« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »
午前中はこんな空でしたが気温は高く、午後には、何と17.3℃にもなりました。3月下旬くらいの陽気ではないかと思います。朝8時半頃まで弱い雨雲がかかっていましたので、散歩に出たのは8時40分頃。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町を回って、6.1㎞。11時過ぎに帰宅。
2月9日に行ってきた近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」のその1です。10日近く経って、ようやくここまで到達しました(苦笑)。去年も同じような企画があり、後藤酒造場を訪ねてみたかったのですが、予定が合いませんでした。
2月3日のJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」も、その3となり、今回でゴールの見込みです。
2月3日に開催されたJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」のその2です。週末になると、ハイキング・ウォーキングに出かけていますし、確定申告作業もあり、記事を書くのが遅れています(苦笑)。
今日は(も)、近鉄ハイキングに行ってきました。昨年もこの時期に開催されましたが、「酒蔵みてある記(踏破賞対象)銘酒『鈿女』伊藤酒造と智積養水をたずねて」です。コースは、まったく同じでした。
2月2日の近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」もいよいよ大詰め。カニ汁の振るまいがいただける北山水産へ。その後、痔神社にお参りして、近鉄名古屋線・白塚駅にゴールです。その3辺りの詳しい実測ルートマップは、左の画像の通り。中央上にある八雲神社までがその2。
2月2日の近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」の続き、その2です。2月3日には笠寺駅のJRさわやかウォーキングに、また、昨日は後藤酒造場へ行く酒蔵みてある記にと出かけてばかりで、記事を書くのが追いついておりませんが、ボチボチとやります(微笑)。
考えてみたら、3週連続で土日はハイキング・ウォーキングでした。家内からも「元気よねぇ」と感心されるやら、呆れられるやら(笑)。
2月2日、2月に入って最初の土曜日。もちろん、ハイキング・ウォーキングであります。この日は、近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」に出かけてきました。この日は、好天の上、暖かく歩きやすい日でした。というよりも汗ばむくらいでした。
スタート受付は、近鉄名古屋線・千里駅。津市河芸町にあります。受付は、9時半からでした。千里駅には、普通電車しか止まりません。桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時32分に到着。なのですが、途中、ちょっとしたハプニングで3分遅れ。9時36分発津新町生き普通に乗り換えて、9時42分着。¥560。
そのハプニングとは、桑名駅を出て、次の駅の益生駅の手前2つめの踏切で急停車したのです。益生駅は急行は通過します。私は、前から2両目の前方に乗っていました。確かに踏切内に普通乗用車が停止。私より年配の男性が運転者のようでした。近鉄とJRが並行して通っているところで、両者の踏切の間に押し出したようでした。他人事ではありません。気をつけましょう。写真はその踏切を通過するとき、ドア越しに撮ったもの。
さて、話を戻して、こちらは当日のコースマップ。千里駅から白塚駅まで、ほぼ国道23号線に沿って、ところどころは旧・伊勢街道(参宮街道)を歩くという企画。コースマップ上は、約7㎞ということでしたが、実際に歩いた距離を測ると、8.5㎞でした。今日は、自宅から桑名駅往復が、2.1㎞でしたから、歩いたのは合計10.6㎞。千里駅スタートして、上野神社、伊勢上野城跡、光勝寺、八雲神社を経て、北山水産と痔神社に立ち寄り、ゴールは近鉄名古屋線・白塚駅でした。スタートしたのは、9時50分。
こちらが当日の実測ルートマップ。このあたりを歩くのは、初めてですが、国道23号線は、鈴鹿で働いていた頃何度も通りましたし、今も家内の実家へ行くときによく通ります。それ故、多少は土地勘がありますが、この日訪ねたところは、いずれも初めて。
近鉄・千里駅を出たところが、旧・伊勢街道(予告編ではよく調べておらず、ここが伊勢街道とは思っていませんでした)。そこから西すぐのところに、 国道23号線が通っています。これを渡って、南西へ。右の写真は、国道23号を渡って旧・伊勢街道を歩いているところ。
