20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(その2)……稲生民俗資料館と伊奈富神社(その1)
4月7日に行ってきた近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」のその2です。その1では、鼓ヶ浦駅をスタートして、白子観音、比佐豆知神社、加和良神社、福楽寺を訪ねました。今回は、稲生民俗資料館と伊奈富神社について。実測ルートマップもその2。その1で触れた福楽寺が、2.2㎞地点、時刻は10時35分頃でした。ここから稲生民俗資料館までは、1.5㎞ほど。稲生民俗資料館には、10時55分到着。
こちらが稲生民俗資料館。伊奈富神社の一の鳥居の東にあります。「稲生」という地名にちなんで、主に稲や農業に関係ある資 料が展示されています。「稲生」という地名は各地にあるようですが、ここはもとは、奄芸郡稲生村。明治22(1889)年4月、野町新田・野村新田と合併して稲生村としてスタート。明治29(1896)年には、河芸郡に所属変更。昭和17(1942)年、合併により鈴鹿市になっています。資料館には、水車や唐箕(とうみ)など、今では見られない農機具などが展示されていました。
稲生民俗資料館を一通り見て、となりの伊奈富神社へ。ここは、鈴鹿で働いていた、今を去ること30数年前から知っていて、一度は訪ねてみたかったところ。ムラサキツツジの名所です。別名「つつじ山」とも呼ばれる神社の境内には、約5,000株のムラサキツツジが群生していて、県の天然記念物に指定されています。ようやく念願が叶ったというと、大袈裟ですが、それくらいの気持ちです。
稲生民俗資料館から一の鳥居をくぐるのですが、これが何とチタン合金製の鳥居(予告編でステンレスと書きましたが、間違い でした(こちらにあります)。「世界中探しても、恐らくはこのお社以外では見つからないはず」とあります。そのチタン合金の鳥居の回りにはロープが張り巡らされ、「さるぼぼ」がぶら下がっています。交通整理をしていらした氏子の方に伺ったのですが、これ以上のことは不明。ネットで調べても出て来ません。
稲生神社、境内にはいろいろ興味深いものがあります。ムラサキツツジの名所であるほか、摂社・末社もたくさんありますし、招魂碑、頌徳碑・歌碑・句碑の他、七島池も興味深いもの。おおよそ見てきた順にしたがっていきますが、最初に御祭神と、由緒について。
伊奈富神社は、社伝によれば、神代、東ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に神霊が出現し、今よりおよそ2,100年前の崇神天皇5年、勅使が来て「占木」の地にて占いが行われ、神路ヶ岡に大宮・西宮・三大神の三社が祀られました。その後、仲哀天皇の御子品屋別命の子孫(磯部氏)が代々神主として仕え(現在も「社家」と呼ばれるその家系が残っているそうです)、雄略天皇5年には数種の幣物が奉納され、主祭神・保食神に「那江大国道命」の神号を賜っています。さらに、天平年間(729~749年)、行基上人が別当寺の神宮寺を建立。天長年間(824~834年、平安時代)には弘法大師が参籠の折、菩薩堂を建立して三社の本地仏を祀り、獅子頭を奉納、七島池を一夜にして造られたと伝えられています。貞観7(865)年4月、従四位下に進階し、延喜式内社に列せられました。当時の神領は、東は白子、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大なものであったといいます。鎌倉時代中頃には正一位に進階し、「正一位稲生大明神」として武門武将の信仰が篤かったそうです。明治に入ると、明治6(1873)年に郷社、同37(1904)年に県社に列せられています。
主祭神は、保食神(ウケモチノカミ)大国道命。五穀や、食物の神。相殿神は、豊宇賀能売命(トヨウケビメノカミ、豊受大神の異称)、稚産霊神(わくむすひのかみ、火の神・軻遇突智神(かぐつちのかみ)と土の神・埴山姫(はにやまひめ)の間に生まれた子。頭に蚕と桑が、臍(へそ)の中に五穀が生じたという)、鳴雷光神(なるいかづちひかりのかみ、雷神であり、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みに対する農耕民族であった古代日本人の信仰から生まれた神と考えられる)、大山祇命(オオヤマツミノカミ、山を司る神)。左の写真は、拝殿。
一の鳥居の脇の参道にあったのが、「大井僲之丞(せんのじょう?)碑」(ここと、こちらに説明があります)。昭和12(1937)年9月建立。大井仙吉の長男として、万延元(1860)年、亀山に生まれ、明治24(1891)年、村長になり、爾来20数年に渡り、稲生村発展のために尽力しました。大正9(1920)年に辞任後も村会議員として村政を導いたといいます。昭和10(1935)年10月逝去。書は、資源局長松井春生。
参道南側には、七つの島を浮かべた全長72mの細長い神池、「七島池」があります。弘法大師が一夜にして掘られたとの伝説 が残され、その様相は大八洲(日本の美称)をあらわしたものなど諸説が伝わっています。九州・宇佐神宮の神池と類似した直線多島式で、日本庭園の原型とも評されるほど素朴な様相の古代庭園といいます。神池には七不思議があり、そのひとつに池の水は眼病・いぼ・ほくろに効くとされ、治癒のお礼には鯉や亀を奉納する習わしがあります。しかし、近年、池の周囲や島に生える樹木が枯れて風で倒れたり、池水の水位が変化したり、池に生息するカメなどの生き物が池・島の岸辺の土を掘り崩したりすることによって、池島の形状が変化するなど、本来の庭園の姿が失われつつあるということで、平成27(2015)年度から、修復が行われています。
