お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年4月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年4月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

最近のコメント

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2019年2月

2019年2月28日 (木)

雨にて散髪とホームセンターへ……午後からは勉強

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 夕方になって晴れ間も見えてきました。朝から雨で、午後3時を過ぎる頃になってあがってきました。「晴歩雨読」などと嘯いていますので、雨が降ると「蟄居」でありますが、午前中は散髪とホームセンターへ。午後からは、読書と、あの大六先生のWISC-Ⅳについてのご講演資料をまとめたものを修正する作業をしています。作業はかなり進み、8割方終えられたと思います。
Img_4534c これで明日は天気が回復し、暖かくなりそうですから、いつも通りの生活に。朝は散歩、午後からは読書と勉強のつもりであります。明後日は、近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」に行きたいと思っています。約14㎞、歩き通せるでしょうか。また、午後は、15時からNTNシティホールで開かれる講演会(「~会津の「義」と戊辰戦争~」というテーマで、会津松平家14代当主の松平保久氏がお話しなさる)にも申し込んでいるのですが、両方とも制覇できるでしょうか。

2019年2月27日 (水)

大山田川でカワセミ、オオジュリン、アオサギ……ウグイスは見て、鳴き声を聞いただけ

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 毎度のワンパターンから抜けるべく(笑)、久しく出かけていなかった大山田Ohyamadariver 川方面へ行ってきました。陽だまりの丘辺りから伊勢大橋の上流で揖斐川に注ぐ川。一級河川というのはあまり意識していませんでした。一級河川は、「国土保全上または国民経済上、特に重要な水系で国土交通大臣が国土交通省令により、水系ごとに名称・区間を指定した河川」だそうです。 長さには関係ないようで、この大山田川、地図で図ると4㎞あまり。
454x640 いきなり余談ではありますが、大山田川、江戸時代以前は、現在の大成小学校の東辺りを流れていたようです(左の画像は、久波奈名所図会に載っている「益田庄桑名三崎元亀天正以前之図」から引用)。大成小学校の北にある尾野神社境内には、「船着松」が残っています。「江ノ奥」は、現在の諸戸氏庭園といわれますから、わが家がある辺り。これを、本多忠勝公が行った慶長の町割の際に、現在のような流れに付け替えたのです。
Img_4460c 播磨駅の西まで送ってもらって、8時25分にスタート。養老鉄道播磨駅の南を通って、JR・近鉄の鉄橋を潜り、途中、上之輪神社から上之輪新田の様子を見て、また、沢北川に少し回って、大山田水門へ.ここで揖斐川に注ぎます。そこからは、伊勢大橋を越え、南下。堤防を住吉神社まで。バローその他に寄って、所用を済ませ、11時過ぎに帰宅。6.1㎞でした。
Img_4488c 沢北川でカワセミを撮ることができました。やはり、時々は場所を変えるもImg_1771c のです。実は、これに先立って、大山田川でも新宮西橋の上流で、2羽のカワセミを見たのですが、遠かったり、飛んで行くところだったりでうまく撮影できなかったのです。
Img_1804c 新宮西橋や、沢南橋の近くでは、オオジュリンと思います。左の写真はオImg_1812c ス、右の写真はメスでしょう。葦原にいますから、写真が撮りにくいこと。テキトーにシャッターを切ったりしています(苦笑)。
Img_4457c さて、大山田川沿いでもっともよく見るのは、ハクセキレイです。まさにそImg_1828c_2 こかしこにいるという感じ。セグロセキレイも1羽見ましたが、時々いるキセキレイは、今日は見られませんでした。
Img_1774c 新宮西橋の上流で、ダイサギが2羽。写真はかなりトリミングしています。Img_4467c 左の写真のダイサギは、餌を探していたようですが、気づかれて、逃げられました。右の写真のダイサギはマッタリ中のようでした。
Img_1821c 例年、大山田川にはコガモがたくさん来ているのですが、今日は、水が少なかったためか、メスのみ5羽。新宮西橋あたりにいました。
Img_1840c 沢南橋の近くでは、ジョウビタキ。オス2羽が割りと近いとImg_1854c ころにいて、時折追いかけ回すのが見られました。「縄張り争い」という感じではありません。さらにもう1羽、別のオスが少し離れたところに。メスも近くに出て来ていました。
Img_1846c 辺りには、メジロ、スズメもたくさん。さらには、ウグイスの姿も見えたのですが、結局、写真には収められず、とても残念。ウグイスといえば、新宮西橋の上流で、さえずりが聞けました。他だ、まだ下手で、「ホケ キョ」という感じでした。
Img_1859c 沢南橋近くの葦原で、「何かいる!」と思ってシャッターを切ったら、画面の端に写っていました。アオジのように思えます。以前も、このあたりでアオジを見ています。
Img_4494c 大山田水門まで来て、ようやくアオサギさんに会えましImg_4497c た。嘴の根元がほのかにピンク色のようにも見えますが、ハッキリしません。大山田水門のすぐ下流に国道1号線・伊勢大橋が架かっています。
Img_4500c 大山田水門で右折、伊勢大橋西詰交差点を渡ります。揖斐長良川の中Img_1864c 洲、伊勢大橋の中堤交差点のところでは、架け替え工事が行われています。ここ数日は、杭打ちは実施されておらず、安心して昼寝ができるのです(笑)。
Img_4503c 堤防から河川敷を見下ろすと、ツグミが2羽。さらにヒバリの鳴き声も聞こImg_4522c えてきたのですが、こちらは姿を見つけられず。揖斐川にはカンムリカイツブリが3羽ほど。どのカンムリカイツブリも、程度の差はあれど、夏羽にモデルチェンジ中です。
Img_1895c その他、ヒドリガモや、中洲の方には、コガモなどの姿も見えました。あまImg_4482c り期待していなかったのですが、カワセミ、オオジュリン、アオサギ、ウグイスなど、充実していました(微笑)。梅は、沢南橋の東にある梅林で。ほぼ満開。

2019年2月26日 (火)

今日も暖かく、カメは甲羅干し……鳥は少なく、ちょっと残念

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 今日も15℃を超え、暖かくなっています。これで鳥がいてくれるとありがたいのですが、そうそうはうまく行きません(苦笑)。町屋川遠征も考えたのですが(渡り鳥たちがあまり減る前にと思って)、満潮が午前中で断念。弥富のサギ山や、ポンプ場も見て来たいので、今週中にはプチ遠征をと思っています。
Img_4441c いつも通り、8時20分過ぎから11時過ぎまで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から春日神社、寺町と5.3㎞。やや短めでした。初めの写真は、貝塚公園の白梅、左の写真は寺町商店街の河津桜。まだ一分咲きにも至っていません。
Img_1656c 揖斐川には、コガモの姿が3羽ほどありましたが、伊勢大橋の工事用の大きな台船が通って行ったこともあり、他には鳥影なし。三の丸公園にはツグミ、三の丸水門にはヒバリがいたものの、うまく撮れず。ちょっとガッカリしていたら、柿安コミュニティパークにシメが来ていました。
Img_1722c 九華公園に到着。アオサギも、ゴイサギも、ホシゴイもいません。サギ山へImg_1687c 出かけたのでしょうか。カモは63羽。ハシビロガモのオス、メスとも5羽、ヒドリガモは2ペア、ホシハジロのオス1羽とキンクロハジロたち。カルガモ、オオバンは1羽。
Img_1718c ミドリガメは、今日も、吉之丸堀東エリア(野球場の南)にて、甲羅干し4匹。春~秋には、近づくと逃げることが多いのですが、今日は真上から覗き込んでも、知らん顔して甲羅干しを継続。
Img_1667c 小型の野鳥はあまり多くはありませんでした。メジロは出てきたものの、Img_1673c ソメイヨシノの木に。ウメジロウ、このところ見られません。シジュウカラもいました。これら、いずれも奥平屋敷跡にて。
Img_1684c ツグミやシロハラもいたのですが、綺麗には撮れず仕舞い。カワラヒワはImg_1706c このところよく見かけます。あまりにも鳥がいませんから、たまにはということで、スズメ。寒さが厳しい頃にはあまり姿を見ませんでしたが、最近はまた増えてきた気がします。
Img_4414c 貝塚公園、ツグミが1羽いたほかは、ヒヨドリ、シジュウカラと、右のシロハラがImg_1741c 1羽だけ。今日は、シルバ人材センターの方の掃除もない日で、静かでした。

2019年2月25日 (月)

寺町でイソヒヨドリに大接近……鎮国守国神社で乙女椿が咲く

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 早くも2月25日。2月は、「逃げる」といいますが、まさにその通り。そして、今0225weather 日は、18℃を超えました。午後は風が出てきましたが、午前中はほとんど風もなく、暖かい日となっています。昨日は、2㎞足らずの散歩と、研修会に出かける途中少し歩いたくらいでしたので、今日は、いつも通りに。8時20分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、歴史を語る公園、京町、寺町と5.8㎞。出会う人は皆さん、「今日は暖かくて、いい日だ」とおっしゃいます。
Img_1632c 今日はこれから。イソヒヨドリのオス。寺町商店街の東を流れる「寺町堀」にImg_1633c て。商店街の屋根にいたのが、堀に降りてきました。そーっと近寄ったら、10m以内のところまで、近づけたのです。また屋根に戻ったのですが、そこにあったベンチに座ってみていたら、向こうも興味深げにこちらを見ているような感じ。
Img_4342c もう一つは、鎮国守国神社の境内にある「乙女椿」が、ようやく咲いたことです。早い年では1月半ばに咲きますが(2017年1月12日:寒い中、乙女椿咲く……猛禽類の証拠写真も(笑))、今年は待っていたのに、なかなか咲かなかったのです。
Img_1552c さて、はじめから。揖斐川には白魚漁の船が2組出ていて、水鳥は、中洲近Img_4312c くにキンクロハジロが3羽いたのみ。ジョウビタキのオスは、三の丸公園にて。ちょっと遠い。ここには、ツグミもいました。三の丸水門のところでは、ヒバリ2羽と、ツグミ。ヒバリは見つけにくい。写真も、デジイチならまあまあ撮れますが、超望遠コンデジでは、ビューファインダーの液晶が、逆光になることもあってよく見えず、苦労します。
Img_1611c  九華公園の堀では、早くも、ミドリガメが出て来て、甲羅干しをしていました。割と暖かい日が続いていたからでしょう。この2匹の他にも、堀に3匹が姿を見せていました。
Img_1613c カモは65羽。ハシビロガモのオス3羽、メスが6羽、ヒドリImg_1584c ガモが2ペア、ホシハジロのオス1羽とキンクロハジロたち。今年に入ってからの飛来数、記録はしてありますが、まとめていません。また作業をして、これまでのデータと比較してみましょう。ハシビロガモのオスは、来たときに比べ、ずいぶん男らしくなりました。
Img_4332c 九華公園では、今日は小型の野鳥はあまり見ませんでした。公園内で桜Img_4349c の木の剪定が行われていたからかもしれません。左は、写真としてはいけませんが、シロハラ。奥平屋敷跡にて。右のシメは、相撲場近くで撮ったもの。これも証拠写真レベルです。シメは奥平屋敷跡にもいました。
Img_1596c カワラヒワは、公園内のあちこちで見かけます。地面に降りてきて、餌を拾っています。たいてい複数から小集団で出て来ています。
Img_1620c 貝塚公園では、シロハラと、ツグミをそれぞれ1羽。他は、Img_1621c ヒヨドリと、カワラヒワがいたくらい。ここの掃除を担当しているシルバ人材センターの方で鳥好きの方がいらっしゃるのですが、「最近は、鳥が減ったなぁ」と嘆いておられます。本当ですが、見に来ないとわかりませんので、立ち寄ることにしています。
Img_1641c 寺町商店街の河津桜、少しずつ花は増えているのですが、花が咲き始Img_1638c めた木の本数は増えたものの、1本の木で花がたくさん咲いたという風にはなりません。つぼみは、どれも右の写真のように、咲く気十分、やる気満々ですから、もうじきと期待しています。
Img_4379c オマケは、メダカ。1週間か10日くらい前から、割と暖かくなっていますが、メダカが活発に動くようになりました。去年よりずいぶん早い感じがします。今日は、餌をやったら、ものすごい勢いで動き回って食べています。

2019年2月24日 (日)

今日は、支援員養成講座で名古屋へ

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 今日はかねてからのお約束で、特別支援教育支援員養成講座で名古屋にDscn0810c 行って、午後から2時間ほどの講座を担当してきました。その前にこちらへ。名古屋市市政資料館です。大正11(1922)年に建てられた旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎です。ネオ・バロック様式のレンガ造建築物です。詳細は、以前にも行っていますので、その記事をご覧くだされば幸いです(2018年3月11日 :ウィルあいちで支援員養成講座の講師……終わって市政資料館で留置場を見て、名古屋ウィメンズマラソンにも遭遇、2016年10月6日:支援員講座のあと、名古屋市市政資料館へ……旧・名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所 )。
Dscn0807c 市政資料館の喫茶室でランチをしてきました。一番人気というミックスサンドをホットというか、トースト。コーヒーをつけて、これで¥800。ここは、人気のお店のようで、昼間になったら、満員御礼。予約もできるようです。
965e0962 支援員養成講座は、市政資料館の向かいにあるウィルあいちにて。約40名Dscn0816c の皆さんに「心理検査でわかること 結果の支援への活かし方」というテーマでお話をしてきました。いつもながら、皆さん熱心に聴講してくださり、気持ちよく話をすることができました。

2019年2月23日 (土)

カンムリカイツブリはすでに夏模様……夏羽に冠羽していました

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 気温は13度を超えたのですが、北西の季節風が強くて、意外と寒い1日。近75770cd8 鉄ハイキング“特別企画ハイキング 「鈴鹿国定公園指定50周年記念事業」フリーハイキング 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”は、結局パスしました。「早春の鈴鹿山脈を眺め」というところが難点(苦笑)。文字にするとよいのですが、去年と同じコースであれば、楚原でめがね橋・ねじり橋を見た後、2㎞以上、右の写真のように吹きさらしのところを歩くはず。個人的には、「お雛様は、まぁいいか」ということもあって、いつも通りの散歩にしました。
Img_4243c ということで、8時20分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、寺町と6.2㎞を歩いてきたという次第。梅はボチボチ咲き進んでいますが、寺町商店街の河津桜は思ったほどは花が増えません。
Img_1450c 風が強く、揖斐川はかなり波立っていました。こういうときにカンムリカイツブリが出て来ます。こちらのカンムリカイツブリ、すでに夏羽にほぼ模様替え(リンク先にも写真があります)。鳥の世界は、春がかなり進行中のようです。
Img_1502c 九華公園。今日は、ゴイサギ&ホシゴイは、まったく見当たりませんでした。鎮国守国神社の社務所裏では、巣作りはしないようですから、ゴイサギはどこかコロニーに行ったのかもしれません。アオサギは、2羽が公園上空を飛んでいたのですが、降りてはこず。カモは、52羽と昨日よりやや少なめ。ホシハジロはオス1羽、ハシビロガモはオス5羽、メス3羽、ヒドリガモは2ペア。他は、キンクロハジロ。オオバンも2羽います。
Img_1483c シメは、奥平屋敷跡で3羽を確認。しかし、警戒されて、地面にいたのに、Img_4218c 樹上や、堀の向こう、立教小学校の方まで逃げられました。が、たまたま「お尻写真」をゲット(笑)。
Img_1476c 奥平屋敷跡では、ジョウビタキのオスも見たのですが、ちょっと遠くて、証Img_1498c 拠写真。このあとは、見失ってしまいました。ツグミや、シロハラもここにいます。鳥見に来られた方で、奥平屋敷跡にはいらっしゃらない方もあるのですが、ここは「穴場」です。
Img_1511c 本丸跡へいくと、「ジュルリジュルリ」とエナガの鳴き声。辰巳櫓跡近くにいました。1羽だけ。先日見たときも1羽だけでした。今日は、近くにいたのは、シジュウカラ2羽。カワラヒワも数羽のグループで、地面に降りてきて餌を拾っているところをよく見ます。
Img_4247c 最近、カワウの姿をほとんど見なくなりました。先日も書いたかもしれませんが、伊勢大橋の架け替え工事で、くい打ちが始まってからのように思います。揖斐川にもあまりいません。今日、九華公園では1羽のみ。このあと行った貝塚公園では、シロハラを一瞬見たのみ。
Img_4173c オマケのちょっと嬉しい話。今朝の中日新聞の投書欄を眺めていて、ビッImg_4244c クリ。九華公園に設けていただいている「水鳥カウントボード」のことを書いてくださった投書が載っていたのです。「散歩の楽しみの一つ」とあり、励みになります。ただ、残念なことに、管理形態が変わりますので、今のところ、今年度限り、3月下旬までの見込みです。
Img_4235c 明日(2/24)は、名古屋で開催される特別支援教育支援員養成講座で話をすることになっています。朝、短時間でも散歩したいと思いますが、どうでしょう? さらに、次回の近鉄ハイキングは、3月2日に行きたいものがあるのですが、約14㎞となっています(笑)。「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」というテーマ。采女城跡や、ヤマトタケルに因む杖衝坂・芭蕉句碑を回って、帰りは、四日市あすなろう鉄道に乗るというもの。これだけなら間違いなく行くのですが、この日、15時からNTNシティホールで開かれる講演会にも申し込んでいるのです。講演会では、「~会津の「義」と戊辰戦争~」というテーマで、会津松平家14代当主の松平保久氏がお話しなさるのです。 松平保久氏は、あの松平容保のご子孫。ハイキングで14㎞歩くとすると、4時間くらいかかる? 受付開始の9時20分には並んで……。頑張りましょう(苦笑)。

2019年2月22日 (金)

町中でイソヒヨドリのメスに遭遇

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 風は弱く、気温は13℃。暖かくなりました。日替わりで寒暖に差があります。することは同じ(微笑)。8時半から3時間あまり、散歩と、ついでに銀行へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園から銀行によって、寺町の河津桜を見て帰宅。何と7㎞も。ハイキング・ウォーキング並みでした。6㎞までならさほどでもありませんが、7㎞となると「ちょっと歩いたな」という気分になれます。
Img_4170c 今日は、こちらがベスト。イソヒヨドリのメスです。新築公園からNTNシティホールへ行く途中、ファミリーマート近くの路上で餌を拾っていました。近寄ったら、近くの民家の屋根へ。住宅街の中ですが、時々こういうところでも見ます(揖斐川の近いところからは、直線で1㎞足らず)。
Img_4110c さて、三の丸公園や、三の丸水門あたりで、ツグミ4羽。ようやく例年並みです。ヒImg_1350c バリも、三の丸水門の下流側の堤防にいます。ゆっくりと歩き、大きい動きや、急な動きを避けるようになりましたので、脅かして、いきなり逃げられることはなくなりました。しかし、枯れ草に紛れて見つけにくいのは相変わらず。
Img_1355c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイ、住吉神社で出会った知り合いは、9羽くらいいたとおっしゃったのですが、私が着いた時には、ゴイサギが2羽飛び去って、残ったのはこのホシゴイ1羽のみ。短時間で状況が変わるのか、ゴイサギたちも忙しくなってきたのか?
Img_1359c 九華公園の堀のカモは、59羽。ハシビロガモは、オス・メスとも5羽ずつ、ヒドImg_1392c_2 リガモは2ペア、ホシハジロはオスのみ1羽。他はキンクロハジロたち。オオバンは2羽。カルガモは1羽ですが、吉之丸堀の東屋の下で休んでいるところをよく見ます。今シーズンはあまり注目してきませんでしたが、キンクロハジロのオスの「寝癖(冠羽)」も相変わらず。個体差があり、これほど立派なものは多くはいません。ユリカモメ、今日はお目見えなし。
Img_1367c 奥平屋敷跡では、シメ。けっこう神経質というか、警戒心が強く、離れてImg_1370c いてもこちらによく気づきます。餌を拾っては周りを見回して、気にしているのです。右の写真のシロハラは、朝日丸跡にて。ツグミの仲間ですから、行動パターンは似ています。トコトコと小走りで進んでは、立ち止まることを繰り返すのです。
Img_4143c 一回りして、もう一度奥平屋敷跡を見に行ったら、北側にある花菖蒲園Img_1384c でツグミ。自画自賛ですが、きれいに撮れました。奥平屋敷跡では、シロハラ。今日は、このあと触れる貝塚公園でもシロハラを2羽見ました。「シロハラ・デー」です。
Img_4155c 神戸櫓跡で、シメと、モズのオス。シメは、この近くの本丸跡によくいますImg_1395c が、その個体かもしれません。モズは、公園内あちこちに出没するオスのように思います。九華公園では、オスのモズしか目撃しませんので、公園一帯を縄張りにしているのかもしれません。メスのモズがよくいるのは、三の丸公園から柿安コミュニティパーク付近。
Img_4157c 貝塚公園では、まずオスのモズ。枝かぶりになってしまいましたので、鳥Img_1407c_2 の写真としては、よろしくありません。見たという証拠(笑)。シロハラは、2羽を見ましたが、こちらは公園の南側の門を入った辺りにて。餌を探しつつも、時々回りの警戒を怠りません。
Img_1377c 散歩コースの梅や、河津桜は、さほど花が増えたということはありません。週末から来週に期待しましょう。明日(2/23)は、近鉄ハイキングが三岐鉄道北勢線・楚原駅であります。“特別企画ハイキング 「鈴鹿国定公園指定50周年記念事業」フリーハイキング 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”です。去年出かけたのと同じコースです(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))。マップ上は約9㎞となっていますが、去年は寄り道を含めハイキングのみで12㎞歩いてしまいました。翌日は(2/24)、名古屋で開催される特別支援教育支援員養成講座(2018年11月 3日:NPO法人子ども支援室カシオペア・ディスレクシア協会名古屋から「2019 年 春期 特別支援教育支援員(学習支援員) 養成講座」の案内をいただきました【Word版募集要項を追加しました(11/3)】)で2時間、話をしなければなりませんので、どうしようか思案中。いなべで蕎麦を食べたいというのと、北勢線のねじり橋・眼鏡橋で電車撮影をしたいと思っています。コース途中、「キセル」ならぬ、麻生田から阿下喜まで電車に乗って移動という手もあるなぁ、などとよからぬことも考えております(苦笑)。

2019年2月21日 (木)

九華公園にイソヒヨドリのオス登場【九華公園マップに説明を追加しました(2/22)】

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 まぁまぁ晴れて気温も11.8℃まで上がったのですが、北西の風が強い。午前中から4~6m/s。散歩で会う人皆、「今日は風が冷たい。昨日とは大違いだ」とおっしゃいます。8時20分からいつものコースを回って来ました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町、寺町と5.5㎞です。よくもまぁ飽きもせずと、我ながら思います。
Img_1277c 今日のトピックスは、イソヒヨドリのオス。たまに見かけますから、珍しい鳥ということではありません。出現したのが、九華公園の奥平屋敷跡~二の丸跡で、九華公園では初めて確認したということです。ただ、写真は残念ながら「証拠写真」レベル。最近よく見かけた三の丸水門や、七里の渡し跡からは直線で500mほどありますが、三の丸水門へは堀がつながっています。
Img_1230c さて、揖斐川は、風で波立っていて、キンクロ数羽、セグロカモメ1羽(飛来して、Img_1235c 着水)などわずか。代わって、七里の渡し跡(ここは、現在は、川口水門の内側になっていて、直接川に面してはいません)にヒドリガモ、コガモ、オオバンが合計61羽。ほとんどはヒドリガモで、コガモは10羽ほど、オオバンは1羽。
Img_1245c 蟠龍櫓の東にある揖斐川の堤防では、ツグミ2羽と、ヒバリ1羽。ツグミは、Img_1252c_2 近くの三の丸公園にもいました。例年ほどではありませんが、2月に入ってようやく、ツグミを見かけるようになっています。ヒバリは、このところよくいる三の丸水門の下流側でも3羽を確認。
Img_4062c こちらのツグミは、柿安コミュニティパークで見かけたもの。何となく若い個体のような気がしました。このあたり、昨年2月には、イカルを見たところです。今年も注意して見ているのですが、今のところ来ていません(2018年2月8日:イカルと、ヘンなゴイサギ、2018年2月16日:イカル再見……常信寺の梅、開花進む)。
Img_1326c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイたち、今日は、少なく、ゴイサギを2羽確認したのみ。強風のせいで姿を見せなかったのか? 今ひとつ不明。
Img_1291c カモは、合計68羽。一時、80~100羽を数えましたが、やや減少しています。ハシビロガモは、オス・メスとも5羽。ヒドリガモは今日は1ペア、ホシハジロのオスが1羽と他はキンクロハジロたちです。
Img_1296c 二の丸跡では、モズのオスがやって来ました。地面に降りてきて、ミミズImg_1303c らしきものを捕まえて、食べています。朝日丸跡では、ここでもツグミ1羽。ツツジの植え込みの近くで、餌探し。
Img_1322c シメは、今日は、本丸跡にいた1羽のみ。このほか、奥平屋敷跡でジョウImg_1279c ビタキのオス、公園の外周遊歩道の南でシジュウカラのつがい、ヒヨドリ、カワラヒワなど。シジュウカラは、目の前で盛んに鳴いていました。他だし、まださえずりではありません(鳴き声はリンク先で聞けます)。
Img_1332c 貝塚公園では、キジバトやヒヨドリの他は、このシロハラ1羽。公園の南東側エリアにて。今年の貝塚公園は、本当に鳥が少ない。行ってみないことには、いるかいないかわかりませんので、何とも難しいところ。
Walkingcourse  オマケというか、特別付録というか。九華公園回りの地図。毎日飽きもせず散歩しているエリアです。青丸は、「鎮国守国神社の社務所裏」。ゴイサギ&ホシゴイがいるところです。貝塚公園は、このさらに下(南)。立教小学校よりも南にあります。寺町商店街は、このマップの範囲外(さらに左=西)。旧・東海道は、黄色いライン。
Img_1337c 余談というか、何というか。伊勢大橋の架け替え工事が再開され、ここしばらく杭打ち工事が行われています。写真は、拙宅玄関前から撮ったものですが、中堤入り口交差点の南、長良川河口堰の親水広場の北端で工事が行われており、音がかなり響いてきます。くい打ちが行われていると、昼寝ができないくらい(笑)。1,300mほどのところ。
Img_4098c さらに余談。昼寝をしているわけではありません。このところ、1月6日に行ってきた、大六一志先生によるWISC-Ⅳ講演会のまとめ&復習&資料作りをしています(2019年1月 6日:個人的近鉄ハイキング「津市河芸町を訪ねて、三重K-ABCアセスメント研究会でWISC-Ⅳについて勉強しよう」へ(笑))。大六先生の講演会は、三重K-ABCアセスメント研究会で7年連続で行われています。これは、WISC-Ⅳ解釈の上でとても参考になります。以前似もまとめをつくったのですが、その改訂作業をしています。先生の講演資料に、お話になったことのメモなどを加え、自分が参照する資料をつくっています。一通りできあがったものを、現在、確認&校正中。

2019年2月20日 (水)

久しぶりにユリカモメ25羽登場……最高気温17.3℃でぽかぽか陽気

Img_4037c 午前中はこんな空でしたが気温は高く、午後には、何と17.3℃にもなりました。3月下旬くらいの陽気ではないかと思います。朝8時半頃まで弱い雨雲がかかっていましたので、散歩に出たのは8時40分頃。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町を回って、6.1㎞。11時過ぎに帰宅。

Img_1099c 七里の渡し跡でジョウビタキのオスが出て来ました。このあたりを縄張りにImg_1104c_2 しているジョウビタキと思います。堤防から七里の渡し跡に降りてきたら、視野の端を何かが横切ったのに気づいたら、このジョウビタキでした。三の丸公園では、スズメたちの他に、ツグミが2羽。しかも、かなり接近しているのに出遭いました
。あまり見ない光景。三の丸水門では、今日はヒバリは見当たらず。
Img_1111c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイ。最近は、クスノキより北側にあるビワの木Img_4001c にいるところを見かけます。今日も、左の写真の2羽の他にもう1羽がここにいました。いつぞや10数羽が出て来て驚いたことがありましたが、クスノキが過密になっているためなのかと考えたりしています。
Img_1190c 鎮国守国神社の社務所裏にあるクスノキには、こんな色のゴイサギがいました。お腹の辺りが茶色っぽくなっています。汚れているのか、それとも元々こういう色なのかは、不明。パッと見たところでは、ゴイサギ?と思ってしまいました。
Img_4009c 奥平屋敷跡でも、ジョウビタキのオス。七里の渡し跡からは直線距離でImg_4017c 500m以上離れていますから、上のとは別のジョウビタキでしょう。二の丸跡へ行くと、ビンズイが2羽。たまたま数mのところに出て来てくれ、ラッキー(微笑)。
Img_1138c カモは、今日は、64羽でした。二の丸堀と吉之丸堀に散らばっています。写真は、野球場の南にある吉之丸堀の様子。ハシビロガモのオス、メスとも4羽ずつ、ヒドリガモは2ペアで他はキンクロハジロ。今日は、ホシハジロの姿はありません。
Img_1153c 珍しくというか、久しぶりにというか、ユリカモメが25羽来ていました。九華Img_1172c 公園の入り口で出遭った、鳥見の大先輩Sさんが、「今日は餌をやっている人がいて、ユリカモメがたくさんいた」とおっしゃっていました。やはり、餌がもらえるとやって来るようですが、どうやって探知するのでしょう? 偵察に来ているユリカモメでもいるのでしょうか。
Img_1186c 他にもシメも2ヶ所で見たのですが、遠くてまともな写真にはなりませんでした。カワラヒワ、シジュウカラ、キジバトなどの常連はいつもどおり。写真は、本丸跡で見たハクセキレイ。貝塚公園や、内堀公園ではヒヨドリくらい。
Img_1177c 鎮国守国神社境内では、梅の花が少しずつ増えてきています。白梅も、Img_1184c 紅梅もあります。桑名藩主を務めた久松松平家の家紋が梅鉢紋ということに因むのでしょう、鎮国守国神社にはたくさん梅の木があるのです。
 
Img_1208c 帰り道、寺町商店街の河津桜を確認してきました。花はまださほど増えてはいませんでしたが、つぼみは皆かなり膨らんで来ています。今週末からもっと咲き始めるように思います。

2019年2月19日 (火)

20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(その2)……長谷神社、能部神社、後藤酒造場から星川駅にゴール(完)

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 2月9日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」のその2です。その1では、稗田で春日神社、矢部駿河の守墓碑、敷政稲荷神社跡を見てから、桑部に入って、教専寺と善徳寺の2つのお寺を見て来ました。善徳寺でスタートから2.5㎞、時刻は10時半頃。
Img_2589c 200mほどで、県道3号線に面する長谷(ながたに)神社の一の鳥居まで来Img_2593c ました。社号標には、「延喜式内」とあります。右手に忠魂碑などが見えます。これは後できちんと見なくてはと思いつつ、鳥居を潜り奥へ。すぐに右手に二の鳥居。
 

