2月9日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」のその2です。
その1では、稗田で春日神社、矢部駿河の守墓碑、敷政稲荷神社跡を見てから、桑部に入って、教専寺と善徳寺の2つのお寺を見て来ました。善徳寺でスタートから2.5㎞、時刻は10時半頃。
200mほどで、県道3号線に面する
長谷(ながたに)神社の一の鳥居まで来
ました。社号標には、「延喜式内」とあります。右手に忠魂碑などが見えます。これは後できちんと見なくてはと思いつつ、鳥居を潜り奥へ。すぐに右手に二の鳥居。
称徳天皇(第48代、ご在位は764~770年)
神護景雲(じんごけいうん)元(767)年に常陸国
鹿島神宮の祭神を勧請して、桑部村谷奥長谷に祀った
のが始まりで、正安年間今のところに遷ったといいます。地形的に谷間にあったということでしょう。主祭神は
建御雷之男神(タケミカヅチノカミ)。経津主神とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功し、また、神武東征においても、天皇の危難を救った神。鹿島神宮の祭神で、春日信仰の主祭神。相殿神は、
斎主神(フツヌシノカミ、経津主神とも;香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、建御雷之男神とともに出雲に行った神)、
天児屋根命(アマノコヤネノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神。中臣(なかとみ)氏・藤原氏の祖神)、
姫大神(ひめがみ;神道の女神で、特定の神の名前をさすものではありません)、
品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、
大山祇命(オオヤマツミノミコト、山の神)、
天目一箇命(あまのまひとつのみこと、天津彦根命の子、桑名首の祖という)、
須佐之男命(スサノオノミコト、出雲神話の祖神。天照大神の弟)。
なお、「くわな史跡めぐり」には、「祭神は『
衝立船戸神(つきたてふなとかみ;道などの曲がり角の神)』で、この付近は町屋川における船舶の標的な意味と思われる。また、朝明郡と桑名郡との郷境の意味もあったと思われる」とあります。「新桑名歴史散歩」にも似た趣旨が書かれています。しかし、神社検索(三重)では、「船運が盛んになった後世に祀られることはあるとしても当初は建御雷男之神を祀ったと考える方が正しいと思われる」と書いています。
さらに、由緒書には、創建について、次のように詳しくありました:神護景雲年間に、
藤原不比等が常陸の国(茨城県)より春日山に祭り、藤原氏の氏神として崇拝し、これが現在各地に祭られている春日神社の始まりであること、また、この建御雷之男神を勧請する時、常陸国より使者が当時交通の要所であった桑部に立ち寄った際、藤原氏の隆盛にあやかりたいと当地の有力者の懇願によってその御分霊を桑部の長谷に鎮座したが長谷神社のはじまりであること。その後、200年を経て、延喜式にも記載され桑名地方におけるもっとも由緒ある春日系の神社として崇敬されていたところ、正安年間(13世紀末)に至って、新興地として栄え始めた三崎三ヶ村(現在の桑名市街地)の有力者が、春日神を勧請した時も春日信仰の先達である長谷神社に敬意を表してその道中、桑部に一夜鎮座したとあります。これが、明治初年に至るまで、桑名春日神社(桑名宗社)の御事(石取祭)に桑部の人達が招聘され、長谷神社の協力を得てその神事が行われたと伝わっているともあります。
明治41(1908)年に、能部神社(武甕槌男命)、須賀神社(素戔嗚命)、春日神社(武甕槌男命)を合祀しましたが、昭和56(1981)年に
春日神社(東金井字西谷)、昭和54(1979)年に
能部神社(能部字南貝戸)を分祀しています。
文章ばかり続きました。境内社としては、こちらの八天宮社。八天宮は、
火伏の神。桑名・員弁地方ではたくさん祀られているそうです(
こちらに言及があります。八天宮は
秋葉神社と同じとも書かれています)。それは、江戸時代、文政7(1824)年、桑名藩主(松平定永公)の命で各村に八天宮を祭るようにされたからだといいます。ちなみに、
阿岐葉社もあるとこちらにはあります。
八天宮社の南に「忠魂義胆郷党軍人記念之碑」があります。この記念碑は、明治28(1895)年2月、桑部村大字桑部壮年会が建てています。明治28年は、日清戦争の翌年です。「従六位 東 吉貞 書」となっています。碑の形が気になります。正面から見て右上が欠けているように思えますが、そうなのかどうか、わかりません。