七島池の向かいに菩薩堂があります。なぜか鳥居があり、注連縄も飾ってあります。菩薩は、仏の位の次にあって、悟りを求
め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者を意味します。文殊菩薩、弥勒菩薩などなど。しかし、リンク先の説明をもう少しよく読むと、「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により、日本の神につけた尊号」という意味があり、「八幡大菩薩」という用例が載っていました。お堂にも注連縄がありました。 中をしっかり見てくればよかった。ちょっと失敗と思って、さらに調べたところ、この菩薩堂は、弘法大師が当社に参籠の折、この菩薩堂を建立し、三社の本地仏を祀ったといいます(こちら)。米之宮は、正式名を稲生大籾神社というようです。
菩薩堂の脇(すぐ西)に句碑があります。「水谷碧山居句碑」です。表には、「禁礼を 見し時すでに つつじ手に」とあ り、「碧」とその下に印。印には碧山居とありました。こちらによれば、碧山居は、神宮寺、真宮禾堂師の甥で、戦争中、四日市から稲生へ一家で疎開していました。陶芸も有名な人だそうです。この句は昭和25(1950)年の作。句碑の背後に咲くのはムラサキツツジ。
参道に戻ってさらに進むと、もう1つ鳥居と、その脇に道標。この奥には、豊御崎神社、天王社と宝物庫があります。道標に は、「招魂碑 是依二丁」とあります。招魂碑は境内の北東のもっとも奥にあり、あとで訪ねました。豊御崎神社、天王社への参道の量側にもムラサキツツジが植わっています。
左の写真が天王社。これについては、調べたものの不明。右は、豊御崎神社。神社の公式サイトには、菩薩堂も、これら2社に ついても何も載っていませんが、こちらに説明がありました。それによれば、明治41(1908)年に、境内社八幡宮(品陀和氣命)に境内や近隣の諸社を合祀したといいます。そのため、祀られている神々は、以下のように、きわめてたくさんいらっしゃいます:猿田毘古神、土御祖神(土地を守る神)、彌都波能賣神(みつはのめのかみ、水の神)、石長比賣命(イワナガヒメノミコト、長寿をつかさどる)、金山毘古神(かなやまびこのかみ、鉱山の男神)、建御雷男神(タケミカヅチノカミ、鹿島神宮の祭神)、大日靈貴命(オオヒルメノムチノミコト、天照大神の異称)、須佐之男神(スサノオノカミ)、五男三女神(ごなんさんにょしん)、大山祇命(オオヤマツミノカミ、山を司る神)、大鷦鷯命(オオササキノミコト、仁徳天皇)、菅原道眞、徳川頼宣(とくがわよりのぶ、紀州徳川家の祖)、天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ、高天原(たかまがはら)に最初に出現した神。造化の三神の一)、大日靈神(オオヒルメノムチノカミ、天照大神の異称)、伊邪那美神(イザナミノカミ)、天忍穗耳命(アマノオシホミミノミコト、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約をしたときに生まれた神)、天御蔭命(あまのみかげのみこと、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の異称、製鉄・鍛冶の神)、大年神(おおとしがみ、稲の実りを守護する神)、大山祇神、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ、五穀、食物をつかさどる神)、天神地祇(テンジンチギ、すべての神々)、菅原道眞、八百萬神(すべての神)、天兒屋根命(アマノコヤネノミコト、日本神話で、天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、徳川頼信。同じ神が複数含まれているのは、同じ祭神を祀る周辺神社が合祀されたためと思われますが、それにしても、天神地祇や、八百万神、さらには紀州藩祖・徳川頼信公まで祀られているとは、理解の範疇を超えています(苦笑)。しかし、検索して、リンクを張るのにも一苦労(微笑)。
こちらが天王社の脇にある宝物庫。2棟あります。伊奈富神社には宝物が多く、列挙すれば次の通り:扁額(重要文化財)、男神坐像(重要文化財)、神像(県指定文化財)、能面(県指定文化財)、獅子頭(県文化財指定)、三足壺(県指定文化財)、棟札(県指定文化財)、獅子舞(県指定無形文化財)、七島池(県指定名勝)、むらさきつつじ(県指定名勝)、勢州稲生村三社絵図(市指定文化財)。詳細は、伊奈富神社のサイトのここにあります。
天王社、豊御崎神社、宝物庫に来る参道の脇には、神宮遙拝所。神宮は、もちろん伊勢神宮。碑陰を見てこなかったのですが、まだ新しい感じでした。
伊奈富神社は、先にも書きましたが、ムラサキツツジの名所。境内の至る所にムラサキツツジが咲いていました。右の写真に ありますように、拝殿の裏などにはツツジのトンネルになっているところもあるといいますので、一通り回って来ました。
いやぁ、なかなかよい感じでした。ブラブラというか、ゆるりというか回って楽しんできました。途中、桜とムラサキツツジ のコラボも撮れました。長年の念願もかなって、ムラサキツツジ、堪能できました。
伊奈富神社、このほか、招魂碑、石碑などたくさんありました。長くなりますので、それは「その3」として書くことにして、その2はここまで。
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