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称徳天皇(第48代、ご在位は764~770年)神護景雲(じんごけいうん)元(767)年に常陸国鹿島神宮の祭神を勧請して、桑部村谷奥長谷に祀ったImg_2604c のが始まりで、正安年間今のところに遷ったといいます。地形的に谷間にあったということでしょう。主祭神は建御雷之男神(タケミカヅチノカミ)。経津主神とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功し、また、神武東征においても、天皇の危難を救った神。鹿島神宮の祭神で、春日信仰の主祭神。相殿神は、斎主神(フツヌシノカミ、経津主神とも;香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、建御雷之男神とともに出雲に行った神)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神。中臣(なかとみ)氏・藤原氏の祖神)、姫大神(ひめがみ;神道の女神で、特定の神の名前をさすものではありません)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、大山祇命(オオヤマツミノミコト、山の神)、天目一箇命(あまのまひとつのみこと、天津彦根命の子、桑名首の祖という)、須佐之男命(スサノオノミコト、出雲神話の祖神。天照大神の弟)。
 なお、「くわな史跡めぐり」には、「祭神は『衝立船戸神(つきたてふなとかみ;道などの曲がり角の神)』で、この付近は町屋川における船舶の標的な意味と思われる。また、朝明郡と桑名郡との郷境の意味もあったと思われる」とあります。「新桑名歴史散歩」にも似た趣旨が書かれています。しかし、神社検索(三重)では、「船運が盛んになった後世に祀られることはあるとしても当初は建御雷男之神を祀ったと考える方が正しいと思われる」と書いています。
 さらに、由緒書には、創建について、次のように詳しくありました:神護景雲年間に、藤原不比等が常陸の国(茨城県)より春日山に祭り、藤原氏の氏神として崇拝し、これが現在各地に祭られている春日神社の始まりであること、また、この建御雷之男神を勧請する時、常陸国より使者が当時交通の要所であった桑部に立ち寄った際、藤原氏の隆盛にあやかりたいと当地の有力者の懇願によってその御分霊を桑部の長谷に鎮座したが長谷神社のはじまりであること。その後、200年を経て、延喜式にも記載され桑名地方におけるもっとも由緒ある春日系の神社として崇敬されていたところ、正安年間(13世紀末)に至って、新興地として栄え始めた三崎三ヶ村(現在の桑名市街地)の有力者が、春日神を勧請した時も春日信仰の先達である長谷神社に敬意を表してその道中、桑部に一夜鎮座したとあります。これが、明治初年に至るまで、桑名春日神社(桑名宗社)の御事(石取祭)に桑部の人達が招聘され、長谷神社の協力を得てその神事が行われたと伝わっているともあります。
 明治41(1908)年に、能部神社(武甕槌男命)、須賀神社(素戔嗚命)、春日神社(武甕槌男命)を合祀しましたが、昭和56(1981)年に春日神社(東金井字西谷)、昭和54(1979)年に能部神社(能部字南貝戸)を分祀しています。
Img_2606c 文章ばかり続きました。境内社としては、こちらの八天宮社。八天宮は、Img_2608c 火伏の神。桑名・員弁地方ではたくさん祀られているそうです(こちらに言及があります。八天宮は秋葉神社と同じとも書かれています)。それは、江戸時代、文政7(1824)年、桑名藩主(松平定永公)の命で各村に八天宮を祭るようにされたからだといいます。ちなみに、阿岐葉社もあるとこちらにはあります。
Img_2618c 八天宮社の南に「忠魂義胆郷党軍人記念之碑」があります。この記念碑は、明治28(1895)年2月、桑部村大字桑部壮年会が建てています。明治28年は、日清戦争の翌年です。「従六位 東 吉貞 書」となっています。碑の形が気になります。正面から見て右上が欠けているように思えますが、そうなのかどうか、わかりません。
Img_2623c さて、一の鳥居の西側にあった忠魂碑などを見て来ましょう。向かって右から忠魂碑、日露戦役祈念碑、五箇条の御誓文碑が並んでいます。
Img_2630c まずは、忠魂碑。昭和15(1940)年1月に石原末松という方が建立しています(「桑名の戦争遺跡」による。三重県遺族会のサイトには、「桑部遺族会」とあります)。高さは、3.6m。碑陰には、支那事変(日中戦争)と大東亜戦争(太平洋戦争)戦没者83名の名が刻まれています(「桑名の戦争遺跡」による)。海軍大将・永野修身が筆を執ったもの。永野(明治13(1880)~昭和22(1947)年)は、高知出身の軍人で、海軍大将・元帥。ロンドン軍縮会議首席代表・海相・連合艦隊司令長官・軍令部総長などを歴任。
Img_2634c 中央にあるのは、日露戦役祈念碑。山本鐵太郎始め、19名の方が明治40(1907)年4月に建てたとあります。高さは2.9m。碑陰には、戦没者7名、従軍者36名の名前が刻まれており、佐治為善(さじためよし)の書となっています。佐治は、兵庫出身の軍人。陸軍少将。大佐、歩兵第19連隊長として日露戦争に出征。旅順攻囲戦に参加しています(ここにあります)。
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 向かって左にある五箇条の御誓文碑は、桑部小学校にあったものを戦Dscn5164c 後、現在地へ移したそうです(こちらに記述があります)。「廣く会議を興し万機公論に決すべし」に始まるご誓文が、五角柱に刻まれています。五箇条の御誓文の碑は、四日市の諏訪公園にもありました(2017年11月28日:またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑))。諏訪公園の五箇条の御誓文碑は、右の写真のように、塚(といって良いのか?)の上に立っており、そこに上っていけるようになっていました(昭和9(1934)年に建立)。
Img_2655c あれこれ書きましたが、長谷神社滞在は、10時35分から10分ほど(微Img_2667c 笑)。西側の参道、鳥居を見て、桑部の町の中を進みます。桑部公民館の先で南に入って、さらに少し先で西へ。このあたりで3㎞を過ぎ、正和郵便局付近で4㎞。このあたりは、しばらく前に開発された、当時の「新興住宅団地」です。右の写真は、正和郵便局を過ぎて、東名阪自動車道に向かう坂道。
190209kintetsuhikingrengeji2 実測ルートマップは、その2になります。正和郵便局のところから、正和台Img_2669c という、住宅団地。知人がお住まいですが、団地の中を東名阪自動車道が通っています。東西の境がこの自動車道でないところが微妙。知人の話では、自治会や老人会の活動でちょっと困るそうです。余談はさておき、東名阪自動車道をくぐっていきます。
Img_2672c すぐそこに能部(のんべ)神社があります。創立は不詳。能部村には春日神社(村社)、無格社、山神社、八幡宮社、白山神社が鎮座していたものを、明治40(1907)7月、八幡宮境内(現在地)に移し、合祀。「能部神社」となりました。能部神社は、さらに明治41(1908)年3月、長谷神社(先ほど参拝してきたところ)に合祀となりました。終戦後、氏子の総意により、昭和57(1982)年3月、大字能部の旧社地に分祀されています。
Img_2675c 主祭神は、建御雷之男神(タケミカヅチノカミ;由緒書きには、武甕槌命となっていますが、同じ)。相殿神は、大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト、天照大神の異称)、素盞嗚尊(スサノオノミコト)、品陀和気命(ホンダワケノミコト)、大山祇命(オオヤマツミノミコト)、菊理姫命(くくりひめのみこと;黄泉国からにげる伊奘諾尊が伊奘冉尊とあらそったとき、二神の主張を聞きいれ、助言した神。石川県白山比咩(しらやまひめ)神社の主祭神)。
 本来であれば、どうしてここにこれらの神様がいらっしゃるかまで考察できると良いのですが、まだまだそのレベルに至っていません。
Img_2685c 能部神社でスタートから4.5㎞でしたが、桑部に入ってからけっこう坂道もあって、たくさん歩いたような気がします。東正和台、西正和台と歩いて、正和台西公園で5分ほど休憩。赤尾台の団地の東を下って、西へ。正面に西南山浄光寺(浄土真宗本願寺派)が見えますが、酒蔵がもう目の前ですし、寺までは2~300mくらいありそうでしたのでパス。写真の右手に「桑名の地酒 青雲」という幟が見えていて、そちらの方が誘因力がはるかに強かったのです。いうまでもなく、信心が足りません(苦笑)。ちなみに、浄光寺は、創建は不明ですが、織田信長の伊勢長島の一向一揆により、一度途絶えた(​1573年)というくらいで、由緒あるお寺です。当初は、真言宗でしたが、明応5(1496)年、蓮如上人の時代に浄土真宗に改宗。18世紀の終わりに再興されています。員弁郡野田村にあったのですが、度重なる水害にあい、文化2(1805)年に、現在地(桑名市赤尾)に移って来ました。
Img_2694c 11時25分にようやく後藤酒造場に到着。スタートしたのが、9時55分ですから1時間半、5.7㎞。酒蔵みてある記ですから、大賑わい。皆さんほとんどの方は、ここでの試飲、即売品の購入が目的と思います。。灯街道のイベントで、青雲を飲んで以来、一度来て見たかったところです(2017年4月2日:改めて灯街道・桑名宿のイベントを見てきました(4/1)、2018年4月7日:
風雨をついて、灯街道・桑名宿イベントへ……「青雲 樽酒」をゲット(笑))。1年前のハイキングは参加できませんでしたので、ようやくということ(微笑)。なお、お断りしておきますが、私、決して大酒飲みではありません(微笑)。
Img_2704c 無料試飲は、青雲の大吟醸。三重県産山田錦100%、アルコール分は16~17度。何と形容すべきか、果物のような香りがしますし、なめらかで飲みやすいのに、コクがあるという感じ。これ、堪りません(微笑)。
Img_2707c 「大酒飲みではない」と書いたものの、もう一つ、有料試Img_2708c 飲の方も気になりました。1杯100円でありましたので、ナイショで(誰に?)、「久波奈」を1杯。いずれも三重県産の山田錦と、神の穂が減量。特別吟醸で、醸造用アルコールは添加されていません。アルコール分は15~16度。青雲とは異なりますが、果物の香り。「マスカットを思わせる」とありましたが、そこまでの判別はできません。のどごしは、青雲に比べ、こちらの方が柔らかくて、飲みやすい。2口でいただいてしまいました(もったいない)。
Img_2713c 恒例の土産は、地元の酒造場ということもあって、特別に(笑)2種類。1Img_2834c つは、「青雲 しぼりたて生酒」。720ml入り、¥1,300。冬季限定で、アルコール分19~20度。「冷やのままお召し上がり下さい」です。
Img_2844c もう1種類は、「北勢線 応援酒」と銘打った「嘉例川(かれがわ)」。「嘉例川」は、近くの地名。嘉例川地区で栽培された酒米・五百万石でつくられています。有料試飲で出ていましたが、試してきませんでした。「爽やかで軽い旨みの純米酒」だそうです。アルコール度数は16。
Img_2697c 甘酒の振るまいもありましたので、もちろんいただいてきました(微笑)。Img_2698c 酒蔵によって微妙に味が異なることや、どういう酒の酒粕を使っているかによっても違うことは分かりますが、それを言葉にできるほど繊細な舌および文章力はありません。
Img_2716c 飲食ブースも出ていました。ちょうど小腹も空いていましたので、桑名のImg_2715c とらや饅頭が売っていたみたらし団子を1本。¥100。小声でいいますが、私的には、郷里の「天王の団子屋」のみたらしがベスト。
Img_2652c この日のハイキングでは、桑名市観光協会提供の「お楽しみ抽選会」もImg_2692c ありました。コースマップに付された番号で抽選となります。私のものは、#43。しかし、酒粕(下一桁2、6が当選)も当たらず、残念。う~ん、外れても、ポケットティッシュくらいくれても良いのにと思います。それに抽選会場には、無愛想なオッサンが二人。あちこち回って比べてみて、はっきり書けば、桑名市も、観光に力を入れるなら、もっと気合いを入れて、サービスしないと。やる気があるのかと思えてしまいます。
Img_2722c これでこの日のハイキングは、コンプリート。「一人宴会」はせず(微笑)、滞在20分でImg_2729c ゴールの三岐鉄道北勢線・星川駅に向かいます。後藤酒造場から県道26号線に降りてきました。星川駅には、この道をまっすぐ行って、坂井橋を渡るのが最短ルートですが、あいにくこの道には歩道が整備されていません。「交通事故を招く恐れがある」ということで、1本東の水田地帯の道がコースに指定されていました。確かに、この道の方がのんびり、ブラブラ歩けます。ほろ酔い加減ですから、賢明な配慮。
Img_2734c 正和中学校の前を通って、員弁川の右岸の堤防に上がります。中学校Img_2736c の前でスタートから7㎞。この日は、土曜日でちょうどお昼でしたから、部活から帰る中学生たち多数。右の写真、前方に見えているのが坂井橋。これを渡ったすぐのところがゴール。
Img_2761c 星川駅には、12時15分にゴール。スタートから8.0㎞でした。西桑名行き190219kintetsuhikingrengeji3 は、星川駅が見えたところで出発していってしまいました。次は、12時41分発。幸い、隣に三洋堂星川店があります。ここはよく来る本屋ですから、そこで時間つぶし。赤尾の水田地帯から、正和中学校を経て、星川駅までの実測ルートマップは、右の通りです。
Img_2778c
Img_2766c 12時41分の西桑名行きに乗車。帰りは、三岐カラーのナロー電車です。ガタンゴトンとゆられ、西桑名には12時56分に到着します。停車駅は、在良、蓮花寺、西別所、馬道、西桑名。
Img_2784c 三岐鉄道北勢線は、在良から西桑名に向かうあたりは、桑名の市街地を走ります。民家の庭先というか、軒先を通っていくようなところもたくさんあります。次に、動画を載せておきます。あまりよく撮れたものではありませんが、ご容赦を。
Img_2819c 西桑名駅には、既述の通り、12時56分に到着。この日の近鉄ハイキングImg_2840c への参加で、あみま倶楽部のスタンプは6個目(その後2つのハイキングに行っています)。
 近くで名前は知っていても、行ったことがないところ、あるいは、自分ではわざわざ行かないであろうところへ行けること、またそれなりに歩くことができるというのが、こういうハイキング/ウォーキングの楽しみです。ボチボチと続けましょう。近鉄ハイキングでは、3月以降、「お伊勢さん参り」ハイキングという12回シリーズが始まります。これは、何とかすべてに参加したいと思っています。

2019年2月18日 (月)

20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(その1)……春日神社(稗田)、矢部駿河の守墓碑、敷政稲荷神社跡、教専寺から善徳寺へ

 2月9日に行ってきた近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」のその1です。10日近く経って、ようやくここまで到達しました(苦笑)。去年も同じような企画があり、後藤酒造場を訪ねてみたかったのですが、予定が合いませんでした。

Img_2459c 近鉄ハイキングではありましたが、受付は、三岐鉄道北勢線・蓮花寺駅でしImg_2464c た。徒歩で三岐鉄道西桑名駅へ。北勢線は、JR・近鉄桑名駅の南にある西桑名駅からいなべ市北勢町の阿下喜駅まで20.4㎞を結んでいます。日本では数少なくなった一般的な営業を行う762mm軌間のナローゲージの鉄道路線の1つで、鉄ちゃんには有名。大正3(1914)年4月、大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmが開業したことに始まります。軽便鉄道の名残です。三重県内には、四日市のあすなろう鉄道も、ナローゲージです。
Img_2468c 電車もご覧の通り、ミニサイズ。西桑名駅を9時40分に出る楚原行きに乗車。蓮花寺までは8分、¥170。乗車した電車は、レトロカラーにペイントされています。調べてみると、もとは三重交通モ4400形電車です。北勢線開業100周年記念(2014年)に作られた旧北勢線の復刻カラーとして、三重交通であった時代の塗装になっているのです。これに乗るのは初めて。
Img_2472c 車内はこんな感じで。ロングシートの間も狭い。足が長い人同士が向かいImg_2475c 合って座ったら、つかえそう。ちなみに、小生は大丈夫(胴長短足の典型的日本人体型なのです)。
Img_2486c この日のコースマップ。蓮花寺駅をスタートして、長谷神社、後藤酒造場で酒蔵見学、三岐鉄道・北勢線・星川駅がゴールという約8㎞のコース。ホームページには載っていなかったのですが、矢部駿河守の墓碑(薬師堂)も立ち寄り先になっていました。これら以外にも、稗田で春日神社(石取祭のある桑名宗社とは別)、桑部では2つのお寺、さらに、能部神社もコース沿いにあって立ち寄って来ました。
190209kintetsuhikingrengeji こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。桑名の上水道の水源である員弁川の南側を歩いています。桑部など古くからの町や、正和台という、少し前の新興住宅地を通ります。実際に歩いたのは、7.9㎞。員弁川(町屋川)を、桑部橋と、坂井橋の2回、渡ります。ゴールの星川駅の隣には、三洋堂星川店、さらに、時々買い物に出かけるMEGAドン・キホーテUNY星川店(以前は、ピアゴ星川店)があります。土地勘はあるようなないような、微妙な地域。
Img_2487c スタートの蓮花寺駅(れんげじと読みますが、地元では、「れんげいじ」といわれています)。受付は10時からでしたが、着いた時(9時48分)にはすでに数10人の方が並んでいました。酒蔵みてある記は、やはり人気。コースマップを受け取り、あみま倶楽部の会員証に捺印してもらって、歩き始めたのは、9時55分。
Img_2495c 蓮花寺駅を出てすぐ、市立在良小学校のところで、横断歩道橋を渡り、Img_2498c 西別所地内から、稗田へと進みます。ここで、年末の近鉄ハイキング(2018年12月8日:20181208近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」(予告編))で顔なじみになった男性と遭遇。四日市の富田にお住まいの男性と遭遇。近鉄益生駅から歩いてきたとおっしゃり(3㎞弱あります)、ビックリ。さらに、帰りは、後藤酒造場から歩いて帰宅する積もりだとも! 伊坂ダムなどちょっとした山を越えて、直線距離でも5㎞はあります。いろいろな方がいらっしゃいます。
Img_2502c  スタートして800mほど、桑名市稗田にある春日神社。石取祭で有名な春日神社(桑名宗社)とは別です。創祀は伏見天皇(在位1287~1298)以Img_2504c 前とされます。奈良の春日神社より、春日神社(桑名宗社;中臣神社の方です)へ分祀される時、この春日神社に小休があったといいます。そのための仮殿から始まったのでしょう。御祭神は、建御雷之男神(たけみかづちのかみ;鹿島神宮の祭神。伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神)、斎主神(経津主神(ふつぬしのかみ)、刀剣の神格化された神。建御雷神と共に,高天原からの最後の使者として出雲に派遣されて、大国主命に国譲りを承知させた)、天児屋根命(あめのこやねのみこと;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、姫大神(特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの)。
Img_2508c 境内にはもう一つお社がありましたが、何も説明はなく、不明。「第10回北勢線の魅力を探る~お地蔵さんを巡って、酒蔵へ~ 」を見ると、伊奈利社かも知れないと思います。詳しい方でしたら、お社の形から何系の神様かお分かりになるのかもしれませんが、まだそこまで勉強が至っていません。
Img_2510c 神社の隣の空き地には金ピカの仏像などがあります。こImg_2512c れも気になります。グーグル・マップなどを見ても、何も記載されていません。空き地の中央には、これは卒塔婆といって良いのでしょうか、「南無妙法蓮華経 奉」と書かれています。その下には、仏像が刻まれた板。裏側を見てくると、何かわかったかもしれません。ネットの検索では、限界があります。現地でよく見る、地元の方がいらっしゃれば聞いてみることが必須でした。
Img_2514c 春日神社のすぐ東辺りのお宅の玄関の屋根にこういうものが飾られていました。ハトをかたどったものです。私は初めて気づいたのですが、検索して見ると、こういうハト飾りをつくっている瓦会社もありました(タツミ)。ハトは、八幡神の神使とされてきたといいます。八幡神は軍神ですから平和とは結びつかず、武士の家紋ともなったそうです(Wikipediaの説明を参照)。「平和のシンボル」というのは、戦後入ってきた西洋的な価値観の影響。こういうハト飾りは「無病息災 子孫繁栄 招福の象徴」と書いているブログもありました(こちら)。このあたりで1㎞ほど。
Img_2522c 春日神社の先でグルッと回ると、薬師堂があります。正式には、宝増山薬王寺。室町時代に天台宗の寺院として建立されましたが、織田信長の北勢侵攻の際に焼失し、その後、江戸時代に法華宗に改宗してこの地に移転したと伝えられています(こちら)。
Img_2526c この薬師堂の境内に「史蹟矢部駿河守埋葬之地」という石碑があります。矢部駿河守定兼(寛政元(1789)~天保13(1842)年)は、江戸後期の旗本。天保12(1841)年、江戸南町奉行となりました。住民には思いやりのある名奉行だったものの、老中水野忠邦天保の改革を断行した老中)と対立。目付鳥居耀蔵(大学頭林述斎の子。甲斐守を名乗ります。旗本鳥居家の養子となった後、目付として蛮社の獄で洋学を弾圧し、老中水野忠邦の信任を得ました。天保12(1841)年、江戸町奉行となり天保改革を推進。厳しい市中取締りは江戸町人から妖怪(耀甲斐)と恐れられ、また反感を買いました)の画策により在任8カ月で罷免され、桑名藩へ永預け、改易の処分を受けました。これに抗議し、絶食して死んだといわれます(病死という説もあります)。
Img_2532c これは、石碑の碑陰の写真。「矢部駿河守定謙ハ幕府旗本ニシテ令名アリシガ天保ノ幕政改革に際シ鳥居甲斐守ノ讒ニ遭ヒ職ヲ追ハレ桑名藩ニ預ケラル、桑藩コレヲ吉之丸に置キ優遇セシガ定兼桑名着後自ラ食ヲ断チ憤死ス、顕本寺日顕上人コノ所ニ葬ル、法名隔雲院孤月日高大居士、 天保十三年七月廿四日歿、行年五十二」、さらに「小説『天保図録』作者松本清張氏ノ援助ヲ得テ建之」とあります。桑名市文化財調査委員会によって建てられたのは、昭和39(1964)年7月。
Img_2531c  矢部駿河守定兼が桑名藩に預けられてからのことについては、こちらに詳細な言及があります。天保13(1842)年7月に亡くなり、その後、顕本寺で日顯上人が葬儀を執り行い、薬王寺に埋葬されました。その後、許されて、遺族・家来が町屋川の河原で荼毘に付し、遺骨を持ち帰りました。跡地に村人がムクノキを植え、墓標代わりにしていたのですが、枯れてしまい、その跡に北勢史談会が木製の墓標を建てました(昭和25(1950)年8月)。昭和36(1961)年、作家・松本清張が訪れ、多額の寄付を寄せ、昭和39(1964)年9月、この墓碑が建立されています。松本が訪れたのは、歴史小説「天保図録」の取材のためです。「天保図録」は、天保の改革(天保年間 (1830~44) 年)を描いています。「天保図録」は1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)まで「週刊朝日」に連載された作品です。水野忠邦が、いわゆる天保の改革を着手する前夜(1841年)に政敵となる中野石翁・水野美濃守一派を追放した『かげろう絵図』の終わりから始まっていますが、その描くところは、商品経済の発展についていけなくなった徳川幕藩体制の崩壊プロセスといわれます。
 この「矢部駿河守定兼埋葬之地」も以前から、一度訪れてみたかったところでした。
Img_2538c 「矢部駿河守定兼埋葬之地」の石碑から、西へ3㎞半くらい。県道3号線との交差点の西に、鳥居が見えました。グーグル・マップなどを見ますと、「敷政稲荷神社」とありますが、鳥居と社号標が残るのみ。こちらのサイトに2016年12月2日づけ鳥居の写真が載っています。しかし、ネットではめぼしい情報は出て来ません。2年あまり前までは、神社としてあったと思われます。
Img_2543c このあと、員弁川を桑部橋で渡って、桑部に入っていきます。桑部橋をわたってすぐのあたりでスタートから2km。10時20分頃。桑部橋をわたってすぐに右折するのですが、直進して、コンビニ(セブンイレブン)や、コープみえ桑名センターの辺りは桑部城跡だったようです(こちらの文化財のサイトもご参照ください)。下調べが足らず、そちらには行きませんでした。
Img_2561c 桑部橋からは桑部の町へ入っていきます。200mほどで桑部小学校の北Img_2557c に至ります。昔からの町で、古い民家の壁には、昔の看板が残っています。桑名でよく見かける「結納品 宝石 羽田」、「結納 宝石 平岡」、「松岡電気」が揃っています。
Img_2563c 桑部小学校のすぐ西には、藤花山教専寺があります。浄土真宗本願寺Img_2565c 派のお寺。かなり立派なお寺なのですが、由緒書きや、説明板はありません。ネットではこれという情報はありませんし、「くわな史跡めぐり」などにも記述はありませんでした。
Img_2575c もう少し進むと、小学校の北西にも浄土真宗本願寺派の善徳寺がありまImg_2580c す。こちらも、教専寺と同じく、由緒書き葉見当たらず、また、ネット検索でも、「くわな史跡巡り」などの本でも言及されていません。
Img_2584c 善徳寺で印象に残ったのは、こちら。山門を入って右手に、戦死なさった方々の墓が多数並んでいたことです。おそらく、門徒の方で会ったと思われます。いずれにも花が手向けられ、今でも篤く供養されていることが窺われました。
190209kintetsuhikingrengeji1 ここまでの少し詳しい実測ルートマップ。蓮花寺駅から員弁川の南側に来て、歩いています。桑部橋の南にある「城山台」の辺りが、桑部城跡です。善徳寺までで約2.5㎞。その1はここまで。次は、長谷神社から。

エナガ、今年初お目見え、そしてウメジロウに、今日は「シメ・デー」

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 朝は氷点下でしたが、日中は13℃を超え、暖かくなりました。散歩日和でImg_1087c す。寺町商店街の河津桜は、ポツポツと花が増えていますし、ほころび始めたつぼみも見られます。明日の午後から明後日の朝にかけて雨が降り、その後気温が上がるという予報ですから、今週後半にはもっと咲くと期待しています。
Img_3899c 8時半から3時間あまりも、散歩をしてきました(笑)。途中、同級生の職場の前で、その同級生と遭遇。「ちょうど良いから、コーヒーでもどう?」ということで、30分弱、あれこれ話をしてきたからです。その前にも、九華公園で知人とおしゃべり。歩く、鳥を見る他、こういう楽しみがありますから、止められません。コースはいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町、寺町と、5.3㎞ほど。
Img_1019c 今日はまずは、エナガ。今年初お目見えです。1羽だけが、メジロやシジュImg_1023c ウカラと一緒に行動していました。管理事務所近くや、公園の外周遊歩道の南で見かけています。いつ見ても、モフモフで可愛らしい。
Img_0985c エナガと一緒にいたメジロは、2羽。管理事務所の南で咲き始めた白梅のImg_1035c 木で、「ウメジロウ」を撮らせてくれました。鎮国守国神社にはたくさんの梅の木がありますが、九華公園のエリアでは梅の木はこれ一本。シジュウカラは3~4羽がいました。3種類とも賑やかで、少し離れたところからでもいるのがわかります。
Img_0872c 三の丸水門の下流側では、今日もヒバリが5~6羽。草の間に顔を突っ込んで、懸命に餌探しをしています。鳥たちの行動を見ていますと、春近しという気がしてきます。あとで載せますが、キジバトなど、巣材を咥えているところも見られました。
Img_0891c 九華公園では、しばらく見ませんでしたが、アオサギさんが1羽。ブロ友のひらいさん情報では、弥富のサギ山にすでにアオサギたちが集まり始Img_0957c め、巣作りの準備をしているようです。ゴイサギ&ホシゴイは、3~4羽。右の写真は、鎮国稲荷社の参道から撮ったもの。社務所裏の堀越しからは、4羽ほどいるように見えました。相変わらず、葉っぱの陰でよく見えません。
Img_0904c 九華公園内、今日は、「シメ・デー」が開催されていました。奥平屋敷跡でImg_0906c は、3羽を同時に確認。少しずつ間を置いて、採餌をしていましたので、3羽が写った写真は撮れたものの、それぞれ米粒くらいで見られたものではありません。本丸跡にも1羽がいて、やはり今シーズンは九華公園にシメは4羽滞在中と考えて間違いなさそうです。
Img_0942c カモは74羽。ほぼ、いつものメンバー。ハシビロガモはオス・メスとも5羽。5ペアということでしょう。ヒドリガモは、今日は1ペアしか見えませんでした。ホシハジロのオスが1羽で、他はキンクロ。オオバン、ユリカモメ這いませんでしたが、カルガモさんは1羽。
Img_3967c 本丸跡で、何度かジョウビタキのオスが出て来たのですが、写真はイマイチ(苦笑)。左はデジイチによるもの。超望遠コンデジでも撮ったのですが、ピンぼけばかり。
Img_1039c 貝塚公園では、初めの方にも書きましたが、キジバトが巣材にすると思われる枯れ枝を咥えているところを見つけました。内堀公園でも、キジバトが枯れ枝を運ぼうとしていました。が、止まっていた木の枝にそれが引っかかり、バランスを崩して落ちかけていて笑えました。木から落ちるのは、サルだけではなさそうです(微笑)。
Img_1050c さらに貝塚公園では、どこかからモズのけたたましい鳴き声が聞こえてきました。探してみると、このモズが警戒音を発していました。近くを見回すと、別のモズが1羽。縄張りを侵したようです。普段ならモズも、あまり近づくと逃げるのですが、このモズさん数mくらいまでいっても逃げず。「縄張り死守」という風に見えました。
Img_1065c シロハラ、今日は2羽がいました。南側のエリアと、西側のエリアと、棲みImg_1068c 分けているようです。左の写真は南側で、右の写真は西側で撮ったもの。
Img_3915c 余談であります。以前も触れましたが、事情により、九華公園に掲出していただいていたパネル「桑名の東海道」(2018年9月27日:九華公園のパネルを「桑名の東海道」に変えていただきました……トビと、桑名七里の渡し公園拡張工事のお話しも)は、取り外してもらいました。写真に写っている地図だけはしばらく残っています。この先、今の見通しでは、パネルの再掲出はありません。

20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その3)……笠寺一里塚からわずかに東海道を歩き、七所神社へ、粕畠公園で弁当を食べ、笠寺駅にはほぼ3時間でゴール

 2月3日のJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」も、その3となり、今回でゴールの見込みです。

