お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年4月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年4月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

最近のコメント

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2019年4月

2019年4月30日 (火)

20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その3)……日永の追分から伊勢街道に入り、河原田神社、忘帰處で眺めを楽しみ、鈴鹿市へ

190411kintetsuhikingyokkaichi2_1  4月11日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」もその3になります。今回は、日永の追分からいよいよ伊勢街道に入ります。日永の追分で、スタートから5.4㎞、時刻は11時15分。スタートしたのが9時半でしたから、1時間45分ほど歩いてきました。寄り道をかなりしていますから、こんなペース。実測ルートマップでは、日永の追分と書いたところの東にある三叉路がそれです。旧東海道は、ここから南西へ向かい、伊勢街道はここが起点で南へ下っていきます。

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 日永の追分。西から東を向いて撮った写真(逆光です)。鳥居が見えています。これは桑名の七里の渡しに建てられた「伊勢一Img_1229c の鳥居」に対して「二の鳥居」と呼ばれました。鳥居は、安永3(1774)年に一志郡須ヶ瀬村(現在の津市)出身の伊勢商人渡辺六兵衛が東海道を往来する人のために遥拝鳥居として建てさせたのが最初です。その後たびたび建替えが行われ、現在のものは、平成28(2016)年10月に、伊勢神宮の遷宮にあたり、内宮の別宮である伊雑宮(いざわのみや)の鳥居を移建して建替えられました。当初は伊勢街道をまたぐように建てられていましたが、現在は伊勢街道が鳥居の横を迂回して、鳥居を くぐらずに進めるようになり、また、昭和48(1973)年の移建時に周りが公園化されました。

Img_1241c 現在の追分には、常夜燈、道標、清めの手水所があります。元々あった道標は、明暦2(1656)年に建てられたもので、現存する灯街道の道標としてはもっとも古いものです。これは、現在は、日永神社の境内に移されています(日永神社で見て来ました)。今あるものを見ると、嘉永2(1849)年に桑名・魚町の尾張屋文助が建てたとあります。現在、桑名・魚町に尾張屋という屋号の店はないと思いますが、近くの吉津屋には仏壇屋さんが、北寺町には酒屋さんがそれぞれ同じ屋号であります。常夜燈のひとつは奉献時から存在したと推定されます。

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 手水所。この水は、西に位置する丘陵地(泊山(登城山))からの湧水です。昭和4(1929)年、地元実業家・稲垣末吉が、泊山に別荘を建てた時、掘った井戸からとても良い水が湧き出したので、自費で配管を敷設して、日永の追分まで引き、旅人達に供したのだといいます。稲垣末吉の頌徳碑が、日永小学校にありました。「追分鳥居の水」と呼ばれ、名水の評判が高く、たくさんの人が汲みに来ます。写真にも女性がお一人、汲んでいらっしゃいます。

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 伊勢街道に入りましたが、内部川を越えるまで立ち寄りポイントは指定されていません。左の写真は、伊勢街道に入ってすImg_1252c ぐ、小古曽と大治田の間あたり。今は工場地帯になっていて、あまり味気ない道を2㎞ほどひたすら歩く積もりでしたが、途中で表忠碑と平和の礎を見つけました。大治田三丁目のところ、道の向かい側でしたから、ズームで撮影。

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 向かって右(南)が表忠碑。大正3(1914)年3月に河原田村が建立したもの。明治10(1877)年の西南の役、明治Img_1254c 27・28年の日清戦争、明治33年の北清事変(義和団の乱)、明治37・38年の日露戦争の際の、河原田地区内忠死者16名と従軍者69名の名前が刻まれています。向かって左の平和の礎は、もとは昭和30(1955)年5月に河原田小学校に設置されたものを、平成23(2011)年11月、ここに形を変えて建立されたもの(河原田地区遺族会による)。西南の役、日清戦争、日露戦争、支那事変太平洋戦争の際の河原田地区内戦死者113名の名前が刻まれています。

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 7㎞を過ぎて、内部川を渡り、河原田の町に入ります。伊勢街道には木造の橋がかかっていたのですが、現在はありません。県道103号線の橋に迂回します。左の写真は、河原田に入ったあたり。又兵衛橋という名前の何やら由緒Img_1266c のありそうな橋を渡っていきます。名前の由来は、橋の改修に尽力された石崎又兵衛という方からきているそうです。昭和13(1938)年に鉄筋コンクリートで造られ、当時としては、数少ない石橋で河原田自慢の橋であったといいます(こちら)。

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 河原田小学校の手前、采女道との交差点に「里程標(距離標)」があります。「距 名古屋市 十五里十一町 守山町 十七里十五町」、「距 宇治山田市 十七里四町 久居町 八里三十二町」、「距 津市 六里三十二町 海蔵村 二里八町」と刻まれています。中央あたりで割れたのか、継いだ跡があります。このあと、若干迷い、指定されたコースよりも早めに曲がってしまい、河原田神社に行くまでにちょっとウロウロしました。

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 河原田神社。これは二の鳥居。一の鳥居はあとで見ることになります。明治42年に南北河原田及び内堀各村6Img_1279c 社を合祀して創建されました。貝塚境内に山ノ神が4基あります。この鳥居からそのまま境内に行くとなると、右の写真のようにかなりの階段を登らねばなりません。そこで、向かって左手にある迂回路を上っていきました。

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 河原田神社の境内にたどり着く直前に、三神山毘沙門天があります。ここについては、説明板もなく、また、ネットでも情報は出てこず、詳しいことは分かりません。

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 河原田神社の拝殿。明治42(1909)年6月、八幡社(河原田村大字内堀中屋敷)と須賀社(河原田村大字貝塚字一ノ縄)を三神社(河原田村大字河原田字三神山)へ合祀し、村社河原田神社と改名しました。平成10(1998)年12月火災により本殿、拝殿、社務所を全焼し、平成12(2000)年に再建されています。ご祭神は、天照大神大国主神弥都波能売神(ミツハノメノカミ;伊奘冉尊が火神を生んで病んだとき、その尿より生まれ、水の神としてまつられます)、猿田毘古神宇迦之御魂神建速須佐之男命五男三女神天児屋根命品陀和気命上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命仁徳天皇木花之開耶姫命市杵島比売命の他、神社検索三重のサイトによれば、不詳八座とあります。合祀していますから、たくさんの神様がいらっしゃるのは分かりますが、それぞれなぜここに祀られているのか、分からないところもあります。河原田の西部にある丘陵地帯は、その昔海だったそうですから、上筒之男命ほか住吉三神(すみよしさんじん;海上交通安全の神)が祀られているのはよく分かります。

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 境内、拝殿に向かって右には、山の神と刻まれた石が4つ。町内にあったものがここに合祀されたのだと思います。今では、どImg_1288c こに祀られていたのかも定かではないかも知れません。拝殿の北には、頌徳碑が2つ。向かって左は、「熊沢市兵衛翁頌徳碑」です。熊澤家は農家で河原田の旧家で地主で、代々津藩・藤堂家の御金御用達の役を務めていました。熊澤市兵衛は幕末に庄屋などを務めており、戊辰戦争で『撒隊士』という身分で東征にしたがい、明治になって四日市に帰郷しました。明治時代に若くして三重県議会議員になり、河原田村の村長などの名誉職にも就いています。

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 熊澤市兵衛は、農村出身の農民の家柄でしたが、勉学の必要性に気づき学問を重視していました。明治42(1909)年には河Img_1294c 原田尋常高等小学校の建築費の一部を寄付しています。大正時代、皇太子であった裕仁親王の成婚時には、河原田尋常高等小学校の講堂を新築する費用の寄付と、入学志願者が少なくて不振だった三重郡立農学校(現・三重県立四日市農芸高等学校)に対しても、長男の熊澤一衛と協力して3万円と広い敷地を寄付しました。さらに、『熊沢奨学資金』を新設して、貧困家庭の子供たちの学業の補助をしています。また、河原田地区の西部丘陵地帯には、明治後半に熊沢市兵衛翁がみかん栽培を伝え、今も「河原田みかん」として親しまれています。

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 境内には、他に「神武天皇遙拝所」がありました。神武天皇陵は橿原市の畝傍山(うねびやま)の北東にありますからそちらの方角を向いていると思います。

Img_1320c  続いて、河原田神社の西隣にある「忘帰處(ぼうきしょ)」へ。河原田神社のある三神山頂上にあります。こImg_1335c こから見る眺めは河原田随一の景勝地だそうで、田中光顕伯爵が熊沢市兵衛翁宅を訪れた際に、この地の風景の美しさに見とれて帰ることを忘れたということから「忘帰處」と名づけられています。標高41mあまりの山上に建てられている記念碑は、伯爵自らの筆によるもので、昭和8(1933)年10月、88歳になった熊沢市兵衛翁が建てています。山上からの眺めは一望千里に渡り、晴れた日には、知多半島から木曾御岳の山並みも望み見ることができる絶好の名勝地です。

Img_1330c この写真が、「忘帰處」から見た東の方角。この日は、説明にあったように、木曽御嶽山もよく見えていましImg_1330c た。しかし、樹木がかなり茂っていて視界を妨げていました。右の写真は、「忘帰處」の石碑(右上の写真)のところに上がって眺めたもの。こちらの方が、当たり前ですが、よく見えます。見とれて帰るのを忘れるという気持ちは何となく分かります。

 

Img_1334c  「忘帰處」の石碑の背後には、「宇賀御魂神」と刻まれた石碑が建っています。「神社」とあるのかも知れませんが、確かめImg_1341c られません。ウカノミタマノカミに関わるものと思いますが、これについての説明はなく、詳細は不明。忘帰處でしばし休憩していましたが、帰るのを忘れないうちに、降りて次の目的地へ向かいます。帰りは、あの急な階段を降りて、正面の参道に出て来ました。なかなかよい感じの神社でした。伊勢街道に戻り、四日市農芸高校や、JR関西線・河原田駅の近くを通って進みます。

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 実測ルートマップは、その3に入っていました。河原田神社、忘帰處あたりでスタートから8㎞。12時20分過ぎ。コースマップでは、12㎞となっていましたから、これで2/3を制覇。食事をするようなところもありませんので、鈴鹿市駅についてお昼ごはんにすることとし、歩き続けます。

 

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 9㎞を過ぎて、鈴鹿市に入ったあたりに、臨済宗妙心寺派の善誓寺がありましたので、ちょっと立ち寄らせてもらいました。しImg_1357c かし、由緒書きなどもなく、ネット検索でもこれという情報は出て来ません。

 鈴鹿に入ったところで、それなりに切りもよいので、その3はここまで。その4で鈴鹿に入ってから見てきたところを書き、ゴールする予定です。

平成最後の日に若干の回顧(微笑)

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 世間ではというか、マスコミでは「平成最後の日」で盛り上がっています。私自身としては、いささかの感慨はあるものの、Img_4060c 普段と同じ1日という感じで過ごしていました。「いささかの感慨」というからには、それなりのことがありますが、あとで触れます。「普段の1日」というのは、ブログのタイトルの下にも書いてありますように、「淡々と飽きもせず」というのをモットーの1つにしているからです。具体的には、雨模様の1日でしたし、5月3日(金)に相談会を予定していますので、その準備に勤しみ、合間にメダカの水槽の水替えをしていたという次第。

 「いささかの感慨」というのは、平成2年4月に結婚しましたので、私にとって平成というのは、自分の家族を形成し、発展してきた時代ということが大きいように思います。また、平成を迎えた年は、最初の職場である国立療養所S病院に奉職していましたが、平成4(1992)年には、N市立大学に転職。教育研究の仕事に就くのは、元々の希望でしたので、それが叶ったということでした。転職先は、短大でしたが、平成11(1999)年には4年生の学部に改組。この年、学位を取得でき、教授職に昇格しました。平成15(2003)年には、本務先は大学院を設置し、私もその教員を兼担することになり、仕事の面では充実しました。しかし、多忙を極め、勤務先から寝るために自宅に通うような、尋常ではない状況が続いていました。それが祟ってか、平成16(2004)年頃から体調が悪くなり、平成17(2005)年になっていよいよ体調不良を来たし、病休や休職をせざるを得ない事態に陥りました。その後は復職や休職を繰り返す羽目になり、あちこちに迷惑をかけるとともに、不本意な時期が続きました。平成23年(2011)年秋に至って休職が許される期間が満了し、退職せざるを得ませんでした。治療は続けていたものの、それは奏功せず、悶々とした日々を過ごしていました。

 体調不良の原因が明らかになったのは、平成26(2014)年8月でした。あるホルモンが不足していたことが明らかになり、その補充療法を受けてようやく体調が回復したという次第。このとき、退職から3年近く経ち、すでに59歳。社会復帰するにはやや遅く、また、そのタイミングも失っていましたので、やむなくそのままの生活を続けました。

 その後、縁あって、江戸橋方面で非常勤の仕事を得られ、今日に至っています。また、この間、いくつかの研究会に関わったり、研修などの講師を依頼されることもあり、また、地元自治体で特別支援教育関係の仕事にも携わる機会を与えられました。何事も現実を受け容れることから始まると思っていますし、自分の身に起こることは、自分の身の丈に合っているのだと思うようになりましたので、これがちょうどよいと思って過ごすようになっています。

 今は与えていただいた、決して多いとはいえない仕事をしつつ、散歩やバードウォッチング、写真撮影、鉄道会社主催のハイキング、ウォーキングへの参加、歴史散歩、読書で日々を過ごすようになりました。自分ではお気楽に過ごしているとは思ってはいませんが、世間の皆様から見れば、悠々自適と見られるかも知れません。いつの間にか60歳代半ばに至っていますから、今さら慌てるとか、焦るとかそういうことはしないで日々を楽しみ、お役に立てることがあればそれなりに貢献したいと考えています。しかし、自分がする意味がないと思えることや、無理だと思えることはしないで済ませたいとも思っています。

Img_4048c  論語にあるように「四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないように」というのは理想なのでしょうが、未だに迷い、天命をわきまえているとはいえず、人のことばも素直に聞いているとはいえませんが、思うままに振る舞って道を外れないようになれればありがたいと思います。

Img_4064c  皆様には、令和の時代を迎えても引き続きご交誼のほど、お願い申し上げます。

2019年4月29日 (月)

揖斐川・長良川の中洲にオオヨシキリ、九華公園では落下した鳥の巣と、カワラヒワの雛を発見

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 平成も残すところあと2日、などと柄にもないことを書いています。それなりの感慨はありますが、大騒ぎすることはないと思っImg_3995c ています。天気は下り坂ですが、日中は大丈夫ということで、いつも通りの日課。8時半から11時頃まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、田町と散歩というか、巡回というか、してきました。6㎞ちょうど。九華公園のつつじは、天候が安定しないせいか、開花があまり進みません。いつもの年なら、公園内すべてで満開になっているのですが、今年はバラツキがかなりあります。早くに咲き始めたつつじでは、もう花が傷んできてしまっています。

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 新しい管理人さんとよく話すのですが、神戸櫓跡に1本だけ、赤い花が咲くつつじがあります。前から注目していて、これを何とかきれいに撮りたいと思っていますが、なかなかうまく行きません。今日は、曇天ですからさらに難しい。天気が回復してからではどうかと思い、今日の写真を載せます。

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 「何の写真?」とお思いでしょう(笑)。揖斐川と長良川の中洲です。昔から「十万山」といわれています。ここに毎年、オオE3cde7e5 ヨシキリがやって来ます。数日前から声がしていたような気がしますが、今日、ハッキリ確認しました。「ギョギョシ ギョギョシ ギョギョシ」といった鳴き声です。ただ、まだ数が少ないですし、距離がありますから、カメラの動画で撮っても鳴き声は聞こえないと思います。右は、去年5月11日に三ツ又池公園で撮ったオオヨシキリ河口堰でコサギの漁、三ツ又池公園でカイツブリの巣とオオヨシキリ【注記あります(5/12)】)。

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 九華公園は相変わらず静かです。天候もスッキリしませんから、散歩の人も少なく、鳥もいません。しかし、鳥の雛の姿が見られるようになり、ちょっとだけ嬉しい(微笑)。奥平屋敷跡で、カワラヒワがいるなと思って撮ったのが、この写真。遠いところから超望遠コンデジで。色からして、カワラヒワの雛でしょう。人に対する警戒心もまだ薄いようですし、餌をとるのに注意が向いていたと思われます。無事に育って、また楽しませて欲しいと思います。

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 カモはまだまだ12羽が滞在中。キンクロハジロのみ。もうあまり目を向ける人もいません。朝早くに餌を与える人はいるかもImg_7207c 知れません。カモたちはのんびり過ごしているように見えます。二の丸跡や、本丸跡では、コゲラが餌探し。2羽が、公園内を移動していました。営巣してくれるときもあるのですが、今年は巣は見つけられていません。

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 巣といえば、辰巳櫓跡の西に鳥の巣が落ちていました。枯れ草と羽毛でつくられています。いつも持ち歩いているコクヨのImg_4004c野帳」と比べてみると(ちなみに、型番セ-Y1、Level Bookを使っています。16.5×9.5cm)、直径8cmくらい。お椀のような形をしています。このあたりは松の木が生えているところ。エナガやシジュウカラは、巣材にコケを使うようですから、これらの巣ではなさそう。カワラヒワは、枯れ枝や細根等々を使って椀状の巣を造るといいます。九華公園で見られる鳥からすると、カワラヒワの巣かという気がします。大阪市立自然史博物館実物日本鳥の巣図鑑で調べてみますと、次の条件で検索した結果、「お椀の縁が厚め、巣材に枯草等」であるのは、カワラヒワと候補が挙がってきました。

市街地の鳥
巣の場所は:樹上、枝上
巣材は:枯れ草・コケ
巣の形は:お椀形
大きさは:直径13cm未満

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 さて、このあとは、ツバメの巣チェックの結果。左の写真は、京町の呉服屋さんにある巣。3つあるうちの1つに、親ツバメが出入りしたり、座っていたりしImg_4032c ます。何か咥えているのですが、ヒナはいないようです。右は、田町にある商店の巣。ここは2つあるうちの南側の巣にツバメがいます。泥を咥えて、修復作業中に見えました。

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 田町にある別のお宅の巣。去年は使われていませんでした。ここも泥を咥えてきて、修復中のようで、2羽が出入りしていました。今のところ、9ヶ所ほど見ている中で、この3ヶ所で営巣しそうな様子です。

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 天皇陛下の代替わり、改元の頃は、雨模様のようです。相談会の準備をスピードアップしなければなりませんので、連休ではありますが(私のような立場では、連休も何も関係はないのですが……)、励まなくてはなりません。

 

2019年4月28日 (日)

20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策』へ(予告編)

 明後日(4/30)のハイキングに行くつもりでしたが(特典満載!平成最後のハイキング!癒しの花景!かざはやの里2019藤まつり)、天気が悪いという予報でしたので、今日の「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」に行ってきました。ゴールデンウィークですから、ハイキングが終わったら家内の実家へ行って、義母に会ってこようということもあるのです。

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 今日のハイキングは、近鉄名古屋線・津新町駅が受付(9時半~10時半)。桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。9時49分に到着。¥750。ゴールデンウィークとあってか、電車はかなり混雑。座れません。いつも江戸橋へ仕事に行くときに乗る電車ですが、比較にならないくらい混んでいました。四日市から乗ってきた高齢の女性が話しかけてこられ、着くまでしゃべっていました。お一人で「平成最後の伊勢参り」に行くということでした。お元気です。

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 本日のコースマップ。津新町駅を出て、三重刑務所、市杵島姫神社(このあたりは旧伊勢街道)、阿漕町の神明神社、山二造酢190428kintetsuhikingtsushinmachi (酢の試飲あり)、結城神社(梅の名所)、阿漕浦海岸を歩いて、高虎ドッグ、T2菓子工房、ラーメンいたろうでグルメを楽しみ、津新町駅へ戻るという7.6㎞。なのですが、はじめに書いたように、家内の実家へ行くつもりでしたから、岩田橋で松菱百貨店に立ち寄ることにし、また、個人的にここをゴールに変更(笑)。実際に歩いたのは、右のマップの通り。松菱百貨店で7.1㎞。ここから三重交通のバスに乗って、家内の実家へ行ってきました。津新町駅をスタートしたのは、9時55分。

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 津新町駅北の踏切を渡って東へ。500mあまりで右折し、昭和橋を渡ります。スタートから1㎞弱で三重刑務所。どういう風か、Img_3459c_1 立ち寄り先になっていました(笑)。鈴鹿で働いていた若い頃から、ここに刑務所があるのは知っていました。男性受刑者に限り、執行刑期が10年未満で犯罪傾向が進んでいない人たちを収容しているそうです。見ていたら、古いレンガ組みの門が残っていました。大正5(1916)年に建築された監獄正門です。「安濃津監獄」の文字が右から左に書かれています。現在は塀の外にあり、門としての機能は果たしておらず、歴史的資料として保存されています。近くまで寄って見ていましたので、監視カメラでチェックされていたかも(笑)。

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 三重刑務所の先で左折し、国道23号線を越えます。この先しばらくは、旧・伊勢街道を通っていきます。スタートから2.3㎞Img_3485c_1 ほどのところに真教寺という、天台宗のお寺があります。地元では、「閻魔(えんま)堂」として知られています。津の守護として、慶長19(1607)年、津藩主・藤堂高次公により町の入り口に建立されました。閻魔王座像や円空作十一面観音立像などがあります。十一面観音立像は、円空の作としては屈指の大きさだそうです。真教寺は今も残る古い町並みの北端にあり、ここから南、伊勢街道沿いには往時の景観を今に伝える建物群があります。

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 真教寺のすぐ東にあるのが、市杵島姫(いちきしまひめ)神社。伊勢参宮街道沿いになります。津市のガイドブックを見て一度来て見たかったところです。大昔には庚申塚でした。市杵島姫は、南朝の重鎮であった北畠氏一族の守護神として北畠氏滅亡まで受け継がれました。そのご神体を、天正4(1576)年の岩田川の戦いで敗れたとき、北畠氏の家臣が岩田の清長院へ預けたものがこの土地に移ったということです。その後、この地の産土神様にっています。万物の生命をつかさどる水の神、音楽芸能、子孫繁栄の神様として崇敬され、付近の人々は、「弁財(べざい)さん」と親しみをもって呼んでいましたから、このあたりには弁財町の名がついています。

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 主祭神は、市杵島姫命。相殿神は、建速須佐之男命、宇迦之御魂命、大物主神、猿田毘古神、大山津見命、天照皇大御神、徳川家康、事比良神。この神社には、青銅製の「湯立釜」があります(市指定文化財)。釜屋町(現・北丸之内)の辻氏と並び称された中山村(現・津市栗真中山町)の鋳物師・阿保氏の作(元文5(1740年鋳造)。境内には樹齢が400年とも500年ともいわれる、大きなイチョウの御神木があります。周囲は約4m。昭和20(1945)年の津空襲の時、湯気のようにもうもうとしたものが出て御神殿をつつみこみ焼失を防ぎ、風の向きもかえ火の手を止めたといわれています。

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 市杵島姫神社を出てすぐのところには教圓寺(真宗高田派)があり、それを過ぎて130mほどで阿漕町の神明神社があります。Img_3563c_1 ここは一風変わった神社で街道脇に鳥居があるのですが、そのすぐ奥が拝殿となっています。鳥居も拝殿も小振り。江戸時代の絵図には「一万度祓納社」として描かれているそうです。説明板によると、悪病が流行して町中がとても苦しんだ時に、人々が相談して阿漕町の中心部に神社を祭り祈祷したところ、病が治まったことから、町の守護として信仰を集めるようになり、毎年4月8日に大祭が催されるようになったといいます。氏子の方がいて説明をしてくださいました。

Img_3571c_1  珍しいことに、御祭神(大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト;天照大神の異称)は屋根に作られた天窓の上に祭られています。写真撮影の許可をいただきましたので、拝殿前でかがみ込んで見上げて撮ってきました。このため、地元では「まんどさん」と呼ばれています。名古屋の四間道あたりで「屋根神様」というのは見たことがありますが、このように屋根の上に祀られ、それを天窓を通してお参りするというのは初めてでした。

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 神明神社からすぐ、街道の西側にあるのが、次の立ち寄り先である山二造酢。古い建物で、外には大きな看板などもありませImg_3588c_1 んので、危うく通り過ぎるところでした。明治20(1887)年創業。今日は、酢の試飲ができるということで、ショウガとゆずが入ったGin-Vine(ジンビネ)というものをいただきました。家内からは、冗談半分で「一升瓶に入った醸造酢を買ってきて」と所望されたのですが、残念ながら一升瓶に入ったものは売っておらず(笑)。義母への土産に900ml入りの醸造酢を買ってきました。昔ながらの酢です。

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 山二造酢さんからさらに伊勢街道を南下。昔風の連子格子の建物が残っていますし、卯建が上がっている建物もたくさんあります。スタートから3㎞地点で左折し、東に向かいます。次は、結城神社に行きます。ここは梅の名所で、前々から是非とも訪ねたかったところ。本来であれば、梅の季節がよいのはいうまでもありませんが、今年はその時期にハイキングもウォーキングもなかったのです。

Img_3661c_1 御祭神は、結城宗広。他に、結城親光以下殉難戦没将士が祀られています。結城宗広(?~延元3(1338)年)は、南北朝時Img_3668c_1 代の武将。元弘の乱では、初め鎌倉幕府軍に加わったのですが、のちに後醍醐天皇方に転じ、新田義貞とともに鎌倉を攻め、幕府を滅ぼすなど、「建武新政」の樹立に貢献しました。延元3(1338) 年、北畠親房らとともに陸奥経営に派遣されることになり、伊勢大湊から出航したのですが、暴風雨のため宗広は安濃津 (三重県津市の港の古称)に漂着。まもなく病死しました。ここは、古くから結城の森と伝えられ、結城塚とか結城明神とよばれてあがめられて来ました。結城宗広公の立派な墓碑があり、300本の華麗なしだれ梅でも有名です。結城神社に着いたのが11時15分、30分も境内を見て回っていました。

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 結城神社を出て東へ300mあまり行くと、阿漕浦の海岸に出ます。今日は、風が強くちょっと寒いくらいでしたが、見晴らしImg_3831c_1 は抜群。北にヨットハーバーがありますので、海にはヨットもたくさん出ていました。ここからは、1㎞あまり、海岸の砂浜を歩きます。ヨットハーバーの手前でちょうど昼になりました。高虎ドッグが目の前ですが、ここは超人気店で、休日など駐車場は一杯で、店に入る階段まで人が並んで待っています。たぶん入れないだろうと思って、いつも通り、コンビニ弁当を調達していましたので、砂浜の階段に座って、お昼にし、12時20分に再出発。

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 高虎ドッグ。案の定、満員御礼。となりにあるT2菓子工房は、パス。はじめに書きましたが、今日は、松菱百貨店の前(岩田Img_3854c_1 橋バス停)からバスに乗って、家内の実家へ行くつもり。時刻はチェックしていませんでしたが、久居駅が毎時15分頃ですから、逆算すると12時50分前後の発車のはず(昼間の時間帯は、1時間に1本)。岩田川沿いを急ぎました。右は、岩田橋。渡った先に松菱百貨店があります。左手に少し見えている大きなビルは、中部電力の津支店。ここで7㎞。12時40分。

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 松菱百貨店前に12時45分に到着。今日は、ここが個人的ゴール(笑)。7.1㎞。バスの時刻を見たら、12時55分発でした。Img_3955c 松菱で土産(平治煎餅と平治最中)を買って、バスに乗車。家内の実家へ(¥730)。家内の実家からは16時29分のバスで久居駅へ(17時2分着、¥530)。17時7分の名古屋行き急行に乗り換え、桑名には17時58分着(¥820)。平治煎餅は、阿漕平治の伝説に因む、津の銘菓。

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 あみま倶楽部のスタンプは16個目をゲット。ALKOOのデータは右の写真の通り。ハイキングで歩いたのが7.1Img_3959c_1 ㎞、桑名駅までの往復が1.8㎞ですから、合計8.9㎞のはず(キョリ測のデータ)。14.8㎞は歩いていません(バスがゆっくり走ったときなどをカウントしていると思います)。

 本編は、4月11日の近鉄ハイキングから滞っていますので、少し先になりそうです(微笑)。

2019年4月27日 (土)

10連休に入って、キビタキに遭遇(微笑)

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 気温も昨日より9度ほど低い16度にしか上がりませんし、何といっても北西の冷たい風が吹きまくり。最大風速は10m/sを越えたようです。久しぶりにウィンドウブレーカを出してきて散歩です。8時20分から11時過ぎまで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、吉津屋通り、京町、田町と6.4㎞。寒かった(苦笑)。

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 貝塚公園でキビタキに遭遇しました。私のいつもの散歩コースでは、通りがかるだけのようで、滅多にお目にかかりません。オス、メスともに、九華公園や貝塚公園でそれぞれ2~3回見たくらい。今日も、貝塚公園に着いたときには、鳥の鳴き声もほとんどしなかったのですが、公園内を回っているとき、東屋近くで「何か飛んだ!」と思って探したところ、東屋の東に出て来ました。ちょっと慌てたせいもあって、あまりきれいに撮れなかったのは残念。しばらくいてくれないかと思うのですが、これまでの目撃経験では、その日限りですから、期待はできないかも。

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 さて、ゴールデンウィークに入り、木々の葉っぱも青々としてきて、目に鮮やかです。諸戸氏庭園前のマイ・ソメイヨシノも、Img_3333c ご覧のように青々としています。右は、柿安コミュニティパークの様子。公園の東側、揖斐川の堤防から西を向いて撮った写真。奥の方には藤棚も小さく写っています。ここで灯街道・桑名宿のメインイベントが行われますし、平日にはグラウンドゴルフもプレイされます。住吉入江から揖斐川まで、今日もカワウしかいませんでした。

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 九華公園、強風のせいか、散歩する人は少なく、野球場で行われている中学生の野球の試合の歓声だけがよく聞こえていまImg_3361c_1 す。鎮国守国神社では、氏子の方が5月2~3日に行われる金魚まつりの準備をなさっておられました。つつじはボチボチです。左は、朝日丸跡にて、青紅葉をバックに見上げてみました。右は、神戸櫓跡からの景色。1本だけ、真っ赤な花が咲くつつじがあります。

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 九華公園の中は、野鳥はほとんど見当たりません。キンクロハジロは、19羽が滞在。強風であの「寝癖」が目立っています。去年の10月半ば頃から来ていましたが、今年はあと何日いてくれるでしょうか? 

