20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その1)……外宮、豊川茜稲荷神社に参拝し、祖霊社を見て、古市参宮街道へ
1月27日に行ってきたJRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む
大神宮へのおかげ参り」のその1です。コースマップ上10.7㎞のところ、15.5㎞を昼食も摂らず歩いてきました(笑)。本編、いつもの調子で書くととんでもなく長くなりそうですから、ホドホドにするつもりでスタートします。大神宮は、もちろん伊勢神宮。今回は、JR参宮線・伊勢市駅をスタートして、外宮(豊受大神宮)、麻吉旅館、伊勢古市参宮街道資料館、猿田彦神社から内宮(皇大神宮)、おかげ横丁、月読宮と回って、伊勢市駅がゴール。さすがに伊勢までは遠いので、8時に自宅を出発。JRさわやかウォーキングなのですが、近鉄の方が運賃が安いので(近鉄は¥1,200、JRでは何と¥1,650)、近鉄で伊勢市駅まで。伊勢市駅には、両方が乗り入れているのです。8時22分の伊勢中川行き急行に乗車、伊勢中川には9時24分着。9時25分の五十鈴川行き急行に乗り換え、伊勢市には、9時46分に到着。JRの快速みえに乗っても80分前後かかりますから遜色なし(たとえば、桑名を8時3分に出るみえ51号は、伊勢市には9時30分着)。伊勢市駅はJR側に出なければなりません。ICカードは使えず、切符を買った次第。
近鉄に乗っていると、四日市から津までは雪が積もっていました。前日、近鉄ハイキングで四日市に行きましたが、途中、けっこう吹雪いていました。風向きによって、三重県北中部でもどこに雪が降るか、変わってきます。写真は、津市河芸町辺り。向こうに見えているのは、伊勢鉄道。
JR伊勢市駅。去年、12月11日 (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)以来。まだまだ記憶も新しく、また、一直線で600mほ
どですから、外宮までは迷うことはありません。伊勢市駅をスタートしたのは、9時50分。ひたすら歩いて回り、ゴールは、14時30分。昼ご飯も食べられませんでした(爆)。休憩したのは、伊勢古市参宮街道資料館で接待のお茶をいただいたときのみ。ゴール受付が15時まででしたが、これに間に合うかと心配になるくらいでした。
こちらが当日、実際に歩いたルートマップ。立ち寄ったところや、見たとこ
ろはここに揚げた以外にもあります。自分で書くのも何ですが、それにしてもよく歩きました。これまでの最長は、去年(2018年)2月27日の阿下喜のハイキングで歩いた12.2㎞でしたが(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))、これを上回りました(苦笑)。スタートから、外宮、茜社・豊川茜稲荷神社、祖霊社辺りまでの詳しいマップは右の画像の通り。
伊勢市駅から外宮まではほぼ直線で、500mあまり。このあたりについて
去年12月11日のブログで書きましたので (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)、詳細は割愛。今回も、山田館が気になって見て来ました。創業は、大正時代、木造三層楼の古い建物。右の写真にあるような「蘇民将来」の注連飾りが羨ましい。
外宮には、10時に到着。新年に来ると、また気分も違います。外宮では、
正殿の他、別宮も3社ともお参りしてきました。多賀宮(たかのみや、御祭神は、豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま))、土宮(つちのみや、御祭神は、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ))、風宮(御祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと))です。まだまだ先が長いため、その他の境内社は、今回はパスさせてもらいました。
外宮の写真、他に1枚。正殿、賑わうためでしょうが、年末には閉まって