190203jrwalkingkasadera2_2 その2の最後にも載せた、この日のウォーキングの実測ルートマップの後半部分。見晴台考古資料館のある笠寺公園の入り口でほぼ4㎞。公園を出て南下し、4.8㎞のところに次の目的地である「笠寺一里塚」。ここは、再び、旧・東海道。
Img_1806c こちらが、笠寺一里塚。名古屋市内には、かつて9ヶ所の一里塚があったそうですが、現在残っているのはここのみ。徳川幕府は、慶長9(1604)年、日本橋を基点に東海道をはじめ主要街道に一里塚を築きました。36町を一里(約4㎞)とし、一里ごとに土を盛って塚を築き、その上に木を植えて目印としました。ここも、かつては、一対の塚で、道を隔てた南側に大正時代まで塚があったそうです。江戸・日本橋からは、88里にあたります。この一里塚の上にはエノキが植えられています。写真は、南側から撮っています。向かって右の道からここへ来ました。塚に向かって左が、旧・東海道。
Img_1803c 一里塚跡は、県内の旧・東海道沿いで、朝日町(縄生)や、四日市市(富Img_1811c 田、日永)で見たことがありましたが、塚そのものが残っているのは、初めて見ました。ここから、わずか70mほど、また東海道を歩き、笠寺精治寮病院の手前で、右折。ちょっと大回りして(たぶんコース設定上、ある程度の距離を歩くようにするためでしょう……笑)、七所神社へ。
Img_1816c 住宅街を通って、スタートから5.7㎞。七所神社(ななしょじんじゃ)。御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこImg_1822c と)、宇賀魂命(うがみたまのみこと)、天穂日尊(あめのほひのみこと;天照大神の子。天孫降臨に先立って、葦原の中つ国に遣わされたものの、大国主命に味方して復命しなかった)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をしたときに生まれた神)、乎止与尊(おとよのみこと;天火明命の子孫で尾張氏の十一世。尾張国造となった)、宮簀比売尊(みやずひめのみこと;日本武尊の妃。尾張の豪族の娘)の七柱。そのため、七所神社と呼ばれます。
Img_1832c 天慶3(940)年に、平将門の乱を鎮める祈願のため、熱田の宮の神々をImg_1844c 勧請したと伝わっています。確かに、御祭神は、熱田神宮に関わりが深い神様が多くなっています。将門の乱は、平安中期、関東に起こった内乱です。平将門は、天慶2(939)年、常陸・下野・上野の国府を占領し、一時関東を支配下において新皇を称したのですが、天慶3(940)年、平貞盛・藤原秀郷らに討たれています。同時期に瀬戸内海で起こった藤原純友の乱とともに承平・天慶の乱という。
Img_1838c 下調べをしたところ、七所神社には熱田神楽の正統を継承してきた「神楽師の碑」があるということで見て来ました。熱田神楽は、愛知県の尾張・西三河地方に伝わる巫女神楽の一種で、熱田神宮内で行われていたものがこの地域全体に広まったのだそうです。碑表には、「熱田神楽師 宗家 荒川関三郎師 稲熊代三郎師 壽碑」とあります。昭和27(1952)年の建之。この年、荒川関三郎氏は56歳、稲熊代三郎氏は58歳でした。碑にある荒川関三郎(あらかわせきさぶろう、明治30年生まれ)は、4代目宗家を名乗り、多くの弟子を育てたそうです。碑陰の文章は、次のリンク先にあります:神楽師の碑
Img_1852c これで、コースマップに示された回るところはすべて制覇。時刻はちょうどImg_1866c 正午。七所神社の西に粕畠公園があり、目の前を名鉄名古屋本線が通っていて、電車も見られましたので、ここで昼食としました。名鉄は、高校から大学院まで通学に9年間お世話になりましたから、いささかの思い出や、思い入れがあります。
Img_1871c 実は、もっと時間がかかると思って、朝、桑名駅の駅ナカファミマで弁当をゲットして来たのです。「いなり&おむすびセット」、税込み¥378であります。あみま倶楽部の会員は、駅ナカファミマで¥500以上購入すると、¥100引きのチケットが10枚あるのです。ハイキング/ウォーキングでは、歩くのに支障が出ないように昼は少なめに食べようと思いますが、そうすると、選べる弁当のバリエーションが限られてしまいます。ファミマでは、是非とも「ハイキング/ウォーキング用弁当」を発売して欲しいですねぇ。それも攻めて週替わりのメニューで(笑)。
Img_1878c 15分ほど休憩した後、再スタート。粕畠公園の少し先で左折、名鉄名古Img_1882c 屋本線の高架下を通って、前浜通へ。南区役所の前を通って右折し、再び、名古屋高速3号線沿いに進みます。笠寺駅には12時25分にゴール。結果的には、残り10分でしたから、わざわざ弁当を食べるほどでもありませんでした(爆)。せっかく買って行った訳ですし、ウォーキングですから、公園など空の下で食べた方が良いか、ということで(微笑)。
Img_1892c ゴールは、スタートと同じではありますが、こちら。JR東海道線・笠寺駅Img_1897c 東口。スタートからは、7.0㎞。スタートしたのが、9時半でしたから、ほぼ3時間。その9時半には、ゴール受付が始まっていましたので、右の写真の状況は、スタートの時も見ました(苦笑)。
Img_1894c JRさわやかウォーキングのスタンプは、これで3個目。たぶん去年よりハイペース。今日は、先着2,500名に新春キャンペーンとして、「笠寺駅 絵馬型駅名バッジ」(先週、伊勢市駅でもらったものと同じタイプ)がもらえるということでしたが、すでになくなっていました。前にいた男性が係の方に聞いているのが聞こえて来ました。が、「2,500人は、とっくにゴールしました。お客様で3,000番目くらいです」だそうで、残念。名古屋で開催されるJRさわやかウォーキングには、これで2回目の参加でしたが、いずれも参加者はとても多い感じです。
Img_1908c 帰りは、笠寺駅発12時28分の東海道線・岐阜行き普通に乗車。名古屋Img_1926c 駅着は、12時40分。¥200。今日は、珍しく指令があり(微笑)、「きよめ餅を買ってくるように」ということでしたので、名古屋駅で下車。ギフトキヨスク名古屋で探したものの、売っておらず、ピンチ! 「これはヤバい」と思い、「エエイッ」と思い切って、近鉄名古屋駅へ。改札を通って、駅ナカファミマへ。良かった、10個入りと5個入りとを売っていましたので、5個入りをゲット(¥600)。何となく、ここで売っていたような記憶があったのです。指令を無事コンプリートし、安心して帰宅(微笑)。今日の3時のおやつ。名古屋からは、近鉄電車。13時1分の松阪行き急行で、桑名着は、13時22分。¥440。
190203miharsidaistampc オマケは、名古屋市見晴台考古資料館のスタンプ。ハイキング・ウォーキングに行くようになってから、スタンプがあると押してきます(子どもみたいで我ながら笑えます)。このように台紙があるところではそれをいただきますし、なければ、メモを書いているコクヨのLevel Book(測量野帳)に押してきます。毎度毎度書きますが、桑名にはこういうスタンプはありません。九華公園でも、管理者の方が市にスタンプ作成を申し出て、原稿までつくって提出したのに、梨のつぶてだそうです。せっかく、東海道や、旧・桑名城など歴史・文化遺産があるのに、それを活かさない手はありません。と、ここでぼやいていても始まりませんが……。この日は、現地で7.4㎞、桑名駅往復が1.8㎞で、合計9.2㎞。よく歩きました。
 これでようやく、2月はじめのハイキングの記事が終えられました。3編に分けるほどではなかったような気もします。もう少し全体像を考えてから、個々の記事を書かねばなりません。自分でもそう思っていますが、なかなか実現しません(サボっているだけですが)。調べ始めると、ささいなことまで気になります(そうでなくても、どうでも良いことや、ささいなことが気になる質ですから)。この年になって、行動パターンを変えるのは難しいでしょうが、次からはもう少し見通しを持って、それぞれの記事を書くことにしましょう。昔はうまく行かないと、すぐにムキになったのですが、さすがにそういう傾向は弱まったと思っています。
 笠寺観音は、また平日にでも行ってみたいと思うのですが、こういうイベントでもないとわざわざ出向くというのは難しい気がします。

2019年2月17日 (日)

20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その2)……笠寺観音、名古屋市見晴台考古資料館、笠寺公園、きんさん桜・ぎんさん桜

 2月3日に開催されたJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」のその2です。週末になると、ハイキング・ウォーキングに出かけていますし、確定申告作業もあり、記事を書くのが遅れています(苦笑)。

190203jrwalkingkasadera1 左は、この日の実測ルートマップのその1。その1の記事では、「旧・東海道」Img_1665c とある辺りまで来ました。名鉄・本笠寺駅の東に「笠寺西門」とあります。ここが、笠寺観音への入り口。右は、信号待ちの時に撮った写真。交差点を渡ると、歩行者専用通路になっていますし、露店も出て、大賑わいの様相。この日は節分で、豆まき。今年、笠寺観音は、恵方ではないので、さほど混んではいないだろうと思ったのですが、大外れ(苦笑)。
Img_1667c_2 笠寺西門の交差点を渡って、露店がたくさん出ているところを進み、山門にImg_1672c 至ります。右の写真が、笠寺観音の西門。西門の前辺りは、まだまだ空いていたのですが、いざ境内に入ると、とんでもない状況が待っていました。
Img_1680c それがこちらの写真。前に進めない、身動きできない……。台風や事故で電車が止まったときの名古屋駅の構内のような感じ(たとえがヘンですが、写真を見ていて、昔のことを思い出しました)。
Img_1677c 西門を入って左手、お堂の前に仮屋を建て、そこでお神楽というか、お祓いというか。このときはよく分からなかったのですが、仮屋にかかった幕には「熱田神楽 笠寺保存会」とあります。熱田神楽は、愛知県の尾張・西三河地方に伝わる巫女神楽の一種で、熱田神宮内で行われていたものがこの地域全体に広まったのだそうです(あとで訪れる七所神社にも関わります)。写真はトリミングしてしまい、写っていませんが、この手前には「白山大権現」と書かれた提灯が下がっていました。
Img_1687c このお神楽のところからが大変でした。まったく進まなくなってしまったのImg_1684c です。左の写真は、本堂前まで来て振り返って撮ったもの。並んでいる人たちがたくさんいます。これは、「豆まき祈祷」を受ける人たちの列。とてつもない時間がかかりそうでしたので、本堂にお参りするのは諦めました。
Img_1686c 笠寺観音の正式な名称は、天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。真言宗智山派の寺院。尾張四観音の一つである他、尾張三十三観Img_1718c 音、名古屋二十一大師やなごや七福神などの霊場の札所です。ご本尊は、十一面観音。聖武天皇の天平8(736)年、呼続の浜に流れついた流木に禅光上人が十一面観音像を刻んで安置し、小松寺と称したのが始めといわれます。その後1世紀以上を経て、堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままになっていたのですが、旅の途中で通りかかった藤原兼平藤原基経の子、875~935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫(たまてるひめ)と名付け、妻としました。この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられたといいます。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来するそうです。
Img_1714c  さて、本堂前は大賑わいで、きちんとお参りしようと思うと、先ほどくぐってきた西門または仁王門(左の写真、後で寺の南に回って撮ったもの)から並び直す必要があります。この賑わいでは、とてつもなく時間がかかりそうでしたので、早々に諦め、境内にあった玉照姫を祀ったお堂にだけお参り。
Img_1696c_2 こちらがその玉照姫と藤原兼平公を祀ったお堂である玉照堂。「玉照姫・藤原兼平公ご夫妻」という幟や、「親子、兄弟、姉妹、恋人、友人 えんむすぎ縁結びの柱」と書かれた幟が奉納されていました。本堂にはお参りできませんでしたが、この混雑ではやむなしと思い、玉照堂の先で南へ(右折)。そのため、芭蕉句碑(千鳥塚「星崎の闇を見よとや啼千鳥」、春雨塚「笠寺やもらぬ岩屋も春の雨」)、宮本武蔵の碑などは見ませんでした(ここを参照)。
Img_1705c 境内の南東、仁王門の東辺りにあった笠寺稲荷と、辯才天にはお参りしImg_1710c てきました。辯才天は、水の守護尊。技芸の守護尊でもああります。このほか、この辺りには、鐘楼や、白龍社もありました。このあと、上に載せた仁王門の賑わいを撮って、次へと思ったものの、「JRさわやかウォーキング」の矢印が見つかりません。警備員の方に伺ったところ、少し戻って、鐘楼とお稲荷さんの間に看板があると教えられ、笠寺観音に心残りを抱きつつ、名古屋市見晴台考古資料館へ。
Img_1725c 笠寺観音からほぼ東へ一直線。笠寺公園のある台地に名古屋市見晴台考古資料館があります。ここは、見晴台遺跡(みはらしだいいせき)と呼ばれ、弥生時代後期を中心とした環濠集落の跡です。資料館には、見晴台遺跡に関する史料の展示や、調査研究を行っています。毎年、市民参加で発掘作業も行っているそうです。
Img_1741c 資料館の南に「住居跡観察舎」という建物がありました。これは是非ともImg_1751c 見なくてはなりません。弥生時代の竪穴住居跡をご覧いただけます。実際に現在の施設が建っている場所を発掘調査した際にみつかった遺構を、特殊な樹脂で固めて剥ぎ取り、遺構に砂をかけ埋めもどした後に、ほぼ同じ場所にかぶせたものだそうです。
Img_1760c 住居跡観察舎を出て、笠寺公園内を歩くと、資料館や観察舎の裏手(東Img_1762c から南東)にかけて、「笠寺公園高射砲砲座(かさでらこうえんこうしゃほうほうざ)」があります。左右の写真は同じところです。太平洋戦争中、ここには高射砲陣地があり、これは、高射砲を据えていた砲台の跡。6基あったもののうち、2基が残っています。
Img_1765c こちらは、少し離れたところにあったもの。向かって右側に残っているもImg_1770c のは、説明によれば、砲側弾薬庫(ほうそくだんやくこ)というもののようです。愛知県は軍需工場と熱田神宮があるため、いくつかの高射砲陣地が造られ、また、本土防空は陸軍の担当なので、笠寺陣地は陸軍の施設であったといいます(こちらによる)。なお、見晴台考古資料館には、この陣地から見つかったという、アメリカ軍爆撃機B29のジュラルミン破片が常設展示されてていました。
190203jrwalkingkasadera2 笠寺観音を出てからの実測ルートマップです。見晴台考古資料館を出て、反時計回りに歩きました。公園のマークやその近くに高射砲砲座跡があります。そこから少し北に行くと、きんさん桜・ぎんさん桜。さらに公園の台地から降りて、時計回りに1/3一周ほど歩いて南に向かいます。
Img_1779c きんさん桜・ぎんさん桜がこちら。「きんさん・ぎんさん」は、双子の長寿のImg_1784c 姉妹で有名になり、親しまれた方。故成田きんさん(享年107)、故蟹江ぎんさん(享年108)。生前、お二人は名古屋市南区にお住まいでした。これらの桜は、もとは平成12(2000)年に、南区役所新庁舎の完成を記念し、岐阜県根尾村(現在の本巣市)から植樹された淡墨桜です。その後、平成25(2013)年に「健康と長寿」の象徴としてより親しまれるよう、ここ笠寺公園に移されています。
 きんさん桜・ぎんさん桜のところでスタートから4.2㎞ほど。時刻は、11時20分を過ぎていました。そこで、笠寺公園を出る前に、小休止。記事も少し短めではありますが、その2はここまで。

ジョウビタキ、ツグミ、ヒバリ……梅も、河津桜もまだこれから

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 晴れてはいますが、次第に風が強くなり、午後からは数m/sという強い風。今日も、近鉄ハイキングはあるのですが(酒蔵みてある記 水郷蟹江散策と山田酒造「醉泉」・「最愛」)、一休み(微笑)。いつものコースを8時20分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、寺町と5.7㎞。三の丸水門のところで、散歩で知り合った男性から誘われ、お宅にお邪魔して、コーヒーをご馳走になって来ました。正月に、初日の出、大漁旗の写真を差し上げたのですが、「きちんと飾ってあるので、見に来て」ということです。御年87歳でいらっしゃるのですが、一人暮らしで、身の回りのことはほとんどご自身でやっておられます。食事も三度三度つくっておられるという立派な方。
Img_0757c ほとんど証拠写真ですが、ジョウビタキのオス。この男性のお宅の前に来まImg_3859c した。このお宅の庭にもよくやって来るようで、ちょっと羨ましい。ツグミは、三の丸公園にて。その他、七里の渡し跡では、コガモ15羽とオオバン。
Img_0767c 三の丸水門の下流側の土手には、今日もヒバリたちが4羽。ようやくうまく接近できるようになりました。先週のハイキングでは(2月10日:20190210近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ……早川酒造部で楽しんで「完」)、朝日町内の水田で揚げ雲雀を見ましたが、ここではまだ。
Img_0782c コーヒーをいただいていましたので、九華公園到着は9時45分。ゴイサギ&ホシゴイ、今日はほとんど見つけられませんでした。ゴイサギが2羽、飛来して、1羽はビワの木、もう1羽はクスノキに降りてきました。これだけです。
Img_0805c
 カモは68羽でした。ハシビロガモはオス、メスとも5羽ずつ。ヒドリガモのペアは2組。他はキンクロハジロ。今日は、珍しく餌をやる人がいて、大騒ぎ。よく見たら、ユリカモメが3羽混じっていました。年が明けてからは、本当に滅多にこなくなっています。
Img_0789c 時間も少し遅かったせいもあるのか、他の鳥は少なめ。ツグミは奥平屋Img_3883c 敷跡で。シメは、3ヶ所で目撃(奥平屋敷跡、本丸跡、鎮国守国神社境内)。右の写真は、本丸跡にて撮ったもの。たぶんこれらの3羽は別の個体と思います。
Img_0826c シジュウカラは、本丸跡にて。電柱を支えているワイヤーに止まって、鳴きながらせわしなく、姿勢を変えているところ。すぐ下まで行ったのですが、しばらくは逃げませんでした。近くにもう2羽。
Img_0797c 鎮国守国神社の梅は、少しずつ花が増えてはいるものの、見頃はまだ先。来週くらいでしょうか。あの「ウメジロウ」を狙ってはいるのですが、なかなかメジロが来てくれません。今日は、ツグミが梅の木にいたので渡来したのですが、ピンぼけばかりで残念。
Img_0849c 貝塚公園も静かでした。ヒヨドリ、カワラヒワの他にいたのは、シロハラ1羽だけ。貝塚公園でも、白梅が少し咲いてきています。
Img_0851c 寺町商店街の河津桜の並木、花が付いているのは、4本の枝のみ。つぼみは十分膨らんで来ています。通う~水曜にかけて雨が降った後、かなり暖かくなるという予報ですから、今週末くらいにはもっと咲くかと期待しています。

2019年2月16日 (土)

20190216近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒『鈿女』伊藤酒造と智積養水をたずねて」(完)

 今日は(も)、近鉄ハイキングに行ってきました。昨年もこの時期に開催されましたが、「酒蔵みてある記(踏破賞対象)銘酒『鈿女』伊藤酒造と智積養水をたずねて」です。コースは、まったく同じでした。

Img_3617c スタートは、近鉄湯の山線・高角駅。9時50分から受付でしたので、桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行に乗車。四日市駅には9時14分に到着。9時半の湯の山線・湯の山温泉行きに乗り換えて、高角駅には、9時41分に到着。¥420。今回も酒蔵みてある記ということもあってか、大賑わいでした。
Img_3613c これが本日のコースマップ。昨年と変わりありませんでした。高角駅を出190216kintetsuhikingtakatsuno て、一生吹山を登り、毘沙門天に参拝。東名阪自動車道をくぐって、大師堂、椿岸神社、智積養水、西勝寺と回って、伊藤酒造で酒蔵見学。ゴールは、湯の山線・桜駅です。マップ上は約6㎞となっていますが、実際に歩いたのは、4.6㎞でした。
Img_3622c 高角駅からは、上述のように、一生吹山 を登ります。「登ります」と書きましたが、最初はゆるかな坂道ですが、次第にけっこう急坂になります。もらったコースマップにも「急な上り坂」と書いてあります。去年もけっこうキツかったことを思い出します。今年は、腹式呼吸をして、鼻から吸って口から吐くということをすると、割りと楽に登れることを発見しました。
Img_3628c 頂上にある毘沙門天には、9時50分に到着。スタートからほぼ1.5㎞。暖かくImg_3640c て、かなり汗ばみましたので、マフラーを外し、着ていたものを1枚脱ぐくらい。参拝し、境内を見て回りましたが、去年気づかなかったのは、百度石くらいでした。詳細は、割愛します。去年のハイキングの時の記事は、末尾にリストを示しておきますので、ご興味がおありでしたら、それらをご覧ください。
Img_3646c 昨年は、毘沙門天にいる頃から空模様があやしくなり、下り始めたら、雨模様になり、参りました。今年はそういうこともなく、その意味では楽でした。
Img_3649c_2  ほぼ下りきって、東名阪自動車道の高架をくぐったところには大師堂があります。江戸時代末期、一生吹山山麓の開発が行われ、「雨池」をつくり周囲を灌漑しました。ここは、地形上も、豊富な清水が湧き出すところで、この水が永遠に絶えん事を祈って、昭和の初め頃、弘法大師を祀り、今に受け継がれているとあります(こちらを参照)。写真をきちんと撮りませんでしたが、大師堂の右奥に「掘り抜き井戸跡」がありました。
Img_3660c 大師堂でスタートから2.3㎞。そこから桜の町を1㎞ほど歩いて、椿岸神社へ到着。主祭神は、天宇受売命(アメノウズメノミコト)。その他、相殿神がImg_3665c 多数いらっしゃいます(詳細は、昨年のその2をご覧ください)。ここも境内を見て回り、境内社などにお参りしてきましたが、去年見落としたところはありませんでした。
Img_3731c 椿岸神社のすぐ北西に桜岡山西勝寺。浄土真宗本願寺派。山門の前をImg_3737c 智積養水が流れています。桜郷土史研究会では、「1504(永正1)年、教尊法師、智積に一宇造立。(桜岡山西勝寺)」とあります。建物は、安政の大地震で倒壊後、再建され現在に至っているといいます。境内には、「引石」が残っています。「生水川(しょうずがわ;現在は矢合川)」にかかっていた石橋には欄干がなく、増水時には渡るのがかなり危険だったそうです。そこで、寛政7(1795)年、この「生水橋(しょうずばし)」の両岸に、石柱を一本ずつ建て、その間に綱を張って手すりとしたといいます。この石柱を当時の人々は「引石」と呼んだのです。
Img_3718c 西勝寺の山門前に智積養水(ちしゃくようすい)が流れています。江戸時Img_3724c 代に敷設された灌漑(かんがい)施設で、隣町の三重郡菰野町神森にある湧水池・蟹池の水を智積町に引き入れています。その全長は1,784m、幅は1~2mあります。昭和の高度成長期には生活排水が流れ込んだりしたそうですが、住民の努力により、清流が戻り、昭和60(1985)年には、環境省選定の「名水百選」に選ばれました。そのプロセスで鯉の放流も行われ、現在に受け継がれています。
Img_3722c 去年は見なかったと思いますが、今日は、かなり大きく、立派な体格をした色とりどりの鯉が悠然と泳いでいました。ちなみに、用水ではなく、「養水」と表現するのは、水田を潤し人々を養う惠(めぐみ)の水という意味だそうです。
Img_3766c ここからは、伊藤酒造も近いのですが、去年見忘れた「延福寺跡」を確認してきました。その場所は、椿岸神社から道路(西勝寺の前の道路)を挟んだ西。現在は、智積公会所になっているところでした。「公会所」は、公民館あるいは地域の集会所のようです。建物の前に説明板があります。
Img_3762c 創立年月は不詳ですが、古文書の記述からは、長禄2(1458)年以前のと推測されています。元は、ここより北東180mのところ(薬師というところ)にありました。享禄2(1529)年に戦火で灰燼に帰したのですが、翌・天正8(1580)年6月、当地の世話役(小林三郎太夫頼勝)の末子で三河国吉良庄泉念寺住持であった秀牧が帰郷した際、延福寺跡から薬師如来の仏頭を掘り出し、これに因縁を感じ、寺の再興を発願したといいます。寺は、その後、嘉永7(1854)年、大地震で堂宇は大破してしまいます。当時の庵主・小林涼心は、伊勢神戸の仏師・磯部重兵衛に本尊修復を依頼し、地元民の協力も得て、その年の10月には落慶法要を営んだものの、明治7(1874)年、廃寺となりました。しかし、明治45(1911)年、篤信者によって、この地に堂宇が移築され、臨済宗系の尼僧によって護持される一方で、地区の公会所としても使用されていました。昭和18(1943)まで尼僧によって護持されていたのですが、最後の尼僧・實道全覚禅尼が病気のため、本尊薬師如来、阿弥陀如来、釈迦誕生仏、釈迦涅槃図一幅が西勝寺に動座され今日に至っています。
Img_3792c 延福寺跡も確認でき、これで心置きなく伊藤酒造へ(微笑)。延福寺跡かImg_3770c らは400m、スタートからは4.1㎞、11時の到着。創業は、弘化4(1847)年ですから、江戸時代末。米は、「山田錦」など三重県産米。仕込み水は、鈴鹿山麓から湧き出る「智積養水」の伏流水を使っているそうです。
Img_3774c 去年と同様、酒蔵を見せていただけ、さらに発酵が進むタンクも覗かせてもらえました。山廃仕込みのタンクです。酒のよい香り。「帽子、めがね、ケータイなどを落とさないように願います。取り出せませんから、タンクごとお買い上げいただきます」などと冗談なのか、本気なのかわからない注意を受け、緊張して覗いてきました。
Img_3783c タンクを覗いた後で試飲を1杯いただき、さらに進むと、即売会の会場。Img_3851c 買ってきたのは、去年と同じく、「鈿女 特別本醸造 生原酒」です(しぼりたて)。試飲させてもらったもの。720ml入りが¥1,200。
Img_3849c このお酒、去年も載せましたが、キャップに「生」とあり、気合いが入っています(微笑)。気合いが入っているだけでなく、癖がなく、美味しいのです。「鈿女」は、もちろん、「天鈿女命(アマノウズメノミコト)」から来ています。椿岸神社の主祭神は「天鈿女命」ですから、これに由来すると思われます。
Img_3790c 即売会を出たところで、甘酒の振るまい。大吟醸の酒粕でつくったものだそうです。これは美味しい。お代わりをする方多数でした。
Img_3810c このあと、道路を渡ってアンテナショップImg_3796c の1つ、「わみん」へ。試飲が少なかったので、「鈿女」をワンショット(微笑)。¥200なり。
Img_3804c もう一つのアンテナショップ、「慕蔵(ぼぐら)」。蔵出しの酒の試飲と販Img_3800c 売、量り売り、酒を楽しむ酒器やグッズの販売などが行われています。おちょこの良いものがあればと思って覗いてきましたが、私の気に入ったものは見つからず、残念。「慕蔵」の前で本日の抽選会の当選番号の発表。でしたが、残念ながら、今日も外れてしまいました。
Img_3797c 「青空宴会」の方多数でしたが、今日は、上述のワンショット1杯。伊藤酒造に滞在したのは、20分ほどで、ゴールの近鉄湯の山線・桜駅へ向かいます。
Img_3822c その桜駅には、11時27分にゴール。4.6㎞。去年より20分ほど早いゴールイン。次の四日市行きは、11時45分。四日市駅には、11時49分着。ここでいったん途中下車して、四日市近鉄百貨店にある丸善で本を物色したものの、先日来探している外山滋比古先生の「伝達の整理学」も、毎月購読しているBirderもなく、ガッカリ。12時28分発の名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、12時40分着。湯の山線が¥280、四日市から桑名が¥300、計¥580。高校の大先輩である外山滋比古先生(旧制中学時代のご卒業)の本である「伝達の整理学」、丸善なら在庫があると思ったのですが、残念。
Img_3837c あみま倶楽部のスタンプは、早くも8個目をゲット。去年よりハイペースですが、息切れするといけませんので、無理せず、ホドホドにしようと思っています。
 以下は、去年のハイキングの記事のリスト。詳細は、こちらをご覧ください:

2019年2月15日 (金)

20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その1)

 ようやく2月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」の本編その1に到達しました(苦笑)。このところ、3週連続で、週末は近鉄ハイキングか、JRさわやかウォーキングに行っております。そのせいで、バックオーダー山積。現役の頃も、いろいろ頼まれたり、与えられたり、無理強いされたりして、仕事の山でしたが、それを思い出します。ぼやいていても始まりません。現役当時は、やむにやまれず頼まれ仕事を引き受けたand/or引き受けざるを得ませんでしたが、現在はすべて自己責任であります故。
Img_1465c この日は、JR東海道線・笠寺駅がスタート&ゴール。今回は、マジメにJRでImg_1460c 出かけました。桑名駅を8時38分の名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には、9時9分着。いったん改札を出ますが、そうすることによって桑名~名古屋、名古屋~笠寺ともに近郊区間料金が適用されるのです。9時18分の東海道線・岡崎行き普通に乗って、笠寺着は、9時29分。¥350+¥200=¥550。
Img_1467c スタートは、JR笠寺駅東口。ここは、日本ガイシホール(旧・レインボーホーImg_1902c ル)の最寄り駅。ずいぶん昔、ユーミンのコンサートなどに来たことがあります。ガイシホールは、駅の西側。
190203jrwalkingmapc こちらがコースマップ。JRさわやかウォーキングでは、コースに矢印の案内が掲出されますので、マップはおおよそのものが配られます。この日訪れたのは、笠寺駅の北東側。節分でしたので、笠寺観音がメインです。笠寺駅をスタートして、富部神社、呼続公園、長楽寺から旧・東海道を少し歩いて、笠寺観音。そして、見晴台考古資料館。資料館のある笠寺公園と、そこに移植されたきんさん桜・ぎんさん桜、笠寺の一里塚、七所神社を経て、笠寺駅に戻るという、マップ上約6.8㎞のコース。
190203jrwalkingkasadera こちらは実際に歩いたルートマップ。7.4㎞でした。スタートしたのは、9時半。受付は8時半から始まっていますが、驚くことに、私がスタートする時点ですでにゴール受付をしている人たちが20~30名もいるのです。今日のマップ上の距離6.8㎞は、1時間では歩けません。この人たちには、「JRさわやかジョッギング」か、「JRさわやかランニング」だとしか思えません。それに立ち寄り先にはたぶん立ち寄らず、とにかく回って来たのではないかと思えて仕方ありません。まぁ、他人様のことはともかく、きっちりと歩くことにします。
190203jrwalkingkasadera1_2  この日のコース、その1。笠寺観音は、一度はお参りしたいと思っていたお寺。今年は恵方観音ではないので、空いていると勝手に決めてかかったいたのですが、予想は見事外れ。大賑わい。コースを見失いそうになりました。しかし、これもまた楽し。
Img_1473c 笠寺駅を出て東へ。すぐに左折して、名古屋高速3号大高線の下を北に向かって歩きます。都会でのウォーキングは、三重県内で歩いているのとは、まったく景色が違いますし、参加者も桁違いという印象。900mほどいったところで右折。呼続という辺りに向かいます。名古屋市南区の北側エリアです。学生時代、名鉄電車で名古屋に通っていましたが、「呼続」という地名は何となく不思議だなと思っていました。このウォーキングを機会に調べてみたら、「『よびつぎ』は『よび・つぎ』で、よぼよぼ(よびよび)の傾斜地と平地とのつぎ目(継ぎ目)を表す地形地名で、現地はかつて『呼続浜』と呼ばれた海岸で、丘陵状の土地が平地に落ちる所につけられた地名だ』という説がありました(こちら)。鎌倉時代の笠覆寺文書にも「呼続の浦」とあるそうで、古くからある地名と考えられます。地形的には山崎川を挾んで瑞穂台地と笠寺台地の間の低地を呼続の浜と呼んでいる(ここをご覧ください)。
Img_1482c スタートして20分、9時50分頃最初の目的地、富部神社に来ました。慶長8(1603)年、愛知県津島市に鎮座する津島神社から牛頭天王を勧請したもので、「戸部天王」とか、「蛇毒天王」とも呼ばれたそうです。「蛇毒神(あるいは蛇毒気神((ダドクケノカミ)」というのは私にとっては初見。京都の八坂神社に祭られているそうで、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が変化したものとも言われています。神様の世界も奥が深い。
Img_1495c  その後、慶長11(1606)年、清洲城主・松平忠吉(ただよし)(徳川家康四男)が、病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。本殿は桃山建築の姿を残し、国の重要文化財に指定されています。ここは名古屋市南部の笠寺台地の上。古代、この周辺は海で、「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、「愛知」の地名のおこりの地ともいわれます。万葉集では、「桜田に鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」と詠まれています。
 ちなみに、清洲の藩主だった忠吉がなぜここまで来て祈願したのでしょう?津島神社の方が近い気がします。
Img_1503c_2
 御祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。相殿神は、田心姫命(タゴリヒメノミコト;記紀神話の神。宗像三女神の一柱。天照大神と素戔嗚尊との誓約(うけい)の際生まれた)、湍津姫命(タギツヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;こちらも、天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津(へつ)宮の祭神)、菊理媛神(ククリヒメノカミ;伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされているものの、そのとき菊理媛神が何を言ったかや、出自なども不明の神様)。田心姫命や湍津姫命の名前は初めて。なぜここに宗像大社の三女神が祀られているのでしょう? わからないことがたくさんあり過ぎです。ちなみに、相殿神は明治11(1878)年に合祀されています。回廊は改築されていますが、本殿と祭文(さいもん)殿(写真のもの、拝殿はなく、祭文殿がその役割を果たしています)は造立当時のものです。本殿は一間社流造、桧皮葺で、正面の蟇股、破風、懸魚、等桃山時代の建築様式をよく伝えており、昭和32(1957)年、国の重要文化財に指定されています。
Img_1549c 富部神社でもう一つのお宝は、こちら。享保12(1727)年に造られた山車(高砂車)。名古屋市指定有形文化財。本体屋根の上に社檀(神を祀るとImg_1556c ころ)と呼ばれる屋形を飾り付け、そこに高砂尉と姥の人形が飾られていますので、「高砂車」と呼ばれています。全高8mの車楽は(鳥居よりはるかに高い!)、昭和12(1937)年まで、祭礼時(戸部天王祭)には東海道を曳行されていたといいます。現在は上部の社檀を外し、2階造の屋形の状態(全高4m)で収蔵庫に納められ、10月の大祭日に一般公開されています。この日は、特別に収蔵庫を開けていただけました。
Img_1483c 境内社もみておきましょう。まず、一の鳥居の脇には、秋葉社が祀られています。Img_1486c秋葉社が祀られた経緯その他は、神社のサイトにも説明はなく、よく分かりません。
Img_1514c 拝殿に向かって左(西)には2つのお社。1つは、八王子社と居森社。八王子社は、素戔嗚尊の八柱の御子神を祀る神社です。八王子宮、八柱神社(やはしらじんじゃ)などとも呼ばれます。また、居森社は、素戔嗚尊幸御魂(すさのおのみことさきみたま)を祀るお社で、「幸御魂」は「幸福な働き」。八柱社、居森社ともに津島神社にもあります。というよりも、牛頭天王を津島から勧請したときに一緒に来られたのかもしれません(想像です)。由緒書きには触れられていません。
Img_1517c もう1つは、富部龍王社。こちらも由緒書きにはありませんので、よく分からないというのが正直なところ。
Img_1546c さらに混迷を深めるようなものを見つけました。イチョウImg_1544c の木なのですが、右の写真のような掲示があります。「お葉つき銀杏」だそうで、茨城県笠間市にある天然記念物・親鸞上人御手植えの「お葉つき銀杏」の子木だということで、寄贈された方がその実を育て、昭和43年に寄附されたとあります。神社に親鸞聖人御手植えの銀杏というのは、ちょっと不思議な感じもします。ちなみに、お葉つき銀杏は、銀杏の変種で、葉の上に実を結ぶ、または葉上に(やく)を付けるイチョウのことをいい、全国に約20本ほどの存在が知られているそうです。
 これで富部神社も一通り見たと思って、隣の呼続公園に行ったのですが、後で調べたら、境内末社にさらに金毘羅社もあったようです(こちら)し、鳥居付近には石碑もあったようですが、いずれも見逃しました(苦笑)。下調べが不十分。
Img_1569c 富部神社の北から北西に呼続公園があります。次はこの公園内を通っImg_1576c て、神社北東にある長楽寺へ向かいます。野球場や、噴水のある曽池があります。この曽池では、バンを目撃。初見です。この曽池のほとりには、頼朝公旗かけの松があるというのですが、コース沿いには見当たりませんでした。源頼朝公が上洛の折、ここに旗を掛けて休息を 取ったといわれる松だそうです。源頼朝が上洛したのは、建久元(1190)年。その前年、文治5(1189)年の奥州征伐によって藤原泰衡を滅ぼし、10年にも及ぶ戦乱の世に終止符をうっています。ということは、800年以上の樹齢の松、どんなふうなのでしょう?
Img_1592c 呼続公園からすぐに稲荷山長楽寺(ちょうらくじ)。曹洞宗のお寺。寺伝では、弘仁Img_1631c 12(821)年に弘法大師が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建、真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天」を安置したのが始まりといいます。「吨枳尼天」は、今まであまりよく知りませんでしたが、前日の近鉄ハイキングで行った円光寺にも祀られていました。右の写真は、その「鎮守清水叱枳眞天」が祀られている稲荷社。「清水稲荷大明神」とあります。その後、寺は一山十二坊を有する大寺になりましたが、文明の頃(1470年頃)に衰微してしまいます。 それを稲荷山2世の義山禅師が再興し、宗派も曹洞宗に改宗し、第1世の明谷禅師を中興の開祖として、寺名を現在の長楽寺と改めましました。
 富部神社のところでも書きましたが、慶長8(1603)年、清洲城主松平忠吉が、長楽寺境内にあった素盞鳴尊を祀る祠に病の平癒を祈願し、回復したことから、慶長11(1606)年にこの祠を東に移して富部神社とするとともに、書院、客殿等の諸堂を建てたとも伝わっています。
 ここで先に告白しておきますが、よく調べずに行ってしまったこともあり、本堂に参拝してくるのを忘れました。ウロウロしていたら、あるだろうと思ったのですが、本堂の方だけ行かず仕舞い。失態です(苦笑)。
Img_1603c 長楽寺という名前はどこかで見たことがあったと思っていたのですが、最近は、ペット・動物の火葬・葬儀・供養で有名でした(長楽寺動物霊園)。我が家の近くにも大きな看板が出ています。寺には、礼拝堂・葬儀場・納骨堂・個別仏壇(室内墓)・写真供養棚・位牌棚があり、火葬場・合同慰霊碑を併設されています。ペットロスの相談も受けているそうです。この日も、礼拝堂では、ペットの葬儀が執り行われていました。左は、盲導犬の慰霊碑。有名な盲導犬・サーブの墓もあるそうです。
Img_1594c  大木の陰になってしまっていますが、左の写真は、立木観音堂。このお堂は、平成21(2009)年に再興されたもの。珍しい名前のお堂ですが、由来があります。かつて境内には、樹齢600年余りの松の木があり、寛政10(1798)年に17世・智海和尚が、その下に観音石像を安置して霊木としていました。その後、木が枯れかかった時、一人の老人に弘法大師の夢告があり、それを基に、立木のまま十一面観世音菩薩像が彫刻されたといいます。現在は、尾張三十三観音・東海百観音の第四番霊場となっています。
Img_1637c_2 こちらは、行者堂。扁額には「役行者」とありました。詳細は不明。礼拝堂Img_1617c の隣に、老犬と犬小屋。よく分かりませんが、かなりの老犬(と見受けました)も飼われており、「勝手に散歩させないでください」とあり、微笑。
Img_1624c こちらは、予習の成果(笑)。「境内には、戦国時代に織田と今川両家の国境線であった谷が残っている」とありました。案内板などは見つけられませんでしたが、これがそうだと思います(こちらも参照。また、ここにも言及があります)。
Img_1649c 長楽寺を出たのが10時半頃。2.5㎞ほど歩きました。長楽寺から少し先Img_1650c、150~60mで旧・東海道に出ます。ここを南下、名鉄名古屋本線・本笠寺駅の手前で左折(この先も東海道)し、笠寺観音に向かいます。その1は、ここまで。

