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2018年10月15日 (月)

20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その2)……御幸道路、錦水橋から河崎の町並み、河邊七種神社へ

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 10月8日の近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」のImg_5876c その2です。その1では、スタートの宇治山田駅から出て、100m進んだかどうかというあたりでウロウロしていました。伊勢豊受稲荷神社や、箕曲中松原神社を通りの反対側から眺めたところまで。左のマップで、「岩淵」交差点(右の写真の先、第三銀行のところ)を左折して、御幸(みゆき)道路に入ります。
Img_5889c 御幸道路は、伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)皇大神宮(内宮)を結んでいMiyukiroad ます。全長はおよそ5.5km。天皇が神宮へ参拝するための道路として、自動車が通行できる道が倉田山を経由して作られたのです。明治時代後期(1900年代)まで、外宮と内宮を結ぶ道路は限られ、急な坂道を伴う幅の狭い道(伊勢街道(伊勢参宮街道))しかありませんでした。明治43(1910)年に竣工。篤志家によって献灯された石灯籠が並んでいたのですが、今年4月路線バスがバス停に止まろうとした際、道路脇に設置されていた石灯籠に接触。これが倒壊して歩行者の男性を直撃し、亡くなるという事故があって、撤去されてしまいました。歩道に敷かれた新しいブロックは、石灯籠があったところと思います。右の画像は、Weblioからお借りしました。
Img_5892c 左上の写真の奥に見えているのが、錦水橋。御幸道路が勢田川を渡る橋Img_5895c です。12 基の擬宝珠 が付いたこの橋は、明治36(1903)年、倉田山に神宮徴古館が開館した時にできました。この橋のあたりから山の方を見ると、秋には紅葉が広がり、それが「錦」のようだったため名付けられたといいます(右の写真からご想像ください)。
Mietoutsusintosen  錦水橋は、その昔、路面電車(三重交通神都線)も走る橋でした。三重交通神都線は、山田駅(現・伊勢市駅)前を起点とし、内宮までと二見までの路線がありましたが、昭和36(1961)年に廃線となり、バス路線に替わりました。伊勢市のターミナル駅から、伊勢神宮・二見浦へ向かう観光・参拝客輸送の役割を果たしていたのです。全路線長は、14.0km。左の画像は、「日本鉄道旅行地図帳 関西1(新潮社、2008年)からお借りしました。この地図では、宇治山田駅前と古市口の間に錦水橋がかかっています。路線図でお分かりのように、このあと訪ねる二軒茶屋あたりも神都線の二見線が走っていました。
Img_5898c 錦水橋の少し先には、この橋の由来を説明する案内板がありました。勢Img_5904c 田川沿いを進みます。右の写真は、錦水橋の1つ下流の桜橋付近から南を振り返ってみたもの。桜橋で勢田川の左岸から右岸に渡り、JR参宮線の線路下をくぐっていきます。
Img_5913c 参宮線は、その名の通り、伊勢神宮にお参りするためにつくられた路線。明治26(1893)年から明治44(1911)年にかけて開業しました。現在の参宮線は、紀勢本線の多気駅から分岐していますが、もとは亀山駅から鳥羽駅までが参宮線として予定されていました。紀勢本線が全通した昭和34(1959)年に参宮線は多気駅~鳥羽駅間に変更されています。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたのですが、昭和45(1970)年に近鉄鳥羽線が開業すると乗客は激減したといいます。鉄橋の煉瓦積みにも歴史を感じます。
Img_5914c 清田橋のところで対岸を見ると、こんな看板が目立ちました。すぐ下流のImg_5919c 清浄坊橋(しょうじょうぼうばし)の右岸側にこの旭湯さんがありました。汐湯・おかげ風呂館と称しておられます。清浄坊橋は、二見の御塩田から外宮に御塩を運ぶ道だっ
たため、「神聖な清浄なる道」ということに由来するそうです。
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 旭湯さんには、その塩の道沿いということにちなんで、二見の海水を汲み上げて運び、沸かしている「潮湯」があるそうです。そのほかにも、旭湯さんはいろんなアイデアがいっぱいのようで、「潮浴び参宮」など、おもしろそうな看板が並んでいました。時間があれば、入浴してみたいところ。
Img_5927c_2  その清浄坊橋を渡って、再び勢田川左岸へ。いよいよ河崎の町並みへと進みます。勢田川は、伊勢市街地を流れる主要な河川で、江戸時代には伊勢参りの客や物資の輸送で大変賑わいました。河崎は、室町時代中ごろに、川のほとりの葦原を埋め立てて作られたそうです。現在でも軒を連ねた古い町家や商家の蔵など、江戸時代からの町並みが残っています。
Img_5938c 河崎の町並みです。川に沿って煉瓦の倉庫、川役人の屋敷跡、古い住Img_5939c_2 宅や商家など、当時の姿が残っています。黒塗りの蔵が続いている町並みは、何となく落ち着く通りです。河崎では、今もたくさんの店などが営業していて、楽しめます。「伊勢河崎商人館」のサイトにたくさん情報が載っています。町歩き地図もあります。
