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2019年2月 7日 (木)

20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その4)……月読宮にお参りして御幸道路をひたすら歩き伊勢市駅へゴール(完)

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 1月27日のJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」の記事もいよいよ終盤です(ようやくかも?)。内宮別宮である月読宮へ立ち寄ります。ここは今回のコースにもありましたし、行ってみたかったところ。13時半を過ぎていて、ゴール受付時刻(15時まで)が気になったものの、お参りすることに。
Img_0610c 月読宮(つきよみのみや)。御幸道路に面した一の鳥居から300mあまりの参道を進んでいきます。伊勢神宮の別宮はどこも、これくらいの参道を歩きますから、次第に神聖な領域へ進んでいくという気持ちが高まっていきます。ここの御祭神は4柱いらっしゃり、お社も4社が並んでます。
Img_0613c まずは、「月読宮」。ここには、「月読尊(つきよみのみこと)」が祀られています。Img_0612c 天照大御神の弟神で外宮別宮「月夜見宮」のご祭神と同じです。「月を読む」という名のとおり、月の満ち欠けを教え、暦を司る神です。4社ありますが、これから書く順序にお参りするよう注意書きがありました。
Img_0615c 2番目は、左の写真にある「月読荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)」。御祭神は、「月読尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)」。月読尊の荒御魂が祀られています。
Img_0618c 3番目は、「伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)」で、ここには「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が、また、4番目は「伊佐奈弥宮(いざなみのみや)」で、こちらには「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」が祀られています。月読宮は、内宮に比べると、訪れる人も少なく、静かでした。
Img_0625c 月読宮の参拝を終えて、時刻は13時40分過ぎ。コースマップには、おかげ横丁~伊勢市駅が4.9㎞とあります。スマホは持っていませんし、歩いている途中、何㎞来たかとか、残り何㎞はわかりません。ゴール受け付け終了が15時ですから、それまでに伊勢市駅に着かないとスタンプがもらえません。ここからはひたすら歩くことにしました。が、写真のようにだらだらの上り坂(苦笑)。
Img_0630c 御幸道路を懸命に歩きます。普段の散歩より速いペースで(苦笑)。去年20190127jrwalkingiseshi7 10月8日の近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」の時、倭姫宮から五十鈴川駅までは歩きましたから、このあたりは記憶があります(20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。今日は、逆向きに歩いて、倭姫前の交差点からさらに北上。そこは未知の世界(大げさな)。通ったことがないところは、遠く感じますし、この時点で持っていたのは、コースマップのみ。距離感がわからないというのは、困りました。左の写真は、御幸道路にある大鳥居。御幸道路は、前にも書きましたが、明治43(1910)年に開通し、天皇の伊勢神宮参詣(行幸・御幸)時の参拝経路として利用されます。全長はおよそ5.5kmで、徒歩1時間半程度というのは、これを書くのに調べたもので、歩いているときには知りません(笑)。
 大鳥居は平成5(1993)年に建設されたものでした。先代の大鳥居は、鉄筋コンクリート製で、昭和31(1956)年に松下幸之助が寄贈して伊勢市駅前に建てられましたが、駅前の道路拡張のため昭和63(1988)年に撤去。その後、再建を望む声が上がり、桑名郡多度町(現桑名市)の勢濃工業株式会社社長・伊藤源一が伊勢市に寄贈したのだそうです。鳥居は鋼鉄製で、高さ22.7m、幅19m。
Img_0638c 途中、13.4㎞で、倭姫前の交差点。ここは、上述のように去年10月8日のImg_0632c_2 ハイキングできて、倭姫宮にお参りして、神宮徴古館前で弁当を食べています。左の写真にある石碑は、神宮徴古館が設立されたときの記念碑です。交差点の東側には、神宮文庫への門があります。神宮文庫には、神道、文学、歴史などの貴重な和書20万冊を含み、約31万冊が収蔵されているそうです。これらや、倭姫宮への参拝については、“20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その5)……皇學館大学、倭姫宮、神宮徴古館記念碑などを見て五十鈴川駅へゴール(完)”をご参照ください。
