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2018年9月21日 (金)

20180915近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」へ(その4)……大矢知興譲小学校(大矢知陣屋跡)、八風道の道標、丸井屋老舗を経て大矢知駅にゴール(完)

 この2日ほど雨続きで、ちょうどよいとばかりに9月15日の近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」の記事を書いています。約6キロと短いハイキングですが、その4と、思わぬ長編になりました。今日の記事でゴールインの予定です。

20180915kintetsuhikingkasumigaura4 その3で、豊栄稲荷神社、長倉神社、照恩寺について書きました。照恩寺を出たところで距離は5㎞の手前、時刻は12時前になっています。今日のコースマップを見たとき、四日市市立大矢知興譲小学校のところを通ることが分かり、これは是非とも立ち寄って見て、確かめないと思ったことがありました。
Img_5468c たぶんこちらが、大矢知興譲小学校の正門。その名前からして何か由緒が180714kintetsuhikingtomida ありそうな気がします。7月14日の近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」の時、近くを通っています(20170714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(予告編)……猛暑でしたが、10㎞あまりを完歩!)。右は、そのとき歩いたルートマップ。伊藤手延製麺所から大矢知興譲小学校の東を通って、大矢知駅を回っています。このとき、大矢知の歴史について少し調べたのですが、もともと桑名藩領であったものが、江戸時代末に忍藩領になり、そのとき、代官所がこの小学校あたりに置かれたというのを知ったのです。
Img_5502c  大矢知の地名の由来は、朝明川流域で最初の大きな谷地を形成することによるといわれれます。古くは朝明郡に属し、中世には、大矢知御厨がありました。江戸時代には、大矢知村は桑名藩領でしたが、文政6(1823)年武蔵国忍藩領、天保13(1842)年に幕府領(近江信楽代官所支配)、安政元(1854)年に再び忍藩領となっています。写真は、近くの八風道(大矢知郵便局の角から菰野方面をみたもの)。
 この経緯を少し詳しく見ますと、文政6(1823)年、桑名藩主・松平忠堯(ただたか)公(奥平系)が、武蔵国忍藩へ国替えとなりました。しかし、忍藩では桑名に比べ石高が少なく、それを補うため、北勢四郡のうち72ヵ村(松寺、蒔田、西富田を除く)4万3,000石が忍藩領になりました。そのとき、ここ大矢知に陣屋が置かれ、忍藩が支配したのです(これはあくまでも定説であり、支配拠点は、時代によって変わったという指摘もあります。それについては、こちらを参照)。天保13(1842)年、いわゆる「天保の改革」にともなって一時幕府領になったものの、嘉永7(1854)年に再び忍藩領になっています。
Img_5480c さて、その陣屋跡を示すものがないかと思って、大矢知興譲小学校前の交差点を左折して、上記の正門を見たのですが、何もありませんでした。元のコースに戻ったら、交差点からすぐ北にこの立派な校門があったのです。ちょっと拍子抜け(笑)。
Img_5476c 校門の奥には、二宮尊徳像があります。勝手には入れませんので、近くでは見られませんでしたが、台座には、「勤倹力行(きんけんりっこう)」と刻まれています。仕事に励みつつましやかにし、精一杯努力するといういみ。「勤倹」はよく働き、つつましやかにすること、勤勉に働き倹約することであり、「力行」は努力して仕事などに励むことです。この「勤倹力行」は二宮尊徳の教えの一つで、他には「積小為大」や「至誠」といったことばが刻まれていることもあるそうです(こちら)。
Img_5483c この校門の脇に、「忍藩大矢知陣屋(想像図)解説」がありました。代官Img_5484c 所を中心に郡代屋敷、目付詰所、米蔵、足軽長屋などがあり、羽津用水で囲まれている様子が描かれています。表門が、現在の小学校正門にあたります。西側には観音山、妙見山が見えています。
