連日のハイキング/ウォーキングとなりましたが(勝手になったワケではなく、「自己責任」でありますが)、今日は、
JRさわやかウォーキングへ。「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」というこ

とで、伊勢参宮に出かけてきました(微笑)。年末に、神宮暦を入手するため外宮にお参りしてきましたが、今回は、JR参宮線・伊勢市駅をスタートして、外宮(豊受大神宮)、麻吉旅館、伊勢古市参宮街道資料館、猿田彦神社から内宮(皇大神宮)、おかげ横丁、月読宮と回って、伊勢市駅がゴールという、コースマップ上は約10.7㎞でした。さすがに伊勢までは遠いので、8時に自宅を出発。なぜか近鉄に乗って出かけます。例によって、近鉄の方が運賃が安いからです(近鉄は¥1,200、JRでは何と¥1,650)。8時22分の伊勢中川行き急行に乗車、伊勢中川には9時24分着。9時25分の五十鈴川行き急行に乗り換え、伊勢市には、9時46分に到着。JRの快速みえに乗っても80分前後かかりますから遜色なし(たとえば、桑名を8時3分に出るみえ51号は、伊勢市には9時30分着)。伊勢市駅はJR側に出なければなりません。ICカードは使えず、切符を買った次第。

JRさわやかウォーキングで配布されたマップ(冒頭の画像)では、神宮の境内や、立ち寄り先をカウントしていないようでした。こちらが実測ルートマップ。何と、15.5㎞も歩いてきました。過去最高は、去年(2018年)2月27日の阿下喜のハイキングで歩いた12.2㎞でしたが(
近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))、これを上回りました(苦笑)。JR参宮線・伊勢市駅をスタートしたのは、9時50分。ひたすら歩いて回り、ゴールは、14時30分。昼ご飯も食べられませんでした(爆)。休憩したのは、伊勢古市参宮街道資料館で接待のお茶をいただいたときのみ。ゴール受付が15時まででしたが、これに間に合うかと心配になるくらいでした。今日は、予告編できわめてかいつまんでということにします。

10時に外宮さんに到着。正宮の他、別宮も3社ともお参りしてきました。

外宮はいうまでもなく、豊受大御神をお祀りしています。内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、衣食住、産業の守り神でもあります。別宮は、
土宮(大土乃御祖神)、
風宮(級長津彦命、級長戸辺命)、
多賀宮(豊受大御神の荒御魂)。ゴールしてから、伊勢市駅近くにある別宮・月夜見宮もお参りしたかったのですが、疲れてしまっていましたので残念ながら、今回は見送り。外宮さんには10時35分まで滞在。外宮を出たところですでに1.8㎞。

外宮さんを出てすぐ、
豊川茜稲荷神社があります。外宮の宮域である勾

玉池の畔に古くから鎮座しています。創祀は不詳とされるものの、古くから「赤畝(あかうね)」と呼ばれた外宮神苑・勾玉池の畔に鎮座していた「赤畝の社」であるとされています。創建は一条天皇の御世以前(986年以前)とされています。古くは外宮の摂社であったと推定されていますが、現在は伊勢神宮管轄の社ではありません。

豊川茜稲荷神社から
祖霊社の前を通って、
古市の参宮街道へ入っていきます。
祖霊社は、一般には、屋敷内の一隅または先祖に由緒のある地点に設けられた祖霊をまつってある小祠をいいますが、
ここは、明治5(1873)年、伊勢神宮によって開かれた神宮教院の説教所がその始まりです。

古市参宮街道をかなり歩いて、スタートから4㎞半の手前に
麻吉旅館があります。
古市は、外宮と内宮を結ぶ参宮街道沿いにあり、17世紀以降には遊郭や芝居小屋、旅館が並び、伊勢随一の歓楽街としてにぎわっていました。伊勢参りの旅人の「精進落とし」で栄えた街です。現在も当時の面影をそのまま伝える木造の旅館が1軒だけ残り、営業を続けています。それがこちらの麻吉旅館。

楼閣のような老舗旅館です。フォトジェニックというか、インスタ映えする

というか。この歴史は大変古く、200年以上まえからあるといわれます。その建て方は独特で、急斜面に沿って、階段状に作られています。こういう建築様式は京都の清水寺と同じ、懸崖造りといいます。歴史的な木造宿と、その脇をすり抜ける急坂の風景は、まるでタイムスリップしたかの様な空間です。