田中川にかかる田中橋を渡って、いったん伊勢街道から離れます。川沿いを進んで、1㎞をすぎたあたりで左折。津市立上野小学校や上野幼稚園のところをさらに進んでいきます。写真はありませんが、上野小学校の敷地内には石碑が1つありました。戦争の慰霊碑(こちらの1-18-02)ではないかと思いますが、敷地内には入れず、未確認。
スタートから1.5㎞ほど、10時8分に上野神社に到着。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられていまする(建徳2(1371)年という説があります)。南北朝時代、北畠親房(きたばたけちかふさ)とその子孫は南朝方の支柱となっていますが、親房の子顕能が、建武2 (1335) 年、伊勢国司となって以来、その子孫は代々国司として南伊勢を支配しました。しかし、天正4 (1576) 年、具教が織田信長に殺され、滅亡しました。永禄年間、織田信長が、太刀鎧等を奉納したといいます。
應永13(1406)年の棟札があり、そこには、上野正八幡と記されているそ うです。慶長6(1601)年、分部光嘉が社領5石を寄進、慶長16(1617)年、嗣子・光信は社殿を造営しています。元和5(1619)年、光信が近江国・大溝藩に移封された後は、紀州領となりましたが、社領5石は変らず、城主・領主の崇敬がありました。明治時代に八幡神社と称し、明治6(1873)年、村社に。明治41(1908)年、上野・久知野・中瀬の神社35社を合祀して、上野神社となっています。
主祭神は、誉田別尊(ほむたわけのみこと;応神天皇)。相殿神は、建速須佐之男命(たけはやのすさのおのみこと;伊奘諾尊・伊奘冉尊の子。高天原から追放され、出雲に降り、八岐大蛇を退治)、稲田比売命(いなだひめのみこと;八岐大蛇のいけにえとなるところを、建速須佐之男命によって助けられ、その妻となった)、天児屋根命(まのこやねのみこと;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神。藤原氏の祖神)、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ;穀物の神。稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰される)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと;天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと;国生みと神生みを行った男神)、伊邪那美命(いざなみのみこと;国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国を支配する黄泉大神となった)、金山比古神(かやまびこのかみ;鉱山の男神)、火産霊神(ほむすびのかみ;伊弉諾尊・伊弉冉尊の子。火の神)、大山津見神(おおやつみのかみ;山をつかさどる神)。
境内には、橿原神宮遙拝所と、皇居・神宮遙拝所がありました。橿原神 宮遙拝所は、もちろん西を向いて建っていますが、皇居と神宮(伊勢神宮)遙拝所は東を向いています。皇居と神宮の遙拝所が一つになっているのは、初めて見ました。方角も、かなり違うと思うのですが、よく分かりません。昭和11(1936)年に建てられています。この年は、二・二六事件があった年。紀元2600年は、この4年後。
拝殿に向かって左手(西)には、石碑が4つ。このうち向かって右にある2 つは、拝殿や本殿の造営記念碑でした。向かって左の2つは、「神饌田」と「奉納神饌田」とありました。神饌田は、神に属し祭祀に供せられる稲を作る田ということですが、単にこの上野神社の神饌田なのか、伊勢神宮などに関わりがあるのか不明。伊勢神宮の領地などであれば、「御厨」とありそうです。
上野神社の参拝を終えて、南側の参道から鳥居を出て 振り返ったら、朱い鳥居が並んでいました。八幡稲荷神社です。
お稲荷様ですから、御祭神は、宇迦御魂神。しかし、眷属のキツネの姿 はどこにも見当たりません。お社の中には、奥之向かって右には、「若宮八幡社」「宇気比神社」と、左には、「春日社」「菅原社」と書かれた扁額がかかっています。若宮八幡社は、名古屋にある神社? 宇気比神社(うきひじんじゃ)は、志摩の方に同じ名前の神社がいくつかありますが(志摩市阿児町、志摩市浜島など)それを勧請したもの? ネットでは八幡稲荷神社についての情報がありませんので、不明。
上野神社から道路に降りて100mほど行ったところに、こういう看板がありました。コースマップでは立ち寄り先になってはいませんが、「江姫ゆかりの寺」とあっては立ち寄らざるを得ません。早速寄り道(微笑)。
萬松山円光寺、臨済宗東福寺派のお寺です。ご本尊は、釈迦牟尼。延文3(1358)年、栗真庄中山(現在の津市徳川秀忠の正室となったお江にゆかりのある寺として有名栗真中山町)に後光厳天皇の勅願寺として開創されたと伝えられています。応永4(1397)には将軍・足利義満から
