20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(予告編)
近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」へ行ってきました。九華公園の賑わいを避けたのと、伊奈富神社へ訪ね、つつじを見たいという次第です。今日のところは予告編。三重県知事と三重県議会議員の選挙の投票を済ませて、出発です。本日の受付、スタートは、近鉄名古屋線・鼓ヶ浦駅。9時半から10時半ということで、桑名駅を9時1分の五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時31分着。9時36分の普通電車・津新町行きに乗り換え、次の鼓ヶ浦で下車。9時38分着。¥560。
こちらが本日のコースマップ。鼓ヶ浦駅を出て、子安観音寺(ここには不断桜があります)、稲生民俗資料館に立ち寄って、伊 奈冨神社にお参り。最後に、鈴鹿さくら祭り会場に行き、近鉄鈴鹿線・平田町駅がゴールという、マップ上約11㎞のコース。あまり立ち寄り先が設定されていませんので、前回に続いて、ひたすら歩く羽目になりそう(微笑)。また、今回は、ここに上がっていたところしか予習をしていませんので、途中の勝手な道草は、出たとこ勝負(笑)。右が、実際に歩いたコースの実測ルートマップ。鈴鹿市の海岸近くから、繁華街まで横断したというイメージ。勝手に立ち寄ったところは、神社2ヶ所、お寺が1ヶ所。鈴鹿サーキットは、通過したのみ。鈴鹿サーキットからゴールの平田町あたりは、鈴鹿で働いていた頃何度も訪ね、土地勘もありますが、伊奈富神社あたりは初めてで、神社を出てから鈴鹿サーキット稲生駅に行くのに、若干迷ってしまいました。
鼓ヶ浦駅を9時45分にスタートして、5分で白子観音に着きます。ここと、次に立ち寄った比佐豆知神社は、去年3月17日の近 鉄ハイキングで来ています(2018年3月17日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(予告編)、2018年3月19日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】、2018年3月20日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ)。子安観音寺、地元では「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ、1250年以上の歴史があります。詳しくは、リンク先をご覧ください。
今日は、不断桜を見たいと思っていました。天然記念物に指定されています(大正6(1923)年3月指定)。樹齢については 諸説ありますが、江戸時代にはすでに「一年中葉や花が途絶えない不思議な桜」として著名な木だったといいます。すずかし観光ガイドには、真夏以外は梢のあちらこちらにちらほらと花をつけ、四季を通じて桜の花が咲くことから不断桜と名付けられたとあります。3月~4月には薄桃色の花が一面満開となるそうですが、今日はご覧の通り。やや遅かったのかも知れません。
白子観音のすぐ南に、比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)があります。式内社。主祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)。素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子で、木種(こだね)をもって天降り、大八洲国(おおやしまぐに)をことごとく青山にしたといいます。このほか、次の9柱の神様も祀られています:大屋津姫命(オオヤツヒメノミコト、樹木の女神)、抓津姫命(ツマツヒメノミコト、樹木の女神)、少彦名命(スクナビコノナノミコト、山や丘の造物者であり、命名神)、天照大神(アマテラスオオミカミ)、伊弉冉尊(イザナミノミコト、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となった)、誉田別尊(ホンダワケノミコト、応神天皇)、天児屋命(アマノコヤネノミコト、天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、速玉男命(ハヤタマノオカミ、絶命して黄泉国へ去ったの伊奘冉尊を伊奘諾尊が訪れたとき、見ないで欲しいといわれたその姿をみてしまい、離縁することになったが、その約束をかためるためにはいた唾から生まれた神)、事解男命(コトサカノオノミコト、伊弉諾尊、伊弉冉尊の関係を掃う神。速玉男命 ともども熊野速玉大社の御祭神)。なお、大屋津姫命と抓津姫命は姉妹で、兄が五十猛命。
