようかと思ったりしたのです。結局、明日のことは明日として、いつも通りの散歩。

Img_0977c  九華公園というか、鎮国守国神社には、大相撲名古屋場所(7/7~21、ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館))に備えて、峰崎部屋のお相撲さんがやって来ます。神社を宿舎に、公Img_0982c 園の相撲場で朝稽古をするのです。一昨日はまだありませんでしたが、今朝は、幟が何本も公園の北口に立っていました。相撲場の土俵も整備されており、稽古の準備は万端という感じ。先発隊の幕下のお相撲さんがいて、話を伺ったら、日曜(6/23)にちびっこ相撲を行い、稽古は、火曜(6/25)からだということでした。峰崎部屋の朝稽古もすっかり桑名のこの時期の風物詩になっています。十両の荒鷲関、5月場所では東12枚目でした。成績は8勝7敗。十両に留まっているはず。

 

Img_1697c  相変わらずというか、いうまでもなくというか、鳥はおりません。ハクセキレイは、柿安コミュニティパークにいました。若いImg_1702c ように見えます。九華公園の吉之丸堀、一昨日、一昨昨日とツバメの巣立ったヒナが訓練にやって来ていました。今日もいたのですが、親ツバメはあまりやって来ません。「独り立ちしなさい」ということかも知れません。このツバメを見られるポイントの辰巳櫓跡近くでシルバー人材センターの方の掃除が始まりましたので、やむなく撤退。このあと、公園の外周遊歩道でメジロ1羽を見たものの、写真には撮れませんでした。

Img_1720c  京町からは、例によってツバメの巣の巡回。左は、京町のお宅の巣。ここは、一度巣立ったのですが、その直後から、親ツバメが1羽巣に就いています。二番仔にしては早すぎます。別の親ツバメが来ているのでしょうか? 聞いても教えてはくれません。このあと、吉津屋町にあるお宅の巣を見たのですが、巣立ってしまっていました。

Img_1734c  京町の呉服屋さんの巣。3つあるうち、奥の巣(前回巣立ったのは、手前の巣)に先日から親ツバメがいました。親が巣を離Img_1727c れたときに撮った写真にヒナらしき姿が映っていました。肉眼では分かりませんでした。これは、卵から孵って早々という感じがします。

Img_1752c  こちらは田町の商店にある巣。ここも2ヶ所の巣があり、先だっては南側の巣から雛が巣立って行きました。その後から、北側の巣に親がいるようになっています。ということで、ツバメの巣チェックももうしばらくは続きそうです。

Img_1746c  さて、明日は、冒頭にも書きましたように、天気がよければ、近鉄ハイキングで四日市の吉崎海岸のハマヒルガオを見てこようと思っています。そうそう、来週火曜からは、峰崎部屋の朝稽古も始まります。これも見に行かなくては。ノウゼンカズラ、いよいよ元気に咲いています。

 

2019年6月20日 (木)

某所その1でコチドリが営巣中、M池公園ではカイツブリのヒナも元気……コアジサシはすっかりいなくなってしまいました

Img_0787c  最高気温は32℃を超え、蒸し暑い1日でした。水曜日の仕事が終わると、プチ遠征したくなります(微笑)。非常勤の前は、これでも少しは抑制しようという気持ちが働くようです(笑)。ということで、長良川河口堰、長島町内某所2ヶ所と、M池公園に行ってきました。河口堰には8時35分からほぼ1時間。その後、某所でコアジサシが戻って来ていないかを確認し、M池公園へ。M池公園には10時15分からほぼ1時間、カイツブリのヒナを見てきました。左の写真は、長良川河口堰にて。堰のゲートを上げ下ろしする機械室と、その向こうには長良川、伊勢大橋が見えています。

Img_1474c_20190620204601  長良川左岸(東側)には、堰の下流にダイサギが1羽いたものの、覗いてみるか見ないかのうちに逃げられました。いつもながら友好的ではありません(苦笑)。管理橋を渡る途中では、ハクセキレイが数羽。西側に渡って、魚道の下流にはアオサギが2羽、上流側にはダイサギとアオサギが1羽ずつ。いずれも、こちらが見るとすぐに逃げます。写真は、親水広場を回って戻って来たとき、閘門のところに来たダイサギとアオサギ。

Img_0807c  親水広場では、ハクセキレイと、コチドリ2羽。コチドリは、ペアのようで、離れていても鳴き交わしていました。先週来たとImg_0808c き、伊勢大橋の架け替え工事現場の盛土にいたペアではないかと思えます。今日も、一時、その工事現場の方に行ったりしていました。工事現場もよく見たのですが、巣があるかどうかまでは確認できませんでした。それにしても、コチドリの鳴き声の大きさ。体の大きさ(小ささ?)にはまったく似つかわしくなく、遠くまで響きます。

Img_1428c  親水広場を歩いているとき、初めて見る昆虫。チョウなのか、ガなのか、その時点では分かりませんでした。「ポケット図鑑 日本の昆虫1400 ①チョウ・バッタ・セミ(文一総合出版)」で調べてみると、ホタルガというガの仲間のようでした。リンク先の昆虫エクスプローラーには、「黒地に、1本の太い白帯が印象的なガ。頭部は赤く、触角が立派で、何となく悪魔っぽい雰囲気を持つ」とありますが、まさにその通り。

Img_0844c  河口堰、今日は、コアジサシの姿はまったく見られませんでした。子育て期間でしょうから、近くにいれば、餌を取りに来ないということは考えられません。若干の不安を持ちつつ、長島町内某所その1へ。先週(6月13日:M池公園でカイツブリのヒナと、カワセミ……コアジサシはいなくなってしまい、残念)、姿を消してしまっていましたが、今日もコアジサシの姿はありませんでした。もうここで営巣することは放棄したと考えざるを得ません。

Img_1498c  しかし、某所その1では、コチドリが3羽いました。そのうち1羽は、卵を抱いているのが確認できました。右の写真をご覧くImg_1502c ださい。トリミングしてありますが、卵も写っています。コアジサシは、一度に3~4個の卵を産むそうです(こちら)。抱卵期間は24~25日、生後24~29日ほどで飛べるようになるといいます。定期巡回スポットからは外せません。

Img_0847c  某所その2。ここにもコアジサシはいませんでした。その1同様、営巣は放棄されたと判断しなければなりません。残念でImg_0850c す。ここは、先々週見たときにはヒナもいたからです(6月6日:某所でコアジサシのヒナを確認)。代わりにはなりませんが、この場所の北の端にケリが1羽いました。ケリはこの1羽だけで、他にはいません。今年は、ケリの巣は長島町内でチラッとは見たものの、ヒナは見られないままで終わりそうで、とても残念です。

Img_0916c  そして、弥富市内のM池公園へ。この頃にはかなり気温も上がって、蒸し暑くなってきました。M池公園を一周すると、2㎞Img_1537c 以上あります。かなり汗を掻きました(笑)。カイツブリたちは元気でした。成鳥は、合計15羽を確認。営巣している巣は8ヶ所、空っぽの巣(発泡スチロールだけという状態)は1ヶ所。巣を作りかけというところが1ヶ所でした。ヒナは、4羽ないし5羽を確認。もう少しいるように思われますが、双眼鏡などを持っておらず、カメラの望遠で見ていますので、不確実なのです。

Img_0932c  中之島の南にある巣では、たぶん4羽のヒナがいます。ほぼ間違いはないと思います。中之島の南側の水辺にある遊歩道までImg_1633c 降りて、写真を撮りますが、それでもけっこう距離があり、4羽がハッキリと写ったところは撮れていませんでした(右の写真をよく見ていただくと、4羽いるのはお分かりいただけると思います)。

Img_0952c  あれこれ撮って見たものの、なかなか満足できる写真はありません(苦笑)。スキルが不足しているのと、Img_0871c タイミングが合わないためでしょう。う~んまた行かなくてはという気がしてきます(微笑)。他の巣の写真もあとでよく見たら、ヒナが写っていたものがありますが、これはもっと遠くて、逆光気味の位置でしか撮れず。ますます、もう一度行かなくてはと思ってしまいます。

Img_1551c  M池公園の西にある水田には、アオサギと、ゴイサギがいました。ゴイサギが昼間から、こういうところにいるのは珍しい気Img_0866c がします。アオサギは写真を撮ろうとしただけで、サッサと逃げます。左の写真は、遠くに逃げたあとのもの。ゴイサギはしばらくじっとしていましたが、耐えられず逃亡。1羽しか気づいていませんでしたが、2羽がいました。大型のサギの方がすぐに逃げる気がします。

Img_1556c  蓮田では、オオヨシキリが1羽。ただし、ちょっと証拠写真という感じ。蓮は、葉がかなり茂っては来ていましたが、花はまImg_0885c だまだ先という感じ。オオヨシキリは、このあと、もと花菖蒲園あたりでも3羽ほど見ました。公園の北の端では、モズの幼鳥が賑やかでした。

 コアジサシがいなくなってしまったのは残念ですが、まぁそれなりに成果はあったかと思います。

2019年6月19日 (水)

連勝中(微笑)

Dscn1222c  水曜日、江戸橋での非常勤の仕事の日であります。お陰様でというべきか、一部のご期待を裏切ってというべきか、10連休明けは、晴れが続いています。現在7連勝中です。調子に乗りすぎると墓穴を掘りかねませんが、勢いには乗りたいと思っています。お世話になっている助手の先生も、「センセイ、今年は去年と違って、絶好調ですね」とおっしゃっています(微笑)。今日で9回目。試験を除けばあと5回の授業。天気だけでなく、中身も充実させましょう。今日は、DVDでカウンセリングの場面や、さまざまな技法がどのように使われているかを確認するという内容でした。

Dscn1227c  さて、授業の前に非常勤講師控え室でパソコンがきちんと動くか確認したり、出席票を準備したりしていたら、南側の窓の外でモズの鳴き声が聞こえてきました。しばらく鳴いているので気になって外を見たら、すぐ近くにいました。コンデジ写真ですし、サッカーのゴールネット越しですから、これでもよく撮れたと思います。いつぞやはヒバリがいました。ツバメの巣もありますし、「バードウォッチングができる学校」です(微笑)。そのツバメの巣の話し。非常勤講師控え室の前の巣、今年は来ていなかったのですが、最近ツバメが来ています。世間一般からすると遅めですがヒナの誕生を期待します。校舎棟の2階にできた巣も順調に卵を抱いているようです。来週、写真を撮ってこようと思います。

Dscn1219c  通勤途中、電車からあれこれ眺めたり、歩きながら咲いている花を見たりするのは、ささやかな楽しみです。最近は、水田にサギの仲間がいるのをよく見かけるようになりました。まぁ、写真を撮るという芸当まではできません。近鉄名古屋線・塩浜駅と北楠駅の間、鈴鹿川の南の水田では、今年もたんぼアートが行われています。楠まちづくりコミュニティが行っているもので、今年は5月18日に田植が行われたようです。6月29日には見学会があるそうです(こちら)。高所作業車から見られるそうです。撮った写真からは「国体」の文字が見えます。来年、三重県でとこわか国体が開かれますので、そのPRかと思います。

Dscn1234c  その他今日目だったのは、アガパンサスの花。桑名駅まででも、江戸橋駅からでも通勤経路にあるお宅何軒かに咲いていまDscn1237c す。今日の日中はやや蒸し暑い感じでしたが、清涼感のある花がたくさん咲くところが良いと思います。

20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その4)……亀山演武場、明治天皇行在所、いくつかの石碑と姫垣外苑からでころぼ坂を経て亀山駅にゴール(完)

190609jrwalkingkameyama2 6月9日のJRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりImg_0067c_1 を訪ねて」、その4になりました。今回こそゴールの予定(笑)。亀山城跡にいろいろなものがありましたので、その続きから。

Img_0014c  多門櫓から西にある亀山神社に向かう途中、左手(南側)には、亀山演武場が復元されており、亀山藩御流儀心形刀流武芸形Img_0016c (おんりゅうしんぎょうとうりゅうぶげいがた)(県文化財)が伝承されています。演武場は、約50坪の道場。心形刀流は、亀山藩武芸指南役山崎雪柳軒(やまざきせつりゅうけん;文政11(1828)~明治15(1882)年)が免許皆伝を得て、元治元(1864)年、亀山に演武場を開設し、柳生新陰流に代わって御流儀となりました。ちなみに、心形刀流は、心の修養を第一義とし、技の錬磨を第二義としているといいます。すなわち、技は形であり、心によって使うものであるとします。心が正しければ技も正しく、心の修養が足らないと技は乱れると考えられています。この技が刀の上に具現されるため、流名に示すように心形刀流となるそうです。こちらに心形刀流のパンフレットがあります(pdf)。ちなみに、左の写真の門は、「大久保神官家の棟門」です。余談ですが、高校時代、体育の授業で剣道がありました。剣道部員の同級生が素人相手にボコボコにしてくれましたので、それ以来、懲りて、自分ではやろうなどと夢にも思ったことはありません(笑)。

Img_9898c_1  亀山演武場と、山崎雪柳軒に関連して、ますみ児童公園から多門櫓に行く途中、北側に「山嵜雪柳翁遺剣之碑」が建っています。明治4(1871)年の廃藩置県後、亀山演武場は雪柳軒に下賜され、武術の指導を続けましたが、明治9(1876)年には廃刀令が出されるなど、その存続の苦労は並大抵なものではなかったようです。雪柳軒は私費で稽古着や竹刀、防具を購入し門人に無償で与えた他、就職斡旋まで行い、さらに演武場の維持運営のために門人有志と「赤心社」という組織を作っています。明治15(1882)年、演武場は赤心社により旧本丸の館跡地(現在の本丸町)に移転しますが、雪柳軒は明治26(1893)年9月5日に故あってそこで割腹自殺してしまいます。明治32(1899)年10月、門人たちによってこの「山嵜雪柳翁遺剣之碑」が建立されます。表碑文は西郷従道の書で、碑の下には自害した際の短刀が埋められたといいます。

Img_0024c_1  演武場の門の脇には、燈籠と石碑。燈籠には、「演武場中」とあります。左手前は、「鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)句碑」。「くぐり門 押せば開くなり 寒げいこ」とあります。京都の元大日本武徳会武道専門学校長・鈴鹿登の作品から、演武場にふさわしい句を選びそれを石に刻んだといわれています。「野風呂」は鈴鹿の雅号。昭和43(1968)年春に亀山演武場開場満103歳を記念して建てられた句碑です。

Img_0065c  多門櫓の西下には、「明治天皇亀山行在所」があります。明治天皇は、明治13(1880)年、三重県下巡幸の時、7月10日東Img_0051c 町藤屋(伊藤市次郎宅)を行在所とされ、10、11日の両日、名古屋・大阪両鎮台対抗演習を統覧されました。これは、この折、玉座とされた奥8畳間など行在所の一部が移築保存されたものです。建物はまず井尻町に移された後、昭和10(1935)年、亀山小学校(現・亀山西小学校)地内に移築され、同14(1939)年三重県史席に指定されました。同26(1951)年、市文化財となり、32(1957)年、ここ、亀山城多門櫓石垣北側に再度移築されたのです。

Img_0061c  明治天皇亀山行在所と、多門櫓の間には、「与助井戸(よすけいど)」があります。これは、亀山城を築く前にあった与助とImg_0012c_2 いう鍛冶屋の家の井戸であったと伝えられ、そのため、与助井戸と呼ばれていました。現在は、埋められています。木の枠は、井戸のあった場所を示しています。もう一つ、行在所の北に石碑があったのですが、慌てて写真を撮ったせいもあって、読めず仕舞い。ネット検索でも、今のところ何も見つけられていません。記憶、記録のため、載せておく次第。

Img_0091c  多門櫓の北、「伊勢亀山城」の説明板の北にあったのは、「黒田孝富遺剣之碑」。黒田孝冨(くろだたかとみ)は、天保5(1834)年、亀山藩士・黒田嘉治の子として生まれました。家老・近藤織部(こんどうおりべ)(鐸山)の抜擢を受けて広間役となり、江戸に出て、儒学を藤森弘庵に学び、諸藩の勤王派と交わった後、帰藩して尊王攘夷を説きます。その後、文久3(1863)年に京都に出て、公武の間を取り持ち、とくに三条実美の信任を得て、三条邸の警衛に任じられています。八月十八日の政変後は、江戸に出て水戸藩の武田耕雲斎らと意見交換し、これを幕府に咎められて国許に幽閉されました。明治後、勤王の大義を唱導し、郡代奉行として藩政改革に力を尽くしたものの、反対派に刺殺されました(明治元(1868)年)。

Img_0072c  このあと、亀山中学校と亀山市役所の間にある石坂を少し下ってみました。多門櫓の東に石碑が2つ。まず、左の写真のものは、「鐸山近藤君碑」。鐸山は、上記の黒田孝富のところで出て来た、近藤織部。近藤は、文化10(1813)年、亀山生まれ。鐸山は雅号。詩を梁川星巖(やながわせいがん)に、国学を鬼島広蔭(きじまひろかげ)に学び、佐々木弘綱井上文雄、藤森弘庵らと交りました。嘉永3(1850)年、家老職に就きます。文久3(1863)年、将軍・家茂の上洛にしたがい、京で三条実美と会い、黒田孝富に意を含めて諸国の志士を結んで他日を期しました。朝廷の親兵設置には、藩士9名を選抜して送りますが、これを幕府に咎められ、黒田孝富とともに蟄居させられます。明治元(1868~年、赦されて藩政に復帰するものの、保守派によって再び幽閉。明治2(1869)年、亀山藩大参事に任じられました。明治23(1890)、東京で没。

Img_0076c_1  「鐸山近藤君碑」のすぐ南には、「飯沼慾斎生誕之地碑」があります。飯沼慾斎(イイヌマヨクサイ;天明2(1782)~慶応元(1865)年)は、江戸末期の医者・植物学者。亀山城下で出まれ、のち、美濃国大垣に移って、飯沼家の養子となりました。その後、京都で医学を修め、さらに江戸へ出て蘭学を学び蘭方医となっています。宇田川榛斎(しんさい;蘭学者、医学者)・小野蘭山(本草学者)らに師事。50歳で隠居した後、植物学などの研究に勤しみ、日本で最初のリンネ分類による「草木図説」を執筆しています。亀山出身ではあるものの、その活躍は三重県外でしたので、県内には関連資料はあまりないといいます。

 さらに坂を下り、「池の側(もとの外堀)」までいくと、「石井兄弟敵討ちの碑」があったのですが、そこまで思いが至らず、「飯沼慾斎生誕之地碑」を見て満足してしまい、定められたコースに戻ってしまいました。残念。この「石井兄弟仇討ちの碑」は、延宝元(1673)年、小諸藩(現・長野県)藩士・石井正春が養子の赤堀源五衛門に殺されたことに端を発し、正春の遺児4人のうち二男と四男が、赤堀が亀山藩に仕えていることを知り、29年の歳月をかけて元禄14(1701)年に亀山城下で討ち果たしたという故事に因みます。この仇討ちは、当時、「元禄曽我兄弟」と称され、歌舞伎や講談などに取り上げられたそうです。碑は、昭和7(1932)年、亀山保勝会によって建てられています。

Img_0102c  さて、亀山城跡を見終えて、13時20分過ぎ。スタートからは、7.2㎞。コースマップに示された亀山駅の時刻表を見ると、13時59分に臨時快速がありますので、これに間に合うようゴールしたいと思い、駅に向かいます。亀山市役所の北側を歩いていると、「姫垣外苑」という石碑が見えました。このときは意味が分からなかったのですが、雨も降っていましたので写真だけ撮ってきました。その3に書きましたように、「亀山城には、「姫垣(城壁などの上にめぐらした低い垣)」を意味する「粉堞城(ふんちょうじょう)」の別名があった」ということで、これによるものと納得。亀山西小学校の東に当たり、かつて江ヶ室門から太鼓門までの城内路を踏襲した街路を平成14(2002)に整備したといいます。何とも優雅な名前。天気がよければ見に行ったのに。

Img_0103c  姫垣外苑から150mほど東へ。江ヶ室交番前の交差点に来ます。旧東海道は、写真奥から来て、ここで左折(写真では右Img_0109c_1 へ)。さわやかウォーキングのコースも、ここからほんのわずか(150mほど)、また旧東海道を歩きます。亀山市シルバー人材センターのところでは、枡形が残っていますが、このすぐ先で、「でころぼ坂」を降ります。

Img_0114c  こちらがその「でころぼ坂」。コースマップを最初に見たときから、「いったいどういう由来の名前?」と思っていましたImg_0115c が、現地には説明は何もありません。帰ってから検索したところ、亀山市歴史博物館のサイトの昔話のページにありましたが、正しい由来は分からないようです。昔からこの呼び名だったそうで、「でこぼこ坂」や「でくのぼう坂」がなまったものだといわれます。「でくのぼう」は「木偶の坊」で、木でつくられたあやつり人形。「どちらにしてもなぜこの名前なのかはわかりません」となっていました。坂は、遍照寺の脇を通って、もとの国道1号線まで200m足らず。階段と坂道が交互になっています。雨に濡れて風情があるのですが、この年になりますと、滑らないよう気をつけねばなりません(苦笑)。

Img_0123c  もとの国道1号線(現在は県道565号線)を越え、スタートから8㎞地点過ぎに道標。「右停車場道 左阿野田椋本」とあります。停車場は、亀山駅。阿野田は、亀山駅の東南あたりの町名。椋本は、津市芸濃町にある地名(亀山駅からは南西に直線で4~5㎞ほど行ったところ)。調べてみると、田中音吉が、大正3(1914)年に寄附したものでした。田中(弘化5(1848)年~大正5(1916)年)は、亀山の出身で、米穀・製茶業を営んでいました。明治19(1886)年、前橋や八王子で蚕糸業を視察し、20(1887)年から郷里の三重県亀山で製糸業に着手しました。のちには、機械伝習所の設置や従業員の教育にも力を注ぎ、30(1897)年、亀山共同社(のち亀山製糸会社)を設立しています。彼は、あちこちに道標を寄附しています。田中音吉の道標は、石薬師宿でも見ています(2019年4月20日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(予告編))。こちらによれば、大正3(1914)年2月から8月にかけて、総数483基の「道示標」を「代金五百七拾七円六拾銭」かけて設置したといいます。亀山市内だけでも61基残っています。今でいえば社会貢献ということなのでしょうが、昔の実業家というのは、すごいことをするものです。桑名の諸戸家も、「諸戸水道」を設置し、町民が利用できるようにしています。

