20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(予告編)
今日は、JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ行ってきました。JR東海の「TOICAエ リア拡大記念」と銘打ったウォーキングです。というのも、JR関西線では、3月まではICカードが使えたのは、四日市駅まででした。それが亀山駅までの各駅でも使えるようになったのです。スタートは、JR関西線・河曲(かわの)駅。といってもあまり知られていないかも知れません。関西線の四日市から下り方向には、南四日市、河原田、河曲、加佐登、井田川と続いて、亀山が東海エリアの終点。河曲駅は、鈴鹿市木田町にあります。もとは木田信号場として開設され、その後、昭和24(1949)年に鈴鹿駅として開業したものの、周辺の発展ができず、また、駅から市役所まで約20分も歩かなければならず、年々乗降客は減少し、当時、建設中であった国鉄伊勢線(現・伊勢鉄道)で鈴鹿市の中心部である神戸地区に新駅が設置されることをきっかけに新駅の名称を鈴鹿駅とし、こちらを河曲駅に改称しました(昭和48(1973)年)。元々無人駅で、駅も写真のようにちょっと淋しい状況です。
本日のコースマップ。河曲駅での受付は、8時半から11時。佐佐木信綱記念館、石薬師寺(いしやくしじ)、加佐登(かさ ど)神社、鈴鹿フラワーパーク(鈴 鹿市植木まつり会場)、荒神山観音寺と回って、JR関西線・加佐登駅がゴール。マップ上は、9.8㎞。このブログをお読みくださっている方には、先刻ご承知と思いますが、加佐登というのは、最初の就職先&一人住まいがあったところです。石薬師あたりは、その少し四日市寄りにある自由が丘というところには、当時、食事などに来たことがありますが、旧東海道沿いは初めて。佐佐木信綱記念館も、石薬師寺も訪ねてみたかったところです。今朝は、JR桑名駅を8時51分に出る亀山行き普通電車に乗車し、河曲駅着は9時20分。¥410。右の画像が、実際に歩いたルート。若干寄り道していますので、11.5㎞を歩いてきました。先日(4月11日)の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」も予告編で止まっていますし、非常勤も始まり、また相談会も予定していますので、先行き不透明ではありますが、取り敢えず、今日のところは、予告編(苦笑)。
9時25分に河曲駅をスタートしてすぐに関西線の線路を渡り、田園地帯を進みます。田植があちこちで行われていました。以前は、ゴールデンウィークくらいでしたし、われわれが子どもの頃は、6月頃だったように思います。ずいぶん早くなったもの。浪瀬川沿いを上流に向かって進み、三重県消防学校と県立石薬師高校の北側を回って、国道1号線を歩道橋で渡って、旧東海道に出ます。ちなみに、浪瀬川沿いには、何カ所かに「この川にはまむしがたくさん生息しています」などという表示があってビビりました。
旧東海道に入ったところで、スタートからは2.8㎞ほど。時刻は、10時。旧東海道は、桑名の七里の渡し跡から四日市の日永の追分までは歩きましたが、石薬師宿あたりは初めて(この先の庄野宿は、近鉄ハイキングで半分くらい歩いています(2018年12月6日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その2)……庄野宿からJR関西線加佐登駅へ))。石薬師宿(いしやくししゅく、いしやくしじゅく)は、東海道五十三次の44番目の宿場です。元和2(1616)年に宿場となっています。徳川家康が、東海道を制定したのが慶長6(1601)年ですから、15年ほど遅れています。四日市と亀山の間が長すぎたので、高富村にあった集落を東海道の通る台地の中央部に移して、村落にして、石薬師と名づけたといいます。石薬師の名前は、石薬師寺に由来します。今日歩いた東海道は、ここから石薬師一里塚跡まで。
東海道に入って100mほどの右側(西側)に、小澤本陣跡があります。表示は2ヶ所ありましたが、いずれも本陣の敷地だといいます。大名の名前が書かれた「関札(せきふだ、宿札ともいう)」や、江戸時代の宿帳が残されていて、赤穂城主・浅野内匠頭の名前もあるそうです。この近くに松の大木があったので、「松本陣」ともいったという話があります。小澤本陣跡の向かいには、園田家が務めた問屋場がありました(と書きつつも、見忘れました。気づいたときには、かなり進んでいて、戻る元気が出ませんでした……苦笑)。