祈願所とされ、義持・義教・義政の三祖公のご教書を拝領するなど、足利将軍家の帰依を受けました。分部光嘉が中山から、元亀年間(1570~73)、現在の上野の地に居城と寺を移し、分部氏の菩提寺としました。2代藩主・分部光信が、近江・大溝藩主に転封となり、円光寺も同時に近江に移りましたが、残った堂宇をもとに円光寺は現在地にも存続しています。ちなみに、近江に移った円光寺は滋賀県高島市に存続し、大溝藩主・分部氏の菩提寺となっています。
境内の墓所には、分部光嘉公、分部光勝公(光嘉の息)、分部光嘉公室(万(まん))、分部光高公の墓が並んでいます。
また、境内には、お稲荷様もありました。が、鳥居のとこ ろにあった幟には、「玉宝吨枳尼尊天」とあります。不思議に思って、調べたら、吨枳尼天王は、仏教の鬼神で、密教では、胎蔵界曼陀羅外院にあって、大黒天に所属する夜叉(やしゃ)神。自在の通力をもって6か月前に人の死を知り、その心臓を食うといわれる。日本では狐の精とされ、稲荷信仰と混同されている。ということですから、お稲荷さんと混同され、同じに扱われているということのようです。
こちらは山門の写真。厳粛な風情が漂っています。秋の紅葉の時期には、山門にそびえる紅葉が一斉に色づく様はまさに圧巻だそうですから、その頃訪ねるとよいのでしょう。
ところで、円光寺入り口にあった看板には、「江姫ゆかりの寺」とありましたが、上に載せた、教育委員会が設置した案内板にも言及がありません。あた、このあと訪れた伊勢上野城跡にある資料館でもらったパンフレットにはその詳細な情報はありませんでした。津市観光協会の公式サイトにある円光寺のページにも何も書かれていません。本堂の中をよく拝見してこなかったのですがこちらによれば、そこに展示されている江姫関係の資料は、某公営放送の大河ドラマに関わるものがほとんどだそうです(こちら)。大河ドラマはほとんど見ませんので、2011年に放送された「江~姫たちの戦国~」も私は見ていません。この大河ドラマについては「史実と異なる展開」という批判がかなりあったそうです。こういうこともあって、「江姫ゆかりの寺」という具体的な資料は不明。
今回はここでキリがよいので、ここまで。円光寺から伊勢上野城跡・本城山青少年公園は300mほど先。次は、伊勢上野城跡から。
1月27日に行ってきたJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む 大神宮へのおかげ参り」のその1です。コースマップ上10.7㎞のところ、15.5㎞を昼食も摂らず歩いてきました(笑)。本編、いつもの調子で書くととんでもなく長くなりそうですから、ホドホドにするつもりでスタートします。大神宮は、もちろん伊勢神宮。今回は、JR参宮線・伊勢市駅をスタートして、外宮(豊受大神宮)、麻吉旅館、伊勢古市参宮街道資料館、猿田彦神社から内宮(皇大神宮)、おかげ横丁、月読宮と回って、伊勢市駅がゴール。さすがに伊勢までは遠いので、8時に自宅を出発。JRさわやかウォーキングなのですが、近鉄の方が運賃が安いので(近鉄は¥1,200、JRでは何と¥1,650)、近鉄で伊勢市駅まで。伊勢市駅には、両方が乗り入れているのです。8時22分の伊勢中川行き急行に乗車、伊勢中川には9時24分着。9時25分の五十鈴川行き急行に乗り換え、伊勢市には、9時46分に到着。JRの快速みえに乗っても80分前後かかりますから遜色なし(たとえば、桑名を8時3分に出るみえ51号は、伊勢市には9時30分着)。伊勢市駅はJR側に出なければなりません。ICカードは使えず、切符を買った次第。
近鉄に乗っていると、四日市から津までは雪が積もっていました。前日、近鉄ハイキングで四日市に行きましたが、途中、けっこう吹雪いていました。風向きによって、三重県北中部でもどこに雪が降るか、変わってきます。写真は、津市河芸町辺り。向こうに見えているのは、伊勢鉄道。
JR伊勢市駅。去年、12月11日 (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)以来。まだまだ記憶も新しく、また、一直線で600mほ どですから、外宮までは迷うことはありません。伊勢市駅をスタートしたのは、9時50分。ひたすら歩いて回り、ゴールは、14時30分。昼ご飯も食べられませんでした(爆)。休憩したのは、伊勢古市参宮街道資料館で接待のお茶をいただいたときのみ。ゴール受付が15時まででしたが、これに間に合うかと心配になるくらいでした。
こちらが当日、実際に歩いたルートマップ。立ち寄ったところや、見たとこ ろはここに揚げた以外にもあります。自分で書くのも何ですが、それにしてもよく歩きました。これまでの最長は、去年(2018年)2月27日の阿下喜のハイキングで歩いた12.2㎞でしたが(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))、これを上回りました(苦笑)。スタートから、外宮、茜社・豊川茜稲荷神社、祖霊社辺りまでの詳しいマップは右の画像の通り。