Img_0126c_1  最後まで雨の中、13時35分にJR亀山駅にゴールできました。スタートから8.2㎞。結局、布気皇館太神社を出た11時20分頃Img_0130c_2 からずっと雨でした。天気に関しては、ちょっと見込み違いをしました。雨の中を歩いたのは、3月10日の近鉄ハイキング以来、2回目(20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)。このときも、降り出すのはもっと遅いだろうと思っていました。折りたたみ傘は持っていたのですが、リュックのカバーなど雨の支度もしておかねばなりません。

Img_0141c_1  今日で、JRさわやかウォーキングのスタンプは、7個目。11月末までに10個達成も視野に入ってきました。が、7,8月は暑いので、JRさわやかウォーキングはありません。9月以降、計画的に参加しようと思います。また、この日は、バッチと、「TOICAエリア拡大記念」ということでICカードで乗車してきた参加者限定でフリクションボールペンがいただけました(先着1,000名)。

Img_0150c  予定通り、13時59分の四日市行き臨時快速電車に乗車して帰途へ。四日市着は14時34分。四日市市発の名古屋行き普通電車Img_0159c が、14時42分にあります。これに乗って桑名には14時57分に到着。いずれも空いていて、座れました。¥670。雨が降ったのはいただけませんが、この料金で(往復で、¥1,340)半日以上楽しめるのは、ありがたいこと。

Img_0174c  ALKOOのデータは、左の写真の通り、18,935歩。ウォーキングで8.2㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で合計10.0㎞。現地で歩き回ったのを考えても、いつものように、ALKOOの距離は、やや過大評価と思えます。

Img_0181c  亀山駅で電車を待っている間にキオスクを覗いたら、深川屋の「関の戸 お茶の香」6個入り(¥600)を売Img_0188c っているのを見つけ、これを今日の土産に。関の戸は、関宿(亀山より1つ西の宿場町)の名物。この関の戸は、昔、鈴鹿で働いていた頃からの大好物。赤小豆のこし餡をぎゅうひ餅で包み、阿波特産の「和三盆」をまぶした一口大の餅菓子。「お茶の香 関の戸」はこれに亀山茶の粉末がまぶしてあります。オリジナルの関の戸よりも、これの方がよいかも。お茶の苦みと餅皮の食感、こしあんの甘味の組合せがよい感じです。

 JRさわやかウォーキングも、近鉄ハイキングも、7月、8月はお休み。今週土曜日(6/22)には、近鉄で「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」があります。天気が持てば参加したいと思っています。去年、このコースは5月に開催されたのですが、そのときはハマヒルガオはほとんど咲いていなかったので、リベンジしたいのです(名古屋線北楠駅~塩浜駅)。近鉄は、6/24にも、「伊雑宮と日本三大御田植祭」が予定されているのですが、場所が志摩線・志摩磯部駅。鳥羽と賢島の間。特急を利用しても、1時間40分ほど。運賃と特急券で合計¥2,940。天気もですが、時間、費用も嵩みますので思案中(苦笑)。その後、近鉄は6月30日にも津駅であるのですが、この日はあいにく、研究会。

2019年6月18日 (火)

今日は喫茶店へ散歩(笑)……ツバメのヒナたちの訓練風景も

Img_0761c  午前中はよく晴れていましたが、午後からは雲が広がってきています。今日もいつも通り、散歩に出たものの、住吉神社から九華公園に行って、ツバメのヒナを見ていると、Mさんから連絡をいただき、公園側の珈琲館Hへ。そこでたっぷり2時間以上、おしゃべり。「ジジイなのに、よくそんなにしゃべることがあるな」といわれそうですが、久しぶりだったこともあって、話に花が咲きました(笑)。なので、結局、歩いたのは3.5㎞です。

Img_1345c  九華公園では、昨日と同じく、巣立ったツバメのヒナが親に連れられてやって来て、独り立ち訓練をしていました。今日は、辰Img_1346jpgc 巳櫓南の吉之丸堀の上空の電線が待機場所。辰巳櫓の上から見ると割りと近いのですが、逆光の位置。下に降りると、デジイチの250mmズームではちょっと遠いと、なかなか難しいロケーション。30分ほど粘ったものの、これはというものは撮れませんでした。Mさんから連絡をいただき、これ幸いと喫茶店へ(爆)。

Img_1325c  こういうのも撮れたのですが、逆光で何だかよく分からない写真。コアジサシのその後や、M池公園のカイツブリのヒナも気になりますし、もう少ししたら、万助溜公園の蓮やチョウトンボもと思ったりしますが、ツバメのヒナたちの訓練風景も、そうそう長い間は見られません。天候も眺めつつ、考えましょう。明日は、江戸橋での仕事です。

2019年6月17日 (月)

20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その3)……雨の中、亀山古城跡、花しょうぶまつり、亀山城多門櫓から亀山神社へ

190609jrwalkingkameyama1_1  6月9日のJRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」もその3となりました。雨は相変わらず降り続いています。実測ルートマップ、今回は2枚。JR亀山駅を出て西へ、時計回りに歩き、またその1のマップの範囲に戻って来ています。亀山公園内で開催されている花しょうぶまつりに向かうのですが、その途中で、まずは、亀山古城跡。

Img_9809c  こちらがその亀山古城(こじょう)跡。亀山市若山町にある比高差15mの小高い山がそれ。江戸時代につくられた複数の「亀山城絵図」で「古城」と記されています。その2で触れた大庄屋・内田権四郎昌克が編集した「九々五集」には、この地方を治めていた関左近将監実忠(せきさこんしょうげんさねただ)が、文永2(1265)年に築城したと書いているそうです。以後、関氏累代の居城でしたが、元亀4(1573)年、城主・関盛信が織田信長の怒りに触れ、蒲生氏郷に預けられ、城は信長の子・神戸信孝に与えられます。天正11(1583)年閏正月の羽柴秀吉の攻略に際し、城将の佐治新助はよく防戦したものの、加藤清正・山内一豊・細川忠興などの猛攻により落城。この城は、秀吉方についた元城主・関盛信の子・一政が城主となったのですが、その一政が陸奥白河に移され、新城主となった岡本良勝が新たな城(近世の亀山城)を築くにあたって廃城にしたとされます。しかしながら、発掘調査では、このあたり周辺では明確に中世の城と見られる遺構は確認されていないそうです。

Img_9821c_1  12時半近く、スタートから6.4㎞で花しょうぶまつりの会場へ。今回で22回目。前々から一度見てみたかったものの、来たのは初めて。この6月9日(日)の10:00~15:00に花しょうぶまつりが開催されていました。この菖蒲園は、平成10(1998)年にすでにあった菖蒲園の西側に4,000平方メートルを増設したといいます。もともと亀山城の濠(ほり)跡で、以前は田んぼとして利用されていたところ。この濠に面して、北西に本丸西多聞櫓、この菖蒲園の入り口には関見櫓があったそうです。

Img_9829c_1  約4,000平方メートルの花しょうぶ園には、およそ100種類、約12,000株の花しょうぶが植えられています。手入れはよくされていImg_9831c る感じですが、かなり広いのでどこで写真を撮ろうか、迷いました。雨にもかかわらず、かなりの人出があります。あれこれ写真を撮ってきた割りには、どうも今ひとつという感じがしてなりません。

Img_9838c  斜面に段々畑のように花菖蒲園がしつらえられています。順番に見ていくと、1年目のものから、順次、2年目、3年目と植え替えてありました。花菖蒲には、「連作障害」のような現象が見られると聞きますから、これはよい工夫かも知れません(素人の理解ですから、間違っているかも知れません)。

Img_9859c  12時半を過ぎました。雨は小降りでしたが、残すのは亀山城多門櫓のみでしたし、1㎞くらい歩けばゴールというところまでImg_9862c 来ています。菖蒲畑の目の前に屋根付きのベンチがありましたので、ここでお昼にすることにします。今日は、JRさわやかウォーキングということもあって、桑名駅のキオスクでゲットしてきた「幕の内弁当」。¥450。焼き魚や、野菜の煮物なども入っていますから、コンビニの幕の内よりもよいかも(微笑)。ただし、ご飯は、コンビニ弁当の方が美味しい感じでした。

Img_9885c  いよいよ亀山城跡に入って行きますが、花菖蒲園から公園池の南を通って、かなりの高低差のある階段を上がっていくと、まImg_9889c_1 ずは「ますみ児童公園」。亀山公園の一部。ここには、蒸気機関車C58 359が静態保存されています。75年前につくられたもので、昭和45(1970)年まで現役(こちら)。引退した年からここにあるようです。大昔、子どもたちが小さい頃、家内の実家に行く途中立ち寄った記憶があります。

Img_0067c_1  亀山城は、天正18(1590)年に岡本宗憲(良勝)が、亀山古城の東に築城しました。この近世亀山城の下層には、戦国期の亀山城が確認されており、中世末期の城郭を母体に築かれたと考えられています。「九々五集」によれば、築城時には、本丸・二之丸・三の丸からなり、天守もあげられていたとされます。この天守は、寛永9(1632)年に丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守を解体するよう幕府から命じられた出雲松江城Img_0007c_1 主・堀尾忠晴が、間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したとされていますが、天守の規模、形状はもちろん、その位置も含めて事実関係は一切不明といいます。亀山城には、「姫垣(城壁などの上にめぐらした低い垣)」を意味する「粉堞城(ふんちょうじょう)」の別名があったのですが(粉堞とは、姫垣や表面に白い胡粉(ごふん)を塗った簡易な塀という意味。山田木平によれば、粉堞とは姫垣をさし、白い城壁が連なる景観からの別名であるといいます(伊勢亀山城)。以上、こちらを参照。)、「粉蝶城(こちょうじょう)」と間違われたものが広く流布しています。江戸時代初頭には、上洛する将軍の休泊所として本丸御殿があったといいます。明治6(1873)年の廃城令によってほとんどの建造物は壊され、堀も埋め立てられ、現在は、多門櫓(「多聞櫓」という表現が多いのですが、亀山城ではこのように「多門櫓」と書かれています。また、多門とは長屋状の建物のことです)と石垣、土居、堀の一部が残っています(伊勢亀山城のパンフレットによります)。なお、岡本宗徳以後は、城主が頻繁に代わり、 延享元(1744)年に備中松山から石川総慶(いしかわふさよし)が入り、その後は石川氏が統治ししました 。

Img_0080c_2  こちらが多門櫓。観光案内などには南のアングルから撮った写真が載っているのですが、亀山中学校か、その南まで行かないImg_0082c_2 と撮れません。雨も降っていたので、断念。この多門櫓は、天守台といわれる本丸高石垣上にあり、寛永9(1632)年頃に築造されたとみられます(寛永13(1636)年や、正保年間(1644~1648)とする文献もあります。この記述は、亀山市の資料によります)。三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています(昭和28(1953)年)。安政束海地震(1854 年)によって大破したのですが、修理され、明治時代には、士族授産の木綿緞通工場として使われました。そのため、唯一破壊を免れ、今日に残っています。「平成の大修理」が平成25(2013)年3月に完成し、往時の姿に復原するというコンセプトの元、真っ白な白壁の漆喰となっています。

Img_9903c  多門櫓には、13時頃到着。土日、祝日の10時から16時に観覧できます。階段の上には甲冑姿の人が見えます。この多門櫓Img_9905c も、一度は訪ねたかったところです。瓦は葺き替えられ、壁も漆喰の白壁に戻されてはいますが、三重県内では、石垣の上に元の位置のまま城郭建築が残っている唯一の例です。

Img_0003  建物は、東西8間(15.8m)、南北6件(10.9m)の一重櫓で、屋根は入母屋造本瓦葺(いImg_9949c_1 りもやづくりほんかわらぶき)。建築部材から見つかった「惣武具」や「武器蔵」といった文字から、当時は武具庫として使用されていたと考えられています。たしかに「櫓」の始まりは、「矢倉」といいます。

Img_9921c

 櫓に登って、一度してみたかったことがあります。大したことではありません。むしろ「しImg_9924c_1 ょうもないこと」です(苦笑)。櫓の中から、窓を通して外を見てみたいということです。この2枚の写真は、櫓の南側を見たもの。ちょうど亀山駅の方角で、右の広場は亀山中学校のグラウンド。池は、「池の側」という名称のようです。

Img_9931c  こちらは多門櫓の内部。梁や柱は立派なもの。それに、外観に比べ、「質Img_9945c 実剛健」という印象を受けました。それにしてもというか、やはりというか、本や資料を読んでいるだけでなく、現地に行って、実際に見てみることが肝心です。百聞は一見にしかずというとおり。感心しました。

Img_0010c  多門櫓の西に亀山神社がありましたので、そちらへ。延享元(1744)年、備中松山から石川総慶が亀山城に入城したImg_0027c 際、城内に小祠を設けたことに始まり、それ以来、亀山城内の旧館跡に鎮座して真澂(ますみ)神社として崇敬されて来たといいます。亀山城主石川氏の祖である陸奥守源義家及び六男義時以下数世の神霊を祀っていました。明治4(1871)年に城北の若山の地に遷座した後、同9(1876)年に再び本丸跡に遷座しています。明治40(1907)年から41(1908)年にかけて西町鎮座の郷社亀山皇太神社、阿野田村鎮座の式内社真木尾神社などを合祀し、社殿を現在の地である西丸に新築して奉遷し、社号を亀山神社と改めました。

Img_0036c  主祭神は、源義家源義時石川義純石川家成。相殿神は、大山津見神保食神宇迦之御魂神猿田比古神天照皇大神大名牟遅命品陀和氣命伊邪那美大神市杵島姫命火之迦具土神建速須佐之男命速玉之男神(はやたまのおのかみ)、句々廼遅命(くくのちのみこと;伊奘諾尊と伊奘冉尊から生まれた。「くく」は茎、「ち」は精霊の意味で、木の守護神、菅原道真速山津見命(はやまつみのみこと;山のふもとをつかさどる神。伊邪那岐命が火の神迦具土を斬ったとき、その右手から生成した)、大鷦鷯命(仁徳天皇)、安閑天皇瀬織津比女命(せおりつひめのみこと;祓神・水神・瀧神・川神とされる女神)、天児屋根命黄泉津事解之男命(よもつことさかのをのみこと;黄泉国へ去った伊奘冉を連れ戻しにいった伊奘諾は、見ないでくれといわれたイザナミを見てしまい、妻と別れることになったが、その別れ際に唾を吐いた。その唾を吐く神を速玉之男神と呼び、((両神の関係を)掃う神を黄泉津事解之男と呼ぶ)、大山咋神(おおやまくいのかみ;大年神(「とし」は穀物。稲の実りを守護する神。素戔嗚尊の子)の子)、柴垣神、天神地祇八百万神(天の神と地の神。天つ神と国つ神。あらゆる神々。日本では、高天原(たかまのはら)に生成または誕生した神々を天神、初めから葦原中国(あしはらのなかつくに)に誕生した神を地祇とする)。

Img_0040c_1  神社の境内には、稲荷社がありました。「出世稲荷」とあります。我が身は、今さら出世も何もありませんが、愚息などはひょっとしたらその見込みがあるかも知れませんので、お参りしてきました(微笑)。さらに、この記事を書くのに調べていたら、拝殿に向かって右手前に天神様もあるようでした(苦笑)。「真澂(ますみ)天神」です。前段落に載せた拝殿の写真をよく見ると、確かに写っています。雨のせいで急いだためであります。

Img_0029c  さらに、二の鳥居を潜った右手には「宝篋印塔(ほうきょういんとう;宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のちに供養塔,墓碑塔として建てられた)」の基礎部が残っています(市文化財)。これは、ここにあった善導寺が西町Img_0031c_1 に移転されたときに残されたものとされ、昭和26(1951)年の西小学校運動場拡張工事の際、取り壊された本丸石垣の中から五輪塔などとともに発見されたそうです。花崗岩、高さ53.1cm、幅76cmの基礎と、二段の答申を受ける部分からなっています。正慶5(1332)年7月のもので、亀山市内にある在銘石造品としては最古といいます。

 その3でゴールできるかと思って書き進めましたが、亀山城跡には、これらの他、復元された亀山演武場、明治天皇亀山行在所遺構、いくつかの石碑もあります。長くなりましたので、その3はここまで。

巣立ったツバメのヒナ……ノウゼンカズラが咲き始めました

Img_0705c   今日はよく晴れています。気温も28℃近くになったようですが、北寄りの風ですから乾いていて、気持ちが良い。プチ遠征も考えたものの、風がやや強めでしたから、いつものコースへ。8時20分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、吉津屋町、京町、寺町、田町と6.0㎞ちょうど。3時間コース。冒頭の写真は、七里の渡し跡、伊勢一の鳥居。いつもの散歩コースを歩くときは、必ず通過します。

Img_1076c_1  相変わらず鳥は少なく、スズメ、ムクドリばかり。このほか、ハクセキレイ、ドバト、カワラヒワ、シジュウカラ、カラスなどを時々見るくらImg_1088c い。スズメは、まだ親からエサをもらうヒナも見ますが、ほとんどは独り立ちしたようで、親とは離れて行動しています。パンを持ってで書けたので、スズメが集まっているところで撒いてみました。大人のスズメはすぐに寄って来て、パンくずを咥えて他へ飛んで行って食べるのですが、今年巣立った幼鳥はまだ学習していないのか、撒いたパンくずに寄ってくることはありません。こればっかりは、人間が教えるわけにも行きません。これから学んでいってもらわないと。スズメの幼鳥も、ハクセキレイも柿安コミュニティ・パークにて撮った写真。

Img_1175c  この季節、九華公園には親ツバメが、巣立ったヒナを連れてきていることがよくあります。今日も2ヶ所で目撃。これらの写真Img_1184c は、二の丸跡で撮ったもの。散策路のすぐ上にある電線にツバメのヒナが待機。時々飛び立っていくものもいましたが、4羽がいました。これだけ大きくなっても、巣にいたときと同じように、親ツバメを飲み込みそうな勢いで、笑えます。

Img_1241c_1  電線にいるヒナに親ツバメはエサを運んで来ますが、ヒナも電線で待っているものと、飛び立って空中で受け取ろうとするImg_1242c も  のと、2つのタイプがいます。親もたぶん、飛び立つことを誘導したいのではないかと思えます。飛行訓練であったり、餌をとる訓練になったりするからのような気がします。空中でエサを受け渡すシーンを狙ったのですが、今日のところはあえなく失敗(苦笑)。左の写真で向かって左出飛んでいるヒナは飛び立ってエサをもらおうとしたのですが、このときは、電線にいた方に親はエサを与えてしまい、せっかくの努力は実りませんでした。空中給餌シーンは、またの課題にします。

Img_1157c  左の写真は、奥平屋敷跡近くの電線にいたヒナが、エサのトンボをもらった直後。あまりよい写真ではありませんし、「気持Img_1232c ち悪~い!」とおっしゃる方も多いかも知れません。ご容赦ください。クリックすると拡大されますので、ご注意ください。トンボは割りとよくヒナに与えています。右は、二の丸跡の電線に捕まろうとする瞬間の写真。あたかも「バンザイ!」と叫んでいるかのようでした。

Img_1267c  ツバメの巣も定例巡回。左は、吉津屋町のお宅。3羽が変わらず元気そうでした。巣立ちも近そう。右は、田町にある商店のImg_0743c 巣。見に行ったタイミングで、巣にいたりいなかったりしますが、これまでの経験上、たぶん卵を抱いていると思います。このほか、京町の呉服屋さんの巣その2にも、親ツバメが就いていました。巣立った巣も多いのですが、もう少し楽しめそうです。

Img_1281c  こちらは、寺町商店街の交差点を北に入ったお宅。ノウゼンカズラが咲き始めました。これ、私には夏のイメージ。ノウゼンカズラが咲くと、梅雨の間ではあるものの、「夏が近い」と思えます。

Img_1215c_2  鳥がいないので、チョウやトンボでも撮ろうと思うのですが、そういうときに限ってうまく出遭いません(苦笑)。こちらはツバメを見ている時にやって来たトンボ。アキアカネか?と思うのですが、ちょっと違うような気もして、今ひとつ自信がありません。6月に羽化して、夏の暑い間は山に移動。このあたりでは御在所岳に移動することが知られています。

2019年6月16日 (日)

早朝、二重の虹……桑名別院の菩提樹の花は出遅れ(苦笑)

Img_0595c  雨は朝方のみで、9時くらいまでは霧雨がしぶしぶ降っていました。その後は、晴れ間も見えるのですが、風は北風で、寒く感じます。朝5時半過ぎ、南西の空に虹が出ているのを見つけました。よく見てみると、二重の虹になっています。内側が主虹で、外側は副虹というそうです。主虹は、太陽の光が水滴の中で一回反射して出来、二回反射したものが副虹になるといいます。そして、副虹は2回反射しますので、主虹とは色の並びが逆になります。幸運の象徴という人もあるようです。

Img_0616c 9時過ぎになってほぼ雨も上がり、ようやく散歩に出られました。住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と4.9㎞。歩いている人はチラホラ。鳥は、スズメ(右は桑名七里の渡し公園にいたスズメの幼鳥)、ムクドリがほとんImg_0604c ど。ツバメはよく飛び交っています。時々、ドバト、カワラヒワ、カラスの姿を見るだけ。九華公園、花菖蒲まつりは昨日で終わりましたが、まだ見にいらっしゃる方はあります。しかし、もう盛りは過ぎてしまっています。左の写真は、管理事務所の南にあるアジサイ。