比佐豆知神社を出て、国道23号線を渡って北東へ向かいます。このあたりは、曲がるところはなく、道なりに進めばよいのですが、次に立ち寄り先に指定されていたのは、伊奈冨神社。この間、何も見るべきところがなければ、3㎞以上、黙々と歩かねばなりません。3㎞ひたすら歩くのは、なかなか大変(笑)。
と思っていたら、まさに救いの神が登場してくれました(微笑)。鈴鹿市稲生塩屋で、加和良神社を発見しました。コースマップにはありませんが、これは立ち寄らなければなりません。スタートから1.7㎞、10時20分。主祭神は、木花之咲耶姫命(コノハナノサクヤビメ、大山祇命の娘で、富士山の神。浅間神社に祀られています)。相殿神は、武内宿禰命(たけしうちのすくね、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる)、高良玉垂命(こうらたまだれのみこと、高良大社のサイトによれば、厄除け・延命長寿・交通安全はじめ生活全般を守る神で、武運長久の神や、芸能の神としても崇敬されるとあります)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、須佐之男命(スサノオノミコト、天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された)、八街比古命、八街比売命(ヤチマタヒメノミコト、集落や道の要所にすわり、八衢比古神(やちまたひこのかみ)とともに邪神・悪霊の侵入をふせぐ神)です。
創祀は不詳ですが、奈良時代の天平年間になる「大安寺資料帳」には「高良社」とあり、既にこの頃には祀られていたと思われます。平安時代中期に成立した「延喜式神名帳」にも登載されており、いわゆる延喜式内社です。江戸期には社名も失われていたといいます。明治41(1908)年11月に須賀神社を、また大正3(1914)年2月には八幡社を、さらに大正5(1916)年2月には伊達神社を合祀しています。大正11(1922)年7月、河原の南方からこの地に遷座し、今に至っています。「高良社」と称する祠が、加和良社と訛傳したと思われます。
加和良神社から400m足らずのところに面白い幟が出たお寺がありました。東光山(とうこうさん)福楽寺といい、幟には 「家康の落馬地蔵」と大書してあるのです。高野山真言宗の仏教寺院。本尊は薬師如来。聖武天皇(在位724年~749年)が東大寺の大仏を建立する際、神意奉詞のため伊勢神宮へ行基菩薩を遣わしました。途中、この地方で悪疫が流行しているのを知った行基は、薬師如来像を自ら彫刻し、開眼供養、平癒祈願を行ったところ、悪疫は平癒したといわれ、これが当山の起こりであると伝えられます。織田信長の伊勢進攻の兵火により焼失しましたが、本尊は難を免れたといいます。現在の本堂は、明治期に再建されたものです。
こちらが「神君家康の落馬地蔵」です。説明板によれば、天正10(1582)年6月2日の本能寺の変に際して、家康が堺から三 河まで伊賀越えの帰還を試みたとき、6月4日、途中、ここ稲生の里で落馬した際、地元の百姓の青年に助けられ、後ほどその者に疋田の姓を授けたといいます。家康没後、村民は平和制定の感謝の念を込め、落馬した場所に地蔵を祀っていたのですが、それが、今は福楽寺に移されたそうです。お地蔵様は、右の写真のお姿。しかし、「家康没後、村民は平和制定の感謝の念を込め、落馬した場所に地蔵を祀っていた」というのが、もう一つよく分からない気がします。とくに「平和制定の感謝の念を込め」というところ。検索しても、ブログ記事ばかりが出てきて、仔細は不明。
福楽寺から1.5㎞ほど稲生の町を歩いて、伊奈富神社の鳥居前に到着。鳥居の東に稲生歴史民俗資料館がありますので、まずは そちらを観てきました。「稲生」という地名にちなんで、稲や農業に関係ある資料を中心に展示しています。水車や唐箕(とうみ)など、今では見ることのできない農機具の展示や、稲の品種改良に功績のあった人物の紹介、古代米の一種の赤米や黒米、珍しい紫米も展示しています。子どもの頃見た農機具や、生活用品などもあって、懐かしく見てきました。