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 河崎の町に限りませんが、伊勢地方では、このような注連飾りが一年中飾ってあります。そこには、「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫家之門」という文言が書かれています。「蘇民将来」とは、神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名です。
Img_5933c 途中に、常夜灯と、お堂。河崎南町にある庚申堂です。地元の皆さんがImg_5935c お守りをしていらっしゃるそうで、60日ごとに庚申さんの行事を続けているようです(こちらを参照)。「庚申」は、「かのえさる」。干支は、日毎にも割り当てられていま。「庚申信仰」では、人間の中にいる3つの虫が、庚申の日になると寝ている間に出てきて、神様にその人の行った悪いことを告げ口するとされます。そのため、庚申の日は一晩中起きていることで、体からその虫が出て行かないように注意するという次第。このお堂には、三猿も飾られているのですが(右の写真の上部)、自分のした悪いことを見たり聞いたり言ったりしないで!」という願望の現れだそうです。
Img_5936c 途中、マンホールの蓋を見たりしながら、進んでいきます。ちなみに、こImg_5957c のマンホールのデザインは、伊勢参りの様子。まちかど博物館もあったのですが、中は覗きませんでした。これ、後で知ったのですが、ちょっと惜しいことをしました。というのも、このお店(和具屋さん)には水神宮が祀られていて、10月13日にその御遷座が斎行されたのだそうです(こちら)。
Img_5960c 和具屋さんから少し行くと、河邊七種(かわなべななくさ)神社。河崎の氏Img_5963c 神様。通称は「天王さん」。創祀の年代は不詳ですが、旧家村田氏が宝徳3(1451)年、室町・足利時代に初めて当地に来住し祭祀して創立され、河邊の里の地名由来に依り、河崎社と称したのを、明治4(1871)年6月から河邊七種神社となりました。天王祭は7月14日ですが、その日に近い日曜日に地域の夏祭り「てんのうさん」が開かれます。神輿が町内中を「そいやそいや」のかけ声で練り歩き、夜店とイベントでにぎやかだそうです。祭りの最後には、勢田川に浮かべた船から打ち上げられる花火と、川面を走る水中金魚花火が恒例といいます。
Img_5984c  旧社格は、村社。明治23(1890)年9月、菅原社、秋葉社を合祀。明治41(1908)年11月、広峰社、水神社、稲荷社、幸神社、猿田社、金毘羅社を合祀しています。
Img_5985c 主祭神は、須佐之男神(スサノオノミコト)。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子で、天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放されましたが、出雲に降りて、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救っています。さらに、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を天照大神に献じました。相殿神は、次の通り。このほか、祭神不詳二座となっています
  • 八衢比古神(やちまたひこのかみ)
  • 八衢比売神(やちまたひめのかみ)…古代伝承上の神で、集落や道の要所にすわり、八衢比古神とともに邪神・悪霊の侵入をふせぐ
  • 久那斗神(クナドノカミ)…岐神とも書きます。伊弉諾尊が黄泉の国から逃れて禊をした時、投げ捨てた杖から生じたという神。集落の入り口や道路の分岐点などにまつられ、種々の邪霊・禍災の侵入を防ぐと信じられた。道祖神。ふなどのかみ。ちまたのかみ。
  • 大物主神(オオモノヌシノカミ)…大神(おおみわ)神社の祭神。別名は三輪明神
  • 火産霊神(ほむすびのかみ)…迦具土神(かぐつちのかみ)ともいう。伊弉諾尊・伊弉冉尊の子で、火の神
  • 菅原道真公…天満天神、学問の神
  • 水神
  • 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)……倉稲魂命とも表す。稲の精霊が神格化されたもので、五穀、食物をつかさどる
Img_5992c 境内社には、吉家稲荷神社(吉家神社)があります。町内に無格社として祀られていImg_5994c たものを昭和11(1936)年にここに遷し、祀っています。20年に一度、御遷座が行われているようです(たとえばこちら)。
Img_6001c 気になったのは、こちらの写真に写っている内容。向かって左側の額には、「吉家松助大明神 吉家虎光大明神 吉家松倉正一位稲荷大明神 吉家小妻大明神 吉家小菊大明神」とあるのです。稲荷大明神の他は、個人の名前に大明神がつけられているような気がします。しかし、ネット検索ではよく分かりませんでした。「町内に無格社として祀られていた」ということからは、個人のお宅に祀られていたのかと推測しますが、わかりません。
Img_5972c  他には、境内には、樹齢600年といわれる大楠がありました。楠の前にImg_5973c は、鳥居がありましたので、ご神木かと思います。さらに、このクスノキの根元をよく見ると、右の写真のような石柱がありました。「橿原神宮…」という文字が見て取れます。「橿原神宮遙拝所」なのでしょうか。
Img_6017c 境内を見て回ると、拝殿の東に「遺Img_6020c 跡……」という石柱があり、その前には、不明の物体(木の化石? よく分かりません)がありました。その奥を見ると、「庚申塔」の欠けたものらしき石柱も。神社にはいろいろなものがあり、不思議な空間。
 河邊七種神社でまだ2㎞にも達していません。遅々として進まずというのは、まさにこういうことですが、その2はこれくらいで。もう少し河崎の話が続きます。次は伊勢河崎商人館から。

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