伊勢市駅から外宮まではほぼ直線で、500mあまり。このあたりについて 去年12月11日のブログで書きましたので (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)、詳細は割愛。今回も、山田館が気になって見て来ました。創業は、大正時代、木造三層楼の古い建物。右の写真にあるような「蘇民将来」の注連飾りが羨ましい。
外宮には、10時に到着。新年に来ると、また気分も違います。外宮では、 正殿の他、別宮も3社ともお参りしてきました。多賀宮(たかのみや、御祭神は、豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま))、土宮(つちのみや、御祭神は、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ))、風宮(御祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと))です。まだまだ先が長いため、その他の境内社は、今回はパスさせてもらいました。
外宮の写真、他に1枚。正殿、賑わうためでしょうが、年末には閉まって いたところが、出口として開放されていました。正殿に向かって右(東)側です。清盛楠を見て、外宮から出て来たのが、10時35分。ここまでですでに1.9㎞ほど歩いています。伊勢神宮、外宮・内宮共に境内はかなり広いので、けっこう歩きます。
外宮を出たところ、東西に走っているのが、御木本道路(みきもとどうろ)。あの真珠王・御木本幸吉が、昭和20(1945)年に米寿を迎え、それを機会に外宮から内宮までの近道を整備する資金を提供したことから、伊勢神宮・外宮前から猿田彦神社前までを御木本道路と呼んでいます。
その御木本道路を300mほどいったところに茜社・豊川茜稲荷神社があります。年末に来たときから気になっていた神社です。ここは、東・南・西の三方を外宮宮域の勾玉池(まがたまいけ)に囲まれていて、外宮の宮域内なのですが、伊勢神宮の所管する神社ではありません。地元の方からは、「あこねさん」として親しまれているそうです。
もとは、山田産土神八社の1社で、旧社格は村社。創立は一条天皇の御 世以前(986年以前)とされています。そのむかし、この辺りを赤畝と称し、赤畝の社・赤うね明神とも称し茜社となったのは江戸期か明治初年であると考えられています。茜社境内には豊川茜稲荷神社と天神社(茜牛天神)2社も鎮座しています。御祭神は、天牟羅雲命(あめのむらくものみこと;天村雲命ともいう)と蛭子命(ひるこのみこと)。天牟羅雲命は天上から水を持ち帰った飲料水の神とされます。蛭子命は、伊耶那岐命と伊耶那美命との間に生まれた最初の神ですが、不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまいます。
ところで、これを書きながら、とんでもないことに気づきました。茜神社そのものをきちんと参拝してこなかったのです(苦笑)。こちらが茜神社。人文研究見聞録さんからお借りしました。いきなりの凡ミスです。
こちらは、境内社の豊川茜稲荷神社。創祀は不詳とされますが、古くから「稲荷」と称する神域内の岩窟に宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)が祀られていたとされます。それを豊川明神・豊受稲荷と崇め称えるようになったといいます。
茜牛天神。もとは、外宮下馬所にあった外宮師職(師職は、特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者。伊勢神宮のものは特に「御師(おんし)」と呼びました)・山田大路(ようだおおじ)家の鎮守神。明治42(1909)年に茜社に合祀。
なお、蛭子命は元豊川町字下馬所の祀られていたのですが、明治42(1909)年2月に菅原神と共に茜社に合祀されています。
茜社の参拝を終え、ここから御木本道路を200m弱進み、左折して古市参宮街道へ向かいます。外宮と内宮を結ぶ道は、3通りあります。天皇陛下が内宮に参拝される際にお通りになる御幸通り、真珠王・御木本幸吉翁が私財を提供して造った御木本道路、間の山(あいのやま)を越える古市参宮街道がそれらです。この古市参宮街道は最も古く、明治までは外宮と内宮を結ぶ道はこの道のみでした。東海道中膝栗毛(十辺舎一九)の主人公弥次さん、喜多さんが通った道でもあります。古市参宮街道を通って外宮から猿田彦神社までは3.5km。