スタートから3.8㎞ほど。といっても、稲生民俗資料館のすぐとなり。一の鳥居は、ステンレス製(改めてよく調べたら、チタン合金製でした)。県内でも屈指の歴史がありますし、ムラサキツツジでも有名。鈴鹿で働いていた30数年前から知ってはいたのですが、訪れる機会がありませんでした。ようやく念願が叶ったということです。
御祭神は、保食神大國道命(ウケモチノカミオオクニミチノミコト、五穀をつかさどる神)。相殿神は、豊宇賀能賣命(トヨウケビメノカミ、豊受大神の異称)、稚産靈神(ワクヒムスヒノカミ、火の神軻遇突智神と土の神埴山姫の子。頭に蚕と桑が、臍の中に五穀が生じたという)、鳴雷光神(雷神、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みについての神)、大山祇命(オオヤマツミノミコト、山の神)。崇神天皇の御代、天皇が霊夢の告を受け、その勅旨によって、社地が選定され、創祀された古社といいます。あるいは、雄略天皇治天五年に、はじめて稲生神社大国道命の神号を賜ったという説もありまであった。。三代実録(清和、陽成、光孝天皇三代の編年体の正史)によると、貞観7(865)年4月15日従四位下に叙せられました。当時は椿大神社(正五位下)よりも社格は上でした。往古の神領は、東は白子浜、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大な領域であったといいます。
ツツジには早いかと思ったのですが、ムラサキツツジがかなり咲いてきていました。境内には、5,000株あるそうです。境内 を一回りしつつ楽しんできました。拝殿の裏手には、ツツジのトンネルになっているところもありましたし、石碑、忠魂碑などもたくさんあり、歴史もあるだけにまさにワンダーランドのような神社。
鳥居脇には、県指定名勝の七島池があります。その名の通り、7つの島を浮かべた、全長72mの細長い神池があります。弘法大師が一夜にして掘られたとの伝説が残され、その様相は大八洲(日本の美称)をあらわしたものなど諸説が伝わります。九州・宇佐神宮の神池と類似した直線多島式で、日本庭園の原型とも評されるほど素朴な様相の古代庭園です。現在、島の修復が行われていました。
伊奈富神社から伊勢鉄道・鈴鹿サーキット稲生駅の方へ向かうのですが、地図がわかりにくくて迷いました。他にも同世の男 性が1名。伊奈富神社で50分もウロウロしていて、他の参加者の姿はありません。が、ここでスマホが役に立ちました(微笑)。グーグルマップで検索して、事なきを得たのです。遠くに鈴鹿サーキットを見ながら先に進みました。鈴鹿サーキット稲生駅近くからサーキット道路に出て、鈴鹿サーキットの方へ向かいます。鈴鹿で働いていたとき、患者さんのレクレーションでも何度も来ましたし、子どもたちが小さいときに遊びに来ています。今日は、通過するだけ。
鈴鹿サーキット前の交差点で右折。鈴鹿サーキットと鈴鹿青少年の森の間を北東に進みます。地名でいうと、道伯あたりをひたすら歩きますが、南のサーキット側には、ソメイヨシノの桜並木が続きます。ただし、ずっと道なりに2.5㎞を歩かねばならないのは大変でした。算所町南交差点で左折。ここは、鈴鹿市中心部に近いところ。少し北には、鈴鹿にいた頃よく来た大きなショッピングセンターが2つあったあたり(1つは廃業)。
スタートから9.8㎞、時刻は13時15分、ようやく鈴鹿桜まつり(平田町商店会主催)の会場の南入口に到着。かなり汗を掻い ていますし、のども渇いています。昨日・今日と開催。会場は、旭化成鈴鹿製作所の桜並木と陸上グラウンド。ここは、あのサランラップをつくっているはず。入り口を入ったところから大賑わい。13時まででしたら、ソフトドリンク1本がもらえたのですが、15分遅れでもらえず、残念。
いやホントに大賑わい。人、人、人でした。ステージではコンサート。露店もたくさんでてはいたものの、どこも長蛇の行列 です。今日は、ここでお昼を買って食べようと思って来たのですが、これではいけません。完全に当てが外れてしまいました。伊奈富神社でおにぎりは1個食べたものの、お腹も空き、のども渇いています。