河口堰とM池公園へ……セグロカモメ、ホオジロ、ミコアイサ、ケリ、帰りにプチ歴史散歩

Img_3355c

 天気もまあ良さそうでしたし、何より風がさほど強くないという予報でしたのImg_3351c で、プチ遠征。長良川河口堰と、弥富のM池公園へ。まずは、こちら長良川河口堰へ。8時45分到着、9時半まで。右の管理橋を往復。片道約800m。長良川右岸から、揖斐川と長良川の中洲まで。中洲には親水広場がありますが、最近また、伊勢大橋の架け替え工事が始まっています。
Img_0636c まずは、こちら。親水広場まで行って戻る途中で下流から飛んできました。セグロカモメです。いつもの散歩でも、揖斐川の下流から飛んでくるのを見ることがあります。しかし、飛びものがこんなに綺麗に撮れるのは、珍しい(微苦笑)。
Img_0610c 親水広場では、イソシギ。孵化の実験を行う水路にいました。今日はうまく気づかれずに、接近できました。
Img_0621c 親水広場から管理橋に戻る坂道を歩いていたら、中洲からImg_0626c 鳴き声。ホオジロがいました。ペアで行動しているように見えます。
Img_0587c さて話というか、時間を戻して、河口堰管理橋の、特に下流側にはカモの大Img_0591c 群。といっても、広いスペースに散らばっていますが……。途中まで数えかけて止めましたが、数100~1,000羽くらいはいるでしょう。キンクロハジロが大半でしたが、ホシハジロも混じっています。
Img_0601c 上流側には、カルガモや、カンムリカイツブリがいます。下流側に比べれImg_0596c ば、少ないのですが、カルガモは数10羽、カンムリカイツブリは10数羽。
Img_0608c 管理橋西側には、閘門がありそこへの下流側のアプローチには、アオサImg_3396c ギたち。戻るときには、コサギも仲間入り。
Img_0603c このほか、トビも出て来ましたが、こちらは撮影失敗。伊勢大橋の架け替え工事は、ご覧のように、中堤入り口交差点の近くで行われています。
Img_3491c 続いて、弥富のM池公園へ移動。9時55分から11時頃まで。もちろん、ミコアイサを確認に来たのです(微笑)。
Img_3485c そのミコアイサ、中之島の南あたりにオス7羽、メス5羽がImg_3472c 見えました。ひょっとしたらいないかとも思ったのですが、良かった。
Img_3474c カイツブリは、数組がすでにペアになっているように思われました。あちこImg_3443c ちでさえずりが響き渡っています(こちらで聞けます)。巣を作る発泡スチロール板の回りにいるペアもいましたが、さすがにまだ巣作りは早いでしょう。
Img_0709c 池の西側でモズ2羽に遭遇。オス、メスそれぞれ1羽。もう1羽いたかもしImg_3481c れません。
Img_0703c 他に見られたのは、小ガモ、ハシビロガImg_0655c モ、カンムリカイツブリ、オオバン。今日は、ヒドリガモの姿はありません。
Img_0734c 駐車場に戻ってきたら、西の水田の方からケリが飛んできて頭上を通Img_0742c_2 過。また、東側の畑では、ツグミ1羽。
Img_0721c 中之島の西で、ヌートリアに遭遇。ここではたびたび目撃しています。近くで見ていても、まったく動ぜず、餌を探しているようでした。
Img_3503c 時間があれば、弥富のサギ山もと思いましたが、すでに11時。昼までに帰宅しようと思うと、ちょっと微妙。ということで、帰り道にある、気になるところへ寄って来ました。左は、「孝女曽與(そよ)宅址」(弥富市鳥ヶ地)。享保13(1728)年、鳥ケ地(とりがんじ)で生まれた曽與は、幼い時に母親と別れ父親に苦労して育てられたため、父親に孝養をつくし、その話が鳥ケ地に住む西河菊荘により「孝女曽與伝」として、安永7(1778)年に出版され、さらに明治から大正時代にかけての修身の教科書に載り、全国にこの話が広まったといいます。
Img_3518c 曹洞宗の大慈院(弥富市平島町)。なぜ気になっていたかといいますと、右の写真にあるImg_3558c ように、「尾張徳川初代義直公 念誦佛 大慈院」という看板が建っているからです。念誦(ネンジュ)は、心の中で仏に祈り、口に仏の名号や経文などを唱えることです。しかし、境内には説明板もありませんし、本堂も閉まっていて詳細は不明。
Img_3561c もう1ヶ所は、弥富市歴史民俗資料館のすぐ近くの神社(弥富市小前ヶ須)。Img_3569c ご神木らしき老木が気になったのです。素盞之男社とありました。素戔嗚尊を祀っています。ここでは、桑名の石取祭と同じく、鉦太鼓を叩きながら祭車を曳き回す祭があるということでした(こちら)。これらは、今日のところは「いってきました」という報告。まだほとんど調べても居ませんので、また。
 明日は、懲りもせず、またもや近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒「鈿女」伊藤酒造と智積養水をたずねて」に出かけたいと思っています。「鈿女」は、天鈿女命(アマノウズメノミコト)に由来します。去年も、2月17日に同じコースに参加しています(20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(予告編))。

2019年2月14日 (木)

ヒバリとトビ……午後からe-TAXで確定申告完了

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 散歩に出かけるころから、4~5m/sの風が吹き始め、参りました。揖斐川沿いの堤防の上の寒いこと! 最高気温も7℃くらい。その散歩は、ほぼいつも通り、8時20分から。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、寺町と5.5㎞ほど。
Img_0467c 揖斐川の三の丸水門の下流側の堤防のところで、ヒバリが集まっているとImg_0440c いうのは、少し前から書いています。今日は、ようやく割りと接近して写真が撮れました。左の写真には6羽しか写っていませんが、今日は計8羽。懸命に草の中を啄んで、餌を拾っています。
Img_3277c その前に、七里の渡し跡の土手には、ツグミ。本当にようやくこの頃になって姿を見せ始めました。どこに行っていたのか? と聞いてみたいですねぇ。このほか、揖斐川にはヒドリガモ、七里の渡し跡にはコガモと、いつものメンバー。揖斐川上空には、ウミネコか何かが飛んでいます。
Img_0479c 九華公園では、相撲場のところにシロハラがいました。時々このあたりで見ます。このあと、奥平屋敷跡でも見かけました。
Img_0482c ゴイサギ&ホシゴイ、最近は、数にあまりこだわらなくなりまImg_0534c した。というか、よく分からないので、こだわらないことにしました(笑)。ゴイサギもホシゴイもいました、ということで。
Img_0501c 奥平屋敷跡で久しぶりにコゲラの姿を確認。そっといったら、数mのところまで行けました(喜)。最近はあまり、鳴き声も聞こえていませんでしたので、ちょっと嬉しい出会い。
Img_0511c カモたちは、71羽。昨日とほぼ同じ。やはりまだ帰り始めImg_0514c たのではなさそうです。ハシビロガモのオスが5羽、メス6羽。ヒドリガモはいつも通り、2ペア。そして今日は久しぶりにホシハジロのオスが1羽。左の写真は、キンクロハジロのメス、右はハシビロガモさんたち。
Img_0542c 奥平屋敷跡でシメもいたのですが、ピンぼけ写真のみ。左は、本丸跡にImg_0573c 来たモズ。この場所で2~3枚撮れただけ。右は、超証拠写真ですが(苦笑)、トビ。九華公園上空に2羽が飛来。一時、カラスがアタックしていましたが、空中戦には展開せず。
Img_3338c 貝塚公園で、今シーズン初めてツグミを確認しました。1羽のみ。去年はあちこちに居たのに、本当にどうしていたのでしょうね? 今日は他は、ヒヨドリくらいで、シロハラは見られませんでした。
Img_0528c 午後からは、e-TAXで確定申告を済ませました。先週後半から内容の確認と整理を少しずつして、今日はネットで1時間あまりの作業で申告終了です。去年よりも少し使いやすくなったかなという感じ。ただし、医療費控除の計算票(Excelのワークシート)は、簡便にはなったものの、書式が変更になっていて、ちょっと戸惑いました。お陰様で還付金が予想以上にありそうです。

2019年2月13日 (水)

ずいぶん久しぶりに九華公園にユリカモメ登場

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 なかなか安定して晴れになりません。しかし、日中は10℃を越え、ちょっと一息(笑)。午前中は散歩、午後からは確定申告の準備やら読書やら。散歩はいつも通りですが、スタートはやや遅く、8時半過ぎ。11時15分くらいまで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、寺町と6.4㎞。
Img_3224c 正月以来と思いますが、ユリカモメが九華公園にやって来ました。その数、5羽。しかし、餌がもらえないとわかると、どこかに行ってしまいました。やはり、現金だというのは間違いない判断のようです(笑)。
Img_3215c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイ、ほぼ毎日見ていますが、やはりよく分かりませんねぇ(苦笑)。いいようにあしらわれている気がしてきます。到着したときは、ゴイサギ3羽、ホシゴイ1羽を確認。あまりにもしつこいためか、ゴイサギさん、不機嫌そうに睨んでいました。嫌われても、めげません。明日以降も、確認に励みます。
Img_0349c カモたちは、73羽に復活。まだ帰っていったということではなさそうです。昨Img_0366c 日のオヤジギャグの通り、まさに「カモのみぞ知る」ということ。ホシハジロは相変わらず見ませんが、ハシビロガモのオス、メスとも5羽、ヒドリガモは2ペアで、他はキンクロさんたち。オオバンも2羽。カルガモは不在。
Img_3219c 時間は多少ずれますが、奥平屋敷跡では、シメと、ジョウビタキのオス。Img_0403c 最近は、ここ奥平屋敷跡か、本丸跡に鳥が良く出て来ます。たいてい、2回チェックに回ります。九華公園には、北門から入り、相撲場近くでゴイサギや、アオサギを確認してから、管理事務所、奥平屋敷跡、二の丸跡、朝日丸跡、本丸跡、鎮国守国神社と回ります。その後、もう一度相撲場のところでサギを見て、管理事務所にカモの数を知らせています。その後、この頃は、奥平屋敷跡を見に行っています。
Img_0388c 鳥は以上。カワラヒワ、カラス、ムクドリ、ヒヨドリなどは除いています。九華公園というか、鎮国守国神社の梅は少しずつ増えています。九華公園と鎮国守国神社は隣接していますが、公園の範囲にある梅は1本だけ。白梅ですが、これはまだ咲いていません。鎮国守国神社には、梅何本もあります。久松松平家の家紋が梅鉢紋だったことが関係しているのでしょう。
Img_0408c 公園の外周では、旅ネコさんたちが久しぶりに集会中。以前より数は減ったものの、数匹がたむろしています。貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワくらい。内堀南公園にはメジロがいたものの、写真には撮れず。帰り道の住吉入江では、ジョウビタキのメスがいて、ウロウロして追いかけたものの、写真は撮れませんでした。
Img_0420c 寺町商店街の河津桜も、開花は遅々として進まず、というところ。暖かくなるのは、まだ先のようです。
 そういえば、明日はバレンタインデー。現職のころの一時期が黄金時代でした(苦笑)。「今は昔」の出来事。それに、今は昔とは、そのありようがまったく異なるようです。娘は、仕事先の女性の同僚と話し合って、「今年はナシで」ということにしてきたといっております。

2019年2月12日 (火)

ツグミが少し増えましたが、鳥は少ないのです……ようやくスマホ・デビュー(笑)

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 相変わらず寒い日が続きます。9~10℃になるという予報でしたが、結局、7.7℃止まり。今朝は木曽の御嶽山がよく見えていました。冬によく見えるのですが、久しぶりに拝めました。いつも通り、朝8時20分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、新築公園、京町、寺町と6.4㎞。九華公園では、バールフレンドのTさんが久しぶりに登場。年末からお見えでなかったのです。
Img_3160c 七里の渡し跡でこれまた久しぶりにイソヒヨドリのオス。今日は、曇り空でしたが、青とオレンジが綺麗でした。繁殖期が近いのかという気がします。三の丸水門のところでは、ヒバリが数羽いたものの、シャッターを押す前に逃げられました。いつもより敏感な気もします。ヒバリといえば、先日(2/10)の近鉄ハイキングの時、朝日町の水田で揚げ雲雀を見ています。揚げ雲雀は、縄張り宣言ですから、もう繁殖期に入っているヒバリも居るようです。
Img_3167c 三の丸公園では、ツグミが2羽。モズも居ましたが、写真には撮れず。今頃Img_3171c になって、あちこちでツグミを目撃するようになりました。しかし、例年よりはまだまだ少ないのです。
Img_0276c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイは、ゴイサギ3羽、ホシゴイ4羽と思うのですが、対岸からは姿が見えないところから、糞が落ちてきたりするのです(苦笑)。いったい何羽いるのか、正確なところは定かではありません。
Img_0294c カモたち、今日は、49羽でした。皆さん、「カモが減った。Img_0289c なぜ?」とおっしゃいますが、カモのみぞ知る(笑)。ハシビロガモのオス3羽、メス3羽、ヒドリガモのペアが2組で他は、キンクロハジロ。そういえば、ホシハジロが姿を消しています。ユリカモメはやはり来ませんし、今日は、カワウまで1羽しかいないという有様。どうなっているのでしょう?
Img_3177c_2 このほかの鳥たちもやはり少ないのに変わりはありません。本丸跡でシImg_0306c メ。シメは、奥平屋敷入り口でも見かけましたが、写真は撮れませんでした。二の丸跡でモズのオス。風が強いので、御髪が乱れていました。
Img_0316c 寒くて、散歩友達も少なく、鳥もいませんので、散歩は早く終わってしまいImg_3194c ます(苦笑)。11時前には帰宅。寺町商店街を見て来ましたが、この寒さ続きで、河津桜の花は増えません。2つの枝で計5輪ほど。商店街は、昨日、祝日で営業したので、今日は代休でしたが、ぼんぼりや看板を設置しておられました。早くもっと咲いてほしいもの。
Img_3201c ところで、午後から携帯電話ショップに出かけ、ガラケーからスマホに機種変更してきました。ようやく、この年になってスマホ・デビューです(笑)。年末、親戚の法事で、はるかに年下のいとこから思いっきりバカにされていました(爆)。Androidのタブレットを使っていましたので、設定、アプリのインストールなどに戸惑いはありません。時代の最先端を行くか、ちょっと遅れ気味がよいなどと、へそ曲がりなことを考えています。

20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その3)……いよいよ北山水産でカニ汁を味わい、痔神社にお参りして白塚駅へゴール(完)

190202kintetsuhikingchisato3  2月2日の近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」もいよいよ大詰め。カニ汁の振るまいがいただける北山水産へ。その後、痔神社にお参りして、近鉄名古屋線・白塚駅にゴールです。その3辺りの詳しい実測ルートマップは、左の画像の通り。中央上にある八雲神社までがその2。

Img_1319c 八雲神社からさらに南東へ。海岸の堤防道路に上がってImg_1352c 右折し、スタートからほぼ5.5㎞、八雲神社からは1㎞弱で北山水産に到着します。11時40分を回った頃。かに道楽とか、かに本家など、カニを食べさせてくれるレストランによくある大きなカニのオブジェが迎えてくれました。創業は大正元(1912)年だそうです。水産工場と直売所があります。地元テレビでも取り上げられますし、年末にある蟹祭では、我が家あたりでも新聞に折り込み広告が入ってきます。2017年の年末には、3日間で13トンのカニを完売という驚きの記録があるそうです。
Img_1328c 早速、カニ汁の振る舞いへ(笑)。恥ずかしげもなくですが、これが今日のもImg_1331c う一つの目当てなのです。ここに来るまで、まさかカニの身は入ってないだろうなとは思いましたが、そういう類いの心配はまったく無用でした(笑)。カニの味噌汁をカップ1杯いただきました。カニの出しが良く出ていて、これで十分美味しくいただきました。せっかくだからと思い、コンビニおにぎりを1つ用意し、この味噌汁で食べてきました。周りを見たら、もっと上手の方がいらっしゃり、ここでお弁当という女性グループが。おば様方には負けます。あの勢いを学びたいとさえ思います。
Img_1340c 直売所の外にカニが並んでいます。さすがに良い値段で、私の小遣いではとてもとても手が出ません。写真に写っている範囲でも、「極上 生ズワイガニ かにしゃぶ用 中サイズ」で¥5,950。本タラバの半身ですと、¥21,450という値段が付いていました。それでも「完売御礼」という札がついているものもあり、ちょっと驚き。何かを買ってくるようにという指示もありませんでしたので、余分な出費は控えました(爆)。他だ、直売所で、とろ秋刀魚などを試食してきました。
Img_1323c 北山水産でもっとも気になったのは、こちら。カニ汁振るまいの列に並んImg_1343c でいるとき、目に入ったのです。「北山カニキャッチャー 1回¥300 2回¥500」と大書してあります。自分でやったことはないのですが、たぶんUFOキャッチャーと同じようなものと思います。
Img_1335c こちらが接近した写真。この黒い方には、ワタリガニが入っています。もImg_1337c ちろん、生きています。いやぁ、いろいろと考えるものですねぇ。商売人の方の工夫はすばらしい。
Img_1345c もう一方のカニキャッチャーには、こちらが鎮座しています。これはどう見ても、伊勢エビ。これが、1回¥300でゲットできたなら、大儲けです。私? もちろん見て、写真を撮っただけ。「つまらないヤツだ。たまにはこういうチャレンジをしてみろ」といわれるかも知れませんが……。
Img_1372c ということでカニ汁をいただいてそれなりに満足してきた山水産をあとにします。堤防道路を少し南へ。すぐ右折して、また、近鉄名古屋線を越え、国道23号線の手前で、この日3度目の旧・伊勢街道へ。国道23号線に沿いながら、南西へ。
Img_1377c 国道23号線の中瀬交差点へ出ます。交差点の向こう側に、こんな看板が出ています。かなり古びてはいますが、「痔神大明神」とあります。看板にしたがって左折。再び、少し南東へ。
Img_1381c 中瀬交差点からは100mほどで、痔神社の一の鳥居が建っています。こImg_1383c こから少し奥まったところに神社があるようです。お陰様で、今のところはこの神社にお願いする必要はありませんが、先々のことはわかりませんので、ご挨拶だけでもと思ってお参り(微笑)。
Img_1386c 松林の中にさほど大きくはないお社が建っています。これが痔神社。さすがに神社検索(三重)のようなフォーマルなサイトには載っていませんが、ネット検索すると、「霊験あらたか 痔神社」とか、「古来『痔病に霊験あり』と言われ」などと出て来ます。
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 起源は不明ですが、その由来については様々な言い伝えがあり、その真実は不明。参詣する方は多く、地元だけでなく、県内や、豊橋、名古屋、大阪にも信者の方がいらっしゃるといいます。毎年4月3日が祭礼日。この日には特にたくさんの方がお参りされるそうです。ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたと伝わっています。影重の神社へも渡るともいわれているそうです。影重の神社とは、八幡神社であろうと思います。直線距離にして、北東へ700m足らず。明治40(1907)年頃には、45cm位の小さな須屋(仮小屋)の祠でしたが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納し、
これよって痔神として霊験あらたかであることが知られて、信奉者も増えたといいます。以降、祠も改築され現在のは4回目です。
 痔神社が最後の立ち寄り先です。スタートから7.5㎞のここを出て、あとはゴールの近鉄名古屋線・白塚駅をめざし、住宅街を歩いて行きます。
Img_1429c その白塚駅には、12時32分に到着。千里駅をスタートしたのは、9時50分でしたから、2時間40分ほどかかりました。歩いたのは、8.5㎞。8.5㎞歩いた割りにさほど時間がかからなかったという印象。12時37分発の四日市行き普通に乗車。白子駅に12時49分着。12時51分の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には13時21分に到着。¥620。
Img_1456c  この日のハイキングは、かねてから行きたかった伊勢上野城跡に行けて満足。お江の方がここにいたかどうか、別の説もあるようで、ちょっと微妙なところですが、それはまぁ良し。北山水産も楽しめましたし、痔神社にも興味が持てました。八雲神社では、宮司さんがお祓いまでしてくださり、ありがたいことでした。あみま倶楽部のスタンプは、これで5個目。
Img_1441c きちんと写真を撮ってくれば良かったのですが、白塚駅の名古屋よりには白塚車庫があります。以前は、「白塚検車区』だったようです。「車庫」と「検車区」の違いは、素人故知りませんが、検車区は、車両の検査、整備もになうのに対して、車庫は車両の滞留が行われるだけだろうと思います(間違っていましたら、ご教示ください)。Wikipediaの白塚駅についての記述にここの説明がありますが、名古屋線の富吉車庫および山田線系統の明星検車区明星車庫(明星駅隣接)を補完する役割が与えられているようです。鉄道ファンの方にとっては、撮影ポイントかなと思います。
680c 余談を重ねます。この日のハイキングの帰り、桑名駅では、西口に出て、近鉄桑名駅に行ってきました(いつも利用する東口はJR桑名駅なのです)。近鉄の近鉄四日市~桑名間が開業90周年を迎えることから、1月30日から記念入場券セットと記念グッズが販売されているはずなのです。「行先表示板キーホルダー(¥600)」が欲しかったのです。しかし、あいにく、すでに売り切れ。桑名駅販売分は、200個。残念。
 ようやく2月2日の近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」の記事を終えられました。次は、翌日・2月3日のJR「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」です。ボチボチ、ゆるゆると進めていきます。過剰なご期待を抱かず、お待ちいただくようお願いいたします。

2019年2月11日 (月)

20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける

 2月2日の近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」の続き、その2です。2月3日には笠寺駅のJRさわやかウォーキングに、また、昨日は後藤酒造場へ行く酒蔵みてある記にと出かけてばかりで、記事を書くのが追いついておりませんが、ボチボチとやります(微笑)。

190202kintetsuhikingchisato1 その1では、千里駅をスタート、上野神社と円光寺について書きました。円Img_1144c 光寺から300mほど行くと、次の目的地である伊勢上野城跡になります。ここは、現在は、本城山(ほんじょうやま)青少年公園となっています。公園には展望台があり、その2階には、伊勢上野城や、城に関わりがある人物についての資料が展示されています。
Img_1203c スタートから2.2㎞、10時30分に伊勢上野城跡に到着。円光寺から来た道をImg_1190c 曲がったところに左の写真の案内板。城は、東西約250m、南北約550mの規模で、主郭の周囲には土塁や堀切で区画された郭が取り巻き、主郭の東には幅20m近い空堀があったとあります。主郭の広さは、約30×45mで、その周囲には今も土塁が残っているところがあります。右の写真は、展望台2階の資料室にあったジオラマ。これを観ると、かなりの規模があったことがわかります。
Img_1148c 上の写真の看板のところを右折して、城跡の中を展望台へと進みます。左Img_1153c の写真、コンクリートブロックで覆われていますが、これも土塁の跡ではないかと思われます。現在は、右の写真のようになっていて、天守台跡に展望台、二の丸跡は遊具広場の他、グラウンド、日本庭園も整備されています。グラウンドの東に円光寺があります。
Img_1159c 天守台跡に建つ展望台。ここは、標高38mの台地です。Img_1176cので、城があった当時も眺望が利いたと思われます。3階にあった展望マップによれば、名古屋から伊勢まで、セントレア、渥美半島、知多半島なども含んで見渡せます。富士山も描かれていましたから、条件が良ければ見えるのでしょう。反対側(西側)には、鈴鹿山脈や、長谷山、経ヶ峯、青山高原もよく見えていました。
Img_1172c 左の写真は鈴鹿市方面を見たもの。右は、セントレアがあると思われるImg_1187c 方向を見たものですが、この日はセントレアはよく分かりませんでした。
Img_1161c 伊勢上野城は、織田信長の弟、信包(のぶかね)が、津城の仮城として元亀元(1570)年、分部光嘉に命じて改修築城したもの。天正8(1580)年、津城の完成により、信包が居城を移したため、分部光嘉が城代となります。文禄3(1594)年、信包は豊臣秀吉によって改易されますが、光嘉は豊臣家の直参となり、伊勢上野城1万石を領し、光嘉が城主に任ぜられて独立した城となりました。元和5(1619)年、光嘉の養嗣子・光信は近江国大溝藩(現在の高島市周辺)へ移封となったため、廃城となりました。その後、津藩主・藤堂高虎により取り壊され、現在は城郭の跡のみ残っています。
 ところで、浅井長政お市の夫、三姉妹(茶々、初、江)の父;天文14(1545)~天正元(1573)年)が自害した後、信長の計らいにより、お市と三姉妹が移り住んだのが、この伊勢上野城とされています。(天正元(1573)~寛永3(1626)年)は、0歳から7歳までを過ごしたことになります(こちら)。ただし、近年の研究によると、当初、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとする説もあります(こちら)。
Gochan  地元では、NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(2011年放送)でお江の方が取り上げられて以来、それによって地域活性化が図られています。「ゴーちゃん」というキャラクターもつくられています(写真は、津商工会議所のサイトからお借りしました)。
190202kintetsuhikingchisato2 さて、伊勢上野城跡から次に向かいます。城跡のある台Img_1211c 地から降りて、右折し、再び旧・伊勢街道に入ります。
Img_1222c 城跡から700mほど行くと、輝雲山光勝寺があります。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。光勝(みつかつ)の菩提寺ですから、光勝寺(こうしょうじ)ということ(光勝は29歳で病死)。
Img_1231c ご本尊は、宝冠釈迦如来(お釈迦様は、普通は冠をかぶってはいません。冠をかぶったお釈迦様は珍しいそうです。このような冠をつけたお釈迦様は、鎌倉時代から室町時代、江戸時代にも多く作られたといわれています)。分部光嘉は、文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、7代の寂現和尚により光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。
Img_1234c 境内には、観音堂があります。道内には、聖観世音菩薩と馬頭観世音菩Img_1241c 薩が祀られています。馬頭観音が本尊であり、初午観音と呼ばれ信仰を集めています。光勝寺を出たのが、11時15分頃。旧・伊勢街道に戻って次へ進みます。
Img_1265c 津市立朝陽中学校の前までやって来ました。ほぼ4㎞地点。朝陽中学校Img_1260c は、三重K-ABCアセスメント研究会でお世話になっているG先生の前任校。この近くにかつて旧・河芸町役場がありました。昭和29(1954)年10月、河芸郡豊津村・上野村・黒田村が合併して河芸郡河芸町が発足。平成の大合併(平成18(2006)年、津市と合併)。役場の庁舎は平成12(2000)年に移転し、旧庁舎は平成13(2001)年3月に解体されました。昔、鈴鹿で働いていた頃、労働組合の仕事で訪ねたことがあります。
Img_1304c 朝陽中学校前で左折、近鉄名古屋線の線路を越え、ほぼ4.6㎞地点に八雲神社があります。主祭神は、須佐之男命。相殿神は、倉稲魂命。旧社格は、村社。社殿によると、「三井家旧記に、弘治元年(1555)三井治郎左エImg_1286c 門高次長子高治が、江州佐々木四郎高綱の鎮守神である牛頭天王を勧請奉祀するとあり』とあります。佐々木氏の一統であった三井治郎左エ門高次と高治の父子は、一族郎党三十人余人を率いて紀州路を転戦の末、戦に負けて豊津の浜に辿りついたといいます。三井の残党はこの地に住みつくことになり、牛頭天王を勧請したそうです。
Img_1283c  この神社には、「ざるやぶり神事」が伝わっています。前述の三井治郎Img_1290c 左エ門高次長子高治とその一族郎党が、この地に着いた当時、家屋もまばらで殆ど人影もありませんでした。空腹に耐えかねた武士たちは、ザルに入れてあった「よまし麦(加熱し、柔らかくした麦を一晩放置したもの)」をむさぼり食い、そこへ家人が帰って争いとなったが、事情がわかって事無きを得、7月15日例大祭の宵、神前に供えたザルを裸男たちが奪い体をぶつけ合いながら破るという、勇壮な祭りがくり広げられるようになったというのです。地元の一色区自治会では、この伝統行事を末永く伝承するための保存会を結成し、保存と振興に努めています。
Img_1287c  ここ八雲神社では、宮司さんが待機していてくださって、お参りした参加者にお祓いをしてくださいました。これは、近鉄ハイキングでも、JRさわやかウォーキングでも初体験。私もありがたくお祓いを受けてきました。氏子の方もお二人いらして、八雲神社の手作りリーフレットを配っておられました。これもなかなかないことです。
Img_1294c 拝殿に向かって左奥にもお社がありますが、お稲荷さんではなさそうでImg_1296c す。お社に向かって左手には「山の神」という木札が建てられた丸い石があります。氏子の方に伺おうと思ったものの、すでにいらっしゃらず。宮司さんは、お祓いで忙しそうでしたので、断念。
 いつもより少し短いのですが、キリが良いのでその2はここまで。次はいよいよカニ汁の振るまいがいただける北山水産。