いたところが、出口として開放されていました。正殿に向かって右(東)側です。清盛楠を見て、外宮から出て来たのが、10時35分。ここまでですでに1.9㎞ほど歩いています。伊勢神宮、外宮・内宮共に境内はかなり広いので、けっこう歩きます。
外宮を出たところ、東西に走っているのが、御木本道路(みきもとどうろ)。あの真珠王・御木本幸吉が、昭和20(1945)年に米寿を迎え、それを機会に外宮から内宮までの近道を整備する資金を提供したことから、伊勢神宮・外宮前から猿田彦神社前までを御木本道路と呼んでいます。
その御木本道路を300mほどいったところに茜社・豊川茜稲荷神社があります。年末に来たときから気になっていた神社です。ここは、東・南・西の三方を外宮宮域の勾玉池(まがたまいけ)に囲まれていて、外宮の宮域内なのですが、伊勢神宮の所管する神社ではありません。地元の方からは、「あこねさん」として親しまれているそうです。
もとは、山田産土神八社の1社で、旧社格は村社。創立は一条天皇の御
世以前(986年以前)とされています。そのむかし、この辺りを赤畝と称し、赤畝の社・赤うね明神とも称し茜社となったのは江戸期か明治初年であると考えられています。茜社境内には豊川茜稲荷神社と天神社(茜牛天神)2社も鎮座しています。御祭神は、天牟羅雲命(あめのむらくものみこと;天村雲命ともいう)と蛭子命(ひるこのみこと)。天牟羅雲命は天上から水を持ち帰った飲料水の神とされます。蛭子命は、伊耶那岐命と伊耶那美命との間に生まれた最初の神ですが、不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまいます。
ところで、これを書きながら、とんでもないことに気づきました。茜神社そのものをきちんと参拝してこなかったのです(苦笑)。こちらが茜神社。人文研究見聞録さんからお借りしました。いきなりの凡ミスです。
こちらは、境内社の豊川茜稲荷神社。創祀は不詳とされますが、古くから「稲荷」と称する神域内の岩窟に宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)が祀られていたとされます。それを豊川明神・豊受稲荷と崇め称えるようになったといいます。
茜牛天神。もとは、外宮下馬所にあった外宮師職(師職は、特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者。伊勢神宮のものは特に「御師(おんし)」と呼びました)・山田大路(ようだおおじ)家の鎮守神。明治42(1909)年に茜社に合祀。
なお、蛭子命は元豊川町字下馬所の祀られていたのですが、明治42(1909)年2月に菅原神と共に茜社に合祀されています。
茜社の参拝を終え、ここから御木本道路を200m弱進み、左折して古市参宮街道へ向かいます。外宮と内宮を結ぶ道は、3通りあります。天皇陛下が内宮に参拝される際にお通りになる御幸通り、真珠王・御木本幸吉翁が私財を提供して造った御木本道路、間の山(あいのやま)を越える古市参宮街道がそれらです。この古市参宮街道は最も古く、明治までは外宮と内宮を結ぶ道はこの道のみでした。東海道中膝栗毛(十辺舎一九)の主人公弥次さん、喜多さんが通った道でもあります。古市参宮街道を通って外宮から猿田彦神社までは3.5km。
御木本道路と古市参宮街道との間に祖霊社がありました。ここは、まっ
たく意識していませんでした。明治5(1873)年、伊勢神宮により開かれた神宮教院がその発端です。倭町・元常明寺において、説教所が開かれています。その後、「神都霊祭会」、「霊祭講社」を経て、昭和56(1981)年、祖霊社になっています。御祭神は、天照大御神と、宇布須根神。宇布須根神については、よく分かりませんが、産土神ではないかと考えます(読み方の類似性から)。中には入らなかったのですが、調べてみると、芭蕉句碑(何木塚)、寛居翁碑(伊勢生まれで、幕末の代表的な国学者である足立弘訓(天明4~安政3・1784~1856)の記念碑)、出口直庵先生碑(出口延佳(元和元~元禄3・1615~1690;直庵はその号。外宮祠官の家に生まれ、伊勢神道家として古典の研究、豊宮崎文庫の創建などに多くの功績を残しています)、為田華明句碑、さらには「虎疫(コレラ)記念碑(明治19(1886)年、三重県内でコレラが蔓延し、猛威を振るいたくさんの死者を出した記録と戒めのために作られた石碑)などがありました。惜しいことをしました。