Img_5486c 明治3(1870)年に忍藩は、藩士のために興譲堂を開設しました。忍藩の進修館の分館とも言える藩学校の興譲館を大矢知陣屋に興しました。忍藩の進修館の分館とも言える藩学校ができたということです。明治5(1872)年の廃藩置県にともない、ここは懲役場(刑務所)となったのち、明治9年(1876)年の伊勢暴動で焼失。明治13(1880)年、興譲学校として再建され、現在に至っていると説明にあります。今の大矢知興譲小学校の名称も、これに因んでいるのではないかと思います。小学校のサイトのトップページには、「興譲の精神を育むために/ めざす学校の姿 「興譲」の意義を受けつぐ"開かれた学校"」とあります。
 大矢知興譲小学校の校名の由来 には、次のような説明がありました:
『興譲』は,古書「大学」の一節, 「一家仁 一国仁 一家譲 一国興譲・・・」に基づく教育の道を諭したものが出典
 こちらの「Web漢文大系」にその「大学」の一説が載っています。大略、次のような意味と思われます:
仁を以て自らの一家を行き届いておさめ、家族のすべてを感化して各自の明徳を明らかならしむるようにすることができる以上、一国を挙げて、仁に向かって感奮させ興起させることが必ずできるはずであるし、またもし謙譲の徳を以てわが一家を行き届いておさめられるならば、一国を挙げて、その徳に向かって感奮させ興起させることが必ずや期待できよう。
Img_5494c 忍藩大矢知陣屋跡を確認できて満足(微笑)。ゴールも近くなりましたので、元気も出て歩き続けます。大矢知興譲小学校から200mほど、三岐鉄道三岐線の踏切を越えたところで、八風道に出ます。大矢知郵便局のある交差点で、道標がひっそり建っているのを発見。ここは、7月14日の近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」の時も通ったのに、そのときは気づきませんでした。写真では、止まれの標識の向こうにある民家の角に立っているのが見えます。
Img_5496c カーブミラーに隠れて、写真が撮りにくかったのですが、西側(左の写真)Img_5497c には「右 四日市ミち 左 くわなミち」と、南側(右の写真)には「左 たどミち」とあります。北側を確認するのをすっかり忘れていたのですが、こちらのサイトによれば、「右 こものミち」とあるそうです。いけません、道標、石碑、石柱のたぐいは、回りをぐるっと一回りして確認してこないと(苦笑)。
Img_5500c 碑陰(東側)には「安政三年 辰七月なつ  御蔵米問屋 石仙蔵 車力中」とありました。安政3年は1856年。上記のサイトによれば、道標は大矢知陣屋の年貢米を扱う車力衆により立てられたものだそうです。当時は、米を運ぶ大八車の往来も盛んだったのでしょう。現在は、十字路北東に立っていますが、もとは北へ抜ける道はなく、羽津の金場町で東海道と分かれた濃州道と八風道の交差する三差路であり、この道標は、三差路中央に立っていたといいます(『よっかいち歴史と文化財散歩』より)。
Img_5508c 交差点から八風道へ入り100mで、この日最後の立ち寄りスポットである丸井屋老舗さん。嘉永年間(1848~1854年)に創業だそうです。ここでお茶の接待をいただきました。栗きんとん、団子、季節の和菓子など魅力的で、相当迷いましたが、結局何も買わず。ちなみに、栗きんとんは1個¥270でした。
Img_5511c 12時ちょうどにゴールの三岐鉄道三岐線・大矢知駅に到着。丸井屋老舗Img_5526c さんからは、200mほど。コースマップ通り、5.9㎞でした。要した時間は1時間50分。スタートからほぼずっと霧雨が続いていましたが、無事にゴールできてホッとしました。
Img_5523c ちょうどうまい具合に12時17分発の近鉄富田行き電車がやって来ましImg_5537c た。これを逃すと、次は13時12分まで電車はありませんでした。近鉄富田までは1駅、12時21分着。三岐鉄道の切符は、前にも書きましたが((20170714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(予告編)……猛暑でしたが、10㎞あまりを完歩!))、今でも硬券です。桑名まで¥430。
Img_5528c 全くの余談ですが、帰りに乗ったこの三岐線の電車は、元は西武鉄道を走っていたもの。 平成3(1991)年6月に三岐鉄道に譲渡されたそうです(こちら)。
Img_5530c 三岐線は近鉄富田駅に乗り入れています。近鉄名古屋線の下り(四日Img_5543c 市、津、伊勢、大阪方面)が1番線、上り(桑名、弥富、名古屋方面)が2番線。三岐鉄道は3番線となっています。12時33分の名古屋行き急行に乗車し、桑名着は12時41分。この日で、あみま倶楽部のスタンプは18個目をゲット。
 実際に歩いたルートを「キョリ測」に描いたものは、こちら。詳しいルートが載せてあります。拡大もできますし、標高も分かります。

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