ウメジロウは失敗作、カンムリカイツブリが飛ぶ……寒いためか鳥は少ない

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 今日も冷たい日。午前中は6℃にしかなっていません。しかし、めげてはいません。いつも通りの散歩です。午前中、雨か雪という予報もありましたが、降りそうにありません。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、寺町と、5.6㎞を回って来ました。
Img_0196c 梅が咲き始めると、気になるのが、「梅にメジロ」で「ウメジロウ」です。鎮国守国神社の境内の紅梅にメジロがやって来ましたので、チャレンジしたのですが、今ひとつ(笑)。ちょっと遠かったのと、アングルがいけません。梅もメジロもまだこれからが本格シーズン。狙っていきます!
Img_0163c さて、住吉神社の前から揖斐川を見ていたら、何やら飛んできました。どうもカンムリカイツブリらしいと思い、連写。予想通り、カンムリカイツブリでした。「カンムリカイツブリも飛ぶんだ」というのが、正直な感想。
Img_0177c 今日はどういうわけか、鳥は少なし。揖斐川にヒドリガモが3ペアとオオバンImg_0180c 1羽。三の丸水門のヒバリはおらず。柿安コミュニティパークでハクセキレイ2羽。九華公園に来てシロハラが、相撲場近くに1羽。ツグミもいたものの、撮れず。
Img_0187c カモはどういうわけか、激減し、40羽。半分ほどになっていました。たまたまなのだろうと思います。ヒドリガモ2ペアは変わらず、ハシビロガモオス3羽、メス1羽(他にもいたかもしれません)、キンクロハジロ。オオバンは2羽。
Img_3129c ゴイサギ&ホシゴイは、それぞれ1羽のみ。どう探してもこれだけ(笑)。ゴイサギは、見たところ、ホシゴイからモデルチェンジしたばかりのようです。背中の青い羽にまだ灰色のものが混じっています。
Img_0208c このほかには、鎮国守国神社の境内でツグミ。いつも天守台の跡辺りにImg_3135c 1羽います。シメは、奥平屋敷跡にて。
Img_0226c 公園の外周遊歩道にモズがやって来ました。オス。今日はこの辺りで、植木屋さんがソメイヨシノの剪定をしていたので、鳥はいないかと思ったので、意外。
Img_0190c 散歩コース、あちこちで梅が咲き始めました。こちらは鎮国守国神社のImg_0242c 紅梅。右は、寺町商店街の河津桜。この連休、寒くなっていますので、開花は進んでいませんが、2つの枝で花が付いていました。合計4.5輪くらい(笑)。先週載せたものとは別の枝。
Img_3138c ところで九華公園、来年度から管理の形態が変わるようです。水鳥カウ ントボードや、「野鳥アルバム」、「九華公Img_3121c_2 園を楽しく歩こうアルバム」その他は、撤去せざるを得ない見込み。昔の鳥小屋のところに掲げていただいている「桑名の東海道」パネルも、元管理人のOさんが今日から撤去作業をしてくださっています。せっかくつくったのに残念ですが、やむを得ません。Oさん作の市内東海道の案内地図は力作ですから、どこかにお願いして飾って欲しいと思っています。
 昨日の余談。近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも、参加者にはいろいろな方があります。電車を降りると受付に向かった猛スピードで走る人、受付で平気で割り込む人、受付で並んでいると後ろから押してくる人、狭い歩道や道でも横2~3列で歩く人たちなどなど。
Img_2930c2  昨日、困ったのは、こういう人。ノルディックウォーキングをしているのでしょうが、ハイキング・イベントのように人が多いところでははた迷惑。かなり後ろまでポールが伸びて来て、私は躓きそうになったのです。まっすぐ歩かず、左右にぶれ、何度も私の前に来るので、「アブナイから止めてくれ」といったのですが、無視。馬齢を重ねると、抑制が利かなくなってきますから、自分のやりたいようにやるとか、いいたいことをいうとなってきます。「人の振り見て我が振り直せ」ではありませんが、自分は他の方に迷惑をかけないようにしなくては。

2019年2月10日 (日)

20190210近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ……早川酒造部で楽しんで「完」

 考えてみたら、3週連続で土日はハイキング・ウォーキングでした。家内からも「元気よねぇ」と感心されるやら、呆れられるやら(笑)。

Image_1542603997  今日は、近鉄名古屋線・伊勢朝日駅がスタートの「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」に行ってきました。去年2月11日に出かけたものと同じ企画、同じコースです(20180211近鉄ハイキングの酒蔵みてある記“早川酒造部「天一」”へ(予告編))。去年の記事(予告編を入れて4回分は、末尾にリストアップします)。
Img_2857c 去年も寒かったのですが、今年も桑名では最高気温7.6℃と真冬並み。風も午前中は、4~6m/sとけっこう吹いていました。ただし、今年はほぼ快晴で、去年のように時雨れなかったのは助かりました。桑名駅を8時58分に出る塩浜行き普通電車に乗車。伊勢朝日駅には、9時6分着。¥210。
Img_2861c 駅前に広場がありませんので、伊勢朝日駅すぐ南の東海道に面したポケットパークが受付場所。小生が着いた時にはすでにご覧のような行列。後ろに見えているのは、東芝三重工場。モーターなどをつくっています。受付開始は9時20分。
Img_2864c こちらが本日のコースマップ。パッと見、去年とまったく同じもののような20190210kintetsuhikingiseasahi 気がします(微笑)。まだ記憶はしっかりしていますので(と自分では思っていますが……)、地図なしでも歩けそうです。右は、実測ルートマップ。コースマップでは、約7㎞となっていましたが、実際には、7.5㎞。去年立ち寄ったところで、今年は省略したところがあります。地図をもらってスタートしたのは、9時25分。
Img_2868c 伊勢朝日駅前のポケットパークを出発して、旧・東海道を500mほど南下。左の写真にあるエノキは、推定樹齢300年。東海道を往来した旅人たちを見てきたと思います。右折して、東芝の工場が建ち並ぶ中、朝日町歴史博物館へと向かいます。
Img_2873c スタートから1.5㎞、9時43分に朝日町歴史博物館に到着。何度も来ていImg_2875c_2 ます。「山椒は小粒でぴりりと辛い」博物館というイメージを持っています。企画展が結構面白いのです。現在は、「鈴木のりたけ原画展」を開催中(2/17まで、入場無料)。私は知らなかったのですが、絵本作家であり、イラストレーターでもいらっしゃいます。展覧会には親子連れも何組か来ておられ、人気があるようでした。
Img_2885c 一通り拝見して、上ってきた道を下り、JR関西線の踏切を越えたところにImg_2887c 若松園があります。お菓子屋さんでまちかど博物館。去年はここでお茶をいただきましたが、今日は通過。東海道に戻り、先ほどとは逆に上る方向へ少し。
Img_2891c 200mほど行くと、交差点がありそこを右折して県道66号線に出て、南東に進みます。交差点の近くには、小向山浄泉坊があるのですが、ここは訪れたことがありますので(2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)、今回はパス。
Img_2909c 県道66号線を進み、北勢バイパスの下をくぐって、朝明川の左岸堤防にImg_2915c 上がります。スタートから3.5㎞のところに神明神社があります。去年も訪ねています。創祀は、つまびらかではないものの、社伝よれば天正年間(1573~92)以前と伝えられているといいます。この神明神社では、石取祭が行われています。7月の最終日曜日とその前日(土曜)です。詳細は、去年の記事をご覧ください。去年はたくさんの人が立ち寄っていたのですが、今年はほとんど通過して行かれます。
Img_2914c 私は何か見落としたものがないか確かめたくて立ち寄ったのですが、こImg_2917c れが幸い(微笑)。この砲弾のようなものに気づきました。碑陰にあった銘板には、「上海事變記念」とありました。「昭和7年初春上海事変勃発ニ際シ第二十六駆逐隊柿乗組中二月三日第一回呉淞砲台攻撃戦闘ニ参加シ同砲台占領後捕獲セル敵ノ十五糎砲々弾ナリ 昭和七年五月 海軍特務少尉 従七位 勲五等 村木專次郞」という説明が付いていました。上海事変は、昭和7(1932)年1月、満州事変から世界の目をそらすため、日本の軍部が上海で起こした日中両軍の衝突事件。神社はワンダーランドと何度か書いた記憶がありますが、さまざまなものが奉納されています。本日の収穫(微笑)。
Img_2922c 神明神社の北勢、土手の下には富田一色薬師堂があります。去年は立ち寄って来ましたが、今回はパス。上から様子だけを見ましたが、特に変わりはなさそうです。
Img_2923c 川越北小学校のところで、道路元標を確認。去年も見ています。正面にImg_2925c は「元標 三重縣廰 四二・三二七米 十里廿八町 川越村」と記されていました。左側には、「富田町 三・〇五四米 貳拾八町 四日市々 七・五二七米 壱里丗三町」と、また、右側には、「桑名町 七・二〇〇米 一里丗町 富州原町 二・二九一米 弐十壱町」と刻まれていました。この道路元標は、大正13(1924)年、昭和天皇の御成婚記念として建てられたものです。
Img_2931c さらに朝明川の左岸堤防を進むと、スタートから4㎞で川に架かる朝明橋に出ます。これを渡って、川の右岸へ。とおくに四日市コンビナートの煙突などが見えてきます。ここから1㎞弱行くと、待望の早川酒造部があります。
Img_2938c 10時半、スタートからほぼ5キロを歩いて、早川酒造部に到着。去年よりImg_2940c 30分くらい早い到着(笑)。気が急いたわけではありません。すでに大勢の人が楽しんでいます。参加者の中には、コースをショートカットして酒蔵に向かう人もあるくらいですが、私はそういうことはしておりません。
Img_2944c  お楽しみ抽選会は、今年も外れくじ(苦笑)。抽選箱に入れられた、清酒の瓶の蓋を引くというやり方でした。なかなか考えてあります。「赤」が出ると、「しぼりたて原酒720ml」が当たるのです。私が取り出したキャップ、金属部分が赤で「やった!」と思ったのですが、キャップの内川に色がつけてあったようです。
Img_2945c_2 気持ちを切り替えて、振るまい酒のコーナーへ。2種類、薦被りが開けてImg_2951c ありました。「2杯ともどうぞ、是非飲み比べてください」という勧めに素直にしたがいました。「しぼりたて」と、「天一清酒」の2種です。
Img_2948c 他の酒蔵同様、このミニサイズのプラスティックコップに1杯ずついただきました。しぼりたては、何というか芳醇という感じ。一方の清酒の方は、軽くてスッキリという印象。普段飲むのであれば、清酒の方が飽きがこないと思います。
Img_2956c 振る舞い酒のコーナーの隣に即売スペース。うまくできています。ついつImg_3103c い買いたくなるという仕掛け。試飲で味わった「しぼりたて」が瓶詰めになっているのを確かめて、この「蔵出し 生原酒」(720ml入り)を1本、買ってきました。¥1,000。
Img_3098c 昨年同様、川越町内外のお店が10店ほど出ていました。ざっと見ていたら、娘が昨日、「私の土産がないわねぇ」などといっていたのを思い出してしまいました(笑)。四日市の阿倉川駅前にあるパンカフェ・ブルーミングが売っていた「酒粕クッキー」をお買い上げ。娘に白状すると怒られそうですから、値段を伝えていませんが、これ¥100(笑)。早川酒造部さんの酒粕を使っています。
Img_2959c 去年と同じく、このあと訪ねる山武食品のブースもあり、去年も食べた鯛Img_2958c ちくわを売っていましたので、今年も。¥300。ここで焼いておられ、ほかほかをいただけるのです。
Img_2962c 鯛ちくわを食べたら、とても美味しく、「試飲だけじゃ足らないな」と思ったり、昨日のハイキングで出遭った知り合い(名前も存じ上げませんが、何回かお目にかかって、話をする仲になりました)が「せっかく来たなら、ゆっくり楽しまないと」といっておられたのを思い出し、独断でワンカップ1個を追加(爆)。¥190。一人宴会をすることにしたのですが、結局、隣や近くにいたおじさんたちと盛り上がってきました(笑)。いやぁ、楽しい。
Img_2964c これまで酒蔵みてある記に行っても、酒蔵にあまり長い時間は滞在したImg_3095c ことがなかったのですが、今日は30分以上留まっていました。これが正しい酒蔵みてある記の楽しみ方かもしれません。ちょっと気が引けたので、早川酒造部を出る前に、もう一度山武食品のブースに戻って、いかたっぷりのはんぺん(?)¥300を買って、土産に追加(笑)。これはそのまま持ち帰ってきました。
Img_2968c 11時をかなり回って、早川酒造部から1㎞ほどのところにある八幡神社Img_2998c へ。ここは道路から奥に入っています。去年も立ち寄って、あちこち見て回りましたが、去年1つわからなかったことがありましたので、それを確かめに行ったという次第。幸い、今年は、氏子の代表の方々がお茶の接待をしてくださっていて、その方たちに確かめることができました。
Img_3012c そのわからなかったものは、境内の南東に祀られている神社。朱い鳥居がありますので、お稲荷さん系統かとは思っていましたが、石碑に刻まれた名前が古くて、風化していて読めなかったのです。
Img_3014c 氏子の方に伺ったところ、「高杉神社といって、伏見と同系統」というお話し。「伏見と同系統なら、お稲荷さんでしょうか?」と確かめたら、そうだというお返事。それ以上詳しいことはわかりませんでした。神社検索(三重)の八幡神社のところにも言及はありませんし、八幡神社の御祭神には、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)や、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)のお名前はありません。川越町史 などを調べるとわかるかもしれませんが、今日はここまで。
Img_2992c 八幡神社でもう一つ収穫がありました。ここには、「足上げ祭」という伝統神事があります。それに使う大きな太鼓を見ることができました。この祭りは、8月14日の盆の晩に小学生が松明を担ぎ、青年は大太鼓と鉦をたたいて八幡神社まで参道を練り歩き、境内中央に設けられた「しんばしら」の周りを火の点いた松明を青年が持って跳び歩くという特異な祭りだそうです。こちらに動画があります(三重県のサイト)。温かいお茶をいただきましたし、収穫もあり、再訪して良かった。
Img_3050c コース上、最後に、国道1号線沿いにある山武食品に立ち寄ることになっImg_3041c ています。ここには、「海旬工房 矢馬竹」という直売所があるのです。去年立ち寄りましたが、今回はパス。早川酒造部さんで味わいましたし、土産も買ったからです。揚げ物、練り物、魅力的ではあるのですが……。
Img_3038c 直売所の横にお稲荷さんが祀られています。去年も気になったのですImg_3039c が、しっかりとは見てきませんでした。いつものことなのか、今日はハイキングで来客が多いからかはわかりませんが、お供え物が豪華でした(微笑)。伊勢エビや鯛まで上がっていました。ささいなことや、どうでも良いことが気になる質です(笑)。
Img_3051c さあ、あとはひたすらゴールの近鉄名古屋線・川越富洲Img_3060c 原駅を目指します。国道1号線をしばらく歩いて、6.1㎞で右折。11時55分に川越富洲原駅に到着。7.5㎞でした。12時3分の名古屋行き準急に乗車、桑名駅には12時11分。¥260。
 以下は、去年の同じハイキングの記事です。

2019年2月 9日 (土)

20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(予告編)

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 今日は、桑名で近鉄ハイキングであります。「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」ということで、近鉄沿線ではなく、三岐鉄道北勢線の蓮花寺駅からスタート。そのため、三岐鉄道西桑名駅から乗車。北勢線は、JR・近鉄桑名駅の南にある西桑名駅からいなべ市北勢町の阿下喜駅まで20.4㎞を結んでいます。日本では数少なくなった一般的な営業を行う762mm軌間のナローゲージの鉄道路線の1つで、鉄ちゃんには有名。大正3(1914)年4月、大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmが開業したことに始まります。
Img_2468c 電車もご覧の通り、ミニサイズ。西桑名駅を9時40分に出る楚原行きに乗Img_2464c 車。蓮花寺までは8分、¥170。乗車した電車は、レトロカラーにペイントされています。調べてみると、もとは三重交通モ4400形電車です。北勢線開業100周年記念(2014年)に作られた旧北勢線の復刻カラーとして、三重交通であった時代の塗装になっているのです。これに乗るのは初めて。
Img_2487c 今日の受付&スタートは、西桑名駅から3駅目、蓮花寺(れんげじ)駅。地Img_2486c 元では、「れんげいじ」と発音されます。受付は10時からでしたが、着いた時にはすでに数10人の方が並んでいました。酒蔵みてある記は、やはり人気。右は、コースマップ。蓮花寺駅から長谷神社を経て、後藤酒造場で酒蔵見学をし、三岐鉄道北勢線・星川駅がゴールという、マップ上7.5㎞。桑名市南部、員弁川(町屋川)の南側を歩きます。
190209kintetsuhikingrengeji こちらは実際に歩いた実測ルートマップ。いくつか寄り道もしましたので、7.9㎞でした。春日神社(石取祭がある春日神社とは別)、矢部駿河守定兼墓碑、教専寺、善徳寺、長谷神社、能部神社、後藤酒造場と回って来ました。バックオーダーが解消されていませんが、今日はこの。「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」の予告編。
Img_2502c スタートして800mほど、桑名市稗田にある春日神社。創祀は伏見天皇Img_2504c (在位1187~)以前とされます。奈良の春日神社より、春日神社(桑名宗社)へ分祀される時、この春日神社に小休があったといいます。御祭神は、建御雷之男神(たけみかづちのかみ;鹿島神宮の祭神。伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神)、斎主神(経津主神(ふつぬしのかみ)、刀剣の神格化された神。建御雷神と共に,高天原からの最後の使者として出雲に派遣されて、大国主命に国譲りを承知させた)、天児屋根命(あめのこやねのみこと;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、姫大神(特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの)。隣の空き地に金ピカの仏像などもあり、これも気になりました(まだ調べておりません)。
Img_2522c 春日神社から細い道を回って、400mほど行くと、寶増山薬王寺という寺があり、その境内に「矢部駿河守定兼墓碑」が建っています。矢部駿河守定兼(寛政元(1789)~天保13(1842))は、江戸後期の旗本。天保12(1841)年、江戸南町奉行となりました。住民には思いやりのある名奉行だったものの、老中水野忠邦と対立。目付鳥居耀蔵の画策により在任8カ月で罷免され、桑名藩へ永預け、改易の処分を受けた。これに抗議し、絶食して死んだといわれます。
Img_2528c 矢部駿河守定兼が桑名藩に預けられてからのことについては、こちらに詳細な言及があります。天保13年7月に亡くなり、その後、顕本寺で日顯上人が葬儀を執り行い、薬王寺に埋葬されました。その後、許されて、遺族・家来が町屋川の河原で荼毘に付し、遺骨を持ち帰りました。跡地に村人がムクノキを植え、墓標代わりにしていたのですが、枯れてしまい、その跡に北勢史談会が木製の墓標を建てました(昭和25(1950)年8月)。昭和36(1961)年、作家・松本清張が訪れ、多額の寄付を寄せ、昭和39(1964)年9月、この墓碑が建立されています。
Img_2538c 矢部駿河守定兼墓碑から西へ400m足らず、県道3号線沿いに「敷政稲荷神社」があります。地図には載っているのですが、現状は、鳥居と社号標が残っているだけ。こちらのサイトに鳥居の写真が載っていますが、ネットではめぼしい情報は出て来ません。リンク先の記事は、2016年12月2日づけのものですから、この頃までは神社はあったと思われます。
Img_2543c 敷政稲荷神社跡で左折し、南下。員弁川(町屋川)を桑部橋で渡ります。Img_2557c 桑部の町に入って右折。県道3号線より一本南の道、桑部小学校の北を通って西へ向かいます。このあたりも古い町で、民家に昔からの看板が残っています。あの「羽田結納」の他、2軒の結納品店の看板が並んでいて、興味を引かれますが、先に進みます。
Img_2563c 桑部小学校のすぐ北には、藤花山教専寺。浄土真宗本願寺派のお寺Img_2575c (左の写真)。もう少し進むと、小学校の北勢にも浄土真宗本願寺派の善徳寺があります(右の写真)。いずれも、ネットではこれという情報はありませんでした。さらに調べてみましょう。
Img_2589c 桑部の町をさらに西に進み、スタートから2.8㎞、10時35分に長谷(ながたに)神社に到着。「延喜式」にある「桑名郡長谷神社」と考えられていまする。村社。奈良時代、称徳天皇神護景雲元(767)年、常陸国鹿島神宮の御祭神を勧請し、桑部村の地、谷の奥にあたる長谷に鎮座したといいます。常陸国から大和国への遷座の際、当地に立ち寄った使者が、藤原氏の興隆にあやかりたい、と、当地の有力者の懇願による勧請だったと伝わっています。
Img_2601c 御祭神は、建御雷之男神(たけみかづちのかみ)、斎主神天児屋根命(あまのこやねのみこと)、姫大神品陀和気命(ほんだわけのみこと;応神天皇)、大山祇命(おおやつみのかみ;山の神)、天目一箇命(あまのまひとつのかみ;金工の神)、須佐之男命(すさのおのみこと;天照大神の弟。乱暴を行ったため、天照大神が怒って高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣を天照大神に献じた)。 明治41(1908)年、能部神社、須賀神社、、春日神社を合祀していますが、昭和56(1981)年に春日神社(東金井字西谷)、昭和57(1982)年に能部神社を分祀しました。
 ちなみに、明治初年に至るまで、桑名春日神社(現桑名宗社)の神事において、桑部の人たちが招聘され、当社の協力を得て行われたといいます。
Img_2606c 境内には、八天宮社がありました。八天宮は、火伏の神。桑名・員弁地方ではたくさん祀られているそうです(こちらに言及あり。八天宮は秋葉神社と同じとも書かれています)。それは、江戸時代文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされたからだといいます。
Img_2623c また、一の鳥居をくぐった右側(西側)には、忠魂碑、日露戦役祈念碑、五箇条の御誓文を刻んだ石碑、また、忠魂義胆郷党軍人記念之碑がありました。忠魂碑は、「桑名の戦争遺跡」によれば、昭和15(1940)年1月の建立。建立者は、石原末松。支那事変と太平洋戦争の戦没者83名の名が刻まれています。日露戦役祈念碑は、同書によれば、明治40(1907)年4月に山本鐵太郎他19名により建立され、日露戦争での戦没者7名と、従軍者36名の名前があります。この五箇条の御誓文碑は、桑部小学校にあったものを戦後、現在地へ移したそうです(こちらに記述があります)。忠魂義胆郷党軍人記念之碑は、明治28(1895)年2月、桑部村大字桑部壮年会が建てています。
Img_2672c  長谷神社からさらに西へ。桑部、正和台と1.7㎞進むと、東名阪道の下をImg_2675c くぐったところに能部(のんべ)神社があります。創立は不詳。明治21(1888)年、春日神社が鎮座していたのですが、明治40(1907)7月、八幡宮境内(字南貝戸1073-1)に移し、「能部神社」と単称の旨を願い出て、同年10月に合祀。さらに明治41年3、長谷神社に合祀となりました。終戦後、氏子の総意により、昭和57(1982)年3月、大字能部の旧社地に分祀されています。
Img_2694c_2 いよいよ本日のメイン、後藤酒造場。桑名の地酒「青雲」の醸造元です。スタートからは5.7㎞、時刻は11時25分。やはり大賑わい。皆さんほとんどの方は、ここでの試飲、即売品の購入が目的と思います。ちなみに、青雲は、灯街道イベントなどで購入し、飲んでいますが、好みの酒です。なお、お断りしておきますが、私、決して大酒飲みではありません(微笑)。
Img_2704c 無料試飲は、青雲の大吟醸。三重県産山田錦100%、アルコール分は16~17度。何と形容すべきか、果物のような香りがしますし、なめらかで飲みやすいのに、コクがあるという感じ。
Img_2708c 有料試飲も、1杯100円でありましたので、ナイショで(誰Img_2707c_2 に?)、「久波奈」を1杯。いずれも三重県産の山田錦と、神の穂が減量。特別吟醸で、醸造用アルコールは添加されていません。アルコール分は15~16度。青雲とはことなりますが、果物の香り。「マスカットを思わせる」とありましたが、そこまでの判別はできません。のどごしは、青雲に比べ、こちらの方が柔らかくて、飲みやすい。2口でいただいてしまいました(もったいない)。
Img_2652c 今日のハイキングでも「お楽しみ抽選会」がありました。いつも通り、コーImg_2692c スマップに割り振られた番号で、です。今回は、#043でしたが、見事外れ。青雲大吟醸とかが賞品でした。下1桁(酒粕)も、2と6でした。
Img_2698c 今回も、甘酒の振る舞いがあり、もちろんいただいてきました(微笑)。酒Img_2716c 蔵によって微妙に味が異なりますが、それを言葉にできるほど繊細な舌および文章力はありません。飲食ブースも出ており、小腹が空いていましたので、桑名のとらや饅頭が売っていたみたらし団子を1本。¥100。小声でいいますが、私的には、郷里の「天王の団子屋」のみたらしがベスト。
Img_2834c 本日の土産は、2種類。1つは、「青雲 しぼりたて生酒」。720ml入り、Img_2844c ¥1,300。冬季限定で、アルコール分19~20度。「冷やのままお召し上がり下さい」です。このあと早速(微笑)。もう1種類は、「北勢線 応援酒」と銘打った「嘉例川(かれがわ)」。「嘉例川」は、近くの地名。嘉例川地区で栽培された酒米・五百万石でつくられています。有料試飲で出ていましたが、試してきませんでした。「爽やかで軽い旨みの純米酒」だそうです。アルコール度数は16。
Img_2729c これですべて完了(微笑)。ゴールの三岐鉄道北勢線・星川駅へは、県Img_2734c 道26号線を直進するのが近いのですが、この道は歩道がないので、危険ということで、東側の田園地帯を迂回するルートが指定されていました。正和中学校の前を通って、員弁川の堤防道路へ。
Img_2740c 来るときに渡った桑部橋の1本上流側にかかる坂井橋を渡って行きまImg_2761c す。星川駅には、12時15分に到着。7.9㎞でした。次の西桑名行きは、12時41分でしたので、隣にある三洋堂星川店を除いて、時間つぶし。
Img_2766c 西桑名駅まで¥200。帰りは、レトロカラーではなく、普通の黄色い電車。以前のハ

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イキング記事でも載せていますが、ホームに居る人との大きさを比べてみてください。本当に小さな電車です。中はロングシートですが、向かいに座った人と、膝つき合わせてという感じになります。
Img_2780c 車内はこんな感じ。電車も、ところによっては、民家の軒先というか、庭Img_2784c 先を通っていきます。まさにローカルな印象です。線路幅が最初に書きましたように、762mm軌間のナローゲージですし、ずいぶん古い電車ですから、よく揺れます。モーター音も吊り掛け式というタイプに独特な音で親しめます(こちらで聞けます)。
Img_2819c 西桑名駅には、12時56分に到着。ちょうど良い運動でした。ハイキングで歩いたのは、7.9㎞。自宅から西桑名駅往復は、2.3㎞。合わせて10.2㎞。ハイキングとしてはまぁまぁこれくらいでしょう。

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 あみま倶楽部のスタンプは6個目。たぶん去年よりハイペース(微笑)。明日は、「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」があります。近鉄名古屋線・伊勢朝日駅から、旧東海道を通って、朝日町歴史博物館へ。若松園、早川酒造部、山武食品に立ち寄って近鉄名古屋線・川越富洲原駅がゴールという約7.0㎞コース。去年(2018年)2月11日にも同じコースのハイキングに行っています(20180211近鉄ハイキングの酒蔵みてある記“早川酒造部「天一」”へ(予告編))。去年は、天一の絞りたて原酒の試飲でした。やや甘い感じで、濃いめという印象だったと記憶しています。明日は天気は良さそう。連日の酒蔵みてある記ですが、参加したいと思っています。もう一度、お断りしておきますが、決して大酒飲みではありません(爆)。

2019年2月 8日 (金)

20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その1)……千里駅をスタートし、上野神社、円光寺へ

Img_1008c  2月2日、2月に入って最初の土曜日。もちろん、ハイキング・ウォーキングであります。この日は、近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」に出かけてきました。この日は、好天の上、暖かく歩きやすい日でした。というよりも汗ばむくらいでした。

Img_1016c スタート受付は、近鉄名古屋線・千里駅。津市河芸町にあります。受付は、9時半からでした。千里駅には、普通電車しか止まりません。桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時32分に到着。なのですが、途中、ちょっとしたハプニングで3分遅れ。9時36分発津新町生き普通に乗り換えて、9時42分着。¥560。

Img_1013c そのハプニングとは、桑名駅を出て、次の駅の益生駅の手前2つめの踏切で急停車したのです。益生駅は急行は通過します。私は、前から2両目の前方に乗っていました。確かに踏切内に普通乗用車が停止。私より年配の男性が運転者のようでした。近鉄とJRが並行して通っているところで、両者の踏切の間に押し出したようでした。他人事ではありません。気をつけましょう。写真はその踏切を通過するとき、ドア越しに撮ったもの。