一通り回って、もっとも空いていた店が、ビールを売っているところ(笑)。閃きました。まだ「一人花見」を実行していませんでしたので、缶ビール1本(¥350なり)をゲット。「一人花見」と、ここまでの頑張りを称えて(笑、自画自賛)、乾杯してきました(爆)。つまみもなしで、一気飲み。もうちょっとよく冷えていたらいうことなしでしたが、あまり贅沢を言うと、罰が当たります。
ここには、並木、グラウンドを合わせて300本の桜があるそうです(こちら)。一気に満開で、一部は風で散り始めていましたが、堪能しました。ご覧のような桜のトンネルも。この春は、あちこちで桜を楽しめていて、ラッキーです。勝手に乾杯を終えて、桜並木を北に向かって通り抜け、ゴールの近鉄鈴鹿線・平田町駅に向かいます。桜並木を通り抜けて200mあまり。
ゴールの平田町駅。13時40分に到着。しかし、伊勢若松行きの電車は5分前に出たばかり。お昼を食べようと思ったものの、駅前のうどん屋はハイキング参加者で満席。コンビニも近くにはありません。やむなく自販機でカレーパンその他をゲットしてそれで済ませました。14時5分発の伊勢若松行きに乗車、伊勢若松に14時15分着。14時17分の名古屋行き急行に接続していましたので、乗り換え。桑名には14時40分着。¥560。
左は今日のALKOOのデータ。歩いた距離は、キョリ測では、11㎞ちょうど。自宅から桑名駅往復(朝は、投票のため、精義
小学校を経由)が2.1㎞でしたから、合計13.1㎞。歩数は、22,512歩。今日もよく歩きました。あみま倶楽部のスタンプは、14個目。順調です。
次は、4月11日に「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」に参加の予定。近鉄四日市駅から東海道を日永の追分まで。そこから伊勢街道に入って、鈴鹿市駅というコース。
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コメント
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おユキさん、こんにちは。
ひたすら歩いて修行というハイキングでした(笑)。
鈴鹿桜まつりの会場で何かにありつけると思ったのが、どこも大行列で、当てが外れましたねぇ。
もっとも空いていた店が、ビールを売っているところと、捨てる神あれば拾う神あり、でした(笑)。
不断桜、去年も見たのですが、もう少し早い時期で、チラホラでした。
そのときは葉っぱがもっと少なかったと思います。
花は、おっしゃるように、ソメイヨシノよりもしっかりした感じですね。
ちょうどよい時期に行き当たるのは難しい。
家康落馬地蔵は、こんなものがあるのかと思ったら、説明のような次第で、後からとってつけたような理屈でした。
浜松で武田との合戦のとき、負け戦で脱糞したという話もありますから、エラい人は大変です。
伊奈富神社の鳥居は、ステンレスで、予告編では載せませんでしたが、さるぼぼがたくさんぶら下げてありました。
ステンレスなら、長持ちしそうです。
九華公園でまだ一人花見を敢行しておりませんが、すでに露店は撤収し始めています。
どうなりますか?
スマホでルート検索はよいのですが、真っ昼間、太陽の下では画面が見えません(苦笑)。
投稿: mamekichi | 2019年4月 8日 (月) 16時06分
mamekichi先生、おはようございます。
今回は、栄養補給のタイミングが合わなかったのですね。
暖かいというか、暑いくらいの陽気だったかと思いますので、陽光の中、ひたすら歩くわ、口は渇くわ、拝見しながら、こちらが干乾びてしまいました(笑)。
干乾びていたので、ビールで思い切り酔っ払ってしまいました。下戸ですし(爆)。
さて、不断桜の花、シャキッとしているんですね。
ソメイヨシノ他とは、ちょっと質感が違うように見えます。
家康落馬地蔵、面白いですね。
天下人になると、落馬のエピソードも祀られてしまうのか、と思いました。
「平和制定」、単純に、理由が欲しかったのかな、と。
伊奈富神社の一の鳥居、何故にステンレス!?良いんですか、これは。
うーん・・・鉄だから鉱物ということで、セーフなのでしょうか。
まさに、八百万ですねぇ。よくわかりませんが。
大須万松寺もハイテク寺院になっていますし、受け入れざるを得ないご時勢なのかしら。
一人花見もクリア、スマホも活用、ひらめきは大事ですね(微笑)。
投稿: おユキ | 2019年4月 8日 (月) 09時46分