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 知人と話していたら、足下にスズメが寄って来ました。別に「餌をくれ」といっているわけではなく、左の写Img_7117c 真のように虫を咥えていたりします。今日、九華公園でもっともたくさんいたのは、スズメ。3月頃から繁殖するといいますから、ヒナへの餌かも知れません。去年は、5月10日に九華公園でヒナを確認しています(2018年5月10日:九華公園で花菖蒲一輪開花……スズメのヒナと、鳥の巣が落ちているのも発見)。

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 貝塚公園。つつじがご覧のような姿になっています。たいていは、九華公園にあるように丸く仕立てられていると思うのですが、春先に下の方をバッサリと剪定してしまったため、このようになっています。これが自然な姿なのかも知れませんが、違和感があります。それに、つつじの植え込みによくウグイスがいましたが、これでは隠れられないので、ウグイスも来ません。

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 貝塚公園に着いたときには、鳥はムクドリくらいしか見当たらなかったのですが、歩いているうちにツグミが1羽登場。そのImg_3385c 後、はじめに書いたようにキビタキまで見られました。その他、シメも1羽いました。貝塚公園でシメを見るのは珍しいことです。シロハラは、九華公園でも、貝塚公園でも見なくなりましたので、もう帰ってしまったと思われます。

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 吉津屋通りに回ったのは、寺町堀の南にある吉津屋堀沿いの藤棚に白い藤があったので、それを確認しようという次第。ここImg_7169c には3つの藤棚があるのですが、行ってみたら、ご覧のような有様。九華公園の本丸跡の藤棚も似たような状況ですが葉っぱは繁っているものの、花が少ない、房が短いということでした。ちょっとガッカリ。白い藤は、左の写真の藤棚の奥にあるのですが、これも右の写真のような様子。桑名市も、公園の樹木は植えっぱなしで、剪定はするものの、施肥など手入れをしないようですから、こんなことなのでしょう。もうちょっと手入れをして欲しいところ。

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 そういう中では、昨日も載せましたが、内堀南公園の藤は、それなりに見られます。ひょっとしたら地元の方が何かしてくださっているのかも知れません。この公園には桜の老木もありますが、地元自治会の方々が、花見をしておられたり、金魚まつりの準備や、待機場所に使っておられるのを見ますから。

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 ツバメの巣も、昨日に引き続き巡回してきました。京町の呉服屋さんの巣には、親鳥が1羽座っていました(左の写真)。ここImg_7188c は営巣してくれると期待しています。また、田町の商店にある2つの巣のうち、南側には親ツバメが2羽いました(右の写真)。こちらも毎年営巣していますから、今年も確実と思っています。その他、巣を修復していた、博物館の玄関先と、田町のお宅の巣はツバメはいませんでしたが、修復したからには卵を産むと期待しています。

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 10連休が始まりましたが、私には実質、ほとんど関係ありません(苦笑)。世の中に逆らっているわけではありませんが、リタイアしてブラブラ(フラフラ?)していますから(笑)。連休の間、天気もいろいろのようですし、5月3日には相談会を予定しています。現在、その準備を進めていますが、近鉄ハイキングなどにも出かけたいと思い、週間予報とにらめっこ。家内の実家も訪ねたいと思っています。4月30日、「平成最後の日」には実家方面でハイキングが予定されているものの(近鉄エンジョイウォーキング 特典満載!平成最後のハイキング!癒しの花景!かざはやの里2019藤まつり)、この日は雨模様という予報。代わりに明日、津であるハイキング(「阿漕」砂浜ハイキングと津グルメ散策)に行ってこようかと思ったりしています。コースにある「高虎ドッグ」は魅力なのですが、ここは普段から人気の店。大賑わい必至。酢の試飲はまぁよしとして、結城神社も行ってみたいところなのですが、梅の名所ですからちょっと時期はずれ。う~む、思案のしどころ(笑)。

20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その2)……興正寺、両聖寺、日永神社、頌徳碑と表忠碑を見て、西昌寺、日永一里塚跡、東海道名残の一本松を経て、おちゃのやまなかさんで一息、東海道日永郷土資料館で小腹を満たす

190411kintetsuhikingyokkaichi1_1  4月11日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」のその2です。前回、大聖寺まででしたが、3㎞も来ていません(苦笑)。ボチボチ、ゆるりと行くことにします。地名でいうと日永の町を歩いています。前回見てきた東漸寺あたりから、今日書く両聖寺付近の東海道は、初めて歩くところです。

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 スタートからほぼ3㎞のところに、日永山興正寺という真宗高田派のお寺があります。貞観6(864)年の創建。もとは登城山(現在地から1㎞ほど西、南部丘陵公園のところ)にImg_1156c あり、そのときは天台宗でしたが、文暦元(1234)年、親鸞聖人が当寺に立寄られたとき浄土真宗に改宗しました。その後200年程して、真宗高田派第十世・真慧(しんね)上人が津の一身田に本山を定められた時に、高田派となっています。天文13(1544)年、真宗高田派第十二世・堯慧(ぎょうえ)上人は、ここ興正寺で「日永千部」というこの寺の復興勧進法要を勤め、興正寺が高田派の有力な末寺になったといいます。天正2(1574)年、現在地に移ってきています。

Img_1159c 秀吉、家康の庇護が篤く、また、天正3(1575)年に滝川一益から寺領の寄進と諸役免除を受けているといいます。滝川一益が興正寺に対して出した「日永興正寺四至傍至の事」という寺領を与える文書、豊臣秀吉の寺内「禁制状」などの文書が残っているそうです。寺の蕎麦を流れる天白川が、寺を囲むように曲がっているのも、滝川一益が堀の役目をするようにしたという話もあり、この堤を昔の人は「滝川堤」と呼んだそうです。

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 興正寺の先で天白川を越えると、すぐに林光山弘願院両聖寺があります。浄土宗のお寺。最初は、天台宗林光山西教院と称しImg_1172c ていましたが、住職の専阿(せんな)上人が、浄土宗第三祖記主良忠禅師と比叡山で一緒に修行した縁で、宝治2(1248)年、記主良忠禅師がここで浄土教を宣布されたのを契機に、浄土宗に改宗しています。それ故、記主良忠禅師を開基とし、専阿上人を第二代としています。第三代道阿玄忍上人のとき、前期の両聖人に因んで寺号を両聖寺としています。明治40(1907)年、両聖寺の鎮守であった八幡社は分離され、大宮神明社に合祀されています。

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 両聖寺には、毎年8月に天白川の堤を固めるために行われた「つんつく(堤築)踊り」が今に伝わっています。踊りながら太鼓を打ち鳴らす踊りで、2020年には発祥400年を迎えます。この起源については、滝川一益の母の隠居所を実蓮寺境内に建築する地固め工事に歌った歌謡と動作を取り入れた踊りであるという伝承や、滝川一益が田畑を流失する農民の困窮を見て、天白川の堤防を築くための地固め、地つきに歌ったとする伝承があります。なお、元和6(1620)年の「清水九朗左衛門手記」に「日永踊之事ツンツクノ事ハ此ノ町地タカメ浪切踊トテ帯ヲ手ニモチ扇ニ而踊浪入也」とあり、近世の初頭には現在のような「つんつくおどり」があったと推測されています。

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 両聖寺から200mあまりで、日永神社に到着。ここは、一昨年12月17日にJRさわやかウォーキングで訪れています(2017年Img_1182c_1 12月19日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完))。昔は南神明社と呼ばれていました。明治40(1907)年以降日永神社というようになりました。建仁年間(1201-1204)頃に創建されたといわれています。天正年間(1573-1592年)に織田信長の伊勢侵攻の際、焼失しています。その後、再建され、江戸時代には神戸藩主本多氏の崇敬厚く、神社はさかえました。明治40(1907)年11月、岡山白髭社、日吉神社、追分神明社の3社を、明治41(1908)年1月に池鯉鮒、山神、天満、事比羅、土大神の5社を、明治44(1911)年9月に稲荷社を合祀しました。ご祭神は、天照大神天手力男神(あめのたぢからおのかみ)、栲幡千々姫神(たくはたちぢひめのみこと;天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ)、大山咋命猿田彦命波邇夜須比売命(はにやすひめのみこと;火之夜芸速男神を産んで死ぬ間際の伊邪那美命の大便から波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神の二神が化生した。ハニは土のこと)、菅原道真大物主神(オオモノヌシノカミ;奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の祭神)、大山津見神(オオヤマツミノカミ;山をつかさどる神)、道反之大神(チガエシノオオカミ;黄泉の国へとイザナミを迎えに行ったイザナギがそこで、腐り蛆にまみれ穢れたイザナミを見て、逃げ出し、黄泉の国と現世の間に大きな岩(千引き岩)を置いて塞ぎました。その岩のことをいいます)、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ;五穀、食物をつかさどる神)です。

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 境内には、追分旧道標があります。明暦2(1656)年に仏性院(四日市市川原町)を開いた恵心という僧によって建てられた、東海道現存最古の道標(全国では5番目、県内では2番目に古いといいます)です。嘉永2(1849)年、今の大きな道標が建てられるまで、日永の追分に建っていたものがここに移設されました(明治40(907)年)。正面に「大神宮」と刻まれ、左面に「山田」、右面に「京」と刻まれています。この「石造旧日永の追分道標」は、今年3月26日、四日市市の有形文化財に指定されました。

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 ここにも、皇大神宮遙拝所があります。「皇大神宮」は、もちろん、伊勢の神宮の2つの正宮のうちの1つである「内宮」のことです。「遙拝」は、遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむことですから、この方角に伊勢の内宮がある訳です。この皇大神宮遙拝所の石碑は新しいのですが、昭和57(1982)年に建てられています。

 日永神社のすぐ南隣に、長命山薬師堂があったのですが、この日はすっかり失念して、通り過ぎました(2017年12月19日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完))。市指定文化財である薬師如来座像が納められています。鎌倉時代中期の作とされ、元は伊勢安国寺の旧像。天正年間(1573~1592)、安国寺炎上の時、日永村の実蓮寺に運び出され、その境内の小堂で内仏として信仰されていたものが、文化13(1816)年、ここに移されたといいます(説明板による)。実蓮寺は、日永小学校の東(日永カヨーの裏手)に現在もあります。滝川一益が菩提寺とし、一益の母親の墓もあるそうですから、見たかったのですが、今回もパスしました。

Img_1191c 日永神社から長命山薬師堂を挟んですぐ南が、日永小学校。その敷地内に、日永出身の実業家・「稲垣末吉翁頌徳碑」と「表忠碑」があります。稲垣末吉は、日永の追分まで自費で配管を敷設して、水を旅人達に供した方です。稲垣は、明治時代、東京で製錨工場を創設、後に製鋼工場となり、巨万の富を築きました。地元に戻り、地域社会のために、社会福祉、自社建立、学校建設にも尽力し、さまざまな寄付をするなど貢献された方です。「表忠碑」は、戦没者の遺徳をたたえ、永遠に顕彰するため、明治42(1909)年8月に、日永村在郷軍人の方々が発起人となって建立されています。揮毫者は、元帥公爵の大山巌

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 スタートから4㎞、10時40分頃に雲祥山西唱寺(うんしょうざんさいしょうじ)。浄土真宗高田派のお寺。永禄2(1559)Img_1196c 年、僧・玄聖(げんしょう)の開創で、もとは安立院という浄土宗のお寺でした。江戸時代初期、誓宅が住持の時に、專修寺第14世尭秀(ぎょうしゅう)上人に帰依して浄土真宗となり、本尊を賜っています。寛文元(1661)年には西唱寺と改められました。正徳2(1712)年、中川十兵衛尉が、聖徳太子の木造を奉じて当山に立ち寄り、伝法法師に願ってここに留まり、享保2(1717)年、ここで没しています。

Img_1200c 西昌寺には、寺宝がたくさんあったそうですが、昭和20(1945)年6月18日の四日市空襲によって本堂や庫裏、太子堂、書院などが全焼してしまい、寺宝、古文書等は一切灰燼に帰してしまいました。戦後、昭和21(1946)年から35(1960)年にかけて順次、庫裏、梵鐘、本堂、書院が再建されて今日に至っています。境内に、安政6(1859)年、近隣の有志で登城山(白鬚神社の北)から竹管で水道を引いた「水道記念碑」があるのですが、一昨年12月のJRさわやかウォーキングの時に続いてまたもや、見てくるのを失念。

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 さて、この西昌寺あたりから、実測ルートマップは2枚目になります。四日市市もかなり南のエリアに入っています。四日市あすなろう鉄道と国道1号線の間を南下しています。東には、日永カヨーという大きなショッピングセンターや、県立四日市工業高校があります。日永の追分も近くなってきました。

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 西昌寺から南へ100m足らずのところに「日永一里塚址」の石碑が建っています。県指定史跡(昭和13年4月指定)。四日市市内には4ヶ所の一里塚がありました(富田、三ツ谷(海蔵川の北詰)、日永、釆女(杖衝坂を登りつめたあたり))。日永の一里塚は、江戸からちょうど百里だそうです。塚はもとは5m四方で高さ2.5mの塚が灯街道の両側に築かれていたそうです。「東海道分間延絵図(とうかいどうぶんげんのべえず)」(文化3(1806)年)によれば、西側の塚に松の木3本、エノキ1本、東側の塚にエノキ1本が描かれているといいます。西側の塚にはエノキが残っていたのですが、明治2(1869)年には伐採され、塚自体もすでにありません。家屋と倉庫の境界のわずかな空き地に細い標柱が立っているのみで、ウッカリしていると見逃します。

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 4.5㎞地点を過ぎたあたりに「東海道名残の一本松」があります。旧・東海道の東側に立派な松の木が一本、立っています。かつて、ここ日永の集落と、泊村の集落との間は、家は一軒もなく、松並木の縄手道だったそうです。今では、この一本松だけが今に残り、往時を偲ぶよすがになっています。そのため「東海道名残の一本松」と呼ばれているのです。たくさんあった松は、戦時中、松根油を採ったためほとんどなくなったといいます。縄手の道幅は、土手も入れて約5間(9m)でした。現在の道幅もほぼ同じです。写真はいったん通り過ぎて、南から撮ったもの。

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 時刻は11時、スタートして1時間半。4.9㎞を歩いてきて、のども渇いたなと思ったところで、今日の立ち寄りスポットである「お茶のやまなか(山中製茶)」さん。あすなろう鉄道・泊駅近く。ここで、熱いお茶の接待をしていただけました。創業60年だそうです。80代を迎えた初代店主自らお茶をくださったのですが、さすがお茶屋さん、香りも味も家庭では出せないものでした。しばし歓談の相手もしてくださり、よい休憩となりました。

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 泊の町から追分へ。お茶のやまなかさんを出て300mほどで、東海道日永郷土資料館があります。ここはまちかど博物館。以前にも来ており、たぶん3回目。ここには、郷土の歴史・民俗・文化を後世に継承するとともに、それらを学ぶことができるようにと、日永郷土史研究会を中心とした準備委員会が、土蔵付きの商家の建物を借りして開いたところ。日永の名産であった「日永足袋」「日永うちわ」をはじめ、地元に残る歴史・民俗・文化・街道(東海道・伊勢街道)などに関わるさまざまな資料が展示されています。

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 やまなかでお茶はいただきましたが、同行のMさんと今度は「小腹が空いた」ということになって(微笑)、資料館で出張販売されていた菊屋本店さんの「采女の杖衝」を買って食べることに。采女は、国道一号線で内部川を越えたあたりの地名。今年3月2日の近鉄ハイキングで訪れた「杖衡坂」のあるところ(20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)。日本武尊が伊吹山の賊を平らげ大和へ帰還の道すがら、負傷した足 を引きずり、剣を杖の代わりにして登られた故事に因んで名づけられ、また、松尾芭蕉が落馬して「歩行ならば杖衡坂を落馬かな」と詠んだあの「杖衝坂」からその名を取った銘菓。最中ですが、中身はあんことお餅。1個¥272。小腹を満たす以上の効果が得られました(笑)。

 いよいよ日永の追分が目前に迫りましたが、長くなりましたので、その2はここまで。その3は日永の追分から、伊勢街道に入ります。

 

2019年4月26日 (金)

20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(その1)……四日市駅をスタートし、崇顕寺、東漸寺、大宮神明社、水沢道標と大聖院へ

 4月11日に行ってきた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」の記事、予告編だけ書いて「放置状態」でした(苦笑)。サボっていたつもりはないものの、この間、江戸橋方面での非常勤が始まったり、義理ごとができたり、相談会の資料読みを行ったりしているうちに時間が過ぎました。JRさわやかウォーキング(河曲)の記事も同様で、在庫山積みですが、自らまいた種ですから、自分で刈り取らねばなりません。ボチボチと記事を書いていくことにします。

Img_1073c_1 このハイキングはお伊勢参りの3日目で、近鉄四日市駅をスタートし、東海道を歩いて、日永の追分で伊勢街道に入り近鉄鈴鹿市駅まで。旅2日目に(3月24日)、近鉄富田駅から東海道を歩いて、近鉄四日市駅まで来た続き(2019年3月25日:20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(予告編))。このときは、7.9㎞。近鉄四日市駅での受付が、9時半からということで、桑名駅を9時1分の五十鈴川行き急行に乗車。四日市には9時9時13分に到着。¥300

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 本日のコースマップは、B4サイズ両面。近鉄四日市駅(南改札口)を出て、東海道に入り、日永神社、日永一里塚跡、東海道Img_1071c_1 名残りの一本松を経て、お茶のやまなかで呈茶サービス。その後、東海道日永郷土資料館に立ち寄り、伊勢街道との分岐である日永の追分へ。伊勢街道を歩いて、河原田神社、忘帰處から鈴鹿川を渡って、神戸の見附跡と札の辻を見て、近鉄鈴鹿線・鈴鹿市駅がゴール。コースマップ上は、12.2㎞。川を何本も越え、ちょっとした小旅行気分。4月3日のハイキングと同様、Mさんと2人旅。私があちこち立ち寄り、Mさんを連れ回して、大変迷惑をおかけしたのではないかと思います(微笑)。しかし、旅や散歩の醍醐味は、立ち寄り、道草にあると思っています。決められたコースからちょっとはズレたりして、目新しいもの、珍しいもの、面白いものを見つけるのは止められないのです。

190411kintetsuhikingyokkaichi_1  こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。こうして改めて見ると、ずいぶん歩いたと思います。ハイキングで歩いたのは、13㎞。立ち寄り先でウロウロしていますので、実際にはもう少し歩いているはず。もっとたくさんのところへ立ち寄って来たのですが、このマップには書き切れませんので、かなり省略してあります。桑名駅までの往復で2.1㎞(帰りに所用を済ませてきました)でしたので、合計15.1㎞。さすがに15㎞を歩くと、よく歩いたと思いますし、いささか疲労感があります。いつものように何回かに分けて旅の記録を書くことにします。

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 もう少し拡大した実測ルートマップ(その1)。近鉄四日市駅を出て、国道1号線に向いていきます。300mあまりのところをImg_1074c 右折し、旧東海道に入ります。四日市でも繁華街のあたり。

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 曲がるところには、このような道標があります。写真で奥に見える信号は、国道1号線諏訪栄町の交差点。この右折した交差点の北は、スワマエ商店街。旧東海道が、商店街になっているところ。

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旧東海道に入って200mも行かないところ、阿瀬知川を渡ってすぐのあたりにあるのが、崇顕寺。真宗高田派のお寺ですが、作家・丹羽文雄(明治37(1904)~平成17(2005)年)の生家です。昭和7(1932)年「鮎」でみとめられ、風俗小説を多作しましたが、のち仏教への傾斜から「親鸞」、「蓮如」を著しました。日本芸術院会員、文化勲章を受章しています。崇顕寺は、田原藤太秀郷(藤原)末胤、田原忠秀が文明元(1469)年、浜田城を築き、孫元網の時元正3(1575)年に織田勢の滝川一益に滅ぼされました。この田原家の一族丹羽弥八郎時定が菩提のため、創建したといわれています。もとは天台宗の寺でしたが、文亀2(1502)年に眞慧上人に帰依し高田派の寺となっています。天和元(1618)年の火災と、昭和20年四日市大空襲で消失していて、由緒の詳細は不明。この真慧上人(しんねしょうにん)は、三重県のお寺を調べるとよく出て来ます。浄土真宗の僧で、高田本山専修寺の第10代。常陸の浄土宗迎雲寺等で顕密を学び、高田に帰った後、伊勢・三河・越前・加賀に布教。高田専修寺を継ぎ、高田派教団の勢力を拡大した方です。相当徳を積まれたお坊様のように思えます。

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 崇顕寺から300mほど、東海道の西側に仏法山東漸寺という、こちらも真宗高田派のお寺があります。ネットで調べてもあまImg_1083c り情報は出て来ませんが、建仁元(1201)年創建の古刹です。童話作家・東光敬(あずまこうけい)の生家。東は、丹羽文雄の弟である房雄(文雄に代わって、崇顕寺を継いでいます)と同級生。東については、こちら(四日市文化協会の広報誌)に言及されています。東の童話は「仏典童話」と称されるそうですが、その他に、郷土四日市の風光に材を採った童話も書いています。昭和10(1935)年に発表した人権意識の深い「白い鳩」であり、12(19374)年発表の初期四日市工毒(公害のこと)を告発した「ひばり」がそれです。

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 このあたりの東海道の様子。東漸寺から先、近鉄名古屋線の高架を潜ります。その手前に慈光寺(真宗興正派)というお寺がSuzukipharmacy ありましたが、東に入らねばなりませんので、パス。高架を潜ると、四日市あすなろう鉄道の線路が近くを走っています。赤堀駅の手前に鈴木薬局という、四日市でもっとも古い建物があるはずなのですが、見当たりません。鈴木薬局は、200年以上も続いた旧家で、代々、勘三郎の名を受け継ぎ現在で11代目まで続きました。4代目・勘三郎高春が寛延3(1750)年、長崎に赴き漢方を伝授されたと云われています。建物は6代目・勘三郎高光が 嘉永5(1852)年に建てたもので、これを観たいと思っていたのです。調べてみたら、こちらのサイトに「解体されて更地になってました」とありました(2017年6月15日づけの記事)。歩きながら気をつけて見ていたものの、ありませんでした(鈴木という表札が出た、大きなお宅がありました。これが鈴木薬局の跡地だったのかも知れません)。残念です。右の鈴木薬局の写真は、四日市・常磐地区のホームページからお借りしました。

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 その後、落合川、鹿化川と越えて、スタートから2.3㎞のところに大宮神明社があります。詳しい由緒は不詳ですが、社伝によImg_1095c_1 れば第11代・垂仁天皇の御代、皇大神宮が伊勢にお遷りになる時に岡山の丘陵地(現在、四日市南高校があるところ)に一時お留りになり、そこに神宮の神領地として皇大神宮を勧請したのが始まりとされています。永禄5(1562)年、それまで舟付け明神といって崇め祀っていたこの岡山の神明社が炎上したので、その頃出来上がりつつあった新道路(東海道)の傍らに遷座されたのが今の大宮神明社です。江戸時代には神戸(かんべ)藩主・本多家の崇敬を受けていました。「永宮さん」とも呼ばれるそうです。

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 主祭神は、天照大御神。相殿神は、天手力男命(アマノタヂカラオノミコト;天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大Img_1097c 力の神)、栲幡千千比売命(たくはたちぢひめのみこと;高皇産霊神の子の児火之戸幡姫の子で、天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ。織物の神として信仰される他、安産、子宝等の神徳をもつとされる)、市寸杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津宮の祭神)、田心姫命(タキリビメまたはタギリヒメとも;日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱。宗像大社では「田心姫神」として、沖ノ島にある沖津宮に祀られている)、多岐津比売命(タギツヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神で、中津宮に鎮座するとされる)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、大山津見命(オオヤマツノミコト;山をつかさどる神)、弥都波能売命(ミズハノメノミコト;代表的な水の神(水神))となっています。明治40(1907)年に天白社、八幡社の二社を合祀し、明治41(1908)年には5社を合祀しています。例祭は10月の体育の日。獅子舞があり、八幡獅子が家々を回るそうです。また、6月30日夜には、那護志の大祓があり、いわゆる「茅の輪くぐり神事」が盛大に行われます。

Img_1106c 境内には、摂社として二柱大神があります。ここは江戸時代末より病気平癒の神(センキの神)として信仰されています。少彦名命(すくなびこなのみこと;農業・酒造・医薬・温泉の神)と、大己貴命(おおなむちのみこと;天照大神に対して国津神Img_1111c (土着の神々)の頭領たる位置をあらわす)が祀られていますから、二柱神社かと思います。

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 境内には、靖国社や、「皇大神宮遙拝所」がありました。皇大神宮は、もちろん伊勢神宮。前にも書きましたが、四日市市内Img_1117c の神社では時々見ます。これらの他にも、稲荷社と思われる社や、不明の小さな社もありましたが、神社の説明板や、神社検索三重のサイトにも言及はなく、詳細は不明。

 

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 大宮神明社から300mほど、大聖院へ入る角に「水沢(すいざわ)道標」があります。大正12(1923)年9月にあった集中豪雨による水害までは、この碑の前(南)の道が水沢(四日市市の南西端、鈴鹿山脈の麓、伊勢茶の栽培が盛んな地区)への道でした。碑は元は東海道との角にありましたが、現在は、民家の庭にあります。 

Img_1127c 碑表には、「水澤は藍より出て紅葉哉 大坂 羽津み」とあります。「羽津み」は、江戸中期(1780~1800年頃)の大坂の古銭研究家・河村羽積(はづみ)のこと。碑陰には、「猿丸太夫名歌古跡水澤へ 是より三里」と刻まれています。水沢には、宮妻峡や、もみじ谷という紅葉の名所があります。百人一首にある「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」という猿丸太夫の読んだといわれる歌の情景を、紅葉の名所・水沢楓谷(もみじだに)に名残を求めたものであろうかと、「日永ものがたり」にあるといいます。水沢の楓谷は昔から紅葉の名所で、菰野藩主の土方公は必ずこの紅葉を愛でたというくらいです。

 

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 水沢道標からすぐ西に無動山大聖院(むどうさん だいしょういん)。真言宗醍醐派のお寺。ご本尊は不Img_1144c 動明王。寺伝によれば、天平10(738)年、行基の開山に係る古刹とされ、当初は西方の愛宕山に位置し、塔頭17院を有する大寺であったと言われます。平安時代には醍醐寺座主定海僧正御住坊でした。永禄8(1565)年松井親蔵法印が千草氏の庇護のもの、一族の守り本尊であった不動明王を奉じ、氏寺として寺院を再興しました。元禄3(1690)年、中興第4世大僧都・海養法印は寺院を現在地に移し、寺名を大聖院と改めました。神戸藩主御祈願寺として信仰を集めましたが、明治初めの廃仏毀釈の風潮が厳しく、寺領地を失い、境内も現在の範囲を残すのみとなったといいます。本尊の不動明王(秘仏)は、鎮守府将軍源頼義公、義家公父子の念持仏で、平安後期のもの。大正4(1915)年、重要文化財に指定されています。他に、県指定有形文化財に指定された絹本著色釈迦三尊十六善神像もあります。境内には、庚申堂もあります。

 あちこち立ち寄って見ていますが、まだスタートして3㎞も進んでいません。先行き、どうなるか、我ながらいささか心配ですが、長くなりましたので、その1はここまで。

スッキリしない天気……鳥はやはりいません

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 スッキリしない天気でした。朝7時半頃にはざっと強い雨。午前中は曇りがち。昼頃から晴れてきたものの、午後遅くからは北風。冒頭の写真は、散歩から帰ったときの北の空。今日は、いつも通り、8時20分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、寺町、田町と6.4㎞。

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 九華公園のつつじ、ボチボチ開花が進んでいます。まさに「ボチボチ」という感じです。場所や、木によって咲き具合はかなり異Img_3288c なります。いつものように、よく咲いているところを撮っていますので、その前提でご覧ください。5月1日から15日まで「つつじまつり」が開かれますが、特別なイベントは企画されていません。ただ、5月2、3日は、鎮国守国神社の「金魚まつり」が開かれます。氏子各町からいろいろな形の金魚の御神輿が出されますが、金魚の露店は最近はかなり少なくなっていて、残念。

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 九華公園を始め、散歩コースは今日もまた、鳥が少なく、張り合いがありません。揖斐川には水鳥の姿はありません(カワウのImg_7011c_1 み)。三の丸公園、柿安コミュニティパークも、ムクドリとスズメ、ドバトだけ。三の丸水門のヒバリは見当たらず。九華公園では、ツグミが3羽。朝日丸跡の東側で、かなり近いところに同時に出現。しかし、向いている方向はバラバラでした。このほか、コゲラ、シジュウカラ、カワラヒワくらい。

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 カモ、今日は、16羽。散歩する人も少ないので、餌はもらえないと思います。吉之丸堀の東側エリアで2つのグループに分かれてのんびり過ごしています。

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 貝塚公園でも鳥はおらず、内堀南公園で藤棚を見たら、ちょっと珍しい光景に気づきました。2点あります。一つは、藤の木のImg_3305c 幹の辺りにも花がたくさん咲いていたこと。幹のところにこれだけ葉や、花が付いているのはほとんど見たことがありません。

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 もうひとつは、こちら。藤棚から少し離れたところに、小さな藤の木が生えていて、葉っぱがでて、花が咲いていました。去年まではまったく気づきませんでした。

Img_7061c このあとは、ツバメの巣の巡回。博物館の玄関の巣にはいませんでしたが、京町の呉服屋さんの巣には、親ツバメがいました(左Img_7070c の写真)。ここのお宅には3つの巣がありますが、そのうちの1つ。しばらく前から時々、巣に就いていますが、不在というときもあります。右は、田町の商店の軒先にある巣。ここも2つあるうちの1つに親がいます。

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 こちらは、三崎通のあるお宅の玄関にある巣。去年は使われていなかったと思うのですが、今日見たら、修復されていました。8ヶ所見て回ってきましたが、今のところこれら3ヶ所で営巣するのは確実と思われます。

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 ところで、昨日も書きましたが、5月1日から3日まで、灯街道・桑名宿のイベントが行われます。今朝、散歩に出たら、住吉Img_3266c 入江の辺りや、揖斐川右岸の堤防、七里の渡し跡、蟠龍櫓付近に「くわな鋳物灯籠」が並べられ、準備が始まっていました。この燈籠、玄関先に1個あっても良いかなという気がしますが、お値段は¥27,000。暗くなって、灯りが入っていないと絵になりません。

 

 しかし、こうも野鳥がいないと、散歩に出ても張り合いがありませんねぇ。プチ遠征をして、サギ山とか、M池公園とかに行った方が良さそうに思えます。非常勤は、来週は休みですが、相談会の準備をしなくてはなりませんし……。

2019年4月25日 (木)

九華公園にツグミとシメがまだいました

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 夕方近くになって晴れてきましたが、午前中はどんよりしていました。気温は25度を超え、湿度も高いので、ちょっと蒸し暑いくらいです。朝9時にいつものS理容院さんへ行って、散髪。その後、九華公園へ散歩という次第。散髪を終えて、田町交差点を左折して、九華公園に向かおうとしたら、散歩友達で、鳥見の大先輩のIさんの奥さんに遭遇。Iさん、体調を崩して入院中ということでしばしお話を伺ってきました。奥様も毎日面会にいらっしゃるということですが、徒歩で往復2㎞半以上ですから、それも大変です。

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 九華公園には10時半到着。時間がいつもより遅いので顔なじみの散歩友達はいませんし、鳥もこの時間ではいません。カモたちは、キンクロハジロだけがImg_3223c 14羽。朝7時半頃には20羽ほどいたと管理人さんから伺いましたが、その後、どこかに行ったカモたちがいるのでしょう。

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 スズメ、ドバト、ハシボソガラス、ムクドリ、キジバトくらいしかいなかったのですが、それでもよくよく見て回ると、ツグミが1羽と、シメの声が。本丸跡でです。ツグミはすぐに逃げられ写真は撮れなかったものの、シメは何とか証拠写真が撮れました(苦笑)。今日は、超望遠コンデジしか持って行きませんでしたので、とっさの対応が難しかったのです。

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 つつじなどは、かなり咲いてきましたが、去年よりはやや遅い感じ。今日は、公園の中だけを歩き、外周遊歩道も回らず、他へも行かず。公園施設の掃除をしてくださるMさん、管理人Nさんと話をして、柿安コミュニティパークを経て帰ってきました。三の丸水門のところで、散歩友達のYさんに遭遇。今朝の「くわな新聞」に載っていた、伊勢・長島藩主・増山雪斎の話になりました。江戸末期の伊勢・長島藩主にして、絵をよくした方。三重県立美術館で、4月20日から6月16日まで「没後200年記念 増山雪斎 展」が開かれるという記事が載っていたのです。私は、桑名市博物館でも雪斎の絵を何度も見ていますが、藩校文礼館を創建し、藩学の振興につとめていますし、花鳥画や詩文にも長けたお殿様だったようです。

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 という次第で、散髪のあと歩いたものの、またもやおしゃべりばかりで距離は伸びず(苦笑)。3.3㎞。オマケに住吉水門に戻って来たら、雨まで降ってくる始末。我ながら、「しょうがねぇなぁ」と思っています。

2019年4月24日 (水)

江戸橋はやはり雨(苦笑)

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 本年度2回目の江戸橋方面でのお仕事。今日もまた、天候には恵まれませんでした(苦笑)。講師控え室で同席した他の先生とも、「どうして水曜は雨が多いんでしょう?」という話になりました。桑名駅までの間も、江戸橋駅の往復も、さほど強くは降らなかったのは幸い(笑)。今日の受講者数もほぼ50名。前回と多少は入れ替わりがありましたが、皆、熱心に聞いてくれています。ゴールデンウィークというか、10連休を挟みますので、次は5月8日。私の学生時代もそうでしたが、連休を挟むとテンションが下がって出てこなくなる学生がいました。昔は、「5月病」などといったのですが、どうなりますか。ちなみに、昨年は、連休前の4月25日には58名の出席者が、5月9日には49名に減り、その後少しは回復したものの、連休明けから出てこなくなってしまった学生も少しあり、気になるところ。生活リズムや体調を崩さないよう、また、リフレッシュにも気を配ることが必要かと思います。