麻吉旅館からほど近いところに、
栄松山寂照寺。浄土宗のお寺。創建は延宝5(1677)年。寂照

知鑑上人(知恩院第37世)が、
千姫(2代将軍・徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室)の菩提を弔うため開いたのが始まりとされます。その後衰退したものの、安永3(1774)年、
月僊上人により再興されました。現在の山門、八角輪蔵は月僊が再建したものと伝わっています。月僊は、円山応挙に師事したとされ、仏涅槃図や藤の図が残されています。ちなみに、千姫は、元和元(1615) 年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから関東に帰る途中、桑名で本多忠政の長子忠刻と巡り合い、再婚しています。また、月僊は求めに応じて絵を描いては報酬を集めていましたので、批判する人もいました。しかし、彼は報酬を一銭も自分のものとせず、すべて寂照寺の再興と貧しい人々の救済などの社会福祉事業のために使ったというエピソードが伝わっています。今日まで、名古屋市博物館で「
画僧月僊」という特別展が開かれていました。見に行けば良かった。
伊勢古市参宮街道資料館です。伊勢市立の施設。伊勢歌舞伎や、日本の三大妓楼のひとつとして著名であった古市妓楼などの関係資料を常設展示しているほか、特別展も企画されています。現在は、 「
神都画人・中村左洲 展」が行われています。中村左州(明治6(1873)~昭和28(1953)年)は、二見町今一色に生まれ、花鳥・歴史・風景・人物画などあらゆる題材の作品を数多く残しました。中でも、漁師の家に育ったことから魚やエビ、海辺の景色などを好んで描き、鯛を得意としたため「鯛の左洲」として知られています。桑名市博物館でも、中村左州の絵を見たことがあります。ここではJRの職員の方が温かいお茶をサービスしてくださり、一息ついてきました。11時半、5㎞手前です。

さらに古市の参宮街道を進みます。猿田彦神社の手前、スタートから5.8㎞ほどのところに
伊藤小坡美術館があります。
伊藤小坡(いとうしょうは、明治10(1877)~昭和43(1968)年)は、明治~昭和の日本画家。本名は、さと。猿田彦神社の宮司・宇治土公(うじとこ)貞幹の長女として生まれ、日本画家・伊藤鷺城の妻です。歴史風俗画を得意としています。なぜわざわざ取り上げたかといいますと、私の好みの画家なのです。桑名市博物館でも、2009年に展覧会が開催され、それを見て以来、この画家が好きなのです(2009年10月25日:
リュート音楽と美人画……芸術の秋を堪能)。『上村松園に次ぐ閨秀画家』と評されます。時間の余裕があれば、覗いてきたかったところ。

その
猿田彦神社。
猿田彦を祀っています。猿田彦は、「日本書紀」によれば、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨の時、
天の八衢(やちまた)にいて、尊を先導しました。のち、
天鈿女命(あめのうずめのみこと)に送られて、伊勢狭長田(さなだ)の五十鈴川の川上におもむいたとされます。このように、猿田彦は、ものごとの最初に出現し、万事をもっとも善い方へ導く神様とされます。古事記、日本書紀などでも「国初のみぎり天孫をこの国土に御啓行(みちひらき)になられた」とあります。また、垂仁天皇の御代に皇女
倭姫命が神宮鎮座の地を求めて諸国を巡歴されたときに、大神の御裔(みすえ)の大田命(おおたのみこと)が祖神、猿田彦大神と同じく御先導され、五十鈴川 の川上一帯の霊地を献上し、伊勢の神宮の御創建に尽くしたといいます。ここも、一度はお参りしたかったところです。

猿田彦神社の境内には、その天鈿女命を御祭神とする
佐瑠女(さるめ)神社があります。芸能の神様として崇敬されています。奉納された幟をよく見ると、「南海キャンディーズ 山里亮太」という名前もありますし、その他芸能関係者、芸能プロが奉納したものもたくさんならんでいます。猿田彦神社を出たところで12時。ほぼ6㎞。ここまでは通称
御木本道路でもあります。

猿田彦神社を出て、右折。国道23号線に出ます。ここは、あの
全日本大学駅伝の最終区間(第8区)の終盤(コースマップは
こちら)。内宮の宇治橋

前までほぼ一直線に下っていきます。余談でありますが、宇治橋前が、
国道23号線の終点です。国道23号線は、愛知県豊橋市からここまで、約241㎞。

余談はともかく、とうとうやって来ました。
内宮の宇治橋であります。12時15分に到着。さらに余談を重ねますが、左の写真に写っている、宇治橋の外側の鳥居、これが遷宮の際、払い下げられ、桑名の七里の渡し跡にある「伊勢一の鳥居」になります。そう思うと、感慨深いものがあります。

