20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その1)……四日市駅をスタートし、崇顕寺、東漸寺、大宮神明社、水沢道標と大聖院へ
4月11日に行ってきた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」の記事、予告編だけ書いて「放置状態」でした(苦笑)。サボっていたつもりはないものの、この間、江戸橋方面での非常勤が始まったり、義理ごとができたり、相談会の資料読みを行ったりしているうちに時間が過ぎました。JRさわやかウォーキング(河曲)の記事も同様で、在庫山積みですが、自らまいた種ですから、自分で刈り取らねばなりません。ボチボチと記事を書いていくことにします。
このハイキングはお伊勢参りの3日目で、近鉄四日市駅をスタートし、東海道を歩いて、日永の追分で伊勢街道に入り近鉄鈴鹿市駅まで。旅2日目に(3月24日)、近鉄富田駅から東海道を歩いて、近鉄四日市駅まで来た続き(2019年3月25日:20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(予告編))。このときは、7.9㎞。近鉄四日市駅での受付が、9時半からということで、桑名駅を9時1分の五十鈴川行き急行に乗車。四日市には9時9時13分に到着。¥300
本日のコースマップは、B4サイズ両面。近鉄四日市駅(南改札口)を出て、東海道に入り、日永神社、日永一里塚跡、東海道 名残りの一本松を経て、お茶のやまなかで呈茶サービス。その後、東海道日永郷土資料館に立ち寄り、伊勢街道との分岐である日永の追分へ。伊勢街道を歩いて、河原田神社、忘帰處から鈴鹿川を渡って、神戸の見附跡と札の辻を見て、近鉄鈴鹿線・鈴鹿市駅がゴール。コースマップ上は、12.2㎞。川を何本も越え、ちょっとした小旅行気分。4月3日のハイキングと同様、Mさんと2人旅。私があちこち立ち寄り、Mさんを連れ回して、大変迷惑をおかけしたのではないかと思います(微笑)。しかし、旅や散歩の醍醐味は、立ち寄り、道草にあると思っています。決められたコースからちょっとはズレたりして、目新しいもの、珍しいもの、面白いものを見つけるのは止められないのです。
こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。こうして改めて見ると、ずいぶん歩いたと思います。ハイキングで歩いたのは、13㎞。立ち寄り先でウロウロしていますので、実際にはもう少し歩いているはず。もっとたくさんのところへ立ち寄って来たのですが、このマップには書き切れませんので、かなり省略してあります。桑名駅までの往復で2.1㎞(帰りに所用を済ませてきました)でしたので、合計15.1㎞。さすがに15㎞を歩くと、よく歩いたと思いますし、いささか疲労感があります。いつものように何回かに分けて旅の記録を書くことにします。
もう少し拡大した実測ルートマップ(その1)。近鉄四日市駅を出て、国道1号線に向いていきます。300mあまりのところを 右折し、旧東海道に入ります。四日市でも繁華街のあたり。
曲がるところには、このような道標があります。写真で奥に見える信号は、国道1号線諏訪栄町の交差点。この右折した交差点の北は、スワマエ商店街。旧東海道が、商店街になっているところ。
旧東海道に入って200mも行かないところ、阿瀬知川を渡ってすぐのあたりにあるのが、崇顕寺。真宗高田派のお寺ですが、作家・丹羽文雄(明治37(1904)~平成17(2005)年)の生家です。昭和7(1932)年「鮎」でみとめられ、風俗小説を多作しましたが、のち仏教への傾斜から「親鸞」、「蓮如」を著しました。日本芸術院会員、文化勲章を受章しています。崇顕寺は、田原藤太秀郷(藤原)末胤、田原忠秀が文明元(1469)年、浜田城を築き、孫元網の時元正3(1575)年に織田勢の滝川一益に滅ぼされました。この田原家の一族丹羽弥八郎時定が菩提のため、創建したといわれています。もとは天台宗の寺でしたが、文亀2(1502)年に眞慧上人に帰依し高田派の寺となっています。天和元(1618)年の火災と、昭和20年四日市大空襲で消失していて、由緒の詳細は不明。この真慧上人(しんねしょうにん)は、三重県のお寺を調べるとよく出て来ます。浄土真宗の僧で、高田本山専修寺の第10代。常陸の浄土宗迎雲寺等で顕密を学び、高田に帰った後、伊勢・三河・越前・加賀に布教。高田専修寺を継ぎ、高田派教団の勢力を拡大した方です。相当徳を積まれたお坊様のように思えます。
崇顕寺から300mほど、東海道の西側に仏法山東漸寺という、こちらも真宗高田派のお寺があります。ネットで調べてもあま り情報は出て来ませんが、建仁元(1201)年創建の古刹です。童話作家・東光敬(あずまこうけい)の生家。東は、丹羽文雄の弟である房雄(文雄に代わって、崇顕寺を継いでいます)と同級生。東については、こちら(四日市文化協会の広報誌)に言及されています。東の童話は「仏典童話」と称されるそうですが、その他に、郷土四日市の風光に材を採った童話も書いています。昭和10(1935)年に発表した人権意識の深い「白い鳩」であり、12(19374)年発表の初期四日市工毒(公害のこと)を告発した「ひばり」がそれです。
このあたりの東海道の様子。東漸寺から先、近鉄名古屋線の高架を潜ります。その手前に慈光寺(真宗興正派)というお寺が ありましたが、東に入らねばなりませんので、パス。高架を潜ると、四日市あすなろう鉄道の線路が近くを走っています。赤堀駅の手前に鈴木薬局という、四日市でもっとも古い建物があるはずなのですが、見当たりません。鈴木薬局は、200年以上も続いた旧家で、代々、勘三郎の名を受け継ぎ現在で11代目まで続きました。4代目・勘三郎高春が寛延3(1750)年、長崎に赴き漢方を伝授されたと云われています。建物は6代目・勘三郎高光が 嘉永5(1852)年に建てたもので、これを観たいと思っていたのです。調べてみたら、こちらのサイトに「解体されて更地になってました」とありました(2017年6月15日づけの記事)。歩きながら気をつけて見ていたものの、ありませんでした(鈴木という表札が出た、大きなお宅がありました。これが鈴木薬局の跡地だったのかも知れません)。残念です。右の鈴木薬局の写真は、四日市・常磐地区のホームページからお借りしました。