さて、一の鳥居の西側にあった忠魂碑などを見て来ましょう。向かって右から忠魂碑、日露戦役祈念碑、五箇条の御誓文碑が並んでいます。
まずは、忠魂碑。昭和15(1940)年1月に石原末松という方が建立しています(「桑名の戦争遺跡」による。三重県遺族会のサイトには、「桑部遺族会」とあります)。高さは、3.6m。碑陰には、
支那事変(日中戦争)と
大東亜戦争(太平洋戦争)戦没者83名の名が刻まれています(「桑名の戦争遺跡」による)。海軍大将・
永野修身が筆を執ったもの。永野(明治13(1880)~昭和22(1947)年)は、高知出身の軍人で、海軍大将・元帥。ロンドン軍縮会議首席代表・海相・連合艦隊司令長官・軍令部総長などを歴任。
中央にあるのは、日露戦役祈念碑。山本鐵太郎始め、19名の方が明治40(1907)年4月に建てたとあります。高さは2.9m。碑陰には、戦没者7名、従軍者36名の名前が刻まれており、佐治為善(さじためよし)の書となっています。佐治は、兵庫出身の軍人。陸軍少将。大佐、歩兵第19連隊長として日露戦争に出征。旅順攻囲戦に参加しています(
ここにあります)。
あれこれ書きましたが、長谷神社滞在は、10時35分から10分ほど(微
笑)。西側の参道、鳥居を見て、桑部の町の中を進みます。桑部公民館の先で南に入って、さらに少し先で西へ。このあたりで3㎞を過ぎ、正和郵便局付近で4㎞。このあたりは、しばらく前に開発された、当時の「新興住宅団地」です。右の写真は、正和郵便局を過ぎて、東名阪自動車道に向かう坂道。
実測ルートマップは、その2になります。正和郵便局のところから、正和台
という、住宅団地。知人がお住まいですが、団地の中を東名阪自動車道が通っています。東西の境がこの自動車道でないところが微妙。知人の話では、自治会や老人会の活動でちょっと困るそうです。余談はさておき、東名阪自動車道をくぐっていきます。
すぐそこに
能部(のんべ)神社があります。創立は不詳。能部村には春日神社(村社)、無格社、山神社、八幡宮社、白山神社が鎮座していたものを、明治40(1907)7月、八幡宮境内(現在地)に移し、合祀。「能部神社」となりました。能部神社は、さらに明治41(1908)年3月、
長谷神社(先ほど参拝してきたところ)に合祀となりました。終戦後、氏子の総意により、昭和57(1982)年3月、大字能部の旧社地に分祀されています。
主祭神は、
建御雷之男神(タケミカヅチノカミ;由緒書きには、武甕槌命となっていますが、同じ)。相殿神は、
大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト、天照大神の異称)、
素盞嗚尊(スサノオノミコト)、
品陀和気命(ホンダワケノミコト)、
大山祇命(オオヤマツミノミコト)、
菊理姫命(くくりひめのみこと;黄泉国からにげる伊奘諾尊が伊奘冉尊とあらそったとき、二神の主張を聞きいれ、助言した神。石川県白山比咩(しらやまひめ)神社の主祭神)。
本来であれば、どうしてここにこれらの神様がいらっしゃるかまで考察できると良いのですが、まだまだそのレベルに至っていません。
能部神社でスタートから4.5㎞でしたが、桑部に入ってからけっこう坂道もあって、たくさん歩いたような気がします。東正和台、西正和台と歩いて、正和台西公園で5分ほど休憩。赤尾台の団地の東を下って、西へ。正面に
西南山浄光寺(浄土真宗本願寺派)が見えますが、酒蔵がもう目の前ですし、寺までは2~300mくらいありそうでしたのでパス。写真の右手に「桑名の地酒 青雲」という幟が見えていて、そちらの方が誘因力がはるかに強かったのです。いうまでもなく、信心が足りません(苦笑)。ちなみに、浄光寺は、創建は不明ですが、織田信長の伊勢長島の一向一揆により、一度途絶えた(1573年)というくらいで、由緒あるお寺です。当初は、真言宗でしたが、明応5(1496)年、
蓮如上人の時代に浄土真宗に改宗。18世紀の終わりに再興されています。員弁郡野田村にあったのですが、度重なる水害にあい、文化2(1805)年に、現在地(桑名市赤尾)に移って来ました。
無料試飲は、青雲の大吟醸。三重県産山田錦100%、アルコール分は16~17度。何と形容すべきか、果物のような香りがしますし、なめらかで飲みやすいのに、コクがあるという感じ。これ、堪りません(微笑)。