Img_0632c  九華公園のグラウンドにツバメたちが降りていました。左の写真では、もっとも手前は親鳥、奥の2羽は巣立ってきたヒナ。しImg_0638c ばらく見ていると、親がエサを運んで来ます。ヒナは、地面で右の写真のように「エサ頂戴アピール」をするのですが、親はまず降りては来ません。飛ぶ訓練や、餌をとる練習をさせたいようで、ヒナが飛び立つよう促し、空中で給餌しています(今日は、超望遠コンデジしか持って出ませんでしたので、さすがに空中給餌シーンは撮れず)。

Img_0644c_1

 ヒナは合計で3羽。親は大変です。巣にいる間はせっせとエサ運び。巣立ったら今度は飛行訓練。さらに次は、餌をとることを教えないといけないのですから。ツバメの巣も見てきましたが、京町の呉服屋さんには親ツバメがいました。前とは別の巣(ここには3つの巣があります)ですから、二番子なのかどうかは分かりません。京町の別のお宅の巣は空っぽ。みな巣立ったようです。吉津屋町のお宅には、かなり成長したヒナが3羽。ここも巣立ちは近い気がします。

Img_0685c  帰り道、寺町にある桑名別院本統寺へ。時々お参りに立ち寄ります。ここには、菩提樹があり、いつも花を見たいと思っていImg_0680c るのですが、今年はすっかり失念していました。去年は、5月末に見に行っています(2018年5月28日:歌行燈本店のアジサイ、野花菖蒲に桑名別院の菩提樹の花)。晴雲寺 桑名さんのブログ(6月寺報作成)で気づいたのですが、すでに花は終わり、実がなり始めていました。昔、60代になったオヤジが、「よく忘れるようになった」とぼやいていましたが、同じで、我ながら苦笑せざるを得ません。

Img_0688c  代わりにということではありませんが、山門脇にある池で睡蓮が咲き始めていました。出かける前と、午後は、昨日の相談会の報告書を書いていました。早めに仕上げてお送りしようと思っています。そろそろ、万助溜公園の蓮やチョウトンボ餓鬼になり始めます。まだ時期的には早いかも知れませんが、一度見てきたいものです。

2019年6月15日 (土)

名古屋で相談会……帰りに近鉄名古屋駅で藤田屋の大あんまきを買った話

 14時を過ぎてから雨になっています。大荒れという予報でしたが、昼過ぎまでは大丈夫でした。今日は、かねてよりの予定通り、午前中は名古屋で相談会。いつもながら、Yさんにコーディネートしていただき、お二組の相談を1時間ずつ。あらかじめ必要な資料を送っていただき、それを分析、アセスメントしてお話しする内容を準備して臨みます。ほとんどの場合、お子さんご本人と親御さんに来ていただきます。お子さんにも検査結果や、その他の特徴などを話して理解してもらい、その上で、支援の仕方や、お子さんが自分自身で工夫していけるようになってもらいたいと考えているからです。面談でお話しした結果を踏まえ、あらかじめ準備した内容に必要な修正を加えて、終了後には報告書を差し上げています。

Dscn1201c  さて、相談会終了後は、いつものようにランチ。会場が名古屋国際センターですので、ランチは25階にある東天紅という中国料Dscn1206c 理屋さんが定番。今日は、海の幸膳をチョイス。前菜、小菜、スープ、海鮮料理(今日はエビチリ)、ご飯(豆乳粥に変更も出来ます)、漬物、デザート(今日は杏仁豆腐)でした。平日ですと、サービスランチもあるようです。いつものように、名古屋駅前の高層ビル群や、遠く養老山地を眺めながら、あれこれとおしゃべり。

Dscn1212c  帰りに近鉄名古屋駅で、珍しく土産をゲット(微笑)。知立にある藤田屋の大あんまき。かなり前から出張販売ではなく、常設Dscn1215c の店が出来ているのです。子どもの頃から慣れ親しんだもので、絶妙としかいいようがありません。昔はあずきと白くらいしかなかったように思うのですが、最近はさまざまなバリエーションがあります。今日は、あずき、チーズあんまき、天ぷらあんまきの3種類。ちなみにこの藤田屋さん、創業は江戸時代といいます。昔、本店はドライブインだった記憶があります。今は、食事も宴会もできるようです。

 以下、余談というか、昔話。藤田屋の大あんまきというと、CBCラジオで、平日の3時40分から放送されていた、中田ダイマル・ラケットの「みんなの歌謡曲」という番組を思い出します。調べてみると、昭和42(1967)年1月~昭和57(1982)年9月に月曜日~金曜日に放送されていた、20分のミニ番組でした。「アッホらしゅうてアホらしゅうて」、「何がそんなにアホらしいねん」、「何やわからん」…というダイ・ラケ師匠の掛け合いで始まっていました。この番組を提供していたうちの1社が藤田屋です。ダイ・ラケ師匠のミニコント風のコマーシャルと記憶していますが、「自動大あんまき機で、ころ~ん、ころ~んと出て来よる」「大あんまき、コロンコロン、早よ見に行こ」 「おいおい、仕事はどないするんや」 「そんなモン、大あんまき喰う時に、あんま気にすなっ」 「洒落かいな」 といったしゃべりがありました。お粗末(苦笑)。

20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その2)……布気皇館太神社、野村一里塚、浄恩寺、羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡から、亀山市歴史博物館へ【布気皇館太神社のお社について追記しました(6/17)】

190609jrwalkingkameyama2  6月9日に行ってきたJRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」のその2です。その1では、忍山神社を訪ね、懐かしい亀八食堂を眺めて、亀山市布気町にやって来ました。若いとき、鈴鹿に住み、働いていました。亀山は隣の市。遊びに行ったり、食事に行ったりしたところもいくつかあり、その意味では懐かしいところですが、その頃は歴史などあまり興味はなく、今回のハイキングで訪ねるところにはほとんど行っていません。

Img_9577c  スタートから3.3㎞で布気皇館太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)にやって来ました。時刻は11時。延喜式神名帳には、垂仁Img_9585c 天皇18年、「鈴鹿郡布気神社」とあるそうです。 昔、旧野村に布気林というところがあり、そこに奉斎してあったことから布気神社と称えたのですが、 文明(1469~86年)の頃に起った兵乱のため、社殿が焼失したため、後に皇舘の森へ奉遷したと伝えられています。 皇舘の森の「皇舘」とは、垂仁天皇の御代、天照大御神が忍山に御遷幸されたとき、大比占命が神田・神戸を献じ給うたことに由来する地名で、 野尻、落針、大岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七ケ村を神戸郷といって皇舘太神社を総社と仰いだといいます。いろいろな名で親しまれたのですが、 亨保8(1723)年、吉田家から皇舘大神の神号を受け、布気神社皇舘大神となり、さらに、明治41(1908)年6月から現在の社名となっています。この年、近郷近在の小社・小祠を合祀しています。倭姫命が立ち寄ったともいわれています。

Img_9592c_4  ここの主祭神は、天照大御神豊受大神、伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ;払戸大神に同じ)。相殿神は、宇迦之御魂神火之迦具土神大山津見神大名牟遅命菅原道真火之夜芸速男神(軻遇突智神(かぐつちのかみ)のこと)、木花佐久夜比売命宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ;大国主命の別名)、天宇受売命五男三女神帯中日子命(第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう))広国押武金日命(第27代・安閑天皇(あんかんてんのう))、建速須佐之男命猿田彦神品陀和気命(第15代・応神天皇)、稲田比売命(クシナダヒメノミコト)、高御産巣日神(たかみむすびのみこと)、手力雄命(タヂカラオノミコト;天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神)、彦狭知命(ヒコイサチノミコト;第11代垂仁天皇)、手置帆負命(たおきほおいのかみ;紀伊の忌部(いんべ)の祖。国ゆずり・国土平定の話に登場し、笠づくりの役目をになった)。静かでなかなかよい感じの神社でした。

Img_9594c

 境内には、拝殿に向かって左に小さいお社。居合わせた亀山宿語り部の会の方に伺ったものの、「合祀された神社でしょう」Img_9599c とあまり要領を得ない説明でした(末尾の付記をご覧ください)。このお社に向かって左に石碑がありました。題字には「聖訓」とあります。その下に刻まれた文字を読むと、次に引用した文章が彫られていました。これは、「軍人勅諭」です。明治15(1882)年1月、明治天皇が軍隊に下賜した勅諭で、忠節、礼儀、武勇、信義、質素の5つの基本徳目を示し、第2次世界大戦の終戦にいたるまで軍の精神的支柱となっていました。「勅諭下賜五十周年紀念」として、昭和6(1931)年4月、「帝国在郷軍人会 神邊村分會」が建てています。軍人勅諭の石碑も、それが神社にあるのも初めて見ました。

一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし
一、軍人は武勇を尊ぶべし
一、軍人は信義を重んずべし
一、軍人は質素を旨とすべし

Img_9613c_2  ここも森に囲まれ、厳かな雰囲気のある、よい神社でした。歴史のある神社はこういう感じのところがたくさんあります。お茶を飲んでしばし休憩。ここで、その1の最初に書いた、浜松からいらした女性に出会って、お話をしてきました。布気皇館太神社には、裏参道から入りました。コースがそういう指定になっていたので、やむを得ません。

Img_9620c_3   こちらが表参道の一の鳥居。あとでも触れますが、旧・東海道に面しています。鳥居の右手前に古い、社号標。「式内 布気神社」とある下に「太神宮遷? 御鎮座古跡」とあります。「?」は読めませんでしたが、伊勢神宮に関わる記述のようです。垂仁天皇の御代、倭姫命が天照大御神の御杖代として遷幸された小山宮は、忍山神社ではなく、こちらだという説もあるそうです(こちら)。

Img_9631c_1  前段で述べましたが、布気皇館太神社は旧・東海道に面しています。一の鳥居を出たところで東を見たのが、この写真。ここから1㎞あまり、旧・東海道を上っていきます(東に向かいます)。ところが、布気皇館太神社を出たあたりから渋々と雨が降り始めました。まだ3㎞半くらいで、半分も来ていません。この日はゴールも亀山駅ですし、ここから近い駅も亀山駅。ゴールまで行くしかありません(苦笑)。

Img_9634c_2  布気皇館太神社から出てすぐ、来るときにも見えたのですが、布気町野尻に毘沙門天があります。由緒などはよく分かりませImg_9640c んが、亀山市歴史博物館のサイトには、「当番の人が毎晩ご飯を備えており、毎年8月には祭りが行われている」と書かれています。右は、「亀山藩大庄屋内田権四郎昌克旧宅跡」。毘沙門天の先、スタートから3.7㎞ほどのところ、南側にあります。内田家は江戸時代初期、近江国から移住し、代々、いくつもの庄屋をまとめる大庄屋を務めました。内田権四郎昌克(うちだごんしろうまさかつ;1641~1758)は、元禄15(1702)年、亀山に関する記録集「九々五集(くくごしゅう)」をまとめました。亀山藩の様子が詳しく記されているといいます。

Img_9654c  スタートから4.3㎞で「野村一里塚」に到着。亀山城の西に位置します。県内12ヵ所の一里塚のなかで唯一、昔ながらの原形Img_9648c_2 を保っています。残っているのは北側の塚で、南側の一里塚は、大正3(1914)年に取り壊されました。江戸日本橋からは106里12町(417.6㎞)、京三条大橋から17里32町(70.2㎞)の距離。樹齢400年のムクの巨木が植えられています。昭和9(1934)年に国の史跡に指定されています。この一里塚は、以前から一度来て、見てみたかったところです。昔のまま残っている東海道の一里塚は、笠寺で見ましたが(2019年2月 3日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(予告編))、県内のものも是非見たかったのです。雨がけっこう降ってきましたので先を急ぎました。雨になるとどうしても急いでしまいますので、見落としも出て来ます。この日も、一里塚の先にあった忍山神社道標に気づかず通過(苦笑)。

Img_9666c  野村一里塚から400mほどのところに亀鶴山(きかくさん)無量院慈恩寺(じおんじ)。浄土宗のお寺。ご本尊は、木造阿弥Img_9680c 陀如来立像(国重要文化財)。もとは野村にあった薬師寺(長福寺)の本尊・薬師如来であったといいます。後世の補修の際に、両手首から先を阿弥陀印に下ものと考えられています。慈恩寺の縁起によれば、薬師寺(長福寺)は行基が神亀(じんき)5(728)年に聖武天皇の勅願によって創建し、薬師如来像を彫刻して、安置したと伝わっています。正徳6(1716)年にこのお寺は、慈恩寺と改まっています。行基が開いたときは、忍山神宮の神宮寺であり、七堂伽藍もあったといいますが、度重なる兵火で焼けています。

Img_9682c この木造阿弥陀如来(国重要文化財)は、像高163cm、ヒノキの一木造(いちぼくづくり)。全身に木屎漆(こくそうるImg_9688c し)が塗られ、平安初期彫刻の特徴をよく表した等身大の立像で、県内における9世紀初めの代表作といいます。 今日は、檀家の代表の方がいらっしゃり、ご本尊を拝ませていただけた上に、写真撮影まで認めてくださいました。肉付きがよく、なかなか力強い感じの仏様です。この阿弥陀如来像が国宝(戦後は重要文化財)に指定されたいきさつについては、面白いエピソードがあります。こちらをご覧ください。

Img_9675c  慈恩寺の境内には、薬師堂と忍山観音堂があります。1つの建物が2つのお堂になっています。向かって右が観音堂、左が薬師堂です。中を拝見してくればよかったのですが、雨でお堂の写真を撮っただけです。

Img_9695c  慈恩寺を出たところで東海道からは離れ、北へ向かいます。慈恩寺のすぐ北に野村地区コミュニティセンターがあります。そこに「羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡」という案内板が建っていました。天正11(1583)年1月、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は大軍を率いて安楽峠(亀山市安坂山町と甲賀市土山町の間、現在は新名神高速道路がこの下をトンネルで通っています)を越え、敵対する亀山・峯城を攻略しました。このとき、秀吉が亀山城攻めの本陣をおいた場所がここと伝えられています。峯城については、こちら。地図は、ここにあります。

Img_9699c_2  野村地区コミュニティセンターのすぐ西に、豊川枳尼天という石柱が見えたので、寄って来ました。枳尼天は、「荼枳尼天」が正式な表現のようです(だきにてん)。夜叉の一種で、人の死ぬ6ヵ月前にそれを通力によって察知して、その人の心臓を取Img_9703c って食べるといわれます。亀山市歴史博物館のサイトにある聞き取り調査によれば、大正14(1925)年生まれの男性が、「ダイニチさん(天王さんとも呼ぶ)の行事は七月に行われていたが、戦時中になくなった。いわれはわからない。父が夕食の後でダイニチさんの祠に羽織り、袴を着ておまいりしたのを覚えている。沿道にぼんぼりを立てた。ダイニチさんの祠(豊川枳尼天)は野村コミュニティセンターの北にある」と述べています。「ダイニチさん」は、大日如来なのでしょうか? 「天王さん」は牛頭天王他いろいろあります。謎は解けません(苦笑)。こんなことばかりです。不勉強は棚に上げておりますが……(笑)。

Img_9714c_2  さて、この先にある滝川を渡って、野村団地の中を進み、亀山公園にある亀山市歴史博物館に向かいます。雨は相変わらず降Img_9717c り続いています。スタートから5.8㎞、到着は12時。この日は、JRさわやかウォーキング特典で、団体扱いの入館料で入れました(¥160)。常設展と、第32回企画展「彫った 刷った 出来た!」を見てきました。常設展では「亀山の歴史」が通史として展示されています。

Img_9733c  まずこちらは、「井田川茶臼山古墳横穴式石室復元模型」。亀山市みどり町と井田川町にまたがる標高69mの丘陵地帯から出土しています。前方後円墳と思われる古墳があったといいます。 墳丘は上部が削平され不明確になっているようですが、石棺などが出ています。昭和47(1972)年の発掘調査当時の石室のうち、奥側(東)部分の半分を復元しています。三重県朝日町の歴史博物館にも、縄生廃寺の出土跡がレプリカで展示されていますが、こういうものは「百聞は一見にしかず」でよく分かり、興味も持てます。

Img_9756c  こちらは、「亀山城・亀山城下復元模型」。文久3(1863)年頃の亀山城と亀山城下の中心部の状況を1/180で再現したもの。これも圧巻。幕末から明治にかけての資料に基づいています。亀山宿内は、文久3(1863)年2月の14代将軍徳川家茂の亀山宿止泊時における宿割帳とみられる、「宿内軒別書上帳」(亀山市歴史博物館蔵)に基づいて復元されているそうです。 

Img_9786c

 もう一つ、面白かったのは、「(伝)亀山城の金庫」です。木製の厨子で四日市市内の家に伝わったもの。近年まで米を貯蔵していたそうです。先代が昭和20年代に亀山市内の家からもらい受けたもので、あまりに大きく重いので、農協でオート三輪を借りて運んだといいます。先代からは、亀山城の金庫であったと聞いているということですが、実際にそうかどうかは分かっていません。幅182cm(6尺)、奥行き76.2cm(2尺藩)、高さ121.2cm(4尺)あり、厚さ4.5cm(1寸半)の板を組み合わせてあります。前方の扉は観音開きで、縦方向のかんぬきがはめ込まれ、その間抜きには簡単に着られないよう鉄棒が埋め込まれています。しかし、内部には棚板や、棚板を取り付けた痕跡はないということです。平成21年4月に寄贈されました。

Img_9794c  このあと、企画展も一通り見て、外へ。玄関に向かって左側に「亀山城石坂門の石垣」とその側溝部分が移設復元されています。平成11(1999)年の発掘調査で地上に現れたもの。石坂門は、亀山城本丸と二の丸との間にありました。斜面に建っていたため、石坂門、あるいは、坂口門といわれたようです。そのため、復元にあたっても斜面に設置したということです。

Img_9803c  もう一つ、歴史博物館の玄関へのアプローチ、左脇に映画監督・衣笠貞之助(きぬがさていのすけ)顕彰碑があります。明治29(1896)年、亀山の生まれ。大正6(1917)年、女方として日活に入ったのち、大正11(1922)年マキノ映画へ移って監督となります。前衛的な作品「狂った一頁」や「十字路」で国際的に評価される一方、長谷川一夫とくんで「雪之丞(ゆきのじょう)変化」など時代劇の大作も多数手がけました。昭和28(1953)年、「地獄門」でカンヌ映画祭グランプリ。昭和57(1982)年死去。86歳。

190609jrwalkingkameyama1_1  ウッカリしていました。実際に歩いたルートマップは、また実測ルートマップその1の範囲に戻って来ていました。亀山市歴史博物館からは、亀山城跡にある亀山公園の中を歩きます。次は、花しょうぶまつり会場へ行くのですが、そこからはその3にて。

【付記(6/17)】 小さいお社は、忠霊殿でした。この地区の遺族会が建てたもので、旧神辺村戦没者126柱の碑でした(こちら)。

2019年6月14日 (金)

九華公園で久しぶりにエナガ

Img_1049c  朝早くは晴れ間も見えましたが、8時過ぎには薄曇り。湿った風も吹いてきて、いかにも梅雨という感じ。8時40分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、田町と6.3㎞ほどを歩いてきました。冒頭の写真は、九華公園の旅ネコさん。公園の東側の外周遊歩道で見た光景。「生きているのか?」と心配になりましたが、生存確認できましたので、ご安心ください。それにしても、こういう風になりたい気分、よく分かります。ネコも、梅雨の時期は体がだるいのかも知れません(苦笑)。

Img_0559c-2  九華公園では明日まで花菖蒲まつりですが、もうご覧のようにほぼ終了という感じ。今年は、諸戸氏庭園の花菖蒲や、亀山公園の花しょうぶまつりを見てしまいましたので、これを見てもどうも今イチモチベーションが湧かなくなってしまいました。まぁ、こんなものなのでしょう(苦笑)。桑名市も「花菖蒲まつりを開催します」と宣伝するなら、もっと手入れなどをきちんとして、盛り上げる工夫をしないといけません。市役所の職員の方も、観光協会の方も現地を見に来ているかどうか、きわめてアヤシいのです。

Img_1037c  その九華公園、奥平屋敷跡あたりが今日はちょっと賑やかでした。ムクドリが多数集まってきていたほかに、エナガとシジュウカラの混群も賑やかだったのです。ただ、高い松の木を移動しており、なかなかうまい具合に写真が撮れるところには来ません。シジュウカラの写真は撮れず仕舞い。このあと、管理事務所近くで、メジロかと思ったのですが、これもうまく撮れませんでした(苦笑)。貝塚公園も、内堀公園も、ヒヨドリや、カワラヒワ、シジュウカラ、ムクドリ、スズメがいたくらいでほとんど通過してきました。

Img_1057c  今の時期は、ツバメの巣のチェックをするしかありません。左の写真は、京町にあるお宅の巣。1羽のみ。今年生まれのヒナImg_1063c が大きくなったのだと思います。ここは4羽はいたと思いますので、他は巣立ったのでしょう。3つの巣がある呉服屋さんでは、先日見たのと同じ巣に親が就いていましたが、私の姿を見ると飛び出していきました。右は、吉津屋町にあるお宅の巣。ヒナ3羽がかなり大きくなってきました。この後、田町のお宅を見たものの、すでにヒナはおらず、巣立ったようです。田町の商店の巣は、今日は2つとも空っぽでした。

Img_0553c  明日は、荒れ模様の天候だという予報ですが、午前中は、名古屋で相談会を予定しています。準備はほぼ終えました。名古屋国際センターで行いますので、名古屋駅からはユニモール地下街を歩いて行けます。

 

2019年6月13日 (木)

20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ

Img_9434c_1  6月9日のJRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」の本編、その1です。この日、桑名は朝から雨。どうしようかと迷っていました。朝からテレビの天気予報にかじりつき、かつ、ネットで雨雲レーダーを何度も確かめていました。7時過ぎから我が家あたりは雨が降ってきたのですが、四日市から南は大丈夫そうでした。そこで、エイヤッとばかりに、出かけました。四日市を過ぎると空は明るくなり、亀山ではわずかに青空も見えており、これはラッキーと思ったのですが、そうそううまい話はありません。結果的には、途中4㎞あたりから雨(涙)。4㎞過ぎでは引き返すとか、途中リタイアという選択肢はありません。何しろ、スタートもゴールもJR関西線・亀山駅ですから、そのままゴールまで行かざるを得ませんでした(苦笑)。

