昨日(11/25)、海津市にある
千代保稲荷神社へ行ってきました。これまでに

も何度か行ったことはあります。この地方では、「おちょぼさん」という愛称で親しまれています。商売繁盛・家内安全のご利益があるとされ、正月の他、月末もたくさん参拝する方が訪れます。毎月末(晦日)から翌1日にかけては、「月越参り」ということで、境内は夜通し多くの参拝者が来られるそうです。昨日は、家内の母を連れて、気晴らしということもあってお参りしてきたという次第。右の写真のように、3連休最後の日曜ということもあって、かなりの賑わいでした。

南口大鳥居近くの駐車場にクルマを入れて、参道を歩いて行きます。こちら

から行くと、おちょぼさんまでは500mほどを歩いて行くことになります。実はこちら南口から行くのは初めて。というのも、東口の方が近いので、これまではそちらからばかりでした。右は、駐車場の領収書。デザインが何となく気に入りました(微笑)。

参道には120軒ほどの店があるそうです。この地方ですと、時々テレビでも

紹介され、有名店もたくさんあります。参道で、こんな店を見つけました(微笑)。そうなのです、小生のブログネームと同じ名前の豆菓子の店。ただし、見て来ただけで何も買っては来ませんでした。

2枚目の写真にある鳥居をくぐると、正面に階段。その手前

には、手水場があり、さらに、店が並んでいて、お供えするロウソクや油揚げを売っています。ロウソク1本とわらを通した油揚げ1個で¥50。以前来たときと変わらない値段のように思います。

鳥居から拝殿に行く途中、右手に石碑があります。「岐阜県新八景」とありました。「岐阜県新八景」は、昭和39(1964)年に岐阜タイムス社(現・
岐阜新聞社)が創刊80周年を記念して「岐阜県新八景八十勝」を灯標によって選んだようです。おちょぼ稲荷はその第4位だったそうです(
こちら)。ちなみに1位は各務原市の苧ケ瀬池(おがせいけ)、2位は岐阜城・ロープウェー(岐阜市)、3位は関善光寺・吉田観音(関市)です。

拝殿前は大混雑。お供えをあげるのにも苦労するくらい

です。「左右両側からもお参りください」「こちらからもお参りください」と表示されています。平安時代、源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、森の姓をもらいうけ、義家より「先祖の御霊を千代に保て」と祖神と共に宝剣と義家の肖像画を受け賜わったのが始まりと伝えられています。「千代保稲荷神社」の名も、この言葉からきているといいます。参拝のしおりによれば、御祭神は、大祖大神(おおみおやのおおかみ)、稲荷大神(いなりおおかみ)、祖神(みおやのかみ)とあります。大祖大神はネット検索ではよく分かりませんが、勝手な推測では(文字の意味と、神社の由緒から)、
祖神(みおやのかみ)と同じで、祖先としての神ということだろうと考えます。稲荷大神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)で、稲の神様。

拝殿に向き合うように霊殿があります。ここには、古い眷属像(神の使いであるキツネの像)などが納められていて、
保食神(うけもちのかみ)が祀られています。

拝殿に向かって右手には、「
重軽石」。ここもたくさんの人が列をなしていましたので、横手から写真を撮っただけ。「重軽石」もあちこちで見ます。力比べのものもあるようですが、多くは願いが叶うかどうかを占う石です。

拝殿から重軽石を過ぎて、奥に進むと、「古堂」があります。ここには、かつての本殿の一部が保存され、源氏の御霊(みたま)を祀る
多田神社の御札が納められているそうです。多田神社は、兵庫県川西市にあります。御祭神は、第56代清和天皇の曽孫・源満仲公を始め、頼光、頼信、頼義、
義家の五公を奉斎しており、いわゆる、源氏の祖廟であり、源家発祥の地だそうです。

古堂の東側にも商店が並んでいます。ここも昭和の雰囲

気が漂っています。これはあとから見て来たのですが、商店街の端には、
ビリケンさんらしき像が。賽銭箱があったり、お神籤があったり。由来は不明。

東門。由来などは、分かりません。ここを出たところに、上述のビリケンさんらしき像があるのです。もう一つ、この先に神明社がありました。何でも(どうでも良いことが)気になる質ですので、お付き合いください。

千代保稲荷神社東門を出たところにある神明神社。旧社格は、村社。検

索したものの、由緒などは不明。岐阜県神社庁のサイトにも、詳細はありません(
こちら)。神明社ですので、御祭神は、天照大神。

おちょぼさんに戻って、拝殿の西側には社務所。社務所の前には、お下

がりの油揚げが納められているはずの箱が2つ。「ご自由にお持ち帰りください。但し一家族2袋まで」とありました。

あればいただいて帰ろうと思ったのに、ご覧の通りで、残念。まぁ、参拝

客はたくさんいらっしゃいますので、仕方ありません。社務所の斜向かいに「精霊殿」。こちらは、昭和期の信者の方の御霊薬120柱が祀られているそうです。

これは、千代保稲荷神社のサイトにあった境内案内図。最近ではなかな

か見られないタイプの地図(描かれている建物の向きなど)。最初に見たときには、「えっ? どうやって見るの?」と思って、しばし呆然としましたが、見ているウチに、現地の様子を思い出してようやく理解できました(笑)。右は、地図にある百度石のあたり。灯籠やら、キツネの像やら、鳥居やら、古いものが集められている印象。

これで無事に千代保稲荷神社へのお参りを済ませました。西側の鳥居

から出て、再び参道を通って、南口の駐車場へ。参道にある商店や、諸々のものを気にし始めると切りがありま千野で、一つだけ紹介します。西の鳥居を出てすぐ、坂本屋さんの店頭にある人形。「危険! 人形に触らないでください」とあります。そんなアブナイものを店頭に置いておいて良いのでしょうか(爆)?

参道は相変わらず大賑わい。あちこち店を覗いてきたのですが、八百屋さんなのに珍しいメダカを売っている店があったりと、千代保稲荷神社は、参道もワンダーランド。

駐車場から見えて、最初から気になっていたのがこちら。パッと見たとき

には、おちょぼさんってこんなに近かったっけ?でした(爆)。こちらは、荷席(かせき)稲荷大明神。こちらにお参りする人は数えるほど。気になります(苦笑)。気になるからには見てこなくてはなりません(爆)。

由緒は定かではないようですが、隣にある早川家の先祖が創設したものです。早川家は、第59代宇多天皇(887~890)に源を発し、佐々木源寺として近江国に栄えました。

源氏信が早川但馬守となって、早川姓を名乗っています。その9代目の子孫・早川兼明左近が弘治元(1555)年、この地に来て、地頭地主となりました。その守り神として、以前は別のところにあったものを農地解放後、ここに移設し、早川家と地域社の守護神として祀られています。忘れ物、探しものに御利益があるそうです。

千代保稲荷神社は、大賑わいでした。もう少しあれこれきちんと見て、写

真を撮りたかったのですが、難しい状況でした。残念。休日や、月末は賑わうようですから、今度は全くの平日に来てゆっくりしたいと思います。
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