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2018年9月25日 (火)

20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その1)……宗宝院と三重県総合博物館

Img_2980c  9月22日に出かけたJRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」の本編その1です(20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(予告編)……【キョリ測データを付記しました(9/23)】)。この日は、朝方まで雨でしたが、8時過ぎには上がってきましたので、予定通り、出かけました。
Img_2991c JRさわやかウォーキングなのに、近鉄の切符を買っています。JRで桑名かImg_2994c ら津まで行くと¥920かかるのですが、近鉄ならご覧のように、¥690で済むからです(苦笑)。時間的には、JRの快速みえで30分あまりに対して、近鉄の急行では50分弱かかります(近鉄特急であれば、30分あまりですが、特急料金が¥900)。急ぐ訳ではありませんから、50分かかってもまったく問題はありません。ということで、桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車し、津駅に9時46分到着。
Img_3002c 津駅は、JR紀勢線と近鉄名古屋線が乗り入れています。桑名駅と同じく、Img_3010c JRは東口、近鉄は西口。スタート受付は、東口を出たところに設けられていました。津は県庁所在地ではありますが、人出は多くありません。近鉄四日市駅の方がよほど賑やか。東口には、駅ビルはチャム、北側にアスト津(ちなみに、明日都だそうです)というビルがあります。
Img_3004c_2 こちらがコースマップ。津駅をスタートして、宗宝院、三重県立博物館Img_3006c (MieMu、みえむ)、勝楽寺、下津醤油、一身田商店街、高田本山専修寺、一身田寺内町の館がゴール。コースマップ上は5.9㎞です。先着700名に「一身田商店街のすてきなプレゼント引換券」がプレゼントされるということで、見事ゲット。ウォーキングスタートは、10時。
20180922jrwalkingtsu1 実際に歩いたルートはこの地図の通り。こちらにキョリ測に描いたルート20180922jrwalkingtsu11 マップがあります。とくに寄り道、道草はしなかったものの、高田本山専修寺の中を歩き回ったりしましたので、JR紀勢線・一身田駅に着いたときには、7.5㎞を歩いていました。
Img_3012c 今日のコースは、津駅から見ると西側ですので、東西連絡の地下通路をImg_3013c 通って、駅西に出ます。西側が、上にも書きましたが、近鉄津駅。
Img_3014c 近鉄津駅(西口)から津駅西の交差点に向かいます。ここからは、キツくImg_3015c はないものの、上り坂。津駅西の交差点の向こうは、住宅街が広がり、三重県立美術館もあります。住宅街はたぶんけっこう高級。交差点の角には、津偕楽公園があります(右の写真)。津藩第11代藩主・藤堂高猷(たかゆき)が安政6(1859)年につくった別荘「御山荘」(ござんそう)を起源としています。以前、小生はお城公園と区別が付いてませでした(笑)。昔、子どもたちが小さい頃、ここに保存されているD51蒸気機関車を見に行ったことがあったのに、です。この日の目的地の一つ、三重県立博物館は昔は、この公園の一角にありました。
Img_3019c 偕楽公園を見て右折し、県道10号線を歩きます。津駅あたりは標高4mImg_3020c ほどですが、この先、20mほどを上る(登る?)ことになります。こういうダラダラ坂、けっこうキツいのです。なので、黙々と登って行きます。このあたり、マンションなどがけっこう建っています。途中、ヒガンバナも咲いています。
Img_3022c 途中、歩道にはこんな道案内があったり、よく分からないモニュメントがImg_3023c あったり(笑)。地名でいうと、大谷町から上浜6丁目のあたり。
Img_3025c 上浜6丁目のバス停で1.1㎞ほど。バス停を過ぎてすぐにImg_3031c この日最初の目的地である宗宝院に向かうため、ひょうたん池のところを左折し、西へ。こういう池は、冬になるとカモたちがやって来そうです。
Img_3033c スタートから1.7㎞、けっこう蒸し暑い中、汗をかきながら最初の目的地でImg_3036c ある白龍山宗宝院に到着(10時20分)。曹洞宗のお寺。コースマップには、彼岸の行事で、本堂には入れないと書いてありましたが、扉は開いていましたので、ご本尊は拝めました。
Img_3042c ここ宗宝院は、慶長9(1604)年、当時の津藩主・富田信濃守信高の子Img_3039c 息・千代丸(享年12)の菩提を弔うため、現在の津市栄町(津駅の東南あたり)に建立されました。寺名の由来は、この千代丸の法名によります(宗宝院殿桂室芳公大禅定門)。その後、大正年間に白龍天山禅師によって法地開山されましたが、昭和20(1945)年7月の戦災で一切を焼失します。しかし、四世大鑑良雄大和尚によって再建が図られ、昭和45(1970)年には本堂も再建されました。