Img_1022c さて、話を戻して、こちらは当日のコースマップ。千里駅から白塚駅まで、ほぼ国道23号線に沿って、ところどころは旧・伊勢街道(参宮街道)を歩くという企画。コースマップ上は、約7㎞ということでしたが、実際に歩いた距離を測ると、8.5㎞でした。今日は、自宅から桑名駅往復が、2.1㎞でしたから、歩いたのは合計10.6㎞。千里駅スタートして、上野神社、伊勢上野城跡、光勝寺、八雲神社を経て、北山水産と痔神社に立ち寄り、ゴールは近鉄名古屋線・白塚駅でした。スタートしたのは、9時50分。

190202kintetsuhikingchisato こちらが当日の実測ルートマップ。このあたりを歩くのは、初めてですが、国道23号線は、鈴鹿で働いていた頃何度も通りましたし、今も家内の実家へ行くときによく通ります。それ故、多少は土地勘がありますが、この日訪ねたところは、いずれも初めて。

190202kintetsuhikingchisato1 近鉄・千里駅を出たところが、旧・伊勢街道(予告編ではよく調べておらず、ここが伊勢街道とは思っていませんでした)。そこから西すぐのところに、Img_1031c_2 国道23号線が通っています。これを渡って、南西へ。右の写真は、国道23号を渡って旧・伊勢街道を歩いているところ。

Img_1036c 田中川にかかる田中橋を渡って、いったん伊勢街道から離れます。川沿いを進んで、1㎞をすぎたあたりで左折。津市立上野小学校や上野幼稚園のところをさらに進んでいきます。写真はありませんが、上野小学校の敷地内には石碑が1つありました。戦争の慰霊碑(こちらの1-18-02)ではないかと思いますが、敷地内には入れず、未確認。

Img_1053c スタートから1.5㎞ほど、10時8分に上野神社に到着。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられていまする(建徳2(1371)年という説があります)。南北朝時代、北畠親房(きたばたけちかふさ)とその子孫は南朝方の支柱となっていますが、親房の子顕能が、建武2 (1335) 年、伊勢国司となって以来、その子孫は代々国司として南伊勢を支配しました。しかし、天正4 (1576) 年、具教が織田信長に殺され、滅亡しました。永禄年間、織田信長が、太刀鎧等を奉納したといいます。

Img_1059c_2  應永13(1406)年の棟札があり、そこには、上野正八幡と記されているそImg_1063c うです。慶長6(1601)年、分部光嘉が社領5石を寄進、慶長16(1617)年、嗣子・光信は社殿を造営しています。元和5(1619)年、光信が近江国・大溝藩に移封された後は、紀州領となりましたが、社領5石は変らず、城主・領主の崇敬がありました。明治時代に八幡神社と称し、明治6(1873)年、村社に。明治41(1908)年、上野・久知野・中瀬の神社35社を合祀して、上野神社となっています。

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 主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと;応神天皇)。相殿神は、建速須佐之男命(たけはやのすさのおのみこと;伊奘諾尊・伊奘冉尊の子。高天原から追放され、出雲に降り、八岐大蛇を退治)、稲田比売命(いなだひめのみこと;八岐大蛇のいけにえとなるところを、建速須佐之男命によって助けられ、その妻となった)、天児屋根命(まのこやねのみこと;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神。藤原氏の祖神)、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ;穀物の神。稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰される)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと;天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと;国生みと神生みを行った男神)、伊邪那美命(いざなみのみこと;国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国を支配する黄泉大神となった)、金山比古神(かやまびこのかみ;鉱山の男神)、火産霊神(ほむすびのかみ;伊弉諾尊・伊弉冉尊の子。火の神)、大山津見神(おおやつみのかみ;山をつかさどる神)。

Img_1079c  境内には、橿原神宮遙拝所と、皇居・神宮遙拝所がありました。橿原神Img_1081c 宮遙拝所は、もちろん西を向いて建っていますが、皇居と神宮(伊勢神宮)遙拝所は東を向いています。皇居と神宮の遙拝所が一つになっているのは、初めて見ました。方角も、かなり違うと思うのですが、よく分かりません。昭和11(1936)年に建てられています。この年は、二・二六事件があった年。紀元2600年は、この4年後。

Img_1068c 拝殿に向かって左手(西)には、石碑が4つ。このうち向かって右にある2Img_1074c つは、拝殿や本殿の造営記念碑でした。向かって左の2つは、「神饌田」と「奉納神饌田」とありました。神饌田は、神に属し祭祀に供せられる稲を作る田ということですが、単にこの上野神社の神饌田なのか、伊勢神宮などに関わりがあるのか不明。伊勢神宮の領地などであれば、「御厨」とありそうです。

Img_1093c 上野神社の参拝を終えて、南側の参道から鳥居を出てImg_1094c 振り返ったら、朱い鳥居が並んでいました。八幡稲荷神社です。

Img_1103c お稲荷様ですから、御祭神は、宇迦御魂神。しかし、眷属のキツネの姿Img_1096c はどこにも見当たりません。お社の中には、奥之向かって右には、「若宮八幡社」「宇気比神社」と、左には、「春日社」「菅原社」と書かれた扁額がかかっています。若宮八幡社は、名古屋にある神社? 宇気比神社(うきひじんじゃ)は、志摩の方に同じ名前の神社がいくつかありますが(志摩市阿児町志摩市浜島など)それを勧請したもの? ネットでは八幡稲荷神社についての情報がありませんので、不明。

Img_1112c  上野神社から道路に降りて100mほど行ったところに、こういう看板がありました。コースマップでは立ち寄り先になってはいませんが、「江姫ゆかりの寺」とあっては立ち寄らざるを得ません。早速寄り道(微笑)。

Img_1114c 萬松山円光寺臨済宗東福寺派のお寺です。ご本尊は、釈迦牟尼。延文3(1358)年、栗真庄中山(現在の津市徳川秀忠の正室となったお江にゆかりのある寺として有名栗真中山町)に後光厳天皇の勅願寺として開創されたと伝えられています。応永4(1397)には将軍・足利義満から

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祈願所とされ、義持・義教・義政の三祖公のご教書を拝領するなど、足利将軍家の帰依を受けました。分部光嘉が中山から、元亀年間(1570~73)、現在の上野の地に居城と寺を移し、分部氏の菩提寺としました。2代藩主・分部光信が、近江・大溝藩主に転封となり、円光寺も同時に近江に移りましたが、残った堂宇をもとに円光寺は現在地にも存続しています。ちなみに、近江に移った円光寺は滋賀県高島市に存続し、大溝藩主・分部氏の菩提寺となっています。

Img_1138c 境内の墓所には、分部光嘉公、分部光勝公(光嘉の息)、分部光嘉公室(万(まん))、分部光高公の墓が並んでいます。

Img_1132c また、境内には、お稲荷様もありました。が、鳥居のとこImg_1134c ろにあった幟には、「玉宝吨枳尼尊天」とあります。不思議に思って、調べたら、吨枳尼天王は、仏教の鬼神で、密教では、胎蔵界曼陀羅外院にあって、大黒天に所属する夜叉(やしゃ)神。自在の通力をもって6か月前に人の死を知り、その心臓を食うといわれる。日本では狐の精とされ、稲荷信仰と混同されている。ということですから、お稲荷さんと混同され、同じに扱われているということのようです。

Img_1124c こちらは山門の写真。厳粛な風情が漂っています。秋の紅葉の時期には、山門にそびえる紅葉が一斉に色づく様はまさに圧巻だそうですから、その頃訪ねるとよいのでしょう。

 ところで、円光寺入り口にあった看板には、「江姫ゆかりの寺」とありましたが、上に載せた、教育委員会が設置した案内板にも言及がありません。あた、このあと訪れた伊勢上野城跡にある資料館でもらったパンフレットにはその詳細な情報はありませんでした。津市観光協会の公式サイトにある円光寺のページにも何も書かれていません。本堂の中をよく拝見してこなかったのですがこちらによれば、そこに展示されている江姫関係の資料は、某公営放送の大河ドラマに関わるものがほとんどだそうです(こちら)。大河ドラマはほとんど見ませんので、2011年に放送された「江~姫たちの戦国~」も私は見ていません。この大河ドラマについては「史実と異なる展開」という批判がかなりあったそうです。こういうこともあって、「江姫ゆかりの寺」という具体的な資料は不明。

 今回はここでキリがよいので、ここまで。円光寺から伊勢上野城跡・本城山青少年公園は300mほど先。次は、伊勢上野城跡から。

ツグミがポツポツ登場、シメも4羽

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 今日もまた、白魚漁の船が出ていました。しかも、今日は素人目で見るとこImg_2378c ろ、5組もです。なんだか入り乱れているようで、気になります。シラウオがいるかどうかということの他に、満潮時刻との関連もあるのかと思い至ったのですが、正しいのかどうかはわかりません(今朝の四日市港の満潮は8時11分)。
Img_2374c さて、散歩はいつも通り、8時20分から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、新築公園、寺町と6.6㎞。11時15分頃まで。強烈な寒気が入ってくるという予報ですが、今日のところは最高気温10℃ほど、風は数m/sとやや寒い感じ。
Img_0031c 住吉入江にすっかり居着いたヒドリガモのオス。あの右の翼を痛めている、はぐれヒドリガモです。護岸の階段で良く休んでいます。今日は、もう1羽、単独行動しているホシハジロのオス1羽もいました。これらと、オオバンはたいてい毎日見ます。
Img_0048c ここ数日、ツグミの姿をポツポツと見るようになってきました。左の写真は、Img_2402c 三の丸公園にて。昨日に引き続いて、です。右の写真は、九華公園の奥平屋敷跡で見たツグミ。他には、鎮国守国神社の境内にもいました。昨日と同じく、拝殿の東でした。ツグミも縄張りというか、好みの場所がそれぞれにあるのかもしれません。
Img_0055c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイ。今日はゴイサギ4羽、ホシゴイ1羽。アオImg_2431c サギは当初見当たらなかったのですが、9時40分頃、もう一度見に来たら、どこか近くから飛び立って、西へ飛んで行きました。
Img_0063c シメ。左の写真は、奥平屋敷跡で見たものですが、今日、九華公園ではImg_0135c 合計4ヶ所で確認しました。このほか、二の丸跡、本丸跡、鎮国守国神社の境内です。以前も、4ヶ所で見たり、鳴き声を聞いたりしましたし、今日も大きく移動した形跡はありませんでしたので、4羽がいると考えられます。
Img_0082c 二の丸跡では、ビンズイが1羽。数羽グループでいるときもあったのに、Img_2413c 最近は1羽しか見えません。それも、時々見るだけ。
Img_0086c 同じく二の丸跡では、一瞬、シロハラが出てきました。シロハラも、九華公園で時々見ますが、鎮国守国神社の境内にいることが多いので、ちょっと珍しい。
Img_0058c カモは、合計79羽。九華橋(管理事務所近く)から数えていたら、ハシビロガモ合計10羽が、どこからやって来て一斉に着水しました。ハシビロガモは、昼間、ここへ「出勤」してくるのかもしれません。今日は、ハシビロガモのオスが4羽、メス6羽、ホシハジロのオス1羽、ヒドリガモのペアが2組。ユリカモメ、カルガモ、オオバンは不在。
Img_0148c 貝塚公園では、今日も鳥は少なく、キジバト、ヒヨドリくらいでしたが、それImg_0144c でも、シロハラを2羽確認しました。貝塚公園でも白梅が咲いてきたと昨日、書きましたが、ちょっと不思議な梅の花を見つけました。白梅の木の同じ枝から咲いているのに、薄いピンク色がかかった花がついていたのです。これ、どうなっているのでしょう? また調べてみましょう。
Img_0153c また気になったので、今日も寺町の河津桜を見て来ました。二輪咲いていました。気になったというのは、晴天のもとで、綺麗に撮りたかったのですが、今日もあいにくの曇り空。他にも男性がお一人、写真を撮りに来ていらっしゃいました。他にもつぼみは膨らんでいますが、週末は寒そうですから、もっと咲くのは来週でしょう。
 明日は、週末。近鉄ハイキングがあります。それも桑名で。“「北勢線応援酒」を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて”です。後藤酒造は、旧・桑名市内で唯一の酒蔵(多度には、細川酒造があります)。灯街道のイベントの時など、「青雲」を買って飲んだことはありますが(2018年4月7日:風雨をついて、灯街道・桑名宿イベントへ……「青雲 樽酒」をゲット(笑))、後藤酒造自体には行ったことがありません。寒そうですが、是非出かけようと思っています。もちろん、試飲、甘酒のふるまい、即売会があります。

2019年2月 7日 (木)

寺町商店街の河津桜が咲き始めました……九華公園でカシラダカ

Img_0023c  13℃を超えて暖かくなりました。寺町商店街に河津桜の並木があります。丁寧にずっと見て回ったら、これだけ花が開いていました。まだ「開花宣言」は無理でしょうが、河津桜が咲き始めたといって良いかと思います。去年は、2月24日に咲いています(2018年2月24日:河津桜も咲き、春めいてきた感じ)。
Img_2320c_2 さて、散歩は8時20分から、いつもどおり。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町から吉津屋町、寺町と6.7㎞。九華公園の中をけっこう歩き回りましたので、この距離。知人多数にお目にかかってきました。写真は、揖斐川での白魚漁。今日は、2組が漁に出ていました。2隻が組んで長い網をゆっくり引いていきます。
Img_9885c あまり良い写真ではありませんが、ツグミ。今シーズン初めて三の丸公園でImg_9894c 見ました。例年ならば、この公園に2~3羽がいます。隣の柿安コミュニティパークでは、メスのモズ。
Img_2361c 九華公園、久しぶりに定位置の鎮国守国神社の社務所裏にアオサギ1羽。ゴイImg_2334c サギ、ホシゴイは計5羽。いったい何羽いるのか、どこにいるのか、あの時の10数羽は何だったのか、未だによく分かりません(苦笑)。
Img_2339c 奥平屋敷跡ではジョウビタキのオス。ふっくらして、ジョビボール。今日もImg_9919c ユリカモメは来ていませんでしたが、カモは合計83羽。この冬、カモはやや多め。ハシビロガモのオスが5羽、メスが5羽、ホシハジロはオスだけ1羽。ヒドリガモはいつも通り2ペア。他はキンクロ。写真は、ハシビロガモ。奥平屋敷跡への入り口近くの二の丸堀にて。
Img_2345c 鎮国守国神社の拝殿の東で、ツグミに遭遇。もう1羽いて、合計2羽。地Img_9937c 面新井田のですが、いずれも樹上に逃げました。さらに、もう1種類。肉眼では、ホオジロかと思ったのですが、カシラダカのようでした。これまでによく見たのは、大山田川沿いで、九華公園で見るのは珍しい。
Img_2359c シメ、鳴き声は九華公園のあちこちで聞こえますが、今日見たのは、本丸跡。いつも良くいるところです。このほか九華公園で見たのは、スズメ、カワラバト、カワラヒワ、ヒヨドリ、シジュウカラ、ハクセキレイ、ムクドリなど。
Img_9930c 鎮国守国神社の境内、梅がかなり咲いてきました。また、貝塚公園でも、Img_0002c 白梅が咲き始めています。午前中から雲がかかってきましたので、もう一つ綺麗には撮れませんでした。

20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その4)……月読宮にお参りして御幸道路をひたすら歩き伊勢市駅へゴール(完)

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 1月27日のJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」の記事もいよいよ終盤です(ようやくかも?)。内宮別宮である月読宮へ立ち寄ります。ここは今回のコースにもありましたし、行ってみたかったところ。13時半を過ぎていて、ゴール受付時刻(15時まで)が気になったものの、お参りすることに。
Img_0610c 月読宮(つきよみのみや)。御幸道路に面した一の鳥居から300mあまりの参道を進んでいきます。伊勢神宮の別宮はどこも、これくらいの参道を歩きますから、次第に神聖な領域へ進んでいくという気持ちが高まっていきます。ここの御祭神は4柱いらっしゃり、お社も4社が並んでます。
Img_0613c まずは、「月読宮」。ここには、「月読尊(つきよみのみこと)」が祀られています。Img_0612c 天照大御神の弟神で外宮別宮「月夜見宮」のご祭神と同じです。「月を読む」という名のとおり、月の満ち欠けを教え、暦を司る神です。4社ありますが、これから書く順序にお参りするよう注意書きがありました。
Img_0615c 2番目は、左の写真にある「月読荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)」。御祭神は、「月読尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)」。月読尊の荒御魂が祀られています。
Img_0618c 3番目は、「伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)」で、ここには「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が、また、4番目は「伊佐奈弥宮(いざなみのみや)」で、こちらには「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」が祀られています。月読宮は、内宮に比べると、訪れる人も少なく、静かでした。
Img_0625c 月読宮の参拝を終えて、時刻は13時40分過ぎ。コースマップには、おかげ横丁~伊勢市駅が4.9㎞とあります。スマホは持っていませんし、歩いている途中、何㎞来たかとか、残り何㎞はわかりません。ゴール受け付け終了が15時ですから、それまでに伊勢市駅に着かないとスタンプがもらえません。ここからはひたすら歩くことにしました。が、写真のようにだらだらの上り坂(苦笑)。
Img_0630c 御幸道路を懸命に歩きます。普段の散歩より速いペースで(苦笑)。去年20190127jrwalkingiseshi7 10月8日の近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」の時、倭姫宮から五十鈴川駅までは歩きましたから、このあたりは記憶があります(20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。今日は、逆向きに歩いて、倭姫前の交差点からさらに北上。そこは未知の世界(大げさな)。通ったことがないところは、遠く感じますし、この時点で持っていたのは、コースマップのみ。距離感がわからないというのは、困りました。左の写真は、御幸道路にある大鳥居。御幸道路は、前にも書きましたが、明治43(1910)年に開通し、天皇の伊勢神宮参詣(行幸・御幸)時の参拝経路として利用されます。全長はおよそ5.5kmで、徒歩1時間半程度というのは、これを書くのに調べたもので、歩いているときには知りません(笑)。
 大鳥居は平成5(1993)年に建設されたものでした。先代の大鳥居は、鉄筋コンクリート製で、昭和31(1956)年に松下幸之助が寄贈して伊勢市駅前に建てられましたが、駅前の道路拡張のため昭和63(1988)年に撤去。その後、再建を望む声が上がり、桑名郡多度町(現桑名市)の勢濃工業株式会社社長・伊藤源一が伊勢市に寄贈したのだそうです。鳥居は鋼鉄製で、高さ22.7m、幅19m。
Img_0638c 途中、13.4㎞で、倭姫前の交差点。ここは、上述のように去年10月8日のImg_0632c_2 ハイキングできて、倭姫宮にお参りして、神宮徴古館前で弁当を食べています。左の写真にある石碑は、神宮徴古館が設立されたときの記念碑です。交差点の東側には、神宮文庫への門があります。神宮文庫には、神道、文学、歴史などの貴重な和書20万冊を含み、約31万冊が収蔵されているそうです。これらや、倭姫宮への参拝については、“20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その5)……皇學館大学、倭姫宮、神宮徴古館記念碑などを見て五十鈴川駅へゴール(完)”をご参照ください。
Img_0635c 去年の10月8日に通ったとき、気づかなかったものが1つありました。こちらの石碑。「國道風致樹木 寄附者 御木本幸吉」とあります。御幸道路の街路樹は、真珠王・御木本幸吉が寄附したのを記念した石碑。サクラとカエデが交互に植えられているほか、ツツジも見られるそうです。御木本はこれらの整備費用だけでなく、毎年の補足維持基金まで三重県に寄付したといいます(こちら)。
Img_0643c 御幸道路は、倭姫前交差点辺りがピーク。下り坂になっていき、歩くスピードが上がります。神宮徴古館の裏辺りで、道路の反対側に皇學館大学の門。明治6(1873)年にできた神宮教院がその源流だそうです。その後、皇學館(明治15(1882)年4月、神宮祭主久邇宮朝彦親王の令達により創設)、神宮皇學館を経て、官立大学(皇學館大学)にも昇格しましたが、第2次大戦後、いったん廃学。昭和37(1962)年になって、現在の皇學館大学として再興されています。
Img_0646c このあたりは、神宮徴古館の裏手と書きましたが、御幸道路沿いにもこんな看板があります。時間的余裕があれば、是非これらを訪ねてみたいものです。
Img_0648c 時間が気になるのですが、こういうものを見つけると、どうも気になります(微笑)。「御師葉山大夫門」とあります。伊勢の御師は、伊勢神宮の下級神職で、伊勢暦や御札を配ったり、また伊勢参りの人々の案内や宿の世話をしたりしました。江戸時代御師は、宇治で271家、山田には615家ありました。御師は、全国を回って檀家に、神宮大麻(神札)を届け、檀家は応分の初穂料を献じました。伊勢参りには自邸に宿泊させ、お神楽をあげ、もてなしました。明治4(1871)年7月、明治政府により御師の活動は禁止され、現在、広大な御師邸はほとんど残っていず、多くの資料も失われています。
Img_0653c_2 説明板によれば、葉山大夫は、榎倉大夫の分家筋にあたり、町年寄りを務め、檀家は主に江戸、安房、紀伊国にあったそうです。上の写真の門は、常盤町にあった葉山大夫家の薬医門です。瓦には嘉永6(1853)年の銘があるといいます。明治40(1907)年、亀谷環氏が葉山宏次郎から譲り受け、亀谷病院となっていましたが、昭和36(1961)年、神宮司庁に献納され、同40(1965)年、ここに移築されています。
Img_0665c このあと、神田久志本町、岩淵などを経て、勢田川にかかる錦水橋へ。この橋も、去年10月8日の近鉄ハイキングの時に通っています。御幸道路が勢田川を渡る橋です。12 基の擬宝珠 が付いたこの橋は、明治36(1903)年、倉田山に神宮徴古館が開館した時にできました。この橋のあたりから山の方を見ると、秋には紅葉が広がり、それが「錦」のようだったため名付けられたといいます。昔は路面電車(三重交通神都線)も走る橋でした。錦水橋で、14.5㎞。
Img_0678c その後、近鉄山田線・鳥羽線の宇治山田駅の南を通って、伊勢市役所と地方裁判所のある交差点(伊勢簡易裁判所前)を右折し、ゴールのJR参宮線・伊勢市駅へ。15.5㎞を歩いてきました。といっても、それは帰宅してチェックしてわかったこと。このときはとにかく良く歩いたという風にしか思えませんでした。
Img_0680c ゴール受付に着いたのは、14時30分。スタートしたのは、9時50分でした。昼Img_0685c ご飯も食べられず、4時間40分、ひたすら歩いて来ました。この時点では、過去最長距離を歩いたことはわかっておりません。昼ご飯も食べらなかった上、ベンチに座ってゆっくり休憩もできずでゴール。お陰様でけっこう疲れました。
Img_0682c この日、先着1,000名に新春キャンペーンとして、「伊勢市駅 絵馬型駅名Img_0684c バッジ」がプレゼントされるということでしたが、めでたくゲットできました。あちこちで寄り道し、かなりゆっくりゴールしましたので、先着1,000名に入るとは思っていなかったのです。スタンプも2つめをゲット(去年11月23日にスタンプカードを更新して以来)。
Img_0693c  いやぁ、ゴール受付終了(15時)までにゴールできて良かったと思いまImg_0708c す。途中では、間に合わないかという気がしました。かなりお疲れということで、帰りは、また近鉄を利用。近鉄特急アーバンライナーに乗車(微笑)。桑名までの運賃¥1,200プラス特急料金が\1,320。14時54分発の名古屋行き特急に乗って、桑名着は15時59分。ウォーキングで15.5㎞、桑名駅までの往復で1.8㎞。合計17.3㎞はこれまでの最長不倒距離でした。これまで最も長く歩いたのは、去年2月27日の近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”でした。このときは、現地で12.4㎞を歩いています。
Img_0458c  余談を2つ。1つは伊勢市のマンホール。リンク先のデザインは若干異な190127stampfuruichic りますが、いずれもおかげ参りの様子です。もう1つは、伊勢古市参宮街道資料館のスタンプ。やはり、観光地にはこういうスタンプがなくてはいけませんということ。これ以上は、いつも書いていることですから、割愛。

2019年2月 6日 (水)

20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その3)……神宮会館の前を経ていよいよ内宮、大賑わいのおかげ横丁を通過

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 1月27日のJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのImg_0444c_2 おかげ参り」もその3となり、いよいよ内宮にお参りします。その2では、古市の町で麻吉旅館を見て、猿田彦神社にもお参りしてきました。猿田彦神社の先で右折し、旧・伊勢街道&国道23号線に出て、いよいよ内宮に向かいます。ここから1㎞ほどは下り坂をゆるゆると下っていきます。
Img_0450c_2 スタートから6.7㎞ほどのところに神宮会館があります。伊勢神宮崇敬会が運営する宿です。第59回神宮式年遷宮のとき、昭和28(1953)年秋に竣工しています。内宮まで徒歩約5分という利便性の高いところ。ちなみに、伊勢神宮崇敬会は、いわゆる「奉賛会」。第59回神宮式年遷宮の募財のため、戦後設立された「伊勢神宮式年遷宮奉賛会」を母体としています。
Img_0453c_2 その神宮会館の会議室棟の前に「国民総参宮」という幟が4本ほど立っていました。「国民総参宮」といえば、1月始め、話題になったことがあります。伊勢神宮を参拝するよう呼び掛けるのぼり旗6本を、伊勢市が昨年12月28日から市役所前に掲げていたことが、「政教分離の原則」に反すると指摘を受け、市が撤去したというニュースがありました(こちら)。幟旗を作ったのは市と伊勢商工会議所、市観光協会などが「御大礼奉祝委員会」。こちらの幟旗には、「平成感謝 国民総参宮」と書かれていました。神宮崇敬絵画するのはまったく構いませんが、市が関わる団体が市役所の前にこういうのぼり旗を掲げるのは、ちょっといただけません。というニュースを思い出したのです。
Img_0461c_2 などと重いながら、内宮前の交差点に到着。スタートの伊勢市駅からは

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7.1㎞、12時10分。ここは、11月に行われる全日本大学駅伝ゴール地点でもあり、また、国道23号線の終点でもあります。いよいよ念願の内宮です。昨年12月に外宮に来ましたが、内宮は久しぶり。
Img_0473c_2 内宮への入口、宇治橋前です。五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界と神聖な世界との境界。この大鳥居を眺めると、心が洗われる気がします。この宇治橋外側の鳥居は、ご遷宮の際、払い下げられて桑名にある七里の渡し跡の伊勢一の鳥居になります(こちら)。宇治橋外側の鳥居は、外宮正殿の棟持柱として用いられていた御用材。そこで20年間使われたものが宇治橋の鳥居になり、さらに伊勢一の鳥居として使われますから、都合60年に渡ってその役割を果たすのです。ちなみに、宇治橋内側の鳥居(こちらは、内宮正殿の棟持柱)は、関宿東追分の鳥居になります。
Img_0476c_4 いったい何年ぶりかよく覚えていませんが、いよいよ宇治橋を渡って内Img_0482c_2 宮の境内へ。子どもたちが小さい頃(小学校入学前後?)、家族できた記憶があります。その前は、鈴鹿で就職した年(昭和54(1979)年)の大晦日に年越し参りに来ています。今回訪れた1月27日は、まだ正月のうちで老人会、神社やお寺、さらには議員さんの後援会と覚しき団体なども多く、かなり賑わっていました。
Img_0492c_2 五十鈴川御手洗場です。ここでお清めをして行きます。五十鈴川は、「御裳濯川(みもすそがわ)」とも呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそを濯いだことから名づけられたと伝わっています。内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、この御手洗場にいたります。ここの石畳は、元禄5(1692)年、徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)が寄進したといわれます。
Img_0495c 五十鈴川御手洗場のすぐ側には、瀧祭神(たきまつりのかみ)が御鎮座。御祭神は、瀧祭大神。内宮が所管する神社の一つ。五十鈴川を守護する水の神様。古来から社殿がない石神としてまつられ、別宮に準じて祭典が奉仕される特殊な神様です。
Naikuc_2 神宮で配布されているマップからお借りしました。この御手洗場や瀧祭神からは、別宮の風日祈宮(かざひのみのみや)が近いのでそちらから行くことにします。ご祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)です。雨風は農作物に大きな影響を与えますから、神宮では正宮に準じて丁重に祀られています。
Img_0500c 風日祈宮です。毎年5月14日と8月4日の2度、風雨の災害が無いよう、まImg_0497c た五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈祭が行われます。風日祈宮に行くには、風日祈宮橋を渡ります。新緑や、紅葉の頃は素晴らしい景色が見られると思います。
Img_0516c 風日祈宮からさらに参道を奥へ。内宮正殿です。写真撮影は、階段下まImg_0517c でしか認められていません。外宮よりもはるかに賑わっています。改めて書くまでもありませんが、およそ2,000年前、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮座しています。皇大神宮(こうたいじんぐう)は、皇室の祖先とされ、国民から総氏神のように崇敬される天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。無事にお参りでき、ホッと一息。
Img_0526c 内宮正殿のところで、忘れてはならないのがこちらに移っている蕃塀(ばんぺい)。蕃塀は、神社の一施設で、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれます。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明といわれます。「神道大辭典(第三巻)」(昭和12年臨川書店発行)によれば、「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。」とあるそうです(上記リンク先から引用)。しかし、内宮では、蕃塀は参道の南にあって、参拝者から「隠蔽をなす」とは思えません。
Img_0546c 内宮正殿から北にある別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)。内宮に所属する十別宮のうち、第一の位にあります。殿舎の規模も、正宮に次ぐ大きさ。ご祭神は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)。神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」というのに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを、「荒御魂」といいます。積極的・進取的・活動的なご神霊が祀られているということです。
Img_0567c これで、正殿と内宮にある別宮2社をお参りしました。境内には、他に所Img_0572c 管社の子安神社(こやすじんじゃ、御祭神は木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと))がありますが、今回はパス。再び宇治橋を渡って、宇治橋前から次の目的地であるおかげ横丁へと進みます。
 次へ行く前に、余談というか、自分の記憶のためというか、神社の種類を整理しておきます(出典は、Wikipedia)。
  • 正宮(しょうぐう):皇大神宮 (内宮)と豊受大神宮 (外宮)の2宮
  • 別宮(べつぐう): 「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされ、正宮に続き20年ごとに式年遷宮が行なわれる
  • 摂社(せっしゃ):『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある
  • 末社(まっしゃ):『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)
  • 所管社(しょかんしゃ):正宮・別宮・摂社・末社以外の神社
 伊勢神宮が管理する宮社は125社あり、俗に「神宮125社」と呼ばれています。内訳は、内外両正宮に別宮14、摂社43、末社24、所管社42となっています。
Img_0577c 内宮を出たのが、13時5分。宇治橋を渡る手前で7㎞、お参りして出て来たところで9.3㎞。内宮の中で2㎞以上歩いたことになります。ここからは、おかげ横丁を通って行きます。ここでお昼を食べようと思っていたのですが、とんでもない賑わい(苦笑)。ラッシュアワーの駅のような感じです。赤福のお店でも並ばないとは入れないくらい。
Img_0579c 「こりゃぁ、ダメだ」と早々に諦め、内宮側の入り口に近いはんぺい屋さんで(何という店かは失念しましたが、若松屋さんだったような気がします)で、「エビマヨ」のはんぺんを1本買って、食べ歩き(苦笑)。¥350。結局、これ以外何も買わず、何も食べずでおかげ横丁は通過。
Img_0591c おはらい町へ入って行きます。9.8㎞地点の右(東側)には神宮道場という看板がある立派な建物。武道の道場かとも思ったのですが、調べてみると、神職を目指す方の研修施設でした。かつて明治天皇の行在所、また、昭和48(1973)年までは神宮司庁(いわゆる、伊勢神宮の社務所)としても使われた由緒ある建物だそうです。現在神宮司庁は宇治橋近くに移転されています。
Img_0592c 神宮道場のほぼ向かいにも立派な門がある、古そうな建物がありました。地図で見ると、神宮祭主職舎本館(じんぐうさいしゅしょくしゃほんかん)とあります。神宮祭主のための施設だそうです。本館は、明治初期に廃寺となった旧慶光院の客殿で、江戸前期の建築とみられています。慶光院は、臨済宗の寺院でしたが、本山を持たない単立寺院で、室町時代の創建とされる尼寺でした。明治維新とその後の神仏分離・廃仏毀釈の風潮に伴って、明治2(1869)年に廃寺となりました。その後、伊勢神宮によって買い取られ、明治5(1872)年に神宮司庁の庁舎となり、さらに、明治23(1890)年に神宮祭主職舎となったといいます。現在も宗教施設として使用されているため、普段は非公開だそうです。
Img_0597c おはらい町を抜けて、駐車場や観光案内所のある辺りを回って、内宮おImg_0603c かげ参道(地下道、左の写真)を通って、伊勢道路から、南勢バイパスを経て、御幸道路へと行きます。その途中、駐車場のところで、「宮城道雄記念碑」を見つけました。宮城道雄といえば、あの生田流箏曲家であり作曲家で有名。車が良く通る道を横断せねばなりませんでしたし、ゴール受付の時刻が気になっていましたので、見ては来ませんでした。昭和9(1934)年に宮城道雄は初めて伊勢参拝したのですが、神宮の神楽殿からの所望で『五十鈴川』『祭りの太鼓』の2曲を新たに作曲し、昭和23(1948)年4月に奉納初演することになったといいます。そういう縁があり、平成6(1994)年宮城道雄生誕100年を記念して、宮城会がここに記念碑を建てたようです。
20190127jrwalkingiseshi5_3  まだ先が長くなりそうですから、その3はここまでとします。内宮の手前からおかげ横丁辺りの実測ルートマップは冒頭に掲げたとおりです。内宮の中でけっこう歩いているのがお分かりいただけるかと思います。こちらは、おかげ横丁からおはらい町を経て、御幸道路へと進んだ道筋。御幸道路はこの辺り上り坂。少し上って、11.2㎞のところに内宮の別宮である月読宮があります。次回は、ここから。