「大酒飲みではない」と書いたものの、もう一つ、有料試
飲の方も気になりました。1杯100円でありましたので、ナイショで(誰に?)、「久波奈」を1杯。いずれも三重県産の山田錦と、神の穂が減量。特別吟醸で、醸造用アルコールは添加されていません。アルコール分は15~16度。青雲とは異なりますが、果物の香り。「マスカットを思わせる」とありましたが、そこまでの判別はできません。のどごしは、青雲に比べ、こちらの方が柔らかくて、飲みやすい。2口でいただいてしまいました(もったいない)。
恒例の土産は、地元の酒造場ということもあって、特別に(笑)2種類。1
つは、「青雲 しぼりたて生酒」。720ml入り、¥1,300。冬季限定で、アルコール分19~20度。「冷やのままお召し上がり下さい」です。
もう1種類は、「
北勢線 応援酒」と銘打った「嘉例川(かれがわ)」。「嘉例川」は、近くの地名。嘉例川地区で栽培された酒米・五百万石でつくられています。有料試飲で出ていましたが、試してきませんでした。「爽やかで軽い旨みの純米酒」だそうです。アルコール度数は16。
甘酒の振るまいもありましたので、もちろんいただいてきました(微笑)。
酒蔵によって微妙に味が異なることや、どういう酒の酒粕を使っているかによっても違うことは分かりますが、それを言葉にできるほど繊細な舌および文章力はありません。
飲食ブースも出ていました。ちょうど小腹も空いていましたので、桑名の
とらや饅頭が売っていたみたらし団子を1本。¥100。小声でいいますが、私的には、郷里の「
天王の団子屋」のみたらしがベスト。
この日のハイキングでは、桑名市観光協会提供の「お楽しみ抽選会」も
ありました。コースマップに付された番号で抽選となります。私のものは、#43。しかし、酒粕(下一桁2、6が当選)も当たらず、残念。う~ん、外れても、ポケットティッシュくらいくれても良いのにと思います。それに抽選会場には、無愛想なオッサンが二人。あちこち回って比べてみて、はっきり書けば、桑名市も、観光に力を入れるなら、もっと気合いを入れて、サービスしないと。やる気があるのかと思えてしまいます。
これでこの日のハイキングは、コンプリート。「一人宴会」はせず(微笑)、滞在20分で
ゴールの三岐鉄道北勢線・星川駅に向かいます。後藤酒造場から県道26号線に降りてきました。星川駅には、この道をまっすぐ行って、坂井橋を渡るのが最短ルートですが、あいにくこの道には歩道が整備されていません。「交通事故を招く恐れがある」ということで、1本東の水田地帯の道がコースに指定されていました。確かに、この道の方がのんびり、ブラブラ歩けます。ほろ酔い加減ですから、賢明な配慮。
正和中学校の前を通って、員弁川の右岸の堤防に上がります。中学校
の前でスタートから7㎞。この日は、土曜日でちょうどお昼でしたから、部活から帰る中学生たち多数。右の写真、前方に見えているのが坂井橋。これを渡ったすぐのところがゴール。
星川駅には、12時15分にゴール。スタートから8.0㎞でした。西桑名行き
は、星川駅が見えたところで出発していってしまいました。次は、12時41分発。幸い、隣に三洋堂星川店があります。ここはよく来る本屋ですから、そこで時間つぶし。赤尾の水田地帯から、正和中学校を経て、星川駅までの実測ルートマップは、右の通りです。
12時41分の西桑名行きに乗車。帰りは、三岐カラーのナロー電車です。ガタンゴトンとゆられ、西桑名には12時56分に到着します。停車駅は、在良、蓮花寺、西別所、馬道、西桑名。
三岐鉄道北勢線は、在良から西桑名に向かうあたりは、桑名の市街地を走ります。民家の庭先というか、軒先を通っていくようなところもたくさんあります。次に、動画を載せておきます。あまりよく撮れたものではありませんが、ご容赦を。
西桑名駅には、既述の通り、12時56分に到着。この日の近鉄ハイキング
への参加で、あみま倶楽部のスタンプは6個目(その後2つのハイキングに行っています)。
近くで名前は知っていても、行ったことがないところ、あるいは、自分ではわざわざ行かないであろうところへ行けること、またそれなりに歩くことができるというのが、こういうハイキング/ウォーキングの楽しみです。ボチボチと続けましょう。近鉄ハイキングでは、3月以降、「お伊勢さん参り」ハイキングという12回シリーズが始まります。これは、何とかすべてに参加したいと思っています。
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