内宮にお参りするのは、いつ以来でしょう?子どもたちが小さい頃、一度

来た記憶がありますし、その前は、最初の職場に勤めた年の暮れ、年越し参りに来たと思います(昭和54(1979)年の大晦日)。念願が叶いました(大げさな……微笑)。五十鈴川の清らかな流れで、清めていよいよ正宮にお参りです。

さすがに外宮よりも賑わっています。撮影して良いのは、正宮の階段下

まで。右は、望遠で撮ったもの。このあと、階段を登って、参拝してきました。

もう一つ、ここで忘れてはならないものがありました。
蕃塀であります。外宮さんのものは、昨年末見て来ました。蕃塀、
こちらのサイトによれば、正宮にかけられた白い布(御幌(みとばり))と同じ意味があり、門を開いたときに、正面が直接見えないようにするためといいます。ちなみに、内宮の蕃塀は、この写真のように、石段の下にありました。

内宮にある別宮2社もお参りしてきました。左は、
風日祈宮(かざひのみ

のみや)。伊弉諾尊の御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命、級長戸辺命をお祭りしています。右は、
荒祭宮(あらまつりのみや)で、天照大御神の荒御魂が祀られています。

これで内宮参拝も無事に終えました。13時5分であります。宇治橋を渡る

手前で7㎞、お参りして出て来たところで9.3㎞。内宮の中で2㎞以上歩いたことになります。ここからは、
おかげ横丁を通って行きます。ここでお昼を食べようと思っていたのですが、とんでもない賑わい(苦笑)。ラッシュアワーの駅のような感じです。赤福のお店でも並ばないとは入れないくらい。

「これはいかん」とばかりに、おかげ横丁に入ってすぐの店(何という店かは失念しましたが、
若松屋さんだったような気がします)で、「エビマヨ」のはんぺんを1本買って、食べ歩き(苦笑)。¥350。結局、これ以外何も買わず、何も食べずで通過。

スタートから10㎞を過ぎて、南勢バイパスから
御幸道路へ。御幸道路は、内宮と外宮を結んでいます。明治43(1910)年に開通し、天皇の伊勢神宮参詣(行幸・御幸)時の参拝経路として利用されます。去年までは石灯籠が並んでいて、伊勢らしい景観と思われていましたが、バスが接触し歩行者が亡くなる事故があって、すべて撤去されてしまいました。

11㎞を過ぎたところに、内宮の別宮である
月読宮(つきよみのみや)があります。ここも、今

日是非お参りしてこようと思っていたところ。ゴール時間が気になりましたが、思い切って行ってきました。ご祭神は月読尊。天照大御神の弟神で、「月を読む」と記すとおり、月の満ち欠けを教え、暦を司る神です。お社は4つあり、右から月読荒御魂宮②、月読宮①、伊佐奈岐宮③、伊佐奈弥宮④の四別宮が並んで鎮座しています。①から④の順にお参りするということでした。

これで立ち寄り先はコンプリート。御幸道路を上っていきます。大鳥居を

過ぎ、去年10月8日に来た
倭姫宮、神宮文庫の門、神宮徴古館への入り口のところを通って伊勢市駅へ向かいます(

JR参宮線・伊勢市駅にゴールしたのは、14時30分。ゴール受付が15時

まででしたので、心配しました。この時点では、15.5㎞も歩いたとは夢にも思わず。去年の阿下喜のハイキングよりもたくさん歩いた気がする、くらいにしか思っていませんでした(笑)。

JRさわやかウォーキングのスタンプ、2個目をゲット(去年11月23日にスタンプカードを更新して、2回目ということ)。今日は、先着1,000名にバッチプレゼントとありましたが、それにも当たりました。

昼ご飯も食べず、ベンチに座ってゆっくり休憩もできずでゴール。お陰様

でけっこう疲れました。ということで、帰りは、近鉄特急アーバンライナー(微笑)。桑名までの運賃¥1,200プラス特急料金が\1,320。14時54分発の名古屋行き特急に乗って、桑名着は15時59分。ウォーキングで15.5㎞、桑名駅までの往復でたぶん1.8㎞。合計17.3㎞は、おそらくこれまでの最長不倒距離(また調べますが)。
昨日の近鉄ハイキングから連日のJRさわやかウォーキング。記事の本編が大変そう。自らまいた種というか、身から出たさびというか(笑)。まぁ、ボチボチと。今週は、1/29に教育委員会のお仕事もありますし、来月の支援員講座のレジメの締め切りが1/30。ボーッとしてるんじゃないよ!
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