Img_9444c_1  この日のスタート&ゴールは、JR関西線・亀山駅。紀勢線の出発駅でもあります。受付は、8:20~11:10でしたが、空模様をImg_9438c_1 眺めていましたので、出かけるのはやや遅くなり、桑名駅を9時28分に発車する亀山行き快速に乗車。四日市から先は各駅停車になります。亀山駅着は、10時6分着。¥670。往きの電車で隣り合わせた男性は、浜松から今日のさわやかウォーキングにいらしたそうです。私よりも明らかにご年配。負けてはいられませんねぇ。実は、このあと訪ねた布気皇館太神社でも、浜松からいらした女性に遭遇。この方、親御さんの介護を終え、浜松駅近くに引っ越して、こういうウォーキングに参加していらっしゃるとか。人生、いろいろあります。

190609jrwalkingkameyamacoursemap_1  左が今日のコースマップ。亀山駅をスタートして、亀山の西部を時計回りに歩くというコース。松月地蔵、忍190609jrwalkingkameyama_1 山神社、布気皇館太神社、旧・東海道の野村一里塚、慈恩寺を経て、亀山市歴史博物館、亀山公園で花しょうぶまつりを見て、亀山城多門櫓、でころぼ坂という珍しい名前の坂を下って、亀山駅に戻るという、マップ上、約7.4㎞です。右は、実際に歩いたルートを示した実測ルートマップ。8.2㎞を歩いてきました。いつものように桑名駅往復が1.8㎞ですので、今日は10㎞+αということです。スタートしたのは、10時10分。

Img_9442c_1  スタート地点の亀山駅には、駅前に大鳥居があります。これは、けっこう珍しいように思います。亀山駅に降り立ったのは、鈴鹿に就職したときに1度遊びに来て以来ですから、40年ぶり。当時、鳥居があったかどうかは、忘却の彼方。これは、能褒野神社の一の鳥居です。能褒野神社は、亀山市田村町にあり、亀山駅からは北東に直線で5㎞離れています。能褒野の地は、明治12年(1879年)に「王塚」あるいは「丁字塚」と呼ばれていた前方後円墳(現在の能褒野王塚古墳)が、内務省によって「能褒野墓」に治定されたところ。すなわち、日本武尊が崩じた場所とされたのです。その後、地元の有志により日本武尊の遺徳をしのぶため能褒野陵周辺での神社の創建が企画され、明治28(1895)年に社殿が竣工され、御鎮座祭が行われています。能褒野神社も行ってみたいところの一つですが、それはまたの機会に。

190609jrwalkingkameyama1_1  こちらは、実際に歩いた実測ルートマップを少し詳しくしたものの、その1。亀山駅をスタートして西へ向かいます。亀山駅Img_9449c は、名古屋駅とJR難波駅(大阪市)を結ぶ関西本線と、ここを起点として紀伊半島を海沿いに走り和歌山市駅までを結ぶ紀勢本線の2路線の接続駅となっています。かつて国鉄の時代には、機関区や客貨車区などが置かれた三重県内でも有数の鉄道の要衝でした。名古屋方面・京都方面から来る多くの特急列車などが、ここを経由して伊勢・南紀方面に向かっていたのですが、四日市 - 津間は当駅経由では大きく迂回するルートでした。そこで、短絡ルートである国鉄伊勢線の建設が検討されるようになり、昭和48(1973)年に伊勢線が開通すると名古屋方面の特急など優等列車の大半は伊勢線経由となり、徐々にローカル輸送へとシフトして行かざるを得なくなりました。伊勢線開通後も寝台特急「紀伊」が運行されていましたが、昭和59(1984)年に廃止され、亀山駅に停車する特急列車はなくなりました。京都方面からの急行列車も、近鉄特急に客足を奪われ昭和62(19879年に消滅。平成18(2006)年3月のダイヤ改正で急行「かすが」が廃止され、亀山に停車する優等列車はすべてなくなりました。往時にの賑わいを示すのが駅構内の広さです。東西方向に1km以上に渡っているのです。構内には、小さい転車台も残っています。私が40年前に訪ねた頃は、まだ日本国有鉄道の時代で、駅ももっと栄えていた気がします。

Img_9457c  さて、亀山駅をスタートして西へ。線路沿いの細い道を抜けて、旧国道1号線に出ます。昔はバイパスになっていたところが今Img_9461c は正式な国道1号線になり、ここは、県道565号線に変わってます。これだけで「今は昔」という感じ。少し行くと、カメヤマローソクの直売所だった建物の前を通ります。カメヤマローソクは、神仏用ローソクだけでなく、キャンドルの製造、販売をしています。現在は、大阪市北区に本社を置いていますが、もともとは昭和2(1927)年、ここ亀山で谷川兵三郎(ひょうさぶろう)が創業した谷川蝋燭製造所が始まりです(こちら)。ろうそくを専門に取り扱っており、ろうそくの国内シェアは約5割。ちなみに、今は結婚式で定番となったキャンドルサービスを昭和34(1959)年に生み出しています。

Img_9465c  亀山ローソクの直売所の先、亀山警察署のところを左折。JR関西線を潜り、鈴鹿川方面を目指します。亀山駅から西は、JR西Img_9469c 日本の管轄。少し行くと、右の写真のように関西線の下を潜るのです。関西線を潜るところには、「制限高1.7m」とあります。関西線を越え、鈴鹿川の手前で1㎞。その先に、松月地蔵(しょうげつじぞう)があります。

Img_9475c  こちらがその松月地蔵。松月地蔵(しょうげつじぞう)。五体のお地蔵様がいらっしゃいます。亀山市歴史博物館のサイトImg_9477c_1 よれば、亀山駅近くに住む方が中心になってお世話をしておられ、地蔵や五輪塔(部分)を「松月地蔵」と名づけたそうです。祠の後ろの松を植え替えたり、アジサイを植えたりなさっています。「川原の地蔵さん」というのが昔からの呼び名のようです(こちら)。詳しい由緒などは、検索しても不明ですし、亀山市歴史博物館のサイトにもありません。

Img_9484c_1  例によって(微笑)、田園地帯を進みます。鈴鹿川や、JR関西線の線路沿いです。稲はすでにかなり伸びてきていて、青々とImg_9498c_1 しています。このあたり(JR関西線を越えて、松月地蔵に出るところから500m以上にわたって)、関西線と鈴鹿川の間にメガソーラーの太陽光発電パネルが並んでいます。まさにその名の通り「メガ」です。右の写真は、メガソーラーの西側にある忍山大橋の上から東を向いて撮ったもの。これだけの規模のものは初めて見ます。

Img_9511c_2  スタートから2㎞ほどで、忍山神社(おしやまじんじゃ)に到着。「延喜式」神名帳に登録された式内社です。第10代崇神天皇7年(紀元前91年)、伊香我色雄命(いかがしこめのみこと;孝元天皇の妃となり、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を生みますが、天皇の死後、その子・第9代開化天皇の皇后となり、崇神天皇を生んだと伝わっています)に猿田彦を鎮座せしめられ、その子・大水口宿禰(おおみなくちのすくね)の子孫(80代)が相継いで神主となって明治に至ったとされます。垂仁天皇の御代に倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。また、第12代景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされ、媛は東征に従われ、相模の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められたと伝承されています。余談ですが、倭姫命が赴かれたところや、日本武尊がいらしたところについては、少なくとも近くにあるところはすべて訪ねてみたい気がしています。

Img_9525c_1  明治41(1908)年、村社能牟良(のむら)神社他、近隣の20社を合祀しています。主祭神は、猿田彦命と、天照皇大神。相殿神は、天児屋根命(アマノコヤネノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、天布刃玉命(アマノフトダマノミコト;高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子。天照大神が天の岩屋に隠れた際、天児屋命とその出現を祈請)、倭姫命、天照大御神荒御魂(天照大御神の荒御魂(あらみたま);神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」というのに対して、荒々しく格別に顕著な神威を表す魂の働きを「荒御魂」と呼びます)、大比古命(おおひこのみこと;日本書紀によれば孝Img_9517c_1 元天皇の皇子)、大若子命(おおわくごのみこと;伝承上の伊勢神宮の初代大神主。天日別命の子孫。度会(わたらい)氏の祖先神。倭姫命が天照大神を伊勢神宮にまつったとき、南伊勢の豪族として協力したため、神国造(かみのくにのみやつこ)と神宮の大神主に任じられた)、乙若子命(おとわくごのみこと;伝承上の伊勢神宮の神職。大若子命の弟。景行天皇、成務天皇、仲哀天皇の3代にわたって豊受大神宮の大神主としてつかえたという)、天宇受売命(アマノウズメノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れた際、その前で踊り、大神を誘い出した女神)、大山津見命(オオヤマツミノカミ;山をつかさどる神)、豊宇賀乃売命(トヨウケビメノミコト;豊受大神の異称)、木花佐久夜姫命(コノハナノサクヤビメノミコト;日本神話にみえる女神。大山祇神の娘。天孫瓊瓊杵尊の妃。富士山の神)、饒速日命(ニギハヤヒノミコト;天孫降臨に先だち、天磐船(あまのいわふね)に乗って天下ったという神)、大水口宿禰穂積命、忍山宿禰(Wikipediaによれば、古事記では建忍山垂根(たけおしやまたりね)。日本書紀に現れる穂積忍山宿彌と同じという。古事記には、成務天皇の妃である弟財郎女の父として登場する。また日本書紀に記される、日本武尊の妃・弟橘媛の父である穂積忍山宿禰も同一人物とされる。穂積神社、忍山神社の祭神)、建速須佐之男命(タケハヤノスサノオノミコト;天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ;三種の神器の一。のちに、熱田神宮に祭られる。別称、草薙剣(くさなぎのつるぎ))、大名牟遅命(おおなむちのみこと)、伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ;伊弉冉尊とともに天つ神の命で磤馭慮島(おのころじま)をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神)、伊邪那美大神(イザナミノミコト;伊弉諾尊と結婚し、国生みと神生みを行った女神)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津宮の祭神)、火産霊神(ホムスビノカミ;迦具土神(かぐつちのかみ;伊弉諾尊・伊弉冉尊の子。火の神))、菅原道真公、保食神(ウケモチノカミ;五穀をつかさどる神。食物の神)、伊香我子雄命(いかがしこめのみこと)。いやぁ、調べてリンクを張るのも大変です(微笑)。20社を合祀したが故にこれほど多くの神様がいらっしゃるのでしょうが、関連図でも書いてみないといけません。

Img_9527c

 先に述べましたが、垂仁天皇14年(紀元前16年)、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和Img_9529c_2 の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。拝殿前にはそれを記した柱が立っています。神社でいただいた由緒にはこれを貸し込んで天照大神を奉祀したとあります。ここ忍山神社の神事には、「傘鉾」というものがあるそうです。素戔嗚尊の荒魂を鎮めるため古くから行われています。毎年10月の例祭日に傘鉾が町内巡行されます。傘鉾は、傘状の山車で毎年、新たに造られるそうです。リンク先で動画が見られます。もとは、能牟良(のむら)神社の祭礼で、忍山神社に合祀されたため、忍山神社の祭りになっています。こちらに亀山市教育委員会がつくった「忍山神社の歴史」という資料があります。倭姫命は、「河曲鈴鹿小山宮」に鎮座されたといいますが、この小山宮がここ忍山神社とされています。倭姫命が「ここはどこか」と聞いたところ、大比古命が「味酒鈴鹿国(ウマサケスズカノクニ」と答えたといいます。

Img_9542c_1  拝殿の東側には、山の神、庚申塚などが、8基集められていました。向かって右から2基目には、「辯才天」と彫られています。歴史のある神社で、なかなかよい雰囲気というか、それなりに厳粛でありつつ、落ち着ける感じがします。

Img_9537c_2  参拝を終えたところで、氏子の代表の方が由緒を書いたパンフレットをくださり、さらに、「いただいていってもらわないと困るんです」と、御神酒を強く勧めてくださいました。お断りするのもどうかと思い、素直に頂戴してきました(微笑)。辛口で、なかなかいける「御神酒」でしたなどと書いていると、罰が当たるかも知れません(苦笑)。いや、お断りすると罰が当たったということにしておきましょう。忍山神社でちょうど2㎞、時刻は10時45分頃。

190609jrwalkingkameyama2  実測ルートマップは、その2の範囲に進みます。忍山神社から再びJR関西線沿いを進みます。布気町に入って、昔の国道1号Img_9553c_2 線を渡り、布気皇館太神社を目指します。右の写真では、「どんなところ?」と思われそうですが、田園地帯です。草が生い茂っている向こうは、水田。

Img_9568c  旧・国道1号線(現在は県道)を布気東交差点で渡ります。この交差点の東南に「亀八食堂」という、このあたりでは焼き肉・ホルモンで有名な食堂があります。鈴鹿で働いていたImg_9569c 頃、何度も来たことがあります。最近は、B級グルメの「亀山みそ焼きうどん」でも有名な店。ここのみそ焼きうどんは、自分で鉄板で焼いて食べます。この店、お勧めです。今回のウォーキングでも、ルートを調べていて、すぐ近くを通るなら立ち寄りたいと思ったくらい。皆様も、近くにいらっしゃる機会がおありでしたら、ぜひお立ち寄りください(微笑)。

 というところで、その1はここまで。その2は、布気皇館太神社から。

M池公園でカイツブリのヒナと、カワセミ……コアジサシはいなくなってしまい、残念

Img_0295c  昨日、一昨日のように大気の不安定さがないそうで、よく晴れて、梅雨とは思えない日です。明日は朝から雨という予報ですのImg_0413c で、先週に引き続き、木曜の今日、プチ遠征としました。長良川河口堰、長島町内某所2ヶ所とM池公園です。8時20分から12時。左の写真は長良川河口堰、右の写真はM池公園。どちらも水辺で広い空間。気持ちの良いところです。

Img_0419c_2

 M池公園、そろそろカイツブリのヒナが孵っているだろうと思って、確認に行ったのです。親が就いていた巣は9ヶ所。そのうImg_0465c ち3ヶ所でヒナを確認できました(微笑)。左は中之島の北、右は中之島の南の巣で撮ってきました。毎年、このように親鳥がヒナを背中に乗せているところが見たいのです。左の写真の親子は、遠くて肉眼では背中に乗っているとは分かりませんでした。右の写真は、近いところでしたから30分近く粘ったのですが、なかなかこれはというものは撮れないものです。

Img_0518c_1

 また、M池公園では、着いたとき(10時10分頃)、南の端のエリアでカワセミが飛ぶのを見ました。カワセミImg_1002c を見るのは久しぶりでしたから追いかけたのですが、見失ってしまいました。池を一回りしてきたら、最初に見たあたりにまだいました。ラッキーです。下の嘴が赤く見えますから、メス。「清流に棲む鳥」というイメージが流布していますが、お世辞にもきれいとはいえないところで、ダイビングしてエサ探しをしていました(笑)。あまりイメージに反することは避けてもらいたいものです。飛ぶところも撮ったものの、あまりうまくは行かず。

Img_0439c  その他、M池公園では、モズのオス。カイツブリを撮っているときに出て来ました。オオヨシキリもいたのですが、これはとImg_0382c いう写真は撮れませんでした。オマケは、タヌキ(笑)。公園の北西側、もとの花菖蒲園の近くで、麦畑の中に消えていきました。こんなところにいるとは。

Img_0343c-2

 長良川河口堰に話を戻します。サギはほとんどいませんでした。アオサギが1羽のみ。コサギなどはまったく。ハクセキレイImg_0319c は、管理橋の上や、親水広場にたくさんいます。右の写真は、親水広場で撮ったものですが、まだ幼いハクセキレイのように見えます。親水広場では、ツバメが3羽ほど降りているところも目撃。

Img_0313c  親水広場では、コチドリもよく見ます。今日もいたので追いかけました。伊勢大橋に近いとImg_0323c ころは、先日まで除塩ポンプの工事が行われていて、入れなかったのですが、そこにある新しい橋の架け替えのためにつくられた盛り土に、ひょっとしたら営巣しているかも知れないのを見つけました。

Img_0746c  さらに戻る途中、親水広場のアユ孵化試験が行われる水路近くで、2羽のハクセキレイが、戯れているようなシーンに遭遇。Img_0748c 攻撃し合っているようにも見えますが、よく分かりません。

Img_0715c  コアジサシ、河口堰では西側で1羽しか見られませんでした。先週も、先々週も河口堰の東には、少なくとも2羽はやって来ていました。ちょっと気になります。

Img_0346c  営巣している某所2ヶ所を確認してきましたが、残念ながらどちらにもコアジサシの姿は1羽もありませんでImg_0348c-2 した。左の写真は、某所その1。右はその2。梅雨入りした途端に大雨が降りましたし、昨日、一昨日は夕方かなり降り、雷も鳴りました。こういうことが影響したのでしょうか。その2ではヒナもいたのに、どうしたのか気になります。

Img_0802c  その1には、ヒバリが1羽のみ。コアジサシがいなくなってしまい、呆然としましたので、まぁ救いの神かも。

2019年6月12日 (水)

ここまで6連勝中ですが、油断は大敵

Dscn1181c  6月12日、水曜日であります。2月、3月は過ぎるのが速いといわれますが、最近もけっこう速く時が過ぎゆく気がします。6月ももう12日かという感想なのです。そして、今日は水曜ですから、江戸橋方面での仕事日。ジンクスや、一部のご期待(?)を見事裏切って、今日も晴れました(微笑)。これで5月の10連休明け以降、6連勝であります。とはいえ、前にも書きましたが、梅雨入り宣言もなされました故、油断大敵。今日で授業は8回目。半分を超えました。今日は、カウンセリングの基礎概念というテーマ。来週は、DVDを使って実際の場面を確認してもらい、再来週は演習。実際に傾聴がどのくらいできるかを学生諸君に体験してもらい、レポートにまとめ、提出という運びの予定。授業もいよいよ佳境。

Dscn1189c  授業といえば、毎回出席票に質問やコメント、感想を書いてもらっています。何も書いてないということはまれです。水曜日、帰宅して昼食を摂ってからは、出欠チェックを行い、この出席票に書かれた質問などを読みます。これは楽しみでもありますし、どれを選んでどのような回答、返答を書くかがもっとも重要な役割と思っています。どういう授業をするかはもちろん大切なのですが、学生諸君がどのような反応をしてくれるかが、最重要ポイントと考えています。やりとりですね。今日は、前回のコメントに対する回答にさらに質問や意見を書いてくれた学生が複数ありました。これがあると、私も勉強になりますし、学生たちにも一通り授業を聴いてそれを理解する以上に学ぶことがあると思っています。というか、信じています。どういう質問ができるかが、学習者にとって必要、重要な能力です。どういう質問をするかによって、得られる回答や説明は異なるのです。有り体に書けば、おバカな質問しかできないと、それなりの回答しか返してもらえないのです。

Dscn1198c

 などと屁理屈をこねていますが、若い学生の皆さんから反応を得られるというのは、刺激になりますし、自分が持っていなかった視点に気づかせてもらっています。この年で授業をさせてもらって、若い人たちに接する機会があるというのは、幸せなことという気がします。夕方は、昨日と同様、雷雨&大雨。明日は、好天だそうですから、またコアジサシ、カイツブリなどを見に行きたいと思っています。

2019年6月11日 (火)

梅雨の晴れ間

Img_0192c   午後からは雨という予報でしたが、夕方までは降らず。けっこう上天気です。気温は25℃ほどで、梅雨にしては快適な感じ。雨が降らないうちにと思って、8時20分から住吉神社、歌行燈本店、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、田町と5.8㎞。あちこちで散歩友達、知人に出会い、今日もまたしゃべりに行ったような散歩(笑)。しかし、ずいぶん久しぶりにお目にかかる方もあり、これもまた散歩の楽しみ。

Img_0204c  歌行燈本店のアジサイ、そろそろピークを過ぎつつあります。クローズアップで撮ろうと思うと、傷んだ花が視野に入ってきImg_0223c て、気になります。今シーズンもしっかり楽しませていただきました。本当は、食事もしに行きたいところですが、最近はすっかり足が遠のいてしまっています(苦笑)。

Img_0236c  九華公園では、北門を入ったところの相撲場にテントが張られていました。先日、相撲愛好会の方が作業をしておられました(6月8日:カルガモくらいしかいません(苦笑))。これで大相撲・峰崎部屋のお相撲さんを迎える準備が出来たということです。例年通り、土俵を覆う大きなテントが設置され、その脇には鉄砲柱。なぜか、この鉄砲柱が好きというか、気になります(微笑)。

Img_0652c

 九華公園の花菖蒲、たくさん咲いているのですが、一つだけ気になります。咲き終わった花がらがそのままなのです。見栄えもよくありませんし、写真を撮ろうと思うと、花がらが入ってしまうのです。花菖蒲園は、管理人さんやシルバ人材センターから派遣される方の担当範囲ではないようで、このあたり管理の仕方を工夫する必要があります。造園業者さんが、地元の業者さんではなくなりましたから、臨機応変というか、機敏な対応が難しくなっているようです。花菖蒲まつりと銘打っていますので、これは、市役所がきちんと対応しないといけないことだろうと思います。

Img_0643c  いつもの散歩コースには相変わらず、鳥はいません。「いません」というのは正しくなく、ドバトやスズメ、Img_0647c ムクドリはいます(苦笑)。たまにハクセキレイを見かけます。このハクセキレイは、住吉入江で。ドバトは、三の丸水門のところで、水を飲んでいるようでした。カップルが仲良くしているのかと思いましたが、詳細は不明。

Img_0268c  京町公園で休憩していたら、道路の水たまりでスズメが水浴び。もっとしぶきが上がる瞬間が撮れるとよかったのですが、連写しても写っていませんでした(苦笑)。

Img_0679c  ツバメの巣も巡回してきました。左は、京町のお宅にある巣。ついこの間、雛が孵ったと思ったのですが、もう巣からあふれImg_0683c んばかりの大きさ。しかし、まだ親ツバメがエサを運んで来ます。ここの雛が孵ったのは、5月30日 でした(好天なれど鳥は少なし……メダカ水槽にヒメタニシを試験導入)。孵ってから巣立つまでは3週間くらいといいますが、それにしては成長が早い感じもします。京町の呉服屋さん、一度ツバメが巣立ったのですが、今日見たら、もう一ヶ所の巣に親ツバメがいました(ここには3つの巣があります)。前と同じツバメかどうかは分かりません。

Img_0700c

 田町の商店にあるツバメの巣でも、もう一ヶ所(ここは2ヶ所)の巣にやはり親ツバメが座っています。ツバメの個体識別ができたらいいのですが、それはほとんど不可能。田町にある、お宅の巣のヒナも元気にしています。

Img_0661c  鳥がいないといつも昆虫に目が向くのですが、チョウもトンボもまだ少ない感じ。九華公園の回りでは、コシアキトンボをよく見ます。左は、オオシオカラトンボかと思います。チョウも、モンシロチョウ、キチョウなどImg_0664c_1 も見ますし、アゲハもよく見ます(右の写真)。

Img_0250c  さて、明日は江戸橋での仕事の日。梅雨入りしましたが、今のところ天気予報は、晴れ。ジンクス通りを期待される方もいらっしゃるようですが、さてどうなりますか?