その後、落合川、鹿化川と越えて、スタートから2.3㎞のところに大宮神明社があります。詳しい由緒は不詳ですが、社伝によ れば第11代・垂仁天皇の御代、皇大神宮が伊勢にお遷りになる時に岡山の丘陵地(現在、四日市南高校があるところ)に一時お留りになり、そこに神宮の神領地として皇大神宮を勧請したのが始まりとされています。永禄5(1562)年、それまで舟付け明神といって崇め祀っていたこの岡山の神明社が炎上したので、その頃出来上がりつつあった新道路(東海道)の傍らに遷座されたのが今の大宮神明社です。江戸時代には神戸(かんべ)藩主・本多家の崇敬を受けていました。「永宮さん」とも呼ばれるそうです。
主祭神は、天照大御神。相殿神は、天手力男命(アマノタヂカラオノミコト;天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大 力の神)、栲幡千千比売命(たくはたちぢひめのみこと;高皇産霊神の子の児火之戸幡姫の子で、天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ。織物の神として信仰される他、安産、子宝等の神徳をもつとされる)、市寸杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津宮の祭神)、田心姫命(タキリビメまたはタギリヒメとも;日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱。宗像大社では「田心姫神」として、沖ノ島にある沖津宮に祀られている)、多岐津比売命(タギツヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、中津宮に鎮座するとされる)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、大山津見命(オオヤマツノミコト;山をつかさどる神)、弥都波能売命(ミズハノメノミコト;代表的な水の神(水神))となっています。明治40(1907)年に天白社、八幡社の二社を合祀し、明治41(1908)年には5社を合祀しています。例祭は10月の体育の日。獅子舞があり、八幡獅子が家々を回るそうです。また、6月30日夜には、那護志の大祓があり、いわゆる「茅の輪くぐり神事」が盛大に行われます。
境内には、摂社として二柱大神があります。ここは江戸時代末より病気平癒の神(センキの神)として信仰されています。少彦名命(すくなびこなのみこと;農業・酒造・医薬・温泉の神)と、大己貴命(おおなむちのみこと;天照大神に対して国津神 (土着の神々)の頭領たる位置をあらわす)が祀られていますから、二柱神社かと思います。
境内には、靖国社や、「皇大神宮遙拝所」がありました。皇大神宮は、もちろん伊勢神宮。前にも書きましたが、四日市市内 の神社では時々見ます。これらの他にも、稲荷社と思われる社や、不明の小さな社もありましたが、神社の説明板や、神社検索三重のサイトにも言及はなく、詳細は不明。
大宮神明社から300mほど、大聖院へ入る角に「水沢(すいざわ)道標」があります。大正12(1923)年9月にあった集中豪雨による水害までは、この碑の前(南)の道が水沢(四日市市の南西端、鈴鹿山脈の麓、伊勢茶の栽培が盛んな地区)への道でした。碑は元は東海道との角にありましたが、現在は、民家の庭にあります。
碑表には、「水澤は藍より出て紅葉哉 大坂 羽津み」とあります。「羽津み」は、江戸中期(1780~1800年頃)の大坂の古銭研究家・河村羽積(はづみ)のこと。碑陰には、「猿丸太夫名歌古跡水澤へ 是より三里」と刻まれています。水沢には、宮妻峡や、もみじ谷という紅葉の名所があります。百人一首にある「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」という猿丸太夫の読んだといわれる歌の情景を、紅葉の名所・水沢楓谷(もみじだに)に名残を求めたものであろうかと、「日永ものがたり」にあるといいます。水沢の楓谷は昔から紅葉の名所で、菰野藩主の土方公は必ずこの紅葉を愛でたというくらいです。
水沢道標からすぐ西に無動山大聖院(むどうさん だいしょういん)。真言宗醍醐派のお寺。ご本尊は不 動明王。寺伝によれば、天平10(738)年、行基の開山に係る古刹とされ、当初は西方の愛宕山に位置し、塔頭17院を有する大寺であったと言われます。平安時代には醍醐寺座主定海僧正御住坊でした。永禄8(1565)年松井親蔵法印が千草氏の庇護のもの、一族の守り本尊であった不動明王を奉じ、氏寺として寺院を再興しました。元禄3(1690)年、中興第4世大僧都・海養法印は寺院を現在地に移し、寺名を大聖院と改めました。神戸藩主御祈願寺として信仰を集めましたが、明治初めの廃仏毀釈の風潮が厳しく、寺領地を失い、境内も現在の範囲を残すのみとなったといいます。本尊の不動明王(秘仏)は、鎮守府将軍源頼義公、義家公父子の念持仏で、平安後期のもの。大正4(1915)年、重要文化財に指定されています。他に、県指定有形文化財に指定された絹本著色釈迦三尊十六善神像もあります。境内には、庚申堂もあります。
あちこち立ち寄って見ていますが、まだスタートして3㎞も進んでいません。先行き、どうなるか、我ながらいささか心配ですが、長くなりましたので、その1はここまで。
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