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 帰宅後は、いつも通り、出欠確認と、Q&A。今年の学生たちの中には、4年制大学へ編入して心理学を勉強したいとか、公認心理師や臨床心理士の資格を取りたいと書いてくる学生がいつもより多い印象があります。短大からの挑戦ですと、難しいことも多いと思いますが、初心忘るべからずで、また、情報収集を行い、工夫をして目標達成してくれるよう願っています。

 10連休になりますが、世間では喜んでいる人は少ないというニュースもありました。旅行に行こうにも費用が嵩むでしょうし、あちこち出かけると混雑しているということもあります。休めないという方も多いようですし、体調を崩しても病院が休みということもあります。何がよいのか難しい時代です。私自身は、いつも通りにプラス相談会を1回予定していますので、明日からはその準備に注力しなければと思っています。

 余談を追記。朝、往きの電車で若い女性から席を譲っていただきました。人生、これで2度目の体験です(苦笑)。高齢と覚しき方でも遠慮なさったり、中には「オレはそんなジジイじゃない」と怒り出したりする方があるように聞いています。しかし、私は、最近は、いただいたご厚意はありがたく承ることにしました。その方がお互い気持ちも良く、また、若い方たちが、自分が行った行動が受け容れられることで、それが強化となって、また他でも同様の親切をしてくれることにつながるのではないかと期待するというのが、その勝手な屁理屈。いただいた好意は、また他のところで別の方にお返ししようと思っています。

2019年4月23日 (火)

九華公園はきわめて静か

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 曇ってはいますが、昼までに20℃を超えています。今日は、いつも通りの散歩。住吉神社から九華公園、貝塚公園、内堀公園のImg_3176c あとは、京町、寺町、田町と5.9㎞。右のつつじは、名所のものではなく、拙宅マンションにて撮影。かなり咲いてきました。

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 冬鳥たちはほとんど見なくなりました。今日の散歩では、ツグミ、シメ、シロハラはまったくいません。皆、もう帰っていったImg_3189c ものと思われます。七里の渡し跡を歩いているとき、アオサギが1羽、上空を通過。三の丸水門の上流側には、ヒバリが1羽。柿安コミュニティパークや、三の丸公園には、ヒヨドリ、ムクドリ、ドバト、スズメしかいません。柿安コミュニティパークにある藤棚では藤が咲いてきましたが、昨年までと同様、東側の半分しか咲きません。藤の木は2本ですが、1本しかつぼみを付けていません。

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 クマバチさんが、蜜を集めに来ています。ヘンに刺激しなければ、攻撃されることはないのは知っているものの、あの羽音を聞くと、ちょっとビビります(笑)。

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 九華公園は、静かでした。「静か」というのは、二重の意味で、散歩する人もさほど多くはありませんし、野鳥Img_3206c の声も聞こえてこないということ。花見の時の賑わいがウソのようです。野鳥も、カワラヒワ、ドバト、ムクドリ、ヒヨドリ、スズメがいるものの、数が少なくて、鳴き声もあまり聞かれないです。つつじの咲き具合は、場所によってかなり違います。写真は、よく咲いているところを撮りますので、誤解なきように願います。公園全体としては、咲き始めという印象です。

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 キンクロハジロご一行は、13羽が滞在中。いつもは、堀の東側エリアにいたのですが、今日は、九華橋の南に集まっていましImg_6966c た。昨日は19羽だったようですが、もうゴールデンウィークも目の前ですから、例年通りということでしょう。あまりにも鳥が少ないので、スズメとムクドリに持っていたパンを与えて、遊んでもらいました(微笑)。スズメの方が反応が早く、すばしこく寄って来ます。

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 チョウも、アゲハ、モンシロチョウなどがよく飛ぶようになって来ています。ツバメの巣も巡回してきましたImg_6993c_1 が、今日はどの巣にも親ツバメはいませんでした。どうなっているのでしょう? もうそろそろ卵を産んでもよい頃かと思うのですが……。住吉入江にいる、翼を痛めたヒドリガモのオス、今日は、南の端(寺町商店街に近いところ)にいました。水面を見つめて、何やら物思いにふけっているように見えます。

 さて明日は、江戸橋方面、今年度2回目ですが、天気がアヤシい(苦笑)。去年からのジンクスを引きずっているような気がします。

2019年4月22日 (月)

伊勢大橋、大山田川方面に行くも、鳥果すくなし

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 暖かいを通り越して、暑くなりました(苦笑)。今日の最高気温は、28.2℃(13時56分)。毎年ゴールデンウィーク頃、急に暑Img_6765c くなったりするようですが、体調が追いつきませんねぇ。今日の散歩は、住吉神社から、いつもとは逆に、揖斐川の上流方面へ。ブロ友のひらいさんが、大山田水門のところにサギが集まっていることがあると書いておられましたので(2019.04.20 お散歩日報)、確かめに行こうという次第。揖斐川右岸を歩いて、長良川河口堰を右の写真のように見て、伊勢大橋を越え、大山田水門からいったん上之輪新田を回り、沢南橋あたりから大山田川を養老鉄道の播磨駅のところまで行って引き返します。新宮西橋から南へ。くわな特別支援学校、養老鉄道の高架橋を経て帰宅という6.9㎞コース。

Img_6777c  伊勢大橋までは、我が家から1.5㎞ほど。桜堤防を越えたあたりで河川敷におります。例年、このあたりにはヒバリがいます。今Img_6767c 日も合計6羽ほど(たぶん3ペア)。揚げ雲雀も見られましたが、これをきれいに写真に撮るのは難しい。他には、けっこう離れたところから、ケリも飛び立ったのですが、写真には撮れませんでした。

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 伊勢大橋。久 しぶりに、また、ナイショで伊勢大橋の下をくぐって行くことにしました(笑)。橋を潜ると、甚内ポンプ場の排Img_3084c 水樋管のところに出ます。その先に水門があり、そこで、大山田川が揖斐川に注ぎます。ひらいさんがサギが集まっているのをご覧になったのは、右の写真の木のあたり。しかし、今日、ここにいたのは、ダイサギとアオサギが1羽ずつ(右の写真は、いずれも飛び立ったあとですから写っていません)。

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 右上の写真を撮る前には、ダイサギがいたのですが、すぐに逃げられました。また、アオサギも、こちらが気づく前に飛び立ちました。逃げ足が速いこと。その他は、コガモが4羽と、カルガモが1羽、ヒヨドリが数羽いたのみ。サギが巣作りをしている様子もありません。

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 アオサギはもう1羽いましたが、こちらも、近づこうとしただけでサッサと逃亡(苦笑)。見て、写真を撮るだけなのですかImg_6805c_1 ら、もう少しフレンドリーな対応をしてもらいたいものです。長いつきあいなのですし(バードウォッチングを始めて7~8年になるはず)。

 

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 大山田川の北にある沢北川から、上之輪新田に出ます。上之輪新田には、ケリでもいないかと思ったのですが、スズメ、ムクImg_3102c ドリの他、ツバメやイワツバメが飛んできていた他には、モズのオスが1羽。もっと北の方へ行けば、ヒバリなどがいたかも知れません。

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 上之輪神社に立ち寄って、小休止。沢南橋に出て、大山田川を遡ります。コガモは、かなり少なくなったものの、養老鉄道のImg_6841c 播磨駅近くまでの間で合計10羽ほど。今日は、この間、イワツバメを除いては、ハクセキレイ1羽、キジバト、アオジらしき姿1羽、ヒヨドリ、イソシギ1羽くらいしかいません。ひょっとしたら、カワセミもと期待したものの、まったく見かけませんでした。

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 イワツバメはたくさん飛んでいますし、あちこちの巣からも顔を覗かせています。巣にいるのは、子どもだろうと思います。もっとハッキリと写真を撮りたいと思うものの、ここは橋の下。道路から真上を見上げなくてはなりませんので、けっこう大変。首が痛くなりますし、あまり見上げているとふらつきそうになるのです。飛んでいるところも撮影にチャレンジしましたが、やはり難しい。

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 橋の下の川原にイワツバメが降りて来る様子もありましたが、あいにくとちょっと距離があり、クリアには撮れませんでしたし、何をしているのかもよく見えませんでした。このあと、さらに川を遡って、養老鉄道の鉄橋まで行き、対岸に渡って戻って来たのですが、今日は鳥果はあがりませんでした。

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 帰り道、くわな特別支援学校の前にある「くわとくガーデン」を見てきました。ここは、校庭に木を植えたImg_3150c り、木の手入れをして学校の緑を増やす活動として行われていますが、いろいろの花木があり、季節の花を楽しめます。

 

2019年4月21日 (日)

冬鳥は帰ったか?……藤が丘デザイン公園の御衣黄についてのトンでも情報

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 さすがにソメイヨシノは、ほぼ葉桜になりましたが、八重桜があちこちでよく咲いています。今日も、近鉄ハイキングはありまImg_6707c すが、さすがにパス(昨日歩いたのと、非常勤、相談会の準備などもありますから)。今日はいつも通り散歩。8時20分からほぼ3時間。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、田町と5.9㎞。左の写真は、三の丸公園のソメイヨシノと蟠龍櫓。右は、九華公園の奥平屋敷跡にある八重桜。九華公園には、八重桜は数えるほどしかありません。

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 九華公園では、外周遊歩道の日当たりのよいところで、つつじがかなり咲いてきています。本丸跡や、二の丸跡などは、まだほImg_3025c んのチラホラという感じ。つつじまつりは、5月1日からですが、もう寒さも戻ってこないでしょうから、これから一気に咲いてくると思います。

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 本丸跡にある藤棚もご覧の通り。手入れとか、施肥とかされていないように思いますが、それをすればもっと見事になるのではImg_3014c ないかという気がします。ちょっともったいない(他の公園でも、同様です。桜などもほとんど植えっぱなし。伐採というか、剪定というか、それはするんですがねぇ)。何事に付けても「予算がない」のだそうで、街路樹なども、1本おきに切ってしまっているという話も聞きます。もう少し智慧を働かせて欲しいところです。

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 今日は、どこへ行っても野鳥の姿をあまり見ませんでした。揖斐川にはもう水鳥はいません。三の丸水門のところで、ヒバリは見ましたが、ツグミはいなくなった感じ。九華公園でも、キンクロハジロは20羽。ツグミ、シロハラはおらず、シメの鳴き声を聞いた気がしましたが、確認はできません。いたのはドバト、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、キジバト、ヒヨドリにわずかなカワラヒワ。去年は、巣材を運ぶシジュウカラや、巣に就いていると思われるエナガを見ましたが、今年はサッパリ。

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 貝塚公園も同様。スズメ、ムクドリ、ヒヨドリとカワラヒワ。ここも、ツグミ、シロハラは見られませんでした。もう冬鳥たImg_6728c_1 ちは帰ってしまったのでしょう。こういう状況ですから、知り合いに会わないと、散歩が早く終わってしまいます(笑)。

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 散歩コースにあるツバメの巣も、一通り見てきました。ツバメはよく飛び回っているものの、巣にいるのはまだ少ない状況でImg_6755c す。左の写真は、博物館の玄関にある巣。修復作業が進んでいるようですし、ここに行ったとき親ツバメが1羽、飛び出てきました。ここは営巣してくれそうです。右は、京町の呉服屋さんの巣。親ツバメが巣に就いています。最初に見たときはいませんでしたので、まだ卵はないのではないかと思います。

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 今日は、3日ぶりにいつものコースへ行きましたが、その分、知人に一通り会えました。その数10名あまり。ご夫婦もいらっしゃるので、9組。私と同年齢から、最高は86歳の男性。皆、お元気です。あれこれ世間話に花が咲きます。私の悪影響を受けて、野鳥に目が向くようになった方や、旅行に行って、城や名所旧跡があると寄り道するようになった方などがあり、笑えます。決してそういうことを強要しているわけではありません(微笑)。

 その知人のお一組から聞いたお話。奥様は鳥だけでなく、花木にもご興味があり、よくご存じの方。藤が丘デザイン公園に御衣黄があることをお話ししたら、見に行かれたのですが、その結果、「御衣黄は、2本だけであとの数本は、ウコンだと思う」ということでした。鑑別点もしっかり教えてもらいました。なおかつ、市役所に電話したら、まったく要領を得ない返答であった上(御衣黄があることさえ、しっかり把握していないようでした)、さらには「誰かが、落ちていた看板を勝手に付けて、それで間違っているのでしょう」、「満開でないと分からない」、「来年、業者に見に行かせる」などとふざけた返事だったそうです。「ついでがあったら市役所にキツくいってやってよ」とお怒り。九華公園にも市役所の担当部署の職員はほとんど来ませんから、私としては「さもありなん」と思えます。現場の状況を把握しないで、ちゃんとした仕事はできません。

2019年4月20日 (土)

20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(予告編)

Img_2358c 今日は、JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ行ってきました。JR東海の「TOICAエImg_2359c リア拡大記念」と銘打ったウォーキングです。というのも、JR関西線では、3月まではICカードが使えたのは、四日市駅まででした。それが亀山駅までの各駅でも使えるようになったのです。スタートは、JR関西線・河曲(かわの)駅。といってもあまり知られていないかも知れません。関西線の四日市から下り方向には、南四日市、河原田、河曲、加佐登、井田川と続いて、亀山が東海エリアの終点。河曲駅は、鈴鹿市木田町にあります。もとは木田信号場として開設され、その後、昭和24(1949)年に鈴鹿駅として開業したものの、周辺の発展ができず、また、駅から市役所まで約20分も歩かなければならず、年々乗降客は減少し、当時、建設中であった国鉄伊勢線(現・伊勢鉄道)で鈴鹿市の中心部である神戸地区に新駅が設置されることをきっかけに新駅の名称を鈴鹿駅とし、こちらを河曲駅に改称しました(昭和48(1973)年)。元々無人駅で、駅も写真のようにちょっと淋しい状況です。

190420jrwalkkawano 本日のコースマップ。河曲駅での受付は、8時半から11時。佐佐木信綱記念館、石薬師寺(いしやくしじ)、加佐登(かさ190420jrwalkingkawano_1 ど)神社、鈴鹿フラワーパーク(鈴 鹿市植木まつり会場)、荒神山観音寺と回って、JR関西線・加佐登駅がゴール。マップ上は、9.8㎞。このブログをお読みくださっている方には、先刻ご承知と思いますが、加佐登というのは、最初の就職先&一人住まいがあったところです。石薬師あたりは、その少し四日市寄りにある自由が丘というところには、当時、食事などに来たことがありますが、旧東海道沿いは初めて。佐佐木信綱記念館も、石薬師寺も訪ねてみたかったところです。今朝は、JR桑名駅を8時51分に出る亀山行き普通電車に乗車し、河曲駅着は9時20分。¥410。右の画像が、実際に歩いたルート。若干寄り道していますので、11.5㎞を歩いてきました。先日(4月11日)の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」も予告編で止まっていますし、非常勤も始まり、また相談会も予定していますので、先行き不透明ではありますが、取り敢えず、今日のところは、予告編(苦笑)。

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 9時25分に河曲駅をスタートしてすぐに関西線の線路を渡り、田園地帯を進みます。田植があちこちで行われていました。以前は、ゴールデンウィークくらいでしたし、われわれが子どもの頃は、6月頃だったように思います。ずいぶん早くなったもの。浪瀬川沿いを上流に向かって進み、三重県消防学校と県立石薬師高校の北側を回って、国道1号線を歩道橋で渡って、旧東海道に出ます。ちなみに、浪瀬川沿いには、何カ所かに「この川にはまむしがたくさん生息しています」などという表示があってビビりました。

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 旧東海道に入ったところで、スタートからは2.8㎞ほど。時刻は、10時。旧東海道は、桑名の七里の渡し跡から四日市の日永の追分までは歩きましたが、石薬師宿あたりは初めて(この先の庄野宿は、近鉄ハイキングで半分くらい歩いています(2018年12月6日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その2)……庄野宿からJR関西線加佐登駅へ))。石薬師宿(いしやくししゅく、いしやくしじゅく)は、東海道五十三次の44番目の宿場です。元和2(1616)年に宿場となっています。徳川家康が、東海道を制定したのが慶長6(1601)年ですから、15年ほど遅れています。四日市と亀山の間が長すぎたので、高富村にあった集落を東海道の通る台地の中央部に移して、村落にして、石薬師と名づけたといいます。石薬師の名前は、石薬師寺に由来します。今日歩いた東海道は、ここから石薬師一里塚跡まで。

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 東海道に入って100mほどの右側(西側)に、小澤本陣跡があります。表示は2ヶ所ありましたが、いずれも本陣の敷地だといいます。大名の名前が書かれた「関札(せきふだ、宿札ともいう)」や、江戸時代の宿帳が残されていて、赤穂城主・浅野内匠頭の名前もあるそうです。この近くに松の大木があったので、「松本陣」ともいったという話があります。小澤本陣跡の向かいには、園田家が務めた問屋場がありました(と書きつつも、見忘れました。気づいたときには、かなり進んでいて、戻る元気が出ませんでした……苦笑)。

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 小澤本陣跡のすぐ先、やはり右側に本町集会所となっている「天野記念館」があります。ここは、タイムレコーダーで名高いアマノ株式会社の創業者・天野修一(明治23(1890)~昭和51(1976)年)翁が、昭和39(1964)年に故郷である石薬師町本町のために建てたものです。 天野修一翁は鈴鹿市に奨学資金を寄贈して若人の育英に偉大な功績をあげています。前庭にある記念碑の「天野記念館」の文字は天野修一翁の揮毫によるもの。 

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スタートからほぼ3㎞、石薬師小学校の隣に「佐佐木信綱記念館」があります。この記念館は、佐佐木信綱資料館、信綱の生家、Img_2516c 石薬師文庫、土蔵からなっています。 歌人であり、国文学者として有名な佐佐木信綱(明治5(1872)~昭和38(1963)年、佐々木弘綱の長男)は、三重県鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)に生まれています。資料館には、第1回の文化勲章をはじめ、信綱の著作や遺品が展示されています(資料館は昭和61(1986)年に完成)。生家は、昭和45(1970)年に移築されています。

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 こちらは、石薬師文庫。佐佐木信綱が、昭和7(1932)年、還暦にあたり、旧石薬師村に寄贈したものです。以前からあったImg_2472c 土蔵を文庫として、この建物は閲覧所として建てられました。伊勢国学に関する多くの版本や写本を含む貴重な書籍が贈られています。現在は、地域の図書館としてボランティアにより運営されています。この石薬師文庫の前には、距離標(石薬師村の道路元標)が立っています。碑表には「距 津市元標へ 九里四町十七間」とあります(35.8㎞ほど)。

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 佐佐木信綱といえば、もちろん上述のように、歌人、国文学者として有名ですが、私には、唱歌「夏は来ぬ」の作詞者としてImg_2527c のイメージが強くあります。「卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」が浮かんでくるのです。「卯の花」は、ウツギ。記念館の敷地だけでなく、石薬師の町中には至る所に、この卯の花が植えられています。記念館の玄関脇の日当たりのよいところでは、もう咲き始めていました。

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 佐佐木信綱資料館で、珍しく土産を買ってしまいました。栞です。右の3つは、伊勢型紙のものでこれらが1セット。左は、卯Img_2536c の花の押し花であろうと思いますが、そこに「卯の花の匂ふ垣根に」と手書きで添えられています。これは、家内の母へ。余談ですが、家内の母は私が読み終え、謹呈した時代小説を読んでいるのです。さらに、資料館前に地元の「のぶ庵」という和菓子屋さんが出張販売。「卯の花もち」、1個¥110でしたので、お買い上げ(微笑)。途中、どこかでおやつにするつもり。

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 佐佐木信綱記念館を出て、石薬師小学校南の交差点を渡ったところには、浄福寺という真宗高田派のお寺があります。山門のImg_2549c 前の石の築山の上に信綱の父・弘綱の記念碑が建っています。ここは佐々木家の菩提寺。開基は、室町時代の永正年間(1504~1520年)と伝わっています。記念碑には、「わかの浦に 老いを屋しなふ 阿し堂徒盤(あしたずは) 雲の宇辺越(うえを)も よそに見類(みる)か難(な)」。

 

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 浄福寺の先にある交差点には、道標と、川はないのに橋の親柱が残っています。親柱には、「南町橋」とあります。道標にImg_2582c は、「上田加佐登」と刻まれています。上田も、加佐登もこれから歩いて行く先の地名。道標は、大正13(1924)年に田中音吉(弘化5(1848)~大正5(1916)年)が建てたもの。田中音吉は、実業家で、米穀・製茶業を営んでいたのですが、前橋や八王子の蚕糸業を視察し、明治20(1887)年、郷里の三重県鈴鹿郡亀山で製糸業を始めました。明治30(1897)年には、亀山共同社(のちの亀山製糸会社)を設立しています。

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 さらに石薬師の町を進み、3.6㎞ほどのところで国道1号線にかかる瑠璃光橋(あとから知ったのですが、この「瑠璃光」は、石薬師寺の旧名によります)を渡ります。ここはまだ旧東海道Img_2619c のルート。1号線を越えるとすぐに高富山(たかとみざん)石薬師寺があります。ご本尊は、弘法大師自らが、一夜にして爪で刻んだとされている薬師如来像。秘仏になっていて毎年12月20日のおすす取りに合わせて、開扉されます。真言宗東寺派のお寺。寺伝によれば、神亀3(726)年、泰澄(奈良時代の山岳修験者。加賀国白山を開創したと伝えられる)が、当地で巨石の出現を見、薬師如来の示現と悟り、草庵を設け供養したことが開創とされています。その後、弘仁3(812)年、空海(弘法大師)が、巨石に薬師如来を刻み開眼法要を行い、人々の信仰を集めたことにより、嵯峨天皇(在位809年 – 823年)は勅願寺とし、荘厳な寺院を建立し、名を高富山 西福寺 瑠璃光院と称していたといいます。ちなみに、安藤広重が描いた「東海道五十三次」の石薬師宿には、この石薬師寺がモチーフになっています。

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 この石薬師寺で11時前。小腹も空いてきましたし、歩き始めから1時間半近くになりますので、先ほど、佐佐木信綱記念館の前でゲットしてきた「卯の花もち」をいただくことにしました。包みを開けたら、こんな風。イメージとしては、桑名や四日市で売っている「なが餅」を丸くしたもの。食べてみても、まさにその通りでした。三重県内の東海道・伊勢街道は、「餅街道」と言われるくらい。あちこちでいろいろなタイプのお餅、あるいはそれに類した菓子が名物になっています。一息ついて、次へ。

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 今回はあまり予習をしてこなかったのですが、石薬師宿については、「ホントに歩く東海道(風人社)」と「チャント歩けるImg_2683c 東海道五十三次 袋井宿~京三条大橋(山と渓谷社)」の該当箇所だけは見てきました。それによると、石薬師寺のすぐ東に「蒲冠者範頼之社(かばのかんじゃのりよりのやしろ)」があると書かれていました。範頼は、源範頼(みなもとののりより)で、義朝の第6子、頼朝の弟。蒲冠者と称しました。頼朝の命令で、弟・義経とともに西国への遠征隊の総指揮官となりました。学問武芸に秀で、願望成就の神として信仰されています。ここは、御曹子社(おんぞうししゃ)ともいうようです。鳥居の脇に「蒲桜」への案内があります。

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 案内にしたがって60mほど南へ行くと、「蒲桜(かばざくら)」がありました。三重県指定天然記念物。寿永年間(1182~Img_2712c 84年)の頃、蒲冠者源範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、石薬師寺に詣でて武運を祈願し、戦運を占うため鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿して、「我が願い叶いなば、汝地に生きよ」と言って去ったのち、生長したのがこの蒲桜であるという言い伝えがあります。ヤマザクラの変種の一つで、赤茶の芽、花は一重の五弁、直径5cmで白~淡紅色。まだ花が残っていました。

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 「蒲桜」を見てから指定されたルートに戻り、南へ。スタートから4.6㎞のところに、「石薬師一里塚跡」。江戸・日本橋からは、百二里。1里は約3.927kmですから、400.6㎞。現在は、塚はありませんが、土手にエノキが植えられています。蒲川の西岸に位置し、かつては東海道の両側に榎が植えられてのですが、もともとあったエノキは、伊勢湾台風で折れたそうです。今あるエノキは、昭和52(1977)年に若木が植えられ、そのときに「史跡石薬師の一里塚跡」の碑が建てられています。また、ここには、石薬師宿の標柱があります。東海道はここから、左折して西へ。JR関西線をくぐって、加佐登から庄野宿に向かいますが、ウォーキング・コースは直進し、国道1号を越えて(潜ります)、鈴鹿市上田町へ。今日は、これで国道1号を3回横切りました。

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 石薬師一里塚跡から2.2㎞ほど登って来ると、加佐登神社に出ます。このあたりは、かつて働いていたときにも何度か来ていまImg_2776c す。前にも書きましたが、当時所属していた野球部で(おまえが野球部?というツッコミは、今回はスルーします)、花見などあれこれ理由を付けて、宴会、BBQに来ていました。ただ、当時も今も、この表参道から神社に行くのは、大変。右の写真のように、こういう階段になった参道を5分も登る必要があります。この5分というのは、鳥居近くの境内案内板にある数値。写真はありませんが、階段下には、「必要な方はお使いください」と杖が置いてあります(笑)。今はまだ大丈夫ですが、そのうち必需品になります。

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 主祭神は、日本武尊。相殿神は、天照大御神、豊受大神、火之迦具土神、気吹土主神、速玉之男命、天羽槌雄神、大国主命、伊邪那美神、伊邪那岐神、大雀命、建速須佐之男命、菅原道真、品田和気命、予母都事解之男神、息長帯比売命、大山津見。相殿神はまだ調べていませんので、今日のところはリンクはありません。日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座し、尊が死の間際まで持っていたといわれる笠と杖をご神体として祀っています。延喜式神名帳にある、伊勢国鈴鹿郡の倭文神社(しとりじんじゃ)を合祀したと伝えられます。ここも、先日訪ねた伊奈富神社と同様に、紫ツツジの名所(2019年4月12日:20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(その2)……稲生民俗資料館と伊奈富神社(その1))。

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 古来、御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていました。 江戸時代後期の国学者・平田篤胤は「御笠殿社由来記」(1829年)で、腫物などの病に霊験あると記しているそうです。 境内には倭文神社慈悲山廃寺があったと伝えられます。明治6(1873)年に「笠殿」(かさどの)から現社名へ改め、明治41(1908)年に近隣の神社16社を合祀し、現在の姿となっています。このため、相殿神がたくさんいらっしゃるというわけです。加佐登神社に着いたのが11時45分頃でしたので、ここで昼食。今日は、自宅から持参したおにぎり2つ。

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 おにぎり2つを食べ終え、12時15分に再スタート。加佐登神社の北西にある白鳥塚古墳を見に行きます。ここは日本武尊の墓Img_2831c といわれ、その霊が白鳥となって飛び去ったという伝説が残されています。7基から成る白鳥塚古墳群の主墳で、三重県下最大の帆立貝式古墳です。本居宣長や平田篤胤ら江戸時代後期の国学者の多くが、白鳥塚を古事記にあるヤマトタケルの能褒野(のぼの)陵墓として最有力視していました。明治9(1876)年、教部省は白鳥塚をヤマトタケル陵墓と治定したのですが、明治12(1879)年に宮内省はそれを覆し、丁子塚(現亀山市)を治定しました。以後、丁子塚がヤマトタケル陵墓(能褒野王塚古墳)とされています。

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 加佐登神社の北西にある鈴鹿フラワーパーク。今日は、ここで鈴鹿市植木まつりが開かれています(~4/21)。ここは、季節Img_2876c 折々の花が色鮮やかに咲き、噴水や花の丘、桜の広場、野点広場などの施設があります。また、大型複合遊具などもあり、お子さんを連れた家族で賑わっています。植木まつりではありますが、庭もないのに植木を買って持って帰るわけにもいきませんので、通過(微笑)。

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 鈴鹿フラワーパークのほぼ隣には荒神山観音寺があります。ここは、近鉄ハイキングできています(2018年12月2日:Img_2887c 20181202「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(予告編)……最初の勤務地あたりを訪ねて、センチメンタルジャーニー、2018年12月7日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その3)……加佐登の町を経て、荒神山観音寺へ)。スタートから9.2㎞、12時45分の到着。 真言宗御室仁和寺派のお寺。9世紀の初期、嵯峨天皇の時代、弘仁3(812)年に、弘法大師が日本武尊を御神霊を仏像としてまつり、神事山(こうじやま)と称したのが始まりです。その後、寛治元(1087)年に大和の国の法陵律師という聖僧が、神事山の観音大士のお告げによってこの地を訪ね、檜の大樹の下に十一面観世音菩薩がいらっしゃる姿を見い出して、御堂を建立安置したといいます。創建時は、紅葉山高宮寺と呼ばれ、加佐登神社周辺にあったとされる慈悲山寺(廃寺)の末寺でした。これで本日の立ち寄り先は、コンプリート。

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 加佐登の町を抜けて、13時20分にJR関西線・加佐登駅に無事ゴール。明治25(1892年)2月6日に関西鉄道の河原田 - 亀山Img_2942c 間に高宮駅(たかみやえき)として開業。明治36(1903)年加佐登駅に改称。はじめに書きましたように、ここまでに11.5㎞を歩き通しました。平成24(2012)年10月1日に無人駅になっています。が、今日は大賑わい。売店も出ており、桑名からも安永餅、美鹿山荘も出店していました。

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 今日は、TOICAエリア拡大記念のさわやかウォーキング。ICカード利用者のうち、先着1,000名に「フリクショImg_2954c ンペン」をいただけるということで、ありがたく頂戴して来ました。 また、鈴鹿市からの記念品として、右の写真にあるようなキャラクターの入ったクリアファイルをいただきました。うえきぴーあーるキャラクターの「たまさぶろう」です。

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 加佐登駅では、古いスタンプ。それもそのはず、これは、昭和57(1982)年にJR関西線が完全電化したときのもの(私が鈴鹿で就職したのは、昭和54(1979)年4月。その頃は、非電化で名古屋から1時間半くらいかかっていました。とんでもないところに来たと思ったものでした)。今日のImg_2959c 河曲駅も、加佐登駅も新たにICカードが使えるようになりました。加佐登駅でも、右の写真のように、ICカード用の、入場、出場をチェックする機械が設置されていました。

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 JRさわやかウォーキングの参加は、去年11月以来、今日でようやく5個目。今後とも、精進を重ねないといけImg_2980c ません。加佐登駅を13時34分の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅停車なのですが、それ以降は快速になり、桑名に止まったらは名古屋。便利です。¥500。右は、本日のALKOOのデータ。ウォーキングの11.5㎞に桑名駅往復が1.8㎞。合計では、13.3㎞でした。

 取り敢えず予告編は、以上の通りです。リンクなどが貼ってないところもありますが、後で追記します。

2019年4月19日 (金)

長島やすらぎの水辺パークでボタンを見に行ったものの早すぎて苦笑……なばなの里、治水神社で御衣黃、サギの営巣も

Img_2065c  午後からは風が出てきましたが、午前中は風もなく、雲が広がったものの22℃ほどとなりました。今日は(も?)プチ遠征。4月16日の中日新聞朝刊・北勢版に「長島やすらぎの水辺パーク」でボタンが咲いてきたというニュースがありましたので、それを見がてら、なばなの里の御衣黃を探し、治水神社でアオサギの営巣状況と、先日の桜が御衣黃かどうか確かめに行ってきたという次第。8時半出発、11時半過ぎに帰宅。長島やすらぎの水辺パークの牡丹園には17種類240株の色とりどりのボタンがありますし、そばには長島川が流れ、遊歩道が整備されていますから散策も楽しめるのです。