2019年6月10日 (月)

梅雨らしい天候で、蟄居、仕事など

Dscn1175c  梅雨らしい天気でした。朝から14時過ぎ頃まで雨。夕方になってわずかに青空も覗いてきました。しばらくはぐずついた空模様のようです。朝から雨ということで、午前中は蟄居生活。お断りしておきますが、「閉門」ではありません(笑)。これでお分かりになる方は、時代劇通(微笑)。それはさておき、午前中は、土曜日(6/15)の相談会の準備。午後からは、まず、歯科の定期検診。3ヶ月に1回。ご多分に漏れずというか、年齢相応に歯は衰え、先生からは「ウ~ン、ここが今度悪くなったら、ブリッジを架けないといけませんねぇ」と脅かされております。が、今日のところは無事にパス。まぁ、時間の問題でしょう。畏友S氏によれば、「歯が抜けて、髪が薄くなって、だんだんジジイ」だそうです(苦笑)。歯科検診の後は、市役所で会議に出席。今年も微力を尽くすことになっています(詳細は割愛)。

Dscn1177c  散歩はしておりませんし、写真も撮っておりませんので、夕方になって外の景色を適当に撮ってきました(笑)。これぞ証拠写真(苦笑)。西の空は明るく、夕焼けとまでは行きまDscn1179c せんが、それらしい空も見えます。しかし、明日の天気予報は曇り時々雨。梅雨時は、散歩の虫を抑えるのに苦労しますが、当面、相談会の準備を優先しましょう。

2019年6月 9日 (日) 20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その3)……斎宮史跡に戻り、1/10史跡全体模型、史跡公園斎王の森、そして斎王群行を見て、近鉄斎宮駅にゴール(完)

190602kintetsuhikingsaikuu1  6月2日の近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」のその3です。今回でゴールの見込み。その2では、斎王群行の出発式をほぼ見て、竹神社を探索したところまででした。実測ルートマップは、再びその1です。「さいくう平安の杜」から竹神社に行き、13時40分頃戻って来ましたが、まだ斎王群行は始まらないようでしたので、いつきのみや歴史体験館の北にある「1/10史跡全体模型」を見に行くことに。

Img_8673c_1  「1/10史跡全体模型」は、斎宮跡歴史ロマン広場にあります。史跡全体を10分の1のスケールで再現しています。斎宮の広大なImg_8681c_1 規模と当時の姿がかなり具体的にイメージできるところとなっています。発掘調査成果をもとに、斎王が住んだ御殿をはじめとする中心区画の建物も配置されています。右の写真は、斎王が住み、日常を過ごしていた内院というところ。人形も置かれていますから、その大きさ、広さが分かります。

Img_8674c  こちらは、倉庫のような建物が並んでいます。高床式になったものが大半のようでした。門なども再現され、開Img_8677c かれていましたので、「覗いて」みました(微笑)。実物と見間違えそうな雰囲気です。しかしそれにしても広く、さまざまな建物があります。当時は、とても重要な役所だったということも分かります。黄褐色、茶色の屋根は発掘調査で確認された建物、また、灰色の屋根は推定された建物と区別されています。 

Img_8664c  1/10史跡全体模型の近くには、古代米(赤米、黒米)を栽培しているところもあります(平成6(1994)年かImg_8665c ら)。種籾は神宮司庁(伊勢神宮)から譲渡されたものだそうです。まだ田植が行われたばかりですが、手前が赤米、そして奥が黒米になっています。その隣には、杜若、菖蒲などがつくられている池も。

Img_8707c  もう1ヶ所、「史跡公園斎王の森」も見てこなくてはなりません。斎宮歴史博物館から斎宮のハナショウブ群落へ行くときにこImg_8697c の北側を通ったものの、見ていませんでした。斎宮跡のシンボルゾーンともいえるところです。南北朝の動乱によって斎王の派遣が途絶え、斎王のいない斎宮は荒廃してしまい、15世紀中頃には斎宮は地名だけが残るのみとなったといいます。しかし、ここは地元では斎王の御殿のあった場所として伝承されてきました。江戸自裁の「伊勢参宮名所図会」にも紹介されていました。森林に囲まれ、静寂とした雰囲気、神秘的な感じさえします。

Img_8701c_1  鳥居をくぐって入って行くと、「斎王宮趾」と刻まれた石碑があります。これは、昭和42(1967)年11月にImg_8703c_1 建てられたもので、碑文は神宮祭主・北白川房ヱ内親王の御染筆。この斎王の森は、発掘調査の結果、斎宮の方各地割の外側であることが判明したのですが、その北西にあたることから、北東の丑寅神社(ハナショウブ群落に行くときに、旧蹟を見たところ)とあわせ、外部の穢れから斎宮をまもる役割を果たした可能性があるといいます(現地の説明板による)。なるほど、丑寅神社旧蹟の「丑寅」は方角だったのでした(もっとアタマを働かせないと……苦笑)。

Img_8732v  斎宮の森を見て、13時55分。斎王群行が出発する予定時刻が、13時50分ですからちょうどよい頃合い。いつきのみや歴史体Img_8742c_2 験館の東側まで戻って、「場所取り」。しかし、斎王の森にいた頃から、空が暗くなってきて、いつきのみや歴史体験館まで来たら、ポツポツと降ってきてしまいました。予報では、夕方から雨だったのに……とちょっと恨めしく思いますが、さほどの雨でもなく、斎王群行までしっかり見ることにしました。斎王群行は、さいくう平安の杜から出発し、近鉄山田線沿いに西へ。いつきのみや歴史体験館のところで右折して、北に向かい、斎宮歴史博物館までのパレード。平安の雅という感じですが、せっかくなら青空の下で見たかったものです。

Img_8751c  こちらが斎王が乗った葱華輦。当時は、10数名で担いだのですが、さすがに今はそうはいきません(微笑)。車が付いたものImg_8757c を引いての群行。ちなみにこの斎王まつりでの斎王は、公募で選ばれるということです。拝見するところ、すっかり斎王になりきっているという印象でした。

Img_8762c  このあとからは、特別参加の皇學館大学雅楽部の皆さん、さらには、子ども斎王の葱華輦が続Img_8772c きました。これで群行パレードも、すべてが通過。

Img_8781c  残念ながら、少しずつ雨が強くなり、群行はこのあと途中で中止になってしまったそうですが、私としては一応すべて見られ、満足。ゴールの近鉄斎宮駅に向かいます(といってもほとんどすぐ目の前)。ただ、Kips Img_8783c ICOCAカードにチャージをしたかったので、来たときに降りた史跡公園口ではなく(史跡公園口には、ICカードの簡易改札しかないのです)、南口に。スタートから8.1㎞、時刻は14時12分。斎宮駅には普通しか止まりません。14時28分発の伊勢中川行き普通に乗車するのですが、4両編成しか止まれないホームはラッシュアワー並の大混雑(笑)。しかもこの時間、普通電車は2両編成。松阪駅に14時40分着。次の名古屋行き急行は、14時54分、これに乗車。桑名には16時4分着。1時間10分は、電車に乗ったという感覚が十二分にあります。¥1,070。最後は、雨に降られましたが、斎宮、斎宮歴史博物館も訪ねたかったところですし、斎王群行も見たかった行事でしたので、満足。

Img_8788c

 これであみま倶楽部のスタンプは見事20個を達成。去年は1年で20個でしたから、倍くらいのペース。Alkooのデータでは、Img_8808c 歩数は19,249歩。けっこうよく歩きました。Alkooによる歩いた距離は、今日もかなりの過大評価で14.7㎞。キョリ測で測定した、9.9㎞プラスアルファが妥当なところでしょう。

Img_8811c  ところで、今日は出かける前から、土産というか、夕食用にというか、弁当を買うことにしてImg_8827c_1 いました。JR紀勢線・松阪駅の駅弁。「あら竹」という弁当屋さんの、「モー太郎弁当」です(¥1,500)。松阪名物黒毛和牛をすき焼きにして、ごはんの上に載せた弁当。「日本初のメロディ付き駅弁!五感に響く駅弁」というのがキャッチコピー。この日、晩ご飯にいただきました。さすがに松阪牛、堪りませんでした(微笑)。蓋を開けると唱歌「故郷」のメロディーが流れます。以前のハイキング/ウォーキングの時に、JR松阪駅の1番線ホームに売店があるのを確認していましたので、往きの乗り換えの待ち時間に買ってきました。余談ですが、このモー太郎弁当、前日(6/1)からこの値段に値上げされていたのですが、売店のおばちゃん、アタマが切り替わっていなかったのか、古い値段(¥1,360)で売ってくれそうになりました(笑)。

Img_8814c  オマケ。「モー太郎弁当」の蓋。ちょっと強面と思いますが、牛の顔をかたどっています(微笑)。

2019年6月 9日 (日)

20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑)

Img_9434c

 天候がかなりアヤシかったので、朝からテレビの天気予報にかじりつき、かつ、ネットで雨雲レーダーを何度も確かめていました。7時過ぎから我が家あたりは雨が降ってきたのですが、四日市から南は大丈夫そうでした。そこで、エイヤッとばかりに、JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」に行ってきました。四日市を過ぎると空は明るくなり、亀山ではわずかに青空も見えており、これはラッキーと思ったのですが、途中4㎞あたりから雨(涙)。4㎞過ぎでは引き返すとか、途中リタイアという選択肢はありません。何しろ、スタートもゴールもJR関西線・亀山駅ですから、そのままゴールまで行かざるを得ないのです。今回は、予告編。

Img_9444c  今日のスタート&ゴールは、JR関西線・亀山駅。受付は、8:20~11:10でしたが、空模様を眺めていましたので、出かけるのImg_9438c がやや遅くなり、桑名駅を9時28分に発車する亀山行き快速に乗車。四日市から先は各駅停車になります。亀山駅着は、10時6分着。¥670。往きの電車で隣り合わせた男性は、浜松から今日のさわやかウォーキングにいらしたそうです。私よりも明らかにご年配。負けてはいられませんねぇ。

190609jrwalkingkameyamacoursemap  こちらが今日のコースマップ。亀山駅をスタートして、亀山の西部を時計回りに歩くというコース。松月地蔵、190609jrwalkingkameyama 忍山神社、布気皇館太神社、旧・東海道の野村一里塚、慈恩寺を経て、亀山市歴史博物館、亀山公園で花しょうぶまつりを見て、亀山城多門櫓、でころぼ坂という珍しい名前の坂を下って、亀山駅に戻るという、マップ上、約7.4㎞です。右は、実際に歩いたルートを示した実測ルートマップ。8.2㎞を歩いてきました。いつものように桑名駅往復が1.8㎞ですので、今日は10㎞+αということです。スタートしたのは、10時10分。

Img_9442c  スタート地点の亀山駅には、駅前に大鳥居があります。駅に降り立ったのは、鈴鹿に就職したときに1度遊びに来て以来ですから、40年ぶり。当時、鳥居があったかどうかは、忘却の彼方。実はこれ、能褒野神社の一の鳥居です。能褒野神社は、亀山市田村町にあり、亀山駅からは北東に直線で5㎞離れています。能褒野の地は、明治12年(1879年)に「王塚」あるいは「丁字塚」と呼ばれていた前方後円墳(現在の能褒野王塚古墳)が、内務省によって「能褒野墓」に治定されたところ。すなわち、日本武尊が崩じた場所とされたのです。その後、地元の有志により日本武尊の遺徳をしのぶため能褒野陵周辺での神社の創建が企画され、明治28(1895)年に社殿が竣工され、御鎮座祭が行われています。能褒野神社も行ってみたいところの一つですが、それはまたの機会に。

Img_9477c  亀山駅からは西へ。昔は国道1号線であった、県道565号線なども通って、亀山警察署を過ぎて南下。JR関西線を越えて、鈴鹿川沿いに出たところに松月地蔵(しょうげつじぞう)。五体のお地蔵様がいらっしゃいます。亀山市歴史博物館のサイトによれば、亀山駅近くに住む方が中心になってお世話をしておられ、地蔵や五輪塔(部分)を「松月地蔵」と名づけたそうです。祠の後ろの松を植え替えたり、アジサイを植えたりなさっています。「川原の地蔵さん」というのが昔からの呼び名のようです(こちら)。

Img_9484c  例によって(微笑)、田園地帯を進みます。鈴鹿川や、JR関西線の線路沿いです。稲はすでにかなり伸びてきていて、青々とImg_9498c しています。このあたり(JR関西線を越えて、松月地蔵に出るところから500m以上にわたって)、関西線と鈴鹿川の間にメガソーラーの太陽光発電パネルが並んでいます。まさにその名の通り「メガ」です。右の写真は、メガソーラーの西側にある陸橋の上から東を向いて撮ったもの。これだけの規模のものは初めて見ます。

Img_9511c_1  スタートからほぼ2㎞、10時35分に忍山神社(おしやまじんじゃ)。「延喜式」神名帳に登録された式内社です。崇神天皇7Img_9525c_1 年(紀元前91年)、伊香我色雄命(いかがしこめのみこと;孝元天皇の妃となり、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を生みますが、天皇の死後、その子開化天皇の皇后となり、崇神天皇を生んだと伝わっています)に猿田彦を鎮座せしめられ、その子・大水口宿禰の子孫(80代)が相継いで神主となって明治に至ったとされます。垂仁天皇の御代に倭姫命が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。また、景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛を妃とされ、媛は東征に従われ、相模の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められたと伝承されています。明治41(1908)年、村社能牟良神社他、近隣の20社を合祀しています。主祭神は、猿田彦命と、天照皇大神。相殿神は、天児屋根命他22柱。本編の際にきちんと示したいと思っています。

Img_9537c_2  ここでは氏子の代表の方がいらっしゃり、「いただいていってもらわないと困るんです」と、御神酒を強く勧めてくださいましImg_9527c た。お断りするのもどうかと思い、素直に頂戴してきました(微笑)。辛口で、なかなかいける「御神酒でした」などと書いていると、罰が当たるかも知れません(苦笑)。

Img_9620c_2  次の目的地は、布気皇館太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)。スタートから3.3㎞、時刻は11時。ここの主祭神は、天照大御神、豊受大神、伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ;払戸大神に同じ)Img_9592c_3 。相殿神は、宇迦之御魂神他19柱。延喜式神名帳には「鈴鹿郡布気神社」とあるといいます。昔、旧野村字に布気林というところがあり、そこに奉斎してあったことため「布気神社」と称えたといいます。文明(1469~86年)の頃に起った兵乱によって社殿がすべて焼失したため、後に皇舘の森へ奉遷したと伝わっています。静かでなかなかよい感じの神社でした。

Img_9631c  布気皇館太神社の表参道は、旧東海道に面しています。それ故、ここからしばらくは、東海道を歩いて東に向かうことになりImg_9654c ます。このあたりから雨が降り始めます(苦笑)。4.3㎞地点に「野村一里塚」。亀山城の西に位置します。県内12ヵ所の一里塚のなかで唯一、昔ながらの原形を保っています。残っているのは北側の塚で、南側の一里塚は、大正3(1914)年に取り壊されました。江戸日本橋からは106里12町(417.6㎞)、京三条大橋から17里32町(70.2㎞)の距離。樹齢400年のムクの巨木が植えられています。昭和9(1934)年に国の史跡に指定されています。

Img_9666c  雨がけっこうよく降りますので、先を急ぎました。野村一里塚から400mほどのところに亀鶴山無量院慈恩Img_9680c 寺。浄土宗のお寺。慈恩寺の縁起によれば、行基が神亀5(728)年に聖武天皇の勅願によって創建した薬師寺(長福寺)というお寺がかつてあったのですが、正徳6(1716)年にこのお寺は、慈恩寺と改まっています。

Img_9687c_2  ここのご本尊の阿弥陀様は、長福寺のご本尊であった薬師如来像の両手首から先を阿弥陀印としたものと考えられています。この木造阿弥陀如来(国重要文化財)は、像高163cm、ヒノキの一木造で、 県内における9世紀初めの代表作といいます。今日は、檀家の代表の方がいらっしゃり、ご本尊を拝ませていただけた上に、写真撮影まで認めてくださいました。肉付きがよく、なかなか力強い感じの仏様です。

Img_9714c_2  雨の中を進み、スタートから5.8㎞で亀山市歴史博物館へ。常設展と企画展が行われていました。企画展は、今日まで「彫った 刷った 出来た!」という印刷技術や、印刷物についての展覧会でした。常設展の方は、入場料が必要。JRさわやかウォーImg_9717c キングの特典で、団体料金で入れていただけました。

Img_9733c  常設展で目を引いたのは、まずは左の写真にある「井田川茶臼山古墳横穴式石室復元模型」。これは迫力があImg_9756c りました。そしてもう一つは、「亀山城・亀山城か復元模型」。文久3(1863)年頃の亀山城と亀山城下の中心部の状況を1/180で再現したもの。これも圧巻。幕末から明治にかけての資料に基づいています。亀山宿内は、文久3(1863)年2月の14代将軍徳川家茂の亀山宿止泊時における宿割帳とみられる、「宿内軒別書上帳」(亀山市歴史博物館蔵)に基づいて復元されているそうです。

Img_9823c_1  続いて、亀山公園で行われている「花しょうぶまつり」へ。この菖蒲園は、平成10(1998)年に亀山城の堀跡にもともとあImg_9829c_1 った花しょうぶ園が拡張整備されたもので、約4,000平米の敷地に県下最大規模の100品種、約1万2千株の花しょうぶが植えられています。亀山公園は元々、亀山城藩主の別荘のあったところだそうです。また、花しょうぶは、亀山市の花になっています。6月5日で五分咲きとなっていましたが、かなり見事でした。

Img_9859c  花菖蒲園で時刻は、12時25分。スタートから6㎞半くらい。雨は小降りでしたが、残すのは亀山城多門櫓のみでしたし、1㎞くらい歩けばゴールというところまで来ています。菖蒲畑の目の前に屋根付きのベンチがありましたので、ここでお昼にしました。今日は、JRさわやかウォーキングということもあって、桑名駅のキオスクでゲットしてきた「幕の内弁当」。¥450。焼き魚や、野菜の煮物なども入っていますから、コンビニの幕の内よりもよいかも(微笑)。ご飯は、コンビニ弁当の方が美味しい感じでしたが……。

Img_9903c  12時50分に再スタート。亀山城多門櫓を目指します。といっても、花菖蒲園からは300mほど。亀山城は天正 18(1590)Img_0080c_2 年、岡本宗憲によって築城されました。多門櫓は、天守台といわれる本丸高石垣上にあり、寛永9(1632)年頃に築造されたとみられています。三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています。これは、今日是非とも見たかったところ。平成の大修理が平成25(2013)年3月に完成し、往時の姿に復原され、真っ白な白壁の漆喰が印象的です。

Img_9945c  しかも、内部が公開されていてラッキーでした。修理で屋根が葺き替えられていたり、壁が塗り替えられたりImg_9949c していますが、櫓の柱、梁などは建築当時のものを使っているというお話しでした。建築部材から見つかった「惣武具」や「武器蔵」といった文字から、当時は武具庫として使用されていたと考えられています。もともと「櫓」は「矢倉」だったそうですから、さもありなん。多門櫓のところの石垣は、野面積みとなっていました。今年度の市民大学講座「城と城下町」で先月、話を伺ったばかりですから、まだまだしっかりと記憶していました(苦笑)。多門櫓近くには、亀山神社、亀山演武場(亀山藩御流儀心形刀流武芸形(おんりゅうぎしんぎょうとうりゅうぶげいがた)が伝承されています)、明治天皇行在所旧蹟などがありましたが、それはまた本編にて。

Img_0109c  亀山城多門櫓を拝観してからは、亀山市役所の前を通って、ごく短い距離、再び東海道を歩き、「でころぼ坂」へ。妙な名前Img_0114c の坂だと思って調べてみました。亀山市歴史博物館のサイトの昔話のページにありましたが、正しい由来は分からないようです。昔からこの呼び名だったそうで、「でこぼこ坂」や「でくのぼう坂」がなまったものだといわれます。「でくのぼう」は「木偶の坊」で、木でつくられたあやつり人形。「どちらにしてもなぜこの名前なのかはわかりません」となっていました。

Img_0130c_2  元の国道1号線を越えて、ゴールのJR亀山駅へ。スタートから8.2㎞、時刻は13時35分でした。結局、布気皇Img_0141c_1 館太神社を出た11時20分頃からずっと雨でした。今日で、JRさわやかウォーキングのスタンプは、7個目。今日は、バッチと、「TOICAエリア拡大記念」ということでICカードで乗車してきた参加者限定でフリクションボールペンがいただけました(先着1,000名)。