小澤本陣跡のすぐ先、やはり右側に本町集会所となっている「天野記念館」があります。ここは、タイムレコーダーで名高いアマノ株式会社の創業者・天野修一(明治23(1890)~昭和51(1976)年)翁が、昭和39(1964)年に故郷である石薬師町本町のために建てたものです。 天野修一翁は鈴鹿市に奨学資金を寄贈して若人の育英に偉大な功績をあげています。前庭にある記念碑の「天野記念館」の文字は天野修一翁の揮毫によるもの。
スタートからほぼ3㎞、石薬師小学校の隣に「佐佐木信綱記念館」があります。この記念館は、佐佐木信綱資料館、信綱の生家、 石薬師文庫、土蔵からなっています。 歌人であり、国文学者として有名な佐佐木信綱(明治5(1872)~昭和38(1963)年、佐々木弘綱の長男)は、三重県鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)に生まれています。資料館には、第1回の文化勲章をはじめ、信綱の著作や遺品が展示されています(資料館は昭和61(1986)年に完成)。生家は、昭和45(1970)年に移築されています。
こちらは、石薬師文庫。佐佐木信綱が、昭和7(1932)年、還暦にあたり、旧石薬師村に寄贈したものです。以前からあった 土蔵を文庫として、この建物は閲覧所として建てられました。伊勢国学に関する多くの版本や写本を含む貴重な書籍が贈られています。現在は、地域の図書館としてボランティアにより運営されています。この石薬師文庫の前には、距離標(石薬師村の道路元標)が立っています。碑表には「距 津市元標へ 九里四町十七間」とあります(35.8㎞ほど)。
佐佐木信綱といえば、もちろん上述のように、歌人、国文学者として有名ですが、私には、唱歌「夏は来ぬ」の作詞者として のイメージが強くあります。「卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」が浮かんでくるのです。「卯の花」は、ウツギ。記念館の敷地だけでなく、石薬師の町中には至る所に、この卯の花が植えられています。記念館の玄関脇の日当たりのよいところでは、もう咲き始めていました。
佐佐木信綱資料館で、珍しく土産を買ってしまいました。栞です。右の3つは、伊勢型紙のものでこれらが1セット。左は、卯 の花の押し花であろうと思いますが、そこに「卯の花の匂ふ垣根に」と手書きで添えられています。これは、家内の母へ。余談ですが、家内の母は私が読み終え、謹呈した時代小説を読んでいるのです。さらに、資料館前に地元の「のぶ庵」という和菓子屋さんが出張販売。「卯の花もち」、1個¥110でしたので、お買い上げ(微笑)。途中、どこかでおやつにするつもり。
佐佐木信綱記念館を出て、石薬師小学校南の交差点を渡ったところには、浄福寺という真宗高田派のお寺があります。山門の 前の石の築山の上に信綱の父・弘綱の記念碑が建っています。ここは佐々木家の菩提寺。開基は、室町時代の永正年間(1504~1520年)と伝わっています。記念碑には、「わかの浦に 老いを屋しなふ 阿し堂徒盤(あしたずは) 雲の宇辺越(うえを)も よそに見類(みる)か難(な)」。
浄福寺の先にある交差点には、道標と、川はないのに橋の親柱が残っています。親柱には、「南町橋」とあります。道標に は、「上田加佐登」と刻まれています。上田も、加佐登もこれから歩いて行く先の地名。道標は、大正13(1924)年に田中音吉(弘化5(1848)~大正5(1916)年)が建てたもの。田中音吉は、実業家で、米穀・製茶業を営んでいたのですが、前橋や八王子の蚕糸業を視察し、明治20(1887)年、郷里の三重県鈴鹿郡亀山で製糸業を始めました。明治30(1897)年には、亀山共同社(のちの亀山製糸会社)を設立しています。
さらに石薬師の町を進み、3.6㎞ほどのところで国道1号線にかかる瑠璃光橋(あとから知ったのですが、この「瑠璃光」は、石薬師寺の旧名によります)を渡ります。ここはまだ旧東海道 のルート。1号線を越えるとすぐに高富山(たかとみざん)石薬師寺があります。ご本尊は、弘法大師自らが、一夜にして爪で刻んだとされている薬師如来像。秘仏になっていて毎年12月20日のおすす取りに合わせて、開扉されます。真言宗東寺派のお寺。寺伝によれば、神亀3(726)年、泰澄(奈良時代の山岳修験者。加賀国白山を開創したと伝えられる)が、当地で巨石の出現を見、薬師如来の示現と悟り、草庵を設け供養したことが開創とされています。その後、弘仁3(812)年、空海(弘法大師)が、巨石に薬師如来を刻み開眼法要を行い、人々の信仰を集めたことにより、嵯峨天皇(在位809年 – 823年)は勅願寺とし、荘厳な寺院を建立し、名を高富山 西福寺 瑠璃光院と称していたといいます。ちなみに、安藤広重が描いた「東海道五十三次」の石薬師宿には、この石薬師寺がモチーフになっています。