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 新聞によると、ボタンは20日頃には見頃を迎えるということでした。一部では左の写真のように見事な花を咲かせていたものImg_2085c の、残念ながら、全体としては、まだまだでした。右の写真のように、ちょっと早すぎたという感じ。しかしまぁ、自然のことですから、やむを得ません。

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 駐車場から水辺パークへ行く途中、長島川沿いではモズのオスが、けたたましく鳴いていました。何があったのかよく分かりませんが、左の写真のように、鋭い表情でした。

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 次いでなばなの里へ。ブロ友のひらいさん情報で(2019.04.13~14 お散歩週報(オマケはN里))、C駐車場(観光バスなどの駐車場)の西側エリアに御衣黃があるということでImg_2094c したので、確かめに行ってきました。ありました。情報通り、C駐車場の西側(なばなの里に沿った側)に数本。これで、我が家近くでは、藤が丘デザイン公園、治水神社に次いで3ヶ所を確認できました(治水神社については、後述)。

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 この写真は、北向きに撮ったもの。奥に見えているのが、B駐車場で、花市場の南にある駐車場。ここまで、我が家からクルマで10分あまり(伊勢大橋が渋滞していなければ、ですが)。藤が丘デザイン公園へも10分ほどですから、近場で2ヶ所あるというのはありがたいこと。このあと、治水神社へ。

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 治水神社。ここへは、この月曜に来たばかり(4月15日:三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアーは成功したか?……木曽三川公園や、アオサギの様子なども【船頭平河川公園の御衣黃について付記しました(4/15)】)。社務所の前にある桜、御衣黃だと思Img_2189c ったのですが、「ウコンかもしれない」というコメントをいただいたので、確かめるのと、月曜日は強風でアオサギの営巣状況がよく確認できなかったからです。

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 神社の方に確認したところでは、「御衣黃です」ということでしたので、ちょっと安心。ここまではクルマで15分ほど。伊勢Img_6493c 大橋から中堤(なかてい)に入って、国営木曽三川公園の木曽三川センターのすぐ南にあります。あとで写真を載せますが、全区間が長良川と揖斐川にはさまれた堤防上の道路です。御衣黃と確認できましたので、安心して本殿裏の鎮守の森にあるアオサギの巣を見に行きます。

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 まずこちらは、拝殿の正面から、その背後にある松の木を見たところ。賑わっています(笑)。4つの巣があるのが見て取れまImg_2166c す。先日は、強風で巣に就いているアオサギは少なかったのです(巣に就いているのは、おそらくすでに卵があるところだろうと推測しています)。巣をつくるのに適した場所があるのでしょうが、賑わっているのはたぶんそういうところ。

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 見ていますと、アオサギたちは、けっこう頻繁に巣を出入りし、オスたちは巣材にする枝を運んで帰ってきます。毎度目にすImg_6629c る光景ですが、自分たちよりも長い枝を運んでくることが多くなっています。今のところ、長い枝の方が、メスが喜ぶのかと思っていますが、それは全くの当てずっぽう(苦笑)。オスが巣材を集め、メスが巣をつくると言われます。

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 ご覧のように、巣材を巣に運んできたオスがいるかと思うと、そのすぐ上を巣材探しに出かけると思われる、別のオスが通過Img_2176c して行ったりします。眺めていると、退屈しません。また、右の写真のように、ペアで協力して巣をつくっている様子も見られます。

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 ひらいさんの情報にもありましたが(2019.04.06~07 お散歩週報(オマケはN里))、今年はダイサギもここで複数組が営Img_6618c 巣しています。去年、一昨年は見られなかった光景です。ダイサギも、忙しく飛び回っています。眼先が緑がかっているのは、婚姻色。ちなみに、アオサギも、ダイサギもまだヒナがいるようには見えませんでした。

 

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 治水神社から南には、千本松締切堤があります。千本松原といったりもします。宝暦治水関係の史跡で、治水工事の完成を記Img_6695c 念して、薩摩藩士が油島締切提の上に千本の「日向松」の苗を植えたものと伝わっています。それが成長し、現在では樹齢200年を越える立派な松林となっています。写真に向かって右手が治水神社。左は南の方角。南新って、木曽三川公園や治水神社の方を振り返ると、右のような景色。この道路が、初めの方で触れた「中堤」です。

Img_2249c  上右の写真を撮ったところの左には、宝暦治水関係の記念碑が3つあります。帰りにまだ時間がありましたので、立ち寄って来ました。治水神社から南へほぼ1㎞のところ。まずは、「近代治水百年記念碑」。明治の三川分流工事着工(明治20(1887)年)から100周年を記念して、先人の遺業と治水の重要性を広く訴えるために建てらたものです。横2m・縦1m・高さ50cmの台座には、治水の恩人平田靱負とヨハネス・デ・レーケのレリーフがはめ込まれていました。

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 近代治水百年記念碑の少し北には、「宝暦治水之碑(正碑)」。薩摩藩による宝暦の御手伝普請(宝暦治水)の功績を後世に伝えるため、明治33(1900)年、成戸の締切堤上で行われた三川分流成功式典のあと、場所を移してこの碑の除幕式が行われたもの。建立に奔走したのは、桑名・多度の西田喜兵衛をはじめとする地元の篤志家でした。碑表の題字は、時の内閣総理大臣・山県有朋です。山県は、ここに来て、碑の文面を読み上げたといいます。碑の囲いには、丸に十の字の薩摩・島津家の家紋がありました。

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 さらにその北にも石碑があります。こちらは、「宝暦治水之碑(副碑)」。正碑建立に当たって、山県有朋はじめ、西田喜兵衛までの拠金者、建碑に尽力した人の名前が刻まれています。このあたりのことについては、ここや、こちらもご覧ください。

Img_2298c  これらの記念碑を見に行ったとき、植え込みの剪定や掃除の作業をしている方たちがいらっしゃいました。「何の写真を撮りImg_2314c に来たの?」と聞かれ、「野鳥です」と答えたら、「カワウの写真を撮って、どうするの?」とさらに聞かれました(爆)。そうなのです、最近、ここ千本松原の松並木には、カワウがたくさん営巣しているのです。松並木の写真をよく見ていただくと、白くなっているところがありますが、これはカワウたちの糞のため。「野鳥の写真」というと、カワウを連想するかも知れません。この方には、「治水神社で繁殖しているアオサギの写真です」と言葉を尽くして説明しておきました。

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 今日のような陽気でしたら、クルマで走るときには、オープンにしたくなります。雲が多かったので、今ひとつではありましたが、コペンをオープンにして走ってきました。まさに爽快そのもの。中堤を走っているときも、鳥たちの鳴き声がよく聞こえましたし、エンジン音も堪りません(微笑)。これから5月にかけては、オープンカー日和です。

 さて、明日は、JRさわやかウォーキングに行きたいと思っています。5月3日に相談会を予定していますから、その準備もあるのですが、明日は「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」(リンクは当日まで)で石薬師宿に行くのです。鈴鹿にいた頃、石薬師あたりもクルマで走ってはいたものの、ほとんど通過地点できちんと訪ねたことがないのです。JR関西線も、四日市駅以南でもトイカが使えるようになった記念ウォーキング。これは行かない手はありません。

2019年4月18日 (木)

冬鳥はいよいよ少なくなりました……博物館のツバメは巣の手直し中

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 昨日とはまったく違ってよい天気。気温も20度を超え、散歩をしてきたら汗を掻いたくらい。空も青くて気持ちが良いのですImg_1989c が、冬鳥たちはさらに減って、ほとんど見かけなくなりました。8時20分から、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、田町、寺町と6.4㎞を回って来ました。冒頭の写真は七里の渡し跡、右の写真は、柿安コミュニティパークの東の堤防から見た揖斐川の上流。多少は、パターンを変えないといけません。

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 まずはこちら。飛び方や姿形からは、どう見てもコウモリ。九華公園の朝日丸跡あたりをヒラヒラと飛んでいました。真っ昼間から、明るいお日様の元で、です。どうかしたのでしょうか? 我が家のあたりでも、夕方、日が落ちた頃飛んでいるのを見ることがありますが、昼間見たのはほとんどありません。

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 他に九華公園で見た鳥は、ツグミ1羽。今日は、九華公園に来るまではいませんでした。二の丸跡にて。シメは、公園内を2週目Img_2017c_1 に、朝日丸跡で何か飛んだと思ってシャッターを切ったら写っていました。このほか、コゲラやシジュウカラ、ムクドリ、ドバト、スズメ、カワラヒワを見ていますが、冬鳥はこの2羽だけ。貝塚公園でも、ツグミを2羽見ていますが、シロハラは今日は確認できませんでした。

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 九華公園のカモは、29羽。いずれもキンクロハジロ。相変わらず、堀の東側のエリアでゆったりしています。いつもの例ですと、もう半月もしないうちにいなくなるはず。それにしても、皆、挨拶もなしに帰って行ってしまいますから、ちょっと残念。

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 九華公園というか、鎮国守国神社の境内では、ナンジャモンジャが花盛りでした。今年は気づくのがちょっと遅れたかも知れImg_2021c ません。本名は、ヒトツバタゴ。2~3年前、このナンジャモンジャの手前にあった木を伐採して、日当たりがよくなってからよく咲くようになりました。つつじは、公園外周遊歩道の南側のエリアでよく咲いています。

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 ツバメの巣も巡回してきました。こちら、桑名市博物館の玄関の上にもあります。今日、よく見たら、巣の手直し作業をしていImg_6423c_1 るようでした。ツバメも出入りしているのが見えましたが、このすぐ近くには、水田などはありません。どこまで行って泥などを調達してくるのでしょう? 鳥の子育ても大変です。このほか、6ヶ所の巣には、見に行った時点では、親ツバメは巣にはいませんでした。

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 ハナミズキも気づかない間にあちこちでほぼ満開になっています。ハナミズキは、地元・桑名市の花。4月後半ですから、もう寒くなることはないでしょう。散歩も、これからは汗ばむ季節。ツバメ以外、散歩コースで営巣している様子が見られません。木の高いところなどで、気づかないまま子育てをしているのかも知れません。遠征して、アオサギなどのサギ山も見たいともいますが、身近で何とかヒナの姿も見てみたいところです。

2019年4月17日 (水)

江戸橋に行くときは雨というジンクスの行方やいかに(笑)?

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 いよいよ江戸橋方面のお仕事、今年度初出勤でした。去年は、雨が多いというジンクスに見舞われてしまっていましたが(2018年6月20日:授業点描と通勤電車の楽しみ……オマケはジンクスの検証(笑))、さて今年はいかに(笑)? 左は実は、帰宅の時に近鉄・江戸橋駅で撮ったもの。このとき、12時過ぎ、霧雨。帰りに桑名駅を降りたら、小降り。帰宅後は、けっこうしっかり降ってきました。非常勤先でお世話になっている助手の先生からも、「先生、今年は雨、大丈夫でしょうかね?」とお気遣いをいただいてしまいましたが、初日は、微妙なところ。

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 さて、授業は2時間目、10時半から12時。初回の出席者は50名ほど。皆熱心に聞いてくれましたので、スタートはたぶん上々。Dscn0903c 「たぶん」というのは、私の独断と偏見だけでは判断できないからです。出席票をざっと眺めたところでは、不評や批判はありませんでしたが……。4月中は来週もう1回あって、その次は、例の10連休を挟み、5月8日。7月末まで合計15回です。構内の桜は、ほぼ終盤。

Dscn0913c  今日は、帰りに見て来たいところがありました。それはこちら、江戸橋です。昨年度はまだ架け替え工事中でしたが、無事に完Dscn0918c 成したか見たいと思っていたのです。津市の志登茂川にかかる、現在は、津市道江戸橋上浜町線の橋ですし、このあたりの地名でもあります。伊勢街道の一部で、江戸時代にはすでに橋がかかっていたとされており、津藩主・藤堂氏の参勤交代時に橋の傍まで見送りに来たことが橋の名の由来とされます。橋にはそれにちなんだ飾りも付けられていました。こういう計らい、なかなかのもの。

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 橋は完成していましたが、通行できるのはまだ人と自転車に限られていました。車道は通行止め。橋のたもとから川沿いの道へDscn0922c もまだ出られませんでした。歩道と自転車通路は、かなり幅広く取られています。これは、江戸橋駅からここを渡って、三重大学に通う学生や、教職員の方が多いからではないかと思います。

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 橋から志登茂川の上流を覗いたら、カモメが1羽。ちょっと遠かったので、何かまではハッキリしませんでした。帰宅して、昼食後は、出席者名簿や、出欠の整理。これから、質問、コメントなどを読んで、補足説明をつくらねばなりません。

2019年4月16日 (火)

話半分ではなく、話が半分(微笑)

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 昨日と打って変わって,風も弱く、気温も上がってぽかぽか陽気という感じ。8時半から散歩に出たものの、いつもなら20分ほどで着く、九華公園まで1時間半あまりもかかりました(微笑)。知人お二人に出会って、あれこれ話をしていたのです。その後九華公園を一回り、京町から寺町に。寺町を出るところでまた別の知り合いに出会って,半時間ほど四方山話。11時半過ぎに帰宅したのですが、今日の散歩は、「話が半分」という次第。5.1㎞。ソメイヨシノは、ほぼ終わり。

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 住吉神社前から見える、揖斐長良川の中洲。今日はずいぶん久しぶりにダイサギの姿がありました。このほかにもアオサギ1羽、Img_6303c ダイサギ1羽が下流側にいました。もう繁殖期を終えたサギたちなのか、その辺りは不明。三の丸公園には、ツグミが1羽。さらに、三の丸水門のすぐ下流にはヒバリのペア。近づいても逃げません。右は、冠羽が立っているので、オスかと思います。

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 九華公園の回りなど、あちこちに「灯街道・桑名宿」の幟旗が出て来ました。今年は、5月1日〜3日の開催。 点灯時間は、18時〜21時。今年は、灯街道ウォーキングなどのイベントもあるそうです。

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 九華公園についたのは、10時10分とかなり遅め。この時間からでは、鳥たちもあまり活動はしていません。シメImg_6330c の鳴き声を聞いたのと、ツグミ、シジュウカラ、カワラヒワを見たくらい。カモは、この時期にしては珍しく41羽もいました。花見も終わり、散歩する人も少ないので、のんびりしています。

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 カモの中に、もうすでに帰っていったと思っていたのですが、ヒドリガモのペアが1組混じっていました。マッタリ中(微笑)。来ないと思っていたので、ちょっと嬉しくなります。

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 九華公園、ソメイヨシノは「散り果て」ですが、すでに藤の花が咲いてきていました。本丸跡の西側に藤棚がImg_6347c 1つありますが、それがもう咲いているのです。以前に比べると、咲き始めが早くなったような気もします。

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 そして、つつじも日当たりのよいところでは、ご覧のように、いくつも花が咲いています。公園内には、約550本のつつじ(ヒラドツツジ、オオムラサキツツジ)があるといわれ、5月1日からつつじまつりがありますが、それに先だって、かなり咲きそうです。私自身は、桜も良いと思うのですが、九華公園のつつじもそれに負けず劣らず、見事と思っています。

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 住吉入江にいた、翼を痛めたヒドリガモのオス、このところまた登場しています。やはり帰れないのかと気になります。

 ところで明日からは、江戸橋方面の非常勤の講義が始まります。幸い、明日は天気は良さそう(去年は、雨に降られる日が多かったのです)。

2019年4月15日 (月)

三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアーは成功したか?……木曽三川公園や、アオサギの様子なども【船頭平河川公園の御衣黃について付記しました(4/15)】

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 天気はよくなったのですが、すごい風。5~9m/sほどの風が吹いています。ソメイヨシノもほぼ終わりましたので、そろそろ御衣黃も咲き始めただろうと思い、今日は、「三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアー」を挙行してきました(微笑)。残念ながら、愛知県では御衣黃は確認できませんでしたが、岐阜では思いがけないところで発見。詳細は後ほど。

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 まずは、市内の藤が丘デザイン公園へ。お子さん連れで遊びに行ったり、夜景を観賞したりするスポットでもあります。ここにImg_6036c は御衣黃が2ヶ所に計6本あります。御衣黃は以前から知っていたのですが、2年前にここにあるのを知って以来(2017年4月18日 :御衣黄を見に行く……コアジサシ営巣地と、長良川河口堰もチェック)、見に来ているのです。

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 過去2年は、ここにある御衣黃の花は、割りと咲きそろっていたと思うのですが、今年は木によって様子が異なっていました。寒暖が定まらなかったためかも知れません。藤が丘デザイン公園にいた時間帯は、雲がけっこうかかってしまい、また、風も強くて今ひとつという感じでした。駐車場が狭くて、すぐに満車になるのが、ここの難点。今週中にもう一度くらい見たいものです。

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 続いて、こちらへ。治水神社。岐阜県海津市海津町油島にあります。宝暦治水に携わった薩摩藩の平田靱負を治水の神としImg_1773c て、昭和13(1938)年5月25日に創建されました。今日改めて境内を回って、鳥居の手前にある社号を示した石碑の揮毫者が、あの東郷平八郎元帥でした。ここへ来たのは、御衣黃を求めてではなく、拝殿の背後にある鎮守の森で営巣するアオサギを見たいと思ってでした。

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 しかし、お参りをして境内を回っていたら、社務所の前に御衣黃と八重桜が咲いているのを見つけたのです。儲けものImg_6106c という感じ(微笑)。自分が知らないだけで、本当に思わぬところにあるものです。治水神社あたりも強風でしたが、御衣黃が咲いているところは、鎮守の森や、社務所で風が遮られていて、ゆっくり鑑賞できました。

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 こちらは同じところにあった八重桜。八重桜もシーズンを迎えたようで、藤が丘デザイン公園にも、このあと立ち寄った船頭平公園でも咲いていました。

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 アオサギの話しに行く前に、治水神社のあるあたりは、「史跡油島千本松締切堤」になっています。海津市海Img_1793c 津町油島にある堤防跡。木曽川・長良川・揖斐川の三川分流工事にともなって、分流堤に約1,000本の松が植えられた堤防です。宝暦3(1753)年、幕府が薩摩藩に治水工事を命じ、同藩は翌年春から1年間かけて河川合流部に締切堤を築造しました(宝暦治水)。この工事は困難をきわめて多数の犠牲者を出し、多額の工費を費やしたため、完工後に総奉行の平田靱負(ゆきえ)は自刃したといわれます(病死説もあります)。当時、平田靱負の指揮で九州から取り寄せて堤防上に植えられた多くの日向松(ひゅうがまつ)が帯状であったため、千本松原と称されました。左の写真は、上流方向を向いて(木曽三川公園の方角)、右の写真は下流方向(桑名方向)を撮っています。

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 治水神社に来た主目的は、アオサギの巣や、繁殖を見るためですが、折からの強風で、パッと見たところ、樹上にはその姿がImg_6146c ありませんでした。ズームレンズを望遠鏡代わりに見ると、何カ所かの巣にはアオサギがへばりついているように見えました。左の写真は、南側から神社の拝殿の背後の松の木を撮ったもの。中央と、下の方にアオサギらしき姿が見えています。境内を回ると、西側の長良川の中洲に避難しているアオサギが数羽。強風で巣にいられないのでしょう。巣にいるのは、卵があるところかと思うのですが、そこまでの確認は到底無理。

Img_1849c 神社の北にある木曽三川公園に回ってみてみたのが、これら2枚の写真。左の写真には巣が3つ写っていますImg_1852c が、左のものと、右下のものには親がいるようです。左のものにズームして見ると、右の写真。確かに、1羽のアオサギが巣に伏せるようにしているのが分かります。10数mくらいの高さなのでしょうが、この強風では大変です。

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 この強風の中、それでもめげずに巣材を咥えて運ぶ姿も見られました。野鳥たちの繁殖行動は、まさに本能的なものですから、「今日は、風が強いから作業中止」という、柔軟な対応は取れないのでしょう。左の写真のアオサギさん、自分の背丈より長い枝を咥えています。オスが巣材を運び、メスが巣をつくるのですが、大きい方がメスが喜ぶのでしょうか(笑)。オスも大変。ブロ友のひらいさん情報では、ダイサギもいたというのですが(2019.04.06~07 お散歩週報(オマケはN里))、今日は確認できず。

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 帰ろうかと思ったら、巣に帰ってくるアオサギも何羽か見られました。強風に煽られ、大変そうですし、着地というか、着木というか、バランスを崩しそうになっていました。

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 ついでに国営木曽三川公園木曽三川センターへもちょっとだけ立ち寄って来ました。チューリップ祭は、昨日で終わりましImg_1847c たが、まだそのままでした。エントランスあたりしか見てきませんでしたが、それなりに楽しめました。右は、ローアングルからチューリップ、水と緑の館・展望タワー(高さ65m)、青空を入れてみました。自分では気に入っています(苦笑)。

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 続いて、船頭平河川公園へ。ここは愛知県愛西市立田町。半日足らずで、三重・岐阜・愛知の三県を制覇(微笑)。写真は、木曽川文庫の建物。ここは、木曽三川に関する各分野の図書・研究論文等の収集保存を図り、先人の偉業を顕彰し、併せて今日的な治水のあり方を学ぶ場として建てられました。船頭平閘門の管理所も兼ねています。ここにも御衣黃があるはずなのですが、去年は、ハッキリ確認できませんでした(2018年4月10日:デザイン公園と船頭平閘門で御衣黄、治水神社でアオサギ)。

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 この木だったか、この木に向かって右にあったかと思うのですが……。写真のこの木、花は白く、八重咲きではありません。御Img_6206c 衣黃ではないと考えられます。他にもそれらしい桜は見当たりませんから、なくなってしまった可能性が大。したがって、愛知県では御衣黃は見つけられず、という結果。ハナモモを撮って、船頭平閘門も見てきました。

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 まだ時間がありましたから、桑名市長島町内へ。やはりひらいさん情報で、なばなの里にも御衣黃があるということで、道沿Img_6242c いや、駐車場近くを通過しながら確認したのですが、見つけられず。そのまま、某臨時駐車場へ。コチドリや、ケリ、コアジサシが過去に繁殖しているところ。今日いたのは、ヒバリのペア。1組か2組か判断しがたいところ。左のヒバリは冠羽を建てていますから、オスの可能性が高いと思います。右はともに行動していましたヶ、こちらがメスかなという気がします。

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 コチドリもいました。こちらも、移動しましたので、判断が難しいのですが、1組か、2組。左右の写真のコチドリは、近くにImg_6269c いましたから、ペアだろうと思います。右の写真のコチドリ、地面に嘴を突っ込んで餌となる虫を捕まえたところ。

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 虫を捕まえる前は、これらの写真のような行動をしていました。写真を撮っていたら、睨まれたような気もしImg_6266c ます(苦笑)。これら駐車場での写真は、すべてクルマの中からとっています。そうでないと、すぐに逃げられます。

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 駐車場には、ツグミも1羽。コチドリの近くにいたのですが、両者があまり接近すると、ツグミが嫌がって追い払っていました。

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 最後に(そんなにあちこち行ったのか、といわれるかも知れませんが、帰宅途中です)、長良川河口堰へ。こImg_6290c こはとんでもない強風。それ故、東端で魚道とカモの様子だけ確認。帽子が飛ばされるどころか、身体ごと吹き飛ばされそうでした(苦笑)。パッと見たところ、キンクロハジロばかり200羽以上。数えられるような状況ではありませんので、全くの印象。

Img_6286c 東側の魚道脇にいつも掲げられている吹き流しは、アユのぼりになっていました。アユが遡上する期間は、吹き流しではなく、このアユのぼりになっています。今年の初遡上は、3月2日で、これまでに6,919尾が遡上しているそうです(リンク先をご覧ください)。

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 ということで、三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアーは、岐阜で広いもの、あいちではちょっと残念な結果という結末でした。今週からは、江戸橋方面の非常勤の講義が始まります。去年よりも1週間遅くなりました。7月末まで毎週水曜の午前中、講義に出かけます。今年も大過なく終えたいと思っています。写真は、治水神社の八重桜。

【付記(4/15 20:30)】

E297eea2  こちらは、一昨年(2017年)4月18日に見てきた、木曽川文庫の御衣黃の写真です(2017年4月18日:御衣黄を見に行く……コアジサシ営巣地と、長良川河口堰もチェック)。木曽川文庫の建物の南にありました。今日の写真では、「この木だったか、この木に向かって右にあったかと思うのですが……」のところに載せた写真の辺りを南側(写真でいうと、左手)から撮ったものですが、やはり御衣黃はなくなったと考えるのが妥当と思われます。

 ひらいさんからいただいたコメントで、なばなの里の御衣黃の場所をきちんと把握しました。近いうちに行きたいと思います。ご関心がおありの向きには、コメントをご覧ください。

20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(その3)……伊奈富神社の続き、鈴鹿サーキットを通過して、いよいよさくらまつり会場を経て、平田町駅へゴール(完)

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 間が空いてしまいましたが、忘れているわけではありません。4月7日の近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」のその3です。伊奈富Img_0386c_2 神社にはいろいろなものがありましたので、まだ伊奈富神社をウロウロしています。伊奈富神社は、神代、東ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に神霊が出現し、今よりおよそ2,100年前の崇神天皇5年、勅使が来て「占木」の地にて占いが行われ、神路ヶ岡に大宮・西宮・三大神の三社が祀られたことに始まると伝わっている歴史のある神社。主祭神は、五穀や、食物の神である、保食神(ウケモチノカミ)大国道命。

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 前回(その2)では、七島池や、境内社、拝殿などを見て回り、また、ムラサキツツジの写真を載せました。今回は、境内社や、Img_0501c 拝殿の裏(北側)を回ったときに見つけた招魂碑、石碑などから。右は、境内裏手、北東にあった「三大神旧跡」。前回も触れましたし、この記事の初めにも少し書きましたが、「神路ヶ岡に大宮・西宮・三大神の三社が祀られた」ところがここと思われます。そうすると、このあたりが「神路ヶ丘」ということになります。左の写真に掲げた案内図では、この南に山の神があったはずですが、それには気づきませんでした。後で調べたら、稲生民俗資料館の北に会ったようで、もう少し先に行けば見られたと思います。

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 境内の北西、もっとも奥まったところに立派な招魂碑がありました。書は、陸軍大将勲一等功二級子爵・桂太郎で、素人がいうImg_0559c のも何ですが、すばらしい文字です。その下には、戦没者のお名前が刻まれています。西南の役日清戦争日露戦争大東亜戦争の戦没者の132名の方の名前がありました。裏には、明治32(1899)年3月建之とあります。日清戦争(1894~95年)の後に建てられ、その後、日露戦争、太平洋先生の戦没者のお名前も載せたと思われます。神社の北西にある小高い丘にありますが、周囲の環境もよく、こういう表現がよいかどうか分かりませんが、よい感じの招魂碑でした。

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 この招魂碑に向かって左手前には、「亡き戦友に 一目見せたや 稲生山の 桜とつつじと 藤の花 坂鍈一」という歌碑がありました。平成10(1998)年4月に、坂鍈一さん(88歳)が「戦友に捧ぐ」ために寄進されたもの。

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 以下は、見てきた順にしたがって載せていきます。「大井富蔵翁頌徳碑」は、神社拝殿の裏、招魂碑に向かう道の右にあります。陸軍大将・菱刈隆(ひしかりたか)の書。大井富蔵は、明治元(1868)年稲生村に生まれ、タバコ製造販売業の後、大阪に出てアスベスト事業で成功。伊奈富神社に神灯を献上したり、豊御崎神社の修繕に寄附したり、軍人援助に多大な功績があったといいます。昭和16(1941)年に没。没後、その遺志によって稲生村に教育費として、当時のお金で1,500円を寄附しています。

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 続いて、「獅子祭碑」。拝殿の北、招魂碑の南約100mのところの通路の西側にあります。明治36(1903)年12月建立で、ずImg_0542c いぶん古びていて、傾いてしまっています。伊奈富神社の獅子舞は、約1,300年前、壬申の乱の後、天武天皇が戦勝報賽に獣神を埋納されたことを起源に、約800年前の平安時代、天長年間(824~834年)には弘法大師が参籠の折、獅子頭を奉製され、また、承安4(1174)年には高倉天皇が四頭の獅子頭を奉納され、この頃に始ったといいます。伊奈富神社には、鎌倉時代の弘安3年(1280)の銘が入る獅子頭(県下最古の獅子頭、県文化財)が残っています。碑には、獅子祭の由来が書かれています。書と篆額は、津の書家の市川塔南によるもので、碑文は神主・稲生一忠です。

Img_0546c  こちらも、拝殿の北、招魂碑の南の通路の東側にあります。大井力の歌碑。「生きあぐむ 折りには皆が 集はむよ 紫つつじの 花の下蔭」とあります。大井力は昭和11(1936)年、稲生の生まれ。碑は、平成23(2011)年4月に「とよのみさき短歌会」が建立しています。

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 「佐野昌邦歌碑」です。拝殿の西参道にあります。「さと人の ゆきかふかほも てるばかり 伊奈冨のやしろつつじ咲きけり」とありますが、こちらには、「『咲きたり』の誤記」と注釈がありました。佐野昌邦は、算所の神主だそうです(算所は、鈴鹿市算所町と思います。ゴールの平田町駅の南東)。この詩は、明治29(1896)年刊行の「伊勢名所和歌集」に出ているといいます。碑は、昭和63(1988)年4月に建立されたもの。

Img_0415c  もう一つこれも。「七島池の碑」。「日本最古の庭園」ともあります。碑陰には、「坂 鍈一」。招魂碑の手前にあった歌碑の詩を詠んだ方。これで一通り見て回ったと思ったのですが、こちらを調べてみたら、他にもたくさんありました。ちょっとガックリ(苦笑)。本殿近くには、「鈴木庄九郎歌碑(七島の 御池のほとりに 鎮座ます 五穀の神を 祀る村人)」。拝殿裏には、「吉崎金弥歌碑(錦谷が雅号)(紫のかさね羽衣 かけしごと みやまおほいて つつじ群れ咲く)」。もと山の神の近くには、「真宮禾堂句碑(神の秘むる いろ紫に つつじ山)」。菩薩堂の東には、「大井好定句碑(つつじ山 みおやのめぐみ しのび歩す)」。参道木型の門近くには、「鈴木信重翁漢詩碑(七島池を拝すという表題)」などなど。見逃した方が多いくらいです。さらに、稲生民俗資料館脇には、鈴鹿市制50周年記念碑もあったのですが、「つつじと文化財のさと稲生」とあっただけ。「何じゃこれ?」と思って写真だけ撮ったのですが、いつの間にかそれも削除してしまっていました(苦笑)。碑表を見てこなかったのですから、失態(笑)。まだまだ修行、経験とも足りません。

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 伊奈富神社に着いたのが、10時55分頃。50分近く資料館、境内を歩き回っていましたので、お腹も空いて、持参したおにぎりを七島池のほとりで1個。つつじまつりで唐揚げその他の露店も出ていたのですが、あまり食べると、まだ先の方が長いのでと我慢。伊奈富神社で約4㎞でしたが、それは後で調べて分かったこと。コースマップを見ると、まだ半分も来ていなかったのです。Img_0600c

 伊奈富神社を出たのが11時50分頃。出たところで、交通整理をしていた氏子の方から、「どこから来た? 今日はどこを歩いImg_0602c て、どこへ行くの?」と声をかけられました。ついでに道を伺って確かめたのですが、この先で迷いました。直進して、T字路に突き当たったら右折して、伊勢鉄道・鈴鹿サーキット稲生駅の方へ向かうのですが、それまでに交差点があって困りました。他にも男性がお一人ウロウロしておられました。私は、やむなく(やむなくというのは、WiFiのないところでスマホでルート検索したら、データ通信量が膨大になって、料金が上がるかと心配したのです)、スマホを取り出してGoogleマップで検索。たんぼ道を進み、何とか指定されたコースを見つけました。途中、遠くに鈴鹿サーキットが見えます(左の写真)。右の写真は、これで間違いないだろうと思う道に出たところ。

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 伊勢鉄道の高架を3回くぐるという指定通りの道を通って、少々時間をロスした挙げ句、伊勢鉄道・鈴鹿サーキット稲生駅に出らImg_0625c れました。昔は、単に稲生駅だったのですが、F1などで来客が多いので、これに改称されました。ここから「サーキット道路」へ。国道23号線から鈴鹿サーキットへ通じる道を、昔からこう呼んでいます。稲生あたりからは、上り坂が続きます。ハイキング中盤で少々キツい。中勢バイパスを越え、鈴鹿サーキットが見えてきます。