Img_0159c  13時59分に四日市行きの臨時快速電車がありましたので、それに乗車して帰途へ。四日市着Img_0174c は14時34分。四日市市発の名古屋行き普通電車が、14時42分にあります。これに乗って桑名には14時57分に到着。¥670。ALKOOのデータは、右の写真の通り、18,935歩。ウォーキングで8.2㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で合計10.0㎞。

Img_0181c  亀山駅で電車を待っている間にキオスクを覗いたら、深川屋の「関の戸 お茶の香」6個入り(¥600)を売っImg_0188c ているのを見つけ、これを今日の土産に。関の戸は、関宿の名物。この関の戸は、昔、鈴鹿で働いていた頃からの大好物。赤小豆のこし餡をぎゅうひ餅で包み、阿波特産の「和三盆」をまぶした一口大の餅菓子。「お茶の香 関の戸」はこれに亀山茶の粉末がまぶしてあります。オリジナルの関の戸よりも、これの方がよいかも。お茶の苦みと餅皮の食感、こしあんの甘味の組合せがよい感じです。

 以上、雨に降られましたが、それなりに楽しめました。本編は、またボツボツと書き進めます。明日は、午後から歯科の定期検診。その後、教育委員会の会議に出席予定。6/15は相談会ですから、その準備も急がねば(微笑)。

20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その2)……丑寅神社旧蹟、斎宮のハナショウブ群落、楠森神社跡から斎王群行の出発式を見て、竹神社を探索

190602kintetsuhikingsaikuu2_1 6月2日の近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」のその2です。その1では、斎宮歴史博物館Img_8317c_1 から塚山古墳群を見て、花菖蒲群落へ向かう途中、昼になりましたので、北野公園で弁当を食べたところまで。実測ルートマップは、その2です。12時15分過ぎに再スタート。田園地帯をひたすら歩きます。北野公園からハナショウブ群落までは、1.2㎞ほど。右の写真のようなところをまさにひたすら歩きました。

Img_8308c_1  途中、田んぼの真ん中で、あぜ道の先にちょっとした森があるのを見つけました。気になります(微笑)。細いあぜ道で足下がImg_8312c やや不安定でしたが、行ってみてきました。「丑寅神社旧蹟」という石碑が建っています。詳細は分からなかったのですが、旧斎宮村内にあった23社は、明治44(1911)年に合祀され、現在の竹神社に移されたといいますから、それ以前にここに丑寅神社があったのかと思います。竹神社には、後ほど参拝しています。

Img_8330c  スタートから3.6㎞地点で笹笛川に突き当たり、川沿いに400mほど行った「どんど橋」の北に花菖蒲群落があります。この日Img_8339c_1 は、けっこう蒸し暑かったので、かなり汗を掻き、ここに来るまでにけっこう歩いてきたような感覚で、「ようやくたどり着けた」と思ったくらい。幟旗も立っていて、「これは!」と期待したのですが、右の写真のような咲き具合でした。ちょっと拍子抜け、腰砕けになりそうでした(苦笑)。というのも、日頃見慣れている九華公園では、この日までにハナショウブはかなり咲いていたからです。

Img_8349c_1  現地の案内板の写真。咲きそろうとこんな感じになるということです。自然のものですから、タイミングが難しいのは承知のImg_8357c_1 上ですが、できればこういう満開の様子を見たかったですねぇ。ここは、ハナショウブの原種である野花菖蒲の群落。この「斎宮のハナショウブ群落」は、国指定天然記念物(昭和11(1936)年12月に指定)。毎年、6月上旬から中旬にかけて濃紫色の美しい花が咲くということです。野花菖蒲は、明和町の町花にもなっているそうで。平野にあるハナショウブ群落は、今では珍しいそうです。ここのハナショウブは、ワレモコウノカンゾウカモノハシコウガイゼキショウノテンツキタチスゲ等と混在しているそうです。

Img_8370c  群落は結構広くて、北の方をよく見るともう少し咲いているところもありました。ちょっと残念ではありましImg_8346c_2 たが、やむを得ません。ちなみに、その後、調べてみると、6月5日頃には五分咲きという情報がネットに載っていました。

Img_8406c  花菖蒲群落からは笹笛川沿いに南下。1㎞ほど下って右折。再び斎宮跡を目指します。中部電力の斎宮変電所を過ぎ、5.4㎞ほどのところに山の神が2基。詳細は分かりません。きれいに並んでいるところを見ると、ここに遷してきたと思われます。

Img_8410c  さらにその先に地蔵堂。南に向いて建っています。コースは地蔵堂の背後に見えている道。回り込んでみてきました。由緒、Img_8413c 由来は不明。お地蔵様はお二方。その後ろに「八衢比古命(やちまたひこのみこと) 八衢比売命(やちまたひめのみこと)」と書かれた木の板が2枚見えます。この2柱の神様は、ともに集落や道の要所にすわり、邪神・悪霊の侵入をふせぐ、道の神様。ここが重要な道か、あるいは村の境であったということでしょうか。

Img_8422c_1  5.7㎞ほど来たところ、道の南側にこんもりした森があります。ここが、楠森神社跡。斎宮寮(さいぐうりょう;斎宮に関するImg_8417c_1 事務をつかさどる役所。大宝元(701)年、斎宮司(いつきのみやつかさ)を改めて斎宮寮としました)のあった頃創立され、荒神宮(天照大神)と高の宮(豊受大神)を祀ったといいます。斎宮制度の廃絶後、町屋郷が建置されると、産土神(祭神は八柱神)の神 社となっています。現在は、竹神社に合祀されていると、案内板に説明があります。ここまで来たのが、ちょうど13時頃。斎王群行の出発式が始まる頃ですので、セレモニーが行われる「さいくう平安の杜」へ向かいます。

Img_8657c_2  こちらが「さいくう平安の杜」。三棟の平安時代の建物「斎宮寮庁」が復元されています。正殿・脇殿・東脇殿に広場が付設。これらの建物は斎宮の役所「斎宮寮」の長官のもと、儀式や饗宴に使用されたと考えられています。まさに、いにしえの斎宮の姿の再現という感じ。ここで、斎王まつりの斎王群行の出発式が行われています(13時~13時50分)。

Img_8527c_1  到着したときにはすでに正面にある「正殿」で出発式が始まっていました。この正殿は、斎宮寮の長官が儀式を行ったり、都Img_8525c や神宮からの使いを出迎えるために用いたと考えられています。女孺(にょうじゅ;後宮に仕える女官。采女・氏女から採用され、宮内の掃除や雑事に従事)、命婦(みょうぶ;一定の職掌はないが、朝廷に参入し、朝廷の儀式に参加した)、采女(うねめ;後宮女官の一つ。天皇のそば近く仕え、食事のことにたずさわった)などが順次現れ、野花菖蒲の花を供えた後、子ども斎王、斎王が登場。これら2枚の写真は、斎王が登場されたところ。

Img_8598c_1  しばらく出発式のセレモニーを見ていましたが、実際に出発するまでにはまだ30分ほどありましたので、その間に他を見てくImg_8582c ることにしました。まずは、さいくう平安の杜から、近鉄山田線の線路を挟んだ竹神社(たけじんじゃ)。ここ竹神社には、斎王が住んでいた内院があったのではないかといわれています。また「斎宮の世だめし」といわれ、馬が背追った稲束の色によって豊兇を占う「絵馬」が神宝として本殿に保管されているそうです。

 

Img_8566c_2  第11代垂仁天皇の御代、竹連(たけのむらじ、竹氏という豪族)の祖・宇加之日子の子の吉日古が、天照大神を奉じて伊勢御巡行中の倭姫命のお供をしてこの地に留まり、多気郡一円を領して斎宮に住んだといいます。この竹氏の子孫が、祖神宇加之日子・吉日古を祀ったのが竹神社です。もとは、旧伊勢街道(参宮街道)の竹川から北へ約300m進んだ松林の中(斎宮歴史博物館南側駐車場前の奥の林)にあったのですが、明治44(1911)年、旧斎宮村内の23社を合祀し、現在の地に遷っています。当社は旧斎宮全村はおろか多気郡全体の総祖神とされ、延喜式内社でもあります。御祭神は、長白羽神(ながしらはのかみ;伊勢麻績(いせのうみ)の祖。天照大神が天の岩屋にこもったとき青和幣(あおにきて;麻製の幣(ぬさ))をつくった。私にとって、初めての神様です)、天照大御神建速須佐之男命八柱神応神天皇地主神(ジヌシガミ;その土地や屋敷を守護する神)、火産霊神(ほむすびのかみ;迦具土神(かぐつちのかみ))、宇迦御霊神大己貴命天棚機姫命(あめのたなばたひめのかみ;天照大神を天の岩戸からさそいだすために神衣をおった)、八千々姫命(あめのやちちひめ;機織を司る神)、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ;祓い浄めの女神)となっています。

Img_8568c_2  竹神社の拝殿前で気になったのが、こちらの石の壁のようなもの。拝殿の東側に、拝殿に向かって建っています。すぐに思いImg_8578c ついたのが、「蕃塀」。ほんとうに蕃塀かどうかは分かりません。蕃塀は、伊勢神宮の外宮でも見ました(2018年12月11日:20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)。東南側から見ると、右の写真のようになっています。

Img_8574c  右の写真で左手前に見えているのは、「神宮遙拝所」でした。正直なところ、伊勢神宮にこれほど近いところでも遙拝所があるのかという風に思いました。しかし、斎宮という、神宮に関連が深いところであるが故、遙拝所があるということかも知れません。このあたり、私の知識ではこれ以上の考察は手に余ります。

Img_8611c_1  境内には、これらの石碑というか、石柱。向かって右の石碑には「社日(しゃにち)」と彫られています。不Img_8614c 勉強にして知らなかったのですが、雑節の一つで、春分と秋分に最も近い戊(つちのえ)の日をいい、この日、土地の神を祭るのだそうです。碑陰には何もありません。向かって左は五角柱で、そのうち4面に「農業祖神」「五穀護神」「土御祖神」「五穀祖神」とありました。

Img_8621c  さらに、戦没者英霊殿と、表忠碑があります。表忠碑は、大正8(1919)年3月に建てられています。斎宮地区遺族会が建てImg_8623c_1 たもので、英霊179柱を祀っています。題字は、元帥子爵・川村景明によります。川村景明(嘉永3(1850)~大正15(1926)年)は、明治-大正時代の軍人。もと薩摩藩士。薩英戦争、戊辰戦争に従軍。維新後、陸軍に入り、日清戦争では近衛歩兵第一旅団長、日露戦争では第十師団長をつとめた。明治38年、陸軍大将。大正4年、元帥。

Img_8631c  表忠碑の裏側、下部には、「西南役戦病死者」としてお二人の、「明治三十七八年戦役戦病死者」として8名の方のお名前を刻んだ碑があります。いずれも陸軍兵の方々。明治三十七八年戦役は、日露戦争。元々はこれがあったところに、大正8(1919)年3月に大きい表忠碑を立てたのでしょうか。

Img_8610c  手水舎のそばには「八王子」と刻まれた石灯籠があります。これはもとは、池村氏神の一つ饗庭の森八王子のImg_8588c 石灯籠で、嘉永七年遷宮記念(1854年)に氏子が作成したものが、昭和37(1962)年に池村より移転しました(こちら)。右は、常夜灯。「長明燈」と刻まれています。「明和六歳巳丑八月吉日」とあります。1769年のものということですから、250年も前。

Img_8636c  竹神社は、なかなか興味深いところで、もとは斎宮城があったところでもありImg_8640c ます。説明板によれば、室町時代(弘治元(1555)年)、斎宮の住人野呂三郎が、ここに城砦を築き、勝手に徳政を敷き、狼藉を働いたといいます。それに対し、伊勢国司北畠材親(きたばたけきちか;応仁2(1468)~永正14(1518)年、室町-戦国時代の武将)がこれを討伐したとあります。文献的には、「勢陽雑記」(明暦2年(1656)成立)に「弘治元年(1555)に野呂三郎が徳政を求めて一味と城砦を築いて立て籠もったが、国司北畠氏によって討伐された」とされているといいます。こちらに斎宮歴史博物館による解説があります。なお、遺構は残っていませんので、斎宮城があったという確かな証拠はなさそうです。

Img_8592c  この竹神社は旧伊勢街道(参宮街道)に面しています(神社の南を伊勢街道が通っているのです)。近鉄ハイキングの「お伊勢さん参りハイキング」で秋以降、歩くはずのところ。竹神社のあるここは、西側の祓川を渡河し東に向かう伊勢街道など三本の道路が集中し、また、伊勢街道から分岐して南の田丸城へ至る「田丸道」の分岐点となる、交通上重要な位置でした。「明和町史斎宮編(平成17年版)」では、ここが関所であった可能性を指摘しているといいます。中世にあった関所が、伝承の中で「斎宮城」に変化した可能性を指摘する向きもあります(こちら)。あるいは、野呂三郎らは既存の関所施設を転用して一時的に城砦として立て籠もったのかもしれないともいわれます。いずれにしても、興味は尽きません。

Img_8560c  実は、竹神社へは、裏参道から入っていきました。近鉄山田線の踏切を越えたところに、右の写真のように鳥居があり、ここImg_8562c が裏参道。鳥居をくぐってすぐに「ち(?)り塚」。昭和59(1984)年11月にブラザー工業が寄贈したと碑陰にありますが、不明。検索しましたが、お手上げです(苦笑)。

 ということで、竹神社をウロウロして、13時50分頃。斎王群行が始まる時刻ですから、斎宮跡へ戻ります。ここからは、その3にて。その3では、斎王の森史跡公園や、斎王群行も。

2019年6月 8日 (土)

カルガモくらいしかいません(苦笑)

Img_9378c  梅雨入り2日目ですが、早くも梅雨の晴れ間。といってもスッキリとは晴れず、雲も広がっています。気温は27℃を超え、やや蒸し暑い感じ。水曜からきちんと歩いていImg_9390c ませんでしたので、いつものコースを散歩。8時20分頃から、住吉神社、歌行燈本店、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、田町と6.0㎞ほど。歌行燈本店のアジサイは、相変わらず見事でした。

Img_9407c_1  九華公園では、ハナショウブを見たり、写真を撮ったりという方がけっこうあります。しかし、先日、諸戸氏庭園のハナショウImg_0623c ブを見てきてしまいましたので、どうしても今ひとつ気合いが入りません(微笑)。本丸跡でハナショウブを見ていたら、私より少し年配のカメラを持った男性が「ちょっと情けない咲き具合ですね」とガッカリした様子で話しかけてこられました。「お金はかかりますが、諸戸氏庭園の方がそれは見事でしたよ」とお話ししたら、喜ばれ、「何時から開園? 行ってみる」と。今日、九華公園ではどこかの写真クラブの方が、モデルさんを頼んでの撮影会をしておられました。あまり関心がありませんので、遠くから証拠写真だけ撮らせてもらいました(苦笑)。

Img_0607c  さて、相変わらず、野鳥はいつものメンバーのみ。スズメ、ドバト、ムクドリのほか、カワラヒワやシジュウカラがいるくらImg_0611c い。珍しかったのはカルガモ。住吉入江に1羽(左)、九華公園に1羽(右)。住吉入江では滅多に見ることはありません。九華公園も、皆さん、最近カルガモがいないとおっしゃっていました。九華公園のカルガモは、ずっといた個体と思います。シルバー人材センターから草刈りなどに来ていらっしゃる方が、「あーちゃん」と名づけているカルガモさんのようでした。

Img_9418c  ツバメの巣も見てきましたが、桑名市博物館の巣は、空っぽ。この3日間で巣立ったと思われます。京町の呉服屋さんの巣は、Img_9421c かなり前に巣立ったのですが、今日は近くの電線に親ツバメの姿がありました。ひょっとしたら二番子が期待できるかも知れません。左の写真は、京町にある、別のお宅の巣。4羽が元気そうでした。右は、京町にあるさらに別のお宅。3羽が確認できます。

Img_0640c  こちらは田町のお宅。3~4羽がいるようですが、ちょっと観察しにくいところ。先日まで見ていた田町の商店には、ツバメの巣が2つあります。南側の巣からはヒナが巣立ったのですが、今日は、北側にある、今年これまでは使われていなかった巣に親ツバメがいました。営巣するのか、また注意して見てみようと思っています。

Img_9403c  余談ながら、九華公園にある相撲場。今日は、相撲愛好会の方々が、土俵にテントを張る作業をしておられました。もう10日もすると、大相撲名古屋場所に備えて、峰崎部屋の皆さんがやってこられるでしょう。

 明日は、亀山でJRさわやかウォーキングが予定されているのですが、天気予報が微妙(苦笑)。いけるものなら行きたいと思っています。8時半から受付で、設定されたコースは7.4㎞。午前中に歩き終えられれば、大丈夫か? などと気を揉んでいます。

20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(その1)……斎宮駅を出発して、いつきのみや歴史体験館、古代伊勢道、斎宮歴史博物館、塚山古墳群を見て、歴史の道から北野公園でお昼

Img_8063c_1  6月2日に行ってきた近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」の本編、その1です。ようやく書き始めたという次第です(苦笑)。斎宮のことはずいぶん以前から知っていて、大変興味を持っていました。去年、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングで伊勢に何度か行きましたが、その途中、近鉄電車で斎宮(さいくう)駅を通る度に、斎宮遺跡を眺め、一度は訪ねたいと思っていました。

 斎宮は、かつて伊勢神宮の祭祀にあたって、宮中から派遣された未婚の内親王や斎王の居館で、神宮の事務諸般を司った斎王宮がおかれたところです。地名もこれに由来しています。斎王宮の創設は奈良時代で、この斎王制度は天皇の代ごとに替わりました。後醍醐天皇のときまで75代続き、後醍醐天皇の皇女祥子内親王を最後として、以後廃絶しましたが、約 600年間存続しました。しかし、正確な所在地は長い間不明で、幻の都といわれていました。昭和48(1973)年以来の発掘によってその範囲は 160haにも及ぶことが明らかとなり、多くの貴重な遺物が発見されています。昭和53(1978)年、斎宮跡の全域が史跡に指定されました。

Img_8074c_1  当日は、朝から曇り空で夕方には雨という予報でしたが、行きたいという気持ちが強く、出かけました。結論から書くと、大満Kintetsurout 足であります。この日のハイキングの受付は、近鉄山田線・斎宮駅で9時20分から10時半。斎宮は、松阪と伊勢の間。桑名駅を8時42分に出る松阪行き急行に乗車。松阪駅には9時49分着。ここで10時7分発の賢島行き普通に乗り換え。斎宮駅には、10時20分着。¥1,070。乗車時間は1時間20分。かなり遠い(笑)。右は、新潮社が発行した「日本鉄道旅行地図帳」の「関西1」から借りました。乗車距離は、55.1㎞あります。もう少し行けば、伊勢市駅や、宇治山田駅。

Img_8070c_1  こちらが今日のコースマップ。斎宮駅の史跡公園口改札前から、いつきのみや歴史体験館、古代伊勢道を通っ190602kintetsuhikingsaikuu_1 て、斎宮歴史博物館へ。さらに、歴史の道を通って、田園地帯を抜け、花菖蒲群落。ここには、私の好きな野花菖蒲の群落があるはず。そこから、斎宮に戻って、平安の杜で「斎宮群行」出発式やパレードを見て、斎宮駅がゴールという、マップ上は約6㎞のコース。右は、実際に歩いた実測ルートマップ。実は歴史の道から斎宮の森史跡公園に出るところで、1本早く曲がりすぎました。斎宮史跡の中を歩き回りましたので、ハイキングで歩いたのは、8.1㎞。自宅から桑名駅往復が1.8㎞ですので、合計9.9㎞。スタートは、10時28分。

190602kintetsuhikingsaikuu1  実際に歩いたルートを少し詳しく描いたものが、左の実測ルートマップその1。まずは、斎宮駅・史跡公園口改札の目の前にあImg_8083c_1 る「いつきのみや歴史体験館」へ。「いつきのみや」は、漢字で書けば「斎宮」。いつきのみや歴史体験館は、斎王制度660年間の中で1番華やかだった平安時代にスポットを当て、歴史体験ができる施設です。

Img_8109c_1  建物は、平安時代の貴族の住まいであった「寝殿造(しんでんづくり)」を模したガイダンス棟(左の写真)と、古代の役所Img_8089c の建物をモデルとした体験学習棟(右上の写真)などから構成されています。木造の平屋造りで、古代の建築技法を取り入れ、木材の組み立に釘・金物等を用いない伝統的な工法で建てられています。

Img_8093c_3  左の写真は、「葱花輦(ソウカレン)」。屋根の上に金色の葱(ねぎ)の花の形の飾りをつけた輿(こし)です。本来は、天Img_8098c_1 皇の略儀の行幸に用いるのですが、斎王が都から斎宮に赴かれるときにも使われました。ここではその名の通り、さまざまな体験ができます。古代の遊び体験としては、盤双六(ばんすごろく)、貝覆い(かいおおい)、蹴鞠(けまり)等が用意されています。右の写真は、貝覆い。

Img_8100c_1  事前に予約すると、「平安貴族なりきり体験」もあり、十二単を着られるそうです。ただし、お値段はかなりのもののようです(微笑)。「平安装束試着体験」は、そこそこリーズナブルな値段で体験できます。無料でいつでも体験できるのは、「小袿(こうちき)を着てみよう」です(左の写真)。今から千年ほど昔、貴族の女の人が着ていた衣装「十二単」の一部分を復元したものです。まず、単(ひとえ)を着てそれから袿に袖を通すという体験。平安時代のお姫様になった気分が味わえるそうです。

Img_8119c_2  いつきのみや歴史体験館を見て、斎宮駅前に戻り、さらに西へ。斎宮小学校の手前で右折し、北へ。古代伊勢道をしばらく歩Img_8126c_1 きます。古代伊勢道は、飛鳥時代から奈良時代に、都と伊勢神宮、志摩国を結ぶために整備された幹線道路のことで、現代でいうならば「国道(当時の表現であれば、「官道」)」です。現在の松阪市駅部田から一直線に伸びる伊勢街道はその名残と考えられています。その延長線は、櫛田川、祓川を越えると、現在の斎宮跡のすぐ南に至っています。平成18(2006)年に発見されました。写真は、それを復元したもの。道幅は約9m。