Img_3050c ところが、昭和60年代に入って、津市の都市計画事業がおこり、宗宝院Img_3053c もその計画の対象となったため、平成に入って移転再建が行われるに至りました。平成8(1996)年5月に一切の移転が完成しました。本殿の裏には、右の写真のような「安楽石(席)」がありました。静かに座ると、心が安まるそうですので、指示通り、静かに座ってみました。瞑想する(迷走ではありません)のに、なかなかよい感じでした。
Img_3061c 安楽石(席)の脇には、こちらのワンちゃんが控えておられました。「ジョImg_3056c ージュ」だそうです。今ようやく気づきましたが、「成就」なのでしょうね。お寺の守護犬だそうですが、なかなか徳のあるお顔のように見えました。修行のためではなく、健康維持のため、食物はお断りします、だそうです(微笑)。そういえば、見るからにふくよかです。
Img_3063c 宗宝院の墓地には、観音様と思われる石像がありました。コースマップImg_3065c では、宗宝院の裏手を進むように指示されています。「大丈夫か?」とちょっと不安になりつつ、右の写真のようなところを歩いて行きます。
Img_3067c しばらく行くと、この写真のような建物が見えてきました。これが、三重県総合博物館のようでした(ちなみに、これまで三重県立博物館と書いていましたが、正しくは、三重県総合博物館でした)。よかった、よかった。
Img_3070c 建物をグルッと回ってエントランス。スタートからほぼ2㎞、時刻は10時35Img_3072_5 分。ここはずっと以前から、一度は来てみたいと思っていたところ。愛称は、MieMu(みえむ)。前身の「三重県立博物館」は、昭和28(1953)年6月に開館。博物館の建物が耐震基準を満たさないため、平成19(2007)年10に閉鎖。平成26(2014)年4月に三重県総合文化センターの隣接地にこの新しい博物館が開館しました。
Img_3075c ここでまず見たかったのは、この「ミエゾウ」全身復元骨格。「ミエゾウ」Img_3083c は、その化石が三重県内で最初に発見されたことから、世界中で通用する正式な学名を「Stegodon miensis(ステゴドン・ミエンシス)」と名づけられた太古のゾウ。県内各所からも多数の化石が発見され、ここでも多くの化石資料が収蔵されています。これは、国内各地で発掘・保管されているミエゾウ化石の形態データを3次元スキャンで収集して制作した全身骨格復元標本。
Img_3080c 「ミエゾウ」の脇には、ミエゾウのものと推定される足跡化石のレプリカがImg_3081c 展示されています。これは、伊賀市から出土したもの。5本の指の形が分かり、それからゾウの足跡と判別されるそうです。当時日本にいたゾウはミエゾウだけであることから、ミエゾウの足跡と推定されています。
Img_3086c この日、もう一つみたいと思ったのは、「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」展です。この展覧会は、武四郎の生誕200年を記念したもの。松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888))は、現在の三重県松阪市に生まれ、幕末の樺太北海道開拓の先駆者・大台ヶ原開拓者です。「北海道の名付け親」とよばれる武四郎の北海道踏査の軌跡や、幕末の志士・文人たちとの幅広い交友、当代随一の情報収集家・古物蒐集家としての魅力が展示されています。11月11日まで。大人は¥800(この日は、ウォーキング参加者割引で¥700)。
20180922j1  松浦武四郎は16歳の江戸への一人旅をきっかけに、武四郎は諸国をめ20180922j ぐり、名所旧跡を訪ね、日本の百名山にも登ります。自らが見て、聞いたことを記録し、多くの資料を残しました。冒険家、探検家、地誌学者、作家、出版者と、いわばマルチ・タレントであり、知の巨人といえる人物です。記録は『初航蝦夷日誌』・『再航蝦夷日誌』・『三航蝦夷』などの日誌風の地誌や、『石狩日誌』・『唐太日誌』・『久摺日誌』・『後方羊蹄日誌』・『知床日誌』などの大衆的な旅行案内、蝦夷地の地図など多くの出版物になっています。堪能しました。
Img_3376c 基本展示も見て(この日は、あのあずきバーや、肉まん・あんまんの井村Img_3379c 屋グループのお陰で、無料開放されていました)、ミュージアム・ショップへ。博物館のグッズよりも、食べ物に目が向いてしまいました。というのも大好物の「関の戸」を売っていたのです。関宿(三重県亀山市)にて、江戸時代から14代続く「深川屋 陸奥大掾(ふかわや むつだいじょう)」がつくっています。「関の戸」は、赤小豆のこし餡をぎゅうひ餅で包み、阿波特産の「和三盆」をまぶした、一口大の餅菓子です。最近、これに亀山茶の分待つをまぶした「お茶の香 関の戸」もあるのですが、昔からある関の戸をお買い上げ(¥600)。さらに、井村屋の「煮小豆 ようかん」も気になっていたので、これも買ってきました。1本15gの食べきりサイズのミニようかんが7本入っています(¥291)。
Img_3097c ということで博物館を11時半まで楽しんできました。今日は、ここまで。次は、また県道10号線に戻って、一身田地内をひたすら歩きます。

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