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 鈴鹿サーキットは、説明するまでもありませんが、「モビリティのテーマパーク」。国際レーシングコースを中心としたレジImg_0644c ャー施設。F1日本グランプリ鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの開催で知られます。レーシングコースの他に遊園地やホテルなどがあります。鈴鹿で働いている時は、病院に入院している子どもたちのバスドライブなどできたり、研修会を開催したりしました。レーシングコースを走るゴーカートに乗せるのに、体の不自由な子どもたちを抱いて階段を上り下りしたこともあります。今では考えられません(苦笑)。我が家の子どもたちも遊園地に連れて来て、写真の観覧車に乗りましたねぇ。今日はもちろん立ち寄る余裕はありません。鈴鹿サーキット前の交差点を右折し、北東へ。この交差点で、6.5㎞。ようやく半分を超えました。時刻は、12時半を少し過ぎた頃。このあと立ち寄る「鈴鹿さくらまつり」の会場で、コースマップを呈示するとソフトドリンク1本がもらえるのですが、それは、13時まで。ちょっと厳しくなりました。

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 サーキット前で右折すると、鈴鹿サーキットと鈴鹿青少年の森の間を進みます。鈴鹿青少年の森も、鈴鹿の病院で働いていたとき、患者さんたちのレクレーションで何度か来ました。ここは、明治100年を記念して建設され公園です。道伯池という大きな池を囲んだ51.3haもある公園です。と書いていたら、ヘンなエピソードを思い出しました。車いすで園内に入りたいと、管理事務所に依頼したところ「天皇陛下がいらしても歩いてもらう」という返事で、大げんかしたのです(苦笑)。これも若さ故。読み流してください(笑)。

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 地名でいうと、道伯というあたりを延々と、2.5㎞ほど道なりにまっすぐ歩きます。緩い下り坂なので、キツくはないのですImg_0686c が、立ち寄るところも、見るところもありません。桜並木も、道伯2丁目くらいで途切れてしまいました。道伯3丁目で、右の写真のようなビルを発見。「道伯町林医院」とありますが、今は移転しているようです。以前、テレビ東京系列で「空から日本を見てみよう」という番組がありましたが、こういうビルが時々出ていました。「トンガリ物件」といっていたような記憶がありますが、なかなかのとんがり具合。

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 鈴鹿サーキット前交差点から2.5㎞歩いて、算所町南交差点。ここで9㎞、13時頃。左折し、西へ向かいます。鈴鹿の繁華街でImg_0687c ある、平田町や、算所町の近く。地図にあるように、近鉄鈴鹿線・平田町駅の南あたりを歩いて行きます。鈴鹿にいた頃にも何度も来たところだと思うのですが、ハッキリとは覚えていません。今は住宅街になっていますが、田んぼなどが多かった気がします。算所町南交差点から700mほどの大池一丁目交差点を右折して、鈴鹿さくらまつりの会場へ。

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 13時15分、9.8㎞を歩いてようやく鈴鹿さくらまつりの会場に到達(到着ではなくて、到達という感じでした)。15分遅れでソImg_0703c_1 フトドリンクはゲットできません。会場に入ってビックリ。大賑わい。人、人、人……。平田町商店会が主催、4月6、7日の両日開催。ここは、旭化成鈴鹿製作所の構内。桜並木と、グラウンドにある桜が見事で、さくらまつりの時には一般公開されます。昔から、このさくらまつりは行われていて、私が鈴鹿にいた頃もあったのですが、実際に訪ねたのはこの日が初めて。

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 会場には、ステージがあり、着いた時にはコンサート中。飲食ブースや、「めちゃさわれる動物園」と題した移動動物園、子Img_0713c_1 ども縁日などもあって、すごい人。ここさくらまつりの会場で昼ご飯でもと思って、頑張って歩いてきたのに、飲食ブースはどこも大行列(爆)。これではいけません。

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 とにかく会場を一回りしたのですが、飲食ブースは長蛇の列。もっとも空いていたのは、ビールなどを売っている店(微笑)。今シーズン、この日までにまだ「一人花見」を敢行していないこともあって、閃きました(笑)。缶ビール1本、¥350なりをゲット。座るところもありませんでしたので、桜の木の下にしゃがみ込んで「乾杯!」。

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 長居をしていてもすることはありませんので、乾杯を終えたら、桜並木を通り抜けてゴールの平田町駅に向かいます。ここにImg_0735c は300本の桜があるといいますが、どれも見事。並木のところは、桜のトンネルのようになっています。この桜並木は、400本ほどあるそうです(こちら)。

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 「一人花見」は変則的ながら達成したものの、空腹は満たされないまま、ゴールの近鉄鈴鹿線・平田町駅に13時40分に到着。スタートからは3時間55分、11㎞ちょうど。次の伊勢若松行きは、14時5分ですので、どこかで昼ご飯を食べようと思ったものの、駅前には飲食店はほとんどありません。昔はもっとあったような気がしたのですが、今と同様、飲み屋さんばかりだったかも知れません。うどん屋があったものの、ハイキング参加者で満席。コンビニも見あたりません。やむなく、駅の自販機で売れ残っていたカレーパン1個(¥130)と大きめの缶コーヒー1本(¥140)を購入。昼食代わりにしました(苦笑)。昼ご飯に関しては、まったく当てが外れてしまいました。

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 平田町駅は、名古屋線・伊勢若松駅から分岐した鈴鹿線の終点。伊勢若松まで行って乗り換えになります。平田町駅を14時5Img_0224c_1 分に出る伊勢若松行きに乗車。伊勢若松駅には14時15分に到着。すぐ(14時17分)に名古屋行き急行があり、それに乗って桑名駅には14時40分に到着。¥560。ALKOOのデータでは歩いた距離は、1.2㎞となっていましたが、キョリ測では、11㎞ちょうど。自宅から桑名駅往復(朝は、投票のため、精義Img_0224c 小学校を経由)が2.1㎞でしたから、合計13.1㎞。歩数は、22,512歩。この日もよく歩きました。あみま倶楽部のスタンプは、14個目。4月7日の近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」は、これにて「完」。

2019年4月14日 (日)

午後から研究会へ……散歩は時間制限なるも、おしゃべりで終了(苦笑)

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 早くも4月も半ば。毎度毎度のことながら、月日の経つのは早いものです。このまま行くとすぐにでも、ヨボヨボの爺様になるのではないかと危惧しています(笑)。今日は、東海地区K-ABC研究会がありましたので、朝の散歩は「時間制限法」。「時間制限法」というのは、心理学の実験などでその昔習った方法。「定められた時間内にどれだけ多くの問題を正答できるか」を見る方法というのが、本来の用い方。8時10分くらいに出て、9時に帰ってこようと思った次第。1時間足らずですと、九華公園の北門まで行って戻ってくるくらいなのですが、散歩に出てすぐと、住吉神社に行くまでと、知人お二人に出会ってしゃべっていたため、七里の渡し跡往復で終了(苦笑)。

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 今日は、桑名で近鉄ハイキング・JRさわやかウォーキング共同企画「春の桑名散策とサンジルシ醸造」が開催されていました。Img_1705c 桑名駅・東口(JR側)をスタートして、六華苑、諸戸氏庭園、七里の渡し跡、九華公園、赤須賀神明社、はまぐりプラザ、サンジルシ醸造を経て、桑名駅・東口に戻るというコースのようでした(約9㎞)。何もなければ、こちらに参加したかったのですが、研究会の幹事会が12時からでしたので、ちょっと無理。半分くらいは、私のいつもの散歩コースと重なるものでした。七里の渡し跡近くの揖斐川堤防でツグミを見て、このときは、1.3㎞ほど。たくさんのハイキング・ウォーキング参加者を横目で見ながら、帰宅。

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 今日の東海地区K-ABC研究会は、名古屋・丸之内にて。日銀名古屋支店(左の写真)の向かいにあるビルの、貸し会議室にて開Dscn0897c 催。お陰様で定員36名という会議室に、その倍近い方が集まってくださいました。研究会は13時半から16時過ぎまで。私は、助言者という重要な役割が与えられましたが、それを十分に果たしてこられたでしょうか? こればかりは自己評価や、自己満足ではいけません。決められたテーマに沿って話をするのではなく、あらかじめある程度のコメントは用意していくものの、出て来た質問や、参加された皆様のご理解の状況などによって、アドリブというところもあり、また、発表者の方との、打ち合わせなしの「掛け合い漫才」のようなところもありで、楽しいものの、けっこう大変です(笑)。まぁ、ボケ防止には最適。

 

2019年4月13日 (土)

モズがまだいました……ドウダンツツジが咲き始め

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 土曜日で、近鉄ハイキングはあるものの、この1週間で2回出かけましたし、明日は研究会がありますから、今日のところは控えImg_1645c ておきました(微笑……明日の予定がなければ行ったかも、ということです)。買い物に出かけるということで、短縮散歩。8時半から、住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と4.9㎞。10時過ぎに帰宅。九華公園では桜はまだまだ鑑賞に耐えますが、花見客はほとんどありません。冒頭の写真は、柿安コミュニティパークにある本多忠勝公の像。右は、九華公園。

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 しばらく姿を見ていなかったのですが、住吉入江にヒドリガモのオスが戻って来ました。あの翼を痛めている個体です。長距離Img_1603c を飛ぶのは難しいのでしょうか?今日は、住吉ポンプ場の東の堤防の排水口にいました。世話をすることはできませんので、見守りたいと思っています。

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 揖斐川や、七里の渡し跡には鳥影はありません。三の丸公園には、ツグミ2羽とスズメ、ムクドリ。スズメたちはあちこちでよく見ます。三の丸水門の下流側堤防上で、ヒバリ。さえずっていましたのでオス。以前でしたら、こちらの姿が少しでも見えるとすぐに逃げていたのですが、今日は、割と平気でした。このあたりで営巣しているような気もするのですが、巣はまったく見つけられません。

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 九華公園のカモは、30羽。堀の東側のエリアでゆったりというか、マッタリというか。例年、花見&堀めぐりが終わると、こImg_6008c れくらいの数です。ゴールデンウィーク前まではいますが、あの「寝癖」がもうじき見られなくなると思うと、ちょっと淋しい。

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 奥平屋敷跡を歩いていたら、小型の野鳥がやって来ました。何とモズがまだいたのです。ちょっと遠く、また、このように木Img_5997c 陰に入ってしまいましたので、残念ながら証拠写真のレベル。証拠写真といえば、もう1枚。シメ。神戸櫓跡と辰巳櫓の間の松の木にいました。鳴き声がしていたのでかなり探しましたが、松の木のけっこう高いところにひっそりといました。

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 その他には、シロハラ。奥平屋敷跡にて。奥平屋敷では、シメの鳴き声もしていたのですが、見つけられませんでした。このほか、カワラヒワ、シジュウカラ、スズメ、ムクドリなど。花見が終わって公園が静かになると、鳥たちも出てくるかと期待したのですが、今のところそうではありません。前にも書きましたが、去年はシジュウカラが巣材を運んでいたり、巣に就いていると思われるエナガを見たりしましたが、今年はお目にかかれないでいます。

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 ツバメの巣も見てきましたが、親ツバメが巣にいたのは、京町の呉服屋さんのところだけ。ここには巣が3つあり、先日はツバメが4羽出入りしていました。ということで、急いだためではありませんが、今日の鳥果は上がらず(苦笑)。

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 その代わりにということではありませんが、九華公園・鎮国守国神社では、ドウダンツツジが咲いてきていまImg_6023c した。寺町商店街の河津桜では、右の写真のように、実がつき始めています。食べられないでしょうが、一応「サクランボ」といってよいかと思います。

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 花筏、今日の成果。と書きつつも、あまり上がっていません(苦笑)。左は、奥平屋敷跡の南側の堀にて。右の写真は、堀のImg_1660c 南東エリアにて。どちらも自分では、「どうもなぁ」という感じ。水鏡、今日は堀の水面にさざ波が立っていて、ダメでした。

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 オマケ。3月下旬に株分けをしたサギソウ。1鉢は、家内の母に進呈。残り2鉢のうち1鉢がこちら。新芽といってよいのでしょうか、伸びてきました。ここには球根を4つ入れましたが、4つとも伸びています。もう1鉢もほぼ同じ状況です。

 明日は、名古屋で研究会。地元で近鉄ハイキング・JRさわやかウォーキング共同企画があるのですが(春の桑名散策とサンジルシ醸造)、歩きに行くのは、ちょっと無理でしょうねぇ、残念。天気も下り坂のようですし……。

 昨日のぼやきの続き。今日もまたこのブログ記事を書いていたら、ココログはフリーズしてくれました。参りますねぇ。いっそのこと、「新・猫の欠伸研究室」へ全面移行も考えるのですが、ココログがリニューアルしてからデータのエクスポートができない仕様になっています。

2019年4月12日 (金)

20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(その2)……稲生民俗資料館と伊奈富神社(その1)

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 4月7日に行ってきた近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」のその2です。その1では、鼓ヶ浦駅をスタートして、白子観音、比佐豆知神社、加和良神社、福楽寺を訪ねました。今回は、稲生民俗資料館と伊奈富神社について。実測ルートマップもその2。その1で触れた福楽寺が、2.2㎞地点、時刻は10時35分頃でした。ここから稲生民俗資料館までは、1.5㎞ほど。稲生民俗資料館には、10時55分到着。

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 こちらが稲生民俗資料館。伊奈富神社の一の鳥居の東にあります。「稲生」という地名にちなんで、主に稲や農業に関係ある資Img_0389c 料が展示されています。「稲生」という地名は各地にあるようですが、ここはもとは、奄芸郡稲生村。明治22(1889)年4月、野町新田・野村新田と合併して稲生村としてスタート。明治29(1896)年には、河芸郡に所属変更。昭和17(1942)年、合併により鈴鹿市になっています。資料館には、水車や唐箕(とうみ)など、今では見られない農機具などが展示されていました。

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 稲生民俗資料館を一通り見て、となりの伊奈富神社へ。ここは、鈴鹿で働いていた、今を去ること30数年前から知っていて、一度は訪ねてみたかったところ。ムラサキツツジの名所です。別名「つつじ山」とも呼ばれる神社の境内には、約5,000株のムラサキツツジが群生していて、県の天然記念物に指定されています。ようやく念願が叶ったというと、大袈裟ですが、それくらいの気持ちです。

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 稲生民俗資料館から一の鳥居をくぐるのですが、これが何とチタン合金製の鳥居(予告編でステンレスと書きましたが、間違いImg_0406c でした(こちらにあります)。「世界中探しても、恐らくはこのお社以外では見つからないはず」とあります。そのチタン合金の鳥居の回りにはロープが張り巡らされ、「さるぼぼ」がぶら下がっています。交通整理をしていらした氏子の方に伺ったのですが、これ以上のことは不明。ネットで調べても出て来ません。

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 稲生神社、境内にはいろいろ興味深いものがあります。ムラサキツツジの名所であるほか、摂社・末社もたくさんありますし、招魂碑、頌徳碑・歌碑・句碑の他、七島池も興味深いもの。おおよそ見てきた順にしたがっていきますが、最初に御祭神と、由緒について。

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 伊奈富神社は、社伝によれば、神代、東ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に神霊が出現し、今よりおよそ2,100年前の崇神天皇5年、勅使が来て「占木」の地にて占いが行われ、神路ヶ岡に大宮・西宮・三大神の三社が祀られました。その後、仲哀天皇の御子品屋別命の子孫(磯部氏)が代々神主として仕え(現在も「社家」と呼ばれるその家系が残っているそうです)、雄略天皇5年には数種の幣物が奉納され、主祭神・保食神に「那江大国道命」の神号を賜っています。さらに、天平年間(729~749年)、行基上人が別当寺の神宮寺を建立。天長年間(824~834年、平安時代)には弘法大師が参籠の折、菩薩堂を建立して三社の本地仏を祀り、獅子頭を奉納、七島池を一夜にして造られたと伝えられています。貞観7(865)年4月、従四位下に進階し、延喜式内社に列せられました。当時の神領は、東は白子、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大なものであったといいます。鎌倉時代中頃には正一位に進階し、「正一位稲生大明神」として武門武将の信仰が篤かったそうです。明治に入ると、明治6(1873)年に郷社、同37(1904)年に県社に列せられています。

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 主祭神は、保食神(ウケモチノカミ)大国道命。五穀や、食物の神。相殿神は、豊宇賀能売命(トヨウケビメノカミ、豊受大神の異称)、稚産霊神(わくむすひのかみ、火の神・軻遇突智神(かぐつちのかみ)と土の神・埴山姫(はにやまひめ)の間に生まれた子。頭に蚕と桑が、臍(へそ)の中に五穀が生じたという)、鳴雷光神(なるいかづちひかりのかみ、雷神であり、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みに対する農耕民族であった古代日本人の信仰から生まれた神と考えられる)、大山祇命(オオヤマツミノカミ、山を司る神)。左の写真は、拝殿。

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 一の鳥居の脇の参道にあったのが、「大井僲之丞(せんのじょう?)碑」(ここと、こちらに説明があります)。昭和12(1937)年9月建立。大井仙吉の長男として、万延元(1860)年、亀山に生まれ、明治24(1891)年、村長になり、爾来20数年に渡り、稲生村発展のために尽力しました。大正9(1920)年に辞任後も村会議員として村政を導いたといいます。昭和10(1935)年10月逝去。書は、資源局長松井春生

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 参道南側には、七つの島を浮かべた全長72mの細長い神池、「七島池」があります。弘法大師が一夜にして掘られたとの伝説Img_0589c が残され、その様相は大八洲(日本の美称)をあらわしたものなど諸説が伝わっています。九州・宇佐神宮の神池と類似した直線多島式で、日本庭園の原型とも評されるほど素朴な様相の古代庭園といいます。神池には七不思議があり、そのひとつに池の水は眼病・いぼ・ほくろに効くとされ、治癒のお礼には鯉や亀を奉納する習わしがあります。しかし、近年、池の周囲や島に生える樹木が枯れて風で倒れたり、池水の水位が変化したり、池に生息するカメなどの生き物が池・島の岸辺の土を掘り崩したりすることによって、池島の形状が変化するなど、本来の庭園の姿が失われつつあるということで、平成27(2015)年度から、修復が行われています。

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 七島池の向かいに菩薩堂があります。なぜか鳥居があり、注連縄も飾ってあります。菩薩は、仏の位の次にあって、悟りを求

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め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者を意味します。文殊菩薩、弥勒菩薩などなど。しかし、リンク先の説明をもう少しよく読むと、「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により、日本の神につけた尊号」という意味があり、「八幡大菩薩」という用例が載っていました。お堂にも注連縄がありました。 中をしっかり見てくればよかった。ちょっと失敗と思って、さらに調べたところ、この菩薩堂は、弘法大師が当社に参籠の折、この菩薩堂を建立し、三社の本地仏を祀ったといいます(こちら)。米之宮は、正式名を稲生大籾神社というようです。

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 菩薩堂の脇(すぐ西)に句碑があります。「水谷碧山居句碑」です。表には、「禁礼を 見し時すでに つつじ手に」とあImg_0423c り、「碧」とその下に印。印には碧山居とありました。こちらによれば、碧山居は、神宮寺、真宮禾堂師の甥で、戦争中、四日市から稲生へ一家で疎開していました。陶芸も有名な人だそうです。この句は昭和25(1950)年の作。句碑の背後に咲くのはムラサキツツジ。

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 参道に戻ってさらに進むと、もう1つ鳥居と、その脇に道標。この奥には、豊御崎神社、天王社と宝物庫があります。道標にImg_0445c は、「招魂碑 是依二丁」とあります。招魂碑は境内の北東のもっとも奥にあり、あとで訪ねました。豊御崎神社、天王社への参道の量側にもムラサキツツジが植わっています。

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 左の写真が天王社。これについては、調べたものの不明。右は、豊御崎神社。神社の公式サイトには、菩薩堂も、これら2社にImg_0454c ついても何も載っていませんが、こちらに説明がありました。それによれば、明治41(1908)年に、境内社八幡宮(品陀和氣命)に境内や近隣の諸社を合祀したといいます。そのため、祀られている神々は、以下のように、きわめてたくさんいらっしゃいます:猿田毘古神土御祖神(土地を守る神)、彌都波能賣神(みつはのめのかみ、水の神)、石長比賣命(イワナガヒメノミコト、長寿をつかさどる)、金山毘古神(かなやまびこのかみ、鉱山の男神)、建御雷男神(タケミカヅチノカミ、鹿島神宮の祭神)、大日靈貴命(オオヒルメノムチノミコト、天照大神の異称)、須佐之男神(スサノオノカミ)、五男三女神(ごなんさんにょしん)、大山祇命(オオヤマツミノカミ、山を司る神)、大鷦鷯命(オオササキノミコト、仁徳天皇)、菅原道眞徳川頼宣(とくがわよりのぶ、紀州徳川家の祖)、天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ、高天原(たかまがはら)に最初に出現した神。造化の三神の一)、大日靈神(オオヒルメノムチノカミ、天照大神の異称)、伊邪那美神(イザナミノカミ)、天忍穗耳命(アマノオシホミミノミコト、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約をしたときに生まれた神)、天御蔭命(あまのみかげのみこと、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の異称、製鉄・鍛冶の神)、大年神(おおとしがみ、稲の実りを守護する神)、大山祇神宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ、五穀、食物をつかさどる神)、天神地祇(テンジンチギ、すべての神々)、菅原道眞八百萬神(すべての神)、天兒屋根命(アマノコヤネノミコト、日本神話で、天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、徳川頼信。同じ神が複数含まれているのは、同じ祭神を祀る周辺神社が合祀されたためと思われますが、それにしても、天神地祇や、八百万神、さらには紀州藩祖・徳川頼信公まで祀られているとは、理解の範疇を超えています(苦笑)。しかし、検索して、リンクを張るのにも一苦労(微笑)。

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 こちらが天王社の脇にある宝物庫。2棟あります。伊奈富神社には宝物が多く、列挙すれば次の通り:扁額(重要文化財)、男神坐像(重要文化財)、神像(県指定文化財)、能面(県指定文化財)、獅子頭(県文化財指定)、三足壺(県指定文化財)、棟札(県指定文化財)、獅子舞(県指定無形文化財)、七島池(県指定名勝)、むらさきつつじ(県指定名勝)、勢州稲生村三社絵図(市指定文化財)。詳細は、伊奈富神社のサイトのここにあります。

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 天王社、豊御崎神社、宝物庫に来る参道の脇には、神宮遙拝所。神宮は、もちろん伊勢神宮。碑陰を見てこなかったのですが、まだ新しい感じでした。

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 伊奈富神社は、先にも書きましたが、ムラサキツツジの名所。境内の至る所にムラサキツツジが咲いていました。右の写真にImg_0498c ありますように、拝殿の裏などにはツツジのトンネルになっているところもあるといいますので、一通り回って来ました。

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 いやぁ、なかなかよい感じでした。ブラブラというか、ゆるりというか回って楽しんできました。途中、桜とムラサキツツジImg_0508c のコラボも撮れました。長年の念願もかなって、ムラサキツツジ、堪能できました。

 伊奈富神社、このほか、招魂碑、石碑などたくさんありました。長くなりますので、それは「その3」として書くことにして、その2はここまで。

ツツジとボタンが咲きました……桜の水鏡と花筏はうまく行かず、ココログの不具合も続きプンプン

Img_1519c  散歩コースの桜は散り始めましたが、まだまだ今週末でも花見は、十分にできそうです。今日もいつも通り、8時25分頃から、Img_1574c 住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、田町と6.1㎞を回って来ました。先週末を中心にあれだけ大賑わいしましたが、九華公園ではさすがに花見客はほとんどいらっしゃらず、いつも散歩に来る方々がほとんどでした。静かにバードウォッチングを楽しめるかと思いきや、鳥たちがあまりおらず、そうそううまい話はありませんでした(苦笑)。冒頭の写真は蟠龍櫓、右の写真は九華公園、外周の遊歩道東から朝日丸跡や、二の丸橋を撮ったもの。

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 今日のベストはこちら。桜の花をちぎっては放り投げる現場を、この間よりもクリアに捉えられました。九華公園の北門を入った相撲場の近くで、スズメが花をちぎって、それを何度か咥え直して蜜を吸っていました。このあと、花をポイッと放り投げます。メジロやヒヨドリのように蜜を吸うことができないためですが、ちょっとなぁと思えます。

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 上に書きましたように、期待したほど野鳥はいません。去年は、この時期、エナガが巣について卵を温めていると思われる様子や、シジュウカラが巣材を運ぶのを見られたのですが、今年はサッパリ。先週、管理人さんが「鳥の雛が落ちていたと届けてきたという人がいた」とおっしゃっていましたので、営巣している鳥はいると思われますが、今のところ自分では確認できていません。左は奥平屋敷跡にいたシメ。今年は長居している感じがします。シメは、この奥平屋敷跡にもう1羽、さらに本丸跡でも鳴き声がしていましたので、最多で3羽がまだいると思われます。

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 このシロハラは、朝日丸跡にて撮影。奥平屋敷跡にも1羽いました。シロハラも、シメと同様、去年よりも遅くまでいる感じがImg_5882c します。シロハラは、このあと貝塚公園でも1羽を確認。右は、野球場のグラウンドにいたツグミ。ツグミは、三の丸公園に3羽、貝塚公園にも1羽いました。九華公園では、このほかは、ムクドリ、スズメ、カワラヒワ、ヒヨドリなど。ちょっと物足りません。

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 カモたちは、今日は18羽。いずれもキンクロハジロ。ヒドリガモ、ハシビロガモ、ホシハジロはすっかり見られなくなっています。ヒドリガモは、今日は、住吉水門の下流側の堤防上に8羽(4ペア)がいましたが、こちらにはもう来ません。例年、キンクロハジロはゴールデンウィーク前まではいますから、今年もそのころまではいてほしいもの。

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 今日の散歩では、九華公園の桜で、水鏡と、花筏を撮りたいと思ったのですが、なかなか(苦笑)。天気はよく、風も弱かっImg_1574c たので、水鏡にはよい条件でしたが、あいにく午前中は雲が多かったのです。それに、堀めぐりをしていた関係で、堀の水が入れ替えられておらず、あまりきれいではありません。

Img_1548c 花筏を撮るには、桜がある程度散ってくれないといけませんが、今年は長持ちしていて、今日もさほど散ってはいませんでしImg_1587c た。それに最近、公園内や堀にゴミや、ペットボトルを捨てていく方が増えて、「これはいいかも」と思っても、ゴミが写り込んでしまうことがよくあるのです。右の写真にも、実は右端にゴミが写ってしまっています。公園はたくさんの方が楽しむところですから、他人様に迷惑をかけないようにしてもらいたいものです。

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 ところで、先日、ツツジのつぼみが膨らんできたと書きましたが、今日は、1つだけツツジが咲いているのを見つけました。Img_1524c 「おまえは気が早い」といわれそうですが、ついついこういうものを探していまいます(苦笑)。皆さんを急かしているわけではありませんので、ご容赦ください。咲いてきたといえば、九華公園の管理事務所の近くにあるボタンも、「初日」という品種で2輪咲いていました。かなりボリュームがあります。この近くでボタンの名所といえば、長島水辺のやすらぎパーク。気になります(苦笑)。そろそろ御衣黄も咲くのではないかと思います(市内では、藤が丘デザイン公園にありますし、なばなの里にもあると聞いています)。あちこち出かけたくなりますが、日曜は研究会で助言者、来週からは江戸橋方面の非常勤(水曜)。わずかな仕事でも、それは大切にしなければなりません。

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 帰り道、京町の呉服屋さんのツバメの巣では、親ツバメが巣に就いていました。卵があるのかどうかは不明。他にも6ヶ所見てImg_5937c きましたが、それらではまだツバメは巣にはいませんでした。そして、寺町堀には、コサギが飛来。近くの京町あたりから飛んでいるのが見えたので、探したのです。年に1~2回、この堀でもコサギを見ます。離れて写真を撮ったものの、気づかれ、このあと逃げられました。

 最後にぼやき。昨日の近鉄ハイキングの記事にも書きましたが、このブログを載せている@niftyのココログは、3月19日に「全面リニューアル」を行ったのですが、それ以来、不具合続き。昨日のハイキングの記事も途中でぶっ飛びましたし、この記事を書いている途中でも、画面がフリーズ(Chromeで書いていますが、ココログはフリーズしていても、他のタブでG-mailなど他のサイトへはアクセスも操作も可能)。書きかけの記事も、私の気持ちもぶっ飛びました(苦笑)。今のところどういう操作をするとフリーズしたり、ぶっ飛ぶのかよく分かりません。予約投稿をしておいても、予約時間通りに公開されないようでもあります。写真を載せる際も、よく分からない動きがあって、戸惑います。Livedoor(こちらは無料)の「新・猫の欠伸研究室」へ最近の記事を移そうと思っても、「エクスポート」メニューがなくなっていて、できない状況。私は有料プランを利用していますので、これだけトラブルが続くと、頭にくるというか、腹が立つというか。時間と労力を浪費させられますから、「金を返せ!」といいたい気もします。

2019年4月11日 (木)

20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(予告編)

Img_1073c  今日は、近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」に行ってきました。お伊勢参りの3日目で、近鉄四日市駅からスタートし、東海道を歩いて、日永の追分で伊勢街道に入り近鉄鈴鹿市駅まで。旅2日目に(3月24日)、近鉄富田駅から東海道を歩いて、近鉄四日市駅まで来た続き(2019年3月25日:20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(予告編))。このときは、7.9㎞。近鉄四日市駅での受付が、9時半からということで、桑名駅を9時1分の五十鈴川行き急行に乗車。四日市には9時9時13分に到着。¥300。

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 本日のコースマップは、B4サイズ両面。近鉄四日市駅(南改札口)を出て、東海道に入り、日永神社、日永一里塚跡、東海道名Img_1071c 残りの一本松を経て、お茶のやまなかで亭茶サービス。その後、東海道日永郷土資料館に立ち寄り、伊勢街道との分岐である日永の追分へ。伊勢街道を歩いて、河原田神社、忘帰處から鈴鹿川を渡って、神戸の見附跡と札の辻を見て、近鉄鈴鹿線・鈴鹿市駅がゴール。コースマップ上は、12.2㎞。川を何本も越え、ちょっとした小旅行気分。4月3日のハイキングと同様、Mさんと2人旅。私があちこち立ち寄り、Mさんを連れ回して、大変迷惑をおかけしたのではないかと思います(微笑)。

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 こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。こうして改めて見ると、ずいぶん歩いたと思います。ハイキングで歩いたのは、13㎞。立ち寄り先でウロウロしていますので、実際にはもう少し歩いたかも知れません。立ち寄り先はもっとありますが、書き切れませんので、かなり省略してあります。桑名駅までの往復で2.1㎞(帰りに所用を済ませてきました)でしたので、合計15.1㎞。さすがに15㎞を歩くと、よく歩いたと思いますし、いささか疲労感があります。今日のところは、超予告編。

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 近鉄四日市駅から300mあまり東へ。国道1号線の1本手前の道を右折すると、東海道に入ります。この北にあるのが、スワマエ商店街。前回はこの商店街(商店街が旧東海道)まで来たということです。左の写真は、東海道に入ってしばらくのあたり。前にも書きましたが、旧街道は、今では生活道路になっていて、クルマが案外よく通ります。途中、ハイキング友達の方にも何人か遭遇。私よりも一回り年上なのにサッサと歩く方など、いろいろな人がいて退屈しません。

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 けっこう端折りますが、スタートから3.6㎞ほど、四日市あすなろう鉄道・南日永駅近くに日永神社があります。10時半頃到着。スタートからは、3.6㎞ほど。ここは以前にImg_1182c も訪れています。昔は南神明社と呼ばれており、明治40(1907)年以降、日永神社というようになっています。主祭神は、天照大神。相殿神は、天手力男神、栲幡千千姫神、大山咋神、猿田毘古神、波邇夜須比売神、菅原道真公、大物主神、大山津見神、道反之大神、宇迦之御魂神。慶長14(1609)年、天照大御神を当地に勧請し、南市場神明社が創建されました。その後、社名を南神明社と改称。明治40(1907)年、日吉神社、岡山白髭神社、山之神、並びに天正10(1582)年創建と伝えられる追分神明社をそれぞれ南神明社に合祀の上、日永神社と単称しています。神戸藩本多家の崇敬が篤かったといいます。

