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2018年9月29日 (土)

20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その3)……高田本山専修寺を見てJR紀勢線・一身田駅にて「完」

Img_3194c  9月22日のJRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂20180922jrwalkingtsu13_2 と一身田寺内町を訪ねて」のその3です。スタートのJR紀勢線・津駅から5㎞半ほど歩いて、一身田寺内町の館まで来ました。ここが本日のゴールで、まだ高田本山専修寺にお参りしていませんが、取り敢えずゴールしました(微笑)。12時25分です。

Img_3198c 寺内町の館から高田本山専修寺は、目と鼻の先。時間も時間ですし、5㎞Img_3197c 半も歩いてきましたので、高田会館の食事処あかりの「名物 伊勢芋とろろ」の看板が気になりますが、あいにくと津駅で弁当を買ってきていました。あかりの「伊勢いも御膳(¥900)」は、マスコミでも取り上げられたりしているのですが、それはまたの機会に。
Img_3202c こちらは山門。国指定重要文化財。御影堂の正面にあり、専修寺の総門です。五間三戸二階二重門の形式になっています。これは山門として最高の格式だそうですが、確かに立派。何度見てもすごいなと思います。宝永元(1704)年の建築とされています。
Img_3206c 総門をくぐった正面にあるのが御影堂。宗祖親鸞聖人の木像が中央須弥Img_3216c 壇上に安置されています。725畳敷きの御堂で、全国の現存木造建築の中でも5番目の巨大な堂です。寛文7(1667)年の建立。まずはこちらにお参り。内部も写真を撮って構わないのですが、ネットには揚げないようにということですから、割愛。右の写真は、御影堂から北西を見たもの。個人的にはこの景色、かなり気に入っています。
Img_3221c 続いて、これまでに見逃していた大玄関や対面所の方に向かいます。そImg_3223c の前に、御影堂の東に「安楽庵(あんらくあん、三重県史跡名勝)」への入り口の石碑が建っています。安楽庵は、如来堂と御影堂の背後にある庭園にたたずむお茶席。庭園は「雲幽園(」といい、ほとんど石組みを作らず、自然の美をそのままに生かし、蓮池を主体としているそうでます。独特な構造で格式が高く、茶席は江戸時代初期の名席といわれています。雲幽園(安楽庵)の見学は事前の申し込みが必要です。
Img_3270c ただし、納骨堂へ行く途中、この門をくぐった先で庭園(雲幽園)と思われImg_3272c るところを垣間見ることができます(右の写真)。このあたりは、ちょうど如来堂の裏。お庭は一度葉見てみたい気がします。
Img_3276c もう少し進み、納骨堂の手前にはこういう景色も見られます。何というのか不勉強でよく知らないのですが、木製の橋が架かった先に庭門があり、その向こうにお庭が広がっています。いわゆる池泉回遊式庭園になっています。
Img_3225c 話を戻します。「安楽庵入り口」の石碑の東にあるのが、大玄関。これもImg_3227c 国指定重要文化財です。境内の中心からはやや東になり、御影堂の北東にあります。焼失した天明3(1783)年の火災で焼失したのち、対面所と共に再興されました。寛政2(1790)年の再建と伝わっています。その当初は、対面所の東に位置し、正面を東に向けて建っていたそうですが、明治11(1878)年に現在の位置に移築され、その際に正面は南向きに改められました。これは明治13(1880)年の天皇行幸に備えたものと考えられています。
Img_3234c 御対面所(おたいめんしょ)で、こちらも国指定重要文化財。5室ずつ3列の座敷からなる建物だそうで、周囲に廊下がつけているといいます。大正初年までは、法主が座を設けて、ここから門信徒に対面していたところ。御対面所も、天明3(1783)年の火災で焼失したのですが、直ちに再建に取りかかり、天明6(1786)年閏10月に落成遷仏が行われました。
Img_3230c これで1月に来たときに見忘れたところは、「賜春館」を除いてコンプリーImg_3251c ト。「賜春館(ししゅんかん)」は、明治11(1878)年に貴賓接待用として新築された書院ですが、明治13(1880)年の明治天皇行幸の行在所として使用されたことがあり、それを祝って「賜春館」と命名されました。国指定重要文化財。ここはもちろん、われわれは見に行けません。画像はリンク先をご覧ください。右の写真は、大玄関に行くアプローチあたり。
Img_3245c これで見忘れたところもすべて見ましたので、ようやく、安心してお昼にしImg_3248c ます。12時45分であります。近鉄津駅のファミマで買ってきた弁当を御影堂が見える、鐘楼の近くの建物の陰でいただきました。