この石薬師寺で11時前。小腹も空いてきましたし、歩き始めから1時間半近くになりますので、先ほど、佐佐木信綱記念館の前でゲットしてきた「卯の花もち」をいただくことにしました。包みを開けたら、こんな風。イメージとしては、桑名や四日市で売っている「なが餅」を丸くしたもの。食べてみても、まさにその通りでした。三重県内の東海道・伊勢街道は、「餅街道」と言われるくらい。あちこちでいろいろなタイプのお餅、あるいはそれに類した菓子が名物になっています。一息ついて、次へ。
今回はあまり予習をしてこなかったのですが、石薬師宿については、「ホントに歩く東海道(風人社)」と「チャント歩ける 東海道五十三次 袋井宿~京三条大橋(山と渓谷社)」の該当箇所だけは見てきました。それによると、石薬師寺のすぐ東に「蒲冠者範頼之社(かばのかんじゃのりよりのやしろ)」があると書かれていました。範頼は、源範頼(みなもとののりより)で、義朝の第6子、頼朝の弟。蒲冠者と称しました。頼朝の命令で、弟・義経とともに西国への遠征隊の総指揮官となりました。学問武芸に秀で、願望成就の神として信仰されています。ここは、御曹子社(おんぞうししゃ)ともいうようです。鳥居の脇に「蒲桜」への案内があります。
案内にしたがって60mほど南へ行くと、「蒲桜(かばざくら)」がありました。三重県指定天然記念物。寿永年間(1182~ 84年)の頃、蒲冠者源範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、石薬師寺に詣でて武運を祈願し、戦運を占うため鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿して、「我が願い叶いなば、汝地に生きよ」と言って去ったのち、生長したのがこの蒲桜であるという言い伝えがあります。ヤマザクラの変種の一つで、赤茶の芽、花は一重の五弁、直径5cmで白~淡紅色。まだ花が残っていました。
「蒲桜」を見てから指定されたルートに戻り、南へ。スタートから4.6㎞のところに、「石薬師一里塚跡」。江戸・日本橋からは、百二里。1里は約3.927kmですから、400.6㎞。現在は、塚はありませんが、土手にエノキが植えられています。蒲川の西岸に位置し、かつては東海道の両側に榎が植えられてのですが、もともとあったエノキは、伊勢湾台風で折れたそうです。今あるエノキは、昭和52(1977)年に若木が植えられ、そのときに「史跡石薬師の一里塚跡」の碑が建てられています。また、ここには、石薬師宿の標柱があります。東海道はここから、左折して西へ。JR関西線をくぐって、加佐登から庄野宿に向かいますが、ウォーキング・コースは直進し、国道1号を越えて(潜ります)、鈴鹿市上田町へ。今日は、これで国道1号を3回横切りました。
石薬師一里塚跡から2.2㎞ほど登って来ると、加佐登神社に出ます。このあたりは、かつて働いていたときにも何度か来ていま す。前にも書きましたが、当時所属していた野球部で(おまえが野球部?というツッコミは、今回はスルーします)、花見などあれこれ理由を付けて、宴会、BBQに来ていました。ただ、当時も今も、この表参道から神社に行くのは、大変。右の写真のように、こういう階段になった参道を5分も登る必要があります。この5分というのは、鳥居近くの境内案内板にある数値。写真はありませんが、階段下には、「必要な方はお使いください」と杖が置いてあります(笑)。今はまだ大丈夫ですが、そのうち必需品になります。
主祭神は、日本武尊。相殿神は、天照大御神、豊受大神、火之迦具土神、気吹土主神、速玉之男命、天羽槌雄神、大国主命、伊邪那美神、伊邪那岐神、大雀命、建速須佐之男命、菅原道真、品田和気命、予母都事解之男神、息長帯比売命、大山津見。相殿神はまだ調べていませんので、今日のところはリンクはありません。日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座し、尊が死の間際まで持っていたといわれる笠と杖をご神体として祀っています。延喜式神名帳にある、伊勢国鈴鹿郡の倭文神社(しとりじんじゃ)を合祀したと伝えられます。ここも、先日訪ねた伊奈富神社と同様に、紫ツツジの名所(2019年4月12日:20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(その2)……稲生民俗資料館と伊奈富神社(その1))。
古来、御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていました。 江戸時代後期の国学者・平田篤胤は「御笠殿社由来記」(1829年)で、腫物などの病に霊験あると記しているそうです。 境内には倭文神社や慈悲山廃寺があったと伝えられます。明治6(1873)年に「笠殿」(かさどの)から現社名へ改め、明治41(1908)年に近隣の神社16社を合祀し、現在の姿となっています。このため、相殿神がたくさんいらっしゃるというわけです。加佐登神社に着いたのが11時45分頃でしたので、ここで昼食。今日は、自宅から持参したおにぎり2つ。