Img_1186c 境内に追分旧道標があります。明暦2(1656)年に仏性院(四日市市川原町)を開いた恵心という僧によって建てられた、東海道現存最古の道標(全国では5番目、県内では2番目に古いといいます)です。嘉永2(1849)年、今の大きな道標が建てられるまで、日永の追分に建っていたものがここに移設されました(明治40(907)年)。正面に「大神宮」と刻まれ、左面に「山田」、右面に「京」と刻まれています。この「石造旧日永の追分道標」は、この3月26日、四日市市の有形文化財に指定されました。

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 次は、日永一里塚跡。スタートからは、4㎞を過ぎたあたり。10時45分。ここも以前にチェックしています。民家と倉庫の間にひっそりと立っていますので、ボンヤリしていると見逃してしまいそうです。標柱が立っているのみで塚自体は既にありません。「東海道分問延絵図」には、西側の塚に松の木3本、榎1本、東側の塚に榎1本が描かれているといいます。日永の一里塚は、江戸・日本橋からちょうど百里。ちなみに、四日市市内には四ヶ所の一里塚がありました。富田、三ツ谷(海蔵川の北詰)、日永、釆女(杖衝坂を登りつめたあたり)です。これまで、富田、三ツ谷、日永の3ヶ所をコンプリートしました。

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 さらに200mほど進んだところに「東海道名残の一本松」があります。その昔、ここ日永のあたりから泊の集落までは東海道の両側に低い土手が築かれ、その上に大きな松の木が並んで植えられていました。この向こうには、家はなく、縄手(なわて)と呼ばれていたのですが、この松は、その蝿手に植えられていたものが残ったものです。往時の東海道や日永の歴史の一端を今に伝えるものとして大切に維持されています。ちなみに、縄手の道の幅は、土手も入れて約5間(9m)で、松の木が無くなった現在の道幅とほぼ一致するそうです。なお、四日市市内の旧東海道には、もう一本の松が残っています。それは、前回見てきた、四日市市羽津にある“かわらずの松”です(2019年3月29日:20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その2)……八幡常夜灯、八幡地蔵堂、八幡神社跡、かわらずの松、妋石(みよといし;夫婦石)、光明寺を経て国道1号線に合流)。

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 時刻は11時、スタートして1時間半。4.9㎞を歩いてきて、のども渇いたなと思ったところで、今日の立ち寄りスポットである「お茶のやまなか(山中製茶)」さん。あすなろう鉄道・泊駅近く。ここで、熱いお茶の接待をしていただけました。創業60年だそうです。80代を迎えた初代店主自らお茶をくださったのですが、さすがお茶屋さん、香りも味も家庭では出せないものでした。しばし歓談の相手もしてくださり、よい休憩となりました。

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 泊の町から追分へ。お茶のやまなかさんを出て300mほどで、東海道日永郷土資料館があります。ここはまちかど博物館。以前にも来ており、たぶん3回目。ここは、郷土の歴史・民俗・文化を後世に継承するとともに、それらを学ぶことができるようにと、日永郷土史研究会を中心とした準備委員会が、土蔵付きの商家の建物を借りして開いたところ。日永の名産であった「日永足袋」「日永うちわ」をはじめ、地元に残る歴史・民俗・文化・街道(東海道・伊勢街道)などに関わるさまざまな資料が展示されています。

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 やまなかでお茶はいただきましたが、今度は「小腹が空いた」ということになって、資料館で出張販売されていた菊屋本店さんの「采女の杖衝」を買って食べることに。采女は、国道一号線で内部川を越えたあたりの地名。今年3月2日の近鉄ハイキングで訪れた「杖衡坂」のあるところ(20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)。日本武尊が伊吹山の賊を平らげ大和へ帰還の道すがら、負傷した足 を引きずり、剣を杖の代わりにして登られた故事に因んで名づけられ、また、松尾芭蕉が落馬して「歩行ならば杖衡坂を落馬かな」と詠んだあの「杖衝坂」からその名を取った銘菓。最中ですが、中身はあんことお餅。1個¥272。小腹を満たす以上の効果が得られました(笑)。

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 「采女の杖衝」に力を得て先に進みます。といっても資料館からすぐのところに日永の追分があります。ここを訪ねたのも3回目。日永の追分は、江戸と京を結ぶ東海道と、伊勢に向かう伊勢街道との分岐点にあたります。現在の追分には、伊勢神宮遙拝鳥居、常夜燈、道標、清めの手水所があります。鳥居は、桑名・七里の渡しに建てられた伊勢一の鳥居に対して、二の鳥居と呼ばれ、安永3(1774)年に最初に建立されました。現在のものは、平成28(2016)年10月に伊勢神宮・伊雑宮の鳥居を移建して建替えられました。昔は、伊勢街道をまたぐように建てられていたそうです。常夜燈の一つも安永3(1774)年からのもの。現在の道標は、2代目(嘉永2(1849)年)に桑名魚町の尾張屋文助が建立)。明暦2(1656)年に建てられた初代の道標は、現在、日永神社に移されていますが、これは現存する東海道の道標としてはもっとも古いもの。3月末に四日市市の文化財に指定されています。

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 日永の追分から、伊勢街道に入ります。伊勢街道は、ここ日永の追分で東海道から別れ、途中いくつかの街道と合流して、白子、津、松阪、斎宮と伊勢湾沿いを南下し、伊勢へと至ります。その距離およそ十八里(約70km)。江戸幕府によって脇街道とされました。写真は、日永の追分から伊勢街道に入ってすぐのあたり。

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 途中、かなり端折っていますが、この写真は、内部川を渡って、大治田から河原田へ入ったところ。昔の街道筋には橋はありませんので、いったん県道103号線の橋を回ってきました。今日は、まだまだあちこちで桜が楽しめました。桜の向こう小さな橋(又兵衛橋)を渡って、河原田神社を目指します。

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 スタートからほぼ8㎞、11時55分頃、河原田神社に到着。河原田神社のご祭神は、天照大神他Img_1287c 22柱(不詳の8神も含みます)。明治42(1909)年6月、八幡社(河原田村大字内堀中屋敷)と須賀社(河原田村大字貝塚字一ノ縄)を三神社(河原田村大字河原田字三神山)へ合祀し、村社・河原田神社と改名しています。平成10(1998)年12月火災により本殿、拝殿、社務所を全焼し、平成12(2000)年に再建されました。なかなか雰囲気のよい神社で、気に入りました。

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 河原田神社の裏手に「忘帰處(ぼうきしょ)」と名づけられた丘陵地があります。河原田丘陵地の東端、河原田神社のある三Img_1327c 神山頂上にあたります。ここから見る眺めは河原田随一で、田中光顕伯爵が熊沢市兵衛翁宅を訪れた際に、この地の風景の美しさに見とれて帰ることを忘れたということから名づけられました。標高41mあまりの山上に建てられている記念碑は、伯爵自らの筆によるものです。ここからの眺めは、右の写真のように、知多半島から木曾御嶽山、恵那山も望み見ることができます。とくに、左の写真の記念碑があるところからが、よく見えました。いくら「忘帰處」だからといって、先に進むのを忘れてはいけません。

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 河原田神社から下って、JR関西線・河原田駅の南で関西線を越え、鈴鹿川を渡ります。地名でいうと、高岡や一ノ宮あたり。Img_1388c 高岡橋で鈴鹿川を渡る手前に立派な桜の木。枝振りがよく、見事です。隠れた名所といってよいでしょう。桜の木の右手奥に見える丘陵には、高岡城跡があります。高岡橋を渡る途中で10㎞。橋を渡り終えて300mほど先、鈴鹿川右岸(南側)に右の写真のように、階段付きの常夜灯がありました。伊勢街道は、昔はこのあたりで鈴鹿川を渡ったようです。常夜灯は、文化4(1807)年建立。「太神宮常夜燈」「国土安穏」などと刻まれています。階段は、点灯作業に使ったものと思われる、立派な石製です。こういう階段が付いたものは初めて見ました。

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 常夜灯から少し歩いて行くと、田園地帯になります。このあたりは、みえ歴史街道ウォーキングマップによれば、古代条里制の面影が残るそうで、道も一直線になっています。ただ、今日は、風が強く、まさに鈴鹿おろしの風で吹きさらし。これには参りました。

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 神戸(かんべ)の町が近づいてきました。神戸見附跡があります。見附は、街道の要所に設けられた、いわば監視所。ここImg_1417c は、伊勢街道・神戸宿の北側の入り口。街道の両側に石垣と、それに続く土塁が築かれ、石垣には木戸を支えた溝が残っています。参宮の旅人等を監視する番所が置かれ、夜間には木戸を閉じて通行を禁じ、町の治安を保ったと考えられています。ここでほぼ12㎞、13時を回りました。

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 見附跡を通り過ぎると、昔風の連子格子の建物が続く、神戸の町に入っていきます。ゴールの鈴鹿市駅もかなり近づいてきましたが、鈴鹿市駅の西で鈴鹿線の線路を越え、「札の辻」を見に行きます。「札の辻」は、今でもあちこちにその地名が残るようですが、江戸時代、官の制札を立てた辻のこと。写真の交差点が札の辻。伊勢街道は、この先、「旅館あぶい」の左手を進みますが、今回のハイキングではここまで。伊勢街道方面に向かって、さらに左折し、ゴールの近鉄鈴鹿線・鈴鹿市駅へ。

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 こちらが鈴鹿市駅。13時35分に到着。13時40分に伊勢若松行きの電車があったのですが、駅前を探して、昼食を摂ることImg_1483c に。駅のロータリーの南にある喫茶店「ロータリー」へ。ランチが美味しそうだったのですが、時間も時間で、売り切れ。カレーラースにしました。失礼ながら、あまり期待しなかったのですが、これがなかなかでした。ちなみに、鈴鹿にいた頃、鈴鹿市駅のあたりに何度か来た記憶があるのですが、その当時に比べるとかなり淋しくなった印象。

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 今回はゴール受付で、「お伊勢さん参りハイキング」参加記念のマグネットをいただきました。これで旅1~3日目のもの、3Img_1501c 個が揃っています。デザインは、日永の追分。14時10分の伊勢若松行き普通電車に乗車。伊勢若松には14時15分に到着。ここで名古屋線に乗り換えますが、名古屋行き急行が14時17分発でグッドタイミング。桑名着は、14時40分。¥490。今日のALKOOによるデータは、右の写真の通り。24,796歩。19.0㎞はたぶん過大評価。GPSで測定していると思いますが、行っていないところをトレースされていることもありますから、何らかのミスでしょう。キョリ測では、ハイキングで13.0㎞(立ち寄り先でウロウロしていますから、実際にはこれに+α)、桑名駅までの往復が2.1㎞(帰りに用事を済ませてきました)で、合計15.1㎞。トータルでこれだけの距離になりますと、さすがにしっかり歩いた気がしますし、足にいささかの疲労感を覚えます。

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 あみま倶楽部のスタンプは、15個目。悪くないペースです。次の「お伊勢さん参りハイキング」は、5月4日(お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅4日目~伊勢街道、旅人気分で伊勢平野の鈴鹿から海運で栄えた白子へ)。今日のゴールである鈴鹿市駅から、神戸城跡、弥都加伎神社、江島若宮八幡神社、久住屋菓舗などを回って、名古屋線・白子駅まで9㎞のコース。

 余談というか。@niftyのブログサービス・ココログは、3月19日に「全面リニューアル」を行ったのですが、その直後、アクセスできない、コメントが付けられないなどトラブルが多発していました。現在に至っても不具合が多々あります。今回の記事も、ほぼ書き終えた時点でぶっ飛んでしまいました。私のブログでは、記事の中に載せた写真が、クリックしても拡大しないものがあり、ご迷惑をおかけしていると思いますが、@niftyが対応してくれないといかんともしがたいところ故、ご容赦ください。

2019年4月10日 (水)

20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(その1)……白子観音、比佐豆知神社、加和良神社、福楽寺へ

Img_0226c_1  4月7日、近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」へ行ってきました。桜も満開になり、週末、九華公園の賑わいを避けたのと、伊奈富神社へ訪ね、つつじを見たいという次第です。桑名駅に向かう前に三重県知事と三重県議会議員の選挙の投票を済ませて、出発です。この日の受付、スタートは、近鉄名古屋線・鼓ヶ浦駅で9時半から10時半ということで、桑名駅を9時1分の五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時31分着。9時36分の普通電車・津新町行きに乗り換え、次の鼓ヶ浦で下車。9時38分着。¥560。

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 左がこの日のコースマップ。鼓ヶ浦駅を出て、子安観音寺(ここには不断桜があります)、稲生民俗資料館に立ち寄って、伊奈冨神社へ。最後に、鈴鹿さくら祭り会場に行き、近鉄鈴鹿線・平田町駅がゴールという、マップ上約11㎞のコース。あまり立ち寄り先が設定されていませんので、前回に続いて(20190403近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」へ(その1)……近鉄弥富駅をスタート、鍋田川堤桜並木から源盛院で芭蕉句碑、常在院に立ち寄る20190403近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」へ(その2)……JAみえきた木曽岬でトマトの試食、筏川桜緑地で山口誓子句碑、服部擔風漢詩碑、六門橋を見て、愛知県埋蔵文化財センターと弥富市歴史民俗資料館を訪ね、近鉄弥富駅にゴール(完))、ひたすら歩く羽目になりそう(微笑)。また、今回は、ここに上がっていたところしか予習をしていませんので、途中の勝手な道草は、出たとこ勝負(笑)。

190407kintetsuhikingtudumigaura_1  これが、実際に歩いたコースの実測ルートマップ。鈴鹿市の海岸近くから、繁華街まで横断したというイメージ。勝手に立ち寄ったところは、神社2ヶ所、お寺が1ヶ所。鈴鹿サーキットは通過したのみ。鈴鹿サーキットからゴールの平田町あたりは、鈴鹿で働いていた頃何度も訪ね、土地勘もありましたが、伊奈富神社あたりは初めてで、神社を出てから鈴鹿サーキット稲生駅方面に行くのに、若干迷ってしまいました。

190407kintetsuhikingtudumigaura1_1  スタートから3㎞過ぎまでの実測ルートマップです。鼓ヶ浦駅から南へすぐのところ(5分ほど)に子安観音寺が、さらにそのとなりに比佐豆知神社があります。ここは、去年3月17日の近鉄ハイキングで来ています(2018年3月17日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(予告編)、2018年3月19日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】、2018年3月20日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ)。ここ2ヶ所の詳細は、そちらをご覧いただければ幸いです。

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 まずは、子安観音寺。地元では「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖Img_0261c 武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ、1250年以上の歴史があります。ご本尊は「白衣観世音菩薩」。その昔、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われて現れたといい(鼓に乗って現れたという説もあります)、安産にご利益があるとされています。今のところ、安産祈願も、初参りもまったく関係はありませんが、お参りしてきました(微笑)。

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 はじめに書きましたように、ここには不断桜があります。去年も見たのですが、もう一度見たかったのです。半月あまり今年Img_0267c_1 の方が遅く、若葉がたくさん出て来ていて、去年の方が花の数は多かったような記憶。すずか市観光ガイドの説明では、「3月中旬から下旬にかけて花の最盛期をむかえます。天平宝字(西暦757年~)年間,雷火のため焼失した伽藍跡に芽生えた桜と伝えられています。その虫食いの葉から伊勢型紙の文様が作られたともいわれています。」ということで、花の時期にはやはり少し遅かったようです。境内には、「仁王門(三重県指定文化財、元禄16(1703)年建立)」、「銅燈籠(三重県指定文化財、寛文6(1666)年、辻越後守玄種の作)」、「永代常夜燈(天保3(1832)年建立)」などもあります。

Img_0237c 山口誓子の句碑も2つあります。その一つ(山門前のもの)には、「寺の古び月夜のけふのごときはなし」とあります(昭和Img_0280c 57(1982)年6月の建立)。もう一つは境内にあり、「虹の環を以て地上のものかこむ」と刻まれています。昭和46(1971)年10月建立。子安観音寺は、誓子が白子居住時に時折訪れ親しんだ地だそうです(こちら)。ちなみに、山口誓子(明治34(1901)年~平成6(1994)年)は京都府出身の俳人。高浜虚子に師事。昭和15(1940)年に病気療養のため四日市市富田に転居。昭和22(1947)年からは鈴鹿市白子で5年間過ごし、体調も順調に回復したといいます。鈴鹿市には、誓子が詠んだ11の句碑が建てられているそうです。句碑は、他にも2つありますが、去年の記事をご覧ください。

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 続いて、白子観音の南隣にある比佐豆知神社へ立ち寄り。式内社。主祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)。素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子。木種(こだね)をもって天降り、大八洲国(おおやしまぐに)をことごとく青山にしたといいます。このほか9柱の神様も祀られています(詳細は、割愛しますので、去年のその2の記事をご参照ください)。

 

Img_0297c 延喜式神名帳(延喜5(905)年から編纂)に載った式内社ですから、その頃にはあったと思われます。江戸時代は、観音寺の境内(南側)に木館神明社(木立神明社)、神明社(3社)、熊野権現、天満宮、富士権現として祀られていたといい、木館神明社が比佐豆知神社となったのは明治になってからです(神社でいただいた説明文書による)。明治40(1907)年に比佐豆知神社、神明社(3社)、熊野権現(熊野神社)の3社が合祀され、比佐豆知神社となっています。

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 比佐豆知神社ではまだ500mも進んでいません。神社を出て北西へ。近鉄名古屋線を越え、国道23号線を渡って進みます。こImg_0305c のあたりは、曲がるところはなく、道なりに進めばよいのですが、次に立ち寄り先に指定されていたのは、伊奈冨(いのう)神社。この間、何も見るべきところがなければ、3㎞以上、黙々と歩かねばなりません。3㎞ひたすら歩くのは、なかなか大変(笑)。民家のあるところを抜けると、右の写真のように田園地帯が続きます。

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 「いや、参ったな。もう少し調べてくればよかった」などとぼやきつつ歩いていたら、まさに救いの神が登場してくれましたImg_0309c (微笑)。鈴鹿市稲生塩屋で、加和良神社を発見しました。コースマップにはありませんが、これは立ち寄らなければなりません。スタートから1.7㎞、10時20分。主祭神は、木花之咲耶姫命(コノハナノサクヤビメ、大山祇命の娘で、富士山の神。浅間神社に祀られています)。相殿神は、武内宿禰命(たけしうちのすくね、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる)、高良玉垂命(こうらたまだれのみこと、高良大社のサイトによれば、厄除け・延命長寿・交通安全はじめ生活全般を守る神で、武運長久の神や、芸能の神としても崇敬されるとあります)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、須佐之男命(スサノオノミコト、天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された)、八街比古命、八街比売命(ヤチマタヒメノミコト、集落や道の要所にすわり、八街比古命(やちまたひこのみこと)とともに邪神・悪霊の侵入をふせぐ神)です。

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 創祀は不詳ですが、天平19年(747)以前と考えられています(こちら)。古い記録はないようで、その変遷も不明。明治8(1875)年、稲生村塩屋の当社が式内の本社たる指定を受けました。明治41(1908)年11月に須賀神社を、また大正3(1914)年2月には八幡社を、さらに大正5(1916)年2月には伊達神社を合祀しています。大正11(1922)年7月、河原の南方からこの地に遷座し、今に至っています。リンク先には、「『高良社』と称する祠が、加和良社と訛傳したと思われる」とありますが、個人的には「河原の南方から遷座」というところが気になります。つまり「河原社」の表記が変わったのかと。しかし、これは勝手な推測。

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 この加和良神社、参道が長く、そこに石灯籠の多い神社です。鈴鹿市の白子近辺にこういうタイプの神社が多いような印象があります。あちこち調べたわけではなく、これまでに訪れた範囲で抱いた、あくまでも個人的な印象です。たとえば、昨年9月24日に訪ねた小河神社(20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(その2)……心海寺、小川神社、宝祥寺)や、同じく3月17日に行った勝速日神社(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その5)……白子港、伊勢型紙資料館、龍源禅寺、勝速日神社などを経てようやくゴール(完))もそうでした。

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 加和良神社から400m足らず、スタートからは2.2㎞ほどのところに面白い幟が出たお寺がありました。東光山(とうこうさん)福楽寺といい、幟には「家康の落馬地蔵」と大書してあるのです。ここは、高野山真言宗のお寺。ご本尊は薬師如来。聖武Img_0347c_1 天皇(在位724年~749年)が東大寺の大仏を建立する際、神意奉詞のため伊勢神宮へ行基菩薩を遣わしました。その途中、この地方で悪疫が流行しているのを知った行基は、薬師如来像を自ら彫刻し、開眼供養、平癒祈願を行ったところ、悪疫は平癒したといわれ、これが福楽寺の起こりであると伝えられます。織田信長の伊勢進攻の兵火により焼失しましたが、本尊は難を免れたといいます。寛文年間(1661~73)に至り、大徳空昭律師が堂宇を再建、寺運の興隆に力を尽し、中興の祖として崇められています。現在の本堂は、明治に入り、再建されたもので、本尊の秘仏薬師如来は、30年に一度開帳されます。本堂には、千手観音、弘法大師像も安置されています。三重四国八十八箇所霊場の第17番札所です。

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 こちらが「神君家康の落馬地蔵」。説明板によれば、天正10(1582)年6月2日の本能寺の変に際して、家康が堺から三河まImg_0337c_1 で、伊賀越えの帰還を試みたとき、6月4日、途中ここ稲生の里で落馬したといいます。その際、地元の百姓の青年に助けられ、後ほどその者に疋田の姓を授けたそうです。家康没後、村民は平和制定の感謝の念を込め、落馬した場所に地蔵を祀っていたのですが、それが、今は福楽寺に移されたとあります。お地蔵様は、右の写真のお姿。さほど大きくはありませんし、何が掘られているかも定かではありません。ネットで検索しても、この「家康落馬地蔵を見てきた」というブログ記事ばかりが出てきて、由来など仔細は不明。「家康没後、村民は平和制定の感謝の念を込め、落馬した場所に地蔵を祀っていた」というのが、もう一つよく分からない気がします。とくに「平和制定の感謝の念を込め」というところ。アヤシいとはいいませんが、よく分かりません。

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 境内には、いくつものお堂が建ち並んでいました。案内板も立ってはいるのですが、文字がかすれてしまって、ほとんど読めImg_0353c ません。左の写真で中央にあるお堂には、右の写真のように、お地蔵様がいらっしゃいました。左の写真で向かって右にあるお堂にも、小さいお地蔵様がおられます。この2つは、地蔵堂と思われます。

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 上左の写真の、向かって左のお堂の中は、左の写真のようになっていました。御幣や、狐の像が飾られていますので、稲荷かと思ったのですが、お堂の向かって左には仏像らしきものや、弁財天が置かれているように見えました。

Img_0361c  これら3つのお堂に向かって左手(南)には、2つのお社。ここは、案内板の下の方の文字がかろうじて読め、向かって左はImg_0364c 「……権現」、右は「……天王」と思われます。こちらの八十八箇所霊場のサイトも参考にすると、秋葉権現堂と牛頭天王と考えられます。さらにこれらの南には、朱い鳥居と小さなお社。この案内板はまったく読めませんでした。鳥居の下には、注連縄が張られた石が2つあります。何らかの神様と思いますが、これも分かりません。神仏習合の名残と思いますが、お寺、とくに曹洞宗や真言宗のお寺には、お稲荷さんがあることも多く、勉強不足を感じます。

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 このあと、伊奈富神社や、稲生民俗資料館へ向かいますが、伊奈富神社でいろいろと見聞しましたので、それはその2にて。本日は、ここまで。左の写真は、伊奈富神社の一の鳥居あたり。

2019年4月 9日 (火)

九華公園は静かになりつつあります……貝塚公園でアオジ、ツツジや藤のつぼみが膨らんでいます

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 晴れたものの、気温は昨日ほどは上がらず、北西の風が冷たい日です。いつも通り、散歩です。住吉神社、九華公園、貝塚公Img_0991c 園、内堀公園、京町、寺町、田町からまたもや住吉神社と、6.3㎞。3時間もウロウロしてきました(微笑)。九華公園は、まだ花見客はありますが、静かになりました。堀めぐりも期間が延びていましたが、今日まで。露店も半分以上は、営業を終わっています。公園管理人の方は、ゴミの後始末に大わらわです。

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 今日もまた、花筏、水鏡に挑戦しようと思ったものの、強風で堀の水面は波が立ち、思うように行きません。さらに、風はあっImg_1010c たものの、桜はまだ思ったほどは散りません。明日は雨という予報ですから、「花散らし」の雨になるかも知れません。またその後で再チャレンジということです。

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 さて、バードウォッチングから。去年の今頃、九華公園では、シジュウカラが巣材を運んだり、尾曲のエナガが出て来たりしImg_1026c ていたのですが、今年はサッパリ。エナガは最近見ませんし、シジュウカラはいるものの、巣材を運ぶ様子はありません。揖斐川も鳥影は少なく、今日も住吉水門の下流の堤防にヒドリガモが38羽ほど上がって休んでいただけ。揖斐川の上空には、ユリカモメが2羽。下流からやって来て、散歩コースあたりを往復。長良川河口堰の方を見ると、まだカモがたくさんいるのが見て取れます。

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 今日もまた、ツグミ、シロハラばかり。といってもツグミも少し減った感じがします。三の丸公園にはいなくなり、柿安コミュImg_5735c ニティパーク、九華公園、貝塚公園で計4羽ほど(左は、柿安コミュニティパークにて)。シロハラは、九華公園と貝塚公園にて(右は、九華公園二の丸跡にて)。九華公園では、今日はシメの鳴き声も聞こえませんでした。

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 九華公園のカモたち、今日は30羽。堀の東側のエリアに集まっています。伸びをしているカモも多く、帰る前に体をほぐしているのかと思えます。今日も10時から堀めぐりの船が運航されましたので、10時を過ぎたら姿を消しました。去年は、堀めぐりが終わると、30羽前後が滞在していました。今年も同様かという気がします。

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 貝塚公園では、珍しいお客がいました。アオジです。公園の南側エリアで、見慣れない鳥を見つけ追いかけました。こんな証拠写真しか撮れませんでしたが、アオジです。九華公園でもまれに見ますが、貝塚公園では初めて。漂鳥ですから、移動の途中に立ち寄ったと思います。

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 散歩コースのツバメの巣も、一通り見回ってきました。京町の呉服屋さんと、田町の商店の巣にツバメが来ていました。左はImg_1046c 呉服屋さんの巣。右は、田町の商店の巣。田町の商店には2つの巣があり、もう一方にもツバメがそばまで飛んでくる様子が見られました。去年の今日、京町の呉服屋さんの巣では、ツバメが巣の修復を行っていましたが(2018年4月9日:京町のツバメは巣の手直し……播州赤穂からいらした方に出会いました)、今年はまだそういう様子はありません。

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 ところで、満開の桜を楽しんでいますが、その陰で、主役交代の準備が進んでいました。左は、九華公園のツツジ。つぼみがImg_5758c 出て来ていて、もうじき咲き始めるでしょう。今日見た範囲では、2ヶ所でつぼみが出ていました。さらに、本丸跡の藤棚では藤のつぼみも、膨らんで来ていました。柿安コミュニティパークの藤も同様でした。どちらも日当たりのよいところにあります。

2019年4月 8日 (月)

水鏡、花筏に挑戦するも、今ひとつ……桑名別院で花祭り

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 昨日たくさん歩いてきましたが、今日もいつも通りの散歩です。今日は、九華公園も空いているでしょうし、そろそろ花筏が見られるかも知れません。また、今年はまだ桜の水鏡に挑戦していませんので、そのあたりをと思って、8時20分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、寺町、田町と回って来ました。九華公園の中を2周したら、何と7㎞。11時半まで。冒頭の写真は、拙宅マンション前の桜並木。手前がマイ・ソメイヨシノ。ここで十分花見ができます(微笑)。

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 せっかくですから、散歩コース沿いの桜を見ながらという趣向で(というよりも、白状しますと、鳥がいないのです)。左は、七里の渡し跡にあるヤマザクラ。1本の木に見えますが、実は2種類あります。異なった花と葉っぱがあるのです。ただし、この写真では区別は付きません。若葉が赤褐色の桜は、奥の方にあります。40年前、鳥居を立て替えるとき、古い鳥居の笠木に生えていた桜を植えたものだと伺いました。

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 蟠龍櫓と、三の丸公園の桜。この景色は私の好みのところ。マイ・ソメイヨシノ#2にしてもよいくらいに思っています。三の丸Img_0803c 公園には、周囲に桜の木がたくさん植わっています。右の写真は、西側エリアのもの。大きく育って見事な桜並木になっています。

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 蟠龍櫓を、三の丸公園の東にある柿安コミュニティパークのところから見た景色がこちら。手前の水路は、柿安コミュニティパImg_0820c ーク西の池(堀)と揖斐川をつないでいます(向かって右手が三の丸水門)。いつもの散歩では、奥の方からこちらに歩いてきます(奥の方に七里の渡し跡)ので、私にとっては振り返って見たところ。右は、九華公園の西側の堀沿いの桜。北門のところから南を向いて見たもの。九華公園には、450~500本の桜があるとされています。

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 最初に今日は、九華公園内を2周したと書きましたが、それは花筏と、水鏡を求めてでした。結論から書けば、難しいというImg_0846c こと。風はほとんどなかったのですが、堀の水面にきれいに桜が映っているところがなかなかありません。少しクローズアップすればよいかというと、そうでもありませんでした。

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 続いて、花筏。今日も風が吹くと、花が散っているシーンが見られました。桜の花びらは、水に浸かると傷みやすいので、こImg_0908c ちらは水鏡よりももっと期間限定でしょう。左の写真は、奥平屋敷跡の南、立教小学校に面した堀にて。あまりたく さん花びらが浮いているよりもよいかなという感じ。右は、外周遊歩道の南東エリア、キッチン寿さんというレストランの近く。このあたり、実は流れがよどむところでさらに難しい(正直に書くと、ゴミもたまってしまうところなのです)。水鏡も、花筏もまだまだ不十分。明日もチャレンジですねぇ。

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 去年、「遠山のカメさん」なる写真を載せました(2018年4月1日:この桜吹雪、見事散らせるもんなら散らしてみろぃ!(笑))。二匹目のドジョウを狙ったのですが、今日はあまりうまく行きませんでした。今日はこれが精一杯。花筏になっているところに出てくるミドリガメもたくさんいますので、もう少し探してみることにします。

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 さて、鳥見の方は、あまり成果がありません。住吉水門の下流・堤防上にヒドリガモが12ペア集まっていたのと、あちこちでImg_5563c ツグミ、シロハラを見たくらい(ドバト、スズメなどなどを除きます)。左のツグミは、九華公園の二の丸跡にて、右のシロハラは同じく奥平屋敷跡にて。このシロハラ、ヒヨドリとトラブっていました。

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 こちらのシロハラさんは、貝塚公園にて。超望遠コンデジの65倍ズームで撮り、ノートリミング。貝塚公園にもシロハラ、ツグミ、シジュウカラくらいしかいませんでした。

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 ツバメはあちこちで飛んでいますが、まだ巣をつくったり、直したりは、見てきた範囲ではしていません。左の写真は、京町Img_5689c の呉服屋さんにある巣の前の電線での様子。よく分かりませんが、真ん中にいるオスが、向かって右にいるメスにちょっかいを出して揉めているような感じでした。この呉服屋さんには巣が3ヶ所あり、今年今のところ2組のつがいが来ています。右は、トラブルが収まった後、つがいで電線で休んでいるところ。