案の定降られ、証拠写真のオンパレード(笑)

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 XRAINレーダーで見ると弱い雨雲がかかっているものの、雨はまだ降っていませんでしたので、降られるのを覚悟で散歩して来ました。ほとんどビョーキであります(苦笑)。8時45分から2時間ほど。4.7㎞。住吉神社から九華公園、京町、寺町です。九華公園に着いた9時過ぎには案の定、降り始めました。
Img_2214c 住吉神社の前から見える、揖斐長良川の中洲。いつもアオサギが集まる辺りに1本の木があります。これまた肉眼では気づかなかったのですが、パソコンで見たら、猛禽類らしき姿がありました。ブロ友のひらいさんが、先日ご覧になった猛禽類と似ているような気もします(2019.01.26~27 お散歩日記)。この場所は、直接行けませんので、対岸の住吉神社前から見るしか、観察の手立てがありません。
Img_2218c 旅館山月の裏手の揖斐川の堤防では、ツグミ。時々ここで見かけますが、例年よく見る三の丸公園や、柿安コミュニティーパークにはまったくいません。九華公園にもほとんど来ません。今年はどこにいるのでしょう?
Img_2230c 三の丸公園では、ジョウビタキのメスを一瞬、目撃。写真もこれ1枚。三の丸

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水門では、今日も下流側にヒバリが10羽ほど。ただ、今日の空模様ではなかなか見つけられず、まともに写真を撮る前に逃げられます。
Img_2244c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイ。今日は、ゴイサギがビワの木に1羽、クスノキに1羽。ホシゴイはクスノキに1羽。このところは、少なめ。あの10数羽飛び出してきたのは、いったい何だろう?と思えます。
Img_2267c カモは、93羽。ヒドリガモは2ペア、ホシハジロはオス1羽で、メスには気づかず。ハシビロガモは、計13羽。オスが、6羽、メスが7羽。他はキンクロハジロ。オオバン2羽、カルガモ1羽も。ユリカモメは、1月の上旬以降、まったく見なくなりました。
Img_2274c 傘を差しながら、公園内を一周。シメや、ハクセキレイ、カワラヒワ、ヒヨドリなども見ました。奥平屋敷跡でジョウビタキのオス1羽。今日は、証拠写真のオンパレード(苦笑)。雨の割りに、ジョウビタキにも出逢えましたから、まあ良し。
Img_2304c 寺町商店街の河津桜のつぼみが膨らんで来たという情報がありましたので、見て来ました。数日前はまだ固い印象でしたが、確かに膨らんで来ていました。楽しみです。午後は、読書、JRさわやかウォーキングの記事の続き、正月明けの研修会資料の勉強というつもり。

2019年2月 5日 (火)

家内の実家でオスプレイを目撃……辰水神社の亥、菜の花、キセキレイなどなども

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 今日は、久しぶりに家内の実家へ。私自身は、正月には行っておりませんImg_2166c ので、去年の秋以来と思います。とある所用で、家内の母から同席を頼まれたのです。どこへ行っても、時間があればすることは同じ(微笑)。いわずと知れた散歩であります。町内を小回りで一周し、3.2㎞ほど。
Img_2177c 散歩も終わりがけ、温泉の泉源や、榊原川にかかる沈下橋を見に行ったImg_2185c ら、南西の空から地響きがするような音が聞こえてきました。「これはひょっとしたら」と思って、ちょっと高いところへ出たら、案の定、あのオスプレイでした。2機が南東から来て、北西へ。オスプレイは、陸上自衛隊饗庭野(あいばの)演習場(滋賀県高島市)で陸上自衛隊と米海兵隊の共同訓練をするため、先日から三重県伊勢市小俣町の陸上自衛隊明野駐屯地に4機が来ているのです。昨日も、米軍普天間飛行場所属の米海兵隊輸送機オスプレイ2機が参加したというニュースがありました(こちら)。今日の11時半過ぎの撮影です。
Img_1975c さて、以下は平和な、季節の話題です。いつもの年は、正月に見てくるのでImg_1969c すが、今年はチャンスがなく、今日になりました。津市の辰水神社の干支潜り門です。すっかり正月名物になったジャンボ干支ですが、山村の文化振興と地域活性のため地元活性化グループ「ふるさと愛好会」が3回前のトラ年から始めたものです。もう20数年見続けたのですが、失礼ながらとても上手で、リアルになって来ています。実家に行く前に立ち寄り。
Img_1994c 実家に着いて、取り敢えず必要な用事を済ませ、10時半Img_2007c から1時間あまり散歩。山里で結構寒いところですが花は案外たくさん。梅もかなり咲いてきていましたし、菜の花も。今日は、天気もよく暖かくて、散歩日和。
Img_2031c ロウバイがあちこちに咲いていましたし、白梅も。立春も過ぎましたが、こImg_2035c の時期に花が見られると、何となく心がウキウキしてきます。
Img_2047c 温泉街を流れる川では、キセキレイ。私が立っていた湯香里橋の上流、下流を行ったり来たり。このほか近くでは、モズや、ハクセキレイの姿も見られました。
Img_2054c 梅は、紅梅、白梅、ピンク梅(?)をコンプリート(微笑)。スイセンもあちこちにたくさん。所用は、予想していたより、スムーズに短時間で終了。私は、黙って座っているだけで棲みました(笑)。何より。

2019年2月 4日 (月)

20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その2)……麻吉旅館、浅香つづら稲荷、寂照寺、古市参宮街道資料館、猿田彦神社など

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 1月27日に出かけたJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」のその2です。その1では、伊勢市駅を出発し、外宮、豊川茜稲荷神社に参拝し、祖霊社を見て、古市参宮街道を歩いて、油屋跡石碑のところまで。ほぼ4キロ。11時5分頃です。
Img_0275c 街道沿いに長峰神社が見えましたが、先を急ぐ気持ちがあって立ち寄りはしませんでした。予習をしていかなかったのが、祟りました(苦笑)。御祭神は、天鈿女命(あめのうづめのみこと)。天照大御神が天岩屋に隠れられた時、天鈿女命は神懸かりして舞を舞い、大御神のお出ましをいただいたと伝わっています。それ故、歌舞伎役者や伊勢音頭の遊女の祖神として、芸能の神様とされる天鈿女命を祀っていたのです。長峰神社は、この街道の(旧)中之地蔵町に鎮座していた宇須賣社(うずめのやしろ)を明治3(1871)年に、久世戸町・古市町・中之町・桜木町の4町の協議によって現在地に鎮座し、長峰の産土神として祀ってきたものです。その後、一帯に鎮座していたお社や祠の神々も合祀しています。相殿神は、木花開那姫命天津彦火瓊々杵命宇迦之御魂神春日大神八衢比古神久郡戸神(くなどのかみ;もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神で、牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されています)、菅原道真公
Img_0285c 長峰神社の少し先、街道から東に入ったところにあるのが麻吉旅館。一言Img_0311c で言うと、「江戸の面影が残る老舗旅館」であります。テレビの旅番組で何度か見て、一度訪ねたかったところ。歴史は大変古く、200年以上前からあるといわれています。その風貌は独特で、急斜面に沿って作られた建築様式は京都の清水寺と同じ懸崖造りといい、この歴史的な木造宿とその脇をすり抜ける急坂の風景は、まるでタイムスリップしたかの様な空間です。
Img_0294c 創業は嘉永4(1851)という説がありますが、それ以前のImg_0332c 天明年間(1781~88)の地図に記載があったり、文化3(1808)に刊行された「東海道中膝栗毛」五編追加にも「麻吉」の名が見えるといい、実際はそれよりも以前から営業していたと思われます。建物全体は6階建てのようになっています。正面入り口は5階部分。入口は4階で、部屋は15室程あるものの、客間として使っているのは6室のようです。最上階は、大広間があり、「聚遠楼」というそうです(こちら)。
Img_0313c もっとも下は、3階建ての土蔵で、外壁に「麻吉」との大きな表示があります。こちらは、伊勢自動車道に面しています。今も営業しているようですから、できれば泊まってみたいと思います。
Img_0319c ということで、麻吉旅館を見ながら、その階段を降りて、下の伊勢自動車Img_0323c 道沿いまで降りて行ったら、お社を発見。「浅香つづら稲荷」とありました。「つづら」といわれるのは、ここにある岩が「葛籠岩」。以前は、麻吉旅館の階段道を下って、中腹の山中にあったといいます。宅地造成、その後の自動車道が作られて、現位置に移動、「浅香稲荷」が祀られるようになりました(こちら)。
Img_0315c 「伊勢参宮名所図会」には 「高さ八尺余、横二丈許、石重なりてつづらの形に似たり、今は注連を引て小社とす、此傍に観音堂あり、是を大岩の観音といふ、春は桜多く咲て騒客遊宴の地とす」と紹介されているそうです。もともとは、「お岩稲荷」を祀る稲荷社がありました。巨石は大岩を真ん中に大小3つ。大岩の前に祠が置かれ、石にはいずれも注連縄が張られています。
Img_0316c お社を見て、私が興味を持ったのは、「寒中御見舞」の御札。2枚張られていましたが、たとえば向かって右のものは、「平成30年1月○日 寒中御見舞 河崎吉家講 河崎町中・家内安全 町内円満・商賣繁盛」とあります。伊勢地方に固有の行事というか、風習のようです。「河崎吉家講」で思い出すのは、河崎の河邉七種神社にあった「吉家神社(吉家稲荷神社)」。神宮巡々さんのブログに良く出て来ますが、詳細はよく分かりません。
Img_0345c 古市参宮街道へ戻ります。下調べをしていきませんでしたが、麻吉旅館Img_0347c のすぐ南にあるお寺が気になりました。「寂照寺」という名前に何となく記憶があったのです。看板の奥に「月僊上人遺跡」とあり、思い出しました。月僊上人は画僧。、
Img_0348c 栄松山寂照寺。浄土宗のお寺。ご本尊は、阿弥陀如来。創建は延宝5(1677)年。Img_0351c 寂照知鑑上人(知恩院第37世)が、千姫(2代将軍・徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室)の菩提を弔うため開いたのが始まりとされます。その後衰退したものの、安永3(1774)年、月僊上人により再興されました。現在の山門、八角輪蔵は月僊が再建したものと伝わっています。月僊は、円山応挙に師事したとされ、仏涅槃図や藤の図が残されています。ちなみに、千姫は、元和元Img_0355c (1615) 年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから関東に帰る途中、桑名で本多忠政の長子忠刻と巡り合い、再婚しています。また、月僊は求めに応じて絵を描いては報酬を集めていましたので、批判する人もいました。しかし、彼は報酬を一銭も自分のものとせず、すべて寂照寺の再興と貧しい人々の救済などの社会福祉事業のために使ったというエピソードが伝わっています。先月まで、名古屋市博物館で「画僧月僊」という特別展が開かれていました。見に行けば良かった。山門は、薬医門形式で、寛政9(1797)年に月僊上人によって建立されたもの。登録有形文化財。
Img_0370c こちらは観音堂。やはり登録有形文化財。宝蔵として開基以来唯一存在する建物だそうです。寛政9(1797)年の伽藍再興の際境内北東に宝蔵を新築し、それ以来この建物は米蔵として使われました。昭和の中頃、増改築をし、観音堂となっています。
Img_0364c
 境内には、このほか、月僊上人の像や、月僊上人之碑などもあります。Img_0365c 月僊は、寛保元(1741)年、尾張名古屋の味噌商人の家に生まれ、7歳のとき剃髪し、10代で江戸の増上寺に入りました。生まれつき絵が好きで、修行の傍ら桜井雪館(せつかん)という画家について絵を学びました。増上寺の大僧正定月は、彼の絵の才能や修行ぶりを誉めて、自分の名の一字を取って「月僊」の号を与えました。その後、月僊は、京都の浄土宗総本山知恩院に修行することとなり、写生表現を重視した円山応挙の門に入り、与謝蕪村を尊敬し、中国の絵画をも学んだといいます。安永3(1774)年、月僊34歳のとき、知恩院の大僧正に頼まれ、当時荒れ果てていた伊勢の栄松山寂照寺を立て直すため、そこの住職となったという次第。月僊上人の絵はきちんと見たことがありません。機会があれば、是非と思います。
Img_0379c 寂照寺を出て150mほど行くと、伊勢古市参宮街道資料館があります。伊Img_0377c 勢市立の資料館で、参宮街道や江戸と上方の役者の登竜門でもあった伊勢歌舞伎、古市妓楼などの関係資料が1階の展示室に展示されています(無料、月曜定休)。ここでJR職員の方がお茶の接待をしてくださいました。常設展の他、企画展示もあり、訪れた時は 「神都画人・中村左洲 展」が行われていました。中村左州(明治6(1873)~昭和28(1953)年)は、二見町今一色に生まれ、花鳥・歴史・風景・人物画などあらゆる題材の作品を数多く残しました。中でも、漁師の家に育ったことから魚やエビ、海辺の景色などを好んで描き、鯛を得意としたため「鯛の左洲」として知られています。桑名市博物館でも、中村左州の絵を見たことがあります(こちら)。
Img_0385c 伊勢古市参宮街道資料館を出るとすぐに伊勢自動車道の上を越えまImg_0386c す。古市参宮街道をさらに進みます。400mほど行くと、左手(東)に「雪峰稲荷」がありました。お稲荷さんですが、鳥居は朱塗りではなく、素木。先を急いでいましたので、お参りはしませんでした。詳細はよく分かりません。
Img_0390c  さらに進むと、富樫公園の南に「奉献両宮常夜灯」。奉献は「東京神田旭町・Img_0392c_2 富樫文治」。大正3(1914)年2月に建立。管理者は油屋旅館と彫られています。富樫文治は、日本銀行小樽支店の施工者だそうです(こちらのブログ)。余談ですが、ネット上では、「雨宮常夜灯」としてあるブログなどもありますが、それは誤り。
Img_0403c 伊勢自動車道を越えた辺りが丘陵のピーク。この辺りは下り坂で歩くスピードも速くなります。スタートから5.8㎞ほどのところに伊藤小坡美術館があります。伊藤小坡(いとうしょうは、明治10(1877)~昭和43(1968)年)は、明治~昭和の日本画家。本名は、さと。猿田彦神社の宮司・宇治土公(うじとこ)貞幹の長女として生まれ、日本画家・伊藤鷺城の妻です。歴史風俗画を得意としています。なぜわざわざ取り上げたかといいますと、私の好みの画家なのです。桑名市博物館でも、2009年に展覧会が開催され、それを見て以来、この画家が好きなのです(2009年10月25日:リュート音楽と美人画……芸術の秋を堪能)。『上村松園に次ぐ閨秀画家』と評されます。時間の余裕があれば、覗いてきたかったところ。
Img_0440c 伊藤小坡美術館から150mあまりで御木本道路に出ます。あの真珠王・御木本幸吉が、昭和20(1945)年に米寿を迎えたことから、外宮から内宮までの近道を整備する資金を提供し、整備された道路。その終点に猿田彦神社があります。ここも一度は訪ねてみたかったところです。
Img_0414c
 天孫降臨の際、猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;天照大神の孫で、天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命令で、葦原の中つ国を統治するため、高天原から日向・高千穂峰に天降った)を案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)とともに「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたった神様。猿田彦大神の裔である大田命(おおたのみこと;猿田彦神の子孫。興玉神の別称、あるいは猿田彦神の別名とする説もある)が、倭姫命の御巡幸に際して、五十鈴の川上にある宇遅(宇治)の地を勧めし、そこに皇大神宮(内宮)が造営されたといいます。代々の宮司である宇治土公家は、猿田彦大神の子孫であるとされます。啓行(みちひらき)の神として、すべてのことに先駆け、人々を善い方に導き、世の中の行方を開く神とされます。
Img_0435c 境内社としては、佐瑠女(さるめ)神社があります。ここには、俳優・神楽・Img_0438c 技芸・鎮魂の祖神と仰がれる天宇受売命が祀られています。天宇受売命は、天照大御神が天岩窟に籠もって世の中が乱れたとき、神楽をして、そこに集まった八百万の神々が喜び笑い、天照大御神が再び現れ平和な世になったといわれます。
Img_0426c わかりやすくいうと、芸能の神様として信仰されていますので、芸能人、芸能プロダクションなどが幟を奉納しています。この写真には、南海キャンディーズの山里亮太さんが奉納された幟が見えています。
Img_0430c  境内にはこのほか、さざれ石があります。「さざれ石(細石)」は、もちろん君が代に出てくる石。学名は、石灰質角礫岩。雨水などに溶けた石灰岩の石灰質が多くの小石を凝縮したもの。奉納されているのは、岐阜県の揖斐川町(旧・揖斐郡春日村)。で採取されたもの。桑名でも春日神社(桑名宗社)や、海蔵寺に奉納されています。
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 さらに「たから石」もあります。舟形石ですが、これは宝船を連想させ、古来、縁起のよいものとされてきました。とくに、この「たから石」は、ヘビが乗っているように見えるため、縁起が良いとされているそうです。
Img_0444c 猿田彦神社を出たのが、12時ちょうど。ここで6.2㎞。このあと、旧・伊勢街道&国道23号線に出て、いよいよ内宮に向かいます。
 今日は、ここまで。次回(その3)では、内宮の前に、神宮会館や、その前に揚げられた幟の話(この幟は、ニュースにもなりましたが、ちょっと揉めたもの)。
20190127jrwalkingiseshi2 細かい実測ルートマップを載せ忘れていました。左は、古市参宮街道の20190127jrwalkingiseshi3 長峰神社、麻吉旅館、浅香つづら稲荷、寂照寺、伊勢古市参宮街道資料館辺りのマップ。右は、雪峰稲荷、伊藤小坡美術館から猿田彦神社。猿田彦神社南の道路が、御木本道路。

立春は強風……鳥はいません

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 暦の上では立春。ですが、強風。11時台には10m/sほどの風が吹きまくっています。気温は13℃を超えていますから、さほど寒い感じはありません。この風ですから、鳥、特に小型の野鳥はいないとは思ったものの、いつも通りの散歩。8時20分から11時過ぎにかけて、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、寺町と5.2㎞。
Img_9813c 七里の渡し跡には、ヒドリガモとコガモがそれぞれ20羽以上。強風&波からImg_9824c 避難してきているような印象もあります。三の丸水門のところには、ヒバリが6羽ほどいたのですが、今日もまた逃げられました。ハクセキレイはあちこちにいます。右は、柿安コミュニティパークにて。
Img_9828c ゴイサギ&ホシゴイは、強風のためか、少なめ。九華公園に着いたときにImg_9852c は、ホシゴイが1羽のみ。それも飛び立ってどこかに行ってしまいました。10時半に再び見たら、ゴイサギ2羽とホシゴイ1羽。しかし、強風でご覧のような前傾姿勢。
Img_9834c カモたち、今日は、106羽も。ハシビロガモが最近増えています。ハシビロガモのオスが6羽、メスが9羽。「ハシビロガモに人気の九華公園」です。ホシハジロはオス、メスとも1羽。ヒドリガモ、今日は1ペア。キンクロハジロたちもたくさん。オオバン2羽と、カルガモも1羽。ユリカモメは、いうまでもなく来ていません。
Img_9830c 他にいたのは、ツグミ。奥平屋敷跡への入り口にて。ほんの一瞬。管理事務所で9時から10時まで話し込んでいて、出遅れたこともあって、他はドバト、キジバト、ムクドリ、カワラヒワ、シジュウカラくらい。ちょっと失敗(苦笑)。
Img_9861c 貝塚公園では、久しぶりにシロハラを確認。今日は1羽のみ。他にはヒヨドリだけ。
Img_9842c 鎮国守国神社境内の梅、紅梅が先行していますが、少しずつ花が増えてきています。白梅も咲いてはいるのですが、写真写り(インスタ映え?)としては、まだまだ。

2019年2月 3日 (日)

20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(予告編)

Img_1465c

 2週連続で、週末土日連日のハイキング・ウォーキングです(苦笑)。本日Img_1460c は、JRさわやかウォーキングの「「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」に行ってきました。JR東海道線・笠寺駅がスタート&ゴール。今回は、マジメにJRで出かけました。桑名駅を8時38分の名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には、9時9分着。いったん改札を出ますが、そうすることによって桑名~名古屋、名古屋~笠寺ともに近郊区間料金が適用されるのです。9時18分の東海道線・岡崎行き普通に乗って、笠寺着は、9時29分。¥350+¥200=¥550。
Img_1467c スタート&ゴールの笠寺駅。改札を出たところで今日のコースマップを受け190203jrwalkingmapc 取り、すぐにスタート(9時30分)。受付は8時半から始まっていますが、驚くことに、すでにゴール受付をしている人たちが20~30名もいるのです。今日のマップ上の距離は、6.8㎞。1時間では歩けません。この人たちには、「JRさわやかジョッギング」か、「JRさわやかランニング」なのかもしれません。それに立ち寄り先にはたぶん立ち寄っていないのではないかと思えて仕方ありません。
190203jrwalkingkasadera こちらが実測ルートマップ。7.4㎞。笠寺駅を出てすぐに左折。名古屋高速3号線の下を歩いて900mほどで右折。富部神社、呼続公園、長楽寺へ。長楽寺の先で旧・東海道を少し歩き、笠寺観音。今日は、節分で豆まき。大賑わいで、お参りもできず。笠寺観音のすぐ先に笠寺公園。この中に、見晴台考古資料館と、きんさん桜・ぎんさん桜。公園内を回って笠寺一里塚へ。ここは、名古屋市内で唯一残る一里塚。さらに七所神社を経て笠寺駅に戻るコース。
 先週日曜の伊勢神宮のJRさわやかウォーキングの記事もまだ終わっていませんので、今日のウォーキングについては、立ち寄り先を羅列して、お茶を濁しておきます(苦笑)。自己責任でありますが、バックオーダーをたくさん抱えてしまいました。
Img_1482c 富部神社。慶長8(1603)年、愛知県津島市に鎮座する津島神社から勧Img_1503c 請されました。その後、慶長11(1606)年、清洲城主・松平忠吉(徳川家康四男)が、病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。本殿は桃山建築の姿を残し、国の重要文化財に指定されています。ここは名古屋市南部の笠寺台地の上。古代、この周辺は海で、「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、「愛知」の地名のおこりの地ともいわれます。万葉集では、「桜田に鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」と詠まれています。
Img_1549c こちらは、享保12(1727)年に造られた山車(高砂車)。名古屋市指定有形文化財。本体屋根の上に社檀と呼ばれる屋形を飾り付け、そこに高砂の尉と姥の人形が飾られていますので、「高砂車」と呼ばれています。全長8mの車楽は、昭和12(1937)年まで、祭礼時(天王祭)には東海道を曳行されていたといいます。現在は上部の社檀を外し、2階造の屋形の状態(全長4m)で収蔵庫に納められ、10月の大祭日に一般公開されています。
Img_1569c 富部神社のとなりには呼続公園。昭和15(1940)年に長楽寺から土地がImg_1576c 寄付され、戦後、戦災復興に伴う都市計画で公園化が決まり、昭和31(1956)年から使われるようになっています。「曽池」と呼ばれる池や野球場があり、ツバキやサクラの名所といいます。曽池では、バンを発見、初見初撮影でした。池のほとりには源頼朝が上洛する際に旗を掛けて休んだと伝わる「旗掛けの松」があると調べて行ったのですが、ウォーキングコースにはなく、見逃しました。残念。
Img_1592c 呼続公園からすぐに稲荷山長楽寺。曹洞宗のお寺。寺伝では、弘仁Img_1631c 12(821)年に弘法大師が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建、真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天」を安置したのが始まりといいます。「吨枳尼天」は、今まであまりよく知りませんでしたが、昨日の近鉄ハイキングで行った円光寺にも祀られていました。
Img_1603c 長楽寺という名前はどこかで見たことがあったと思っていたのですが、最近は、ペット・動物の火葬・葬儀・供養で有名でした(長楽寺動物霊園)。我が家の近くにも大きな看板が出ています。左は、盲導犬の慰霊碑。有名な盲導犬・サーブの墓もあるそうです。
Img_1637c よく分からずにウロウロしてきたのですが、境内の動物霊園ではペットのImg_1617c 葬儀が行われていました。ウロウロしているうちに本堂を見逃して出て来ていました(苦笑)。左の写真は、行者堂。扁額には「役行者」とありました。よく分かりませんが、かなりの老犬(と見受けました)も飼われており、「勝手に散歩させないでください」とあり、微笑。
Img_1624c 予習の結果、「境内には、戦国時代に織田と今川両家の国境線であった谷が残っている」とありました。案内板などは見つけられませんでしたが、これがそうだと思います(こちらも参照)。
Img_1650c 長楽寺を出てすぐに旧・東海道に出ます。ここから笠寺観音の手前までImg_1667c 800mほどは、旧・東海道を行きます。名鉄名古屋本線の踏切を越えて、笠寺西門へ。笠寺観音は、今日は節分の豆まき。名古屋には、「尾張四観音」があります。笠寺観音(笠覆寺)、甚目寺観音荒子観音龍泉寺観音です。今年の恵方は東北東で、龍泉寺観音が恵方観音に当たります。笠寺観音も以前から来てみたかったところ。恵方ではないから、さほど混まないかと思っていたら、まったく当てが外れました。
Img_1676c 先週の伊勢でのJRさわやかウォーキングで訪ねたおかげ横丁以上の混Img_1680c み具合。良く訳が分からないまま境内に入ったということもありますが、正式なお参りの列に並んでしまっていたようで、ちっとも進まない状態でした。
Img_1684c
 正式な名称は、天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。真言宗智山派の寺院。Img_1714c 尾張四観音の一つである他、尾張三十三観音、名古屋二十一大師やなごや七福神などの霊場の札所です。ご本尊は、十一面観音。聖武天皇の天平8(736)年、呼続の浜に流れついた流木に禅光上人が十一面観音像を刻んで安置し、小松寺と称したのが始めといわれます。その後1世紀以上を経て、堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままになっていたのですが、旅の途中で通りかかった藤原兼平(藤原基経の子、875~935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け、妻としました。この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられたといいます。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来するそうです。左の写真は本殿、右は仁王門。
Img_1696c きちんとお参りしようと思うと、西門または仁王門から並ぶ必要がありまImg_1717c す。この賑わいでは、とてつもなく時間がかかりそうでしたので、早々に諦め、境内にあった玉照姫を祀ったお堂にだけお参り。子どもたちの良縁を願うという名目(笑)。
Img_1725c 笠寺観音の大混雑で、JRさわやかウォーキングの道案内の矢印も見失い、どっちへ行くのかちょっと迷ったものの、警備員の方に伺って、正しいルートへ。笠寺観音から東へ300mほど。名古屋市見晴台考古資料館へ。ここは、笠寺公園の一部で、見晴台遺跡(みはらしだいいせき)があります。弥生時代後期を中心とした環濠集落の跡。見晴台考古資料館は、見晴台遺跡に関する資料の収集、調査研究、展示を行っています。笠寺台地の東縁(標高10〜15メートル)に位置していて、公園からの眺めは良好でした。
Img_1779c 笠寺公園内には、「きんさん桜・ぎんさん桜」があります。平成12(2000)Img_1784c 年に、南区役所新庁舎の完成を記念し、岐阜県根尾村(現本巣市)から植樹された、樹齢1500年といわれる淡墨桜です。「きんさん・ぎんさん」の愛称で親しまれた双子の長寿姉妹、故成田きんさん(享年107)、故蟹江ぎんさん(享年108)と長寿の淡墨桜の縁によるものです。長年、区役所敷地内にあったのですが、平成25(2013)年に「健康と長寿」の象徴としてより多くの方に親しんでもらおうということで、ここに移植されました。
Img_1796c きんさん桜・ぎんさん桜から1㎞、笠寺一里塚。名古屋市内には、9カ所に一里塚があったそうですが、現存するのはこの「笠寺一里塚」だけです。かつては一対の塚で、道を隔てた南側に大正時代までムクノキが植えられていました。土を盛った上に大きなエノキが根を張っています。塚には、スイセンが咲いていました。秋には曼珠沙華が咲くそうです。「一里塚跡」というのは、これまで何度か見ましたが、そのまま残っているのは初めて。昔の東海道の面影が偲ばれました。ここで11時半頃、4.8㎞。
Img_1816c 笠寺一里塚から800m、今日、最後の立ち寄りスポットである七所神社。「ななしょじんじゃ」なのか、「しちしょじんじゃ」なのか、ネット検索では両方の読み方が出て来て、不明。ご祭神は、日本武尊須佐之男尊宇賀御魂尊(うがのみたまのみこと)、天穂日尊(あめのほひのみこと;天照大神の子)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父)、宮簀媛命(みやずひめのみこと;日本武尊の妃)、乎止与命(おとよのみこと;天火明命(天忍穂耳尊の子)の子孫で尾張氏の十一世。尾張国造)の七柱。これらの七柱を祀っていることから、七所神社と呼ばれています。
Img_1828c  天慶3(940)年に、平将門降伏祈願のために熱田の宮の神々を勧請したと伝えられています。将門が乱を起こしたのは承平5(935)年で、討ち取られたのが天慶3(940)年。足かけ6年に渡っています。6年の間、朝廷が何をやっていたかというと、全国の神社仏閣に命じて将門鎮圧のための祈祷を行わせていたといいます。祈祷で倒そうということでしょう。
Img_1841c また、境内には、熱田神楽の正統を継承してきた神楽師の碑があります。碑表には、「熱田神楽師 宗家 荒川関三郎師 稲熊代三郎師 壽碑」とあります。昭和27(1952)年の建之。この年、荒川関三郎氏は56歳、稲熊代三郎氏は58歳でした。熱田神楽(あつたかぐら)・宮流神楽(みやりゅうかぐら)は、愛知県の尾張・西三河地方に伝わる巫女神楽の一種で、古くから熱田神宮内で行われていた神楽が広まったもの。碑にある荒川関三郎(あらかわせきさぶろう、明治30年生まれ)は、4代目宗家を名乗り、多くの弟子を育てたそうです。
Img_1852c これで回るところはすべて制覇。時刻はちょうど正午。七所神社の西にImg_1866c_2 粕塚公園があり、目の前を名鉄名古屋本線が通っていて、電車も見られましたので、ここで昼食としました。
Img_1871c ファミマでゲットしてきた「いなり&おむすびセット」、税込み¥378であります。あみま倶楽部の会員は、駅ナカファミマで¥500以上購入すると、¥100引きのチケットが10枚あるのです。選べる弁当のバリエーションがもう少しあると良いのですが、なかなか。
Img_1882c 15分ほど休憩した後、再スタート。南区役所の前を通って、再び、名古屋Img_1892c 高速3号線沿いに進み、笠寺駅には12時25分にゴール。残り10分だったら、わざわざ弁当を食べるほどでもありませんでしたが、せっかく買って行ったのでということ(微笑)。
Img_1894c JRさわやかウォーキングのスタンプは、これで3個目。たぶん去年よりハImg_1897c イペース。今日は、先着2,500名に新春キャンペーンとして、「笠寺駅 絵馬型駅名バッジ」(先週、伊勢市駅でもらったものと同じタイプ)がもらえるということでしたが、すでになくなっていました。前にいた男性が係の方に聞いたら、「2,500人は、とっくにゴールしました。お客様で3,000番目くらいです」だそうで、残念。
Img_1908c  帰りは、笠寺駅発12時28分の岐阜行き普通に乗車。名古屋駅着は、12Img_1926c 時40分。¥200。今日は、指令があり、「きよめ餅を買ってくるように」ということでしたので、名古屋駅で下車。ギフトキヨスク名古屋で探したものの、売っておらず。「これはヤバい」と思い、「エエイッ」と思い切って、近鉄名古屋駅へ。改札を通って、駅ナカファミマへ。良かった、10個入りと5個入りとを売っていましたので、5個入りをゲット(¥600)。指令を無事コンプリートし、安心して帰宅(微笑)。今日の3時のおやつ。名古屋からは、近鉄電車。13時1分の松阪行き急行で、桑名着は、13時22分。¥440。
190203miharsidaistampc オマケは、名古屋市見晴台考古資料館のスタンプ。ハイキング・ウォーキングに行くようになってから、スタンプがあると押してきます(子どもみたいで我ながら笑えます)。毎度毎度書きますが、桑名にはこういうスタンプはありません。九華公園でも、管理者の方が市にスタンプ作成を申し出て、原稿までつくって提出したのに、梨のつぶてだそうです。せっかく、東海道や、旧・桑名城など歴史・文化遺産があるのに、それを活かさない手はありません。と、ここでぼやいていても始まりませんが……。今日は、現地で7.4㎞、桑名駅往復が1.8㎞で、合計9.2㎞。2日間連続で良く歩きました。しかし、ハイキング・ウォーキングの記事が、伊勢市駅でのJRさわやかウォーキングから滞っています。大変です(爆)。自己責任、身から出たさび(?)ですから、自分で始末しなければなりません。まぁ、ボチボチとというつもりですから、期待なさらずにお待ちください。