Img_0635c 去年の10月8日に通ったとき、気づかなかったものが1つありました。こちらの石碑。「國道風致樹木 寄附者 御木本幸吉」とあります。御幸道路の街路樹は、真珠王・御木本幸吉が寄附したのを記念した石碑。サクラとカエデが交互に植えられているほか、ツツジも見られるそうです。御木本はこれらの整備費用だけでなく、毎年の補足維持基金まで三重県に寄付したといいます(こちら)。
Img_0643c 御幸道路は、倭姫前交差点辺りがピーク。下り坂になっていき、歩くスピードが上がります。神宮徴古館の裏辺りで、道路の反対側に皇學館大学の門。明治6(1873)年にできた神宮教院がその源流だそうです。その後、皇學館(明治15(1882)年4月、神宮祭主久邇宮朝彦親王の令達により創設)、神宮皇學館を経て、官立大学(皇學館大学)にも昇格しましたが、第2次大戦後、いったん廃学。昭和37(1962)年になって、現在の皇學館大学として再興されています。
Img_0646c このあたりは、神宮徴古館の裏手と書きましたが、御幸道路沿いにもこんな看板があります。時間的余裕があれば、是非これらを訪ねてみたいものです。
Img_0648c 時間が気になるのですが、こういうものを見つけると、どうも気になります(微笑)。「御師葉山大夫門」とあります。伊勢の御師は、伊勢神宮の下級神職で、伊勢暦や御札を配ったり、また伊勢参りの人々の案内や宿の世話をしたりしました。江戸時代御師は、宇治で271家、山田には615家ありました。御師は、全国を回って檀家に、神宮大麻(神札)を届け、檀家は応分の初穂料を献じました。伊勢参りには自邸に宿泊させ、お神楽をあげ、もてなしました。明治4(1871)年7月、明治政府により御師の活動は禁止され、現在、広大な御師邸はほとんど残っていず、多くの資料も失われています。
Img_0653c_2 説明板によれば、葉山大夫は、榎倉大夫の分家筋にあたり、町年寄りを務め、檀家は主に江戸、安房、紀伊国にあったそうです。上の写真の門は、常盤町にあった葉山大夫家の薬医門です。瓦には嘉永6(1853)年の銘があるといいます。明治40(1907)年、亀谷環氏が葉山宏次郎から譲り受け、亀谷病院となっていましたが、昭和36(1961)年、神宮司庁に献納され、同40(1965)年、ここに移築されています。
Img_0665c このあと、神田久志本町、岩淵などを経て、勢田川にかかる錦水橋へ。この橋も、去年10月8日の近鉄ハイキングの時に通っています。御幸道路が勢田川を渡る橋です。12 基の擬宝珠 が付いたこの橋は、明治36(1903)年、倉田山に神宮徴古館が開館した時にできました。この橋のあたりから山の方を見ると、秋には紅葉が広がり、それが「錦」のようだったため名付けられたといいます。昔は路面電車(三重交通神都線)も走る橋でした。錦水橋で、14.5㎞。
Img_0678c その後、近鉄山田線・鳥羽線の宇治山田駅の南を通って、伊勢市役所と地方裁判所のある交差点(伊勢簡易裁判所前)を右折し、ゴールのJR参宮線・伊勢市駅へ。15.5㎞を歩いてきました。といっても、それは帰宅してチェックしてわかったこと。このときはとにかく良く歩いたという風にしか思えませんでした。
Img_0680c ゴール受付に着いたのは、14時30分。スタートしたのは、9時50分でした。昼Img_0685c ご飯も食べられず、4時間40分、ひたすら歩いて来ました。この時点では、過去最長距離を歩いたことはわかっておりません。昼ご飯も食べらなかった上、ベンチに座ってゆっくり休憩もできずでゴール。お陰様でけっこう疲れました。
Img_0682c この日、先着1,000名に新春キャンペーンとして、「伊勢市駅 絵馬型駅名Img_0684c バッジ」がプレゼントされるということでしたが、めでたくゲットできました。あちこちで寄り道し、かなりゆっくりゴールしましたので、先着1,000名に入るとは思っていなかったのです。スタンプも2つめをゲット(去年11月23日にスタンプカードを更新して以来)。
Img_0693c  いやぁ、ゴール受付終了(15時)までにゴールできて良かったと思いまImg_0708c す。途中では、間に合わないかという気がしました。かなりお疲れということで、帰りは、また近鉄を利用。近鉄特急アーバンライナーに乗車(微笑)。桑名までの運賃¥1,200プラス特急料金が\1,320。14時54分発の名古屋行き特急に乗って、桑名着は15時59分。ウォーキングで15.5㎞、桑名駅までの往復で1.8㎞。合計17.3㎞はこれまでの最長不倒距離でした。これまで最も長く歩いたのは、去年2月27日の近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”でした。このときは、現地で12.4㎞を歩いています。
Img_0458c  余談を2つ。1つは伊勢市のマンホール。リンク先のデザインは若干異な190127stampfuruichic りますが、いずれもおかげ参りの様子です。もう1つは、伊勢古市参宮街道資料館のスタンプ。やはり、観光地にはこういうスタンプがなくてはいけませんということ。これ以上は、いつも書いていることですから、割愛。