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 ところで、今日は4月8日で、花祭り。お釈迦様の誕生日。毎年、桑名別院の山門前に、写真のように、花御堂のなかに甘茶を入れたお盆(浴盆)を置き、そこに、右手で上を、左手で下を指し示したお釈迦さまのお誕生の姿をあらわしたお像が安置されますので、柄杓で甘茶を頭上からそそいで来ました。また、門前では甘茶をいただけましたので、いただいてきました。お釈迦様のお像に甘茶を注ぐのは、「お釈迦さまの誕生を慶び、天に九匹の龍が現れて、甘露の雨を降り注いだ」という故事に因むといいます。花祭りは、正式には、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)と呼びますが、私はどうしてか、灌仏会と聞くと、徒然草の第19段にある文章が、反射的に浮かびます。

 

「灌仏会の比(ころ)、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人のおほせられしこそ、げにさるものなれ。

 「『四月の灌仏会のころ、葵祭のころ、若葉の梢が涼しげに茂っていく頃こそ、世のあはれも、人恋しさも高まるものだ』と、ある人がおっしゃっていたが、まったくその通りだ』という意味なのですが、高校での古文の授業で聞いたことがよほど印象に残っているのか、ことばの響きが関係しているのかという気がします。

2019年4月 7日 (日)

20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(予告編)

Img_0226c 近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」へ行ってきました。九華公園の賑わいを避けたのと、伊奈富神社へ訪ね、つつじを見たいという次第です。今日のところは予告編。三重県知事と三重県議会議員の選挙の投票を済ませて、出発です。本日の受付、スタートは、近鉄名古屋線・鼓ヶ浦駅。9時半から10時半ということで、桑名駅を9時1分の五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時31分着。9時36分の普通電車・津新町行きに乗り換え、次の鼓ヶ浦で下車。9時38分着。¥560。

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 こちらが本日のコースマップ。鼓ヶ浦駅を出て、子安観音寺(ここには不断桜があります)、稲生民俗資料館に立ち寄って、伊190407kintetsuhikingtudumigaura 奈冨神社にお参り。最後に、鈴鹿さくら祭り会場に行き、近鉄鈴鹿線・平田町駅がゴールという、マップ上約11㎞のコース。あまり立ち寄り先が設定されていませんので、前回に続いて、ひたすら歩く羽目になりそう(微笑)。また、今回は、ここに上がっていたところしか予習をしていませんので、途中の勝手な道草は、出たとこ勝負(笑)。右が、実際に歩いたコースの実測ルートマップ。鈴鹿市の海岸近くから、繁華街まで横断したというイメージ。勝手に立ち寄ったところは、神社2ヶ所、お寺が1ヶ所。鈴鹿サーキットは、通過したのみ。鈴鹿サーキットからゴールの平田町あたりは、鈴鹿で働いていた頃何度も訪ね、土地勘もありますが、伊奈富神社あたりは初めてで、神社を出てから鈴鹿サーキット稲生駅に行くのに、若干迷ってしまいました。

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 鼓ヶ浦駅を9時45分にスタートして、5分で白子観音に着きます。ここと、次に立ち寄った比佐豆知神社は、去年3月17日の近Img_0277c 鉄ハイキングで来ています(2018年3月17日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(予告編)、2018年3月19日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】、2018年3月20日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ)。子安観音寺、地元では「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ、1250年以上の歴史があります。詳しくは、リンク先をご覧ください。

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 今日は、不断桜を見たいと思っていました。天然記念物に指定されています(大正6(1923)年3月指定)。樹齢についてはImg_0267c 諸説ありますが、江戸時代にはすでに「一年中葉や花が途絶えない不思議な桜」として著名な木だったといいます。すずかし観光ガイドには、真夏以外は梢のあちらこちらにちらほらと花をつけ、四季を通じて桜の花が咲くことから不断桜と名付けられたとあります。3月~4月には薄桃色の花が一面満開となるそうですが、今日はご覧の通り。やや遅かったのかも知れません。

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 白子観音のすぐ南に、比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)があります。式内社。主祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)。素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子で、木種(こだね)をもって天降り、大八洲国(おおやしまぐに)をことごとく青山にしたといいます。このほか、次の9柱の神様も祀られています:大屋津姫命(オオヤツヒメノミコト、樹木の女神)、抓津姫命(ツマツヒメノミコト、樹木の女神)、少彦名命(スクナビコノナノミコト、山や丘の造物者であり、命名神)、天照大神(アマテラスオオミカミ)、伊弉冉尊(イザナミノミコト、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となった)、誉田別尊(ホンダワケノミコト、応神天皇)、天児屋命(アマノコヤネノミコト、天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、速玉男命(ハヤタマノオカミ、絶命して黄泉国へ去ったの伊奘冉尊を伊奘諾尊が訪れたとき、見ないで欲しいといわれたその姿をみてしまい、離縁することになったが、その約束をかためるためにはいた唾から生まれた神)、事解男命(コトサカノオノミコト、伊弉諾尊、伊弉冉尊の関係を掃う神。速玉男命 ともども熊野速玉大社の御祭神)。なお、大屋津姫命と抓津姫命は姉妹で、兄が五十猛命。

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 比佐豆知神社を出て、国道23号線を渡って北東へ向かいます。このあたりは、曲がるところはなく、道なりに進めばよいのですが、次に立ち寄り先に指定されていたのは、伊奈冨神社。この間、何も見るべきところがなければ、3㎞以上、黙々と歩かねばなりません。3㎞ひたすら歩くのは、なかなか大変(笑)。

Img_0307c  と思っていたら、まさに救いの神が登場してくれました(微笑)。鈴鹿市稲生塩屋で、加和良神社を発見しました。コースマップにはありませんが、これは立ち寄らなければなりません。スタートから1.7㎞、10時20分。主祭神は、木花之咲耶姫命(コノハナノサクヤビメ、大山祇命の娘で、富士山の神。浅間神社に祀られています)。相殿神は、武内宿禰命(たけしうちのすくね、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる)、高良玉垂命(こうらたまだれのみこと、高良大社のサイトによれば、厄除け・延命長寿・交通安全はじめ生活全般を守る神で、武運長久の神や、芸能の神としても崇敬されるとあります)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、須佐之男命(スサノオノミコト、天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された)、八街比古命、八街比売命(ヤチマタヒメノミコト、集落や道の要所にすわり、八衢比古神(やちまたひこのかみ)とともに邪神・悪霊の侵入をふせぐ神)です。

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 創祀は不詳ですが、奈良時代の天平年間になる「大安寺資料帳」には「高良社」とあり、既にこの頃には祀られていたと思われます。平安時代中期に成立した「延喜式神名帳」にも登載されており、いわゆる延喜式内社です。江戸期には社名も失われていたといいます。明治41(1908)年11月に須賀神社を、また大正3(1914)年2月には八幡社を、さらに大正5(1916)年2月には伊達神社を合祀しています。大正11(1922)年7月、河原の南方からこの地に遷座し、今に至っています。「高良社」と称する祠が、加和良社と訛傳したと思われます。

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 加和良神社から400m足らずのところに面白い幟が出たお寺がありました。東光山(とうこうさん)福楽寺といい、幟にはImg_0347c 「家康の落馬地蔵」と大書してあるのです。高野山真言宗の仏教寺院。本尊は薬師如来。聖武天皇(在位724年~749年)が東大寺の大仏を建立する際、神意奉詞のため伊勢神宮へ行基菩薩を遣わしました。途中、この地方で悪疫が流行しているのを知った行基は、薬師如来像を自ら彫刻し、開眼供養、平癒祈願を行ったところ、悪疫は平癒したといわれ、これが当山の起こりであると伝えられます。織田信長の伊勢進攻の兵火により焼失しましたが、本尊は難を免れたといいます。現在の本堂は、明治期に再建されたものです。

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 こちらが「神君家康の落馬地蔵」です。説明板によれば、天正10(1582)年6月2日の本能寺の変に際して、家康が堺から三Img_0337c 河まで伊賀越えの帰還を試みたとき、6月4日、途中、ここ稲生の里で落馬した際、地元の百姓の青年に助けられ、後ほどその者に疋田の姓を授けたといいます。家康没後、村民は平和制定の感謝の念を込め、落馬した場所に地蔵を祀っていたのですが、それが、今は福楽寺に移されたそうです。お地蔵様は、右の写真のお姿。しかし、「家康没後、村民は平和制定の感謝の念を込め、落馬した場所に地蔵を祀っていた」というのが、もう一つよく分からない気がします。とくに「平和制定の感謝の念を込め」というところ。検索しても、ブログ記事ばかりが出てきて、仔細は不明。

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 福楽寺から1.5㎞ほど稲生の町を歩いて、伊奈富神社の鳥居前に到着。鳥居の東に稲生歴史民俗資料館がありますので、まずはImg_0387c そちらを観てきました。「稲生」という地名にちなんで、稲や農業に関係ある資料を中心に展示しています。水車や唐箕(とうみ)など、今では見ることのできない農機具の展示や、稲の品種改良に功績のあった人物の紹介、古代米の一種の赤米や黒米、珍しい紫米も展示しています。子どもの頃見た農機具や、生活用品などもあって、懐かしく見てきました。

Img_0404c スタートから3.8㎞ほど。といっても、稲生民俗資料館のすぐとなり。一の鳥居は、ステンレス製(改めてよく調べたら、チタン合金製でした)。県内でも屈指の歴史がありますし、ムラサキツツジでも有名。鈴鹿で働いていた30数年前から知ってはいたのですが、訪れる機会がありませんでした。ようやく念願が叶ったということです。

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 御祭神は、保食神大國道命(ウケモチノカミオオクニミチノミコト、五穀をつかさどる神)。相殿神は、豊宇賀能賣命(トヨウケビメノカミ、豊受大神の異称)、稚産靈神(ワクヒムスヒノカミ、火の神軻遇突智神と土の神埴山姫の子。頭に蚕と桑が、臍の中に五穀が生じたという)、鳴雷光神(雷神、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みについての神)、大山祇命(オオヤマツミノミコト、山の神)。崇神天皇の御代、天皇が霊夢の告を受け、その勅旨によって、社地が選定され、創祀された古社といいます。あるいは、雄略天皇治天五年に、はじめて稲生神社大国道命の神号を賜ったという説もありまであった。。三代実録(清和、陽成、光孝天皇三代の編年体の正史)によると、貞観7(865)年4月15日従四位下に叙せられました。当時は椿大神社(正五位下)よりも社格は上でした。往古の神領は、東は白子浜、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大な領域であったといいます。

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 ツツジには早いかと思ったのですが、ムラサキツツジがかなり咲いてきていました。境内には、5,000株あるそうです。境内Img_0474c を一回りしつつ楽しんできました。拝殿の裏手には、ツツジのトンネルになっているところもありましたし、石碑、忠魂碑などもたくさんあり、歴史もあるだけにまさにワンダーランドのような神社。

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 鳥居脇には、県指定名勝の七島池があります。その名の通り、7つの島を浮かべた、全長72mの細長い神池があります。弘法大師が一夜にして掘られたとの伝説が残され、その様相は大八洲(日本の美称)をあらわしたものなど諸説が伝わります。九州・宇佐神宮の神池と類似した直線多島式で、日本庭園の原型とも評されるほど素朴な様相の古代庭園です。現在、島の修復が行われていました。

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 伊奈富神社から伊勢鉄道・鈴鹿サーキット稲生駅の方へ向かうのですが、地図がわかりにくくて迷いました。他にも同世の男Img_0641c 性が1名。伊奈富神社で50分もウロウロしていて、他の参加者の姿はありません。が、ここでスマホが役に立ちました(微笑)。グーグルマップで検索して、事なきを得たのです。遠くに鈴鹿サーキットを見ながら先に進みました。鈴鹿サーキット稲生駅近くからサーキット道路に出て、鈴鹿サーキットの方へ向かいます。鈴鹿で働いていたとき、患者さんのレクレーションでも何度も来ましたし、子どもたちが小さいときに遊びに来ています。今日は、通過するだけ。

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 鈴鹿サーキット前の交差点で右折。鈴鹿サーキットと鈴鹿青少年の森の間を北東に進みます。地名でいうと、道伯あたりをひたすら歩きますが、南のサーキット側には、ソメイヨシノの桜並木が続きます。ただし、ずっと道なりに2.5㎞を歩かねばならないのは大変でした。算所町南交差点で左折。ここは、鈴鹿市中心部に近いところ。少し北には、鈴鹿にいた頃よく来た大きなショッピングセンターが2つあったあたり(1つは廃業)。

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 スタートから9.8㎞、時刻は13時15分、ようやく鈴鹿桜まつり(平田町商店会主催)の会場の南入口に到着。かなり汗を掻いImg_0703c ていますし、のども渇いています。昨日・今日と開催。会場は、旭化成鈴鹿製作所の桜並木と陸上グラウンド。ここは、あのサランラップをつくっているはず。入り口を入ったところから大賑わい。13時まででしたら、ソフトドリンク1本がもらえたのですが、15分遅れでもらえず、残念。

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 いやホントに大賑わい。人、人、人でした。ステージではコンサート。露店もたくさんでてはいたものの、どこも長蛇の行列Img_0713c です。今日は、ここでお昼を買って食べようと思って来たのですが、これではいけません。完全に当てが外れてしまいました。伊奈富神社でおにぎりは1個食べたものの、お腹も空き、のども渇いています。

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 一通り回って、もっとも空いていた店が、ビールを売っているところ(笑)。閃きました。まだ「一人花見」を実行していませんでしたので、缶ビール1本(¥350なり)をゲット。「一人花見」と、ここまでの頑張りを称えて(笑、自画自賛)、乾杯してきました(爆)。つまみもなしで、一気飲み。もうちょっとよく冷えていたらいうことなしでしたが、あまり贅沢を言うと、罰が当たります。

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 ここには、並木、グラウンドを合わせて300本の桜があるそうです(こちら)。一気に満開で、一部は風で散り始めていましたが、堪能しました。ご覧のような桜のトンネルも。この春は、あちこちで桜を楽しめていて、ラッキーです。勝手に乾杯を終えて、桜並木を北に向かって通り抜け、ゴールの近鉄鈴鹿線・平田町駅に向かいます。桜並木を通り抜けて200mあまり。

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 ゴールの平田町駅。13時40分に到着。しかし、伊勢若松行きの電車は5分前に出たばかり。お昼を食べようと思ったものの、駅前のうどん屋はハイキング参加者で満席。コンビニも近くにはありません。やむなく自販機でカレーパンその他をゲットしてそれで済ませました。14時5分発の伊勢若松行きに乗車、伊勢若松に14時15分着。14時17分の名古屋行き急行に接続していましたので、乗り換え。桑名には14時40分着。¥560。

Img_0775c 左は今日のALKOOのデータ。歩いた距離は、キョリ測では、11㎞ちょうど。自宅から桑名駅往復(朝は、投票のため、精義Img_0224c 小学校を経由)が2.1㎞でしたから、合計13.1㎞。歩数は、22,512歩。今日もよく歩きました。あみま倶楽部のスタンプは、14個目。順調です。

 次は、4月11日に「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」に参加の予定。近鉄四日市駅から東海道を日永の追分まで。そこから伊勢街道に入って、鈴鹿市駅というコース。

2019年4月 6日 (土)

大山田川へプチ遠征し、イワツバメを見る……帰りには照源寺へ

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 北西の風が数m/s吹いてはいますが、気温は21度を超え暖かいというか、散歩をしてきたら汗ばむほどでした。絶好の花見日和Img_0049c なのですが、いつも行く九華公園はたぶん大賑わいだろうと思って、今日は、大山田川方面へ行ってきました。イワツバメがかなり前から来ていますから、それを見ようということもあってです。播磨までクルマで送ってもらって、8時50分に日物谷橋からスタート。大山田川沿いを下って、新宮西橋を経て、沢南橋まで。そこから上之輪新田を見て、養老鉄道の高架橋、照源寺と回って11時25分に帰宅。6.1㎞。冒頭の写真は、養老鉄道播磨駅あたり、右は、照源寺

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 スタート地点から沢南橋まで、あちこちにコガモが小さい群れでいます。合計で、オス18羽、メス17羽を確認。サギは、今日はImg_5435c 見当たりませんでした。カワセミは、播磨の水防倉庫のところで上流に向かって矢のように飛ぶのを見ましたので、追いかけたのですが、見失ってしまい、それっきり。大きめのシギも同じあたりにいたのですが、不用意に川を覗いたら逃げられ、何かは同定できませんでした。

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 こちらはお馴染みのイソシギ。これも水防倉庫のやや上流にいました。大山田川ではたいてい1~2羽を見かけます。ツグミも播Img_0005c 磨橋から新宮西橋までの間で何羽かみかけました。ウグイスの鳴き声が沢南橋のすぐ上流にある人・自転車専用橋のところで聞こえたものの、見つけられませんでした。

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 今日の目的のイワツバメ、いました。橋の下に巣が無数にあります。ここは、道路から真上を見上げないと巣が見られませImg_5490c ん。道路も車がかなり通りますので、ボンヤリしているとアブナイ。何カ所もの巣から、つぶらな瞳のイワツバメが覗いています。もう雛が誕生しているのかも知れません。親鳥たちでしょうか、時々巣に戻りながら、あたりを舞って、餌になる虫でも捕まえているようでした。全長14.5cm。ツバメの仲間ですが、小柄で、ズングリムックリという感じ。喉から胸、腹など下面は汚れた白色、腰は四角形に白色をしていて飛んだ時に目立ちます。夏鳥として渡来します。

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 飛んでいるところにもチャレンジしたのですが、やはり難しい。ピントは合っていませんが、上記のような特徴が少し分かるImg_5498c と思います。本来は、山地や海岸の崖地、洞窟の入り口あたりに巣をつくるのですが、最近では、橋、建物などの人工物も利用しています。自然の崖地に巣をつくっていたのでイワツバメというのですが、最近では「コンクリツバメ」と呼んでもいいかといわれるくらい。もうちょっとハッキリした写真を撮りたいので、また出かけたいと思っています。

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 上之輪新田です。ツバメが巣材の泥などを取りに来ていないか、ケリやヒバリがいないかと期待してきたのですが、何度も目を凝らしてみても、残念ながら、ハクセキレイしかいませんでした。今日は黄砂でも飛んできているのでしょうか、多度山は霞んでいました。当てが外れてしまい、さて、どうしたものかと思案。もう一ヶ所、以前、イワツバメが営巣していたところを見て、久しぶりに照源寺に行くことに。

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 くわな特別支援学校の前を通って行きます。校門脇に「くわとくガーデン」があります。公財国土緑化推進機構の助成金で学Img_0037c 校の緑を賦や活動をしています。ヤマボウシ、オカメザクラ、ツバキ、キンモクセイや、コムラサキ、ツツジなどの樹木の他、芝桜やチューリップなどが植えられていて、楽しめます。

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 養老鉄道をまたぐ跨線橋。ここにも以前は、イワツバメが営巣していましたが、去年はまったく見かけませんでした。一昨年Img_5528c は、数は少ないものの(数羽)、子育てをしていました(2017年5月7日:イワツバメの巣を見に行ったものの)。このときは、空いたイワツバメの巣をスズメが使っていました。その前年は、たくさんいました(2016年4月26日:福島、上之輪方面でケリ、イワツバメ……イワツバメの巣は、2カ所で、2016年5月24日:イワツバメの巣を巡回、福島の水田ではケリに威嚇されました)。今回は、巣は残っていたものの、イワツバメどころか、スズメもいません。この周囲、水田が多かったのですが、その多くが、住宅やアパート、チェーンのドラッグストア、駐車場などになってしまったためかも知れません。イワツバメにとっては住みにくい世の中なのでしょう。

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 このあと、スーパーの一号館店頭で、缶コーヒーで一息ついて、東海山照源寺へ。浄土宗。寛永元(1624)年、桑名藩主・松平定勝公が亡くなり、その子・定行公が創建したお寺。定行公が伊予松山へ移封された後は、弟・定綱公が藩主を継いだので、Img_0067c 松平家の菩提寺として存続しています。境内には、「松平定綱及び一統之墓所」があります。

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 また、ここには定綱公が摂津の天台宗金龍寺から分植した金龍桜があります(先日見て来た、春日神社(桑名宗社)のものとImg_0078c同じと思います(4月4日:九華公園の桜は満開近しで大賑わい……春日神社の金龍桜を見て来ました))。照源寺は静かで落ち着くので、何度も訪れています。その金龍桜、ちょっとタイミングが遅かったようです。花の盛りは過ぎてしまっていました。花よりも赤褐色の若葉の方が勝っています。元の桜は伊勢湾台風で倒木して、現在の金龍桜は接ぎ木をして育てたものだそうで、三代目といいます。

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 本堂の南東には、しだれ桜もあります。しだれ桜の根元にあるのは、楽翁公(松平定信)の歌碑です。 「さくらやま 春ことに夢の小蝶となりてたに さくらのやまの はなやとはまし」とあるそうです(こちらを参照)。

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 もう一つ、山門の北に「佐藤翁彰徳碑」があります。桑名の豪商で船頭平閘門の建設に尽力した佐藤義一郎を顕彰する碑。佐藤義一郎(天保2(1831)~明治37(1904))は、桑名藩士で、幕末~明治時代の武士、社会事業家。戊辰戦Img_0057c 争で幕府についた同藩の救済運動に奔走。維新後は桑名病院や英語学校を設立しています。船頭平閘門の設立にも尽力しました(明治27(1894)年5月、桑名町の佐藤義一郎らは国会に閘門設立を請願した結果、現在の立田村船頭平地内に設置が決定されました)。篆額は、松平定晴子爵の書。松平定晴子爵は、高須四兄弟末弟・松平定敬公の四男。大正5(1916)年8月に建立。「桑名町建設」とあります。

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 余談というか、与太話というか(苦笑)。今年は「一人花見」をまだ実行していませんでしたので、照源寺につく前にコンビニで花見団子をゲット。取り敢えず、アルコールはなしで「一人花見」(微笑)。

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 花見といえば、今年はあまり触れていませんが、拙宅マンション前の住吉入江沿いには、マImg_0144cイ・ソメイヨシノの他にもたくさん桜が植わっています。いながらというわけにはいきませんが、玄関を出て10mも行かないで花が楽しめるのです。

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 その他、9階から見える桜を。左は、桜堤防の桜並木。右に写っているのは、Img_0178c 六華苑の洋館・塔屋。右は、蟠龍櫓と三の丸公園の桜。こちらは、いつも散歩で通るあたり。明日は、できれば近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」に行ってきたいと思っています。つつじはまだ早いと思いますが、伊奈富神社を訪ねたいのです。

2019年4月 5日 (金)

20190403近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」へ(その2)……JAみえきた木曽岬でトマトの試食、筏川桜緑地で山口誓子句碑、服部擔風漢詩碑、六門橋を見て、愛知県埋蔵文化財センターと弥富市歴史民俗資料館を訪ね、近鉄弥富駅にゴール(完)

20190403kintetsuhikingyatomi2_2  4月3日に行ってきた近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」のその2です。その1では、鍋田川堤桜並木を歩き、源盛院と常在院の2つのお寺を訪ねました。その2は、まずは、JAみえきた木曽岬支店へ。常在院からは1.6㎞。田園地帯をひたすら歩いて行ったという印象。ですが、同行のMさんと話をしながらですから、退屈はしません。途中、揚げ雲雀を何度も見ました。

Img_9621c_1  11時にJAみえきた木曽岬に到着。JAは、今でも正式には農業協同組合といいます。それ故、JAみえきたは、三重北農業協同組Img_9625c_1 合。JAいなべ、JAくわな、JAながしま、JA三重四日市の4つのJAが、平成25(2013)年に合併して発足。余談ながら、農協、どこも合併して巨大化していますが(こちらにJAみえきたの概要あり)、やりくりは大変なのでしょうねぇ。それはさておき、ここでトマトの試食。木曽岬町は、トマトが名産品。リンク先のパンフレットによれば、木曽岬町のブランドは「ハウス桃太郎」。試食は、小振りのトマトの1/4カット。やや固めでしたが、瑞々しくて美味しいトマトでした。

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 試食会場のとなりには、農産物直売所。トマトの他にいろいろな農産物や、食品などを売っています。木曽岬町のトマト、家内の知人から時々いただいていますので、「買ってこなくてよい」という指令でしたから、直売所は一通り見ただけ。

Img_9633c  JAみえきた木曽岬の直売所を出て、水路沿いに北上。この先、弥富の筏川桜緑地まで立ち寄りポイントは設定されていません。コース通りに行けば、4㎞ほどをひたすら歩くことになります。予習したとき、獅吼山(ししくざん)了清寺という真宗大谷派のお寺があって、そこにも行けるかと期待したのですが、あいにく水路の向こう側で、近くには橋もありませんでした。ここには、芭蕉の句碑があるのです(「永き日を囀(さえず)りたらぬ雲雀(ひばり)かな」、宝暦8年(1758年)3月建立)が、泣く泣く断念して、歩き続けます。余談ですが、このあたりで強風でコースマップを吹き飛ばされ、水路に没してしまうというアクシデント(涙)。

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 11時40分頃(JAみえきた木曽岬を出て40分、ひたすら歩いてきました)、9.6㎞地点に到着。まだ木曽岬町内ですが、鍋田川温泉の南で、もうすぐ弥富に入るあたりの桜並木。またもや余談ですが、この鍋田川温泉、けっこうよいお湯のようです(同行のMさんは、昨日(ハイキング翌日)早速行ってこられたそうです)。

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 桜並木の先、スタートから9.8㎞のところに加路戸諏訪神社がありました。由緒は必ずしも明確ではないのですが、天文11(1542)年、諏訪中務郷の源近芳が加路戸に定住して社司となり、この頃勧請されたと社伝にあるといいます。天正13(1585)年、天正地震)により加路戸は壊滅、神社も荒廃しましたが、寛文13(1673)年、再び勧請されています。宝永5(1708)年には暴風雨により社殿が流失し、翌年造営されたとも伝わっています。明治43(1909)年、加路戸神社を含め、10余社を近江島神社跡に合祀し、木曽岬神社(現在は、近江島神社)(現在の木曽岬神社は、伊勢湾台風の被災者の霊、戦没者の霊、村の開拓者の霊を慰める目的で昭和35(1960)年に創始)としましたが、昭和21年(1946)年、分祀され、現在地に再度ご鎮座。

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 11時50分過ぎ、ようやく筏川桜緑地が見えてきました。手前の桜が咲いているところが緑地公園で、奥の建物は弥富市社会教育センターです。JAみえきた木曽岬を出て50分かかりました。公園の手前を流れるのが、筏川。筏川沿いには桜が約230m連なり、ここで春まつりも開催されます。周辺には水郷地帯である弥富の水とのかかわりを伝える歴史的史跡があります。左の写真には写っていませんが、この右手にある橋を渡っていきます。

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 歴史的遺跡の一つが、こちらの「六門橋」です。もとは、明治39(1906)年に木曽三川下流域の水害対策のためにつくられImg_9665c_1 た樋門ですが、現在ではその機能は果たしていません。六門ですから橋脚は5本あります。そのうち、北側の3本はレンガ製で、これが最初につくられたところ。南側の2本の橋脚はその後追加されたもの。ゲートが嵌るところは、石柱を半丸状に繰り抜いてあります。写真はいずれも上流側から撮っています。この下流には、「立田輪中人造堰樋門(明治34(1901 )年、輪中の用排水管理のためつくられた樋門)」もあるようで、こちらも見たかったのですが、コースからはかなり離れていました。

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 スタートからここまできちんと休憩もせず歩きづめでしたので、桜の下のベンチで一休み。昼前で、小腹どころかお腹もかなり空いていましたし、水分も補給。近くにいた70代前半の男性が、話しかけてきて閉口。この日、春の高校野球の決勝戦でしたが、この方東邦高校のご出身で、あれこれご自慢をなさるのです。普段聞いてくれる人がないのでしょうねぇ。ホドホドに伺って早々に逃げ出すことに。写真は、休憩場所の近くにあったオランダ風車。平成17(2005)年の愛知万博の際、弥富のパートナー国がオランダであったこと、またその前年(平成16(2004)年)が、昭和の大合併(昭和30(1955)年)で当時の彌冨町が鍋田村および市江村楽平地区を合併して50年を迎えた記念としてつくられたモニュメント。高さは7.15m、羽根の直径は5m。

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 社会教育センターの脇にあるのが、「服部擔風(はっとりたんぷう)漢詩碑」です。服部擔風(慶応3(1867)~ 昭和39(1964))は、明治・大正・昭和にかけて活躍した漢詩人・書家。尾張国海西郡(現在の弥富市)の大地主の家に誕生。幼名は「粂之丞(くめのじょう)。尾張国出身の「儒者(じゅしゃ、儒教学者)」である「森村大朴(もりむらたいぼく)」に学び、漢詩と出会い、名を「擔風」と改めました。「日本芸術院賞」を受賞し、昭和39(1964)年、96歳での没後に「勲四等瑞宝章」を授与されるなど「漢詩」の分野において功績を残しました。この碑は平成6(1994)年建立。日には、次のような漢詩が刻まれています。蘇江は木曽川のこと。名声よりも自分らしく生きることを選ぶ良さをうたった内容で、「政府の高官とか名声とかは私には何の価値もない。功名を求めないと決意してからこのかた自己を裏切ることなく生きられたことをしあわせに思っている。春の水に浮かぶカモメと親しみ木曽川へりに漁をして生きる老人である」といった意味。

「台閣(たいかく)の功名(こうめい) 画餅(がへい)の如(ごと)し
操持(そうじ)して 幸いに未だ当初に負(そむ)かず
白鴎春水(はくおうしゅんすい) 忘機久(ぼうきひさ)し
我(われ)も亦(また) 蘇江(そこう)の一老魚(いちろうぎょ)」 

 ちなみに、 服部擔風の漢詩碑は、去年3月17日に出かけた近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」の時、鈴鹿の鼓ヶ浦海水浴場にもありました(2018年3月20日:近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ

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 社会教育センターから愛知県埋蔵文化財センターへ行く歩道の南側に山口誓子句碑があります。「群金魚 曲流なして 槽廻る」(むれきんぎょ きょうくりゅうなして そうまわる」。昭和61(1986)年頃に弥富を訪れて金魚が槽(競りの時に使われるカンコ)の中を、紅い群れとなって回遊している様子を詠んだものです。山口誓子として全国で187番目の句碑であり、その絶筆の句といわれています。平成6(1994)年8月建立。山口誓子(明治34(1901)年~平成6(1994)年)は、ご存じ、京都府出身の俳人。戦後は「天狼」を主宰し現代俳句を牽引しました。

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 誓子は、昭和16(1941)年、四日市の冨田に移り、療養しています(肋膜炎のため)。その後、昭和23(1948)年から約5年は鈴鹿の白子に在住したこともあって、弥富にもしばしば訪れ、金魚や藤の句を作っています。弥富市内には、他にも、「おみよし松(日の出小学校校庭の東端にあるおみよし松の庭園)」に「金魚田の 中に人住む 家があり」という句碑があります(こちら)。

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 続いて、すぐとなりにある愛知県埋蔵文化財センターへ。ここでは、“春の埋蔵文化財展 「やとみ新発見展2019」”が開催されていました(4月14日まで)。愛知県埋蔵文化財調査センターが昨年度(平成30年度)に行った発掘調査についての展示です。同時に、「朝日遺跡」の重要文化財の春の特別公開も行われていました。朝日遺跡は、愛知県清須市から名古屋市西区にまたがる、弥生時代を代表する遺跡の一つで、数多くの住居跡、墓がみつかっており、有名な佐賀県吉野ヶ里遺跡にも匹敵する巨大な集落といいます。考古学には興味はあるものの、知識不足ですし、今回は展示内容にまで予習が及んでいませんでしたので、一通り見て来ただけ。ちょっともったいない。

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 愛知県埋蔵文化財センターと背中合わせにあるのが、弥富市歴史民俗資料館。弥富市は、かつては水郷地帯で、水害に苦しみながらも、豊かな水に恵まれ、漁業や海苔の養殖、そして特産の金魚養殖といった産業が発達したところ。このような水と関わりの深い郷土の歴史、民俗、産業、自然などを紹介しています。また、弥富は、高級金魚の産地でもありますので、ロビーの水槽には、22種類の金魚が展示されています。