Img_3254c 食事を済ませ、如来堂と、家内の父のお骨が収めてある納骨堂にお参りします。が、その前によく見たら、蓮の鉢が並んでいるところに句碑らしきものがあるのに気づきました。割と新しいもの。浜田珍碩(はまだちんせき)の「千部読む花の盛りの一身田」という句が刻まれていました。浜田珍碩は、浜田洒堂(はまだしゃどう)ともいい、江戸時代中期の俳人です。別号に珍夕、珍碩があり、芭蕉の門人。近江国膳所の出身。「千部」というのは、「永代経法会(えいたいきょうほうえ)」のことだそうです。「千部会」、「千部法会」といい、高田本山の千部法会は、江戸時代には、報恩講以上の賑わいであったと伝えられています。春秋に勤められるようです。珍碩の句は、「千部法要」に群参する善男善女の方々を詠んだものということ。
Img_3256c 国宝・如来堂。御影堂の西にあります。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像をご本尊としており、教義の上では、この堂が伽藍の本堂となります。発願は享保4(1719)年、着工は翌々6(1721)年ですが、資金難から工事が渋滞し、ようやく元文5(1740)年から地築にかかりました。しかし、地盤が軟弱なために寛保3(1743)年8月まで満3年を要して完成。このとき勘六という老人が人柱に立ったと言われているそうです。
Img_3277c 如来堂に参拝してから、納骨堂へお参り。4年前の6月17日に家内の父のお骨を収めています(2014年6月17日:高田本山専修寺へ……納骨でした【6/18に加筆修正】)。納骨の方がお一組。
Map これで高田本山専修寺もコンプリートと思っていたのですが、記事を書きながらマップをよく見ていましたら、大講堂を忘れていました(宗務院やら婦人会館などの一般施設を除いて)。いやぁ苦笑せざるを得ませんが、これでまた出かける口実ができました。
Img_3279c 帰る前にもう一度、如来堂と御影堂を振り返り、唐門から外に出ます。唐Img_3281c 門(からもん)も国指定重要文化財です。如来堂の正面にあります。すべて良質の欅を用い、豪華な装飾で埋め尽くされています。建築。天保15(1844)年に上棟しています。
Img_3284c 唐門を出て西へ行くと、環濠にかかる安楽橋。一身田寺内町は、「環濠Img_3285c によって囲まれています。東西約500m、南北約450m。寺内町を区画することに加え、町を防御する機能もあったのです(南側は毛無川を利用しています)。この一身田の環濠は、寺内町の周囲を巡る環濠としては、日本で唯一ほぼ完全な形で残る貴重なものだそうです。
Img_3291c
 高田本山専修寺からJR紀勢線・一身田駅までは300mほど。駅名は、「いImg_3294c しんでん」となっていますが、町名は、「いっしんでん」という方がほとんどと思います。無人駅ですが、駅舎は、大正12(1923)年12月に竣工したもの。13時20分に到着。13時31分の鳥羽行きの普通電車に乗って、津駅まで戻ります。無人駅ですが、この日は、JRさわやかウォーキングとあって、助役さんと駅員さんが出張してきておられました。
Img_3306c 帰りの電車は、東一身田駅から伊勢鉄道でもよかったのですが、伊勢鉄Img_3312c 道は一応全線乗っています。紀勢線で一身田駅から津駅は乗車したことがありませんでしたので、こちらへ。津駅までは1駅で、¥190。13時34分着とたった3分でちょっともの足らず。途中、車窓からは、午前中に歩いた辺りの景色が見えます。
Img_3317c ワンマン列車ですので、降りるときには「あける」ボタンを押します。ランプが付いたら、これを押すとドアが開きます。ドアを開けて乗るのは、1月16日の“勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング“の時に経験しました(2018年1月21日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その4)環濠を巡り、伊勢別街道を通って、一身田駅で「完」)。まったく子どもみたいで、我ながら笑えます。
Img_3320c 津駅からは、家内の実家へ行くことにしていました。バスは、津駅始発Img_3327c で、どうしようか迷ったのですが、時刻を調べていなかったのと、確か1時間かかったのを思い出して、久居駅までは近鉄で行くことに。久居まで近鉄は¥260。久居駅でバスは、14時16分発でした。¥530。津駅から乗ると、バス代は¥840。結果的には、運賃、時間とも差はありませんでした。
 JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」のこれまでの記事は、以下の通りです。また、実測ルートは、こちらで見られます。

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