祖霊社の敷地内に「濱田國松邸跡」という石碑があります。濱田國松(明治元(1868)~昭和14(1939)年)は、三重県生まれの政治家。弁護士をへて明治37(1904)年、衆議院議員、政友会に入党。昭和9年(1934)衆議院議長。昭和12(1937)年、本会議で軍部の政治介入を批判し、寺内寿一陸相との「腹切り問答」で広田内閣を総辞職に追い込みました。写真の中央に写っている石碑は、「濱田國松顕彰碑」。
祖霊社から500mほどで勢田川にかかる小田橋に出ます。勢田川は昔、
御贄(おんべ)川といわれ、神宮の御饌(みけ、御供物≒御贄)がここを通って運ばれたそうです。ご遷宮の時、御用材がこの橋につき、ここからお木曳きが行われたといいます。
上右の案内板、わざわざ「裏面もご覧ください」とありましたので、回ってみました。「伊能忠敬測量の地」という説明があり、納得。伊能忠敬が現在の伊勢市を訪れたのは、第五次測量の文化2(1805)年4月(旧暦、太陽暦では5月)です。山田には5日間滞在し、木星の衛星(ガリレオ)による凌犯(りょうはん)観測を行い、経度差を求めたそうです。凌犯(りょうはん)」とは、月が惑星や恒星を隠す現象のことで、この現象を観測した2地点の地方時(その地点を通る子午線を基準として定めた時刻)を正確に求めることで、時差から2地点の経度差がわかるのだそうです。5日間の滞在中には外宮を参拝したといいます。続いて、宇治に3日間滞在し、朝熊岳の測量や、恒星の観測をしたとありました。
小田橋を渡って、古市参宮街道を進みます。だんだんと上り坂(苦笑)。
古市の町に入ってきました。古市は、外宮と内宮を結ぶ、この街道沿いに栄えた町で、17世紀以降には遊郭や芝居小屋、旅館が並び、伊勢随一の歓楽街として賑わったところ。参拝後に精進落としをする人々が増加したことで歓楽街として発達してきた町です。街道沿いには、昔日を偲ばせる芝居小屋跡などの石碑も建てられています。
丘陵にあるため水の便が悪く、江戸時代以前は、民家もほとんどなかったのですが、伊勢参りの参拝客の増加とともに、江戸時代前期に茶立女・茶汲女と呼ばれる遊女をおいた茶屋が現れました。元禄(1688~1703年)頃には高級遊女も抱える大店もできはじめ、最盛期の天明(1781~1789年)頃には、妓楼70軒、遊女1000人、浄瑠璃小屋も数軒、というにぎやかさで、「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳ができたほどだそうです。古市は、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場しています。
江戸時代末には、北は倭町から南は中之町まで娼家や酒楼が並び、江戸幕府非公認ながら、江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊廓、あるいはさらに大阪の新町、長崎の丸山をたして五大遊廓の一つに数えられたといいます。代表的な妓楼としては、備前屋(牛車楼・桜花楼とも呼ばれた)、杉本屋(華表楼とも)、油屋(油屋騒動で有名)、千束屋(一九の膝栗毛に登場)などがありました。ちなみに、油屋騒動とは、江戸時代、この油屋という遊郭で起きた殺傷事件のことで、俗に「古市十人斬り」とも呼ばれます。油屋は古市の中でも規模が大きく、部屋持ち遊女だけで24名。この事件は、伊勢参りに来た参拝客によって瞬く間に日本中に知れ渡ったといいます。写真は、その油屋跡を示す石碑。近鉄鳥羽線の線路の側に立っています。
古市には、昔の旅人たち現在も当時の面影をそのまま伝える木造の旅館が1軒だけ残り、営業を続けています。また、当時の様子を知ることができる資料館もありますが、そこからはその2にて。その1では、左の実測ルートマップで、油屋跡石碑のところまで。線路は、近鉄鳥羽線。
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