おにぎり2つを食べ終え、12時15分に再スタート。加佐登神社の北西にある白鳥塚古墳を見に行きます。ここは日本武尊の墓 といわれ、その霊が白鳥となって飛び去ったという伝説が残されています。7基から成る白鳥塚古墳群の主墳で、三重県下最大の帆立貝式古墳です。本居宣長や平田篤胤ら江戸時代後期の国学者の多くが、白鳥塚を古事記にあるヤマトタケルの能褒野(のぼの)陵墓として最有力視していました。明治9(1876)年、教部省は白鳥塚をヤマトタケル陵墓と治定したのですが、明治12(1879)年に宮内省はそれを覆し、丁子塚(現亀山市)を治定しました。以後、丁子塚がヤマトタケル陵墓(能褒野王塚古墳)とされています。
加佐登神社の北西にある鈴鹿フラワーパーク。今日は、ここで鈴鹿市植木まつりが開かれています(~4/21)。ここは、季節 折々の花が色鮮やかに咲き、噴水や花の丘、桜の広場、野点広場などの施設があります。また、大型複合遊具などもあり、お子さんを連れた家族で賑わっています。植木まつりではありますが、庭もないのに植木を買って持って帰るわけにもいきませんので、通過(微笑)。
鈴鹿フラワーパークのほぼ隣には荒神山観音寺があります。ここは、近鉄ハイキングできています(2018年12月2日: 20181202「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(予告編)……最初の勤務地あたりを訪ねて、センチメンタルジャーニー、2018年12月7日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その3)……加佐登の町を経て、荒神山観音寺へ)。スタートから9.2㎞、12時45分の到着。 真言宗御室仁和寺派のお寺。9世紀の初期、嵯峨天皇の時代、弘仁3(812)年に、弘法大師が日本武尊を御神霊を仏像としてまつり、神事山(こうじやま)と称したのが始まりです。その後、寛治元(1087)年に大和の国の法陵律師という聖僧が、神事山の観音大士のお告げによってこの地を訪ね、檜の大樹の下に十一面観世音菩薩がいらっしゃる姿を見い出して、御堂を建立安置したといいます。創建時は、紅葉山高宮寺と呼ばれ、加佐登神社周辺にあったとされる慈悲山寺(廃寺)の末寺でした。これで本日の立ち寄り先は、コンプリート。
加佐登の町を抜けて、13時20分にJR関西線・加佐登駅に無事ゴール。明治25(1892年)2月6日に関西鉄道の河原田 - 亀山 間に高宮駅(たかみやえき)として開業。明治36(1903)年加佐登駅に改称。はじめに書きましたように、ここまでに11.5㎞を歩き通しました。平成24(2012)年10月1日に無人駅になっています。が、今日は大賑わい。売店も出ており、桑名からも安永餅、美鹿山荘も出店していました。
今日は、TOICAエリア拡大記念のさわやかウォーキング。ICカード利用者のうち、先着1,000名に「フリクショ ンペン」をいただけるということで、ありがたく頂戴して来ました。 また、鈴鹿市からの記念品として、右の写真にあるようなキャラクターの入ったクリアファイルをいただきました。うえきぴーあーるキャラクターの「たまさぶろう」です。
加佐登駅では、古いスタンプ。それもそのはず、これは、昭和57(1982)年にJR関西線が完全電化したときのもの(私が鈴鹿で就職したのは、昭和54(1979)年4月。その頃は、非電化で名古屋から1時間半くらいかかっていました。とんでもないところに来たと思ったものでした)。今日の 河曲駅も、加佐登駅も新たにICカードが使えるようになりました。加佐登駅でも、右の写真のように、ICカード用の、入場、出場をチェックする機械が設置されていました。
JRさわやかウォーキングの参加は、去年11月以来、今日でようやく5個目。今後とも、精進を重ねないといけ ません。加佐登駅を13時34分の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅停車なのですが、それ以降は快速になり、桑名に止まったらは名古屋。便利です。¥500。右は、本日のALKOOのデータ。ウォーキングの11.5㎞に桑名駅往復が1.8㎞。合計では、13.3㎞でした。
取り敢えず予告編は、以上の通りです。リンクなどが貼ってないところもありますが、後で追記します。
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