2019年2月 2日 (土)

20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編)

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 2月に入り最初の土曜日、もちろん、ハイキングであります(微笑)。今日は、近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」です。場所は、津市河芸町。近鉄名古屋線・千里駅が受付、上野神社、伊勢上野城跡、光勝寺、八雲神社、(株)北山水産、痔神社を回って、近鉄名古屋線・白塚駅がゴール。
Img_1016c 受付の千里駅。普通電車しか止まりません。桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時32分に到着(なのですが、途中、ちょっとしたハプニングで3分遅れ。それは最後に)、9時36分発津新町生き普通に乗り換えて、9時42分着。¥560。
Img_1022c 受付でいただいた本日のコースマップ。千里駅から白塚駅まで、ほぼ国道190202kintetsuhikingchisato 23号線に沿って、ところどころは旧・伊勢街道(参宮街道)を歩くという企画。コースマップ上は、約7㎞ということでしたが、実際に歩いた距離を測ると、8.5㎞でした。今日は、自宅から桑名駅往復が、2.1㎞でしたから、歩いたのは合計10.6㎞。伊勢のJRさわやかウォーキングの記事もまだ始まったばかりで、先行きが不安ではありますが、今日は、近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」の予告編。
Img_1031c 近鉄・千里駅を出て、国道23号線を渡り、少しだけ旧・伊勢街道を歩きまImg_1036c す。その後、田中川に沿って西へ。その後、上野小学校の方へ南下していきます。上野小学校の先、スタートからほぼ1.5㎞で、上野神社に到着しました。
Img_1053c 上野神社です。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられています。応永13(1406)年の棟札があるそうで、そこには上野正八幡と記されています。永禄年間(1558~1570年)、織田信長が太刀鎧等奉納しています。慶長6(1601)年、分部光嘉が、社領5石を寄進し、慶長16(1611)年、分部光信が社殿を造営したといいます。元和5(1619)年に分部氏が、近江・大溝に移封された後は紀州領となりましたが、社領5石は変らず、城主・領主の崇敬がありました。
Img_1066c 主祭神は、誉田別尊。相殿神は、建速須佐之男命、稲田比売命、天児屋根命、宇迦御魂神、市寸島比売命、伊邪那岐命、伊邪那美命、金山比古神、火産霊神、大山津見神。明治時代、神社制度確立により八幡神社と称し、明治6(1873)年、村社になっています。明治41(1908)年、上野・久知野・中瀬の神社35社を合祀して、上野神社と単称しています。
Img_1079c 境内には、橿原神宮遙拝所と、皇居・神宮遙拝所がありました。橿原神Img_1081c 宮遙拝所は、もちろん西を向いて建っていますが、皇居と神宮(伊勢神宮)遙拝所は東を向いています。皇居と神宮の遙拝所が一つになっているのは、初めて見ました。方角も、かなり違うと思うのですが、よく分かりません。昭和11(1936)年に建てられています。この年は、二・二六事件があった年。紀元2600年は、この4年後。
Img_1094c 上野神社の参拝を終えて、南側の参道に出て振り返ると、お稲荷さんがImg_1103c あるのに気づきました。八幡稲荷神社とあります。見つけたからにはお参りしなければなりません(微笑)。ただ、神社検索(三重)の上野神社のところには特に言及がありませんし、ネットでざっと見ても何も出て来ません。お社の中には、若宮八幡社、宇気比神社、春日社、菅原社という扁額も架かっていました。謎であります。
Img_1114c 本来の次の目的地は、伊勢上野城跡なのですが、上野神社の先ほんの100mほどのところにお寺があり、しかも「江姫ゆかりの寺 紅葉と沙羅双樹の寺」という看板が目に入りましたので、これも立ち寄らなければなりません(微笑)。萬松山円光寺。臨済宗東福寺派のお寺です。
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 開創は、室町時代初期の延文3(1358)年。後光厳天皇の勅願寺として、現在の津市栗真中山町に開創されたと伝えられています。ご本尊は、釈迦牟尼。元亀年間(1570~1573年)、分部光嘉公がここに居城と寺を移したといいます。ひっそりとした趣深い山寺という感じ。紅葉の頃、山門にそびえる紅葉が一斉に色づく様は圧巻だそうです。分部光信が、近江大溝藩主に転封となったとき、円光寺も同時に近江に移ったのですが(滋賀県高島市に存続、大溝藩主・分部氏の菩提寺)、残った堂宇をもとに円光寺は現在地にも存続しています。なお、「徳川秀忠の正室となったお江にゆかりのある寺として有名」というのですが、今までのところの調べでは、具体的なゆかりは不明。
Img_1138c 境内の墓地には、分部光高公、分部光嘉公、その室、分部光勝公(光嘉Img_1132c の息)の墓が並んでいます。また、お稲荷様もありました。が、鳥居のところにあった幟には、「玉宝吨枳尼尊天」とあります。不思議に思って、調べたら、吨枳尼天王は、「右手に剣を持ち、左手に玉を捧げ、白狐に乗った稲荷大明神」だそうです。知らないことがたくさんあります。こちらのリンク先、王地山稲荷社(篠山市)のところに言及がありました。
Img_1156c スタートから2㎞あまりで、伊勢上野城跡へ。織田信長の弟、信包(のぶImg_1153c かね)が、津城の仮城として元亀元(1570)年、分部光嘉に命じて改修築城したのが伊勢上野城。天正8(1580)年、津城の完成により、信包が居城を移したため、分部光嘉が城代となります。文禄3(1594)年、信包が近江へ改易になると、光嘉が城主に任ぜられて独立した城となりますが、元和5(1619)年、光嘉の養嗣子光信は近江国大溝藩へ移封となったため、廃城となりました。その後、廃城となり、後に津藩主・藤堂高虎により取り壊され、現在は城郭の跡のみ残っています。浅井長政(お市の夫、三姉妹の父)が自害した後、信長の計らいにより、お市と三姉妹が移り住んだお城とされます。江は0歳から7歳までを過ごしたことになります。ただ、近年の研究によると、当初、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、上野城に滞在していたとされるのは誤りで、守山城(尾張国)で過ごしていたのが正しいとする説もあります(こちら)。
Img_1187c 城跡は、標高38mの伊勢街道沿いの台地にあり、ここからは、伊勢湾やImg_1176c 鈴鹿連峰が一望できます。現在は、天守台跡には本城山青少年公園展望台があり、その2階は資料館となっています。天気が良いと、名古屋から伊勢まで望めるといいます。富士山も描かれていますが、条件が整えば見えるのでしょう。
Img_1190c 資料室にはジオラマも展示されていました。二の丸はアスレッチクの設備がある広場となっています。本丸と二の丸以外はグランドや駐車場が作られているため、どこまで城跡かは定かではありません。本丸の周囲には土塁が残っていたり、南東の角には櫓台の土塁が一段高くなっていたりします。城跡ということは十分偲べます。
Img_1211c 伊勢上野城跡からは、再び旧・伊勢街道に出ます。700mほど行くと、輝

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雲山光勝寺があります。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。
Img_1231c ご本尊は、宝冠釈迦如来。分部光嘉は文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。
Img_1234c 境内には、観音堂があり、そこに祀られている馬頭観音は初午観音と呼Img_1241c ばれ信仰を集めています。
Img_1304c 光勝寺から旧・伊勢街道を通って、旧河芸町役場や、朝陽中学校前を通Img_1286c って、国道23号線を東へ渡ります。近鉄名古屋線を越えて、1㎞弱行くと、八雲神社があります。主祭神は、須佐之男命。相殿神は、倉稲魂命。旧社格は、村社。社殿によると、「三井家旧記に、弘治元年(1555)三井治郎左エ門高次長子高治が、江州佐々木四郎高綱の鎮守神である牛頭天王を勧請奉祀するとあり』とあります。佐々木氏の一統であった三井治郎左エ門高次と高治の父子は、一族郎党三十人余人を率いて紀州路を転戦の末、戦に負けて豊津の浜に辿りついたといいます。三井の残党はこの地に住みつくことになり、牛頭天王を勧請したそうです。
Img_1283c この神社には、「ざるやぶり神事」が伝わっています。前述の三井治郎左Img_1290c エ門高次長子高治とその一族郎党が、この地に着いた当時、家屋もまばらで殆ど人影もありませんでした。空腹に耐えかねた武士たちは、ザルに入れてあった「よまし麦(加熱し、柔らかくした麦を一晩放置したもの)」をむさぼり食い、そこへ家人が帰って争いとなったが、事情がわかって事無きを得、七月一五日例大祭の宵、神前に供えたザルを裸男たちが奪い体をぶつけ合いながら破るという、勇壮な祭りがくり広げられるようになったというのです。地元の一色区自治会では、この伝統行事を末永く伝承するための保存会を結成し、保存と振興に努めています。
Img_1287c ここ八雲神社では、宮司さんが待機していてくださって、お参りするとお祓いをしてくださいました。これは、近鉄ハイキングでも、JRさわやかウォーキングでも初体験。私もありがたくお祓いを受けてきました。
Img_1319c 八雲神社から800mほど。まっすぐ東に向かい、海岸に出て少し南下するImg_1340c と、北山水産。創業は大正元(1912)年。年末には3日間、蟹祭が開かれます。一昨年(2017年)は、13トンの売り上げがあったそうです。この蟹祭の時には、我が家にも新聞の折り込み広告が入ります。
Img_1331c ここでは、「かに汁の振る舞いがあります」ということで、楽しみにやってImg_1328c 来ました。まさかカニの身は入ってないとは思いましたが、その心配は無用でした(笑)。かにの味噌汁をカップ1杯いただきました。ちなみに、カニはさすがにいい値段。何も買いません(笑)。
Img_1323c 北山水産には、驚くべきものがありました。「UFOキャッチャー」ならぬ、Img_1335c 「北山キャッチャー」。1回¥300、2回¥500とあります。2台あります。1台には、ワタリガニが入っていました(右の写真)。まさにUFOキャッチャーのような感じです。
Img_1345c もう1台には、エビが入っていました。この大きさですと、伊勢エビでしょうImg_1352c か? いやぁ、ビックリ。なかなか面白いところでした(微笑)。
Img_1372c 北山水産を出てすぐ右折、西へ。近鉄の線路を越えて、国道23号線の1Img_1377c 本東の道へ。ここは、また旧・伊勢街道。国道23号線・中瀬交差点。北山水産から1.8㎞ほど。気になる看板があります。「痔神大明神」です。今日最後の立ち寄りポイントであります。
Img_1381c 中瀬交差点を左折して、200mほどのところに鳥居。ここをくぐって行くと、Img_1383c 右手に痔神社がありました。痔の神様など、全国的に珍しいのではないかと思います。スタートから7.5㎞、時刻は、12時18分。
Img_1386c 明治40(1907)年頃は45㎝位の小さな祠だったようですが、大正末一身田森の女人が痔疾が治癒したお礼にと大きい祠を奉納しました。その後、改築が繰り返され現在にいたっています。古来『痔病に霊験あり』と言われるという話も伝わっていますが、この社の起源は不明で、由来についても様々な口伝があり、真実は不明です。しかし、遠くからも参拝者が訪れ、毎年4月3日の祭礼日には名古屋、大阪方面、県内の信者が列をなして参詣し、大いに賑やかだそうです。昔は中瀬、小川地区の人が守っていましたが、現在は中瀬地区で守られています。
Img_1391c ご神体は海から渡ってきた白蛇であるといわれています。上記のように、由来などは明らかではありませんが、土地の神である「地神」から「痔神」へと呼び名が変わったという説もあります。私自身は、今は大丈夫ですが、きちんとお参りしてきました。
Img_1429c 痔神社からゴールの白塚駅は比較的近く。1㎞ほど。12時32分に無事ゴール。白塚駅も普通電車しか停車しません。すぐに(12時37分)四日市行き普通が来ましたので、それに乗車。白子駅に12時49分着。これまたすぐに名古屋行き急行が来ました(12時51分)。桑名には、13時22分着。¥620。
Img_1441c 白塚駅には、駅の北側に近鉄の車庫(正式名称は知りません)があり、電車が留置されています。あの「足湯列車」の「つどい」も運行される日、時間帯以外はここに置かれているのを見ています。昨日も普通や急行の車両以外に、団体専用車両が2編成置かれていました。
680c 桑名駅では、西口に出て、近鉄桑名駅に行ってきました(いつも利用する東口はJR桑名駅なのです)。近鉄の近鉄四日市~桑名間が開業90周年を迎えることから、1月30日から記念入場券セットと記念グッズが販売されているはずなのです。「行先表示板キーホルダー(¥600)」が欲しかったのです。しかし、あいにく、すでに売り切れ。桑名駅販売分は、200個。残念。
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 あみま倶楽部のスタンプは、会員証更新後5個目。地道に努力することにしましょう。
 ちなみに、明日(2/3)、節分の日は、JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」に行きたいと思っています。笠寺観音に行ってみたいのです。さぁ、計画通りに運ぶでしょうか。
 1月27日のJRさわやかウォーキング(伊勢市)の記事もまだ本編は、その1。なのに、こんなにハイキング/ウォーキング三昧で大丈夫なのでしょうか。我ながら思いやられます。伊勢の記事を早めに片づけて、今日のハイキングについて、ボチボチと書くことにします。期待せずにお待ちください。
Img_1013c  はじめの方にハプニングがあって、電車が3分遅れたと書きました。桑名駅を出て、次の駅の益生駅の手前2つめの踏切で急停車したのです。私は、前から2両目の前方に乗っていました。確かに踏切内に普通乗用車が停止。私より年配の男性が運転者のようでした。近鉄とJRが並行して通っているところで、両者の踏切の間に押し出したようでした。他人事ではありません。気をつけましょう。写真はその踏切を通過するとき、ドア越しに撮ったもの。

2019年2月 1日 (金)

常信寺の梅はよく咲いていました

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 風の強い1日でした。午後の方が雲が少なくなってよく晴れてきました。最高気温は、7.6℃とあまり上がりませんでしたが、風が遮られ、陽がよく当たるところでは、暖かく感じました。8時20分から散歩。いつも通りです。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、寺町と6.5㎞を歩いてきました。冒頭の写真は、散歩から帰ったときの北の空。冬の、風が強い日の典型的なパターン。多度山から雲が流れてくるような空になります。
Img_9740c 鎮国守国神社の梅。旧・桑名城天守台があったあたりの紅梅はだんだん花Img_9776c が増えてきています。さらに、思い出して、寺町にある常信寺を見て来ました。こちらの方が、例年、梅が咲くのが早いのです。紅梅というよりも、ここの梅はピンク色なのですが、3~4分咲きという感じでした。「春遠からじ」という気持ちになります(微笑)。
Img_9702c 七里の渡し跡で、ジョウビタキのオスに遭遇。ここで見るのは久しぶり。最近書いたかもしれませんが、このすぐ前にお住まいの知人Mさんのお話では、お宅の庭にけっこうやって来るようです。「ジョウビタキを放し飼いにしているようなものですね」と申し上げたら、大変喜ばれました(微笑)。戸建てのお宅で、庭があるところがちょっと羨ましくなります。
Img_9756c 九華公園、今日はゴイサギ&ホシゴイは、ゴイサギが5羽、ホシゴイが1羽いたものの、木陰の奥に隠れていて、お見せできる写真は撮れず。カモは、今日も89羽。3日連続同じ数。ホシハジロのオス1羽、メス1羽、ヒドリガモは2ペア、ハシビロガモはオス6羽、メス6羽。他はキンクロハジロ。オオバンも2羽。写真は、野球場南の吉之丸堀。ハシビロさんたちはよくここに集まって休憩やら身繕いやらをしています。ユリカモメは今日も現れず。散歩友達に聞いても、最近はまったく見ないということでした。
Img_9717c これらの他には、シメ、カワラヒワ、ムクドリなども見たものの写真はうまく撮れません。Img_9763c モズと、ハクセキレイくらい。貝塚公園、内堀南公園などには、何もいません。
Img_0996c 寺町からの帰り道、住吉入江の階段にヒドリガモのオスが上がっていました。住吉入江によく来るヒドリガモです。やはり、右の翼を痛めているようです。単独行動をしています。ときどき、野鳥たちの中にこういう、翼や足を痛めているものを見ますが、何ともしてやりようがありません。元気でいてくれるのを願うばかり。
Img_0986c 午後は、今日も読書やら、大六先生のWISC-Ⅳ講演会のまとめ作業やらをしていました。腫れると、リビングにも日が入って、暖房が要らないくらいになります。明日は、近鉄ハイキングに出かけたいと考えています。近鉄名古屋線の千里駅から白塚駅まで、「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」というもの。伊勢上野城跡や、北山水産に痔神社というところも(笑)。伊勢上野城は、国道23号経由で家内の実家に行くとき、近くを通りますので、一度行きたいと思っていたところ。浅井長政(お市の夫、三姉妹の父)が自害した後、信長の計らいにより、お市と三姉妹(お江の方も)が移り住んだお城です。北山水産は、カニの販売でこのあたりでは有名。カニ汁の振るまいありと書いてあります(微笑)。痔神社、これまでのところ縁がありませんが、お参りしてきたいと思っています。写真は、常信寺にて。

20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その1)……外宮、豊川茜稲荷神社に参拝し、祖霊社を見て、古市参宮街道へ

190127jrwalkingiseshic  1月27日に行ってきたJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻むImg_0097c 大神宮へのおかげ参り」のその1です。コースマップ上10.7㎞のところ、15.5㎞を昼食も摂らず歩いてきました(笑)。本編、いつもの調子で書くととんでもなく長くなりそうですから、ホドホドにするつもりでスタートします。大神宮は、もちろん伊勢神宮。今回は、JR参宮線・伊勢市駅をスタートして、外宮(豊受大神宮)、麻吉旅館、伊勢古市参宮街道資料館、猿田彦神社から内宮(皇大神宮)、おかげ横丁、月読宮と回って、伊勢市駅がゴール。さすがに伊勢までは遠いので、8時に自宅を出発。JRさわやかウォーキングなのですが、近鉄の方が運賃が安いので(近鉄は¥1,200、JRでは何と¥1,650)、近鉄で伊勢市駅まで。伊勢市駅には、両方が乗り入れているのです。8時22分の伊勢中川行き急行に乗車、伊勢中川には9時24分着。9時25分の五十鈴川行き急行に乗り換え、伊勢市には、9時46分に到着。JRの快速みえに乗っても80分前後かかりますから遜色なし(たとえば、桑名を8時3分に出るみえ51号は、伊勢市には9時30分着)。伊勢市駅はJR側に出なければなりません。ICカードは使えず、切符を買った次第。

Img_0103c 近鉄に乗っていると、四日市から津までは雪が積もっていました。前日、近鉄ハイキングで四日市に行きましたが、途中、けっこう吹雪いていました。風向きによって、三重県北中部でもどこに雪が降るか、変わってきます。写真は、津市河芸町辺り。向こうに見えているのは、伊勢鉄道。

Img_0111c JR伊勢市駅。去年、12月11日 (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)以来。まだまだ記憶も新しく、また、一直線で600mほImg_0110c どですから、外宮までは迷うことはありません。伊勢市駅をスタートしたのは、9時50分。ひたすら歩いて回り、ゴールは、14時30分。昼ご飯も食べられませんでした(爆)。休憩したのは、伊勢古市参宮街道資料館で接待のお茶をいただいたときのみ。ゴール受付が15時まででしたが、これに間に合うかと心配になるくらいでした。

20190127jrwalkingiseshi こちらが当日、実際に歩いたルートマップ。立ち寄ったところや、見たとこ20190127jrwalkingiseshi1 ろはここに揚げた以外にもあります。自分で書くのも何ですが、それにしてもよく歩きました。これまでの最長は、去年(2018年)2月27日の阿下喜のハイキングで歩いた12.2㎞でしたが(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))、これを上回りました(苦笑)。スタートから、外宮、茜社・豊川茜稲荷神社、祖霊社辺りまでの詳しいマップは右の画像の通り。

Img_0122c 伊勢市駅から外宮まではほぼ直線で、500mあまり。このあたりについてImg_0125c 去年12月11日のブログで書きましたので (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)、詳細は割愛。今回も、山田館が気になって見て来ました。創業は、大正時代、木造三層楼の古い建物。右の写真にあるような「蘇民将来」の注連飾りが羨ましい。

Img_0130c 外宮には、10時に到着。新年に来ると、また気分も違います。外宮では、Img_0144c 正殿の他、別宮も3社ともお参りしてきました。多賀宮(たかのみや、御祭神は、豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま))、土宮(つちのみや、御祭神は、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ))、風宮(御祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと))です。まだまだ先が長いため、その他の境内社は、今回はパスさせてもらいました。

Img_0148c 外宮の写真、他に1枚。正殿、賑わうためでしょうが、年末には閉まってImg_0182c いたところが、出口として開放されていました。正殿に向かって右(東)側です。清盛楠を見て、外宮から出て来たのが、10時35分。ここまでですでに1.9㎞ほど歩いています。伊勢神宮、外宮・内宮共に境内はかなり広いので、けっこう歩きます。

Img_0180c 外宮を出たところ、東西に走っているのが、御木本道路(みきもとどうろ)。あの真珠王・御木本幸吉が、昭和20(1945)年に米寿を迎え、それを機会に外宮から内宮までの近道を整備する資金を提供したことから、伊勢神宮・外宮前から猿田彦神社前までを御木本道路と呼んでいます。

Img_0186c その御木本道路を300mほどいったところに茜社・豊川茜稲荷神社があります。年末に来たときから気になっていた神社です。ここは、東・南・西の三方を外宮宮域の勾玉池(まがたまいけ)に囲まれていて、外宮の宮域内なのですが、伊勢神宮の所管する神社ではありません。地元の方からは、「あこねさん」として親しまれているそうです。

Img_0192c もとは、山田産土神八社の1社で、旧社格は村社。創立は一条天皇の御Img_0190c 世以前(986年以前)とされています。そのむかし、この辺りを赤畝と称し、赤畝の社・赤うね明神とも称し茜社となったのは江戸期か明治初年であると考えられています。茜社境内には豊川茜稲荷神社と天神社(茜牛天神)2社も鎮座しています。御祭神は、天牟羅雲命(あめのむらくものみこと;天村雲命ともいう)と蛭子命(ひるこのみこと)。天牟羅雲命は天上から水を持ち帰った飲料水の神とされます。蛭子命は、伊耶那岐命と伊耶那美命との間に生まれた最初の神ですが、不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまいます。

834c76206c9a45b58fe548e9ddd23c2e  ところで、これを書きながら、とんでもないことに気づきました。茜神社そのものをきちんと参拝してこなかったのです(苦笑)。こちらが茜神社。人文研究見聞録さんからお借りしました。いきなりの凡ミスです。

Img_0196c こちらは、境内社の豊川茜稲荷神社。創祀は不詳とされますが、古くから「稲荷」と称する神域内の岩窟に宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)が祀られていたとされます。それを豊川明神・豊受稲荷と崇め称えるようになったといいます。

Img_0201c 茜牛天神。もとは、外宮下馬所にあった外宮師職(師職は、特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者。伊勢神宮のものは特に「御師(おんし)」と呼びました)・山田大路(ようだおおじ)家の鎮守神。明治42(1909)年に茜社に合祀。

 なお、蛭子命は元豊川町字下馬所の祀られていたのですが、明治42(1909)年2月に菅原神と共に茜社に合祀されています。

Img_0213c 茜社の参拝を終え、ここから御木本道路を200m弱進み、左折して古市参宮街道へ向かいます。外宮と内宮を結ぶ道は、3通りあります。天皇陛下が内宮に参拝される際にお通りになる御幸通り、真珠王・御木本幸吉翁が私財を提供して造った御木本道路、間の山(あいのやま)を越える古市参宮街道がそれらです。この古市参宮街道は最も古く、明治までは外宮と内宮を結ぶ道はこの道のみでした。東海道中膝栗毛(十辺舎一九)の主人公弥次さん、喜多さんが通った道でもあります。古市参宮街道を通って外宮から猿田彦神社までは3.5km。

Img_0215c 御木本道路と古市参宮街道との間に祖霊社がありました。ここは、まっImg_0219c たく意識していませんでした。明治5(1873)年、伊勢神宮により開かれた神宮教院がその発端です。倭町・元常明寺において、説教所が開かれています。その後、「神都霊祭会」、「霊祭講社」を経て、昭和56(1981)年、祖霊社になっています。御祭神は、天照大御神と、宇布須根神。宇布須根神については、よく分かりませんが、産土神ではないかと考えます(読み方の類似性から)。中には入らなかったのですが、調べてみると、芭蕉句碑(何木塚)、寛居翁碑(伊勢生まれで、幕末の代表的な国学者である足立弘訓(天明4~安政3・1784~1856)の記念碑)、出口直庵先生碑(出口延佳(元和元~元禄3・1615~1690;直庵はその号。外宮祠官の家に生まれ、伊勢神道家として古典の研究、豊宮崎文庫の創建などに多くの功績を残しています)、為田華明句碑、さらには「虎疫(コレラ)記念碑(明治19(1886)年、三重県内でコレラが蔓延し、猛威を振るいたくさんの死者を出した記録と戒めのために作られた石碑)などがありました。惜しいことをしました。

Img_0228c

 祖霊社の敷地内に「濱田國松邸跡」という石碑があります。濱田國松(明治元(1868)~昭和14(1939)年)は、三重県生まれの政治家。弁護士をへて明治37(1904)年、衆議院議員、政友会に入党。昭和9年(1934)衆議院議長。昭和12(1937)年、本会議で軍部の政治介入を批判し、寺内寿一陸相との「腹切り問答」で広田内閣を総辞職に追い込みました。写真の中央に写っている石碑は、「濱田國松顕彰碑」。

Img_0244c 祖霊社から500mほどで勢田川にかかる小田橋に出ます。勢田川は昔、Img_0241c 御贄(おんべ)川といわれ、神宮の御饌(みけ、御供物≒御贄)がここを通って運ばれたそうです。ご遷宮の時、御用材がこの橋につき、ここからお木曳きが行われたといいます。

Img_0248c  上右の案内板、わざわざ「裏面もご覧ください」とありましたので、回ってみました。「伊能忠敬測量の地」という説明があり、納得。伊能忠敬が現在の伊勢市を訪れたのは、第五次測量の文化2(1805)年4月(旧暦、太陽暦では5月)です。山田には5日間滞在し、木星の衛星(ガリレオ)による凌犯(りょうはん)観測を行い、経度差を求めたそうです。凌犯(りょうはん)」とは、月が惑星や恒星を隠す現象のことで、この現象を観測した2地点の地方時(その地点を通る子午線を基準として定めた時刻)を正確に求めることで、時差から2地点の経度差がわかるのだそうです。5日間の滞在中には外宮を参拝したといいます。続いて、宇治に3日間滞在し、朝熊岳の測量や、恒星の観測をしたとありました。

Img_0262c 小田橋を渡って、古市参宮街道を進みます。だんだんと上り坂(苦笑)。Img_0264c 古市の町に入ってきました。古市は、外宮と内宮を結ぶ、この街道沿いに栄えた町で、17世紀以降には遊郭や芝居小屋、旅館が並び、伊勢随一の歓楽街として賑わったところ。参拝後に精進落としをする人々が増加したことで歓楽街として発達してきた町です。街道沿いには、昔日を偲ばせる芝居小屋跡などの石碑も建てられています。

Img_0263c 丘陵にあるため水の便が悪く、江戸時代以前は、民家もほとんどなかったのですが、伊勢参りの参拝客の増加とともに、江戸時代前期に茶立女・茶汲女と呼ばれる遊女をおいた茶屋が現れました。元禄(1688~1703年)頃には高級遊女も抱える大店もできはじめ、最盛期の天明(1781~1789年)頃には、妓楼70軒、遊女1000人、浄瑠璃小屋も数軒、というにぎやかさで、「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳ができたほどだそうです。古市は、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場しています。

Img_0268c

 江戸時代末には、北は倭町から南は中之町まで娼家や酒楼が並び、江戸幕府非公認ながら、江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊廓、あるいはさらに大阪の新町、長崎の丸山をたして五大遊廓の一つに数えられたといいます。代表的な妓楼としては、備前屋(牛車楼・桜花楼とも呼ばれた)、杉本屋(華表楼とも)、油屋(油屋騒動で有名)、千束屋(一九の膝栗毛に登場)などがありました。ちなみに、油屋騒動とは、江戸時代、この油屋という遊郭で起きた殺傷事件のことで、俗に「古市十人斬り」とも呼ばれます。油屋は古市の中でも規模が大きく、部屋持ち遊女だけで24名。この事件は、伊勢参りに来た参拝客によって瞬く間に日本中に知れ渡ったといいます。写真は、その油屋跡を示す石碑。近鉄鳥羽線の線路の側に立っています。

20190127jrwalkingiseshi2  古市には、昔の旅人たち現在も当時の面影をそのまま伝える木造の旅館が1軒だけ残り、営業を続けています。また、当時の様子を知ることができる資料館もありますが、そこからはその2にて。その1では、左の実測ルートマップで、油屋跡石碑のところまで。線路は、近鉄鳥羽線。

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  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

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    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

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    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

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    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

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    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

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    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)