御木本道路と古市参宮街道との間に祖霊社がありました。ここは、まっ たく意識していませんでした。明治5(1873)年、伊勢神宮により開かれた神宮教院がその発端です。倭町・元常明寺において、説教所が開かれています。その後、「神都霊祭会」、「霊祭講社」を経て、昭和56(1981)年、祖霊社になっています。御祭神は、天照大御神と、宇布須根神。宇布須根神については、よく分かりませんが、産土神ではないかと考えます(読み方の類似性から)。中には入らなかったのですが、調べてみると、芭蕉句碑(何木塚)、寛居翁碑(伊勢生まれで、幕末の代表的な国学者である足立弘訓(天明4~安政3・1784~1856)の記念碑)、出口直庵先生碑(出口延佳(元和元~元禄3・1615~1690;直庵はその号。外宮祠官の家に生まれ、伊勢神道家として古典の研究、豊宮崎文庫の創建などに多くの功績を残しています)、為田華明句碑、さらには「虎疫(コレラ)記念碑(明治19(1886)年、三重県内でコレラが蔓延し、猛威を振るいたくさんの死者を出した記録と戒めのために作られた石碑)などがありました。惜しいことをしました。
祖霊社の敷地内に「濱田國松邸跡」という石碑があります。濱田國松(明治元(1868)~昭和14(1939)年)は、三重県生まれの政治家。弁護士をへて明治37(1904)年、衆議院議員、政友会に入党。昭和9年(1934)衆議院議長。昭和12(1937)年、本会議で軍部の政治介入を批判し、寺内寿一陸相との「腹切り問答」で広田内閣を総辞職に追い込みました。写真の中央に写っている石碑は、「濱田國松顕彰碑」。
祖霊社から500mほどで勢田川にかかる小田橋に出ます。勢田川は昔、 御贄(おんべ)川といわれ、神宮の御饌(みけ、御供物≒御贄)がここを通って運ばれたそうです。ご遷宮の時、御用材がこの橋につき、ここからお木曳きが行われたといいます。
上右の案内板、わざわざ「裏面もご覧ください」とありましたので、回ってみました。「伊能忠敬測量の地」という説明があり、納得。伊能忠敬が現在の伊勢市を訪れたのは、第五次測量の文化2(1805)年4月(旧暦、太陽暦では5月)です。山田には5日間滞在し、木星の衛星(ガリレオ)による凌犯(りょうはん)観測を行い、経度差を求めたそうです。凌犯(りょうはん)」とは、月が惑星や恒星を隠す現象のことで、この現象を観測した2地点の地方時(その地点を通る子午線を基準として定めた時刻)を正確に求めることで、時差から2地点の経度差がわかるのだそうです。5日間の滞在中には外宮を参拝したといいます。続いて、宇治に3日間滞在し、朝熊岳の測量や、恒星の観測をしたとありました。
小田橋を渡って、古市参宮街道を進みます。だんだんと上り坂(苦笑)。 古市の町に入ってきました。古市は、外宮と内宮を結ぶ、この街道沿いに栄えた町で、17世紀以降には遊郭や芝居小屋、旅館が並び、伊勢随一の歓楽街として賑わったところ。参拝後に精進落としをする人々が増加したことで歓楽街として発達してきた町です。街道沿いには、昔日を偲ばせる芝居小屋跡などの石碑も建てられています。
丘陵にあるため水の便が悪く、江戸時代以前は、民家もほとんどなかったのですが、伊勢参りの参拝客の増加とともに、江戸時代前期に茶立女・茶汲女と呼ばれる遊女をおいた茶屋が現れました。元禄(1688~1703年)頃には高級遊女も抱える大店もできはじめ、最盛期の天明(1781~1789年)頃には、妓楼70軒、遊女1000人、浄瑠璃小屋も数軒、というにぎやかさで、「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳ができたほどだそうです。古市は、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場しています。
江戸時代末には、北は倭町から南は中之町まで娼家や酒楼が並び、江戸幕府非公認ながら、江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊廓、あるいはさらに大阪の新町、長崎の丸山をたして五大遊廓の一つに数えられたといいます。代表的な妓楼としては、備前屋(牛車楼・桜花楼とも呼ばれた)、杉本屋(華表楼とも)、油屋(油屋騒動で有名)、千束屋(一九の膝栗毛に登場)などがありました。ちなみに、油屋騒動とは、江戸時代、この油屋という遊郭で起きた殺傷事件のことで、俗に「古市十人斬り」とも呼ばれます。油屋は古市の中でも規模が大きく、部屋持ち遊女だけで24名。この事件は、伊勢参りに来た参拝客によって瞬く間に日本中に知れ渡ったといいます。写真は、その油屋跡を示す石碑。近鉄鳥羽線の線路の側に立っています。
古市には、昔の旅人たち現在も当時の面影をそのまま伝える木造の旅館が1軒だけ残り、営業を続けています。また、当時の様子を知ることができる資料館もありますが、そこからはその2にて。その1では、左の実測ルートマップで、油屋跡石碑のところまで。線路は、近鉄鳥羽線。
関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)
小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)
和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)
彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)
石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)
養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)
宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)
森永 卓郎: 書いてはいけない
他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)
立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)
諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)
松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)
文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)
石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)
柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)
内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)
本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)
BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)
磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)
保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)
佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)
養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)
佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)
安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)
大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。
私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。
ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。
この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)
磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)
多井 学: 大学教授こそこそ日記
文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)
宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)
関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)
安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)
石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)
千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)
唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)
堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)
奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)
最近のコメント