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コメント

こころんさん、こんにちは。

毎回、まとまりのない話にお付き合いくださり、ありがとうございます。
本当は、1月5日にある近鉄ハイキングでお参りしようと思っていたのですが、この日ではさすがに電車も、伊勢神宮も混むだろうとJRさわやかウォーキングまで延期していました。

コースマップのキョリは、神宮の中を歩く分がカウントされておらず、思わぬ長い距離を歩くことになりました。
途中で、「時間内にゴールできるのか?」とけっこう心配しました(笑)。

神宮の中もけっこうアップダウンあり、距離ありでしたが、古市の町も台地にあって登りは大変でした。

このウォーキングは参加者が少なく、先着1,000名には入れましたが、その跡の笠寺のウォーキングでは、先着2,500名にも漏れてしまいました。
さすがに名古屋であると、参加者も桁違いに多いようです。

瀧祭宮は、地元では「とっつきさん」「取次ぎさん」と呼ばれていて、「ここで、先に名前や住所や参拝に来たことを事前にお祈りする」ことで滝祭神が天照大神に取次いでくださるのだそうですね。
あまりしっかりとは意識していませんでしたので、結果オーライです(笑)。

おかげ横丁も大賑わいで、昼を食べ損ねました。
おはらい町のへんば餅の店、確認してきました(写真がピンぼけで、載せませんでした)。

私の方は、あれ以来、蕃塀が気になっています。
外宮の正殿では、横の入り口にもありました。
内宮正殿の蕃塀は、あれで意味があるのか、よく分かりません。

こころんさんも、またお出かけください。

投稿: mamekichi | 2019年2月11日 (月) 13時05分

ゴールおめでとうございます
歩いて参拝されてすごいです。
外宮と内宮の敷地は広いし別宮が高い所にあったり
参拝だけでも距離がありますものね。
先着1000名に入れて良かったですね。

内宮は五十鈴川で浄めて瀧祭宮で自己紹介してからと聞いたことあります
見落とされず寄られて良かったと思いました(^^)
少し外れないと通りませんもんね。
内宮へは神宮会館の駐車場に停めることが多いです。
参拝のあとおかげ横丁から近いですし。
お腹ペコペコでやっと食べ歩きでお腹に入れられてのですね。
ゆっくり食べてるとゴールの時間が怪しそうですね。
お土産におはらい町の端の方にへんば餅のお店が数年前からありますよ^^;

今年も予定立てて参拝してこなきゃと思いました。

投稿: こころん | 2019年2月11日 (月) 11時15分

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