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 もう一つ弥富の特産というと、文鳥があります。白文鳥発祥の地とされます。資料館のロビーには、ここのマスコットである3c94a3cd 白文鳥の「ぶんちゃん」がいます。お願いすると手に載せたりすることができるそうです。ただ、残念なことに最近は、文鳥を飼育する人は減って、文鳥飼育農家も激減しているようです(こちら)。2017年7月時点で文鳥飼育農家は、2軒といいます(こちら)。愛知県立佐屋高校には、文鳥プロジェクトがあります。市内鯏浦地区には、手乗り文鳥の載った電話ボックスもあります(撮影は、2017年9月23日夕方)。これで立ち寄り先はすべてコンプリート。弥富市歴史民俗資料館でスタートから11㎞、ここを出て来たのが13時過ぎ。

Img_9699c  同行のMさんと、さすがにお腹が空いたので、どこか食べるところがあったら食事をしようということになりました。国道1号Img_9697c 線沿いにはめぼしい店がなく、弥富駅から150mほど手前にあった「コーヒーブラック」に。13時過ぎ。70代半ばのご夫婦が営んでおられます。ちょっとどうかとは思ったものの(どうかというのは、炭水化物ばかりで大丈夫か?ということ)、焼きそば定食、¥680なりをオーダー。テレビで高校野球の決勝戦を見ながら、また、店の奥さんや、女性のお客さんとおしゃべりで大盛り上がり(テキトーなことを言い放題にしてきました……笑)。奥さんにも、お客さんにも大ウケで、ゆで卵をあげるとサービスしてもらい、お世辞かどうか分かりませんが、「また近くに来たら、必ず立ち寄ってね」と何度も念を押されました(笑)。珍道中であります。ちなみに、このお店、若いお客さんは少ないようで、ネット検索しても情報は出て来ません(食べログなど)。昭和の喫茶店というイメージ。

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 おしゃべりに熱が入り、また、高校野球の決勝戦が終わるのを見届けてから店を出て、ゴールの近鉄弥富駅へ。キョリ測では、12.1㎞。14時15分到 Img_9708c 着。すぐに(14時16分)松坂行き急行が来て、それに乗って桑名駅到着は、14時22分。¥260。寒くて、ひたすら歩いたハイキングでしたが、Mさんのお陰もあって愉しく歩けました。ALKOOのデータでは、23,184歩。この17.7㎞はちょっとアヤシい。というのも、GPS計測の移動ルートを見ますと、歩いていないところまで行ったことになっていたからです。桑名駅往復が、1.8㎞ですから、合計13.9㎞。よく歩きました。

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 あみま倶楽部のスタンプは、13個目。順調です(微笑)。無理をせず、サボらずにやることが肝心。この日は、KIPSポイントも100ポイントもらえました。ということで、4月3日の近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」も、その2で無事に「完」。

九華公園はテレビのお陰で大賑わい……そのせいか、鳥はいません

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 予報通り、19.8℃と暖かくなり、上着がいらないくらいになりました。九華公園の桜もほぼ満開。今週に入って、CBCテレビの「チャント!」や、メ~テレのアップ!で取り上げられたためか、花見客は急増。テレビで放送されると影響が大きいのを改めて実感。昨日も、今日も駐車場に入る車が田町交差点の西まで渋滞。明日、明後日はもっと大賑わいになるでしょう。冒頭の写真は、三の丸公園の桜。ここもなかなかよいと思いますが、花見に来る人は少なく、穴場。蟠龍櫓、揖斐川に面していて、広くて気持ちよいところ。柿安にも近いのでいいと思います(微笑)。

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 さて、散歩は8時25分から11時にかけて、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、田町と回っImg_5395c て来ました。いったん帰宅して、駅の方へ用事に出かけ、合計6.4㎞。九華公園が賑わうのは、喜ばしいのですが、個人的には、人が多く、船が出ますと、鳥が出て来ませんので、早く落ち着いてバードウォッチングを楽しみたいなと思ったりしています。

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 揖斐川には、ヒドリガモやコガモが少しいたくらい。三の丸公園ではツグミが2羽。ヒバリは今日は揚げ雲雀1羽を見ただけ。九Img_5401c 華公園も、このところの賑わいでほとんど見ません。奥平屋敷跡でシロハラ(左の写真)。朝日丸跡でシメ(右の写真)。ここでは滅多にシメは見ませんが、ここへ来る花見客は少ないので、採餌に来たのかも知れません。シメは、このあともう一度奥平屋敷跡を見たら樹上にいました。

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 カモは、昨日と同じく、26羽。キンクロハジロのみです。堀の東側に集まっていますが、これまたいつも通り、堀めぐりの船が動き始めたら、一斉に飛び立って、避難してしまいました。例年のデータでは、ゴールデンウィーク直前までいます。

Img_8703c このあと貝塚公園に行ったものの、カワラヒワ、ヒヨドリ、ムクドリくらいしかいません。貝塚公園では、春先から樹木の剪定が行われているのですが、ツツジの植え込みの下の方をバッサリと切ってしまっています。ツツジは、丸い形や、山のような形に仕上げるのが普通なのかと思っているのですが、何か意図があるのでしょうかねぇ? あれでは台無しにしています。ここのツツジの植え込みにはウグイスがいることがあるのですが、あれではウグイスは隠れられないので、来なくなってしまいます。この写真は、3月26日に撮ったもの。右側がそのツツジの植え込み。

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 京町から田町にかけて、ツバメの巣のチェックもしてきましたが、京町の呉服屋さんではツバメが巣に入ることもありましたが、それ以外では巣にはまだいません。巣作りや、巣の修復作業をしている様子もありません。引き続き観察が必要です。

Dscn0885c 所用を終えて昼頃帰宅したら、諸戸氏庭園上空でトビの鳴き声が聞こえ、数羽が舞っているのが見えました。Dscn0889c よく見ると、1羽のトビに3羽のカラスが挑んでいるところ。このときは、コンデジ(Nikon coolpix S7000)しか持っていませんでしたので、それで撮ったのですが、けっこう撮れるものですね。光学20倍で撮って、トリミングしてあります。

 明日は、九華公園方面は大賑わいでしょうから、イワツバメを見に、大山田川へ行くつもり。日曜は、近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」かなぁと思案中。伊奈冨神社は一度訪れたいと思っていたところですが、さすがにつつじにはまだ早いでしょうねぇ。9㎞で立ち寄り先が少なそうなのも、どうかというところ。

2019年4月 4日 (木)

20190403近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」へ(その1)……近鉄弥富駅をスタート、鍋田川堤桜並木から源盛院で芭蕉句碑、常在院に立ち寄る

Img_9523c_1  4月3日に行ってきた近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」の記事です。半分以上書いたものの、ぶっ飛びました(苦笑)。気を取り直してこれを書いています。昔はこういうアクシデントがあると、ムキになって取り戻しましたが、さすがにそういう元気もなく、暴挙もしないようになりました(笑)。この日、最高気温は12度を超えましたが、風は5m/s前後と強くて冷たい。時折日が陰って、そういうときは寒さに震えるという天候でしたが、予定通り出かけてきました。知人Mさんとご一緒で、霊場巡りではありませんが、同行二人。

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 受付は、近鉄名古屋線・近鉄弥富駅で9時半から11時。桑名駅を9時2分に出る名古屋行き急行に乗車、弥富駅着は9時8分。次の停車駅なのです。¥260。集合は、改札口前のコンコース。到着したときにはすでに6~70名の方が並んでいました。少し早めに受付が始まり、コースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押してもらい、さらに、この日はKIPSポイント100Pのプレゼント(微笑)。南口を9時半にスタートします。

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 コースマップは、両面あります。両面あると、長い距離を歩かねばならない感じがするのです。弥富駅をスタートして南下、まImg_9531c_1 ずは鍋田川堤桜並木を目指します。ここを通り抜けて、源盛院からJAみえきた木曽岬営農センターでトマトの試食。その後は、弥富を目指して北上。筏川桜緑地、愛知県埋蔵文化財センターと弥富市歴史民俗資料館を訪ね、ゴールは近鉄弥富駅。マップ上は、約11㎞。普通に歩いたら3時間近くのコース。途中、立ち寄り先が少ないので、ひょっとしたら休憩場所がないかも知れません。

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 こちらは実際に歩いたルートを示した実測ルートマップ。ほとんど余分なところには立ち寄っていません。源盛院の近くに常在院というお寺を見つけたので、寄り道したのみ。もう一ヶ所、お寺に立ち寄りたかったのですが、水路を挟んだ向こう側。近くに橋もありませんでしたので、断念。歩いたところは、住宅地もありましたが、ほとんどは田園地帯で風通しがよく、途中でコースマップを飛ばされ、水路に落ちて水没するというハプニングも生じました(苦笑)。

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 もう少し拡大した実測ルートマップを掲げておきます。弥富駅からJAみえきた木曽岬まで行って戻ってくるというコースで20190403kintetsuhikingyatomi2_2 す ので、2枚に収まっています。ご覧になってお分かりのように立ち寄りポイントが少ないので、ひたすら歩くという感じ(苦笑)。鍋田川堤桜並木については、右のマップに示したあたりを歩きましたが、桜並木はまだ先の国道23号線まで続きます(南東へ)。

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 さて、弥富駅から200mほどで国道1号線に出ます。西に向かいさらに350mほど、弥富市役所北交差点で左折し、南へ。スタートかImg_9540c_1 ら1.2㎞ほどで前ヶ須新田交差点。ここを右折し、少し行くと素盞之男社があります。この前の道は、三ツ又池公園へバードウォッチングに行くときに通るところ。この神社は以前から気になっていて、今年2月15日に立ち寄って来ました(河口堰とM池公園へ……セグロカモメ、ホオジロ、ミコアイサ、ケリ、帰りにプチ歴史散歩)。素戔嗚尊を祀っています。ここでは、桑名の石取祭と同じく、鉦太鼓を叩きながら祭車を曳き回す祭があるということでした(こちら)。今日は、写真を撮っただけで通過。神社の向かいを右折し、また南へ。筏川を渡ってさらに進みます。

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 途中、クネクネとコースが曲がっており、Mさんとしゃべっていて、「どこで曲がるんだったっけ?」となったりしながらImg_9560c_1 も、30分ほどで鍋田川堤の桜並木が近づいてきました(左の写真)。このときは、晴れていて、風もあまり当たらず、歩きやすい感じでした。鍋田川堤桜並木は、三重県木曽岬町の観光のシンボルです。愛知県との県境沿いに流れる一級河川鍋田川に沿って約4㎞にわたり、ソメイヨシノを中心に約1,500本の桜が植えられています。

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 堤防上の道路の両側に桜が植えられていて、見事です。ほとんど満開で、ご覧のように桜のトンネルになっているところもあImg_9583c_1 りました。この日は、ハイキングということで、それなりに一所懸命に歩いてしまいましたが、満開の桜を眺めてのんびり散策するとよかったかも知れません(微笑)。

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 木曽岬町では、毎年4月の第一日曜日に桜まつりが開催されるということです(今年は4月7日)。観光協会の主催により、鍋田川いこいパークをメイン会場としています(いこいパークは、今回のコースよりもさらに南にあります)。この日は、約4キロの桜並木のうち、2㎞ほどを歩いたと思います。

 

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 スタートから4.4㎞ほどで鍋田川堤桜並木に別れを告げ、右折し、源盛院に向かいます。富田山(ふでんざん)源盛院は、曹洞Img_9608c_1 宗のお寺。ご本尊は釈迦牟尼佛。承応2(1653)年には尾張国知多郡古見にある真言宗妙楽寺の末寺でした。開基は、知多郡寺本城主・花井播磨守の家臣・堀田与右エ門でしたが、知多郡の豪農・富田彦兵衛が和泉新田を開発し、その一族と共に在住し、富田山源盛院を曹洞宗に改宗し、その開基となり知多郡古見龍雲院の末寺となっています。これが、元禄15(1702)年のこと。

Img_9598c_1  境内には、松尾芭蕉の句碑があります。「青柳の 泥にしたたる 汐いかな」と刻まれています。これは、芭蕉が当地を訪れたとImg_9605c_1 き、満潮で柳の枝先が汐につかっている姿を詠んだ句です。句碑の高さ二尺五分(77.9cm)、幅は八寸七分(33.1cm)。宝暦8(1758)年10月12日に建立。現在は、参道右手に移設されています。句碑の左に俳句が掘ってあると思うのですが、右の写真のようにほとんど読めなくなっています。

Img_9610c_1 鐘楼の鐘、きちんと見てこず、後で調べて分かったのですが、「明治四十二巳酉年五月鋳之 桑名郡西別所 辻内善平作之」とあるそうです。明治42年は、1909年。辻内善平は桑名・西別所に現在も続く辻内鋳物鉄工の9代目。辻内氏は、江戸時代には揖斐川右岸に住んでいて、その辺りは「鍋屋堤」と呼ばれています(桜堤防のあたりで、桑名水郷花火大会の会場)。辻内善右衛門種次は、寛文7(1677)年、春日神社青銅鳥居をつくっています。この青銅鳥居はたびたび災害に遭い、その度に辻内家が修復しています。昭和34(1959)年の伊勢湾台風の際も倒壊し、翌年、辻内善平(9代)、同恒夫(10代)両氏によって修復されました。と講釈を垂れるなら、よく見てくればよかったと反省しています(後から調べて、これを知ったのです)。源盛院でスタートから4.6㎞、時刻は10時半過ぎ。

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 源盛院を出て、西に向かっているところ。ご覧のような田園地帯で、遮るものがありません。鈴鹿おろしの風がまともに当たImg_9589c_1 るのです。帽子が飛ばされそうになります。陽が当たっている間はよいのですが、陰ると冬の感じ。このあたりや、このあと通った水路沿いなど、あちこちでまだまだツクシがたくさん出ていました。

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 源盛院の西、600mほどのところに霊鷲山常在院というお寺がありました。コースには入っていませんでしたが、見つけてしまいましたので、ちょっと立ち寄ってお参り。曹洞宗のお寺です。もとは、寺伝によれば尾張国知多郡寺本村にありましたが、大橋六兵衛(尾張国知多郡の農民で東対海地新田の開発者)が万治3(1660)年にこの地に移したといいます。その後、寺は宝永4(1707)年の宝永地震と、翌年の風雨で破壊されたのですが、安永6(1777)年に後の代の六兵衛が笠松郡代(美濃郡代)に願い、堂を再建しています。

 と書きながら、あれこれ検索して見たのですが、「東対馬新田」は、明治22(1889)年4月、 町村制の施行により木曽岬村が発足したとき、それに含まれていた地域の一つ。源盛院のところでも、知多の人物が「和泉新田」を開発したことにともなって移転してきたとありました(和泉新田も村発足の際の地域の一つ。こちらにあります)。さらに調べると、ここ加路戸あたりは、天正13(1585)年の大地震で一瞬泥土化し(液状化現象?)、800戸あまりあった民家は全滅。寛永2(1625)年以降、再開発が進んだところでした。干拓事業も積極的に行われ、加路戸輪中が拡大されたといいます(KISSO、Vol.4、1992年秋号)。その際、知多の農民がそれに関わり、移住し、お寺も移転してきたと思われます。

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 話を戻して、常在院の境内には、このような石碑がありました。脇の石柱には、「唯光霊神」とあります。説明書きもありませんでしたし、ネット検索しても、それらしい用語はヒットしません。「唯光」は文字通り解釈すれば、「ただ光だけ」ということでしょうか。「霊神(れいじん、れいしん)」は、「霊験あらたかな神」。「ただ光だけの霊験あらたかな神」ということ? よく分かりません。分からないことは多々あります。

 その1はここまで。その2で完結予定です。その2は、JAみえきた木曽岬でトマトの試食をし、弥富方面に戻り、筏川桜緑地で山口誓子句碑、服部擔風(はっとりたんぷう)漢詩碑、六門橋などを見てから、愛知県埋蔵文化財センターを訪ねます。その後、弥富市歴史民俗資料館を経て弥富駅にゴール。同行のMさんには、私の趣味であちこち引っ張り回したのですが、「僕もブラブラするのが好きですから」とありがたいお言葉です。

九華公園の桜は満開近しで大賑わい……春日神社の金龍桜を見て来ました

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 朝は冷えたものの、日中は15℃を超え、風も弱く、花見日和になりました。機能がこういう天気だったらよかったのにと思ったりします。いつも通り、8時20分から11時半まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、春日神社(金龍桜を見て来ました)、京町、寺町と6.4㎞。冒頭の写真は、拙宅マンション前のマイ・ソメイヨシノ。ほぼ満開です。

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 こちらは、三の丸公園の桜と蟠龍櫓。この景色も気に入っているところ。ここはまだ満開とはいいがたいのですが、桜が満開にImg_9747c なると見事な景色になります。満開が待たれます。もう少し南に下って、柿安コミュニティパークあたりから蟠龍櫓を見ると、右のように見えます。三の丸公園の桜です。ようやく暖かくなって、春爛漫という感じです。

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 九華公園の桜は、「満開近し」という感じ。場所によっては満開となっていますが、まだのところもあります。左の写真は、二Img_9811c の丸橋の南の袂あたりの桜。今日も花見客は多く、堀めぐりは9時過ぎから運行されていました。堀めぐり、人気で、次々と船が巡ってきます。ここの桜も満開近し。この桜をきれいに撮るのは、難しいのです。午前中ですと、どうしても逆光になってしまうのです。夜桜にすればよいのですが……。

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 吉之丸堀北のしだれ桜、ピンク色が薄くなって来ました。ここは、昨年9月の台風のあと、「狂い咲き」をしていましたので、Img_5299c 花が少し貧弱で、残念。本丸跡は、右の写真のように満開。ただ、ここは、向かって左に露店がいくつか出ていて、写真を撮るには気をつけなければなりません。

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 と桜の話ばかりかいてきましたが、実は、鳥があまりいなかったのと、その数少ない鳥を撮り逃がして(オヤジギャグではあImg_5290c りません)、鳥の写真がないのです(苦笑)。見たのは、メジロ、シメ3羽、シロハラ2羽、ツグミ5羽、カワラヒワ、ヒヨドリ、スズメ、ムクドリといういつものメンバーでした。カモは、昨日は2羽だったそうですが、今日は、キンクロハジロが26羽いました。が、数え終わって、9時を過ぎたら、堀めぐりの船が次々とやって来て、キンクロさんたちは右の写真のように、一斉に飛び立ってどこかへ姿を消してしまいました。

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 貝塚公園ではシロハラもいたのですが、それなりの写真に撮れたのは、このツグミだけ(苦笑)。他には、カワラヒワ、ヒヨドリくらい。今日は、鳥には恵まれない日です。花見シーズンが終わるまではいけませんねぇ。鳥に関しては、我慢の日々か、あるいは他へ見に行くかです。

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 こちらは、春日神社(桑名宗社)にある金龍桜。金龍桜は若葉が赤褐色、花が白に近い淡紅色、一重と八重との咲き分けで、Img_5338c 八重の優れた一品種です。この名木は、桑名城主・松平定綱公が摂津国(大阪府)古曽部の金龍寺の原木から分植したものだそうです(こちら)。ほぼ満開で、ちょうど良いタイミングで見に行けました。市内の照源寺にも、同じく松平定綱公が分植した金龍桜があります。

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 ツバメたち、我が家あたりでも朝から飛び回っています。マンション9階の目の前も飛んで行くことがよくあります。今日も、Img_5350c 三の丸や、京町で確認。左は、内堀北あたりの電線で休んでいたもの。右は、京町の呉服屋さんの玄関先のポストで休んでいた夫婦。このうえの蛍光灯に巣があります。

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 オマケ。先日、咲き始めたばかりのソメイヨシノの花をちぎって放り出すのは、スズメの仕業と書きました(3月30日:ユリカモメ54羽登場……帰郷の挨拶か(微笑)、ガングロユリカモメも、そして咲き始めた桜の花を落とす犯人は?)。今日は、その「犯行現場」を抑えたスクープ写真が取れました。九華公園の朝日丸跡にてです。

2019年4月 3日 (水)

20190403近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」へ(取り敢えず報告編)

Img_9534c 今日は、「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」に行ってきました。近鉄20190403kintetsuhikingyatomi 弥富駅から、鍋田川堤桜並木、源盛院を回り、JAみえきた木曽岬営農センターでトマトを試食。弥富に戻って、筏川桜緑地、愛知県埋蔵文化財センターと弥富市歴史民俗資料館を見学して、近鉄弥富駅に戻るという約11㎞のコースでした。ブログの記事を書き始めたものの、途中でぶっ飛んでしまい、ガックリ。書き直す気力が今日のところはありませんので、また明日にでも。

Img_9584c

 2ヶ所だけ印象に残ったところを取り敢えず、取り上げて載せておきます。鍋田川堤桜並木は、約4㎞にわたって約1,500本の桜が植えられています。ほぼ満開で、このうち2㎞ほどを歩いてきました。桜Img_9670c 並木は見事でした。筏川桜緑地では、山口誓子句碑。「群金魚  曲流なして  槽廻る」(むれきんぎょ きょうくりゅうなして そうまわる」 昭和61(1986)年頃に弥富を訪れて金魚が槽(競りの時に使われるカンコ)の中を、紅い群れとなって回遊している様子を詠まれたものです。山口誓子として全国で187番目の句碑であり先生の絶筆の句と言われています。

Img_9708c  今日は、9時半にスタートし、途中、昼食も摂っていましたので、ゴールは14時15分。実際に歩いたのは、12.1㎞。自宅・桑名駅往復が1.8㎞ですから、合計13.9㎞。歩数は、ALKOOで23,184歩でした。

2019年4月 2日 (火)

寒くて「一人花見」は断念……桜堤防を見て来ました

Img_5135c

 今朝の藤原岳、昨日よりも低いところまで白くなっています。今日の最低気温は3.2℃。日中は12℃を超えたものの、最大6m/sImg_9441c_1 を越える風で寒いこと。とくに日が陰ると震えます。今日は、一人で留守番でしたので、「一人花見」を決行しようかと思っていたのですが、この風と寒さで残念ながら、断念。露店は営業していて、生ビールなども売っていたのですがねぇ……。ちなみに去年(2018年)は、4月3日に敢行しています(今日は、花見を楽しんできました(微笑)……午後は仕事)。

Img_9413c

 散歩は、8時半から11時45分まで、6.9㎞。ちょっと余分に歩いてきました。一人花見を断念した代わりにということではありまImg_9433c せんが、揖斐川の桜堤防の桜を見て来たという次第。住吉神社から九華公園、貝塚公園を見てまた九華公園から住吉神社前を通って、六華苑の東にある桜堤防を回って来ました。左は、マイ・ソメイヨシノ。ほぼ満開になってきました(喜)。今日もあちこちで知人に遭遇して、話にも花を咲かせてきています。右の写真は、三の丸公園のソメイヨシノ。蟠龍櫓の南にある公園。

Img_5154c

 揖斐川沿い、鳥影は今日も少なし、でした。カンムリカイツブリの姿はありません。アオサギかと思って写真をImg_5163c 撮ったら、ゴミだったということも(笑)。猛禽類だと思って撮ったのはミサゴでしたが(左の写真)、不出来。右は、セグロカモメと思われます。他には、七里の渡し跡にコガモ5羽、三の丸公園にツグミ。水門のヒバリ、今日は見当たらず。

Img_5183c

 九華公園のカモたち、橋はなぜか復活して40羽。ただし、キンクロハジロばかり。10時に堀めぐりが始まり、船が来たら一斉Img_5210c に飛び立って、どこかへ。ユリカモメは、3羽が飛来し、短時間、野球場のフェンスに降りてきました。3羽のうち、1羽はかなり夏羽になって来ています。

Img_5166c

 今日も花見客はかなりいらっしゃいました。そのためもあってか、鳥の姿はあまり見られませんでした。左のツグミは、奥平Img_5175c 屋敷跡入り口にある花菖蒲園にて。奥平屋敷跡では、シメも一瞬出てきたものの、スズメが来て、逃げられました。右のシロハラは、二の丸跡にて。奥平屋敷跡を歩く人は少ないのですが、二の丸跡はたくさんの人が通りますので、ツツジの植え込みの陰から出て来ません。

Img_5190c

 鎮国守国神社の境内でジョウビタキのオス。天守台跡にある梅の木に出て来たのですが、枝が邪魔でうまく撮れず、お尻写真Img_5223c (笑)。シメは、神戸櫓近くにて。ですが、ご覧のようにチョー証拠写真。かなり高い木の上にいて、鳴き声を手がかりに探して見つけました。という風で、バードウォッチングはあまり成果が上がらず。

Img_5214c 二の丸橋の南の袂にある桜、かなり咲いてきてそれなりに見られる景色になって来ました。左の写真は、外周遊歩道の東からImg_9473c 見たもの。右は、二の丸橋から撮ったもの。ここはボリュームがあり、しかも水面近くまで枝が下がっていて、見応えがあります。

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 貝塚公園、訪ねる人は少なく、静かなのですが、鳥もいません。かろうじてシロハラ1羽。他にはカワラヒワ、ヒヨドリくらImg_5226c い。やむを得ず、ムクドリを撮影。数が少なければ、それなりにかわいいのですが、集団になるとやかましく、糞もするので嫌われます。

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 貝塚公園から戻って、住吉神社前から桜堤防の桜。ここもかなり咲いてきました。明治の木曽三川改修工事の際(明治44(1911)年に完成)、ここ(鍋屋堤)に桜が植えられたそうです。伊勢湾台風の時(昭和34(1959)年)、南東からの風で桜が川側に倒れ、桜の根が堤防を掘り起こしてしてしまい、堤防が部分的に大きくえぐれてしまったといいます(こちら)。現在の桜は、このあたりの堤防などが整備されたときに植えられた二代目。左の写真は、住吉神社の前から、散歩に行くときに望遠で撮ったもの。Img_9499c右は11時過ぎに戻って来て、こちらへ回ったときの写真。

Img_9511c

 奥に見えるのは、伊勢大橋、その向こうは多度山。初代の桜堤防では、道路の両側に桜が植わっていたようでImg_9505c すが、今は堤防の上に一列。横の道路を車がかなり通りますし、ここで花見をする人はあまりありませんが、散歩がてら桜を楽しむ人はかなりいらっしゃいます。右は、桜の下から長良川河口堰を眺めたもの。

Img_5239c

 桜堤防の西には、六華苑。久しぶりに六華苑の回りを回って来ました。堤防からは、電線、電柱が邪魔になってなかなかよい写真は撮れません。

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 明日は、弥富駅で近鉄ハイキングがあります(木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと「きそさきトマト」)。近鉄弥富駅から、鍋田川堤桜並木を眺め、JAみえきた木曽岬営農センターでトマトの試食(さすがにもう酒蔵みてある記はありません)、弥富に戻って、埋蔵文化財センターや、弥富市歴史民俗資料館を見学して、近鉄弥富駅に戻るという約11㎞のコース。鍋田側の桜並木は、約4㎞にわたって桜が植えられていて、見応えがあるのです(昔、通勤電車からよく眺めていました)。

 オマケというかぼやきというかの余談。この頃、自宅の電話に機械音声というか、合成音声というかによる電話がよくかかってきます。先ほどは、電気料金が安くなるという案内の電話がかかってきました。知事と県議会の選挙が始まる前の3月下旬には、新聞社かどこかから選挙のアンケートが何回もしつこくかかってきました。人件費がかからないので、こういう合成音声による電話をかけるのでしょうが、こういう電話に応対する人はどれくらいいるのでしょうねぇ。迷惑千万であります。最近はほとんどセールスか、こういう電話しかかかってきませんので、常時留守番電話にしていますが、合成音声による電話は向こうからは切ってくれませんので、いったん受話器を上げてすぐ下ろさないといけません。これ、禁止してくれないものでしょうか。

2019年4月 1日 (月)

藤原岳には雪、カモは2羽……「令和」について俄勉強(微笑)

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 鈴鹿の山には1,000mを越えたあたりに雪が見えます。左の写真は、8時半頃に散歩に出るときに撮った藤原岳。今日は、北風がImg_9325c けっこう冷たくなっています。寒暖を繰り返してはいますが、桜はスローペースながらも花が増えています。右は、諸戸氏庭園の煉瓦蔵前の様子。ここは住吉入江のすぐ北。毎日散歩に出るときに通るところ。今日も8時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、京町、寺町と6.0㎞。

Img_9341c

 揖斐川には鳥影はありません。カメラの望遠で河口堰を見ると、まだキンクロハジロたちがたくさんいるのが見Img_5063c えます。三の丸公園にはツグミ、ムクドリ、スズメ。スズメは、一時集団でいましたが、この頃はペアでの行動が目立ちます。三の丸水門のところでは、またヒバリがいるようになりました。日によって上流側であったり、下流側であったりします。ヒバリを見ていると、ユリカモメが1羽通過。九華公園上空も通過していきましたが、公園には降りてきません。

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 九華公園、平日ですが、花見客はけっこうあります。露店も多くが営業しています。団体でいらっしゃり、歴史案内人の方が付Img_9384c いて説明をしながら回っている姿も見られます。昨日午前中は、運行を休止していた堀めぐりの船も今日は、動いていました。もう少し桜が咲いた方が、船からも見応えがあると思います。

Img_5079c

 カモ、管理人さんは「朝、回ったときにはいませんでした」ということでしたが、私が見て回ったら、二の丸堀の東側エリアにImg_5086c ヒドリガモのペアが1組で、今日の観察数は2羽。人が多く、風もややありましたので、公園内、鳥影はあまりありません。右は、鎮国守国神社の境内にいたシロハラ。シロハラは、奥平屋敷跡にもいました。

Img_5111c

 本丸跡で知人と話していたら、いつものところでシメが出てきたものの写真は撮れませんでした。そのあと、管理事務所のあImg_5116c たりをウロウロしていたら、ソメイヨシノにメジロ多数。集団で賑やかにやって来るので、すぐに気づきます。メジロは、貝塚公園でも出てきました。そういえば、去年の今頃は、エナガがたくさんいて、巣材を運んだりしていたように思いますが、今年はサッパリ。九華公園では営巣してくれないような感じで、残念。

Img_5075c

 桜に目を奪われていますが、モミジの葉っぱもだんだんと青くなってきていますし、よく見ると、種子が付いてきImg_5094c ています。早いものでは、右の写真のように、一部で翼果(よくか)が見えています。赤いプロペラのようになっていて、時期が来ると、これが落ちて飛んで行くのです。今月下旬になれば、もっと真っ赤になってきます。モミジというと、紅葉が思い浮かびますが、これからの季節の「青紅葉」もなかなかのものと思いますし、赤くなった翼果もいい感じです。

Img_9399c_1

 ところで、新元号が「令和(れいわ)」に決まったと発表されました。万葉集がその出典ということで、テレビでも話題になっていました。学生時代に購入した岩波文庫の「万葉集(上・下)」を持っていますので、調べたら巻5に該当箇所がありました(岩波文庫版では、上巻のp.217)。昭和48(1973)年2月20日発行の第52刷です。かなり黄ばんでしまっていますが、十分読めます(微笑)。もとは漢文で書かれていると思います。白川静先生の「常用字解(平凡社、2003年発行)」で調べると、「令」は象形文字で、「深い儀礼用の帽子を被り、跪いて神託(神のお告げ)を受ける人の形」だそうです。「神の神託として与えられるものを令といい、「神のおつげ、おつげ」の意味となり、天子など上位の人の「みことのり、いいつけ、いいつける」の意味となる」ともあります。さらに、「令は神のお告げを受け、神意にしたがうことから、「よい、りっぱ」という意味となる」ということです。

Img_9404c  ついでに「和」についても、常用字解の説明を調べてみました。「和」は会意文字。「禾(か)と口とを組み合わせた形。禾は軍門に立てられる標識の木の形。禾を並べた秝(れき)は軍門の形である。口は<さい>(JISでは出て来ません。常用字解の説明の一部を左の写真に示しました)で、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。<さい>をおいた軍門の前で誓約して媾和(こうわ)する(戦争をやめ、平和な状態にもどす)ことを和という」とあります。「「やわらぐ、やわらげる、なごむ、なごやか」の意味となる」ともあります。「中庸(中国の思想書)」には、「「和なる者は、天下の達道なり」とあって、和は最高の徳行を示す語とされる」そうでもあります。

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  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

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    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

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    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)