Img_8135c_2  古代伊勢道を歩いたのは350mほどでしたが、飛鳥時代から奈良時代にこのように幅も広い、立派な道が整備されていたとImg_8139c_2 は、伊勢神宮や、斎宮はよほど重要な位置を占めていたと思います。スタートからほぼ1㎞で斎宮歴史博物館もある古里公園にやって来ます。時刻は10時51分。ここ古里公園は、6月1日、2日の斎王まつりに合わせ、斎王市やアトラクションが行われていて、かなり賑わっていました。私が着いたときには、大正琴の演奏会の最中でした。食べ物屋さんなど、露店も多数出ていて、お子さんを連れた方や、若者たちのグループルなどで大賑わいでしたが、ここは通過。

Img_8224c_1  斎宮歴史博物館です。1.3㎞、時刻は、11時少し前。この博物館も一度は、来たかったところ。常設展と、この日まで行われていImg_8164c た平成31年度春季企画展「めでたいのいろいろ」とを見てきました。近鉄ハイキング参加者割引で、団体料金を適用してもらえました。常設展¥260、企画展¥160で、合計¥420。ちょうど11時から、映像展示室で、斎王の儀礼と都から伊勢への旅を再現した「斎王群行」(18分)が上映されますので、まずはこれを見ます。本音をいうとあまり期待していなかったのですが、実際には見入ってしまいました(笑)。

Img_8165c_1  展示室は、「文字からわかる斎宮」と「ものからわかる斎宮」の2部屋から構成されています。前者では、斎王制度が整い、もImg_8178c_1 っとも繁栄した平安時代を取り上げ、斎王が選ばれて伊勢に赴き、都に帰るまで流れを「延喜式」などの文献史料を手がかりに紹介されています。斎王が乗った輿(葱華輦)(左の写真;いつきのみや歴史体験館で見たものと微妙に異なる感じがしました)や斎王の群行模型(右の写真)、原寸大の斎王居室復元模型(十二単姿の斎王と命婦の人形や調度)等が展示されています。

Img_8182c_1  こちらが原寸大の斎王居室復元模型。さらに、斎宮に関係する古典文学の紹介もあります。有名なのは、「伊勢物語」第六十九段「狩の使」。伊勢物語のこの部分では、在原業平と斎王の恋の物語が描かれるのですが、その絵巻物も展示されています。これは、恬子内親王(やすこないしんのう)に関わる話。恬子内親王は、清和天皇の異母姉で、14歳で群行、18年間の長期に渡って斎王を勤めたのち、天皇譲位により29歳で退下しています。「昔、男ありけり…」で始まる「伊勢物語」六十九段「狩の使」に登場する「斎宮」のモデルであるといわれます。恬子内親王と、在原業平と間に一夜のロマンスがあったというのです。真実である確証はありませんが、昔から物語の形を借りた真実であると信じられてきました。

Img_8200c  展示室2の「ものからわかる斎宮」では、30年余にわたる斎宮跡の発掘調査が明らかにした斎宮の姿が考古資料と模型によっImg_8193c て紹介されています。左の写真は、斎宮寮の復元模型(400分の1)です。これは、床面に設置した斎宮跡全体の陶板航空写真と組み合わせたもの。右の写真は、ちょっとわかりにくいのですが、斎王御殿復元模型。母屋には斎王の座が2ヶ所設定されていますが、この模型では右手の座で斎王に食事が供されているところとなっています。

Img_8209c  続いて、企画展「めでたいのいろいろー瑞祥ときざしー」へ。こちらの展示は、この日(6/2)まででした。日本古代に定着Img_8211c した「めでたい」、「めでたい」しるし、「めでたい」を演出する、「めでたい」を共有する、「めでたい」の記憶という5つのテーマに沿って展示がされていました。延喜式には「瑞祥のリスト」が載っていたという話にはとても興味を引かれました。大瑞(たいずい)には麒麟、鳳凰、白澤など実在しない動物が、上瑞(じょうずい)には白狼、白鹿など、まれに現れるものが上がっています。私が興味を持ったのは、先日、桑名市博物館で「改元と宸筆」を見たこともあって、「嘉永度改元難陳」という村田家に伝わる文書。江戸中期から後期の旧邸文書を管理した家だそうです。「難陳」は、改元時に挙がった候補に貴族たちが肯定・否定の意見を述べ合う儀式。明治もこのとき候補に挙がったというのは、桑名市博物館でも見ました。

Img_8213c_1  斎王群行絵巻の実物も展示されていました。最後のやまと絵師といわれる河村長観氏のオリジナルだそうです。割りとゆっくり見て回りましたので、常設展とこの企画展「めでたいのいろいろ」を見終えたら、11時45分になっていました。斎宮歴史博物館は、スタートからまだ1.3㎞ほど。先が長いので、次に向かうことにします。

Img_8235c  博物館から外へ出て斎宮歴史博物館前の信号を渡ったところに「塚山古墳群」がありました。斎宮歴史博物館および周辺に分布する群集古墳で、5世紀末~6世紀初頭の築造といわれます。Img_8243c 円墳と方墳、42基が発見され、そのうち13基が現存しているそうです。円墳は直径15m前後のものが、また、方墳は1辺8~12mのものが多く、周溝を備えています。右の写真は、塚山3号墳。周溝を含めると直径18m、高さ2mの円墳。ここからは須恵器、円筒埴輪が出土したそうです。

Img_8248c  塚山3号墳の墳丘の北側裾部に、史跡の南西側から北辺を通り、東部エンマ川に続く、幅3~4m 、深さ4mのの大きな溝(防御用環濠)がみつかっています。これは鎌倉時代大溝。約2㎞にわたって伸びており、広いところで幅3.4m、深さ3m以上もあるといいます。これまでの発掘調査から、平安時代の終わり頃につくられ、鎌倉時代中頃まで使われていたと考えられています。斎宮の北側を区画するためのものとされています。

Img_8254c_1  塚山3号墳の脇に歴史の道が通っており、ここを進みます。写真にもありますが、古代の代表的な歌人が読んだ斎宮に関する和Img_8266c_1 歌24首が、12本の擬木に刻みこまれています。実測ルートマップその1にありますが、指定されたコースではもう1本次の交差点まで行って右折することになっていたのですが、「斎宮駅」「いつきのみや歴史体験館」という看板があったので、何も考えずに曲がってしまいました。上園芝生公園のところまで行って間違いに気づき、左折。「斎王の森史跡公園」まで行って、正しいコースに戻ります。この公園の北側の道を東へ。

Img_8276c  余談。上園芝生公園のところを歩いていたら、近鉄線に「しまかぜ」が行くのが見えました。反射的にシャッターを押してしImg_8281c_1 まいます(苦笑)。桑名あたりは10時40分頃通過していきます。一度乗ってみたいと思いつつ、果たせていません。指定されたコースに戻ったところに、「天然記念物 斎宮のハナショウブ群落 1.8㎞」の案内板。次は、ここへ行くのです。野花菖蒲の野生の群落があるというで、期待してきたのです。

Img_8294c_3  途中、2.5㎞ほどのところで「酒まんじゅう 斎庵」。コースマップを呈示し、500円以上買うと特典ありとなっていましたが、立ち寄らず。まだ半分も来ておらず、先を急ぎたかったのです(斎王群行の出発式が13時からですので、それまでに斎宮跡に戻りたいと思っていました)。しかし、時刻はちょうど12時。昼をどうしようかと思いつつ歩いていると、斎庵から200mほどのところに北野公園。コースマップを見ると、この先ハナショウブ群落まで休憩や、昼食に使えそうなところはありません。北野公園で弁当を食べることに。

Img_8299c_1  とくに何もない公園でしたが、ここで昼食&休憩としました。この日も懲りずに駅ナカファミマの弁当(苦笑)。ただし、幕Img_8306c_1 の内弁当にしてみました(揚げ物が多いのは変わりありませんねぇ。しかし、まつりのイベントで何か買って食べるというのもどうも、という気がします)税込み¥398。15分ほど昼食休憩。

 キリも良いので、その1はここまで。その2は、田園地帯をひたすら歩いて、花菖蒲群落へと向かいます。

2019年6月 7日 (金)

梅雨入りにて終日蟄居生活……タイムラプス動画を追加しました(6/8)

Img_9360c  早い時間なら散歩に行けるかと期待したのですが、裏切られました(苦笑)。8時前から雨雲レーダーには雨雲が映り始め、8時を過ぎた頃には降り始めてしまいました。残念。午前中に早くも梅雨入りが宣言されたようです。1ヶ月半ほどはうっとうしい時期が続きます。時折よく降り、強い雨が降るという警報メールが来たり、午後には竜巻注意報が出たりと、梅雨入り早々賑やかなことです。

Img_9363c  ということで、午後には止み間もあったのですが、結局のところ、終日蟄居生活。来週土曜日に予定している相談会の準備や、先週日曜(6/2)に行ってきた近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」で撮ってきた写真を整理して、記事の本編を書く準備などをしていました。

Img_9367c

 退屈しのぎにとも考えて、メダカの睡蓮鉢に導入した熱帯スイレンが咲くところをタイムラプス動画に撮ろうと思って、何度かトライしたのですが、思うように行きませんでした。向かって左の熱帯スイレンでと思ったのですが、タイムラプスを25分に設定して撮ったのですが、うまく開いてこず、失敗。もっと長い時間を設定するべきでした。メダカが動く様子は撮ったのですが、25分を10秒に縮めていますから、メダカがめまぐるしく動いて、目が回ります。なので、アップロードは控えました(笑)。

 散歩の虫がウズウズしてきますし、歩かないとどうも心身ともに調子が出ません。アタマの働きも今ひとつという感じです。Yahoo天気予報で見ると明日は晴れ間もあるようですから、期待しましょう。日曜日には、JRさわやかウォーキングが亀山であります(~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて;リンクは当日まで有効)。この企画でも行きたいところがたくさんあります(東海道の野村一里塚亀山城多門櫓など。この2つ、どちらも昔のものが残っているのです)。今のところ予報は曇りですから、何とか出かけたいと思っています。

 メダカのタイムラプス動画、ご希望がありましたので、載せます。Nikonのコンデジcoolpix s7000で撮っています。このコンデジにはタイムラプス動画を撮るモードがあります。載せた動画は、「風景/25分間撮影」モードで、5秒間隔で25分撮影したものを10秒で見せています。このほか、「街中/10分間撮影(2秒間隔)」、「夕焼け/50分間撮影(10秒間隔)」、「星空/150分間撮影(30秒間隔)」、「星軌跡/150分間撮影(30秒間隔)」の4モードがあります。「星軌跡撮影」では、画像処理で星の動きが光の線で表現されます。

 

2019年6月 6日 (木)

某所でコアジサシのヒナを確認

Img_9191c_1  木曜日ですが、プチ遠征してきました(微笑)。明日は曇りで、昼くらいから雨、ひょっとしたら梅雨入り宣言という予報ですから、変更。長良川河口堰から、長島の某所、帰りには上之輪新田へ回って来ました。あまり歩いていませんが、成果ありです。

Img_0314c_1  河口堰には8時45分に到着。ほぼ1時間滞在しましたが、このところサギの姿がありません。今日も、管理橋を渡った西側にダイImg_9229c サギが1羽やってきたのみ。他はカワウが10羽くらい。親水広場に降りていく途中にホオジロのオス。このところ来れば必ずいるという感じ。たいてい、木のてっぺんにいます。中洲からは、オオヨシキリの鳴き声が聞こえてきますが、姿は見えず。このほか、カワラヒワも見られました。

Img_9217c  親水広場のせせらぎでは、コチドリ。コチドリも最近よく見かけます。全長16cmと体は小さいのに、「ピウ、ピウ」と遠くまでよく通Img_0348c る、大きな鳴き声(リンク先で鳴き声が聞けます)。せせらぎでは、ハクセキレイの若い個体と思いますが、2羽。イソシギなどは、最近は見なくなりました。

Img_0392c  管理橋を戻って東側へ。9時半近く。アクアプラザながらの西で、またもやホオジロのオス。懸命にさえずっていました(こちらもリンク先で鳴き声が聞こえます)。

Img_0426c  河口堰に着いたときからコアジサシの姿が2羽ほど見られていました。西側でも見られましたし、堰の上流方向から来ているコアジサシもいるように思います。9時45分くらいまで15分ほど、左岸(東側)の魚道脇で見ていましたが、いつぞやのようにたくさん(10わ、20羽と)来る様子はありませんでした。ダイビングなども見られましたが、あいにくちょっと遠く、クリアな写真は撮れません。

Img_0430c  続いて、某所その1へ。ブロ友のひらいさん情報を確認に(2019.06.01 お散歩週報(オマケはN里))。左の写真のようにImg_0452c カップルもいましたし、抱卵中と思われるコアジサシも5羽いました。今日はよすぎる天候で、桑名の最高気温は33℃。さすがにコアジサシたちも暑そうで、巣に就きながら嘴を開いている様子が見られました。

Img_0460c_1  たまたま1羽のコアジサシが飛び立ったところを見ると、卵が3個ありました。他4羽も、卵を抱いていると思います。これから時々、確認に来なくてはなりません。他にはヒバリが1羽のみで、コチドリやケリの姿はありませんでした。

Img_0529c  続いて、某所その2。やりました! ヒナがいるのを確認! 左の写真では親がとってきた餌を与えようとしています。ここはImg_0541c あまり接近できませんので、写真は今ひとつですが、ヒナの姿はお分かりいただけると思います。右の写真の方が、まだヒナの姿がよく分かるかと思います。

Img_0559c_1  親鳥たちは忙しく飛び回り、エサを与えるとすぐにまた飛び立っていく様子が見られました。Img_0574c 右の写真のカップルは、ヒナはまだのようで、1羽がパートナーにエサを運んで来たところのようでした。どちらも、弥富市内にかつてあったような大規模営巣地ではありませんが、コアジサシの繁殖を見守りたいと思います。

Img_9311c  ここには、コチドリも2羽いて、1羽が卵を抱いているように見えました。遠くて、しかも体が小さいのでしっかり確認できたわけではありません。

Img_9338c  帰りには、上之輪新田を回って来ました。というのも、今年はケリの巣や、ヒナをまだ見ていないのです。近所でケリが営巣しそうなところといえば、この上之輪新田か、福島地内。上之輪の水田のあぜ道にケリが合計5羽いるのは見つけたのですが、巣は見当たりません。上之輪新田から帰ってくるとき、福島地内の水田も見てきたのですが、ケリの姿はありません。どこで営巣しているのでしょう? 

Img_9352c  オマケ。昨日、睡蓮鉢に入れた熱帯スイレン。早速咲きました(実は、昨日も咲いてはいましたが……)。蕾は現在2つ。2つとも咲きますが、夕方は(というより、15時過ぎには)花を閉じます。熱帯スイレンの鉢、メダカは居心地がよいのか、ここによく入ってきています。

2019年6月 5日 (水)

江戸橋での仕事は試験を除くと、折り返し点……メダカの睡蓮鉢に熱帯スイレンを導入しました

Dscn1135c  水曜日、江戸橋での仕事の日です。午前中は雲が広がっていましたが、授業を終えて帰ってくる頃からよく晴れました。湿度がかなり高かったようで、授業をしていた教室はけっこう蒸し暑く感じました。エアコンはまだ入りません。今日で7回目。最後の試験を除けば、ちょうど半分。何とか無事に終えられたかと思っています。学生の出席率は、85%。まぁこれくらいでしょう。今日までで、試験受験資格を失う6回の欠席に達した学生もいますが、これには厳しく対処せざるを得ません。来週の授業で「失格宣告」です。

Dscn1126c  非常勤先では、ツバメが校舎棟の2階通路に新たに巣をつくっていました。授業を終えて見に行ったときには巣には就いていませんでしたが、通路に糞が落ちていましたので、ここで卵を産んで育てるのではないかと期待しています。今年度、最初は天候には恵まれませんでしたが、10連休明けは今日まで雨には降られないで済みました。しかし、天気予報によれば、今週末にも梅雨入り宣言があるとか。梅雨の季節ですからやむを得ませんし、天候はいかんともしがたいので、受け容れてやる以外にはありません。来週以降も、淡々と飽きもせずのモットーで臨むことにします。

Dscn1140c  ところで、昨日、家内が実家近くのホームセンターで熱帯スイレンを買ってきてくれました。去年も、メダカの睡蓮鉢に入れてDscn1137c いましたが、それはうまく冬越しができませんでした。なばなの里にある花市場で熱帯スイレンを探していたものの、先週末までには入荷していませんでした。今日の夕方、メダカの睡蓮鉢に入れました。夕方ですので、花はもう閉じてしまっています。今朝は明るくなるにつれ、花が開いていましたので、明日以降も咲いてくれると思います。

Dscn1162c  メダカは、このところ昇天する個体がけっこうあります。丸4年になりますので、寿命による世帯交代の時期かという気がしています。これからの時期、1週間に1回は水を替え、コンディションは整えてやろうと思っています。メダカを眺めていると、無心になれます。それだけに大切にしたいという気持ちが湧いてくるのです。

2019年6月 4日 (火)

諸戸氏庭園で花菖蒲を楽しむ……濡れ燕という珍しい品種も咲いていました

Img_9171c  いつもよりやや遅く、8時45分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、田町といつも通りのコースを回Img_9168c り、11時頃から諸戸氏庭園へ。そろそろ花菖蒲が見頃だろうと期待してです。50分ほど滞在してきました。諸戸氏庭園のFacebookには、6月5日頃が見頃か、とありました。諸戸氏庭園は、拙宅マンションの北側にあります。左の写真は、玄関先から撮ったもの。向かって右の方に煉瓦蔵3棟が見えています。現在、主屋など半解体修理中ですので、出入り口がこの煉瓦蔵に臨時に設けられています。6月16日までが春の特別公開期間。大人500円、小学生以下200円、幼児(3歳以下)無料。

Img_9163c  煉瓦蔵は、もともと明治20(1887)年頃、木造で建てられたもの。その後、火災で焼失し、煉瓦で再建。昭和Img_8963c_1 20(1945)年の戦災で2棟が失われ、現在3棟が残っています。煉瓦はイギリス積み。米蔵として使用され、南側の堀に船を着けて搬入していました。三重県文化財。右上の写真が通りに面した入り口。左は、庭園内部に入っていくところ。最初から余談ですが、庭園に入ったところに鉢が置いてあり、不思議に思って覗いたら、メダカが泳いでいました。さすがに由緒ある諸戸氏庭園、こういう風にしているとは、驚きとともに感心(微笑)。

Img_0262c  まずは、こちら。「濡れ燕」という品種の花菖蒲。これで開花した状態だそうです。2年前に訪ねたとき(2017年6月 3日:諸戸氏庭園 春の一般公開へ【花菖蒲の名前、訂正あります(6/10)】)、係の方が教えてくださImg_0255c ったもの。そのときは確か一輪のみとおっしゃっていたのですが、今日は2輪ありました。ただし、ネットで検索すると、違う花が咲いたものが出てきますし、サイトによって「濡れ燕」としている花が異なります。それはともかく、ひょっとしたら咲いているかと思って出かけたのですが、どんぴしゃりで嬉しくなりました。

Img_8972c  さて、入り口の煉瓦蔵から入って順路は、東から反時計回りになっています。こちらに庭園内の案内図があります。案内図でImg_8978c は「へ」のところにあるのが、藤茶屋。この目の前に藤棚がしつらえられています。江戸時代には、藩主が藤を愛でるために訪れたといわれる茶室ですが、昭和20(1945)年の戦災で焼失し、昭和43(1968)年に再建されたもの。

Img_9002c  藤茶屋の西にある、案内図では「庭1」となっているところが、花菖蒲園。室町時代には「江の奥殿」と呼ばれ、既に邸宅・庭Img_9009c 園があったといわれています。貞享3(1686)年、豪商山田彦左衛門が下屋敷・隠居所として買い求め、庭園をつくりました。明治17(1884)年、邸宅・庭園は初代諸戸清六の手に移り、御殿などが付け加えられ、その後、二代目諸戸精太の代にさらに手が加わっています。庭園は、2つのエリアに分かれており、「庭1」は菖蒲池を中心とした回遊式庭園で、諸戸氏庭園の中でももっとも古い部分だそうです。菖蒲池を中心に、西に推敲亭、東に藤茶屋、北に蘇鉄山と稲荷祠があります。春にはつつじ、藤、菖蒲、秋にはどうだんつつじや、もみじの紅葉などが美しい庭です。有料で、専属庭師さんがいらっしゃいますので、比べられませんが、九華公園の花菖蒲園とはかなり違う気がします(大きな声ではいえませんが……)。今のタイミングで花菖蒲を楽しむのであれば、諸戸氏庭園のそれは、500円以上の価値は十分あります。

Img_8985c  どの花菖蒲がよいか、どこから眺めるのがよいかなどは、それぞれ好みがおありでしょうが、私の個人的趣味と、撮ってきたImg_0243c 写真の写り具合から、いくつか紹介します。お近くの方は是非、ご自身でお訪ねになることをお勧めします。右の写真には、上の文章で触れた「推敲亭」が写っています。これを入れた写真は是非撮りたいもの。

Img_8996c_1  こちらも左端に推敲亭が少しだけ見えていますが、菖蒲池に架かる石橋から北西を向いて撮ったもの。右は、その石橋を入れImg_9009c て北を向いたもの。蘇鉄山が見えています。

Img_9014c  もう少し広く視野を撮って見ると、たとえばこんな景色。私自身は、どうしても推敲亭が気になるというか、気に入っていまImg_9024c_1 すので、これを入れて撮りたくなってしまいます(微笑)。右の写真は、北側から南にある主屋(現在、揚屋をして半解体修理中)を少しだけ入れて撮って見ました。菖蒲池にはメダカも棲んでいます。

Img_9028c  西に進み、案内図の「と」のところには、神社があります。明治時代に改築されたのですが、昨年の台風でも木が倒れて来まImg_9057c したので、さらにその後修理されたと思われます。金毘羅神社・住吉神社・伏見稲荷・玉船稲荷・菅原神社が祭られているといいます。神社に向かって右側(北側)には、右の写真のような水路。現在は、六華苑との境になっています。古い写真を見ると、諸戸家の方かと思うのですが、ここに船を浮かべて遊んでおられるものがありました。自分の屋敷内で船遊びとは、ちょっとあこがれます(苦笑)。

Img_0276c  御殿近くまで行くと、木々の合間から六華苑の建物をのぞき見ることができます。私はこの水路あたりの景色や、諸戸氏庭園から六華苑を見るのが好きです。

Img_9066c  御殿は、修理中で今は公開されていません。御殿とその池庭は、水田であったのを埋め立てて作られ、海抜0m以下になりまImg_9073c す。そのため、水門から流れ込む揖斐川の干満の影響を受け、池の水位が上下し、刻々と変わり行く景観を味わう「汐入りの池」となっていました(現在は水門が閉じられているため水の流れはないそうです)。御殿には、大隈重信や、山県有朋も訪れたといいます。池庭は、宮内省技師の小平義近を招いて設計されたもので、琵琶湖を模してつくられています。

Img_9126c  御殿の前から池庭の南を回り、案内図の「に」のところに来ると、ここが推敲亭覚々斎原叟(かくかくさいげんそう;延宝Img_9104c_1 6(1678)~享保15(1730)年)作と伝えられている草庵です。ここから菖蒲池へと続く低い地形を水面に見立てて沢飛石が打たれ、山間の渓流のような雰囲気になっています。推敲亭に向かって右には「織部灯籠」があります。茶人古田織部の考案した形といわれ、竿の部分に人形の彫があるのが特徴です(一説には切支丹禁制の時世に信者が用いたものが、茶庭の趣のひとつとして使用されるようになったともいわれるそうです)。推敲亭は、右の写真のように広さ三畳。ぽんと置いたような感じがしてなりません(素人の感想故、ご容赦ください)。

Img_9121c  立ち入り禁止なのですが、一度でよいからここに座って、花菖蒲など池や、庭の景色を眺めてみたいものだと思っています。左の写真は、気分だけでもと思って、座ったときの視線の高さになるようにと狙って撮った写真(微笑)。

Img_9153c  十分に堪能して、順路にしたがって煉瓦蔵に戻ります。途中、主屋の修理現場の裏手から1枚。2mほどの高さに揚屋が行われImg_9156c ています。右は、主屋の工事現場から煉瓦蔵に戻る途中。苔も生えていますし、何といっても青紅葉がきれい。庭も相当手入れされていますが、これだけのお庭を維持管理するのにはかなりの手間とご苦労がおありだろうと思います。

Img_9173c  ということで、今日の記事は諸戸氏庭園の花菖蒲。とくに濡れ燕が見られて本当によかったと思っています。明日は、江戸橋での仕事。好天のようですが、30℃という予報も。ホドホドにしてもらいたい等と勝手なことを思っています。

2019年6月 3日 (月)

桑名宗社で石取祭祭車順番表を見て、午後は市民大学講座「城と城下町」へ

Img_8877c  昨日のハイキングが、今日くらいの好天だったらよかったのにと思います(微笑)。まぁ、何事も思うとおりには行かないものです。しかし、よく晴れました。多少湿度が高い感じですが、散歩をしてきてもさほど汗を掻くというほどでもありませんでした。今日は、8時半から住吉神社、歌行燈本店、九華公園、桑名宗社、京町、田町と5.5㎞。いつもと少しコースが違いますが、それについては後ほど。冒頭の写真は、九華公園の朝日丸跡から本丸跡方向を眺めたもの。青空、白い雲、青紅葉、朱塗りの橋と東屋の取り合わせがなかなかよい感じでした。

Img_8854c  今日もまた九華公園に行く前に歌行燈本店に寄って、アジサイを見てきました。実にいろいろな種類があるものImg_8847c です。と書きつつ、名前などを調べるのはサボっています(笑)。これだけありますと、水やりももちろん、傷んだ花を取り除いたりなど手入れが大変だろうと思います(私などにはとてもとてもやれません)。感謝しつつ、楽しませていただいています。

Img_8869c

 九華公園。知人とも、花菖蒲の話題になります。しかし、皆さん異口同音に「数年前の方が、花も多くて、見事だったし、一斉Img_0147c に咲いたような気がする」とおっしゃいます。記憶に頼った話ですから、実際にそうだったかどうかは、以前の写真を確認してみないと分かりませんが(時間があったら見てみようとは思いますが、当てにはなりません……苦笑)、私も同様の感想を持っています。

Img_8891c  野鳥は、いません。もちろんスズメ、ムクドリ、カワラヒワ、ドバト、カワウなどは見ましたし、シジュウカラの鳴き声も聞Img_8898c いたのですが、それくらい。それ故、貝塚公園もパスして、桑名宗社へ。先日来たときには工事中だった手水舎が新しくなっていました。右の写真、向かって右側手前の柱のところには、「寄附のお願い」が張ってありました。

Img_8902c  桑名宗社さんにやって来たのは、昨日、今年の石取祭の「御籤占式(みくじうらないしき)」があり、本楽での練り込み順がImg_0157c 決まったというニュースが今朝の中日新聞北勢版に載っていたからです。桑名宗社は、桑名神社と中臣神社の2つの神社からなっています。「石取祭祭車順番表」は、両方の社の間に掲げられていました。今年の花車(一番に練り込む祭車)は、新矢田一丁目。初めての花車だそうです。今年は、39町内が参加します。確か北並びの年ですから、本楽の練り込み前には拙宅マンション近くにも祭車が整列するはず。「日本一やかましいまつり」ですから、乞うご期待(笑)。

Img_8917c  ところで、恒例のツバメの巣チェックもしてきました。左の桑名市博物館のツバメの巣、今日は2羽しかいませんでした。一昨Img_0162c 日(6月1日:歌行燈本店のアジサイ、九華公園は今日から花菖蒲まつり)は5羽いたのですが、バラバラに巣立つということがあるのか?と思うのですが、3羽いないということは巣立ったのでしょうね。右は、京町のあるお宅の巣。ここも5羽のヒナ。

Img_0170c  こちらは吉津屋町にあるお宅の巣。見に行ったとき、ちょうどタイミング良く親ツバメがやって来て、エサを与えていましImg_0176c た。この写真では、4羽のヒナが見えますが、まだ目も開いていないようですから、ここは卵から孵ったばかりと思います。右は、田町のお宅の巣。土曜日(6/1)に雛が孵っていました。4羽がいるように見えます。

Dscn1119c  午後からは、市民大学講座の2回目。今年度は、「城と城下町」というテーマ。講師は、前桑名市博物館長で、歴史専門官の大塚由良美先生。前回、城についての基礎知識の話を聞き、今回Dscn1123c から桑名の話。今日は、中世桑名の勢力分布から始まり、桑名城の位置、本多忠勝による築城のお話し。3年前、桑名市博物館で「徳川四天王の城-桑名城絵図展-」という展覧会がありましたが、そのときに出品された城絵図なども使って、興味深い話が展開されています。展覧会は見たのですが、自分の知識、能力だけでは当然読み取れないことが多々ありました。専門家のお話を伺うと、頭が整理されるとともに、バラバラだった知識がつながってくる気がします。

2019年6月 2日 (日)

20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編)

Img_8074c  曇り空で夕方には雨という予報でしたが、行きたいという気持ちが強く、今日は、近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」に行ってきました。結論から書くと、大満足であります。今日のハイキングの受付は、近鉄山田線・斎宮駅で9時20分から10時半。斎宮は、松阪と伊勢の間。桑名駅を8時42分に出る松阪行き急行に乗車。松阪駅には9時49分着。ここで10時7分発の賢島行き普通に乗り換え。斎宮(さいくう)駅には、10時20分着。¥1,070。乗車時間は1時間20分。かなり遠い(笑)。

Img_8070c  こちらが今日のコースマップ。斎宮駅の史跡公園口改札前から、いつきのみや歴史体験館、古代伊勢道を通って、斎宮歴史博物190602kintetsuhikingsaikuu 館へ。さらに、歴史の道を通って、田園地帯を抜け、花ショウブ群落。ここには、私の好きな野花菖蒲の群落があるはず。そこから、斎宮に戻って、平安の杜で「斎宮群行」を見て、斎宮駅がゴールという、マップ上は約6㎞のコース。右は、実際に歩いた実測ルートマップ。実は歴史の道から斎宮の森史跡公園に出るところで、1本早く曲がりすぎました。斎宮史跡の中を歩き回りましたので、ハイキングで歩いたのは、8.1㎞。自宅から桑名駅往復が1.8㎞ですので、合計9.9㎞。スタートは、10時28分。

Img_8083c  斎宮駅・史跡公園口改札の目の前に「いつきのみや歴史体験館」があります。「斎宮(さいくう)」は今から約1,300年前、伊Img_8093c_2 勢神宮の祭祀に奉仕する女性「斎王」が住んでいたところで、ここには斎宮寮という役所も設けられていました。この斎王制度は天皇の代ごとに替わり、飛鳥時代から鎌倉・南北朝時代まで660年間続いていました。いつきのみや歴史体験館は、斎王制度660年間の中で1番華やかだった平安時代にスポットを当て、歴史体験ができる施設です。右の写真は、「葱花輦(ソウカレン)」。屋根の上に金色の葱(ねぎ)の花の形の飾りをつけた輿(こし)です。本来は、天皇の略儀の行幸に用いるのですが、斎王が都から斎宮に赴かれるときにも使われました。ここではその名の通り、さまざまな体験ができます。「平安貴族なりきり体験」などがあります。今日は「機織り体験」も行われていました。

Img_8119c_1  いつきのみや歴史体験館から斎宮駅の前を通って、斎宮歴史博物館へ向かいます。途中、古代伊勢道を通ります。古代伊勢道Img_8135c_1 は、奈良時代の幹線道路「官道」で、ここは復元されたところ。道幅は8~9mほどありそうです。斎宮が当時、かなり重要な役割を果たしていたと思わせます。1㎞ほどで、斎宮歴史博物館&古里公園の入り口に到着。10時51分。

Img_8139c_1  古里公園では、昨日、今日の斎王まつりに合わせ、斎王市やアトラクションが行われていて、かなり賑わっていました。私がImg_8146c 着いたときには、大正琴の演奏会の最中でした。食べ物屋さんなど、露店も多数出ていて、お子さんを連れた方や、若者たちのグループルなどで大賑わいでしたが、ここは通過。

Img_8224c  斎宮歴史博物館へ。県立の博物館です。テーマ博物館であるとともに、三重県埋蔵文化財センターとしての機能を有していまImg_8178c す。常設展示と、今日まで開催されていた企画展示「めでたいのいろいろ」を見てきました。あわせて¥420。まずは、映像展示室でハイビジョン画像で再現された、斎王の儀礼と都から伊勢への旅を再現した「斎王群行」(約20分)を見ました。その後、常設展へ。右の写真は、常設展示の様子。斎王の行列を再現したものと思います。

Img_8182c  こちらも常設展示にあった、斎王の暮らしを再現したもの。常設展示は、「文字からわかる斎宮」と「ものからわかる斎宮」と2つのエリアに分かれています。博物館には50分も滞在。しっかり見てきました。

Img_8254c  博物館を出て東へ。博物館の前にある塚山古墳群を見て、歴史の道へ。道沿いに和歌の碑が並んでいます。こImg_8266c のあと、曲がるところを間違え、1本手前で右折(苦笑)。上園芝生公園(右の写真)のところに出てしまいましたが、すぐに気づけました。戻るのも面倒なので、そのまま進み、斎王の森のところで指定されたルートに。

 

Img_8281c  斎王の森はあとにして、取り敢えず、花菖蒲群落を見に行くことに(コース通り)。左の写真は、斎王の森史跡公園のすぐ北Img_8306c にあった案内板。ここから1.8㎞。途中、立ち寄るところとして、酒まんじゅう斎庵がありましたが、見ただけで通過(笑)。3㎞の手前、北野公園の辺りでちょうどお昼になりました。ちょっと迷ったのですが、コースマップを見ると、花菖蒲群落まで、休憩できそうなところはありません。そこで、この北野公園で昼にすることに。今日も駅ナカファミマの弁当。ただし、幕の内弁当にしてみました(揚げ物が多いのは変わりありませんねぇ。しかし、まつりのイベントで何か買って食べるというのもどうも、という気がします)税込み¥398。15分ほど昼食休憩。

Img_8333c_1  12時15分、再スタート。途中神社?跡を見つけた以外はひたすら歩き、スタートからほぼ4㎞、12時32分に花菖蒲群落に到Img_8339c 着。野花菖蒲がたくさん咲いていると勝手に思い込んでやって来たものの、期待はかなり裏切られました。野鳥もそうですが、花もタイミングがありますから難しい。右の写真のような様子。咲いてはいましたが、かなり少ない。

Img_8349c  咲きそろうと、この案内板のようになるそうです。ここは、想像をたくましくするしかありません(苦笑)。北側のエリアにImg_8363c 行くと、右の写真くらい咲いているところが何カ所かありました。ここ「斎宮花菖蒲群落」は、天然記念物に指定されています。ちょっと残念に思いつつ、笹笛川沿いを南下。次の目的地に向かいます。

 

Img_8422c  スタートからは5.7㎞、時刻は13時前。楠森神社跡に到着。創立は斎宮寮の会った頃で、荒神宮(天照大神)と高の宮(豊受Img_8417c 大御神)を祀った斎宮制度の廃止後に町屋郷が置かれると、産土神(祭神は八柱神)の神社となったといいます。現在は、竹神社に合祀されています。

Img_8657c_1   13時を過ぎますので、斎王群行が行われる「さいくう平安の杜」に急ぎます。ここには、三棟の平安時代の建物「斎宮寮庁」が復元されています。いにしえの斎宮の姿を再現してるのです。三棟の建物は、斎宮の役所「斎宮寮(さいくうりょう)」の長官のもと、儀式や饗宴に使用されたと考えられます。斎王まつりの斎王群行は、ここで13時からセレモニーがあり、13時50分頃出発。

Img_8510c  セレモニーもかなり進んだ頃、今年の斎王が登場。斎王まつりのメインのイベントです。」2枚の写真は、出発式の様子。 皇Img_8511c 學館大学雅楽部の学生の皆さんによる演舞もあります。群行は、13時50分に出発して斎宮歴史博物館へ向かいます。思ったよりたくさんの人が集まっています。カメラやビデオで撮影する人も多数。

Img_8598c  斎王が登場したあたりまで見て、群行が出発するまで20分以上ありましたので、見落としたところを見てくることに。まずImg_8566c_1 は、史跡斎宮の南にある竹神社(たけじんじゃ)。竹神社は、明治44(1911)年、旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生した神社です。元は竹川の古里にあったのですが、明治時代に野々宮が祀られていた現在の場所に遷りました。この周辺からは平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘されたため、斎王の御殿があった場所ではないかといわれています。

Img_8681c_1

 次は、いつきのみや歴史体験館の北側にある「1/10史跡全体模型」。30余年におよぶ発掘調査成果をもとに、斎王が住んだ御Img_8677c 殿をはじめとする中心区画の建物1/10サイズで、再現されているのです。これ、なかなか面白い。右の写真は、再現されていた門から覗いて、写真を撮ってみました。

Img_8707c  そして、斎王の森史跡公園。斎宮が当地にあったことを示すシンボル的な森です。鳥居をくぐると、「斎王宮Img_8703c_1 跡」の石碑があります。ここには、最初の斎王である大来皇女(おおくのこうじょ;大伯皇女とも)の歌碑があったのですが、それには気づかず仕舞い。残念。大来皇女は、天武天皇と天智天皇皇女大田皇女の子。

Img_8742c_1  そろそ斎王群行の時間ということで、いつきのみや歴史体験館の横まで戻ります。雨が降ってきて、ちょっと心配しましたImg_8747c が、予定通り群行は行われました。もうちょっと大々的なパレードを想像していたのですが、案外小規模でちょっと拍子抜け(失礼)。

Img_8781c  これですべて見終えましたので、近鉄・斎宮駅へ。といっても、いつきのみや歴史体験館は駅のすぐ目の前。来たときは、史跡公園口から降りたのですが、Kips Icocaにチャージをしたかったので、南口へ(史跡公園口には、ICカードの簡易改札しかないのです)。到着は、14時12分。斎宮駅には普通しか止まりません。14時28分発の伊勢中川行き普通に乗車するのですが、ホームはラッシュアワー並の大混雑(笑)。普通電車は2両編成なのです。松阪駅に14時40分着。次の名古屋行き急行は、14時54分、これに乗車。桑名には16時4分着。1時間10分は、電車に乗ったという感覚が十二分にあります。¥1,070。最後は、雨に降られましたが、斎宮、斎宮歴史博物館も訪ねたかったところですし、斎王群行も見たかった行事でしたので、満足。

Img_8788c  これであみま倶楽部のスタンプは見事20個を達成。去年は1年で20個でしたから、倍くらいのペース。Alkooのデータでは、Img_8808c 歩数は19,249歩。けっこうよく歩きました。Alkooによる歩いた距離は、今日もかなりの過大評価で14.7㎞。初めの方に書きましたように、9.9㎞プラスアルファが妥当なところでしょう。

Img_8811c  ところで、今日は出かける前から、土産というか、夕食用にというか、弁当を買うことにしてImg_8827c_1 いました。松阪駅の駅弁です。「あら竹」という弁当屋さんの、「モー太郎弁当」です(¥1,500)。松阪名物黒毛和牛をすき焼きにして、ごはんの上に載せた弁当。「日本初のメロディ付き駅弁!五感に響く駅弁」というのがキャッチコピー。晩ご飯にいただきました。さすがに松阪牛、堪りませんでした(微笑)。蓋を開けると唱歌「故郷」のメロディーが流れます。

Img_8814c  本編は、また明日以降にと思っていますが、帰宅したのが16時半頃ということもあって、実はまだ写真整理ができていません。明日午後は、市民大学講座がありますし、今月15日には相談会を予定していますので、その準備もする必要があります。まぁ、ユルユルとということで。写真は、「モー太郎弁当」の蓋。ちょっとどうかと思いますが、牛の顔をかたどっています(微笑)。

2019年6月 1日 (土)

歌行燈本店のアジサイ、九華公園は今日から花菖蒲まつり

Img_8016c_1  6月に入りました。正午で25℃、日当たりを歩いているとやはり暑い感じです。今日はいつも通りのコースを散歩。8時15分から住吉神社、歌行燈本店、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、田町と6.2㎞。相変わらず、このコースにはスズメ、ムクドリ、ドバト、キジバト、カラスくらいしかいません。公園ではカワラヒワ、シジュウカラを見るくらい。冒頭の写真は、歌行燈本店。毎年、この時期になると、アジサイが見事ですので、今年は今日初めて見てきました。

Img_8008c_1  ただ、ちょっと今までよりも、鉢の数が少ない感じがします。それでもアジサイの種類は多様で、あれこれ眺め、写真を撮らせImg_8013c てもらってきました。また何度か出かけて、アジサイを見せてもらって来ようと思います。

Img_8019c_1  九華公園は、今日から花菖蒲まつり。市の観光案内には、「公園内には3つの菖蒲園(820平方メートル)があり、約4000株の花菖蒲(伊勢系、肥後系、江戸系)が咲き誇ります」とあります。しかし、本丸跡のところは、今年はかなり貧弱。管理事務所の南と、奥平屋敷跡はけっこう咲いて来ています。ちなみに、イベントがあると観光案内にはありますが、私自身は承知していません。新聞社系の写真クラブがモデルさんを依頼して、撮影会をするのかも知れません(未確認)。左の写真は、管理事務所南のところ。

Img_0012c  菖蒲園にはいろいろな種類の菖蒲が咲いています。が、私には品種を区別する知識も能力もありません。たぶん、原種の野花菖Img_0040c 蒲は分かります(微笑)。管理事務所の南のところには、名札が掲げられています。左のもの、名札を確認してきませんでした。右は、野花菖蒲と思います。

Img_0032c  九華公園、あちこちにミドリガメが上陸して来ています。産卵シーズンに入ったということです。すでに産卵しているようでImg_0034c すが、去年までと同様、産卵するとすぐに(といってよいほど)、カラスが卵を産んだ穴を掘り返して、卵を食べてしまっているそうです(管理人さんの情報)。自然の摂理といえば、それまでですが、カメにはちょっと同情します。

Img_7998c_2  さて、はじめに書きましたが、鳥はほとんどいません。揖斐川の堤防でヒバリを見たくらい(苦笑)。他に目だったのは、七Img_0007c 里の渡し跡の近くでカラスが集合していたことのみ。九華公園で管理人さんなどが襲われたという話を聞いて以来、カラスがいると、ちょっとビビります(笑)。子育て中でなければ、問題ないとは知りつつですが……。

Img_0069c  ツバメの巣も一通り見てきました。こちらは、桑名市博物館にある巣。5羽のヒナは、皆かなり成長して、巣からはみ出そうになっていますImg_0075c が、まだまだ親ツバメがエサを運んで来ています。ここはもうじき巣立つような気がしています。

Img_0084c_1  京町のお宅の巣。ヒナは4羽のように見えます。ここも親ツバメが何度もエサを運んで来ていImg_0095c ます。こちらの巣では、木曜(5/30)に雛が孵ったと思いますので、6月20日頃巣立ちを迎えると思われます。

Img_0126c  そして、田町にある商店の巣は、今日は空っぽでしたから、木曜(5/30)以降、巣立って行ったと考えられます。これで京町の呉服屋さんに続いて、見ている範囲では2つめ。田町のもう一軒のお宅では、雛が孵っていました。まだ目が開いていないようですので孵って間もないのでしょう(左の写真)。

« 2019年5月 | トップページ | 2019年7月 »

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

マイブックス

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)